舞馬
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:牧逸馬 

「そらね、二人が心中したというと直(す)ぐ怒る」
「てめえこそもすのこととなると嫌にしつこいじゃねえか。そのわけをあとで聞くからな、返答を考えとけ」
「わけも何もあるもんか。一つお釜のご飯を食べてた人が死んだんだから――それに、心中でもないものを心中だなんて!」
「こら! 口惜しいかよ、お八重」
「くやしかないさ。口惜しかないけど――おとっつぁんもあんまりじゃないか。死人に口なしだと思って――」
「だからよ、誰も心中だとは言い切ってやしねえ。心中のようなものかも知れないと――」
「ようなものもあるもんか。ふん! 自分が殺しといて」
「これ、お八重、何をいう?」
「おとっつぁんが殺したんだろう?」
「誰をよ?」
「もすさんをさ。火をつけたのもおとっつぁんだろう?」
「しょうのねえ女(やつ)だ」
「そら! もうそんな蒼い顔をしてる! ねえ、おとっつぁんが殺したんだ。ほかの人に聞けば、もすさんはあの晩纏いを持ってお湯屋の屋根へ上ってたってけど、梯子がまといを持って屋根へ上るわけはないじゃないか」
「やかましいっ! 纏持ちの源が手に怪我して――」
「うそをお言いでないよ、うそを。あたしはね、源さんにききましたよ。手に怪我をしたのは火事の最中で、最初(はな)行った時に、お前さんが源さんからまといを取って、もすさんに渡して、もすや、今夜おまえこれを持って俺と一しょに屋根へ来いって――」
「そうよ。そうすると、屋根へ火が抜けたんだ。なあ、見るてえと下におとめちゃんが燃えてる。いいか、よせってのに、もすの野郎が覗きこんでて動かねえから、もす、さあ来い、下りべえと俺が言った拍子に、あの水だ、滑りやがる――」
「へん! そこを一つ突いたんだろう」
「誰を?」
「もすさんをさ、滑るところを」
「何を言やがる! 助かるものなら助けてえって下の娘を覗いてやがるから、おれが――」
「突いたんだ。ついたんだ、やっばり突きおとしたんだ!」
「ばか言え!」
 峰吉は土いろをしていた。一生懸命だった。袴へ片足入れたまま、羽織の袖をひろげて茂助の滑る真似をして見せた。それは、いまにも泣きだしそうな不思議な顔だった。
「こうよ――いいか――こう滑って、足をはずして――こう廻ってな、な、こう――いいか、こう――」
「突き落したのかい」
「そうじゃねえってのに! ただこう右足が左足に絡んでよ――いいか、こう転がってよ――」
「もういいじゃないの。何だなえ、嫌だよ、へんな恰好をして――わかったっていうのに」
 お八重はとうとう笑い崩れた。きょとんとして、峰吉が首すじの汗をふいていると、いきなり御めんと障子があいて、巡査が顔を出した。
「あ! 旦那!」峰吉は尻もちをついた。
「何です、にぎやかですねえ。あ、これね、署長があんたへ渡すようにと――なに、表彰文だよ、校長さんに書いてもらったんでね、あんたが式で読むんだそうだ。や、では」
 巡査が行こうとすると、お八重が、「あの、旦那」
 と呼びとめた。峰吉はぎょっとして表彰文を読み出した。
「何だね」
「いえ、あの、お世話さまでございました」
 巡査が立ち去ると、あとは峰吉の大声だった。
「消防組梯子係り故石川茂助君は、資性温順(しせいおんじゅん)にして――資性温順にして、か、何だこりゃあ――職に忠、ええと、職に忠――忠、忠、と――」
 ちゅう、ちゅうが可笑しいといってお八重は腹を抱えた。で、峰吉は、汗と涙で濡れた顔を、出来るだけ「滑稽」に歪めて、黒子(ほくろ)の毛を引っぱりながら、いつまでもちゅうちゅうちゅうちゅうとつづけていた。
(〈新青年〉昭和二年十月号発表)



ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:16 KB

担当:undef