道標
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著者名:宮本百合子 

 蒲原にタバコをとらせ、自分も咥(くわ)え、火をつけて、煙をふかく吸いこみながら、なおカンヴァスから目をはなさずにいたミチェンコは、突然、
「タワーリシチ・カンバーラ」
 蒲原の名をよんだ。そして、自分でもその発見に目をみはる声の調子で、
「どうして、君は、人物の肉体をすっかり描かなかったんですか」
 例の手まねで、
「足もとから、体をすっかり頭まで」
 自分の体の線をたどって足から頭まで人さし指を動かした。
 蒲原の画面では、催涙弾をうけた瞬間の市電従業員の群が左側に大きく迫った八分身で描かれ、早くも倒れた一人の婦人車掌の体をこして、むこうに、警官隊の例が見えている。
「全体の物語をお描きなさい。労働者たちが、こういう野蛮な襲撃をうけたとき、彼らは、いつだって全身でたたかわなければならないんです。ごらんなさい、こんな風に」
 蒲原の画面にあるとおり、ガス弾をうけてはっと両手で顔を掩(おお)い、肩をねじった労働者の、腰、脚、足元が、その瞬間どんな運動をおこすか、画家ミチェンコは、自分の体でやって見せた。
「ごらんなさい。体全体がこういう風に動くんです。体全体で抵抗するんです。肉体でたたかうんです」
 大きい掌で、蒲原の肩をたたいた。
「あなたには技術があります。やってごらんなさい。僕は君の成功を疑いません」
 こんどの批評は、蒲原順二を、長いこと彼の下絵のよせかけてある板壁の前から身動きさせないものをもっていた。ミチェンコの批評は、一枚の下絵について話された技術批評をはみ出して、労働者は彼らを搾取する権力のもとではどのように生きなければならないか。その真実についての物語の一節なのだった。
 伸子はミチェンコの批評の実感にうたれた。蒲原順二はポケットに手をさしこみ、両脚をひらいて立ち、浅ぐろい日本青年の顔をたれて、上目に自分の仕事に見入っている。彼のその様子には、モスク□へ来てからきょうはじめて、正直に、参った、というところが見えた。美術上の問題の底が、ミチェンコが直截に描き出したような労働者生活の現実に根ざしている。そのことを、蒲原順二はみとめずにいられなかったのだ。そして、この理解は、彼がいくらか批判をこめた語調で、こっちの画家は大衆の目そのもので、絵を見ようとしているらしいですねと、その素人(しろうと)っぽい素朴なリアリズムの態度にふれた、彼の言葉の一部にある浅さをも、蒲原に自覚させているらしかった。
 画家らしさからというよりも、青年らしさから、ミチェンコの批評をまともにうけた蒲原順二を、伸子は親愛の感じをもって眺めた。

        十三

 プロレタリア美術家同盟は、蒲原順二の二度目のやりなおしを支持して、制作が完成したときに支払う予定の金の一部を、早く彼にわたしてくれた。

 その金で、蒲原は、同盟の事務所で知りあった若い画家の親戚という家の一室をかり、パッサージ・ホテルをひきはらった。モスク□河岸のあっち側で、ごろた石じき道の上に馬糞や藁くずの散っている倉庫通りから入った、裏町の一隅だった。
 ペンキのはげた木造の門が傾いて立っている。乱雑にがらんとした内庭をかこんで、いくつか建てられている古びた木造家屋の中には、幾組もの家族がこみあってすんでいるらしく、内庭に面してほしもののある出入口の階段に、子供たちがかたまって遊んでいた。
 蒲原のかりた室は、ひどく脂じみていて床の一部は腐っていた。
「モスク□には、むずかしい規則があるんだそうで、僕はここで借室人ではないんです、泊り客というわけなんです」
「なるほどね。お客をとめるにしちゃちょっとひどすぎるけれど、絵をかく人なんだから、ホテルになんぞいるよりずっといいですよ。ホテルじゃ画なんか描けっこないさ。雰囲気がないんだもの」
「そうなんです」
 蒲原は、伸子たちのところを出た動機が、素子にも自然に理解されていることを満足そうにうなずいた。
「おまけに、僕自身、少々、まとまりよく出来すぎているんです。――芸術家として、マイナスだと思うけれど、生れつきかなあ」
「ふ、ふ」
 素子が好意とからかいとを交ぜて若者を見る、年かさの女の眼で蒲原を見た。
「それできみが芸術家きどりだったりしたら、一日でわれわれのところはおはらいばこさね」
 蒲原は、意識してか意識しないでか、伸子と素子と、どちらに対しても、中性的な存在として暮したのだった。

 補助ベッドがとりはらわれて、伸子たちの部屋は久しぶりにひろびろした。何もなくなった床のそのところに窓からの朝日がさしこんでいる。気がねなしに、ぬいだり着たりすることは伸子にとって新鮮なくつろぎだった。
 そういうある朝、二人きりの、のんきな時間で伸子と素子とが茶テーブルに向いあったとき、ドアがノックされた。何となし、ききなれないノックの音だった。伸子と素子とは、目を見合わせた。
「お入りなさい」
 素子の声といっしょにドアがあいて、姿を現したのは、ベルリンの川瀬勇だった。
「やあ――いま、お茶かい?」
 まるで、ついそこから来たひとのような調子で、川瀬は、あいている長椅子のところへ行ってかけた。
「その後、いかがです?」
「そっちこそ、どうなのさ」
「うん、まあ、相変りつつ、相変らずってところだな」
「中館君は日本へかえったらしいね」
「ああ。結局帰ることにしたんだ。――その方がいいと思うだろう?」
 伸子たちがベルリンに滞留した去年の初夏、中館公一郎は川瀬勇などのグループにまじっていて、映画監督として新しく生きる方法について、いろいろの問題を悶んでいた。モスク□へ歌舞伎が来たとき、中館もモスク□にいてソヴキノの仕事ぶりを研究したりもした。
「あのころもずいぶん、迷っていたようだったが……」
「みんな、それぞれ迷うんだな。しかし、あれでよかったんだろう」
 川瀬勇は、彼流に、説明をぬいた話しかたをした。
「ところで、君自身は、どうしているのさ?」
 長い脚をくんで、長椅子にかけている川瀬勇の頭から足の先までを、素子はわざと、じろじろ調べるように見た。
「例のひとの方は、どうなった?」
「結婚したよ」
 中国青年にみまがう眼のおおきな川瀬勇の顔の、耳の下がすこしあからんだ。
「じゃ、わたしたちも何かお祝いしなくちゃいけないわ」
 会ったことのない川瀬の新妻のために、伸子は何をおくったらいいだろうと思った。
「それもそうだが――大体、きみはいつまでここにいるのさ」
「きょうの午後、帰る」
「か、え、る?――ほんとかい?」
「ほんとさ」
「あきれたひとだ、じゃ、モスク□へはいつから来ていたのさ」
 川瀬は、だまったまま素子の顔を見て組んでいる脚をぶらぶらふりはじめた。彼として、素子の質問は答えるに不便なことらしかった。
「そんなことは、まあいいとして……午後立つというんじゃ御飯によぶわけにも行かないし……」
 ベルリンで毎日世話になっていた川瀬がモスク□へ来たのに、何のもてなしもするひまがなくなってから会うことになったのを、素子はひどく残念そうだった。
「――ひとこまらせだよ、こんなの……」
「出かけてしまっているかとも思ったんだが、ひとめ会おうと思ってね」
 もうやがて十一時になる時刻だった。伸子は、ひとのいい若い女らしい気のもみかたで、素子に相談をもちかけた。
「ねえ、川瀬さんに、なにをお祝いする? もって行かせなけりゃ。こっちから品物は送れないんだから」
「何にもいらないよ」
「そうは行かないがね」
 考えていて、伸子と素子とは、いちどきに口をききかけた。
「この間クスターリヌイ(民芸美術館)へ行って買って来たものを出して、見てもらおう。その中から気にいったものをよってもらうのがいいだろう」
「わたしもそう思ったところだった。じゃ、すぐ出す」
 床の上にひざまずいて、伸子は自分の寝台の下におしこんである籐の大籠をひき出した。そして、ロシア刺繍のほどこされた数枚のテーブル・センターと、まだ仕立ててない婦人用ルバーシカを、テーブルの上に並べた。
「ホウ。――こりゃ、きれいだ」
 ロシアの民芸として刺繍は世界に知られていた。色どりも図案も繍(ぬ)いかたも多種多様で、北方地方のものと、ウクライナ辺の作品とでは配色も模様も、全くちがった。
 伸子は、ルバーシカ地をひろげた。
「これにしましょうよ、川瀬さん、これはきっと、奥さんに似あうと思うわ、どう?」
 ざんぐりした麻の布地に、水色と空色金のようなレモン色、それにところどころ濃いブルーをちりばめて、小花のようにつづいた幾何模様が繍いとりされている。ドイツの女のひとであれば、ゆたかな金髪であろう。そして、川瀬の妻であるひとならば、きっと、さっぱりとした頬の色のひとであろう。そういう金髪と自然な頬の色に、このルバーシカを仕立てて着たら、夏のころには、なかなか眺める川瀬の眼にもたのしかろう。伸子は、そう思って、すすめた。
「だって、誰かが着るために買ったんだろう」
「あながちそうでもないんだから、いいよ。黒い髪よりは金髪のひとが着た方がひき立つ」
「そりゃあそうかもしれないね、この色どりは……」
 伸子は布地をひろげて、これはカラーの部分、これはカフス、これは胸前のたての襟になるところ、と、ルバーシカが仕立あがったときの形に、刺繍された布を並べた。
「ああそうか、その布は、そこへ行くわけか」
とひとりごとを云いながら、伸子の手もとを眺めていた川瀬は、ふと、あたりまえの話し声で、
「おやじさんが、是非また会いたいそうだぜ」
と云った。
 伸子は、顔をあげて川瀬をみ、ひどく当惑した表情をした。メーデーの前に山上元のところへ訪ねて行ったことは、素子に話してなかったのだった。困った伸子の顔つきを見て、川瀬は、
「そうだったのか、失敬した」
 しかしそのまま、やはりあたり前の声でつづけた。
「きょうの三時に来てくれっていうことだ」
「ふーん」
 素子が、不快そうな口元の表情で、タバコの煙をはいた。
「そういうことだったのか」
「失敬した。僕は、どっちも知っていることなのかと思ったもんだから」
「わたしは何にも知らないよ。しかし君の関係したことじゃない」
 この場は気をとり直そうとする声の調子で、
「まあいいさ。――どっちみち、わたしの用じゃないんだから。――こっちの方をきめようじゃありませんか」
 結局、川瀬はルバーシカを伸子たちからの祝いとしてうけとった。
「貰い立ちしてもいいかい?」
 立つ前に、モスク□でまだすましておかなければならない用事があるからと、川瀬は、それから三十分もいないで、伸子たちの室を去って行った。
 伸子は、二人きりになって、ますます困惑した。だまったまま、テーブルの上にひろげられている刺繍を片づけはじめた。ゆっくり動いている伸子の上に、素子の視線が釘づけになっている、それを伸子は重苦しい疼痛の斑点のように、自分の肉体に感じた。
 とりちらされたテーブルの上が殆んど片づいたとき、素子が伸子にきいた。
「ぶこ、行くんだろう」
 きょう三時に来るようにという山上元のことづてをまもって、行くのだろう、という意味だった。
「行こうと思う」
 素子の不快そうな、こわい顔におじけづかないように、自分をはげましつつ、伸子は、テーブルのわきに立って、返事した。
「話をしなくて、ごめんなさい」
 ――しかし、この間、ひとりで山上元に会いに行ってしまったことが、ほんとうの意味で素子にあやまらなくてはならないことなのかどうか、伸子にはっきりしなかった。伸子が、山上元に会って見ようと思いはじめ、それをひとりで実行した、その心もちの過程には、何か伸子だけのひそかな動機――伸子自身にさえ明瞭になっていない動機が熟していたのだった。マヤコフスキーの自殺や、第二芸術座の「チュダーク(変り者)」や、その刺戟のほかに、素子の日々の生活の感情そのものの中に、伸子を素子にはだまって山上元のところへ行かせるものがあるのだった。
「ぶこが行くのは自由さ。わたしにだまって行ったのも、自由だろうさ。だけれど、もし……」
 素子の声が震えて途切れた。素子の眼に涙がいっぱいになった。
「もし、わたしも、行きたかったんだとしたら、ぶこ、どうしてくれる」
 そういうことがあろうと感じられていなかったからこそ、伸子は素子にだまって、リュックスへ出かける気持になったのだった。伸子は、赧くなって、涙を目にためた。
「ごめんなさい」
 心からあやまった。
「わたしには、そう思えなかったもんだから……」
 やっと、一つの道を見つけて、伸子は素子に云った。
「あなたも行っていい心持なら丁度いいわ。きょう、いっしょに行きましょうよ。この前だって、何にも用という用はなかったんですもの、いっしょに行って見ましょう」
「そんなことが出来るかい!」
 いつの間にか火の消えたタバコを咥えたまま素子は、明るい窓の外に顔をむけた。
「きみに、来い、と云ってよこしたんじゃないの。わたしも来い、とは云ってよこしちゃいないよ。子供のおともじゃあるまいし、用もないのに、のこのこ、くっついて行かれるもんかどうか、考えてみればわかるじゃないか」
 それはそうだけれども、と伸子は考えるのだった。
「御馳走によばれるのとはちがうんだから、わたしは、かまわないと思うけれど……」
 ことの順序として、リュックスに電話し、きょうは素子もいっしょに行くことを、山上元に知らして、承諾を得ればいい。伸子はそれが不可能だと考えなかった。
「ね、そうしていいでしょう? この間のとき、あなたの話もでたのよ、だから……」
「まっぴらだよ。わたしが会いたければ、自分で勝手に行くだけだ」
 素子の気分をやわらげようとつとめる自分に、伸子は抵抗を感じた。素子は自分から一度でも山上元に会おうと思ったことがあったのだろうかと。

        十四

 からりと晴れた、人通りの賑やかなトゥウェルスカヤ通りの角に立ったとき、伸子は思わずベレーをかぶっている頭をふって、深く息を吸いこんだ。
 素子の前にひきすえられていたような、ホテルの室での気分は、何と苦しかったろう。外へ出ると、こんなに気持がはればれする。そのことが伸子を悲しくするのだった。
 ゆっくりと、しかし確実な目的をもっている者の歩きつきで、伸子はトゥウェルスカヤのゆるやかな傾斜を、上(かみ)へのぼって行った。そして、リュックスの表ドアをはいった。受付の男は、はじめて伸子が来たときにいた男だった。彼は、事務的に伸子の旅券をあずかった。
 二階の廊下に、きょうもかすかにシチのにおいが漂っている。けれども、アルミニュームの鍋をもって通りがかる女のひとに出会わず、伸子は、もう一つ曲ったところにあるうす暗い廊下で山上元のドアをたたいた。
 きょうはタイプライターが片づけられている。出窓のところに干されている婦人靴下もなかった。出窓は、そろそろ六月になろうとする季節に向って二重ガラスの内側があくようになって、この前そこいらにあったごたついた品は、さっぱり整理されている。
 山上元は、伸子を見るとすぐ、
「けさ、川瀬がよったろう?」
ときいた。
「よって下さいました。それで上ったんですけれど……」
「うん。――まあ、そこへかけなさい」
 山上元は、伸子と向いあってかけ、ズボンのポケットへ両手をいれて、テーブルの下へずっと両脚をのばした。初夏めいた明るい光線で、山上元の下瞼についているふくろが、伸子にはっきり見えた。
 社交的な無駄ばなしに馴れていない人の、ぶっきら棒な調子で、
「『戦旗』で、きみの書いたものをほしがっているそうだよ」
と云った。
「書けたら送ってやるといいね」
「わたしの書くものでも役に立つならば送ります」
「役に立つどころか、必要だよ。出来るだけルポルタージュでも何でもかいてやんなさい」
 伸子は、ふとユーモラスな気になった。山上元の「自伝」の中に、クリスチャンだった青年時代の彼が、小説はみだりがましいものだと感じたという一節があったのを思い出したのだ。そして下宿先の主婦に、文学のねうちというものを説明されたが、どうも納得しかねた、という感想が書かれていた。それからのち、革命家として変転の多い生涯を送りつづけて、七十歳になった山上元が、果して日本のどんな小説をよんでいることだろう。伸子がソヴェト同盟へ来るまでにかいていた小説を、山上がよんでいないことだけは、最も確実だと思えた。それなのに、どこから彼は伸子に「戦旗」にかけとすすめるのだろう。「戦旗」にのっているベルリン通信のような、階級的な角度のつよい文章が自分にかけるとも伸子に思えないのだった。伸子は笑いながら、
「わたしの書いたものなんか、これまでおよみになったことないでしょう」
と云った。
「書かせてみたら、こんなもの、じゃ、わるいと思います」
「いや読んだよ」
 小さいけれども角ばっていて強情そうな年よりの顎をつき出すようにして、山上は、例の三白眼で伸子を見た。
「何だっけ、――こっちへ来てから、モスク□のことを書いているのを、何かで読んだよ」
「――『文明』に出ていたんでしょうか」
「そうだ、そうだ。――結構おもしろかったよ」
 伸子は、体がぽっとあつくなった。山上がよんだというモスク□印象記は、伸子がモスク□へ来て最初に書いたものだった。あのころから二年以上たって、しかも現在のソヴェト生活にくらべると、伸子の印象記は、ロシアの民族性という興味にひっかかりすぎていた。そして、伸子が現在理解しているよりも一層未熟にしか、階級の問題をとらえていなかった。
 しかし、山上は、その印象記については、それをよんだ、という事実以外に、こまかいことは記憶していない風だった。おおまかに、
「あんなのだって、送ってやればいい」
と云った。
「太陽のない街」が、ドイツ語からロシア語に翻訳されるということだった。「一九二八年三月十五日」も近々ロシア語になるということだった。
「いまに、日本のプロレタリア文学の作品はどしどし翻訳されるようになるよ、東洋語学校の日本語科の卒業生が急速にふえているからね」
 山上元は、しばらく言葉をきって、伸子の存在をもこめて前方の壁を見ていたが、
「どれ、またジャムを御馳走しようか。この間のは、うまかったろう?」
 椅子を立って、ベッドの裾のついたての蔭にはいった。そして、間もなく、全くこの前のとおりの、無骨なくせに、何でもできる手つきで両手に茶のコップをもって現れた。とりつくろわないそのかっこうに伸子はつよい親愛感をもった。若い女が、ふとしたときに老人に対して抱く暖かい好感が伸子の胸をみたした。伸子は、その室の隅にとりつけられている二人がけの小長椅子にかけたまま、この前のように遠慮せず、両手にコップをもって運んで来る、ずんぐりした山上元の様子を、うれしそうに眺めていた。来るたんびに、御自慢のジャムを御馳走になり、それを自分も面白がってよろこんでいる。伸子は、きっと自分ではいま子供っぽい顔つきになっていることだろうと思った。
「あら、これは何かしら、めずらしいこと」
 お茶のコップの次に運び出されたのは、桜んぼぐらいの大きさで、リンゴのような皮の果物のジャムだった。
「リンゴの一種だね」
 山上は、そう云ったきり、ロシア流にひとさし指と中指との間にサジをはさみこんで、コップの茶をのんだ。
 伸子が、丁寧にジャムをたべてしまうと、山上は、しばらく、伸子の前のガラス小皿の上にのこった幾粒かの果物の種を見ていたが、いきなり、
「どうだね、君は、こっちへのこる気はないの」
と云った。
 ――伸子は、顔をあげて山上の眼を見た。
「モスク□へ?」
「ああ」
 自分がかけている椅子ごと、部屋じゅうがぐるりと一つまわったような感じだった。
「のこるって――」
「日本へ帰らないで、こっちにずっといてしまうのさ。こっちで仕事をするんだ」
 伸子は、山上のいうことが、どうかしてひどくわかりにくかった――言葉そのものではなく、そういう考えかたそのものが――
「仕事って何ができるのかしら」
 政治的な活動をする女になるということを、考えたことがなかった。だけれども、伸子が日本人で、モスク□へのこり、日本へ帰らなくなるとすれば、モスク□でその立場は、政治的である以外にありようないわけであった。伸子がこれまで、トゥウェルスカヤの通りや並木道(ブリ□ール)ですれちがったとき、こっちから行く伸子を目に入れるとにわかに日本人だか中国の人だか区別のつかない表情をよそおって通りすぎて行った日本人らしい人たち。その仲間にはいること以外に、伸子がモスク□にとどまっての生活は考えられない。
 伸子は、亢奮して来た。自分がモスク□にとどまってもいい者として判断されているということ。伸子の心臓はこの申出によって、口からとび出しそうにはげしく波うった。思ってもいないことだった。自分がそのようにみられていた、ということは。――でも、
「わたしに出来ることがあるのかしら」
 心配そうに、伸子はいくらか声をおとした。伸子のような者がその仕くみのなかに参加するにしては、山上元という名につながるすべての機構が、あんまり巨大であり、権威にみたされている。
「いくらだってすることはあるさ」
 山上元は、ふたたびテーブルの下へ、ずっと両脚をのばした姿勢で、こんどは真正面から、動顛した伸子の、上気して、ほてっている顔を見つめた。
「何も心配することは、ありゃしない。こっちにいて、いくらでも日本の小説を書けばいいんだ。外国の作家でも、こっちにいて小説をかいているのは珍しくも何ともないよ」
 ベラ・イレッシュは亡命してモスク□に来ているハンガリーの小説家だった。彼の写真と作品が小説新聞(ロマン・ガゼータ)の特輯として発行されているのを伸子も買った。イレッシュは亡命して来ている小説家だった。イレッシュは小説だけを書いていた人ではなかった。故国のハンガリーで革命のために活動して、その結果、その収穫をもって、モスク□へ来た。自分は、日本でどういう風に生活していただろう。
 伸子は、山上元が、何かの思いちがいをしているならばわるいと思った。彼が、伸子について何かを知っているとすれば、それがむしろ不思議だと云えるくらいだった。伸子は日本のプロレタリア文学運動にさえ無関係だったのだから。
「本国で、何かちゃんと活動して来たのなら、こっちで、小説をかいても役に立つかもしれないけれども――御存知だと思うんですが、わたしは、そうじゃないんです」
「そりゃよくわかっているさ。しかし、きみぐらいの技術と経験があれば、何もここにいたからって、日本の小説が書けないと、きまったものでもないだろう。僕を見なさい。僕は、もう二十年日本をはなれているよ。しかし、日本の現実について、ちゃんとわかることができるし、情勢の判断も出来ている。――」
「そりゃ、報告をもっていらっしゃるから」
 伸子は思わず高い声を出した。
「もちろん、そうさ。報告によって書くんだが、小説だって大してちがいはしない」
 はげしい動揺と混乱の間で、山上元のこの言葉は、伸子に自分というものが、立つ、小さな場所を与えた。山上には、文学の作品がどんな工合にしてうまれるものか、全然理解されていない。
「あなたが、報告によっていろんな問題を具体的に判断おできになるのは、何と云ったって、日本で、自分で、労働運動をやっていらしたからじゃないでしょうか」
「うん、それはそうだ」
 しばらく、二人の間に話がとぎれた。やがて山上が伸子にきいた。
「日本では、いま本をどの位発行しているかね?」
「部数ですか?」
「うん」
「文学書は、千か二千ぐらいじゃないでしょうか。大菩薩峠なんてものは、何万でしょうが」
「そんなものか。君の本なんかは、どうかい」
「わたしのなんか、少いですよ」
 伸子は、いくらかくつろいだ笑顔をした。
「こっちへ来る前にかいた長篇は、千と二千の間だったようです」
「そんなことじゃ仕様がない!」
 白髪の頭を山上元はきつくふった。
「プロレタリア作家の本も、日本じゃそんなに少ししか売れないのかい?」
「それはもっと多いでしょう。『戦旗』だって、かなり出ているらしいし、『太陽のない街』や『蟹工船』は、もちろんもっと出ています」
「それだって日本じゃどうせ高がしれたもんだろう。こっちじゃ、ファジェーエフの作品なんか百万部よまれているよ」
 それはそのわけだった。図書館、労働者クラブ、学校・工場・役所の図書室、ソヴェトじゅうの公共施設は、あらゆる古典と現代の代表的な作品をそなえつけようとしているのだから。それが五ヵ年計画の文化計画の一部であった。
「日本の読者は、めいめいの懐で、一冊の本だって買わなければならないんですから、つらいんです」
「それもそうだな」
 山上元は、ちょっと考えこんだ。彼も、青年時代には、一冊の本を買うことも出来にくい生活だったのだ。
「ところで、どうだい、ほんとに、こっちで暮す気はないかね」
「それは、うれしいけれど」
「けれど、どうなんだ」
「あんまり思いがけないから」
「まさか、親に相談しなくちゃならないわけでもないんだろう?」
 このままモスク□に居ついてしまうということは、形の変った亡命だった。佐々の両親に、何を相談するべきことであるだろう。
「そんなら、きみのはらひとつじゃないか」
「わたしは、こっちにいてしまってもいいけれど、仕事がわからないんです」
 伸子の心は、山上元がモスク□にとどまるようにと云った瞬間から、もう九分どおり決ってしまったようなものだった。伸子が、最後の一分でわからないでいるのは、モスク□に止ったとして、それからの伸子がするべき仕事は何かという実際上の問題だった。伸子は、年齢にくらべると、早くから文学上の仕事で働き、それで生活しつづけて来た。
「何も心配することはない。きみの能力ですることはいくらもある。ありすぎるぐらいだ。いくらいい小説を書いたって、日本じゃせいぜい千単位なのにくらべりゃ、こっちで、十万部読まれた方が、どんなに作家としたって気持がいいかしれなかろう。ソヴェトじゃ、どんな本だって、少くとも出版されるからには十万が最低だよ」
 それは、大きい部数がよまれるのは作家にとってうれしいことに相異なかった。しかし、それにしても、いい作品をかく、ちゃんとした作品が書ける、ということが先決問題であることに疑いない。伸子には、その点が、わからないのだ。そして、話しているあいての山上元が、そういうこまかい実際の点を理解していない――というよりも、国際的な革命家として、そういう面に直接ふれる必要のない生活を送って来ているひとだということが、伸子に切実に迫った。出版される部数の多寡だけに、文学の意味はないと思われる。――
「こうしてはどうでしょう」
 こんどは、伸子から提案した。
「一週間たったら、考えをきめた上で御返事に来ます。それでは、どうかしら」
「そうしよう!」
 山上元も、このまま問答をつづけているのは、時間のむだだと感じはじめていたらしかった。
「それでいい。じゃあ来週のきょう。いいね。やっぱり三時」
 山上からみれば自分はどんなに不決断でまどろっこしい女だろう、と伸子は、きまりわるく思った。
 帰りかけようとする伸子を山上が、
「あ、ちょっとたのむものがある。待ってくれ」
と、とめた。彼は、寝台と反対の壁ぎわにつくりつけられている高い書棚から二冊の本をもって来た。
「これは、きみにやる」
 ヴェーラ・フィグネルの伝記であった。ロシア革命家叢書のうちの一冊で、革命から間もない一九二二年に出版されているその本は、そのころの窮乏をものがたってわら半紙のように粗末な用紙に印刷されている。
「フィグネル、知っているんだろう? 人民の意志(ナロードノ・ヴォレツ)党の婦人闘士だった女だ」
 石版刷されているヴェーラの細面で凜(りん)とした写真を見ている伸子に、山上は、
「こっちは、翻訳してもらいたいんだ」
 同じような装幀の一冊を示した。ネチャエフの伝記だった。
「組織へはいりこんでいたスパイを制裁した男だ。レーニングラードの薬学校の裏の洞窟で――」
 ずっと昔よんだドストイェフスキーの「悪霊」の一場面が、急にはっきり思い出された。同じようなレーニングラードの何かの専門学校の裏山の洞窟、そこで制裁される背信の若者。それらがドストイェフスキー独特の暗さと蒼白さとで描かれていた。
「ドストイェフスキーが小説にかいている事件かしら」
 それにとりあわず、山上元は、
「ネチャエフという男は、大した男だ」
と云った。
「つかまって、牢屋へぶちこまれて、いくど法廷へひっぱり出されても何一つ組織については云わなかった。それをよんで、きみが適当だと思う部分だけ翻訳すればいいんだ」
 いや応ない山上の口調であった。
「それは、いそがないから、ゆっくりでいい。もっとも六月の半ばになれば、僕はクリミヤへ行ってしまうがね。日本のインテリゲンツィアは、あんまりいくじがないから、ひとつ、ネチャエフみたいに、しっかりした男もあるってことを教えてやる必要がある」
 ネチャエフは、ヴェーラと同時代の人だった。一八〇〇年代の終りの革命家たちであり、ロシアの革命がテロリズムからマルクス主義の革命の方向に発展してゆく過程の人たちなはずだった。日本のインテリゲンツィアが、いくじがない、と云う山上の批判の内容が伸子にわからなかった。同時に、革命の歴史のちがう人民の意志(ナロードノ・ヴォレツ)党の英雄の伝記が、きょうの日本の人たちにどんな直接の影響をもつのかということも、伸子にのみこめなかった。
 のみこめないままに伸子は紙の端々の黄ばんだ二冊の本をかかえて、リュックスを出た。

        十五

 伸子は街の景色をすっかり瞳にうつしながら、しかしそのどれをも見ているとは云えない状態で、トゥウェルスカヤ通を下って行った。
 モスク□にこの自分が止ることができる。――思いがけず伸子に示された可能性は、リュックスの建物を遠ざかるにつれて、ますますその信じがたい事実で、伸子を圧倒した。山上元を通じて、いつか自分がそのようなものとして見られていたということ。それは、伸子が人生に対して抱いている良心と善意の努力のすべてを、そっくり大きい歴史の前に肯定されたにひとしいことだった。
 山上元の立場として、まったく彼ひとりの意見で、伸子にああいう提案がされるとは考えられなかった。愛するソヴェトにとって、自分が役に立つ何者かであり得るという確認は、トゥウェルスカヤを歩いている伸子の心と体とを感動で顫(ふる)わせた。伸子は、それがわがことと信じきれないほどの感激をもって、その承認の上に身を投げかけて行っているのだった。もうすべては決定したも同然に思える。自分はモスク□にとどまるのだ。――だが、どうしてだろう。さっき、山上元の部屋でその話が出たとき、あまりの思いがけなさとうれしさで動顛した伸子のどこかで、その同じ瞬間に意識されたあのつよいわからなさ。そのわからなさは、トゥウェルスカヤを歩いて来る伸子の感動が大きくなればなるほど、やはり同じ量でひろがって来るのだった。
 通行人がいくたりか、けげんそうな眼ざしで、伸子を見た。伸子は考えにとらわれて我を忘れ、おそい午後の大通りを足早にすぎてゆく人群れにまじって、たったひとり、のろのろとみんなに追いこされながら歩いて来た。
 半ば無意識にホテル・パッサージの入口のドアを押した伸子は、リュックスを出てからトゥウェルスカヤを歩いて来た、そのままの歩きつきで、自分たちの部屋へ戻って行った。
 素子が、すばやく自分のデスクの前からふり向いた。
「どうした、ぶこ」
「ただいま」
「どうした」
「うん」
 伸子はベレーをぬぎながら、自分のベッドの上に腰をおろした。素子は、ふだんとは全く別人のように何かに心をとられ、ぼっとしている伸子をじっと見た。そして心配と不快さのいりまじった声でとがめるように云った。
「何か云われてきたんだろう」
 伸子がだまっている前へ来て立った。
「何を云われて来たのさ! ぶこ」
「――モスク□にのこらないかっていう話だったんだけれど」
 それだけいうのに伸子は息苦しく声がかすれた。それほど胸がいっぱいだった。その上、伸子は、そういうとき、素子の眼を見ず、ベッドにかけている自分の斜横の空間に視線をそらした。伸子は、素子の顔が見られないような気持がし、また、自分のなかで煮えたぎりはじめたばかりのことを、すぐ素子に告白しなければならないこともいやなのだった。
「――それで、ぶこ、何て返事したんだ」
「返事はしないわ――来週」
 ふん、という素子の鼻音が、伸子の耳にかすかにききとれた。
「どうせ、そんなこったろうと思った」
 素子は、ベッドにかけている伸子の前の床の上をあっちこっち歩きはじめた。
「いいじゃないか。ぶこにとっちゃ願ったり叶(かな)ったりじゃないのか」
「…………」
「わたしに遠慮はいらないよ」
 突然素子は、は、は、と短く、神経質に笑った。
「わたしに遠慮するような佐々伸子じゃなかったわけか」
 なお口がきけないでいる伸子に背を向けて、素子は自分のデスクの前へもどった。そして片手でガタンと音をたてて椅子をおき直し、そこにかけながら、二人の間にのこされているのは、もう事務的なそのこと一つだ、とでもいうようにむこう向きのまま云った。
「ぶこが、どうしようと勝手だがね。きみのおっかさんの説明役はごめん蒙るよ、手紙でも何でも、書いといてくれ」
 おどろきとよろこびの感動が、苦悩ひとつにかわった顔をもたげて、伸子は窓の逆光に浮びあがっている素子の後姿を見まもった。椅子の背にぴったり背中を押しつけ、腕ぐみをして断髪の頭をあげている素子の両肩が、ふるえているように見える。素子は泣いているのだった。
 しばらくして、素子が涙のしめりの残っている声で、窓を見たまま云った。
「わたしは、どうせ、そういうことは云われっこない人間にできているさ。そりゃ、重々わかっちゃいるがね」
 素子の声が途切れて、ふたたび続いた。
「二人はいっしょにモスク□へ来たんだぜ」
 悲しさが湧きたって、伸子の腹の底をふるわした。けれども、伸子のまばたきしない眼は乾いていて、全心に渦巻く考えがある。モスク□にとどまる自分。けれども、このわからなさ。――それは何なのだろう。
 おそい正餐(アベード)のためにホテルの食堂へおりてゆくとき、素子は伸子に云った。
「わたしはね、きみが、どうきめようとも、もうひとこともこの問題にはふれないことにしたよ。こうなりゃ、いよいよ、わたしとしちゃ、帰る仕度をする以外にないじゃないか」

 習慣のつよい力が、それだけで伸子と素子との日常生活を支配するようになった。二人はいつもと同じ時刻に前後して目をさまし、一つテーブルに向いあって茶をのみ、夜食のためにイクラや塩漬胡瓜を買いに出るのは、やっぱり伸子の役だった。
 伸子のデスクの上に、ネチャエフの伝記がおかれた。素子は、ちょいと粗末なその古い本を手にとってみて、
「へえ」
と云った。
「こんな本、どうするのさ」
「その中から一部分を訳すってわけ」
「なるほどね、早速テストってわけか」
 当惑げな伸子を素子は皮肉な目で見て、棗(なつめ)形の彼女の顔をうっすりあからめた。
「まあせいぜい奮励しなさい」
 伸子の語学のおぼつかなさを、素子は知りすぎるくらい知っているのだった。
 ネチャエフの伝記は、幼年時代の彼の生いたちから物語られていた。彼が人民の意志(ナロードノ・ヴォレツ)党員として従事した活動の詳細。スパイの発見とその処分。逮捕。ペテロパヴロフスク要塞における彼の生活。法廷におけるネチャエフのたたかい。伸子は、山上元が、この伝記のどの部分をとはっきり指示しないで、伸子に翻訳をたのんだことに困った。山上元は、どこを、日本のインテリゲンツィアによませなければならないと考えたのだろうか。
 机の前で、全巻の小見出しをしらべながら、伸子は、素子の皮肉な言葉が当っているのかもしれないと思った。伸子が、日本の読者のために果して適切な一章を選ぶかどうかということは、伸子の政治的な理解力とその実際の分別を示すのだから。
 そうだったとしても、伸子は、山上元のそういうやりかたにずるさだの人のわるさだのを感じることは出来なかった。そういうことはどうであれ、自分に与えられた新しい仕事を力いっぱい果すこと。それだけが義務だと伸子は考えた。
 長い時間しらべた上、伸子はネチャエフの法廷での陳述の部分だけを訳すことにきめた。その部分だけでも、伸子がつかっている半ペラの原稿紙で四五十枚になりそうな分量だった。
 法廷の用語、法律上の言葉。そうでなくても伸子の知らない実におびただしい数の言葉。そしてわら半紙のような用紙に印刷されている字体は古風で、パンフレットをよみなれている伸子をおびやかす。
 右手にもっているペンよりも、左手で辞書をめくる時間の方が多かった。伸子は、ほんの一句ごとに、ぽつり、ぽつりと日本語へ書き直して行った。――被告ネチャエフが出廷した。彼は被告席についた。裁判長は彼の姓名、出生年月、家庭の状況について質問をはじめた――と。
 来週の木曜日までに――川瀬のことづけで伸子がリュックスへ行ったきのうは木曜日であったから――とても出来あがらないのは明らかだとしても、どだい、伸子にやりとげられる仕事なのかどうか。翻訳という仕事の経験をもたない伸子は、最初の一行から読んでわかっただけずつ日本語にうつしはじめているのだった。
 辞書の頁をくっているとき、ふと、さがしている字が、どこかへ流れ去ってしまうことがあった。いつか伸子の注意は字からそれて、考えこんでいるのだった。モスク□にとどまる。だが――と。あの奇妙なわからなさについて。山上にとっては一向問題になっていない、けれども、伸子にはまぎらせられることのできないわからなさについて。
 モスク□にとどまってのちの伸子は、日本に関する報告から小説が書けでもするように、山上元は考えている。でも、それは、不可能なことだった。不可能であるばかりでなく、伸子にはそこに堪えがたい空虚さが予感されるのだ。そんな状態というのは、どんな生活なのだろう。
 予測のつかない生活の内容について思いやりながら、伸子は、書きつぶしの原稿紙の上に、わけのわからない幾何模様をかきつづけた。伸子が、ソヴェトにとどまっていいと云われたこと。それは、うれしいという表現より、もっとうれしく、ほこらしかった。このようにして前進しているソヴェトの人々に役立つことのできる自分。そこには、自分の胸を自分の両腕で抱きしめずにいられないような生き甲斐と感動とがある。ソヴェトの人々に役立つということは、伸子がソヴェトの生活について本質的には常に好意的な理解にみちた報告を日本の読者にかいて送るというだけのことに止るだろうか。それだけのことであるならば、それはジャーナリストの仕事の範囲であるようだった。またそれだけならば、進歩的なすべての旅行者に可能なことだった。
 ソヴェトの人々のために、日本の女であり、日本の作家である伸子が真実の確信をもって自分を役立つものと感じることができるのは、やっぱり伸子が真実日本の文学者であり、日本の人々の辛苦とたたかいの語りてであるからこそだと思う。
 ゴーリキイに、伸子は日本語で署名し、日本語で献辞をかいて、一冊の自分の長篇小説をおくった。つたない作品であったにしろ、レーニングラードでの五月のある朝、そうすることに伸子が、自分のまごころを現わせたのは、その小説が、ゴーリキイの文学にはない日本の社会の現実の一面を描いているからだった。その社会の中に生きる日本の女の、よりよく生きようとするはげしい願望の物語だからこそだった。そして、日本の社会や日本の家というものの重圧から、解かれて成長しようと欲する女の願いのはげしさこそ、こんにちのソヴェト社会の建設につながる一本の道に立つものであることを、伸子はふかく信じて疑わなかったからこそ、ゴーリキイが自分では決してよむことのない日本文の小説を、伸子は彼に献呈したのだった。
 長い将来の年月にわたって――伸子は、紙の上につよく三角形をかいた――文字でかかれた報告から小説をかく自分――伸子は、紙の上の三角形から三方に長い線をひっぱった。――そんなことができるとはどう考えても思えない。あり得ない生活。仕事なんか、いくらでもある。そう山上元は云った。仕事はいくらでもある。――それはそうにちがいなかった。現にこうして、ネチャエフの法廷記録を訳すことだって、伸子のする仕事の一つであるのだから。
 伸子は手をのばして、デスクのむこう隅においてある小説新聞をとった。イレッシュの小説特輯だった。イレッシュの代表的作品と紹介されているこの小説は、イレッシュが故国のハンガリーで書いたものだった。この事実のなかに、伸子の執拗なわからなさをひきつける何かの暗示がある。
 伸子は、ソヴェトに来た翌年の夏、レーニングラードにいたとき、九十枚ばかりの小説をかいた。ソヴェトの生活に取材して、モスク□のアストージェンカに暮していた期間の印象や、レーニングラードの下宿(パンシオン)生活をはじめてからの見聞を組立てた作品だった。
 伸子は、あのころ、ほんとうに階級というものの歴史を理解していなかった。それぞれの国の革命の過程というものも理解していなかった。
 あれから満一年たって、ベルリンやロンドンの生活からモスク□の社会を観てふたたびモスク□へ帰って来たいまの伸子には、かえって小説が書きにくくなっている。伸子は、もうおととしの夏のように、自分の目の前に過ぎてゆく生活風景のいくこまかを、そのまま、切りとった小説はかけなかった。階級社会というもの、ロシアの人々が革命をとおしてたたかいとり、それを確固とした世界の現実としつつある社会主義。伸子は、ソヴェト社会をより深く具体的に理解するようになったにつれて、文学的なお喋りの無意味さと、真実を語ることのむずかしさを感じている。
 ソヴェトの作家たちでさえ、そういう困難に向っているように考えられた。マヤコフスキーの、「難破した愛の小舟」は、恋愛のボートではなかった。
 きょうリベディンスキーは「英雄の誕生」のややふるくさい肉感的な心理主義で、若い読者から批判されているけれども、彼には「一週間」がある。それは、十三年前にリベディンスキーが民衆の一人として、「十月」をまともに生きたという証明だった。この事実にも何かの意味がある。伸子は、日本の何を生きたろう。伸子のいろいろのもがき、その飾らない表現、そこに階級の歴史は無自覚に露出されたにすぎなかった。
 伸子の顔の上を一つの暗い蔭がおおった。その暗いかげは、彼女の眉根の間にとどこおって、伸子が人前で見せることのない、けわしい表情をつくった。
 伸子の心の前に一つの新聞写真があった。それは神戸についた欧州航路の優秀船の上甲板に仲よく並んで写真班に撮影された若夫婦の帰朝姿だった。ロンドンでわかれた弟の和一郎と小枝の、そういう帰朝写真を、日本から送られて来る新聞の上に発見したとき、伸子は、姉らしく苦笑した。若い夫婦の生活のなかで、のびやかに美しくなりまさっている小枝。日本の男は外国に生活しているとき、だれでも内地にいるときよりは表情がひきしまって、ましに見える、そのような表情で小枝のよこに立っている和一郎。その写真に、短いインタービューの記事がついていた。その文章をよんだとき、伸子は、体じゅうが腹立ちでほてるようだった。和一郎の談話として書かれているのは、ともかくも、建築家である彼ら若夫婦が、なけなしの旅費を工面してイタリーの建築や美術を見て来たということでもなければ、フランスのコルビュジエの新しい建築「前衛」の室内装飾についてでもなかった。和一郎は、何のつもりか、「姉のすすめにしたがって、イギリスの家庭生活を見ならって来ました」と語っているのだった。イギリスの家庭生活! それを見ならって来た! 姉のすすめ、という姉の上にはカッコをつけて作家佐々伸子と、註までしてあるのだった。
 伸子は、眼にくやし涙をうかべるばかりだった。
「まあ、ちょっと見て!」
 その新聞をふりまわして、素子に見せた。
「ハハハハ」
 素子は、椅子にのけぞるようにして笑った。
「のんびりしていて、しごく結構じゃないか。姉のすすめにしたがっては、傑作だ。この調子なら、きみのおっかさんも安心だろうさ」
「――察して頂戴!」
 和一郎の明日の人生にとって、この答えは何たることだろう。伸子はそう思わずにいられなかった。
 その談話が、はたして和一郎の話したとおりかどうかは、伸子にわかりようもなかった。しかし、そっくりそのままでなかったにしても、和一郎のインタービューの気分は、若い和一郎夫妻の、のんびり工合に焦点をおいた記事をかかせる種類のものであったことに、ちがいはなかった。和一郎に、期待するというほど明瞭な感情ではないにしろ、ぼんやり伸子が抱いていた好望のこころは、くずれた。結局、和一郎は気まかせな人生を送るだけの男だろうか。そのようにも社会の現実からはなれた和一郎を肯定して小枝にはきびしく内助の力量にかけている若妻として多計代が見ているような佐々の家庭内の姿。そこは伸子にとってちっとも帰りたい場所ではなかった。
 日本では共産党がたびたび狩り立てられている。二月にもおおぜいの人々がとらえられた。街では市電の男女従業員が催涙弾でうち倒されている日本。佐々のうちを、徐々に、徐々に崩壊させながら、日本の歴史は佐々のものたちの知らない軸の上で、動いている。
 その動いている歴史の、あのこと、このこと、いっさいの細かいいきさつの何について伸子は知っていると云えるだろう。――急速に旋回しながら伸子の考えはある一点に舞いおりて、そこにとどまった。そこには、ヴェルダンの秋の叢に光っていた円い金色の輪がある。伸子がそこを歩いているとき失神したパンシオン・ソモロフの、黒と白の石だたみ廊下がある。死んだ保の思い出がある。悲しみに耐えてふるえている浅野蕗子の、清らかな小さい赤い唇があり、彼女の弟も、日本の苦しみの中で命を絶った。わたくしは彼のためによい姉ではなかったと思います。――
 たたみかかる思いの切なさで、伸子は頭をあげ、息の通りを楽にしようとするように白いなめらかな喉をのばした。伸子はそっとデスクの前を立って、部屋の外へ出て行った。

 伸子の全存在が、苦しい疑問符だった。例の翻訳をしていること、文章の中で変化する前の原体(げんたい)――それで辞書をひかなければならないのに、その原体のわからない言葉がよく出て来た。伸子はつい素子に質問しかけた。
「訳せると思ったからひきうけて来たんだろう」
 素子はそう云って、伸子のあいてにならなかった。
「ひとりで探したらいいじゃないか」
 モスク□へのこるかもしれない伸子。そういう提案をされている伸子。しかし、自分はちがう。日本へ帰る。素子は二人の生活の方向がちがった、ということを、現在共同につかっている部屋の床の歩く領分のけじめにまで示そうとするようだった。素子は、木曜日以来、伸子のデスクに近づかなくなった。二人共同の衣裳箪笥が、その部屋では伸子の寝台のおかれている壁のわきに立っている。素子は、その衣裳箪笥に用があるとき、自然に歩いて伸子の寝台に近より、その上にとり出した衣類を一時おくこともしなくなった。そういう変化のすべては意識的であり伸子に苦しかった。
 素子も苦しいのだった。二人がいっしょに暮さなくなるそのことも、たえやすいことではないけれども、こんどのことで素子を最もさいなむのは、傷けられた自尊心とでもいうべきものだった。木曜日に、素子は、二人はいっしょにモスク□へ来たんだぜ、と云った。それは素子が伸子に向って訴えたただ一度の言葉だった。一緒にモスク□へ来た伸子と素子とが、或る日、素子ひとり戻って行く。佐々のうちのものは、伸子をのこして、ひとり帰って来た素子に向って何というか、それは伸子に想像されることであり、そしてまた、それが素子を根本的に動じさせることでないことも想像された。素子をたえがたくしているのは、伸子がモスク□にのこるようになったという結果を反射して、自分に向けられるにちがいない軽しめのようなものの予感だった。彼女がモスク□で収穫した学問への軽蔑ではないにしろ、伸子はモスク□に残った、という事実は、一方に、どっさりの本をもって、ロシアの現代古典に通暁し帰って来た素子の生活態度と、つよく対照するのは当然であった。ソヴェト同盟や他の国の街々で三年暮して来た間に、伸子の生活感情と、素子の生活態度との上につもったちがいは、何ときびしく踰(こ)えがたいものになったろう。それは、伸子からはじまったことだろうか。伸子は、切なさに身をよじりながら、そこを素子に考えてほしいと思うのだった。モスク□へ着いて、伸子がまだロシア語を知らず、パッサージの玄関番が、ホロドノワータというのをきいて、びっくりして素子に云ったものだった。あの玄関番、しゃれているのねえ、雪のことを、つめたい綿と、云ったのね、と。それをきいて素子は大笑いした。冷たい(ホーロドノ)・綿(ワータ)ではなくて、玄関番は、ちょっと寒いめですね、と云ったのだった。
 伸子は、そんなに言葉がわからず、素子にたよろうとしていた時期に、素子は伸子を、どういう風に仕込んだろう。紙きれにプーゴヴィッツァ(ボタン)。カリーチネヴィ(茶色)ニトカ(糸)とかきつけさせて、買いものをさせたのは、素子だった。食物の買いもの。ВОКС(ヴオクス)の用事。部屋さがしとその交渉。素子は、勉強しなければならなかった。だから、そういうことは、みんな伸子のするべきことになった。そして、伸子は、片輪なままのロシア語で、どこへでもゆき、いろいろな場所と場合を経験し、自分の見たいものを見て、歩きたいところを歩くようになった。そして、ソヴェト生活の日常の現実が、どれほど立派な資本主義の社会とどこでどのようにちがい、五ヵ年計画で生産される農業機械が、よその文明国では五十年前から使っていて、珍しくも何ともないものだとけなされようとも、その単純な農業機械が、ソヴェトの人々にとってどういう別個の意味をもつかということを、実感で区別するようになってしまったのだった。
 ほんとうに、伸子は、いつの間にか、自然にそうなってしまったのだった。素子が、大学の教室に坐り、プーシュキンの詩の韻律の分解をし、書籍のリストを整理し、それをふやしていたうちに。長い過程の上におこったこういう状態として、二人の間に生じた問題を扱ってくれたら。――伸子たちの苦痛を複雑にしているのは、二人の生活について来ている素子の側からのなみはずれな感情の要素のせいだった。素子の傷つきやすさ。伸子の動きのすべてを、自分に対する献身かさもなければ裏切りの、そのどちらかとしてしかうけとれないような、激しい感情の習癖。
 素子自身、その苦しさに圧しつけられながら、伸子に対して懲罰的な、つきはなした態度をかえないのだった。

 伸子は、一日のうち、一定の時間だけ、翻訳の仕事をすると、あとは多く外出しているようになった。素子のかわりに、雑誌の予約をするというような用事のあることもあった。全然用事のないこともある。それでも、伸子はやっぱり外出した。本棚で仕切られた部屋の、一つ一つの窓に向って、伸子は素子の身じろぎに気をくばり、素子は伸子の、揺れて不決定な考えの方向の変化に絶えず神経を働かせていることは、どちらにとってもたえにくかった。
 伸子は、もとから出入りの賑やかな性分だった。子供らしい几帳面さで、ただいま、行ってまいります、ホテルのドアが玄関でもあるように快活に声をかけた。けれども、いま伸子は、心の奥に気をとられている人間の、うっかりした物静かさでドアを出入りした。自分でどこへ行くのかわからないような顔つきで、ゆっくりベレーをかぶり、机の上から赤いロシア皮の小銭入れをポケットへ入れただけで水色ブルーズ姿のまま、だまって出て幾時間も帰らなかった。
 モスク□。モスク□。愛するモスク□。だが、わたしにわからない。伸子は、メーデーにいたモスク□河岸の公園へ行った。河に向った公園のリラの花房は、三分どおり開きはじめて白や紫紅色の豊かな花房のまわりに熊蜂がとんでいた。
 パン販売店の列に立ち、石油販売店の列にならび、焼きたてのパンの芳しいにおいにつつまれながら、あるいは石油のツンと鼻をさすにおいをかぎながら、伸子は、ときどき、目をさまして訊くような眼で、自分のまわりにいる買物籠を腕にかけた女たちの群を見た。ソヴェトの社会。それをきょうまでつくり上げて来たのは、伸子ではない。伸子はそれを確認しないわけには行かなかった。どんなに心をひきつけられるにしろ、それがきょういるために伸子はどんな辛苦もなめなかった。伸子が、ここまで出来あがって来た今のソヴェト生活を、ほめるのは何とたやすいことだろう。革命の仕事をして来たことのない伸子の賞讚がどんなに真心からのものであったにしろ、そのために飢え、そのために土曜労働をし、モスク□・ソヴェトの第一回集会にあつまった人々は、伸子の賞讚によって賞讚されつくせない自分たちの歴史を生きて来ている。そしていまもそのつづきを生きつつあるのだった。こういう人々に向って、報告から日本の小説をかいて、十万部も印刷されるかもしれないモスク□での自分。その考えには、伸子を生理的に嫌悪させる卑俗と空虚がある。伸子としては、ほとんど欺瞞と感じられるものがあった。
 伸子は、考えの重さのために、われ知らず足音をしのばすような歩きつきで、ホテル・パッサージの階段をのぼり、ノックするのを忘れてそっと自分たちの部屋をあけた。
 素子が、びくっとして、デスクからふり向いた。
「どうした、ぶこ!」
「どうしもしない」
 幾日ぶりかで、素子が素子らしい顔と声とで伸子のそばへよって来た。
「ほんとに、どうもしないか?」
 伸子は、合点した。
「ぶこ、バスなんかに轢(ひ)かれなや」
 伸子はまた合点した。口をきいたら声がふるえて泣きそうだった。

 モスク□に、そろそろ白夜がはじまった。自分のするべきことは何だろう。思いつめて、伸子は、自分は日本へ帰るべきだ、と考えるようになった。素子とつれだって伸子がそこから出て来た日本ではなく、モスク□の三年で、伸子に新しい意味をもって見られるようになって来た、その日本へ。それは佐々のうちのものの知らない日本であった。百万人の失業者があり、権力に抵抗して根気づよくたたかっている人々の集団のある日本へ、伸子は全くの新参として帰ろうと決心した。そこで伸子の生活はどんな関係の中におかれるか、それは伸子に何にもわからない。けれども、伸子が、三年の間に何かの成長をとげたことが確実ならば、伸子にとって、これまで知らなかった日本を生きて見ようと願う思いがあるのは真実だった。日本へ帰ることにした、という返事は、山上元をよろこばせないであろう。軽蔑される返事かもしれない。だけれども、伸子は、ほかにどんな答えも見出せなかった。伸子は、そこをはなれる可能を示されたとき、ひとしお深く日本の苦悩に愛着したのだった。もしかしたら自分の挫折があるかもしれないところ。もしかしたら自分がほろぼされてしまうかもしれないところ。しかし、そこに伸子の生活の現実がある。そして、伸子が心を傾けて歌おうと欲する生活の歌がある。
 伸子は、きつく両手を握りあわせながら、自分のデスクの前に立ちつくした。伸子は、帰る。けれども、その言葉を声に出していうことはおそろしかった。
[#改丁、ページの左右中央]

    資料

[#改丁]


    第一章


        一

 いま、伸子はパリの街を歩いている。
 素子と。素子のわきには、白い服を着せられたひよわそうな女の児の赤坊を腕の上に抱いて歩いている若い画家とその妻とがひとかたまりになって。
 左手に高く停車場の円屋根が見えるモンパルナス通のプラタナスに六月の日光が降りそそいでいる。街上には色彩と動きと音響とが溢れている。柔かい新緑の並木と歩道との間に赤と白との縞や、黄と藍縞の日よけが張り出されている。地下鉄(メトロ)の入口には、桃色だの黄色だの白だののもういらない切符が紙屑となってすてられていて、大きく白黒に抜かれた字と派手な図案の広告がいっぱい貼りめぐらされた広告塔そっくりの共同便所の下から流れ出した穢水が陽気なさわがしい街の一隅にかすかなアンモニアのにおいをただよわせた。
 パリのこの一角で、生活は率直な活気と気分をもって溢れている。車道へ大きい枝をのばしたプラタナスの下の共同便所へ、ひっきりなしに出入りする者があり――それは男たちばかりだった――メトロからあがって来た人々は、いらなくなった桃色や白の切符を無頓着にその辺へすてて、さっさとそれぞれの方向に散っている。午後一時すぎから二時すぎにかけて昼飯時刻のモンパルナス通の喧騒は、並木の新緑やその下へ色とりどりに張り出された日除けなどでやわらげられている。パリでタクシーはたった一つの合同会社に独占されていた。どのタクシーも、その車がタクシーだということの証拠として重苦しい濃い葡萄酒色に塗られている。これは賢い方法だった。
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