道標
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著者名:宮本百合子 

 駒沢の家をたたんで、荷物を動坂へはこびこんだとき、伸子は本の入った一つの行李だけ別にして保に保管をたのんだ。その行李の中には、もしかしたらモスク□へおくってほしくなるかもしれないと思う本ばかりをひとまとめにしてあった。伸子がそのことをたのんだとき、保はなぜか、すぐああいい、と言わなかった。ちょっとの間だまっていた。それをけげんに感じた伸子が重ねて、ね、たのむわ、いいでしょう、と念をおしたとき保は、ともかくわかるようにしておく、と言った。
「僕がいなくてもちゃんとわかるようにしておくから姉さん安心していい」
 保のその言葉は、ひと息に云われて、何ということなく伸子の印象にのこった。今になって思いおこすと、保の心にはもうそのとき、自分がいつまでも生きているとは思えない計画が浮んでいたのだったろう。伸子が動坂の家へ荷物を運びこんだのは十月のはじめだった。二ヵ月前新聞に出た相川良之介の遺書は、保に長い計画的な死の準備を暗示しなかったとは、伸子に考えられなくなった。相川良之介の遺書には、三年来、死ぬことばかり考え、そのために研究して来た、とかかれていた。保は三月下旬に、第一回を試みて、失敗した。十月ごろからほぼ半年たっている。八月一日といえばその三月からまた半年ちかい時間があった。その間に、保は、大学へ入るときどの科を選ぼうかと伸子に手紙をよこし、六月にはあんなに元気そうに、今年の夏休みは大いに自転車ものりまわし愉快にやってみるつもりです、といってよこした。伸子は、自分がどんなに単純にそのハガキをよんで安心していたかということが今やっとわかるようだった。愉快にやってみるつもりです、という表現に気をつけてよめば、それは、きわめて陰翳にとんでいるわけだった。愉快にやってみるつもり、という言葉のかげには、愉快になれない現在を一飛躍して見よう、という努力の意味がこもっている。しかも、愉快にやってみるつもりだが、それがうまく行かなければ、と、保の内心には、執拗な死の観念と生への誘いのかね合いが感じられていたのだったろう。伸子は、そんなことすべてに気がつかなかった。気がつかなかったということから、伸子は保に対する自分の情のうすさを責められた。
 一月に、温室について保へ書いた伸子の手紙に対して多計代が怒り、伸子をののしった手紙をよこした。それぎり多計代と伸子との間に直接のたよりは絶えてしまっているのだったが、そのわけも、間に三月の保のことがあったとわかれば、おのずからまた別の角度で伸子に思いあたるふしもある。父の手紙によれば、三月の夜のガスのことは、家族のあらゆる人から完全に秘密にされていた。知っているのは保と父と母のみである、とかかれていた。多計代は、この秘密を伸子にたいして絶対に守ろうとしたにちがいなかった。多計代にとっては神聖この上ない保の秘密を、破壊的だと思われている伸子、物質的だと考える伸子には決してふれさせまいときめたのだろう。そのために一層手紙もかかなくなったと思える。
 伸子は、もっとつよくも想像した。多計代はもしかしたら、三月の夜保のしたことに、姉の伸子の冷酷な手紙が原因しているとさえ思っているかもしれなかった。保は、そんな風にはうけていなかった。雪のつもった大使館の外庭の菩提樹の下でよんだ保からのハガキを伸子はまざまざと思い浮べることができた。姉さんが遠い外国に生活しているのに、こんなに僕のことを考えていてくれたのに僕はびっくりした。そこには、保の柔かな心情が溢れていた。保が高校入学祝にこしらえて貰ったという温室の一つで、金がなくって困っている高校生の一年分の月謝が出たかもしれないと伸子が言ってやったことについて、保は率直に、僕はまるでそんな風には考えてみなかったといってよこした。僕はそれをたいへん恥しいことだと思う。その一句のよこには特別な線がひいてあった。あのハガキをよんだとき、伸子はそういう保の心をどんなに近く自分の胸に抱きしめただろう。かわゆい保。――新しい悲しさで茶のコップをとりあげた伸子の喉がつまった。
 そのとき、テーブルの向い側からエレーナ・ニコライエヴナが、さっきからの話のつづきで、変に上気した顔つきをしながら伸子に向って、
「あなたは小説をおかきになるんですってね。婦人の作家としてトルストイのこの問題をどうお考えです?」
と話しかけた。伸子はエレーナ・ニコライエヴナの人がらにも話ぶりにも、どちらにも好感がもてなかった。エレーナ・ニコライエヴナは食卓の礼儀とすれすれなところで、赧ら顔の頬から顎にかけて剃りあとの濃い、口元にしまりなくて羽ぶりのいい技師とトルストイをたねにいちゃついているだけのことだった。伸子は、ロシア語のよく話せないのを幸い、喉にこみあげている悲しみのかたまりをやっとのみこんで、
「リザ・フョードロヴナが、正確にお答えになったと思います」
と短く返事した。

 伸子が夜となく昼となく自分の悲しみをかみくだき、水気の多い歎きの底から次第に渋い永続的な苦しさをかみだしている間に、パンシオン・ソモロフの朝夕はエレーナ・ニコライエヴナが来てから変りはじめた奇妙な調子で進行していた。
 食卓でトルストイの家出の話が、何かひっかかる言葉の綾をひそめて話題になってから程ない或る午後のことだった。ヴェルデル博士、伸子、素子の三人で、二マイルばかりはなれた野原の中にたっている古い教会の壁画を見に行った。附近の村からはなれて、灌木のしげみにかこまれた小さい空地にある淋しい廃寺で、ビザンチン風のモザイクの壁画が有名だった。そこを出てぶらぶら来たら、思いがけず正面の茂みの間をエレーナ・ニコライエヴナと技師とがつれ立って歩いているのにぶつかった。双方ともにかわしようのない一本の道の上にヴェルデル博士と伸子たちとを見て、エレーナと技師は組んでいた互の腕をはなしたところらしかった。そのままの距離で二人は二三歩あるいて来ると、派手な水色で胸あきのひろい服をつけたエレーナ・ニコライエヴナがわざとらしくはしゃいだ調子で、
「まあ思いがけないですこと!」
と、明らかにヴェルデル博士だけを眼中において近づいて来た。
「お邪魔いたしましたわね」
 ヴェルデル博士は、黒いソフトのふちへちょっと手をふれて、技師へ目礼し、いつものおだやかで真面目な口調に苦笑しながら云った。
「誰が誰の邪魔をしたのか、私にはわかりかねますな」
 伸子たち三人はそのまま帰り道へ出てしまった。その間技師は少し顔をあからめたまま、ひとことも口をきかなかった。
「男の方があわてたのさ。エレーナなんか、どうせ出張さきのひと稼ぎの気でいやがるんだ」
 二人きりになると、素子は憤慨して云った。
「あんまり人を馬鹿にしているじゃないか、あんな感じのいいちゃんとした細君をわきへおいときながら、その鼻っさきで――甘助技師奴」
 夜のお茶にパンシオン・ソモロフの人々がみんなテーブルについたとき、素子がとなりのリザ・フョードロヴナに、誰でもする会話の調子で、
「きょう散歩なさいましたか」
ときいた。
「いいえ」
 暗色のロシア風な顔の上ですこし眉をあげるようにして、リザ・フョードロヴナは若くない女のふっくりした声で答えた。
「わたしは部屋に居ました――本をよんで」
「それは残念でしたこと。わたしたちは、あなたの旦那様とエレーナ・ニコライエヴナが散歩していらっしゃるのにお会いしましたよ、あの原っぱの古いお寺で。――」
 わきできいていて、伸子はきまりわるい心持がした。素子は、リザ・フョードロヴナに感じている好意から技師とエレーナに反撥してそんな風に話しはじめたにちがいないのだ。でも、それはおせっかいで、誰にいい感じを与えることでもなかった。伸子は、そっと素子をつついた。すると素子は、伸子のその合図を無視する証拠のように、こんどはエレーナ・ニコライエヴナに向ってテーブルごしに話しかけた。
「エレーナ・ニコライエヴナ、散歩はいかがでした? あなたが、古い壁画にそれほど興味をおもちなさるとは思いがけませんでしたよ」
 エレーナ・ニコライエヴナは素子がリザ・フョードロヴナに話しかけたときから、歴史教授のリジンスキーといやに熱中して、デーツコエ・セローでは有名なその寺の由緒について喋りはじめていた。自分に話しかけられると、彼女は軽蔑しきった視線をちらりと素子になげて、技師の細君に向って云った。
「ほんとにきょうは偶然御一緒に散歩できて愉快でしたわ。ねえリザ・フョードロヴナ、ぜひ近いうちに皆さんともう一度、あの寺を見に参りましょうよ、リジンスキー教授に説明して頂きながら……」
 素子は、そんなことがあってから益々エレーナと技師の行動にかんを立てた。ゆうべ、廊下で二人が接吻してるのを見かけた、ということもあった。伸子は苦しそうな顔つきになって、
「いいじゃないの。放っておおきなさいよ。おこるなら奥さんが怒ればいいんだもの」
と云った。
「エレーナはおもしろがっていてよ。あの日本女(ヤポンカ)、やっかんでいると思って――」
「チェッ! だれが!」
 素子は顔をよこに向けてタバコの煙をふっとはいた。
「あんまり細君をなめてるから癪にさわるんじゃないか」
 正義感から神経質になっている自分を理解していない。そう云って素子は伸子をにらんだ。
 耳にきこえ、目にも見える夏のパンシオンらしい些細な醜聞に、伸子は半分も心にとめていなかった。保が死んで日がたつにつれ、動坂の家というものが、いよいよ伸子にとって遠くのものになって行った。自分もそのなかで育ったという事実をこめて。保の死は、動坂の家がどんなに変質してい、また崩壊しつつあるかという現実を伸子につきつけて思いしらした。
 ひとりでじっとしていると、伸子の心にはくずれてゆく動坂の家の思いが執拗に湧いた。パンシオン・ソモロフのヴェランダの手摺に両方の腕をさしかわしてのせ、その上へ顎をのせ、伸子が目をやっているデーツコエ・セローの大公園の森はもうほとんど暗かった。黒い森の上に青エナメルでもかけたような光沢をもってくれのこった夕空が憂鬱に美しく輝いている。伸子の心の中に奇妙なあらそいがあった。心の中で、又しても動坂の家がそのなかへ佐々伸子の半生をこめて、あっちへ、あっちへと遠ざかって行っていた。動坂の家といっしょに伸子の体からはなれて漂い去っていく伸子は、佐々伸子からひきちぎられたうしろ半分であった。目鼻のついた顔ののこり半面は前を向いて、今いるここのところにしがみついて決してそこから離れまいとしている。動坂の家というものが遠くになればなるほど、伸子が自分の片身で固執している今この場所の感覚がつよまって、伸子はいつの間にか素子がわきに来たのにも気がつかなかった。エレーナの室からこそこそと技師が出て来たところを見たと素子は云っている。それがどうだというのだろう。自分がどうなっているからというのでなく、やがて自分がどうなるだろうからというためでなく、死んだ保につきやられて遠のくこれまでの家と自分の半生に対して、伸子は自分の顔が向っている今の、ここに、力のかぎりしがみついているのだった。いまは全く伸子の生のなかにうけいれられている保を心の底に抱きながら。
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   道標 第二部

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    第一章


        一

 その年の夏の終り近くなってから伸子と素子とはニージュニ・ノヴゴロドからスターリングラードまでヴォルガ河を下った。ドン・バスの炭坑を見学したり、アゾフ海に面したタガンローグの町でチェホフがそこで生れて育ったつましい家などを見物して、二人がモスク□へ帰って来たのは十月であった。
 モスク□には秋の雨が降りはじめていて、並木道の上に落ち散った黄色い葉を、日に幾度も時雨(しぐれ)がぬらしてすぎた。淋しく明るい真珠色の空が雨あがりの水たまりへ映っていて、濃い煤色の雨雲がちぎれ走って行くのもそのなかに見えた。雨を黄色さで明るくしている秋の樹木と柔らかな灰色のとりまぜは、せわしいモスク□の街の隅々に思いがけない余情をたたえさせた。
 旅行からかえった伸子たちは一時またパッサージ・ホテルに部屋をとって暮していた。日本から左団次が歌舞伎をつれてモスク□とレーニングラードへ来るという話が確定した。シーズンのはじめに日本の歌舞伎がロシアへ来て、二つの都で忠臣蔵と所作ごととを組合わせたプログラムで公演するという評判は、モスク□にいる日本人のすべてにとって一つのできごとであった。ヴ・オ・ク・スと日本大使館とがこの歌舞伎招待の直接の世話役であったから、伸子と素子とは何かの用事でどっちへ行っても、必ず一度はモスク□へ来る歌舞伎の話題にであった。浮世絵などをとおして、日本のカブキに異国情緒の興味を抱いているヴ・オ・ク・スの人々の単純な期待にくらべると、日本の人たちがモスク□へ来る歌舞伎について話すときは、深い期待といくらかの不安がつきまとった。歌舞伎が日本特有の演劇だとは云っても、モスク□へ来ている人たちのなかで、ほんとに歌舞伎についていくらかつっこんで知っているのはほんのわずかの男女であった。日本にいたときだって、歌舞伎などをたびたび見ることもなく暮していた人々が、うろ覚えの印象をたぐりながら、モスク□へ来るからには歌舞伎はどうしてもソヴェトの市民たちに感銘を与えるだけ美しくて立派でなくては困るような感情で噂するのだった。
 芝居ずきで、歌舞伎のこともわりあいよく知っている素子は、
「歌舞伎の花道のつかいかた一つだって、ソヴェトの連中は、無駄に観やしませんよ。舞台を観客のなかへのばす、ということについて、メイエルホリドにしろ随分工夫してはいますけれどね、歌舞伎の花道の大胆な単純さには、きっとびっくりするから」
 社会主義の国の雰囲気の中で古風な日本の歌舞伎を見るということに新しい刺戟を期待して、素子は熱心だった。
「ただ解説が問題だよ、よっぽど親切な解説がなけりゃ、組合の人たちなんかにわかりっこありゃしない」
 モスク□の主な劇場は、シーズンをとおして一定数の入場券をいろいろな労働組合へ無料でわりあてるのだった。
 歌舞伎が来れば、どうせまたレーニングラードへも行くのだからと、旅のつづきのようにホテル住居している気分のなかで、伸子は言葉すくなに人々の話をきき、話している人々の顔を眺めた。
 八月のはじめデーツコエ・セローのパンシオン・ソモロフで、保が死んだ知らせをうけとってから、伸子はすこし変った。いくらか女らしい軽薄さも加っている生れつきの明るさ。疑りっぽくなさ。美味いものを食べることもすきだし知識欲もさかんだという気質のままにソヴェトの九ヵ月を生活して来ていた伸子は、自分が新しいものにふれて生きている感覚で楽天的になっていた。どこかでひどくちがったものだった。ソヴェトの社会の動きの真面目さから自分の空虚さがぴしりと思いしらされる時でも、その痛さはそんなに容赦ない痛さを自分に感じさせるという点でやっぱり爽快であった。
 保が死に、その打撃から一応快復したとき、伸子と伸子がそこに暮しているソヴェトとの関係は伸子の感じでこれまでとちがったものになっていた。保は死んでしまった。伸子はこれまでのきずなの一切からはたき出されたと自分で感じた。はたきだされた伸子は、小さい堅いくさびがとび出した勢で壁につきささりでもするようにいや応ない力で自分という存在をソヴェト社会へうちつけられ、そこにつきささったと感じるのだった。
 こんな伸子の生活感情の変化はそとめにはどこにもわからなかったが外界に対して伸子を内気にした。ソヴェト社会につきささった自分という感じは、しきりにモスク□へ来る歌舞伎の噂でもちきっている人々の感情とは、どこかでひどくちがったものだった。伸子はそのちがいを自分一人のものとしてつよく感じた。保の死んだ知らせが来たとき、伸子は失神しかけながらしつこく、よくて? わたしは帰ったりしないことよ、よくて? とくりかえした。ソヴェト社会につきささった自分という感じは、この、よくて? 帰ったりはしないことよ、と云った瞬間の伸子の心に通じるものであった。同時に、パンシオン・ソモロフの古びた露台の手摺へふさって、すべての過去が自分の体ぐるみ、うしろへうしろへと遠のいてゆくようなせつな、絶壁にとりついてのこっている顔の前面だけは、どんなことがあってもしがみついているその場所からはがれないと感じた、あの異様な夏の夕暮の実感に通じるものでもあった。
 伸子は素子と自分との間に生れた新しいこころもちの距離を発見した。保の死から伸子のうけた衝撃の大きいのを見て、ヴォルガ下りの遊覧やドン・バスの炭坑でシキへ入るような見学を計画したのは素子であった。それはみんな伸子を生活の興味へひき戻そうとする素子の心づかいだった。そうして生活へ戻ったとき、伸子はソヴェト社会と自分との関係が、心の中でこれまでとちがったものになったのを自覚した。素子は、もとのままの位置づけでのこった。この間までの伸子がそうであったように、素子は自分をソヴェト社会の時々刻々の生活に絡めあわせながらも、一定の距離をおいていて、必要な場合にはどちらも傷つかずにはなれられる関係のままにのこっていた。
 自分と素子とのこのちがいは切実に伸子にわかった。そして、伸子はその変化を議論の余地ない事実として素直にうけいれた。弟の保に死なれたのは素子ではなくて伸子であった。その衝撃が深く大きくて、そのためにこれまでの自分の半生がぽっきり折り落されたと感じているのは、伸子であって素子ではなかった。その結果伸子は、ソヴェト社会につきささった自分という不器用で動きのとれないような感じにとらわれ、そのことにむしろきょうの心の手がかりを見出している。その伸子でない素子が、生活を数年このかた継続して来たままのものとして感じており、モスク□の生活で蓄積されてゆく知識や見聞をそれなりに意識していることは自然であり、当然でもあった。伸子と素子とはこういう状態で、外国にいる日本人にとってお祭りさわぎめいた出来ごとであったモスク□へ来た歌舞伎の賑(にぎ)わいにはいって行った。
 モスク□に駐在する日本の外交官たちの生活が、どんな風に営まれているものか伸子たちの立場では全然うかがいしられなかった。いずれにしろ、いわゆる華やかなものでもなければ、闊達自在な動きにみたされたものでもないことは、大使館の夫人たちの雰囲気でもわかった。歌舞伎が来たことは、モスク□にいる日本人全体に活気をあたえ、日本の外交官もいまはソヴェトの人々に示すべき何ものかをもち、ともに語るべきものをもったというよろこばしげな風だった。
 歌舞伎についていろいろな人がモスク□からレーニングラードへゆき、またレーニングラードからモスク□へ来た。前後してドイツにいた映画や演劇関係の人たちも数人やって来た。
 伸子は、たのまれて映画と演劇という雑誌に鷺娘の解説の文章をかいた。日本語で書いたものをロシア語に翻訳してのせるということだった。どうせ考証ぬきの素人がかくことだからせめて文章そのものから白と黒との幻想に描きだされる鷺娘のファンタジーを読者につたえようと努力した。日本の古典的な舞踊の伝統の中に、さらさらとふりかかる雪と傘とがどんなに詩趣を添える手法として愛されているかということなどもかいた。
「どうせわたしにわかる範囲なんだから単純なことなんですけれどね、一生懸命に書いているうちに、段々妙なきもちになって、こまっちゃった」
 そう話している伸子とテーブルをはさんでかけているのはドイツから来ている映画監督の中館公一郎と歌舞伎の一座の中で若手の俳優である長原吉之助、素子、そのほか二三人の人たちだった。場所はボリシャーヤ・モスコウスカヤ・ホテルの部屋だった。中館公一郎があしたソヴ・キノの第一製作所へエイゼンシュタインの仕事ぶりを見学にゆく、伸子たちも一緒にということで、伸子たちはその誘いをよろこんでうち合わせに寄ったのだった。
 歌舞伎の俳優たちは左団次を中心に、短い外国滞在の日程を集団的に動いていて、個人的な自由の時間がなかなか見つからないらしかった。その忙しいすきに何かの用で中館のところへ話しに来ていた長原吉之助は、遠慮がちにカフスのかげで腕時計を見ながら、
「いま、佐々さんの云われた妙なきもちっていうの、全く別のことなのかもしれないんですが、わたしはここの舞台の上でちょくちょく感じることがあるんです」
 歌舞伎の俳優としては例外なようにざっくばらんな熱っぽい口調で吉之助が云った。
「それ、どんな気持?」
 どこまでもくい下ってゆく柔らかな粘着力とつよい神経を感じさせる中館が、それが癖のどこか女っぽい言葉で吉之助にきいた。
「言葉の通じない見物を前へおいての舞台って、そりゃたしかに妙だろうな」
「その点は案外平気なんです。せりふがわからないからかえってたすかるみたいなところがあるんです。こっちは、土台、せりふがわからない見物を芸でひっぱって行く覚悟でやっているんですから」
「それは見ていてわかりますよ」
と素子が、永年芝居を見ているものらしく同感した。
「左団次だって、よっぽどまじめに力を入れてやってますよ。その意味じゃ、ちょいと日本で見られないぐらいの面白さがある」
「文字どおり水をうったようだねえ、ソヴェトの人に面白いんだろうか。こっちの見物には女形(おやま)なんてずいぶんグロテスクにうつるわけなんだろうのに、反撥がないんだね。そこへ行くと映画にはお目こぼしというところがなくってね」
「そうでしょう? お目こぼしのないのが芸術の本来だって気がするんです。ふっと妙なこころもちがするっていうのもそこなんです。舞台でいっぱいに演(や)ってますね、そんなとき、ふいと、こんなに一生懸命にやっている芸にどこまで価値があるんだって気がするんです」
 吉之助は、青年らしい語気に我からはにかむように、薄く顔をあからめた。
「たしかに歌舞伎は日本独特の演劇にはちがいないんですけれどね――忠臣蔵にしろ、自分でやりながらこの感情がきょうの私たちの感情じゃないって気がつよくするんです」
「そうだわ、わたしが鷺娘の幽艷さを説明しようとして、妙な気もちがしたのもそういうとこだわ」
 伸子が賛成した。
「どんなに力こぶを入れて見たって、鷺娘には昔の日本のシムボリズムとファンタジーがあるきりなんですもの……しかもああいう踊りの幻想は、古風なつらあかりの灯の下でだけ生きていたんだわ」
「――桑原、桑原」
 中館公一郎がふざけて濃い眉をつりあげながら首をちぢめた。
「吉ちゃんの云っているようなことが御大(おんたい)にきこえたら、とんだおしかりもんだろう」
 だまって笑っている吉之助に向って素子が、
「あんたがた、モスク□へ来る前に一場の訓辞をうけたって、ほんとですか」
ときいた。
「左団次が一同をあつめて、ロシアへは芝居をしに行くんだっていうことを忘れるな、赤くなることは禁物だって云ったって――」
 吉之助はあっさり、
「そんなこと云わせるものもあるんですね」
と答えた。
「こんどこっちへ来るについてだって、それだけの人間をひっこぬかれるんならいくらいくらよこせって、会社側じゃ大分ごてたんだっていうじゃありませんか」
 素子の話に答えずしばらく黙っていた吉之助は、
「歌舞伎も何とかならなくちゃならない時代になってます。ともかく生きてる人間がきょうの飯をくってやっていることなんですから」
 やがて時間がなくなって、長原吉之助はさきに席を立った。
 柄の大きい、がっしりした吉之助の背広姿がドアのそとへ消えると、素子は感慨ぶかそうに、
「歌舞伎生えぬきの人がああいう心もちになってるんだものなア」
と云った。
「案外、云わせてみりゃ、ああいうところじゃないんですか」
 歌舞伎の伝統的な世界の消息にも通じている中館は、若い俳優たちの動きはじめている心に同感をもっている口調だった。
「なんせ、あの世界はあんまりかたまりすぎちまっていてね。いいかげんあきらめのいいやつでも、こっちへ来て万事のやりかたを見りゃ、目がさめますよ、おいらも人間だったんだってね、同じ役者であってみれば、こういうこともあってよかったんだぐらい、誰だって思ってるでしょう」
 レーニングラードのドラマ劇場の楽屋で、鏡に向って顔を作っている左団次のうしろに不機嫌なあおい顔をして、ソファにかけていた左団次の細君の様子を、伸子は思い出した。楽屋のそとの廊下で伸子たちを案内して行った中館が顔みしりの若い俳優に会った。中館が、令夫人もいるかい? ときいたら、半分若侍のこしらえをしたその俳優は、ええ、と答えて、何か手真似(てまね)をした。へえ。そうなのかい。中館はちらりと唇をまげた。ここでまで、うちどおりにやろうったって、そりゃきこえません、さ。下廻りだって、ここじゃれっきとした演劇組合の組合員ってなわけなんだそうですからね。若い俳優は目ばりを入れた眼じりから中館に合図して、ごたついたせまい廊下を小走りに舞台裏へ去って行った。
 そんな前景をぬけて、楽屋へとおり、粋(いき)な細君のあおいほそおもてを見た伸子は、歌舞伎王国を綿々と流れて大幹部の細君たちの感情とまでなっている古い格式やしきたりを、理解できるように感じた。白粉(おしろい)の匂いや薄べりの上にそろえられている衣裳。のんきそうで、実ははりつめられている癇が皮膚にあたるようなせまい楽屋のなかで、伸子は何を話していいかわからないで黙っていた。
 手もちぶさたでぎこちない伸子にひきかえ、黙ってタバコをふかしているそのおちつき工合にも素子は、楽屋馴れしてみえた。
 ひいきがいう調子で、素子は中館に、
「吉之助、いくつです?」
ときいた。
「八ぐらいじゃないんですか」
「これからってとこだな」
「――吉ちゃんは、あれで考えてますからね、ここまで出て来たってことだけでも、歌舞伎俳優としちゃ謂わば千載一遇のことなんだから、おめおめかえっちゃいられないって気もあるでしょう」
 吉之助のことを云っている中館公一郎の言葉の底に、計らず中館自身の映画監督としての気がまえが感じとられ、わきできいている伸子はひきつけられた。中館公一郎は、日本の映画監督のなかでは最も期待されている一人だった。
「若い連中のなかには、だいぶ千載一遇組がいるらしいですよ。吉ちゃんなんか、この際ベルリンあたりも見ておきたいんじゃないかな」
「そう云うわけだったんですか」
 新しい興味で目を大きくした素子は、
「吉之助の今のたちばなら、出来ないこともないんでしょう。――行きゃいいさ」
 好意のあらわれた云いかたをした。

        二

 吉之助のベルリン行きの希望とその実現計画について話すにつけても、中館公一郎は、歌舞伎が滞在しているという自然な機会のうちにモスク□で吸収できるだけの収穫を得ようとする自分の熱心もおさえかねる風だった。あしたのソヴ・キノ見学について、素子とうち合わせた。
「エイゼンシュタインも偉いですよ。そりゃたしかにすごい偉さなんでしょうけれどもね、僕らは製作の実際で、お話にもなんにもならないしがない苦労をさせられているんでね。ソヴ・キノの製作企画や、仕事のしぶりみたいなことも知ってみたいんです」
 三人が行ったときエイゼンシュタインは、丁度ソヴ・キノの大きい撮影室で、農民が大勢登場して来る場面を準備しているところだった。舞台は、農民小屋の内部だった。古風な小さい窓の下におかれた箱の上にかけて泣いている婆さんと、そのわきに絶望的にたっている若い女、二人の前でたけりたって拳固(げんこ)をふりながらおどしつけているルバーシカに長靴ばき、赤髯の強慾そうなつらがまえの中親父。そこへ、上手のドアが開いて、どっと附近の農民たちが流れこみ、ぐるりと三人をとりかこんでしまう、そのどっとなだれこんで三人をとりまく瞬間の農民の集団の動きを、エイゼンシュタインが必要とするテムポと圧力とでカメラに効果づけるために、練習がくりかえされているところだった。
 舞台からすこしはなれたところに腰かけているエイゼンシュタインは、映画雑誌などに出ている写真で伸子もなじみのあるくるりとした眼と、ぼってり長い顎の肉あつな精力的な顔だちだった。立って練習を見物している中館や伸子たちに彼は、この三十人ばかりの男女の農民がボログダの田舎から来ているほんとの農民で、カメラというものをはじめて見た連中だと説明した。
「御覧のとおり、彼等に演技はありません。しかし、彼等は生粋の農民の顔と農民の動作と農民の魂をもっているんです。その上に何がいります?」
 エイゼンシュタインは『オクチャーブリ』(十月)でも素人の大群集を非常に効果的につかった。
「集団とその意志を、芸術の上にどう生かすか、ということは、ソヴェトの社会が我々に与えた課題なんです。映画はそれに答える多くの可能性をもっています」
 そう云って言葉をきり、エイゼンシュタインは同業者である中館公一郎のまじめに口を結んで舞台を見ている顔を仰むいて見るようにしながら、
「もしわれわれに十分の忍耐力と技倆さえあるならば――」
とユーモラスにウィンクした。それがとりもなおさず彼の目下の実感にちがいなかった。
 伸子たちがスタディオに入って行ったとき、もう何回めかの、
「一! 二! 三!」
で、戸口からどっと入る稽古をしていた農民たちの六列横隊の動きは、どうしても足なみと速度がばらばらで、スクリーンの上にいっせいに展開し肉迫する圧力を生みださない。運動の密度が農民の感覚に理解されていないことが伸子にも見てとられた。
 中館とエイゼンシュタインとが素子を介して話している間、なお二度ばかり同じ合図で同じ失敗をくりかえした演出助手は、首をふってダメをだし、しばらく一人で考えていたが、やがて一本の長い棒を持ってこさせた。農民の群集の最前列の六人が、一本のその棒につかまらせられた。棒の一番はじを握っている奥の一人はそのまま動かず、あとの五人が棒につかまって大いそぎで扇形にひらいてゆく。従って舞台のはじ、カメラに近い側にいる農民ほど早足に大股に殆ど駈けて展開しなければならない。
 棒が出て、ボログダの農民たちにはやっと自分たちに求められている総体的な動作のうちで一人一人がうけもつ早さやかけ工合の呼吸が会得されたらしかった。三度目に棒なしで、
「さあ、戸口からどっと入って!」
 農民がぐるりと三人をとりまく集団の効果は、テムポも圧力も予期に近づいた。エイゼンシュタインは、そのときはじめて、
「ハラショー」
と腰をもたげた。カメラがのぞかれ本式の撮影にすすんだ。
 ソヴ・キノのスタディオから帰りに伸子たちのとまっているパッサージ・ホテルへよった中館公一郎は、映画監督らしいしゃれたハンティングをテーブルの上へなげ出して、
「われわれにこわいものがあるとすれば、あの根気ですね」
と、椅子にかけた。
「しかもそれがエイゼンシュタインばかりじゃないところね。――それにしてもいい助手をもってるんだなあ」
 素子のタバコに火をつけてやり、自分のにもつけて、うまそうに吸い、中館はいい助手をもっているエイゼンシュタインをうらやむような眼ざしをした。
「ちがいがひどすぎますよ。徹夜徹夜で、へとへとに煽って、根気もへちまもあったもんですか――あのみんなが腰をすえてかかっている根気よさねえ――あれが計画生産の生きてる姿なんです」
 伸子もその日はじめてソヴ・キノの大規模な内部をあちこち見学した。一九二八年度のソヴ・キノ映画製作計画表も説明された。その中では文化映画何本、教育映画何本、劇映画何本、ニュース幾本と、それぞれに企画されていた。
「こういう企画でやっていますから、われわれは資材のゆるすかぎり、適当な時が来ると次の作品のためのセットから衣裳、配役その他の準備をします。しかし、残念なことに、まだ革命からたった十年ですからね。ソヴ・キノは決して必要なだけの設備をもっていません、もう五年たったら、われわれは遙にいい設備をもてると信じています」
 スポーツのスタディアムのように天井の高いセット準備室から別棟のフィルム処理室へと、きのうの雨ですこしぬかるむ通路を行きながら中館公一郎は、
「あきれたもんですね」
と、わきを歩いている伸子に逆説的に云った。
「俳優から大道具までが八時間労働で映画をつくっているなんて話したところで、本気にする者なんかいるもんですか」
 ソヴェトへ来てから、映画におけるプドフキンとかエイゼンシュタインとかいう監督の名は、いちはやく伸子たちの耳にもつよくきこえた。その一つ一つの名を、伸子は何となし文学の世界でバルビュスとかリベディンスキーという名が云われるときのように、そのひとひと固有の達成の素晴らしさとしてききなれた。ソヴェトでもこれらの監督たちは新しい映画の英雄のように見られてもいる。
 小柄な体としなやかなものごしをもって、柔軟の底に見かけより大きい気魄をこめている中館公一郎が、エイゼンシュタインの才能について多く云わないで、いきなりそのエイゼンシュタインに能力を発揮させているぐるりの諸条件につよい観察と分析とを向けていることが、伸子にとって新鮮な活気のある印象だった。中館公一郎がもちまえの腰のひくいやわらかな調子で、エイゼンシュタインは偉いですよ。そりゃたしかにすごい偉さなんでしょうけれどもね、というとき、彼の言葉のニュアンスのなかには、同じ仕事にたずさわるものに与えられている世間の定評に対する礼儀と、その礼儀をはねのけている芸術上の不屈さが感じられた。それは、伸子にも同感される感情だった。映画監督としての才能そのもので中館公一郎は、あながちエイゼンシュタインを別格のものとしているのではないらしかった。彼にとっては、エイゼンシュタインよりむしろソヴェトの映画製作そのもののやりかたが重大な関心事なのだった。ソヴ・キノのスタディオからかえったとき、素子が、
「あの棒はいい思いつきだったじゃありませんか」
と、云ったのに答えて中館は、
「棒をつかってみようとするところまでは、大体誰しも考えることなんじゃないのかな」
と云った。
「ただ棒のつかいかたね……そこのところですよ」
 つづいてドイツ映画の話も出た。伸子がモスク□へ来たウファの『サラマンドル』という映画をみたことを話した。
「ユダヤ人の学者が迫害されて、外国へ逃げる話なんですけれどね、へこたれちゃった。その学者が深刻な表情をしてピアノをひくと、グランド・ピアノの上におそろしくロマンティックな荒磯の怒濤が現れるんですもの」
「ヤニングスみたいな俳優にしろ、もち味がいかにもドイツ的でしょう」
 中館の言葉を、素子が、かぶせて、
「でも、ヤニングスぐらいになれば相当なものさ」
と、ヤニングスの演技の迫力をほめた。
「リア・ド・プチとヤニングスのあの組み合わせなんか、認めていいものさ」
「中館さん、あなたにベルリンてところ、随分やくにたつの?」
 伸子がむき出しにきいた。
「そりゃあ……日本から行って役にたたないってところの方が少ないんじゃないかな」
「わたしには、ドイツの映画、なんだか分らないところがあるんです。だって、ツァイスのレンズって云えば、世界一でしょう? それは科学性でしょう? それなのに、『サラマンドル』であんなセンチメンタルな波なんかおくめんなく出してさ。――ドイツの文化って、一方でひどく科学的で理づめみたいなのに、ひどく官能的だし、暗いし――わからないわ」
「――ツァイスのレンズだけあってもいい映画にならないところに、われわれの生き甲斐があるわけでしょう」
 歌舞伎がモスク□へ来たにつれて、一座の俳優の或るひとたちや中館公一郎のような映画監督がそれぞれに芸術の上に新しい意欲を燃やし、どこかへ展開しようとして身じろいでいる。その雰囲気は、はじめ歌舞伎がモスク□へ来て公演するときいたころの伸子たちには、予想もされなかった若々しく激しいものだった。
 ソヴェトの見物人たちは、歌舞伎の舞台衣裳の華やかで立派なことを無邪気に驚歎し、ごくわずかの体の動きで表現される俳優の表情や科白(せりふ)の節まわしに歌舞伎の独特性を認め、好意にみちていた。それにこたえて、モスク□一週間の公演を熱演しながら、長原吉之助と数人の若手俳優たちは、舞台におとらぬ熱心さでベルリン行の手順をすすめていた。歌舞伎の一行には、興行会社である松竹の専務級の人もついて来ていた。ベルリンへ行きたい俳優たちはその計画を左団次に承知してもらうばかりでなく、会社の人たちの承諾も得なければならず、それには、正月興行に必ず間に合うように帰ることを条件として申出ることそのほか、伸子たちには想像できないこまかい順序といきさつがあるらしかった。そして、そういう順序のはこびかたそのものに、また歌舞伎の世界のしきたりがあるらしくて、率直な吉之助でさえも、伸子たちが、そのことについてせっかちに、
「どうです、うまく行きそうですか」
ときくと、
「ええ、まあ」
と笑いまぎらすことが多かった。
「左団次さんは自分も若いときイギリスへ行ったりなんかしているから、自然話もわかるんですがねえ」
 それでも吉之助たちのベルリン行の計画は歌舞伎がモスク□での公演を終る前後には実現の可能が見えて来た。
「見てきます」
 吉之助は俳優らしさと学生らしさのまじりあったような若い顔を紅潮させた。
「そしてまたかえりにここへちょいとよります、こっちはないしょですが……」
と健康そうな白い歯を見せて笑った。ソヴェトへ来て、自分というものは一つところに置いたまま、見聞ばかりをかき集めてもって帰ろうとするような人たちとちがって、吉之助や中館公一郎の態度は、伸子に共感を与えた。吉之助がふるい歌舞伎の世界のどこかをくいやぶって、自分を溢れ出させずにはいられなくなっている情熱。中館公一郎が映画監督として、自分の持てる条件を最大限まで押しひろげて見ようとしている目のくばり。そんな気持はどれもはげしく明日に向って動いている心であり計画であった。明日(あした)は、明日(あした)に杙(くい)をうちこんで前進してゆこうとしているこれらの人たちの生活気分は、保が死んでからソヴェト社会へつきささった小さいくさびのように自分を感じている伸子の感情にじかにふれた。
 モスク□へ来た歌舞伎は、そのふるい伝統の底から思いがけない新しいもの、種子を、そうとは知らず後にのこして、好評をみやげに日本へひきあげた。吉之助とあと三四人の若手俳優が、すぐベルリンへ立ち、中館公一郎も別に一人でハンブルグ行きの汽船にのった。

        三

 歌舞伎がモスク□で公演していたとき、左団次の楽屋で、伸子と素子とはさくらと光子という二人の日本語を話すロシアの若い女に紹介された。二人とも東洋語学校を出ていて、日本名をもち、さくらはたまに短歌をつくったりした。色のわるい面長な顔に黒い美しい眼と髪をもっている文学的なさくらとちがって、光子はがっしりとしたいつも昼間のような娘で、脚がわるく、ステッキをついて伸子たちのホテルの室へ遊びに来た。またそのステッキをついて毎日どこかの役所につとめてもいるのだった。
 さくらや光子が、それとなしベルリンから吉之助が帰って来るのを待っているきもちが伸子によくわかった。吉之助には、歌舞伎俳優の型にはまっていない人柄の生々した力があって、それが外国人であるさくらや光子を魅していた。伸子が吉之助に快く感じるのも同じ点からであった。若い男に対して、いつもうわての態度で辛辣な素子が、
「吉之助、なかなかいいね」
と伸子に云ったことがあった。それは、レーニングラードのジプシーの音楽をききながら食事をする店でのことで、素子と伸子とはスタンドのついた小卓にさし向い、素子はグルジア産の白い葡萄(ぶどう)酒をのんでいた。吉之助、なかなか、いいねと素子が云ったとき、伸子は素子の眼や頬がいつもとちがった艷(つや)やかさをたたえているのを感じた。
「そう思う?」
 のまない葡萄酒のコップをいじりながら、伸子は、ききかえした。
「――ぶこちゃんだってそう思うだろう?」
 素子が、俳優としての吉之助だけを云っているのでないことを伸子は女の感覚で直感した。軽いショックで伸子は上気した。素子がいいと思う男がいたということは思いがけない一つのおどろきであった。そして、それが伸子も好感をもっている長原吉之助だということは。しかし、その長原吉之助だから素子がすきというのもわかるところがあるのでもあった。素子の珍しいその心持のうごきを、伸子は自分の手もそえて、こぼすまいとするような気持で、だまってスタンドの灯に輝く琥珀(こはく)色の葡萄酒を見ていた。でも、吉之助に対する素子のそのこころもちは、どう発展するものなのだろう。素子自身は、どう発展させたいと思っているのだろう。
 一途(いちず)な、子供らしい恋愛の経験しかない伸子は、ぱらりとした目鼻だちの顔に切迫したような表情をうかべて、スタンドのクリーム色の光の中から素子を見あげた。
「あなた、本気なら、話してみたら?」
「…………」
「じゃ、わたしが話す?」
 素子はだまったまま、葡萄酒をのみ、スタンドのかさのまわりでタバコの煙がゆるやかに消えて行くのを見まもっている。じゃ、わたしが話す? 思わずそう云って、伸子は、当惑した。素子に対して吉之助がどう思っているか、知りようもなかったし、仮に、互の間にいい感情があったにしろ、吉之助の歌舞伎俳優としてのこまごました生活の諸条件と断髪で洋装の素子とはどうつながるものなのだろう。素子が吉之助にひかれるのはわかるけれど、二つの生活の結びつく現実的な必然が見つからなくて、伸子はとまどう心持だった。
 当の素子よりも解決にせまられているような伸子の表情をいくらかぼっとしたまなざしで眺めていた素子はやがてゆっくり、
「まあ、いいさ」
とひとりごとのように云った。そして、給仕をよんで勘定をさせはじめた。

 歌舞伎がモスク□からひきあげ、吉之助たちがベルリンへ行って二週間とすこしたったある朝のことだった。朝の茶を終ったばかりの伸子たちの室の戸がノックされた。素子が大きな声で、
「お入りなさい」
とロシア語で云った。
 ドアがあいて、そこに現れたのは黒っぽい背広をきた吉之助だった。
「ただいま!」
 吉之助は、ベルリンへ行けるときまったとき、見て来ます、と簡明に力をこめて云った、あの調子でただいまと云った。
「ゆうべ帰って来ました、こんどはここへ部屋をとりましたからどうぞよろしく」
 握手の挨拶をしながら伸子が、
「ひどく早かったんですね」
と、おどろいた。
「そんなに早くいろんな芝居が見られたの?」
「ええ。マチネーと夜と必ず二度ずつ見ましたから」
 素子は、思いがけず吉之助の姿があらわれたのを見てかすかに顔を赧(あか)らめていたが、しっとりした調子で、
「何時についたんです」
ときいた。
「よく部屋がとれましたね」
「ええ。カントーラ(帳場)の人が顔をおぼえていてくれましてね。パジャーリスタ、コームナタ(どうぞ、部屋)って云ったら、ハラショー、ハラショーでした」
「どこです?」
「この廊下のつき当りの左の小さい室です」
「ああ、じゃあ一番はじめわたしたちがいた室だ。ね、ぶこちゃん」
 それは雪の夜アーク燈にてらされて中央郵便局の工事場が見えた部屋だった。
 ベルリンへ行くということが、むしろ一行のあとにのこって自由行動をとるための一つのきっかけであったように、吉之助は一人になってベルリンからモスク□へ戻って来た。そして、外国人はめったにとまらない、やすいパッサージ・ホテルにとまった。
 秋山宇一や内海厚が同じパッサージに泊っていた時分、伸子も素子もモスク□生活に馴れなかったこともあって、気やすくその人たちの部屋をたずねた。こんど吉之助の部屋が同じ廊下ならびになったが、伸子も素子も吉之助の室へは出かけなかった。吉之助がちやほやされつけている若い俳優であるということは伸子たちに理由もなく彼の部屋を訪ねたりすることに気をかねさせた。それにレーニングラードのジプシー料理屋のスタンドのかげで素子の吉之助に対する好意がわかっているものだから、なお更彼の部屋へ訪ねかねた。二三日まるで顔を合わさないまま過ぎることが珍しくなかった。
 そんな風にして数日が過ぎた或る晩、吉之助の方から伸子たちの室を訪ねて来た。
「なにたべて生きてたんです? 大丈夫ですか」
 ロシア語のできない吉之助に素子が云った。
「パジャーリスタ、オムレツ。パジャーリスタ、カツレツでやっていますから、大丈夫です」
 艷のいい顔を吉之助は屈托なさそうにほころばした。
「オムレツとカツレツだけは日本と同じらしいですね」
 吉之助は用事があって来たのだった。あした朝のうちにメイエルホリド劇場俳優のガーリンが吉之助にあいにホテルへ来る。歌舞伎の演技のことについてじかにききたいことがあるのだそうだ。素子か伸子に通訳をしてくれるようにということだった。
「じゃ吉見さんでなくちゃ。わたしのロシア語なんて、長原さんのオムレツに二三品ふやしたぐらいのところなんだから」
「――わたしはいやだよ」
 素子はかけている長椅子の背へもたれこむようにして拒絶した。
「芝居の話なんて出来るもんか」
 芝居ずきで、俳優一人一人の演技についてもこまかい観賞をしている素子が、通訳なんかいやだという気持は、伸子にわからなくもなかった。ガーリンは『検察官』のフレスタコフを演じたりしてメイエルホリドの若手の中で近頃著しく評判になっている俳優だし、一方に吉之助がいることだし。
 そんなこころもちのいきさつを知らない吉之助は、当惑したように慇懃(いんぎん)な調子で、
「すみませんが、じゃあお二人でいっしょに会って下さいませんか、おかまいなかったら、ここを拝借して」
と云った。
「それがいい。ここで、みんなで会いましょうよ。そして、わたしが主に通訳するわ」
 伸子が、あっさりひきうけて云った。
「そのかわり、わたしは、みんな普通の云いかたでしか云えなくてよ。だから吉之助さんはかんを働かして、ね」
「それで結構ですとも。ガーリンさんは型のきまりのことが知りたいらしいんです」
「それ見なさい」
 素子が伸子の軽はずみをからかうように睨(にら)んでおどかした。
「きまりなんか、ぶこちゃんの軽業だって、説明できるもんか」
「そうでもないでしょう」
 とりなすためばかりでない専門家の云いかたで吉之助が説明した。
「わたしに、どういう場合ってことさえわからせてもらえばいいんです。あとは、どうせ体で説明するんですからね」
「なるほどね」
 その晩は吉之助にも約束がなくて例外のゆっくりした夜だった。三人はテーブルをかこんでモスク□の書生ぐらしらしくイクラや胡瓜(きゅうり)で夜食をした。吉之助は、しんからそういう単純な友人同士の雰囲気をたのしく感じるらしく、
「こんなにしていると、日本にある自分たちの暮しかたが信じられないほどです」
と云った。
「外国へ出て見るとほんとにわかるんですねえ」
「ふるさがですか?」
「あんまり別世界だってことですね」
 吉之助は、レモンの入ったいい匂いの熱い紅茶をのみながら、若い顔の上に白眼の目立つような目つきでしばらくだまっていたが、
「伝統的なのは舞台ばかりじゃないんですからね、歌舞伎の俳優の私生活の隅々までがそれでいっぱいなんだ……」
 ため息をつくようにした。
「かえられませんか」
 伸子は、思わずそういう素子の顔を見た。素子は、伸子が見たのを知りながら、吉之助の上においている視線を動かさなかった。
「むずかしいですね」
 これまでにもう幾度か考えぬいたことの結論という風に吉之助は云った。
「自分一人、そこから、ぬけてしまうならともかくですが、あの中にいて何とか変えようったって、それはできるこっちゃありません」
「かりに、あなたがそこをぬけるとしたら、どういうことになるんです」
 素子が何気なくたたみかけてゆく問いのなかに、伸子は、自分だけしか知らない素子の吉之助への感情の脈うちを感じるように思った。かたわらで問答をきいていて伸子の動悸が速まった。
「そこなんですね、問題は」
 テーブルにぐっと肱をかけ、吉之助はまじめなむしろ沈痛な声で言った。
「まず周囲が承知しませんね」
「周囲って――細君ですか」
「細君も不承知にきまってるでしょうが、親戚がね。歌舞伎の世界では、親戚関係っていうのが実に大したものなんです――義理もあるし」
 吉之助は、歌舞伎俳優だった父親に少年時代に死なれ、その伝統的な家柄のために大先輩である親戚から永年庇護される立場におかれて来ているのだった。
「もう一つ自分として問題があるわけなんです。僕には舞台はすてられない。これだけはどうあっても動かせません。俳優としての技術の蓄積ということもあります。ただ、やめちまうというなら簡単でしょうがね。自分を成長させ、日本の演劇も発展させる舞台っていうものは、どこにあるでしょう」
「いきなり築地でもないだろうし……」
「そこなんです」
 歌舞伎の息づまる旧さのなかに棲息していられなくなっている吉之助は、さりとていきなりドラの鳴る築地小劇場で『どん底』を演じるような飛躍も現実には不可能なのだった。
 吉之助の飾らない話をきいていて、伸子はやっぱりみんなこういう風にして変るものは変ってゆくのだ、としみじみ思った。丁度せり上りのように、生活の半分は奈落と舞台との間の暗やみにのこっていても、もうせり上ってそとに出ている生活の半分が、猛烈にのこっている半分について意識し苦しむのだ。伸子にはそれが自然だと思えた。相川良之介が自殺したとき、その遺書に、彼の身辺の封建的なものについてはふれない、なぜなら、日本の社会には多少ともまだ封建的なものが存在していると思うし、封建的なものの中にいて封建的なものの批判は出来ないと思うから、とかかれていたことが思い出された。当時伸子には、その文章の意味がよくのみこめなかった。けれども、こうして話している吉之助を見ても、伸子自身について考えて見ても、自分のなかに古いものももちながら、吉之助のようにはっきりそれを肯定しながらもその一方で新しいものを求めているのが真実だった。そこに矛盾があるということで新しい道を求める思いの真実性が否定されなければならないということはないのだ。伸子は、そういうごたごたのなかでひとすじの思いを推してゆく人間の生きかたを思い、悲しい気がした。保を思い出して。保には、こうやって矛盾や撞着の中から芽立ち伸びてゆく休みない人生の発展がわからなかったのだ。そして相川良之介にも。相川良之介の聰明さは、半分泥の中にうずまりながら泥からぬけ出した上半身で自分にも理性を求めてもがく人間の精神の野性がかけていた。
 伸子はその質問に自分の文学上の疑問もこめた心で、
「吉之助さんのような人でも、新劇へうつるということはできないものなのかしら」
とたずねた。
「気分では、いっそひと思いにそうしたら、さぞサバサバするだろうって気がします。しかしどうでしょう」
「歌舞伎のひとは、子役からだからねえ」
 身についた演技の伝統のふかさをはかるように素子が云った。
「あなただって、そうなんでしょう」
「初舞台が六つのときでしたから」
 吉之助は考えぶかい表情で、
「西洋の俳優も、芸の苦心はいろいろあるでしょうが、わたしのような立場で苦しむことはないんじゃないでしょうか」
と云った。
「古典劇が得意で、たとえばシェークスピアものをやる人だって、現代ものがやれるんでしょう。日本の歌舞伎と現代もののちがいみたいなちがいは、よその国にはなかろうと思うんです」
「考えてみると、日本てところは大変な国だなあ」
 からのパン皿のふちへタバコをすりつけて消しながら素子が云った。
「チョン髷のきりくちへ、いきなりイプセンがくっついたようなもんだもの」
「問題が問題ですから、てまがかかりましょうが、ともかく何とかやって見るつもりです」
 そう云ってしばらく考えていた吉之助は、やがてもち前の熱っぽい口調で、
「私生活からでも、思いきってかえて行ってみるつもりです」
 伸子には、吉之助が決心を示してそういう内容がすぐつかめなかった。歌舞伎俳優として、しきたりのような花柳界とのいきさつとかひいき客との交渉とか、そういう点を整理するという意味なのか、それとも別のことなのか、判断にまよった。同じようにすぐ話の焦点のつかめなかったらしい素子が、
「私生活っていうと?」
とききかえした。
「粋すじですか」
 そうきいて、素子はちょっとからかう眼をした。
「わたしは、そっちはどっちかっていうとほかの人たちよりあっさりしているんです。自分がつくらなけりゃあそういう問題はおこらない性質のものでしょう。わたしのいうのは主に結婚生活ですね」
 ひろがっていた話題が、再び急に渦を巻きしぼめて、吉之助は知らない素子の感情の周辺に迫って来た。
「うまく行きませんか」
「――わたしの場合はうまく行きすぎているんです。そこが問題なんです」
 伸子は吉之助の話につよい関心をひかれた。同時に、良人によってそういう風に友人の間で話される妻の立場というものを、伸子は女として切ないように感じた。
 素子もだまった。しかし、吉之助は、歌舞伎のことを話していたときと同じまじめな研究の調子で、
「わたしたちの結婚は、土台わたしに妻をもらったというより、早くから後家で私を育てた母の助手をもらったみたいなところがありましてね」
と云った。
「よくやってくれることは、実によくやってくれているんです。その点一言もないんですが……細君には、俳優が芸術家だってことや成長しようとしているってことはわからないし、必要なことだとも考えられないんですね、役者の生活の範囲ではうるさいつき合も、義理もきちんきちんと手おちなくやってくれて、全く後顧の憂いがないわけなんですが。これまでの役者の生活なんて、そんなことが第一義だったんですからね、無理もないが……。細君に一つもつみはないんです。けれども、わたしにはマネージャと妻はべつのものであるべきだと思えて来ているんです」
 つやのいい元気な吉之助の顔の上に、沈んだ表情が浮んだ。
「あなたがた、どうお思いです? あんまり我儘(わがまま)でしょうか」
 伸子も素子も、吉之助の気持がぴったりわかるだけに、すぐ返事をしかねた。
「――わたしは妻を求めているんですね。演劇そのものの話し合える……」
 するとわきできいている伸子をびっくりさせるような鋭さで、素子が、
「かりにそういうひとが細君になったって、やっぱりマネージャ的必要は起って来るんじゃありませんか」
と云った。
「ほんとに、わけられるもんなのかな――あなたに、わけられますか?」
「わけられないことはないと思いますね。ほんとに芝居のことがわかっているひとっていうなら、自然自分でも舞台に立つひとだろうし、舞台に立つものなら勉強の面とマネージャ的用事と、却ってはっきり区別がつくわけですから……」
 赤いパイプを口の中でころがしながら、じっと吉之助の言葉をきいていた素子は、ややしばらくして、
「なるほどねえ」
 深く自分に向って会得したところがあったようにつぶやいた。
「あなたは、リアリストですね」
 その云いかたに閃いたニュアンスが伸子に素子の気持の変化を感じとらせた。伸子が理解したと同じ明瞭さで、素子も、長原吉之助が求めている女性は、彼として現実のはっきりした条件をもって考えられて居り、少くとも伸子や素子たちとそのことについて話す吉之助の感情に遊びのないことを理解したのだった。
 伸子は段々さっぱりしてうれしい気持になって来た。吉之助にたいする自分たちの感情にはあいまいに揺れているところがあった。素子は素子の角度から、伸子はその素子の角度に作用された角度から、吉之助としては考えてもいない過敏さが伸子たちの側にあった。吉之助の考えかたがずっと前へ行っているために、素子の吉之助に対する一種の感情やそれにひっぱられていた伸子の気分が、吉之助の新しい人間らしさにひかれるからでありながら、その一面では、やっぱりありきたりの常識のなかに描かれている俳優を対象においた気分だったということが、伸子にのみこめて来た。伸子は、心ひそかに自分たち二人の女をいくらかきまりわるく感じた。そして、改めて吉之助を友達として確信するこころもちだった。
「わたし長原吉之助が、いわゆる役者じゃなくてほんとによかったと思うわ」
「へんなほめかたがあったもんだな」
 素子が笑った。吉之助も笑った。伸子は、素子のその笑いのなかにやっぱり転換させられた素子の気分を感じた。素子は、もうすっかり自分ときりはなした淡泊さで吉之助にきいた。
「ところで、あなたの希望のようなひとって、実際にいますか」
「どうなんでしょう」
 彼としてどこに眼ぼしもないらしかった。
「なにしろ、歌舞伎には女形しかないんですから……」
 そこにも歌舞伎の世界の封建的な変則さがあるという口ぶりだった。

        四

 あくる朝十時ごろ約束のガーリンが吉之助とつれだって伸子たちの室へ来た。くつろいだ低いカラーに地味なネクタイをつけて、さっぱりした風采だった。ガーリンが芸術座の名優たちとはまるでちがった顔だちで、アメリカの素晴らしい踊り手フレッド・アステアによく似たおでこの形をしているのが伸子の目をひいた。アンナ・パヴロ□ァも、ああいうこぢんまりとして横にひろいおでこをもっていた。
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