道標
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著者名:宮本百合子 

 一人の人間を伸すということ。その人に書かせるというようなこと。そこにどういう方法があり、どういうことが起るのか、わかりもしないようなそんなことを、伸子が女だから、男の利根には、自分の力のうちでできでもしそうに思えるのだろうか。しかも、利根と伸子との間には、ことごとにと云えるほど、意見のちがいがあるのに。そんなことは、男と女との間であれば、とるに足りる何ごとでもないように利根亮輔には思えているのだろうか。伸子をひきよせる利根の話しかたが、伸子をおどろかせた。
「そうかなあ、イリュージョンかなあ。僕にはそう思えないんだが――」
「イリュージョンだわ!」
 伸子は、その雰囲気から身をもぎはなすように云うのだった。
「わたしの考えかたや気質があなたに興味があるというだけよ」
「じゃ、僕は、あなたにとって興味のない人間ですか」
「――まるで興味のない人と、話しながら歩いたりするかしら。――でも、それは別よ。そうでしょう? 別であり得るのよ」
 またしばらく黙って歩いて、バッキンガム宮殿のすぐ近くの角を曲るとき、伸子は、ひきこまれそうになっていた渦から解放されたほほ笑みで、
「利根さん」
とよんだ。
「わたしはね、ミス・マクドナルドでもないし、ミス・木村でもないの。だからね、対立があるからこそ協調してゆくっていうイギリスの流儀では、万事やってゆけないのよ」
「――そうか!」
 バッキンガム宮殿のまわりを、機械人形のように巡邏(じゅんら)している華やかな服装の若い近衛兵(ローヤル・ガイド)が、そのとき伸子のすぐわきで、まじめな顔つきで規則正しいまわれ右をした。

 伸子は、モスク□にいる素子へのたよりに、利根亮輔と話すいろいろのことを書いてやった。バッキンガムのまわりを歩いたことも。しかし、その散歩のとき短くかわされて、二人の間柄を決定した会話についてはふれなかった。
 今夜かあした、モスク□へ書く手紙のなかで、伸子は、「モンソー・エ・トカヴィユ」の七階へたずねて来た蜂谷良作と出かけて、モンソー公園に、こんなにゆっくりしていることについて、どう書くだろう。
 秋の公園の日だまりのなかで、伸子はそんなことについて、考えてはいてもちっとも心を煩わされていなかった。伸子は、いまというひとときのもっている条件のすべてをひっくるめて、楽にくつろいだ会話や戸外の空気の快よさを感じているだけだった。
 そろそろまた歩きはじめようとして蜂谷良作はベンチの上から帽子をとりあげた。
「いずれにしても、佐々さんは生活的だなあ。この間の晩、はじめてゆっくり話してみて、僕が一番感じたのはそこだった。――吉見君は、あれで、よっぽどちがうでしょう? あなたとは――」
 伸子は、蜂谷との間で、そこにいない素子をそういう風に話すのはこのまなかった。
「あのひとは、わたしよりずっとものを知っています、あれだけ、ロシア語がちゃんとしているんだもの」
 素子がよくものを知っていながら、その知っているところまで自分の生活そのものを追い立ててゆかないことも、いま蜂谷に説明する必要はない素子の一つの特徴だった。
 伸子と蜂谷良作とは、公園の奥にある池のところから小道づたいに、来た方とは反対の道を出口に向った。
「こんどこそ、わたし、本気でパリを歩いてみなくちゃ」
「そう急ぐわけでもないんでしょう」
「親たちが帰れば、わたしはすぐモスク□へもどります。だから――そうね、ひと月はあるでしょうね」
「そんなにさしせまっているのか」
 蜂谷は思いがけなさそうだった。
 二人は、モンソー公園の前にある広場めいたところのカフェーで休んだ。夕方になったら、俄(にわか)にうすらつめたくなった風がマロニエの落葉をころがしてゆく秋の公園前のカフェーには腰かけている人の数も少かった。
 公園の樹の間で街燈がともった。
 そのカフェー・レストランの内部にも同時に灯がはいって、パリの夜の活気が目をさました。
「佐々さん、ついでに、ここで夕飯をすまして行きませんか」
 ことわらなければならない理由もなくて伸子は、だまっていた。
「この間は、あんなにして不意に泊めてもらったりしてお世話になったし――いいでしょう?」
「――部屋をあけてあげたのは、わたしじゃなかったのよ、吉見さんよ」
「――じゃあ、その代表として。――ここなら、きっと、カキがうまいだろう」
 半ば公園のあずまやのように作られているそのレストランは、女づれで来るような客で段々賑わって来た。身なりも気のきいた中年の粋(いき)な組が多かった。
 運転して来た自動車に鍵をかけ、それをズボンのポケットにしまいながら、わきに立って待っているつれの女のひとの肱を軽くとってレストランのなかへ入ってゆく男の物馴れた仕草などを眺めていて、伸子は、
「蜂谷さん、大丈夫?」
と、いたずらっ子らしく笑った。
「少し、柄にないところなんじゃないの? こんなところ――」
「そんなことはないさ」
 蜂谷は、ぽつんとまじめに答えた。そして、そのまま顔を横に向けた。伸子は、夕飯にかえらないことをペレールのうちへ知らせるために、電話をかけに立った。

        三

 もう二三日で九月が終ろうとしている風のつめたい夜の九時すぎ、モンマルトルの方から走って来た一台のタクシーがペレール四七番の前でとまった。ドアがあいて、なかから、つや子、多計代、泰造、しんがりに伸子という順でおりて来て、レースのショールをかけた肩を寒そうにしている多計代をとりかこみ、四七番の入口の大きいガラス戸の中へ一人一人消えた。八時すぎると、この辺のアパルトマンの入口はしめられた。ベルを押すと、門番が玄関わきにある自分たちの住居の中でスウィッチを入れ、その人が入る間だけ、入口のドアの片扉があくようになっている。佐々のものたちは、その僅の間をいそいでホールへすべりこんだ。みんなについてエレヴェーターのところへ行こうとしていた伸子は、門番の住居の小窓から、
「マドモアゼール」
とよびとめられた。
 玄関に向ってあいている門番の小窓には、背後から橙(だいだい)色のスタンドの光を浴びて、カラーなしのシャツ姿の爺さんが首を出していた。
「ヴォア・ラ! あなたへ、電報」
 細長くたたんである紙をさし出した。伸子は、不安なような、全く不安のないような変な気分で、それをうけとった。
「ありがとう」
 心づけを爺さんの手のひらにのせて、伸子はうちのものの佇んでいるエレヴェーターのところへ行った。
「――おや、電報かい?」
 多計代が、神経質にまばたきした。
「わたしのところへ来たのよ」
「吉見さんだろう」
 素子はモスク□へ着いたとき、ロンドンのホテルあてに伸子に電報をよこしたし、伸子たちがペレールへかえってすぐのときも、電報をよこした。ぶこ、かわりないか、やど知らせ、と、ローマ字で書いて。手紙の往復の間をまちきれない素子のこころもちが、その電文に溢れていた。いまも、伸子は、七分どおりモスク□からだろうときめて、おどろかずに電報をうけとったのであった。折りたたまれた紙をあけて見て、伸子はまごついた表情になった。
「変だわ、これ。――何のことなんだろう」
 ケサ六ジ、イソ、ザ、キキョウ、スケシス
 スケシスというギリシャ語みたいなローマ字つづりで、いきなり戸惑わされた伸子は、冒頭の、ケサ六ジという一句の意味が明瞭で動かしがたいだけに、よけい判断を混乱させられた。わかるのは、この電報が素子からではないということだけだった。イソ、ザ、キキョウ、スケシス Iso za kikyo Sukeshisu とは何のことだろう。
「みせてごらん」
 泰造が、すこし顔からはなして読む電報を、わきに立って、伸子ものぞきこんだ。
「ね、――わからないでしょう?」
 ややしばらく電文を見ていた泰造が、
「これは、綴りが、ちぎれちまっているらしい。上の字へつくはずだったんじゃないか。イソザキ、キョウスケっていう工合に。――そういう名のひとを伸子は知っているかい」
「知っているわ」
 そう云われて、目をすえてよみ直した伸子の頬から顎へ鳥肌だった。
 ケサ六ジ、イソザキキョウスケ シス――死す――
「まあ!」
 それは伸子の心からのおどろきの声であった。
「どうしたっていうんでしょう!」
 若い画家である磯崎恭介と、やはり画を描く若い妻の須美子は、伸子の友人であるよりも、素子の古い知り合いだった。パリへ来たとき、素子と伸子が心あてにしたのは、この二人であった。ヴォージラールのホテルへ移り、佐々の一行がパリへ来るまで伸子たちは、磯崎夫妻にいろいろ世話になった。佐々のものがマルセーユに着くほんのすこし前、磯崎は、サンジェルマンの方へ里子にあずけておいた上の男の子に死なれた。その葬式がペイラシェーズで行われたとき、伸子はいたましい思いにつつまれて、喪服姿の須美子の介添えをしたのに。――
 ロンドンから帰って伸子が磯崎の住居をたずねたのは、たった一週間ばかり前のことだった。そのときの恭介には病気らしいところはどこにもなかった。
 サロン・ドオトンヌに出す制作がもうすこしで終るところだと云って、むしろいつもより活気づいて張りきっていた。伸子のところへ、電報をよこした磯崎の妻の須美子の言葉かずのすくない美しい様子と、ひよわい白い蝶々(ちょうちょう)のような子供の姿を思うと、伸子は、とても、そのままあしたの朝まで待てなかった。
「お父様達、かまわずあがっていらして下さい。わたし、行ってくるわ」
 佐々の一家はモンマルトルの「赤馬」というレストランで、のんびりと居心地よく、長い時間をつぶして帰って来たところだった。電報は、午後二時発信となっている。伸子は、そのときから今まで自分たちが過した時間の内容を考えて一層切ないこころもちだった。ハンド・バッグをあけ、もっている金高をしらべた。
「わたし、多分こんやは、あっちへ泊りますから」
 泰造も外へ出て、伸子のためにタクシーをつかまえた。
「おそくなったら、あしたの朝になってから、かえりなさい、夜中でなく」
「そうします」
 そして、タクシーは走り出した。ロンドンへ立つまで、よく夜更けに、素子と一緒に通った道すじ――トロカデロのわきからセイヌ河をむこう岸にわたる淋しい道順を通って。
 デュト街へはいったとき、朝の早いこの辺の勤勉な住人たちの窓々はもう半ば暗くなっていた。寝しずまろうとしている街のぼんやりした街燈の光をはらんで何事もなかったように入口をあけている磯崎の住居の階段を、伸子は爪先さぐりにのぼって行った。磯崎恭介は死んだ。妻と子とをのこして。それだのに、彼の一家が住んでいる建物のどこにも、その不幸のざわめきさえ感じられない。人の生き死にかかわりない夜の寂しさが、一人で爪先さぐりに階段をのぼってゆく伸子にしみとおった。ペレールで見た電報が信じられないような感じにとらえられた。
 伸子は息をつめて、磯崎の室のドアをノックした。無言のまま、すぐ扉があいた。廊下に立っている伸子を見て、ドアをあけた見知らない日本の男のひとは、
「ああどうも」
と、あいまいに云って頭を下げ、体をひいて伸子を、室内に入れた。
 年配のまちまちな四五人の日本の男のひとたちが、いつものとおり無装飾なその室の長椅子のところにいた。伸子は何と云っていいかわからず、だまってそこにいる人々に頭を下げた。
「奥さんはあっちに居られますから――どうぞ」
 伸子は、丁寧なものごしで示された隣りの寝室の方へ歩いて行った。両開きのフレンチ・ドアのかたそでだけが開け放されている。足音をころしてその敷居のところへ立ちどまったとき伸子のひとめに見えた。ひろい寝室のむこうの壁につけておかれている寝台と、その上に横わっている磯崎恭介、わきの椅子にきちんとかけて、濃いおかっぱの頭をうなだれている須美子の黒い服の姿。――人の気配で須美子は頭をあげた。伸子を認めた瞬間、須美子の黒いすらりとした姿が椅子から立ち上ると同時に、はげしく前後にゆれた。伸子は思わずかけよった。
「佐々さん」
 繊(ほそ)くて冷えきった須美子の指が、万力(まんりき)のように伸子の手をしめつけた。
「よく来て下さいました」
「ごめんなさい。電報、やっとさっき拝見したもんだから」
 伸子は、ささやいた。
 壁ぎわのベッドの上によこたえられている磯崎恭介の眠りをさますまいとするように。
「パリにいらっしゃりさえすればきっと、来て下さると思いましたわ。佐々さん。わたしも、こんどという、こんどは……」
 伸子の左肩の上に顔をふせた須美子の全身がわなわなとふるえた。伸子は両手でしっかり須美子を抱きしめた。須美子は、けさから、どんなにこうしてすがりつける者をもとめていたか。それを、身がきざまれるように伸子は感じた。ついこの六月下旬に、須美子は田舎にあずけていた上の子供に死なれたばかりだのに。
「なんていうことなんでしょう!」
 須美子の上にかさなる悲しみに対していきどおるように伸子が云った。
「歯です」
「――歯?」
「おととい、急に奥歯がひどく痛むって、お医者さまへ行きましたの。抜いたんです。そこから黴菌(ばいきん)が入ったんです」
「…………」
 ヴォージラールのホテルにいたとき、素子が歯痛をおこしてさわいだことを、伸子はおそろしく思い出した。あのとき磯崎から紹介された医者があった。あの医者へ、こんどは恭介自身が行ったのだろうか。その医者の、あんまり日光のよくささない診察室や、応接室にあった古いソファーが伸子の記憶によみがえった。
「ほんとに急だったんです。急に心臓がよわってしまって――磯崎は自分が死ぬなんて、夢にも思っていませんでしたわ」
 須美子の、濃いおかっぱの前髪の下に、もう泣きつくして赤くはれた両方の瞼がいたましかった。
 伸子は、須美子にみちびかれて、磯崎の横わっている寝台に近づいた。須美子が顔にかけてあるハンカチーフをのけた。その下からあらわれた磯崎恭介の顔は、目をつぶっていて、じっと動かないだけで、全くいつもの恭介の顔だった。贅肉のない彼の皮膚は、日ごろから蒼ざめていた。いくらか張った彼の顎の右のところに、直径一センチぐらいのうす紫色の斑点(はんてん)ができていた。その一つの斑点が磯崎の命を奪った。
 磯崎のいのちのないつめたい顔を見つめているうちに、伸子は、自分の体も、さっき須美子の体がそうなったように、前後にゆれ出すように感じた。そして、壁がわるいんだ。壁がよくなかったんだと心に叫んだ。
 磯崎たちの住んでいるデュト街のこの家は、パリの場末によくある古い建物の一つで、入口から各階へのぼる階段のところの壁などは、外の明るい真夏でも、色の見わけがつかないほど暗く、しめっぽく、空気がよどんでいた。壁に湿気と生活のしみがしみついていることは、室内も同じことだった。磯崎たちは、がらんとしたその室内に最少限の家具をおいているだけで、意識した無装飾の暮しだった。この寝室も、磯崎の横わっている寝台が一つ、むき出しの床の上で壁ぎわに置かれているだけで、あとにはこの部屋についている古風な衣裳箪笥が立っているきりだった。寝台の頭のところの壁の灰色も、年月を経て何となしぼんやりしたいろんなむらをにじみ出させていた。その室の壁のぼやけたしみと、磯崎の右顎に出たうす紫のぼんやりした斑点。――伸子は、この建物に出入りするようになったはじめから、真暗でしめっぽいこの家の階段の壁やそこいらに、健康によくないものを感じていたのだった。でも、今になってそれを云ったところでどうなろう。
 須美子は、そっと、気をつけて、眠っている人がうるさがらないようにという風に、恭介の顔の上にハンカチーフをかけた。
「お仕事、どうなったかしら」
 先日あったとき、もうじき描き終ると云っていた恭介のサロン・ドオトンヌのための絵だった。
「あれはすみましたの。搬入もすまして――ひとつは、その疲れがあったのかもしれませんわ」
 二人は、磯崎恭介の横わっている寝台を見下しながら、小声で話すのだった。
「小さいひとは? マダムのところ?」
「ええ。けさ呼んだ看護婦さんが、親切な方で、ずっといてくれますの」
 少しためらっていて、伸子は須美子に云った。
「急なことになって、もしわたしのお金がお役にたつようなら、いくらかもって来ましょうか。わたしは少ししかもっていないけれど、借りることができるから――」
「ありがとうございます。今のところよろしいんですの。丁度、磯崎のうちから送って来たばかりのものが、まだ手をつけずにありましたから――」
 それをいうとき、須美子の顔の上にいかにも辛そうな表情がみなぎった。日ごろから、須美子は、磯崎の両親に気をかねていて、上の子に死なれたときも、それは、須美子の落度であるように云われた。突然の悲しみの中でも須美子は義理の親たちの失望が、自分に対するどんな感情としてあらわれるかを知っているのだった。
 四五人来あわせている人々のなかで、一番年長のひとが、和一郎の美術学校時代の美術史の教授だった。ひかえめに、ロンドンにいる和一郎の噂が出た。磯崎恭介に近い年かっこうのほかの人たちは、みんな画家たちだった。伸子がその人々と初対面であり、こういう場合口かずも少いのは自然なことであったが、磯崎恭介そのひとが、これらの人々との間に、果してどれだけうちとけた親しいつきあいをもっていたのだろうか。異境で急死した人の女の友達の一人としてその座に加っていて、伸子がそう思わずにいられない雰囲気があった。パリの日本人から自分を守って努力していたような磯崎恭介。その人の意志にかかわらず突然おこった死。ここにいる人たちは、ほかの誰よりちかしい友人たちではあろうけれども、そこに来ている四五人の人々の間で磯崎についての思い出が語られるでもなかった。友人たちの心から話し出されるような逸話をのこしている磯崎でもないらしかった。
 しばらくして、須美子も寝室から出て来てその席につらなった。彼女は半円にかけている客たちに向って、ひとりだけ離れて一つの椅子にかけた。
 だまってかけている人々の上から、夜ふけの電燈がてらしている。須美子は、日ごろから着ている黒い薄毛織の服の膝の上に、行儀正しく握りあわせた手をおいて、悲しみにこりかたまって身じろぎもしない。黒いおかっぱをもった端正な須美子の顔の輪廓は、普通の女のように悲しみのために乱されていず、ますます蒼白くひきしまって、須美子そのものが、厳粛な悲しみの像のようだった。
 須美子のそのような内面の力を、おどろいて伸子は眺めるのだった。須美子の純粋な精神が、悲しみのそのようなあらわれのうちに充実していて、彼女のあんまりまじめな悲しみようにうたれた人々は、なまはんかな同情の言葉さえかけるすきを見出さないのだった。
 沈黙のうちに、重く時がうつって行った。伸子は寒くなった。失礼いたします、と、ぬいであった外套を着た。
「須美子さんは、少し横におなりになったら?」
「ありがとうございます」
「さむくないかしら」
「いいえ」
 僕も失礼して、と二人ばかり外套を下半身にまきつけた人があった。須美子は動かない。そしてまた沈黙のときがすぎた。
 こんなに苦しく、こりかたまっている悲しみの雰囲気を、通夜をする客たちのために、もうすこししのぎよくするのが、いわば女主人側でたった一人の女である自分の役目なのではなかろうか、と伸子は思いはじめた。日本の通夜には、それとしてのしきたりもあって、伸子に見当もつくのだったが、フランスの人々は、こういう場合どうするのだろう。何かあついのみものと、ちょっとしたつまむものが、夜なかに出されて、わるいとは思えない。でも、それは、どうして用意したらいいのだろう。デュトの街では夜が早く更けて、カフェーが夜どおし店をあけているという界隈でもなかった。パリの生活になれず、言葉の自由でない伸子は、宿のマダムと直接相談することを思いつかないのだった。
 しばらくの間こっそり気をもんでいた伸子は、やがて、すべては須美子のするままでいいのだと思いきめた。彼女の深い悲しみに対して、伸子が、世間なみにこせこせ気をくばる必要はないのだ。彼女の悲しみを乱さなければ、それが一番よいのだ。磯崎と須美子は、恭介が生きていてこの人々とつきあっていたときの、そのままのやりかたで、今夜もすごしていいのだ。それが友達だ。
 須美子は、ときどき席を立って、恭介の横わっている隣室へいった。その室に須美子がいなくなると、客たちの間には低く話しがかわされるのだった。
 あけがた、宿のマダムがドアを叩いた。そしてあついコーヒーが運びこまれた。

        四

 朝九時ごろに、伸子はいったんペレールへ帰った。朝飯がはじまろうとしているところだった。伸子はテーブルのよこに立って熱い牛乳をのんだだけで、まだ片づけてないつや子の部屋へはいって、午後二時までひといきに眠った。
 出なおして、伸子はこんや最後のお通夜につらなるつもりであった。つや子の室の隅においてあるトランクから、夜ふけてきるために、もう一枚のスウェターを出していると、アパルトマンの入口でベルが鳴った。マダム・ルセールが取次に出て何か云っている声がした。泰造と多計代とは出かけてしまっていた。入口のドアをそのままにして、マダム・ルセールが寝室の方へ来る。そのとき、つや子がそれまでひっそりして花のスケッチをしていた客間から、とび出して、伸子のいる室へ入って来た。
「ごめんなさい、忘れて。お父様が、これをお姉様に見せて、って――」
 一枚の名刺を伸子にわたすのと、マダム・ルセールが、
「マドモアゼル。ムシュウ・チグーサがおいでです。お約束してあるとおっしゃいます」
というのと、同時だった。千種清二と印刷されている名刺の肩に、泰造の字で、一昨日大使館にて会う。伸子にぜひ面会したき由。九月二十九日午後来訪の予定。と走りがきされている。千種清二というひとの住所には、日本大使館がかかれていた。
 名刺を手にもったまま伸子は、気がすすまなそうに、ちょっとだまって立っていたが、
「ありがとう、マダム・ルセール。わたしが彼に会います」
 伸子は入口に行ってみた。そこに立っているのは、二十四、五に見える、陰気そうな青年だった。伸子は、友達に不幸がおこって、すぐ出かけるところだからとことわって、客間へ案内した。つや子が、あわてて画架の上のカンヴァスをうらがえしている。伸子は、むしろつや子にいてもらいたかった。
「いいのよ、そのまんまで、つや子さんも失礼してここにいたら?」
 客間におちついたその青年を見ると、泰造がうけとって来た名刺と、そのひとからじかに伸子がうけとる感じとの間に、ちぐはぐなものがあった。パリ駐在の日本大使館の人たちといえば、書記官の増永修三だけがそうなのではなく、書類をあつかっている窓口の人々まで、なかなか気取っているのが特徴だった。ベルリンの日本の役人は官僚的に気取っていたが、パリのそういう日本人たちは、その人たちだけにほんとのフランスの洗煉がわかっているというように気取っているのだった。いま伸子の前で長椅子に腰をおろしている千種清二という青年は、そういう気風をもっている大使館員ごのみの服装でもなかったし、外交官めかしい表情もなかった。彼はごくありふれてごみっぽかった。それはパリにいる日本の画家たちや蜂谷良作の野暮さともちがうものだった。伸子は、
「何か御用でしたかしら」
ときいた。
「おいそがせするようでわるいけれど」
 千種というその青年は、がさっとしたところのある低い声で、
「実は、いろいろあなたの話をうかがいたくて来たんですが――」
 伸子に時間がないというのを、不機嫌にうけとっている表情をあらわにして、顔をよこに向けた。伸子の方は、千種のそんなものの云いかたや表情から、いっそう彼への冷静さを目ざまされた。伸子は反語的に、
「おうちあわせしてないのにおいで下すったものだから――失礼いたします」
と云った。そして、そのままだまりこんだ。
 千種は、長椅子にかけている上体を前へ曲げて開いている膝に肱をつっかい、髪の毛を指ですくようにした。その顔をあげて、
「僕はかねがねモスク□へ行ってみたいと思っていたんですが」
と話しはじめた。
「あなたがパリへ来られたときいて、ぜひ一度、それについて、いろいろじかにおききしたいことがあって――それで実はお邪魔したんです」
 わきにいるつや子が、そういう話には妨げになるという素振りだった。それを伸子は無視した。
「――大使館のかたが、わたしに入国許可(ヴィザ)の手つづきをおききになるのなんて、何だかおかしい」
 そういう伸子の声に、笑いにかくされている批評がこもった。
「そんなことはもちろんわかっているんです。そうじゃあなく――僕はそうじゃない方法でモスク□へ入りたいんです」
 非合法の方法でモスク□へ行きたいという意味らしかった。何のために、そんなことを伸子にきくのだろう。伸子にそんなことを訊くような組織的でない生活をしているひとに、非合法でモスク□へ行く必要のあろう道理はない、と思えるのだった。
「わたしにおききになるのは、見当ちがいです。わたしなんか、ヴィザもヴィザ、大したヴィザで、モスク□へは行ったんですから――藤堂駿平の紹介で……」
「それはそうでしょうが、ともかく一年以上モスク□にいられたんだから、その間には自然いろんな関係が、わかられたはずだと思うんです」
 あいての顔を正視しないで長椅子の上に前かがみになり、心に悩みをもってでもいるらしい青年の姿態で、しつこくいう千種の上に、伸子の視線がきつくすわった。いまの伸子にパリで会っていて、モスク□へは藤堂駿平の紹介で行ったのだったときけば、むしろ、そうだったんですか、と下げている頭も上げて、何となくびっくりした眼で伸子を見なおすのがあたりまえのような話だった。少くとも、伸子自身は、モスク□へ行こうとしていたころの自分と、現在の自分との間にそれだけの距離を自覚しているのだった。ところが、千種とよばれるこの青年は、そういう点については、さものみこんでいるというように無反応で、それはそうでしょうが、一年以上も云々と話をすすめて行く、その調子は、伸子に本能的な反撥を感じさせはじめた。
「一年以上モスク□に居りますとね、あなたの考えていらっしゃるのとは正反対のことがわかって来るんです。モスク□に合法的にいる日本人と、非合法に行っている人たちの間には、橋がないってことが、はっきりわかるんです。ちっともロマンティックなことなんかありません――わたしは、ぴんからきりまでの合法的旅行者なんですもの」
「――」
 千種とよばれる青年は、しばらくだまって何かじりじりしているように、また髪を荒っぽく指ですいた。
「あなたの書いたものは、よんでいるんです。あなたが、ソヴェトに対してどういうこころもちをもっていられるかってことは、僕にはわかっているつもりです」
「それはそうでしょうと思うわ。わたしは、ソヴェトを評価しているんですもの。一人でもよけいにソヴェトについて、偏見のない現実をしるべきだ、と信じているんですもの。でも、わたしがそういう心もちでいるから、何か特別のいきさつがあるんだろうとでも思っていらっしゃるなら、つまり、それがもう、一つの偏見のあらわれよ」
「…………」
 伸子は、ちょっと小声になって、
「つや子ちゃん、何時ごろかしら」
ときいた。客間ととなりあわせてドアのあけはなされている食堂の旅行用の立て時計をつや子が見に行った。
「三時四十分」
 つや子はそのまま食堂の椅子にのこった。そして、テーブルの上へ船のエハガキのアルバムをひろげはじめた。
 千種とよばれる青年は、伸子の顔を見ない姿勢のまま、たしかめるようにカフスの下で自分の腕時計を見た。
 やがて、かえる挨拶がはじまるかと待っている伸子に、千種は、
「どうも、あなたの云われることが信じられない」
と云い出した。
「必ず、わかっていられると思うんだがなあ」
 ――伸子の心持が鋭い角度でかわった。伸子は、不愉快に感じたつよい声の表情をありのまま響かせて、
「あなたは、わたしから何をきかなければならなくて、いらしっているのかしら」
 何をきかなければならなくて、というところに、身のかわしようのない抑揚をつけて訊いた。
「大使館の方々って、大体、良識(ボン・サンス)だの好い趣味(ボン・グー)だのって大変むずかしいのに、あなたの社交術はまるで別ね。失礼ですけれど、あなたは、わたしのところへいらっしゃるよりも、フランスの共産党へいらっしゃるべきだったわ。そして、いまおっしゃったようなことを、おっしゃって見るべきだったわ。もし、あなたがわたしにわからない方法でモスク□へ行くべき方なら、その理由からわたしのところへなんぞ決していらっしゃるはずがないんです。わたしに、それだけは、はっきりわかります」
「…………」
 伸子は、そろそろ椅子から立った。
「失礼ですけれど、わたし、もう行かなければならないから……」
 もう思いきったという風に、千種とよばれる青年も長椅子から立った。
「その辺まで御一緒しましょうか」
「……仕度いたしますから、どうぞおさきに」
 玄関で外套へ腕をとおしながら、千種は、
「日本じゃ、また大分共産党の大物がやられているらしいですね」
と云った。
「そうらしいことね」
 ロンドンにいたとき、国際新聞通信(インターナショナル・プレス・コレスポンデンス)のそういう記事が伸子の目にはいっていた。それには内容のこまかいことは報じられていなかった。
 いまの伸子は、この千種とよばれる男に早く出て行ってもらいたいばかりだった。
「とうとう佐野学もやられたらしいですね」
 それをきいて、伸子は、同じ緊張のない調子で、
「そうお」
というのに、意識した努力を必要とした。
「じゃ失敬します」
「さようなら」
 出てゆく千種のうしろに玄関の厚いドアをぴっちりしめると、伸子は、そこに立ったまま、羽ぶるいする鳥のように大きく両腕をふって、
「あ!」
と、息をつく声を立てながら、自分の両脇腹へ、おろした両腕をうちつけた。つや子が、
「お姉さま」
と食堂から出てきた。伸子はつい、
「お父様ったら、あんなひと、来させになるんだもん」
 客間の方へもどりながら、じぶくった娘の声で妹に訴えた。
「このひと、何だかこわかった――」
 話の内容からではなく、千種という見知らない男と伸子が応待していた間の、どこか普通でなかった雰囲気を、つや子は少女らしい敏感さで云っているのだった。
「お姉さまはもう磯崎さんのところへ行かなけりゃいけないんだけれど、つや子ちゃん、一人でいい?」
「――いいわ。おかあさま、きっともうじき帰っていらっしゃるから」
「ベルが鳴ったら、自分で出ないで、マダム・ルセールに出てもらいなさい、よくて。だれもいないときならそのままにしておいていいから」
「そうする」
 出かける仕度をしている間じゅう、つや子と口をききながらも、佐野学もつかまったという、さっきの言葉が伸子の頭からはなれなかった。佐野学という名は、日本共産党の指導者として、一般に知られている名だった。日本にいた間はもとよりのこと、モスク□に来てからも、その人についての伸子の知識はごく漠然としたもので、理論的に理解が深められたというのではなかった。けれども、一つの国で共産党の指導者という任務が、どれだけ重要な意味をもつものであるかということは、モスク□暮しをしているうちに伸子の精神にうちこまれていた。佐野学がつかまったということは、非合法ながら成長しつつある日本の共産党にとって、打撃であることを、伸子は実感にうけとった。モスク□で去年の三月十五日の大検挙を知ったときは、それが泰造から送られた赤インクのカギつきの新聞を通じてのことだっただけに、伸子は自分という個人にかけられる赤インクのカギの窮屈さの面だけを痛切にうけた。こんどは佐野学もつかまった、それが本当だとすると、いまの伸子は、それを日本の共産主義運動にとっての事件として感じた。共産主義に対する「弾圧」の真の意味、そういうことを行わずにいられない権力の本質的な非条理は、ヨーロッパへ来てから伸子にもまざまざとわかるようになった。
 考えこみながら出かけていた足を、伸子は急にとめた。もしこのまま磯崎恭介の葬式に参列するとすれば、スカートに毛糸のブラウスの服装では、失礼すぎた。伸子はつや子に、いそいで外出の仕度をさせ、ペレールを出た。そして、ほど近いワグラム広場のわきの服飾店で出来合いの黒い服を買った。ぬいだスカートとブラウスとをボールの小箱に入れさせて、それをつや子が散歩がてら家までもってかえるわけだった。同じ広場のカフェーでちょっと休んで、伸子は、
「そこをまっすぐ行けば、いやでも家の前へ出るから、いい? 気をつけて、ね」
 紺のハーフ・コートを着たつや子のうしろ姿が、人ごみの間に見えなくなってから伸子はタクシーをひろった。
 佐野学が捕まったことに連関して日本ではまた幾百人か幾千人かの労働者をこめた人々が、ひどい目にあっているに違いないのだ。
 それにまるでかかわりなく、デュト街の古びた建物の中では、しみのある壁の下の寝台で磯崎が死んでいる。パリで、子供を死なせ、重ねて磯崎に死なれた須美子の孤愁は、伸子の身までを刻むかのようだ。そのような須美子に向って伸子はひたむきな心でタクシーをいそがせているのではあったが、このパリでも七月末にそんなことがあったように、日本でも多くの人々が捕えられ、歴史のなかに古い力と新しい力とが対立してはげしくもみ合っているさなかに、それとは全く無縁に磯崎の生涯が終って、そこにつきない悲しみばかりがのこされてあることは、伸子にふかく物を思わせるのだった。画家としての磯崎恭介の努力と、自分をすててそれを扶けた須美子の骨折りとは、恭介の生涯の終点がここにあって見れば、旧いものがその極限で狂い咲きさせている新しさと云われるものに到達するまでに、使いつくされた恭介の短い生命だったと云える。
 デュト街の磯崎の住居は、葬式の前日らしい人出入りだった。伸子が着いた時、区役所からの埋葬許可証のことで、昨日は見かけなかった二十二・三の若い人が、すれちがいに出直すところだった。
「ほんとに、みなさまのお世話になって――」
 伸子が来るまでに、三時間ほどよこになったという須美子は、きのうからの黒い服で、自分で自分を支えようとするようにかたく両手を握りあわせて、客間の椅子にいた。
「あんまりみなさまが御心配下さいますから、横になって見ましたけれど、とても眠れなくて……」
 低い、とりみだしたところのない須美子の声だった。
「少しは何かあがれて」
「ええ、ちょっと」
 伸子がそこに来ているということは、葬式準備の事務的な用事のためには何の役に立つことでもなかった。伸子は、須美子の苦しい心の、折々の止り木としてそこにいるのだった。用事がすこし遠のくと須美子は、伸子のよこへ来て腰をおろした。
「気分は大丈夫?」
「ええ」
 かわす言葉はそれぐらいだったが、それでも二人がだまって互に近くいるそのことに、悲しくせわしい事務の間の、やすらぎがあるのだった。悲しみも一人の胸に、事務的な判断も一人の肩にかかっている須美子に、そういう瞬間が必要なのだった。
 その晩は八時すぎに、伸子ひとりだけ帰った。磯崎の客間で夜どおしをするのが男のひとたちばかりなら、又それとして男のひとたちにも、くつろぎかたがあり、したがって須美子にもくつろぐときがあるらしかった。

        五

 磯崎の葬式がすんで二日めの午後、マダム・ラゴンデールの授業をうけるために帰ったホテルの屋根裏部屋で、伸子はながいこと一人でいた。
 ペレールのうちのものたちにとっては伸子の友達の磯崎恭介が、このパリで急死して、あとには小さい子供とのこされた若い妻がいるというようなことは、まるでかかわりない生活の気分だった。伸子は、この数日、ひとり痛む心をもって、デュト街の須美子の家とペレールの家、自分の屋根裏部屋と、まわって暮した。
 だまって、じっとしていたい心持になっている伸子は、往来越しに向い側の建物のてっぺんにある露台が見えるディヴァンの上で、おもちゃの白い猿を片方の腕に抱いてよこになっていた。
 このごろのペレールの家の空気には、何か伸子にわからないよそよそしさがあった。それは出立前のあわただしさというものとは、ちがったところがあった。たとえば、多計代の健康のためには、またインド洋の暑さをくぐって帰るよりシベリア鉄道で行った方がいいという説がこのごろになっておこっている、それについても、多計代の気持が伸子にわからなかった。ソヴェト同盟については、根づよい偏見にみたされている多計代だから、シベリアを通ってゆくということには、いろいろの不安があるわけだった。その話がもちあがってから、伸子に不思議と感じさせるのは、多計代がモスク□まででも伸子と一緒に行こうと云わないことだった。
 一週間ばかり前、医師から忠告されて、ではロンドンで契約した十一月六日マルセーユ出帆の太洋丸の船室を解約しようかという話が出たとき、つや子は、
「ほんと? おかあさま。――つまらないなあ」
と歎息した。
「さわぐものじゃありません。まだきめてはいないんだから――」
 それ以来、みんなで相談するというよりも、多計代一人の頭のなかで、この問題は、伸子にわからない複雑さで扱われているらしかった。
 やがて五ヵ月をよその国々に暮して、モスク□を出て来たときよりも、もっと深く、もっと現実的にソヴェト同盟の生活を理解し愛すようになって来ている伸子として、ソヴェトのわるくちを冗談のたねにして笑いながら、ポケット・ウィスキーをのむような旅行者一行と、モスク□へ帰ってゆくことは、堪えにくいことだった。多計代に誘われても、伸子は、それをことわっただろう。伸子はひとりでモスク□へ帰りたい、ひとりで。愛するモスク□へ心と体をなげかけるように。――伸子としての気持はそうなのだったが、多計代が、その問題では伸子を避けていることに、自然でないものが感じられているのだった。
 伸子はやがてディヴァンの上へおきなおり、のばした脚の上にスーツ・ケースをのせて、その上でモスク□の素子への手紙をかきはじめた。
「この前書いてから、たった六日しかたっていないのに、ここでどんなことが起ったか、あなたに想像できるかしら」
 伸子は、磯崎恭介死す、という電報をうけとった夜の情景から、恭介の葬式の日の模様を素子にしらせた。恭介の葬式が行われたペイラシェーズの式場の様子は、六月に素子がまだパリにいたとき、恭介の上の子供が亡くなって、素子もよく知っているわけだった。
「お葬式の日は、こんども雨でした。子供さんの葬式の日、雨はふっていたけれども、あれは若葉にそそぐ初夏のどこか明るい雨でした。さきおとといの雨は、つめたかった。もうパリの十月の時雨でね、ペイラシェーズの濡れた舗道にはマロニエの落葉がはりついていました。須美子さん、看護婦に抱かれている小さいあの白い蝶々のような赤ちゃん、そのほかわたしを入れて八九人の人のいるがらんとした礼拝堂のパイプ・オルガンは、こんどは恭介さんのために、鎮魂の歌を奏しました。正面扉についている小さいのぞき窓のガラスは、再びルビーのように燃え立ちました。パイプ・オルガンが、ゆたかな響を溢らして鳴りはじめたとき、わたしは、隣りにかけている須美子さんの美しい黒服の体が、看護婦に抱かれている子供のそばからも離れ、もちろん、わたしたち少数の参会者の群からも離れて、恭介さんとぴったり抱きあいながら、徐々に徐々に翔(と)び去って行ったのを感じました。わたしにそれがわかるようでした。それから、須美子さんがのこった妻として、また悲しい雑事のなかに覚醒することを余儀なくされて、そのとき、それがどんなに彼女にとってむずかしいことだったかも。須美子さんは、でも、ほんとに立派に、苦しいこれらの瞬間をとおりました。
『骨の町』の柱廊のはじへ雨がふきこんで、あすこは濡れていました。子供のお骨のしまってあるとなりの仕切りに、恭介さんのお骨がしまわれて、その鍵が、須美子さんの手のなかにおかれたとき、わたしの脚がふるえました。一人の若い女が、外国で、こういう鍵を二つ持たなければならないということは、何たることでしょう。
 須美子さんはたいへん独特よ。この不幸を充実した悲しみそのもので耐えている姿は、高貴に近い感じです。あのひとには、何てしずかな勁(つよ)い力があるのでしょう。わたしの方が、まごついたり、当惑したり、よっぽどじたばたです。きのうデュトへ行ったら、須美子さんは、わたくし帰ることにきめました、と、いつものあの声で云いました。須美子さんが日本へ帰るということは、片方の腕に生きている赤ちゃんを抱き、もう一つの腕に二つの御骨をもってかえるということなのよ。
 この四日間ばかり、あなたがパリにいたらと思ったのは、わたしだけではなかったろうと思います。わたしのように役に立たないものでも、須美子さんには必要だったのだもの。でも、いい工合に、実務的な面では親切に扶(たす)けてあげる若い方があるらしい様子です。いまの須美子さんに対して、人間であるなら親切にしずにはいられません」
 伸子は、そこまで書いて、しばらく休み、それから千種という男からきいたニュースにふれた。
「正直に云って、ペレールの人たちが、このことについて知っていないのは、おおだすかりです。でもわたしたちは、それについてもっと知りたい。知っていなければうそだと思うんです。日本の状態として、ね。そちらではきっと具体的にわかっているでしょうけれど」
 そう書きながら、伸子は、こんな事情は蜂谷良作には、いくらかわかっているかもしれないと思った。素子の手紙へは、それをかかなかったが――
「こんなに幾重ものことで心をつかまれているわたしだのに、マダム・ラゴンデールったら、きょうの稽古の間に、二度も、あなたは街へ出て、カフェーをのみたいと思いませんか、ってきくんですもの! テキストのどこにも、そんな問答はありはしないのよ。マダム・ラゴンデールは、ほんとにただそういう会話の練習をしているだけだという表情で、質問をくりかえしました。わたしは、二度ともノンで答えました。わたしは、それをのぞんでいません、て。心の中で笑いだしたくもあり、腹も立ち、よ。この女教師は『非常に(トレ)親切な(ジャンディ)』日本婦人たちの先生というよりも、おあいてのような関係にいるのね、きっと」
 伸子は、そこでまたペンをとめた。ペレールのものが、シベリア経由で帰ることにきまれば、伸子は当然素子に、たとえ一日だけにしろ、モスク□で世話をたのまなければならないわけだった。その上、もうじき雪がふり出すであろうシベリア横断の間で食糧に不自由しないように、とくに果物のかかされない多計代のために、十分ととのえた食糧籠の心配もして貰わなければならない。伸子自身がパリから動こうとしないで、そういう世話だけたのむとしたら、素子はそれを、どううけとるだろう。伸子には自信がなかった。この問題は、ほんとに決定してから、素子へ長文電報をうってもおそくないときめた。
 ところが次の日、伸子にとって思いがけない不愉快な事がおこった。朝九時すぎ、伸子がいつものようにペレールの家へゆこうとして屋根裏部屋からエレヴェーターでおりて来て、ホテルの玄関にさしかかったとき、うしろから、
「アロール、マドモアゼール」
 鼻にかかった大声でよびとめるものがあった。ふりかえると、肉桂色のシャツの上にチョッキを着て、厨房の監督でもしていたのか、ひろい白前掛をかけたホテルのマネージャーだった。
 男は、玄関のホールにあるカウンターのうしろへ入って来て、その前に立ちどまった伸子と向きあった。
「マドモアゼール、あなたは、いつ部屋をあける予定ですか」
 いきなり、粗末な英語でそうきいた。伸子ははっきりした期日をきめずペレールのうちのものが出発するまでと思ってそのモンソー・エ・トカヴィユ・ホテルの七階に寝とまりしているのであったが、そういうききかたをされるのは変なことだった。
「なぜ、あなたはそれが知りたいんですか」
 伸子は、相手の不確な英語と自分のよたよたした英語とがからまりあって、おかしい事態をひきおこさないようにと、ひとことひとことをゆっくり発音し、できるだけ文法にも気をつけてききかえした。
「いつ、あなたは部屋をあけますか」
 あっさりと学生風な身なりをしている伸子の顔の上にじっと眼をすえて、同じ言葉がくりかえされた。男のその眼の中には、日ごろ客たちに向ける愛想よさのうらをかえした冷酷ないやな感じがあった。
「まだきめていない」
 答えながら、伸子はカウンターにずっと近よった。
「しかし、あなたのその質問は、普通、ホテルのマネージャーとして、客に向って試みない質問ですよ」
 それに答えず、ぶっきら棒に、
「あなたは、うちの食堂で食事をしない」
 そう云った。
 一度昼食をたべたことがあったが、ここの料理は、こってりしたソースで肉や魚の味をごまかしてあって、伸子の気にいらなかった。
「それは別の問題です。あなたのホテルは、ホテルでしょう? 食事付下宿(パンシオン)じゃない。入口には、ホテル・モンソー・エ・トカヴィユとありますよ」
 五十がらみの男の胆汁質な顔に、むらむらした色がのぼった。
「わたしたちは、あの部屋からもっと儲けることができるんです」
 話は露骨で、強引になって来た。丁度ホテルは午前九時から十時の朝飯の刻限で、カウンターのすぐ横にある狭い食堂の中には、女客の方が多い泊り客たちが食事をしていた。カウンターのところで始ったおかしな掛け合いが、すっかりその人々に見えもすれば、きこえもする。エレヴェーターへの出入りも、一旦カウンターの横を通らずには出来なかったから、伸子は、そこでいわばさらしものめいた立場だった。
 伸子は、たくみにおかれた自分のそういう位置を意識するよりもよりつよく、白眼のどろんとしたマネージャーのおしかぶせた態度に、反撥した。
「あなたは、おそろしく率直です」
 伸子は、ちっとも自分の声を低めないで云った。マネージャーの男は、伸子に向ってほとんど怒鳴っている、と云っていいぐらいの大声をだしているのだった。
「あなたのホテル経営法は、どういう性質のものだかわかりました。しかしね、わたしはホテルの室代としてきまった料金を払っています、一〇パーセントのティップを加えて。――わたしは豪奢な客ではなくても、あなたのホテルにとってちゃんとした客です」
「わたしどもは、もっとずっと多く、あの部屋から利益を得ることができるんだ」
 まるで、カウンターのまわりに動いている人々に、自分のうけている損害を訴えかけでもするように視線をおよがせながら、マネージャーは大仰にこめかみのところへ手をあてがった。
「あなたのような若い女のくせに、わたしに損をさせるもんじゃない!」
 これは途方もない、云いがかりの身ぶりだった。
「わたしに責任はありません。あなたが食事つき下宿(パンシオン)と、入口にかき出しておかなかったのは、お気の毒です」
「別のところへ部屋を見つけなさい。もっとやすいところへ――やすいところへ」
 フランス人に特有な両肩のすくめかたをして、男は伸子にわからないフランス語のあくたいをついた。
「あなたが部屋をあけなければ、あなたの荷物を、道ばたへ放っぽり出すから!」
 伸子は腹だちを抑えられなくなった。
「あなたにそうする権利があると信じているなら、やってごらんなさい。――やって(ジャスト)、ごらんなさい(トライ・イット)! わたしどもは、その結果を見ましょう。フランスは法律のない国ですか?」
 やっと男はだまった。
「わたしの承知なしで、あなたは何一つすることは許されません、荷物にさわることも、室をひとに貸すことも――」
 おこりきった顔と足どりで、伸子はさっさとホテルの玄関を出た。戸外には、天気のいい十月の朝の、パリの往来がある。小公園のわきをとおってペレールへの横通りへ曲りながら、伸子は、だんだん腹だちがおさまるとともに、あのホテル全体に対するいやな気持がつのって来た。
 伸子が云いあらそっているとき、わざとゆっくりカウンターのわきを通りすぎながらきき耳をたてていた男女や、必要以上ゆっくり食堂に腰をおろしていた連中の顔の上には、自己満足があった。学生らしい身なりをしていて、ろくな交際もないらしく、一人で出入りしている若い女、ホテルに余分な一フランも儲けさせない女。そんなこんなで、マネージャーにいやがらせを云われている女。小綺麗なモンソー公園の近くに、その名にちなんだしゃれた唐草模様ガラス扉をもっている小ホテルのカウンターでくりひろげられたのは、バルザックの小説のような場面だった。
 伸子は、たかぶった自分をしずめるためにペレールの家の前を通りすぎて、ペレール広場まで行って、そこからもどって家へ入った。
 ペレールの食堂では、泰造と多計代のジェネ□行きについて、その小旅行につや子をつれて行くか、行かないかの相談最中だった。
「どうします? つや子」
 泰造らしく、末娘の意見をきいている。その調子のどこかに、重荷を感じている響があった。手荷物の多い多計代一人が道づれでも、税関その他での心労が、六十歳をこした泰造には相当こたえるらしかった。
「たった四五日のことだから、こんどは留守番しますか、姉さんにでもとまってもらって……」
 つや子にしても、またジェネ□へ行って、中途半端な自信なさで大人ばかりの客間から客間へひきまわされることは、気づまりらしかった。つや子は、
「お留守番する」
と答えた。
「伸ちゃん、泊ってもらえるんだろうね?」
「ええ……できると思うわ」
「おや、何だか御不承知らしいね」
 みんなにはだまっているが、けさのホテルでのことがあるから、伸子は、四五日こっちへとまるとしたら、と、ホテルの荷物がどうにかなってしまわないかしら、と思ったのだった。
「よくてよ、安心して行ってらっしゃい」
 何かおこれば、おこったときのことだと伸子は心をきめた。
「じゃあお父様、そうきまったんなら、切符をお願いいたしますよ」
 泰造は間もなく外出し、多計代は、ゆうべよく眠らなかったといって寝室へもどった。親たちの留守、姉とだけ暮すということが気にいったらしく、つや子は機嫌よく、客間の隅にかたよせてある絵の道具をもち出した。カンヴァスの上にはつや子の性格のあらわれた強いタッチで、前景に露台のある並木越しの風景が描きかけてある。ブルヴァールをへだてた遠くに、赤白縞の日よけをさし出した一軒のカフェーがここから見えていて、つや子の絵の中にそこも入れられているのだった。
「お姉さまあ、こっちへ来てみない?」
「うん」
「ねえ、いらっしゃいよう」
「ちょっと待って」
 片づけられた食堂のテーブルのところから伸子を気軽に立ち上らせないのは、やっぱり、けさのごたごたの、いやなあとあじだった。伸子は、きょうも夜になればいつもどおりモンソー・エ・トカヴィユへ帰ってゆくつもりだし、急に引越そうとも考えなかった。そんなことは、伸子としてくよくよ考える必要はないわけだった。伸子に何のひけめもあるのではないのだから。
 しかし、ホテルに対する抵抗の気分は、伸子をおちつかせなくさせた。ジェネ□行きの間だけペレールにとまるのはいいとして、そのあと、つづけてここに暮さなければならないような事情におかれては、伸子は困るのだった。それに、ここは佐々のうちのものが出立すると同時に、あけわたす契約になっている。
 安定を求めて、あすこ、ここと考えめぐらしていた伸子の頭に、ふっと蜂谷良作にきいて見ようという考えが浮かんだ。その思いつきはあっさりしていて、伸子を躊躇(ちゅうちょ)させる何もなかった。
 伸子は、ハンド・バッグから小さい手帳を出して、そのうしろに蜂谷良作が書きつけて行ったクラマールの八四五という電話を呼び出した。蜂谷は在宅だった。伸子は、ごくかいつまんで、今朝のあらましを話した。
「ふらちな男だな。どういうんだろう。僕が行って談判してみてもいいですよ」
「ありがとう。でも、それはいいんです」
 今さら、男のひとに出てもらう気は、伸子になかった。
「ただね、もしかしたら、部屋の事でお心あたりがあるかしらと思って」
「――じゃこうしましょう、僕はどうせ、きょう午後から用事があって市内へ出るから、そうだなあ……二時ごろになるかな、そちらへよって見ましょう――ペレールでいいんでしょう?」
 よびたてたようで、伸子は気がひけた。
「そんなことは、かまわない。どうせ、ついでなんだから……」
 蜂谷良作は、その午後約束の時間に伸子をたずねて来た。

        六

 蜂谷良作とつれだって、伸子はその日のうちにエトワール附近にある貸室をみに行った。ペレールのアパルトマンの古風さにくらべると、新式で軽快な建物の三階の一室だった。ウィーンの下宿(パンシオン)がそうであったように、ここも持主の住んでいる部屋の入口は別で、ひろやかで明るいエレヴェーターぐちをとりまいて、いくつかのドアのある建てかただった。
 灰色っぽい小粋ななりをした、賢い目つきの五十がらみの主婦が、あっさりした態度で、蜂谷良作と伸子にその室を見せた。貸室はエレヴェーターを出て、右手に両開きのドアをもった部屋だった。
 ドアがあいて、室内がひとめに見えたとき、伸子は、自分の住めるところではないと感じた。横長くひろびろとしたその室のヴェランダと、大きい二つの窓は、晩秋の色にそまった並木越しに凱旋門の一部を見晴らした。いかにもシャンゼリゼの近くらしい贅沢で逸楽的な雰囲気の部屋であった。この部屋のもち主は、能率よくこの部屋を働かせるために、これまで住んでいた人たちが立つと、すぐその日の午後であるきょうの三時から五時まで面談と新聞広告をだしたにちがいなかった。目を見はらせる室の眺望とともに、これまで住んでいた人の暮しのぬくもり、女がつかっていた香水ののこり香さえまだどこかに漂っている。
 もと住んでいた人たちというのは男と女であり、夫婦であって夫婦でないようなつながりで、この美しい眺めの一室に贅沢な拘束のない生活をしていた、そんな風に感じられた。
 蜂谷良作は、伸子の柄にもない部屋がまえについて何と感じているのか、表情に変化のない顔つきで、主婦と室代について話している。室代は場所がらと、二つの窓のすばらしい眺望が証明しているとおり高かった。
「御希望でしたら朝の食事だけお世話いたしてもようございますよ、牛乳入コーヒーのフランス風の朝飯なら、これこれ」
 ひろい室内をヴェランダや窓に沿ってぶらぶら歩きまわりながら、伸子は、借りないときまっている気持の楽さで、主婦と蜂谷の問答をきいた。
「もし、イギリス流の朝飯がおのぞみでしたら、お二人で、これこれ」
「マダム、部屋をさがしているのは、このマドモアゼルなんです」
 正確だが重くて平板な蜂谷のフランス語が主婦の流暢(りゅうちょう)で弾力のある言葉をさえぎった。
「彼女が一人で住むことのできる室が必要なんです」
「――では、ここはひろすぎますわ」
 機智のこもった主婦の視線が、ベレーをかぶって、パリ風というよりはイギリスごのみの学生風ななりをして窓から景色を見ている伸子をちらりと見直した。この主婦が、ひろすぎますわ、といったことは、とりもなおさず、この方には場ちがいなところですわ、という意味だった。伸子は、お愛想ばかりでなく、
「すばらしい眺めですこと!」
と、その部屋をほめた。
「この室は、ほんとの贅沢部屋です」
 伸子と蜂谷とをドアのところへ送り出しながら主婦は人をそらさない調子で、
「わたしどもも、この室の眺めは、ほんとに愛しているんです」
と云った。この景色があるばかりで、彼女のもっているこの一室はどんなにねうちがあるかということへ満足をこめて。
 往来へ出ると、伸子は笑って蜂谷良作に云った。
「あのマダム、まるで金の玉子を生む牝鶏(めんどり)のことでもいうように、あの部屋の景色のことを云ったわね」
「ハハハハ。金の玉子をうむ牝鶏か。なるほどね、彼女にとってみれば、そうにちがいないわけだ」
 蜂谷良作と伸子は、ペレールへ向って歩きながら、途中で休んだ。
「この辺でさがすとなると、どうしても、あんな風な部屋になってしまうんだな」
「ひまつぶしをおさせして、ごめんなさい」
「暇なんだから、一向かまいませんよ。僕も興味がなくもない」
 いやがらないで蜂谷が時間をさいてくれただけに、伸子は彼にだらだらと部屋さがしをてつだって貰うことは、押しつけがましいと思った。男のひとが若い女に示す好意に甘えて、何かをたのむというような習慣を伸子はもっていないのだった。
「もうひとところ、下宿(パンシオン)であるんだが、いちどきに二つはくたびれるでしょう?」
「それはどのへん?」
 蜂谷はポケットからノートブックをとり出して、アドレスをしらべた。
「僕も行ったことはないんだが、キャルディネ通りっていうんだから、どっかモンソー公園とワグラムの中間あたりじゃないのかな」
 パリのそんなこまかい通りを、日ごろ市外に住んでいる蜂谷良作が知っているとは思えなかった。凱旋門のそばの貸室を、彼は伸子の電話をきいてから新聞広告で見つけだした。下宿というのも、同様の方法で目星をつけたのだろう。
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