学問の独立
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著者名:福沢諭吉 

結局、学校の生徒をして政治社外に教育せんとするには、その首領なる者が、真実に行政の外にありて、中心より無偏・無党なるに非ざれば、かなわざることと知るべし。真実に念仏を禁じて仏法の念なからしめんと欲せば、念仏も禁じ題目も禁ずるか、または念仏も題目も、ともに嫌忌(けんき)せずして勝手に唱えしめ、ただ一身の自家宗教を信ぜずして、これを放却(ほうきゃく)するの外に方略あるべからず。
 首領の心事と地位と、実に偏党なきにおいては、その学校に何の書を読み何事を談ずるも、なんらの害をもなさざるのみならず、学問の本色において、社会の現事に拘泥(こうでい)することなくして、目的を永遠の利害に期するときは、その読書談論は、かえって傍観者の品格をもって、大いに他の実業家を警(いま)しむるの大効を奏するに足るべし。前にいえる林家及びその他の儒流、なお上りて徳川の初代にありては天海僧正の如き、かつて幕政に関せずして、かえって時として大いに政機を助けたるは、決して偶然に非ざるなり。
 これに反して、支那の趙宋(ちょうそう)において学者の朋党、近世日本の水戸藩において正党奸党の騒乱の如きは、いずれも皆、教育家にして国の行政にあずかり、学校の朋党をもって政治に及ぼし、政治の党派論をもって学校の生徒を煽動し、ついにその余毒を一国の社会に及ぼしたるの悪例なり。教育の首領たる者が学校の生徒を左右するにあたりては、もとよりその首領の意見次第にて、他の学校と主義を殊にして、学派の同じからざることもあらん、はなはだしきは相互に敵視することもあらんといえども、政事に関係せざる間はただ学問上の敵対にして、武術の流儀を殊にし、書画の風(ふう)を殊にするものにひとしく、毫(ごう)も世の妨害たらざるのみならず、かえって競争の方便たるべしといえども、いやしくもその学派をして政治上の性質を帯びしむるときは、沈静の色はたちまち変じて苛烈活動の働を現わし、その禍(わざわい)のいたるところ、実に測量すべからざるものあり。経世家のあくまでも注意用心すべきところのものなり。
 我が国においても数年の後には国会を開設するとのことにして、世上には往々政党の沙汰もあり。国会開設の後には、いずれ公然たる党派の政治となることならんか。かつて日本に先例もなきことなれば、開設後の事情は今より臆測すべからざるところなれども、政事の主義については、色々に仲間をわかちてずいぶん喧(かしま)しきことならん。あるいは政府が随時に交代すること、西洋諸国の例の如くならんか。たとえあるいは交代せざるにもせよ、また交代するにもせよ、政の針路は随時に変更せざるをえず。然る時にあたりて、全国の学校はその時の政府の文部省に附属し、教場の教員にいたるまでも政府の官吏にして、政府の針路一変すれば学風もまた一変するが如き有様にては、天下文運の不幸これより大なるはなし。
 たとえば政府の当局者が、貿易の振わずして一両年間輸出入の不平均なるを憂い、これは我が国人が殖産工商の道に迂闊(うかつ)なるがゆえなり、工業起さざるべからず、商法講ぜざるべからずとて、しきりにこれを奨励して、後進の青年を商工の一方に教育せんとするその最中(さいちゅう)に、外国政治上の報告を聞けば、近来はなはだ穏(おだやか)ならず、欧洲各国の形勢云々なるのみならず、近く隣国の支那において、大臣某氏が政権をとりて、その政略はかくの如し、あるいは東洋全面の風波も計るべからず、不虞(ふぐ)に予備するは廟算(びょうさん)の極意(ごくい)にして、目下の急は武備を拡張して士気を振起するにあり、学校教育の風も文弱に流れずして尚武(しょうぶ)の気を奨励するこそ大切なれとて、その針路に向うときは、さきに工芸商法を講習してまさに殖産の道を学ばんとしたる学生も、たちまち経済書を廃して兵書を読み、筆を投じて戎軒(じゅうけん)を事とするの念を発すべし。
 少年の心事、その軟弱なること杞柳(きりゅう)の如く、他の指示するところにしたがいて変化すること、はなはだやすし。而(しか)してその指示の原因はいずれよりすと尋ぬるに、一両年間、貿易輸出入の不平均か、もしくは隣国一大臣の進退にすぎず。内国貿易の景況、隣国交際の政略、当局の政治家においては実に大切にして等閑(とうかん)に附(ふ)すべからざるものなれども、これがために所期百年の教育上に影響を及ぼすとは憐むべき次第ならずや。かく政治と学問と密着するときは、甲者の変勢にさいして常に乙者の動揺を生じ、その変いよいよはなはだしければその余波もまた、いよいよ劇なり。
 ここに一例をあぐれば、旧幕府の時代、江戸に開成学校なるものを設立して学生を教育し、その組織ずいぶん盛大なるものにして、あたかも日本国中洋学の中心とも称すべき姿なりしが、一朝(いっちょう)幕政府の顛覆(てんぷく)に際して、生徒教員もたちまち四方に散じて行くところを知らず、東征の王師、必ずしも開成校を敵としてこれを滅(ほろぼ)さんとするの意もなかりしことならんといえども、学者の輩がかくも狼狽(ろうばい)して、一朝にして一大学校を空了(くうりょう)して、日本国の洋学が幕府とともに廃滅したるは何ぞや。開成校は幕政府中の学校にして、時の政治に密着したるがゆえなり。
 語をかえていえば、開成校は幕府政党にくみして、その生徒教員もおのずからその党派の人なりしがゆえなり。この輩が学者の本色(ほんしょく)を忘却して世変に眩惑し、目下の利害を論じて東走西馳に忙わしくし、あるいは勤王(きんのう)といい、また佐幕(さばく)と称し、学者の身をもって政治家の事を行わんとしたるの罪なり。
 当時もしこの開成校をして幕府の政権を離れ、政治社外に逍遥(しょうよう)して真実に無偏・無党の独立学校ならしめ、その教員等をして真実に豪胆独立の学者ならしめなば、東征の騒乱、何ぞ恐るるに足らんや。弾丸雨飛の下(もと)にも、□唔(いご)の声を断たずして、学問の命脈を持続すべきはずなりしに、学校組織の不完全なると学者輩の無気力なるとにより、ついに然るを得ずして、見るに忍びざるの醜体を呈し、維新の後、ようやく文部省の設立に逢うて、辛(かろ)うじて日本の学問を蘇生せしめ、その際に前後数年を空(むな)しゅうしたるは、学問の一大不幸なりと断言して可なり。もとより今の政府は旧幕府に異なり、騒乱再来すべきに非ざるは無論なれども、政治と学問と附着して不利なるは、政(まつりごと)の良否にかかわらず、古今欺(あざむ)くべからざるの事実と知るべし。
 また、維新の初に、神道なるものは日本社会のためにいかなる事をなしたるかを見よ。その功徳(こうとく)未だ現われずして、まず廃仏の議論を生じ、その成跡(せいせき)は神仏同居を禁じ、僧侶の生活を苦しめ、信者の心を傷ましめ、全国神社・仏閣の勝景美観を破壊して、今日の殺風景をいたしたるのみ。そもそも神道なるものは、我が輩の知らざるところなれども、一種の学問ならんのみ。
 いやしくも学問とあれば、おのずから主義の見るべきものあるは無論なるがゆえに、その学問の主義をもって他の学流と競争するも可なり、相互に敵視するも可なり。政治に密着せざる間は、ただその学流自然の力に任して、おのずから強弱の帰するところあるべきはずなるに、王政維新の際において、大いに政府に近づき、その政権に依頼したるがために、とみに活動をたくましゅうし、その学問に不相当なる大変動を生じて、日本国の全面に波及したるは、これまた学問と政治と附着したるの弊害というべし。
 右等は維新前後の大事変なれども、大変の時勢はしばらくさしおき、平時といえども、世の政談の熱度、次第に増進すれば、その気はおのずから学校に波及して、校中多少の熱を催おすべきは、自然の勢においてまぬかれ難きことならん。全国の学校を行政官に支配し、また行政官の手をもってその教授を司どり、かえりみて各地方の政治家を見れば、時の政府と意見を殊にして、これに反対する者あるの場合においては、その反対の働は、単に政治の事項にとどまらずして、行政部内にある諸学校にまで及ぼして、本来無辜(むこ)の学問に対して無縁の政敵を出現するにいたるべし。
 すでに今日にありても、学校の教員等を採用するに、その政治の主義いかんを問うて、何々政党に縁ある者は用い難しと、きわめて窮窟なることをいう者あれば、また一方には小学の教員を雇うに、何某はいずれの政談演説会に聴衆の喝采を得たる人物なれば、少しくその給料を豊にしてこれを遇すべしとて、学識の深浅を問わずして、小政談の巧拙をもって品評を下す者あり。双方ともに政治の熱心をもって学校を弄(もてあそ)ぶものというべし、双方ともに学問のために敵を求むるものというべし。
 元来学問は、他の武芸または美術等にひとしく、まったく政治に関係を持たず、如何なる主義の者にても、ただその学術を教授するの技倆ある者にさえあれば、教員として妨なきはずなるに、これを用うるに、その政治上の主義如何を問い、またその政談の巧拙を評するが如きは、今日こそ世人の軽々(けいけい)看過するところならんといえども、その実は恐るべき禍乱の徴候にして、我が輩は天下後日(ごじつ)の世相を臆測し、日本の学問は不幸にして政治に附着して、その惨状の極度はかの趙末、旧水戸藩の覆轍(ふくてつ)に陥ることはなかるべきやと、憂苦に堪えざるなり。
 されば今日この禍を未然に防ぐは、実に焦眉の急にして、決して怠るべからざるものならん。その法いかにして可ならんというに、我が輩の持論は、今の文部省または工部省の学校を、本省より分離して一旦帝室の御有(ぎょゆう)となし、さらにこれを民間の有志有識者に附与して、共同私有私立学校の体(てい)をなさしめ、帝室より一時巨額の金円を下附せられて永世保存の基本を立(たつ)るか、また、年々帝室の御分量(ごぶんりょう)中より、学事保護のためにとて定額を賜わるか、二様の内いかようにもすべきなれども、一時下附の法もはなはだ難事に非ず。
 たとえば、目今、本省にてその直轄学校のために費(ついや)すところ、毎年五十万円なれば、資金五百万円を一時に下附してその共同の私有金となし、この金をもって実価五百万円の公債証書を買うて、これを政府に預け、年々およそ五十万円の利子を収領すべし。名は五百万円を下附すというも、その実は現金を受授するに非ず、大蔵省中貯蓄の公債証書に記名を改(あらたむ)るのみ。また、この大金を人民に下附するとはいえども、その人の私(わたくし)に恵与するに非(あら)ざるはむろんにして、私の字に冠するに共同の字をもってすれば、もとより一個人の私すべからざるや明らかなり。
 私立学校はすでに五百万円の資金を得て、維持の法はなはだやすし。ここにおいてなお、全国の碩学(せきがく)にして才識徳望ある人物を集めて、つねに学事の会議を開き、学問社会の中央局と定めて、文書学芸の全権を授け、教育の方法を議し、著書の良否を審査し、古事を探索し、新説を研究し、語法を定め、辞書を編成する等、百般の文事を一手に統轄し、いっさい政府の干渉を許さずして、あたかも文権の本局たるべし。
 在昔(ざいせき)、徳川政府勘定所(かんじょうどころ)の例に、旗下(はたもと)の士が廩米(りんまい)を受取るとき、米何石何斗と書く米の字は、その竪棒(たてぼう)を上に通さずして俗様(ぞくよう)に※[#「米」の縦棒の上半分を取ったもの、102-5]と記すべき法なるを、ある時、林大学頭より出したる受取書に、楷書をもって尋常に米と記しければ、勘定所の俗吏輩、いかでこれを許すべきや、成規に背(そむ)くとて却下したるに、林家においてもこれに服せず、同家の用人と勘定所の俗吏と一場の争論となりて、ついに勘定奉行と大学頭と直談(じきだん)の大事件に及びたるときに、大学頭の申し分に、日本国中文字のことは拙者一人の心得にあり、米は米の字にてよろしとの一言にて、政府中の全権と称する勘定奉行も、これがために失敗したりとの一話あり。右は事実か、あるいは好事家(こうずか)の作りたる奇話か、これを知るべからずといえども、林家に文権の帰したる事情は、推察するに足るべし。
 今日は時勢もちがい、かかる奇話あるべきようもなしといえども、もしも幸にして学事会の設立もあらば、その権力は昔日の林家の如くならんこと、我が輩の祈るところなり。また、学事会なるものが、かく文事の一方について全権を有するその代りには、これをして断じて政事に関するを得せしめず、如何なる場合においても、学校教育の事務に関する者をして、かねて政事の権をとらしむるが如きは、ほとんどこれを禁制として、政権より見れば、学者はいわゆる長袖(ちょうしゅう)の身分たらんこと、これまた我が輩の祈るところにして、これを要するに、学問をもって政事の針路に干渉せず、政事をもって学問の方向を妨げず、政事と学権と両立して、両(ふたつ)ながら、その処を得せしめなば、政を施すにも易く、学を勉むるにも易くして、双方の便利、これより大なるものなかるべしと信ずるものなり。
 右の如くして、文部省はまったく廃するに非ず、文部省は行政官にして、全国の学事を管理するに行政の権力を要するもの、はなはだ少なからず。たとえば、各地方に令して就学適齢の人員を調査し、就学者の多寡(たか)をかぞえ、人口と就学者との割合を比例し、または諸学校の地位・履歴、その資本の出処・保存の方法を具申せしめ、時としては吏人を地方に派出して諸件を監督せしむる等、すべて学校の管理に関する部分の事は、文部省の政権に非ざれば、よくすべからず。いわんや強迫教育法の如き、必ず政府の権威によりてはじめて行わるべきのみ。
 ただし我が輩はもとより強迫法を賛成する者にして、全国の男女生れて何歳にいたれば必ず学につくべし、学につかざるをえずと強いてこれに迫るは、今日の日本においてはなはだ緊要なりと信ずれども、その学問の風(ふう)をかくの如くして、その教授の書籍は何を用いて何を読むべからずなどと、教場の教授法にまで命令を下すが如きは、また事のよろしからざるものと信ず。これを要するに、学問上の事は一切学者の集会たる学事会に任し、学校の監督報告等の事は文部省に任して、いわば学事と俗事と相互(あいたがい)に分離し、また相互に依頼して、はじめて事の全面に美をいたすべきなり。
 たとえば海陸軍においても、軍艦に乗りて海上に戦い、馬に跨(またがっ)て兵隊を指揮するは、真に軍人の事にして、身みずから軍法に明らかにして実地の経験ある者に非ざれば、この任に堪えず。されども海陸軍、必ずしも軍人のみをもって支配すべからず。軍律の裁判には、法学士なかるべからず。患者のためには、医学士なかるべからず。行軍の時に、輜重(しちょう)・兵粮(ひょうろう)の事あり。平時にも、もとより会計簿記の事あり。その事務、千緒万端(せんしょばんたん)、いずれも皆、戦隊外の庶務にして、その大切なるは戦務の大切なるに異ならず、庶務と戦務と相互(あいたがい)に助けて、はじめて海陸軍の全面を維持するは、あまねく人の知るところならん。
 然らばすなわち全国学問の事においても、教育の針路を定めて後進の学生を導き、文を教え芸学を授くる者は、必ず少年の時より身みずから教育を受けて、また他人を教育し、教場実際の経験ある者にして、はじめてその任にあたるべし。すなわち学者をして学問教育の事を司らしむべきゆえんなれども、また一方より見れば、全国の教育事務はひとり学者のみに任すべからず。これを管理してその事を整斉せしむるには、行政の権力を用いて、いわゆる事務家の働に依頼せざるをえず。
 学者が政権によりて学問を人に強(し)いんとし、事務家が学問の味を知らずして漫(みだり)にこれを支配せんとするは、軍人が海陸軍の庶務をかねて、庶務の吏人が戦陣の事を差図せんとするに異ならず。両(ふたつ)ながら労して効なきのみならず、かえって全国の成跡を妨ぐるに足るべきのみ。海陸軍の医士、法学士、または会計官が、戦士を指揮して操練せしめ、または戦場の時機進退を令するの難きは、人皆これを知りながら、政治の事務家が教育の法方を議し、その書籍を撰定し、または教場の時間、生徒の進退を指令するの難きを知らざる者あらんや。我が輩の開陳するところ、必ずしも妄漫(もうまん)ならざるを許す者あるべしと、あえて自からこれを信ずるなり。
 帝室より私学校を保護せらるるの事については、その資金をいかんするやとの問題もあれども、この一条はもっとも容易なることにして、心を労するに足らず。我が輩の持論は、今の帝室費をはなはだ不十分なるものと思い、大いにこれを増すか、または帝室御有(ぎょゆう)の不動産にても定められたきとのことは、毎度陳述するところにして、もしも幸にして我が輩の意見の如くなることもあらば、私学校の保護の如き、全国わずかに幾十万円をもって足るべし。
 あるいは一時巨額の資本を附与せらるるとて、また、ただ幾百万円の金を無利足にして永代貸下ぐるの姿に異ならず。決して帝室の大事と称すべきほどのものに非ず。あるいは今の政府の財政困難にして、帝室費をも増すにいとまあらずといわんか。極度の場合においては、国庫の出納を毫(ごう)も増減せずして、実際の事は挙行すべし。
 その法、他(た)なし、文部省、工部省の学校を分離して御有となすときは、本省においては、従来学校に給したる定額を省(はぶ)くべきは当然の算数にして、この定額金は必ず大蔵省に帰することならん。大蔵省においては期せずして歳出を減じたることなれば、その金額をもってただちに帝室費を増加し、帝室はこの増額をもって学校保護の用にあてられたらば、さらに出納の実際に心配なくして事を弁ずること、はなはだ容易なるべし。ただに実際に心配なきのみならず、学校の官立なりしものを私立に変ずるときは、学校の当局者は必ず私有の心地(ここち)して、百事自然に質素勤倹の風を生じ、旧慣に比して大いに費用を減ずべきはむろん、あるいはこれを減ぜざれば、旧時同様の資金をもってさらに新たに学事を起すに足るべし。今の官立校とて、いたずらに金円を浪費乱用するというには非ざれども、事の官たり私たるの別によりて、費用もまたおのずから多少の差あるは、社会にまぬかれざるところにして、世人の明知する事実なれば、今回もし幸にして官私の変革あらば、国庫より見て学校の資本は必ず豊なるをさとることならん。
 またあるいは人の説に、官立の学校を廃して共同私立の体(てい)に変じ、その私立校の総理以下教員にいたるまでも、従前、官学校に従事したる者を用い、学事会を開きて学問の針路を指示するが如きは、はなはだ佳(よ)しといえども、その総理教員なる者は、以前は在官の栄誉を辱(かたじけの)うしたる身分にして、にわかに私立の身となりては、あたかも栄誉を失うの姿にして、心を痛ましむるの情実あるべしというものあり。
 我が輩ひと通りの考にては、この言はまったく俗吏論にして、学者の心事を知らざるものなりと一抹し去らんとしたれども、また退(しりぞ)いて再考すれば、学者先生の中にもずいぶん俗なる者なきに非ず、あるいは稀には何官・何等出仕の栄をもって得々(とくとく)たる者もあらん。然(しか)りといえども、学者中たといこの臭気の人物ありとするも、これを処することまた、はなはだ易(やす)し。まず利禄をもっていえば、学校の官私を問わず、俸給はいぜんとして旧(もと)の如くなるべし。また、利禄をさりて身分の一段にいたりては、帝室より天下の学者を網羅してこれに位階勲章を賜わらば、それにて十分なるべし。
 そもそも位階勲章なるものは、ただ政府中に限るべきものに非ず。官吏の辞職するは政府を去るものなれども、その去るときに位階勲章を失わず、あるいは華族の如き、かつて政府の官途に入らざるも必ず位階を賜わるは、その家の栄誉を表せらるるの意ならん。されば位階勲章は、官吏が政府の職を勤むるの労に酬(むく)いるに非ずして、ただ普通なる日本人の資格をもって、政府の官職をも勤むるほどの才徳を備え、日本国人の中にて抜群の人物なりとて、その人物を表するの意ならん。官吏の内にても、一等官の如きはもっとも易(やす)からざる官職にして、尋常の才徳にては任に堪え難きものなるに、よくその職を奉じて過失もなきは、日本国中稀有(けう)の人物にして、その天稟(てんぴん)の才徳、生来の教育、ともに第一流なりとて、一等勲章を賜わりて貴き位階を授くることならん。
 されば官吏が職を勤むるの労に酬いるには月給をもってし、数をもっていえば、百の労と百の俸給とまさしく相対して、その有様はほとんど売買の主義に異ならず。この点より論ずるときは、仕官もまた営業渡世(とせい)の一種なれども、俸給の他に位階勲章をあたうるは、その労力の大小にかかわらず、あたかも日本国中の人物を排列してその段等(だんとう)を区別するものにして、官途にはおのずから抜群の人物多きがゆえに、位階勲章を得る者の数も官途に多きゆえんなり。政府の故意(こい)にして、ことさらに官途の人のみにこれをあたうるに非ず、官職の働はあたかも人物の高低をはかるの測量器なるがゆえに、ひとたび測量してこれを表するに位階勲章をもってして、その地位すでに定まるときは、本人の働は何様(なによう)にてもこれに関することなく、地位は生涯その身につきて離れざるものなり。すなわち、辞職の官吏も、その位階勲章をば生涯失うことなきを見て、これを知るべし。
 位階勲章はただちに帝室より出ずるものにして、政府吏人の毫(ごう)もあずかり知るべきものに非ず。而(しこう)してその帝室は日本国全体の帝室にして、政府一局部の帝室に非ず。帝室もとより政府に私(わたくし)せず。政府もとより帝室を私せず。無偏・無党の帝室は、帝国の全面を照らして、そのいずれに厚からず、またいずれに薄からず、帝室より降臨すれば、政治の社会も学問の社会も、宗旨も道徳も技芸も農商も、一切万事、要用ならざるものなし。いやしくもこれらの事項について抜群の人物あれば、すなわちこれを賞してその抜群なるを表す。位階勲章の精神は、けだしここにあって存するものならん。
 人間社会の事は千緒万端(せんしょばんたん)にして、ただ政治のみをもって組織すべきものに非ず。人の働もまた、千緒万端に分別してこれに応ぜざるべからず。すなわち人事の分業分任なり。すでにこれを分(わかち)てこれに任ずるときは、おのおの長ずるところあるべきは自然の理にして、農商の事に長ずるものあり、工芸技術に長ずるものあり、あるいは学問に長じ、あるいは政治に長ずる等、相互に争うべからざるものあるがゆえに、この事に長ずるものは、この事の長者としてこれを貴び、その業に長ずる者は、その業の長者としてこれに最上の栄誉をあたうるもまた、自然の理において許すべきものなり。たとえば大関が相撲最上の長者なれば、九段は碁将棋最上の長者にして、その長者たるや、一等官が政事の長者たるに異ならざるなり。
 されば、生れながらにして学に志し、畢生(ひっせい)の精神を自身の研究と他人の教導とに用いて、その一方に長ずる者は、学問社会の長者にして、これまた一等官が政事の長者たるに異ならざるや、もとより明白なり。而(しこう)してその相撲の大関または碁将棋の九段なる者が、太政大臣と同一様の栄誉を得ざるは何ぞや。相撲と碁将棋とは、その事柄において、これを政事に比して軽重の別あるがゆえに、その軽重の差にしたがいて、双方の長と長と比肩するを得ざるものなりといえども、今一国文明の進歩を目的に定めて、政事と学事と相互に比較したらば、いずれを重しとし、いずれを軽しとするは、判断においてはなはだ難き事ならん。
 学者をして学問の貴きを説かしめたらば、政事の如きは小児の戯にして論ずるに足らざるものなりといい、政事家もまた学問を蔑視して、実用に足らざる老朽の空論なりとすることならんといえども、これはいわゆる双方の偏頗論(へんぱろん)にして、公平にいえば、政事も学問もともに人事の至要にして、双方ともに一日も空しゅうすべからず。政事は実際の衝にあたって大切なり。学問は永遠の大計を期して大切なり。政事は目下の安寧を保護して学者の業を安からしめ、学問は人を教育して政事家をも陶冶し出だす。双方ともに毫(ごう)も軽重あることなしとの裁判にて、双方に不平なかるべし。
 一国文明のために学問の貴重なること、すでに明らかなれば、その学問社会の人を尊敬してこれに位階勲章をあたうるは、まことに尋常の法にして、さらに天下の耳目を驚かすほどの事に非ず。すなわち学問社会上流の人物は、政事社会上流の人物と、正しく同等の地位に立ちて毫も軽重あるべからず。ただ、相互(あいたがい)にその事業を干渉せざるのみ。
 朝廷には位を貴び、郷党には齢(よわい)を貴ぶというは、政府の官職貴きも、これをもって郷党民間の交際を軽重するに足らずとの意味ならん。いわんや学問社会に対するにおいてをや。政府の官途に奉職すればとて、その尊卑は毫も効なきものと知るべし。仏蘭西の大学校にて、第一世ナポレオンはその学事会員たるを得たれども、第三世ナポレオンはついにこれを許されざりしという。同国にて学権の強大なること、もって証すべし。
 我が日本国にても、政府の官職はただ在職中の等級のみにて、このほかに位階勲章の制を立てず、尊卑はただ政府中、官吏相互の等級にして、かつて政府外に通用せざるものなれば、私(わたくし)の会社中に役員の等級あるが如くにして、他に影響すること少なからんといえども、いやしくもその人の事業にかかわらずして、その身を軽重するの法あるからには、その法は須(すべか)らく全国人民に及ぼして、政府の内と外とに差別するところあるべからざるなり。官吏も日本政治社会の官吏なり、学者も日本学問社会の学者なり。その事業こそ異なれども、その人物の軽重にいたりては、毫も異なることなくして、ただ偶然にこの人物が学問に志して学者の業に安んずるがゆえに、その身の栄誉を表するの方便を得ず。かの人物が偶然に仕官に志して官吏の業につきたるがために、利禄にかねて栄誉を得るとは、人事の公平なるものというべからず。
 もとより高尚なる理論上よりいえば、位階勲章の如き、まことに俗中の俗なるものにして、歯牙(しが)にとどむべきに非ずというといえども、これはただ学者普通の公言にして、その実は必ずしも然らず。真実に脱俗して栄華の外に逍遥(しょうよう)し、天下の高処におりて天下の俗を睥睨(へいげい)するが如き人物は、学者中、百に十を見ず、千万中に一、二を得るも難きことならん。いわんや日本国中栄誉の得べきものなければ、すなわち止まんといえども、等しく国民の得べきものにして、かれはこれを得て、これは得ずとあれば、ことさらに辱(はずか)しめらるるの念慮なきを得ず。これをも忍びて塵俗の外に悠々たるべしとは、今の学者に向って望むべからざることならんのみ。
 右の次第にて、学者の栄誉を表するがために位階勲章を賜わるは、まことに尋常の事にして、政府の官吏にのみこれを賜わるの多きこそ、かえって人の耳目を驚かすべきほどの次第なれば、今回幸にして行政官直轄の諸学校を私立の体(てい)に改革せられたらば、その教員の輩はもとより無官の人民なれども、いずれも皆少小の時より学に志して、自身を研(みが)き他を教育するの技倆ある人物にして、日本国中、学問の社会においては、長者先進と称すべき者なるがゆえに、その人物に相当すべき位階勲章を賜わるは事の当然にして、本人等の満足すべきのみならず、またもって帝室の無偏・無党にして、日本国の全面を通覧せられ、政治も学問も同一視し給うとの盛意を示すに足るべきことと信ずるなり。
 帝室はすでに日本私立学校の保護者たり。なおこの上に望むところは、天下の学者を撰びて、これに特別の栄誉と年金とをあたえて、その好むところの学芸を脩めしむることなり。近年、西洋において学芸の進歩はことに迅速にして、物理の発明に富むのみならず、その発明したるものを、人事の実際に施して実益を取るの工風(くふう)、日(ひび)に新たにして、およそ工場または農作等に用うる機関の類(たぐい)はむろん、日常の手業(てわざ)と名づくべき灌水・割烹・煎茶・点燈の細事にいたるまでも、悉皆(しっかい)学問上の主義にもとづきて天然の原則を利用することを勉めざるはなし。これを要するに、近年の西洋は、すでに学理研究の時代を経過して、方今は学理実施の時代といいて可ならんか。これを形容していえば、軍人が兵学校を卒業して正に戦場に向いたる者の如し。
 これに反して我が日本の学芸は、十数年来大いに進歩したりというといえども、未だ卒業せざるのみならず、あたかも他国の調練を調練するものにして、未だ戦場の実地に臨まず。物理、新たに発明するを得ず、その実施の時代にいたるには前途なお遥かなりというべし。たとえば医学の如きは、日本にてその由来も久しく、したがってその術も他の諸科に超越するものなれども、今日の有様を見れば、西洋の日新を逐(お)うて、つねに及ばざるの嘆(たん)をまぬかれず。数百年の久しき、日本にて医学上の新発明ありしを聞かざるのみならず、我が国に固有の難病と称する脚気(かっけ)の病理さえ、なお未だ詳明(しょうめい)するを得ず。ひっきょう我が医学士の不智なるに非ず、自家の学術を研究せんとして、その時と資金とを得ざるがためなり。
 わずかに医学の初歩を学び得るときは、あるいは官途に奉職し、あるいは開業して病家に奔走し、奉職、開業、必ずしも医士の本意に非ざるも、糊口(ここう)の道なきをいかんせん。口を糊(こ)せんとすれば、学を脩むるの閑(かん)なし、学を脩めんとすれば、口を糊するを得ず。一年三百六十日、脩学、半日の閑を得ずして身を終るもの多し。道のために遺憾なりというべし。
 (我が輩かつていえらく、打候聴候(だこうちょうこう)は察病にもっとも大切なるものなれども、医師の聴機穎敏(えいびん)ならずして必ず遺漏(いろう)あるべきなれば、この法を研究するには、盲人の音学に精(くわ)しき者を撰びて、まず健全なる肺臓心臓等の動声を聴かしめ、次第に患者変常のときに試みて、その音を区別せしめたらば、従前医師の耳にて五種に分ちたるものも、盲人の耳にはその一種中を細別して二、三類に分つこともあるべし。すなわち従前の察病法五様なりしものが、五に三を乗じて十五様の手掛りをうべし。この試験、はたして有効のものならば、医学部には必ず音学をもって一課となし、青年学生の聴機穎敏なる時に及びて、これに慣れしめざるべからず。あるいはその俊英なる者は、打候聴候をもって専門の業となして、これを用うるも可ならん。けだし医学の秘密は、これらの注意によりて発明することもあらんと信ず。)
 ひとり医学のみならず、理学なり、また文学なり、学者をして閑を得せしめ、また、したがって相当の活計あらしむるときは、その学者は決して懶惰(らんだ)無為(むい)に日月(じつげつ)を消する者に非ず、生来の習慣、あたかも自身の熱心に刺衝(ししょう)せられて、勉強せざるをえず。而(しこう)してその勉強の成跡は発明工風にして、本人一個の利益に非ず、日本国の学問に富を加えて、国の栄誉に光を増すものというべし。また、著述書の如きも、近来、世に大部の著書少なくして、ただその種類を増し、したがって発兌(はつだ)すれば、したがって近浅の書多しとは、人のあまねく知るところなるが、その原因とて他にあらず、学者にして幽窓(ゆうそう)に沈思するのいとまを得ざるがためなり。
 けだし意味深遠なる著書は読者の縁もまた遠くして、発兌の売買上に損益相償(あいつぐの)うを得ず、これを流行近浅の雑書に比すれば、著作の心労は幾倍にして、所得の利益は正しくその割合に少なし。大著述の世に出でざるも偶然に非ざるなり。いずれも皆、学問上には憂うべきの大なるものにして、その憂の原因は学者の身に閑なくして家に恒産なきがためなり。ゆえに今、帝室より私学校を保護するに、かねて、学者の篤志なるものを撰び、これに年金をあたえて、その生涯安身の地位を得せしめたらば、おのずから我が学問社会の面目を改めて、日新の西洋諸国に並立し、日本国の学権を拡張して、鋒(ほこさき)を海外に争うの勢にいたるべきなり。
 財政の一方より論ずれば、常式の官職もなきものへ毎年若干の金をあたうるは不経済にも似たれども、常式の官員とて必ずしも事実今日の政務に忙わしくする者のみに非ず。政府中に散官(さんかん)なるものありて、その散官の中には学者も少なからず。
 たとい、あるいは散官ならざるも、生来文事をもってあたかもその人の体格を組織したる人物は、これを政事に用いてその用をなすに足らず。学者はこれに事を諮問するに適して、これに事を任するに不便利なり。かかる人物を政府の区域中に入れて、その不慣(ふなれ)なる衣冠をもって束縛するよりも、等しく銭(ぜに)をあたうるならば、これを俗務外に安置して、その生計を豊にし、その精神を安からしむるに若(し)かず。元老院中二、三の学者あるも、その議事これがために色を添うるに非ず。海陸軍中一、二の文人あるも、戦場の勝敗に関すべきに非ず。あるいは学者文人に諮問の要もあらば、その時にしたがいてこれに問うこと、はなはだ易し。国の大計より算すれば、年金の法、決して不経済ならざるなり。
 帝室より私学校を保護し、学者を優待するは、学問の進歩を助くるのみならず、我が国政治上に関しても大なる便益を呈することならん。そもそも文字の意味を広くしていえば、政治もまた学問中の一課にして、政治家は必ず学者より出で、学校は政談家を生ずるの田圃(でんぽ)なれども、学校の業成るの日において、その成業(せいぎょう)の人物が社会の人事にあたるに及びては、おのおのその赴くところを異にせざるをえず。工たり、商たり、また政治家たり。あるいは学成るもなお学問を去らず、畢生(ひっせい)を委ねて学理の研究または教育の事を勉むる者あり。すなわち純然たる学者なり。
 されば、工商または政治家は、その所得の学問を人間の実業に利用する者にして、学者は生涯学問をもって業となす者なり。前にもいえる如く、政治の国のために大切なるは、学問の大切なるに異ならず。政治学、日(ひび)に進歩せざるべからず。国民全体に政治の思想なかるべからず。政談熱心せざるべからず。政事、常に語るべし。国民にして政治の思想なきは、唐虞三代の愚民にして、名は人民なるもその実は豚羊に異ならず。ともに国を守るに足らざるものなれば、いやしくも国を思うの丹心(たんしん)あらんものは、内外の政治に注意せざるべからず。
 政治の事、はなはだ大切なりといえども、これは人民一般普通の心得にして、ここに政治家と名づくるものは、一家専門の業にして、政権の一部分を手にとり、身みずから政事を行わんとする者なれば、その有様は、工商がその家業を営み、学者が学問に身を委(ゆだぬ)るに異ならず。これを要するに、国民一般に政治の思想を養えとは、国民一般に学問の心掛けあるべしというに異ならず。人として学問の心掛けは大切なれども、全国の人民、悉皆(しっかい)学者たるべきに非ず。人として政治の思想は大切なれども、全国の人民、悉皆政治家たるべきに非ず。
 世人往々(おうおう)この事実を知らずして、政治の思想要用なりといえば、たちまち政治家の有様を想像して、己(おの)れ自から政壇にのぼりて政(まつりごと)をとるの用意し、生涯政事の事業をもって身を終らんと覚悟するもの多し。学問といえばたちまち大学者を想像して、生涯、書に対して身を終らんとする者あるが如し。その心掛けは嘉(よ)みすべしといえども、人々(にんにん)に天賦の長短もあり、家産・家族の有様もあり、幾千万の人物が決して政治家たるべきにも非ず、また大学者たるべきにも非ず。世界古今の歴史を見ても、その事実を証すべきなれば、政治も学問も、その専業に非ざるより以外は、ただ大体の心得にしてやみ、尋常一様の教育を得たる上は、おのおのその長ずるところにしたがい、広き人間世界にいて随意に業を営み、もって一身一家のためにし、またしたがって国のためにすべきなり。
 政治も学問も相互(あいたがい)にその門を異にして、人事中専門の一課とするときは、各門相互に干渉すべからざるはむろん、おのおの自家の専業を勉めて、相互にかえりみることもなきを要す。政治家たるものが、すでに学問受教の年齢をおわりて、政事に志し、また政事をとるにあたりては、自身に学問の心掛けはもとより怠るべからざるも、学校教育上のことは忘れたるが如くにこれを放却せざるべからず。学者が学問をもって畢生(ひっせい)の業と覚悟したるうえは、自身に政治の思想はもとより養うべきも、政壇青雲の志は断じて廃棄せざるべからず。
 然るに近日、世間の風潮をみるに、政治家なる者が教育の学校を自家の便(べん)に利用するか、または政治の気風が自然に教場に浸入したるものか、その教員生徒にして政の主義をかれこれと評論して、おのずから好悪(こうお)するところのものあるが如し。政治家の不注意というべし。政治の気風が学問に伝染してなお広く他の部分に波及するときは、人間万事、政党をもって敵味方を作り、商売工業も政党中に籠絡(ろうらく)せられて、はなはだしきは医学士が病者を診察するにも、寺僧または会席の主人が人に座を貸すにも、政派の敵味方を問うの奇観を呈するにいたるべし。社会親睦、人類相愛の大義に背くものというべし。
 また、一方の学者においても、世間の風潮、政談の一方に向うて、いやしくも政を語る者は他の尊敬を蒙り、またしたがって衣食の道にも近くして、身を起すに容易なるその最中(さいちゅう)に、自家の学問社会をかえりみれば、生計得べきの路なきのみならず、蛍雪幾年の辛苦を忍耐するも、学者なりとして敬愛する人さえなき有様なれば、むしろ書を抛(なげうち)て一臂(いっぴ)を政治上に振うに若(し)かずとて、壮年後進の学生は争うて政治社会に入らざるはなし。その人の罪に非ず。風潮の然(しか)らしむるところなり。
 今の風潮は、天下の学生を駆りてこれを政治に入らしむるものなるを、世の論者は、往々その原因を求めずして、ただ現在の事相に驚き、今の少年は不遜(ふそん)なり軽躁(けいそう)なり、漫(みだり)に政治を談じて身の程を知らざる者なりとて、これを咎(とがむ)る者あれども、かりにその所言にしたがいてこれを酔狂人とするも、明治年間今日にいたりてにわかに狂すべきに非ず。その狂や必ず原因あるべし。その原因とは何ぞや。学生にして学問社会に身を寄すべきの地位なきもの、すなわちこれなり。その実例はこれを他に求むるを須(ま)たず、あるいは論者の中にもその身を寄する地位を失わざらんがために説を左(ひだり)し、また、その地位を得たるがために主義を右(みぎ)したることもあらん。これを得て右したる者は、これを失えば、また左すべし。何ぞ現在の左右を論ずるに足らんや。自身にしてかくの如し。他人もまたかくの如くなるべし。伐柯其則不遠(えをきるそののりとおからず)、自心をもって他人を忖度(そんたく)すべし。
 人の心を鎮撫するの要は、その身を安からしむるにあり。安身は安心の術なり。ゆえに今、帝室の保護をもって、私学校を維持せしめてかねてまた学者を優待するの先例を示されたらば、世間にも次第に学問を貴ぶの風を成して、自然に学者安身の地位も生ずべきがゆえに、専業の工たり農商たり、また政治家たる者の外は、学問社会をもって畢生(ひっせい)安心の地と覚悟して、政壇の波瀾に動揺することなきを得べし。我が輩かつていえることあり、方今政談の喋々(ちょうちょう)をただちに制止せんとするは、些少(さしょう)の水をもって火に灌(そそ)ぐが如し、大火消防の法は、水を灌ぐよりも、その燃焼の材料を除くに若(し)かずと。けだし学者のために安身の地をつくりてその政談に走るをとどむるは、また燃料を除くの一法なり。




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