道標
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著者名:宮本百合子 

「僕ははじめからよくわかっているんだ、僕が佐々さんを愛しているように愛していてはくれないんだ……だからって、侮辱しなくたっていい」
 侮辱――? それも伸子におぼえのあることではない。
「こっちへ来て」
 そういう蜂谷の顔は、伸子に見なれないものだった。
「…………」
 反対に伸子は椅子のむこう側にまわって、寝台と自分が立っているところとの距離を大きくした。
「ね、来て」
「だめ」
 混乱して、かすれた伸子の声だった。
「どうして?」
「だって……ちがうんだもの」
「何が」
「――タワーリシチじゃないもの」
 むっくり、蜂谷の上体が寝台で起きあがった。
「じゃ、タワーリシチなら、君にはどんな男でもいいわけか」
「どうしてそういうことになるのかしら……」
 まだすっかり自分をとり戻していない伸子が、不自然にゆっくりした口調で反問した。
「だって――そういうわけでしょう」
「わたしはコロンタイストではないわ」
「僕は君にとってタワーリシチじゃないってわけなのか」
「それはそうじゃないの」
 伸子の答えは抵抗しがたくものやわらかで、同時にはっきりしていた。伸子は急に自覚しはじめるのだった。自分でさえ思いがけずに云ったタワーリシチであるということと、そうでないということの区別を説明することは、何とむずかしいことだろうか。と蜂谷良作も予期しない瞬間に、感情の焦点を移されたようだった。彼は壁にもたれて立っている伸子をめずらしいものをしらべるように、眺めた。
「じゃ、吉見素子は、どうなんだ、佐々さんにとって。――彼女は、同志なのか」
 しばらく考えていて、伸子は、答えた。
「そうだと云えると思うわ――あなたよりも」
 蜂谷はおきあがっていた上体を倒して枕の上に頭をおとした。伸子は、やがて外套をきた。そして、パジャマの両腕を目の上にさしかわして顔を覆っている蜂谷を寝台の中にのこして、廊下へ出た。

        十七

 翌朝、ベルネの家の朝飯が終って、伸子が二階へあがろうとしているところへ、蜂谷良作が来た。
 彼は、伸子を見ると、
「きのうはほんとに失敬した」
 手をさし出した。
「おこって、もうパリを立つ仕度でもはじめているんじゃないかと思った」
 伸子は、だまったまま眼をしばたたいた。
「すこし歩きましょう、僕はどうしても、きみにわかっておいて貰わなければならないことがある」
「――だって、病気は?」
「かまわない――いいんです」
 雨あがりの快晴で、ベルネの家の落葉した庭も初冬の趣をふかめた。伸子と蜂谷とは、クラマールの人々がそれぞれに働いている午前の街なかをさけて、畑へ出てから森へ向う道をえらんだ。
「僕はあれから、ずっと考えていて、やっとわかったことがある。僕は、佐々さんというひとの本質を、実はきのうまでちっとも理解していなかったんだ。そういうことが、つくづくわかった」
 伸子は、三四間さきの、枯れた草道の上を見たまま歩きつづけた。
「もう決して、あんな陳腐な思いちがいなんかしない。こんどこそ、よくわかった。伸子さん、許してくれるでしょう」
 たやすく口のきけないのは、伸子も自分がわるかったと考えているからであった。きのうは、あれから帰って来て、伸子も起きていられなかった。体の下で揺れているような寝床の中で、伸子は自分への思いがけなさを鎮めかねた。どうしようとして伸子は、蜂谷の寝台のかけものの間へはいったろう。自分に、はっきり思い出されるのは、枕の上にある蜂谷の顔を見まもっているうちに、伸子の気持をやさしく、やさしくみたした不思議な明るさ、透明の感じだけだった。それは愛のこころもちに似ていた。伸子は、これまで一度も彼に対して、あれほど自分を忘れた状態になったことはない。
 蜂谷は、伸子の動作の意味をとりちがえた。それは二人にとって、ばつのわるいことだった。けれども、伸子は、このことではむしろ自分がわるいと認めることができた。男であり、考えかたや感じかたの大部分が常識的である蜂谷に、伸子があのときそうであったような状態――全身一つの光ったものになって、肉体が昇華されてしまっているようなあんな状態が、かんちがえされたのは無理もない。だけれども、あれが蜂谷のかんちがえだけだったと云えるのだろうか。蜂谷は伸子より率直に、伸子を光りもののようにした欲望を、ありのままに解釈したのではなかったろうか。
 自分へのおどろきとともに、伸子は自分自身のわからなさへ、わけ入った。人間のこころの不思議さ。あのとき、欲望を欲望として自覚していなかった伸子が、そういうものとして行動したことを、伸子はやっぱり自分に許すしかなかった。でも、あのタワーリシチ、という言葉。――考えれば考えるほど伸子を考えこませる言葉――伸子の欲望とともに自覚されない奥底に育っていて、あのとっさに、動かしがたく作用したこのひとこと。――
 これらはどれも、みんな伸子自身にとって不意うちだった。だれをどうとがめるよりも、蜂谷と自分との間に起って、そのどちらをもはねとばした電撃のあとを、伸子はびっくりして見直しているのだった。
 伸子は歩きながら、いつもより疲れの感じられる声で蜂谷に云った。
「わたしも、ごめんなさい」
「僕は、伸子さんがそんな風にいうのは、いやだ。伸子さんてひとは、僕なんぞからみると、おどろくほどヒューマニスティックなんだ。僕を心から可哀そうに思って、きみは、あんなにやさしくなっていたのに――僕が全く野卑だったんだ」
 自分に対してきびしくあることに、蜂谷の安定が見出されているらしかった。
「わたしだって、そんなに聖なるものみたいな者じゃないわ」
 伸子は、現実にあるままの自分を見失いたくないのだった。
「蜂谷さん、でもあなたどうしてあんなにおこったの? わたしが、あなたはタワーリシチじゃないと云ったとき――それは、ほんとのことだのに」
 黒いソフト帽をぬいで、またかぶって、蜂谷良作は、苦しい表情をした。
「僕は嫉妬を感じたんだ。どうにもできないほど烈しく嫉妬したんだ。いつかそういうタワーリシチがあらわれたら、自信をもって伸子さんのその全部を自分のものにするんだろうと思うと……」
 その全部を自分のものにする――タワーリシチでも? ぼんやりして、しかしつよい疑いの色が伸子の瞳に浮んだ。
「もう今は、ちがう。もしそういう選手があらわれたら、僕は彼を祝福することができる」
「――わたしの全部を自分のものにした、ということで?」
「それもあるだろう。けれども、それよりももっと、きみ自身のために。僕としては、水火(すいか)をくぐったようなもんだから、これからこそほんとの友情でやって行けると思うんだ。それは否定しないでしょう?」
「そうかしら……」
 あのことは、そんなに二人の間で、もうすんでしまったことなのだろうか。二人が別の新しい道の上に出たということが、伸子によくわからなかった。伸子の感覚は、まだどこかゆれている。こんなにして、朝からクラマールの森道へ歩いている二人が、なみな感情だと云えるだろうか。伸子をプラトニックな存在のように自身に思いこまそうとしているような蜂谷、その蜂谷の気もちもふたしかだった。その蜂谷の気もちのふたしかさに対して、伸子ははっきり地上的な自分を対置させて感じている。そこに伸子は自分のふたしかさを感じる――だまって歩きつづけている伸子の腕を、蜂谷がきつく自分の方にひきよせた。
「佐々さんは、まるで天使みたいに無邪気でやさしい時があるかと思うと、悪魔みたいにつめたくて鋭い時がある。どうして? そうかしら、なんて――」
 伸子は、息がとまったような気がした。蜂谷の訴えをこめた批評は、つきなみな表現そのもので、じかに伸子のつきなみさをついた。あいまいなまま何かにひかれている伸子の態度のよくなさが、悪意も計画もない蜂谷の言葉でまざまざそこに描かれた。
「僕はもう決して佐々さんの困るようなことはしない。それだけは自信がある。――だから、せめてことしいっぱいパリにいることにして」
 それは伸子にできないことだ。それよりも、蜂谷に、自分が、そんな女としてあらわれているということの恥しさ。――恥しさは、このひとつきほどのパリ生活間に、蜂谷ともたれたさまざまな情景における伸子自身の姿を、全く別の光で照し出すのだった。

        十八

 モスク□の素子から、伸子の手紙への返事が来た。「ブジシンパイスルナ」と。うすいグリーンの用紙に、クラマール郵便局の電信係がかきつけたローマ綴の電文は、いかにもフランス人らしいおかしなまちがいで区切られている。スルナのはじまりのSの字を、パイPaiのおしまいへくっつけて、Paisとかいてある。まだ佐々のうちのものがパリにいた時分、ペレールの家へ磯崎恭介の死去をしらせた電報をうけとったとき、ギリシャ語のようにスケシスと綴りちがえされていたように。
 素子からの電報がベルネの二階の伸子の机の上におかれてある。そのわきに、茶色のノートが重ねられている。蜂谷良作の講義は、モスク□へ立とうとしている伸子の意志とはりあうようにつづけられている。伸子は、合図のドラが一つ鳴れば、出帆するばかりになっている船のように自分を感じる。ドラが鳴らされなければならない何が自分と蜂谷との間にあるのだろう? ほだされから自分を解くのが自分の責任だと、これほど明瞭にわかって来ているのに。――しかし伸子はドラの鳴るのを待っている。自分の心のどこかで、ドラが高く鳴るのを待っている。
 そういう一日のことだった。亀田夫妻が、手軽な御飯の会を催した。クラマールやパリ市内に独身ぐらしをしている友達たちのある人々に、日本風のお香物や番茶の味をたのしましてやろうという、夫妻のもてなしであった。伸子と蜂谷もよばれた。野沢も来ているし、ほかに二人ほど、日ごろ伸子のつき合っていない画家たちも来あわせた。毎日数時間は亀田のアトリエですごしているような柴垣は、そこが気に入りの場所と見えて長椅子の上にパイプをくわえてころがっている。野沢はマルチネの家でそんな風にかけていたように、室の隅によって低い椅子の上にまとまりよく、中央のストーヴのまわりに主人夫妻や伸子、パステルを描く豊岡という画家などがかたまっている。
 亀田のアトリエには、主人公である亀田という画家そのひとについている一種のゆとりの雰囲気があって、クラマールの生活で伸子のいちばん心やすい場所だった。亀田の細君は、夫の芸術を理解し、それをたすけようとしているこころもちを、やすくて、うまい手料理の上手さや生れつき器用な洋裁の稽古にあらわしている。
「どうせ、うちのようにおとなしい人は佐賀多さんみたいな巨匠になれっこはないんですもの」
 その晩も、男連中の間にかわされている話の中にいながら、女たちだけの話題で、彼女はそのころ日本人画家としてパリで名声を博していたひとの名にふれた。
「貧乏画家ぐらしは一生つづくとかくごしていますわ。だから、わたしは、かえってのんきよ。いまの生活をわたしなりにたのしんでいますの――幸福ってそういうもんじゃなくて? ありあわせでも、おいしくたべる術だわ」
 格別伸子の返事をもとめるわけでもなく、さえずるような調子で云って、亀田の細君はフランス女をまねてちょっとコケティシュな身のすくめかたをした。亀田の細君の膝の上では、縫いかけの婦人帽の蕊がいじられていた。
「感心でしょう? わたしはこれでもうじき一人前の裁縫師になれますのよ、三年つづけたんですもの。ですからね、そろそろ帽子の方も、ものにして置こうと思いますの、そうしたら心づよいですもの、ね」
 亀田の細君は、おかっぱの前髪を伸子の方へ低めておかしそうにささやいてくすりと笑った。
「とのがたは、なんにんいらしても指をタバコのやにで茶色にするか、売れない絵の油でしみだらけにするしか能がおありなさらないけれど、その間にこうやってわたしの可愛い指は稼いでいる――それは一向御存じなしなのよ」
 デュト街の古びた家の壁の間で、痛々しい生命を芸術の焦躁のうちに削ってしまった磯崎恭介と須美子の自分というものを最後までおさえた暮しぶりと、クラマールのここにある亀田たちの暮しかたは何というちがいだろう。亀田の細君は、あるときは意識してそうしているかのような小猫めいた賑やかさ、暮し上手の女がもっている笑声、いつも身のまわりにとりちらされている柔かくて色彩のきれいな布きれなどの雰囲気で、夫である画家の絵の精神を女の陽気な仕事部屋へひっぱりこんでいることが気づかわれるようでさえある。
 みんなでサロン・ドオトンヌを観に行ったとき、パリで亡くなった磯崎恭介の「花」や須美子の「花」の絵は、亀田たちの格別の注意をひかなかった。――というよりも、ひろいパリという都の中でたたかわれている生の間では、磯崎という一日本人画家の運命について、それが巨匠的に成功していない限り、嫉妬も同情も刺戟するものではないらしかった。
 中指の尖(さき)にはめた西洋指ぬきに針を当て、かたい婦人帽の生地を縫いつけながら、亀田の細君は、
「わたしにはね、ひとつ大願がありますのよ」と云った。
「お笑いなさらなけりゃ、云いましょうか。どうかして、わたしは亀田をイタリーへやりたいんです、そして、思いっきり才能をのばさせてやりたいわ」
 あらまし形のつきはじめた帽子を左手にかぶせて、それを自分からすこしはなして亀田の細君は、注意ぶかくしらべた。
「伸子さん、あなたなら云って下さるわね、亀田の絵、どれも暗いでしょう」
「暗いって云えるかしら――地味なのじゃなくて?」
「――どっちみち沈んでいるでしょう?」
 伸子は、そういうところに亀田のじたばたしない人柄を感じているのだった。
「亀田のようなたちの絵はね、どこへ出しても損なのよ」
 経験による確信と心配とのある内助者の調子で、彼女は云うのだった。
「わたしたち貧乏でしょう、だから亀田の絵もああいう風にくすんだ色ばかりつかうんじゃないかと思うわ――マチスの生活なんて、すばらしいもんですってねえ。佐賀多さんなんかも、いまめきめきうり出していらっしゃる最中だから、相当派手にやっていらっしゃるんですって」
 カリエールは? モジリアニは? あの人々のところにあるのは何だろう? デュト街のよごれた壁の色をみたとき、伸子は、ああここにカリエールの色があると感じた。寂しいセピアと白いチョークのような光の消えた白さ。そこにパリの貧しい人々の人生の思いが語られている。「モンパルノ」というモジリアニを主人公とした小説がよまれているころであった。モジリアニの素晴らしい才能を独占するために――あとで価の出ることを見とおした画商が、彼の生活の破綻につけこんで、紙屑同然のはした金を与えては、モジリアニから制作をまきあげていた。モジリアニの生涯のいつ、うり出したときがあったろう。
「お金のいくらでもつかえるかたは、いいわねえ」
 いくらでもお金のとれるかた、とこの細君が云わないところに伸子は、クラマールに住んでいる人々らしさを感じた。パリの市民からはなれてクラマールに住んでいるということは、その人たちがモンパルナスの流行カフェーに出入りしようとしていないということであったし、巨匠たちと顔見知りになって置こうとする欲望や野心をすてている人たちであることを語っているのだった。同時に、ここの人たちには、十月末から世界を不安にしているアメリカの経済恐慌も、同じクラマール住人であってもベルネの夫婦やおばあさんがそのニュースをうけとった現実的な表情とは全く別のうけとりかたをされていた。描いている絵に、パリの市価をもたないというそのこころやすさ……ここの人たちは、どっちみち、われわれにたいした関係はないさ、と、自分たちの超然をたのしんでいるのだった。
 伸子がクラマールへ引越して来た秋のころ、それからひとつきたって、冬が来て、伸子の心にモスク□へ! と絶えずささやくものが生れても、このままじっと年を越そうとして、降誕祭(ノエル)の酒の品評をしている人々。酒の話から、ひき出されてパリでアルコール中毒にかかっているある男の噂をしている人々。
「仕事の方は、どうなんだね、すこしは変ったのかい?」
「どうだかな――むしろ益々救いがたいんじゃないか」
「そいじゃ、彼はただのアル中にすぎないじゃないか」
「僕がいつも云っているとおりさ。かんじんのものをもち合わさないくせに、中毒ばかり模倣したって、どんな画家も生れちゃ来ないんだ。さか立ちしてディフォルメだけまねたってそれでピカソになれた奴は一人もいないんだ」
 そう云っているのは長椅子によこになっている柴垣だった。
「どういう自分が生れて来るか、そのおれの誕生を待ちきる辛抱が修業第一課さ」
 そう云う間も柴垣は唇からはなしたパイプを宙にうかせて持ったまま、視線に注意をあつめて、亀田の細君の手もとを見守っている。ストーヴのよこに立って、彼女はコーヒーを入れかけているところだった。親友の家庭で、そこの主人よりも細君の料理に関心を示す男がある。いつかそういう習慣になっている友達の目つきで、柴垣は、亀田の細君の手もとを見ているのだった。
 去年の冬もおそらくここでこんなにして、柴垣は、自分の誕生を待っていたのではなかったろうか。ほとんどすべてのひとはしばしば行動的に考える。だけれども、ほとんどすべての人が考えるように行動的には行動しない。――いまこの亀田のアトリエのはてしない雑談にまじっている自分に、伸子はそれを感じるのだった。
「ああこりゃうまい!」
 パステルの研究をしているというひとが、亀田の細君のコーヒーの腕前をほめた。
「これだけにのませるところは、少くともここいらにはないだろう」
「実のところ万更(まんざら)自信がなくもありませんのよ。かえりましたら、いずれ店を出すことになりましょうから、どうぞよろしく」
「――うまい、で思い出したが、気がすこしどうにかなると、女の手がうまそうに見えるものだろうかね」
 柴垣が、もちまえのポーズをくずさず云った。
「耳が気になったという例は、美術史にある」
「ゴッホだろう? 俺の話は手なんだ、女の手なんだ」
「くった奴があるのか」
 みんなが笑い出した。
「都久井俊吉、ね」
 それはひろく知られている作家の名であった。
「あのひとが、すこし頭の調子をおかしくしたときのことだがね、何しろ普通の病人じゃないから、家のひとも医者も、ひととおりならない苦心なんだ。本人を不安にしたり絶望させたりしないために、すこし強度の神経衰弱ということにして、静養が第一、まあ、おなかをすかせないようにするんですな、って云ったんだな。だもんだから、先生ひとすじに、おなかがすいたらもう駄目だと思いこんでしまったわけなんだ。いま食べたばっかりだのに、すきやしまいかと心配になると、たしかに空いて来た気がするんだ」
 伸子はその話に耳をすまさせられた。そのひとの作品を知っている伸子には、彼が医者のいうことをひとすじに信じた、ということもうなずけるのだった。
 その都久井をつれて、家族のひとと彼とが箱根へ行く途中、小田原へ降りた駅の前で、いつの間にか、都久井の姿を見うしなった。どこをさがしても見当らない。あわてていると、そのあたりに客待ちしている俥夫が、旦那、なんですかい、帽子をかぶってない、ちょいと変った旦那をさがしているんじゃないんですか、ときいた。
「うんそうだ、ってわけさ。きいてみるとたった今その俥夫が、待合へおともしたっていうんだ。じゃあ、そこへ行こうってわけで、行ってみると、都久井先生、座敷でのたうちまわっている。腹がすいてたまらんから、ここへ来たのに、何もくわさんと云って、苦しがっていたんだ」
 そこで下へ行って、あの男はすこし病気だから、何でもいい、たべるものがありさえすればいいんだからとたのんで、二階へあがって来て見ると、
「おどろいたね」
 床の間にきれいなバラがいけてあった。
「先生その前へ行って、両手でその美しいバラを食っているじゃないか」
 そこまできいて、伸子ははっとした。すべてのいきさつは、何とその作家らしいだろう。バラが美しくて、そんなに美しいものなら、命のたしに食べていいものだと思えてバラを両手でたべたところ。同じ作家について同じころにいくつかの話もつたえられたが、都久井俊吉とバラの花のこの物語は、この作家のこころの精髄をしぼり出している。常識の平均は失われていて、しかも美しさを感じる心がそのように切なく発露する都久井らしさに、伸子はうたれたのだった。
 この切実な逸話が、話しては美術家だというのに、ただバラをくった、というところから語られているのは何としたことだろう。人々の笑いが伸子に堪えがたかった。笑わない伸子に蜂谷の視線が向いた。伸子はそれを感じる。だが、伸子はこたえない。蜂谷に笑える。――それは彼の生活のことなのだった。
 都久井は花柳界のある土地に、一人の情人をもっていたが、日ごろからはにかみやで、親しい友人であるその美術家と一緒でも、決して人前でその情人の手をにぎったり、接吻したりはしない。箱根へ行っての帰りその女と来て、山の手にある都久井の家の近くで、その女のひとが自動車をおりた。
「じゃ、ここで失礼するわ、そう云って女がおりるとね、都久井先生、日ごろになく物も云わないで女の手をぎゅっと握った。何しろ五年の間、ただのいっぺんもそんなことをされたことがないんだから、万感交々さね。涙ぐんでしまった。すると、都久井、いきなりその女のきれいな白い手をかじりはじめたんだ――。はらが空いたんだ」
 こんどの話では人々はあまり笑わなかった。それは、愛情の表現だという議論がおこった。
「そう思うのは、常識さ。断然、そうじゃない。彼ははらがすいたんだ」
 話してを非難するのでもなく、話題に興じている人々を批評するのでもない。自分として苦しい気もちが、伸子の内に渦まきたった。はらが空いたというひとことに云われている感じ。だが美しいもの、いとしいもの、それを自分の口からたべようとする人の心。この社会に、渇望をもって生きているということに関連して、都久井の話には伸子の心をつかむものがある。晩秋のヴェルダンの日暮、ドゥモン要塞の霜枯れはじめた草むらの中に、落ちている小さな金の輪のように光っていた一つの銃口。その無言の小さな金の口が伸子に訴えた、そのような生の訴えが、常識のつりあいのこわれた芸術家のふるまいのうちにも疼いているように思われて、伸子は苦しいのだった。
 伸子は椅子から立ちあがった。そして、二三歩自分のいたあたりを歩いた。蜂谷の視線が、アトリエの対角線のところから、伸子を追った。それを無視して、同じところを伸子は一、二度往復し、アトリエのドアの前で向きなおったとき、伸子は、そこに立ちどまった。そして瞬きをとめた目で、蜂谷を見つめた。長椅子の奥にかけている蜂谷と、ドアのところに立っている伸子との間にはそこに人々の顔がある。タバコの煙とコーヒーの匂いと声がある。蜂谷はあまりじっと伸子から見つめられて工合わるそうに身じろぎした。伸子の眼はそれらを見ている。けれどもほんとに見えてはいない。伸子は耳をすましているのだった。伸子の心で、微かにドラが鳴りだしていた。伸子がモスク□へ、いよいよ出発するときが来た、そのドラが段々はっきり鳴りはじめているのだった。


    第四章


        一

 七ヵ月前にモスク□からのって行ったとき、国境はやっぱりこんな風にして通過されたにちがいなかった。けれども、どうしてだか伸子には、そのときの模様は思い出せない。
 いまベルリン発モスク□行きの列車はポーランドの国境駅をあとにして、十二月にも緑の濃い樅(もみ)の原始林に沿って、ゆっくり進んでいるところだった。国境駅を出たときから列車の速力はぐっとおちている。車窓に迫って真冬の緑をつらねている樅の樹の梢に白い煙が前方から吹きなびいて来てからみつき、それが消え、太い枝、次に細い枝と現れる。伸子の視線がそれを追っかけられるのろさで列車は進行をつづけているのだった。
 伸子は、踵のひくい靴をはいている脚を男の子のようにすこし開いて窓に向って立ち、手をうしろにまわし、ベージ色のスウェターの胸に派手なネッカチーフをたらして、目をはなさず窓外の景色を見ている。伸子は熱心に国境沿線の景色を見ながら、ベルリンへついたとき、あわてて降りて、パリからの列車の中に置き忘れて来てしまった絵の具箱とおもちゃの白い猿のはいったボール箱のことを思い出しているのだった。
 ああ、ほんとに眠って、来てしまった! パリを出る最後の十二時間は、伸子をそれほどくたびれさせた。
 簡単に考えていた荷づくりが案外ごたついた。親たちがパリを引きあげるときペレールのアパルトマンの食堂のテーブルの上へ、敷布類だのテーブル・クローズ類をのこして行った。伸子の数少い手まわりのどこにもそれらを入れる余地がなくなって、蜂谷良作が下宿へもどって伸子のために中型鞄を一つもって来てかしてくれた。そんなごたつきの合間合間に、蜂谷は、自分ひとりパリにのこされる事情になったことを歎いた。
 ベルネの家の二階の、伸子の室の床の上で画集をつめた紺色のトランクに鍵をかけながら、蜂谷は訴えた。
「こんなに、きみを離したくない僕が、誰よりもきみの出発を手つだっているなんて――」
 きのう百貨店ルーヴルへ一緒に行って、伸子がそのトランクを買う手つだいをしたのも蜂谷だったし、モスク□までの切符をととのえたのも蜂谷だった。
「これから、僕はひとりで、パリで、どうして暮していいのか、わからない」
 伸子は、一旦平らにして入れた敷布を又とり出して、こんどはくるくるまいて借り鞄のよこへつめこむ手をやすめずにいうのだった。
「だって、蜂谷さんはもう二年もパリで暮したんじゃないの、わたしのいたことの方が偶然だったんです。あなたはちゃんと暮せてよ」
「だから、佐々さんには分っていないんだ、きみがいなかったときはいなかったときだ、まるで、今とはちがう」
「じゃあ、どうすればいいと思うの?」
 おこった瞳になって、伸子は蜂谷の、悲しげなしかめ顔を見据えた。
「あなたは、わたしをパリにひきとめようとばかりなさるけれど、いっぺんだって、モスク□へ行こうとはおっしゃらなくてよ、知っていらっしゃる? そのこと。――」
 窓に向って衣裳箪笥と壁との間に、窮屈にはさまれているデスクの上から伸子はこまごまとした手帳、文房具、手紙の束などをもって来て、女持ちの旅行ケースにつめはじめた。ケースには、パリ、ロンドン間の飛行機でとんだときの赤と白とのしゃれたラベルが貼られている。
「ね、わたしたちは、ぎりぎりまでお互を知りあったのよ、それはそう思えるでしょう? そして、わたしはもうモスク□へ帰る時だということが、はっきりしたんだわ――惰勢で、お互を妙なところへ引きずりこむなんて――それは、わたし、したくないの」
「そうだ、きみは――そうなんだ」
 二人の間に荷づくり仕事のごたごたをおいて、伸子と蜂谷とが床の上にかがんだり、椅子においたトランクの前に立ったりしてそういう会話をとりかわしたのは、夜なかの二時すぎであった。ベルネの家族たちはねしずまり、少くとも寝しずまっているように見え、あけはなしたドアから明るい燈の流れ出しているのは伸子の室だけだった。
 伸子と蜂谷は、そうして夜明しした。伸子は意識して、夜なかじゅうくつろぐ空気をつくらなかった。朝早く北停車場から出発するベルリン行列車の車室はうす暗い、そのうすら寒さとうす暗さの裡で、蜂谷良作はしびれるようにきつく、外套の上から伸子の腕をつかんだ。
「佐々さん!――最後なんだから――少くとも僕にとって、これが最後なんだから……」
 蜂谷との間にそういう機会をもつようになってはじめて、素直に、自発的に、伸子は蜂谷の顔を両手の間にはさんで接吻した。彼と自分とのために、いい生活の願いをこめて。クラマールの生活で二人が経験したことの中に、蜂谷を軽蔑し、伸子自身を軽蔑すべき何があったろう。二人はそれぞれに、これまで知らなかった男と女とを知り、そのように存在する男である自分、女である自分を見出した。微妙で、はげしく、限界のきまっていない男と女のひきあいの間で、伸子と蜂谷とは、きわどく近づき、またはなれ、舞踊のように自身をためしながら格闘した。その格闘は、ひきわけに終りつつある。格闘のなかには、幾世紀もの間、男と女とが互の上にくりかえして来た征服の意欲とはちがった互格のはりあいがあり、それは何かの新しい意味をもっている。結論として、伸子が、断然モスク□へ向って出発するという形をとって表現されるような。――
「じゃ、ほんとうに、さようなら。いろいろありがとう、よく暮しましょう、ね。きっと、ね」
 伸子の言葉を縫って発車のベルが響いた。蜂谷は、うめくような喉声といっしょに伸子をつよく抱擁して背骨がくじけそうにしめつけた。そして、あとを向かず車室を出て行った。
 伸子は、眠りはじめた。くたびれきって、同時に云いようのない自身からの解放の感じにつつまれながら。フランスとドイツの国境を伸子は夢中ですぎた。ベルリンの数時間は、伸子が眠りと眠りとの間に目をあいて、たべて、日本語を話して、ファイバーのスーツ・ケースを買った数時間であった。ネオンが夜空に走っていた。更に東へ、東へ。大きい窓をもった国際列車の車室のなかでは座席の隅の外套かけで質素なイギリス製の茶色外套が夜から朝へ、朝から昼へと無言に揺れ、その下で、伸子は眠りつづけて来たのだった。
 眠りたりて新鮮になった伸子の感覚の前を、国境の伐採地帯がゆるやかに過ぎた。数十ヤードの幅で、自然にはないくっきりとした規則正しさで樅の原始林がきりひらかれている。彼方に、北の国の地平線がある。遠くに、木をくみたててつくった哨所が見えている。
 しばらくの間樅林に沿って走って来た列車は、車室のなかへまで緑っぽい光線がさしこんで来る林のそばで、一時停車した。そこで一分間ほど停っていて、また動き出した。列車の速力は一層おちていて、機関車はあえぎあえぎ、ゆっくり草地にかかっている。まぎらわしいというところの一点もない風景がそこにあった。草地も、それを左右からふちどっている樅林のきりそろえられた直線の出口にも。人気ない、北方の自然のうちに、約束がきめられてあって、どんな信号も人影もないのに、列車が約束にしたがってある地点で停り、改めて速度をきめ、そして一定の地点を通過するとまたそこで停る。その行程、その小停止、小発進は、不思議に伸子の心をゆすった。ヨーロッパで、伸子はいくつもの国境を通過した。あるところで、国境は彼女にとって、そこから、役に立たなくなった数箇の銀貨と、それに代って食堂車の真白いテーブル・クローズのはじに並べられた、別の銀貨の数片としてあらわれた。それらのところにはいつも気ぜわしい人々があった。屋根と屋根との間に、国境があった。
 こんなにひろく無人で、樅林と草地と地平線しかない地帯、その地点をこうして列車は、儀式をもってのろのろとすぎつつある。機関車の重苦しいひと喘ぎごとに、旧いヨーロッパはうしろになる。前方から新しい土地、ソヴェト・ロシアがひろがって来る。きりひらかれた草地の上で樅林の右側の出口が緑の壁のようになって遠ざかった。左側の樅の林の入口が近くなって来る。伸子は、窓に向って立ったままいつの間にかネッカチーフの前で握りあわせていた両手をきつく胸におしあてた。伸子は、ひびきとして感じたのだった、舞台がまわる、と。――その舞台を選択してかえって来ている自分。パリをはなれて来た自分。その自分というものが確信されるのだった。
 ストルプツェの国境駅についたとき、北方の夜の木造建物の中は、赤っぽい電燈にてらされていた。粗末な板張りの国境荷物検査所。白樺板の間仕切りの上に「五日週間(ピャチ・ドニエフカ)」とはり紙されている。「五ヵ年計画を四年で!」とかいた発電所のポスターがある。粗末な机、粗末な床几(しょうぎ)。すべては粗末で無骨だが、荒けずりなその建物に漂っている木の匂いも、そこに働いている女のプラトークで頭をつつんでいる姿も、すべては他のどの国の、どの国境駅にもなかったものだ。ここにロシアがあった。七ヵ月前ここを通ったときには、伸子の知らなかった建設のスローガンが新しく響いているソヴェト同盟の国境駅があるのだった。
 両手にさげて運んで来た手荷物を、体ごと検査所の台の上におろしたとき、伸子は思わず、
「とうとう(ナコニエーツ)!」
と云った。
「帰って(ダモイ)来ました(プリィエーハラ)!」
 水にぬれると紫インクのように変化して消えない鉛筆を手にして、偶然伸子が立った荷物置台の前にいた係りの若い金色の髪の男が快活に訊いた。
「どこから来たんです?」
「パリから(イズ・パリージャ)」
 パリから――? 伸子は旧いヨーロッパから帰って来たところだった。モスク□にいた間の伸子は知らなかった自分の動揺から、一つの選択から帰って来たところなのだった。

        二

 素子の下宿の部屋が、かわっていた。
 モスク□じゅうの並木の若芽がまだ尖がった緑の点々だった頃、伸子が旅立ちの仕度に、灰色アンゴラのカラーを自分で合外套の襟に縫いつけていたのは、ルケアーノフのクワルティーラの裏側の部屋だった。モスク□大学病院を退院して、伸子は、たった一つの窓の幅だけに細長くつくられているその素子の部屋へ帰って来た。一つきりの窓は建物の内庭に面していた。素子と伸子とが同時にそこで動くということは不可能なほどせまくるしかった。
 同じクワルティーラの中で、こんど素子が移った部屋は、ほんものの一室だった。アストージェンカの広場に向ってたっぷり開いた二つの窓をもち、清潔に磨かれている床に二つの単純なベッド、一つの衣裳箪笥、素子用のデスクと本箱、食事用の小テーブル一つが、おかれている。
 ステーションで、迎えに来ていた素子と抱きあって、伸子が、
「どうしていた?」
ときいたとき、素子は、
「――まあ、かえって御覧」
と云った。
「こんどは、いい部屋だよ、ひろいよ」
 ルケアーノフの上の娘に許婚者ができて、彼女たちだけの室がいるようになった。そこでこれまで二人の娘がいたひろい方へ素子がうつり、ヴェーラがうなぎの寝床へはいることになったのだそうだった。
「うちの連中にとっちゃ、一挙両得さ。なにしろこんどは、室代が倍だもの」
 素子はカンガルーの毛皮をつけた新調の外套を着てきていた。めずらしい毛皮の柔かくくすんだ色が、十二月のモスク□の外気の刺戟で活気づけられている素子の顔の小麦肌色と、似合った。
 伸子は、国境駅の白樺板の上にまで進出している「五ヵ年計画(ピャチレートカ)」をすぎてゆく街々の角に発見しようとするようにタクシーの窓から目をはなさないのだった。素子がひろい室に移っている、そのことに自分のいる場所の安定も約束されている。それ以上をもとめないこころもちで、伸子は、アストージェンカの、板囲いをはいって行き、太った住宅管理人が、山羊外套の肩にトランクをかついで運び終るのを待って、ルケアーノフのクワルティーラへのぼって行った。ところどころささくれているようなむき出しのセメント階段のふみ心地。あたためられている建物の内部に、かすかに乾いたセメントのにおいがただよっている。これがモスク□の新しい足ざわりであり匂いだった。
 ルケアーノフのところでは食堂の両開きのドアも台所のドアもしまっていて、食堂の隣りの素子の部屋があいている。何の予想もなしにその入口に立って室内をぐるりと見た伸子は、
「あら」
 信じかねるように、一つの窓の下へ目をとめた。
「わたしの場所?」
 外套を着たまま、大股に右手の窓べりによって行った。広場に面した二つの窓の、左側が素子の勉強場になっていた。デスクの上に、ウラル石の灰皿やよみかけの本、新聞がちらばっている。もう一つの窓との間を仕切って、八分どおり詰った本棚が立てられていて、そのかげに、もう一くみデスクと椅子がおかれているのだった。
 デスクの上には何もなく、がらんとしている。しかし、緑色の平ったい円形のシェードのついたスタンドが、いつからでもつかえるようにして置いてある。
「――すごいわねえ、わたしの場所があるなんて……」
「――ぶこが、ひっかかっていつまでも帰らないもんだから、一ヵ月無駄に払っちまったじゃないか」
 とがめる云いかたのなかに、伸子がもうそこに帰って来ているという安心がひびいた。
「なにを、ぐずついていたのさ」
「なにって――」
 直接素子のその質問には答えないで外套を壁にかけている伸子。見なれた部屋着にくつろいだ伸子。顔を洗って来て、ルケアーノフの細君が用意しておいてくれたジャム入りの油あげパン(ピロシュキ)をおいしがって、茶をのみはじめている伸子。伸子のそのこだわりのない食慾や、もうどこへ行こうとも思っていない人間の無雑作さで寝台の上にとりちらされているパリ好みのネッカチーフやハンド・バッグなどは、その部屋に自分以外の者が住みはじめた目新しさと同時に、やっと永年なじんで来た生活がそっくりそこに戻った感じを素子に与えているのだった。伸子は、自分の動きを追う素子の一つ一つのまなざしからそれを感じた。そして、伸子自身も、アストージェンカへ帰って来て、もうどこへ行こうとも思っていない自分を感じるのだったが、素子の視線には、何か伸子の意識の陰翳にあるものをとらえようとしているようなところがある。伸子の、何かに向って、配られている詮索がある。
 ひと休みしてからの伸子は荷物の整理にとりかかった。画集のトランクは、ちょくちょくあけて見られるようにドアの左手の壁際へ、いくらもない着換え類は、素子とおもやいに衣裳箪笥にかけた。そして、空になったスーツ・ケースを自分の寝台の下へ押し込んでいると、横がけにかけている椅子の背に両腕をおき、その上へ顎をのっけた姿勢で伸子のすることを見守っていた素子が、
「見なれない鞄があるじゃないか」
 ふりかえった伸子に、茶色の中型鞄を目でさした。それは伸子が荷物をしまいきれなくなって蜂谷良作からかりて来た鞄だった。
「ぶこのもんじゃない」
 伸子は、素子の神経におどろいた。
「蜂谷さんにかりて来たのよ、入れるものがなくなっちゃって」
「――かえさなけりゃならないのか?」
「そんな必要ないでしょう」
 かりた鞄をどうするかというようなことについて、蜂谷も伸子も考えていなかった。もし、かえさなければならないことになっていたとすれば、それはどういう意味をもつものとして素子にうつるのだろう。パリでの生活については自分を素子の前に卑屈にしまいときめて、伸子は帰って来ているのだった。
 だまって伸子は荷物整理をつづけた。しばらくして素子が気をかえたように、半ば自分を説得するように、
「まあいいだろうさ!」
と云った。
「蜂谷君も、せめて鞄ぐらいサーヴィスしたっていいところだろう」
 鞄ぐらい、と目の前にある物についていうのがおかしくて、伸子は笑い出した。
「どうして鞄ぐらいなの?」
「だって――そうじゃないか」
 素子は、すーっと瞳孔を細めた視線を伸子の顔に据えた。眼の中にこの数ヵ月の間、折にふれて燃えた暗い焔がゆれている。伸子は暫く素子の視線を見かえしていた。素子のうらみが伸子にわかるのだった。だけれども、ほんとうには、素子がうらむような何一つないのだ。しずかに素子のそばへ歩いて行った。そして自分の頬っぺたと喉の境のところを素子の鼻さきにすりつけた。
「ね、よくかいでみて――別のにおいがする? 何か、ぶことちがうにおいがする?」
「――ぶこちゃん」
 トランクをいじっていた両手はうしろにはなして、顔だけさしよせている伸子を、柔かな部屋着の上から素子が抱きしめた。
「――半分だけ帰って来たなんていうのじゃないのよ」
「わかるよ、わかるよ」
 二人はその晩おそくまでおきていた。
 夜がふけるにつれて、パリとモスク□とをへだてている距離の絶対感が、真新しい刃で伸子の心を一度ならず掠めた。いまは安心して伸子にまかせきっている素子の、こんなにもかぼそい女の手。ウィーンのホテルで自分をつねったり、ぶったりしたこともあるこの指の細い手。自分が帰って来たのは、やっぱりこの手そのものへではない。その意識があんまりまぎらしにくくて伸子は素子の前に瞼をふせた。

 モスク□が変りはじめている。その変り工合は、見たものでないと信じられないかもしれない。素子がそう書いてよこしたのは真実だった。
 モスク□は変りはじめた。伸子たちの住んでいるアストージェンカの角から猟人広場(アホートヌイ・リャード)までゆく道の右側、モスク□河岸に、少くとも七階か八階建てになりそうな巨大な建築工事がはじまっていた。それはソヴェト宮殿だった。中世紀的なクレムリンの不便な建物の中から、落成したらソヴェト政府が移るべき近代建築が着手されはじめていた。
 猟人広場(アホートヌイ・リャード)そのものの光景も一変している。一九二七年の初雪の降りはじめたころモスク□に着いた伸子と素子とが――とくに伸子が、その広場を中心にトゥウェルスカヤ通り、赤い広場、劇場広場、下宿暮しをするようになってからはアストージェンカと、モスク□の中に小さい行動半径を描いているその猟人広場(アホートヌイ・リャード)の名物であった露店商人の行列が、七ヵ月留守して帰ってみたら、ほとんどなくなっている。そのかわりに、春のころは、協同販売所という看板をかけてあるぎりで、入口の赤錆色の鉄扉がしめられていた店舗が二軒並んで開かれていた。店内は品物不足だった。買物籠を腕にかけ、プラトークで頭をつつんだ女が一つの売場の前にのり出してきいている。
「バタはいつうけとれるんですか」
「一週間あとに」
「どうして? おかしいじゃないの。わたしが一週間前に来たとき、お前さんは一週間あとに、って云ったくせに」
「もう一遍、一週間あとに、なんです」
「いつだってそうなんだ! うちには子供がいるんですよ」
 わきに立って問答をきいていた白髪の肥った婆さんが、古風なモスク□の口調で云った。
「ごらん、これだからね、おっかさん(マームシュカ)。主婦たちが協同組合のウダールニクをこしらえなけりゃならないってわけなのさ」
 多くの生活を知って、まだまだ老耄していない年よりの大きい眼が、そばにいる伸子をちらりと見た。
「あの人たちには分らないさ。まだ、自分の口ひとつを心配していればすむ年頃だもの、よ」
 ソヴェトの人々は五ヵ年計画の第一年に、工作機械やトラクターや、或いは、それらを製造するいくつかの工場都市をつくった。けれどもバタや石鹸の不自由は当分つづけなければならない。
 あらゆる食料品を並べてぎっしり列をつくっている露店商人と、その前をぞろぞろ往復していた男女の通行人の姿が消えて、猟人広場(アホートヌイ・リャード)から劇場広場の方角へ、見とおしがきくようになった。赤い広場へ出る街角にも、春までは、買物籠に玉子、バタ、自家製のチーズ、鶏などを入れて立っている女や年とった男が多勢いたものだった。ここで、伸子もたまにはバタを買ったこともあるし、玉子も買った。そんな物売りもいない。モスク□の個人商人は二パーセントに減った。それは事実に近いだろうということがトゥウェルスカヤ通りを歩いてみるだけで、感じられるのだった。
 伸子は、ホテル・パッサージの近くへ行って見た。ホテルへ曲る少し手前に、中央出版所と看板を出したきりで、この間までいつみても、陰気にがらんとしたショウ・ウィンドウにレーニンの写真と人間と猫の内臓模型を並べていたところがある。「モスク□夕刊」がそこへ越して来て、面目一新だった。入口に、少し田舎っぽいけれども堂々とした電気看板が「ヴェチェールナヤ・モスク□」と豆電球を並べていて、人の出入りも活気がある。なぜ猫と人間の内臓模型がレーニンの写真の下におかれているのか、いつもわけのわからない気がして見て通っていたショウ・ウィンドウの中に、のこされているのはレーニンの写真だけだった。白塗りの図案化された書棚に、五ヵ年計画に関するパンフレットが陳列されている。その背景として、赤地に白で五ヵ年計画を四年で! と書いたプラカートが張られている。「モスク□夕刊」の編輯局のほかに印刷労働者のクラブも出来ているらしく、入口から左手の奥、棕梠(しゅろ)の鉢植ごしに軽食堂(ブフェート)がある様子だった。
 中央郵便局(グラーブナヤ・ポーチタ)が落成している。中央郵便局と云えば、伸子たちが旅行に出るころまでモスク□で最も人気をあつめている建造物だった。二年前、伸子と素子とが、モスク□へ着いた第一日の朝から、目にしたのはこの建築場の板囲いだった。雪の上についた荷橇の跡、そこに落ちている馬糞。厳冬(マローズ)に雪を凍らしている見張所のキノコ屋根。ホテル・パッサージの入口と建築場の入口とが、ひろくない道をはさんで斜めに向きあっていた。今は、その横通りに五階の宏壮な建物の側面が規則正しく各階の窓ガラスを見せている。トゥウェルスカヤ通りに郵便局としては儀式ばりすぎているぐらい威容のある車よせがあって、内部へはいってみると、広々とした窓口で事務をとっている人々の姿も、滑らかなウラル大理石で張られている床を、こころもちすり足で用を足しているまばらな人群れも、いちように小さくなって見えるほど、白い天井は高く、間接照明にてらされて明るい。窓口の真鍮がパイプ・オルガンのように光っている。どこにも群集の匂いがまだしみていない建物の内部のめずらしさ! モスク□において、それを見るめずらしさ。ニスの匂うガラスの大扉を押して出ようとしたとき、力まけした伸子の体がスーとドアごとウラル大理石の床をすべって、あっち側へ出た。つき当りのうす茶色の壁に貼られている。「五日週間(ピャチ・ドネエフカ)。間断なき週間(ニエペレルィヴナヤ・ネデーリヤ)」
 ソヴェトの人々は、すべての生産と執務とが間断なく能率的にはこばれてゆくために、一日八時間基準の労働日を、五日ごとに区切って、これまで二交代だったところを三交代にした。日曜日と云えば、全市の活動がとまって、開いているのは薬局と食堂、劇場ばかりというヨーロッパの一週間制が廃止された。丁度、伸子がモスク□へ帰って来る前、ソヴェト経済年度のかわりめである十月一日から新しいシステムが採用されることになった。パリの外字新聞は、五ヵ年計画第一年目の成果についてソヴェト政府が発表した数字について、異口同音に、うさんくささを公言していた。同じ筆法で、五日週間という「アメリカでさえやっていない方法」を採用するソヴェト政府は、世界のキリスト教徒の習慣に挑戦するものであるし、強制労働が全住民に拡大されることであると非難していた。ソヴェト同盟に五ヵ年計画がはじまってから、失業は急速に減りつつある。一九二九年は、伸子でさえロンドンであのような失業者の大群を目撃した年であったから、ソヴェト同盟だけで、五十万あった失業がなくなりつつあるという事実、その上、賃銀が七一パーセント増大するだろうという事実は資本主義の国の主権者たちの気にいりようがなかった。ソヴェト同盟のことは何につけても宣伝が八分。そうきめて不安と羨望が偏見によってまぎらされていた。
 失業と乞食は、たしかに減った。伸子はこんど帰って来て食堂(ストローヴァヤ)の中をうろついている男女や子供がいなくなったことに気付く。並木道のベンチにあてのない表情で腰かけている男女がなくなった。失業者が吸収されずにいない現実の根拠が、伸子の目にもまざまざと見えているのだった。モスク□河岸の大建造物の足場を往復している労働者の姿にも、クズネツキー橋のわきで、赤旗を立てた起重機が鉄のビームをつり上げている轟のかたわらにも、工業生産高は戦前の水準にくらべると三倍以上に拡大されようとしているのだった。
 伸子のデスクの端に、五ヵ年計画に関するパンフレットが一冊一冊とつみかさねられた。大量に出版されるそれらのパンフレットにも出版五ヵ年計画が実現されているわけだった。それらの中に特別伸子の気に入っていて、よくくりひろげて眺める「子供のための五ヵ年計画」という絵本があった。大判の四角い本で、頁をひらくと、革命前のロシアの石油、石炭、鉄などの生産と文化の状態が、当時それらの経営に君臨していた外国資本と、ひどい労働者小舎に住んで働いていたロシア労働者の対照的な姿とを描き出しながら石油櫓の数、石炭の山の大小のダイアグラムで示されている。頁は折りたたみ式になっていた。たたまれた頁を開くとそこから、子供の好奇心をもえたたせるような簡明な線と、美しい色彩で五ヵ年計画が完成したときのソヴェト石油の豊富さ、そこにある労働者住宅と労働宮。子供たちの子供の家と学校が描かれているのだった。ソヴェト石炭の見事な黒い山。炭坑地区の電化がどの位進むかということは、ずらりと並んだ電球の数で、小さい子供にものみこめるように説明してある。バルダイ連丘から源を発して数千キロの間を白ロシアからウクライナへとうねり流れて、増水期には耕地にあふれ牛や子供を溺らしたりしていたドニェプル河の下流に、大水力発電所がつくられようとしていた。ドニェプル大発電所が完成すれば、その電力は、ソヴェトの穀倉であるウクライナ地方の農業機械作製所(セル・マシストローイ)で、これだけのトラクターをつくらせ、ソヴェト・フォードで幾台の自動車を生産させ、粉挽き工場は、古風な風車の翼が風のない空に止っているのを心配しなくてもパンにする小麦粉をこんなにどっさり製粉するようになるだろう。雄大なドニェプルの流域にひらけようとしている生産の諸能力が、子供の生活にぴったりした小麦袋だの耕作機械だの、学校だの、統計図で描かれているのだった。画家はデニカだった。ソヴェトの若い画家の中でもきわだって明快で動的な才能をもっている彼が、これだけ力をこめて五ヵ年計画の絵物語を描いてゆくときには、彼のこころにも新しい希望があったろう。去年の冬のように、ウィンター・スポーツの絵ばかり描いているより、張りあいもあっただろう。
 デニカは、反ソヴェト・カンパニアに反撃するためのポスターにも、効果的な諷刺を描いていた。長大な砲身が、ぬっとソヴェト同盟の赤い地図に向ってのびている。黒光りする砲身の先端に、法冠をかぶった法王がまたがっている。彼は法笏(ほうしゃく)をふって指揮している。その背後にくっついて、あらいざらいの勲章を下げて双眼鏡と地図をもっている軍人。※(さかまんじ)[#「「卍」を左右反転したもの、348-1]のしるしをつけたイタリーとドイツのファシスト。しんがりにはシルクハットをかぶった燕尾服姿の太った男が砲身にまたがっている上体をかがめて足もとにつみあげた金袋に手をかけている。五ヵ年計画を四年で! というスローガンのあるところには、きっとそのポスターも貼られていた。二つのものがひと組みとなって、モスク□のあらゆるところで伸子の目にふれる。それにはそれだけの必然があった。反ソヴェト・カンパニアは、国境の八方から五ヵ年計画が水泡に帰すことを切望していた。五ヵ年計画は不可能事だと喧伝しながら、ソヴェトの社会主義建設を破壊するためには、最高政治指導部のなかにまで、世界反革命の組織がはいりこもうとしているのだから。――ブハーリンの問題はパリにいた伸子を衝撃した。
 七ヵ月という時は、モスク□で平たく経過したのではなかった。その時間に、ソヴェトの人々は、自分たちの社会主義社会の本質を決定的に高めるために奮闘した。伸子が二年の間モスク□で見聞して来たもの、その中に生きて身につけて来た細目の全面が立体的にもち上って、一層組織的に、一層計画的に展開される時にはいった。僅かのうちに伸子に耳新しい新造略語がたくさん出ている。それらのどれもが、五ヵ年計画と生産経済計画(プロフィンプラン)に関連していた。伸子が初めて経験するばかりでなく、おそらくソヴェトの人にとって初めての経験であるに違いない数字に対するつよい感受性が、一般感情のうちにあらわれていた。数字はケイ紙の間にかきつけられてだけいるものでなくなった。数字はエネルギーの生きている目盛りであり、そこに人々は自身の努力の集積を見守っていた。ある数字は、はっきりしたよろこびでよまれた。ある種の数字に対してはきびしい批判がよびおこされた。そして、ソヴェトに暮しているかぎり、どんな人でもそれらのあつい数字からのがれることは不可能なのだった。

        三

 ソヴェトのそとで暮した七ヵ月は、伸子を成長させた。ロンドン。パリ。ベルリン。ワルシャワ。そこにあった生活とモスク□の生活との対照は、あんまり具体的であった。さまざまな粗野と、機械的なところがあるにしろ、総体として一つの社会の人間がよりましな条件で生きる可能は、どちらにあるか――資本主義と社会主義と――それは最も下積みの生活をよぎなくされている多くの人々のこころに、希望をもたらすのは、どちらであるか、ということだった。それについての伸子の理解は深まった。理解から生活の情熱となった。伸子がただ一人の若い女にすぎないのは何といいことだろう。ロンドンやパリで暮している人々は気がねなく彼女の前にソヴェト社会についての態度を示し、資本主義列国の外交政策の本質を教えるように話してきかせたことは、何とよかったろう。伸子はパリやロンドンにいるうちに、モスク□にあるものの価値をよりたしかに自身の内容にしたのだった。
 そのような成長にかかわらず、伸子は、他の一面でおくれた。一九二九年という特別に歴史的だった十二ヵ月のなかば以上を、ソヴェト同盟の外の世界に暮していたということで。――モスク□へ帰って二三日たつと、伸子は自分のおくれを痛切に感じはじめた。素子は、そういう伸子を注意ぶかく見守っていた。伸子のおくれは、伸子自身でどうなり解決すべき性質のものだということを、無言のうちに示していた。本棚一つのあちら側と伸子のいるこちら側との間に、少くとも1/4半期を意味するでこぼこがある。はっきりと、その差があらわれていること、そこに素子の悪意のない復讐のこころよさがあるようであった。伸子は語学の許すかぎり、新しいソヴェトについての勉強をはじめた。モスク□のそういう生活に戻って思いかえすと、ロンドンにあった巨大なうちかちがたい貧富の裂けめと、イースト・サイドに溢れて親から子につづいている歴代の惨めさが、ひとしお伸子の心に迫って来る。伸子は、出歩き、よみ、出歩かない日には、ロンドン印象記をかきはじめた。
 ルケアーノフの下宿では、木曜日の夜が伸子たちの入浴日だった。伸子は、きょうこそ風呂の前に、ほこりっぽい仕事を片づけてしまおうと思って、正餐(アベード)がすむと、素子の本棚の下から、束のままつくねてあった日本からの新聞・雑誌類をひっぱり出した。
 デスクに向っていた素子が、
「そうそう、それをやる前に、ぶこによませるものがあったっけ」
 椅子から動かず、うしろ手で、封のきられている二つの封筒を伸子にわたした。一通は、河野ウメ子からの手紙だった。もう一つの方は、めずらしく浅野蕗子から来ている。蕗子は伸子たちがモスク□で暮すようになってからたまにエハガキをよこすぐらいで、口数のすくない人らしく筆数も多くなかった。伸子は、何となく二つの手紙を見くらべていて、蕗子の手紙からよみはじめた。
 まじめな字が、蕗子の、ちょいとながしめで伸子を見て笑うときの口元のようなふくらみのある文章で語っていた。お二人がパリから下すったエハガキはうれしく拝見いたしました。あれから、いくたびもおたよりをしようとしながら、つい書けませんでした。私のところでは、思いがけないことがおこったのでした。弟が急に亡くなりました。急に――おわかりになりますでしょうか。伸子さんには分って頂けることと思います。
 伸子さんには分って頂ける――弟が急に死んだ。それは保が急に死んだように死んだと解釈するしかない文面だった。蕗子の弟――どうして自殺したのだろう。伸子さんには分って頂けるという、ふくみの中には、その原因がやっぱり保のように思想的なものだということもほのめかされていると思える。伸子は、喉もとへこぶがあがって来て、声がつまった。
「あなた、蕗子さんに何とか云ってあげた?」
「書きようないじゃないか。二人にあてて来ているのに――ぶこは帰っていないなんて書けるもんか」
「別のことだわ、それとこれと」
 素子は、何とこまかく、伸子への懲罰を用意していたことだろう。伸子は二重におどろきを感じながら蕗子の手紙をよみつづけた。蕗子の弟は洋画の勉強をしていた。姉のひいき目からばかりでなく嘱望されて居りました。彼にも現代の芸術家の苦悩が襲ったのでした。芸術上の理論について。彼は芸術至上主義でいられない自分と、他の理論との間で、墜落いたしました。蕗子は、モスク□へ送られる手紙は必ず、日本のどこかで、誰かの目を通るであろうことをおもんぱかって、ぼんやり語っている。だが、蕗子の弟が画家として、自分をどこに置くかということを考えつめた結果、いわゆるプロレタリア階級のための美術という理論やその作風に納得できなかったために、むしろ死を選んだということは察しられるのだった。蕗子は、書いている。彼は誠実な青年でした。私は彼にたいしていい姉ではありませんでした。あんまり自分のことにかまけていたことが、今になって悔まれます。蕗子のいまもふっくりしているであろう手をとって伸子は、そうよ、そうなのよ、という気持だった。そうかいているとき震えた蕗子の唇が感じられた。去年レーニングラードで保が死んだしらせをうけとったとき、伸子を幾日も普通のこころもちに立ちかえらせなかったのは、同じ思いで蕗子の手紙にたたえられている、亡くなった弟への限りないいとしさと自責だった。
 歴史はこのようにしてすすめられてゆくのでしょう。
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