女肉を料理する男
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著者名:牧逸馬 

 年齢三十歳前後、身長約五フィート七インチ、肩幅広く、身件全体が四角い感じを与える。浅黒い皮膚。綺麗(きれい)に鬚(ひげ)を剃って、敏捷(びんしょう)な顔つきをしていた。長い黒の外套(がいとう)に、焦茶色(こげちゃいろ)フェルト帽、きびきびした早口だった。
 そのきびきびした横柄(おうへい)な早口で、エリザベスの同伴者は、窓のむこうから言った。
「おい。そこの葡萄(ぶどう)を半ポンドくれ。三ペンスだな。」
 物価の安かったころである。

        3

 半ポンドの葡萄(ぶどう)を紙袋に入れて、パッカアが差し出すと、のっぽのリッツ――エリザベス・ストライド――が、受け取った。夫婦か恋人のように、男がエリザベスの腕を取って、二人は付近の社会党倶楽部(くらぶ)の方角へ歩き去った。この界隈(かいわい)で有名な、そして自分もよく知っている売春婦が、こうしてどこからか見慣れぬ男を引っ張ってきて、これからそこらの露地(ろじ)の暗い隅へでも隠れようとしているのだから、パッカアがいくぶん下品な興味をもってこの二人の背後を見送ったであろうことは想像し得る。この辺の下層売春婦の客は、多く隣接工業地帯からの若い労働者か、テムズの諸船渠(ドック)に停泊中の船員なのだが、パッカアはその男を、そういう部類の筋肉労働者のいずれとも釈(と)らなかった。カマアシャル街(ロウド)あたりの店員か下級事務員どころと踏んだ。彼らがパッカア果物店前のバアナア街をまっすぐに進んで、社会党倶楽部(くらぶ)――正式には、同党イースト・エンド支部会館の看板をあげていた――の在る一構内に消えてから、二十分たつかたたないうちに、その会館の窓下の中庭で、このエリザベスが惨屍(し)体となって発見されたのである。酸鼻(さんび)惨虐をきわめた屍体のかたわらに、パッカアが葡萄(ぶどう)を入れて売った紙袋と、葡萄の種と皮とが散乱していた。被害者は葡萄(ぶどう)を食べながら犯人と談笑して、その商取引を終るやいなや、ただちに「斬り裂くジャック」の狂刃の下に、名の示すごとく、両脚の間を腹部まで「斬り裂」かれたものであることが容易に推測される。この屍体も、他のすべてのリッパア事件の被害者と同じく、股間に加えられた加害状態とその暴虐は、文明人の思及(しきゅう)だも許されない怖愕(テロリズム)の極点に達して、犯人が手を使用して引き出したらしい腹部の内部諸器官が、鮮血の溜(たま)りと一緒に極彩色(ごくさいしき)の画面のように、両大腿(だいたい)部に挟(はさ)まれて屍体の膝のあたりまで真赤に流出していた。そしてそれらを玩弄(がんろう)した痕跡歴然たるものがあり、のみならず、子宮だけがたくみに摘出(てきしゅつ)して持ち去ってあったことなど、これらはすべて前回に記述したとおりである。現場は同じバアナア街で、四四番のパッカア果実店からは、石を投げて届く距離にある、人鬼ジャックがじつに野獣的に、非常識にまで豪胆(ごうたん)であり、いかに無人の境を往(ゆ)くような猛暴を逞(たくまし)うしたかは、この、犯行の場所を選ぶ場合の彼の病的な無関心だけでも、遺憾(いかん)なく窺(うかが)われよう。ただこの九月三十日の夜、パッカア方へ葡萄(ぶどう)を買いに立ち寄ったエリザベス・ストライドの同伴者こそは、警視庁をはじめ全ロンドンが、爪を抜きとった指で石を掘りさげても発見したいと、日夜焦慮(しょうりょ)していた殺人鬼その人であったことは、なんら疑念の余地がないのである。
 本事件は、今日にいたるまで警察当局と犯罪学者とに幾多の研究資料を呈与(ていよ)しているいわゆる「迷宮入り」である。したがって普通の探偵物もしくは犯罪実話のごとく、「いかにして犯人が逮捕されたか」にその興味の重心を置くものではなく、逆に、「どうして逮捕されなかったか」がその物語の中点なのだ。
 前回にもたびたび詳言(しょうげん)したように、比較的小範囲の地域に、古来チイム・ワークにかけては無比の称あるロンドン警視庁(スカットランド・ヤアド)が、その刑事探偵の一騎当千(いっきとうせん)をすぐって、密林のように張りわたした警戒網である。それを随時随所に突破して、この幻怪な犯罪は当局を愚弄(ぐろう)するように連続的に行なわれるのだ。しかも犯人は、不敵にも堂々と宣戦布告(ふこく)的な態度を持続している。おまけに、続出する被害者の身分まで厳正に一定され、いままた、こうして犯人の顔を実見(じっけん)した者さえ出てきたにかかわらず、ついに捕縛(ほばく)の日を見ることなくして終ったのだ。警視庁の手配が万善(ばんぜん)を期したものであったことはいうまでもない。事実、当時のロンドン警視庁は、かの大ブラウンやフォルスタア氏をはじめ錚々(そうそう)たる腕利(き)きがそろっていて、空前絶後といってもいい一つの黄金時代だったのである。しからば犯人ジャックが、それほど遁走(とんそう)潜行に妙を得た超人間であったかというに、事実は正反対で、ただかれは、一個偉大なずぶの素人(しろうと)にすぎなかった。そして、その素人素人(しろうとしろうと)した粗削(あらけず)りな遣(や)り口こそ、かえってその筋の苦労人の手足を封じ込めた最大の真因(しんいん)だった観がある。が、実際は、こうなるとすべてが運であり、一に機会の問題である。この場合は、その運と機会が、不合理にもしじゅう反対側に微笑(ほほえ)み続けたのであった。
 こうしてバアナア街の被害者エリザベス・ストライドは、不慮(ふりょ)の死の二十分前に、無意識に犯人の顔を、パッカアという一人の人間に見せたという重要な役目を果したのだが、そのためにこのパッカアがあとでさんざん猛烈な非難を一身に浴びなければならないことが起こった。
 が、これは、パッカアにも攻撃されて仕方のない理由と責任がある。
 十月二日というから、バアナア街事件のあった九月三十日土曜日の夜からわずかに二日しか経過していない。月曜日のことだ。
 正午近くだった。パッカアは、ふたたび先夜の男が自分の果物店の前を通行しつつあるのを認めたのだ。
 白昼である。自分の証言が口火となって、その男こそ「斬り裂くジャック」に相違ないといっそう騒然と大緊張をきたしている最中だ。ことに、あれほど彼の網膜に灼(や)きついた映像に見誤りがあるはずはない。なによりもその「異様に長い黒の外套(がいとう)」が眼印(めじる)しとなって、パッカアは一眼でそれと判別した。今度は、正午にまもないころだったと自分でも言っている。バアナア街は細民(さいみん)区のイースト・エンドでもちょっとした商店街の形態を備えていて、古風な狭い往来に織るような人通りが溢(あふ)れている。ふたたび言う。白昼である。パッカアもなにも怖がることはないはずだ。なぜ彼は、男を見かけると同時に店を走り出て、大声をあげて近隣の者や通行人の助力を求め、とにかくその男を包囲しておいて警官の出張を待たなかったか――つぎは、この点に関して、パッカアが係官の前で陳述している彼自身の言葉だ。
「私は、客のない時は、切符売場式の店の窓口からボンヤリ戸外の雑沓(ざっとう)を眺めているのが常です。すると、早目に昼飯(ランチ)に出た近所の売子などが、笑いさざめいて通っていましたから、かれこれ十二時でしたろう。ふと見ると、あの男が、この間の晩と同じ服装で店のすぐ前の舗道に差しかかっている。彼奴(きゃつ)が『斬裂人(リッパア)のジャック』であることは各新聞も指摘し、近所の者もみなそう言いあい、私も確信していた際ですから、私は、通行の群集に混って歩いているその男を見かけると同時に、あ! あいつだ! と思いました。先方も私を覚えていたらしく、ちらとこちらを見ましたが気のせいか、それは何事か脅すような、じつに気味の悪い眼つきでした。正直に申しますと、私ははっと不意を打たれて、意気地がないようですが、あまりびっくりしてどうにも足が動きませんでした。その上、ちょうどその時私のほかに店に人がいなかったものですから、即座に店を空けて飛び出すわけにもゆかず、その間にも奴は足早に通り過ぎて行きます。気が気でありません。で、私は、すぐ後から店の前を通りかかった靴磨きの子供を低声に呼び込んで、何も言わず、ただ静かにその男の後を尾(つ)けてどこの家へはいるかそっと見届けるようにと耳打ちしました。が、その男が振り返ったのです。そして私が、自分の方を見ながら熱心に靴磨きに囁(ささや)いているのを見ると、突然彼奴(きゃつ)は鉄砲玉のように駈け出して、ちょうどそこへ疾走して来た電車へ飛び乗ってしまいました。私は夢が覚めたように初めて気がついて、店から転がり出て大声に騒ぎ立てましたが、その時はもう電車は男を乗せたまま遠く町のむこうに消え去っていたのです。まことに残念でなんとも申しわけありませんがこれが事実であります。その男が一昨日の晩私が葡萄(ぶどう)を売った客と同一人であることは断じてまちがいありませぬ。」
 ようするにパッカアは、白昼、平明な日光と普通の街上群集の中で見たがゆえに、いっそうこの人鬼にたいして、瞬間いいようのない絶大な恐怖を抱いたのである。このことは自分でも「正直のところあまりびっくりしてどうにも足が動かなかった[#「なかった」は底本では「なった」と誤植]」と告白しているとおり、この一種形容できない白昼の驚怖感が、刹那(せつな)彼の神経を萎縮(いしゅく)させて、とっさの判断、敏速機宜(きぎ)の行動等をいっさい剥奪(はくだつ)し、呆然として彼をいわゆる不動金縛(かなしば)りの状態に、一時佇立(ちょうりつ)せしめたのだと省察することができる。これは十分の理解と同情を寄せうる心理で、なにも格別パッカアが臆病な男だったという証拠にはならないが、それにしても、つぎに「ちょうどその時店に自分のほか、人がいなかった」ため「店をあけて飛び出すわけにもゆかなかった」というのは、事態の逼迫(ひっぱく)を認識せず、物の軽重を穿(は)きちがえた、横着(おうちゃく)とまではいかなくとも、いささか自己中心にすぎて、かなり滑稽(こっけい)な弁辞であると断ぜざるを得ない。ロンドン中が「斬り裂くジャック」の就縛(しゅうばく)を熱望して爪立ちしていることは、パッカアはもっとも熟知していたはずの一人である。しかも彼は、九月三十日以来、犯人の顔を見た地上ゆいいつの人間として、全英の新聞と話題の大立物(おおだてもの)になっていた矢先だ。その手前もある。不意のことで、愕(おどろ)いたのは当然としても、もう少しそこになんとか気のきいた応急策の施(ほどこ)しようがあったはずだと、刑事達をはじめ公衆は切歯扼腕(せっしやくわん)して口惜しがったが、やがでその憤懣(ふんまん)は非難に変わって、翕然(きゅうぜん)とパッカアの上に集まった。無理もないが、なかには口惜しさのあまりひどいことを言いふらすやつが出て来て、パッカアは「ジャック」の共犯者である。だから故意に逃がしたのか、さもなければ、思うところあって、初めからでたらめを言っているのだことの、いや、じつはパッカアこそはジャックその人に相違ないことのと、とんでもない噂(うわさ)までまことしやかに拡がったりした。とにかく、これによってパッカアは、それほど有力な容疑者――というより百パーセントに確定的な犯人――の身柄に偶然接近しえた、最初の、そしておそらくは最後の絶好機会を恵まれていながら、その怯儒(きょうだ)と愚鈍からみすみすそれを逸(いっ)し去ったのは、すくなくともこの場合、当然身を挺(てい)して警察と公安を援助すべき公共的義務精神の熱意と果敢さにおいて、いくぶん欠除するところあるをいなめない、つまりあまり望ましくない市民だというので、なにしろイギリスのことだからいろいろとやかましい議論がおこり、可哀そうに、果物屋の主人公はこのところすっかり男をさげてしまった。が、結局、あとからはなにを言ってもはじまらない。これらパッカアの失態にたいする叱責(しっせき)のすべては、いわば溢(あふ)れた牛乳の上に追加された無用の涙にしかすぎなかった。機会は、それが絶好のものであればあるほど、去る時は遠心的に遠く去るものである。そして、多くの場合、ふたたび返ってはこない。「電車が犯人を乗せて町のむこうに消えました」とはうまいことを言った。この騒動中の騒動に頓着なく、犯行はその後も依然として間歇(かんけつ)的に頻発(ひんぱつ)したが、犯人そのものの影は、その時消え去って以来、いまだに消えたまんまなのだ。
 はじめての驚天(きょうてん)的犯罪の目的は子宮の蒐集(しゅうしゅう)にあるという説が有力だった。それも、迷信や宗教上の偏執(へんしつ)に発しているものではなく、それかといって、たんに特殊の集物狂(コレクトマニア)の現象でもない。立派に営利を目的とする一つの冷静な企業行為だというのだ。子宮を取って売る。子宮は売れるのである。肝臓や、子宮、脳漿(のうしょう)が、ある方面にたいして商品としての価額を持っているとは、驚くべきことだが、事実である。しかし、この、「長い黒の外套(がいとう)」を着て闇黒(あんこく)に棲(す)む妖怪は、心願(しんがん)のようにその兇刃(きょうじん)を街路の売春婦にのみ限定して揮(ふる)ったのだ。子宮を奪うためならなにも売春婦にかぎったわけではなく、普通の婦人のほうがより健康な、より清潔な子宮をもっていて、商品としての目的にも適したはずだから、この子宮売買説は、「斬り裂くジャック」の場合当てはまらないといわなければならない。もっとも、未知の女に接近してこれを殺し、子宮を奪うためには、この種の女が一番早道だから、それで自然、とくに売春婦を選んだような観を呈(てい)したのだといえば、一応説明にならないことはないが、ジャックは、ただ相手の娼婦を殺しただけでは満足せず、あたかも報復の念迸溢(ほういつ)して一寸刻(いっすんきざ)みにしなければあきたらないかのように、生の去ったのちの肉塊にさえ、その情欲の赴(おもむ)[#ルビの「おもむ」は底本では「おも」]くままに歓(かん)を尽してひそかに快を行(や)っているのだ。ことに前掲ドルセット街ミラア・コウトの自宅で惨殺されたケリイ一名ワッツの死屍(し)のごときは、ほかのすべての犯行が戸外で行なわれたのと異なり、これは被害者の寝室が現場だったので、怪物が、長く悠々と居残ってその変態癖を遺憾(いかん)なく満喫し、「血の饗宴(きょうえん)」を楽しむだけの時間と四壁を持ったせいか、胸部腹部はなんら人体の原型をとどめておらず、室内は、まるで屠(と)殺場の腑分(ふわけ)室のような光景を呈していた。事実、この事件は、全犯行を通じて白熱的に最悪のものだったが、報知を受け取って踏み込んだ警官の一行は、その予想外に酸鼻(さんび)な場面と、鬱積(うっせき)する異臭にとつじょ直面したため、思わずみんな一個所にかたまって嘔吐(おうと)したという。この言語道断な狼籍(ろうぜき)、徹底した無神経ぶりは、当時の新聞をして「恐怖の満点」と叫ばしめ、「人性の完全な蹂躙(じゅうりん)」と唖然(あぜん)たらしめている。
 こうなると、もうこれは、自由自在に出没横行(おうこう)する悪鬼(デイモン)の仕業(しわざ)だと人々は言いあった。じっさい、これに匹敵(ひってき)する残虐な犯例は、世界犯罪史をつうじてちょっと類を求めがたいのだが、なかんずくここに留意(りゅうい)すべきことは、前々からいうとおり、この犯人はホワイトチャペル付近の売春婦だけを殺したという一事である。これこそ、この犯罪の動機を暗示する重要な特異性ではないだろうか。そこに、彼の「言葉」といったようなものを読み取ることはできないだろうか。じつに犯人ジャックは、この特徴ある犯行をもって一つの意思を発表し、世間に話しかけたのだ。
 かれの行為は、何事か大声に主張している。この「何事」を検討するところに、全リッパア事件の謎を解く合鍵語(キイ・ワアド)が潜(ひそ)んでいると思う。とにかく、「ジャック・ゼ・リッパア」なる人物は、なにかの理由から、イースト・エンドの売春婦をひいてはロンドン全体を、その人心を、社会を、震撼(しんかん)し戦慄(せんりつ)させるのが目的だったに相違ない。
 初冬のロンドンには、煤煙(ばいえん)を交えた霧の日がしきりにつづく。
 明けても暮れても、人は斬裂人(リッパア)の噂で持ちきりだった。
 すると、話はちょっと後退するが、バアナア街事件のあった翌早朝のことだ。

        4

 刑事部捜査課員を総動員して、フォルスタア氏が率いて現場に出張したあと、連絡を取るために、大ブラウンが留守師団長格で警視庁に居残っていたところへ、若い女があわただしく飛び込んできた。
 ブラウン氏は、現場のフォルスタア氏から刻々かかってくる報告電話を受理するのに忙しかったが、女がなにかリッパア事件に関することを言いにきたと聞いて、ただちに私室へ招じ入れて面接した。
 エセル・ライオンスといって、その服装態度からブラウンが一眼で鑑別したとおり、彼女はイースト・エンドを縄張りにする辻君(つじぎみ)の一人だった。ひどく昂奮していて、ブラウン氏を見ると、「何年ぶりかに父親にでも会ったように」いきなり抱きつこうとした。ブラウン氏は、職掌柄(しょくしょうがら)こういう激情的な巷(ちまた)の女を扱い慣れているので、すぐに得意の下町調(カクネイ)でくだけて出ながら、ライオンスの口からその話というのを引き出した。
 ことわっておくが、前夜犯人を見たというパッカアの証言は、このときすでに、バアナア街に行っているフォルスタアからの電話で、ブラウンには委細(いさい)つうじていたが、朝早くだから、まだ新聞に発表されない前で、一般にはなんら知れていなかったのだ。
 このことを頭に置いて、ライオンスの言うところを聞くと、こうである。
 昨夜また、バアナア街に斬裂人(リッパア)が現われたと聞いて、ライオンスは思い切って自分の経験を述べに出頭したのだが、それによると、彼女は大変な命拾いをしている。
 数日前の深夜、例によって相手を探してホワイトチャペルのピンチン街を歩いていると、むこうから来かかった一人の男が、知り合いらしく帽子に手をかけて挨拶した。これは、男のほうから街上の売春婦を呼びとめる場合の、一つのカムフラアジュ的常法である。ピンチン街は、ユダヤ人の小商人の住宅などが並んでいて、入口が円門(アウチ)のようになっている家が多い。このころのロンドンだからあいかわらず霧がかかってはいたが、霧の奥に月のある晩だったので、二人は、その一つのアウチの下に人目を避けて立話しした。
「どこか君の知ってる静かなところへ伴(つ)れてってくれないか。」
 男はこう言ったという。言いながらズボンのポケットを揺すぶって、金を鳴らして聞かせた。このとおり金を持っているというのだ。
 ここでライオンスは、この男の語調には多分のアメリカ訛(なま)りがあったと証言している。各国人を相手にする売笑婦の言だから、この点は比較的信をおけるはずだが、ライオンスは、たしかにその男は「アメリカ人か、さもなければ長くアメリカにいたことのある者」に相違ないと、ブラウン氏の前で断言した。
 そして、その交渉を進めている間も、男は、人のくるのを恐れるように、絶えず首を動かして往来の左右に眼を配っていた。リツパア事件で、この辺の売春婦は顫(ふる)えあがっている最中である。ほんとなら、ライオンスもこうして夜更(ふ)けの危険に身を曝(さら)さずに家を引っ込んでいたいのだが、それでは稼業があがったりだからこわごわ出て来たのだ。しかし、いまその相手の様子を見ているうちに、第六感とでもいうべきものが、しきりにライオンスに警告を発し出した。で、なおも注意すると、男は、人が通るとかならず暗い方を向いて、顔を見られない用心を忘れない。「ジャック」を思いあわせて加速度的恐怖にとらわれたライオンスが、なんとか口実を作って同行をことわろうと考えをめぐらしているところへ、運よく知りあいの同業の女が三人伴(づ)れで通りかかった。ライオンスは逃げるように男を離れて、その群に加わって立ち去ったというのだ。
 ブラウン氏は、パッカアの見た人相を隠しておいて、どんな男だったとライオンスに訊(き)いてみた。
「当方にもいろいろわかっているが、五十ぐらいの、背の高い、痩(や)せた男だろう? 鬚(ひげ)のある――。」
 女の心証をたしかめるために、わざと反対に鎌(かま)をかけた。「いいえ。三十そこそこの若い人です。身長は普通で、痩せてはいません。がっしりした身体つきでした。いいえ、鬚(ひげ)はありません。」
 パッカアの証言と一致するものがある。
「外套(がいとう)は着ていなかったろうな。」
「着ていました。変に裾(すそ)の長い、黒い外套でした。」
 ブラウン氏は心中に雀躍(こおど)りした。この時から、「長い黒の外套」が秘かに捜査の焦点となったのだが、この「外套(がいとう)」は、ライオンスによれば米国訛(なま)りの口を利(き)くという。
 あのドルセット街の陋屋(ろうおく)におけるケリイ別名ワッツ殺しの場合のような徹底した狂暴ぶりは、野獣か狂者でないかぎり、いかに残忍な、無神経な、血に餓えた人間であっても、人の皮を被(かぶ)っている以上とうてい示し得ないところと思考される。ここにおいて「斬り裂くジャック」は精神病者に相違ないとの見込みが、まず必然的に立てられたのだった。すなわち、病院か家庭の檻禁室を逃亡した狂人か、さもなければ、全快という誤診の下に退院を許された者、もしくは、じっさい一時全快して医者を離れ、その後再発したものの所業(しょぎょう)であろうというのだ。これはじつに、都会に猛獣が放たれているような、戦慄(せんりつ)すべき想像だが、こういう、早まって退院を許された狂人の犯罪は、その例に乏(とぼ)しくない。が、これはようするに素人(しろうと)の臆測で、最初のリッパア事件突発と同時に、警察は早くもこの点に着眼し、全英はもちろん、広く欧州大陸から南米にまで照会の電報を飛ばして、精神病院の有無(うむ)、退院した狂暴性患者のその後の動静などを集めたのだったが、その後たった一つ前回に掲げたモスコーからの通知があっただけで、なんらめぼしい手がかりは獲(え)られなかったのである。といって、日夜種々雑多な人間が、満潮時の大河口のように渦を巻き、流れを争う世界最大の貧民窟だ。正確な人口すらわかっていないのだから、いつどんな「猛獣」が潜行してきていないとはかぎらない。しかし、「斬裂人(リッパア)ジャック」が狂人だったとしたら、この犯罪はもっと気まぐれであり、より非組織的でなければならない。それは、すこしでも精神異常者なら、たとえ犯跡は巧妙に晦(くら)ましても、なにかのことでいつかは尻尾を掴(つか)ませるはずである。もちろん一口に精神病といっても、幾多の類型と階梯(かいてい)があるが、種々な場合に現われた事実を総合すると、どうもこのジャックは、狂人どころか普通人、あるいはそれ以上の明識(レイション)あるものとしか思えないのだ。またかりに精神病者としても、彼はたくみにその病的特徴を隠していて、学術的に、はたしていかなる種類と程度の患者と認めていいのか、この点については専門家の意見が区々に別れて、ついに纏(まと)まるところを知らなかった。変態性欲者ちゅうの一種の色情倒錯(しきじょうとうさく)狂でかつ癲癇性激怒(てんかんせいげきど)の発作を併有(へいゆう)するものに相違ないと、一部の権威ある犯罪学者によって主張され、動機の説明としてはもっぱらこの説が行なわれた。精神病理学者として令名あるフォウブス・ウィンスロウ博士は、往訪の新聞記者ガイ・ロウガン氏に語って、この殺人者は、個々のエロティックな発作的狂乱の場合以外、平常はごく普通の、穏厚な一市民であろうとの意見を述べている。
「彼は、一つの犯行をすまして帰宅して、朝になって、その一時的激情から覚めると、自分が前夜なにをしたか、すこしも記憶していないに相違ない。」
 ウィンスロウ博士はこう言った。
 が、いくら著名な専門家の言でも、事実から見て、これはすくなからず変だと言わなければならない。なるほど、犯人は一事狂者(モノマニアック)で、ある一つの迷執(めいしゅう)に駆られてこの犯行を重ねているということは肯定しうるが、しかし、ウィンスロウ博士が想定しているような、意力の加わらない、いわば夢遊病者のごとき発作的錯乱者が、明白なる殺人の目的の下に、兇器を隠し持って夜の巷(ちまた)をさまようだろうか。事実は、そればかりでなく、「ジャック」の行動のすべては、彼の犯罪が初めから緻密(ちみつ)な計画になるものであることをあますところなく明示している。前回にあげたセントラル・ニュース社に舞い込んだ、人血で書かれた“Jack the Ripper”の署名ある葉書と手紙を、何者かの悪戯(いたずら)でなくたしかに犯人の書いたものと認めれば――実際また、事件が進むにしたがいこの通信は真犯人から出たものと信ぜざるを得ない状勢になってきていた。それほど、そこに書かれた彼の「宣言」は着々忠実な履行(りこう)に移されて現われてきたから――彼は、自分の求める売春婦の犠牲者を何街で発見することができるかその的確な「穴(スパット)」を知り、現実にいかにして接近するかその「商売の約束」につうじ、しかも、犯行ごとにあれほどみごとに警戒線を潜って消えうせているのだ。ここでふたたび問題になるのが、例の彼の「長い黒の外套(がいとう)」である。リッパア事件は、鮮血の颱風(たいふう)のようにイースト・エンドを中心にロンドン全市を席捲(せっけん)した。ジャックは、魔法の外套を着た通り魔のように、暗黒から暗黒へと露地横町(ろじよこちょう)を縫ってその跳躍を擅(ほしいまま)にした。彼の去就(きょしゅう)の前には、さすがのロンドン警視庁も全然無力の観さえあった。こうなると、もうこれは、人事を超越した自然現象のように思われて、初めのうちこそ恐怖に戦(おのの)いてその筋の鞭撻を怠らなかったロンドン市民も、日を経(へ)るにしたがって慣れっこになり、他人事のように感じだし、そこはユウモア好きな英国人のことだから、いつしか新聞雑誌の漫画漫文に、寄席のレヴュウに舞踏会の仮装に、このジャック・ゼ・リッパアが大もて大流行という呑気至極(のんきしごく)な奇観を呈するにいたった。するとまた、この人獣をこういうふうに人気の焦点に祭り上げるのは風教(ふうきょう)に大害あり、第一、不謹慎きわまるとあって反対運動がおこるやら、とにかく、肝心の犯罪捜査を外れた傍(わき)道に種々の挿話を生んだものだが、この、漫画に出てくる「ジャック」、舞台や仮装舞踏会の彼の扮装(ふんそう)は、かならずその、あまりにも有名な「長い黒の外套(がいとう)」を着ることにきまっていた。それほど、この犯人とは切り離すことのできない外套である。彼はこれを、犯行の際はいちじ脱いでかたわらへ置き、「手術」をすますと同時に血だらけの着衣の上からこの外套を着て、それで血を隠し、行人の注意を逃れて平然と往来を歩いて帰宅したものであろうと想像するにかたくない。さもなくて、血を浴びたままの姿でたとえ深夜にしろ、どんな短距離にしろ、道中のできるわけがないからである。そして、この目的のためには、それはたしかに「黒く」かつ「長い」ほうが便利だったに相違ない。イースト・エンドは眠らない町である。男を探す夜鷹(よたか)と、夜鷹をさがす男とが夜もすがらの通行人だ。場末とはいえ、けっして淋(さび)しい個所ではない。それにその時は、毎夜戒厳令(かいげんれい)のような大規模の非常線が張りつめられて、連中の捜査に疲れた警官も倦(う)まず撓(たゆ)まず必死の努力を継続した。不審訊問はだれかれの差別なく投げられた。些少(さしょう)でも疑わしい者は容赦なく拘引(こういん)された。その網に引っかかっただけでも、おびただしい人数といわれている。しかるに、その間を、たったいま人を殺し、屍体を苛(さいな)み、生血と遊んで、全身絵具箱から這い出したようになっているはずの男だけが、この密網の目を洩れてただの一度も誰何(すいか)されなかったのだ。否、誰何されたかもしれないが、追及すべく十分怪しいと白眼(にら)まれなかったのだ。この点が、そしてこの一点が、全リッパア事件の神秘の王冠といわれている。前後をつうじて数千数百の人間が、街上に停止を命じられ凍烈な質問を浴びせられ、身分証明を求められ、即刻身体検査を受けているのに――眼ざすただ一人の人間だけついにこの法の触手にふれることなくして終ったとは、なんという皮肉であろう!

        5

「斬裂人(リッパア)のジャック」は、何かのことでホワイトチャペル界隈(かいわい)の売春婦全部を呪い、相手選ばずその鏖殺(ほうさつ)を企てたのだというのが、いま一般に信じられているジャックの目的である。憎悪と怨恨(えんこん)に燃えて、その復讐欲を満たすために、かれはあれほど血に飽きるところを知らなかったというのだ。その根本の原因は何か! いまとなってはただ、そこにたんなる推定が許されるにすぎない。ジャックは、この付近の売春婦から悪性の梅毒でも感染し、それが彼の人生を泥土(でいど)に突き入れたのであろう。すくなくとも、彼はそう感じて、その自暴自棄(じぼうじき)の憤怒(ふんぬ)――かなり不合理な――が彼を駆って盲目的に、そして猪進(ちょしん)的に執念(しゅうねん)の刃を揮(ふる)わせ、この酷薄な報復手段を採(と)らしめたに相違あるまい。病毒の媒体としてもっとも恐るべきイースト・エンドの哀れな娼婦の一人が、肉体的に、また精神的に、ジャックの一生をめちゃくちゃにしたのだ。悪疾に侵されたかれの頭脳において、一人の罪は全般が背負うべきものという不当の論理が、ごく当然に醗酵(はっこう)し生長したかもしれない。
 その間も、ロンドン警視庁へは海外からの情報がしっきりなしに達していた。
 このすこし以前、北米テキサス州で、冬から早春にかけて、リッパア事件に酷似(こくじ)した犯罪が連続的に行なわれたことがあった。もっとも、ロンドンのほど野性に徹した犯行ではなかったが、同じような性器の解剖が屍(し)体に加えてあった。この被害者は、限定的に、同地方に特有の黒人の売笑婦だった。
 犯人は外国生れの若いユダヤ人であるといわれていたが、もちろん自余(じよ)のことはいっさい不明で、やはり捕まっていない。ロンドンでリッパア事件が高潮に達した時、テキサス州の有力新聞アトランタ・カンステチュウション紙は、この黒婦虐殺事件の顛末(てんまつ)を細大掲げて両者の相似点を指摘し、ジャック・ゼ・リッパアは、このテキサスの犯人が渡英して再活躍を始めたに相違ないと論じたが、その当否はとにかく、ロンドンでリッパア騒動が終塞(しゅうそく)するとまもなく、その翌年の初夏、同じような悪鬼的横行(おうこう)が今度はマナガ市の心胆(しんたん)を寒からしめている。
 マナガ市は、中央アメリカニカラガ共和国の首府である。同市に事件が発生すると同時に、ロンドン警視庁はさっそく同市警察に照会して該事件に関する委細(いさい)の報告を受け取ったが、それによると、書類の上では、犯罪の状況、生殖器の「斬り裂」き方、犯人をめぐる神秘の密度など、すべて「斬裂人(リッパア)ジャック」の手口と付節を合するがごときものがあって、ここに当然、ジャックはロンドンにおける最後の犯行後、大西洋を渡って中米に現われたのだという説を生じた。これは一見付会(ふかい)の観あるが、再考すればおおいにありそうなことである。はたしてニカラガの犯人がロンドンの屠(と)殺者ジャックであったかどうか――それは、ニカラガでも犯人は捕まっていないのだから、肯定するも否定するも、ようするに純粋の想像を一歩も出ない。犯罪もこうまで不思議性を帯びてくると、そこにいろんな無稽(むけい)の挿話が付随してくるのは当然で、ことに、犯罪者には、いよいよとなると自己を英雄化して飾ろうとする妙な共通心理があるものとみえる。それから当分、ほかの事件で死刑になるやつがきまって公式のように「この自分こそジャックである」と大見得の告白をするのが続出して、当局を悩ました。はじめのうちは公衆も沸いたが、われもわれもとぞくぞく流行のように、そう何人も自称ジャックが現われるに及んで、またかともうだれも真面目に相手にしなくなっている。
 ただ、テキサス犯人の若いユダヤ人がジャックではなかったかという説だけは、いまだにリッパア事件の研究者の間にそうとう重く見られている。ライオンスも、その夜の男の言葉に米国訛(なま)りを感得したと主張しているし、あの、セントラル・ニュース社へ宛(あ)てた手紙と葉書の冒頭語、Dear Boss なる文句は、明白にアメリカの俗語で、英国では絶対に使わないといっていい。が、例のパッカアだけは、葡萄(ぶどう)を売った客の言語にも、なんら米国を暗示するものは感じられなかったと言っているが、彼の応対はほんの瞬時であり、それは、声や語調は意識して変装(デスガイス)することもできるから、この点パッカアの証言はあまりあてにならない。
 それに、もう一つ、これは後から発表されたのだが、ハンベリイ街二九番事件の時である。被害者アニイ・チャプマンが格闘の際犯人の着衣から□(も)ぎ取ったのだろう、屍(し)体の真下、背中の個所に、一個のボタンが落ちていた。裏に、H&Qという小さな商標が押字してあった。このボタンの研究は、警視庁の依頼を受けてロンドン商工会議所が引き請(う)けた。そして、日ならずして、H&Qのボタンは、米国シカゴのヘンドリックス・エンド・クエンティン会社の製品であることが判明した。このゆいいつのそして表面漠として雲を掴(つか)むような手がかり――ほとんど手がかりとも呼びがたい――を頼りに、もっとも他にもなにかあったのかもしれないが、即日アンドルウス警部が警視庁を飛び出してそのままサザンプトンからニューヨーク行きの船に投じている。その筋の努力がいかに涙ぐましいものであったかは、この一事でも知れよう。が、このボタンの調査もなんらの結果を齎(もたら)さなかったとみえて、アンドルウス氏は、いつ帰ったともなく、まもなく空手でロンドンに帰ってきていた。
 数年後、マナガ市の精神病院で客死(かくし)した、かつてそうとう知名の外科医だった英国人の一狂人が、その死の床において、リッパア事件とニカラガ事件の真犯人であると告白したという話が伝わってきて、忘れかけていた世間を、もう一度「ジャック」の名で騒がせたことがあるが、もちろん完全なでたらめにすぎない。すくなくとも当局は一笑に付した。第一、「狂人の告白」というのからして、なんと、痛快なナンセンスではないか。




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