道標
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著者名:宮本百合子 

 そう云ってなお下を見ている伸子の頭に、札束のことが思い浮んだ。
「あなた、お金どこにある?」
「こっちへうつした」
 伸子と自分との席の間に挾んでおいてある書類鞄を素子はたたいた。劇場へ来るまえに、伸子と素子とは国立銀行へまわって、三ヵ月間の生活費にあたるほどの紙幣をもっていた。素子はどうしたのかそれを外套の内ポケットに入れていた。劇場の外套あずかり所で、外套をぬいであずけるとき、素子はそのことを思い出し、ポケットから札束を出して、入れ場所をかえた。伸子は、素子のそういう動作は場所柄不用心だと思ったけれども、だまっていた。そのとき、彼女たちのまわりに何人か外套あずけの観客がいた。素子がそうやって手早くではあったが不適当な場所で札を動かしたとき、すぐ横にいて、どうも素子のやったことに気づいたらしい、きびしい顔つきの四十がらみの女が、赤っぽい絹ブラウスを着て、やっぱり同じバルコニーで素子から斜よこの席に一人でかけていた。
 伸子は、あいかわらず素子と顔を並べて下を見ながら、小さな声で、
「お金、みられたんじゃないかしら」
と云った。
「あの女、気がついてる? 赤ブラウスの女、外套あずけのところで、すぐあなたのうしろにいたのよ」
「ああ、あいつはすこし変だ」
 オペラ・グラスそのものは、伸子たちにとって、なくなって大して惜しいものでもなかったし、不便する品ものでもなかった。けれども、あの子供は、ほんとにただオペラ・グラスが珍しいだけなのか。それとも盗むのだろうか。伸子たちの好奇心はそちらに重点がうつった。
 すこし時間をかけすぎた感じだったが、やがてそのピオニェールは伸子たちが見下しているオーケストラ・ボックスの近くの席へ、赤いネクタイ姿をあらわした。幕のしまっている舞台をうしろにして席のところに立ち、伸子たちのいるバルコニーへオペラ・グラスを向け、挨拶に手をふった。幕間にも席を立たずにいたまばらな観客の顔が二つ三つ、ふりかえって、ピオニェールがそこに向って手をふっている伸子たちのバルコニーを見上げた。少年の隣りの席にいた黒っぽい背びろ服の男が、少年からオペラ・グラスをかりて首をねじり、特に伸子たちの方というのではなくバルコニー全体を眺めた。そして、かえしたオペラ・グラスで又ひとしきりあっちこっち見まわしてから、少年は、いまそっちへゆくという意味の合図をして、見えなくなった。
 ピオニェールは、オペラ・グラスをかえしに来た。素子は少し伸子をとがめるように「やっぱり来たじゃないか」とささやいた。そして素子と少年との間に、断片的な日本の話がはじまった。
「モスク□に日本人すくないですね。中国人は僕よく知ってるんです、『子供の家』に中国人の子供がいたから。僕日本人にあったのはじめてです」
 自分の名をペーチャと云って紹介したピオニェールは、やがて開幕を告げるベルが場内に鳴ると、
「僕、こっちの席へうつってもいいですか」
と素子にきいた。
「幕間に、もっと日本のことがききたいから」
 その晩のエクスペリメンターリヌイ劇場は八分の入りだった。モスク□の劇場ではそこがあいていることがたしかなら、席をかえてもかまわない習慣がある。――もっとも、そんな空席のあることはまれだったけれども。
 ピオニェールはそのままバルコニーにのこって、赤ブラウスの女の一つうしろの席に坐った。素子と伸子との座席は丁度第一列の中央通路から一つめと二つめだった。素子の右手はゆったりした幅の通路で区ぎられており、その隣りにいるのは伸子で、あとずっとその列に空席がなかった。
 オペラとバレエだけを上演する国立大劇場とくらべれば、エクスペリメンターリヌイ劇場は、上演目録も『ラ・ボエーム』『ファウスト』『トラヴィアタ』という風なもので若い歌手たちの登場場面とされていた。すべてが小規模で、舞台装置もあっさりしているけれども、その晩の『椿姫』は魅力的であった。ソプラノが、いかにも軟かく若々しい潤いにとんだ声で、トラヴィアタの古風で可憐な女の歓び、歎き、絶望が、堂々としたプリマドンナにはない生々しさで演じられた。歌詞がロシア語で歌われるために、流麗なメロディーにいくらかロシア風のニュアンスがかげを添え、その晩の『椿姫』は、プーシュキンでもかいた物語をきくような親しみぶかさだった。伸子は、体のなかで美しく演奏されたオペラのメロディーが鳴っているような暖くとけた心持で劇場を出た。パッサージ・ホテルまで歩いて、そこで素子とお茶でものんで、伸子はそれから電車でアストージェンカの住居へ帰るのだった。
 雪のこやみになっている夜道を中央郵便局の建築場に面したパッサージの入口まで来た。伸子たちは二人きりでそこまで来たのではなかった。例のピオニェールが送ってゆくと云って、ついて来ていた。
 パッサージの入口で、素子が糸目のすりきれた黒ラシャの短外套の襟の間から赤いネクタイをのぞかせているピオニェールにわかれを告げた。
「じゃ、さようなら、家へかえって、寝なさい。もうおそいよ」
 ピオニェールは、ちょっと躊躇していたが、
「あなたの室へよって行っていいですか」
 いくらか哀願するように云った。
「ほんの暫くの間。――じきかえります」
 伸子も素子も、子供が茶をのみたがっているのだと想像した。
「ピオニェールが、そんなに夜更していいのかい」
 そう云いながら結局三人で素子の室へあがった。そのとき素子は、モスク□へついた一番はじめの晩に伸子と泊った室、あとでは長原吉之助がオムレツばかりたべながら二週間の余り逗留していた三階の隅の小さい部屋をとっているのだった。
 素子の室へはいって外套をぬぎ、もちものをデスクの上や椅子の上においてひと休みするとピオニェールはめっきり陽気になりだした。小さい焔がゆれているような顔をしてトラヴィアタの中にあるメロディーを口笛で吹き、そうかと思うと、ブジョンヌイの歌を鼻うたでうたって、部屋じゅう歩きまわったあげく膝をまげた脚をピンピン左右かわりばんこに蹴出すコーカサス踊の真似などをした。
「なぜ、お前さんはそう騒々しいのかい」
と、素子があきれた顔でとがめた。
「おかしな小僧だ!」
 ピオニェールはすかさず、
「僕、いつだって陽気なんだ。ラーゲリ(野営地)で有名なんです」
と口答えして笑ったが、敏感に限度を察して、それきりさわぐのをやめた。そしてこんどは当てっこ遊びをはじめた。
「この机の引出しに何が入ってるか、僕あててみましょうか」
「あたるものか」
「いいや僕あててみせます――先(ま)ず――何だろう」
 緑色のラシャの張ってあるデスクを上から撫でて、金色の髪がキラキラ光る五分刈の頭をかしげ、
「まず、紙類が入っている!」
「お前さんはずるいよ。紙類の入っていない机の引出しなんてあるものか」
「それから、たしかに鉛筆も入っている。ナイフ――あるかな?」
 ピオニェールは、挑むような、からかうような眼つきをして素子と伸子を、順ぐりに横目で見た。
「少くとも、何か金属のものが入っています!」
 そう宣言しながらさっと素子のデスクの引出しをあけた。その引出しに、白い大判のノート紙と日本の原稿紙などしか入っていないのを見てピオニェールは、失望の表情をした。
「大したもんじゃないや!(ニェ・ワージヌイ!)」
「あたり前さ、もちろん大したもんじゃないよ、紙は紙さ。白かろうと青かろうと」
 ピオニェールはすぐ元気をとり戻した陽気さにかえって、
「でも、僕はあてましたよ、御覧なさい。これは金属でつくられてる!」
 モスク□製のペン先を二本つまんで見せた。
「――さてと……これには何が入っているかな」
 デスクの上におかれている素子の書類入鞄に手をかけようとした。
「さわっちゃいけない」
 きつい声で云って、素子はその鞄をかけている椅子の背と自分の体との間にしっかりはさみこんだ。
「なぜ、それにさわっちゃいけないんですか?」
「お前さんの指導者にきいてごらん」
 伸子は、ピオニェールのあてっこ遊びに飽きて来た。茶をのまして早く帰そうと思い、水色エナメルの丸く胴のふくらんだヤカンをさげて、台所まで湯をとりにおりた。
 湯の入ったヤカンをさげ、ピオニェールのためにコップとサジとをのせた盆をもって部屋へもどって来ると、ピオニェールは、せまいその部屋の真中あたりにじっと椅子にかけている素子のまわりを、ぐるぐるまわって歩きながら、伸子の茶色い小さなハンド・バッグをあけてなかをのぞき、
「やあ、あなたのまけだ!」
と叫んでいるところだった。
「七ルーブリ、三十五カペイキと、金の時計と、古い芝居の切符とが入ってますよ」
 伸子は、変なことをすると思った。
「なにしてるの? なぜわたしのスーモチカ(金入れ)に用があるの」
「あなたのタワーリシチが、この中に入ってるものをあてる番だったんです。三ルーブリぐらい金があるだろうというきりで、あと何が入っているか、全然しらなかったんです。僕が勝ったんだから、これは僕が没収(リクイジーロワーチ)します」
 ピオニェールは、その茶色の小型ハンド・バッグを、もったまま、手をうしろへまわした。伸子は、少年の前へずっとよって行って手をさし出した。
「よこしなさい!(ダワイ)」
「…………」
「どうして? よこしなさい! 遊びは遊びよ!」
 戻してよこしたハンド・バッグを伸子は、机にしまい、音をたてて引出しをしめた。
「さあ、もう十分だ。お茶をのんで、帰るんです」
 茶をのみながら伸子はそろそろ自分のかえる時間も気になりはじめた。
「何時ごろかしら」
 素子が腕時計を見た。
「おや、もうこんなかい」
 間もなく十二時になろうとしているところだった。

 伸子はピオニェールのなりをした少年とつれ立ってパッサージ・ホテルを出た。トゥウェルスカヤ通りを、猟人広場の方へおりた。
「アストージェンカへは、ストラスナーヤからも行けますよ」
「知ってるわ」
「ストラスナーヤから行きましょうよ。――いやですか?」
「わたしには遠まわりする必要がないのよ」
 ストラスナーヤ広場は、夜のモスク□の繁華なところとされているかわり、いろんなことのある場所としても知られていた。伸子は、ストラスナーヤをまわって行こうと云った少年の言葉を自然にきけなかった。足早に猟人広場の停留場へ行こうとして、伸子は雪のつもったごろた石の間で防寒靴をすべらせた。
「気をつけなさい!」
 ピオニェールは大人らしく叫んで伸子の腕をささえた。そして、彼が支えた方の手にもっていて、すべったとき伸子がそれをおとしそうにした茶色の小型ハンド・バッグを、
「僕がもってあげましょう」
 伸子からとって自分の脇の下にはさんだ。
 アストージェンカへ行く電車が間もなく来た。明るい車内は、劇場や集会帰りの男女で満員だった。伸子とピオニェールはやっと車掌台へわりこんだ。伸子たちのほかにも数人乗った。おされて少しずつ奥へ入りながら、伸子は、
「そのスーモチカをよこしなさい。切符を買うから」
と云った。
「僕が買ったげます――僕はパスがあるから」
 そう云いながら伸子より一歩さきに車掌台から一段高くなった電車の入口に立っていたピオニェールは、すこし爪先だったようにして、こんだ車内を見わたした。電車は次の停留場へ近づいているところだった。ちょっと外を見た伸子が、目をかえして電車の入口を見たら、ピオニェールは、そこにいなかった。モスク□の電車で車掌はいつも伸子たちののりこんだ後部にいて、日本のように車内を動きまわらない。見ればちゃんと婦人車掌は、こみながらも彼女の場所として保たれている片隅に立っている。ピオニェールは切符を買うために奥へ入る必要はないのだ。
 やられた! 伸子は瞬間にそう思った。それといっしょに伸子は黙ったまま猛烈な勢で電車の奥へ人ごみをかきわけて突進しはじめた。伸子はすりという言葉を知らなかった。泥棒という言葉も思いうかばなかった。咄嗟に叫ぶ声が出なかった伸子は、ぐいぐい人をかきわけて奥へすすみ、停留場へ着く前に自分で赤ネクタイをつかまえようとした。
 車内を四分の三ぐらいまで進んだとき電車はとまった。そして、すぐ発車した。車内には赤ネクタイの端っぽさえ見あたらなかった。ピオニェールは完全に逃げおおせた。
 そのときになって、伸子はやっと口がきけるようになった。まわりの乗客たちは、黒い外套を着た小柄な外国女がピオニェールのなりをした小僧にスモーチカを盗(と)られたという事実を知った。乗客たちは、そんな小僧の素早さや、つかまりっこのないことを知りぬいているらしく、伸子の災難に同情しながらもきわめて平静だった。伸子が一文なしになったから、電車からおろしてくれ、友達のところへ帰る、と云うと、二三人の男が運転手に声をかけた。電車はすぐとめられた。

 まだかなり人通りのある夜ふけの雪道を、いそがずパッサージ・ホテルに向って歩きながら、伸子は亢奮している自分を感じ、同時に、ピオニェール小僧のやりかたに感歎もした。エクスペリメンターリヌイ劇場で伸子たちにつきまといはじめてから、小僧は一晩じゅう目的に向って努力をした。双眼鏡をもって行って、それはかえして、第一歩の疑惑をといたやりかた。あてっこ遊び。小僧はそういう遊びにことよせて伸子たちの持ちものの検査と値ぶみをしたのだった。素子に、伸子のモ□ードの金側腕時計を見せて、
「これ、にせものでしょう」
と云い、素子から、
「にせものなもんか、本ものだよ」
と云わせた巧妙さ。伸子も素子も、陽気すぎ、その好奇心がうるさすぎるピオニェール小僧に対して決して気を許しきってはいなかった。半分の疑惑があった。素子は、意地くらべをするように書類鞄を椅子の背と自分の背中との間に挾みこんで椅子から動かなかった。伸子だって、ストラスナーヤをまわろうというピオニェール小僧の言葉をしりぞけたとき、あっちに小僧の仲間がいるのかもしれないと思ったのだった。それだのに、結局スーモチカをもたせる始末になった。それは伸子がすべったはずみではあるが、全体として、あの金毛のそばかすのあるピオニェール小僧が、はじめっから伸子たちの警戒と油断とが等分に綯(な)い合わされた神経の波に応じて絶えざる緊張で演技をつづけとうとう最後のチャンスで獲物をせしめた。そのねばりは、ごまのはいにしても相当なものだった。えもののねらいかたが心理的にごまかして、計画的であることが、伸子にゴーゴリの悪漢を思わせた。でも、もし、あの小僧があれだけ伸子たちをつけまわしたのに、今夜じゅうに何もとれなかったとしたらどうだったろう。それを思うと、伸子は、はじめて真面目なこわさを感じた。ピオニェール小僧が徒党をもっていることはストラスナーヤと云ったことで察しられるし、そこには、彼の大人の親方がいたのかもしれない。スーモチカをくれてやって、よかったと伸子は思った。少くとも、ピオニェール小僧は親方にさし出す獲物として、いくらかの金と、金側時計と古くても皮のスーモチカがあった。それは彼を死もの狂いにすることから救った。それは、伸子の安全を買ったことなのだった。
 パッサージのドアをあけ、去年伸子たちがモスク□に着いたときからそこに置かれていた棕櫚(しゅろ)の植木鉢のかげから、下足番のノーソフの大きな髭があらわれたら伸子は急に体じゅうが軟かくなってしまった。半分は意識して、半分は無意識のうちに一晩中ピオニェール小僧と心理的な格闘をしていた。それがもうすんだ安心だった。
 椅子にちょこなんと腰かけて防寒靴をぬぎながら、伸子は、今宵(こよい)の出来ごとをかいつまんでノーソフに話した。
「あの小僧が――そりゃ、そりゃ」
 ノーソフは、頭をふった。
「わしは、あなたがたといっしょに小僧が入って来たのを見ましたよ。だが、あなたがたといっしょだったもんだからね、知り合いの子でもあるかと思ったです。――カントーラ(帳場)に話しなさるこったよ」
 ノーソフと話しているうちに、伸子の眼の中と唇の上に奇妙に輝きながらゆがんだ微笑がうかんだ。トゥウェルスカヤの大通りからアホートヌイへ出るところで伸子が足をすべらし、そのはずみに何気なく伸子のスーモチカがピオニェール小僧の手にわたった。そのとき、ピオニェール小僧は、伸子の小型で古びたスーモチカを脇の下にしっかり挾み、伸子の腕を支えて歩き出しながら、手袋をはめている伸子の手をとりあげ、寒さで赤くなっている自分のむき出しの両手の間にはさんで音たかく接吻の真似をした。伸子は、馬鹿馬鹿しいというように手をひっこめた。
 ノーソフと話しながら伸子はその情景を思い出した。あのときどんなにピオニェール小僧はほっとしたんだろう。先ずこれでせしめた。そう思ったはずみに、ピオニェール小僧は思わず伸子の手へ接吻の真似をしたのかもしれない。しかし――接吻の真似――それはやっぱりごまのはいの仕業だった。
 小花模様のついた絨毯のしかれた午前一時すこし前の階段を伸子は一段ずつ素子の部屋へ、のぼって行った。

        八

 伸子と素子とがたかられ、伸子がスーモチカをとられたピオニェール小僧は、モスク□で通称ダームスキーとよばれ、婦人や外国人専門のごまのはいだった。翌日、市民警察の私服のひとと四十分ばかり昨夜の出来ごとについて話して、伸子たちは新しくそういう事実も知った。しかし、伸子にも素子にも、自分たちの被害を強調する気分がなかった。ことのいきさつは、はじめから伸子たちの不注意に発端していたのだから。
 写真で見るルイバコフがいつも着ているようなダブル襟の胸にひだのあるつめ襟を着た私服のひとは、こまかに伸子のとられた品物の記録をとった。わずかの金銭のことや時計のことを告げているとき、伸子はきまりわるい思いだった。時計は、モ□ードの金側であるにしろ、とまったまま動かなくなっていたものだし、それは伸子が立つとき父の泰造が餞別に買ってくれたものでもあった。職業をきかれたとき、婦人作家と答えた伸子は、現実にあらわれたとんまを、自分に対してつらい点で感じるわけだった。
「わたしたちは、むしろ自分たちがわるかったと思っているんです。しかし起ったことは起ったことですからね」
 素子が、その私服のひとにタバコをすすめながら云った。
「報告すべきだと考えたわけです」
「そうですとも。それにわれわれとしては、あなたがた外国のひとが、ピオニェールという点でその小僧を半ば信用されたことを、非常にお気の毒に思います。且つ遺憾とします」
 ああいう小僧のつかまることや品ものの出ることについてはそのひとも度々の経験から期待をもっていないらしかった。
「あなたはどうお考えですか」
 ゆうべから疑問に思えていたことを伸子が質問した。
「あの小僧は、本当のピオニェールだったんでしょうか、それともただピオニェールの服を着たよくない小僧だったんでしょうか」
 ちょっと考えて、実直な顔をした若い私服のひとは、
「どっちとも云えないですね」
と云った。
「ピオニェールの組織は御承知のとおり大きな大衆組織で、モスク□市ばかりで数万の少年少女がそれに属しています。――その小僧がピオニェールであることも事実であり、同時に職業的ダームスキーであることも事実かもしれません。――残念ながらこれは、過渡期の社会としてあり得ることです」
 モスク□へ来た当座はすりにもあわないで、一年たったとき念入りなごまのはいにたかられたということは、伸子に自分たちの生活態度をいろいろと考えさせた。劇場の外套あずかりどころで、素子が外套のポケットから札束を出したりした。それが間違いのもとだったのだが、そんな油断は伸子たちのどんな心理からおこったことだったのだろう。伸子も素子もモスク□で働いて、それで取る金で生活しているというのではない。その上、ルーブルが円よりやすくて、換算上、日本の金の何倍かにつかわれている。素子と伸子のうかつさは、都会生活になれない人間の素朴なぼんやりさが原因なのではなくて、その土地で働いて生活しているのでない外国人がいくらか分のいい換算率に甘やかされている、そのすきだということが伸子には思われるのだった。
 素子の節倹は、モスク□へついた当座からかわりなく、伸子たちはいまでも、気のかわった贅沢な料理をたべに、サヴォイ・ホテルの食堂へ行くというようなことは一ぺんもしなかった。モスク□としてはたかい砂糖菓子さえ滅多に買わなかった。そういう風なつつましさでは、多くの実直なモスク□人と同様なのに。――あの札束が、かりに素子の月給であったらどうだったろう。もしくは、伸子の原稿料だったら――いずれにせよ二人はもっと慎重だったにきまっている。
 ルーブルと円との換算率ということも、改めて考えてみれば、伸子にとっては一つの自己撞着だった。日本の円に対してルーブルが低い換算率をもっているということは、日本よりソヴェトの方が、一般的に社会的信用がないことを意味している。でもそれは、日本のどういう条件に対してソヴェトの信用がより少ないのだろう。ソヴェトの大多数の人々にとっては、ソヴェトの全生活がほかの資本主義社会より少ししか信用できないものだとは決して思われていない。ここの国の人々が選んだ社会主義の実績は着々進められているのだから。農業や工業の電化は、一九二八年のメーデーから革命記念日までの六ヵ月間に、かなりのパーセント高められた。ソヴェトに対する信用は低いとしているのは、その社会主義の方法を信用しまいとしている諸外国の権力であり、ソヴェトに機械類その他をより高く売る方がのぞましい人々の利害であるし、本国にいるよりどっさりルーブルの月給がとれる出さきの役人や顧問技師の満足であるわけだった。
 ソヴェトの生活になじむにつれて、伸子は、ソヴェトに対するよその国々の偏見と、それをこけおどしに宣伝する態度にいとわしさを感じていた。いってみれば、その偏見そのものが通過の上にあらわされている換算率で、自分たちのルーブルがふえるというのは何という皮肉だろう。
 金についての素子のつましさは、働くもののつましさではない。むしろ、常にいくらかゆとりのある金を用心ぶかくねうちよくつかってゆく小市民的な習慣だ、と伸子は思った。けれども、それならば、伸子自身が素子とはちがった面で小市民的でないと云えただろうか。一度か二度ピオニェールの野営地を訪問し、クラブでピオニェールたちと会談したくらいのことで、ピオニェールのことは心得たようにあの金毛のピオニェール小僧に対した伸子は、自分の態度に甘さのあったことをかえりみずにいられなかった。ピオニェールのネクタイしか赤いきれがモスク□にないとでもいうように! モスク□ぐらい、どこへ行ったって雑作なく赤い布きれが手に入るところはありはしないのに! 悪意は辛辣でリアリスティックだと伸子は思わないわけにゆかなかった。小悪漢ピオニェール小僧の炯眼(けいがん)は、二人の日本人の女の無意識の断層にねらいをつけて図星だった。

 このことがあって間もなく、素子はパッサージ・ホテルから、筆入れ箱のように細長くて狭いルケアーノフの室に戻って来た。そして、伸子がチェホフの墓のあるノヴォデビーチェ修道院のそばの新しい建物の一室に移ることになった。
 アストージェンカからモスク□の郊外に向う電車にのってゆくと、その終点が有名なノヴォデビーチェだった。ノヴォデビーチェと云えば先頃までは修道院でしか知られていないところだったが、今年十二月の雪が降りしきるノヴォデビーチェにひとかたまりの新開町ができていた。モスク□市の膨脹を語るできたばかりの町で、その町の住民の生活に必要な食料品販売店、本屋、衣料店などがとりあえず当座入用な品々を並べて菩提樹の下の歩道に面して木造の店鋪をひらいている。公園の中のように、大きい菩提樹の間をとおって幾条か雪の中のふみつけ道がある。その一条一条が三棟ほどある五階建ての大きいアパートメントのそれぞれの入口に向っているのだった。
 雪空のかなたにノヴォデビーチェ修道院の尖塔のついた内屋根をのぞみ、雪につつまれた曠野にひとかたまり出現したその新開町のなかは、ぐるりの風景のロシア風な淋しさとつよい対照をもって、ソヴェト新生活の賑わいと活気をあらわしていた。雪の中に黒い四角な輪廓で堂々と建ちつらなっている大アパートメントは、化学航空労働組合が建てたものだった。人々は、何年かにわたって、これらの建物のために一定の積立金をし、完成の日を期待し、やがて凱歌とともにこの新開町へ引越して来たところだった。店々に品物がまだとりそろわず、雑貨店の赤い旗で飾った窓に石油コンロがちょこなんと二つ並んでいるばかりであるにしろ、そこにはこの町のできた由来と新生活のほこりがあるのだった。
 伸子が移った室というのは、そのノヴォデビーチェの新開町の中心をなす三棟の大アパートメントの右はずれの建物の四階にあった。入口のドアをおして入ると、その大きい建物全体の生乾きのコンクリートがスティームに暖められ、徐々に乾燥してゆく、洗濯物が乾くときのような鼻の奥を刺すにおいがこめていた。借りた室は、ルケアーノフの室の四倍ほどの広さがあった。が、伸子は、組合の保健婦であるそこの細君に案内されて部屋をみたとき、素子がどうしてもそこに、おちついていられないんだ、といくぶんきまりわるそうに云ったわけがわかるようだった。
 三方の真白い壁と、カーテンのかかっていない二つの大窓に面して、ひろくむき出された床の上には、ぽつねんと古びた衣裳箪笥が一つたっていた。ニスの光る新品のデスクが一つ窓に向って据えてあった。ドアの左手の窓ぎわにくっつけて、寝台がわりにディヴァンがおかれている。部屋を見わたして、伸子は、
「大変清潔です」
と云いながら、ひどく不思議な気持がした。その部屋は全く清潔でなくなろうとするにも、それだけのものがないのだったが、この室におかれているものは、デスクにしろディヴァンにしろ、どうしてこうも小型のものばっかり揃っているのだろう。デスクは、室の広さとのつり合いでおちつきようもなく小さくて真新しいし、ディヴァンにしろ、それがそこにあるためにかえって室内のがらんとした感じが目立つぎごちない新しさと小ささだった。伸子がモスク□の家具として見なれた大きさをもっているのは、衣裳箪笥だけだった。どこにも悪気はないのだけれども、大きい顔の上に、やたらに小さい目鼻だちをもった人とむかいあっているような、居工合のわるさがその部屋を特色づけている。
 素子がこういう部屋を見つけたことについて伸子は、ちっとも知らなかった。パッサージ・ホテルにいた素子は、ひとりで広告して、一人できめて、正餐つき一ヵ月の部屋代をさき払いした。
「ぶこちゃん、失敗しちゃった」
と、素子がノヴォデビーチェの部屋について話したのは、伸子をびっくりさせようとして、素子がノヴォデビーチェの室へ一晩とまって見た翌日の正餐のときのことだった。
「前払いなんかしなけりゃよかった。――すまないけれど、ぶこちゃんあっちで暫く暮してくれよ。入れかわって――いやかい?」
 パッサージの室を素子はその日の夕方までで解約してしまっているのだった。
 紙のおおいのかかったパッサージの食堂のテーブルに素子とさし向いにかけ、アルミニュームのサジで乾杏や梅を砂糖煮にしたものをたべながら、伸子は、答えのかわりに、べそをかいた顔をつくった。
「だって、そこは淋しいっていうのに――」
「ぶこなら大丈夫だよ」
「どうして?」
「わたしみたいに一日そんなところへとじこもっていなくたっていいんだもの。ぶこは寝るだけでいいんだもの、平気だよ。モローゾフスキーとトレチャコフスキーをしっかり見るんだって云ってたんじゃないか」
 レーニングラードの冬宮附属に、エカテリナ二世がこしらえたエルミタージ美術館があった。その厖大で趣味のまちまちな蒐集(しゅうしゅう)をみたら伸子は、純ロシアの絵画ばかりを集めたモスク□のトレチャコフスキー画廊に愛着をおぼえた。ロシアにおけるフランス近代絵画の優秀なコレクションであるモローゾフスキーの画廊をもう一度見なおしたいとも思った。伸子がそんなことを云っていたのはパンシオン・ソモロフで暮した夏からのことだった。モローゾフスキーには、ピカソの笛吹きをはじめ、青年時代のいくつかの作品やゴーガン、カリエール、ドガ、モネ、マネ、セザンヌなどフランスの印象派画家たちの作品があった。
 フランスの近代絵画の手法と、ロシアのどこまでもリアリスティックな絵画の伝統とは決してとけ合うことない二つの流れとして、ソヴェト絵画の新しい門の前にとどまっているようだった。ちょうど日本から歌舞伎の来ていたころ、プロレタリア美術家団体からフランスへ留学させられていた三人の若い画家の帰朝展がモスク□で開かれた。パリにおける三年の月日は、ソヴェトから行った若い素朴な三人の才能を四分五裂させてしまっていた。三人の作品は、どれをみても、ソヴェト人にとって、外国絵画のまねなどをしようとしてもはじまらないことだという事実を証拠だてているようだった。画面全体が不確なモティーヴと模倣のために混乱した手法の下におしひしがれ、本人たちが、何をどう描いていいのか、次第にこんぐらがって行った心理の過程がうかがえた。パリへ行ったばかりのときの作品は主として風景で、三人ともロシア人らしい目でありのままに対象を見、しかもにわかに身のまわりに溢れる色彩のゆたかさと雰囲気にはげまされて、面白く親愛な調子を示していた。それが一年目の末、二年と三年めとごたつきかたがひどくなって来て、最後の帰朝記念の作品では、三人が三人ながら、いたずらに何かをつかもうとする苦しい焦燥をあらわしていて、しかもそれができずに途方にくれているのだった。
 このパリ留学失敗展は伸子にいろいろ考えさせた。ソヴェトの新しい芸術はパリへ三年留学するというようなことでは創れない本質をもつものだ。この事実を、ルナチャルスキーとソヴェト画家たちが知ったことにはねうちがあった。学ばれること。模倣されること。ソヴェト独特の絵や文学がそのどっちでもなかったということは、伸子にとって身につまされる実感だった。この発見のなかには、伸子にむかって、それならお前のものはどこに? とひびく声がひそんでいた。ソヴェトの芸術はソヴェト生活そのものの中から。自分としては今のところ、益々ソヴェト生活そのものの中へ、という執拗な欲求の形でしか伸子の答えはないのだった。
 そういうわけで、この冬、伸子はもっぱらトレチャコフスキーやモローゾフスキーを見るにしても――
「どうして、そのノヴォデビーチェ、ことわっちゃいけないの?」
 それは自然な伸子としての疑問だった。
「そんなこと今更できやしないよ。だって、あの連中」
と素子はクワルティーラの番号だけはっきり覚えていて、名を忘れた化学航空組合員夫婦のことを云った。
「わたしがはじめての借りてなんだもの。そのためにデスクとディヴァンを買って入れたんだし、こっちだってそれに対して前払いしたんだから、解約なんてばかばかしいことはできないよ」
 解約すれば一ヵ月の前金は先方にわたすことになっているのだった。
 アストージェンカからノヴォデビーチェ行きの電車にのりながら、伸子は、そういう素子らしい考えかたを滑稽なように、また、いやなように感じた。自分が淋しくていにくいところへ、もっと淋しがりの伸子をやる。前金を無駄するのがばからしいという気持から――。しかし、伸子が行って見る気になったのにはどっちみちどこかへ室がいるのだからという実際の判断とともに、その淋しさというものへの彼女自身のこわいものみたさもあるのだった。
 グーセフというノヴォデビーチェの夫婦には四つばかりの男の子があった。朝、八時すぎに夫婦がそろって出勤してゆく。暫くして、田舎出の女中が、男の子を新開町の中にある托児所へつれて行ってもどって来る。それから伸子が食堂で朝の茶をのみ、午後四時に、また一人で食堂の電燈の下で正餐をたべた。九時に、又同じようにして夜の茶をのむ。毎晩きまってそのあとへ、夫婦がつれだって、ときには集会の討論のつづきの高声でしゃべりながら、帰って来た。グーセフの家では夫婦とも勤めさきで正餐をたべた。
 保健婦であるグーセフの細君は、ルイバコフの細君のように、自分の髪にマルセル・ウェーヴをかけて、女中のニューラに絶えず用をあてがうような趣味をもっていなかった。托児所へ送り迎えをしなければならない小さな子供がいるから女中もおいているという風なグーセフ夫婦は、ひる間女中の時間がすっかりあいているそのことから下宿人をおくことを考えついたらしかった。夫婦は下宿人に対してきわめて淡泊だった。したがって女中の料理の腕についても無関心だった。伸子がどんなに焦げたカツレツを毎日たべ、夜の茶にはどんなにわるい脂でかきまぜた魚とキャベジと人参のつめたい酸づけをたべているかということについても無頓着だった。
 二三日暮らすうちに、グーセフの家のそういう無頓着さは、ほんとにただ無頓着だというだけのもので、むしろ自然な状態なのだということが伸子に会得された。小型なディヴァンも、室の大きさにくらべて異様にちょこんとしたデスクも、グーセフ夫婦にすれば単純に素子と伸子の体の大きさを念頭においてそれらの家具を選んだというのにすぎないらしかった。事実、その極端に小さく見えるディヴァンに伸子がシーツと毛布とをひろげて寝てみれば、それはゆっくりしないまでもさしつかえなく寝床の役に立つのだった。
 グーセフ夫婦は足にあわせて靴の寸法でもはかるように、自分たちからみればずっと小柄な新しい下宿人の寸法に合わせて、清潔な新しい二つの家具を買い入れた。その小型なディヴァンと小型なデスクとが、がらんとしたひろい室にどんな効果をもたらすかということについて夫婦は考えなかった。そこに伸子にとっての苦しいはめがあった。

 むきだしの二つの窓のそとには、十二月下旬の雪が降りしきるノヴォデビーチェのはてしない夜がある。がらんとした室の中に一点きれいな緑色をきらめかせている灯の下で、伸子はデスクに向っていた。せめてデスクにおくスタンドのかさでも気に入ったのにしておちつこうと、伸子はそのシェードをきょうモスク□の繁栄街であるクズネツキー橋の店から買って来たのだった。伸子は例によって水色不二絹のスモックを着て、絹のうち紐を胸の前にさげている。伸子はこの室へ移って来てから毎日数時間デスクに向ってかけて、そのセメントのにおいとがらんとした室の雰囲気に自分をなじませようと練習しているのだった。
 いまも外では雪の降っている夜の窓に向って、デスクにかけている伸子には、目の前の窓ガラスにうつる緑の灯かげと、その灯かげにてらされて映っている自分の水色のスモックの一部分ばかりが気になった。デスクの上に本と手帳とがひらかれていた。が、それには手がつかない。麻痺するような淋しさだった。なぜこうここは寂しいんだろう。あんまりセメントくさいからだろうか。伸子はしびれるような単調な淋しさにかこまれながらあやしんだ。部屋がガランとしているということが、こんなはげしい淋しさの原因となるものなのだろうか。しかしグーセフ夫婦はあっさりしたいい人間なのだ。伸子は自分をぐっとおちつけようとつとめるのだったが、ちょうど水をたたえた円筒の中でフラフラ底から浮上って来るおもちゃの人形のように、いつの間にか伸子の体も心も、深い寂寥の底から浮きあがって一心に寂しさを思いつめているのだった。淋しさははげしくて、ぬけ道がないのに、奇妙なことにはその淋しさにちっとも悲しさや涙ぐましさがともなっていなかった。伸子を淋しくしているそのがらんとした部屋がそうであるとおり淋しさは隅々まで乾いていて、コンクリートの乾燥してゆくにおいに滲透されているのだった。乾ききって涙ぐみもしない淋しさ。それは伸子にとって勝手のしれない淋しさだった。二つの黒目が淋しさでこりかたまったような視線を窓ガラスに釘づけにしている伸子の髪が、その晩は風変りだった。スタンドのかさを買う道で、伸子はクズネツキー橋の行きつけの理髪店によった。そこは男の理髪師ばかりでやっていて、評判がいいだけにいつもこんでいた。伸子の番がきたとき、年とって肥った理髪師は、ただ刈りあげて、という伸子の註文を、
「毎度こうなんでしょう? あんまり簡単すぎますよ」
と云いながら、白い布でくるまれた伸子の背後で鋏を鳴らした。
「御婦人の髪の毛は、羊の毛とちがいましてね、バーリシュニャー(お嬢さん)ただ刈りさえすればいいってわけのもんじゃありません――まあためしにやらせてごらんなさい」
 肥った理髪師は、体で調子をとりながら次から次へと鏝をとりかえて、伸子の髪にあてて行った。鏡の上に動いている理髪師の白くて丸っこい手もとを見ていても、自分の髪がどんな風にできあがってゆくのか、伸子には見当がつかなかった。
「わたしは、あんまり手のこまない方がいいのよ」
「ハラショー、ハラショー。こわがりなさるな」
 やがて、
「さあすみました! いかがです?」
 闘牛のマンティラでもさばくような派手な手ぶりで、伸子の上半身をすっぽりくるんでいた白い布をとりのけると、肥った理髪師は、ちょっと腰をかがめて、伸子の顔の見えている同じ高さから鏡の中をのぞいた。そして、
「トレ・ビアン!」
 フランス語で自分の腕をほめた。
 鏡の中の伸子は、頭じゅうに泡だつような黒い艷々したカールをのせられているのだった。それは似合わないこともないが、似合いかたに全く性格がなかった。女が、その年ごろや顔だちでただ似合うという平凡な似合いかたにすぎなかった。伸子は、鏡の前へ立ったまま、手をやって、ふくらんでいる捲毛の波をおさえつけるようにした。
「いけません、いけません。そのままで完全です」
 伸子はそんな髪を自分として突飛だと思った。だけれども、女は髪で気がかわると云われるから、もしかしたら淋しさを追っぱらう何かの役に立つかしらと思った。髪は祭のようだったが、伸子が雪の降る夜のガラス窓を見ている眼は黒い二つのボタンのようにゆうべと同じ淋しさで光っている。
 その晩はめずらしく早めに帰って来ていたグーセフの細君が、ノックして伸子の室へ入って来た。
「邪魔してごめんなさい。外套を出さして下さいね」
 一つしかない衣裳箪笥は、伸子のかりている室におかれていた。伸子とおもやいに使う、という約束だったが、伸子は自分のスーツ・ケースをディヴァンの横へ立て、外套は釘にかけていた。いかにも一時的なそういうくらしかたそのものが、なお伸子をそこになじませないのだということを伸子は心づいていなかった。
「あした、わたしどもお客に招かれているんです」
 白木綿のブラウスに黒いスカートのグーセフの細君は、たのしみそうに云って、衣裳箪笥をあけた。そして、その中に彼女のもちものとして一枚かかっていた大きな毛皮外套をとり出した。グーセフの細君は、ハンガーごとその毛皮外套を片手でつり上げ、すこし自分からはなして眺めながら、
「ニェ・プローホ(悪くない)」
と云った。
「わたしに似合いますか?」
 顎の下へその毛皮外套を当てがって伸子の方を向いた。伸子はノックがきこえたとき、ものが手につかず淋しがっている自分をその室の中に見出されるのがせつなくて、さも何かしかけていたようにデスクのまわりに立っていたのだった。伸子は、
「着てみせて」
といった。
「よく似合います」
「よかったこと」
 細君は伸子がひそかに気にしたようには、伸子の髪の変化に注意をはらわず毛皮外套を着ている腕をのばし、厚く折りかえしになっているカフスのところを手で撫でながら、
「モストルグには、もっとずっと上等の毛皮外套が出ていたんです。でも、そういうのはひどくたかいんです」
と云った。
「わたしたちは、当分これで間に合わせることにきめたんです」
「結構だわ。いい外套ですよ」
 グーセフたちは今年の冬は組合住宅へ住むようになった。そして、木綿綾織の裏がついた綿入外套でない毛皮外套を初めて着て夫婦でお客に招かれてゆけるようになった。グーセフの細君の生活のよろこびは、ノヴォデビーチェの新開町そのものに溢れている新生活のよろこびだった。ルイバコフの細君は決して身につけていない飾りけなさで、また遠慮ぶかいルケアーノフの細君にはできないあけっぱなしの単純さで、保健婦グーセフは何と気もちよく彼女たちの生活の向上を伸子にまでつたえるだろう。一面から云えば、この部屋がたえがたくがらんとしているのだって、ソヴェトにおける急速な勤労者生活の向上の結果なのだと思うのだった。
 毛皮外套をかかえてグーセフの細君が出て行ってしまうと、伸子はふたたび、緑色の灯かげが動かないと同じように動かない淋しさにとりまかれた。グーセフの細君には、彼女の下宿人がこんなに、たっぷり空気のある部屋にいて、どうしてそんなに淋しがる必要があるのか、しかも淋しがっていることをどうしてだまってこらえていなければならないのか、それらのことは全然想像もされていないのだった。そして、伸子自身にも、その暖く乾いた淋しさにそれほど苦しみながら、なぜ一日一日を耐えて見ようとして暮しているのか、わかってはいなかった。伸子は、素子が、一ヵ月前払いしているということに呪文をかけられていた。その期限が来るまでは、としらずしらず身動きを失っていて、しかもその状態を自分で心づいていないのだった。

        九

 その年の十二月三十一日の晩、伸子と素子とは大使館の年越しに招かれた。漁業関係の民間の人々などもよばれていて、伸子ははじめてその夜の客たちにまじって麻雀をした。伸子のわきに椅子をもって来てルールや手を教えてくれる財務官の指導で、伸子はゲームに優勝した。
「これだから、素人はこわいというのさ」
 いつもきまった顔ぶれで麻雀をしているらしい大使館の人たちが、勝ったことにびっくりしている伸子をからかって笑った。
「佐々さん、白ばっくれるなんて罪なことだけはしないで下さいね」
「わたし、ほんとに今夜はじめてなのに――。ねえ」
 伸子が上気した顔をふりむけて念をおすのを、素子はわざと、
「わたしはそんなこと知らないよ」
とはぐらかしてタバコをふかした。その夜中に、伸子たちは珍しい日本風の握り鮨(ずし)をたべた。
 一九二九年の元旦、朝の儀式が終ってからまた暫く大使館で遊んで、伸子が素子といっしょにルケアーノフの部屋へかえったのは午後五時ごろだった。
 ひとやすみして、伸子はノヴォデビーチェの自分の部屋へかえろうとしているうちに、胃のあたりがさしこむように痛んで来た。
「あんまり珍しいお鮨をたべたり、麻雀で勝ったりしたバチかしら……」
 冗談のように云いながら、伸子は素子のベッドにあがって、壁へもたれ指さきに力を入れて痛い胃の辺をおした。
「冷えたんだろう」
 素子が、湯タンポをこしらえて来た。
「足をひやしていたんじゃなおりっこない。暫く横になっていた方がいいよ」
 着たまま毛布の下へ入り、湯たんぽを足の先、胃のうしろと、かわりばんこに動かして伸子は体を暖めようとした。
「どこも寒くないのに……」
 痛みはつのって、夜になると、痛いのは胃なのか、それとも体じゅうなのかわからないほどひろがり、激烈になった。伸子は、痛みにたえかねて首をふりながら絶え絶えの泣き声で、
「ねていられない」
とベッドの上におきあがった。腹の中がよじられるように痛み、それにつれて背中じゅうが板のようにこわばった。起きていても苦しく、ねていることもできなかった。伸子はうめきながら素子の手をつかまえて、それを脇腹だの苦痛でゆがんだ顔などにあてながらベッドの上で前へかがみ、うしろにそりした。

        十

 明るすぎる電燈の光が顔の真上からさしている。伸子は、やっときこえる声で、
「まぶしくて」
とつぶやいた。伸子の瞼の上にたたんだハンカチーフのようなものがのせられた。伸子にだけくらやみが与えられた。そのくらやみにもぐっているような伸子の耳のつい近くで絶え間なく話し声がしている。話しているのは女と男とだった。彼等はロシア語でない言葉で話している。ゴットとかゼンとかミットとか。ドイツ語なんだろうか。女は入れ歯をしている。ああいうシュッ、シュッという音は入れ歯をした人間だけが出す音だ。いつまでしゃべるんだろう。もうさっきから無限にずいぶんながくしゃべっている。しゃべりつづけているようだ。伸子は、話し声をうるさく感じながら、同時に胴全体をくるまれたあつい湿布はたしかにいい心持だと思った。しきりに口が乾いた。伸子がそれを訴えるたびに、ふくろをむいて、お獅子にしたミカンが伸子の唇にあてがわれた。ミカンの汁を吸わすのは素子だ。見ないだってそれはわかっている。ミカン――マンダリーン。マンダリーンチク。プーシュキンは、どうしてあんなにたくさん果物の名を並べたんだろう。アナナースとマンダリーン。それを、素子が韻をひろって、雑巾のこまかい縫めのように帳面のケイをさして行く。おかしなの。詩を韻だけで書くなんて――愚劣だ。
 やがて伸子にだけ与えられている暗やみの中で、素子が、ミカンここへおいとくからね、と云った。またあした午後来て見るからね、と云った。そして素子はいなくなった。男の声と女の声との、ごろた石の間をゆくような発音の会話はまだつづいている。

 目をあいて、伸子は自分のおかれている病室の早い朝の光景を見た。同時にはげしい脇腹の痛みを感じた。ベッドのわきの小テーブルの上にあるベルを鳴らして便器をもらった。雑仕婦が用のすんだ便器をもって病室を出てゆくと、隣りのベッドの上に起きあがっていた中年の女が、
「こういうところで、ものをたのむときにはブッチェ・ドーブルイ(すみませんが)といった方がいいんですよ」
と教えた。
「あのひとたちはみんな忙しいんですからね」
「ありがとう」
 ブッチェ・ドーブルイと云うとき、女の声は入れ歯の声だった。伸子はゆうべのまぶしさとうるささとがこんがらかっていた気持を夢のような感じで思いだした。
 素子が午後になって来た。
 伸子の運びこまれたのはモスク□大学の附属病院だった。面会時間が午後の二時から四時までだった。伸子の胆嚢と肝臓とが急性の炎症をおこしているのだそうだった。
「胆嚢って、ロシア語で何ていうの」
「ジョールチヌイ・プズィリだよ」
「ふーん。ジョールチヌイ・プズィリ?」
「たって来る前、ぶこ、胃痙攣(けいれん)みたいだったことがあったろう、あのときから少々あやしかったらしいね」
「どうして、炎症をおこしたの?」
「わからないとさ、まだ」
 全身こわばって身うごきの出来ない伸子は[#「伸子は」は底本では「伸は子」]、二つの重ねた白い枕の上に断髪の頭をおいたまま、苦痛のある患者につきものの鈍い冷淡なような眼つきで、フロムゴリド教授をじろじろ観察した。フロムゴリド教授は、何てごしごし洗った、うす赤い手をしているんだろう。その手を、白い診察衣の膝に四角四面において、鼻眼鏡をかけて、シングルの高いカラーに黒ネクタイをつけ、ぴんからきりまでドイツ風だ。フロムゴリド教授は、その上に鼻眼鏡ののっている高い鼻をもち、卵形にぬけ上った額を少し傾けて、
「まだ痛みますか?」
と、伸子の手をとり、脈をかぞえた。その声は権威のある鼻声だった。
「ひどく痛みます」
「お正月に酒をのみましたか?」
「いいえ、一滴も」
「家族の誰か、癌をわずらっていますか」
「いいえ、誰も」
「ハラショー」
 フロムゴリド教授は椅子から立ち上って、伸子に、
「じきましになりますよ」
と云い、わきに立っていた助手のボリスにダワイ何とかとロシア語にドイツ語をまぜて指図した。
 伸子は、一日に二度湿布をとりかえられ、湯たんぽを二つあてて仰向きにベッドに横たわっている。となりのベッドにいる女は糖尿病患者だった。肉の小さいかたまりが食事に運ばれて来たとき、その女は、ベッドに半分起き上って、皿の上のその肉をフォークでつついてころがしながら、
「肉のこんな切れっぱじ!――どこから滋養をとるんだろう」
 憎々しげに云った。それはやっぱり入れ歯をしている声だった。アトクーダ・ウジャーチ・シールィ?(どこから力をとるんだろう)ウジャーチという言葉には奪うという意味がある。どこから力を奪う――生きるために。――そこには憎悪がある。
 伸子は、ボリスと二人の看護婦におさえつけられて、ゴム管をのみこまされた。そのゴム管のさきに、穴のある大豆ぐらいの金の玉がついていた。伸子の口から垂れた細いゴム管の先は、ベッドの横の床におかれたジョッキのようなガラスのメートル・グラスの中に垂れている。そのゴム管はゾンデとよばれた。三時間、ゴム管を口からたらしていても、床の上におかれたジョッキには一滴の胆汁もしたたりおちなかった。
 伸子ののむ粉薬は白くてベラ・ドンナという名だった。紙袋の上に紫インクでそうかいてある。ベラ・ドンナ。それは美人ということだった。

 四五日たつうちに、伸子の体じゅうの痛みがおちついて来た。まず背中がらくになった。それから、鈍痛が右の脇腹だけに範囲をちぢめた。仰向いたまま少し身動きができるようになった。少くとも腕と首だけは苦しさなしにうごかせるようになってきた。そして、伸子に普通の声がもどり、生活に一日の脈絡がよみがえりはじめた。
 モスク□大学附属のその内科病室は、厳冬(マローズ)の郊外の雪のなかに建っていて、風のない冬の雪明りが、病室にも廊下にも、やがて伸子が治療のためゆっくり熱い湯につかっているようになった浴室のなかにも溢れていた。壁の白さ、敷布の白さ、着ている病衣の白さは、透明な雪明りのうちに物質の重さを感じさせ、そこに生活の実感があった。自分で計画したり、判断したり行動したりする必要がなくなって、人々の動くのを眺め、人々に何かしてもらい、生活をこれまでとまったく別の角度から眺めるのは何とものめずらしいだろう。
 はげしい苦痛が去るとともに、伸子が臥ていながらときどき雪明りそのもののようにすきとおったよろこびを体の中に感じるようになった。鈍く重く痛い右脇腹は別として。――胆嚢や肝臓の炎症が病名であり、伸子はその一撃でねこんだのだけれども、生活の微妙なリズムは、病気そのもののためよりもむしろ伸子の生の転調のために、そういう病気を必要としたかのようだった。モスク□へ来てから、とりわけ去年の夏保が自殺してからというもの、伸子の生存感はつよく緊張しつづけていた。ノヴォデビーチェのあのコンクリートの乾いてゆくにおいのきつい、淋しい室で、伸子がこりかたまったようにその淋しさとむかいあって暮した一週間。伸子にめずらしいあの方策なしの状態に、もう彼女の病気のきざしがあったかもしれず、もしかしたら、あの建物の生がわきのコンクリートが暖められるにつれて発散させていたガスが、伸子の肝臓に有害だったのかもしれなかった。しかし、伸子には病気の原因や理由をやかましく詮索するような感情がなかった。伸子は内臓におこった炎症の一撃でたおれた自分の状態をおとなしく、すらりとうけとった。
 ゾンデをのまなければならないとき、伸子は両眼から涙をこぼし仔猫のようにはきかけた。マグネシュームをのみ、ひどい下剤を与えられるとき、伸子は猛烈な騒々しさといそがしさのあげくにぐったりした。黒いレザーをはった台の上に横たえられ、皮膚の白いすべすべした伸子の胴がはだかにされることがある。その右脇腹へフランネルの布の上から錫(すず)板があてがわれ、電気のコードが接続された。物療科の医師の白上っぱりが配電板のうしろへまわると、きまって、伸子が仰向いたまま配電板の方へこわそうに横目をつかってたのんだ。
「パジャーリスタ・チューチ・チューチ。ハラショー?(どうか、少しずつ。いいですか)」
 そのほかのとき、伸子は明るく透明な雪明りに澄んだような気分ですごした。右の脇腹の中に黒くて柔くて重たいものがあって寝台から動けない、そのためになおさら心は安定をもって、ひろびろとただよい雪明りとともにあるようだった。伸子は、非常にゆっくり恢復の方へ向って行った。病気の原因はわからないまま。そして、規則正しくて単調な朝と夜との反復の間に、いつか伸子の心から、保が死んで以来の緊張がゆるめられて行った。その全過程について伸子が心づかないでいるうちに。保が死んだとき、八月のゼラニウムが濃い桃色の花を咲かせているパンシオン・ソモロフの窓ぎわで、懇篤なヴェルデル博士が、蒼ざめている伸子の手をとって、あなたはまだ若い、生きぬけられます(モージュノ・ペレジワーチ)と云った。いまこそ、伸子は生きぬけつつあった、突然な病気という変則な大休止の時期をとおして。

 モスク□大学の病院には一等二等三等という区別がなかった。伸子のいるのは、内科の婦人ばかりの病棟で廊下のつきあたりに三十ばかりベッドの並んだ広い病室が二つあり、その手前に、四つばかりの小病室が並んでいた。小病室には二つずつ寝台があって、病気の重いものがそこへ入れられた。けれども、小病室があいていて一人を希望すれば、伸子がそうしているように、室代を倍払うだけで一人部屋にもなった。糖尿病の患者の女が退院すると、その女のいたベッドは伸子のとなりからもち去られ、大きい長椅子がもちこまれた。
 素子が、その長椅子に脚をまげてのっていた。面会時間で、伸子がねているベッドの裾の方のあけはなしたドアのそとの廊下を、毛糸のショールを頭からかぶった年よりの女が籠を下げ、子供をつれて大病室の方へゆくのなどが見られた。モスク□では病院でも産院でも、原則として外から患者へ食べものをもちこむことは禁じられていた。
「考えてもごらんなさい。肉やジャム入りの揚饅頭が、胃の潰瘍にどんな作用をするか。しかも多勢の中にはそれさえたべたら病気がなおるとかたく信じている患者がいるんです」
 助手のボリスはそう云って笑った。素子は、伸子の正餐のためにルケアーノフのところから鶏のスープと鶏のひき肉の料理とキセリ(果汁で味をつけた薄いジェリーのようなもの)を運ばせる許可を得た。それは、アルミニュームの重ね鍋に入れられ、ナプキンで包まれて、毎日きちんと四時半に、届けられた。
「ぶこちゃんが病気したおかげで、わたしもルケアーノフで正餐がたべられるようになったよ」
 伸子のためにもって来たミカンを自分もたべようとしてむきながら、素子はわざと意地わるに云った。
「おかげで、スープをとったかすの鶏のカツレツばっかりたべさせられてる」
 伸子は、枕の上にひろげて頭にかぶっている白い毛糸レースのショールの中で笑った。
「大丈夫よ。わたしはまだ濃いスープはだめなんだから、かすになりきっちゃいないわよ」
 その年の冬は厳冬の季節がきびしくて、モスク□で零下二五度という日があった。電車もとまった。伸子の病室の雪明りはその明るさに青味がかったかげをそえた。頭の上の二重窓の内側のガラスの隅にかけたところがあって、その小さい破れからきびしい冷気が頭痛をおこすほどしみて来た。その日伸子は湯あがりにつかう大きなタオルを頭からかぶって暮した。翌日素子にもって来てもらってそれから、ずっと伸子がかぶってねている白い羊毛レースのショールは、ヴォルガ沿岸のヴィヤトカ村の名物だった。去年の秋伸子と素子が遊覧船でヴォルガ河をスターリングラードまで下ったとき、ヴィヤトカの船つき場をちょっと登ったいら草原のようなところで、三四人の婆さんがショールを売っていた。雨が降ったらひどくぬかるみそうな赭土が晴れた秋空の下ででこぼこにかたまっていて、船つき場から村へ通じる棧道がヴォルガの高い石崖に沿ってのぼっていた。船から見物にあがって来た群集がショール売りの婆さんのまわりに群れていた。そのひとかたまりの群集も、口々にがやがや云っている彼等のまとまりのない人声も、みんなひろいヴォルガの水の面と高い九月の空に吸いこまれて、群集は小さく、声々はやかましいくせに河と空とに消されて静かだった。伸子が買ったヴィヤトカ・ショールはあんまり上等の品でなかったから、そうして枕の上でかぶっていても頬にさわるとチクついた。
 ノヴォデビーチェの部屋は解約した。伸子の容態に見とおしがついたから、東京の佐々の家へ大体の報告をかいてやったことなどを素子は話した。
「どうもありがとう。いまにわたしも書くわ」
「おいおいでいいさ。いずれぶこちゃん自身で書くがと云っておいたから。――ノヴォデビーチェじゃびっくりしていたよ、ぶこが入院したと云ったら。お大事にってさ」
「――あの犬の箱みたいなディヴァン、まだやっぱりあの壁のところにあった?」
「あったさ」
 素子は、ちょっと寂しい室内の光景を思い浮べる表情をした。
「――あすこは妙なところだったね」
 そこへ伸子一人をやったことをいくらか気の毒に思う目つきで早口に云った。そして、
「きょうは、すこし早めにひきあげるよ」
と、腕時計を見た。
「河井さんの奥さんとスケートに行く約束してあるから」
「そりゃいいわ。是非おやんなさいよ、奥さんはすべれるの?」
「四年めだっていうんだから、すこしゃすべれるんだろう」
 二人のスケート靴を買ったばかりで伸子は入院してしまったのだった。
「はじめ眼鏡はずして練習しないとだめよ、きっと。ころぶのをこわがってるといつまでもうまくなれないから。――どこでやるの?」
「どっか大使館の近くにあるんだとさ、専用のスケート場が……」
「――そんなところでないとこでやればいいのに……」
 伸子はいかにも不服げな声を出した。専用スケート場と云えば、リンクのまわりが板囲いか何かで、一般のモスク□人は入れないにちがいなかった。
「いっそモスク□河ででもやればいいのに」

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