道標
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著者名:宮本百合子 

「そういうときには磯崎も、気の毒なほど、骨を折って居りますわ、何とかわかって頂こうとして――でも、むずかしいものですわね、わたし、ときどき、おそろしくてたまらないようになりますの」
 須美子の濃いおかっぱの少女っぽいまんじゅう頭がすらりとした体つきのわりに、しっかりと張っている両肩の間へひっこんだようになった。きれの長い二つの眼は、ますます見ひらかれて、話している相手の素子の顔を見つめながら。
「わたしだけが、どうしてこんなにあちらの御両親から悪く思われていなければならないんでしょう」
 若い夫婦がパリへ絵の勉強に来ているという現実が、こんなにもきつく日本の嫁姑の苦しさにしめつけられていると想像するものがあるだろうか。少女っぽいというより、少年ぽく見えるほどすらりとした体つきの須美子が、純潔なきまじめさで、子供が二人もつづけて生れてしまいましたし、というのをきいたとき、伸子の心はつきうごかされて、須美子を胸に抱きしめてやりたいようだった。
「登坂先生たちは、そういうことをみんな知って居られるんですか」
「このごろは、もう何も云ってやりませんの。無駄に心配させるばかりで気の毒ですし、かえって磯崎の御両親との間がむずかしくなりますから」
 それぞれの椅子の上でだまりこんでしまった三人の女を、古風なその室の電燈が頭の上から照し、キャン□ァスののせられている椅子の影が、はだかの木の床の上に黒く落ちている。そとはすっかり夜だった。そこには人々の生活が営まれているが、須美子の孤独や苦痛にはかかわりない遠くの灯が窓から見えている。
「ごめんなさい。ついわたし、こんなことまでお話してしまって……だから磯崎にしかられるのですわ」
「わたしたちは一向かまいませんがね」
 親身な懸念のあらわれた顔つきで素子は、
「こまったこったなあ」
と云いながら、タバコをとり出した。
「わたしたちがさし出る場合でもないし――」
「……それでもこのごろは、わたくしもいくらか心が落付いて参りましたの。わたしまで一緒に絵をやろうとするから、万事が無理なんですもの。――ともかく、今のところは磯崎の勉強を中心にして居りますの、あのひとだけは、どんなことがあっても、しっかり勉強しなければなりませんわ」
 磯崎恭介の須美子に対するエゴイズムのように見えた面も、こまかい事情がわかってみると、若い恭介と須美子とが互にたすけあって磯崎の両親の、本人たちの心づかないがんこな偏見とたたかっている一つの姿なのだった。旧い重い親と子のしきたり、その生活や修業のために金を出している親たちが若い夫婦に対するときの眼角のきびしさ。恭介と須美子が若い愛で互を護りあいながら、それに対して奮闘していると云っても、そのいきさつのなかでは、女である須美子の献身が自然の帰結として求められている。須美子はしずかな決心でその現実をうけとっているらしいけれども、六つ年上の伸子は、佃との生活でもがいていたときの自分が、二十五歳という女の年を、どんな心で惜しんだか思い出さずにいられなかった。若くて能力をひそめた美しい一人の日本の女のひとが、日本のなかで暮しているよりもひとしおその矛盾が身をかむパリの環境で、良人と子供のために画架をたたんだまま暮している。伸子にとってそれは、やさしく、美しいものに絶えず犠牲をもとめているおそろしい人生に思えるのだった。
「ああ、わたし何だか苦しくて変な心もちがする」
 夜が更けると、そこで夜を明かすものが来そうなベンチがおいてあるデュトの暗い通りを、素子の腕につかまってホテルの方へ帰って来ながら伸子が訴えた。
「須美子さんの、あのいい恰好のおかっぱが肩へめりこんだようになったときの様子や、あの眼を思うと、切なくなって来てしまう。何てこってしょう! ねえ。話をきいているうちに、わたし、幾度もナターシャのこと思い出してよ。モスク□の、あのはたん杏の頬っぺたの、みもちのナターシャ。あんなにたのしく赤坊を生もうとしてはりきっていたナターシャ。須美子さんの苦しさと何てちがいでしょう。この世界には、そういうたのしさや新しい美しさがあらわれはじめた、って話したとしたら、須美子さん何と思うかしら。――ねえ、どう思うと思う?」
 だまって歩いている素子の返事を求めて、伸子は自分の腕のなかにある素子の腕をゆすぶった。
「わたしは、もうちょっとで唇から出かかったのを、やめたのよ。須美子さんがナターシャの話は、もう、自分の苦しさと関係ないよそのことのような眼をしたら、わたし、いよいよ、須美子さんがせつなくなってしまう。それに、磯崎さんに話すにきまっているでしょう。須美子さんが本気で話したにしても、磯崎さんが、宣伝だろう、なんていうかもしれないと思うと、なお云えなくなっちゃった」
 しばらくして、素子は、実際的な口調で、
「いずれにせよ、田舎へやってある子供の病気ってのが、何でもなくすめばいいがね」
と云った。帰りしなに、上の子供をあずけてあるフォンテンブローの田舎の主婦から、手紙で、この二三日すこし子供の調子がわるい、と告げて来ていると云ったのだった。ドアのところで、二人の手を握りながら須美子は、
「こんやは、ほんとにありがとうございました」
と、云った。
「おかげさまで、わたし、元気がでましたわ」
 そして、黒いおかっぱと、黒い眼のなかで、ほほえんだ、そのとき、田舎からの手紙のことが簡単にふれられたのだった。


    第二章


        一

 七月一日にマルセーユに着く予定の佐々の一家五人は、少女のつや子までをふくめて五月二十五日ごろ神戸を出帆する郵船の船にのったはずだった。
 そのことについては伸子と素子とが四月二十九日にモスク□を立って来る前、東京と打ち合わせたきりであった。カトリ丸の出帆は汽車と同じように日どりを狂わせない。さぞ大騒動であろう佐々の全員の出発も、船の出帆ばかりはのばさせられないという条件から確実にされている感じで、特別な連絡のないかぎり、旅程は順調にマルセーユに向って進められているものと伸子は信じていた。
 六月も末になるとパリにも夏らしい暑さがはじまった。メーデーがすぎると急に乾きあがって昼間は埃っぽくなるモスク□の夏とちがって、パリの空気は乾いて燃えはじめても、埃っぽさは少なかった。ガリック・ホテルの伸子の室は、午後になるとこれまでよりずっとひろく深く西からの日に照りつけられて、夜更けまで露台へのドアをあけておくようになった。建物の内庭に面した素子の室では西日はささないかわり、朝早くその内庭へ来るボロ買い男の調子のいいよび声や、内庭で自働オルガンをならしながら、窓々から小銭のなげられるのを待っている物乞いの唄、ラジオだかレコードだか小刻みなフランス風のダンス曲など、さまざまの響が窓からはい上って来た。二人はガリック・ホテルの三階から、七階のてっぺんの部屋に移ったのだった。
 長逗留の準備のために、七階へうつった伸子と素子とは、屋根裏部屋へ引越したかわりに、めいめい一つずつの室をもった。露台から遠くエッフェル塔が見えて、眺望のひらけた室であるかわりに伸子は西に面した室を。廊下をへだてた素子の室は、東側のかわり、内庭を見おろして、いくらかやかましかった。内庭に面した室の天井はあたりまえの高さだったが、伸子の室では、寝台のおかれている側と反対の一隅で斜かいに屋根の勾配が見えていた。藍と黄のマチスごのみの壁紙ではってあるその勾配の下に、三階の室にあったものより粗末な化粧台が、三面鏡のかわりに単純な一面の鏡をもって置かれている。一人室のここでも寝台はやっぱりかさばって室の大きな部分を占めているのであったが、屋根裏の勾配や簡単な化粧台はその室の気分を、伸子のおちつきいい程度の学生っぽさにしているのだった。
 七階には、ほかの室にも伸子たちのように贅沢につかう金はもっていないがその夏をパリで暮そうとしているアメリカ人の若い女が二組ほどとまっていた。そのうちの一組は伸子たちのように向い合わせた室を別々にもっていた。ホテルじゅうに人気がすくなくなっていて、室にいるものは昼寝でもしたい午後の時刻、廊下のどんづまりに向い合った室をもっている伸子と素子とは、涼しくいるために、互の室のドアをあけはなしていた。そんな時刻には、三つ四つさきに向いあっているアメリカ娘たちの室のドアもあけはなされていて、内庭に面した側の室にいる娘はエリザベスとでもいう名でもあるのだろうか、西側の室の開けはなしたドア越しに、遠慮ない声で、
「ベス! あのひとのところへ電話をかけた?」
と云っているのがきこえて来たりした。あのひと、は男性で云われている。ベスとよばれた女の声が、平板に無味乾燥に、
「ええ(エア)」
と返事している。はなれたところからきいていると、それは、手紙をかくとか、物を縫おうとしているままで返事する声であった。無関心さがその声にあらわれている。あのひとに電話をかけた? という言葉からちょっとかきたてられそうになった伸子の好奇心がさまされた。伸子は部屋着のまま寝台の上にころがっている。揃えてのばしている爪先に力をいれてぐっと体をのばすと、赤坊がはだかにされたときそれをよろこび、膝小僧をひっこめて伸びをする、あんな風な気持よいこきざみなふるえが伸子の全身を走った。七月になろうとするパリの日盛り、空気は暑く灼けている。内庭にきこえている辻音楽師の自働オルガンの響。伸子は少しねむたい。精神も肉体も軟かく開放されてくつろいでいる。
 そのとき素子は、クリーム色地に水色とさっぱりした緑色の縞のパジャマ姿で、自分の室の窓から内庭の辻音楽師を見下していた。内庭をかこんだ建物の窓は大部分あいていて、その一つの窓から赤いブラウスを着た女が、いつかの夕方デュトへゆく途中で見たように、大きく窓から半身のり出させて、同じように内庭を見下している。辻音楽師はさっきから、もう三度もくりかえしてワルツだのタンゴだのを鳴らしていたのだった。どうしたのかどこの窓からも小銭を投げるものがない。素子は、自分が小銭をやろうかという気になった。テーブルの上においてあるハンド・バッグに目をやった。が、そのまままた内庭を見下した。年とった乞食音楽師は、古びたソフトをかぶって、ごみっぽいシャツの胸にダラリと赤いネクタイをたらし、忍耐づよく内庭のコンクリートへ目をおとしたまま、一本脚の上に立っているオールゴールのハンドルをまわしているのだった。
 素子には、七階の高いところから、井戸の底のように見える内庭に立っている一人の人物に向って、小銭を投げてやる、という動作に、不自然があった。猿にでも物をやるように、投げてやる。それができにくかった。
 去年の夏、レーニングラードのパンシオン・ソモロフにいたとき、同じ宿に重い心臓病の元看護婦長ペラーゲア・スチェパーノヴァという女がとまっていた。青ぶくれて、ときによると夜眠れないほど息苦しい大柄のペラーゲア・スチェパーノヴァは、幾日もつづけて自分の部屋から出て来られないことが多かった。ある日、彼女がめずらしく正餐(アベード)に列席した。同じ食卓についていた高級技師の細君であるリザ・フョードロヴナがそのときペラーゲアの病気に同情をしめして、部屋にとじこもっていなければならないのは退屈なものだ、と云った。すると、ペラーゲア・スチェパーノヴァは、蒼くむくんだ顔の上で薄い眉毛をもち上げるような表情になりながら、
「たまったものじゃありません(ウジャースノ)」
と云った。
「わたしは、窓から子供たちに菓子を投げてやるんです」
 わきできいていた素子や伸子に、すぐにはその意味がのみこめなかったほど、ペラーゲア・スチェパーノヴァの云いかたには、愛情もやさしみもなかった。投げてやる菓子そのものへの軽蔑があるかのような調子だった。伸子はそのときおどろいて素子に云った。
「窓の外の雀にパン屑をやるんだって、人は、もっとちがった云いかたをするものだと思うわ。あのひとは、心の底には憎悪をもって、子供たちに菓子を投げているのね、きっと。ソヴェトになったって、貧乏人の子供は、ほれ、この菓子をひろうじゃないか、あのひとは、そう思って、凄い顔つきで、お菓子を投げてやって、ひろうのを眺めるんだわ」
 ペラーゲア・スチェパーノヴァは、革命やソヴェトや、地方で地主に反抗した農民に対してはげしい、病的な憎悪をもっている女だった。伸子と素子とは、反ソヴェト的な市民というもののいくとおりかのタイプを、芝居でみるよりも近く、会話一つ一つのこまかい心理にふれて、パンシオン・ソモロフのひと夏の生活のうちに観察した。
 素子は、自分にむかって皮肉なうす笑いをもらして、窓のそばをはなれた。内庭でオールゴールを鳴らしている辻音楽師にとって、必要なのは十サンティームであり、それが投げて与えられる、ことが問題でないのはわかりきっていたから。わかりきっていても、何となしそうできにくくなっている自分の、人間として人間に対する感情を、素子は、思いがけない自分を見出したように眺めるのだった。
 ふらりと伸子の室へはいって来た素子を見て、
「ひるねしていたんじゃなかったの」
 寝台のまんなかに仰向けに臥て、頭の下に両手をかっている伸子がきいた。
「ぶこは? ねたのかい?」
「ねたというほどはねないわ。――でも、暑いわねえ」
「七階だからさ。屋根からやきつけてくるんだもの。涼しかろうはずはないさ」
 伸子は、五月二十日ごろ神戸を出た欧州航路の船はいまごろ、どの辺を通過しているだろうと考えていたのだった。地中海に、はいっているだろうか。それともその手前のスエズ辺だろうか。母の多計代は日本服で旅行に出て来ているから、帯がどんなに厄介で、暑いだろう。夏になると毎年東京をはなれて暮していた多計代のことを思い出し、いくら乾燥していてしのぎよいと云っても夏のヨーロッパへ出かけて来たことについて、伸子は、はじめてまじめな心配を感じもするのだった。
「わたし、うちの連中のことを考えていたの。――やがてもうそろそろよ」
 伸子は、寝台の上におきあがって、坐って、小さな苦笑を唇の上に浮べながら素子に云った。
「えらいさわぎになるでしょうが、どうかあしからずね」
 ちらりと眼をそらすようにして素子が、
「そう云えば、本当に来ているんだろうね?」
と云った。
「一向音沙汰がないけれども――」
「大丈夫でしょう、ここの大使館の増永修三ってひとが、連絡してくれることになっているから。着いてからのホテルのことや何かも、父は直接そちらにたのんでいるし」
「増永って――増永謹の息子ででもあるのかい?」
 佐々泰造の同時代人で、増永謹は有名な銀行家だった。
「そうよ。こっちへはもう三四年いるんじゃないかしら。大した秀才なんですって……」
 素子がまたふらりと自分の室へもどって行って、まだ下手なタイプライターの音をさせはじめたとき、廊下をこっちへ近づいて来る男の靴音がした。どこかのドアのところで止るだろうと思ってきいていた靴音は、そのまま隣りも通りすぎようとしているので、伸子は、いそいで寝台からおりて、自分の室の開け放されているドアをしめようとした。そこであやうく、鉢合わせしそうに顔を合わせたのは、磯崎恭介だった。
「あら! あなただったの!」
 その声で、向いの室から素子も顔を出した。
「めずらしいじゃありませんか」
 磯崎がガリックへ伸子たちを訪問に来たのははじめてなのだった。
「一人ですか? ま、入って下さい」
 素子は、磯崎と一緒に伸子の室の方へはいりかけた。ベレーをかぶったまま、蒼い顔をしていた磯崎は、
「ええ」
と、曖昧に返事したが、若向きの縞の背広につつまれているやせぎすの体をこわばらして廊下に立ったきり、
「実は、思いがけないことがおこったもんで」
と云った。
「田舎にあずけてあった子供が、けさ、急になくなったんです」
「なくなった?――死んだんですか?」
「それほど悪いとは医者も思っていなかったらしいんですが……」
 磯崎の瞼の下にそがれたようなやつれが見えた。
「――つい、四五日前じゃありませんか。わたしたちが夕方、あなたの留守にデュトへ行ったのは。――あのとき、須美子さんがちょっとそんなことを話していられたけれど」
「あの次の日須美子と二人で、行って見たんです。そして、あっちのマダムもすすめるもんでパリへつれてかえって来て、そのまま病院へ入れたんです。医者もただの消化不良だって云っていたんですが」
「――子供なんて、こわいなあ。それで、どういうことになるんです? 出来ることがあったら云って下さい、何でも手伝うから……それにしても急なんだなあ」
 話の中途から、伸子は半開きにした衣裳箪笥の扉のかげにかくれて、外出のできるなりに着かえはじめた。伸子たちは、その亡くなった子供には一度も会っていなかった。ただ、フォンテンブローにあずけられている上の子と、話にきいていただけだった。あのデュトの家で、あのおかっぱの須美子が、パリにいてさえ絶えることのないああいう姑たちへの気がねの間で、子供に死なれた様子を思うと、伸子はたえがたかった。蒼白く蝋のようにかたまった小さい死んだ赤坊の顔。とじられている瞼や鼻のまわりに、紫がかったかげがあった。黒い小さい口がすこしあいている。その顔は花に埋まっている。それは伸子が十七歳の初夏に死んだ赤坊の弟の死顔だった。消化不良と云われていた美しいその赤坊は、多計代が鏡台に向って髪を結っていた、そのうしろのほろ蚊帳のなかで、眠っているうちに息がとまっていたのだった。
「子供のことなんかでおさわがせしちゃわるいと思ったんですが、須美子がたっていうもんですから。――明日の朝、十時から葬式しますから、それだけでもお知らせして置こう、と思って」
「そりゃ、わたしには知らしてもらわなくちゃ!」
 須美子の父の登坂教授に対してもすまないという風に素子は云った。
「ちょっと待って下さい。すぐ仕度しますから」
 磯崎につづいて、素子、伸子がデュトの家へ着いたとき、ドアをあけた須美子は、泣きたい涙はもう一人でいるうちにすっかり流したという疲れた蒼い顔だった。
「ごめん下さい。おさわがするようなことになってしまって」
 一人一人、素子と伸子の手を握った須美子の握手に、しずかな言葉づかいのうちに抑えられている悲しさの力がこもった。磯崎が、子供の棺のおかれている隣室へ去ったとき、須美子は、黒い服の膝の上においている両手の指をかたく組み合わせ、くい入るようにつぶやいた。
「こんな思いもかけないことになってしまって――。あちらの御両親は、何とお思いになるでしょう」

        二

 磯崎の子供の葬式の日は雨だった。
 ペイラシェーズの墓地のなかに建てられている礼拝堂のような火葬場の祭壇風の大扉のむこう側で、子供の屍をやく焔が燃えた。とけるように赤い焔の色が、そのかげに棺がはいって行った祭壇風の高いところにある扉のガラスからのぞかれるのだそうだった。磯崎恭介は、はじめて子をなくした若い父親の感情と芸術家の追究心と二つに心を奪われている表情で、その扉に顔をよせている。
 伸子と素子とは、黒い服を着た須美子をまんなかにおいて、壇の下のベンチに並んでかけていた。左手の弓形窓から、ペイラシェーズの新緑の色が、雨にぬれてうすらつめたい礼拝堂のコンクリート床の上に流れていた。ベンチのかげや、壇のかげや、そこにあるすべての物の影は、長くのびていた。自働パイプ・オルガンの鎮魂の祷りの曲が、悲しみにつつまれながら泣いていない四人の男女のいる礼拝堂の天井に響きわたった。
 一時間ばかりたったとき、僧服のような黒いなりの男が素焼の骨壺に納められた子供の骨を捧げて現れた。磯崎がその壺をうけとって、その黒衣の男の案内で礼拝堂の外廊づたいにしばらく行った。寺院めいた柱列のある一つの場所へ出た。丁度骨壺の入るだけの四角さに区切られてペイラシェーズの庭に向った一方の高い大きい壁面の全体が納骨所になっている。中央に、十字架のキリストが飾られている。その前に花束が三つ四つそなえられている。ささやかな花束は、壺を抱いている磯崎にしたがって須美子、伸子、素子がゆく外廊の煉瓦の通路の根がたにも、ところどころに置かれていた。高いアーチ形の天井の真下までアパルトマンの高層建築のようにつまっている四角い箱の壁の、花束のおかれている列の上のところのどこかの一つに、その人が愛したものの骨壺が納められているのだろう。
 磯崎恭介の子供の骨は、その納骨都市のずっとはずれの、ほとんど天井にすれすれの一区切りの中にしまわれた。2568という番地だった。黒衣の男は、脚立(きゃたつ)を片づけて、ちょっと黙祷すると、みんなをあとにのこして去った。磯崎恭介、須美子、伸子と素子。四人は一列に立って首をあおむけ、小さい子の骨のしまわれた高い高い場所を見上げた。恭介が、かすかな辛辣さで、
「これなら、順坊も昇天うたがいなしでいいや」
と云った。
 伸子は小さい声で素子に、
「花を買ってくればよかった」
とささやいた。パリの、ヴォージラール街のホテルの七階の屋根裏部屋にいた伸子は理解したのだった。磯崎の子供も、この納骨都市のアパルトマンでは、やっぱり七階にいるようになったのだと。
 伸子と素子とは、磯崎夫婦を送ってデュトの家へよった。そのタクシーでホテルまで帰って来た。帳場で、室の鍵といっしょに、一枚の紙きれをうけとった。ちらりと電話番号の書かれてあるのだけを見て、伸子と素子とは、ノートの紙切れをもったまま、室へあがって来てしまった。
 パリで、雨の日に、淋しい子供の葬式につらなることが起ろうとは、伸子も素子も思っていなかった。二人も、ふだんの服装のままであった。二人ともベレーをかぶって。磯崎もそうだった。金のあるものなら赤坊のために教会で行うだろうような儀式は一切ぬきに、磯崎の子供は、メトロに乗せられたように火葬場の自働パイプ・オルガンの昇天のうたに送られて、何の渋滞もなくあの天井にくっついた一区切りの中に、はいって行った。その手っとり早い簡単さのなかには、伸子の心の涙を乾きあがらせる生活の容赦なさがある。
 伸子は、帰って来た着もののままベッドに体をのばして、ペイラシェーズでの須美子の横顔を思いかえした。窓から流れ込むぬれた緑の光線をうけて、須美子の黒くて濃いおかっぱの上に青みがかった光があった。端正な横顔の輪廓が、悲しみにかたく鋭くされて、痛いような線だった。パイプ・オルガンが人気ない礼拝堂の空気をふるわして鳴りはじめたとき、伸子は、思わずはっとして、須美子を支えるために手をのばしそうにした。深く顫えるようなパイプ・オルガンのひと鳴りといっしょに、体をすり合わせるくらい並んでかけていた若い母である須美子の全身から一時に血がひいたように感じられたのだった。須美子は、やっと感動の打撃にたえた。そしてますますきつく両手の指を膝の上でからみ合わせながら、かたく目をつぶった。厚い美しいおかっぱのきりそろえられている頸すじを、苦痛に向ってもたげたまま。――
 柔かくてひろいベッドの上に背中をのばして、伸子は須美子のことを思った。ホノルルにいた二週間が、わたしの一生のうちでは、一番幸福なときだったのかもしれませんわ。デュトの家でそう云った須美子。こんな思いがけないことになってしまってあちらの御両親は、何とお思いになるでしょう。自分の歎きよりも先にそう云った須美子。――
「ちょっと! こっちへ来られる?」
 伸子は、向いの自分の室で、横になっているらしい素子に声をかけた。
「何さ」
「こっちへ来て」
「自分で来りゃいいじゃないか」
 そう云いながら、やがて入って来た素子は、もうパジャマに着かえていた。
「何だ! まだそのまんまか。ぬぎなさい、ぶこ。だめだよ、いつまでも亢奮していちゃ」
 伸子は、ねたまま寝台のわきへ来て立った素子の手をとった。
「ね、磯崎さんて、これからも花なんかしきゃ描かないつもりなのかしら」
「どうだか……。なぜさ、またいきなり――」
「考えていたら、妙な気がして来てしまった――磯崎さんにはあの須美子さんが見えないのかしら」
 伸子は、あのというところに力をこめて云った。
「須美子さんは、あんなに人生をもっているのに――」
 ペイラシェーズの、つましい花束が通路のわきにささげられているあの納骨都市の下に、小さく低く並んだ四人の人間が、首を仰向け、子供の骨が、高い脚立の上に立っている黒衣の男の手で天井の下の一区切りにしまわれてゆくのを見上げていた光景、伸子がこれまで見たいろいろな画集の、どこにも描かれていないパリの生活の絵だった。
 磯崎の子供の寂しい葬式のあんまり鮮やかな印象と、須美子の悲しみの真新しさは、伸子自身の悲しみの上をおおいかけていたうす皮をむくのだった。
 去年の八月一日に、保は東京の家の土蔵の地下室で自殺した。伸子は、その夏、レーニングラードのデーツコエ・セローにいた。あの当座、伸子は、思いもかけない瞬間、宙にささやかれる声をきいたように八月一日、と思い出し、保は死んだ、とかみそりで切られたきずがいつまでもつかないように傷のうずきを感じた。
 磯崎の子供の寂しいきょうの葬式の次第は、淡彩の鉛筆画のように目の前にあったが、保の葬式について伸子は何ひとつ描くべき画をもっていなかった。彼が自殺した。その衝撃があんまり大きくて、父の泰造が自筆でモスク□にいる姉娘の伸子のために書いてよこした手紙にも、葬式のことはわれしらず省略されていた。保は死んだ。ただ一つの動かすことのできない事実。しかも、伸子にとっての保は、きょうも二十歳の高校生で、ぽってりとした上瞼をもち、口ひげのある上唇をもち、あどけなく両手でふとり気味の膝をたたいて笑う生きた保である。
 愛するものが死ぬと、そのおもかげから、年月の間にかさねられているさまざまのやさしい思い出までが、いっしょに死んで、生きのこったものの心から消えてしまうものだとしたら、人間にとって死は、どんなに動物の生き死めいた、たやすいことになるだろう。死んでしまった。どこに求めても、もうその生きた姿は、その人を忘れない者の心のなかにしかない。そこがつらい。
 子供をなくした須美子の手をかたく握って、伸子はやっと、
「しっかりしてね」
ということができただけだった。
 死が窮極には、生のなかにしか――生きているものにとってしか存在しないという事実は、何と意味ふかいだろう。伸子はしみじみと、その点について考えるのだった。死んでしまったものにもう死はない。死が生きられているものであるということ、生の価値にかえられて生きつづけられるものだということ。死にようということが、つまりはその人の生きようでしかない。死さえもそのうちにつつむ生の事実は何と豊富であり、厳粛だろう。その生のうちに、社会が存在し、階級が存在する。伸子は、生の厳粛さとして、もし神を信じるものなら、人間のよりよい人生への奮闘を肯定しないではいられないはずだと思うのだった。事実はそうでない。イタリーの法王は、現代の十字軍として反ソ十字軍をよびかけている。そして、キリストの甦りという、彼らにとって基本的な奇跡が、マグダラのマリアというイエスを熱愛した一人の女のはげしい生の欲望を通じてでなければ伝説として生れることさえできなかったのだという、そのきびしい生の肯定を、人さし指に指環をはめた自分たちの手でけがしている。
「さ! ぶこ! 下へ行ってコーヒーでものんで来よう。こんなにしていちゃ、しかたがない」
 素子は、伸子の両手をひっぱって、寝台からひきおこした。伸子は、すなおにされるままになった。
「着かえて来るから、その間に顔でもあらっておきなさい。いいかい?」
 伸子は浴室へはいって、水でゆっくり顔を洗って来た。そして、口紅のスティックを出そうとしてハンド・バッグをとりあげたら、その下から、さっき帳場でうけとって来たままだった紙片があらわれた。ああ、忘れていた、と伸子は思った。そして、フランス風の曲線的な書体で、大きく書かれている鉛筆の字をよんだ。
「ムシュウ・マスナガ。電話、エトワール2957――61。十時――十六時。」
 何のことだろう。マスナガ――増永――
「ああ、そうか!」
 いよいよ佐々のうちのものがマルセーユにつく日がわかったのだ。伸子は、こうしていられないという気になった。紙きれをもって、素子の部屋へはいって行った。
「ちょっと。いよいよよ。さっきの紙きれね、増永さんが連絡しろ、ということだったわ」
 伸子の顔の上に、開けようのわからないドアの前へ立たされた人のような表情があらわれた。




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