道標
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著者名:宮本百合子 

        十二

 葡萄の房でも眺めるように、伸子は枕に仰向いている顔の上へ両手で一対の耳飾りをつまみあげて見ていた。ちょうど伸子の小指のさきほどある紫水晶が金台の上にぷっちりとのっていて、その紫から滴(したた)りおちたひとしずくの露という風情に小粒なダイアモンドがあしらわれている。大きな紫水晶の粒は非常に純粋で、伸子のベッドの頭の方からさしこんでいる雪明りに透かすと、美しい葡萄の実のように重みのある濃い暗紅の光を閃かせている。
 いかにもモスク□の富裕な商人の妻の耳につけられたものらしい趣味のその耳飾りは、伸子の誕生日の祝いに、素子が買って来てくれたものだった。そのままでは伸子に使いようがないから、二つの耳飾りを一つにつないでブローチにこしらえ直すという素子の計画だった。その前に、ひとめみせてと、きょうが誕生日であるきのう、素子が置いて行ったのだった。
 紫水晶の重いあつかいかたはロシア風で、伸子はそれがブローチになったとしても紫水晶の重さにふさわしい豊満な胸が自分にはないと思った。二月の生れ月の宝石は紫水晶だからと、素子はその耳飾りを見つけて来てくれた。そして、伸子はよろこんだ。けれども、それはむしろ素子の心くばりに対して示されたよろこびというのがふさわしかった。伸子は、白い紙包みがあけられて、なかからその一対の耳飾りがあらわれたとき、宝石のきれいさに目をみはったと同時に心の奥には一種の衝撃を感じた。どこからみても新品でないその耳飾りは、それだからこそ金目と手間をおしまないいい細工なのだが、このことは伸子に刺すような鋭さで革命の時期を思わせた。はじめこれをこしらえさせて持っていた富裕な女の手からはなれて、この耳飾りが今計らず素子に買われるまで、どのくらい転々としたことだろう。どんな指が、富を表象するこの耳飾りをつかみ、そして離して来ただろう。
 伸子のほんとの好みは、その純粋な美しさをたのしむ宝石のようなものこそ、新しくて、人の慾や恨みや涙にくもらされていないことが条件だった。新しくて美しい宝石が買えないのなら、伸子は全然買おうという気さえおこさなかったろう。でも、素子は買った。大病をしている伸子を慰めようとして。――
 紫水晶の大きな粒にあたる光線の角度をほんの少しずつ変えながら濃紫色の見事な色を眺めているうちに、伸子は、露のしずくのようにあしらわれているダイアモンドがちっとも燦かないのを発見した。露は紫水晶からしたたって繊細な金の座金の上にとまったまま、白く鉱物性の光をたたえているだけだった。多計代の指にいつもはめられていた指環のダイアモンドが放ったような高貴なつよい冷たい焔のようなきらめきは射ださない。ウラル・ダイアと云われているダイアモンドの種類があったことを伸子は思い出した。それはアフリカから出るダイアモンドより質が劣っていると云われた。そんな話を、伸子は日本歌舞伎がモスク□へ来たときにきいた。そのとき一行について日本から来ていた一人の婦人が、ロシアはダイアモンドがやすいと云ってウラル・ダイアをせっせと買っている、という風な噂話で。
 伸子は、一瞬、見事なダイアモンドの指環をはめている多計代の、青白い皮膚のなめらかな細い指を思い出した。その若くない手の表情から、くすんだ色の紅をつけている多計代の華やかな唇のあたりが思い出された。ふっさりした庇髪、亢奮で輝いている黒い眼と濃い睫毛の繁いまばたき。伸子は横たわっているベッドの白いかけものの下でかすかに身じろぎをした。二三日前うけとった多計代からの手紙のなかに何だか気にかかる箇所があった。伸子の病気と入院していることを知った多計代は、いつものとおり流達すぎる草書の字を書簡箋の上に走らせているうちに、次第に自分の感動に感激して来た調子で、伸子の健康を恢復させるためには、母として可能なすべての手段をつくす決心をしたと書いていた。彼のために、というのは、死んだ保のことであった。多計代は、去年の八月保が自殺してから、保のことは決して固有名詞で云わなかった。彼としか書かなくなった。彼のために為すことの乏しかった母は、のこされた子等のために最善をつくすのが彼に対する義務だと思っています。そして、電報為替で千円送ってくれた。その金は、手紙より早くモスク□へついていた。礼のハガキは行きちがいにつくだろう。が、いま紫水晶の耳かざりを見ているように仰向いたまま読んだ多計代の手紙にあるそれらの字句は、思い出したいま、やっぱり伸子に漠然とした焦(いら)だたしさを感じさせるのだった。気持のぴったりしない肉親の間に感じる愛着といとわしさの複雑に絡りあった感情のなかで、伸子はつまみあげている一対の紫水晶の耳飾りを贅沢なふりこのように振った。ダイアモンドの露が、もっと巧妙な細工で、そこだけ揺れるように作られていたら、どんなに優美だろうと伸子は思った。そして、その露のひとしずくが、つよい閃きを放ついいダイアモンドだったら。――でも、そうなれば、この耳飾は既に貴族のもので、素子が買いもしなかっただろうし、第一伸子はもらえばなお更こまって返しもしかねないものになる。
 病室のドアのところへ誰かが来たように思って伸子は、いそいで紫水晶の耳飾りを手のひらの中に握った。伸子は、ナターシャに、こういうものを見られたくなかった。ナターシャが彼女の大きい少し動物的で勝気そうなあの眼でじろりと見て、肩をそびやかす気持が伸子にありあり映った。ナターシャにとって、それは軽蔑すべきものであり、彼女の階級の歴史が憎悪とともにそれをむしりすてたものなのだ。それをひろって、埃りを吹いて、掘り出しものだと珍重する外国人を見たとしたら、伸子がナターシャだったとしても、さあさあ、そんなものでいいならいくらでもおもちなさい、と思うだろう。伸子は、枕もとのテーブルから紙をとってその耳飾りをつつんだ。そして、ベラ・ドンナの粉薬が入っているボールの薬箱へしまった。
 しばらくして、ほんとにナターシャが病室へ入って来た。ちぢれた髪と、濃いはたん杏色の頬と、踵へ重みをかけた重い歩きつきとで。洗いたての真白い看護服と前かけをつけて、ナターシャの丸い姿はひとしお新鮮だった。伸子は、もうナターシャのおなかの大きさにすっかりなれているばかりでなく、おなかの大きい彼女を愛してさえいるのだった。
「ナターシャ、きょうはあなたのちびさんの御機嫌いかが?」
「オイ! とても体操しているんです」
 その日は、伸子のひまな日だった。マグネシュームと下剤をのまなくてよかったし、ゾンデもない日だった。
 白い病室の壁にまぶしいくらい雪明りがさしている。伸子は、ぼんやりその明るさを見ながら一つの黒い皮ばりの安楽椅子と、白フランネルで縫われた小さい袋とを思い出した。昔、伸子がニューヨークでスペイン風邪にかかったとき入院していたのは、セント・ルーク病院の小さい病室で、黒い皮ばりの大きな安楽椅子が窓と衣裳箪笥の間におかれていた。それは看護婦用のものだった。水色木綿の服の上から、胸のところがひとりでにふくらむほどきつく糊をしたエプロンをかけ、同じようにきつく糊をした小さい白い看護婦帽を頭にのせた一人の看護婦が、その椅子にかけている。そして、モウパッサンの「頸飾」を伸子のために音読していた。
 伸子はベッドにねてそれをきいている。日本語の翻訳で、伸子はその傑(すぐ)れた短篇を知っていた。でも、英語でよまれるのをきいている。はじめのうちは克明に声を出してゆっくり読んできかせていたミス・ジョーンズは――背のたかい、伸子に年のよくわからない気のいいその看護婦はそういう名だった――だんだん物語につりこまれるにつれ、伸子が眠ってしまったと思いでもしたのか、段々黙って、頁から頁へ、ひきつけられて読みすすんで行った。そして、暫くしてよみ終ったとき、思わず前こごみになっていた背中をのばして安楽椅子へもたれこみながら、ミス・ジョーンズは、
「可哀そうに!」
 心からそうつぶやいて、幾人もの看護婦に読みまわされたらしく頁の隅のめくれあがって手ずれた本をエプロンの膝の上においた。
 じっとして仰向きにねている伸子の胸に、ミス・ジョーンズの実感のこもった Poor thing!(かあいそうに)という響がしみとおった。夫のために出席しなければならない一晩の宴会のために身分のいい女友達から、借りた真珠のネックレスを紛失させ、代りに買ってかえした真珠の頸飾りの代を月賦で払うために、何年間も苦労してやつれ果てた貧しくつましい妻。彼女夫婦の幸福ととりかえた月賦払いが終ったとき、もと借りた頸飾りは模造品であったことを知らされる。貧しくて正直なものが蒙(こうむ)った愚弄の惨憺さを、ミス・ジョーンズは真実そのような目にあうこともある立場の人間として、同情といたましさを禁じ得ずにいるのだ。
 一九一八年十二月で、曇ったニューヨークの冬空を見晴らすセント・ルーク病院の高い窓の彼方には、距離をへだてて大都市の同じような高層建築が眺められた。ミス・ジョーンズは、きちんと前を二つに分けて結っている褐色の髪の上に白い看護婦キャップをのせ、高い鼻を横に向けて、頬杖をつき、外の景色を眺めていた。すこし荒れたような横顔にはかすかな物思いと、きちんとした看護婦が彼女の勤務時間中、患者のどんな些細な要求にもすぐ立ち上って応じる準備をもっている習慣的な緊張がある。頬杖をついているミス・ジョーンズの手は、日に幾度も洗われるために薄赤く清潔で、何年間も患者の体を扱っているうちに力が強くなり、節々のしっかりした働く人の手だった。華美と豪奢の面をみれば限りのないニューヨークという都会のなかで、生れつき親切で勤勉で背の高いミス・ジョーンズが、隅のめくれたモウパッサンの「頸飾」一冊を膝において窓の外を眺めている姿は、伸子をしんみりした心持にした。
 いつの間にとろりとしたのか、伸子は自分が眠りかけたのにおどろいたようにして枕の上で眼をあいた。ミス・ジョーンズはさっきと同じ窓ぎわの椅子にかけている。物音をたてずに行われている彼女の奇妙な動作が伸子の視線をひきつけた。ミス・ジョーンズは、真白い糊のこわいエプロンの前胸の横から、小さな灰色の袋をとり出し、そのくちをあけ、なかから何かつまみ出して左手の指にはめた。それは大きなダイアモンドのついた指環だった。ミス・ジョーンズは、女が自分の部屋でひとり気に入りの指環をはめて見ているときのように、真面目な、しらべるような表情で薬指に指環のはめられている左の手を眼の高さにもちあげて動かしながら、冬の室内の光線でダイアモンドのきらめき工合を眺めた。やがてその手を握って膝の上において、じっと見おろした。
 その目をあげたミス・ジョーンズと伸子の視線があった。顔を赧らめたミス・ジョーンズのために、伸子はいそいで彼女と同じような真面目さで、
「その指環はたいへん立派な指環ね」
と云った。
「あなたは大切にしなくてはいけないわ」
 ミス・ジョーンズは伸子の気持をそのままの暖かさでうけとって、
「Yes. Dear」
と答えた。そして、真白い帆のようにふくらんだエプロンの胸横から、長い紐でつりさげられている灰白の小さい袋をぶらさげたまま、
「これはわたしの婚約指環です」
と云った。そして、いまはベッドの上の伸子にもそれを見せるという工合にまた顔からはなして左手をあげて、しばらく複雑なきらめき工合を眺めた。
「勤務中、わたしたちは度々手を洗わなければなりませんからね、ときにはつよい薬で。どんな指環もはめられないんです。だからいつもわたしは勤務がすむと、はめるんです」
 そうやって、伸子もいっしょに真面目な目つきで見ているミス・ジョーンズの婚約指環は、大粒なダイアモンドの見事さにかかわらず、浮々したところも、派手やかさもなかった。その婚約指環は、いかにもミス・ジョーンズとその夫になるらしい地味な人がらの男が二人で相談して、慎重に自分たちのものにしたという感じだった。婚約指環と云っても、そこには、どこかに勤めて一定の月給をとっている男と看護婦であるミス・ジョーンズとのつましい生活設計が感じられる。ふと読んだ「頸飾」の物語から、何とはなし自分たちの婚約指環を出して見る心持になったミス・ジョーンズに伸子は同感できるのだった。
 その夜、七時になると、ミス・ジョーンズはいつものとおり伸子の髪をとかして二本の編下げにし、体じゅうを湯で拭いてアルコールをぬり、タルカム・パウダーをつけて、彼女の一日の勤務を終った。最後にスティームを調節して病室を出て行こうとするミス・ジョーンズに、伸子は、
「ミス・ジョーンズ、あなた、これからまだ手を洗わなければならないの?」
ときいた。
「いいえ。もうすっかりすみましたよ」
「じゃあ、あの指環をおはめなさいよ。わたしは、あなたがあれをはめて帰るところが見たいのよ」
 ミス・ジョーンズは思いがけない注文をうけたように、ちょっとの間伸子を見て黙って考えていたが何か思いついたように、
「じき戻って来ますから」
 ドアをしめて出て行った。ほんとにじき廊下に足早な女の靴音がきこえ、ノックと同時にドアが開いた。着物を着かえて来たミス・ジョーンズだった。彼女はカラーに黒い毛皮のついた紫色の外套を着て、黒い目立たない帽子をかぶっている。
「これでお気に入りましたか?」
 いそぎ足に伸子のベッドのわきへよって来て、
「さようなら、おやすみなさい」
 右手で伸子のかけものを直しながら、婚約指環をはめた方の手で伸子の手をにぎってふった。
「看護婦が個人のなりで病室へ入ることは禁じられているんです――さようなら」
 ミス・ジョーンズはすぐドアのそとへ消えた。
 ――年をへだてて二月の雪明りが室内にあふれるモスク□の病院で、あのときのミス・ジョーンズのダイアモンドの婚約指環や彼女が紫色外套を着てこっそり入って来たときの正直にせかついた顔つきを思い出している伸子の心は、それからあとにつづいておのずと思いおこされて来た記憶に一種の抵抗を感じた。そうやって毎夜七時に、ミス・ジョーンズが伸子のために夜の身じまいをして帰って行くと、やがて八時頃、伸子の病室のドアが間をおいて重くノックされた。佃が入って来るのだった。佃の下顎の骨格の大きくたっぷりした、青白い筋肉の柔軟な顔がまざまざと伸子の思い出に浮んだ。
 そう。あのころ佃は毎晩伸子の病室へ訪ねて来たのだ。枕の上へリボンを結んだ二本の編下げをおき、それを待っていた自分。夜がふけてもうエレヴェータアのとまった病院の階段を一段一段遠のいてゆく靴音を追って耳を澄していた自分。それを思い出すことは、現在の伸子につらかった。その足音と顔とからにげだすために、あんなにも死もの狂いにならなければならなかった自分。それを思い出すことにも苦しさとこわさとがあった。
 セント・ルークの病院にいたころ伸子の全心に恋があったから、ミス・ジョーンズの婚約指環に対してもあんなにやさしい同感があったと云えるかもしれない。それにしても、と、伸子は重苦しい記憶をのりこして考えるのだった。ミス・ジョーンズは、何とあの婚約指環を大事にし、自分たちの幸福の要石がそこにあるようにしていただろう。伸子が、彼女の大切な指環のありかを知ってからミス・ジョーンズはよくあの胸から下げている小袋を出して、一粒のダイアモンドを見た。そのたびに伸子は不思議な感じにとらわれたものだった。辛苦のこもっている見事なそのダイアモンドの婚約指環は、それがミス・ジョーンズのエプロンの下から出て来るとは思いがけないだけに、伸子には何だか、その婚約指環が金の結婚指環と重ねてはめられるときが、ミス・ジョーンズにとってなかなか来そうもなく思えるのだった。
 伸子が病院から出て、やがてその都会の山の手にある大学の寄宿舎で暮すようになったとき、ミス・ジョーンズが一度芝居に誘ってくれたことがあった。若い女学生たちがざわめいている寄宿舎のホールで、伸子が七階の室からおりて来るのを待っていたミス・ジョーンズの全体の姿は、何と質素で隅から隅まで看護婦らしかったろう。歩いて来る伸子を認めて、ホールの椅子から立ちあがり、伸子の歩くのを扶けようとでもするように手をさしのばしながらいそぎ足によって来たミス・ジョーンズの素振りは、いい看護婦だけのもつまめな親切にあふれていた。その晩行った劇場の名も戯曲の名も、伸子はもう忘れてしまった。三階の席に、ミス・ジョーンズの親友であるもう一人の看護婦が来ていた。幕がすすむにつれて、ミス・ジョーンズはハンカチーフを握って、しきりに目を拭いた。白いハンカチーフで、せっかちそうに涙をふく彼女の手に指環があった。三階のやすい席からのり出して一心に舞台を見ながら涙をふいているミス・ジョーンズの急にふけたような真面目な横顔が、うす明りの中にぼんやり照し出されていた。
 大きいおなかを勤勉な生活の旗じるしのようにして悠々(ゆうゆう)勤務しているナターシャの様子を、あの実直で絶えず何かを懸念しているようだったミス・ジョーンズの生存と思いくらべると、伸子には、それが同じ女の生きてゆく一生だと思えないほどのちがいがあった。ミス・ジョーンズの上等な制服につつまれた体は背高くやせて、棒のようだった。彼女に求められているのは規律正しい行きとどいた勤務であった。それが彼女の職業なのだから。彼女の結婚だの姙娠だのという人間の女に関することは、勤務とは別の、患者のかかわりしらない、彼女だけの問題――プライヴェート・アフェアだった。ミス・ジョーンズの大切にしている婚約指環が灰色の小さな袋にはいってエプロンの下にかくされていたとおりに。文明国では、身もち看護婦の勤務などということは途轍(とてつ)もない笑話以外にあり得ないことだった。
 ナターシャは、彼女がうけている社会の条件について、価値を知りつくしていない。そう伸子は思った。ナターシャにはどこにも過渡期の影がない。ナターシャはきっすいのソヴェト娘として育ち、生きている。ヒールのない運動靴のようなものをはいて、いくつも薬袋をのせた盆をもってドアの外を通ってゆくナターシャを伸子は枕の上から見ていた。

 その日の午後おそく、やがて面会時間がきれようとするころ、伸子は思いがけない人に訪問された。その日は素子のいるうちに入浴がすんだ。その素子も帰ったあと、雪明りが赤っぽい西日にかわってゆく時刻の病室で、半分ねむったような状態でいた伸子は、
「こんにちは――入ってもいいですか」
という男の声にびっくりして目をあいた。ドアのところに、黒い背広を着て、がっちりした背の高くない日本人の男が佇(たたず)んでいる。伸子は枕の上から頭をもたげるようにして、そのひとの方を見た。全然見たことのない色の黒い四角ばった顔だった。伸子は、入っていいともわるいとも云わず、
「どなたかしら」
ときいた。
「権田正助です。――大使館へ行ったらあなたが病気でここへ入院しておられるってきいたもんだから、ちょっとお見舞しようと思って」
 権田正助という名は、伸子の耳にも幾度かつたわっていた。どこかの海で、国際的な注目のもとに第一次大戦当時沈没した旅客船のひきあげに成功して有名になった潜水業者であった。
 権田正助は、自分を自分で紹介しているうちに、病室へ入って来た。そして、
「やあ、初めておめにかかります」
 頭を軽くさげ、さっさとあいている長椅子に腰をおろした。
「ロシアの病院なんてどんな有様かと実はばかにして来たんだが、案外なもんじゃないですか。――なかなかいい」
 権田正助は、枕についている伸子の顔を正面から見ながら、
「ところで病気っていうのはどうなんです」
ときいた。
「どこがわるいのかしらないが、いっこうやつれていないじゃないですか。それどころか、艷々したもんだ。いい顔の色ですよ」
 伸子には、権田正助というような商売の人が、まるで見当ちがいな自分の見舞いに来てくれたということが思いがけなかったし、その上、調子の太いもの云いにあいてしにくい感じがした。
「あなたはいつこっちへいらしたんです」
 伸子は話題を自分からはなして権田の側へうつした。
「こっちにも、何かお仕事があるんですか」
 短く刈って前の方だけ長めな髪を左分けにしている頭のうしろを、ばさっと払うようにした片手を膝におとして、権田正助は、
「それがね、面倒くさくてね」
と云った。
「あなた、ブラック・プリンスっていう船の名をきいたことがあるでしょう? 有名なもんだから」
「――さあ、知らないけれど」
「ブラック・プリンスっていうロシアの大きな船が黒海のある地点に沈んだままになっているはずなんです。こんどは一つそいつをあげて見ようと思ってね、それでやって来たんですが、四の五の云って、ちっともらちがあかない」
「権利か何かお貰いになるわけなんですか」
「そうですよ。なかなかこまかい契約がいるんでね。第一引上げに成功したら、その何パーセントかはこっちへとるということがあるし」
 ブラック・プリンスは、世界の潜水業者の間に久しく話題になっている沈没船なのだそうだった。金塊を何百万ルーブリとかつんだまま沈んでいるというのだった。
「それが今ごろまでそのまんまあるものかしら」
 押川春浪の綺談めいた物語に伸子はうす笑いの口元になった。ソヴェトは、こんなに新しい開発建設の事業のために金を必要としている。それだのに、自分の領海に沈んでいる何百万ルーブリという金塊をうちすてておこうとは伸子には信じられなかった。
「案外、もう始末してしまってあるんじゃないかしら」
「いいや、そんなことは決してない」
 つよく首をふって権田正助は否定した。
「第一、誰もまだブラック・プリンスの引上げに成功したっていう話をきいていないんだから」
「だって、いちいち世界へ報告しないだっていいでしょう」
「そう行くもんですか」
 四十を越した年配にかかわらず、権田正助は、一徹に主張した。
「あなたにはわかるまいけれど、海の真中でそれだけの仕事をやるのに、航行中の船が目をつけないってわけは絶対にあるもんじゃないんです。わたしがやっているときだって、どうして、大したもんだった。――コースをまげて来たからね。それに、今のソヴェトには、あの船がひっぱり上げられるだけ腕のいい潜水夫はいませんよ。もぐることにかけちゃ、日本は世界一だからね」
 かさばって貝がらだらけになった船そのものをそのままにしておいても、必要な金塊だけ発見して海底からもち出すことがあり得ないのだろうか。かりに権田正助が引上げて見て、金塊がなかったらどうするのだろう。
「そりゃはじめによくよく調べてかかるんですさ。対手国で保証しないもんなら、そりゃ骨折損ですがね――そのかわりうまく当てれば、相当のもんだからね」
 権田正助は、当ったときの痛快さと満足を思い出して、北叟笑(ほくそえ)みと云われる笑いかたをした。そして、
「どうです、これでわたしの商売もなかなか男らしくていいでしょう」
と云った。伸子は、ふと妙な気がした。権田正助は、酒のあいてをする女を前においていい気持になっているときのような口調で云ったから。双方が暫くだまった。
「ところで、あなたはいつごろ退院です?」
 権田がやがて帰りそうにしてたずねた。
「さあ、まだ見当がつかないんです――肝臓がはれているから」
 原因のわからない伸子の胆嚢と肝臓の炎症はなかなかひかなくて、つい四五日前、レントゲン療養所へまで行って調べた。その結果何も新しい発見はなかった。ゾンデをとおしてすんだ胆汁が出るようになって来たけれど、肝臓は膨れていて、肋骨の下から指三本たっぷりはみ出たままだった。
「肝臓とはまた酒のみみたいな病気になったもんだな――黄疸の気はちっともないじゃないですか」
「ええ」
「のむんですか?」
「いいえ」
「まあ、どっちみち大丈夫ですよ。わたしが保証してあげます。その色つやならじき退院できるさ」
 帰りそうにしながらまだ長椅子にかけてねている伸子を見ていた権田正助は、ブラック・プリンスのことを云ったと同じ調子で、
「あなた、フレンチ・レター、知ってるでしょう」
と云った。フレンチ・レター。伸子はどこかでそういう言葉をよんだ。そして、それは普通の話の間には出されない種類のことのように書かれていたのを思い出した。だが、果してそういう種類のことなのかどうか。そうだとすれば、権田正助がこんなところで云い出したのがわからなくて伸子は、
「しらないけれど」
と云った。
「ふーん、知らないかな」
 小首をかしげたが、
「男のつかうもんですよ」
と伸子に説明した。
「わたしのところに、非常に質のいいのがあるんです、全く自然なんだ。――一つこころみませんか」
 伸子は白い枕の上に断髪の頭をのせ、ぽかんとした眼で権田正助を見た。権田の云っている言葉はわかるのだが、話の感覚がまるで伸子とピントを合わせなかった。黙って、意外な眼で権田をみている伸子に、
「とにかくお大事に。――時間があったらまたよってみますが」
と云って、権田正助は病室を出て行った。

        十三

 どんな気で、権田正助が伸子の見舞いに来、ああいうことを云ったのか、伸子にはいくら考えても推量ができなかった。それなり世界的な日本の潜水業者と自他ともに許している背の低い、色の黒い男は伸子のところへ二度とあらわれず、伸子は一日のうち少しずつベッドの上へ起き上ってくらすようになった。
 そうすると、伸子の病室に出入りするひとも、素子とナターシャと医者たちばかりでなくなった。医局の方につとめている若くない看護婦で、紙にはった押し花を売りに来るひとができた。その内気な小皺の多い看護婦のこしらえている押し花は、よくある植物標本のようなものではなくて、青色やクリーム色の台紙へ、その紙の色にふさわしい配合で三四種類のロシアの草や野の花をあしらったものだった。どういう方法で乾燥させるのか、花々は鮮やかなもとの色をあんまり褪(あ)せさせずにいて、柔かい緑の苔が秋の色づいた黄色い楓(かえで)の葉ととりあわせて面白く貼られていたりした。それらの花や苔や草の穂は、伸子にレーニングラードのそばのデーツコエ・セローでくらした去年の夏を思い出させた。そこの野原の夏風にそよいでいた草や花をしのばせ、保が死んだという電報をうけとったとき、パンシオン・ソモロフの伸子の室のテーブルの上にさされていた夏の野の草花を思いおこさせた。押し花は忘られない八月を伸子の心によみがえらせ、伸子は一枚もとらずに返すことのできにくい心もちにされた。伸子は、ちがった組合わせで貼られている押し花を見つけ出しては、その余白に、短いたよりを書いて東京のうちや友達に送った。そういう伸子の買いものにナターシャは興味をもたなかった。
「きれいですね、よくこしらえてあります」
と云ったきりだった。それはナターシャとして自然な態度だった。乾燥して押された花は所詮思い出草にしかすぎない。自分の体のなかで旺盛な生の営みが行われているナターシャにはどんな思い出のよすががいるというのだろう。
 また、二つばかり先の病室にいると云って、伸子のところへ美しく刺繍した婦人用下着をみせに来た女のひとがあった。病院ぐらしのいまは手入れもおこたられているが、いつもは理髪店で鏝をあてられているらしい髪つきで、瘠せてすらりとした体に、だぶつきかげんの紺のワンピースを着ていた。上へ、変り編の青っぽいスウェターを羽織って。
 三十と四十との間らしい年ごろのそのひとは伸子にこまかい花飾を刺繍した麻の下着類を見せた。水色、紺、白、桃色のとりあわせで忘れな草が刺繍されているシミーズ。裾まわりに黄色とクリーム色、レモン色の濃淡であっさりとウクライナ風の模様が縫いとりされているパンテイ。どれもいい配色だし、手ぎわがよかった。伸子は、枕に背をもたせて起きあがっているベッドの上に、それらをひろげて眺めた。
「モスク□にも、こういうものがあるんですね。どこでも見たことがなかった」
 伸子が見る範囲のモスク□では、衣料品は貧弱で、麻のブラウスさえ見かけたことがなかった。
「商品じゃないんですよ。個人のためにこんな仕事をするひとがあるんです。わるくない腕でしょう?」
 刺繍を見ている伸子にそのひとが云った。
「お気にいりまして?」
「大変きれいだわ」
「もしおのぞみなら、あなたのために、そういう下着類をこしらえさせることができますよ」
「そう? ありがとう」
 伸子は、ぼんやり挨拶した。素子も伸子も日本からもって来た白いあっさりしたものばかり身につけていて、モスク□でわざわざ刺繍させた下着を買うなどとは思いもよらなかった。
「――彼女はじきこしらえるでしょう。一週間もあれば。――あなたはそれまでに退院なさいますか?」
 その云いかたで、伸子は、もしかしたらこのひと自身が刺繍のうまい彼女であるかもしれないと心づいた。そこで伸子は、下着類をたたんで、ありがとうとそのひとにかえしながら、
「わたしたちは、ここで簡単にくらしているんです」
と、下着を注文する意志のないことがわかるように云った。
「見事な下着――そして、上へ着るものは?」
 女のひとも伸子といっしょに笑って、
「ほんとにね」
と同意した。
「すべての人は簡単にくらしたいと思っているんです。ただ誰にでもそうくらせるものではないんです」
 伸子からうけとった下着類を女らしいしぐさで何ということなし自分で膝の上でたたみ直しながら、その女のひとは突然、
「あなた、子供さんは?」
と伸子にきいた。
「まだです」
 そう答えて、伸子は夫もなかったのに、と自分の返事が飛躍したのに心づき、
「わたしには、まだ夫がないんです」
とつけ加えた。そのひとはそれについて何とも云わず、しかしどこかでその思い出が、外国の女の病室へ刺繍を見せに来ている現在の彼女の生活とつながっているらしく、
「わたしは子供をもったことがあったんです」
と話しだした。
「それは一九一九年の飢饉の年でね。年をとった真面目ないいドクターでしたが、わたしにこう云いました、いまこの子供を生んで、育てることができると思うかって。――わたしたちは、そういう時代も生きて来たんです」
 伸子は去年、デーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフで会った技師の娘の歯のことを思い出した。レーニングラード大学の工科の実習生として放送局につとめているそのソヴェトの娘は、可愛く大きく育った十九歳の体だのに、笑うと上歯がみんなみそっぱだった。その歯は飢饉のためだった。赤坊の乳歯から本歯にうつる年ごろに、その女の児がひもじく育ったせいだった。
 双方の言葉がとぎれているところへ、ナターシャが、例の踵をひく歩きつきで病室へ入って来た。女のひとは、ナターシャが窓ぎわの台で何かさがしている姿を眺めていたが、しみじみと、
「これが、わたしたちの時代、ですよ――ねえ、ナターシャ。あなたお産の準備にいくら貰うの?」
「月給の半分。――産院は無料なんです。それに九ヵ月の牛乳代」
「決してわるかないわ」
 女のひとは、なお暫くだまって何か考えながら長椅子にかけていた。が、ナターシャが出てゆくと、つづいて、
「では、お大事に。さようなら、わたしは多分あさってごろ退院するでしょう」
 優美であるけれども素姓のあいまいなすらりとした後姿を廊下へ消した。
 たった一ぺんだけ伸子の病室に現れて何かの生活の断片を落し、しかしもう二度とめぐり合うことのない訪問者の一人として、やっぱりそれも或る午後、伸子の病室へ一人のひどく気のたった女が入って来た。
 病院で患者に着せる白ネルの病衣の上から茶がかった自分の外套をはおったもう若くない女は、両肩の上に黄色っぽい髪をふりみだし、ちょうどおきあがっていた伸子をドアのところに立ってにらむように見つめた。
「お前さんかね――日本の女のひとっていうのは?」
 いきなりのことで伸子は返答につまった。しかしここで日本の女と言えば自分よりほかの誰でもないわけだった。伸子は、
「何か用ですか」
ときいた。
「入ってもかまわないかね」
「どうぞ」
 伸子は、長椅子の方をさして、
「かけて下さい」
と云った。
「寒くないかしら。――ここの窓はガラスがこわれているんだけれど」
「なに、かまわないさ」
 その女は、ひどく亢奮している様子でそんなことは面倒くさそうにせかせかと云った。
「わたしはね、ちょいとお前さんに会って話したいと思って来たのさ」
 抗議することのある調子だった。伸子は何だろうと思った。人の気をわるくする機会があるほど伸子はまだ動けないでいるのだから。見当のつかないまま伸子は、
「スカジーチェ(おきかせなさい)」
と云って、両方の手を、半身おきあがっているかけものの上においた。
「わたしは、腎臓がわるくて、体じゅうはれたんでこの病院に入って来たのさ。できるだけ早くよくしてもらって、すぐかえるためにね。それが二週間よりもっと前のことさ。ところがもうこの一週間はわたしの体からはれがひいて、すっかりなおっているのに、ドクターは、まだ癒っていないって云うのさ。――え? 誰が知っちゃいるもんか! わたしは癒ったっていうのに、医者は癒っていないっていう。あけてもくれても一つことだ」
 女はおこった大きな声でしゃべった。大病室の方はしずかだった。廊下越しに、彼女の病床がそっちにある大病室の仲間たちにも、伸子の室で自分が云っていることをきかせようとしているようだった。伸子は荒々しい生活の中に年を重ねて来たらしいその女の上気して毛穴のひらいた顔を見つめた。亢奮しているばかりでなく熱が出ているらしい眼のうるみ工合だった。伸子は、また、
「寒くないのかしら」
と気にした。
「ニーチェヴォ」
 そんなことではぐらかされるものかという風に伸子の注意をしりぞけて、女は一層声高につづけた。
「わたしが早くかえらしてくれっていうと、ここのドクターと看護婦はいつだって、お前さんのことを引合いに出すんだ。あの日本の女のひとを見ろって、さ! 若くって、遠いところから来て一人ぼっちでねていて、友達が来るだけなのに、もう二ヵ月近く、いっぺんだって苦情を云ったことがないって。食べものについても、治療についても辛抱づよいって。わたしもお前さんに見習えっていうのさ!――ばかばかしい□」
 女は憤懣にたえないらしく、はげしい身ぶりで片手をふった。
「わたしとお前さんとはまるきしちがうじゃないか。こう見たところお前さんはまだ若い――」
 首をのばして伸子の顔を改めて見直して、
「まるでまだ娘っこみたいなもんじゃないか!」
 伸子は、思わず笑った。
「ところが、わたしはどうだね。わたしはもう四十四だよ。うちには、去年生れの赤坊を入れて五人子供がいるんだ。わたしは、あいつらに食べさせ、着させ、体を洗ってやって、その上勤めているんだ――わたしは掃除婦だからね。それに亭主だって――亭主だって見てやるもんがなけりゃ、どうして満足に働きに出られるかね。――わたしは、お前さんとはまるきりちがうんだ。わかるだろう?――どうして、わたしがお前さんと同じように辛抱づよくなれるかってんだ――世帯も持ってなけりゃ、亭主もなけりゃ、乳呑子(ちのみご)だってないお前さんのようにさ。――お前さんにゃてんで心配の種ってものがないんじゃないか」
 粗野な女の言葉のなかに真実があった。伸子には心配の種がないんだ。ソヴェトの働く女というより古い、ロシアの下層の女のままな彼女の暗い不安な、人を信用しない感情には、医者のいうことも疑わしければ、苦労のなさそうな日本の女を手本にひっぱり出されることにも辛抱がならないらしかった。暗くせつなくとりつめて、髪を乱し、伸子にくってかかっている女に、伸子は自分が予期しなかったおちつきで、
「あなたがわたしのところへ来たのは、よかったですよ」
と云った。
「あなたは、本当のことを云いましたよ。たしかにあなたの条件とわたしの条件とはまったくちがうんです。――わたしはひとりもんだから」
 つい体に力がはいって、重苦しくなった右脇に手をあてて圧しながら、伸子は説明した。
「しかし、お医者があなたに云ったことについて、わたしの責任はないのよ。わたしはまるでそのことは知らなかったんだから。――あなたから、いまはじめてきかされたんだから。そのかわり、あなたのことについて、わたしは誰からもひとことも話されていませんよ」
 煮えたぎるようだった女のいらだちとぼんやりした屈辱感は、伸子のその話しぶりでいくらかずつ鎮められて行くらしかった。伸子のねているベッドの裾のところにつっ立っていた女は、すこしらくな体つきになって肩からひっかけている外套の前を押えながら衣裳箪笥にもたれた。伸子は、
「腰かけなさい。立っていることはあなたの病気にわるいんです」
と云った。
「あなたは、あんまりどっさり働かなけりゃならなかったから病気になったんだから……」
 女は、のろのろした動作で長椅子にかけた。彼女は素足に短靴をつっかけている。いかにも、もう我慢ならない、と病室からとび出して来たらしく。ひとめ見たときはこわらしい彼女の顔にある正直ものらしい一徹さと生活にひしがれたぶきりょうさが伸子の心にふれた。ふっと伸子は、この女の亭主には、もしかしたらほかに若い女があるかもしれないと思った。
「あなたの旦那さん、あなたの見舞に来ますか?」
「あのひとにどうしてそんな時間があるものかね、会議! 会議! で。いつだって、夜なかにならなけりゃ帰ってきないよ」
「党員?」
「ああ」
「あなたは?」
 女は腹立たしそうに、ぶっきら棒に答えた。
「わたしは党員じゃないよ、組合の代議員さ」
「結構じゃないの。デレガートカ(代議員)ならあなたも自分の病気について、道理にかなった考えかたをもたなくちゃならないと思うわ」
「そりゃそうさ。――だけれどね、まあ見ておくれ」
 女は自分の外套をひろげ、更に病衣をはだけて伸子に清潔でない自分の胸をみせた。
「このわたしの体のどこがむくんでるんかね、それどころか、やせちまったわ、ろくなもの食わないでいるから」
「塩気なしの食事でしょう?」
 意外らしく女は伸子の顔を見直した。
「――お前さん、医者の勉強もしているのかね」
「世界中、どこでも腎臓の病人には塩気をたべさせないんです」
「それにしたって、お前さんにゃわけがわかるかね。これほど毎日医者の顔さえ見りゃもうなおったって云ってる者を、何だってまた意地にかかって出さないんだか」
 女の眼のなかにまたつかみどころのない非難苦悩があらわれた。女は思い嵩(こう)じて、脅迫観念のようなものを感じはじめているらしかった。すっかり連絡の絶えてしまった家族や亭主のことが日夜気にかかるあまり。
 伸子は蛋白というロシア語を知らないので困った。そればかりか、この女の体のなかにどんな病気があるのか、どうして伸子にわかることが出来よう。伸子はやがていいことを思いついた。レントゲン照射を受けたかどうか女にきいてみた。
「ああ。やられたよ、来て間もなしに一度と、またこの間。――ありゃ高くつくんだってね」
「心配はいりませんよ、あなたは組合員なんだもの。――医者は、あのレントゲンの写真を見て、まだ癒っていないっていうんだと思います。あなたはそれを見なかったにしろ、彼はよく見ていますからね、それが仕事なんだから……」
 いま女は伸子の病室の外まできこえるような声では話さない。日本の女が、襟の間に片手をさしこんで物思いするように、女は外套の襟のところへ手をさしこんでうなだれた。肩にふりかぶっている髪はこんがらかっていて雪明りのなかによごれて見える。
 伸子は、よけい重苦しくなった脇腹へ、ゴム湯たんぽをひっぱりあげながら、
「早くかえろうと思うなら、気を立てることは禁物ですよ」
と、疲れの響く声になって云った。
「鍋の下で火をたけば、病気もそれにつれて煮えたつからね」
 そして、一つの思いつきを女に提案した。同じ病室から退院する誰かに家の住所を教えて、子供に来るようにつたえて貰うように、と。伸子は大儀になって枕の上によこたわった。女はうつむいた頭をもたげて、あてもなく二重窓の外の雪景色に目をやっている。伸子にそっちの景色は見えない。二重窓は寝台のちょうど真上にあたるところにあるから。
 伸子の病室の人気なさと沈黙とが、その女の気分に最後のおちつきを与えたらしかった。彼女は、暫くすると自分に云いきかすように、
「じゃあまあ、当分辛抱してみることだね」
と、膝に手をつっかって、身をもちあげるように長椅子から立ちあがった。亢奮がすぎて彼女にも疲れが感じられて来たらしかった。
「お前さんは、よくわかるように説明したよ」
 そう云って、女はちらりと微笑に似た皺を口のはたに浮べて伸子を見た。そして、足をひきずるように伸子の病室から出て行った。

 お前さんはよくわかるように説明したよ。――何て組合の職場集会での言葉だろう。あのもつれた暗色の剛毛(こわげ)のたまのような女の感情の一部に、そう云う用語になじみきった一つの生活があって、ありがとうともお邪魔さまとも云わず、お前さんはよくわかるように説明したよ、とお礼のつもりで云って帰った。伸子はそこにやっぱりソヴェトとなってからの十年というものを彼女の生活としてうけとったのだった。
 こんな風なモスク□大学病院での生活のうちに、伸子の病気は快癒するというより、どうやら徐々におちついてゆくという消極的な経過だった。二月も末になってからまだ右脇腹にのこっている重く鈍い痛みで上体をまげたまま伸子はやっと寝台から長椅子まで歩くようになった。

        十四

 そういう或る日、伸子にとっては一日で一番きもちのいい湯上りの時間だったにかかわらず、彼女は緊張した眼を病室の白い壁にくぎづけにして、考えこんでいた。その顔の上にめずらしい屈托があった。彼女の胸に生れた苦しい混乱した思いをてりかえして。
 伸子は、伸子の病気に対する故国の母親の心配ぶりをきょう思いがけない形でうけとったのだった。外国に駐在する大使館付の陸軍武官という立場の軍人がもっている様々な隠密の任務について、多計代はおどろくばかり無邪気で、ただ派手やかな役目という風にだけ考えているらしかった。さもなければ、多計代も一二度の面識しかない藤原威夫という陸軍少佐に、モスク□で入院している娘の伸子の様子をよくしらべて、逐一(ちくいち)本国へ知らして呉れるようにとたのんだりはしなかったろう。話によれば最近この藤原威夫という少佐の義妹が、一人の若い医学士と結婚した。その医学士というのが、計らず、伸子もそのひとの父親にはおんぶされたりした覚えのある関係の家庭の長男で、結婚式には佐々泰造も多計代も出席した。その席で、偶然、義兄にあたる藤原少佐が或は近くモスク□駐在になるかもしれないという話が出た。そのときはそれぎりだったのが、出立の二日前とかに多計代が使をよこした。そして出発の日が迫っているとしると、その日のうちにと、もう夜がふけたのに藤原威夫の郊外の住居を訪ねて、伸子の様子を見てもらうことをくれぐれもたのんだのだそうだった。あいにく自動車が家の前まで入らないもんですからかなりのところを車から降りて、さがしさがし歩いて来られたんで恐縮しました。よほど御心痛の様子でしたよ。くりかえして、私の目で見たあなたの様子をそのまま知らしてくれ、と云って居られました。ことのいきさつをそう説明されて、伸子として礼をいうよりほかにどうしようがあるだろう。
 伸子は病気の経過をずっと話した。いや。お目にかかるまでは、どんなに憔悴(しょうすい)しておられるかと思っていたんですが、この様子ならばもう大丈夫です。ひとつ、御安心なさるようによくかきましょう。四十をいくつか越して見える藤原威夫というその少佐は、若いときからかぶっている軍帽でむされて髪の毛がうすくなったのが五分刈の下からもわかる顱頂(ろちょう)部をもっていて、その薄はげと冴えない顔色とはかえって頭脳の微細な勤勉と冷静な性格を印象づけた。伸子たちが来た頃からモスク□には木部中佐というアッタッシェがいた。その人の年中よっぱらっているような豪放磊落(らいらく)らしい風と、きょう伸子の前に現れた藤原という少佐の人がらはひとめ見て対蹠(たいしょ)的であり、普通そうであるように、もとからのひとと新しいアッタッシェの交代が行われず、これからはこの、いかにも互に相補うといった性格の二人がモスク□に駐在するのだそうだった。東支鉄道の問題、漁業権の問題でこのごろ日ソ国境に関心がたかまっている。そのことが浮んで、伸子にも新しく藤原威夫が加えられて来た意味が察しられるのだった。伸子にさえあらましはその任務の性質が察しられる陸軍少佐が、不思議な御縁で佐々の家にとっては内輪のもののように多計代からたのまれて、伸子の前に出現した。家族に一人も軍人というもののない家庭に育ったせいと、関東地方の大震災のとき憲兵大尉の甘粕が、大杉栄と妻の伊藤野枝と甥の六つばかりの男の子をアナーキストの一族だというのでくびり殺して憲兵隊の古井戸へすてたことがあり、伸子はある場所で、その男の子の母親にあたる若い女の人が声を忍ばして泣く姿を見た。伸子の軍人ぎらいは骨にしみたものになっているのだった。
 伸子がこわく思うような粗剛なこわらしさは、藤原威夫のどこにもなく、この少佐は全体がはっきりしない色合で静かに乾いた感じだった。モスク□生活についてのあれこれ雑談の末、日本の天皇というものについてあなたはどう考えておられますか、と訊かれたとき、伸子はあんまりその質問が思いがけなかったからベッドの上で笑い出した。どうって。――あなたがたのような軍人さんは別かもしれないけれど、わたしたち普通の人間がそんなに天皇のことなんか考えているものなのかしら。――伸子には、そうとしか感じられなかった。すると藤原威夫は自分も薄く笑ってそりゃそうでもありましょうがね。と伸子の耳について消えない穏やかな執拗さで云った。御覧のとおりロシアではツァーを廃してこういうソヴェトの世の中にしているんだし、フランス革命のときだって、ルイ十六世をギロチンにかけたんですから、大体社会主義思想そのものに、主権の問題がふくまれているんでしょう。あなたは、大分ソヴェトのやりかたに共鳴しておられるらしいから、ひとつその点をおききして見たいんです。――伸子はみぞおちのあたりが妙な心持になった。これが雑談だろうか。伸子は、この質問のかげにぼんやり何かの危険を感じた。一般的に軍人に対する本能的ないとわしさがこみあげた。しかし伸子は自然な警戒心から自分の感情におこったいとわしさをおしころして、はじめと同じ調子で返事した。そりゃ、わたしはソヴェトの生活に興味をもっているし、感心していますけれど、だってそれは、ソヴェトのことでしょう? 日本は日本でしょう。あなたはどうお思いかしらないけれど、わたしはまだ革命家というものになってはいないのよ。理論は知らないんです。それは伸子のありのままの答えだった。じゃ、あなた個人の気持ではどうです? 藤原威夫は、同じおだやかなねばりづよさでなお質問した。日本に天皇はあった方がいいと思いますか、無い方がいいと思いますか。伸子はそういう風によくわけのわからないことを受け身に質問されては答えようとしている自分に腹立って来た。伸子は、ぽっと上気した。そして、どんな人が考えたって、在る方がいいものならあっていいだろうし、悪いものならないのがいいにきまってるんじゃないかしら。と早口に云った。そんなにおききになるのは日本に天皇があるのが悪いと思っていらっしゃるからなのかしら。伸子は、むっとして、変だと思うわ、とつぶやいた。どうして、モスク□で天皇がそう問題になるのか。
 藤原威夫は、伸子の癇癪をおこしたような同時に問題を理解していないことがあらわれている答えかたを、青黒い、眼のくぼんだ顔の表情を動かさずきいていたが、やがて云ってきかすような口調で、日本の将来にとってあらゆる場合この天皇の問題が一番むずかしいし、危険な点でしてね、と云った。日本でも、共産主義者は、天皇制打倒を云っているんです。従ってこんど改正された治安維持法でも、第一条にこの国体の変革という点をおきましてね。きわめて重刑です。あなたも、社会についてどう考えられるのも自由だが天皇の問題だけは慎重に扱われたがいいですよ。藤原威夫は、タバコを吸わない人と見えて、長椅子にもたれている両腕を腕ぐみしたままこういう話をした。伸子がだまって彼のいうことをきいていると、藤原威夫は、声を立てない笑いかたで口のまわりを皺めながら、あなたのお母さんも、御婦人にはめずらしく深く考えておられると見えて、あなたの思想について御心配でしたよ、と云った。伸子は、胸のなかへ楔(くさび)をさしこまれるように肉体の苦痛を感じた。多計代が、伸子に対するあの昔から独特なひとり合点と熱中とでなまじい頭の動くまま、藤原威夫に何を話したのかと思うと、伸子はわが身のやりどころのない思いだった。それが伸子という娘に対する多計代の母の愛だというのは何たることだろう。伸子は、苦々しげに堅くほほえみながら云った。わたしは母にはもとから評判がわるくて。――さぞエゴイストだって云っていたでしょう。すると、藤原威夫はいま伸子を見ていると同じ冷静な表情で多計代をも観察したらしく、そうでもなかったですよ、と云った。感服もしておられたです。入院してからよこされたあなたの手紙にちっとも悲観の調子がないと云って。しかし、去年の夏ですか、弟さんが亡くなられたのは。それからあなたがちっとも手紙に思想上のことを書いてよこされなくなったのを心配しておられたでしょう。まあその点についても私からよく云ってあげましょう。
 多計代にとって、藤原威夫が何ものだというのだろう! 伸子は体がふるえる思いがした。多計代は、子供のことについては自分が誰よりも理解しているというくせに、現実ではいつも、思いがけない他人のわが子に対する批評をきいてまわり、その言葉に影響されている。保の家庭教師の越智の場合にしろ、そうだった。彼の主観的なまた性格的な批評が、そのまま多計代の伸子に対する感情表現にくちまねされるから、伸子は娘として我慢ならなかった。母と娘とさし向いならば衝突は烈しく互に涙を流し合おうとも、多計代に対する心底からの嫌悪がのこされて行くようなことはないのに。佃と結婚した当時のごたごたの間多計代は伸子をしばしば泣かせ、娘に対して母親だけの知っている苦しめかたで絶望させた。でもあのころは母だった。伸子が泣いてものの云える母であった。あのころはまだ二人の間に立つものは存在しなかった。やがて越智があらわれ、モスク□へまでこういう人があらわれて。――母が肉親の情のあらわれだと信じて行う工作は伸子の心を多計代に対して警戒的にするばかりだ。多計代は致命的なこのことに心づかないのだろうか。たった一度しかあったことのない軍人に、それが旧くから知ったもののところへ義妹を縁づけた人だというだけの因縁で、おそらくは、軍人だからたしかだと信じて多計代が自動車で駈けつけ、伸子の思想上のこともよろしくお願いいたしますとたのんでいる情景を想像すると、伸子は手のひらがにちゃつくような屈辱をともなう切なさだった。保がああして死んで、伸子は何が多計代にうちあけられたろう。伸子には保の死について多計代の責任を感じる和解しがたい思いがある。それは、保が亡くなってからの伸子の生きてゆく意識に作用している。伸子は保であるまいとしているのだった。人生に対して。母というものに対して。どうして、それやこれやのことが、手紙のようなものに書けよう。議論される余地のあることではなかったのだから。伸子にとってそれは自分の生そのものなのだから……
 思い沈んでだまっていた伸子に、藤原威夫は、彼もその間に彼自身の考えの筋を辿っていたらしく、しかしなんですな、と云った。あなたのお母さんはさすが井村先生の令嬢だけあって、皇室に対しては今どきめずらしい純粋な気持をもっておられるですね。お話をうかがって敬服しました。
 藤原威夫のその軍人らしい賞讚の言葉を、伸子はぼんやりと実感なくきいていた。母が、皇室に対して純粋な気持をもっている――それは何だかまるで生活からはなれていて伸子の感情にない問題だった。自分の感情の中に合わせるピントがないという意味で、伸子は母と藤原威夫という軍人とはっきり別な自分を感じるのだった。藤原威夫は、帰りしなに、笑って次のように云った。実はお母さんから、モスク□へ来たらぜひちょいちょいあなたをお訪ねするように御依頼をうけたんですが、どうもこう忙しくては折角おひきうけして来たものの実行不可能ですな。
 腎臓病で入院している同じ病棟の掃除婦に、伸子が、お前さんにゃてんで心配の種ってものがないんじゃないか、と云われて、それを自分からもうけがったのは、二三日前のことだった。屈托なく心をひろげて一つの病棟のなかに様々のニュアンスで展開されてゆくソヴェト・ロシアの生活の朝から夜の動きに身をまかせていた伸子は、不意に現れた一人の軍人によって、その居心地のよかった場所から熊手で丸ごとかきおこされた。伸子は、藤原威夫が軍人らしい歩調で出て行ったあとの病室のベッドの上で、自分のまわりにかけられた堅くて曲げようのない金熊手の歯を感じた。ほんとのところ、伸子には藤原威夫の話したことがよくわからなかった。モスク□へ来る前の伸子が考えたこともなかったし、またモスク□で伸子が考える必要を感じもしなかったこと、たとえば天皇のことなどを、藤原威夫は主にして話して行ったがそれは伸子に何と無関係のように感じられ、その一方で何と薄気味わるい後味をのこしたろう。
 三・一五事件からあとの本国の空気を知らない伸子には、藤原威夫の出現も天皇論も多計代が彼のところへかけつけたということも、すべて普通でなくうけとれた。そしてその普通でない何かは、去年のメーデーの前、父の泰造が三・一五事件の新聞記事に赤インクでカギをつけてよこした、あのあくどい赤インクのカギが自分の動きに向って暗黙にかけられたように感じた、そのときの漠然とした感じより、はるかに内容をもっており、また意志的だった。藤原の来たのも話したのも個人としてのわけだのに伸子の心にのこされた後味には何をどうしようというのか伸子にわからないが、ともかく権力の感じが濃かった。そして、そのような権力を身のまわりに感じることは伸子を居心地わるくさせる一方だった。
 その午後おそく素子が病室へ来たとき、伸子は待ちかねていたように、
「あなた藤原威夫って少佐に会った?」
ときいた。
「さっきここへ来たわよ」
「きみのおっかさんからたのまれたってんだろう?」
 素子は皮肉な眼つきで浮かない伸子の顔つきを見ながら鞄からタバコを出しかけた。
「ひどく鄭重なお礼言のおことづけだった」
 そう云って素子はハハハと笑った。
「きみのおっかさんの現金なのにゃ、顔まけだ」
 モスク□で病気している伸子が素子の世話になると思うと、多計代はそれとしてはうそのない気持で感謝のことづてをよこしたのだろう、でも素子とすれば過去何年もの間自分に向けられている多計代の猜疑や習慣的に見くだした扱いの、全部をそのことによって忘れることはできないのだった。素子は、おきまりの土産であるミカンを鞄から出して一つずつ伸子のベッドのわきのテーブルへ並べながら、低い声の、ちょっと唇を歪めた表情で、
「君のおっかさんは何と思ってるかしらないが、ここじゃ、ああいう関係、いいことはないよ」
と云った。
「わたしもそう思ったわ。――ほんとに困る……」
「木部中佐とは反対のタイプさ、そうだろう?」
「そうだと思うわ」
「木部君にしたって、あの磊落は外向的ジェスチュアだがね」
 伸子は素子のいうことがいちいちわかって、一層せつなかった。心細い活路をそこに見つけるように伸子は、
「あなた、東大の吉沢博士がモスク□へ来るかもしれないって話きいて?」
と素子にたずねた。
「誰から?……藤原からかい?」
「私にちょっとそんなこと云ってよ。――もし来るときまったらわたしを診てもらうようにするって母が云っていたって」
「へえ――知らないよ。佐々のお父さんと同郷とかっていう、あの吉沢さんかい?」
「聞いたことがあった?――吉沢さんでも来ればいい」
 伸子は、自分の病気を診てもらうもらわないより、せめて自分の病室へは藤原威夫のようなものでない普通の人、天皇のこととか伸子の思想のことだとか云わないあたり前の人に来てほしかった。
 その夜は、二つばかりさきの小病室から終夜病人の呻り声がこちらの廊下へまできこえた。伸子が入院してから平穏がつづいているその病棟にはじめてのことだった。その呻り声は、はじまった病気の苦しみというよりも、死ぬ間際のうめきのようにきこえた。婦人病棟だのに、その呻り声は高く低く男のようにしわがれて、ドアの外の廊下を看護婦や当直医の往来する足音がした。
 あたりがふっと静まったときまどろみかける伸子は、じきまた聞えて来る呻り声で目をさまされた。さめた瞬間、伸子の心は沈んでいて昼間の印象がこびりついている自分に気づくのだった。灯を消してある病室の中は、ドアの上のガラスからさしこむ廊下の明りにぼんやり照し出されていた。その薄暗がりの中で両眼をあいている伸子には、暗さが圧迫的で、我知らず耳をひかれる物凄い呻り声が高まるにつれ、伸子の体は恐怖といっしょに仰向きに横わったまま浮きあがるような感じだった。
 こんな晩こそナターシャが見たかった。看護婦の大前掛を大きいおなかの上にかけて、はたん杏の頬をして、ゆっくり歩いているナターシャが。でも、ナターシャはよびようがない。彼女は夜勤はしなかった。身重だから。
 呻り声がたかくなってこわさがつのると伸子は息をつめ掛けものの下でぎゅっと両手を握りあわせた。
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