ヴァリエテ
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著者名:宮本百合子 

「とんだお伴おさせ申すわね」
「いいえ!」
 佳一は真面目な、青年らしい面持ちで、頭を振り、対手の言葉を否定した。

 その相談が纏まると、何か今日の用がすんだような心持になり、佳一は程なく椅子から立ち上った。
「――どうも失礼……じゃ」
「そうお」
 絹子も同じような感情と見え、親密を表した眼つきで自分の場所から立った。
「では……どうぞよろしく」
 玄関へ廻ると犬小屋の傍にいた楓が、さっきの桃色の上にエプロンをかけさせられ、駆けよって来た。絹子は、母らしくその楓を自分の前に立たせ、改まって、
「じゃさようなら、失礼いたしました」
と、高く娘のおかっぱの上へ窮屈そうに頭を下げた。

 佳一は、甘えて何かいう楓の声をうしろにきき、足早に門を出た。往来を、今度はゆっくり江戸川の方へあるき初めたが、榎の家から遠のけば遠のくほど、彼の胸に漠然とした面白さが湧いた。絹子を、彼は決して恋していなかったし、美しい人とも思っていなかった。先方も種々な点から信用して内輪話もするのであることを、理解していた。彼となら、万一活動見物が知れたとしても、
「でもあなた、佳一さんよ」
と絹子がいえば、少くとも一度は、榎も黙認しなければならないであろう。用心深く、そこまで絹子が考えた結果にしろ、そうでないにしろ、佳一の興味に違いはなかった。妹の順子の友達たちでは、その家の玄関に送り込むまで全部佳一の責任であった。それと違って、立派な大人なよその夫人が、自身に全部責任を負って、彼と楽しもうというのは、何と愉快なことであろう! 若しステッキを持っていたら何となく、一ふり、日没の町に向ってふっただろう軽やかな張合いある心持であった。
 佳一は、品よい頬を元気な歩行と幾分の亢奮とで薄く赤らめながら、出入りのラジオ屋の店へ向ってあるいた。




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