道標
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著者名:宮本百合子 

 千種は、長椅子にかけている上体を前へ曲げて開いている膝に肱をつっかい、髪の毛を指ですくようにした。その顔をあげて、
「僕はかねがねモスク□へ行ってみたいと思っていたんですが」
と話しはじめた。
「あなたがパリへ来られたときいて、ぜひ一度、それについて、いろいろじかにおききしたいことがあって――それで実はお邪魔したんです」
 わきにいるつや子が、そういう話には妨げになるという素振りだった。それを伸子は無視した。
「――大使館のかたが、わたしに入国許可(ヴィザ)の手つづきをおききになるのなんて、何だかおかしい」
 そういう伸子の声に、笑いにかくされている批評がこもった。
「そんなことはもちろんわかっているんです。そうじゃあなく――僕はそうじゃない方法でモスク□へ入りたいんです」
 非合法の方法でモスク□へ行きたいという意味らしかった。何のために、そんなことを伸子にきくのだろう。伸子にそんなことを訊くような組織的でない生活をしているひとに、非合法でモスク□へ行く必要のあろう道理はない、と思えるのだった。
「わたしにおききになるのは、見当ちがいです。わたしなんか、ヴィザもヴィザ、大したヴィザで、モスク□へは行ったんですから――藤堂駿平の紹介で……」
「それはそうでしょうが、ともかく一年以上モスク□にいられたんだから、その間には自然いろんな関係が、わかられたはずだと思うんです」
 あいての顔を正視しないで長椅子の上に前かがみになり、心に悩みをもってでもいるらしい青年の姿態で、しつこくいう千種の上に、伸子の視線がきつくすわった。いまの伸子にパリで会っていて、モスク□へは藤堂駿平の紹介で行ったのだったときけば、むしろ、そうだったんですか、と下げている頭も上げて、何となくびっくりした眼で伸子を見なおすのがあたりまえのような話だった。少くとも、伸子自身は、モスク□へ行こうとしていたころの自分と、現在の自分との間にそれだけの距離を自覚しているのだった。ところが、千種とよばれるこの青年は、そういう点については、さものみこんでいるというように無反応で、それはそうでしょうが、一年以上も云々と話をすすめて行く、その調子は、伸子に本能的な反撥を感じさせはじめた。
「一年以上モスク□に居りますとね、あなたの考えていらっしゃるのとは正反対のことがわかって来るんです。モスク□に合法的にいる日本人と、非合法に行っている人たちの間には、橋がないってことが、はっきりわかるんです。ちっともロマンティックなことなんかありません――わたしは、ぴんからきりまでの合法的旅行者なんですもの」
「――」
 千種とよばれる青年は、しばらくだまって何かじりじりしているように、また髪を荒っぽく指ですいた。
「あなたの書いたものは、よんでいるんです。あなたが、ソヴェトに対してどういうこころもちをもっていられるかってことは、僕にはわかっているつもりです」
「それはそうでしょうと思うわ。わたしは、ソヴェトを評価しているんですもの。一人でもよけいにソヴェトについて、偏見のない現実をしるべきだ、と信じているんですもの。でも、わたしがそういう心もちでいるから、何か特別のいきさつがあるんだろうとでも思っていらっしゃるなら、つまり、それがもう、一つの偏見のあらわれよ」
「…………」
 伸子は、ちょっと小声になって、
「つや子ちゃん、何時ごろかしら」
ときいた。客間ととなりあわせてドアのあけはなされている食堂の旅行用の立て時計をつや子が見に行った。
「三時四十分」
 つや子はそのまま食堂の椅子にのこった。そして、テーブルの上へ船のエハガキのアルバムをひろげはじめた。
 千種とよばれる青年は、伸子の顔を見ない姿勢のまま、たしかめるようにカフスの下で自分の腕時計を見た。
 やがて、かえる挨拶がはじまるかと待っている伸子に、千種は、
「どうも、あなたの云われることが信じられない」
と云い出した。
「必ず、わかっていられると思うんだがなあ」
 ――伸子の心持が鋭い角度でかわった。伸子は、不愉快に感じたつよい声の表情をありのまま響かせて、
「あなたは、わたしから何をきかなければならなくて、いらしっているのかしら」
 何をきかなければならなくて、というところに、身のかわしようのない抑揚をつけて訊いた。
「大使館の方々って、大体、良識(ボン・サンス)だの好い趣味(ボン・グー)だのって大変むずかしいのに、あなたの社交術はまるで別ね。失礼ですけれど、あなたは、わたしのところへいらっしゃるよりも、フランスの共産党へいらっしゃるべきだったわ。そして、いまおっしゃったようなことを、おっしゃって見るべきだったわ。もし、あなたがわたしにわからない方法でモスク□へ行くべき方なら、その理由からわたしのところへなんぞ決していらっしゃるはずがないんです。わたしに、それだけは、はっきりわかります」
「…………」
 伸子は、そろそろ椅子から立った。
「失礼ですけれど、わたし、もう行かなければならないから……」
 もう思いきったという風に、千種とよばれる青年も長椅子から立った。
「その辺まで御一緒しましょうか」
「……仕度いたしますから、どうぞおさきに」
 玄関で外套へ腕をとおしながら、千種は、
「日本じゃ、また大分共産党の大物がやられているらしいですね」
と云った。
「そうらしいことね」
 ロンドンにいたとき、国際新聞通信(インターナショナル・プレス・コレスポンデンス)のそういう記事が伸子の目にはいっていた。それには内容のこまかいことは報じられていなかった。
 いまの伸子は、この千種とよばれる男に早く出て行ってもらいたいばかりだった。
「とうとう佐野学もやられたらしいですね」
 それをきいて、伸子は、同じ緊張のない調子で、
「そうお」
というのに、意識した努力を必要とした。
「じゃ失敬します」
「さようなら」
 出てゆく千種のうしろに玄関の厚いドアをぴっちりしめると、伸子は、そこに立ったまま、羽ぶるいする鳥のように大きく両腕をふって、
「あ!」
と、息をつく声を立てながら、自分の両脇腹へ、おろした両腕をうちつけた。つや子が、
「お姉さま」
と食堂から出てきた。伸子はつい、
「お父様ったら、あんなひと、来させになるんだもん」
 客間の方へもどりながら、じぶくった娘の声で妹に訴えた。
「このひと、何だかこわかった――」
 話の内容からではなく、千種という見知らない男と伸子が応待していた間の、どこか普通でなかった雰囲気を、つや子は少女らしい敏感さで云っているのだった。
「お姉さまはもう磯崎さんのところへ行かなけりゃいけないんだけれど、つや子ちゃん、一人でいい?」
「――いいわ。おかあさま、きっともうじき帰っていらっしゃるから」
「ベルが鳴ったら、自分で出ないで、マダム・ルセールに出てもらいなさい、よくて。だれもいないときならそのままにしておいていいから」
「そうする」
 出かける仕度をしている間じゅう、つや子と口をききながらも、佐野学もつかまったという、さっきの言葉が伸子の頭からはなれなかった。佐野学という名は、日本共産党の指導者として、一般に知られている名だった。日本にいた間はもとよりのこと、モスク□に来てからも、その人についての伸子の知識はごく漠然としたもので、理論的に理解が深められたというのではなかった。けれども、一つの国で共産党の指導者という任務が、どれだけ重要な意味をもつものであるかということは、モスク□暮しをしているうちに伸子の精神にうちこまれていた。佐野学がつかまったということは、非合法ながら成長しつつある日本の共産党にとって、打撃であることを、伸子は実感にうけとった。モスク□で去年の三月十五日の大検挙を知ったときは、それが泰造から送られた赤インクのカギつきの新聞を通じてのことだっただけに、伸子は自分という個人にかけられる赤インクのカギの窮屈さの面だけを痛切にうけた。こんどは佐野学もつかまった、それが本当だとすると、いまの伸子は、それを日本の共産主義運動にとっての事件として感じた。共産主義に対する「弾圧」の真の意味、そういうことを行わずにいられない権力の本質的な非条理は、ヨーロッパへ来てから伸子にもまざまざとわかるようになった。
 考えこみながら出かけていた足を、伸子は急にとめた。もしこのまま磯崎恭介の葬式に参列するとすれば、スカートに毛糸のブラウスの服装では、失礼すぎた。伸子はつや子に、いそいで外出の仕度をさせ、ペレールを出た。そして、ほど近いワグラム広場のわきの服飾店で出来合いの黒い服を買った。ぬいだスカートとブラウスとをボールの小箱に入れさせて、それをつや子が散歩がてら家までもってかえるわけだった。同じ広場のカフェーでちょっと休んで、伸子は、
「そこをまっすぐ行けば、いやでも家の前へ出るから、いい? 気をつけて、ね」
 紺のハーフ・コートを着たつや子のうしろ姿が、人ごみの間に見えなくなってから伸子はタクシーをひろった。
 佐野学が捕まったことに連関して日本ではまた幾百人か幾千人かの労働者をこめた人々が、ひどい目にあっているに違いないのだ。
 それにまるでかかわりなく、デュト街の古びた建物の中では、しみのある壁の下の寝台で磯崎が死んでいる。パリで、子供を死なせ、重ねて磯崎に死なれた須美子の孤愁は、伸子の身までを刻むかのようだ。そのような須美子に向って伸子はひたむきな心でタクシーをいそがせているのではあったが、このパリでも七月末にそんなことがあったように、日本でも多くの人々が捕えられ、歴史のなかに古い力と新しい力とが対立してはげしくもみ合っているさなかに、それとは全く無縁に磯崎の生涯が終って、そこにつきない悲しみばかりがのこされてあることは、伸子にふかく物を思わせるのだった。画家としての磯崎恭介の努力と、自分をすててそれを扶けた須美子の骨折りとは、恭介の生涯の終点がここにあって見れば、旧いものがその極限で狂い咲きさせている新しさと云われるものに到達するまでに、使いつくされた恭介の短い生命だったと云える。
 デュト街の磯崎の住居は、葬式の前日らしい人出入りだった。伸子が着いた時、区役所からの埋葬許可証のことで、昨日は見かけなかった二十二・三の若い人が、すれちがいに出直すところだった。
「ほんとに、みなさまのお世話になって――」
 伸子が来るまでに、三時間ほどよこになったという須美子は、きのうからの黒い服で、自分で自分を支えようとするようにかたく両手を握りあわせて、客間の椅子にいた。
「あんまりみなさまが御心配下さいますから、横になって見ましたけれど、とても眠れなくて……」
 低い、とりみだしたところのない須美子の声だった。
「少しは何かあがれて」
「ええ、ちょっと」
 伸子がそこに来ているということは、葬式準備の事務的な用事のためには何の役に立つことでもなかった。伸子は、須美子の苦しい心の、折々の止り木としてそこにいるのだった。用事がすこし遠のくと須美子は、伸子のよこへ来て腰をおろした。
「気分は大丈夫?」
「ええ」
 かわす言葉はそれぐらいだったが、それでも二人がだまって互に近くいるそのことに、悲しくせわしい事務の間の、やすらぎがあるのだった。悲しみも一人の胸に、事務的な判断も一人の肩にかかっている須美子に、そういう瞬間が必要なのだった。
 その晩は八時すぎに、伸子ひとりだけ帰った。磯崎の客間で夜どおしをするのが男のひとたちばかりなら、又それとして男のひとたちにも、くつろぎかたがあり、したがって須美子にもくつろぐときがあるらしかった。

        五

 磯崎の葬式がすんで二日めの午後、マダム・ラゴンデールの授業をうけるために帰ったホテルの屋根裏部屋で、伸子はながいこと一人でいた。
 ペレールのうちのものたちにとっては伸子の友達の磯崎恭介が、このパリで急死して、あとには小さい子供とのこされた若い妻がいるというようなことは、まるでかかわりない生活の気分だった。伸子は、この数日、ひとり痛む心をもって、デュト街の須美子の家とペレールの家、自分の屋根裏部屋と、まわって暮した。
 だまって、じっとしていたい心持になっている伸子は、往来越しに向い側の建物のてっぺんにある露台が見えるディヴァンの上で、おもちゃの白い猿を片方の腕に抱いてよこになっていた。
 このごろのペレールの家の空気には、何か伸子にわからないよそよそしさがあった。それは出立前のあわただしさというものとは、ちがったところがあった。たとえば、多計代の健康のためには、またインド洋の暑さをくぐって帰るよりシベリア鉄道で行った方がいいという説がこのごろになっておこっている、それについても、多計代の気持が伸子にわからなかった。ソヴェト同盟については、根づよい偏見にみたされている多計代だから、シベリアを通ってゆくということには、いろいろの不安があるわけだった。その話がもちあがってから、伸子に不思議と感じさせるのは、多計代がモスク□まででも伸子と一緒に行こうと云わないことだった。
 一週間ばかり前、医師から忠告されて、ではロンドンで契約した十一月六日マルセーユ出帆の太洋丸の船室を解約しようかという話が出たとき、つや子は、
「ほんと? おかあさま。――つまらないなあ」
と歎息した。
「さわぐものじゃありません。まだきめてはいないんだから――」
 それ以来、みんなで相談するというよりも、多計代一人の頭のなかで、この問題は、伸子にわからない複雑さで扱われているらしかった。
 やがて五ヵ月をよその国々に暮して、モスク□を出て来たときよりも、もっと深く、もっと現実的にソヴェト同盟の生活を理解し愛すようになって来ている伸子として、ソヴェトのわるくちを冗談のたねにして笑いながら、ポケット・ウィスキーをのむような旅行者一行と、モスク□へ帰ってゆくことは、堪えにくいことだった。多計代に誘われても、伸子は、それをことわっただろう。伸子はひとりでモスク□へ帰りたい、ひとりで。愛するモスク□へ心と体をなげかけるように。――伸子としての気持はそうなのだったが、多計代が、その問題では伸子を避けていることに、自然でないものが感じられているのだった。
 伸子はやがてディヴァンの上へおきなおり、のばした脚の上にスーツ・ケースをのせて、その上でモスク□の素子への手紙をかきはじめた。
「この前書いてから、たった六日しかたっていないのに、ここでどんなことが起ったか、あなたに想像できるかしら」
 伸子は、磯崎恭介死す、という電報をうけとった夜の情景から、恭介の葬式の日の模様を素子にしらせた。恭介の葬式が行われたペイラシェーズの式場の様子は、六月に素子がまだパリにいたとき、恭介の上の子供が亡くなって、素子もよく知っているわけだった。
「お葬式の日は、こんども雨でした。子供さんの葬式の日、雨はふっていたけれども、あれは若葉にそそぐ初夏のどこか明るい雨でした。さきおとといの雨は、つめたかった。もうパリの十月の時雨でね、ペイラシェーズの濡れた舗道にはマロニエの落葉がはりついていました。須美子さん、看護婦に抱かれている小さいあの白い蝶々のような赤ちゃん、そのほかわたしを入れて八九人の人のいるがらんとした礼拝堂のパイプ・オルガンは、こんどは恭介さんのために、鎮魂の歌を奏しました。正面扉についている小さいのぞき窓のガラスは、再びルビーのように燃え立ちました。パイプ・オルガンが、ゆたかな響を溢らして鳴りはじめたとき、わたしは、隣りにかけている須美子さんの美しい黒服の体が、看護婦に抱かれている子供のそばからも離れ、もちろん、わたしたち少数の参会者の群からも離れて、恭介さんとぴったり抱きあいながら、徐々に徐々に翔(と)び去って行ったのを感じました。わたしにそれがわかるようでした。それから、須美子さんがのこった妻として、また悲しい雑事のなかに覚醒することを余儀なくされて、そのとき、それがどんなに彼女にとってむずかしいことだったかも。須美子さんは、でも、ほんとに立派に、苦しいこれらの瞬間をとおりました。
『骨の町』の柱廊のはじへ雨がふきこんで、あすこは濡れていました。子供のお骨のしまってあるとなりの仕切りに、恭介さんのお骨がしまわれて、その鍵が、須美子さんの手のなかにおかれたとき、わたしの脚がふるえました。一人の若い女が、外国で、こういう鍵を二つ持たなければならないということは、何たることでしょう。
 須美子さんはたいへん独特よ。この不幸を充実した悲しみそのもので耐えている姿は、高貴に近い感じです。あのひとには、何てしずかな勁(つよ)い力があるのでしょう。わたしの方が、まごついたり、当惑したり、よっぽどじたばたです。きのうデュトへ行ったら、須美子さんは、わたくし帰ることにきめました、と、いつものあの声で云いました。須美子さんが日本へ帰るということは、片方の腕に生きている赤ちゃんを抱き、もう一つの腕に二つの御骨をもってかえるということなのよ。
 この四日間ばかり、あなたがパリにいたらと思ったのは、わたしだけではなかったろうと思います。わたしのように役に立たないものでも、須美子さんには必要だったのだもの。でも、いい工合に、実務的な面では親切に扶(たす)けてあげる若い方があるらしい様子です。いまの須美子さんに対して、人間であるなら親切にしずにはいられません」
 伸子は、そこまで書いて、しばらく休み、それから千種という男からきいたニュースにふれた。
「正直に云って、ペレールの人たちが、このことについて知っていないのは、おおだすかりです。でもわたしたちは、それについてもっと知りたい。知っていなければうそだと思うんです。日本の状態として、ね。そちらではきっと具体的にわかっているでしょうけれど」
 そう書きながら、伸子は、こんな事情は蜂谷良作には、いくらかわかっているかもしれないと思った。素子の手紙へは、それをかかなかったが――
「こんなに幾重ものことで心をつかまれているわたしだのに、マダム・ラゴンデールったら、きょうの稽古の間に、二度も、あなたは街へ出て、カフェーをのみたいと思いませんか、ってきくんですもの! テキストのどこにも、そんな問答はありはしないのよ。マダム・ラゴンデールは、ほんとにただそういう会話の練習をしているだけだという表情で、質問をくりかえしました。わたしは、二度ともノンで答えました。わたしは、それをのぞんでいません、て。心の中で笑いだしたくもあり、腹も立ち、よ。この女教師は『非常に(トレ)親切な(ジャンディ)』日本婦人たちの先生というよりも、おあいてのような関係にいるのね、きっと」
 伸子は、そこでまたペンをとめた。ペレールのものが、シベリア経由で帰ることにきまれば、伸子は当然素子に、たとえ一日だけにしろ、モスク□で世話をたのまなければならないわけだった。その上、もうじき雪がふり出すであろうシベリア横断の間で食糧に不自由しないように、とくに果物のかかされない多計代のために、十分ととのえた食糧籠の心配もして貰わなければならない。伸子自身がパリから動こうとしないで、そういう世話だけたのむとしたら、素子はそれを、どううけとるだろう。伸子には自信がなかった。この問題は、ほんとに決定してから、素子へ長文電報をうってもおそくないときめた。
 ところが次の日、伸子にとって思いがけない不愉快な事がおこった。朝九時すぎ、伸子がいつものようにペレールの家へゆこうとして屋根裏部屋からエレヴェーターでおりて来て、ホテルの玄関にさしかかったとき、うしろから、
「アロール、マドモアゼール」
 鼻にかかった大声でよびとめるものがあった。ふりかえると、肉桂色のシャツの上にチョッキを着て、厨房の監督でもしていたのか、ひろい白前掛をかけたホテルのマネージャーだった。
 男は、玄関のホールにあるカウンターのうしろへ入って来て、その前に立ちどまった伸子と向きあった。
「マドモアゼール、あなたは、いつ部屋をあける予定ですか」
 いきなり、粗末な英語でそうきいた。伸子ははっきりした期日をきめずペレールのうちのものが出発するまでと思ってそのモンソー・エ・トカヴィユ・ホテルの七階に寝とまりしているのであったが、そういうききかたをされるのは変なことだった。
「なぜ、あなたはそれが知りたいんですか」
 伸子は、相手の不確な英語と自分のよたよたした英語とがからまりあって、おかしい事態をひきおこさないようにと、ひとことひとことをゆっくり発音し、できるだけ文法にも気をつけてききかえした。
「いつ、あなたは部屋をあけますか」
 あっさりと学生風な身なりをしている伸子の顔の上にじっと眼をすえて、同じ言葉がくりかえされた。男のその眼の中には、日ごろ客たちに向ける愛想よさのうらをかえした冷酷ないやな感じがあった。
「まだきめていない」
 答えながら、伸子はカウンターにずっと近よった。
「しかし、あなたのその質問は、普通、ホテルのマネージャーとして、客に向って試みない質問ですよ」
 それに答えず、ぶっきら棒に、
「あなたは、うちの食堂で食事をしない」
 そう云った。
 一度昼食をたべたことがあったが、ここの料理は、こってりしたソースで肉や魚の味をごまかしてあって、伸子の気にいらなかった。
「それは別の問題です。あなたのホテルは、ホテルでしょう? 食事付下宿(パンシオン)じゃない。入口には、ホテル・モンソー・エ・トカヴィユとありますよ」
 五十がらみの男の胆汁質な顔に、むらむらした色がのぼった。
「わたしたちは、あの部屋からもっと儲けることができるんです」
 話は露骨で、強引になって来た。丁度ホテルは午前九時から十時の朝飯の刻限で、カウンターのすぐ横にある狭い食堂の中には、女客の方が多い泊り客たちが食事をしていた。カウンターのところで始ったおかしな掛け合いが、すっかりその人々に見えもすれば、きこえもする。エレヴェーターへの出入りも、一旦カウンターの横を通らずには出来なかったから、伸子は、そこでいわばさらしものめいた立場だった。
 伸子は、たくみにおかれた自分のそういう位置を意識するよりもよりつよく、白眼のどろんとしたマネージャーのおしかぶせた態度に、反撥した。
「あなたは、おそろしく率直です」
 伸子は、ちっとも自分の声を低めないで云った。マネージャーの男は、伸子に向ってほとんど怒鳴っている、と云っていいぐらいの大声をだしているのだった。
「あなたのホテル経営法は、どういう性質のものだかわかりました。しかしね、わたしはホテルの室代としてきまった料金を払っています、一〇パーセントのティップを加えて。――わたしは豪奢な客ではなくても、あなたのホテルにとってちゃんとした客です」
「わたしどもは、もっとずっと多く、あの部屋から利益を得ることができるんだ」
 まるで、カウンターのまわりに動いている人々に、自分のうけている損害を訴えかけでもするように視線をおよがせながら、マネージャーは大仰にこめかみのところへ手をあてがった。
「あなたのような若い女のくせに、わたしに損をさせるもんじゃない!」
 これは途方もない、云いがかりの身ぶりだった。
「わたしに責任はありません。あなたが食事つき下宿(パンシオン)と、入口にかき出しておかなかったのは、お気の毒です」
「別のところへ部屋を見つけなさい。もっとやすいところへ――やすいところへ」
 フランス人に特有な両肩のすくめかたをして、男は伸子にわからないフランス語のあくたいをついた。
「あなたが部屋をあけなければ、あなたの荷物を、道ばたへ放っぽり出すから!」
 伸子は腹だちを抑えられなくなった。
「あなたにそうする権利があると信じているなら、やってごらんなさい。――やって(ジャスト)、ごらんなさい(トライ・イット)! わたしどもは、その結果を見ましょう。フランスは法律のない国ですか?」
 やっと男はだまった。
「わたしの承知なしで、あなたは何一つすることは許されません、荷物にさわることも、室をひとに貸すことも――」
 おこりきった顔と足どりで、伸子はさっさとホテルの玄関を出た。戸外には、天気のいい十月の朝の、パリの往来がある。小公園のわきをとおってペレールへの横通りへ曲りながら、伸子は、だんだん腹だちがおさまるとともに、あのホテル全体に対するいやな気持がつのって来た。
 伸子が云いあらそっているとき、わざとゆっくりカウンターのわきを通りすぎながらきき耳をたてていた男女や、必要以上ゆっくり食堂に腰をおろしていた連中の顔の上には、自己満足があった。学生らしい身なりをしていて、ろくな交際もないらしく、一人で出入りしている若い女、ホテルに余分な一フランも儲けさせない女。そんなこんなで、マネージャーにいやがらせを云われている女。小綺麗なモンソー公園の近くに、その名にちなんだしゃれた唐草模様ガラス扉をもっている小ホテルのカウンターでくりひろげられたのは、バルザックの小説のような場面だった。
 伸子は、たかぶった自分をしずめるためにペレールの家の前を通りすぎて、ペレール広場まで行って、そこからもどって家へ入った。
 ペレールの食堂では、泰造と多計代のジェネ□行きについて、その小旅行につや子をつれて行くか、行かないかの相談最中だった。
「どうします? つや子」
 泰造らしく、末娘の意見をきいている。その調子のどこかに、重荷を感じている響があった。手荷物の多い多計代一人が道づれでも、税関その他での心労が、六十歳をこした泰造には相当こたえるらしかった。
「たった四五日のことだから、こんどは留守番しますか、姉さんにでもとまってもらって……」
 つや子にしても、またジェネ□へ行って、中途半端な自信なさで大人ばかりの客間から客間へひきまわされることは、気づまりらしかった。つや子は、
「お留守番する」
と答えた。
「伸ちゃん、泊ってもらえるんだろうね?」
「ええ……できると思うわ」
「おや、何だか御不承知らしいね」
 みんなにはだまっているが、けさのホテルでのことがあるから、伸子は、四五日こっちへとまるとしたら、と、ホテルの荷物がどうにかなってしまわないかしら、と思ったのだった。
「よくてよ、安心して行ってらっしゃい」
 何かおこれば、おこったときのことだと伸子は心をきめた。
「じゃあお父様、そうきまったんなら、切符をお願いいたしますよ」
 泰造は間もなく外出し、多計代は、ゆうべよく眠らなかったといって寝室へもどった。親たちの留守、姉とだけ暮すということが気にいったらしく、つや子は機嫌よく、客間の隅にかたよせてある絵の道具をもち出した。カンヴァスの上にはつや子の性格のあらわれた強いタッチで、前景に露台のある並木越しの風景が描きかけてある。ブルヴァールをへだてた遠くに、赤白縞の日よけをさし出した一軒のカフェーがここから見えていて、つや子の絵の中にそこも入れられているのだった。
「お姉さまあ、こっちへ来てみない?」
「うん」
「ねえ、いらっしゃいよう」
「ちょっと待って」
 片づけられた食堂のテーブルのところから伸子を気軽に立ち上らせないのは、やっぱり、けさのごたごたの、いやなあとあじだった。伸子は、きょうも夜になればいつもどおりモンソー・エ・トカヴィユへ帰ってゆくつもりだし、急に引越そうとも考えなかった。そんなことは、伸子としてくよくよ考える必要はないわけだった。伸子に何のひけめもあるのではないのだから。
 しかし、ホテルに対する抵抗の気分は、伸子をおちつかせなくさせた。ジェネ□行きの間だけペレールにとまるのはいいとして、そのあと、つづけてここに暮さなければならないような事情におかれては、伸子は困るのだった。それに、ここは佐々のうちのものが出立すると同時に、あけわたす契約になっている。
 安定を求めて、あすこ、ここと考えめぐらしていた伸子の頭に、ふっと蜂谷良作にきいて見ようという考えが浮かんだ。その思いつきはあっさりしていて、伸子を躊躇(ちゅうちょ)させる何もなかった。
 伸子は、ハンド・バッグから小さい手帳を出して、そのうしろに蜂谷良作が書きつけて行ったクラマールの八四五という電話を呼び出した。蜂谷は在宅だった。伸子は、ごくかいつまんで、今朝のあらましを話した。
「ふらちな男だな。どういうんだろう。僕が行って談判してみてもいいですよ」
「ありがとう。でも、それはいいんです」
 今さら、男のひとに出てもらう気は、伸子になかった。
「ただね、もしかしたら、部屋の事でお心あたりがあるかしらと思って」
「――じゃこうしましょう、僕はどうせ、きょう午後から用事があって市内へ出るから、そうだなあ……二時ごろになるかな、そちらへよって見ましょう――ペレールでいいんでしょう?」
 よびたてたようで、伸子は気がひけた。
「そんなことは、かまわない。どうせ、ついでなんだから……」
 蜂谷良作は、その午後約束の時間に伸子をたずねて来た。

        六

 蜂谷良作とつれだって、伸子はその日のうちにエトワール附近にある貸室をみに行った。ペレールのアパルトマンの古風さにくらべると、新式で軽快な建物の三階の一室だった。ウィーンの下宿(パンシオン)がそうであったように、ここも持主の住んでいる部屋の入口は別で、ひろやかで明るいエレヴェーターぐちをとりまいて、いくつかのドアのある建てかただった。
 灰色っぽい小粋ななりをした、賢い目つきの五十がらみの主婦が、あっさりした態度で、蜂谷良作と伸子にその室を見せた。貸室はエレヴェーターを出て、右手に両開きのドアをもった部屋だった。
 ドアがあいて、室内がひとめに見えたとき、伸子は、自分の住めるところではないと感じた。横長くひろびろとしたその室のヴェランダと、大きい二つの窓は、晩秋の色にそまった並木越しに凱旋門の一部を見晴らした。いかにもシャンゼリゼの近くらしい贅沢で逸楽的な雰囲気の部屋であった。この部屋のもち主は、能率よくこの部屋を働かせるために、これまで住んでいた人たちが立つと、すぐその日の午後であるきょうの三時から五時まで面談と新聞広告をだしたにちがいなかった。目を見はらせる室の眺望とともに、これまで住んでいた人の暮しのぬくもり、女がつかっていた香水ののこり香さえまだどこかに漂っている。
 もと住んでいた人たちというのは男と女であり、夫婦であって夫婦でないようなつながりで、この美しい眺めの一室に贅沢な拘束のない生活をしていた、そんな風に感じられた。
 蜂谷良作は、伸子の柄にもない部屋がまえについて何と感じているのか、表情に変化のない顔つきで、主婦と室代について話している。室代は場所がらと、二つの窓のすばらしい眺望が証明しているとおり高かった。
「御希望でしたら朝の食事だけお世話いたしてもようございますよ、牛乳入コーヒーのフランス風の朝飯なら、これこれ」
 ひろい室内をヴェランダや窓に沿ってぶらぶら歩きまわりながら、伸子は、借りないときまっている気持の楽さで、主婦と蜂谷の問答をきいた。
「もし、イギリス流の朝飯がおのぞみでしたら、お二人で、これこれ」
「マダム、部屋をさがしているのは、このマドモアゼルなんです」
 正確だが重くて平板な蜂谷のフランス語が主婦の流暢(りゅうちょう)で弾力のある言葉をさえぎった。
「彼女が一人で住むことのできる室が必要なんです」
「――では、ここはひろすぎますわ」
 機智のこもった主婦の視線が、ベレーをかぶって、パリ風というよりはイギリスごのみの学生風ななりをして窓から景色を見ている伸子をちらりと見直した。この主婦が、ひろすぎますわ、といったことは、とりもなおさず、この方には場ちがいなところですわ、という意味だった。伸子は、お愛想ばかりでなく、
「すばらしい眺めですこと!」
と、その部屋をほめた。
「この室は、ほんとの贅沢部屋です」
 伸子と蜂谷とをドアのところへ送り出しながら主婦は人をそらさない調子で、
「わたしどもも、この室の眺めは、ほんとに愛しているんです」
と云った。この景色があるばかりで、彼女のもっているこの一室はどんなにねうちがあるかということへ満足をこめて。
 往来へ出ると、伸子は笑って蜂谷良作に云った。
「あのマダム、まるで金の玉子を生む牝鶏(めんどり)のことでもいうように、あの部屋の景色のことを云ったわね」
「ハハハハ。金の玉子をうむ牝鶏か。なるほどね、彼女にとってみれば、そうにちがいないわけだ」
 蜂谷良作と伸子は、ペレールへ向って歩きながら、途中で休んだ。
「この辺でさがすとなると、どうしても、あんな風な部屋になってしまうんだな」
「ひまつぶしをおさせして、ごめんなさい」
「暇なんだから、一向かまいませんよ。僕も興味がなくもない」
 いやがらないで蜂谷が時間をさいてくれただけに、伸子は彼にだらだらと部屋さがしをてつだって貰うことは、押しつけがましいと思った。男のひとが若い女に示す好意に甘えて、何かをたのむというような習慣を伸子はもっていないのだった。
「もうひとところ、下宿(パンシオン)であるんだが、いちどきに二つはくたびれるでしょう?」
「それはどのへん?」
 蜂谷はポケットからノートブックをとり出して、アドレスをしらべた。
「僕も行ったことはないんだが、キャルディネ通りっていうんだから、どっかモンソー公園とワグラムの中間あたりじゃないのかな」
 パリのそんなこまかい通りを、日ごろ市外に住んでいる蜂谷良作が知っているとは思えなかった。凱旋門のそばの貸室を、彼は伸子の電話をきいてから新聞広告で見つけだした。下宿というのも、同様の方法で目星をつけたのだろう。伸子をつれてあんまり迷わないように、彼は地図を見て来たのかもしれなかった。
 伸子は、いつも持っている赤い表紙のパリ案内を出しかけた。そして蜂谷からキャルディネという町名の綴りを教わりながら頁をくると、それは親たちの住んでいるペレールと同じ第十七区だった。
「ああ、あった。ここだわ。ホラ、キャルディネ……。近いし、わかりやすいところなのね」
 桃色にぬられている地図を見ながらちょっと思案して、伸子は、
「番地教えていただいて、あしたでも、わたし自分で行って見ます」
と云った。蜂谷は、そういう伸子をいくらか解せなそうに、
「僕の方は、ほんとにかまわないんですよ」
 額によこ皺をよせるようにして伸子をみた。
「一人じゃ、交渉なんか、めんどうくさいでしょう?」
 伸子の言葉が不自由なのを、蜂谷はそういう表現で云った。
「ありがとう。――でも、また無駄足だとわるいから……」
 何となし伸子にはそんな予感があった。
「そんなことは、室さがしにつきものだ。ともかく、あした、あなたのいい時間によりましょう」

 キャルディネ通りの下宿の経営者はふるい軍人あがりらしい老人であった。彼が、ともかくうちの庭を見て下さいと、蜂谷と伸子とを、いきなり庭へ案内したのは、かしこいことだった。というのは、こぢんまりした三階の建物に沿ってしつらえられている生粋(きっすい)にフランス風の小砂利をしいた細長い庭こそ、その下宿(パンシオン)の気質(かたぎ)を語っていたから。奥が深いかわり間口が狭い庭に、夏の日をしのぎよくするための葡萄(ぶどう)棚がつくられていて、建物の入口の横から庭へはいる境は、低い植込みだった。手入れのゆきとどいた小砂利の上には、白く塗った鉄の庭園用テーブルと同じ椅子が三つ四つおかれて、その一つに、黒ビロードの部屋着を羽織った髭の白い老人が、小型の本を片手にもってよんでいた。老人の頭に、黒ビロードの室内帽がかぶられている。老人は、しずけさのうちにゆるゆるとすぎていく時間を居心地よく感じているらしく、低い植こみのかなたに現れた伸子と蜂谷の方へ、自然な一瞥を与えたきり、ふたたび読書に没頭して行った。
 パリの賑やかさのうちに静けさをたのしんで生きている恩給生活者を主な客としている下宿であることは、庭の様子に語られていた。そして、どこか武骨なところのある経営者は、自分の下宿(パンシオン)が、古いフランス流儀でとりまかなわれていることを、ほこりとしているにちがいないのだった。
 建物について入口の方へもどって行きながら、伸子は、
「何て、ことわりましょう」
 こまったように蜂谷良作を見上げた。
「面白いけれど、住めないわ。――あんまり巡回図書版のアナトール・フランスごのみで……」
 蜂谷良作は、入口の石段のところに立って彼らの戻って来るのを待っていた経営者に、
「非常に居心地よさそうで、ちゃんとした庭をおもちですね」
と云った。
「そうです、そうです、ムシュウ」
「ところで、あなたの下宿(パンシオン)は、外国人にあんまり馴れておいででないように見うけますが……」
「そうです、そうです、ムシュウ」
「わたしたちは、あなたの伝統に敬意を表しましょう。このマドモアゼルは、主に英語を話しますから」
「そうです、そうです、ムシュウ」
 年よりの角顔に、安心したような、気のいい微笑が浮んだ。
「さようなら、マドモアゼル」
 老人は、子供の時分から見なれて年月を経た大木をいつか愛しているように、自分の下宿の伝統を愛しているのだった。
 その日、伸子と蜂谷良作は、もうひとところの貸室を見た。セイヌ河のむこうにあるアトリエだった。古い寂しい横丁に面した一つの石門をはいると、そのすぐ右手に住みすてられたようなアトリエがたっていた。趣味のある大きい鉄の蝶番(ちょうつがい)つきの小扉をあけると、そこがもう煉瓦じきのアトリエの内部だった。なかくぼに踏みへらされた煉瓦の床に窓からの日かげが流れていて、高いガラス張りの天井から落ちる光線が、うっすり埃をかぶった中二階の手すりや、その辺のがんじょうな木組みを見せている。いつ舞いこんだか、床にマロニエの枯葉がころがっている。
 それは荒廃したアトリエだった。ほんとに仕事をする場所としては、もう役に立たないところかもしれなかったが、伸子の目にうつる廃屋めいた風情は、空想をそそった。一緒にくらす愛するものがあったら、こんなところに暮してみるのも面白かろう。町すじの寂しい人気なさ。見すてられているようなアトリエ。男と女とが棲(す)むのでなければ、ここでの生活の愉しさはかもし出されようがない。
 蜂谷良作と伸子とは、小扉をあけてアトリエに入ったところにたたずんだまま、しばらく黙ってその辺を見まわしていた。
「――どう? そろそろ行きましょうか」
 そう云ったのは伸子だった。モスク□で、あんなに部屋さがしをした。だけれども、モスク□での部屋さがしは、ほんとにいそがしい生活と生活との間に見出そうとする空間の問題のようで、そこに住むのが男であろうと、女であろうと、第一に考えられるのは、そこが健康に適しているかいないかということだけだった。いまこのアトリエを見まわしている伸子の心に湧いたような空想をおこさせた場所は、どこにもなかった。それは、モスク□の生活そのものが、沸騰し、充実した活動にみたされているためにそうなのだろうか。それとも、伸子が素子と一緒に暮していた、そのせいだろうか。
 落葉のちっている古い歩道に、男の靴音と女靴の小さい踵(かかと)の音とをまじえて歩きながら、伸子は、
「なかなか住めるってところはないものなのね」
 複雑にゆすられたこころもちを、室さがしという話の幅におさめて、蜂谷良作に云った。こういう風に室さがしをやりはじめて、伸子は、二人でさえあれば、どんなところにでも住めるのに、と思うことが多かった。二人でさえあれば、と云って、その二人のうちの自分でないもう一人は、伸子にとって現実のどこにいるのでもないのだった。
「室さがしなんて、大体こんな工合のものなんですよ」
 蜂谷良作と伸子はセイヌ河の古本屋通りへ向ってゆっくり歩いた。
「たった二日歩いたぐらいで飽きたんじゃあ、室さがしは出来ない」
「飽きなんかしないけれど……」
 つまりは、現在いるところがあるからだ、と伸子は思った。
 伸子は、けんかしたあとも、夜はきちんとホテルへ帰って、そこで寝た。ペレールから伸子が歩いてホテルへ戻るのは大抵夜の十時か十一時で、マネージャーの親爺はその時刻に、帳場にいることもあり、いないこともありだった。いたにしても、伸子が正面のしゃれた模様入りのガラス扉をあけると、そこから入って来るのが伸子だということをとうに知ってでもいたように、決して入口に顔を向けず、帳簿つけのようなことをやっていた。伸子の荷物が往来にほっぽり出されることもなく、七階の屋根裏部屋を伸子のカギであけたとき、先ず目をやる枕の上の白い猿のおもちゃにも異状はなかった。
 だからと云って、彼らが伸子を出て行かせようとしていることは同じだった。マネージャーの細君である非常に肥った女が、捲毛をたらした頬に愛想笑いを浮べて、ある朝、伸子のそばへよって来た。
「こんにちは、マドモアゼル」
「こんにちは」
 マダムとつけるべきところだろうが、伸子にはそう云えなかった。
「マドモアゼル、お部屋は見つかりましたか?」
「いいえ」
 それをきくと細君は、自分の胸の厚さでおすようにして伸子をエレヴェーターのものかげへひきよせ、指環のはまっている片手を伸子の腕の上において、ひそひそ声で半ばおどすように云った。
「マドモアゼル、おわかりでしょう? お部屋を早くおみつけなさい。わたしは、毎日、うちのひとをなだめているんですよ、あのかたは教育のあるマドモアゼルなんだからって」
「ペレールに住んでいるわたしの家族が十月末にはパリから出発します、それと同時に、わたしも引越しましょう」
「おお! マドモアゼル、それは、わかっていますよ」
 アパルトマンの門番からでもききだしているらしく、ほんとにそのことは知っているくちぶりだった。
「でも――今月末!」
 細君は息を吸いこんだまま伸子を見つめて、かぶりをふった。
「マドモアゼル、部屋をおさがしなさい。あなたがいい方だということは、わたし、よくわかっているんです。ね? よございますか? マドモアゼル」
 それは、いい子だからねとくりかえして、いやがる使いに娘を出そうとするおふくろの言葉のようだった。

        七

 伸子の部屋さがしの中途で、両親がジェネ□へ立つ日が来た。
 前の晩、おそくまで多計代の手伝いをして、つや子の部屋に泊った伸子が目をさましたとき、窓の外に雨が降っていた。
 こんな天気で立てるのかしら。伸子はそう思った。多計代は和服だから、雨降りだと不便なばかりでなく、また気分がわるくでもなるのではないかと思った。
 本来ならば、おととい、親たちはジェネ□へ行っていたはずだった。朝十時の列車にのる予定で出た泰造と多計代とは、ペレールの住居で伸子とつや子が、もう汽車にのりこんだだろうかと話しているところへ、不機嫌な顔を並べて戻って来た。多計代の気分がわるくなって、どうしても出発できなくなったのだった。
 泰造は、病弱な妻をつれて旅をしているためにおこるそういう不便にはなれて来ていても、多計代が云った何かのことで、ひどく傷つけられているらしく、
「伸子、おっかさんを見てやってくれ」
 びっくりして出迎えた娘たちにそう云ったなり、やっと客室の長椅子にたどりついた多計代の方は見ないで、外出してしまった。
 体のなかに苦しいところがあって、しゃんとかけていにくいらしく、多計代は肩をおとして、片手を長椅子のクッションの上につきながら、もう一方の手で、ものうそうに帯あげをゆるめた。
 伸子は、できるだけいそいで、その帯あげをとき、袋帯をほどき、その下の伊達巻や紐類をゆるめた。おはしょりがゆるんで派手な訪問着の前褄がカーペットの上にずりおちた。
 つや子がいれて来た熱い緑茶を、ゆっくりひとくちずつのみながら、多計代は、
「お前がたのお父様ってかたは、いったいどこまで見栄坊なんだろう」
 苦しさはそこにあるという風に、多計代は息をきらしながら云った。
「わたしの健康より、浅井さん夫婦に気がねをする方が先なんだから、あきれたもんだ。どんなに偉いのかしらないが、さきは、若い人たちじゃないか」
 浅井夫妻は、国際連盟関係でジェネ□に駐在している人々であり、泰造にとってはもともと儀礼的な知人でしかなかった。その人たちが、出迎えたり、ホテルの世話をひきうけてくれていることについて、人に迷惑をかけまいとする泰造が、出来るだけ予定を変更したがらなかったこころもちは、伸子に察しられた。
 伸子は、多計代のそういう言葉にあいづちをうつ心持がなかった。足が冷えないように白い足袋の足の下にクッションをおき、寝室からもって来た羽根ぶとんで、動くのも大儀そうな多計代の体をくるんだ。
「ベッドに入っていらした方がいいんじゃない?」
 しばらくして伸子がすすめると、多計代は故意に顔をそむけるようにした。
「さあさあ、とんだ御厄介をかけてすまなかったね、伸ちゃんも行くところがあるんなら、さっさと出かけておくれ」
「…………」
 みんなが苦しむのは、多計代の不健康よりも、こういうこじれかただった。多計代の体がわるいことについて、家族のみんながもっている同情や心づかいの優しいこころに、多計代はいつも自分からつっかかってとげをたてた。
「――病気が事務的に解決できるものなら、わたしだって、何もこんなに苦しみやしない」
 なか一日休養して、けさ、ようやく出直しの出発だというのに――。
 窓の外にふる雨を見ながら、伸子は身じまいをした。そして、廊下へ出ると、寝室から浴室へ行こうとしている泰造に出会った。
「おはようございます」
「ああ、おはよう」
「――雨ね、お父様」
 泰造は、白い短い髭のある上唇を、むくりと動かすようにして、
「ああ」
 めずらしく、ぶっきら棒な返事だった。
「だまっているんだ。また問題がおこるから」
 伸子によけいなお喋りをするな、ということなのか、それとも、うるさいから俺はだまっているんだ、というわけなのか。どっちにしろ、それは伸子に、普通でない泰造の気分を感じさせた。浴室に入ってドアをしめる父親のうしろつきを、廊下にたって伸子はじっと見送った。
 おととい、多計代から傷つけられた泰造のこころもちは、いやされていないのだ。
 伸子は、まだ仕度されていない食堂へ行って、ぼんやり立っていたが、やがて、寝室のドアをノックしてあけた。多計代はもう起きていて、電燈をつけた鏡に向って髪を結い終ったところだった。
 雨が降っていることについては、多計代は何とも云い出さなかった。食堂のヴェランダからは、雲の低いパリの空がひろく見はらせ、目の前のヴェランダはすっかり濡れているのだから、多計代にも雨がふっていることはわかっているにちがいない。伸子のはらはらする気持は、多計代をジェネ□行の列車の車室にかけさせてしまうまで、休まらなかった。みんなが気をそろえて、天気のわるいことにはふれないで自分をたたせようとしている。そこにこだわって、多計代がおこりだすことはあり得たし、そういって多計代がおこれば、伸子は自分として何と云いつくろうのか知らなかった。浴室へゆく廊下で泰造のああ云った言葉がなければ、伸子は、母の顔を見た最初に、あいにく雨ね、というたちなのだったから。
 格別の苦情も云わず、それかと云って旅だつ楽しそうなところもなくて、両親が並んで乗っている列車が発車してから、伸子は寂しいきもちで、モンソー・エ・トカヴィユまでタクシーを駛(はし)らせた。
 十時半にホテルへ磯崎須美子が来るはずになっていた。十一月はじめにマルセーユを出帆する太洋丸で日本へかえる須美子は、伸子とおちあって百貨店プランタンへ子供の旅仕度のための買物に行く手筈にきめてあったのだった。
 ロンドンできめた予定どおりに運べば、同じ船で、泰造、多計代、つや子も帰国するわけだった。パリへ来てから、多計代の健康上、シベリア経由をすすめられて、佐々の方は、まだきまらないままである。
 ホテルへ着いてみたら、須美子のノートがのこされていて伸子が留守だから、一足先にプランタンへ行っている、子供部に居ります、とある。思いがけない行きちがいで、伸子は、びっくりしながらカウンターの上の時計を見あげた。ここの時計はもう十時四十五分になっている。どうしてこんな時間になったろう。列車は十時発車ということで、発車と同時に伸子はリオン停車場前からタクシーにのったのに。途中に四十分かかったとは信じられない。しかし、伸子がおくれた証拠には、約束どおり十時半にここへ来た須美子のノートがのこされているのだ。
 パリで子供を亡くし、つづいて良人の恭介に死なれ、二人の骨をつれて日本へ帰って行く須美子との約束をないがしろにしたような成行を、伸子はそのままにしておけなかった。
 プランタンへかけつけて、二階の子供もの売場をさがして行くと、いいあんばいに須美子の一行が見つかった。須美子は、恭介が急に亡くなったときからいる中年の看護婦に、下の子供を抱いてもらって来ていた。いそいで陳列台の間を近づいてゆく伸子を認めると、須美子は手にとりあげていた白い子供ものを下において、
「ああよく!」
と云った。
「おいそがしいのに、ごめんなさい」
 ブルターニュ生れらしい、実直な看護婦が、抱いている子供の体のかげから、
「こんにちは、マドモアゼル」
というのに答えながら、伸子は、少し息をはずませた声をおさえて、
「ごめんなさい、行きちがってしまって。両親がジェネ□へ立つのを送っていたもんだから……。でも列車は十時に出たはずなのに、どうしておくれたのかしら――」
「あなたに忙しい思いをおさせしてわるうございましたけれど、わたしは、うれしいわ、来て下すって――」
 須美子は、伸子の手をとったまま、唇をひらかないほほえみを泛べた。恭介が亡くなってから、ほほえみらしいものを浮べた須美子の顔を伸子は、はじめて見た。
 須美子は、そこで、看護婦の腕にだかれている子供のいまの小さい体に合うような、そして、いくらかあとまで使えるような形や布地の下着を注意ぶかくいくつか選び出した。それから別の陳列台のところで、歩けるようになったときのために可愛い白鞣の靴を一足買い、船のなかで使うために桃色の子供用毛布とフードつきのマントを買い求めた。ちゃんと計画を立てて、須美子は買うべき物を選び、布地の丈夫さについてはときどき看護婦と相談した。あたりまえのなりをしていて、普通のパリのおばさんのように見える看護婦は、須美子から相談をうけると、世帯もちのいい女らしくその布地を指の間でためしたりして親身に相談にのっている。あらゆる角度から、女の購買欲をそそりたてるマガサンでの須美子の買ものぶりは、伸子を感服させ好意を誘った。須美子にはものを買うにも、ほんとに須美子らしいつつましさと清らかさがあって、山とつまれ、色とりどりに飾られた品物の山の中から、正直な小鳥が、自分にいるものだけを謙遜に嘴(くちばし)でひき出すように、おちついて選びだすのだった。
「お疲れになったでしょう、こまかいものばかりいじっていて」
 須美子は子供品売場から出ながら云った。
「もうひとところ、つきあっていただかなければならないんですけれど。鞄売場はどこかしら……」
 六階の鞄売場はプランタンのほかの売場より人気がなくて、棚の上まで大小さまざまのトランクの金具が光り、鞣や塗料の匂いがただよっているなかに男の売子が立っていた。
 須美子は、ゆっくりとそこを見て歩いた。
「手に下げられるような形の鞄の方がいいと思うんですけれど」
 船室で使うスーツ・ケースがいるのかと思ったが、須美子のさがしているのはそういう種類のものでなく、婦人向の気のきいた手まわり入れでもないらしかった。
「何というんでしょう、両方へくちが開く鞄がありますでしょう、すこし深くて――昔からある形だと思うんですけれど」
 陳列の間をさがして歩く須美子の足どりにも、眼つきにも、子供売場での須美子とちがった熱心さがあらわれていて、ほかの型ではどうしても彼女の役に立たないことが、はっきりしている風だった。
「きっと、はやりの型じゃないんでしょうね」
 根気よく売場を隅々までひとまわりして、おしまいに棚の上の方でやっと須美子の求めているらしい形の鞄が発見された。
「ああ、あれですわ、そうらしいわ」
 須美子は、背広を着た若い店員に、その鞄をおろさせた。茶色皮で、どちらかというと野暮くさい両開きの鞄を台の上へおいて須美子は丁寧にうち張りと縫めをしらべ、幾度も鍵のしまり工合をためした。そうしながらも、須美子はその鞄の容積を気にして内外から調べる様子だったが、その結果彼女は、もう一つ同じ型の鞄を買うことにした。
「とどけさせるの?」
 伸子がきくと、
「もてますでしょう、看護婦さんがいますし、どうせタクシーですから……」
 軽いけれども嵩(かさ)ばるカバンを両手に下げて、須美子は、やっときょうの買物の予定はすんだ、という表情になった。伸子たちはプランタンのなかの食堂で、あまりおいしくもない昼食をすました。そして、十四日の午後二時に須美子のデュトのうちへ行く約束をして、百貨店の前からタクシーにのった須美子の一行とわかれた。佐々の両親がパリを立つのもいずれ月末のことになっているし、双方の出発の日がせまらないうちに、伸子は須美子のために小さい計画を思いついたのだった。

        八

 今夜からは、両親のいないペレールの家の寝室につや子とねることになった。そこへ入って行ったとき、伸子は、何となしはじめて案内されたホテルの室でも見まわす時のような視線で、古風にどっしりとした室内を眺めた。
 このアパルトマンの四つの部屋のうち、伸子にとっていちばんなじみのないのが、両親の寝室であった。片隅に重々しく衣裳箪笥が立っていて、窓よりの壁の前では、化粧台の鏡の面に電燈に照し出されて室内の一部が映っている。大形トランクやスーツ・ケースが壁の下におかれていることは、日頃見ているとおりだったが、二つ並んでいる寝台の間にはさまれて立っている枕もとの小テーブルの上は、スタンドのほか何もなく、きちんととりかたづけられている。いつもはその上に、狭いばかりごたごたと、ものがおいてあるのに。
 多計代が、そのように始末して出かけたのはめずらしかった。そろそろ着ているものをぬぎながら、何となしその枕もとの卓のあたりに目をやっているうちに、伸子は、あ、と思いついて、頭からぬぎかけているスウェターの、毛糸の匂いのするなかで目を見ひらいた。いつもはそこに保の分骨を納めた例の錦のつつみものが置かれていたのだった。そして、そのまわりにセイロンの象牙でつくった象の親子だの、金糸とビロードでこしらえた花かごだのが、飾られていたのだった。
 そういえば、多計代はけさ家を出るときコバルト色に朱を細い縞にあしらった自分の旅行バッグを手からはなさなかった。多計代はジェネ□へ保をつれて行ったのだ。あすこに保がいれられていた。
 それにつれて、須美子が買った二つの同じ型のカバンの用途が、いちどきに伸子にのみこめた。一つは恭介のために。もう一つは子供のために。須美子は二つのカバンを買ったのだった。しきりに大きさを気にしていたわけもわかるように思えた。彼女は、夫と子供とを一つのもののなかに入れ日本までの旅をしたかったのだ。そういう買物であったから、須美子は伸子でも、わきについていてほしいこころもちであったのだ。
 天井の電燈をつけたまま寝室に姉とならんで横になり、つや子はとなりの寝台からたのしそうにしゃべっている。
「お姉さま、真暗のなかだと、空気が重くなって息が苦しいようにならない?」
「そうかしら。――わたしは小さいとき、真暗ん中で目をあいていると、体がだんだん四角く小さくサイコロみたいになって行くようで、こわかった」
「ふーん」
 話しながら伸子は考えつづけた。きょうプランタンで須美子がきまった型のカバンをさがして、いつもの須美子に似合わず執拗に陳列の間を歩きまわっていたとき、伸子が、おせっかいな口をさしはさまなかったのは、せめてものことであった、と。須美子の熱心さには何かあたりまえでないところがあった。それが伸子をおさえたせいだった。そのカバンを二つも買うことについて、用途を説明させるような物云いをしなかったのも、伸子は、せめてもだったと思った。あのカバンを届けさせず、自分でまっすぐに持って帰った。そこにも須美子の心の疼きがうらづけられている。不仕合わせな須美子の感情の動きにくらべると、そのような痛みにおかれていない自分の心が、大まかにしか働らかないのを、伸子は自分の卑しさを発見したに近い感じで自覚するのだった。
 つや子は、しばらくしてまた、
「ねえ、お姉さま」
とよびかけた。
「お兄様たち、ロンドンでいまごろ何していると思う?……動坂ではね、このひと、お兄様と寝ていたのよ。お兄さま、いつもおそくかえって来てねるでしょう、だからこのひと、先へねるとき、お兄様の枕をだいてねることにしていたの。いつだったか、一所懸命枕だいてねていたつもりだったら、目がさめたとき、ほんとにあきれちゃった。枕だと思ってたの、お兄様の脚だったんですもの」
「まあ、いやだ!」
 風呂ぎらいだった和一郎の毛脛(けずね)を考えて、伸子は笑い出した。
「さかさになったのはどっちなのよ」
「このひと――」
 少女のつや子が、このごろは多くひとりぼっちのこころもちで暮していることが、たまのこういう会話で伸子に察しられるのだった。末娘のつや子が両親に愛されていないと云ってしまえば、それは、長女の伸子がちっとも愛されていないというのと同様に、真実ではなかった。
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