女大学評論
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著者名:福沢諭吉 

一 下部(しもべ)あまた召使(めしつかう)とも万(よろず)の事自から辛労を忍て勤ること女の作法也。舅姑の為に衣を縫ひ食を調へ、夫に仕て衣を畳み席(しきもの)を掃き、子を育て汚(けがれ)を洗ひ、常に家の内に居て猥(みだり)に外へ出(いづ)べからず。

 下女下男を多く召使うとも、婦人たる者は万事自から勤め、舅姑の為めに衣を縫い食を調え、夫に仕えて衣を畳み席を掃き、子を育て汚を洗い、常に家の内に居て猥りに外に出ず可らずと言う。婦人多忙なりと言う可し。果して一人の力に叶う事か叶わぬ事か其辺は姑(しばら)く差置き、兎に角に家を治むる婦人の心掛けとしては甚だ宜し。身体の許す限り勉強す可きなれども、本文中の耳障(みみざわり)なるは夫に仕えてと言う其仕の字なり。元来仕えるとは、君臣主従など言う上下の身分を殊にして、下等の者が上等の者に接する場合に用うる文字なり。左れば妻が夫に仕えるとあれば、其夫妻の関係は君臣主従に等しく、妻も亦是れ一種色替りの下女なりとの意味を丸出(まるだし)にしたるものゝ如し。我輩の断じて許さゞる所なり。今の日本の習俗に於て、仕官又は商売等、戸外百般の営業は男子の任ずる所にして、一家の内事を経営するは妻の職分なり。衣服飲食を調え家の清潔法に注意し又子供を養育する等は都て人生居家の大事、之を男子戸外の業務に比して難易軽重の別なし。故に此内事の経営を以て妻が夫に仕うるの作法なりと言えば、夫が戸外の事に勉むるは妻に仕うるの作法なりと言わざるを得ず。男女婚姻して一家に同居し、内外を区分しておの/\其一半を負担し、共に苦楽を与(とも)にして心身を労すること正しく同一様なるに、何が故に之を君臣主従の如くならしめんとするか、無稽も亦甚しと言う可し。或は戸外の業務は内事に比して心労大なり、其成跡も又大なりなど言わんかなれども、夫の病に罹りたるとき妻が看病する其心配苦労は果して大ならざるか、妊娠十箇月の苦しみを経て出産の上、夏の日冬の夜、眠食の時をも得ずして子を育てたる其心労は果して大ならざるか、小児に寒暑の衣服を着せ無害の食物を与え、言葉を教え行儀を仕込み、怪我もさせぬように心を用いて、漸く成人させたる其成跡は果して大ならざるか、之を要するに夫婦家に居て其功労に大小軽重の別なきは、事実の示す所にして之を争う言葉はなかる可し。之を政治上に喩えて言わんに、妻が内の家事を治むるは内務大臣の如く、夫が戸外の経営に当るは外務大臣の如し。両大臣は共に一国の国事経営を負担する者にして、其官名に内外の別こそあれ、身分には軽重を見ず。然らば則ち女大学の夫に仕え云々の文は、内務大臣をして外務大臣に仕えしめんとするものに異ならず。事実に可笑しからずや。一国に行われざることは一家にも行われざることゝ知る可し。

一 下女を使(つかう)に心を用(もちう)べし。言甲斐(いいがい)なき下□(げろう)は習(ならわ)し悪(あし)くて知恵なく、心奸敷(かしましく)、物(もの)言(いう)こと祥(さが)なし。夫のこと舅姑姨(こじゅうと)のことなど我心に合ぬ事あれば猥に讒(そし)り聞(きか)せて、夫(それ)を却て君の為と思へり。婦人若し智無(なく)して是を信じては必ず恨(うらみ)出来易し。元来(もとより)夫の家は皆他人なれば、恨(うらみ)背(そむ)き恩愛を捨る事易し。構(かまえ)て下女の詞(ことば)を信じて大切なる□(しゅうとしゅうとめ)姨の親(したしみ)を薄(うすく)すべからず。若し下女勝(すぐれ)て多言(くちがまし)くて悪敷者(あしきもの)なれば早く追出すべし。箇様(かよう)の者は必ず親類の中をも言妨(いいさまたげ)て家を乱す基と成物(なるもの)也。恐るべし。又卑者(いやしきもの)を使ふには気に合ざる事多し。夫(それ)を怒(いかり)罵(ののしり)て止(やま)ざれば約々(せわ/\)しく腹立(はらたつ)こと多(おおく)して家の内静ならず。悪しき事あらば折々言教(いいおしえ)て誤を直(なおす)べし。少の過(あやまち)は忍(こらえ)て怒(いかる)べからず、心の内には憐(あわれみ)て外(ほか)には行規を堅く訓(おしえ)て怠らぬ様に使ふべし。与(あたえ)恵(めぐむ)べき事あらば財(たから)を惜(おしむ)べからず。但し我気に入りたるとて用にも立ぬ者に猥に与ふべからず。

 此一章は下女の取扱法を教えたるものにして、第一に彼等の言うことを軽々しく信じて□姨の親しみを薄くする可らず、其極めて多言なる者は必ず家族親類風波の基なれば速(すみやか)に追出す可し、都(すべ)て卑しき者を使うには我意に叶わぬことも少なからず、漫(みだ)りに立腹することなく能く言教えて使う可し、与え恵む可き事あらば財を惜しむ可らず、但し私に偏して猥りに与う可らずと言う。都て非難の点なし。特に心の内には憐み外には行儀を固く訓えて使う可しの一句は、我輩の深く感服する所なり。

一 凡(およそ)婦人の心様(こころさま)の悪き病は、和(やわら)ぎ順(したがわ)ざると、怒(いかり)恨(うら)むと、人を謗(そし)ると、ものを妬むと、智恵浅きと也。此五の疾(やまい)は十人に七、八は必ず有り。是婦人の男に及ざる所也。自ら顧(かえりみ)戒(いまし)めて改(あらため)去(さる)べし。中にも智恵の浅き故に五の疾も発(おこ)る。女は陰性也。陰は夜にて暗し。故に女は男に比るに愚(おろか)にて、目前(もくぜん)なる然(しかる)べきことをも知らず、又人の誹るべき事をも弁えず、我夫我子の災と成るべきことをも知らず、科(とが)もなき人を怨(うらみ)怒(いか)り呪詛(のろ)ひ、或は人を妬(ねたみ)憎(にくみ)て我身独(ひとり)立(たた)んと思へど、人に憎(にくま)れ疏(うとま)れて皆我身の仇と成ことをしらず、最(いと)はかなく浅猿(あさま)し。子を育(そだつ)れども愛に溺れ、ならはせ悪しく愚なる故に、何事も我身を謙(へりくだ)りて夫に従べし。古(いにしえ)の法に女子を産ば三日床の下に臥(ふさ)しむるといへり。是も男は天にたとへ女は地に象(かたど)る。故に、万のことに付ても夫を先立て我身を後にし、我為せる事に能事(よきこと)ある迚(とて)も誇る心なく、亦悪事ありて人にいはるゝ迚も争はずして早く過を改め、重て人に謂れざる様に我身を慎み、又人に侮れても腹立憤ることなく、能く堪(こらえ)て物を恐(おそれ)慎(つつしむ)べし。如斯(かくのごとく)心得なば夫婦の中自ら和(やわら)ぎ、行末永(ながく)つれ添て家の内穏かなるべし。

 本文は女大学の末章にして、婦人を責むること甚だしく、殆んど罵詈讒謗(ばりざんぼう)の毒筆と言うも不可なきが如し。凡そ婦人の心さまの悪しき病は不和不順なる事と怒り恨む事と謗る事と妬む事と智恵浅き事となり、此五の病は十人に七、八は必ずあり、婦人の男子に及ばざる処なりと宣告したれども、此宣告果して中(あた)るや中らざるや遽(にわか)に信じ難し。言行和らぎて温順なるは婦人の特色にして、一般に人の許す所なり。事に当りて男子なれば大に怒る可き場合をも、婦人は態度を慎しみ温言以て一場の笑に附し去ること多し。世間普通の例に男同士の争論喧嘩は珍らしからねど、其男子が婦人に対して争うことは稀なり。是れも男子の自から慎しむには非ずして、実は婦人の柔和温順、何処となく犯す可らざるものあるが故ならん。啻(ただ)に男女の間のみならず、男子と男子との争にも婦人の仲裁を以て波瀾を収めたるの例は、世人の常に見聞する所ならずや。畢竟(ひっきょう)女性和順の徳に依ることなるに、然るに今是等の事実をば打消し、不和不順を以て婦人の病と認むるが如き、立言の根拠既に誤るものと言う可し。但し記者が此不和不順を始めとして、以下憤怒怨恨誹謗嫉妬等、あらん限りの悪事を書並べて婦人固有の敗徳としたるは、其婦人が仮令(たと)い之を外面に顕わさゞるも、心中深き処に何か不平を含み、時として之を言行に洩らすことありとて、其心事微妙の辺を推察したるものならんか。若しも然(しか)らんには我輩は記者の推察を抹殺する者に非ず。其推察、察し得て妙なりと言わんと欲するものなり。元来日本の婦人は婚姻の契約を無視せられて夫婦対等の権利を剥奪せられ、常に圧制の下(もと)に匍匐(ほふく)して男子に侮辱せらるゝ者なれば、人間の天性として心中不平なからんと欲するも得べからず。稀に或は其不平を色に現わし言の端に洩らすことあれば誹謗なり嫉妬なりと言う。之を喩えば人を密室に幽囚し、火を撮(つま)ませ熱湯を呑(フク)ませて、苦し熱しと一声すれば、則ち之を叱して忍耐に乏しき敗徳なりと言うに異ならず。知るや知らずや、其不平は人を謗るにも非ず、物妬(ねた)むにも非ず、唯是れ婦人自身の権利を護らんとするの一心のみ。其心中の真面目をも忖度(そんたく)せずして、容易に之に附するに敗徳の名を以てす、無理無法に非ずして何ぞや。百千年来蛮勇狼藉の遺風に籠絡せられて、僅(わずか)に外面の平穏を装うと雖(いえど)も、蛮風断じて永久の道に非ず。我輩は其所謂(いわゆる)女子敗徳の由(よっ)て来(きた)る所の原因を明(あきらか)にして、文明男女の注意を促(うなが)さんと欲する者なり。又初めに五疾の第五は智恵浅きことなりと記して、末文に至り中にも智恵の浅き故に五の疾(やまい)も発(おこ)ると言うは、智恵浅きが故に智恵浅しと言うに異ならず、前後文を成さずと雖も、文字上の細論は姑(しばら)く擱(お)き、元来婦人の智恵浅しとは何を標準にして深浅を定めたるや。男女家に居ておの/\司どる所を殊にし、内外の経営孰(いず)れか智恵を要すること大なるやと尋ぬれば、我輩は正に同一様なりと断言する者なり。男子が如何に戸外に経営して如何に成功するも、内を司どる婦人が暗愚無智なれば家は常に紊乱(びんらん)して家を成さず、幸に其主人が之を弥縫(びほう)して大破裂に及ばざることあるも、主人早世などの大不幸に遭うときは、子女の不取締、財産の不始末、一朝にして大家の滅亡を告ぐるの例あるに反し、賢婦人が能く内を治めて愚鈍なる主人も之に依頼し、所謂内助の力を以て戸外の体面を全うするものあるのみならず、夫死すれば其妻は則(すなわ)ち賢母にして、子を養育し子を教訓し、一切万事母一人の手を以て家を保つの事実は古今世に珍しからず。現に今日世上に名ある有為の紳士賢婦人など言う輩にして、母の手に育てられたる者は少なからざる可し。賢婦家を興し愚婦家を亡ぼす。一家の盛衰に婦人の力を及ぼす其勢力の洪大なるは、之を男子に比較して秋毫(しゅうごう)の差なし。而(しこう)して其家を興すは即ち婦人の智徳にして争う可らざるの事実なるに、漫(みだり)に之を評して無智と言う、漫評果して漫にして取るに足らざるなり。或は婦人が戸外百般の経営に暗きが故に無智なりと言わんか、是れは婦人の天稟(てんぴん)愚なるが故に暗きに非ず、事に関係せざるが故に其事に慣れずして之を知らざるのみ。天下の政治経済の事などは日本の婦人に語りて解する者少なし。此一面より見れば愚なるが如くなれども、方向を転じて日常居家の区域に入り、婦人の専ら任ずる所に就て濃(こまか)に之を視察すれば、衣服飲食の事を始めとして、婢僕の取扱い、音信贈答の注意、来客の接待饗応(もてなし)、四時遊楽の趣向、尚お進んで子女の養育、病人の看護等、一切の家計内事その事小なるに以て実は大なり。之に処するに智恵を要するは無論、その緻密微妙の辺に至りては、口以て言う可らず、筆以て記す可らず、全く婦人の方寸(ほうすん)に存することにして、男子の想像にも叶わず真似も出来ぬことなり。是等の点より見れば男子は愚なり智恵浅きものなりと言わざるを得ず。されば男女の智愚は事柄に由て異なり、場所に由て異なり、即ち家の内事と戸外の事と其働く処に随て趣を異にするのみのことなれば、苟も其人を教えて事に慣れしむるときは、天性の許す限り男子にして女子の事を執(と)る可く、女子にして男子の業を成す可し。其例証明白にして争う可らず。古来勇婦の奇談は特別の事とするも、女中に文壇の秀才多きは我国史の示す所にして、西洋諸国に於ては特に其教育を重んじ、女子にして物理文学経済学等の専門を修めて自から大家の名を成すのみならず、女子の特得(とくとく)は思想の綿密なるに在りとて、官府の会計吏に採用せらるゝ者あり。又学者の説に、医学医術等には男子よりも女子を適当なりとして女医教育の必要を唱え、現に今日にても女医の数は次第に増加すと言う。何れの方面より見ても婦人の天性を無智なりと明言して之を棄てんとするは、女大学記者の一私言と言う可きのみ。
 又女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女は男に比ぶるに愚にて云々に説始(ときはじ)め、あらん限りの悪徳を並べ立てゝ其原因は陰性なるが故なりと、例の陰陽説より割出したるこそ可笑(おか)しけれ。実に取処(とりどころ)もなき愚論にして、痴人夢を語るとは此事ならん。抑(そもそ)も陰陽とは何物なるや何事なるや。漢学流の言に従えば、南が陽なれば北を陰と言い、冬が陰なれば春を陽と言い、天は陽、地は陰、日は陽、月は陰など言うが如く、往古蒙昧の世に無智無学の蛮民等が、其目に触れ心に感ずる所を何の根拠もなく二様に区別して、之に附するに漠然たる陰陽の名を以てしたるまでのことにして、人間の男女も端なく其名籍の中に計(かぞ)えられ、男は陽性、女は陰性と、勝手次第に鑑定せられたるのみ。其趣は西洋の文典書中に実名詞の種類を分けて男性女性中性の名あるが如く、往古不文時代の遺習にして固(もと)より深き意味あるに非ず。左れば男子は活溌にして身体強大なるが故に陽の部に入り、女子は静にして小弱なるが故に陰なりなど言う理窟もあらんかなれども、仮りに一説を作り、女子の顔の麗くして愛嬌溢るゝ許りなるは春の花の如くなるに反して、男子の武骨殺風景なるは秋水枯木に似たり。而して春は陽、秋は陰なるが故に、女子は陽にして男子は陰なりと言うも、大なる反対はなかる可し。其他様々の陰陽説に就き、今日吾々が古人と為りて勝手自儘に新説を作れば、旧説を逆にして陰陽を転倒すること甚だ易し。如何となれば新旧共に根拠なければなり。斯る無根の空論を土台にして、女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女子は愚なりと明言して憚らず。我輩は気の毒ながら失敬ながら記者を評して陰陽迷信の愚論者なりと言わんと欲する者なり。既に立論の根本を誤るときは其論及する所に価なきも亦知る可し。女は愚にして目前の利害も知らず、人の己れを誹(そし)る可きを弁えず、我家人の禍となる可き事を知らず、漫(みだり)に無辜(むこ)の人を恨み怒り云々して其結果却て自身の不利たるを知らず、甚しきは子を育つるの法さえも知らざる程の大愚人大馬鹿者なるゆえに、結論は夫に従う可しと言う。罵詈讒謗(ばりざんぼう)至れり尽せり。我輩は姑(しばら)く記者の言うがまゝに任せて、唯その夫たる者の人物如何を問わんと欲するのみ。天下の男子は陽性なるが故に、陽は昼にして明なり、万事万端に通じて内外の執務に適し、殊に人倫の道に明にして品行最も正しく、内君に対して交情最も濃(こまやか)なりと言うか。果して然らんには甘んじて之に従い之に謀る可しと雖も、今の世間の風潮に於ては其保証頗る疑わし。我輩は婦人の為めに謀り、軽々女大学の文に斯かれずして自尊自重、静に自身の権利を護らんことを勧告するものなり。
 又云く、古の法に女子を産めば三日床の下に臥さしむと言えり。是れも男は天に比(たと)え女は地に象る云々と。是れ亦前節同様の空論にして取るに足らず。何が故に男は天の如く高くして女は地の如く低きや。男女、性を異にするも其間に高低尊卑の差なし。若し其差別ありとならば事実を挙げて証明せざる可らず。其事実をも言わずして古の法に云々を以て立論の根拠とす、無稽に非ずして何ぞや。古法古言を盲信して万世不易の天道と認め、却て造化の原則を知らず時勢の変遷を知らざるは、古学者流の通弊にこそあれ。人智の進歩は盲信を許さゞるなり。古人が女子を床の下に臥さしめて男天女地の差別を示したるは古人の発意にして、其意は以て人間万世の法とするに足らず。古人も今人も共に社会の人にして、古今おの/\其時勢あり。我輩は不文なる上世の一例に心酔して今日の事を断ぜんとする者に非ず。畢竟(ひっきょう)するに女大学記者が男尊女卑の主義を張らんとして其根拠なきに苦しみ、纔(わずか)に古の法なるものを仮り来りて天地など言う空想を楯にし、論法を荘厳にして以て女性を圧倒し、無理にもこれを暗処に蟄伏せしめんとの窮策に出でたるものと言う可し。既に男尊女卑と定まりたる上は、婦人に向て命令すること甚だ易し。万の事に就て夫を先立て我身を後にし、我なせることに能き事あるも誇る心なく、悪しき事ありて人に言わるゝとても争わずして過を改め身を慎しみ、人に侮られても立腹することなく憤ることなく唯恐れ謹しむ可しと言う。所謂柔和忍辱(にんにく)の意にして人間の美徳なる可しと雖も、我輩の所見を以てすれば夫婦家に居て其身分に偏軽偏重(へんけいへんちょう)を許さず、婦人に向て命ずる所は男子に向ても命ず可し。故に前文を其まゝにして之を夫の方に差向け、万事妻を先にして自分を後にし、己れに手柄あるも之に誇らず、失策して妻に咎めらるゝとも之を争わず、速(すみやか)に過(あやまち)を改めて一身を慎しみ、或は妻に侮られても憤怒せずして唯恐縮謹慎す可し云々と、双方に向て同一様の教訓を与え、双方共に斯の如く心得なば、夫婦の中、自から和らぎ行末永く連そいて家の内穏なるは、我輩の敢て保証する所にして努□(ゆめゆめ)疑ある可らずと雖も、記者の見る所果して如何。果して以上の相対説を許すや否や、我輩の聞かんと欲する所なり。若しも然らずして単に婦人の一方のみを警しめながら、一方の男子には手を着けず、恰も之を飼放(かいはなし)にして自儘(じまま)勝手を許すときは、柔和忍辱の教、美なりと言うも、唯是れ奴隷の心得と言う可きのみ。夫婦の関係は君臣に非ず主従に非ず、況して其一方を奴隷視するに於てをや。我輩の断じて反対する所のものなり。

右の条々稚時(いとけなきとき)能(よ)く訓(おしう)べし。又書付て折々読(よま)しめ忘(わする)ることなからしめよ。今の代の人、女子に衣服道具抔(など)多く与へて婚姻せしむるよりも、此条々を能く教ふること一生身を保つ宝なるべし。古語に、人能く百万銭を出して女子を嫁せしむることを知て十万銭を出して子を教ふることを知らずといへり。誠なる哉(かな)。女子の親たる人、此理を知ずんば有べからず。女大学終

 最終に右の条々稚(おさな)き時より能く訓う可し云々、今の代の人、女子に衣服道具など多く与えて婚姻せしむるよりも此条々を云々、古語に人よく百万銭を出して女子を嫁せしむる事を知て十万銭を出して子を教うることを知らずといえり、誠なるかな、女子の親たる人、この理を知らずんばある可らずと。以上十九箇条の結論、論じ去て深切(しんせつ)なりと言う可し。我輩固(もと)より記者の誠意を非難するには非ざれども、女大学の著述以後二百余年の今日に於て、人智の進歩、時勢の変遷を視察し、既往の事実に徴して将来の幸福を求めんとするときは、如何にしても古人の説に服従するを得ず、敢て反対を試みる所以なり。抑も在昔(むかし)封建門閥の時代に政治を始めとして人間万事圧制を以て組織したる世の中には、男女の関係も自から一般の風潮に従い、男子は君主の如く女子は臣下の如くにして、其尊卑を殊にすると同時に、君主たる男子は貴賤貧富、身分の区別こそあれ、其婦人に接するの法は恰も時の将軍大名を学んで傍若無人、これを冷遇し之を無視するのみか、甚しきは敢て婬乱を恣(ほしいまま)にして配偶者を虐待侮辱するも世間に之を咎むる者なく、却て其虐待侮辱の下に伏従する者を見て賢婦貞女と称し、滔々(とうとう)たる流風、上下を靡(なび)かして、嫉妬は婦人の敗徳なりと教うれば、下流社会も之を聞習い、焼餅(やきもち)は女の恥など唱えて、敢て自から結婚契約の権利を放棄して自から苦鬱の淵に沈むのみならず、男子の狂乱以て子孫の禍源たるを余処(よそ)に見て、却て自から之を知らざるこそ奇怪なれ。唯驚く可きに似たれども、社会圧制の久しき、国民一般の習慣を成して一般の性と為り、政治上に於て君々(きみきみ)たらざるも臣々(しんしん)たらざるを得ずと言うに等しく、婦人の道は柔和忍辱盲従に在り、夫々(おっとおっと)たらざるも妻々(つまつま)たらざるを得ずとて、専ら其一方の教に力を籠めて自から封建社会の秩序に適合せしめ、又間接に其秩序を幇助(ほうじょ)せしめたるが如き、一種特別なる時勢の中に居て立案執筆したる女大学なれば、其所論今日より見ればこそ奇怪なれども、当年に在ては決して怪しむに足らず。弓矢鎗剣(きゅうしそうけん)、今の軍器としては無用の長物、唯一種の玩具なれども、昔年は一本の鎗を以て三軍の成敗を決したることあり。昔は利器たり、今は玩具たり。今昔の相違これを名けて人智の進歩時勢の変遷と言う。学者の注意す可き所のものなり。左れば我輩は女大学を見て女子教訓の弓矢鎗剣論と認め、今日に於て毫も重きを置かずと雖も、論旨の是非は擱(お)き、記者が女子を教うるの必要を説く其熱心に至りては唯感服の外なし。依て今我輩の腹案女子教育説の大意を左に記し、之を新女大学と題して地下に記者に質さんとす。記者先生に於ても二百年来の変遷を見て或は首肯せらるゝことある可し。




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