道標
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著者名:宮本百合子 

自分も何か用事で廊下へ出て来た拍子に、小さい伸子が来かかるのを見て、ひょいと掬い上げたというのならば、そうするポリニャークに陽気ないたずらっ子の笑いがあったはずだし、伸子も、びっくりした次には笑い出す気分がうつったはずだった。ポリニャークのポヤポヤ髪をもった大きい赤い顔には、ひとつもそういうあけっぱなしの陽気さや笑いはなかった。伸子が本能的に体をこわばらして抵抗する、そういう感じがあった。男が女に何かの感情をつたえる方法としてならば、あんまり粗野だった。ポリニャークが育ったロシアの農村の若衆たちに、ああいう習慣でもあるのだろうか。また女優である細君の楽屋仲間をよんだりすると、酔った男優女優は、主人のポリニャークもこめてああいう騒ぎをやるのかもしれない。
 伸子は、客に行ったさきであんな風に掬い上げられたことは不愉快だった。自分の態度のどこかに、すきがあったと思われた。伸子は、「やあ にぇ まぐう」を思い出した。柔かくすべっこくされた日本の女のロシア語が、酔った男の感覚にどう作用するかというようなことを、伸子は今になって、考えて、はじめて推測できた。伸子は、屈辱の感じで思わず凍った窓ののぞき穴から顔をそむけた。
 モスク□へ来てたった二週間しか経たなかったとき、伸子は鉄工組合の労働者クラブの集会へ行った。にわかに演壇に立たされて、困りながら伸子は、自分がたった二週間前に日本から来たばかりなこと、ロシア語が話せない、ということを云った。そのとき、伸子は、どんなしっかりした立派な発音でヤー ニェ マグウ ガバリーチ パ ルースキー(わたしはロシア語は話せません)と云ったというのだろう。いまよりもっとひどいフニャフニャ にぇ まぐう で云ったにちがいなかった。それでも、あの会場に集っていた二三百人の男女は、瞳をそろえて、下手なロシア語を話す体の小さい伸子を見守り、その努力を認め、声をかけて励してくれる者もあった。あの人々が、ポリニャークに掬い上げられたりしている伸子をみたら、どんなにばかばかしく感じるだろう。そんな伸子に拍手をおくった自分たちまでが、同時にばかにされたように感じるだろう。伸子はその感情を正当だと思った。そして、あの人々に、このいやさを訴えたいこころもちと半ばして、訴えることさえ愧(はずか)しいと感じる心があった。伸子はこの意味のはっきりしない不愉快事を素子にさえ、話す気がしなかった。
 ホテルへかえりつくと、素子も秋山も、浅い酔いがさめかかって寒くなり、大いそぎで熱い茶を幾杯ものんで、部屋部屋にわかれ、じき床に入った。

        八

 あくる日、臨時にマリア・グレゴーリエヴナの稽古の時間が変更になって、伸子がトゥウェルスカヤ通りをホテルへ帰って来る頃には、もうモスク□の街々に灯がはいった。歩道に流れ出している光を群集の黒い影が絶間なくつっきって足早に動いている。そのなかにまじっていそぎ足に歩いていた伸子は、ふと、トゥウェルスカヤ通りの見なれた夕景が、霧につつまれはじめたのに気づいた。日本の晩秋に立ちこめる夕靄(ゆうもや)に似て、街々をうすくおおう霧にきがついたとき、もうその霧は刻々に濃くなって、商店の光もボーッとくもり、歩道の通行人もさきの見とおしが困難なくらいになって来た。大通りの左右に並んだ高い建物のきれめでは、煙のように灰白色の霧が流れてゆくのが見えた。伸子はモスク□で、こんな霧のなかを歩こうとは思いがけなかった。急に見とおしのきかなくなった街をいそぐ伸子の気持には、外国の都にいるらしく、孤独の感じがあった。
 モスク□へ来て暮したふた月ほどの間、モスク□の人々に対する伸子の一般的な信頼と自分に対する信頼とを、動かされるような目に会っていなかった。ところが昨夜、ポリニャークのところへよばれて、あんなにひょいと、二本の脚でしゃんと立っていた筈の自分が床の上から体ごと掬い上げられた経験は、伸子が自分についてもっていた安定感を、ひっくるかえした。ポリニャークに、あんな風にやすやすと掬い上げられてしまったことには、体力も関係した。ポリニャークの大さ、力のつよさに対して、あんまり伸子は小さかった。日本人の男と伸子との体力の間にはあれだけの開きはない。あいてになりようない力を働かしてポリニャークは一人前の女である伸子をあんなにいきなり掬いあげた。無礼ということばの、真の感覚で伸子はそれを無礼と感じた。同時に、ひとから無礼をはたらかれるような理由も動機も自分はもっていないように天真爛漫だった伸子のモスク□暮しの気分も、ゆらいだ。これからも屈辱的な扱いにあうかもしれないモメントを自分がもっているということを伸子は知らされたのであった。二月の夜霧が流れるトゥウェルスカヤ通の、下り坂になった広い歩道をいそいで来る伸子のこころの孤独感は、素子にも話さない、そういう感情とつながっていた。
 その晩は、これまでなら、素子のところへモスク□河のむこうから女教師が来るはずの日だった。そして、伸子は二時間ばかりどこかへ行っていなくてはならないわけだった。今週からその女教師は、むこうからことわって来て、やめになった。伸子が、未払いになっていた授業料を届けがてら、素子のつかいで、病気だというハガキをよこしたその女教師のところへ行った。丁度午後三時すぎの日没がはじまる頃で荒涼と淋しい町はずれの一廓の、くずれかかったロシア風の木柵に沿って裸の枝をつきたたせている白樺の梢に、無数のロシア烏が鈴なりにとまって塒(ねぐら)につく前のひとさわぎしているところだった。その空地に壁を向けて建っている建物の、スープを煮る匂いのこもった薄暗い室で、その女教師はアボルトしたあとの工合がよくなくて、出教授は当分やめなければならないと云った。煤がかかってよごれていたその界隈の雪の色や、空地にくずれた柵、裸の梢に鈴なりに群れさわいでいた烏の羽音など、伸子の印象にのこる景色だった。
 そういうわけで今夜は、伸子も室にいてよかった。素子が自分の勉強がてらプレハーノフの芸術論をよもうということになった。素子がひとりで音読し、ひとりで訳した。モスク□のどこの劇場へ行っても、劇評を見ても、弁証法的な演出とか手法とかいうことがくりかえされていたが、伸子たちにはどうもその具体的な内容がのみこめなかった。メイエルホリドでは「トラストD・E」を上演していて、解説には資本主義の批判をテーマとした脚本の弁証法的演出とあった。しかし伸子たちが観た印象では、その芝居は極端な表現派の手法としか感じられなかった。プレハーノフをよもうといい出した素子の動機は、そういうところにもあるのだった。
 素子のよむプレハーノフの論文の一字一字を懸命に追ってゆくうちに、伸子は、この芸術論が、案外ジョン・リードの「世界を震撼させた十日間」よりもわかりやすいのを発見した。時々刻々に変化する緊張した革命の推移を、ジャーナリスティックな複雑さと活溌なテムポとで描き出し記録しているリードの文章よりも、理論を辿って展開されてゆくプレハーノフの文章の方が、感情的でないだけに、伸子についてゆきやすかった。
「こうしてみると小説ってむずかしいわねえ」
「そりゃむずかしいさ、文章が動いているもの――」
「わたしには、とても小説の方はのぞみがないわ。――一字一句格闘なんだもの」
「なれないからさ」
「それもあるだろうけれど……」
 モスク□へ来てからは、とくに字をよむよりさきに耳と口とを働かせなければならない必要が先にたって、伸子のロシア語のちんばな状態は一層ひどくなった。話す言葉は、間違いだらけでも、必要によって通用した。伸子の読み書く能力は、非常に劣っていた。自分の片ことのロシア語についても、伸子は昨夜の「にぇ まぐう」のことから不快を感じはじめているのだった。
「いまの作家で、だれの文章がやさしいのかしら」
 素子は、考えていたが、
「わからないね」
と云った。
「外国人にわかりやすい文章とロシア人にわかりやすい文章とは、すこしちがうらしいもの。大体、ロシア人は新しい作家のは、やさしいっていうけれど、わたしたちには反対だ、訛(なまり)や慣用語、俗語が多くて――バーベリなんかどうだい。文章はがっちりしていてきもちいいけれど、やさしいどころか」
 それは伸子にも推察された。
「ケンペルの文章、ほんとにやさしいのかしら」
 本屋でヴェラ・ケンペルの『動物の生活』というお伽噺(とぎばなし)めいた本を伸子が買って来たことがあった。やさしそうなケンペルの文章は、言葉づかいがいかにも未来派出身の女詩人らしく、それがわかれば気がきいているのだろうが、伸子にはむずかしかった。
「ありゃ、たしかに気取ってるよ」
「――でも、わたしたちが、彼女の文章はむずかしいと云ったら、大変きげんがわるかったわねえ」
「そうそう、御亭主に何だか云いつけてたね」
 それは半月ばかり前のことであった。伸子たち二人が秋山宇一のところにいたら、そこへ、シベリア風のきれいな馴鹿(となかい)の毛皮外套を着て、垂れの長い極地防寒帽をかぶったグットネルが入って来た。まだ二十三四歳のグットネルはメイエルホリドの演出助手の一人であった。秋山たちが国賓として日本を出発するすこし前にグットネルが日本訪問に来たとき、彼は、メイエルホリドの演出家として紹介された。演劇人でソヴェトから来たはじめての人であったため新劇関係の人々に大いに款待され、日本でその頃最も新しい芝居として現れていた表現派の舞台を、メイエルホリドの手法に通じる斬新なものという風に語られた。秋山宇一と内海厚とは、帰国するグットネルと一緒にモスク□へ来た。そして、自然、若いグットネルがメイエルホリドの下で実際に担当している活動の範囲も、モスク□の現実の中で理解した。それから、ずっと普通の交際をつづけているらしかった。伸子たちは、それまでに二三度秋山の室でグットネルにあったことがあった。
 その晩、秋山の室でおちあったグットネルは、伸子たちをみると、まるでその用事で来たように、二人をヴェラ・ケンペルの家へ誘った。
 黄色と純白の毛皮をはぎ合わせた派手なきれいな毛皮外套をきたままの若々しいグットネルにタバコの火をやりながら、素子はうす笑いして、
「突然私たちが行ったって、芝居へ行っているかもしれないじゃありませんか」
と云った。
「ケンペルは、こんや家にいるんです。僕は知っています」
 寒いところをいそいで歩いて来た顔のうすくて滑かな皮膚をすがすがしく赤らませ、グットネルは若い鹿のような眼つきで素子を見ながら、
「行きましょう」
と云い、更に伸子をみて、
「ね、行きましょう(ヌ・パイディヨム)」
 すこし体をふるようにして云った。
 素子は、じらすように、
「あなたと私たちがここで今夜会ったのは、偶然じゃありませんか」
「ちがいます」
 それだけ日本語で云ってグットネルは伸子たちを、部屋へ訪ねて誘うために来たのだと云った。
「偶然なら、なお私たちはそれをたのしくするべきです、そうでしょう?」
 到頭三人で、ヴェラ・ケンペルの住居を訪ねることになった。大通りから伸子によくわからない角をいくつも曲って、入口が見えないほど暗い一つの建物を入った。いくつか階段をのぼって、やっぱり殆ど真暗な一つのドアの呼鈴を押した。
 すらりとした、薄色のスウェター姿の婦人が出て来た。それが、ケンペルだった。
 狭い玄関の廊下から一つの四角いひろい室にはいった。あんまり明るくない電燈にてらされている。その室の一隅に大きなディヴァンがあった。もう一方の壁をいっぱいにして、フランス風の淡い色調で描かれた百号ぐらいの人物がかかっていた。その下に、膝かけで脚をくるんだ一人の老人が揺り椅子によっていた。伸子たちは所在なさそうに膝かけの上に手をおいているその老人に挨拶をしてそこをとおりぬけ、一つのドアからヴェラの書斎に案内された。
「見て下さい。モスク□の住宅難はこのとおりですよ。私たちは、まるで壁のわれ目に棲んでいるようなもんです」
 ほんとに、その室は、モスク□へ来てから伸子が目撃した最も細長い部屋の一つだった。左手に、一つ大窓があって、幅は九尺もあろうかと思う部屋の窓よりに左光線になるようにしてヴェラの仕事机がおいてあった。伸子たちが並んで腰かけたディヴァンが入口のドアの左手に当るところに据えられていて、小さい茶テーブルや腰のひくい椅子があり、その部分が応接につかわれていた。一番どんづまりの三分の一が寝室にあてられているらしくて、高い衣裳箪笥が見えた。素子が、
「わたしたちは、いまホテルにいますけれど、そろそろ部屋をさがしたいと思っているんです」
と言った。
「モスク□で貸室さがしをするのは、職業を見つけるより遙かに難事業です――グットネル、あなたの友情がためされる時が来ましたよ」
 よっぽどその馴鹿の毛皮外套が気にいっているらしく、ヴェラの室へもそれを着たまま入って来て、ドアによりかかるようにして立っていたグットネルが、間もなく劇場へゆく時間だからと、出かけて行った。
 おもに素子とヴェラとが話した。未来派の詩をかいていたケンペルは、革命後同伴者(パプツチキ)の文学グループに属し、直接社会問題にふれない動物とか自然とかに題材をとった散文詩のようなものをかいていた。フランス古典では、ロスタンの「シャンタ・クレール」があり、現代ではコレットという婦人作家が、動物に取材して気のきいた作品をかいているというような話がでた。体つきも小柄なヴェラは、行ったことがあるのかないのか、芸術や服装についてはフランス好きで一貫しているらしかった。ヴェラのかいた「動物の生活」の話が出た。
「いかがでした? 面白かったですか」
 ヴェラが興味をもってきいた。素子が、あっさりと、
「むずかしいと思いました」
と云った。
「一つ一つの字より、全体の表現が……」
「――あなたは? どう思いました?」
 伸子の方をむいて、ヴェラが熱心にきいた。
「わたしのロシア語はあんまり貧弱で、文学作品はまだよめないんです」
「――だって……」
 ヴェラ・ケンペルは憂鬱な眼つきでドアの方を見ていたが、やがて、
「わたしたち現代のロシア作家は、すべて、きのう字を覚えたばかりの大衆のためにも、わかるように書かなければならないということになっているんです」
 皮肉の味をもって云い出しながら、皮肉より重い日ごろの負担がつい吐露されたようにヴェラは云った。
「そのことは外国人の読者の場合とはちがいましょう」
「どうして?」
「外国人には、生活として生きている言葉の感覚がわからないことがあるんです。――あなたの文章を、むずかしいと感じるのは、わたしたちが外国人だからでしょう……」
「どっちだって同じことです」
 ヴェラの室にテリア種の小犬が一匹飼われていた。伸子たちが入って行ったとき壁ぎわのディヴァンの上にまるまっていたその白黒まだらの小犬は、そのままそのディヴァンにかけた伸子の膝の上にのって来て、悧巧な黒い瞳を輝やかしている。伸子は、その犬を寵愛しているらしい女主人の気持を尊重する意味で、膝にのせたまま、ときどきその犬を撫でながら、素子との話をきいていた。
 そこへ、ドアのそとから、声をかけて、全くアメリカ好みのスケート用白黒模様のジャケットを着た若い大柄の男が入って来た。ヴェラは、小テーブルのわきへ腰かけたまま、
「わたしの良人です。ニコライ・クランゲル――ソヴ・キノの監督――日本からのお客さまがたよ」
と伸子たちを紹介した。
「こちらは」
と素子をチェホフの翻訳家として、
「そちらは、作家」
と伸子を紹介した。
「お目にかかってうれしいです」
 クランゲルは、握手をしない頭だけの挨拶をして、グットネルがこの部屋へ入って来たときしていたように、入口のドアに背をもたせて佇んだ。くすんだ鼠色のズボンのポケットへ片手をつっこんで。――
 伸子たちにききわけられない簡単な夫婦らしい言葉のやりとりでヴェラはニコライに、二言三言なにかの様子をきいた。
「そう、それはよかったこと……」
 ヴェラは、ちょっと言葉を途切らせたが、
「ねえ、あなたはどう思うこと?」
 ほとんど彼女の正面にドアによっかかって立っているニコライを仰ぎみるようにして云った。
「この方々は、わたしの書くものがむずかしいっておっしゃるんです」
 じっと、ニコライの顔をみつめて、ヴェラは云っている。伸子は、そのヴェラの、妻として訴え甘えている態度をおもしろく感じた。モスク□というところでは、何だかこんな婦人作家の表情を予期しないような先入観が伸子にあった。
 ニコライは、何とも返事をしないでヴェラの顔を見かえしたまま肩をすくめ、片方の眉をつり上げるようにした。その身ぶりを言葉にすれば、何を云ってるんだか、と伸子たちの意見をとりあわない意味であろう。ニコライは、ヴェラの顔を見まもったまま、ゆっくりタバコに火をつけた。伸子たちには、別に話しかけようとしない。ニコライが、ひと吸いふた吸いしたとき、ヴェラが、
「わたし退屈だわ」
と云って、そっとほっそりした胴をのばすような身ごなしををした。伸子は、びっくりした眼つきでヴェラ・ケンペルをみた。ヴェラのその言葉は、伸子たちの対手をしていることが退屈なのか、それとも一般的に生活が退屈だという意味なのか、そこの区別をぼやかした調子で云われた。
 ニコライは、ドアによりかかっているすらりと長い片脚に重心をもたせてタバコを吸いながら、映画俳優がよくやる、一方の眉の下からはすに対手を見る眼つきで、
「――曲芸(チルク)でも見にゆけばいい」
と云った。
「……曲芸(チルク)も見あきたし――大体私たちモスク□人は曲芸(チルク)をみすぎますよ」
 曲芸(チルク)を見すぎる、というヴェラの言葉も、伸子には象徴的にきこえた。モスク□に曲芸をやる劇場は現実には一ヵ処しかないのだし。――
 伸子は、テリアの小犬を自分の膝からディヴァンの上へおろした。そして素子に日本語で、
「そろそろかえらない?」
と云った。
「そうしよう」
 そこで伸子と素子とは、ヴェラ・ケンペルの家から帰ったのであった。帰るみちで、伸子は素子に、
「あの私、退屈だわ、はわたしたちに云ったことなの?」
ときいた。
「さあ……ああいうんだろう」
 素子は、案外気にとめずヴェラ・ケンペルの文学的ポーズの一つとうけとっているらしかった。
 ときをへだてた今夜、素子と本をよみ終えて、雑談のうちにそのときの情景をまた思いおこすと、伸子たち二人を前におきながらヴェラがニコライに甘えて、じっとニコライの眼を見つめながら、書くものがむずかしいと云うと訴えたことも、退屈だわ、と云ったことも、伸子にいい心持では思い出されなかった。あの雰囲気のなかには、伸子たちにとって自然でなく感じられるものがあった。伸子たちが、どうだったらば、ヴェラ夫妻にあんな雰囲気をつくらせないですんだだろう? この問いは、伸子の心のなかですぐポリニャークに掬い上げられたことと、くっついた。伸子がどうであればポリニャークに、あんなに掬い上げられたりしなかっただろうか。伸子は、ひろげた帳面の上に、鉛筆で麻の葉つなぎだの、わけのわからない円形のつながりだのを、いたずら書きをはじめた。
 この前の日本文学の夕べのとき会ったノヴィコフ・プリヴォイの海豹(アザラシ)ひげの生えたおとなしいが強情な角顔が思い浮かんだ。あの晩、プリヴォイ夫妻は伸子のすぐ左隣りに坐っていた。ノヴィコフは伸子に、お花さんという女を知っているか、ときいた。ノヴィコフは日露戦争のとき、日本の捕虜になって九州熊本にいた。そのとき親切にしてくれた日本の娘が、お花さんという名だったのだそうだ。ノヴィコフの家庭では、お花さんという名が、彼の波瀾の多かった半生につながる半ば架空的な名物となっているらしくて、白絹のブラウスをつけた細君もわきから、
「彼は、どうしてももう一度日本へ行って、お花さんに会う決心だそうですよ」
と笑いながら云った。
「わたしは、お花さんによくお礼をいう義務があるんだそうです」
 クロンシュタットの海兵が反乱をおこしたとき連座して、一九一七年までイギリスに亡命して暮したプリヴォイ夫妻は英語を話した。モスク□の住宅難で自分のうちに落付いた仕事部屋のないプリヴォイは、モスク□郊外に出来た「創作の家」で、「ツシマ」という長篇をかいているところだった。
 石垣のように円をつみ重ねたいたずらがきを濃くなぞりながら、伸子は、あのプリヴォイがたとえ酔ったからと云って、伸子を掬い上げたりするだろうか、と思った。それは想像されないことだった。プリヴォイには、そういう想像がなりたたない人柄が感じられる。けれども、ポリニャークもプリヴォイも同じロシアプロレタリア作家同盟に属している。――
「ねえ、プロレタリア作家って、ほんとうはどういうの?」
 伸子に訳してきかせたあとを一人でよみつづけていた素子が、
「――どういうのって……どういう意味なのさ」
 本の頁から顔をあげずにタバコの灰を指さきでおとしながらききかえした。
「何ていうか――規定というのかしら――こういうものだという、そのこと」
「そんなことわかりきってるじゃないか」
 すこし気をわるくしたような声で素子が答えた。
「労働者階級の立場に立つ作家がプロレタリア作家じゃないか」
「そりゃそうだけれどさ……」
 革命後にかきはじめた作家のなかには、プロレタリア作家と云っても、偶然な理由からそのグループに属している人もある、と伸子には思えた。
「ポリニャークなんかもそうじゃない? 革命のとき、偶然金持ちでない階級に生れていて、国内戦の間、ジャガ薯袋を背負って、避難列車であっちこっちして『裸の年』が認められたって……プロレタリア作家って文才の問題じゃないでしょう?」
「だからルナチャルスキーが気をもむわけもあるんだろうさ――前衛の眼をもてって――」
 伸子は、ひょっと、自分がもし日本から来た女の労働者だったら――工場かどこかで働くひとであったら、同じ事情のもとでポリニャークはどうしただろうか、と思った。それから、ヴェラ・ケンペルも。やっぱり、気のきかない客だということを、わたし退屈だわ、と云う表現でほのめかしただろうか。
 日本の政府はソヴェトへの旅行の自由をすべての人に同じようには与えないから、公然と来られるものはいつも半官半民の特殊な用向の日本人か、さもなければ伸子たちのような中途半端な文化人ということになっている。けれども、仮にもし女の労働者がどういう方法かでモスク□へ来たとして。
 そういう人に対してだったら、ポリニャークもケンペルも、決して伸子に対したようには行動しない、ということは伸子に直感された。働く女の人なら、彼女がどんなに、にぇ、まぐう、と柔かく発音しようと、その女の体が日本の女らしく酔った大きな男に軽々ともち上げられる小ささしかなかろうとも、ポリニャークは伸子をそうしたようにそのひとを掬いあげたりはしないだろう。その女の労働者は、たとえ日本から来た人であろうと、労働者ということでソヴェトの労働者の全体とつながっている。その女のひとを掬いあげることは、ソヴェトの女の労働者の誰か一人を掬いあげたと同様であり、そういうポリニャークの好みについてソヴェトの働く人々は同感をもっていない。労働者が仲間の女の掬い上げられたことについて黙っていないことをポリニャークは知っているのだ。ヴェラ・ケンペルにしても、ちがった事情のうちに働くポリニャークと同じ心理があるにちがいない。
 伸子は、帖面の紙がきれそうになるまで、いたずら書きのグリグリを真黒くぬりつぶした。ああいう人たちは或る意味で卑屈だ。伸子は、ポリニャークやケンペルのことを考えて、そう思った。彼等はプロレタリアにこびる心を働かせずにはいられないのだ。伸子はもとより女の労働者ではない。だが、伸子が女の労働者でない、ということは、伸子がポリニャークやケンペルに対して、ソヴェトの働く人々に対して卑屈でなければならないということではない。伸子がモスク□へ来てから、労働者階級の人たちや、その人たちのもっているいろんな組織は、伸子を無視していた。伸子の方から近づいてゆかなければ、その人たちの方から伸子を必要とはしていない。それは全く当然だ、と伸子は思った。伸子はモスク□の生活でどっさりあたらしい生活感覚を吸いとっているのに、伸子のなかには、ここの人にとって学ぶべき新しいものはないのだから。珍しさはあるとしても。また漠然とした親愛感はあるにしろ。――無視されている、ということと、自分を卑屈の徒党のなかにおく、ということとははっきり別なことではないだろうか。――
 苅りあげて、せいせいと白いうなじを電燈の光の下にさらしながら、伸子はいつまでもいたずらがきをつづけた。

        九

 モスク□の街に深い霧がおりた翌日の十一時ごろ、郵便を入れにホテルから出かけた伸子は、トゥウェルスカヤ通りを行き来する馬という馬に、氷のひげが生えているのにおどろいた。ちっとも風のない冬空から太陽はキラキラ雪の往来にそそいで馬の氷のひげやたてがみをきらめかしている。氷柱(つらら)をつけて歩いているのは馬ばかりではなかった。通行人の男の短い髭もパリッと白くなっているし、厚外套の襟を高くして防寒靴を運んでいる女の頬にかかる髪の毛も、金髪や栗毛の房をほそい氷の糸で真白くつつまれている。
 並木道へはいって行って、伸子は氷華の森のふところ深く迷いこんだ思いがした。きのうまでは、ただ裸の黒い枝々に凍った雪をつけていた並木道の菩提樹が、けさ見れば、細かい枝々のさきにまで繊細な氷華を咲かせている。氷華につつまれた菩提樹の一本一本がいつもより大きく見え、際限ないきらめきに覆われて空の眩ゆさとまじりながら広い並木道の左右から撓みあっている。その下の通行人の姿はいつもよりも小さく、黒く、遠く見えた。
 二月も半ばをすぎると、モスク□の厳冬(マローズ)がこうしてどこからともなく春にむかってとけはじめた。凍りつめて一面の白だった冬の季節が春を感じて、或る夕方の霧となって立ちのぼったり、ある朝は氷華となって枝々にとまったりしはじめると、北方の国の人を情熱的にする自然の諧調が伸子たちの情感にもしみわたった。伸子と素子とは、そのころになって一週間のうちの幾日も、モスク□市のあっちの町、こっちの横丁を歩きはじめた。二人は、貸室さがしをはじめたのだった。ホテル暮しも足かけ三ヵ月つづくと単調が感じられて来た。もっとじかに、ごたごた煮立っているモスク□生活の底までふれて行きたかった。そのためには素人の家庭に部屋を見つけるしかなかった。
 マリア・グレゴーリエヴナに世話をたのんで、はじめて三人で見に行った家は市の中央からバスで大分郊外に出た場所にあった。バスの停留場から更に淋しい疎林のある雪道を二十分も行った空地の一方の端に、ロシア式丸木建の新しい家がたっていた。ここは部屋の内部も丸木がむき出しになっている建てかたで、床の塗りあげもまだしてなかった。ガランとした室に白木の角テーブルが一つあった。室へ案内したそこの主婦は堂々として大柄な四十ばかりの女で、ほそいレースのふちかざりのついた白い清潔なプラトークで髪をつつんでいた。重い胸の前に両腕をさし交しに組んで戸口に立ち、いかにも彼女のひろい背中のうしろに、一九二一年の新経済政策(ネップ)以来きょうまでの世渡りのからくりはかくされていると云いたげに、きつい大きい眼だった。主婦は、伸子たちの着ている外套の生地やそれについている毛皮をさしとおすような短い視線で値ぶみしながら、愛嬌のいい高声で、その辺の空気がいいことや、前は原っぱで景色のいいことを説明し、一ヵ月分として郊外にしてはやすくない部屋代を請求した。
 家具らしいものが一つも入っていず、きつくチャンの匂うその新築丸木建の室の窓からは、貧弱な楊が一二本曲って生えている凹地が見はらせた。いまこそ一面の雪で白くおおわれて野原のように見えているが、やがて雪がとけだしたとき、その下から広いごみすて場があらわれることはたしかにみえた。伸子は、そういう窓外の景色を眺めながら、
「ここでは夜芝居の帰りみちがこわいわ。街燈がなかったことよ」
と云った。それは一つの理由で、この大柄で目つきがきつく、冷やかで陽気な主婦は、伸子たちがおじるような胸算用のきびしさを直感させた。
 劇場がえりが、女ばかりだから遠い夜道はこわいということは、眼つきのきつい主婦も認めた。モスク□では何よりむずかしいとされている室さがしを伸子たちにたのまれたマリア・グレゴーリエヴナ[#「グレゴーリエヴナ」は底本では「グリゴーリエヴナ」]は、何かのつてでやっと手に入れた所書きだけをたよりに、自分でも先方のことは知らないまま、伸子と素子とを連れて見に来たのだった。
 その家を出てまた雪道をバスまで戻りながら、伸子は、自分たちのモスク□暮しも段々とモスク□市民生活の臓腑に近づいて来た、と思った。モスク□の臓腑は赤い広場やトゥウェルスカヤ通りだけでは分らない色どりと、うねり工合と、ときに悪臭と発熱とで歴史の歯車にひっかかっている。
 ワフタンゴフ劇場の通りには、横丁が網目のように通じていた。或る日のおそい午後、伸子たち三人は、所書きをたどってその一つの横丁の、ひどく高い茶色の石壁のわきにある袋小路を入って行った。貸す室というのは、袋小路のなかの、ひどく燻(くす)ぶった煉瓦の二階建の家の地階にあった。階段わきの廊下に面しているドアをあけると、その建物の薄ぐらさと湿気とをひとところにあつめたような一室があった。どういうわけか、その室の二重窓ガラスの二枚が白ペンキで塗りつぶされていた。それは暗くしめっぽいその室に不具者のような印象を与えた。ガラスから外の見える部分には、ほんのすこしの間隔をおいて一本の楡の大木の幹と、すぐそのうしろの茶色の石壁が見えた。どこからも直射光線のさし込まないその室に佇んで、茶毛糸の肩かけで両方の腕をくるみこんでいる蒼白い女が、飢えたように輝く眼差しを伸子たちの上に据えながら、
「おのぞみなら、食事もおひきうけします」
と熱心に云った。
「料理にはいくらか心得がありますし……ここの市場はものが割合やすくて、種類もたっぷりあるんです……」
 きれぎれな言葉で外套のどこかをひっぱるような貸し主の女のものの云いかたには、ほんとに部屋代を必要としている人間の訴えがこもっていた。その室にしばらく立っていると、この家のどこかにもう長いこと床についたままの病人がいて、見えないところからこの交渉へ神経をこらしているような感じだった。かりにこの室で我慢するとしても伸子たちが借りることの出来る寝台が一つしかなくて、補充する寝椅子も、そこにはなかった。
 こういう風なところをあちこち歩いてホテルへかえると、小規模なパッサージの清潔さと設備の簡素な合理性とが改めて新鮮に感じられた。
「こうしてみると、住めるような部屋ってものは容易にないもんだね」
 素子がタバコを深く吸いながら云った。
「いまのモスク□で外国人に室をかそうとでもいうような者は、あの丸木小舎のかみさんのような因業な奴か、さもなけりゃ、きょうみたいな、気の毒ではあるがこっちの健康が心配だというような室しかもっていないような人しかないんだね」
 伸子はじっと素子をみて、体のなかのどこかが疼くような表情をした。室さがしにあっちこっち歩いてみて、伸子はまだモスク□にも人間の古い不幸としての貧や狡猾がのこっているのを目近に目撃した。
「もうすこしさがしてみましょうよ。ね?」
 伸子は熱心に云った。
「モスク□で外国人に室をかすものは、ほんとにいかがわしい者や、時代にとりのこされたような人しかないのかどうか、わたし知りたいわ」
「そりゃ探すさ、ほんとにさがしているんだもの――」
 女子大学の学生時代から、借家さがしや室さがしに経験のある素子は、しばらく考えていたが、
「もしかしたら、広告して見ようよ、ぶこちゃん」
と云った。
「モスク□夕刊か何かに――かえってその方が、ちゃんとしたのが見つかるかもしれない。あさっての約束の分ね、それを見て駄目だったら、広告にしよう」
 あさってという日、三人が行ったのは、ブロンナヤの通りにある一軒の小ぢんまりした家だった。外壁の黄色い塗料が古くなってはげているその家の二重窓の窓じきりのかげに、シャボテンの鉢植がおいてあるのが、そとから見えた。
 呼鈴にこたえて入口をあけたのは三十をこした丸顔の女で、その人をみたとき、伸子は自分たちが楽屋口へ立ったのかと思った。女は、映画女優のナジモ□アが椿姫を演じたときそうしていたように、黒っぽい断髪を頭いっぱいの泡立つような捲毛にしていた。モスク□では見なれないジャージの服を着て、赤いコーカサス鞣の室内靴をはいている。そういういでたちの女主人は伸子たちをみると、
「今日は」
と、フランス語で云った。
「どうぞ、お入り下さい」
 それもフランス語で云って、マリア・グレゴーリエヴナに、
「この方たちは、二人一緒に室をかりようとしているんでしょうか」
とロシア語できいた。
「ええ、そうですよ、もちろん」
 マリア・グレゴーリエヴナは照れたように正直な茶色の眼を見開いて、
「彼女たちはロシア語が十分話せるんです。どうか、じかにお話し下さい」
と、丸っこい鼻のさきを一層光らした顔で云った。
「まあ! それはうれしいですこと! ロシア語を野蛮だと思いなさらない外国の女のかたには滅多におめにかかったことがありませんわ」
 更紗の布のはられた肱かけ椅子に伸子たちはかけた。
「この室はね、外が眺められてほんとに気の晴れ晴れする室なんです。ずっとわたしの私室にしていたんですけれど――」
 捲毛の泡立つ頭をちょいとかしげて、言葉をにごした女主人は、あとはお察しにまかせる、という風に、媚(こび)のある眼まぜをした。
「――教養のある方と御一緒に棲めればしあわせです」
 スプリングの上等なベッドを二つと、衣裳ダンスと勉強机その他はすぐ調えられるということだった。
「私には便宜がありますから……。それに時間で通う手伝いをたのんで居りますから、食事も、おのぞみならいたしますよ。白い肉か鶏でね――わたしも娘もデリケートな体質で白い肉しかたべられませんの……」
 女主人がそう云ったとき、マリア・グレゴーリエヴナは、ひどく瞬きした。女主人が浮き浮きした声で喋れば喋るほど、素子は、もち前の声を一層低くして、
「で、これからこの室へ入れる家具っていうのは――、費用はあなたもちなんですか?」
 タバコを出しかけながら面白がっている眼つきできいている。
「あら、――それは、あらためて御相談しなくちゃ」
 素子は何くわぬ風で、外国人というロシア語をすべて男性で話しながら、
「モスク□に、室をさがしている外国人はどっさりいるんでしょう、こんないい室なら、家具を自分もちでも来る外国人があるだろうに……」
と、云った。女主人は、素子が外国人を男性で話したことには心づかなかった表情で、
「おことわりするのに苦労いたしますわ」
と云った。
「ちゃんとした家庭では、一緒に住む人の選びかたがむずかしくてね。わたし、娘の教育に生涯をかけて居りますのよ」
 女主人は、うしろのドアの方へ体をねじって、遠いところにいるひとをよぶように声に抑揚をつけ、
「イリーナ」
とよんだ。
 待ちかまえていたようにすぐドアがあいた。スカートの短すぎる赤い服に、棒捲(ロール)毛を肩にたらした八つばかりの娘が出て来た。
「娘のイリーナです。大劇場の舞踊の先生について、バレーの稽古をさせて居ります。――本当の、古典的なイタリー風のバレーを。さあ、可愛いイリーナ、お客さまに御挨拶は?」
 すると、イリーナとよばれたその娘は、まるで舞台の上で、踊り子がアンコールに答えるときにでもするように、にっこり笑いながら、赤い服のスカートを左右につまみあげて、片脚を深くうしろにひいて膝を曲げるお辞儀をした。全くそれが、この娘に仕込まれた一つの芸であるらしく、前にのこした足を、踊子らしく外輪においてゆっくり膝をかがめ、またもとの姿勢に戻るまでを、女主人は息をころすようにして見つめた。
 マリア・グレゴーリエヴナが、
「見事にできました」
とほめた。低い椅子にかけたまま、立っている娘を見上げる女主人、立ったまま母親の顔を見ている娘とは、マリア・グレゴーリエヴナの褒め言葉で、互に、満足の笑顔を交しあった。娘は、ドアのむこうに引こんだ。
「さて、どうするかね、ぶこちゃん」
 素子が日本語で相談した。
「場所はいいが……ちっと複雑すぎるだろう」
「わたしには、とてもあの子をほめきれないわ」
「――場所は私たちにとって便利だし、室もいいけれども、何しろわたしたちは旅行者ですからね」
 女主人とマリア・グレゴーリエヴナとを等分に見ながら素子が説明した。
「家具を自分たちで負担するのは、無理なんです」
 捲毛の渦まく頭をすこし傾けながら、女主人は無邪気そうに、思いがけないという目つきをした。
「どうしてでしょう。――わたしたちが家具を買う、というときは、いつもそれが、また売れるということを意味しますのよ。そして、私たちは実際、いい価で交換出来ないような品物を、家具とはよばないんです」
 マリア・グレゴーリエヴナが、
「いずれにせよ、即答はお互に無理でしょう」
 なかに立って提案した。
「二日ばかり余裕をおいて、返事することになすったら?――こちらにしろ」
と赤い部屋靴をはいている女主人をかえりみて、
「その間に、非常に希望する借りてを見つけなさるかもしれませんしね」
「結構ですわ」
 捲毛の女主人は、社交になれたとりなしでちょっと胸をはった姿勢で椅子から立った。
「では二日のちに――」
「どうぞ――御一緒に暮せるようになったらイリーナもよろこびますわ」
 入口のドアがしずかに、しかしかたく、三人のうしろでしまった。三人はしばらく黙ったまま、人通りのない古風なブロンナヤの通りを並木道の方へ歩いた。
「ああいう女のひとにとって一七年はどういう意味をもっているんでしょうねえ」
 マリア・グレゴーリエヴナは、黒い毛皮のついた、いくらか古びの目立つ海老茶色の外套の肩をすくめるようにした。
「モスク□の舞台にあらわれるああいう女のひとのタイプは、誇張されているんじゃないということがわかりました。――そう思うでしょう?」
 ブロンナヤの通りを出はずれて二股になったところで素子が雪の鋪道に足をとめた。
「ここまで来たんだから、ちょっと大使館へよって手紙見て行こうか」
 部屋を見に行った家の裏がわぐらいのところが、丁度大使館の見当だった。マリア・グレゴーリエヴナはそのまま真直ニキーツキー門から電車にのって帰るために行った。
 二人きりになって、二股通りを裏がわにまわった。伸子が口をききはじめた。
「珍しかったわねえ!」
 伸子はそう云って深く息をついた。
「フランス語――どうだった?」
「――ありゃ、妾だね」
 断定的に素子が云った。
「男をおかないのは、世話しているやつがやかましいからさ。あんな、うざっこい家にいられるもんか」
「あのうちにいたりしたら、日に何度娘をほめなけりゃならないかわからないわ」
 素子は、モスク□でああいう女を囲ったりしている男の生活というものへ、より多く興味をひかれるらしかった。
「あの女の様子じゃ、男はまさか政治家じゃあるまい。所謂実業家というところだね」
「実業家って――あるの? ここに」
「トラストだのシンジケートだのってあるじゃないか」
「…………」
 門の入口に門番小舎を持つ大使館は、きょうも雪のつもった大きい樹のかげに陰気な茶色の建物で立っていた。正月一日に、在留邦人の拝賀式があって、そのあと、ちょっとした接待があった。そのとき客のあつまった大応接間は、陰気な建物の外見からは想像もされない贅沢さで飾られていた。はじめこの家を建てるとき、おそらくモスク□の金持ちの一人だった主人は、社交シーズンである厳冬の雪の白さと橇の鈴音との、鋭いコントラストをたのしもうとしたのだろう。表玄関がすっかりエジプト式に装飾してあった。胴のふくらんだ黄土色の太い二本の柱には、朱、緑、黄などでパピラスの形象文字が絵のように描かれて居り、周囲の壁もその柱にふさわしく薄い黄土色で、浮彫の効果で二人のエジプト人が描かれていた。廊下一つをへだてた応接間はフランス風に、大食堂はイギリス好みに高い板の腰羽目をもってつくられていた。
 手紙をとりに事務室の方へのぼってゆく階段は、大玄関とは別の、茶色のドアのなかにあった。事務室のそとの廊下に、郵便局の私書箱のような仕切りのついた箱棚があって、在留している人々の名が書いてはりつけてある。伸子は、自分の姓が貼られてある仕切りのなかを見た。そして、瞬間何ということなし普通でない感じにうたれた。その日はどうしたのか仕切りの箱の中がいつものように新聞の巻いたのや雑誌の巻いたのでつまっていず、ガランとした棚の底に水色の角封筒がたった一つ、ぴたりとのっていた。封筒には多計代の字でかかれた表書きが見えている。その水色の厚ぼったい封筒はその仕きりのなかでいやに生きた感じだった。生きている上に感情をもってそこにいるという感じだった。伸子は変な気がして瞬間眺めていたが、やがて、生きものをつかむように、その手紙を仕切り箱からとり出した。そとの明るい光線にさらされると手紙はただ厚いだけで、別に変ったところもないのだった。
 ホテルへ帰って、二人はすこし早めに正餐をすませた。その晩は、メイエルホリド劇場で「吼えろ(リチ) 支那(キタイ)!」を観ることになっていた。
「橇にしましょう、ね」
「橇、橇って……贅沢だよ」
「だって、もうじき雪がとけてしまうのよ、そしたらもう来年まで橇にはのれないのよ――来年の冬、たしかにモスク□で橇にのるって、誰が知っている?」
 外套を着るばかりに外出の支度を終った伸子は、派手なマフラーをたらして、テーブルのよこに立ったまま、午後大使館でとって来た水色封筒の手紙を開いた。縦にケイのある実用的な便箋の第一行から、多計代のよみわけにくい草書が、きょうは糸のもつれるようではなく、熱い滝のように伸子の上にふりかかって来た。
「いま、あなたの手紙をうけとりました、異国にあるなつかしい娘から、その弟への久々のたよりをわたしはどんなによろこび、期待して見たでしょう。ところがわたしの暖い期待は見事にうらぎられました。あなたはどこまで残酷な人でしょう」
 この前保に手紙をかいたとき、伸子は、はっきり多計代に向っても対決する感情でいた。それにもかかわらず、多計代一流の云いかたに出会って伸子は、唇をかんだ。多計代が昂奮して、ダイアモンドのきらめく手に万年筆をとりあげ、食堂のテーブルのいつものところに坐って早速に書いている肩つきが、数千キロをへだてながら、ついそこに見えるようだった。保と自分との間には想像していたとおり、関所があった。はっきり保だけにあてて表書きのされている手紙だったのに、多計代は、あけて、先によんでいる。そして高校の入学祝に温室をこしらえて貰ったということについて伸子のかいたことに対して、保の考えはどうかということなどにかまわず伸子に挑みかかって来ていた。
 激越した筆致で、多計代は、保が、いまどきの青年に似ず、どんなに純情で、利己的なたのしみをもっていないかということを力説した。
「その彼が唯一のたのしみとしている温室のことを、あなたはどういう権利があって、難じるのですか。人間として、母として、私は抑えることの出来ない憤りを感じます。あなたは刻薄な人です。これまで永年の間、私がそれで苦しんで来た佐々家の血統にながれている冷酷な血は、あなたの心の中にも流れています。そのあなたが、ロシアへ行ってからの生活で――」
 そこまで読んで、伸子はその手紙を握りつぶしてしまいたい衝動を感じた。多計代は、何という云いかたをするだろう。伸子が佃と結婚すれば結婚してから、離婚して吉見素子と暮すようになれば吉見と暮すようになってから、伸子は冷酷になったとばかり云われて来た。ロシアへ来れば、多計代は偏見や先入観を一点にあつめて、ロシアへ行ってから伸子はいよいよ刻薄になったと云うのだ。多計代にとって伸子が暖い人間だったことは、一度もないらしかった。多計代にとって冷酷でないのは、保のような気質しかないのだろう。伸子は、蒼い顔になって、読まない手紙をしばらく手にもっていたが、やがて、しずかにそれをテーブルの上においた。投げだすよりももっと嫌悪のこもったしずかさで。――
 メイエルホリド劇場の舞台の上には、大きい軍艦の甲板があった。白い海軍将校の服をつけたヨーロッパ人将校が、粗末な白木綿の服の背に弁髪をたれている少年給仕を叱咤し、殴りたおし、そのしなやかな体を足蹴にかけている。こうして憎悪は集積されてゆくのだ。吼えろ(リチ) 支那(キタイ)! でも、多計代は、どうして、ああ憎悪を挑発するのが巧みなのだろう。うすぐらい観客席から舞台を見ている伸子の心に閃いた。「佐々家の血統にながれている冷酷な血」その血が、伸子の体のなかにも流れている、と、――それならその血が流れて伸子につたわるようにしたのは誰の仕業だろう、そして、それはどんな行為を通じて? 多計代のそういう行為に、子供たちの誰が参画しただろう。舞台の上は、いま薄暗い。船艙の一隅に蒼白く煙るような照明がつよく集注されている。足蹴にされた少年給仕の、縊(くび)れて死んだ死体がその隅に横たわっている。少年は、きょうだけ足蹴にされたのではなかった。きのうも、おとといも、彼の労働がはじまった日から、彼が命令者をもたなくてはならなくなったその日から、少年の恐怖ははじまった。無限につながる明日への恐怖と絶望のために少年給仕は縊れて死んでしまった。その同じ恐怖が、この船艙によりかたまった弁髪の人々の存在にふるえている。岸壁で荷役をして、酷使されている灰色の苦力の大群のなかを貫きふるえている。その大量な恐怖は憎悪にかわりかかっている。憎悪は、感情からやがて組織をもって行動にうつろうとしている。吼えろ(リチ) 支那(キタイ)! 彼等の憎悪は偉大であり、歴史のなかに立っている。観客席で伸子はかすかに身ぶるいを感じ、両腕で胸をかかえるようにした。あなたの国の人たちと、わたしの国の人たちと、どっちが苦しい生活をしているんでしょうねえ。ゆっくり、柔かく、沈んだ声でそう云ったのは、中国婦人のリン博士だった。それはメトロポリタンの奇妙な室でのことだった。いま、篝火(かがりび)のようにメイエルホリドの舞台いっぱいに燃え上って、観客の顔々を照し出している憎悪にくらべれば、伸子のもっている憎悪はほんとに古くて小さい。家だの血だのに絡まっている。「冷酷な血はあなたの心の中にも流れています。そのあなたがロシアへ行ってからの生活で――」ロシアに何があり、伸子がどうなるというのだろう。多計代の偏見では判断のつかない大きな憎悪が行動となって舞台に溢れ、真実の力と美の余波で伸子の小さい憎悪さえも実感にきらめかした。
 二日たった。ブロンナヤ通りの貸室の女主人に返事をする約束の日になった。
「ぶこちゃん、行ってことわっといでよ」
 朝の茶がすんだとき、素子が、テーブルの上を片づけている伸子に云った。
「家具の条件で?」
「――そうだろう? ぶこちゃんだって家具なんか買えないって云ってたんじゃないか」
「わたしにうまく云えるかしら――言葉の点で……」
「平気じゃないか。結局ことわるって意味さえ通じればそれでいいんだから……」
 その間に素子が机のところで、モスク□夕刊に出す求室広告をかいた。部屋の求め主を二人の外国女と書いた。
「大体こんなところでいいだろう?」
 二人の外国女(イノストランキ)などとかいたら、また経済能力を買いかぶられて、借りられもしないような条件で部屋主が手紙をよこしそうな気がした。伸子は、
「これでいいかしら……」
と、紙きれを見おろしながらためらった。
「外国女(イノストランキ)なんていうと、何だか毛皮外套(ファー・コート)でもきていそうじゃない?」
 素子は、だまって二吸い三吸いタバコをふかしながら、自分の書いた文面を眺めていたが、
「いいさ、いいさ」
 わきに立っている伸子の手に、草稿の紙きれを押しつけた。
「われわれは外国女(イノストランキ)にちがいないんだもの。――外套だって憚(はばか)りながら毛皮つきですよ、内側についてるのと外側についてるのとがちがうだけじゃないか」
 伸子はホテルを出かけた。ホテルの玄関と雪のつもった往来をへだてて向いあっている中央郵便局の建築場の前に、大きなトラックが来て、鉄材の荷おろしをやっていた。防寒用外套の裾を深い雪の面とすれすれに歩哨の赤軍兵が鉄材の運びこまれるその仕事を見ている。膝まであるフェルトの防寒長靴(ワーレンキ)をはいて、裏から羊毛がもじゃもじゃよれたれ下っている短皮外套をきた五人の若くない労働者が搬入の仕事をやっていた。
 合間に手洟(てばな)をかんだりしながらゆっくり重いビームをかつぎあげて運ぶ動作を、しばらくこっち側の歩道に佇んで見ていてから伸子は、ブロンナヤ通りへ歩いて行った。
 古びた外壁に黄色がのこり、歩道に面して低い窓のきられているその家は、きょうも窓のなかにシャボテンの鉢植えをみせていた。
 やっぱり捲毛の渦を頭いっぱいにして、しかしきょうは化粧をおとした顔で出て来た女主人が、伸子を玄関の廊下のところまで通した。伸子は、つかえるだけの単純な言葉で、彼女たちの経済では家具まで買えないからと云って、部屋をかりることをことわった。
「ようござんす。わかりました。(ハラショ パニャートノ)」
 女主人はこの前マリア・グレゴーリエヴナや素子と一緒にはじめて部屋を見に来たときの気取りいっぱいの調子とは別人のような素気ない早口で、役所でよくつかうようなふたことの返事をした。そして、ちょっとだまりこんでいたが、かすかに捲毛の頭をふり、自分で自分の気をひき立てでもするように、
「ニーチェヴォ」
と云った。
「わたしは、またあなたがたを、外交団関係の方たちだと思ったんです」
 なぜそう思ったんだろう。そう考えながらだまっていくらか仰向きかげんに向いあって立っている伸子の顔に、捲毛の女主人は瞬間全く別なことを考えている視線をおとした。が、やがてすぐ気がついたように、
「じゃあ、さようなら」
 伸子に向って手を出した。
「さようなら」
 入口をしめて雪の往来に出たとき、伸子は、やっぱりこのひとも、心の底では本当に部屋をかしたかったのだと、あわれな気がした。舞台の上にいるように、扮装だらけのいろんな表情で日々を送りながら、真実には不安があるのだ。伸子に向って云うというより自分に向って云ったような女主人のニーチェヴォの調子を思いかえしながら、伸子はモスク□夕刊社へ行く方角に歩いた。
 ニキーツキー門のところまで来たら、丁度並木道(ブリ□ール)まわりの電車が、屋根の上に白くて円い方向番号をつけて通過するところだった。そのために縦の交通が遮断された。伸子のすぐわきの歩道で、支那女が、濃い赤や黄の色糸でかがった□を、ゴム糸に吊り下げて弾ませながら売っている。□のはずむのを見まもっているうちに、伸子は、ふっとあることを思いついた。
 むきかわって、もと来た道を、二つ股のところまで戻り、左をとって大使館の陰気な海老茶色の門をくぐった。
 事務室のある二階へのぼって、廊下の受信箱をのぞいた。伸子のかんはあたった。細紐で一束にくくられた新聞雑誌が、サッサと書いた仕切り棚へ入っている。シベリア鉄道は、一週のうちきまった日にしか通っていないのだから、さきおとといのように多計代からの手紙だけが一通別に届くということはあり得なかった。
 伸子は、何となしはずみのついた気持で、棚に入れられている郵便物をすっかりさらい出した。そして、一段一段とのろのろ二階を下りながら、紐の間をゆるめるようにして、どんな雑誌が来たのか、のぞいた。モスク□へ来てからずっと送ってもらっている中央公論。婦人公論。その間に大型の外国郵便用ハガキが一枚まぎれこんだように挾まっているのをみつけた。保の字だ。
 丁度壁が高くて薄暗くなった階段口を、伸子はかけおりて外へ出た。菩提樹の根もとを深い雪が埋めている大使館の庭の柵のそばに立って、そのハガキをよみだした。読みながら伸子は無意識に一二度そのハガキの面を、茶色の鞣手袋をはめた指さきで払うようにした。保の字は例のとおり細く力をぬいたうすいペン字で、こまかく粒のそろった字面が、遠いところをもまれて来たハガキの上で毛ばだち、読めはするのだけれども伸子のよくよく読みたい感情には読みにくいのだった。
「姉さん、僕にあてて書いてくれた手紙をありがとう」
 先ず冒頭にそう書いてある。伸子は、よかった、と思った。多計代は、あんなに当然なことのように保に書いた伸子の手紙を勝手に開け、読み、おこってよこした。それでも伸子の手紙を保からかくしてはしまわなかった。そういうところは多計代らしいやりかただった。
「僕は、姉さんの手紙を幾度も幾度もくりかえして読んだ。いま、返事を書きはじめる前にも、また二度くりかえして読んだ。そして姉さんのいうことは正しいと思う。姉さんが外国へ行って、まるでちがう生活をしていても、僕のことをこんなに考えていてくれるということがわかって、僕は、ほんとにびっくりした」
 簡単に云いあらわされている文句のなかに、保が、姉・弟としての自分たちの関係について改めて感じなおしている気持が、はっきり伸子につたわった。
「姉さんが温室について書いてよこしたことは、もちろんただ僕を責めたり叱ったりしているのではない。また、温室をこしらえて下すったことを非難しているわけでもない。僕にそのことはよくわかる。姉さんは、僕に、もっとひろい社会の関係を知らそうとしただけなのだ」
 伸子は、涙ぐむようになった。保の書いている調子は重々しく真面目で、そこには、姉である伸子のいうことをちゃんと理解しようとしている心が滲(にじ)んでいるばかりでなく、保自身、自分のうけとりかたの正当さを、周囲に確認させようとしてつよくはりつめている意志が感じられた。保の書きぶりは、伸子のかいたあの手紙一通のために動坂の家の食堂でまきおこされた論判の光景を思いやらせた。
「僕は温室について姉さんの考えるようなことは一つも考えていなかった。これは大変恥しいことだと思う」
 最後の一行のよこに線が引いてあった。字を書いているのと同じ細いうすいペンの使いかたで、これは大変恥しいことだと思う、と。
 伸子は、考えるとき時々クンクンと鼻の奥をならす保の初々しい和毛のくまのある瞼の腫れぼったい顔や、小さくなった制服のズボンの大きい膝が、雪の中に立ってよんでいる自分のすぐそのそこにあるように感じた。これは大変恥しいことだと思う。――そして伸子は自分の心にもその一本の線が通ったのを感じた。恥しいことだと思う、と。伸子が勢はげしく保へあててあの手紙をかいたとき、こんなに軟く深い黒土の上にくっきりと轍(わだち)のあとをつけるように保の心にひとすじの線をひくことまでを思いもうけていたろうか。
 門のわきの番小舎の戸があいた。大外套をきた門番が伸子の立っている庭の方へ来かかった。番人は、そこにいたのが時々見かける伸子だとわかると、
「こんにちは」
と、防寒帽のふちに指さきをあてた。そして、伸子がよんでいるハガキに目をくれながら通りすぎた。番人とは反対の方向へ、大使館の門の方へ伸子も歩き出した。歩きながら、ハガキをよみおわった。温室は、折角こしらえて頂いたものだから、みんなのよろこぶように使いたい。この夏はメロンを栽培してお父様、お母様そのほかうちのみんなにたべて貰おうと思う。そうかいたハガキの終りに、やっと余白をみつけて、
「僕は姉さんにもっと手紙を書きたいと思っている」
と、その一行は本文よりも一層こまかい字で書かれていた。ハガキはそれで全部だった。
 並木道(ブリ□ール)のベンチの前には乳母車がどっさり並んで赤坊たちの日光浴をやっていた。遊歩道の上で安心しきっておっかけっこをしている小さい子供らが、外套の上から毛糸の頸巻きをうしろでしょっきり結びにされたかっこうで、駈けて来ては通行人にぶつかりそうになる。伸子は、物思いにとらわれた優しい顔つきで、いちいち、つき当りそうになる子供たちの体に手をかけて、それを丁寧によけながら、モスク□夕刊社のある広場まで歩いて行った。僕は姉さんにもっと手紙を書きたいと思っている。――保がそう云っているのはどういう意味なのだろう。日頃から、もっと書きたいと思っている、というわけなのだろうか。それとも、これからはもっとちょくちょく書きたいと思っている、ということなのだろうか。
 モスク□夕刊社で広告を出す用事をすまし、トゥウェルスカヤの大通りへ出てホテルへ帰って来ながら、伸子は、そのことばかり考えつづけた。保がこれからはもっと伸子へ手紙を書きたいと思っているというだけならば、保の手紙にこもっている姉への感情からも、すらりとのみこめることだった。これまでも、もっと手紙をかきたいと思っている保の心もちが伝えられたのだとすると、伸子は、きょうの保からのたよりがハガキで来ていることにさえ、そこに作用している多計代の指図を推測しずにいられなかった。書いてある字のよめない人たちばかりの外国にいる姉へやるのだから、こんなに心もちをじかに語っているたよりも保はハガキで書いたのかもしれなかった。けれども、姉さんへ返事をかくならハガキにおし。そして、出すまえに見せるんですよ。そう保に向って云わない多計代ではなかった。

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