道標
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著者名:宮本百合子 

 短い幸福をうけて四十五歳で死んだ佃も、そのように短い間の彼の幸福のために努力して、より大きい努力の必要のうちに三人の子供とともにのこされた夫人のめぐり合わせも、伸子には、気の毒に感じられた。
「お父様が、その育英資金に加わって下すったの、ありがとうございました」
 その晩、一日の終りにいつもそうして時をすごすとおりアーク燈にてらされている公園の木立を見おろすホテルの部屋の窓ぎわに立って、伸子は、公園の散歩で父からきいたことを思いかえしていた。
 悲しみと名づけられるこころもち、涙ぐむこころもち、そういう感傷は、佃が亡くなったときいたときから、伸子のなかになかった。しんとして、まじめにひきしめられた思いがあった。――佃の生涯は終った――佃の生涯は終った――その思いをたどっているうちに、伸子の心は自覚されていなかった一つの区切りのようなものを見出した。佃と自分とのいきさつは、完結した。その事実の新しい確認がある。
 伸子は、これまで、佃に対して、何かの責任を感じながら暮していたのだろうか。伸子にそんな意識はなかった。だけれども、思いがけず佃の亡くなったしらせをきいた今、伸子の心のうちに強くなりまさるのは「完結した」という意識だった。伸子が何もしらなかった今年の四月のあるときに、伸子の過去の生涯に、一つの大きいピリオドがうたれた。伸子はきょうまで何もしらないままモスク□を出発して、ロンドンへ来た。伸子の過去に一つのピリオドがうたれたとき、伸子は知らないままに伸子の新しい生涯の日々を歩みはじめていたのだった。
 両手で顔をおおいながら伸子は夜の公園に開いている窓の前に膝をついていた。熱心に生きようとしている自分の命ひとつのなかに、いくつの命が、綯(な)いあわされて来ただろう。死んだ弟の保の、若くて柔かい、いとしい命。佃というひとの、暗く、ぎごちなくて、しかし嘘はつかなかった命。つよい生活への欲求のなかで、死んだ人々は生きている。そのことが伸子の胸をしめつけた。彼とのことは完結したのだ。その自覚から生れた、思いがけない解放感。――佃との間にあったすべての経験は、これまでよりもっと自由に、生きてゆく伸子の生のうちにうけいれられたと感じられる。両手で顔をおおうている伸子の眼からは涙がこぼれないで、体じゅうがかすかに震えた。熱でもでる前のようにふるえている伸子をつつんで、あけはなされている窓から流れこむ夏の夜の濃い樫の葉が匂った。

        二

 素子がさきにモスク□へ帰ったことは、ロンドンでの伸子に、五年ぶりのひとり暮しをもたらした。その日々のうちに、佃が亡くなったしらせをうけた。これらの二つのことは、伸子の生活にとってどんな意味を与える新しい条件であるかということや、それが伸子の意識の底にこれまでとちがうどんな流れをおこさせているかというような点に心づかないまま、伸子はロンドン滞在を終ってパリへ帰って来た。
 泰造と多計代とは、ゆっくりしたロンドン滞在がすんだら、もうこんどの旅行の中心目的は果されたこころもちらしかった。秋の時雨のふりはじめたパリへは、帰り道の順で立ちよっているという状態だった。
 もうそろそろ煖炉に火のほしい季節で、ペレールのアパルトマンでの夫婦の話題は、もう一つスケジュールにのこっているジェネ□行きのことだの、土産ものの相談などだった。
 客間の長椅子で、子供らしく片方の脚を折り、片方を床にたらしたつや子が、カルタのひとり占いでもしているように、ロンドンで集めて来た船のエハガキを幾枚も並べて、ひとり遊びしている。佐々の三人は、大体十一月のはじめにパリを去る予定で、太洋丸に船室を申しこんでいた。ロンドンではつや子にも友達があり、身なりもつや子の年に似合う少女らしさでととのったけれども、大人の間で居場所のきまらないような不安定さはパリにいてもロンドンへ行っても同じだった。大きい船にのって、またひろい海へ出て、港から港へとゆるやかにうつる景色をたのしみながら日本へ帰るということが、つや子のたのしみらしかった。長椅子の上にずらりと並べられている船づくしのエハガキをわきからのぞく姉の伸子に、つや子はおかっぱの頭をすりつけながら、
「このひと、ほんとに船すき」
 目をエハガキからはなさないで云ったりした。
 ロンドンにのこった和一郎からは、小枝とよせ書のエハガキが来た。ロンドンの秋のシーズンがはじまります。この土曜日にクィーンス・ホールでシーズンあけの音楽会がありますが、エスモンド街にいながらにしてそれが聴けるのは幸です。ミセス・ステッソンもおかげで今年は冬がたのしみだと大満足です。そんな文面がいかにも一日のうちに、ひまな時間をたっぷりもっている人らしい和一郎の念の入った装飾的な文字でかかれて来た。
 そういう和一郎のたよりには、用心ぶかさがあった。少くとも、伸子にはそう感じられた。ロンドンとパリに離れていても、絶えず若夫婦の贅沢や浪費を警戒している多計代に対してよこすたよりには、和一郎たちも、むしろ彼らの生活の消極面から書いている。伸子は、どこへ行って何を見て、何をきいて、と二人で身軽に、好奇心をもって動いて暮している消息を、弟夫婦からほしいと思うのだった。
 クィーンス・ホールの音楽会をエスモンド街でいながらにして聴けるのは云々と、和一郎が個性のない丁寧さで書いてよこしているのは、新しくひいたラジオのねうちが早速あらわれているという意味の報告なのだった。
 和一郎と小枝がミセス・ステッソンのところへ引越して行って、三度目にホテルへ来たとき、はじめて和一郎たちの室が電燈でなくてガス燈だということを知らされて、佐々のものはみんなびっくりした。それも、和一郎が、ガスにしては部屋代がすこしはりすぎているようだね、と云い出したのがはじまりだった。ミセス・ステッソンのところでは、階下の客室、食堂、居間だけが電燈で、二階から上の部屋部屋では、昔ながらに蒼白いガス燈をつかっているというのだった。
「何だろうか、まあ! ガスが洩れでもしたら命にかかわることだのに。――お父様、あなただって御覧になったのに」
「いや、そこまでは、おれも気がつかなかった」
「やっぱり申上げてみてよかったことね」
 小枝が、泰造や伸子のうかつさをとりなすように、口をはさんだ。
「実は、僕たち、云い出そうかどうしようかって、大分遠慮していたんだ。知っていらっしゃると思ったもんだから」
「そんなお前。――ほかのこととはちがいますよ」
 ロンドン市内のどこかに小さい家の一軒も持っている中流階級の経済事情は益々きりつまって来ていて、ミセス・ステッソンのところが未亡人の家だからというだけでなく、市の中心からはなれたエスモンド街あたりには、まだガス燈をつかっている家が軒並だということだった。そう聞いて伸子は思いあたった。ロンドンのいろんな新聞に出ている貸室の広告には、いつも電燈(エレクトリックライト)と特別に説明がついていた。黒い絹服を上品に身につけて、泰造が立派な英語だとほめた言葉づかいのミセス・ステッソンが、淑女らしい権式で門限のことや日曜日の冷い料理のことを云いわたしながら、佐々たちが借りようとする室を見に二階へ行ったとき、その部屋にガスをつかっているということについては、ひとこともふれなかった。ミセス・ステッソンとすれば、ロンドンでは、そういうことは、借りての方からきくべきこととしているのだろう。ガス燈は、公然と、誰の目にも見えるように天井から下っているのであるから、と。
 工事費の三分の二を佐々の方で負担して、和一郎たちの室にも電燈がひかれることになった。ついでに、ラジオずきの和一郎はラジオもきけるようにした。毎晩オペラや音楽会で金を使うよりは、という和一郎の説に、多計代が賛成したのだった。

 二度めに帰って来たパリで伸子がひとりだということは、おのずからホテルの選びかたにもあらわれて、伸子は、親たちのいるペレールのアパルトマンからほど近いモンソー公園よりの小ホテルの七階に一部屋とった。「モンソー・エ・トカヴィユ」と気取ってつけたホテルの名にふさわしい入口の様子や食堂の雰囲気だった。七階の一つの部屋からは、パリのコンサヴァトアールへでも通っているらしい若い女のピアノ練習がきこえた。親たちがパリを去れば、自分もモスク□へかえるのだけれども、ロンドンから帰って来た伸子の心の中には、何となし新しい活気が脈うっていて、短いパリののこりの日を、思う存分暮したかった。ロンドンで、伸子はその国の言葉がいくらかでもわかるということは、旅行者にとってどれだけ重大な意味をもっているかということを、しみじみさとった。前後では三ヵ月もいることになるのに、ちゃんと新聞もよめないままにパリを去る――それでは困ると思うのだった。
 伸子は、パリへついて二日目に「モンソー・エ・トカヴィユ」に寝るためと勉強のための室をとり、その次の日、クリシーの先のアトリエに住んでいる画家の風間夫妻を訪ねて、フランス語の女教師を紹介してもらった。泰造たちとマルセーユまで同じ船にのり合わせて来た風間夫妻が、便利なフランス語の出教授をうけているそうだと泰造からきいたのだった。
 はじめてマダム・ラゴンデールというその女教師が来て、一週二回の授業のうち合わせをしてかえったあと、伸子はしばらくぼんやりして、勉強室であるその屋根裏部屋のディヴァン・ベッドに腰かけていた。質素な身なりだけれども、どこともしれずあかぬけしていて、生活のためにたたかっているパリの、中年をこした女の柔かい鋭さをたたえているマダム・ラゴンデール。彼女が、大使館関係の夫人たちも教えているということや、英語を話すことなどを、伸子は会ってはじめて知った。自分の知っている日本婦人は、みんな実に親切な人たちばかりだと力をこめて云うマダム・ラゴンデール。伸子が、新聞をよめるようになりたいと云ったら、日本の植民地政策は成功しているのに、フランスはモロッコでもアルジェリーでも失敗つづきだ、と云ったマダム・ラゴンデール。彼女と、果して、稽古がつづけて行けるだろうか。
 考えこみながら、伸子が目をやっている室の露台窓からは、せまい裏通りのむこう側の建物のてっぺんにある室内が見えていた。ホテルからの目をさけるために、あっちの露台では木箱をおいて日よけをかねて、青いつる草を窓の軒まで這い上らせてあった。その窓奥で、女の姿がちらついている。花模様の部屋着のままで、掃除でもしているかと思うとそうでもないらしく、こっちの室の内から見ている伸子の視野のうちに暫く見えなくなったり思いがけず近いところに半身をあらわしたりして、音もなく動いている。
 見られていることに心づかないで動いている人の動作には、パリという大都会のなかにある孤独のようなものが感じられる。
 伸子は立ち上って、部屋の一隅についている粗末な洗面台で手を洗いはじめた。ペレールへ帰ろうと思って。――
 ノックの音がする。伸子は、それをとなりのドアだろうと思った。ここへ人の訪ねて来ることを予想していなかった。手を洗いつづけて水道の栓をしめたとき、それを待っていたように、こんどははっきり自分の室のドアの上がノックされているのをききつけた。
 伸子は、事務的な、いくらかいかついところのある声で、
「お入りなさい(アントレ)」
と云った。瞬間ためらうようにして、やがてドアがしずかにあいた。
 そこから出た顔をみると、
「あら」
 こわばった声を出した自分をきまりわるがりながら、伸子は、手をふいていたタオルをいそいで洗面台についているニッケル棒にかけた。
「どうしてここがおわかりになって?」
 そこに立っているのは、ホテルの男ではなかった。蜂谷良作だった。彼はぬいでいる帽子を片手にもって、
「ロンドンから帰られたってきいたもんだから」
 もう一遍伸子をたしかめるように見ながら云った。
「ペレールへよってみたら、あなたはこっちだということだったから」
「行きちがいにならなくてよかったこと。もうすこしで帰りかけていたところよ。ここは寝にかえるだけなんです、それと何かしたいときだけ」
 伸子は、こまった。マダム・ラゴンデールとは、ロンドンで買った大きい白い猿のおもちゃが枕の上に飾ってあるディヴァン・ベッドに並んでかけて話した。けれども、男のお客では、どこへかけてもらうにしても、自然なゆとりがないほど、部屋は狭かった。
 屋根裏の勾配が出ている低い天井の下に、たった一つディヴァンがあるきりの、枕の上におもちゃがマスコットのようにおかれている女の室へ、蜂谷良作もはいりかねる風だった。ドアのところに軽くもたれて立ったまま、
「吉見さんは、やっぱりロンドンからまっすぐ帰ってしまったんですか」
「あのひとは、たった三日ロンドンにいただけよ」
 あしたの朝素子がロンドンを立つという前の晩、ピカデリーを散歩していて、伸子は一つの明るいショウ・ウィンドウの中に白い猿のおもちゃを見つけた。下目をつかって、ちょっと沈みがちに考えている猿の表情は、どこか親切で賢いときの素子の顔つきに似ていた。いやしいところのない白い猿のおもちゃというのも珍しかった。伸子は半分ふざけ、半分は本気で、わたしの魔よけに、ね、と二人でそれを買ったのだった。
 伸子は、外出のために露台のガラス戸をしめながら、
「蜂谷さん、もしよかったら、またペレールへ逆もどりしましょうか」
 ほかに仕方もあるまいという風に伸子は自分のまわりを見た。
「――ここ、あんまりせまくて」
「それもいいが――」
 ドアに鍵をかける伸子の手もとを見ていて、蜂谷良作は、
「どうせ出るんなら、モンソーでも歩きませんか。あすこは秋のいい公園なんだ。去年もつたが赤くなりはじめた時分、なかなかよかったですよ」
 ペレールへ戻るのも気のすすまない様子らしかった。伸子は蜂谷とつれだってホテルを出かけ、ペレールへ行くとは反対のブルヴァールを横切って、モンソー公園へはいって行った。
 セイヌ河のむこうにあるリュクサンブールの公園が、大学やラテン・クォーターに近くて、広い公園の隅々まですべての人のために開放されて、詩趣がただよっているのにくらべると、モンソー公園は、そこへ来る人々は身なりもきまっているというような、細工のこまかい庭園の味だった。優雅でメランコリックな情趣をつくり出す樹木の配置。岩の置きかた。その美しさは、どの部分をとっても、そのままでオペラの背景になる美しさだった。伸子は、その美しさを人工的すぎると感じた。
「僕のいるところがあんまりあけっぱなしの田舎だもんだから、たまにこんなところを歩くと、気がかわる」
 蜂谷は、晴れた秋日和を気もちよさそうに、帽子をぬいだまま歩いた。
「ロンドンは、どうでした」
「三百万人もの失業者って、ただごとじゃないのねえ。鈴なりだったことよ」
「鈴なりって――」
「英蘭銀行のちかくに、セント・ポールって大教会があってね。そこの日曜礼拝の合唱が有名なんです。それをきこうと思って出かけたらね、ローマかどこかにあるセント・ポールをまねしてその通りにこしらえてあるっていう正面の大階段の左右に、びっしり失業者だか浮浪者だかがつまっているんです。幾十段あるのか、堂々と見上げるような大階段の一段ごとに、すき間なく三人ぐらいずつ並んで、下から頂上まで、びっしりなの。朝日がよくさしていてね。そのまんなかのところを、白手袋はめてバイブルをもった人たちが、行儀よく、わきめもふらないで登ったり下りたりしているの。ああいう光景って何て云ったらいいんだろう――ロンドンにしきゃないわ」
 いつも労働力が不足していて、ポーランドやチェッコから男女の労働者をフランスへ移住させ、それがあまって来ると、その労働者たちを、国へ追いかえしているフランスでは見ることのできない凄じい街の表情であった。
「そんなところで、何しているんだろう?」
「ただそうしているんじゃないのかしら」
 セント・ポールのその大階段では、きたないズボンの両膝を立てた上へ顔を伏せて眠っている男もあれば、肱枕で体をよこにしている男もあった。新聞紙をひろげて、パンの皮をかじっている男もあった。日曜日の朝日に正面からてらされながらその石段にすずなりになっているのは、よごれてぐったりした男たちばかりだった。
「金でももらっていましたか」
「いいえ。ロンドンでは、乞食でも、歩道の上に色チョークで色んな絵をかいて、その上に、ありがとう(サンキュー)って書いて、じっと坐って待っているのよ」
 何と皮肉だったろう。歩道に描かれているそれらの色チョークの絵はいわゆるイギリス風の趣味で、ヨットの走っている風景だの、羊のいる牧場だの、サラブレッドのつもりの馬の首、立派な犬などだった。
「それほどかなあ」
 蜂谷は考えこんで歩いた。
「佐々さんは、マクドナルドの公約破棄の証人の一人だっていうわけだな」
「そうよ。『ワーカアス・ライフ』がおこって、書くはずなんです。『賃銀は低下しなければならない』ボールドウィン。『然り(イエス)。しかし仲裁裁判によって』マクドナルドって。――独立労働党と少数運動者は、盛にそんな仲裁裁判は不当だって云っていました」
「そんな風なんだろうなあ。イギリスの労働党や労働組合(トレード・ユニオン)は一九二七年のあれだけの炭坑ストをつぶして味をしめたから、今じゃ、国家経済会議の中で勢力を占めるのが目的だものね」
 伸子は、しばらくだまって歩いていて、
「蜂谷さん、わたし、つくづく変だと思うわ」
と云った。
「どうしてあなたは、どこへもいらっしゃらないんでしょう。イギリスだって見ておいていいと思うわ。モスク□にいるとき、あれほどアムステルダム参加の黄色組合は、労働階級をうりわたしているって聞いたりよんだりしていたけれど、実際、ロンドンへ行ってみてそれが本当だっていうことが、しんからわかったわ。ロンドンにいる日本のえらい方たちは、まるでマクドナルドの従弟かなんかみたいに、第三インターナショナルを気ちがいあつかいにしていらっしゃるけれども、あんまり本当のことをはっきり云われるので、にくらしいのね、きっと」
 蜂谷良作もおとなしく左わけにしている茶っぽい柔かな髪を手の平で撫でながら、
「辛辣なんだなあ」
と笑った。
「ごめんなさい」
 こだわったところのない快活さで伸子も笑いながら、蜂谷を見上げた。
「わたし、つい、ここまでいっぱいだもんだから」
 藍色と白のまじった変り編みの毛糸ブラウスを女学生らしく着こなしている伸子は、ふっくりした顎の下へ自分の手の甲をあてて見せた。
 伸子と蜂谷良作が話しているところは、モンソー公園の最も美しい場所とされている池のわきだった。岸に柳が長く垂れて、睡蓮の葉が浮んでいる池のおもてに、円柱の列が、白い影をおとしている。木洩れ日でぬくめられている石のベンチに、二人はかけていた。日本で云えば、はじに似た高い樹の梢が金色にそまっていて、水にうつる影の中で大理石柱の白さや、そこに絡んでまだ紅葉には早いつたの葉の青い繁りを、あざやかにひきたてている。
 伸子はパリへかえって来る早々、こんなにして、蜂谷と話し込むことがあろうと思っていなかった。パリで蜂谷にまた会うことがあるかないか、それさえ伸子は気にしていなかった。けれども、偶然こうして会って話していると、素子と一緒に暮していたら毎日なしくずしに彼女に話さずにいなかっただろうと思われるロンドンでの印象を、伸子はみんな蜂谷にきかせることになった。素子がモスク□へ立ってから、伸子はほとんど隔日にロンドンだよりを書いていた。ここで蜂谷と話しているようなことは、その中で一応みんなかかれたわけなのだけれども、声に出して、機智くらべになってゆくようなけわしさなしにもういっぺんそれが話せることは、人なつこい伸子にとって、自然で心地よかった。
 それにしてもロンドンで会った人たちは、どうしてあんなに伸子を負かそうとするように話す人たちだったのだろう。世界のあらゆる出来ごとについて、イギリスの支配的な階級の常識に準じて判断している自分たちだけが、現代で最も正しい分別をもっている人間なのだ、という風に。――
 おのずと考えの流れが一つの方向に動いたように、蜂谷は、
「ロンドンに、いったいどんな連中がいるんだろうな」
と云った。しいて返事を求めないようなその云いかたには、進んでは訊きにくいところもあるが、訊いても見たいという蜂谷の気分が感じられた。
「木村市郎――御存じ?」
「ジェネ□にいたんじゃないんですか」
「あのかたは顧問だから、ジェネ□には、国際連盟の会議のときだけ御出張なんですって」
 木村市郎は、数年前、債務整理のために表面上の破産をした小富豪だった。いくつかの銀行の頭取をしていたのをやめてから、夫婦づれでロンドンへ来て、閑静なマリルボーン通りのフラットに一家を構えていた。そして、彼ら夫妻が自家用自動車をもっているわけではないが、ロンドンのクラブ街として有名なペルメル街の自動車クラブの客員になっていて、ロンドン在住の日本人と一部のイギリス人の間に、一種の社会的存在であった。
「木村さんは、『公平な競争(フェアプレイ)』なんて言葉は、イギリスではもうフットボールのゲームのときにしかつかわないってお説でした。ジェントルマン(紳士)という字は、トイレット用にすぎないってイギリス人自身が云っているんですって――」
「ふーん」
「ほら、蜂谷さんも毒気をぬかれちゃった!」
 伸子はおかしそうに声をたてて笑った。
「そこが木村さんの話術なのよ。金持だった木村市郎って名を知っていて日本から訪ねて来るジェネ□参りの人たちは、その一発で、木村さんを凄い急進派だと思ってしまうのよ。これは社会主義だ、と思うのよ。だから、あとから段々木村さんが、イギリスの商魂(マーチャント・スピリット)ということを云い出してね。しまいに、労働問題でなやんでいる代表たちに、資本家が普通の金利七分から八分を得ようとするのは合理的で世界共通の当然のことなんだから、労働者に、その決算報告を公開して、それでも承知しないんなら、労働者の方がわるいんだ、と云うと、きいている人は、それも社会主義的な考えかただと思ってしまうらしいんです。木村さんは、こんなにわかりやすいことをききに、僕のところまで来るんだからって、あきれたように、お得意だったことよ」
 蜂谷良作は、大きな声を出し顔を仰向けて笑った。伸子がモスク□からロンドンへ来ている者だということにこだわって、木村市郎は執拗なぐらい独裁ということへ非難をもって行った。イタリーのムッソリーニの独裁と、プロレタリアートの階級としての独裁をごっちゃにしていて、伸子がその点をさすと、木村は、どっちだって、独裁――ディクテーターシップというからには同じことさ、と云ってアーム・チェアの上に胸をはった。そして、そのころ話題になっていたオールダス・ハックスリーの「ポイント・カウンター・ポイント」という長篇小説を伸子によめとすすめた。日本では、ソヴェトのまねをしてプロレタリア小説だの何だのとさわいでいるが、よめたものじゃない。ハックスリーは、さすがに堂々とかいている。要するに、われわれの階級と労働者階級とは、ポイント・カウンター・ポイントだ、というのが真理だね。けっして、一本になることのない双曲線だというわけだ。ところが、そういう対立があるからこそ、互に協調してやって行こうとし、やっても行ける。というのがイギリスの商魂なんだ。お互がちがうから独裁(ディクテーターシップ)がいるとわめくのは、第三インターナショナルのやりかたさ。債権者や預金者に対しては破産しても、私生活では小さいながら富豪である木村の見解はそういうものだった。
「木村さんていう方の専門はなになのかしら」
「さあ、大学では経済をやっていたんだが――ちょっと新人会あたりに首をつっこんだこともあったらしい」
 蜂谷は、考えていて、
「利根亮輔に会いませんでしたか」
と伸子にきいた。
「会いました」
「何していました?」
 研究は何をしていたか、という意味だろうということはわかったが、伸子にはすぐ返事ができなかった。
「これは失敬したかな。佐々さんにきいたって無理だろうなあ」
「そうだわね」
 ひどく素直に伸子が承認した。
「わたしにはわかっていないわ」
 研究の題目がわからないばかりでなく、利根亮輔その人全体が男としても、学者としても、伸子にはわかるようで、わからないのだった。
「あの方は、ある意味で、学問についても人生についても好事家(ディレッタント)なんじゃないのかしら」
 だまったまま、蜂谷良作は両方の眉をしかめるような眼つきで伸子を見た。
「利根さんてかた、何をしても、何かそこで味わうものを発見して、そういう風に味わえる自分の能力を味わうっていうタイプじゃないのかしら」
 利根亮輔は大英博物館の図書館に近いところにある下宿のようなホテルに住んでいた。そして、毎日、数時間、図書館で勉強していた。マルクスは、イギリス経済学の正統学派から彼の価値論を発展させて来ている。リカアドからマルクスが自分の説を展開させて行ったつぎ目のところに、まだひとが研究していない点がのこされていると、利根亮輔はいうのだった。マルクスと云えば、歯がたたないものときめてしまって、ろくに勉強しようとさえしないけれども、その後光にたえるつよい知性があってよく見れば、マルクスの価値説にはある種の独断もあり、すきもある。リカアドから強引にねじって、もって来られているところがある。それを一つほじくりかえして見てやろうと思って。――
 そういう利根の調子には、こんにちマルクス主義者とよばれている人々へのひそかな軽蔑が感じられた。利根は、彼独特の繊細な方法で、第三インターナショナルぎらいを表現している。伸子はそういう風に感じとった。
「しかしね、彼の場合はあながち、そういう意味からだけやっているんでもないと思える点もあるんだ。たしかにマルクスの理論は、学問として、もっと研究されていいのは事実なんだ」
 蜂谷自身、そういう研究題目にひかれているところもある声だった。
 かけている石のベンチにおちていたつたのわくらばを指の間にまわしながら、伸子はふと沈黙におちた。彼女の前には、傾きはじめた午後の日ざしに、大理石柱の白い影を光らせている池のおもてがある。髪を苅りあげている伸子のさっぱりした頸すじに、ななめよこから西日がさしている。気づかないでいるけれども、伸子の耳たぼは西日にすかれて、きれいに血色を浮かしている。落葉のあるベンチの前の土の上を、蜂谷は、往ったり来たりしていた。帽子を、伸子のわきに、ベンチの上においたまま。

 利根亮輔と伸子とのロンドンでのつき合い。――あれは、ほんとうは、どういうことだったのだろう。伸子は、モンソー公園の静寂の中で、それを思いかえしているのだった。
 丁度、「プラウダ」に出たブハーリンに対する日和見主義と偏向に対する批判が、各国新聞のニュースになって、伸子をおどろかしていたころだった。「史的唯物論」「共産主義ABC」とブハーリンの本をとおして共産主義に近づいて行った伸子にとって、「プラウダ」の批判は、正当だと思えるだけに、大きい衝撃だった。その衝撃は、自分の善意にしろ、理論的なたしかさをそなえていなければ、いつどこへ引こまれるかも知れないものだということについて、伸子に厳粛な警告を与えるのでもあった。
 利根亮輔は、その問題について、ブハーリンの理論そのものがもっている誤りと危険について知ろうとするよりも、彼らしく、ロシア共産党の機関の決定の独裁性ということにこだわった。
「伸子さんみたいな、芸術家でも、そうかなあ」
 女としての伸子を全体としてうけ入れながら、彼女の考えかたには、どこまでも自分の考えを対立させ、かみ合わせてゆく手ごたえの面白さを味うように、利根亮輔は云った。
「人間の本能というものが――この場合には主として権勢に対する欲望だろうが――『共産党宣言(マニフェスト)』の現実にどんな要因(ファクター)として作用するかというようなことは考えませんか」
 彼のいうところでは、ソヴェト政権がこんにちまで保たれて来ているのは、そして、発展さえもしているように見えるのは、ロシア人民の文化の水準が、ヨーロッパ諸国に比べて低いからだというのだった。
「さもなければ、『プラウダ』一枚で、ああ完全に支配しきれるものではない」
「おかしなかた!」
 そのとき、二人が話していたチャーリング・クロスのカフェー・ライオンのテーブルの前で伸子はほんとにおこった顔と声になった。
「あなたのおっしゃることは、あんまり根拠がないわ。誰が、ソヴェト同盟を『プラウダ』一枚で動かしているでしょう。あすこの人たちには、自分たちで新しい暮しかたをやってゆく方法がわかったのよ。あなたが、その事実を見ようとしないなんて――」
 うそだわ、と言おうとしてちょっとためらった伸子を、利根亮輔は黒い怜悧さで輝いている眼で見つめながら、うながした。
「それで?――見ようとしないなんて?――」
 いくらか礼儀にかなう表現にかえて伸子は、
「知的怯懦(きょうだ)だと思うんです」
と云った。
「――なるほど……」
 やがて、利根亮輔は、さも面白そうに笑った。
「ハハハハ。伸子さんは実に愉快な精神の原形をもっていられる。知的怯懦ねえ。――しかしね、伸子さん、あなたレオナルド・ダ・ヴィンチに懐疑がなかったと思えますか? 叡智はいつも懐疑から出発するんです」
 伸子は、
「もうおやめにしましょうよ」
 そう云って、テーブルから立つ仕度をした。
「日本は、ひどくおくれた国だから、それだけ男のひとは、女より特権をもっているんです。そういう意味で女は抑圧されている大衆なのよ。結婚して、そして離婚したっていうことは、これは女にとって何かのことなんです。わたしは、そういう女として、モスク□に一年半暮したのよ。そして、生活そのもので、全体の方向としてあすこを肯定するんです。人々によろこびの生活の可能があるのを見ているんです。わたしのは、知的遊戯じゃないの」
 勘定書を手にとってカウンターの方へ歩きながら利根亮輔が云った。
「――伸子さんはエラスムスではなかったんですね」
 こういう会話そのものが、その本質では何をはっきりさせようとして、利根亮輔という男と伸子という女との間にかわされたのであったろう。
 伸子が、間もなくロンドンを去るというある曇り日の夕暮ちかく、利根亮輔と伸子とは人通りのまばらなバッキンガム宮殿前を、並木路沿いに歩いていた。歩きながら何気なく、利根亮輔が云った。
「あなたのようなひとを、思いきり自由に伸して、書きたいだけのことを書かしてみたら、さぞ愉快だろうなあ」
 その調子には、利根の一歩に自分の二歩を合わせて歩いている伸子の体を、つつんで流すような普通とちがう感じがこもっていた。しばらくだまって歩いていて、伸子がはっきり、
「駄目よ」
と、云った。
「駄目、そんなイリュージョン。本気にしたらどうするの」
 一人の人間を伸すということ。その人に書かせるというようなこと。そこにどういう方法があり、どういうことが起るのか、わかりもしないようなそんなことを、伸子が女だから、男の利根には、自分の力のうちでできでもしそうに思えるのだろうか。しかも、利根と伸子との間には、ことごとにと云えるほど、意見のちがいがあるのに。そんなことは、男と女との間であれば、とるに足りる何ごとでもないように利根亮輔には思えているのだろうか。伸子をひきよせる利根の話しかたが、伸子をおどろかせた。
「そうかなあ、イリュージョンかなあ。僕にはそう思えないんだが――」
「イリュージョンだわ!」
 伸子は、その雰囲気から身をもぎはなすように云うのだった。
「わたしの考えかたや気質があなたに興味があるというだけよ」
「じゃ、僕は、あなたにとって興味のない人間ですか」
「――まるで興味のない人と、話しながら歩いたりするかしら。――でも、それは別よ。そうでしょう? 別であり得るのよ」
 またしばらく黙って歩いて、バッキンガム宮殿のすぐ近くの角を曲るとき、伸子は、ひきこまれそうになっていた渦から解放されたほほ笑みで、
「利根さん」
とよんだ。
「わたしはね、ミス・マクドナルドでもないし、ミス・木村でもないの。だからね、対立があるからこそ協調してゆくっていうイギリスの流儀では、万事やってゆけないのよ」
「――そうか!」
 バッキンガム宮殿のまわりを、機械人形のように巡邏(じゅんら)している華やかな服装の若い近衛兵(ローヤル・ガイド)が、そのとき伸子のすぐわきで、まじめな顔つきで規則正しいまわれ右をした。

 伸子は、モスク□にいる素子へのたよりに、利根亮輔と話すいろいろのことを書いてやった。バッキンガムのまわりを歩いたことも。しかし、その散歩のとき短くかわされて、二人の間柄を決定した会話についてはふれなかった。
 今夜かあした、モスク□へ書く手紙のなかで、伸子は、「モンソー・エ・トカヴィユ」の七階へたずねて来た蜂谷良作と出かけて、モンソー公園に、こんなにゆっくりしていることについて、どう書くだろう。
 秋の公園の日だまりのなかで、伸子はそんなことについて、考えてはいてもちっとも心を煩わされていなかった。伸子は、いまというひとときのもっている条件のすべてをひっくるめて、楽にくつろいだ会話や戸外の空気の快よさを感じているだけだった。
 そろそろまた歩きはじめようとして蜂谷良作はベンチの上から帽子をとりあげた。
「いずれにしても、佐々さんは生活的だなあ。この間の晩、はじめてゆっくり話してみて、僕が一番感じたのはそこだった。――吉見君は、あれで、よっぽどちがうでしょう? あなたとは――」
 伸子は、蜂谷との間で、そこにいない素子をそういう風に話すのはこのまなかった。
「あのひとは、わたしよりずっとものを知っています、あれだけ、ロシア語がちゃんとしているんだもの」
 素子がよくものを知っていながら、その知っているところまで自分の生活そのものを追い立ててゆかないことも、いま蜂谷に説明する必要はない素子の一つの特徴だった。
 伸子と蜂谷良作とは、公園の奥にある池のところから小道づたいに、来た方とは反対の道を出口に向った。
「こんどこそ、わたし、本気でパリを歩いてみなくちゃ」
「そう急ぐわけでもないんでしょう」
「親たちが帰れば、わたしはすぐモスク□へもどります。だから――そうね、ひと月はあるでしょうね」
「そんなにさしせまっているのか」
 蜂谷は思いがけなさそうだった。
 二人は、モンソー公園の前にある広場めいたところのカフェーで休んだ。夕方になったら、俄(にわか)にうすらつめたくなった風がマロニエの落葉をころがしてゆく秋の公園前のカフェーには腰かけている人の数も少かった。
 公園の樹の間で街燈がともった。
 そのカフェー・レストランの内部にも同時に灯がはいって、パリの夜の活気が目をさました。
「佐々さん、ついでに、ここで夕飯をすまして行きませんか」
 ことわらなければならない理由もなくて伸子は、だまっていた。
「この間は、あんなにして不意に泊めてもらったりしてお世話になったし――いいでしょう?」
「――部屋をあけてあげたのは、わたしじゃなかったのよ、吉見さんよ」
「――じゃあ、その代表として。――ここなら、きっと、カキがうまいだろう」
 半ば公園のあずまやのように作られているそのレストランは、女づれで来るような客で段々賑わって来た。身なりも気のきいた中年の粋(いき)な組が多かった。
 運転して来た自動車に鍵をかけ、それをズボンのポケットにしまいながら、わきに立って待っているつれの女のひとの肱を軽くとってレストランのなかへ入ってゆく男の物馴れた仕草などを眺めていて、伸子は、
「蜂谷さん、大丈夫?」
と、いたずらっ子らしく笑った。
「少し、柄にないところなんじゃないの? こんなところ――」
「そんなことはないさ」
 蜂谷は、ぽつんとまじめに答えた。そして、そのまま顔を横に向けた。伸子は、夕飯にかえらないことをペレールのうちへ知らせるために、電話をかけに立った。

        三

 もう二三日で九月が終ろうとしている風のつめたい夜の九時すぎ、モンマルトルの方から走って来た一台のタクシーがペレール四七番の前でとまった。ドアがあいて、なかから、つや子、多計代、泰造、しんがりに伸子という順でおりて来て、レースのショールをかけた肩を寒そうにしている多計代をとりかこみ、四七番の入口の大きいガラス戸の中へ一人一人消えた。八時すぎると、この辺のアパルトマンの入口はしめられた。ベルを押すと、門番が玄関わきにある自分たちの住居の中でスウィッチを入れ、その人が入る間だけ、入口のドアの片扉があくようになっている。佐々のものたちは、その僅の間をいそいでホールへすべりこんだ。みんなについてエレヴェーターのところへ行こうとしていた伸子は、門番の住居の小窓から、
「マドモアゼール」
とよびとめられた。
 玄関に向ってあいている門番の小窓には、背後から橙(だいだい)色のスタンドの光を浴びて、カラーなしのシャツ姿の爺さんが首を出していた。
「ヴォア・ラ! あなたへ、電報」
 細長くたたんである紙をさし出した。伸子は、不安なような、全く不安のないような変な気分で、それをうけとった。
「ありがとう」
 心づけを爺さんの手のひらにのせて、伸子はうちのものの佇んでいるエレヴェーターのところへ行った。
「――おや、電報かい?」
 多計代が、神経質にまばたきした。
「わたしのところへ来たのよ」
「吉見さんだろう」
 素子はモスク□へ着いたとき、ロンドンのホテルあてに伸子に電報をよこしたし、伸子たちがペレールへかえってすぐのときも、電報をよこした。ぶこ、かわりないか、やど知らせ、と、ローマ字で書いて。手紙の往復の間をまちきれない素子のこころもちが、その電文に溢れていた。いまも、伸子は、七分どおりモスク□からだろうときめて、おどろかずに電報をうけとったのであった。折りたたまれた紙をあけて見て、伸子はまごついた表情になった。
「変だわ、これ。――何のことなんだろう」
 ケサ六ジ、イソ、ザ、キキョウ、スケシス
 スケシスというギリシャ語みたいなローマ字つづりで、いきなり戸惑わされた伸子は、冒頭の、ケサ六ジという一句の意味が明瞭で動かしがたいだけに、よけい判断を混乱させられた。わかるのは、この電報が素子からではないということだけだった。イソ、ザ、キキョウ、スケシス Iso za kikyo Sukeshisu とは何のことだろう。
「みせてごらん」
 泰造が、すこし顔からはなして読む電報を、わきに立って、伸子ものぞきこんだ。
「ね、――わからないでしょう?」
 ややしばらく電文を見ていた泰造が、
「これは、綴りが、ちぎれちまっているらしい。上の字へつくはずだったんじゃないか。イソザキ、キョウスケっていう工合に。――そういう名のひとを伸子は知っているかい」
「知っているわ」
 そう云われて、目をすえてよみ直した伸子の頬から顎へ鳥肌だった。
 ケサ六ジ、イソザキキョウスケ シス――死す――
「まあ!」
 それは伸子の心からのおどろきの声であった。
「どうしたっていうんでしょう!」
 若い画家である磯崎恭介と、やはり画を描く若い妻の須美子は、伸子の友人であるよりも、素子の古い知り合いだった。パリへ来たとき、素子と伸子が心あてにしたのは、この二人であった。ヴォージラールのホテルへ移り、佐々の一行がパリへ来るまで伸子たちは、磯崎夫妻にいろいろ世話になった。佐々のものがマルセーユに着くほんのすこし前、磯崎は、サンジェルマンの方へ里子にあずけておいた上の男の子に死なれた。その葬式がペイラシェーズで行われたとき、伸子はいたましい思いにつつまれて、喪服姿の須美子の介添えをしたのに。――
 ロンドンから帰って伸子が磯崎の住居をたずねたのは、たった一週間ばかり前のことだった。そのときの恭介には病気らしいところはどこにもなかった。
 サロン・ドオトンヌに出す制作がもうすこしで終るところだと云って、むしろいつもより活気づいて張りきっていた。伸子のところへ、電報をよこした磯崎の妻の須美子の言葉かずのすくない美しい様子と、ひよわい白い蝶々(ちょうちょう)のような子供の姿を思うと、伸子は、とても、そのままあしたの朝まで待てなかった。
「お父様達、かまわずあがっていらして下さい。わたし、行ってくるわ」
 佐々の一家はモンマルトルの「赤馬」というレストランで、のんびりと居心地よく、長い時間をつぶして帰って来たところだった。電報は、午後二時発信となっている。伸子は、そのときから今まで自分たちが過した時間の内容を考えて一層切ないこころもちだった。ハンド・バッグをあけ、もっている金高をしらべた。
「わたし、多分こんやは、あっちへ泊りますから」
 泰造も外へ出て、伸子のためにタクシーをつかまえた。
「おそくなったら、あしたの朝になってから、かえりなさい、夜中でなく」
「そうします」
 そして、タクシーは走り出した。ロンドンへ立つまで、よく夜更けに、素子と一緒に通った道すじ――トロカデロのわきからセイヌ河をむこう岸にわたる淋しい道順を通って。
 デュト街へはいったとき、朝の早いこの辺の勤勉な住人たちの窓々はもう半ば暗くなっていた。寝しずまろうとしている街のぼんやりした街燈の光をはらんで何事もなかったように入口をあけている磯崎の住居の階段を、伸子は爪先さぐりにのぼって行った。磯崎恭介は死んだ。妻と子とをのこして。それだのに、彼の一家が住んでいる建物のどこにも、その不幸のざわめきさえ感じられない。人の生き死にかかわりない夜の寂しさが、一人で爪先さぐりに階段をのぼってゆく伸子にしみとおった。ペレールで見た電報が信じられないような感じにとらえられた。
 伸子は息をつめて、磯崎の室のドアをノックした。無言のまま、すぐ扉があいた。廊下に立っている伸子を見て、ドアをあけた見知らない日本の男のひとは、
「ああどうも」
と、あいまいに云って頭を下げ、体をひいて伸子を、室内に入れた。
 年配のまちまちな四五人の日本の男のひとたちが、いつものとおり無装飾なその室の長椅子のところにいた。伸子は何と云っていいかわからず、だまってそこにいる人々に頭を下げた。
「奥さんはあっちに居られますから――どうぞ」
 伸子は、丁寧なものごしで示された隣りの寝室の方へ歩いて行った。両開きのフレンチ・ドアのかたそでだけが開け放されている。足音をころしてその敷居のところへ立ちどまったとき伸子のひとめに見えた。ひろい寝室のむこうの壁につけておかれている寝台と、その上に横わっている磯崎恭介、わきの椅子にきちんとかけて、濃いおかっぱの頭をうなだれている須美子の黒い服の姿。――人の気配で須美子は頭をあげた。伸子を認めた瞬間、須美子の黒いすらりとした姿が椅子から立ち上ると同時に、はげしく前後にゆれた。伸子は思わずかけよった。
「佐々さん」
 繊(ほそ)くて冷えきった須美子の指が、万力(まんりき)のように伸子の手をしめつけた。
「よく来て下さいました」
「ごめんなさい。電報、やっとさっき拝見したもんだから」
 伸子は、ささやいた。
 壁ぎわのベッドの上によこたえられている磯崎恭介の眠りをさますまいとするように。
「パリにいらっしゃりさえすればきっと、来て下さると思いましたわ。佐々さん。わたしも、こんどという、こんどは……」
 伸子の左肩の上に顔をふせた須美子の全身がわなわなとふるえた。伸子は両手でしっかり須美子を抱きしめた。須美子は、けさから、どんなにこうしてすがりつける者をもとめていたか。それを、身がきざまれるように伸子は感じた。ついこの六月下旬に、須美子は田舎にあずけていた上の子供に死なれたばかりだのに。
「なんていうことなんでしょう!」
 須美子の上にかさなる悲しみに対していきどおるように伸子が云った。
「歯です」
「――歯?」
「おととい、急に奥歯がひどく痛むって、お医者さまへ行きましたの。抜いたんです。そこから黴菌(ばいきん)が入ったんです」
「…………」
 ヴォージラールのホテルにいたとき、素子が歯痛をおこしてさわいだことを、伸子はおそろしく思い出した。あのとき磯崎から紹介された医者があった。あの医者へ、こんどは恭介自身が行ったのだろうか。その医者の、あんまり日光のよくささない診察室や、応接室にあった古いソファーが伸子の記憶によみがえった。
「ほんとに急だったんです。急に心臓がよわってしまって――磯崎は自分が死ぬなんて、夢にも思っていませんでしたわ」
 須美子の、濃いおかっぱの前髪の下に、もう泣きつくして赤くはれた両方の瞼がいたましかった。
 伸子は、須美子にみちびかれて、磯崎の横わっている寝台に近づいた。須美子が顔にかけてあるハンカチーフをのけた。その下からあらわれた磯崎恭介の顔は、目をつぶっていて、じっと動かないだけで、全くいつもの恭介の顔だった。贅肉のない彼の皮膚は、日ごろから蒼ざめていた。いくらか張った彼の顎の右のところに、直径一センチぐらいのうす紫色の斑点(はんてん)ができていた。その一つの斑点が磯崎の命を奪った。
 磯崎のいのちのないつめたい顔を見つめているうちに、伸子は、自分の体も、さっき須美子の体がそうなったように、前後にゆれ出すように感じた。そして、壁がわるいんだ。壁がよくなかったんだと心に叫んだ。
 磯崎たちの住んでいるデュト街のこの家は、パリの場末によくある古い建物の一つで、入口から各階へのぼる階段のところの壁などは、外の明るい真夏でも、色の見わけがつかないほど暗く、しめっぽく、空気がよどんでいた。壁に湿気と生活のしみがしみついていることは、室内も同じことだった。磯崎たちは、がらんとしたその室内に最少限の家具をおいているだけで、意識した無装飾の暮しだった。この寝室も、磯崎の横わっている寝台が一つ、むき出しの床の上で壁ぎわに置かれているだけで、あとにはこの部屋についている古風な衣裳箪笥が立っているきりだった。寝台の頭のところの壁の灰色も、年月を経て何となしぼんやりしたいろんなむらをにじみ出させていた。その室の壁のぼやけたしみと、磯崎の右顎に出たうす紫のぼんやりした斑点。――伸子は、この建物に出入りするようになったはじめから、真暗でしめっぽいこの家の階段の壁やそこいらに、健康によくないものを感じていたのだった。でも、今になってそれを云ったところでどうなろう。
 須美子は、そっと、気をつけて、眠っている人がうるさがらないようにという風に、恭介の顔の上にハンカチーフをかけた。
「お仕事、どうなったかしら」
 先日あったとき、もうじき描き終ると云っていた恭介のサロン・ドオトンヌのための絵だった。
「あれはすみましたの。搬入もすまして――ひとつは、その疲れがあったのかもしれませんわ」
 二人は、磯崎恭介の横わっている寝台を見下しながら、小声で話すのだった。
「小さいひとは? マダムのところ?」
「ええ。けさ呼んだ看護婦さんが、親切な方で、ずっといてくれますの」
 少しためらっていて、伸子は須美子に云った。
「急なことになって、もしわたしのお金がお役にたつようなら、いくらかもって来ましょうか。わたしは少ししかもっていないけれど、借りることができるから――」
「ありがとうございます。今のところよろしいんですの。丁度、磯崎のうちから送って来たばかりのものが、まだ手をつけずにありましたから――」
 それをいうとき、須美子の顔の上にいかにも辛そうな表情がみなぎった。日ごろから、須美子は、磯崎の両親に気をかねていて、上の子に死なれたときも、それは、須美子の落度であるように云われた。突然の悲しみの中でも須美子は義理の親たちの失望が、自分に対するどんな感情としてあらわれるかを知っているのだった。
 四五人来あわせている人々のなかで、一番年長のひとが、和一郎の美術学校時代の美術史の教授だった。ひかえめに、ロンドンにいる和一郎の噂が出た。磯崎恭介に近い年かっこうのほかの人たちは、みんな画家たちだった。伸子がその人々と初対面であり、こういう場合口かずも少いのは自然なことであったが、磯崎恭介そのひとが、これらの人々との間に、果してどれだけうちとけた親しいつきあいをもっていたのだろうか。異境で急死した人の女の友達の一人としてその座に加っていて、伸子がそう思わずにいられない雰囲気があった。パリの日本人から自分を守って努力していたような磯崎恭介。その人の意志にかかわらず突然おこった死。ここにいる人たちは、ほかの誰よりちかしい友人たちではあろうけれども、そこに来ている四五人の人々の間で磯崎についての思い出が語られるでもなかった。友人たちの心から話し出されるような逸話をのこしている磯崎でもないらしかった。
 しばらくして、須美子も寝室から出て来てその席につらなった。彼女は半円にかけている客たちに向って、ひとりだけ離れて一つの椅子にかけた。
 だまってかけている人々の上から、夜ふけの電燈がてらしている。須美子は、日ごろから着ている黒い薄毛織の服の膝の上に、行儀正しく握りあわせた手をおいて、悲しみにこりかたまって身じろぎもしない。黒いおかっぱをもった端正な須美子の顔の輪廓は、普通の女のように悲しみのために乱されていず、ますます蒼白くひきしまって、須美子そのものが、厳粛な悲しみの像のようだった。
 須美子のそのような内面の力を、おどろいて伸子は眺めるのだった。須美子の純粋な精神が、悲しみのそのようなあらわれのうちに充実していて、彼女のあんまりまじめな悲しみようにうたれた人々は、なまはんかな同情の言葉さえかけるすきを見出さないのだった。
 沈黙のうちに、重く時がうつって行った。伸子は寒くなった。失礼いたします、と、ぬいであった外套を着た。
「須美子さんは、少し横におなりになったら?」
「ありがとうございます」
「さむくないかしら」
「いいえ」
 僕も失礼して、と二人ばかり外套を下半身にまきつけた人があった。須美子は動かない。そしてまた沈黙のときがすぎた。
 こんなに苦しく、こりかたまっている悲しみの雰囲気を、通夜をする客たちのために、もうすこししのぎよくするのが、いわば女主人側でたった一人の女である自分の役目なのではなかろうか、と伸子は思いはじめた。日本の通夜には、それとしてのしきたりもあって、伸子に見当もつくのだったが、フランスの人々は、こういう場合どうするのだろう。何かあついのみものと、ちょっとしたつまむものが、夜なかに出されて、わるいとは思えない。でも、それは、どうして用意したらいいのだろう。デュトの街では夜が早く更けて、カフェーが夜どおし店をあけているという界隈でもなかった。パリの生活になれず、言葉の自由でない伸子は、宿のマダムと直接相談することを思いつかないのだった。
 しばらくの間こっそり気をもんでいた伸子は、やがて、すべては須美子のするままでいいのだと思いきめた。彼女の深い悲しみに対して、伸子が、世間なみにこせこせ気をくばる必要はないのだ。彼女の悲しみを乱さなければ、それが一番よいのだ。磯崎と須美子は、恭介が生きていてこの人々とつきあっていたときの、そのままのやりかたで、今夜もすごしていいのだ。それが友達だ。
 須美子は、ときどき席を立って、恭介の横わっている隣室へいった。その室に須美子がいなくなると、客たちの間には低く話しがかわされるのだった。
 あけがた、宿のマダムがドアを叩いた。そしてあついコーヒーが運びこまれた。

        四

 朝九時ごろに、伸子はいったんペレールへ帰った。朝飯がはじまろうとしているところだった。伸子はテーブルのよこに立って熱い牛乳をのんだだけで、まだ片づけてないつや子の部屋へはいって、午後二時までひといきに眠った。
 出なおして、伸子はこんや最後のお通夜につらなるつもりであった。つや子の室の隅においてあるトランクから、夜ふけてきるために、もう一枚のスウェターを出していると、アパルトマンの入口でベルが鳴った。マダム・ルセールが取次に出て何か云っている声がした。泰造と多計代とは出かけてしまっていた。入口のドアをそのままにして、マダム・ルセールが寝室の方へ来る。そのとき、つや子がそれまでひっそりして花のスケッチをしていた客間から、とび出して、伸子のいる室へ入って来た。
「ごめんなさい、忘れて。お父様が、これをお姉様に見せて、って――」
 一枚の名刺を伸子にわたすのと、マダム・ルセールが、
「マドモアゼル。ムシュウ・チグーサがおいでです。お約束してあるとおっしゃいます」
というのと、同時だった。千種清二と印刷されている名刺の肩に、泰造の字で、一昨日大使館にて会う。伸子にぜひ面会したき由。九月二十九日午後来訪の予定。と走りがきされている。千種清二というひとの住所には、日本大使館がかかれていた。
 名刺を手にもったまま伸子は、気がすすまなそうに、ちょっとだまって立っていたが、
「ありがとう、マダム・ルセール。わたしが彼に会います」
 伸子は入口に行ってみた。そこに立っているのは、二十四、五に見える、陰気そうな青年だった。伸子は、友達に不幸がおこって、すぐ出かけるところだからとことわって、客間へ案内した。つや子が、あわてて画架の上のカンヴァスをうらがえしている。伸子は、むしろつや子にいてもらいたかった。
「いいのよ、そのまんまで、つや子さんも失礼してここにいたら?」
 客間におちついたその青年を見ると、泰造がうけとって来た名刺と、そのひとからじかに伸子がうけとる感じとの間に、ちぐはぐなものがあった。パリ駐在の日本大使館の人たちといえば、書記官の増永修三だけがそうなのではなく、書類をあつかっている窓口の人々まで、なかなか気取っているのが特徴だった。ベルリンの日本の役人は官僚的に気取っていたが、パリのそういう日本人たちは、その人たちだけにほんとのフランスの洗煉がわかっているというように気取っているのだった。いま伸子の前で長椅子に腰をおろしている千種清二という青年は、そういう気風をもっている大使館員ごのみの服装でもなかったし、外交官めかしい表情もなかった。彼はごくありふれてごみっぽかった。それはパリにいる日本の画家たちや蜂谷良作の野暮さともちがうものだった。伸子は、
「何か御用でしたかしら」
ときいた。
「おいそがせするようでわるいけれど」
 千種というその青年は、がさっとしたところのある低い声で、
「実は、いろいろあなたの話をうかがいたくて来たんですが――」
 伸子に時間がないというのを、不機嫌にうけとっている表情をあらわにして、顔をよこに向けた。伸子の方は、千種のそんなものの云いかたや表情から、いっそう彼への冷静さを目ざまされた。伸子は反語的に、
「おうちあわせしてないのにおいで下すったものだから――失礼いたします」
と云った。そして、そのままだまりこんだ。
 千種は、長椅子にかけている上体を前へ曲げて開いている膝に肱をつっかい、髪の毛を指ですくようにした。その顔をあげて、
「僕はかねがねモスク□へ行ってみたいと思っていたんですが」
と話しはじめた。
「あなたがパリへ来られたときいて、ぜひ一度、それについて、いろいろじかにおききしたいことがあって――それで実はお邪魔したんです」
 わきにいるつや子が、そういう話には妨げになるという素振りだった。それを伸子は無視した。
「――大使館のかたが、わたしに入国許可(ヴィザ)の手つづきをおききになるのなんて、何だかおかしい」
 そういう伸子の声に、笑いにかくされている批評がこもった。
「そんなことはもちろんわかっているんです。そうじゃあなく――僕はそうじゃない方法でモスク□へ入りたいんです」
 非合法の方法でモスク□へ行きたいという意味らしかった。何のために、そんなことを伸子にきくのだろう。伸子にそんなことを訊くような組織的でない生活をしているひとに、非合法でモスク□へ行く必要のあろう道理はない、と思えるのだった。
「わたしにおききになるのは、見当ちがいです。わたしなんか、ヴィザもヴィザ、大したヴィザで、モスク□へは行ったんですから――藤堂駿平の紹介で……」
「それはそうでしょうが、ともかく一年以上モスク□にいられたんだから、その間には自然いろんな関係が、わかられたはずだと思うんです」
 あいての顔を正視しないで長椅子の上に前かがみになり、心に悩みをもってでもいるらしい青年の姿態で、しつこくいう千種の上に、伸子の視線がきつくすわった。いまの伸子にパリで会っていて、モスク□へは藤堂駿平の紹介で行ったのだったときけば、むしろ、そうだったんですか、と下げている頭も上げて、何となくびっくりした眼で伸子を見なおすのがあたりまえのような話だった。少くとも、伸子自身は、モスク□へ行こうとしていたころの自分と、現在の自分との間にそれだけの距離を自覚しているのだった。ところが、千種とよばれるこの青年は、そういう点については、さものみこんでいるというように無反応で、それはそうでしょうが、一年以上も云々と話をすすめて行く、その調子は、伸子に本能的な反撥を感じさせはじめた。
「一年以上モスク□に居りますとね、あなたの考えていらっしゃるのとは正反対のことがわかって来るんです。モスク□に合法的にいる日本人と、非合法に行っている人たちの間には、橋がないってことが、はっきりわかるんです。ちっともロマンティックなことなんかありません――わたしは、ぴんからきりまでの合法的旅行者なんですもの」
「――」

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