丹下左膳
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著者名:林不忘 

 出るのは溜息だけで、やがて対馬守を先頭に登ってきたのは、帝釈山の頂近く、天を摩(ま)す老杉の下に世捨て人の住まいとも見える風流な茶室です。
 このごろの茶室は、ブルジョア趣味の贅沢なものになっているが、当時はほんとの侘(わ)びの境地で、草葺きの軒は傾き、文字どおりの竹の柱が、黒く煤けている。
「どうじゃ、爺。その後は変わりないかな。こまったことが起きたぞ」
 対馬守は、そういって、よりつきから架燈口(かとうぐち)をあけた。家臣たちは、眼白押しにならんで円座にかける。
 三畳台目(じょうだいめ)のせまい部屋に、柿のへたのようなしなびた老人がひとり、きちんと炉ばたにすわって、釜の音を聞いている。
 老人も老人、百十三まで年齢(とし)を数えて覚えているが、その後はもうわからない、たしか百二十一か二になっている一風宗匠(いっぷうそうしょう)という人で、柳生家の二、三代前のことまですっかり知っているという生きた藩史。
 だが、年が年、などという言葉を、とうに通り過ぎた年なので、耳は遠いし、口がきけない。
 でも、この愛庵の帝釈山の茶室を、殿からいただいて、好んで一人暮しをしているくらいだから、足腰は立つのです。
 一風宗匠は、きょとんとした顔で対馬守を迎えましたが、黙って矢立と紙をさし出した。これへ書け……という意味。

       三

 誰の金魚を殺すかと、お風呂場での下相談の際。
 柳生は、剣術はうまかろうが、金などあるまい……とおっしゃった八代吉宗公のおことばに対して。
 千代田の垢すり旗下、愚楽老人(ぐらくろうじん)の言上したところでは――ナアニ、先祖がしこたまためこんで、どこかに隠してあるんです、という。
 果たしてそれが事実なら……。
 当主対馬守がその金の所在(ありか)を知らぬというはずはなさそうなものだが。
 貧乏で、たださえやりくり算段に日を送っている小藩へ、百万石の雄藩でさえ恐慌をきたす日光おつくろいの番が落ちたのだから、藩中上下こぞって周章狼狽。
 刃光刀影にビクともしない柳生の殿様、まっ蒼になって、いまこの裏庭つづきの帝釈山へあがってきたわけ。
 その帝釈山の拝領の茶室、無二庵(むにあん)に隠遁する一風宗匠は、齢(よわ)い百二十いくつ、じっさい奇蹟の長命で、柳生藩のことなら先々代のころから、なんでもかんでも心得ているという口をきく百科全書です。
 いや、口はきけないんだ。耳も遠い。ただ、お魚のようなどんよりした眼だけは、それでもまだ相当に見えるので、この一風宗匠との話は、すべて筆談でございます。
 木の根が化石したように、すっかり縮まってしまってる一風宗匠、人間もこう甲羅(こうら)をへると、まことに脱俗に仙味をおびてまいります。岩石か何か超時間的な存在を見るような、一種グロテスクな、それでいて涼しい風骨(ふうこつ)が漂っている。
 この暑いのに茶の十徳を着て、そいつがブカブカで貸間だらけ、一風宗匠は十徳のうちでこちこちにかたまっていらっしゃる。皮膚など茶渋を刷(は)いたようで、ところどころに苔のような斑点が見えるのは、時代がついているのでしょう。
 髪は、白髪をとおりこして薄い金いろです。そいつを合総(がっそう)にとりあげて、口をもぐもぐさせながら、矢立と筆をつき出したのを、対馬守はうなずきつつ受け取って、
「明年の日光御用、当藩に申し聞けられ候も、御承知の小禄、困却このことに候、腹掻っさばき、御先祖のまつりを絶てばとて、家稷(かしょく)に対し公儀に対し申し訳相立たず、いかにも無念――」
 対馬守がそこまで書くのを、子供のようににじりよって、わきからのぞきこんでいた一風宗匠、やにわに筆をもぎとって、
「短気はそんき、とくがわの難題、なにおそれんや」
 達筆です。一気に書き流した一風宗匠、筆をカラリと捨てて、ニコニコしている。
 対馬守はせきこんで、その筆を拾い上げ、
「宗匠、遺憾ながら事態を解せず。剣力、膂力(りょりょく)をもって処せんには、あに怖れんや。ただ金力なきをいかんせん」
 一風宗匠は依然として、植物性の静かな微笑をふくみ、
「風には木立ち、雨には傘、物それぞれに防ぎの手あるものぞかし、金の入用には金さえあらば、吹く雨風も柳に風、蛙のつらに雨じゃぞよ」
 さあ、対馬守わからない。

       四

「宗匠、何を言わるる。そ、その金がないから、予をはじめ家臣一同、この心配ではござらぬか」
 思わず対馬守は、口に出してどなったが、いかな大声でも、一風宗匠には通じないので。
 唖然(あぜん)たる対馬守の顔へ、宗匠は相変わらず、百年を閲(けみ)した静かな笑みを送りながら、また筆をとって、
「金は何ほどにてもある故に、さわぐまいぞえ。剣は腹なり。人の世に生くるすべての道なり。いたずらに立ち騒ぐは武将の名折れと知るべし」
 と書いた。百二十いくつの一風宗匠から見れば、やっと三十に近い柳生対馬守など、赤ん坊どころか、アミーバくらいにしかうつらないらしい。
 だから、いくら殿様でも対馬守、この一風宗匠に叱られるのは、毎度のことで、ちっともおどろかないが、金は何ほどでもある故に、騒ぐまいぞえ……という意外な文句に、ピタリ、驚異の眼を吸いつけられて、
「金はいくらでもあるという――」
 呻いたひとりごとが、すぐそばの寄りつきに待つ側近の人々の耳にはいったから、一同、わっと腰を浮かして、気の早い喜田川頼母(きたがわたのも)などは、
「金はいくらでもござりますと? どこに、どこに……」
 茶室へ駈けあがって来ようとするのを、寺門(てらかど)七郎右衛門(ろうえもん)がとめて、
「まア、待たれい! この話には落ちがあるようだ。文献によれば、三百万両積んだ和蘭(オランダ)船が、唐の海に沈んでおるそうじゃから、それを引きあげればなんでもないとか、なんとか――」
「さよう、一風宗匠のいうことなら、おおかたそこらが落ちでござろう」
 と、もう一人が口をとがらし、
「城下のおんなどものかんざしを取りあげて、小判に打ち直せばいいなどとナ、うははははは、殿! かような危急な場合、たあいもない老人を相手に、いたずらに時を過ごさるるとは、その意を得ませぬ。早々御下山あってしかるべく存じまする」
「そうだ、そうだ、一風宗匠はおひとりで、夢の国にあそばせておくに限るて」
 まるで博物館あつかい――耳が聞こえないから、宗匠、何を言われても平気です。
 対馬守も、暗然として宗匠を見下ろしていたが、ややあって長嘆息。
「ああ、やはり年齢(とし)じゃ。シッカリしておられるようでも、もう耄碌(もうろく)しておらるる。詮ないことじゃ。ごめん」
 一礼して土間へおりようとすると対馬守の裾を、ガッシとおさえたのは一風宗匠だ。
 動かぬ舌をもどかしげに、恨むがごとく殿様を見上げておりましたが、すぐまた、筆に墨をなすって、
「かかる時の用にもと、当家御初代さまの隠しおきたる金子(きんす)、幾百万両とも知れず。埋めある場処は――」
 眼をきらめかせた対馬守、じっと宗匠の筆のさきを見つめていると、
「――こけ猿の壺にきけ」
 と一風の筆が書きました。

       五

 こけ猿の茶壺にきけ――対馬守が、口のなかでつぶやいて、小首を傾けるのを、じっと見つめていた一風宗匠は、やがて筆をとって懐紙(かいし)に、左の意味のことをサラサラと書き流したのです。
 それによると……。
 剣道によって家をなした柳生家第一代の先祖が、死の近いことを知ると同時に、戦国の余燼(よじん)いまだ納まらない当時のこととて、不時の軍用金にもと貯えておいた黄金をはじめ、たびたびの拝領物、めぼしい家財道具などをすべて金に換えて、それをそっくり山間の某地に埋めたというのである。
「山間の某地にナ」
 と対馬守は、眼をきらめかして、
「夢のごとき昔語りじゃ」
 と、きっと部屋の一隅をにらんだ。
 すると、殿の半信半疑の顔を見た一風宗匠は、また筆をうごかして、
「在りと観ずれば在り。無しと信ずれば無し。疑うはすなわち失うことなり」[#この行は底本では3字下げ]
「ふうむ……」
 腕こまぬいた対馬守のようすに、家来たちも、もうふざけるものはない。みんな円座から乗りだして、肩を四角くしている。
 対馬守は、筆談をつづけて、
「その儀事実とあらば、藩主たる予の今まで知らざりしこと、まことに合点ゆかず」
 一風宗匠の応答……。
「用なきときに子孫に知らすれば、無駄使いするは必定。さすれば、かかる場合もやと、まさかの役に立てんと隠しおきたる御先君の思召し相立たずそうろうことと相なり――」
 苦笑した対馬守は、
「されど、天、宗匠に嘉(か)するに稀有(けう)の寿命をもってしたれば、過(か)なかりしも、もし宗匠にして短命なりせば、いつの日誰によってかこれを知らん。家中のもの何人も知らずば、大金いたずらに土中に埋ずもれんのみ。心得難きことなり」
「その不都合は万々これなし。迂生(うせい)臨終のさいは、殿に言上いたすべき心組みに候いき」
 濶然(かつぜん)と哄笑した一風は、なおも筆を走らせ、
「大金の所在は、壺中にあり」
 急(せ)きこんだ柳生対馬守、
「壺中にありとは、これいかに」
「埋没の個処を詳細紙面にしるし、これをこけ猿の壺中に封じあるものなり」
 そのこけ猿の茶壺は、弟源三郎に持たせて、江戸へやってしまった!
 対馬守は、大いにあわてて、紙を掴みとるなり、大書しました。
「うずめある場所は、宗匠御存じなきや」
「何人もこれを知らず。その地図は、こけ猿の茶壺に封じ込めあるをもって、茶壺をひらけ」[#この行は底本では天付き]
 長い筆談に疲れたものか、宗匠はカラリと筆を投じて、不機嫌に横を向いてしまった。

       六

 大金をうずめてある個処を示した秘密の地図が、こけ猿の茶壺に封じてある――なんてことは、だれも知らないから、彼壺(あれ)はもうとうのむかしに、司馬道場に婿入りする源三郎の引出ものとして、江戸へ持たしてやってしまった!
 あとの祭り……。
 その黄金さえ掘り出せば、日光御修繕なんか毎年引き受けたってお茶の子サイサイ、柳生の里は貧乏どころか西国一はもちろん、ことによると海内(かいだい)無双の富裕な家になるやも知れない――。
「しまったっ」
 と呻ったのは、対馬守です。主君から一伍一什(いちぶしじゅう)を聞いた高大之進(こうだいのしん)、大垣(おおがき)七郎右衛門(ろうえもん)、寺門一馬(てらかどかずま)、駒井甚(こまいじん)三郎(ろう)、喜田川頼母(きたがわたのも)の面々(めんめん)、口々に、
「惜しみてもあまりあること――」
「まだなんとか取りかえす途(みち)は……」
「イヤ、かのこけ猿の茶壺は、茶道から申して名物は名物に相違ござるまいが、門外不出と銘うって永代当家に伝わるべきものとしてあったのは、さような仔細ばなしござってか。道理で――」
「それを知らずに、源三郎様につけて差しあげたのは、近ごろ不覚千万!」
「迂濶(うかつ)のいたりと申して、殿すら御存じなかったのじゃから、だれの責任というのでもござらぬ。あの老いぼれの一風が、もうすこし早くお耳に入れればよいものを……」
「だが、かような問題が起こらねば、一風は死ぬ時まで、黙っておる所存であったというから――」
「おいっ! おのおの方、司馬道場への婿引出は、何もあの壺とは限らぬのだ。なんでもよいわけのもの。ただ、絶大の好意を示す方便として、御当家においてもっとも重んずる宝物、かのこけ猿を進呈したというまでのことじゃ。今のうちなら、取り戻すことも容易でござろう」
「そうだっ! 是が非でも壺をとり返せっ!」
 対馬守は、もとよりこの意見です。なんとかして壺を手に入れねばならぬ!
 さっそく下山して、一間に休息させてあった田丸主水正を呼び出し、きいてみると、
「ハッ。金魚の……イエ、日光御用の儀にとりまぎれて、言上がおくれましたが、道中宰領(さいりょう)安積玄心斎が江戸屋敷に出頭しての話によりますと、まだ源三郎様の御一行は、江戸の入口品川にとどまっていらっしゃる模様で、それにつきましては、司馬道場のほうと、何か話にくいちがいがありますようで――」
 思わず怒声をつのらせた対馬守、
「ナニ? 源三郎は、まだ品川にうろうろいたしておると? しからば、こけ猿の茶壺は、いまだ本郷の手へは渡っておらぬのだな?」
「それがソノ」
 と主水正自分の落ち度のように平伏して、
「同じく玄心斎の報告では、こけ猿のお壺は、つづみの与吉とやら申す者のために持ち出されて、連日連夜捜索中なれど、今もって行方知れずと……」
「何イ? 壺を、ぬ、盗まれたっ――!」

       七

 そのこけ猿の茶壺を、つづみの与吉の手から引っさらったのが、あの得体の知れないところてん売りの小僧、名も親もはっきりしないチョビ安で――
 そのまたチョビ安が与の公に追いつめられて、苦しまぎれに飛びこんだ橋下の掘立て小屋が、偶然にも、かの隻眼隻腕の剣鬼、丹下左膳の世をしのぶ住まい。
 何ごとかこの壺に、曰くありと見た刃怪左膳、チョビ安の身柄といっしょに今、こけ猿の茶壺を手もとに預かっているので。
 人もあろうに、左膳の手に壺が落ちようとは……。
 これは、だれにとっても、まことに相手が悪い。
 だが。
 そんなことは知らない柳生の藩中、対馬守をはじめ、家臣一同、こけ猿が行方不明だと聞いて、サッと顔いろを変えた。
 さっそく城中の大広間にあつまって、会議です。
「あの壺さえありますれば、なにも驚くことはござらぬ。危急存亡の場合、なんとかして壺を見つけ出さねば……」
「しかし、拙者はふしぎでならぬ。壺は昔から一度もひらいたことがないのか」
「いや、今まで毎年、宇治(うじ)の茶匠へあの壺をつかわして、あれにいっぱい新茶を詰めて、取り寄せておるのです。いつも新茶を取りに宇治へやった壺……厳重に封をして当方へ持ち帰り、御前において封切りの茶事を催して開くのです。そんな、一風の申すような地図など入っておるとすれば、とうに気づいておらねばならぬ」
「じゃが、それほど大切な図面を隠すのじゃから、なにか茶壺に、特別のしかけがしてあろうも知れぬ。とにかく、壺を手に入れることが、何よりの急務じゃ!」
「評定(ひょうじょう)無用! 一刻も早く同勢をすぐり、捜索隊を組織し、江戸おもてへ発足せしめられたい!」
 剣をもって日本国中に鳴る家中です。ワッ! という声とともに、広場いっぱいに手があがって、ガヤガヤいう騒ぎ……。
 拙者も、吾輩も、それがしも、みんながわれおくれじと江戸へ押し出す気組み。それじゃア柳生の里がからっぽになってしまう。
 黙って一同のいうところを聞いていた対馬守、お小姓をしたがえて奥へおはいりになった。するとしばらくして、祐筆(ゆうひつ)に命じて書かせた大きな提示が、広間に張り出されました。
 一、天地神明に誓いて、こけ猿の茶壺を発見すべきこと。
 一、柳生一刀流の赴くところ、江戸中の瓦をはがし、屍山血河を築くとも、必ずともに壺を入手すべし。
右御意之趣(ぎょいのおもむき)……。
 源三郎につぐ柳門(りゅうもん)非凡の剣手、高大之進を隊長に、大垣(おおがき)七郎右衛門(ろうえもん)、寺門一馬(てらかどかずま)、喜田川頼母(きたがわたのも)、駒井甚(こまいじん)三郎(ろう)、井上近江(いのうえおうみ)、清水粂之介(しみずくめのすけ)ほか一団二十三名、一藩の大事を肩にさながら出陣のごとく、即夜(そくや)、折りからの月明を踏んで江戸へ、江戸へ……。

   足留(あしど)め稲荷(いなり)


       一

 品川や袖にうち越す花の浪……とは、菊舎尼(きくしゃに)の句。
 その、しながわは。
 東海寺(とうかいじ)、千体荒神(たいこうじん)、足留稲荷(あしどめいなり)とそれぞれいわれに富む名所が多い。
 中でも、足どめの稲荷は。
 このお稲荷さんを修心すれば、長く客足を引きとめておくことができるというので、旅籠(はたご)や青楼(せいろう)、その他客商売の参詣で賑わって、たいへんに繁昌したもの。
 ふとしたことから馴染(なじ)んだ客に、つとめを離れて惹かれて、ひそかにこの足留稲荷へ願をかけた一夜妻もあったであろう……。
 その足留稲荷のとんだ巧徳(くどく)ででもあろうか。
 伊賀の暴れン坊、柳生源三郎の婿入り道中は、いまだ八ツ山下の本陣、鶴岡市郎右衛門方(つるおかいちろうえもんかた)に引っかかっているので。
 こけ猿の茶壺は、今もって行方知れず。植木屋に化けてひとり本郷の道場へ潜入して行った主君、源三郎の帰るまでに、なんとかして壺を見つけ出そうと、安積玄心斎が躍起となって采配を振り、毎日、早朝から深夜まで、入り代わり立ちかわり、隊をつくってこの品川から、江戸の町じゅうへ散らばって、さがし歩いて来たのだが――。
 一度は、佐竹右京太夫(さたけうきょうだゆう)の横町で、あのつづみの与吉に出あったものの、みごとに抜けられてしまって……。
 来る日も、くる日も、飽きずに照りつける江戸の夏だ。
 若き殿、源三郎の腕は、みんな日本一と信じているから、ひとりで先方へ行っていても、だれも心配なんかしない。何しろ、血の気の多い若侍が、何十人となく、毎日毎晩、宿屋にゴロゴロしているんだから、いつまでたってもいっこう壺の埓(らち)があかないとなると、そろそろ退屈してきて、脛(すね)押し、腕相撲のうちはまだいいが、
「おいっ! まいれっ! ここで一丁稽古をつけてやろう」
「何をっ! こちらで申すことだ。さァ、遠慮せずと打ちこんでこいっ!」
「やあ、こやつ、遠慮せずに、とは、いつのまに若先生の口調を覚えた」
 なんかと、てんでに荷物から木剣を取り出し、大広間での剣術のけいこをされちゃア宿屋がたまらない。
「足どめ稲荷が、妙なところへきいたようで」
「どうも、弱りましたな。この分でゆくと、もう一つ、足留稲荷の向うを張って、早発(だ)ち稲荷てえのをまつって、せいぜい油揚げをお供えしなくっちゃアなりますめえぜ」
 本陣の帳場格子のなかで、番頭たちが、こんなことをいいあっている。
 品川のお茶屋は、どこへ行っても伊賀訛りでいっぱいです。そいつが揃って酔っぱらって、大道で光る刀(やつ)を抜いたりするから、陽が落ちて暗くなると、鶴岡の前はバッタリ人通りがとだえる。
 こういう状態のところへ、植木屋姿の源三郎が、ひょっこり帰ってきました。

       二

 立ち帰ってきた源三郎は、てっきり司馬先生はおなくなりになったに相違ない……と肚をきめて、二、三日考えこんだ末、
「おいっ、ゲ、ゲ、玄心斎、すぐしたくをせい。これから即刻、本郷へ乗り込むのだ」
 と下知をくだした。
 帰って来たかと思うと、たちまち出発――いつもながら、端倪(たんげい)すべからざる伊賀の暴れん坊の行動に、安積玄心斎をはじめ一同はあっけにとられて、
「しかし、若、本郷のほうの動静は、いかがでござりました」
「サ、さようなことは、予だけが心得ておればよい」
 不機嫌に吐き出した源三郎のこころの中には。
 三つも、四つもの疑問があるので。
 司馬道場で、じぶんが柳生源三郎ということを知っているのは、あの、見破ったつづみの与吉と、お蓮派の領袖峰丹波だけであろうか?
 あの可憐な萩乃も、あばずれのお蓮様も、もう知っているのではなかろうか……?
 だが、これは源三郎の思いすごしで、あのふしぎな美男の植木屋が問題の婿源三郎ということは、丹波が必死に押し隠して、だれにも知らせてないのです。
 お蓮さまや萩乃にはむろんのこと、門弟一同にも、なにも言わずにある。
 丹波が皆に話してあるところでは……。
 変てこな白衣(びゃくえ)の侍が、左手に剣をふるって、やにわに斬りこんできたので、健気にもあの植木屋が、気を失った自分の刀を取って防いでくれた。ところが、剣光と血に逆上したとみえて、その感心な植木屋が、あとでは左腕の怪剣士といっしょになって、道場の連中と渡りあったとだけ……そうおもて向き披露してあるのだ。
 だから、あの、星が流れて、司馬老先生が永遠に瞑目(めいもく)した夜、かわいそうな植木屋がひとり、乱心して屋敷を逐電した……ということになっているので。
 が、しかし。
 あれが音に聞く柳生源三郎か、あのものすごい腕前!――と自分だけは知っている峰丹波の怖れと、苦しみは、絶大なものであった。
 道場を横領するには、お蓮様と組んで、あれを向うにまわさねばならぬ。つぎは、どうやってあらわれてくるであろうかと、丹波、やすきこころもない。
 それから、源三郎のもう一つの疑問は、あの枯れ松のような片腕のつかい手は、そもそも何ものであろうか?……ということ。
 自分が一目(もく)も二目もおかねばならぬ達人が、この世に存在するということを、源三郎、はじめて知ったのです。
 峰丹波には、この剣腕を充分に見せて、おどかすだけおどかしてある。もう、正々堂々と乗り込むに限る! と源三郎、
「供ッ!」
 と叫んで、本陣の玄関へ立ち出でた。黒紋つきにあられ小紋の裃(かみしも)、つづく安積玄心斎、脇本門之丞(わきもともんのじょう)、谷大八(たにだいはち)等……みんな同じ装(つく)りで、正式の婿入り行列、にわかのお立ちです。

   供命鳥(くめいちょう)


       一

「エ、コウ、剣術大名の葬式だけに、豪気(ごうぎ)なもんじゃアねえか」
「そうよなあ。これだけの人間が、不知火銭(しらぬいぜに)をもれえに出てるんだからなあ」
「おう、吉や、その、てめえ今いった、不知火銭たあなんでえ」
 夜の引明けです。
 本郷は妻恋坂のあたりは、老若男女の町内の者が群集して、押すな押すなの光景。
 きょう、司馬先生の遺骸が出棺になるので、平常恩顧にあずかった町家のもの一同、こうして門前からはるか坂下まで、ギッシリつめかけて、お見送りしようというのだが――中には、欲をかいて、千住(せんじゅ)だの板橋(いたばし)だのと、遠くから来ているものもある。
 欲というのは……。
 群衆のなかで、話し声がする。
「どうもえらい騒動でげすな。拙者は、まだ暗いうちに家を出まして、四谷(よつや)からあるいて来ましたので」
「いや、わたしは神田(かんだ)ですが、昨夜から、これ、このとおり、筵を持ってきて、御門前に泊まりこみました」
「おや! あなたも夜明し組で。私は、夜中から小僧をよこして、場所を取らせて置いて、いま来たところで」
「それはよい思いつき、こんどからわっしも、そうしやしょう」
「それはそうと、たいした人気ですな。もう始まりそうなものだが……」
 これじゃアまるで、都市対抗の野球戦みたいだ。
 それというのが。
 この司馬道場では。
 吉事につけ、凶事につけ、何かことがありますと、銭を紙にひねって、門前に集まった人たちに、バラ撒く習慣(しきたり)になっていて、当時これを妻恋坂の不知火銭といって、まあ、ちょっと大きく言えば、江戸名物のひとつになっていたんです。
 不知火銭……おおぜいへ撒くんだから、もとより一包みの銭の額(たか)は知れたものだが、これを手に入れれば、何よりもひとつの記念品(スーベニイル)で、そのうえ、禍(か)を払い、福を招くと言われた。マスコットとかなんとか言いますな、つまりあれにしようというんで、この司馬道場の不知火銭というと、江戸中がわあっと沸いたもんです。
 慶事(よろこび)には……そのよろこびを諸人に分かつ意味で。
 こんどのような悲しみには――死者(ほとけ)の冥福を人々に祈ってもらうため、また、生前の罪ほろぼしのこころで。
 銭を撒く――通りを埋める群衆の頭上へ。
 吉と呼ばれた男を取りまいて、さっきの職人らしい一団が、しきりにしゃべるのを聞けば、
「それに、まだ一ついいことがあるんだぜ」
「銭をくれたうえにか」
「おう。その銭の包みにヨ。たった一つ、御当家のお嬢さんが御自身で筆を取って、お捻りのうえに『御礼』と書いたやつがあるんだ。よろこびごとなら朱の紅筆で、きょうみてえな凶事(きょうじ)にゃあ墨でナ――その包みを拾った者はお前(めえ)……」

       二

 その、幾つとなく撒く中に、ただ一つ、御礼とお嬢さんの筆あとのあるお捻り……お墨つきの不知火銭を拾ったものは。
 ただひとり、邸内へ許されるという――門外にむらがる群衆の代表格として。
 そして。
 お祝いごとなら何人(なんぴと)をさしおいても、酒宴の最上座につらなり、お嬢さま萩乃のお酌を受ける。
 きょうのようなおとむらいなら。
 たといその包みを拾ったものが、乞食でも、かったい坊(ぼう)でも、喪主(もしゅ)のつぎ、会葬者の第一番に焼香する資格があるのだ。
「うめえ話じゃアねえか」
 と、吉をとりまく職人たちは、ワイワイひしめいて、
「妻恋小町の萩乃さまにじきじきおめどおりをゆるされるばかりじゃアねえ。次第によっちゃア、おことばの一つもかけてくださろうってんだ……まあ、吉(きっ)つあんじゃないか、会いたかった、見たかった。わちきゃおまはんに拾わせようと思って――」
「よせやい! 薄っ気味のわりい声を出すねえッ。チョンチョン格子の彼女じゃアあるめえし、剣術大名のお姫さまが、わちきゃ、おまはんに、なんて、そんなこというもんか。妾(わらわ)は、と来(く)らあ。近う近う……ってなもんだ。どうでえ!」
「笑わかしやがらア。おらあ、お姫さまのお墨つきの包みをいただいただけで、満足だ、ウフッ」
 なんかと、若いやつらは、儚(はかな)い期待に胸をときめかしております。
 群衆は刻々、増す一方――妻恋坂は、ずっと上からはるか下まで、見わたす限り人の海で、横町へはみ出した連中は、なんとかして本流へ割りこもうと、そこでもここでも、押すな押すなの騒ぎを演じている。
「やいッ、押すなってえのに!」
 振り返ると、うしろが深編笠の浪人で、
「身どもが押しておるのではない。ずっと向うから、何人も通して押してまいるのだ」
 こりゃあ理屈だ。怖い相手だから、
「へえ。なんとも相すみません」
 威張ったほうが、あやまっている。
 中には、纏(まと)い持ちが火事の屋根へ上がるように、身体じゅうに水をふりかけてやってきて、
「アイ、御免よ、ごめんよ。濡れても知らないよ」
 とばかり、群衆を動揺させて、都合のいい場所へおさまるという、頭のいいやつもある。
「押さないでくださいっ! 赤んぼが潰れますっ!」
 と子供をさしあげたおかみさんの悲鳴――。
「餓鬼なんざ、また生めあいいじゃアねえか。資本(もと)はかからねえんだ。なんならおいらが頼まれてもいいや」
 江戸の群衆は乱暴です。
「もう一度腹へけえしちめえっ!」
 カンガルーとまちがえてる。若い町娘にはさまれた男は、
「なに、かまいません。いくらでも押してくだせえ」
 と、幸福なサンドイッチという顔。

       三

 ハリウッドの女優さんなんかは、署名(サイン)係というのを何人か雇っていて、ブロマイドにサインをしてファンへ送っているそうですが萩乃のは、稀(たま)のことだから、自分で書くのだ。もっとも、名前じゃあない。なまめかしい筆で、御礼と……。
 なにか道場によろこびでもあって、この紅ふでの包みを拾おうものなら、天下一の果報者(かほうもの)というわけ。
 いま群衆のなかに。
 肩肘はった浪人者や、色の生っ白(ちろ)い若侍のすがたが、チラホラするのは、みんなこの、たった一つの萩乃直筆のおひねりを手に入れようという連中なので。
 音に聞く司馬道場の娘御に接近する機会をつくり、あとはこの拙者の男っぷりと、剣のうで前とであわよくば入り婿に……たいへんなうぬぼれだ。
 世は泰平。
 男の出世の途は、すっかりふさがってしまっている。
 腕のあるやつは、脾肉(ひにく)の嘆に堪えないし、腕もなんにもない当世武士は、ちょいとした男前だけを頼りに、おんなに見染められて世に出ようというこころがけ――みんなが萩乃を狙っているので。
 現代(いま)で言えば、まア、インテリ失業者とモダンボーイの大群、そいつが群衆の中にまじって、
「老師がお亡くなりになった今日(こんにち)、必然的に後継(あとめ)の問題が起こっておるであろう。イヤ、身どもが萩乃どのとひとこと話しさえすれば……」
「何を言わるる。御礼の不知火銭を拾うのは、拙者にきまっておる。バラバラッときたら、抜刀して暴れまわる所存だ。武運つたなく敢(あえ)ない最期をとげたなら、この髪を切って、故郷(くに)なる老母のもとへ――」
 決死の覚悟とみえます。
 萩乃がお目あてなのは、さむらいだけじゃアない。町内の伊勢屋のどら息子、貴賤老若、粋(すい)不粋(ぶすい)、千態万様、さながら浮き世の走馬燈で、芋を洗うような雑沓。
 金も拾いたいし、お嬢さんにも近づきたい……欲と色の綯(な)いまぜ手綱だから、この早朝から、いやもう、奔馬のような人気沸騰(ふっとう)……。
 妻恋小町の萩乃さま。
 本尊が小野の小町で、美人というと必ずなになに小町――一町内に一人ぐらいは、小町娘がいたもので、それも、白金町(しろがねちょう)だからしろがね小町(こまち)とか、相生町(あいおいちょう)で相生小町(あいおいこまち)などというのは、聞く耳もいいが、おはぐろ溝小町(どぶこまち)、本所割下水小町(ほんじょわりげすいこまち)なんてのは感心しません。ある捻った人が、小町ばっかりで癪(しゃく)だというので、大町(おおまち)とやって見た。白金大町(しろがねおおまち)、あいおい大町(おおまち)どうもいけません。下に番地がくっつきそうで――。
 やっぱり、美女は小町。
 小町は、妻恋小町の萩乃様。
 と、こういうわけで、きょうは司馬先生のお葬式だが、折りからの好天気、あのへんいったい、まるでお祭りのような人出です。

       四

 門前には、白黒の鯨幕を張りめぐらし、鼠いろの紙に忌中(きちゅう)と書いたのが、掲げてある。門柱にも、同じく鼠色の紙に、大きく撒銭仕候(まきぜにつかまつりそろ)と書いて貼り出してあるのだ。このごろは西洋式に、黒枠をとるが、むかしは葬儀には、すべてねずみ色の紙を用いるのが、礼であった。
 大玄関には、四旒(りゅう)の生絹(すずし)、供えものの唐櫃(からびつ)、呉床(あぐら)、真榊(まさかき)、根越(ねごし)の榊(さかき)などがならび、萩乃とお蓮さまの輿(こし)には、まわりに簾(すだれ)を下げ、白い房をたらし、司馬家の定紋(じょうもん)の、雪の輪に覗き蝶車の金具が、燦然(さんぜん)と黄のひかりを放っている。
 やしきの奥には。
 永眠の間の畳をあげ、床板のうえに真あたらしい盥(たらい)を置いて、萩乃やお蓮さまや、代稽古峰丹波の手で、老先生の遺骸に湯灌を使わせて納棺(のうかん)してある。
 在りし日と姿かわった司馬先生は、経かたびら、頭巾、さらし木綿の手甲(てっこう)脚絆をまとい、六文銭を入れたふくろを首に、珠数を手に、樒(しきみ)の葉に埋まっている。四方流れの屋根をかぶせた坐棺の上には、紙製の供命鳥(くめいちょう)を飾り、棺の周囲に金襴の幕をめぐらしてあるのだった。
 仏式七分に神式三分、神仏まぜこぜの様式……。
 玄関の横手に受付ができて、高弟のひとりが、帳面をまえに控えている。すべて喪中に使う帳簿は紙を縦にふたつ折りにして、その口のほうを上に向けてとじ、帳の綴り糸も、結び切りにするのが、古来の法で、普通とは逆に、奥から書きはじめて初めにかえるのである。
 大名、旗下、名ある剣客等の弔問、ひきもきらず、そのたびに群衆がざわめいて、道をひらく。土下座する。えらい騒ぎだ。
 萩乃は、奥の一間に、ひとり静かに悲しみに服しているものとみえる。お蓮さまも、表面だけは殊勝げに、しきりに居間で珠数をつまぐりながら、葬服の着つけでもしているのであろう。ふたりとも弔客や弟子たちの右往左往するおもて座敷のほうには、見えなかった。
 やがてのことに、わっとひときわ高く、諸人のどよめきがあがったのは、いよいよ吉凶禍福(きっきょうかふく)につけ、司馬道場の名物の撒銭(まきぜに)がはじまったのである。
 江都評判の不知火銭……。
 白無垢(しろむく)の麻裃をつけた峰丹波、白木の三宝にお捻りを山と積み上げて、門前に組みあげた櫓のうえに突っ立ち、
「これより、撒(ま)きます――なにとぞ皆さん、ともに、故先生の御冥福をお祈りくださるよう」
 どなりました。りっぱな恰幅(かっぷく)。よくとおる声だ。
 すると、一時に、お念仏やお題目の声が、豪雨のように沸き立って、
「なむあみだぶつ、なんみょうほうれんげきょう……!」
 丹波は一段と声を励まし、
「例によって、このなかにたった一つ、当家のお嬢様がお礼とおしたためになった包みがござる。それをお拾いの方は、どうぞ門番へお示しのうえ、邸内へお通りあるよう、御案内いたしまする」
 バラバラッ! と一掴み、投げました。

   招かざる客


       一

 ひとつの三宝が空(から)になると、あとから後からと、弟子が、銭包みを山盛りにしたお三宝をさしあげる。
 丹波はそれを受け取っては、眼下の人の海をめがけて、自分の金じゃアないから、ばかに威勢がいい。つかんでは投げ、掴んでは投げ……。
 ワーッ! ワッと、大浪の崩れるように、人々は鬨(とき)の声をあげて、拾いはじめた。
 拾うというより、あたまの上へ来たやつを、人より先に跳びあがり、伸びあがって、ひっ掴むんです。こうなると、背高童子が一番割りがいい。
 押しあい、へし合い、肩を揉み足を踏んづけあって、執念我欲の図……。
「痛えっ! 髷(まげ)をひっぱるのあ誰だっ!」
「おいっ、襟首へ手を突っこむやつがあるか」
「何いってやんでえ。我慢しろい。てめえの背中へお捻りがすべりこんだんだ」
「おれの背中へとびこんだら、おれのもんだ。やいっ、ぬすっと!」
「盗人だ? 畜――!」
 畜生っ! とどなるつもりで、口をあけた拍子に、その口の中へうまく不知火銭が舞いこんで、奴(やっこ)さん、眼を白黒しながら、
「ありがてえ! 苦しい……」
 どっちだかわからない。死ぬようなさわぎです。
 どこへ落ちるか不知火銭。
 誰に当たるか不知火小町のお墨つき――。
 見わたす限り人間の手があがって、掴もうとする指が、まるでさざなみのように、ひらいたりとじたりするぐあい、じっと見てると、ちょうど穂薄(ほすすき)の野を秋風が渡るよう……壮観だ。
「お侍さまっ! どうぞこっちへお撒きくださいっ」
 と、女の声。かと思うと、
「旦那! あっしのほうへ願います。あっしゃアまだ三つしか拾わねえ」
 あちこちから呶声がとんで、
「三つしか拾わぬとは、なんだ。拙者はまだ一つもありつかぬ」
「この野郎、三つも掴みやがって、当分不知火銭で食う気でいやアがる」
 中には、お婆さんなんか、両手に手ぬぐいをひろげて、あたまの上に張っているうちに、人波に溺れて群衆の足の間から、
「助けてくれッ!」
 という始末。おんなの悲鳴、子供の泣き声……中におおぜいの武士がまじっているのは、武士は食わねど高楊枝などとは言わせない、皮肉な光景で。
 もっとも、さむらいは、例外なしに萩乃様のおひねりが目的だから、躍りあがって掴んでみては、
「オ! これは違う。おっ! とこれもちがう……」
 違うのは、捨てるんです――じぶんの袂へ。
 この大騒動の真っ最中、もう一つ騒動が降って湧いたというのはちょうどこの時、坂下から群衆を蹴散らしてあがってくる、□々(かつかつ)たる騎馬の音……!

       二

 それも、一頭や二頭じゃない。
 十五、六頭……どこで揃えたか、伊賀の暴れン坊の一行、騎馬で乗りこんで来た。
 源三郎の白馬を先頭に、安積玄心斎、谷大八、脇本門之丞、その他、おもだった連中が馬で、あとの者は徒歩(かち)です。
 ものすごいお婿さまの一行――大蛇のように群衆の中をうねって、妻恋坂の下から、押しあげてきました。
「寄れっ! 寄れっ!」
 と、玄心斎の汗ばんだ叱咤が、騒然たる人声をつんざいて聞こえる。
「お馬さきをあけろっ!」
「ええイッ、道をあけぬかっ」
「ひづめにかけて通るぞ」
 口々に叫んで、馬を進めようとしても、何しろ、通りいっぱいの人だから、馬はまるで人間の泥濘(ぬかるみ)へ嵌(は)まりこんだようなもので、馬腹(はら)を蹴ろうが、鞭をくれようが、いっかなはかどりません。
 わがまま者の源三郎、火のごとくいらだって、
「こここれ! 途(みち)をひらけっ。けけ、蹴散らすぞっ……」
 鏡のような、静かな顔に、蒼白い笑みをうかべた伊賀のあばれン坊、裃(かみしも)の肩を片ほうはずして、握り太の鞭を、群衆の頭上にふるう。
 乱暴至極――。
 ちょうど撒銭のたけなわなところで。
 熱湯の沸騰するように、人々の興奮が頂点に達した時だから、たちまちにして、輪に輪をかけた混乱におちいった。
 馬列の通路にあたった人々こそ、えらい災難……。
 空(くう)に躍る銭をつかもうと夢中の背中へ、あらい鼻息とともに、ぬうっと、長い馬の顔があらわれて、あたまのうえで、ピューッ! ピュッと鞭がうなり、
「ム、虫けらどもっ! 踏みつぶして通るぞっ!」
 というどなり声だ。柳生源三郎、街の人など、それこそ、蚤か蚊ぐらいにしか思っていないんで。
 いまだ自分の意思を妨げられたことのない彼です。思うことで実現できないことが、この地上に存在しようなどとは、考えたこともない。
 癇癖(かんぺき)をつのらせて、しゃにむに、馬をすすめ、
「ヨヨ、余の顔を知らぬか。ば、馬足にかかりたいか、ソソそれとも、柳生の斬っさきにかかりたいか、のかぬと、ぶった斬るぞっ!」
 どっちにしたって、あんまり望ましくないから、群衆は命がけで犇(ひし)めきあい、必死に左右に押しひらいて、
「いくらお武家でも、無茶な人もあったものだ」
 非難の声と同時に、馬の腹の下から助けを呼ぶ人……鞭をくらって泣き叫ぶおんな子供――阿修羅(あしゅら)のような中を、馬はさながら急流をさかのぼるごとく、たてがみを振り立て、ふり立て、やっと司馬道場の門前へ――。
 群衆に馬を乗り入れる一行は、なんというひどいことをする奴! と、櫓の上から、あきれて見守っていた峰丹波、先なる白馬の人に気がつくと、銭を撒く手がシーンと宙で凍ってしまった。

       三

 阿鼻叫喚(あびきょうかん)をどこ吹く風と聞き流して、群衆を馬蹄にかけ、やっと門前までのしあがってきた源三郎の一行――。
 見ると。
 忌中の札が出ていて、邸内もただならないようすに、源三郎は馬上に腰を浮かして、やぐらのうえの丹波を見あげ、
「司馬道場の仁と見て、おたずね申す」
 前に植木屋として入りこんでいたのは、知らぬ顔だ。
 はじめて顔を合わせるものとして、源三郎、正式に名乗りをあげた。
「柳生源三郎、ただいま国おもてより到着いたしたるに、お屋敷の内外(ないがい)、こ、この騒ぎはなにごとでござる」
 丹波も、さる者。
 櫓の上から、しずかに一礼して、答えました。
「柳生? ハテ、当家と柳生殿とは、なんの関係もないはず。通りすがりのお方と、お見受け申す。御通行のおじゃまをして、恐縮千万なれど、ちと不幸ばしござって、今日は、当道場の例として、諸人(しょにん)に銭をまきおりまする。それがため、この群衆……なにとぞかってながら、他の道すじをお通りあるよう、願いまする」
 そして、源三郎を無視し、けろりとした顔で、最後の三宝をとりあげ、
「これが打ち止めの一撒き――!」
 と叫んで、その三宝ごと、パッと、わざと源三郎をめがけて、投げつけました。
 三宝は、安積玄心斎が鞘ごと抜いて横に払った一刀で、見事にわれ散った。白いお捻りが雪のように乱れ飛ぶ。
 丹波は悠々とやぐらを下りて、さっさと門内へ消えた。不知火銭は終わったが、おさまらないのは、うまくはずされた源三郎と、源三郎に踏みにじられた群衆とで。
「ヤイヤイ、江戸あ大原っぱじゃアねえんだ。馬場とまちがえちゃア困るぜ」
「柳生の一家だとヨ。道理で、箱根からこっちじゃアあんまり見かけねえ面(つら)が揃ってらあ」
 半分逃げ腰で、遠くから罵声を浴びせかけるが、源三郎はにこにこして、ピタリ、門前に馬をとめたままです。つづく一同も、汗馬を鎮めて無言。
「おおい、お馬のおさむれえさん! おめえのおかげで、おらア、お嬢さんのおひねりを拾いそこねたじゃアねえか」
 なんかと、ずっと向うにいるものだから、安全地帯と心得て、恨みをいうやつもいる。
 丹波につぐ高弟、岩淵達之助(いわぶちたつのすけ)と、等々力(とどろき)十内(ない)のふたりが、門ぎわに立ちあらわれました。
「御礼と萩乃様お筆のあとのある、たった一つの銭包みを拾った者はないか」
「そのつつみを手に入れた人は、出てこられたい。奥へ御案内申す」
「ないのかな、だれも拾わぬのか」
 みんな今更のように、自分の拾ったお捻りを見たりして、群衆がちょっとシーンとなった瞬間、
「ホホウ、こ、この包みに、墨で御礼とある……」
 と、伊賀の若様が馬上高く手をあげました。

       四

 いま丹波が最後に、源三郎をねらって三宝もろとも、はっしとばかり銭包みを投げ落とした瞬間――!
 源三郎、眼にもとまらぬ早業で、その一つを掴みとったのだったが、意外といおうか、偶然と言おうか、それこそは、諸人熱望の的たる萩乃さまお墨つきの不知火銭だったので。
 にくらしくても、反感(はんかん)は抱いていても、人間には、強い颯爽(さっそう)たるものを無条件に讃美し、敬慕する傾向(けいこう)があります。
 力こそは善であり、力こそは美であるとは、いつの時代になりましても、真理のひとつでありましょう。
 今。
 これだけ群衆を蹂躙(じゅうりん)し、その憤激を買った源三郎ではありますが……。
 その手に御礼のお捻りが握られて、馬上高く差し示しているのを見ると、人々は、いまの今までの憎悪や怒りをうち忘れて、わっと一時に、割れるような喝采(かっさい)を送った。
 色の抜けるほど白い、若い源三郎が、今まで片袖はずしていた裃の肩を入れて、馬上ゆたかに威をととのえ、ちいさな紙づつみを持った手を、さっと門へむかって突きだしたところは……さながら何か荒事(あらごと)の型にありそう。
 江戸っ児は、たあいがない。
 こんなことで、ワーッと訳もなく嬉しがっちまうんで。
「イヨウ! 待ってましたア!」
「天下一ッ!」
 なにが天下一なんだか、サッパリわからない。
 何か賞(ほ)めるとなると、よく両国(りょうごく)の花火にひっかけて、もじったもので、さっき柳生源三郎と名乗って丹波とのあいだに問答のあったのを聞いていますから、
「玉屋ア! 柳屋ア! 柳屋ア!」
 と即座の思いつき……四方八方から、さかんに声がかかる。
 なかには、岡焼き半分に、
「落ちるところへ、落ちましたよ。拙者は、諦めました」
「萩乃様とは、好一対。並べてみてえや、畜生」
「アアつまらねえ世の中だ。不知火小町も、これで悪くすると主(ぬし)が決まりますぜ」
 溜息をついている。
 が、群衆は、知らないものの――。
 婿として乗りこんできた源三郎に、この萩乃のおひねりが当たったというのも、これも一つの因縁……臨終まぎわまで源三郎を待ちこがれた、きょうの仏の手引きというのかも知れない。
 入場券代わりのこのたった一つの銭包み。
 切符を持っているんだから、源三郎は悠然と馬から下りて、
「サ、御案内を……」
 門の左右に立った岩淵達之助と等々力十内、顔を見あわせたが、定例(きまり)であってみれば、お前さんはよろしい、お前さんは困るということはできない。
「いざ、こちらへ――」
 と仕方なく先に立って、邸内へはいったが、出る仏に入る鬼……きょう故先生の御出棺の日に、司馬道場、とんだ白鬼をよびこんでしまった――。

   忍(しの)びの柏手(かしわで)


       一

 子として、父の死を悼(いた)まぬものが、どこにあろう。
 殊(こと)に。
 おさなくして生母(はは)をうしなった萩乃にとって、なくなった司馬先生は、父でもあり、母でもあった。
 母のない娘(こ)は、いじらしさが増す。司馬先生としても、片親で両親を兼ねる気もちで、いつくしみ育ててきたのだけれど、あの素姓の知れないお蓮さまというものが腰元から後添に直ってからというものは、萩乃に対する先生の態度に、いくらかはさまったものができて、先生はそっとお蓮様のかげへまわって萩乃に慈愛をかたむけるというふうであった。
 萩乃を見る老父の眼には、始終弁解(いいわけ)がましいものがひらめいて、彼女には、それがつらかった。
 表面、お蓮さまによって父娘(おやこ)のあいだに、へだたりができたように見えたけれど……。
 でも、それは、実は、父と娘の気もちの底を、いっそう固くつなぐに役立ったのだった。
 その父、今や亡(な)し矣(い)――かなしみの涙におぼれて、身も世もない萩乃は、じぶんの座敷にひそかにたれこめて、侍女のすすめる白絹の葬衣に、袖をとおす気力だにない。
 床の間に、故父(ちち)の遺愛の品々が飾ってある。それに眼が行くたびに、あらたなる泪(なみだ)頬を伝うて、葬列に加わるしたくの薄化粧は、朝から何度ほどこしても、流れるばかり……婢(おんな)どもも、もらい泣きに瞼をはらして、座にいたたまれず、いまはもう、みんな退室(さが)ってしまった。
 ひとりになった萩乃は、なおもひとしきり、思うさま追憶のしのび泣きにふけったが――。この深い悲哀の中にも。
 ただ一条、かすかによろこびの光線(ひかり)とも思われるのは、父があんなに待ったにもかかわらず、とうとう源三郎様がまに合わないで、死にゆく父の枕頭で、いやなお方と仮(か)りの祝言(しゅうげん)のさかずきごとなど、しないですんだこと。
 源三郎の名を思い起こすと、萩乃はどんな時でも、われ知らず身ぶるいが走るのだった。
 伊賀のあばれん坊なんて、おそろしい綽名(あだな)のある方、それは熊のような男にきまっている……ふつふつ嫌な――!
 その源三郎が、どういう手ちがいか、いまだ乗りこんでこないのだから、いくら父のとり決めた相手でも、今となっては、じぶんさえしっかり頑張れば、なんとかのがれる術(すべ)があるかも知れない――。
 それにしても、源三郎の名がきらいになるにつけて、日とともに深められていくのは、あの、植木屋へのやむにやまれぬ思慕のこころ……。
 あの凜(りん)とした植木屋の若い衆を想うと、その悲痛のどん底にあっても、萩乃は、ひとりでポッと赧(あか)らむのです。
「じぶんとしたことが、なんという――しかも、この、お父様のお葬式の日に……」
 いくら自らをたしなめても、胸の一つ灯は、逝(ゆ)きにし父へのなみだでは、消えべくもないのだ。
 子として、父の死を悼まぬものが、どこにあろう――でも、かの若い植木屋を思い浮かべると、萩乃は自然に、ウットリと微笑まれてくるのだ。

       二

 焼香は、二度香をつまんで焚き、三歩逆行して一礼し、座に退くのだ。
 出棺の時刻が迫り、最後の焼香である。
 遺骸を安置した、おもて道場の大広間……。
 片側には、司馬家の親戚をはじめ、生前、剣をとおして親交のあった各大名、旗下の名代が、格に順じてズラリと居流れ、反対の側には、喪服の萩乃、お蓮様を頭に、峰丹波、岩淵達之助、等々力十内等重立った門弟だけでも、四、五十を数えるほど並んでいる。
 緋(ひ)の袈裟(けさ)、むらさきの袈裟――高僧の読経(どきょう)の声に、香烟、咽ぶがごとくからんで、焼香は滞(とどこお)りなくすすんでゆく。
 亡き父への胸を裂く哀悼と、あの、名もない若い植木屋への、抉(えぐ)るような恋ごころとの、辛い甘い、ふしぎな交錯に身をゆだねて、ひとり居間にたれこめていた萩乃は、侍女にせきたてられて白の葬衣をまとい、さっき、手を支えられてこの間へ通ったのだったが、着座したきり、ずっとうつむいたままで……。
 気がつかないでいる――じぶんの隣、継母のお蓮さまとのあいだに、裃に威儀を正した端麗な若ざむらいが、厳然と控えていることには。
 吉凶いずれの場合でも、人寄せのときには、不知火銭にまじえて、ただ一つ、自分が御礼と書いた包みを投げ、それを拾った者はたとえ足軽でも、樽(たる)ひろいでも、その座に招(しょう)じて自分のつぎにすわらせる例。
 今度も、昨夜、おひねりの一つに御礼と書かされた。
 だから、誰か一人この場に許されているはずだが……それもこれも、萩乃はすべてを忘れ果てて、じっとうなだれたまま、袖ぐちに重ねた両の手を見つめています。
 が、お蓮様は、眼が早い。
 岩淵(いわぶち)、等々力(とどろき)の両人に案内されて、さっきこの広間へはいってきた若い武士を一眼見ると、サッ! と顔いろを変えて峰丹波をふりかえりました。
 これが源三郎とは知らないお蓮さまだが、あの得体の知れない植木屋が、こんどは、りっぱな武士のすがたで乗りこんで来たんだから、ただならない不審のようすで、丹波へ、
「植木屋が裃を着て、ほほほ、これはまた、なんの茶番――」
 とささやかれた丹波、源三郎ということは、秒時も長く、ごまかせるだけごまかしておこうと、
「ハテ、拙者にも、とんと合点(がてん)がゆきませぬ。なれど、萩乃様の包みをひろいましたる以上、入れぬというわけには……」
 まったく、それは丹波のいうとおりで。
 御礼のつつみを拾われたからには、それが例法(しきたり)、拒む術(すべ)はありません。
 門前に白馬をつないだ源三郎、
「許せよ」
 と大手を振って、邸内へ通ってしまったのです。つづく玄心斎、その他四、五の面々(めんめん)、
「供の者でござる」
 とばかり、これも門内へ押しとおってしまって、いまこの司馬道場の大玄関には、事ありげな馬のいななきと、武骨な伊賀弁とが、喧嘩のような、もの騒がしい渦をまいているので……。

       三

 植木屋がほんとか、武士姿がほんものか、それはまだお蓮さまには、見当がつきませんけれども、今その威と品をそなえた源三郎の顔すがたに、お蓮様が大いに興味をそそられたことは事実です。
 いくらお祖父さんのような老夫であったにしても、良人(おっと)の葬式の日に、もう若い男を見そめてしまうなんて、ここらがお蓮様のお蓮さまたるところで、性質すこぶる多情なんです。
 萩乃と自分との間へ座を占めた源三郎へ、お蓮さまはチラ、チラと横眼を投げて、心中ひそかに思えらく。
 もとよりこれは、ただの植木屋ではあるまい。なにか大いに曰くのある人に相違ない。いや、たとえ植木屋の職人にしたところで、かまわない。じぶんはどんなことをしても、必ずこの青年の心とからだを手に入れよう……。
 じぶんが、この自分の豊満な魅力を用いて近づく時、それをしりぞけた男性は、今まで一人もないのだから――死んだ司馬老先生然(しか)り、この峰丹波然り……。
 焼香の場です。おのずと顔にうかぶほほえみを消すのに、お蓮さまは、人知れず努力しなければなりませんでした。
 この、お蓮様の心中を知らない丹波は、気が気じゃアない。
 人もあろうに、選(え)りに選って、とんでもないやつに御礼包みが落ちたものだ――柳生源三郎ということは、どうせ知れるにしても、せめては一刻も遅かれ、そのあいだに、なんとか対策を講じなくては……と、懸命に念じていると!
 静かに起(た)った柳生源三郎――。
 袴の裾さばきも鮮かに、正面へ進んだ。焼香だ。
 つまんでは拝んで、二度香をくべた源三郎、ふたつ続けて、音のない柏手をうちました。うち合わせる両の手をとめて、音を立てない。無音(ぶいん)のかしわ手……。
 これは、忍びの柏手といって、神式のとむらいにおける礼悼(れいとう)の正式作法で……まず、よほどの心得。
 その粛然として、一糸みだれない行動に、一座は思わず無言のうちに、感嘆の視線をあつめています。
 萩乃は、まだうつむいたきりだ。
 するとこのとき、その萩乃の忘れたことのないあの若い植木職の声が朗々(ろうろう)とひびいてきたのです。
「義父司馬先生の御霊(みたま)に、もの申す。生前お眼にかかる機会(おり)のなかったことを、伊賀の柳生源三郎、ふかく遺憾(いかん)に存じまする。早くより品川に到着しておりましたが、獅子身中の虫ともいいつべき、当道場内の一派の策動にさまたげられ、今日まで延引いたし、ただいまやっとまいりましたるところ、先生におかせられては、すでに幽明さかいを異(こと)にし……」
 柳生源三郎!……と聞いて、はっと眼をあげた萩乃の表情! 同じお蓮様のおもて――ふたつの顔に信じられない驚愕の色が起こりました。それぞれの意味で。
 源三郎は、霊前にしずかにつづけて、
「遅ればせながら、婿源三郎、たしかに萩乃どのと道場を申し受けました。よって、これなる父上の御葬式に、ただいまよりただちに喪主として……」
 室内の一同、声を失っている。

   お美夜(みや)ちゃん


       一

 角(かど)が付木屋(つけぎや)で、薄いこけらの先に硫黄をつけたのを売り歩く小父さん……お美夜ちゃんは、もうこれで一月近くも朝から晩まで、その路地の角に立っているのだった。
 竜泉寺(りゅうせんじ)のとんがり長屋。
 一ばん貧しい人たちの住む一廓(かく)で、貧乏だと、つい、気持もとがれば、口もとがる。四六時ちゅう、喧嘩口論の絶え間はなく、いつも荒びた空気が、この物の饐(す)えたようなにおいのする、うす暗い路地を占めているところから、人呼んでとんがり長屋――。
 鰯(いわし)のしっぽが失くなったといっては、喧嘩。乾しておいた破れ襦袢(じゅばん)を、いつのまにか着こんでいたというので、山の神同士の大論判。
 こうして、長屋の連中、寄ると触(さわ)ると互いに眼を光らせ、口を尖らせているので、恐ろしく仲がわるいようだが、そうではない。
 一朝(ちょう)、なにか事があって外部に対するとなると、即座に、おどろくほど一致団結して当たる。ただふだんは口やかましく、もの騒がしいだけで、それがまた当人たちには、このうえなく楽しいとんがり長屋の生活なのだった。
 つけ木屋の隣が、独身(ひとり)ものの樽(たる)買いのお爺さんで、毎日、樽はござい、樽はございと、江戸じゅうをあるきまわって、あき樽問屋へ売ってくるのである。
 そのつぎは、文庫張(ぶんこば)りの一家族で、割り竹で編んだ箱へ紙を貼り、漆を塗って、手文庫、おんなの小片(こぎれ)入れなどをこしらえるのが稼業。相当仕事はあるのだけれど、おやじがしようのない呑(の)んだくれで、ついこの間も、上の娘をどこか遠くの宿場へ飲代(のみしろ)に売りとばしてしまった。
 その他、しじみ屋、下駄の歯入れ、灰買い、あんま師、衣紋竹(えもんだけ)売り、説経祭文(せっきょうさいもん)、物真似、たどん作り……そういった人たちが、この竜泉寺(りゅうせんじ)名物、とんがり長屋の住人なので。
 お美夜ちゃんの父親、作爺さんの住いは、この棟割長屋の真ん中あたりにある。
 前も同じつくりの長屋で、両方から重なりあっている檐(のき)が、完全に日光をさえぎり、昼間も、とろんと澱(よど)んだ空気に、ものの腐った臭いがする。
 作爺さんの家のまえは、ちょうど共同の井戸端で、赤児をくくりつけたおかみさん連の長ばなしが、片時も休まずつづいている。
 羅宇屋(らうや)の作爺さん……上に煙管(きせる)を立てた、抽斗(ひきだし)つきの箱を背負って、街へ出る。きせるの長さは、八寸にきまっていたもので、七寸を殿中(でんちゅう)といった。価は八文(もん)、長煙管の羅宇(らう)は、十二文(もん)以上の定(さだ)め。
 が、このごろは作爺さんも、商売を休んで家にいる。
 それというのが……。
 壁つづきの隣は、この間まで、あの、ところ天売りのチョビ安のいた家で、いまはあき家になっている。
 あの日、朝出たっきり帰らないチョビ安を待って、お美夜ちゃんは、こうして日なが一日、路地の角にボンヤリ立ちつくしているのだ。
「お美夜や、いつまでそんなところに立っていてもしょうがねえ。へえんなよ」
 作爺さんが、白髪あたまをのぞかせてどなると、袂を胸に抱いたお美夜ちゃん、ニコリともせずに振り返った。

       二

「そんなところに立っていたって、チョビ安は帰って来はしないよ。うちへはいりなさいっていうのに」
 作爺さんはやさしい顔で呼びこもうとする。洗いざらした真岡木綿(もおかもめん)の浴衣(ゆかた)の胸がはだけて、あばらが数えられる。
「チョビ安は、この作爺やお美夜のことなど、なんとも思ってはいねえのだよ。
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