日蔭の街
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著者名:松本泰 

        七

 呆気に取られている柏を押飛ばすようにして私は廊下へ出た。突当りは便所で行止りであるし、屋根裏へ遁(に)げる梯子も見当らなかったので、又部屋へ戻ってガリガリと古戸棚を開けたりした。寝台の下へ潜ろうとした。
 そこへ扉を叩いて、警官と運転手が入ってきた。絶体絶命である。運転手は私を指差して、
「この方です。この方が暮の二十九日の晩に、ストランドの裏通りから駆けてきて、あの女を私の自動車へ乗たのです」
「一体どうしたんです。女とは誰です? 私の友人と何の関係があるんです」私が言葉を発する前に、気早な柏は一足前へ進み出ていった。
「お騒がせして相済みません。実は御承知かも知れませんが、暮の二十九日の晩、ストランドの裏小路で、殺人事件があったのです。被害者の身許も知れず、又犯人の手掛りもつかないのですが、この運転手が当夜自動車へ乗せたという婦人に嫌疑がかかっているのです。ところが今日、この運転手はボンド街の展覧会から出てきたこの方を見て尾行けて来たのです。私がここへ来ましたのは、ストランドの辻から自動車で遁げた婦人とこの方と、どういう関係があるのか、それをお訊ねする為です」と警官は割合に叮嚀にいった。運転手は顔の寸の短(つま)ったいっこくらしい男である。彼は警官が柏に説明している間も、猜疑深い調子で、じろじろと私を睨廻(ねめまわ)していた。
「私は芝居の帰りに偶然出会った若い婦人が、何か頻りに帰途を急いでおられ、お困りの様子でしたから、タクシーを呼んであげた計りです。名前も知りませんし、無論何処へ帰ったのかも知りません」私は運転手などを相手にせず、警官に向って最初の言葉を開いた。
「婦人を自動車に乗せてから、貴殿が運転手に行先をいったそうではありませんか」
「ピムリコまでと運転手に命じました。それは、婦人が私にいったからです」
 柏は話の経緯(すじみち)が了解(のみこめ)ないので、不思議そうに吾々三人の顔を見較べていた。運転手は掴みかかるような権幕で、私の前へ躍出した。
「おい、本統の事をいうがいい。ピムリコなんかへ行けばとんだ事になったっけね。中途で婦人は気がついて、V停車場の西口で降りてしまったよ。お前達のような奴がくるから、倫敦が悪くなるんだ」
「馬鹿野郎! 俺の友達に対して何をいうんだ」柏は運転手の暴言を買って出て、相手の胸を小突いた。
「乱暴しちゃアいかん。兎に角ここで争っても仕方がない。御迷惑でしょうが、署まで同行して下さい。この事件は近来での怪事件で、スコットランドヤードでは、非常な努力で犯人を挙げようとしているところですから、仮りに貴殿方が多少でも、この事件にひっかかりがあるとすれば、それが手掛りとなって、犯人の逮捕に、どんな便宜を与えるかも知れんですよ」警官は対話の間に、私共は同じ東洋人でも、日本人である事を知って、言葉にも、態度にも、親しげな様子を見せてきた。被害者が東洋人であれば格別、相手が縁の遠い仏蘭西人ときているので、常識から考えても私共と被害者と直接の関係はないと思ったらしい。
 警官の言葉に従って、私達は倶々に警視庁へいった。柏は付添人という格である。
 私共は窓の外にウエストミンスターの塔の見える広い部屋で、カクストンという部長の訊問を受けた。私はそこで勢いボンド街の展覧会へ柏の絵画を観にいった事を話さねばならぬ破目になったが、劇場で彼女と二人のフランス人を見掛けた事と、又ベーカー街に彼女を訪ねた事も、凡て彼女に関する事は口にしなかった。
 然しカクストン氏は、柏の描いた絵が彼女である事を知っていたので、巧みにしらを切ろうとした事が、少しぐれはまになってきた。何にも知らぬ柏は正直に、暮の二十九日にサボイの食堂で彼女を見掛けた事、それからヒントを得て製作にかかったという順序を述べた。柏は余り上手くない英語で彼女を最上級の形容詞で嘆美して、私をハラハラさせ、係員を微笑させた。ここでは完全に「日本人は見掛けによらぬ狡猾(カンニング)だ」という彼等の観念を覆えおおせた。
「どうも御苦労でした。又何かの機会でその婦人にお会いにならぬとも限りませんから、そんな事があったら直ぐ知らせて下さい」とカクストン氏はいった。そこへ電話がかかってきたので、氏は眼で挨拶をしながら、私共が室外へ出てゆくのを見送っていたが、
「鳥渡お待ちなさい。展覧会で絵画を盗まれたのです。それが君の出品した絵のようだ。確か君の画題は、『歓の泉』とかいいましたね」と呼びかえした。
「私の絵が盗まれましたって? それはいつです。飯田君がつい先刻見てきた計りじゃアありませんか」
 柏と私は愕然として顔を見合せた。白昼衆人環視の中で、そのような大胆な行為が行われようとは到底想像も出来なかった。
「早速、会場へ行きましょう」カクストン氏に促されて、私共はボンド街に向った。
 会場の前では大勢の人々が凝(かたま)り合って喧しく盗難事件の噂をしていた。一時閉場された会場の非常口から入ってゆくと、係員達が空間になった壁の前に立って、善後策を評議中であった。
「会場に誰もいなかったのですか?」カクストン氏が人々を見廻しながらいった。
「いないどころではありません。一番混雑(こ)んでいる最中でした。尤も看守人は丁度隣室を見廻っていた時でした」世話人のひとりが答えた。
「入場者は絵画が現場から運び去られるのを見ていたのだそうですが、犯人が余り落着払っていたので、出品者が何かの都合で、自分の絵を外してゆくのだと思ったという事です。その男は絵画の前に集っていた人々に、愛想よく会釈しながら、ニコニコして担いでいったそうです」ともう一人の紳士が述べた。
「すると、犯人は東洋人だったのですね」とカクストン氏が訊ねると、その朝私と言葉を交えた係員が、
「その男は展覧会が開会された日から、いつもあの絵画の前に立っていましたから、私は出品者の柏さんという日本人かと思っていました。今になって考えて見ると、あれは支那人だったかも知れません。Rの音を皆なLのように発音していました。普通日本人の方だと、Lの発音が旨くゆかないようですね」とちらと私共の方を見ながらいった。事実私共はLとRの発音では、下宿の内儀さんからまで、やかましく云われていたのである。私の頭脳の中には柏の下宿の入口で擦れ違った仏蘭西人の顔が浮んでいた。屹度あいつが支那人を手先に使って盗ませたに違いないと思った。然し私がここで仏蘭西人の事などを手柄顔に持出すと、ついそれからそれへと糸をひいて、彼女の事にまで云い及ばねばならぬ破目になると思って、秘密の上に、また秘密を重ねてしまった。その代り私は柏の為に素人探偵の役を勤めて、必ずあの仏蘭西人を探出して絵を取戻そうと決心した。私はどうしてもあの仏蘭西人を犯人とひとりぎめにしていたのである。
 私共はカクストン氏を遺して会場を出た。柏はすっかり気抜けがしたように呆乎(ぼんやり)していて、碌に私の言葉に返事もしなかった。私は最初柏を下宿まで送っていって、気持を引立ててやろうと思ったが、私には考える事があったので、公園の角で、
「おい、そう悄気(しょげ)るなよ。二三日見て居給え、君の絵は屹度探し出して見せるよ」と彼の肩を叩いて別れた。
 睡ったような沈滞した午後であった。高い建物の間々から幾筋も往来へ射込んでいる赤い西日の中で、黄色い塵埃が金粉を吹飛したように躍っていた。
 私は塵埃をかぶった靴の先を視詰めながら、様々な事を考え耽っていた。その一つは矢張り「彼女」の事であった。「彼女」は何故あの晩、私に行先をピムリコと云わせておいて、中途からV駅の西口で降りたのであろう。矢張り私にまで行先を晦ます為であったのであろうか。「彼女」の住居はベーカー街であるのに、それと全く反対な方向へ逃げていったのはどういう理由であろう!
 私は識らず識らず、V駅の西口まで来てしまった。尤もそこから私の住んでいるガスケル家へゆくには、さして遠廻りでもなかった。淋しい街を一つ越えると、すぐそこはグレー街であった。
 私の第一の仕事は、いまのところ例の仏蘭西人の居所を突止める事であった。私はそれに就いて何一つ手掛りは持っていなかったが、唯一つベーカー街の彼女の家で彼の足下から拾ってきた新聞の文字だけが頼りであった。それには El 32という文字があったのをよく記憶している。ELを頭字にしたエリザベス街はそこからグレー街へゆく途中であった。
 私の訪ねあてた32番の家は表扉を緑色に塗った三階の煉瓦建であった。擦り空(へ)った石段の上に立った私は襟のつまった黒い服を着た老婦人に、仏蘭西人の事を訊ねると、
「ああ、貴郎の仰有るのはルゲナンシェさんの事ですか。あの方は久時私の許にいらっしゃいましたが、一週間前に議事堂の裏手のクインス旅館とかへお移りになりました。手紙が来たら受取っておいてくれ、土曜日に取りにくるからと仰有ってでした」といって老婦人は玄関の卓子に乗っていた一通の手紙を見せた。私の眼は手紙の表に記された、美しい女文字を見遁さなかった。
「この通り、手紙が待っているのですから、今日あたりお見えになるかも知れません」
 私はそれだけきくと、横飛びにクインス旅館へ馳付けた。
「ルグナンシェさんは居りますか」私は帳場で二三の男と立話をしている若い番頭に問いかけた。
「ルグナンシェさんなら、たった今、その辺にいたっけ。部屋は五階の65番ですよ」
 番頭はちらと私の方を見ただけで、すぐ向うをむいてしまった。
 丁度紅茶の時間であった。古い、疲労れたような、建築で凡てが重く煤けていたが、却ってそれ等が由緒ありげに見えた。人々が絶えず出たり、入ったりしている。玄関の外には数台の自動車が駐っていた。
 私は広間の食堂を、一通り見てきてから、昇降機にはよらずに根気よく五階へ上った。65番は二側目の廊下で、すぐ判った。ルグナンシェはいなかったがそのまま帰るのも何となく業腹だったので、四度目に最後のノックをしてから、把手を廻して扉を押すと、鍵がかかっていないで、思掛けなく内側に扉が開いた。
 私はそこまできて、本能的に鳥渡躊躇したけれども、何かを探り出そうとする本来の目的の為にのぼせていたせいか、次の瞬間には案外落着いた気持で、吸込まれるように部屋へ入った。
 確に例の仏蘭西人の部屋である。帽子掛にかかっている鼠色の中折帽子にも見覚えがある。私は一わたり部屋を見渡した後で、引手のついている化粧台の抽出しを立続けて開けると、襟飾(ネクタイ)の入っている箱の中に一葉の写真を見付けた。
「彼女の写真だ。いよいよ怪しいぞ」と私は心の中で叫んだ。それは数年前に撮った紛れもない彼女の写真だった。ナタールのダアバン市で撮ったもので、裏面に親愛なるマキシム嬢へ、モニカよりと記してあった。
「モニカ、モニカ、何という優しい名前であろう」私は初めて知った彼女の名前を繰返した。
 私がその部屋にとどまっていたのは非常に長い間のように感じたが、実はごく短時間であったかも知れない。そうしているうちに、私は他人の部屋にいる事が耐らなく不安になってきた。私は手にもった写真を幾度かポケットに入れようとしたが、思切って元の抽出しに投込んだまま、廊下へ飛出した。
 せかせかと呼吸をきって三階まで下りてくると、階段の湾曲(カーブ)のところで下から馳上ってくる絹擦れの音をきいて驚いて足を停めた。どうして婦人が昇降機によらずに裏階段を馳上ってくるのであろうと不思議に思った。それよりも、もっと驚いた事は夢にも忘れた事のない美しいモニカが、私の眼前に現われた事である。
「まア!」モニカの唇から微かに驚愕の叫びが洩れた。
「矢張り、僕を臆えていて下すったのですか」私はすっかりあがってしまって、しどろもどろにいった。
「いつぞやの事はどうぞお許し下さいませ。止むを得ない事情があって、あんな事になったのでございますから……貴郎はここへ何しにいらっしたのですの。何誰(どなた)かをお訪ねなのですか?」モニカは私の顔を覗込むようにして親しげにいった。
「貴女も御存知でいらっしゃいましょう。ルグナンシェという仏蘭西人を訪ねてきたのです」
「ルグナンシェ? 貴郎はどうしてあんな恐ろしい男を知ってらっしゃるのです。あの男がこの旅館にいるのですか?」モニカは顔色を変えた。
「知っている訳ではありませんけれども、あの男にはいろいろな疑惑をかけているのです。その一つは私の友人の絵が展覧会で盗まれたのです。事件の起った少し前に、あの男は私の友人のところへいって頻りに貴女の事を訊ねていました」
 モニカは絵の紛失した事に就ては、余り興味を持っていないと見えて、深くは訊ねなかったが、
「あの男がここにいるとは、ちっとも存知ませんでした。私どうしましょう。あんな男に会ったら大変でございます」モニカは後へ引返そうとした。
「いいえ、ルグナンシェは部屋におりません。随分待っていましたが、帰って来ませんでした」
「それはいい塩梅でした。あんな男には決してお会いにならない方がよろしゅうございます。兎に角、こんな危険なところは一刻も早く逃げましょう。私は上までいって昇降機で、真直に下りますから、貴郎は此方からお帰り遊ばせ。またいつか好い機会にお目にかかりましょう」モニカは軽く会釈をして階段を上っていってしまった。
 私はモニカの言葉ほど、ルグナンシェに対して恐怖も不安も持っていなかったが、彼女と恐怖を倶にしてここを逃出すという事は何か嬉しいような気がした。出来れば昇降機より早く階下へ馳け下りて、もう一度彼女と会う機会を作りたいと考えた。
 私は一気に階段の下へ着いて、前額に集ってくる汗を拭いながら、広間の方を見廻したが、私の眼に入ったのは美しいモニカの姿ではなくて、ひよら長いカクストン探偵であった。
 氏は私を見ると、すぐ手をあげて呼んだ。
「君も、ルグナンシェを怪しいと思っているのか。丁度いいところだ。吾々もあの男を張りに来ているのだが、ルグナンシェという男が果して柏君を訪ねてきた仏蘭西人かどうか見てくれ給え」
 私はカクストン氏がどうしてルグナンシェと私との関係を嗅出したのかと思って、悸(ぎょっ)としたが、柏云々という言葉で、多分柏からあの日の出来事だけを聞いたのであろうと思って、いくらか安堵した。
 私共はそこで、小一時間も見張していたが、竟(つい)にルグナンシェは姿を見せなかったので、五階の彼の部屋へいって見る事にした。私は無論その前に部屋へ入った事は、おくびにも出さずにカクストン氏の後に従った。
「畜生! 狐のような奴だ。既う嗅付けてしまった」先に立って入口の扉をあけたカクストン氏は吐棄てるように呟いた。主のない部屋は窓も箪笥の抽出も開放しになって、彼の所持品は悉く紛失(なくな)っていた。
「君は柏君の描いた婦人の絵を、特にルグナンシェが盗んだという推理をどう説明するね」
 カクストン氏は意味あり気にいった。私はそれを説明する理由を沢山持っていたが、
「さア……」と曖昧な応答をしておいた。
 私はそれから間もなく、カクストン氏に別れて、グレー街へ帰った。その街はいつものように寂しく睡っていた。どこの家も老人計りの棲家のように、窓に厚いカーテンを下している。敷石の上を照すのは、街灯の光だけである。
 ガスケル家の前には、見馴れぬ貨物自動車が一台並んでいた。
「何だろう!」私は急に歩調を早めた。
 貨物自動車には箱詰になった荷物や、トランクが満載してあった。もう一台の方には二人の男が暗闇の中で、黙々と荷物を積込んでいた。私は石段を馳上ってゆくと、玄関先に立っていた婆さんが、
「旦那様がこのお手紙を貴郎に遺していらっしゃいました。貴郎も早く御自分の荷物を出して下さい」といって、分厚な角封筒を渡した。
 ガスケル老人の手紙には簡単に――急に米国へ向け出発する事になった。お前の旅券及び乗船券等は既(すで)に用意してある。俺は一足先にリバプールへ赴く。出帆は明日午後三時半である。お前は明朝七時、秘密にソーホー街八十八番を訪ね、品物を受取り、直にユーストン駅よりリバプール港行の列車に乗れ――と認(したた)めてあった。そして小遣いとして思掛けぬ莫大な金が封入してあった。
 私は余り突然の事で、少し躊躇したが、最初ガスケル家に雇われる時の条件の一つに、いつ何時でも老人に随行して旅行するという事があったのを思出した。予々(かねがね)世界を旅行するという事は私の大きな希望であった。
 私にとってこんないい条件はない。然しながらこれ程の幸運に面しながら、私の心が浮立ないのは、恐らくモニカのことが頭脳の何処かに潜んでいたせいであろう。とはいえガスケル老人に従ってゆくという事は、私の生活である。性来なまけものの私は、この米国行を断って新に職を求むる為に努力する程の気力はなかった。
 私は自分の全財産を詰めた貧しい二個のトランクを運送屋に渡すと、先ずこの事を柏に告げる為に再び家を出た。私は絵画を失って悄気返っている柏に、自分だけのいい話をしにゆくのを、少し可哀相だと思っていたが、部屋へ入ると、柏は調子外れなヴィオリンを弾きながら、陽気に流行唄を歌っていた。
「おい、飯田! 今日は奢るぞ」柏は楽器を寝台の上へ投出して勢よくいった。
「どうした。絵が出てきたのか?」
「盗んだ奴が金を届けてくれたんだ。誰だか名前は判らないが、有難い事だ。千円あれば当分内職なんかせずに絵を描いて暮せる」私は柏の為に金が入った事を喜ぶと共に、不思議な買主の事を考えさせられた。どうせ金を払う位なら、何故危険を冒して会場から絵を持ち出したのであろう。柏は私の米国行をきいて、
「お互に幸運が向いてきたんだよ」と心から喜んでくれた。彼は私が不意に出発する事に就ても、自分の手許に何者からか金が送られた事に就ても、格別奇異に感じていないらしかった。尤もこの男は世の中の出来事を何一つ不思議がった験(ためし)はなかった。たとえ私が伯爵の嗣子(よつぎ)になったといっても怪まないであろう。私は夜が更けてから家へ帰って、ぐっすり寝込んでしまった。
 翌朝はいつになく早起きをしたので、窓に近い栗の木に黒鳥が笛のような声で囀っていた。扉の外にはまだ洗面の湯がきていなかったので、私は昨日の使い残りの水で顔を洗った。身仕度をして食堂へ下りていったが、食事の用意もしてなく、暖炉も焚いてなかった。その辺の様子を見ると、昨夜この家へ泊ったのは、どうも私ひとりらしい。
 出帆時間の事を考えると、愚図愚図しておられないので、すぐ附近のカフェへいって軽い朝食を摂取(と)った。丁度六時半である。それからソーホー街へ出掛ければいい時間である。煙草に火を点けて外へ出た私は、不意にカクストン氏に呼止められた。
「飯田さん、大変お早いですね。何処へ」
「鳥渡、柏のとこまで……」立入った事を問われて、私は少し不愉快を感じたが、秘密の要件を持っているので、口から出任せを答えた。
「それは丁度いい、私も柏君を訪ねるところだから、御一緒にゆきましょう」
 私は詰らない事をいったと思って悔んだが、今更どうする事も出来ず、時間を気にしながら、柏の家までついていった。私は先に立ったカクストン氏が階段に足をかけた時、
「煙草を買ってきますから」といい棄てて私は四辻まで後も見ずに走った。兎に角、ソーホー街と反対の方向に来ているので、非常に急がないと時間に後れてしまう。私はカクストン氏の思惑などを考慮(かんが)える暇がなかった。
 自動車がソーホー街の八十八番へ着いた時は、予定の七時を余程過ぎていた。案内を乞わないうちに、玄関の扉をあけて、支那服を着た老人が、引擦り込むように、私を屋内へ導いた。
「早く、早く、裏口から出なさい。表に厭な奴が見張っている」といって、屏風のような大きな荷物を渡した。地下室から裏庭へ出て、煉瓦塀に沿った小径をぬけるとそこは裏通りになっていた。私は通りかかったタクシーに乗ってユーストン駅へ急いだ。
 残念な事には、僅か数分の違いで七時半の汽車に乗り遅れてしまった。私は呆乎と待合室で次の列車を待った。間に合っても、間に合わなくても、兎に角港まで行って見ようと思ったのである。
 其日の夕方、汽車は遠い見知らぬ港へ私を運んでくれた。私の乗る筈であった米国行のダイアナ号は、一時間前に港を出てしまった。大荷物を抱えた私は、積重なった古船材の端に腰を下して、白っぽく光っている水平線を視詰めていた。遥に見える一条の煙は、恐らく私を取遺していったダイアナ号であろう。
 湿った潮風が、私の心を吹きぬけていった。私は米国行の機会を失ったのを悲しんでいるのではなかった。淋しい夕暮の港に佇(た)って、遠ざかってゆく汽船を見送る時に、誰もが味うような、核心のない侘しさを感じていたのである。その寂しさの奥に倫敦の紅い灯火が滲んでいた。そこにはモニカがいる。美しいモニカがいる。
 私は影のように停車場へ戻っていった。

        八

 一晩中、汽車に揺られ通して、翌朝倫敦へ着くと、恐ろしい霧の日が私を待っていた。私の懐中にはつつましくすれば二年間は暮せるだけの金があったが、衣類其他を全部ダイアナ号に積込んでしまったので、着のみ着のままであった。
 私は霧の中を彷徨い歩いて、ようやくグレー街のガスケル家に着いた。老人の落着先が判れば托された品を次の便船で送り届ける事が出来ると思ったからである。
 黄色い霧に鎖された家の窓には売家と書いた赤い札が貼ってあった。凡てが遠い遠い昔の出来事のように思われた。昨日まで、私の暮していた大きな建物は、私とは何の交渉もないように冷かに立っている。
 頭の上には光輝を失った太陽が、赤い提灯のように懸っていた。往来の人影も、車も、馬も、影絵のように動いていた。何も彼も嘘のようである。
 私は公園の鉄柵に沿って、柏の宿を訪ねた。
「君、米国行は止めにしたのか。その荷物は何だい」ようやく起きた計りの柏は、眼を擦りながらいった。私は昨日以来の出来事を語って、その荷物は二三日中にソーホー街八十八番の家へ返しにゆく積りだといい添えた。
「絵画のようだね。開けて見ようじゃあないか」柏は私の返事も待たずに荷物を解きにかかった。最後の包紙を脱(と)った時、
「おや!」私と柏は同音に叫んだ。私共二人の眼を驚かせたのは、展覧会で盗難に遭った「歓の泉」であった。
「何だ、この絵を盗ませたのはガスケル老人なのか。随分変り者だと聞いていたが、詰らない人騒がせをしたものだね」柏は失われた絵が無事に戻ってきたので、小供のように喜んだ。
「君、これは僕のだよ。ガスケル老人が取りにくる迄、僕が預って置く」私は思掛けずにモニカの肖像を手に入れたので再び彼女に邂逅(めぐりあ)う前兆のような気がして嬉しかった。

 私が再び日蔭の街の下宿へ戻ってから、二ヶ月余り経過(た)った。倫敦には春がきた。穏かな街にラベンダア売りの古風な呼声が聞えていた。
 其日も空しく歩き廻った私は、橋向うのバタミー公園を抜けて、監獄のあるB街の方へ歩いていった。場末らしい、塵埃ぽい街の角に、「世の終り」という看札を掲げた酒場があった。私は毎日のように斯うしてモニカを捜し歩いているのである。そしてとうとう「世の終り」まで来てしまったと思って、苦笑しながら、疲労れた足を引擦って中へ入っていった。
 私は肥満った亭主から受取った麦酒のコップをもって、隅の椅子に就くと、不意に肩を句(たた)いたものがあった。それはグレー街の附近でよく見掛けた、乞食の爺さんであったが、職業にでも就いたと見えて、ちゃんとした服装をしていた。
「お前さんは、籤を引き損こなったね」老人は私の傍へ腰を下した。
「何の籤です」私は老人の海の底のような、紫色の瞳を視つめながら問返した。
「運命の籤さ。あの日お前さんが時間に遅れた計りに、皆の嫌っていたルグナンシェがお前さんの代りに汽船へ乗ってしまった」
「皆というのは誰です」
「ガスケル老人と、モニカ嬢さ」
「ええ? モニカ? ハハハ……」私は声を挙げて笑った。失望して泣く訳にもゆかない。驚くのも間が抜けている。けれども私の胸には驚愕と失望と、悲哀とが錯綜していた。私の哄笑は、それ等の気持を憫む笑であった。
 老人は低声で語った。
「ガスケルさんとモニカ嬢が、急に米国行を思立ったのはルグナンシェから遁れる為であった。それだのに、運命という悪戯者はモニカ嬢とルグナンシェとを結婚させてしまった」
「そんな馬鹿な事はない。倫敦を出発ったのはルグナンシェを遁れる為だったのじゃあないか」
「だが、あの仏蘭西人はガスケル家の秘密を握っていた。今から二十年前に、濠洲のシドニーにガスケル兄弟商会という大きな雑穀商があった。或日ガスケル兄弟は商用で三十哩(マイル)計り離れた市へ出掛けていったが、その帰途に兄は進行中の列車から墜落して惨死してしまったのさ。ところがこれは過失でなくして弟が兄を突落したのであろうという事になって、法廷に持出される程の問題となったのだ」
「ではあのガスケル老人が兄殺しをしたのですか」
「無論、ガスケルさんは人殺しなんかしなかったが。証拠を立てる事が出来なかった。それというのは、前の晩自分だけ先に町へ帰ってきて、人目を忍んで嫂の許へいっていたからさ。詮り自分の証明を立てようとすれば、嫂の名誉を傷けるようになるからなのだ。いいかね。二人は兄の目を盗んでいた仲だったのだよ」
「その事件と、ルグナンシェはどういう関係があるのです」
「其頃店員であったルグナンシェは主人を救う為に、法廷で偽りの証言をしたのだ。ガスケルさんはそれで牢へ入らずに済んだが、その代りルグナンシェから、金を強請られていたのですよ。段々それが嵩じてきたので、嫂さんが死去(なくな)ると間もなく、モニカ嬢を連れて、南アフリカのナタールへ逃げていったのです。ルグナンシェはそれで始終ガスケルさんの後を追い廻していたのですよ。ストランドの露路で殺された男ですか、あれはルグナンシェの仲間で、お嬢様に夢中になっていたんですよ。つまり、ルグナンシェに取っては邪魔な奴なんです。俺は昔からガスケル家に大変お世話になったもので、もとからの乞食ではありませんよ。いろいろな悪い奴等が御主人やお嬢様を付狙(つけねら)っているから、ああやって戸外で見張っていたのです。あの時貴郎が時間に遅れずに波止場へ来て呉れたらよかったのだが、ルグナンシェの奴が嗅付けてやってきた為に、すっかり番狂わせになってしまいましたっけ」老人は語り終ると、泡の消えたスタウトを呑乾して、ふらふらと店を出ていった。
 ガスケル家に於ける私の十数日は、完全に夢となって消えてしまった。
 公園の青空で、太陽が過去った冬の日を笑っている。世はもう春である。誰も陰惨な霧の日のことなどを思出す者はない。
(「探偵文藝」一九二六年一、二、四月号)



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