風琴と魚の町
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著者名:林芙美子 

「どこの子なア、そこへ凭れちゃいけんがのう!」
 乳房(ちぶさ)を出した女が赤(あか)ん坊(ぼう)の鼻汁(はなじる)を啜りながら私を叱(しか)った。


 4 山の朱い寺の塔(とう)に灯がとぼった。島の背中から鰯雲(いわしぐも)が湧(わ)いて、私は唄(うた)をうたいながら、波止場の方へ歩いた。
 桟橋には灯がついたのか、長い竿(さお)の先きに籠(かご)をつけた物売りが、白い汽船の船腹をかこんで声高く叫(さけ)んでいた。
 母は待合所の方を見上げながら、桟橋の荷物の上に凭れていた。
「何ばしよったと、お父さん見て来たとか?」
「うん、見て来た! 山のごツ売れよった」
「ほんまな?」
「ほんま!」
 私の腰に、また紫の包みをくくりつけてくれながら、母の眼は嬉(うれ)し気(げ)であった。
「ぬくうなった、風がぬるぬるしよる」
「小便(こよう)がしたか」
「かまうこたなか、そこへせいよ」
 桟橋の下にはたくさん藻(も)や塵芥(じんかい)が浮(う)いていた。その藻や塵芥の下を潜(くぐ)って影(かげ)のような魚がヒラヒラ動いている。帰って来た船が鳩(はと)のように胸をふくらませた。その船の吃水線(きっすいせん)に潮が盛り上ると、空には薄い月が出た。
「馬の小便(こよう)のごつある」
「ほんでも、長いこと、きばっとったとじゃもの」
 私は、あんまり長い小便にあいそをつかしながら、うんと力んで自分の股間(こかん)を覗いてみた。白いプクプクした小山の向うに、空と船が逆(さか)さに写っていた。私は首筋が痛くなるほど身を曲(かが)めた。白い小山の向うから霧を散らした尿(いばり)が、キラキラ光って桟橋をぬらしている。
「何しよるとじゃろ、墜(お)ちたら知らんぞ、ほら、お父さんが戻(もど)って来よるが」
「ほんまか?」
「ほんまよ」
 股間を心地(ここち)よく海風が吹いた。
「くたびれなはったろう?」
 母がこう叫ぶと、父は手拭で頭をふきながら、雁木の上の方から、私達を呼んだ。
「うどんでも食わんか?」
 私は母の両手を握って振った。
「嬉しか! お父さん、山のごつ売ったとじゃろなア…………」
 私達三人は、露店のバンコに腰をかけて、うどんを食べた。私の丼(どんぶり)の中には三角の油揚が這入っていた。
「どうしてお父さんのも、おッ母さんのも、狐(きつね)がはいっとらんと?」
「やかましいか! 子供は黙(だま)って食うがまし……」
 私は一片の油揚を父の丼の中へ投げ入れてニヤッと笑った。父は甘美(うま)そうにそれを食った。
「珍(めずら)しかとじゃろな、二三日泊(とま)って見たらどうかな」
「初め、癈兵(はいへい)じゃろう云いよったが、風琴を鳴らして、ハイカラじゃ云う者もあった」
「ほうな、勇ましか曲をひとつふたつ、聴(き)かしてやるとよかったに……」
 私は、残ったうどんの汁に、湯をゆらゆらついで長いこと乳のように吸った。
 町には輪のように灯がついた。市場が近いのか、頭の上に平たい桶(おけ)を乗せた魚売りの女達が、「ばんより! ばんよりはいりゃんせんか」と呼び売りしながら通って行く。
「こりゃ、まあ、面白かところじゃ、汽車で見たりゃ、寺がおそろしく多かったが、漁師も多かもん、薬も売れようたい」
「ほんに、おかしか」
 父は、白い銭をたくさん数えて母に渡した。
「のう……章魚の足が食いたかア」
「また、あげんこツ! お父さんな、怒(おこ)んなさって、風琴ば海さ捨てる云いなはるばい」
「また、何、ぐずっちょるとか!」
 父は、豆手帳の背中から鉛筆(えんぴつ)を抜(ぬ)いて、薬箱の中と照し合せていた。


 5 夜になると、夜桜を見る人で山の上は群った蛾(が)のように賑(にぎ)わった。私達は、駅に近い線路ぎわのはたごに落ちついて、汗ばんだまま腹這っていた。
「こりゃもう、働きどうの多い町らしいぞ、桜を見ようとてお前、どこの町であぎゃん賑おうとったか?」
「狂人どうが、何が桜かの、たまげたものじゃ」
 別に気も浮かぬと云った風に、風呂敷包みをときながら、母はフンと鼻で笑った。
「ほう、お前も立って、ここへ来てみいや、綺麗かぞ」
 煤(すす)けた低い障子(しょうじ)を開けて、父は汚れたメリヤスのパッチをぬぎながら、私を呼んだ。
「寿司(すし)ば食いとうなるけに、見とうはなか……」
 私は立とうともしなかった。母はクックッと笑っていた。腫物(はれもの)のようにぶわぶわした畳(たたみ)の上に腹這って、母から読本(とくほん)を出してもらうと、私は大きい声を張りあげて、「ほごしょく」の一部を朗読し始めた。母は、私が大きい声で、すらすらと本を読む事が、自慢(じまん)ででもあるのであろう。「ふん、そうかや」と、度々優しく返事をした。
「百姓(ひゃくしょう)は馬鹿(ばか)だな、尺取虫(しゃくとりむし)に土瓶(どびん)を引っかけるてかい?」
「尺取虫が木の枝(えだ)のごつあるからじゃろ」
「どぎゃん虫かなア」
「田舎(いなか)へ行くとよくある虫じゃ」
「ふん、長いとじゃろ?」
「蚕(かいこ)のごつある」
「お父さん、ほんまに見たとか?」
「ほんまよ」
 汚点(しみ)だらけな壁に童子のような私の影が黒く写った。風が吹き込(こ)むたび、洋燈(ランプ)のホヤの先きが燃え上って、誰(だれ)か「雨が近い」と云いながら町を通っている。
「まあ、こんな臭か部屋(へや)、なんぼうにきめなはった?」
「泊るだけでよかもの、六拾銭たい」
「たまげたなア、旅はむごいものじゃ」
 あんまり静かなので、波の音が腹に這入って来るようだ。蒲団(ふとん)は一組で三枚、私はいつものように、読本を持ったまま、沈黙(だま)って裾へはいって横になった。
「おッ母さん! もう晩な、何も食わんとかい?」
「もう、何ちゃいらんとッ、蒲団にはいったら、寝(ね)ないかんとッ」
「うどんば、食べたじゃろが? 白か銭ばたくさん持っちょって、何も買うてやらんげに思うちょるが、宿屋も払うし、薬の問屋(とんや)へも払うてしまえば、あの白か銭は、のうなってしまうがの、早よ寝て、早よ起きい、朝いなったら、白かまんまいっぱい食べさすッでなア」
 座蒲団を二つに折って私の裾にさしあってはいると、父はこう云った。私は、白かまんまと云う言葉を聞くと、ポロポロと涙があふれた。
「背丈(せたけ)が伸(の)びる頃(ころ)ちうて、あぎゃん食いたかものじゃろうかなア」
「早よウ、きまって飯が食えるようにならな、何か、よか仕事はなかじゃろか」
 父も母も、裾に寝ている私が、泪(なみだ)を流していると云う事は知らぬ気であった。
「あれも、本ばよう読みよるで、どこかきまったりゃ、学校さあげてやりたか」
「明日、もう一日売れたりゃ、ここへ坐(すわ)ってもええが……」
「ここはええところじゃ、駅へ降りた時から、気持ちが、ほんまによかった。ここは何ちうてな?」
「尾(お)の道(みち)よ、云うてみい」
「おのみち、か?」
「海も山も近い、ええところじゃ」
 母は立って洋燈を消した。


 6 この家の庭には、石榴(ざくろ)の木が四五本あった。その石榴の木の下に、大きい囲いの浅い井戸(いど)があった。二階の縁(えん)の障子をあけると、その石榴の木と井戸が真下に見えた。井戸水は塩分を多分に含(ふく)んで、顔を洗うと、ちょっと舌が塩っぱかった。水は二階のはんど甕(がめ)の中へ、二日分位汲(く)み入れた。縁側には、七輪や、馬穴(バケツ)や、ゆきひらや、鮑(あわび)の植木鉢(うえきばち)や、座敷(ざしき)は六畳(じょう)で、押入れもなければ床(とこ)の間(ま)もない。これが私達三人の落ちついた二階借りの部屋の風景である。
 朝になると、借りた蒲団の上に白い風呂敷を掛けた。
 階下は、五十位の夫婦者(ふうふもの)で、古ぼけた俥(くるま)をいつも二台ほど土間に置いていた。おじさんが、俥をひっぱった姿は見た事はないが、誰かに貸すのででもあろう、時々、一台の俥が消える時がある。おばさんは毎日、石榴の木の見える縁側で、白い昆布(こんぶ)に辻占(つじうら)を巻いて、帯を結ぶ内職をしていた。
 ここの台所は、いつも落莫(らくばく)として食物らしい匂(にお)いをかいだ事がない。井戸は、囲いが浅いので、よく猫(ねこ)や犬が墜(お)ちた。そのたび、おばさんは、禿(はげ)の多い鏡を上から照らして、深い井戸の中を覗いた。
「尾の道の町に、何か力があっとじゃろ、大阪(おおさか)までも行かいでよかった」
「大阪まで行っとれば、ほんのこて今頃は苦労しよっとじゃろ」
 この頃、父も母も、少し肥えたかのように、私の眼にうつった。
 私は毎日いっぱい飯を食った。嬉しい日が続いた。
「腹が固うなるほど、食うちょれ、まんまさえ食うちょりゃ、心配なか」
「のう――おッ母さん! 階下のおばさんたち、飯食うちょるじゃろか?」
「どうして? 食うちょらな動けんがの」
「ほんでも、昨夜な、便所へはいっちょったら、おじさんが、おばさんに、俥も持って行かせ、俺(おれ)はこのまま死んだ方がまし、云うてな、泣きよんなはった」
「ほうかや! あの俥も金貸しにばし、取られなはったとじゃろ」
「親類は、あっとじゃろか、飯食いなはるとこ、見たことなか」
「そぎゃんこツ云うもんじゃなかッ、階下のおじさんな、若い時船へ乗りよんなはって、機械で足ば折んなはったとオ、誰っちゃ見てくれんけん、おばさんが昆布巻きするきりで、食うて行きなはるとだい、可哀(かわい)そうだろうがや」
「警察へ行っても駄目(だめ)かや?」
「誰もそんな事知らんと云うて、皆(みな)、笑いまくるぞ」
「そんでも、悪いこつすれば怒るだろう?」
「誰がや?」
「人の足折って、知らん顔しちょるもんがよオ」
「金を持っちょるけに、かなわんたい」
「階下のおじさんな、馬鹿たれか?」
「何ば云よっとか!」

 父は風琴と弁当を持って、一日中、「オイチニイ オイチニイ」と、町を流して薬を売って歩いた。
「漁師町に行ってみい、オイチニイの薬が来たいうて、皆出て来るけに」
「風体(ふうてい)が珍しかけにな」

 長いこと晴れた日が続いた。
 山では桜の花が散って、いっせいに四囲(あたり)が青ばんで来た。
 遠くで初蛙(はつがえる)も啼(な)いた。白い除虫菊(じょちゅうぎく)の花も咲(さ)いた。


 7 「学校へ行かんか?」
 ある日、山の茶園で、薔薇(ばら)の花を折って来て石榴の根元に植えていたら、商売から帰った父が、井戸端(いどばた)で顔を洗いながら、私にこう云った。
「学校か? 十三にもなって、五年生にはいるものはなかもの、行かぬ」
「学校へ行っとりゃ、ええことがあるに」
「六年生に入れてくれるかな?」
「沈黙(だま)っとりゃ、六年生でも入れようたい、よう読めるとじゃもの……」
「そんでも、算術はむずかしかろな?」
「ま、勉強せい、明日は連れて行ってやる」
 学校に行けることは、不安なようで嬉しい事であった。その晩、胸がドキドキして、私は子供らしく、いつまでも瞼(まぶた)の裏に浮んで来る白い数字を数えていた。
 十二時頃ででもあったであろうか、ウトウトしかけていると、裏の井戸で、重石(おもし)か何か墜ちたように凄(すさ)まじい水音がした。犬も猫も、井戸が深いので今までは墜ちこんでも嘗めるような水音しかしないのに、それは、聞き馴(な)れない大きい水音であった。
「おッ母さん! 何じゃろか?」
「起きとったか、何じゃろかのう……」
 そう話しあっている時、また水をはねて、何か悲しげな叫び声があがった。階下のおじさんが、わめきながら座敷を這っている。
「あんた! 起きまっせ! 井戸ん中へ誰か墜ちたらしかッ」
「誰が?」
「起きて、早よう行ってくれまっせ、おばさんかも判らんけに……」
 私は体がガタガタ震(ふる)えて、もう、ものが云えなかった。
「どぎゃんしたとじゃろか?」
「お前も一緒(いっしょ)に来いや、こまい者は寝とらんかッ!」
 父は呶鳴(どな)りながら梯子段(はしごだん)を破るようにドンドン降りて行った。
 私一人になると、周囲から空気が圧して来た。私はたまらなくなって、雨戸を開き、障子を開けた。
 石榴の葉が、ツンツン豆の葉のように光って、山の上に盆(ぼん)のような朱い月が出ている。肌の上を何かついと走った。
「どぎゃん、したかアい!」
 思わず私は声をあげて下へ叫んでみた。
 母が、鏡と洋燈を持っているのが見えた。
「ハイ! この縄を一生懸命(いっしょうけんめい)握っとんなはい」
 父はこうわめきながら、縄の先を、真中(まんなか)の石榴の幹へ結んでいた。
「いま、うちで、はいりますにな、辛抱(しんぼう)して、縄へさばっといて下さいや」
 おろおろした母の声も聞えた。
「まさこ! 降りてこいよッ」
 父は覗いている私を見上げて呶鳴った。私は寒いので、父の、黄色い筋のはいった服を背中にひっかけると、転げるように井戸端へ降りて行った。縁側ではおじさんが「うはははははうはははははは」と、泡(あわ)を食ったような声で呶鳴っていた。
「ええ子じゃけに、医者へ走って行け、おとなしう云うて来るんぞ」
 石畳の上は、淡(あわ)い燈のあかりでぬるぬる光っていた。温い夜風が、皆の裾を吹いて行く。井戸の中には、幾本(いくほん)も縄がさがって「ううん、ううん」唸(うな)り声が湧いていた。
「早よう行って来ぬか! 何しよっとか?」
 私は、見当もつかない夜更(よふ)けの町へ出た。波と風の音がして、町中、腥(なまぐさ)い臭(にお)いが流れていた。小満(しょうまん)の季節らしく、三味線(しゃみせん)の音のようなものが遠くから聞えて来る。
 いつから、手を通していたのであろうか、首のところで、釦(ボタン)をとめて、私は父の道化(どうけ)た憲兵の服を着ていた。そのためだろうか、街角の医者の家を叩くと、俥夫(しゃふ)は寝呆(ねぼ)けて私がいまだかつて、聞いた事がないほどな丁寧(ていねい)な物言いで、いんぎんに小腰を曲めた。
「よろしうござりますとも、一時でありましょうとも、二時でありましょうとも、医者の役目でござります故、私さえ走るならば、先生も起きましょうし、じき、上りまするでござります」


 8 井戸へ墜ちたおばさんは、片手にびしょびしょの風呂敷包みを抱(だ)いて上って来た。その黒い風呂敷包みの中には繻子(しゅす)の鯨帯(くじらおび)と、おじさんが船乗り時代に買ったという、ラッコの毛皮の帽子がはいっていた。おばさんは、夜更けを待って、裏口から質屋へ行く途中(とちゅう)ででもあったのであろう。おばさんの帯の間から質屋の通いがおちた。母は「このひとも苦労しなはる」と、思ったのか、その通いを、医者の見ぬように隠(かく)した。
「あぶないところであった」
「よかりましょうか?」
「打身をしとらぬから、血の道さえおこらねば、このままでよろしかろ」
 一度は食べてみたいと思ったおばさんの、内職の昆布が、部屋の隅に散乱していた。五ツ六ツ私は口に入れた。山椒(さんしょう)がヒリッと舌をさした。
「生きてあがったとじゃから、井戸浚(さら)えもせんでよかろ」

 朝、その水で私達は口をガラガラ嗽(すす)いだ。井戸の中には、おばさんの下駄(げた)が浮いていた。私は禿(は)げた鏡を借りて来て、井戸の中を照らしながら、下駄を笊(ざる)で引きあげた。母は、石囲いの四ツ角に、小さい盛塩(もりじお)をして「オンバラジャア、ユウセイソワカ」と掌を合しておがんだ。
 曇(くも)り日で、雨らしい風が吹いている。
 父は、着物の上から、下のおじさんの汚れた小倉(こくら)の袴(はかま)をはいて、私を連れて、山の小学校へ行った。
 小学校へ行く途中、神武天皇を祭った神社があった。その神社の裏に陸橋があって、下を汽車が走っていた。
「これへ乗って行きゃア、東京まで、沈黙(だま)っちょっても行けるんぞ」
「東京から、先の方は行けんか?」
「夷(えびす)の住んどるけに、女子供は行けぬ」
「東京から先は海か?」
「ハテ、お父さんも行ったこたなかよ」
 随分(ずいぶん)、石段の多い学校であった。父は石段の途中で何度も休んだ。学校の庭は沙漠(さばく)のように広かった。四隅(よすみ)に花壇(かだん)があって、ゆすらうめ、鉄線蓮(てっせんれん)、おんじ、薊(あざみ)、ルピナス、躑躅(つつじ)、いちはつ、などのようなものが植えてあった。
 校舎の上には、山の背が見えた。振り返ると、海が霞(かす)んで、近くに島がいくつも見えた。
「待っとれや」
 父は、袴の結び紐(ひも)の上に手を組んで、教員室の白い門の中へはいって行った。――よっぽど柳には性のあった土地と見えて、この庭の真中にも、柔かい芽を出した大きい、柳の木が一本、羊のようにフラフラ背を揺(ゆす)っていた。
 廻旋木(かいせんぼく)にさわってみたり、遊動円木に乗ってみたり、私は新しい学校の匂いをかいだ。だが、なぜか、うっとうしい気持ちがしていた。このまま走って、石段を駈(か)け降りようかと、学校の門の外へ出たが、父が、「ヨオイ!」と私を呼んだので、私は水から上った鳥のように身震いして教員室の門をくぐった。
 教員室には、二列になって、カナリヤの巣(す)のような小さい本箱が並んでいた。真中に火鉢があった。そこに、父と校長が並んでいた。父は、私の顔を見ると、いんぎんにおじぎをした。だから、私も、おじぎをしなければならないのだろうと、丁寧に最敬礼をした。校長は満足気であった。
「教室へ連れて行きましょう」
「ほんなら、私はこれで失礼いたします。何ともハヤ、よろしくお願い申し上げます」
 父が門から去ると私は悲しくなった。校長は背の高い人であった。私はどこかの学校で覚えた、「七尺下(さが)って師の影を踏(ふ)まず」と、云う言葉を思い出したので、遠くの方から、校長の後へついて行った。
「道草食わずと、早よウ歩かんか!」
 校長は振り返って私を叱った。窓の外のポンプ井戸の水溜(みずたま)りで、何かカロカロ……鳴いていた。
 雨戸のような歪(ゆが)んだ扉(とびら)を開けると、ワアンと子供達の息が私にかかった。(女子六年 イ組)と、黒板の上に札(ふだ)が下っていた。私は五年を半分飛ばして六年にあがる事が出来た。ちょっと不安であった。


 9 長い間雨が続いた。
 私はだんだん学校へ行く事が厭(いや)になった。学校に馴れると、子供達は、寄ってたかって私の事を「オイチニイの新馬鹿大将の娘じゃ」と、云った。
 私はチャップリンの新馬鹿大将と、父の姿とは、似つかないものだと思っていた。それ故、私は、いつか、父にその話をしようと思ったが、父は長い雨で腐り切っていた。
 黄色い粟飯(あわめし)が続いた。私は飯を食べるごとに、厩(うまや)を聯想(れんそう)しなければならなかった。私は学校では、弁当を食べなかった。弁当の時間は唱歌室にはいってオルガンを鳴らした。私は、父の風琴の譜(ふ)で、オルガンを上手に弾(ひ)いた。
 私は、言葉が乱暴なので、よく先生に叱られた。先生は、三十を過ぎた太った女のひとであった。いつも前髪の大きい庇(ひさし)から、雑巾(ぞうきん)のような毛束(けたば)を覗かしていた。
「東京語をつかわねばなりませんよ」
 それで、みんな、「うちはね」と云う美しい言葉を使い出した。
 私は、それを時々失念して、「わしはね」と、云っては皆に嘲笑(ちょうしょう)された。学校へ行くと、見た事もない美しい花と、石版絵がたくさん見られて楽しみであったが、大勢の子供達は、いつまでたっても、私に対して、「新馬鹿大将」を止(や)めなかった。
「もう学校さ行きとうはなか?」
「小学校だきゃ出とらんな、おッ母さんば見てみい、本も読めんけん、いつもかつも、眠(ねむ)っとろうがや」
「ほんでも、うるそうして……」
「何がうるさかと?」
「云わん!」
「云わんか?」
「云いとうはなか!」
 刀で剪(き)りたくなるほど、雨が毎日毎日続いた。階下のおばさんは、毎日昆布の中に辻占と山椒を入れて帯を結んでいた。もう、黄いろいご飯も途絶え勝ちになった。母は、階下のおばさんに荷札に針金を通す仕事を探してもらった。父と母と競争すると母の方が針金を通すのは上手であった。
 私は学校へ行くふりをして学校の裏の山へ行った。ネルの着物を通して山肌がくんくん匂っている。雨が降って来ると、風呂敷で頭をおおうて、松(まつ)の幹に凭れて遊んだ。
 天気のいい日であった。山へ登って、萩(はぎ)の株の蔭(かげ)へ寝ころんでいたら、体操の先生のように髪を長くした男が、お梅(うめ)さんと云う米屋の娘と遊んでいた。恥(は)ずかしい事だと思ったのか私は山を降りた。真珠色(しんじゅいろ)に光った海の色が、チカチカ眼をさした。

 父と母が、「大阪の方へ行ってみるか」と云う風な事をよく話しだした。私は、大阪の方へ行きたくないと思った。いつの間にか、父の憲兵服も無くなっていた。だから風琴がなくなった時の事を考えると、私は胸に塩が埋(うま)ったようで悲しかった。
「俥でも引っぱってみるか?」
 父が、腐り切ってこう云った。その頃、私は好きな男の子があったので、なんぼうにもそれは恥ずかしい事であった。その好きな男の子は、魚屋のせがれであった。いつか、その魚屋の前を通っていたら、知りもしないのに、その子は私に呼びかけた。
「魚が、こぎゃん、えっと、えっと、釣(つ)れたんどう、一尾(び)やろうか、何がええんな」
「ちぬご」
「ちぬごか、あぎゃんもんがええんか」
 家の中は誰もいなかった。男の子は鼻水をずるずる啜りながら、ちぬごを新聞で包んでくれた。ちぬごは、まだぴちぴちして鱗が銀色に光っていた。
「何枚着とるんな」
「着物か?」
「うん」
「ぬくいけん何枚も着とらん」
「どら、衿を数えてみてやろ」
 男の子は、腥い手で私の衿を数えた。数え終ると、皮剥(かわは)ぎと云う魚を指差して、「これも、えっとやろか」と云った。
「魚、わしゃ、何でも好きじゃんで」
「魚屋はええど、魚ばア食える」
 男の子は、いつか、自分の家の船で釣りに連れて行ってやると云った。私は胸に血がこみあげて来るように息苦しさを感じた。
 学校へ翌(あく)る日行ってみたら、その子は五年生の組長であった。


 10 誰の紹介(しょうかい)であったか、父は、どれでも一瓶(ひとびん)拾銭の化粧水(けしょうすい)を仕入れて来た。青い瓶もあった。紅(あか)い瓶も、黄いろい瓶も、みな美しい姿をしていた。模様には、ライラックの花がついて、きつく振ると、瓶の底から、うどん粉のような雲があがった。
「まあ、美しか!」
「拾銭じゃ云うたら、娘達や買いたかろ」
「わしでも買いたか」
「生意気なこと云いよる」
 父はこの化粧水を売るについて、この様な唄をどこからか習って来た。
一瓶つければ桜色
二瓶つければ雪の肌
諸君! 買いたまえ
買わなきゃ炭団(たどん)となるばかし。
 父は、この節に合せて、風琴を鳴らす事に、五日もかかってしまった。
「早よう売らな腐る云いよった」
「そぎゃん、ひどかもん売ってもよかろか?」
「ハテ、良かろか、悪かろか、食えんもな、仕様がなかじゃなッか」

 尾の道の町はずれに吉和(よしわ)と云う村があった。帆布(はんぷ)工場もあって、女工や、漁師の女達がたくさんいた。父はよくそこへ出掛けて行った。
 私は、こういうハイカラな商売は好きだと思った。私は、赤い瓶を一ツ盗(ぬす)んで、はんど甕の横に隠しておいた。
「時勢が進むと、安うて、ハイカラなものが出来るもんかなア」
 町中「一瓶つければ桜色」の唄が流行(はや)った。化粧水は、持って出るたび、よく売れて行った。
 その頃、籠の中へ、牛肉を入れて売って歩く婆さんが来た。もうけがあるのであろう、母は気前よく、よくそれを買った。蒟蒻(こんにゃく)を入れると、血のような色になって、「犬の肉ででもあっとじゃろ」と、三人とも安いのでよく、その赤い肉を食った。
「やっぱし、犬の肉でやんすで」
 階下のおばさんは、買った肉を犬にくれたら、やっぱし食わなかったと、それが犬の肉である事を保証した。
 雨がカラリと霽(は)れた日が来た。ある日、山の学校から帰って来ると、母が、息を詰めて泣いていた。
「どぎゃん、したと?」
「お父さんが、のう……警察い行きなはった」
 私は、この時の悲しみを、一生忘れないだろう。通草(あけび)のように瞼が重くなった。
「おッ母さんな、警察い、ちょっと行って来ッで、ええ子して待っとれ」
「わしも行く。――わしも云うたい、お父さん帰るごと」
「子供が行ったっちゃ、おごらるるばかり、待っとれ!」
「うんにゃ! うんにゃ! 一人じゃ淋(さび)しか!」
「ビンタばやろかいッ!」
 母が出て行った後、私は、オイオイ泣いた。階下のおばさんが、這い上って来て、一緒に傍に横になってくれても、私は声をあげて泣いた。
「お父さんが云わしたばい、あア、おばっさん! 戦争の時、鑵詰(かんづめ)に石ぶち込んで、成金さなったものもあるとじゃもの、俺がとは砂粒(すなつぶ)よか、こまかいことじゃ云うて……」
「泣きなはんな、お父さんは、ちっとも悪うはなかりゃん、あれは製造する者が悪いんじゃけのう」
「どぎゃんしても俺や泣く! 飯ば食えんじゃなっか!」
 私は、夕方町の中の警察へ走って行った。
 唐草(からくさ)模様のついた鉄の扉に凭れて、父と母が出て来るのを待った。「オンバラジャア、ユウセイソワカ」私は、鉄の棒を握って、何となく空に祈(いの)った。
 淋しくなった。
 裏側の水上署でカラカラ鈴(すず)の鳴る音が聞える。
 私は裏側へ廻(まわ)って、水色のペンキ塗(ぬ)りの歪んだ窓へよじ登って下を覗いてみた。
 電気が煌々(こうこう)とついていた。部屋の隅に母が鼠(ねずみ)よりも小さく私の眼に写った。父が、その母の前で、巡査(じゅんさ)にぴしぴしビンタを殴られていた。
「さあ、唄うてみんか!」
 父は、奇妙(きみょう)な声で、風琴を鳴らしながら、
「二瓶つければ雪の肌」と、唄をうたった。
「もっと大きな声で唄わんかッ!」
「ハッハッ……うどん粉つけて、雪の肌いなりゃア、安かものじゃ」
 悲しさがこみあげて来た。父は闇雲(やみくも)に、巡査に、ビンタをぶたれていた。
「馬鹿たれ! 馬鹿たれ!」
 私は猿(さる)のように声をあげると、海岸の方へ走って行った。
「まさこヨイ!」と呼ぶ、母の声を聞いたが、私の耳底には、いつまでも何か遠く、歯車のようなものがギリギリ鳴っていた。
(昭和六年四月)



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