渋谷家の始祖
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著者名:宮本百合子 

渋谷家の始祖宮本百合子        一 正隆が、愈々(いよいよ)六月に農科大学を卒業して、帰京するという報知を受取った、佐々未亡人の悦びは、殆ど何人の想像をも、許さないほどのものであった。 当時六十歳だった彼女は、正隆からの手紙を読みおわると、まるで愛人の来訪でも知らされた少女のように、ポーッと頬を赧らめて、我知らず黒天鵞絨(ビロード)の座布団から立上った。 立ち上りはしたものの、次の運動を何も予想していなかった未亡人は、皺の深い口元に、羞らうような微笑を漂(うか)べて、そっとまた元の座になおると、後の壁の方へ振向いて、「しげや、しげや、しげやはいるかい」と、お気に入りの小間使いを呼びながら、手を鳴らした。彼女は早速、この輝やかしい報知を、親戚中に触れ廻して、雨のような祝辞を浴びたくなって来たのである。 完く、佐々未亡人の正隆に対する愛は、その熱烈さに正比例して、特異なものであった。彼女の、鍾愛を越えて、偏愛に陥ったとさえ思われる愛は、何かの折に親類の者どもが寄るとさわると、一度は欠かさず皆の話題に上るほど、激しいものであったのである。 勿論、それには正隆が末子であるということが、相当の口実にはなっておったろう。けれども、彼には、単に末っ子だというよりも、より以上の追憶が負わされていた。それは、彼の誕生そのものが既に、未亡人にとっては望外に近いものであったということと、彼の生命と、良人の生命とが、引換えに手渡しされたような形になった、ということとである。 二十年ほども昔に、独りの長男を育て上げて以来、母親となる希望は、殆ど絶えたように見えた彼女が、孤独な、頼りない未来を予想して、自ら心を寒くしていた時に、思いも掛けず胎(はら)宿った正隆は、その祝福された誕生後、僅か半年で、まだ五十にもならなかった父親を失ってしまったのである。 その時、四十ばかりだった佐々未亡人は、この突然な良人の死に逢って、殆ど食餌も喉に通らないほど、悲歎に暮れると同時に、正隆は、愛すべき良人の最後の記念として、自分に与えられた者だ、という感銘を、烙印のように魂に刻みつけた。彼女は、尊ぶべき良人が、彼の死後自分を襲う寂寥を思いやって、この望むことさえ不可能に見えた嬰児を、自分に遺して行ってくれたのだという感謝と追慕とに泣き咽びながら、空虚になった胸の上に、一人の痩せて虚弱な男の子を抱き捧げたのである。 この感傷が、未亡人の心には、不可抗な愛着を募らせずには置かなかった。愛に対して、自発的であった彼女は、明かに二種の、相異った愛を混同して、正隆の上に注ぎ掛けた。彼女は、良人に対するような愛慕と眷恋(けんれん)と甘えとを、子供に対すべき母親の、大らかな愛護の中に混ぜ合わせて、彼を育てたのである。 こういう境遇に生れた子の例に洩れず、正隆は生れた時から虚弱であった。 何かというと直ぐ痙攣(ひきつけ)る、神経質な、泣き虫な彼は、揺籃の時から、自分をとり繞(かこ)んだ、むせるような熱愛の中で、まるで温室の植物のような発育を続けた。種のうちから、硝子張りの室(むろ)に入れられたひよわい草の芽が、何時かその不自然な熱度と、湿気とに馴れて、時を経るままに、一種の変種となって行くように、母未亡人の焼けるような抱擁を雄々しく撥(は)ね反すだけの力を、生理的にも心理的にも欠いて生れでた正隆は、人も知らず、勿論自分も知らない裡(うち)に、一種の変種となって、生活の中へ送り出されるようになったのである。 ただ、可愛いという一字に、全心を打込んだ母未亡人を批判者とした正隆は、寧ろ当然ともいうべき無反省を、極度に甘やかされた「我」に持っていた。彼に、水を掛けてやるものもなければ、雑草と燕麦との区別をすら、教えてやる者がいなかった。 ただ、保護である。真向からの抱擁が、豊饒な肥料を注ぎ込むばかりである。従って、正隆は、一つも選択されない、あらゆる性癖の芽をぞっくりと生え茂らせたまま、野放しの未耕地として、自身の心を抱いていたのである。けれども、総ての点に、安穏な、平調な生活を続けて来た正隆は、見えない種々の、運命的な欠陥を、そっと、相当な才能と美貌との下に沈ませて青年になった。 母未亡人の注意によって、生れて一年経つと別家して、渋谷家の姓を継いだ正隆は、人々の一生に、或る場合には大きな損失さえも与える徴兵からも、完全に解放されて、明るい将来の中に、誰でもが持つ、社会的野心を漂わせながら、当時は、素晴らしいものに思われていた、学士という肩書を、担おうとしたのである。 少年時代から、自分の容貌と、才能とに自信を持っている上に、亡くなった父親や、伯父ほど年の違う長兄の占めている地位等を、我知らず目算の裡に置いている正隆は、彼の前途に、一面からいえば、自惚(うぬぼれ)以上の光明を持っていた。普通の青年が期待するより以上の名誉なり、栄達なりが、つい手近な処に、彼を迎えて、腕を拡げているような心持がしていたのである。が、然し、その名誉なり、栄達なりという、輝やいた彼方と、今、四角い制帽を戴いた自分との間は、ぼんやりと霧の中に消え去っている。道程は、どんな風なものだか、それさえも思考の材料とはなって来ない。正隆にとって、当時多くの青年が叫んだような、意志の強固な勤勉などということは、恐るべき蕪雑さを以て現われた。 蒼白い、濃い髪の毛の所有者である正隆は、繊(ほそ)い腕を形よく組合わせたまま、貴族的な冷笑と物懶(ものう)さとを合わせて、真正面から、世間へぶつかって行こうとする朋友達を、眺めやったのである。 それ故、正隆は、間近に横わる卒業後の生活方針等に就いては、何も纏(まとま)った計画は持っていなかった。ただ、自分だけの才能があれば、誰かそれを発見して、また無い者に尊敬してくれるだろう、尊敬するに違いないという、希望とも臆測とも付かないものが、漠然と、然し、濃厚に、彼の細い胸を満していたのである。亡父の遺産で、当面の生活のために努力しないで済む正隆は、自分の才を使って貰うために、どこへ頭などを下げるものか、と思っていた。立派な学識を持ちながら、泣きついて懇願する恥辱を、忍ぼうとする必要は、求めても見出せなかった。生活というものが、不思議に固定して、動くべき軌道の上を、何の驚異もなく動いて行くのを傍観し馴れている正隆は、自分の才能が発揮されたからといって、それで、今日まで流れて来た、大河のような自分の生活が、どうなるものでもあるまい、という心持もしていた。 転って行くトラックの上で、いくら、踊って見ても舞って見ても、結局は小車の行く処へ、連れて行かれるばかりではないか。 正隆は、この気分に、絶望を混ぜてはいなかった。然し、委せた、萎(しな)びた無為である。従って、彼の持つ希望の中には、焔がない。燃え上る何物をも含んでいない。 正隆は、「青年」を失っていたのである。 母未亡人の偏愛が醸した、性的の自堕落は、殆ど彼の少年時代から、魂を無責任な追従や阿諛(あゆ)で硬化して来た。 彼の感じる生活というものは、相当な歓楽と、相当な名誉との可能を持った、何かはっきりしない、或る程度までは退屈な時の連続であった。 身も魂も投げ込んで、白熱した生命の威力に洗われなかった正隆は、自負を持ちながら、今の生活に何等かの改造を齎(もたら)すべきものとして、自分の才能を考えることは出来なかった。生れながら与えられた、際立った語学の才と、文才は、それ等の有ることは事実でも、「今日」とは何の連絡がない。言葉を換えていえば、正隆は、自分の持つ才能を自覚するから、その発揮を本能的に希望するので、その才能の方向が暗示する名誉が、自ずと産む生活上の影響などは、問題の中には入っていなかった。 正隆の場合では、かような心持の持つ、二様の力の、ただ消極のみが、感化を与えていた。仕事の純粋さに対する希望ではない。生活そのものの弛緩が、彼の魂の四隅を、確(しっ)かりと釘づけにしていたのである。        二 何事かと思わせるような歓迎に抱き取られて、帰京してからも、正隆は、何を思い煩うこともないらしく見えた。 母未亡人に金を貰って外泊をしたり、時には涼風に、長めな髪を嬲(なぶ)らせながら、招魂社の池の辺で、亀の子の甲羅を眺めたりしながら、正隆は悠然と、生活の戸口に彷徨していたのである。 けれども、母未亡人は、正隆ほど安閑とはしていなかった。 瞳よりも可愛い、唇よりもいとおしい正隆を、その美貌に於て誇る未亡人は、また、彼の栄達に就て、焦慮せずにはいられない。生活のために息子を働かせるのではない、という自信を持つ彼女は、殆ど正隆と同量の自尊心を以て、彼の地位を期待した。そして、三月ほど経つと、長兄の紹介で、正隆は、或る官立農学校の教授となることになった。 その農学校というのは、東京から数百哩(マイル)南のK県に在って、校長と長兄とが、かねて親しい友人であった関係から、彼は全く好意で、比較的高級な教授の空席を占めることになったのである。 東京を離れるということは、少くとも、彼をとり繞む快楽の減少という点で、正隆を躊躇させた。けれども、ひどく乗気になった母未亡人は、これを二度と得難い首途(かどで)として、正隆を説得した。 まだ漸く二十四の彼に比較して、明(あきらか)に優遇である地位は、正隆にとって、勿論不愉快な招聘(しょうへい)ではない。周囲の無条件な賛同を見ると、それでも厭だというべき理由を持たない正隆は、ようよう僅かな小径を現し始めた、彼の道を眺めて微笑した。何者に対してとも分らない、軽い侮蔑と、驕(おご)ったうなずきとを以て、正隆は、新に提出された位置を承諾したのである。 彼のこの首途を、彼女の思い得る最大級の形容で、神聖な、祝すべきものとした佐々未亡人は、まるで初陣の若武者を送るような感激で、送別の宴を開いた。 親類の者は皆、九段の御祖母様の御大相(ごたいそう)が始った、と云いながら、集って、笑って、彼を祝して、帰って行った。が、その宴を、決してそんな軽々しいものと思ってはいなかった未亡人は、人が散って静かになると一緒に、微酔を帯びた正隆を、古い、仏壇の金具ばかりが、魂の眼のように光る仏間に連れ込んだ。そして、周囲の襖をぴったりと閉(た)て切ると、未亡人は、正隆が何年にも知らなかった、厳格な、威圧的な調子で、「正隆」と、息子の名を呼んだのである。 正隆は、思わず顔を上げて、母未亡人を見た。彼の、その予測し難いものに出逢った困惑で、何時になくたじろいだような表情を、きっかりと押えるように、未亡人は、「正隆、お前も、これから漸く人になる、今日は大切な日です。だから私も、心ばかりの御餞別(おはなむけ)をして上げたいと思うのだが、お前は聞く気がおありかえ」「お母さん――」「はい。――私が是非云って置きたいと思うのはね、ほかでもないが、お前が世間知らずだから、他人(ひと)との懸引をやり損っては大変だということなのですよ」 こんな前提を置いてから、未亡人は、小一時間も、彼女の信ずる処世術ともいうべきもの、それは唯一の方法で、最も完全なものだと思われる処世術に就て、正隆を諭した。 愛されて育ったものが、総てそうであるように、他人の悪意を看破するに遅い彼は、若年でありながらよい位置に就き得た後援者の力、その力が齎す、嫉妬、反感、羨望等という人間の弱点を、巧く切り抜けなければならないということ、また、他人が利己的に他人を陥れようとして使う奸策の種々な種類と、対抗策。それ等を、未亡人は、正隆が思わず眼を瞠(みは)ったほど、辛辣な、冷酷な、執念深い音調で、些細な点までも説明して聞かせたのである。 この華奢な、切下げの老人の胸に、どうしてこれほどの激しさが包まれているかと思うほど、亢奮した未亡人の言葉によれば、世の中は、要するに敵同士の寄合だというようにさえ思われる。彼が幼年の頃から、よく繰返されたように、生れてから、死ぬまで、信頼すべきものは、親が在るばかりだ。どんな外観の親切も決して、内心の真実は示しているものではない。用心をし、用心をおしよ、正隆、用心をおしよ。 母未亡人の記憶に、今もなお鮮やかに遺されている亡父が、永年枢要な地方官として経て来た生活の中には、どんな迫害が伏せられていたか、どんな、難関が、つき纏ったか。それ等は、悉く、限りある個人の力などでは予防することも何も出来ないほど、多量であり、複雑であったという、母未亡人の説明を事実とすれば、どれほど大胆な人間をも、なお脅かすに充分なだけ、悪の微妙な筋書(プロット)を持っていた。 気の勝った未亡人は、自制を失った興奮に燃え立ちながら、激しい、容赦のない口調で、正隆の心を、ビシビシと鞭うった。彼女は、持ち前の癖を出して、正隆がどれほど不安な眼差しをしようが、憐みを乞うような溜息を吐こうが頓着なく、彼女の暗い、凄い解剖をしつづけて行ったのである。「だから、お前、昔から、人を見たら泥棒と思えとさえ云っているじゃあないか。世の中へ出て御覧、ほんとに油断は大敵ですよ。お亡くなりになったお父様なんかも、まるで蜘蛛の巣見たような奸策許りには、どんなに御難儀なすったか分ったものじゃない。ね、正隆、私はお前さんの行末を案じるばかりに、こんな心配までしているのですよ。お分りだろう、だから、ね、何でも気を許さずに、怕(こわ)い人になっていなければいけませんよ。人間というものは妙なもんで、一度人に馬鹿にされたとなると、もう決して、二度と頭の上りっこがないのだからね、正隆――」 そう云いながら、今まで確りしていた未亡人の声は、俄に顫(ふるえ)を帯びた。「ほんとにね。どうぞ仕合わせになれますように。私だって、もうそういつまでも、お前の世話はして上げられないのだからね、しっかりしておくれ、私がいなくならないうちに、せめて足場だけでも拵えておくれ、たのみますよ」 急に、仏壇の方へ振向いた未亡人は、最後の一句を、半ば途切らせたまま、止途もなく涙をこぼし始めた。 涙がこぼれ出すと一緒に、未亡人の感じは悉く一変した。今までは、何か陰険な、凄い、心持の悪い老婦人のように見えていた未亡人は、急に、親しい、見なれた涙脆い母親となって、正隆の前に現われたのである。 ホロホロと光って、膝に落ちる涙を眺めながら、正隆は血の気の失せた顔を引歪めた。醜いというのだか、恐ろしいというのだか、それではあまりひどすぎるという感じが、泥を口一杯突込まれたような胸苦しさで、正隆の心に迫っていた。 ほんとに、事実に、そんなのが、所謂世間なのであろうか、それほど悪意と、嫉妬と、猜疑に満ちて、食い合いをする世の中なのか? さすがの正隆も、うんそうだ、とは思い兼ねた。疑いを挾まずにはいられないほど、母未亡人が、棒切れにかけて、挙げて見せた幕の彼方は、暗澹としていた、どこにも光明が差してはいない。一面の、真暗闇である。その暗闇の中を、芝居の「だんまり」のように、徐々と窺(うかが)い寄る奸策を、また、こっそりと構えた術策で身を替す世の中は、若しそれを事実とすれば、あまりに堪らなすぎるものではないか。 然し、母未亡人の言葉によれば、地位の高さと、名声の範囲に応じて、それ等は、拡大されるばかりだというのである。 正隆は、思わず、「お母さん」と云った。が、そのままぐっと窒(つま)ってしまった。彼は、何か一言で、その暗闇に何等かの余裕をつけたかった。出来ることなら、一思いに、そんなことばかりがあるものか、と勇ましく否定してしまいたかったのである。が、彼はそうするだけの力がなかった。何より大切な、魂そのものの本然の力が乏しかった。 彼は、母未亡人の胸に巣喰っている、人間だけを騙(たぶら)かす小悪魔の尻尾(しっぽ)を見ることが出来なかったのである。 実際正隆は、或る程度までの放蕩児であり、小さな意味の皮肉家でもあったが、日常生活を構成する平和な余裕が、そこまで彼を、否定的な、氷島のような観察者にはしていなかった。 勿論、彼は騙されたこともある。また、自分に騙される程度のものを、嘘で片付けたこともあった。生活そのものを、火花を散らす激烈なものとして考えていない正隆は、総てを、程々な生温(なまぬ)るさで味っているのである。善と、人が呼ぶものに対して、燃える感激を持たない彼は同時に、悪と呼ぶ者に対して、寛大な、或は無関心な主人であった。 多くの人々が、そうして、一日一日を送っているように、善と悪との、互い違いの出現を一重隔てた彼方に眺めて、薄すりとした暖みを、あらゆる相互関係に感じているのである。よいことも、また、悪いことも、それ等は、総ての幸、不幸、運、不運を包合して、錯綜しつつ起るものではあっても、絶対の自分の安定には、要するに、微力な影翳(かげ)となるに過ぎないと思い込んでいた正隆は、愈々、その信念を、試みられようとする時になって、殆ど、根本的な打撃を与えられた訳なのである。 性格の持つべき力の欠乏から、正隆は、生命を賭しても敢行した、真実さの爆発に対しては、弱い、皮肉な冷笑を以て齎しながら、所謂人情の、交感的な微温(ぬくもり)を否定することは出来なかった。 その人肌の微温を四囲に感じていればこそ、始めて、正隆には息がつけた。彼の冷笑は、決して、故意に自分を陥入れようとする奸策に向ってまで、平然と放たれるほど、力強いものではなかったのである。 彼が考えた、羨望というものは、単に彼の幸福と、その他あらゆる彼の仕合わせを裏書きするものとしてのみ現われたのである。 奸策――。正隆は、急に世の中が寒くなったような眼を挙げて未亡人を眺めた。奸策。彼の、贅沢な、物懶い横目では、もうどうにも、負わされない一種の力、何か不気味に因縁的な、陰気な意地悪いものが、心の奥からしんしんと湧き上って、自分の周囲を立ちこめるのを感ぜずにはいられなかったのである。正隆は、今まで、ほのかに、柔らかく、甘えつつ馬鹿にしていた世の中というものに、運命のような畏怖すべき何物かを感じた。 その掴めない、形の定らない、それでいて、何をするか解らない予感は、正隆を、ぞっとさせる。母未亡人の説明通りだとも、信じ兼ねながら、そうかといって、それを拒絶するだけの、証を自らに持たない正隆は、不安な、落付かない懸念(アンキザエティー)の横木に、吊り上げられた。が、然し、彼は、もう後へ引くことは、不可能な心持がした。 翌日、正隆は幾個かの荷物と一緒に、校長の副島氏に贈るべき、大花瓶の箱を抱いて、南に下ったのである。        三 母未亡人の、単に比喩ではなく、呪うべき警告に、ぞっと心を縮めながらも、まだ若い正隆は、さすがにこれから自分を迎えようとする圏境には、多少の光輝を認めずにはいられなかった。 つい先頃まで、彼の記録する一点の差にも、大勢の学生達を悦ばせ、また落胆させた教授という位置に、今、換って自分が立つのだ、という想像は、思わず正隆の肩を竦めさせる。 彼は授業の方針とか、理想とかいうことで、頭を悩ます種類の人間ではなかった。 生来、虚弱な健康に宜しいというので、野天に晒されることの多い農科に籍を置いた正隆には、地味な研究に没頭するよりも、多勢の青年を前に並べて、得意の独逸語を、美しい発音で喋ることの方が、遙に大きな快感であったのである。まして、危く一二点の差で、及、落の決定するような学生が、私(ひそか)に教師を訪問して、寛大な採点を哀願するような場合を、自分の身近に置いて見ると、正隆は、或る亢奮を感じて、優者を自負する快い微笑が、幻のように、彼の蒼白い頬に上るのである。 そんな時、彼は、正、不正で、行動の是非を判別する気分にはなっていなかった。 ただ、当人には飽くまで、厳格な審判者として面しながら、いざという実際の場合に、相当の斟酌をしてやる、師らしい態度に自分を仮想して、我知らず幸福になる。正隆の好きな、仄温い人息れが、ほんのりと心を包むのである。 けれども、愈々K県に到着して、彼の宿なる謡曲の師匠の家に落付いて見ると、正隆は、自ら湧き上って来る、後悔に似た感じを圧えることが出来なかった。 それほど周囲は、予想外であった。予想以上の「他国」が、そろそろ四辺(あたり)を見廻しながら、近寄って来た彼を、ぐっと、無雑作に掴み込んでしまったのである。 休暇の出入りにさえ、母未亡人の大業な歓迎に抱き取られ、送り出されていた正隆は、人々の冷淡な事務的感情に、先ず心を怖かされた。 長い旅行の間、時を忘れた呑気さに委せて、私に予期していた歓びの言葉などは、誰の唇からも洩らされはしない。ただ、一人の、若い、物馴れない新任の教師を迎えた周囲の、仕来り通りの挨拶と、あとは、物珍らしい、穿鑿(せんさく)好きな注目とが、往来を通る、車夫の瞳からさえ射出されているばかりである。 正隆の直覚に依れば、その注目も、決して、畏敬から湧き出しているものではないらしかった。 骨格の逞しい、昔の大和民族の標本にもなりそうな若者達が、大声で喚きながら行来する往来を、弱々しい、強調していえば、この地方の小娘より果敢(はか)なく見える彼が、強いても容積をかさばらせるように傲然と歩く姿を、人々は、どんな気持で見ているか、それは正隆が、思いたくなくても思わずにはいられないほど明かなことである。 殆ど無数の群に対してそんな感じを、第一の印象として得た正隆は、愈々、実物として、農学校の校舎を見、学生を、直接交渉の対象として眺めた時に、まるで、憤りに近いほどの、不平を感ぜずにはいられなかった。 多少の想像を色づけて描いていた校舎は、煉瓦造りどころか、古び切った木造で、それもようよう土台が崩れないというばかりの荒屋である。その雨風に曝されて、骸骨のようになった部屋部屋には、大きな、あから顔の山賊のような学生達が、肩を聳し、眼を怒らせて控えているのである。 それのみならず、彼等が喋る言葉は、何よりも正隆をおどかした。 一目見ただけでも、弱い彼を威圧せずには置かない彼等の体力の異状な差は、更に不可解な彼等の方言を添えて、正隆を息も吐かせず、縮み上らせたのである。 勿論正隆は、K県が、特殊な方言を持っていることは知っていた。 けれども、東京に生れて育った正隆は、方言に就ては、惨めなほど無智であった。またその無智であることを、都会人が持つらしい淡い誇りで認めていた彼は、今、実際の場面にぶつかって、少からず面喰うのである。 一方からいえば、自分の経験から、学生だけは少くとも、標準語を使うだろうと高を束(くく)って、安じていた楽観が、現在彼等が喋る、妙に抑揚の強い、丸い、男性的であると同時に、何か原始的な気分を持った言葉によって、見事に裏切られたことになるのである。 正隆は、完く、うんざりした、途方に暮れた、が、而し、そういって済む場合ではない。 生れて始めての経験に逢おうとして、自分自身に対してさえ、安易な信任に落付いていられない正隆は、第一、外観の圧迫に、或る不安を感じさせられ、また、言葉の困難に遭遇して、殆ど張切れそうにまで、神経を緊張させた。同じ日本人でありながら、言葉が思うように通じない、それも、自分の云うことだけは、滞りなく先方に通じながら、相手の云うことを、明瞭に掴めないということは、単純な言葉の不自由より、更に、幾層倍か、不愉快なものであった。 つまり、正隆は、自分の云うことは、いくらでも批評される位置にありながら、その批評を、隅から隅まで理解して、また批評を投げ返すことの出来ないのが、何よりも焦(いら)だたしいのである。 年齢の差異とは反比例した自分の学識に対して、激しい自負は持ちながら、新来の教師として、当然免れ得ない批評を、よかれ、あしかれ、自分には訳の分らない言語で加えられることが、正隆にとっては、ひどい、不安(アンイージー)なのである。 思い上った、人を人とも思わぬらしい笑いを口辺に漂(うか)べながら、内心は、物に拘泥せずにはいられない、臆病な、退嬰的な彼は、絶えず、他人の言動に、関心の目標を置いている。従って、こんな或る均衡を失った位置に置かれると、彼の不安や焦躁やは、殆ど想像以上にまで、彼を苦しめ、悩ますのである。 こんな、言語の不通などということは、或る人にとっては、問題にもならないことであろう。また、相当の苦痛とはなっても、到底、正隆の感じた深さにまで進むものではなかったろう。新来の教師を仰いで、未だ正体を見極めない者に対する慎重さを持っている学生に向って、若し彼が、快闊な、ざっくばらんな口調で、「私には、未だ君達の言葉が、よく呑込めないのだから、なるたけ、分り易く喋ってくれ給え」と云えさえしたら、その時から、総ては、もっと単純に、且つ明快になる筈なのであった。けれども、彼に、それは出来なかった。 対照物の価値が、低ければ低いほど、彼の、不可能の量は増して来る。若しこれが、何か至難な学理上の問題ででもあれば、正隆も、解らないものは解らないと、簡単な心持で向われたであろう。けれども、学識と天分とを、豊に持った、青年教授として、好意に満ちた副島氏の紹介につれて、壇に上せられた自分が、どうしてこんな、田舎言葉が分らないと、白状出来よう、こう云って、正隆の頼りない、孤独な自尊心が呻くのである。 勿論、これが位置顛倒して、自分が一人の学生で、傷だらけな机から逆に此方を眺めるのなら、こんな苦痛は、百分の一にも満たないだろうことを、正隆は知っていた。 けれども、教室に出て、生徒の質問を受ける毎に、感違いすることを杞(おそ)れ、自分の弱点を曝露することを恐れ、曖昧な言葉尻を、臆病に濁しながら、それでも、尚自分の自尊心に突つかれた権威を失うまいとする正隆の苦労は、全く、彼にほか解らない重荷であった。 そればかりか、正隆にとっては、毎日顔を合わせなければならない同僚が、また堪らないものなのである。        四 正隆が同僚に対して持った感じは、矢張り一種の不安と、いわるべきものであったろう。彼は、仲間の年長者達が、数年若輩である自分に向ける、試問的な眼をきらっていた。表面は、好意と助力とに満ちているらしく振舞いながら、内心では私に、自分と彼とを計量器に掛けるような態度。正隆は、たとい、どれほど同情するらしく、「いやお困りでしょう。当分は誰でも閉口しますよ、まあもう暫くです」などと、言葉の不自由を想いやってくれても、裏ではきっと、自分の鈍(どん)を笑っているに違いないのだ、と思わずにはいられない。何も、それを証明する実証は上らないでも、正隆は、総てをそんな風に思わずにはいられない気分になって来たのである。 多くの人の中には、実際そんな者もあったかも知れない。けれども、決してそれが全部ではないということは、断言出来る。 けれども、正隆は、それ等の種類を鑑別するだけ、自分を開いていなかった。自分の魂に、日の目が差さないように封鎖した彼は、また他人の心へ、光線を送り、見出すことは出来ない。絶えず揉まれる、落付かない、不真実な周囲を感じる正隆は、凝(じっ)と、寂しい、腹立たしい心を噛みながら、同僚に背を向けた。 彼は、温みのない、堅い、辛辣な、裏切者が潰れた片目ばかりを光らせる生活を感じたのである。 冷酷だ! 何かにつけて、正隆はこう呟く。 何が、冷酷なのか? 生活、人生が、冷酷なのだ。何故、冷酷なのか? それは、はっきりと説明の出来ない心持である。けれども、それが、冷酷であるのだけは、明かな、或る一種の心持。それは、容赦なく片端から、自分の持つ希望も、幸福も、努力も、何も彼も擲(たた)き落して泥まびれにしてしまうような惨酷さ、胸が搾られるような寂寥、皮肉、利己主義、そんな感情が、皆ごちゃ混ぜになって、醗酵した心持である。 その薄ら寒い、暗い、じめじめした気分が近寄って来ると、正隆は逃げ出す力さえ失ってしまうのが常だった。 彼は淋しくなる。感傷的になる。そして、子供のように、愛撫されて泣き出したくなって来るのである。 けれども、どこに彼を泣かせてやる人がいるのか、正隆は絶望する。 老人の謡曲の師匠。老耄に近い年長者連。皆関係がない各自の生活の中に、巣喰っている。教授という位置が彼を縛って、たとい、お座なりにしろ、美くしい顔に憐れむような表情を浮べて、彼の不平に耳を傾けてくれるだろう女性にさえ、近寄れない正隆は、全く、自分の心の遣場所を持っていなかったのである。 青年が、生活の第一歩を踏み出そうとして、一滴は、必ずこぼすだろう涙。 その記録すべき深い、静かな、祈願と、憧憬と、漠然と直覚する失望に似た感じが、正隆の場合では、ただ、感傷的に傾き過ぎていた。正隆は自分で、自分の魂、生活を御して行けなかった。周囲の他力に、彼は支配される。自分の心を掘抜くことも出来ず、人の心は、まして燃え抜かせるだけの力を持たない正隆は、胸に満ちる海潮のような感情を、湧くにつれて、後から後からと澱ませて行ったのである。 澱ませられながら、容積を増す感情は、どうにか流動しようと身をもがく、その最も自然の結果として、正隆は、自分の身辺に存在する唯一の弱者である学生に、その感情の、甘饐(あます)えた、胸のむかつく沈澱を、浴せかけたのである。 それにしても、正隆は決して学生を、真正面から叱責したり、急しい課題の続出で、困らせたりする種類の意地悪さを持ってはいなかった。 彼は、自暴自棄になったのである。 今までは、相当に緊張して立った教壇の上に、正隆はもう、木偶(でく)のように押据った。そして、義務的に独逸語を、美くしい声で読み上げたまま、後はもうかまわない。席順に、一人宛、一節の教科書を輪読させて、間違おうが、支(つか)えようが、彼は注意をしようともしなかった。凝と机に頬杖を突いて眼を伏せた正隆は、頭の先から、細い爪先までを満たした、何ともいえない焦躁と、淋しさと、棄鉢(すてばち)とに身も心も溺らせて、殆ど忘我に近い憂鬱に沈み込んでいるのである。 けれども、こんな正隆の態度は、決して学生達を、長く鎮めてはいなかった。 三箇月も経たないうちに、正隆は、学生中の嫌われ者になり終せた。 たださえ彼の曖昧な、尊大振った、弱々しさに何かの物足りなさを抱いていた少年、或は青年達は、彼の不真実な挙動を見ると、もう黙ってはいない。彼の無能を罵る声や、彼の不熱心を訴える声が、教員室まで侵入して行き始めたのである。 そうなると、同僚の多くは、問題の主人公たる正隆に対して、何か不自然な、敬遠とも、嫌厭ともつかない表情で、相対するようにならずにはいない。 学生と同僚との、不安定な観察を身に感じる正隆は、心の中で、総ての人間共を侮蔑し、罵倒しながら、表面は平然と、蒼白い頬に冷笑的な薄笑いの皺を刻みながら、わざと、仮装した動じなさで、皆の、その眼前に姿を持ち出すのである。 全く、これは決して、正隆一人の不幸ではなかった。彼の周囲に生活して、程度の差こそあれ、多少とも彼と関係を持つ総ての者が、彼の気分の免れ得ない影響を受けた。 陰気な、外の人間の裡にある快活さや、率直さを一目で射殺すような正隆の眼を見ると、一人として、元の明快な気持を保っていることが出来なくなる。 妙にこじれて、焦々しい気分が、電波のように、魂から魂へと伝って、等しく同様の苦汁を嘗めさせられずにはいないのである。 こんなにして正隆の存在が、今まで相当の円滑さで流動していた生活の、大きな暗礁になったのを心付いた人々が、暗黙の中に、彼の自決を諷刺したのは、寧ろ当然とさえいわるべきものなのである。 かなり敏感な正隆は、勿論この雰囲気の持つ意向(インテンション)を知らない筈はない。彼は、言葉よりも明に、それ等の効果ある暗示を読んでいたのである。けれども、読んでいたに拘らず、正隆は、自他の責道具である教壇から、身を退けようとはしなかった。決心をしないばかりか、彼には、その計画さえもなかった。計画させないものは、単に正隆の持前である優柔不断というよりは、寧ろ、ぐっと居直って、胡座(あぐら)を掻いたような一種の意固地が、彼を、恐ろしい搾木に縛りつけてしまったのである。 そして、その意固地を掻き立てたものは、内攻に内攻を重ねた、彼の不安や焦躁の凝り固りである。 時が経るに連れて、人と人との相対的な、複雑な、微妙な、流転する心の折衝に疲れ切った正隆は、極度の困憊から、終に、あらゆる不幸は、皆、何人かの憎くも企図して置いた、一種の悪計によって齎されたものであると、確信するようになってしまったのである。床柱も、畳も、程よく寂びた離座敷にポツネンと坐りながら、正隆は、よく、その見えない敵に向って呪咀を投げた。 第一、正隆にとっては、このことの起りからが、疑問になって来た。これほど、言葉の不自由な、封建的な地方へ、何故、何の予備智識も持たない自分が、投げ込まれたのだろう。困るのは、解りきったことではないか。 その困るのを見て、皆が内心では侮蔑しながら、軽視し、邪魔物扱いにしながら、表面だけは、どこまでも、親切そうな、好意を持った仲間らしく扮(よそお)っている。それのみか、普通、こんな状態になれば、当然、提出されるべき免職沙汰も持ち上らないのは、どういう訳なのだろう。 若し、ほんとに自分の価値を認めて、留任を願うならば、何より自分には直接な関係を持つ学生に対して、何等か、緩和的な調停が与えらるべきではないか、それだのに、依然として、学生は自分の悪口を云い、解らない言葉を連発して苦しめるままに放任して置きながら、それから逃れる方法として免職させようともしないということは、正隆を考えさせる。 つまり彼等は、逃路を塞いで置いて、火をかけたようなものではないか。何か、魂胆があるに違いない。必ず、何か、あるのだ。誰かが自分を苦しめて、悶え苦しみ、身をもがくのを見て、そっと舌を出しているに違いないのだ、とさえ、正隆は思い始めたのである。誰だろう? 誰が、幕の彼方で、この憎むべき悪策の糸を操っているのか。 正隆は、蒼い額に、切り込んだような縦皺を寄せながら、瞼を嶮しく引そばめて、森閑とした周囲を睨まえるのである。 暗い、鋭い正隆の直視の前には、いつも、桑の小箪笥と書棚とが、行儀よく、手を入れられて並んでいた。 まるで、結婚でもしようとする愛嬢に持たせるような亢奮で運ばれた、これ等の女性的な、贅沢な調度を見ると、さすがの正隆も、あれほどの亢奮と愛とで自分を送った母未亡人が、その黒幕の彼方の人物だとは思い得なかった。彼の揺籃の時から、細胞にまで浸み込んだ既定的な愛の信頼は、そこまで延びる彼の疑いを許さないのである。母未亡人でないと確定すれば、最も手近な処から、この探求を進めようとする正隆は、勢い、第二の嫌疑者として、長兄の正則を、牽(ひ)いて来なければならない。 正則は、どうだろう、 ここへ来ると、正隆は、蒼白い額を灰色にして腕を組んだ。自分に、今日の位置を紹介した当人として、若し疑えば、疑える場所に、長兄の姿は立っているのである。 ここへ来させるという、第一の動機は、兄である彼が、作ってくれたものではないか、それ故、若し彼が、自分を陥入れようと計画したとすれば、もう、その最初の第一段から、呪うべき悪意が、親切らしい「兄」という人間の手に隠れて、前途に投じられたとも、云い得るのである。 また、実際、親子ほど年の違う兄弟は、年齢の差以上に、母未亡人の偏愛によって、互の親密さを薄められていたのは、事実である。 長兄が、もう一人前の青年になった頃、誕生した正隆は、連絡を取ることが、不可能な境遇の差と、経験の差から、殆ど、伯父に対する程度の、関係ほか持ってはいなかった。それ故、正隆は、この一点のみを強調して疑惑を進めて行くと、もう一寸の、際どい処で、最後の結論が引出されそうな処まで、深入りをして行くのである。血族関係で結び合わされた二人の人間が、相反目し合った場合の、惨憺たる、悪どい争闘の歴史を拡げて見ると、正隆は、息が窒(つま)りそうな物凄い恐怖を抱かずにはいられなかった。それと同時に、それがあまり恐しいことであるがため、それがあまり浅間しいことであるが故に、却って、自分の運命に現われて来そうな心持さえする。 どうだろう、ほんとに、兄、兄貴なのだろうか。 正隆は、我にもなく溜息を吐くのである。 けれども、正隆の目前に、まざまざと浮んで来る長兄の、彼とは正反対に分厚な、正直そうに丸い、微笑に満ちた表情を想うと、彼は、決定しかねる。 亡父に生写しだといわれる中年の、成功と、愛とで寛大に広がった額の所有者である長兄の、見えない宙に、どっしりと据った像を取り囲んで、やや暫く徘徊する正隆の、怨霊のような疑いは、もう一息という処で、いつも、動し得ない何物かにぶつかって引退る。その敗北を、喜びと安堵と、半ばの口惜しさに見返りながら、蛇の頭は、またするすると、第三の人影に窺い寄ろうとするのである。 このようにして、日に幾度となく這い廻る、正隆の模索は、結局、幾百度繰返しても、要するに模索という程度を越すことはなかった。それに拘らず、疑わずにはいられない彼は、探究の失敗で、懐疑の根を洗われてしまえない彼は、さんざん彷徨(さまよ)い歩いた末に、いつも定って、何か非常に不確(インデフィニット)な、漠然とした一種の人格が、自分を絶えず付け狙って、悪意の籠った羂(わな)を張っているに違いない、という処に落付くのである。 その不思議な力を持った者は、決して、単純に運命とは呼ばれなかった。自分の幸福なるべき運命の大道に、邪魔を出す、他の何人かである。明に人格である。 同僚や、生徒の彼方に身を潜ばせて、巧に不幸の糸を引く何者か、運命的な人格なのである。 正隆は、その、彼の前に朦朧(もうろう)と現われた、悪意の妖魔に向って、居直ったのである。 正隆は、自分が不幸なのも、他人が不幸なのも知り抜いている。然し、その見えない何人かの悪策に負けて引下るものかという反抗が起った。自分を取囲む総ての者は、何等かの意味に於て、その影の人の暗示を受けている。誰も、その者自身ではない。が、誰かがその者の一部となっている。 正隆は、我と他人(ひと)に向って、「どうでもしろ」 という、捨科白(すてぜりふ)を投げたのである。 自暴自棄な捨科白を投げながら、正隆の想像の裡には、ふと、係蹄(わな)に懸った狼と、半狂乱で取組み合っている猟師の姿が、浮み上った。 積った雪の深みに懸けた係蹄に、何も知らない狼が、餌を漁りに来て足を噛まれたのだ。樹蔭で様子を窺っていた猟師は、旨いぞ! と云って手を打っただろう。 けれども、いざ手取りにしようと掛って見ると、命がけで飛び懸って来た牙に捕えられて、思わず同じ係蹄に転り込んだ猟師が、泣きながら、叫喚(さけ)びながら、獣と人間との血を混ぜ合わせて、掴み合う、食い合う、争闘する――その、自業自得を見ろ! という、腥惨(せいさん)な快感が冷笑となって、正隆の瘠せた小鼻に皺を刻むのである。 狼は自分である。猟師は、彼の見えざる何者かと、その手下共である。 この時正隆は、決して、係蹄を掛けたものが、結局は同じ係蹄に掛って殺されるのだぞ、という、復讐の勝利を感じているのではない。自分も、他人も、一緒くたに丸め、突転して力の限り踏みにじり、噛み潰す、火のような亢奮で、脂汗を掻きながら、歯軋りをするのである。        五 皆が、正隆を嫌っていた。それは事実である。けれども、また皆が、彼を一種の憐愍で見ていたことも、事実であった。彼は、神経衰弱になって、あんなに脱線するのだということを、最も確実な説明として、正隆を観たのである。従って、人々の嫌厭の陰には、何かそれを裏づける、寛大ともいうべきものがあった。 まして、校長の副島氏は形式を越えた心痛で、この若い教師を眺めたのである。 けれども、人の好い、何方(どちら)かといえば単純な副島氏は、正隆の、辛辣な、神経的な顔に面と向って相対すと、いつも、云いたいことを云い出せないような、不安と圧迫とに押えつけられた。 どんなに元気よく、大きな声で快活にものを云いかけようと決心はしていても、彼の顔を見るや否や、このよき副島氏の計画は崩れてしまう。忽ちのうちに、正隆と同じような陰気さと暗さとに染められる彼は、まるで、正隆と同様な感情の所有者のような口調で、「どうですか?」と、意味をなさない断片的な言葉を吐き出してしまうのである。 副島氏の、この挨拶を受ける毎に、正隆は同じように意味をなさない、微笑を返礼にした。時には、「有難う」と云う。 そう云いながら、彼は心の中に、「またおきまりの、どうですか、か!」と呟きながら、苦笑をするのである。 皮肉な気分で、表面は、一片の義理に見えるこの言葉を噛み捨てながらも、正隆の淋しい、荒涼たる心は、事実に於ては、どれほどの温みを感じていたか分らなかった。ただ、彼は、それを示すのが厭なのである。何だこんなもの、という表情をしていたいのだ。けれども、西日に照らされると、まるで茶色の風船玉に、小指でちょいちょい眼鼻を付けたような副島氏の表情は、何の毒も持っていないようにさえ思われる時がある。 心に喰い込んだ疑惑に包まれながら、疑いと信頼と半々な心持で、いつも正隆は、この老年に近い校長を眺めるのである。 ところが或る日の放課後、行くでも帰るでもない正隆が、呆然(ぼんやり)と、図書室の柱により掛っているところへ、思いがけず、副島氏が来掛った。そして、周囲に人のいないのを見ると、いきなりつかつかと近寄って来て、親しく彼の肩を叩きながら、先ず、「どうですね」とお定りの口を切った。が、今日は、それだけで終りはしなかった。副島氏は、全く思いがけず、正隆を夜の食事に誘ったのである。 副島氏の言葉によれば、夫人も、彼には逢いたがっているのだそうだ。瞬間、返事に窮すような気分を感じながら、それでも正隆は、明に嬉しかった。 美貌で評判の高い副島夫人が、自分を顧みてくれたということが、正隆の、久しく封じられていた遊戯(いたずら)心を擽る。彼は、その時ばかりは、皮肉さの微塵もない微笑で、承諾した。 長い、退屈な、単調な田舎の生活に飽き尽した正隆の心は、表情の豊かな夫人の美と、抑揚に張りのある、丸い、転る東京弁に慰められて、想像以上に活気づいた。 罪のない饒舌で坐を賑わす夫人と、何時の間にか、一寸した冗談を云い合うほど、彼はいい心持に有頂天になった。厭な、蒼い、捻れた正隆は影を潜めて、快活な、贅沢な、遊び好きな若者が入れ換った。容貌に於て、比較にならない副島氏が、思わず夫人の顔を眺めたほど、それほど正隆は幸福であったのである。 若し、そのままで、副島氏の家を辞することさえ出来たら、総ては、幸福に明るく、華やかに終ったであろう。然し、そうは行かなかった。食後暫く経って、夫人が自慢の濃茶の手前をして見せてくれたことが、その作法を全く知らなかった正隆に、地獄のような混乱を起させてしまったのである。 愛嬌のある夫人が、心持首を傾けるようにして、「いかが、お茶を差上げましょうか」と云った時、正隆は、半分は上の空で、半分は、普通の茶だと思い込んで、「有難う、戴きます」と返事をした。 然し、いよいよ改まって、狭い、くすんだ、炉の切ってある坐敷に席を改めて、帛紗捌きが始まると、正隆は俄に周章し始めた。 書生である彼に、そんな優雅な趣味は教養されていなかった。のみならず、必要だと思ったことさえもなかったのだ。 今まで、或る時にはコケティッシュだとさえ思わせるほど、明るい燈火の下で華やいでいた夫人が急にきりっと相貌を引き締めて薄暗い炉辺に坐った様子は、正隆に寧ろ冷酷な感じさえも与える。 彼の周章には見向きもしないように伏目になって、白い額際を鮮やかにさし俯(うつむ)いた夫人から痛々しく眼を反らして、正隆は副島氏を偸見(ぬすみみ)た。唯一の頼みに思って心ではすがりつきながら眺めた副島氏は、これはまた正隆を驚かせるほど泰然と坐になおって、小山のような膝の上には謡でも謡う時のように伏せた双手が行儀よく据えられている。のみならず、総てを飲込んだ落付きで、この憐れな、まごついた正客に眼をくれようともしないではないか。 正隆は、両面攻撃に逢ったような、頼りなさと、憤りを感じて唇を噛んだ。 さっきまでの、明るい、楽しい、笑声の渦巻いた世界は、瞬く裡に、けし飛んで、冷い、意地の悪い、疑いが、化物のように根を張った粘土の世界が、恐しい絶望の裂目から、もりもりとせり上って来たのである。 自分のような書生が、こんな七面倒くさい作法などを心得ていないのは常識で考えて見たって、直ぐ解ることではないか。 それを、ただの茶でも飲ませるようにして、何心なく誘い込んで置いて――。二人ともが、ちゃんと腹の中で牒し合わせていたに違いないのだ――。 正隆は副島氏の夫妻がここでは有名な、茶の凝屋(こりや)であることは知らなかった。謡の好きな人が、泣きそうになる相手を前に据えて、心から喜び楽しんで「鉢の木」を一番という心持を知らない彼は勿論、副島夫妻の罪のない喜びを理解し得ようもなかった。彼等にとって、正隆がいてもいないでも、その純粋な楽しみは同じである。小さい子供達が、友達を呼んで飯事(ままごと)をしましょうよ、というような心持で、彼等は正隆をお客様にしたのである。 然し、正隆には、どこか間違った最初の一圧えで、すっかり様子が変っていた。彼にとって、この席は、決してそんななまやさしい飯事ではない。憎むべき、彼の影の人の悪計に満ちた饗宴である。 あんなにも楽しそうに、あんなにも親切そうに、麗わしい表情を活躍させて、もてなした夫人さえも今はもうただ最後にここで痛い目に逢わせようために使われた傀儡(かいらい)とほか思われない。握った拳を袴の折目に埋めながら、正隆は焔を吐くような視線で、ハッタと夫人の横目を睨まえたのである。殊更、美くしい婦人の前で赤恥を掻かせて、職務上から免職はさせられない自分を、追い払おうとする気なのだろう。 思わずも、またうまうまと羂に掛った自分に、噛み捨てるような冷笑を与えながら、正隆は女がするようにキリキリと眉を吊上げた。が、然し、坐を立つことは出来なかった。毛虫が塊ったようにしかめられた眉が、研(みが)いたような夫人の瞼がもたげられるのを感じて、殆ど本能的に緩和された瞬間、正隆の前には、もう茶碗を捧げた夫人が現れた。 細い、反(そり)を打った白い指先を奇麗に揃えて、静々と運ばれた茶碗の中には、苔のように柔かく、ほこほこと軽そうな泡が、丸く盛り上って濃緑に満たされている。それを見ると、美くしいと思うより先に、正隆は理由の解らない憤りを誘い出された。 手にも取らず、凝と茶碗の中を見詰めている正隆に、夫人は、「不加減でございましょうが、どうぞ」と云いながら微笑んだ。 何が可笑(おか)しいのだ! 正隆は頭を上げようともしなかった。様子が変だと気が付いた夫人は、急に今までの容儀を崩して打解けた調子に返りながら、「渋谷さん、そんなものは、どうお飲みになったって拘(かま)いませんですよ」と云いまでした。が、正隆は、依然として動かない。稍々(やや)度を失った夫人が、何か云おうとして言葉を探している拍子に、ひょいと頭をもたげた正隆は、薄明りの陰を受けてこの上もなく陰惨に唇を曲げながら、「奥さん、何のためにこれを下さるのですか?」と云った。 思わず眼を瞠って良人と視線を交した夫人は、それでも社交に馴れた笑を忘れずに、「まあお若い方は、理屈っぽいこと、何でもない、ほんのお口直しか、お口穢しでございますわ」「そうですか――然し、奥さん、奥さんは、私がこんな作法を知らないことは、始めから御承知なんでしょう。御承知でありながら、何故、私の知らない、知らないから飲めもしないものを、下さるのですか?」 ここまで来ると、さすがの副島夫人も顔の色を変えた。正隆を見た眼を反らして、凝と彼方を見ていた夫人は、暫くすると、殆ど、命令するように、はっきりとした口調で、「どうも、お気の毒を致しました」「それでは、失礼でございますが、御免を蒙って、貴方」 夫人は、眉を上げて、駭(おどろ)きと不快で、度を失っている良人を見た。「お廻し下さいませ」 この夫人の態度が、正隆の言葉に解くことの出来ない封印をしてしまった。 その座敷に戻りはしても、もう瞳も定まらない正隆は、碌な挨拶もしないで、飛び出してしまった。この不意の出来事で、最初、副島氏が漠然と胸に持っていた、保養の勧告は、緒口も出ないで、立ち消えとなったのである。 温い仕合わせな屋根の下から飛出して、暗い、ガランとした夜を歩きながら、正隆は泣いても足りない気分になっていた。 今まで、何か形の纏らない気体のように、ただ体中に瀰漫(びまん)していた、当のない敵意は、この思いがけない出来事に依って、俄に確かりと凝り固まったような心持もする。その、大きな、むかむかと膨れ上って、喉元まで窒め上げる敵意は、殆ど、生理的な苦痛を伴って、正隆の薄い骨と皮との間を、疼(うず)き廻るのである。 あのようなとっさの間にさえ、突掛って行く相手を、副島氏ではない、夫人に選ぶほどの、敏感を持っている正隆は、あの場合、多くの女性がそうである通り、直き涙を眼一杯に溜た夫人が、しおらしくうなだれでもしてくれたなら、結果は、遙かに容易なものであったことを知っていた。 そうすれば、彼はきっと、もっとしつこく、悪どい厭味は並べるだろうが、余後の気分は、遙に自由であり、且つ、淡い慰藉さえ感じ得たかも知れないのである。 然し、息子ほどの正隆にすねられて、他愛なく涙ぐむほど、副島夫人の経て来た、年は、単純なものではない。卑屈でもない。従って、一目(いちもく)も二目(にもく)も下に扱われたという、取消し難い自覚が、一層、正隆の敵意を助長させる。彼等が、何等かの企計を持ったに違いないことを、夫人の平然さで裏書きされたように、思わずにはいられないのである。        六 まるで、ぷすぷすと燃え上らずに煙を吐くような焦躁に、胸一杯を窒らせながら、正隆は翌朝学校に出掛けた。 出掛けて見ると、正隆は、自分の顔を見る総ての者共は、今朝は、殊更、変な意味ありげな眼付をすることに気が附いた。 それ等の眼は、一つ洩さず、彼の姿を見付けた拍子に、「おや! いるな」という表情を浮べて、さも面白そうにパッと拡がる。それから或る者は、詰らなそうな鼻声で、「フム、まだ元の通りかい」と呟きながら、一寸、目配ばせをする。が、或る者は、何か、ひどく馬鹿にしたような、不平な表情を浮べて、肩を怒らせながら、拳を突出すような、素振りをする、心持がある。正隆の眼から見ると、皆が皆、昨夜のことを知っていて、知っている癖にまた皆が皆、知らん顔を装って、ペッと地面に唾を吐いているように思われるのである。 彼は、誰の顔を見ても、擲(ぶ)ちたいような衝動を感じた。誰の眼を見ても、小突きたかった。自分の心持を、自分でも恐しくなって、暫くすると、正隆は何という当もなく、裏の薬草園の方へ歩き出した。 もう末枯(すが)れて、花もない園には、柔かい、お婆さんのような芝生が、淡黄く拡がって、横ぎる者を慰める。正隆は、その温順な芝生を心に描きながら、歩き出したのである。 ところが、狭い小使部屋の傍を抜けて、数十歩歩みを運んでいるうちに、正隆は、自分の目差していた方向に、思い掛けぬ独逸語の音読を聞いて、耳を欹(そばだ)てた。 重い、彼の国の巖のような発音が、足先をひやりとさせる清い、透明な空気の中に、高く響く。きっと学生が、こっそり予習でもしているのだろうと思いながら近寄って行った正隆は、案外、それは、垣内という、教師の一人の声だと知って、一層の好奇心を煽られた。そして、我知らずそこに立ち止まった。 年齢も彼とあまり違わない、正直な垣内を、正隆は、他の誰より、浅いうちにも深く交際していたのである。程度に於て、比較的親しいとはいいながら、まだ、一度もその垣内の読む独逸語を聞いたことのなかった彼は、丁度自信ある歌手が、後進の独唱を審判するような、愛と侮蔑の半ばした心持で耳を傾けた。 けれども、数句を聞いているうちに、正隆の唇は、自然と綻(ほころ)びて来た。垣内が読んでいるのは、教科書なのだ。 それも、現に今朝、彼が、噛み煙草でも、吐きすてるような苦々しさで教えて来た、予科の教科書ではないか。 子供らしい! なにしに、あんな子供だましみたいな文句を、声高々と読んでいるのだろう、自慢なのか? 肩幅の広い、土地の者の垣内の姿を思い浮べると、その滑稽な対照が、思わず彼を笑わせる。正隆は、そろそろと忍び足で近寄った。 不意を襲って、正直な垣内を、真赤に恐縮させたい悪戯心が、フイと彼の心に萌したのである。 然し、正隆の忍び足は、五歩と続かなかった。まるで、彼が動き出したのを合図のようにして、読むのを止めた垣内の声を受けて、今度は、更に意外なもう一つの声が質問をし始めた。 声は、紛う方もない園田ではないか、園田! 今朝、正隆が教えた組の中でも、おとなしい学生として、非難のしようもなく思われていた、その園田が、今、ここにいる――。 正隆は、一寸判断がつきかねた。この学生と垣内とを、どう結び付くべきなのか、けれども、少年の口から洩れる質問を、全身の注意で聞いて見ると、正隆は、火の玉のようになった。 少年は、今朝、授業時間に、正隆に向って質ねたと同じ箇処を、また繰返して、垣内に質問していたのである。 それを知ると、もう正隆の頭は血迷った。自分が、どんな返答を与えたか、ということなどは、思おうともしないで拳を握った。 何という奴だ! 自分が、彼の教師でありながら、その自分を出し抜いて、こっそり陰へ廻って、こんな、青二才の垣内なんかに、さも、あんな教師は役に立たぬといったらしく阿諛(おべっか)を使う、誰に教った? 犬め! よろけるように、いきなり樹蔭から姿を現わした正隆は、もう一度、「間牒(いぬ)め!」と叫びながら、獣のような素早さで、園田の頭を目がけて突掛った。 ポックリと、黒くて丸い少年の頭が、澄んだ中空に、何気なく浮上っているのさえ、正隆には、わざと空惚けて、やい! と云っているように見える。ジロリと憎々しく、その小さい頭に眼をくれた彼は、必死になって止めに入った垣内の力で、引分けられるまで少年の頭にしがみついた。野獣のような貪婪さで目を眩まされた正隆は、強い垣内の臂力に抱き竦められて、膏汗(あぶらあせ)を流しながら、身を震わせた。 極度な亢奮で、僅かほかない精力を、最後の一溜まで失った彼は、顫えが納まると一緒に、激しい、神経質の嘔気を催して来た。 病気になった野良犬のように、舌を吐いて、苦しい空嘔(からえずき)をする正隆は、変に引吊った眼でそっぽを見据えながら、ただ生理的の苦痛以外の何物をも感じ得ないほど、疲憊してしまった。両手を、大きな、温い垣内の掌の中に握られながら、横坐りに足を投げ出した正隆は、妙な悪寒が、体中を嘗め廻すような不気味さを感じた。 それから、何秒経ったのか、何分経ったのか、或はまた幾日経過したのか。 俄に、はっきりと眼を見開いた正隆が、四辺(あたり)を眺め廻した時には、いつの間にか家に帰って、見馴れた調度に、とり繞れながら、床に就いていた。 世界が夜になっている。微細な、潤った夜の胞子の間を縫って、卵色の燈火が瞬いている。 何時の晩なのだろう。 正隆は丁度昼寝をし過した子供のような、間誤付を感じた。 何時の晩なのだろう、今日の晩なのか、それとも、もう明日の晩になったのだろうか、……水が飲みたい、喉が乾いた。 最後の一句を、漸く声に出して云うと、夜着の裾の方で、誰かがむずむずと動く気勢(けはい)がした、その瞬間、正隆は永年の習慣から、ふとそれが、切下げ髪の母未亡人であるような気がした。「水……」 黙ってコップを差出した人の顔を見ると、それはここにいるとは思わなかった垣内である。正隆は怪訝(けげん)な顔をして眼瞬きをした。「おい……」「どうしたね、気分は少しは好くなったか?」「きぶんは、すこしは、よくなったか……?」 正隆は、どこか寝ぼけたようで、はっきりしない頭を、強いて掻き起すようにしながら、垣内の言葉をそのまま、書取(デクテイション)した。「気分が悪い? それじゃあ俺は病気なのだろうか、何時から? どこが悪い? 使用がないな、よほど悪いのかな、垣内……家の婆さんはどうしたんだ。陰気だ、これじゃあいけない……どうかしよう、然し……それにしても……」 グヮン、グヮンと激しい耳鳴りがし始めて、正隆はまた、ぼんやりとして、何か不仕合わせで頼りない気がする薄暗闇の中へ、ずるずると滑り込んで行った。 満(まる)二日経って、正隆はようよう平常の頭脳を恢復した。恢復したとはいいながら、その頭脳の存在は、正隆にとって悩ましいものである。床に就て、夜も昼もただぼんやりと、取止めのない影のような気分の錯綜のみを感じているうちは、彼の不幸な魂にとって、またと得られない休安であった。絶えず朝と晩とを徹して彼を虐げるあらゆる不安も、焦躁も、冷笑も、その時だけは、一面の混沌の裡に溶け込んでいたのである。けれども、頭が目覚めて、魔術的な細胞が呼吸をし始めると、正隆の心には、幾日かの休養で、更に精力を増進したようにさえ見える、尖耳(とがりみみ)の小悪魔が、恐るべき勢で活動し始めた。それは、全く、悪魔の啓示といっても誇張ではないほど、正隆の頭は敏活に、蒼白い光の尾を引きながら、暗黒の裡を、飛翔した。 もう学校へも出ず、散歩さえ止めた彼は、まるで、大発見の手掛りを得でもした、科学者のような根気で、暗示(ヒント)から暗示へと、手繰り寄り手繰り寄り、もうクライマックスへ来たらしく見える、「悪計」の発掘に取りかかったのである。ほんとに、飢え渇いて、ガツガツと汗を掻きながら進行した正隆は、終に或る、系統的な、企図ともいうべきものの、正体を掴み得た。 その分解に従うと、最初、彼がこのK県に寄来された迄には、何の計画も、悪意も籠ってはいなかったのだ。 それが、此方へ来て、稍々暫く経ってから、或る人の手が徐ろに動き出した。それは、副島氏である。 一口にいってしまえば、副島氏は自分を邪魔にしていたのだ。早く追い払いたかったのだ。けれども、相当に学識もあり、美貌でもあり、また生れのよい、彼とは特殊な関係で繋がった自分を、そう理由にならない口実で、追放することは出来ない。そこで、陰から先ず学生を唆(そそのか)して自分を虐待させながら、一方、彼自身は、飽くまでも親切さを装って、食事に招待したのだ。 招待して置いて、散々楽しませ、悦ばせた揚句、あんな赤恥を晒させることは、而も、美くしい夫人まで使って恥を掻かせることは、勿論、直接法に怒らせるよりは、効果が多いのは知れきっているではないか。「南瓜頭(ペンプキンヘッド)!」 そうして置いて、垣内を、あの垣内を何時の間にか手なずけて置いて、丁度見計らった頃を狙って、園田との芝居をさせたに違いないと、正隆は決定したのである。 平常は、あんなに温順で、教室などでは、地蜂のような少年に混って、まるでいるかいないか分らないように恐縮している園田までが、一緒になって自分に懸って来るかと思うと、正隆は、血の煮えるような憤りを感じる。こんな計画を立て、追い出て行く自分を人々は待っているのだ。 正隆は、みみず腫れに膨れ上った手の甲を撫でながら、あらゆる人々に向って、苦艾(にがよもぎ)のような嘲笑を投げようとした。
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