丹下左膳
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著者名:林不忘 

 雨。
 そして風。
 一山、ごうッと喚き渡って、峡間(はざま)にこだまし樹々をゆすぶる深夜のあらしだ。
「こりゃたまらぬテ!」
「ひどい吹き降りになりおったな」
 言いながら水を越す用意。
 鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河をわたる。
 広い河原だ。
 黒い石が累々(るいるい)と重なりつづいて古びた水苔で足がすべる。蛇籠(じゃかご)を洗う水音が陰々と濡れそぼれた夜の底をながれていた。
 右は、遠く荒天にそびえる筑波(つくば)の山。
 ひだり、阪東太郎(ばんどうたろう)の暗面を越えて、対岸小貝川一万石内田主殿頭(たのものかみ)城下の町灯がチラチラと、さては香取、津の宮の家あかりまで点々として漁火(いさりび)のよう――。
 それへ向かって、狭い浅い鞍川の河水が岩角をかんで白く咲きつつ押し流れているのだ。
 うしみつ。
 咆(ほ)える風に横ざまの雨滴(うてき)。
「よいか! 集まって渡れや!」
「浅いが、水が早いで、足をとられんようにナ、みんな気をつけて来(こ)!」
 口ぐちに叫びあいつつ、残士二十四の月輪の援隊、冷(ひや)ッとする水に袴(はかま)のもも立ちとった脚の半ばまで埋めて、たがいに手を藉(か)し肩を預けながら、底石を踏んでちょうど川中へ来かかった時だった。
 さきに立っていた山東平七郎がみつけたのだ。
 平七郎、河のまん中にピタッと急止し、大手をひろげて背後につづく同志を制しながら、一同またかッ? とばかりに刀をかまえてゆく手をのぞくと……何もない。
 ただ、黒い河水の表面に、南瓜(かぼちゃ)とも薬玉(くすだま)とも見える円い物がひとつ動くとも漂うともなく浮かんでいるだけ――。
「なんじゃい? あれは」
「笊(ざる)の川ながれじゃ。大事ない」
「芥のかたまりぞ! わっはッは、山東殿の風声こりゃ笑わせるテ」
 それでも連中、念のためにしばらく立ちどまってみつめていたが、なるほど、富士川みず鳥の羽音、平家ではないがとんだ臆病風と哄笑一番、ふたたび水中に歩を拾って進もうとする!
 いきなりつづみの与の公が、ブルブルガタガタとふるえ出した。
 ……も道理こそ……!
 声が聞こえる。
「ア、これこれ与吉、待っておったぞ! よい湯加減じゃ。背中をながせ、せなかを流せ」
というように。
 しかもそれが暴風雨(あらし)のひびきのいたずらとも、水音のなす耳のせいとも思えるのだが、こんどはハッキリと一声、たしかに河のそこからどなるように立ちのぼってきたから、与吉はもちろん、月輪組の一統、あッ! とおめくなり急淵を蹴って河中に散った。
「来ぬかッ! しからば当方より出向くぞッ!」
 と同時!
 今のいままで笊(ざる)の川ながれ塵埃(ごみ)の集結(かたまり)と見えていた丸い物が、スックと水を抜いて立ちあがったのを眺めると、裸ん坊の泰軒先生!
 九つの生命でもあるものか。いつのまにやら先まわりして、先生、さっきからこの夜ふけの鞍川につかって待ちぶせながら、のんきに行水と洒落(しゃれ)のめしていたのだ。
 全くの不意うち!
 おまけにたびたびの出会いに泰軒の秀剣を見せつけられ、すっかりおじけだっているから苦もない。蜘蛛の子のようにのがれ散る影を追って、泰軒、水煙とともに川に二人を斬りすてた。
 門脇修理ほか一人。
 そして与吉を先に、軍之助が風雨に狩られ余数をあつめて、水戸街道を江戸の方へ走りつつあるとき、泰軒は、岸の小陰から衣類とともに例の血筆帳(けっぴつちょう)を取り出して、血にそむ筆で二人と大書していた。
 今その、泰軒愛蔵の殺生道中血筆帳(けっぴつちょう)をひもとけば。
 おもてに血痕くろぐろと南無阿弥陀仏の六字。それから木戸の峠の三、助川宿の四人、鞍川の二と本文がはじまって、かくして江戸へ着くまでに。
 笠間の入口でまたひとり。
 若芝の野で三人。
 江戸の五里手まえ、松戸の往還で再び一人。
 しめ十四名を血載した帳面を懐中(ふところ)に、巷勇(こうゆう)蒲生泰軒がひさしぶりに帰府した夕べ、十七人に減じられた月輪組とつづみの与吉は、まだうしろを振り返りながら、灯のつきそめた都の雑踏(ざっとう)にまぎれこんでいた。

  子恋(こごい)の森

 武江遊観志略(ゆうかんしりゃく)を見ると、その三月事宜(じぎ)の項(こう)に――。
 柳さくらをこきまぜて、都は花のやよい空、錦繍(きんしゅう)を布(し)き、らんまん馥郁(ふくいく)として莽蒼(ぼうそう)四野も香国(こうこく)芳塘(ほうとう)ならずというところなし。燕子(えんし)風にひるがえり蜂蝶(ほうちょう)花に粘(ねん)す。わらじを着けて花枝をたずさえ、舟揖(しゅうしゅう)をうかべて蛤蜊(こうり)をひろう。このとき也、風雅君子、東走西奔、遊観にいとまあらずとす。これは旧暦だが、とにかく三月の声を聞けば、もう人のこころを浮き立たせずにはおかない春のおとずれである。
 三日は桃の節句。雛祭り。白酒。
 四日。
 江戸の西隅、青山摩利支天(まりしてん)大太神楽(だいだいかぐら)興行……とあって、これが大へんな人出だった。
 青山長者ヶ丸の摩利支天(まりしてん)境内。
 いつの世に何人が勧請(かんじょう)奉安したものか、本尊は智行法師作の霊像、そのいやちこな御験(みしるし)にあずからんとして毎年この日は詣人群集、押すな押すなのにぎわいである。
 堂の四隣に樹木多く、呼んで子恋(こごい)の森という。
 あたかもよし、花見月のおまつり日和。
 武家屋敷に囲まれたたんぼの奥に、ふだんはぽつんと島のように切り離されて見える子恋の森だが、きょうは遠く下町から杖を引く人もあって、見世物、もの売り、人声、それらの音響と人いきれが渾然(こんぜん)として陽炎(かげろう)のように立ちのぼりそう……。
 森のなか。
 荒れはてた御堂をとりまいて、立錐(りっすい)の余地もなく人ごみがゆれ動いている。
 村相撲がある。紙で作った衣裳(いしょう)冠(かんむり)の行司木村なにがし、頓狂声の呼出しが蒼空(あおぞら)へ向かって黄色い咽喉を張りあげると、大凸山と天竜川の取り組み。それへ教学院の荒法師や近所の仲間が飛び入りをして、割れるような拍手とわらいが渦をまく。
 片隅には、二十七、八のきれいな女が、巫女(みこ)のようないでたちで何やらしきりに人を集めているので、その口上を聞けば、
「これなるは、安房(あわ)の国は鋸(のこぎり)山に年ひさしく棲みなして作物を害し人畜をおびやかしたる大蛇(おろち)。またこれなる蟇(がま)は、江戸より東南、海路行程数十里、伊豆の出島十国峠の産にして……長虫は帯右衛門と名づけ、がまは岩太夫と申しまする。東西東西! まアずは帯右衛門に岩太夫、咬み合いの場より始まアリさようウッ!」
 と、見ると、いかにもこれが安房帯右衛門殿であろう、一匹の痩せこけた青大将が、白い女の頸に襟巻のようにグルリと一まき巻きついて、あまった鎌首を見物のほうへもたげ、眠そうな眼をドンヨリさせている。
 女の足もとには、あまり大きからざる蟇(がま)の岩太夫、これは縄でしばられていて、つまらなそうにゴソゴソ這い出そうとするたびに、ぐいと引き戻される。
 やがて女が、頸の蛇をとって地面へおろすと、帯右衛門も岩太夫もそこは稼業だけあって心得たもので、暫時(しばし)にらみあいの態よろしくののち、いきなり帯右衛門が岩太夫に巻きついて締めつけて見せる。この時岩太夫すこしも騒がず口をあけてガアガアと音を発したが、たぶん、
「オオ兄イ、どうせ八百長だ、やんわり頼むぜ」
 ぐらいのところであろう。いっこうおもしろくないので、立合いの衆は肝腎(かんじん)の蛇と蟇の喧嘩よりも、太夫元の美しい女をじろじろ見つめているのだが、この女、いずれ後から怪(け)しからぬ薬でも取り出して売りつけようの魂胆と見える。
 むこうでは南蛮(なんばん)姿絵の覗(のぞ)き眼鏡が子供を寄せ、こっちでは鐘の音のあわれに勧善懲悪地獄極楽のカラクリ人形。
 おででこ芝居合抜き。
 わあッと人浪が崩れ立ったと見れば、へべれけに酔っぱらった何家かの折助(おりすけ)が四、五人づれ、女をみかけしだいにふざけ散らして来るのだった。
 その群集におされて、逃げるともなく小走りに、堂わきのあき地へ駆けこんだ若侍[#「若侍」は底本では「若待」]ひとり。
 月代(さかやき)も青々と、りゅうとした着つけに落とし差しの大小……。
 が、その顔!
 女にしても見まほしいというが、これはまさしく女性の眼鼻立ち! 服装かたちこそ変わっているが、まぎれもないあの、いまの麹町三番町土屋多門の養女となっている、行方不明のはずの弥生(やよい)ではないか。
 それがりんたる若ざむらいの拵(こしら)えで、この青山長者ヶ丸の祭礼へ!
 亡父の姓を取って小野塚伊織(いおり)と名乗っている男装の弥生、ぼんやりとそこに揚がっている絵看板をふり仰ぐと、劉(りゅう)という唐人刀操師(とうそうし)の見世物小屋で、大人五文、小人三文――。
「さあサ、いらっしゃアイ!」
 木戸番が塩から声を振りしぼった。
 板囲いに吊るした筵(むしろ)をはぐって、小野塚伊織の弥生が、その刀操術の見世物小屋へ通ると、屋内は大入りの盛況で、むっとこもった人息が弥生の鬢(びん)をかすめる。
 五文の木戸銭は高価(たか)くはないが、芸人は劉ひとり、それも、刀操術などと大きく、武張(ぶば)ったところで、能とする演技は、例の小刀投げのいってんばりだ。
 かたなの手品だけに見物人は男が主(おも)、女子供は数えるほどしかいない中に、恐(こわ)らしい浪人頭がチラホラ見える。
 すっかり武士になりすましている弥生は、臆(おく)せず人をかきわけて前方(まえ)へ出た。
 口上人が、エエ、これに控えまする唐人は劉(りゅう)と申し、天竺(てんじく)は鳥烏山(ちょううざん)の生れにして――なんかとでたらめに並べて引っこむと、すぐに代わりあって、二、三尺高い急ごしらえの舞台へ現れたのが小刀投げの太夫支那人の劉であろうが、弥生をはじめ、一眼見た観客一同は好奇とも恐怖ともつかない声をあげて小屋ぜんたいがウウムとうなった。
 唐人劉。
 みんなはじめは猿かと思った。
 いや、猿にしては大きすぎるが、とにかく、これが世にいう一寸法師か、七、八歳の小児の体躯(からだ)に分別くさい大きな頭がのって、それが、より驚いたことには、重箱を背負ったような見事な亀背であるうえに、頭から胴、四肢(てあし)まで全身漆黒(しっこく)の長い毛で覆われているのだ。
 平たい顔に、冷たい細い眼、ひしゃげた鼻、厚いくちびる――人間離れのした相貌(そうぼう)をグッと前へ突き出して、腰を二つに折り、長い両手のさきを地にひきずったところ……さながら絵に画く猩々(しょうじょう)そのままで、出て来た時から見物人のどぎもを奪ったのは当然、弥生はあやうく男装を忘れ、驚異の声を放ち眼をおおおうとしたくらいだった。
 まれに見る怪物!
 おびえた子供が、片すみで! ワッと火のつくように泣き出すと、劉はそっちを見てニコニコしている。
 割りに気はいいらしいので、皆もいささか安心して、すこし浮き足だったのが、またソロソロ舞台のほうへつめかけ出すと、
「唐のお女中の悪血が凝(こ)って、月たらずで生まれましたのがこの太夫、御覧のとおりのお化けながら、当年とって三十と九歳! 劉(りゅう)さん!……あいヨウ――」
 香具師(やし)がそばから披露(ひろう)をするのはいいが、自分で呼んでじぶんでこたえるのだから世話はない。
 そこで、お化けの劉さん、チョンと析(き)の頭(かしら)を合図に、たちあがって芸当に移った。
 舞台の片側に戸板が立てかけてあり、それにピッタリ背をつけて十二、三の女の児が直立する、と、数十本のピカピカ光る小剣を手にした劉、その少女から三間ほど離れた個所に足場をえらんで、小刀の柄を先に、峰(みね)を手のひらに挟んで構えるが早いか! 奇声とともに投げ放った本朝でいう手裏剣の稀法(きほう)!
 晧糸(こうし)水平(すいへい)に飛んで、発矢(はっし)! と小娘の頭に刺さった……と見る! 剣鋩(けんぼう)、かすかに人体をそれて、突き立ったので、仰天した観覧人たちがホッと安堵(あんど)の胸をなでおろす間もあらばこそ、二本三本とやつぎばやに劉の手を飛び出した剣。流れ矢のように空に白線をえがきながら、トントントントントン! と続けざまに、娘の首、わきの下、両うで、躯幹(からだ)、脚部と上から下へ順々に板に刺したって、それがすべて肉体とはすはす、一分の隙に娘を避けて板に突き立つものだから、こんどは一同、ふうッと感服の吐息をもらして、拍手することさえ忘れている。
 一刀を放つごとに、やッ! やッ! と叫ぶ劉、長い腕をぶんまわしのごとく揮(ふる)って、黒毛をなびかせ短身を躍らせているようすが、栗のいががはじき返っているよう――。
 まるでたたき大工が釘を打つように、またたくまに光剣をもって少女の輪郭を包んでしまった。
 茫然としている見物人のまえで、娘がソッと板から離れると、大手をひろげた少女の立ち姿が、つるぎの外線でくっきりと板のおもてに画かれている。
 商売商売とはいえ、しんから感嘆に値する入神の技芸!
 娘と劉がちょっと手をつないで軽く挨拶をしたとき、固唾(かたず)をのんでいた観客も、はじめて気がついたように大きな喝采(かっさい)を送った。
 が、弥生はすでに、何か思うところあるらしく、かたい決意に顔を引きしめて、そそくさと人を分けつつ小屋を出かけていた。

 堂の裏手から森の奥へ一条の小径(こみち)がのびている。
 それからまもなく。
 その小みちをすこしはずれた草むら、昼なお暗い杉木立ちの下に、ふたつの人影が一つに固まり合って何事かささやいていた。
「さればじゃ、あまりに其方(そち)の手裏剣が見事ゆえに、強(た)ってここまで足労をわずらわした次第だが、頼みというのはほかでもない――」
 こう言いかけているのは、男の声こそつくっているが、確かに弥生の小野塚伊織に相違ない。
 それに答えていま一人が、
「なんのお前様、唐人の化(ば)けの皮を一目で引ん剥(む)いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしぼじん)……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒(さんしょう)の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。ねえ、事の仔細を聞いたうえでサ、案外乗り気に一肩入れるかも知れませんぜ」
 つぶやくような低声(こごえ)だが、歯切れのいい江戸弁をふるっている男……かれは、今し方、あの刀操術の見世物小屋で奇怪な剣技に観客を酔わしていた劉太夫(りゅうだゆう)という唐人であった。
 とすれば。
 唐人劉の正体は日本人も日本人、じぶんで名乗るとおりに甲州無宿山椒の豆太郎。
 さてこそこの豆太郎、亀背の一寸法師にはちがいないが、あのりっぱな黒毛の衣を脱ぎ捨てて顔のつくりを洗い落としたところ、ただ珍妙な男というだけで、さして身の毛のよだつほどの人柄でもない。
 が、底が割れれば割れたで、それだけ小さくのっぺりとしているのが変に無気味でもあり、また、一朝手裏剣をとっては稀代(きだい)の名手である点、なるほど「山椒(さんしょう)は小粒でもピリッとからい」に背(そむ)かないとうなずかせるものがある。
 甲府生れの豆太郎は、怖ろしい片輪のうえに性来(せいらい)手裏剣に妙を得て、香具師(やし)に買われて唐人劉と称し、諸国をうちまわっているうち、きょうの祭りを当てこみにこの長者ヶ丸に小屋を張って銭をあつめているところへ、見物中の若侍が木戸へかかり、ちょっとはなしがあるとここへ呼び出されたのだった。
 何を思いついてこんな変わった太夫と膝を組んで語る気になったものか、とにかく弥生は、演技を終えて汗を拭きながら出て来た劉の豆太郎を見て、さては己がにらんだとおりであったかと微笑を禁じ得なかった。
 毛縫いを脱して今眼のまえにしゃがんでいる豆太郎は、舞台の劉さんとは全く別人のようで、はじめから弥生が看てとったごとく日本人の無頼漢だったからだ。
 三尺あまりの身体に状箱を縛りつけたような身躯(からだ)[#「身躯」は底本では「身驅」]、小さな手足にくらべて莫迦(ばか)にあくどい大きな顔……。
 しかし! かれ豆太郎に一梃の小刀を与えよ!
 空翅(か)ける鳥もたちまち地におち岩間を走る疾魚も須臾(しゅゆ)にして水面に腹を覆すであろう。
 その豆太郎が、ふんべつ臭く小さな腕を組み、凝然と耳をすましていると。
 あるいは依頼(いらい)懇願(こんがん)するがごとく、あるいは諄々(じゅんじゅん)として説くように、しきりに何かを明かしている弥生。
 とんだ贋物(いかもの)の豆太郎と、小野塚伊織こと男装の弥生と。
 その間、どんな話題がいかに展開していったことか――。
 否(いや)、それよりもこの弥生が、突然小野塚伊織なる若侍の扮装(いでたち)で今日この子恋の森へ現れるにいたるまでに、そもどのような経路が伏在しているのか?
 ここでいささか振り返ってその後の弥生をたずねるに。
 ……それは、彼女が櫛まきお藤につれられて瓦町の栄三郎方を訪れ、お艶とともに一夜を雨のような涙に明かし、そして戸外には、両女の涙に似た雨が音もなく煙っていたかの思い出の明け方だった。
 思い出のあけぼの?
 そうだ。あの日を最後に、女としての弥生は、成らぬ哀恋(あいれん)の悶(もだ)えと悟りに、死にかわりにそこに、凄艶(せいえん)な一美丈夫小野塚伊織があらたに生まれ出たのである。
 その生みの悩みは?
 思い出はなおもつづく――。
 恋は、強い者を弱くし、弱いものを強くする。
 あの小雨の夜から、弱いお艶が急に強いこころに変わって栄三郎への愛想づかしを見せだしたように、つよい弥生は、にわかによわい処女に立ち返って、悲恋の情に打ちのめされた彼女、傘(かさ)を断わって雨のなかを瓦町の露地を離れて一人トボトボ濡れそぼれてゆくと――。
 夜来の雨に水量ました神田川の流れ。
 どどどウッ! と、岸の石垣を洗って砕ける暁闇の水面。
 浅草橋の中ほどに歩みをとどめて何心なく欄干に凭(よ)って下をのぞいた弥生であった。
 明けやらぬ空。
 まだ眠りからさめぬ大江戸の朝は、うらかなしい氷雨(ひさめ)が骨に染みて寒かった。
 魔がさす。
 ……とでも言おうか、こういうとき、嘆きをもつ人のたましいにふと死の影が投げられるものだ。
 橋のうえの弥生に、眼に見えぬ黒い翼の死神(しにがみ)が寄り添った。
 かれは弥生の耳へ誘いの言葉をささやく。
 雨滴のひびき、河の水音を、弥生は、死の甘美をうたう声と聞いたのだった。
 死神はまた弥生に、眼下の水底を指さし示す。
 そこに弥生は、渦をまく濁流のかわりに百花繚乱たる常春(とこはる)の楽土を見たのだった。
 死を思う心の軽さ――それは同時に即決をしいてやまない。
 きっとあげた弥生の顔を、雨がたたいた。が、彼女はもう泣いていなかった。かすかに開かれた弥生の口から、亡父と栄三郎の名が吐息のごとく洩れ出た……と思うと、履物(はきもの)をぬぐ。チラとあたりを見まわす。手を合わす――。
「お父さま、弥生もおそばへ参ります!」
 と一言! 死神の暗翼(あんよく)に抱かれた弥生が、あわやらんかんから身を躍らそうとしたとき! 人生にあっては、百般の偶然事ことごとくこれ必然である。
 ことの起こるや、起こるべきいわれがあって起こる……この場合がちょうどそれだったと言ってよかろう。
 ときしもあれ、棒鼻をそろえて、突風のごとく橋上を疾駆し去った五梃の山駕籠があった。
 筋骨たくましい六尺近いかご舁(か)きが十人、ガッシと腰をおとして足並みゆたかに、踊りのように息杖(いきづえ)をふるって、あっというまにあさくさばしを渡り過ぎたのだが!
 あとを見ると弥生の姿がない!
 さてはついに飛びおりて神田川の藻屑(もくず)と消えたか!
 と言うに。
 危い弥生をみとめて、走りざまに陸尺(ろくしゃく)のひとりが片手に掻(か)きこみ、むりやりに駕籠の一つへでも押しこんだものであろう。
 弥生はすでに気を失っていたが、それは真に間髪を入れない早わざであった。
 その証拠には。
 こうしてその朝、あの本所鈴川方の斬りこみから引きあげて来た五梃駕籠が、エイハア! の[#「エイハア! の」は底本では「エイハア!の」]掛け声も鋭く角々を折れ曲がって、大戸をあけはじめた町家つづきを駈け抜けること一刻あまり、トンと鳴って底が地についてみると、ゾロゾロとはい出た五人の火事装束――そのなかに、首領(かしら)だった銀髪赭顔(あからがお)の老武士の腕に、ぐったりとなった弥生のからだが優しく抱かれていたのだった。
 が、この、細雨の一夜を剣戦にあかして、しののめとともに風魔(ふうま)のごとく走り去って来た五人組は何者?
 そして、いまその落ち着いたところはどこか?……この青山長者ヶ丸子恋の森を近くに望む、とある陽だまりの藪(やぶ)かげだった。
 乾坤をねらう火事装束は、今また弥生のいのちの恩人である。そのあいだにいかなる話しあいができあがったものか、同じ日より弥生は、過去のすべてとともに丈(たけ)なす黒かみをフッツと断ち切り、水ぎわだった若衆ぶりに名も小野塚伊織と改め、五人の武士と十人の荒くれ男が住むふしぎな家に、かれらの尊崇(そんすう)の的(まと)として起居をともにすることとなったのだった。
 運命(さだめ)知らぬ操(あやつ)りの糸――これも離在する雲竜二刀がかげにあってひくのであろうか。
 ほどなく浅草橋の上で弥生のはいて出た足の物が発見され、当然弥生は身を投げて死んだこととなり、養父土屋多門(つちやたもん)も泪ながらにあきらめて、あたらしくふえた土屋家仏壇の位牌(いはい)には、弥生の俗名と家出の月日とが記されてある……。
 然り! 弥生は死んだのだ。が、その変身小野塚伊織は、人に知られず生きている。
 その、生きている弥生の伊織、いま子恋の森で何ごとか語り終わって、ちょっと相手の一寸法師を見やると、山椒(さんしょう)の豆太郎、どことなく淫(みだ)らな眼をニヤつかせて、さすがに争われずふっくらと白い弥生の胸元をのぞきこむようにしているので、はッとした弥生、思わず立ちあがった。
 灼(や)けつくような豆太郎の視線を受けて、われにもなくどきりとした弥生が、ゆらりと草間に立って忙しく襟を掻き合わせると、こんどは豆太郎、その白い手首から袖口の奥へとへんな眼を走らせながら、これもたったは立ったものの、ようよう頭が弥生の帯へ届くくらいで……。
「ヘヘヘヘ、何もお殿さま、取って食おうたア言いやしめえし、急にそんなに気味わるそうになさるものでもござんすまいぜ」
「うむ。なに、いや、ただ気がせくのだ」
 と弥生はできるだけ男のように大きくどっしりとかまえて、
「そこでどうだ? 仕事はまずいま申し聞かせたようなことだが、一つ拙者らと行動をともにして力をかしてくれる気はないか」
「さようですね」
 仔細らしく首をひねった甲州無宿山椒の豆太郎、いろいろと心中に思案しているのかも知れないが、異様な眼色が依然としてなでるように、すんなりとした弥生の胴から腰のあたりを這いまわって離れないから、弥生はいっそう警戒しつつ、
「むりかも知れんが、拙者はその侠気を見こんで頼み入るのだ――どうかその手裏剣の妙術をもって拙者ら一味のために思うさま働いてくれ……」
「へえ。剣のほうじゃア本職のおさむれえさんに、そうまで厚くおっしゃられるたア、この豆太郎めも果報者で――へえ、このとおりお礼を申します」
「いや、いや、礼なぞ……受けてもらえば当方からこそ言うべき筋だ。いかがであろう、即答が得られれば幸甚なのじゃが」
「なあに、自分の口からこんなことをいうなあ変なもんだが、親の因果(いんが)が子に報い……なアんてネ、どこイ行ってもうしろ指をさされるとおり、身体は、どなた様がごらんになってもこんな不具だが、お前さまのまえだけれどこれで人間よくしたもので、何かしら取り柄がありまさあ。ねえ、あっしア餓鬼の時から物を投げるのが得意でね、好きこそものの上手なれ、へっへっへ、口はばってえことをぬかすようだが、あっしのこの手裏剣業(わざ)と来た日にゃア、日の下開山、だれと立ちあったところで遅れをとるようなことア、金輪際(こんりんざい)げえせん。そりゃアもう皆さんが――」
「存じておる。存じておればこそ、かくまで膝を屈して願い入るのじゃ」
「さあ、そこだが……」
「なあ豆太郎どの、それほどの剣技をもちながら、あのような獣皮をかぶって唐人劉(りゅう)などと偽称し、いたずらに衆人の前に立って女子供の機嫌を取り結ぶがごときは、いわばこれ宝の持ちぐされ――その方みずから惜しいと思ったことはないかな!」
「おっと! 待った! おことば中ながら、あの縫着(ぬいつけ)はけものじゃアげえせん、黒馬の尻尾を膠(にかわ)で貼りつけた別誂えの小道具なんで」
「馬のしっぼ! ははははは、なおさら悪いではないか……ま、さようなことはさておき、ここはどうあっても助力に預りたい。たっての頼み――そちの剣能が所望なのじゃ。いかが?」
「困るなあ、そう急に攻められても、なにしろ殿様、あっしにとっちゃアまるで足もとから鳥の立つようなはなしなんでねエ」
「そこをなんとかいたして……」
「むりでさあ、どうも、あっしゃア小屋に縛られている身で、自分で自分のからだがままにならねえんだから」
「逃げろ!」
 と強くささやいて弥生は人をはばかってあたりを見まわした。
 堂のむこうに祭りのさざめきが沸きたつばかり――すこし離れたここらはひっそりとして人の気もない。
 ハラハラと落ち葉が、ふたりの肩にかかる。
「ヘヘヘヘヘ、そりゃアおっしゃるまでもなく、これまでにだって再三逃げ出したことがありやすがね、どこへひそんだってこの不具じゃアすぐ眼についてひき戻されるんで……」
「よし! あくまで拙者らに与(くみ)するならば、言うにや及ぶ。りっぱにかくまってやろう」
「して、あっしの仕事てえのは、さっきおっしゃったあの人殺し稼業――」
「コレ、声が高いぞ! うむ、その代価として金銀は望み放題(ほうだい)……」
「うんにゃ、褒美(ほうび)の件は待ってくだせえ。あっしはあっしで、たった一つ欲しい物があるんだから」
 盟約締結(めいやくていけつ)――はいいが、そこで弥生につれられてコッソリと森を出はずれた山椒の豆太郎が、ほっそりとした弥生のうしろ姿を、すぐ後からむさぼるように見入って、しきりに舌なめずりとともにひそかにうなずいたのを、弥生は気がつかなかった。
 太夫のいないもぬけの殻へ、それとは知らずに必死に人を集める唐人劉(りゅう)手裏剣小屋木戸番の声……。
 こちらは二人。小暗い細みちを突っきると、森かげに生け垣をめぐらしたささやかな萱葺(かやぶ)き屋根が見えてきた。老士がひとり、戸口に立ってこっちへ小手をかざしている。
「彼家(あれ)だ」
 弥生が、白い指をあげた。

  さんざ時雨(しぐれ)

 庭の木かげにチラと人らしいものの形をみとめたのは、土生(はぶ)仙之助が最初だった。
 夜の、かれこれ五ツ刻だったろう。
 本所法恩寺ばし前の化物屋敷、鈴川源(すずかわげん)十郎(ろう)方では、あるじ源十郎と丹下左膳の仲が表面もとに戻って、源十郎はまたおさよ婆さんを実母のように奉り、相も変わらず常連をあつめて、毎晩のように、いわゆるお勘定をつづけているところへ、二、三日まえにつづみの与吉が奥州中村相馬藩から月輪軍之助以下十七名の剣援隊を案内して到着したので、それからというもの、血戦のさいさきを祝い、一同、深酒をあおって、泥のような酔いぶり虹のごとき気焔に昼夜の別なく、今宵も、さっきから左膳の離室に酒宴がはずんでわきかえるような物音、人声……。
 その最中に、仙之助はちょっと厠(かわや)へ立ったのだった。
 竹の濡れ縁づたいに用をすまして、その帰りだった。
 一枚しめ残した雨戸のあいだから手洗(ちょうず)をつかいながら、何気なく向うの繁みを見ると、風もないのに縞笹(しまざさ)の葉が揺れ動いて、そこにむっくりと起ちあがった黒い影があった。
 子供!――とも見れば見られる、それに、長い両腕をだらりと地にさげて、背中を丸く前かがみに立ったところ、気のせいか、仙之助には猿のようにも思えて、かれはわれにもなく驚愕の声を放つところだった。
 が、さてはおのれ妖怪変化(ようかいへんげ)のたぐい! と仙之助がひそかに気負いこんだ時、その小さな人影はけむりのように消え失せてあとかたもなかった。
 ふしぎなこともあるものだと仙之助は首をかしげたが、酒の席へそんな話を持ち出したところで一笑に付せられるばかり、かえって自分が臆病なように聞こえるだけだと、彼は座へ戻ったのちも、この庭前に見かけた奇怪な影法師について何一つ言わなかった。
 酒気と煙草のけむりでむせかえりそうな部屋に。
 着いてまもなくまだ客分扱いされている月輪軍之助、各務(かがみ)房之丞、山東平七郎、轟(とどろき)玄八、岡崎兵衛、藤堂粂三郎、山内外記、夏目久馬等全十七人の相馬の剣士を上座にすえて、手柄顔のつづみの与吉、それに主人役の鈴川源十郎、食客丹下左膳などがギッシリつまって、その間、飯あり肴ありお菜あり、まるでちらし寿司を見るような色とりどりの賑かさである。
 そして、酒。
 骨ばった真赤な顔が、やぶれ行燈の灯にたぎるがごとく映えかがやいて、なるほど、化物やしきの名にそむかない。それは倨傲(きょごう)無頼な夜の一場面であった。
「こら源十! いやさ源的! やい鈴源、源の字……なんとか言えい! ウははははは」
 援団来着して上々機嫌の剣怪左膳、乾雲丸を引きつけて源十郎に眼を据えながら左手に杯をつきつける。
「のめエ! 乾坤ところを一にする勝軍(かちいくさ)の門出だ。飲めといったらのめ」
「うむ。めでたいのう。このとおり飲んでおる」
 源十郎、いささか迷惑げな生返辞(なまへんじ)。
 にもかかわらず、左膳は、もうまわり兼ねる舌でどなるように、
「ナア与力の鈴川、オッと! 法恩寺の殿様、おれも弥生てえ娘のことはスッパリ思いきって、これからは夜泣きの刀の件にだけ精根をうちこむつもりだから、貴公も友達甲斐にお艶をあきらめて、終りまで俺に力をかしてくれヨ。今まで途中で俺と貴公とが変に仲たがいになったのも、みなあのお藤の離間策であった。じゃによっておれもこんどこそはお藤を捨てる。いやもう棄てたのだ。この片輪もの、なんで浮世の女に用があろう! ははは、万事わかった、わかった! だからだ、な、源十郎、貴様も女を二の次にして刀に腕貸ししてくれるだろうな?」
「言うまでもない! 貴様がお藤のみならず弥生まで忘れると申すなら、源十郎も武士、りっぱにお艶への心を断って、およばずながら、雲竜二刀の剣争に助力いたすであろう……」
「その一言、千万の味方を得たよりこころ強うござる」
 と月輪軍之助がここへ口をはさんで、
「ところで、かの泰軒とやら申す乞食でござるが――」
 こうして、着く早々何度となく蒸し返された蒲生泰軒のうわさ……随所随所に出没して悩まされた血筆帳の話がまたも出てくると、
「どうも皆々様のまえですが、あのこじき野郎と来ちゃあ金魚の乾物(ひもの)で……」
 与吉がしたり顔に膝をすすめる。
「金魚の乾物とはなんだ?」
 誰かがきいた。
「へえ。煮ても焼いても食えませんでございます」
 これで、ドッと嵐のような哄笑が一座をゆるがせたが、そのなかで、笑いもしない源十郎と左膳。互いに探るようなすばやい視線がちらと合って、すぐ外(そ)れた。
 恋する丹下左膳のこころが弥生に向いている一事と、また取持ちを約した鈴川の殿様に違約された恨みとから、さまざまに智恵を弄(ろう)して左膳源十郎間(かん)に水を差そうとした櫛まきお藤の奸策。
 そのために一時は、左膳と源十郎そりが合わず、左膳は、源十郎に報復心を抱いて本所の家を出てお藤の隠れ家に彼女との靡爛(びらん)した一夜を送ったのだが、もとよりこの恋、左膳よりもお藤からはじまったことなので、左膳としては一度お藤を知りつくしたうえは、彼女に対してなんらの興味をつなぎ得なかったことはいたし方ない。
 と、して……。
 かの、乾坤二刀がそれぞれ所有主(もちぬし)の手に入れちがいになった雪の夜、左膳は、深夜の法恩寺橋下に栄三郎を見失ったのち、またまたその足で化物屋敷に舞いもどって、あるじの源十郎と対談数刻、ここに始めて訴人したのは源十郎でなく、また乾雲を掘り出したのもおさよ一個の仕事――自分はなんら関知しないという源十郎の弁舌に、強いだけに単純な左膳、今までのことはすっかり己が誤解であったと源十郎に対する心もちもなおり、以前のとおり庭内の離庵(はなれ)に起き臥しすることになったが。
 自ら訴えておいて後から左膳を救い出し、それを恩に、一晩にしろ左膳とともに住んで、かたくなな愛欲を満たしたかの大姐御櫛まきのお藤、目下は、江戸おかまえの身にお上の眼がはげしく光っているので、しようことなしに例のあなぐら、暗い地下の隠れ部屋に左膳の思い出を抱いて独り沈湎(ちんめん)しているものの、かのお藤、一度左膳を得て、はたしてこのままに黙(もく)するであろうか。
 一方左膳と源十郎は。
 ともにそこはかとなく吹きまくる御用風が身にしみて、いつ十手捕縄が飛んでくるかも知れない不安から、再び互いに固い助力を誓いかわし、源十郎は旧(もと)どおりに左膳をその邸内に潜伏させることになったのだけれど。
 いま。
 隻眼隻腕の丹下左膳、右頬の刀痕を皮肉な笑みにゆがめて――雲竜二剣のために、お藤はもとより、最初乾雲丸といっしょにわが手に入れたはずの弥生への横恋慕をも、スッパリと断ちきるという。
 それに応じて源十郎は。
 しからば自分はお艶を思いきって、ともどもに夜泣きの刀へ全力を傾注しよう! こう力づよく言下にいい放ったものの。
 言葉はことば。
 胸底(こころ)はこころ。
 お藤のことはとにかく、左膳、よく弥生を諦め、また源十郎がお艶を忘れ得るであろうか……?
 この相互の疑惑にとっさに打たれた両人、思わず相手を見定めんと、鋭い眼光をはたとカチ合わせた時に、源十郎は左膳の独眼のなかに弥生を、左膳は、源十郎の顔のうえにハッキリとお艶をみとめたが、上をいって急ににっこりした源十郎、
「いや、今までのところはわしがあやまる。重々(じゅうじゅう)悪かった――お艶にのみ気を取られて、貴公はさぞかし腑(ふ)甲斐ないやつと思ったことであろうが、今後は源十郎、貴公の右腕ともなって……」
「あははは、左腕のおれに右腕とは、源十、なかなかもって味をいうわい」
「いや、それは物の比喩(たとえ)で、わるくとって気にしては困る」
「ナニ、気にするどころか、俺たちのあいだはそんな他人行儀のものじゃあねえ、あれア心からありがてえと思っているのだ。なあ月輪氏、そうではないか」
 ときかれて、与吉その他とともに泰軒の噂(うわさ)に夢中になっていた月輪軍之助、不意の質問にあわてて、
「ささささようでござるとも。い、いかにも丹下殿の仰せらるるとおり――」
 といつになくどもって答えると、その口つきに左膳は、主君大膳亮を思い出したらしく、
「……さぞお待ち兼ねのことであろう、いや、なんかと手間どり申しわけござらぬ」
 珍しく四角ばった言葉になりながら、
「アア乾雲が夜泣きをする! 竜を呼んで泣くのだ。ソレソレこの声が御一同には聞こえぬかな」
 と左手に陣太刀を撫(ぶ)して、血ののぼった一眼を満座のうえに走らせたとき。
 大御番頭だった父宇右衛門のころは、登城をしたから馬も馬丁も抱えていたけれど、その時分すら下女は二人しか使わなかったのに、小普請(こぶしん)におちた当代の源十郎がやはりふたりおいているとあっては、始終まわってくる小普請支配取締りのおもて面倒だとあって、母の格とはいえ、こうなるとどうしてもおさよが女中なみに立ち働かざるを得ない。そのおさよ婆さんが、薬罐(やかん)に酒の燗(かん)をして運んで来た。
 乾雲を盗み出したのはこの婆だ! と思っても、左膳は源十郎の手前もう何も言わずにいる。
 酒と見てわっと歓声をあげる一同を制し、左膳が、
「軍議! かの火事装束五人組との対策もあるで、この談合すましてから、また一杯やるとしよう」
 こう言い終わったとたん!
 土生仙之助がサッ! と顔色を変えたかと思うと、突如庭奥の闇黒(やみ)[#「闇黒(やみ)」は底本では「闇黒(やみ)」]から銀矢一閃、皎刃(こうじん)、生(せい)あるごとく飛来して月輪軍之助の胸部へ……!

 この酒盛りの最中に、ふしぎ! 空を裂いて庭から躍りこんだ一ちょうの短剣、あっというまに灯に流れて、グサッ! と月輪軍之助の胸板に突っ立った……と見えた瞬間!
 ばちイん! と音して見事にくだけ散ったのは、ちょうど軍之助が口へ運ぼうとしていた土器(かわらけ)の大盃だった。
 飛剣は、そのさかずきを微塵に割って、軍之助の上身に酒を浴びせ、余勢、うすい着物の肩をかすったばかり、そのまま背後の畳に落ちて刺し立った。
 瞬間、凍ったような静寂(しじま)が室を領した。
 と思うと、おおうッ! と一同恐ろしいおめき声をあげて、めいめい大刀を手に、もうはじかれたように起ちあがっていた。
 そして、
「奇怪! 何奴ッ!」
 と、乾雲の柄をたたいて叱咤(しった)した左膳とともに、皆、庭へ向かっていっせいに身構えをしたが……。
 夜は森沈(しんちん)として闇黒の色を深めてゆくだけで、樹々の影もこんもりと黒く狭霧(さぎり)がおりているのか、あんどんの余映を受けてぼやけた空気が、こめるともなく漂っているきり――いつも見慣れた、なんの変哲もない荒れ庭のけしきだ。
 不審(ふしん)とも、あやしいとも言いようのない寸刻の出来ごと。
 どの方角から短刀が飛んで来たのか……その見わけもつかず、一同、勢いこんだ力のやり場に困って、いささか拍子抜けのまま、なおも、かたなにかけた肘(ひじ)を張りそろえてキッ! と庭面をすかして見ていると、
「いや、おのおの方、お笑い召されることと思って申さなかったが、さっきかしこらと覚(おぼ)しきところに、七つ八つの子供のごとき人影がありましたぞ。それが確かにいま、かの小剣が飛来した時も、ちらと動いたのを拙者は見た……」
 というささやくような土生仙之助の言葉に。
 子供――というのが、場合が場合だけに、深更ひとしおの妖異じみた恐怖を呼んで、化物屋敷の連中われにもなく思わず慄然(ぞっ)と身の毛をよだたせたその刹那であった。
 またもや、ビュウッ!
 と、唸りとともに一隅から風を切って飛び来たった小刀一本、今度は避(さ)けるまもなく右から三人目に庭に面して立っていた山内外記の咽喉笛へ、ガッと骨を削(けず)る音といっしょにくいこんだ。
 ひいいい……ッ! と、気管の破れから、梢を渡る木枯(こがら)しのような息を高々ともらした外記、二、三秒、眼前の虚空(こくう)を掻き抱くがごとく見えたが、瞬時にしてどうッとふき出た血潮の海に、踏みこらえようとあせって足がすべって、腰の一刀を半ば抜いたなり、思いきりよく庭へのめり落ちると、ばあんと鼻ばしらが飛び石を打ってたちまち悶絶。
 これより先。
 やみに浮かぶ離室に氷柱(つらら)の白花一時に咲ききそって、抜き連れた北国剣士のむれ、なだれをうって縁をとびおり、短剣の来た庭隅へ喚声をあげて殺到していた。
 が!
 ここぞと思うあたりへ行ってみると、無!
 湿(しめ)っぽい夜気が重く地を圧しているばかりで、庭のどこにも、さきほど仙之助が見かけたという子供に似た人影なぞはいっさいないのだ。
 はてナ? と抜刀をさげた一同が、きょろきょろあたりを見まわしていると、近くにあたって、
「うふ、ふふふ……」
 と陰にこもる含みわらい。
「おぬし、いま笑ったか」
「いンや。笑ったのは貴公だろう?」
「違う。誰だ、笑ったのは?」
 がやがやと問いあっているところへ!
 二間と離れない草むらから猿のように黒い物がとび出したかと思うと、長い手が一振するが早いか燐光ふたたび流星のごとく閃尾(せんび)を引いて、またしても飛剣、真ッ先に立った夏目久馬の脇腹をえぐって地にのけぞらした。
「ふはははは!」
 笑いを残して、小さな影はすっ飛んでゆく。
「曲者(くせもの)ッ!」
 と面々、それッとばかりに追おうとするや、室内にとどまっていた左膳、源十郎、軍之助の三人が、口ぐちに叫んで皆を呼びあげた。
 そして、何事か――にわかに離庵(はなれ)全体の雨戸をおろさせ、丹下左膳が、最初に飛来して軍之助の酒盃を割った小剣を畳から抜き取るのを見ると、五寸あまりの鋭利な小柄で、手もとに一ぽんの小縒(こよ)りが結びつけてある。
 みなの目が好奇に光るまえで、左膳、紙縒(より)を戻して大声に読みあげた。
御身ら二十名は順次にわが手裏剣の的(まと)也。
 何者からか殺剣とともに送られた威嚇(いかく)の言!
「フン! きいたふうな真似をしやがる!」
 と吐き出すように苦笑した左膳、不意におちた沈黙の底で、なみいる頭数をかぞえ出したが、いま殺(や)られた二人を加えて月輪組の十七名に、源十郎、与吉で十九、それにじぶんでちょうど二十と最後におのれを指さしたころ。
 猿をつれた猿まわしのような弥生と豆太郎が、遠く鈴川の屋敷をあとに走っていた。
 火事装束一味のまわし者!
 これが、離庵(はなれ)の一同のあたまへ、期せずしてピンと来た考えだった。
 が、それにしてもあの、小児とも野猿ともつかない怪人物の手裏剣業(わざ)には、さすが独剣至妙の刃鬼丹下左膳の膚にさえ粟(あわ)を生ぜしむるにたるものがあった。
 しかし、世にいう手裏剣(しゅりけん)なる刀技は。
 手裏剣神妙剣などといって、一に本朝剣法の精極手字(せいきょくしゅじ)の則(そく)に出ている。手字(しゅじ)とは、空理(くうり)に敵の太刀や槍の位を見きわめて、その空理に事をかなえて我が道具を持ち、打たねども打つこと、突かねども突くわざ、払わねども払うことを、定住(じょうじゅう)空理に入れて働くをいい、敵の太刀筋の字を空に書く心もちだとある。
 こうなると、この手字の手のうちから出る剣だから手裏剣と称するわけで、いかさま剣道の妙諦(みょうたい)、ひどく禅機を帯びてむずかしくなるしだいだが、手裏剣すなわち神妙剣、あえて特に、長さ三、四寸の小剣を手のうちに返して投げ打つ術をのみ手裏剣と呼ぶのではない。手を放さずに使う太刀や槍も同じ道理で、いくら投剣の術ばかり修練したところで要は手字の空理に即してうちこむにある。しかしてその空理の徳は、人の頭に機を知らしめて逸(いち)早くきざすの一事につきる――と言われているだけあって、これによってもわかるとおりに、手裏剣を投げて人をたおし得るにいたるまでには、単なる小手さきの投術のみではいけない。もとよりその熟達はさることながら、技はいわば下々の下で、体得の域にのぼるためには、空理の理にあって手字の法を覚らねばならぬ。つまり行より心ができて剣意の秘奥(ひおう)にかなわなければ、手裏剣を投じて一家をなすことは不可能なのだ。
 しかるに、ただいまのかの投げ手は……?
 腥風(せいふう)一陣まき起こって、とっさに二つの命の灯を吹き消し去った手練でも知れるように、魔か魑魅(ちみ)か、きゃつよほど、腕と腹ふたつながらに完璧の巧者に相違ない。
 身みずから剣心をこころとする刃怪左膳だけに、かれは相手を測(はか)り知ることもまた早かった。
「世の中は広いものだなあ……ウウム! かかる名人がひそんでいたのか」
 と、今さらながら敵味方を越えて、左膳はしんから微笑みたい気にもなるのだったが! 二度、
御身ら二十名は順次にわが手裏剣の的(まと)也。
 という脅迫の文を読み返すと、なんとなく左膳、いずれ近い機会に、おのが左剣とこの手裏剣とちょうちょう火花を散らして相撃つべくさだめられているように思って来て、彼は、ほの暗い行燈のかげに一眼のきらめく顔を、敵意と憎悪に燃えたたして振りあげた。
 この左膳の気を窺知(きち)したものか、何にまれ容易に驚かず、たやすく発動したことのない月輪軍之助、普段のぼうっとした性に似げなく、覚悟に決然と口を結んで左膳を見返す。
 着府と同時に、ほとんど挨拶がわりに左膳から剣渦(けんか)の一伍一什(いちぶしじゅう)を聞かされて、栄三郎方および火事装束と刃を合わす期をたのしみに待っていた月輪門下の同志は、日ならずしてここに早くも怪しき小人のために二友を失い、かすかな不安のうちにも殺気あらたにみなぎるものあって、左膳、源十郎、軍之助の鼎座(ていざ)を中心に、それからただちに深夜の離室に密議の刻が移っていった。
 その結果。
 乾雲を囮(おとり)に坤竜をひきよせるいかなる秘策が生じたことか?……は第二として。
 ここでは、鈴川源十郎である。
 熟議の座にあって、終始黙々と腕をこまぬいていたかれ源十郎は、はたして外見どおりに自余の者とともに乾坤一致の計に脳髄を絞っていたであろうか――というに。
 大いに然らず!
 いまの先、お艶の儀はキッパリと相忘れ申した! などとりっぱな口をたたいたその舌の根も乾かぬうちに、もう彼の全部を支配しているのは、かつて心を離れたことのないわだかまり、あの、過日おさよに約束したまままだ渡してない五十両……お艶を栄三郎から奪うための手切れ金の才覚だった。
 で、しばらくは交際に、神妙に首をひねると見せかけていた源十郎が、今宵の手裏剣にちと心当りがござるから――とうまいことを言って、とめるのもきかずに化物屋敷の自宅を出てゆくと、あとには離室の一同、寒燈(かんとう)のもとになおも議を凝(こ)らしていたが、ただひとり暗い夜道を思案にくれてあてどもなく辿る源十郎の肩には、三更(こう)の露のほかに苦しい金策の荷が、背も折れんばかりに重かったのだった。
 その夜の闇黒は、源十郎のこころだった。
 真っ黒に塗りつぶされたような入江町の往来を、ふところ手に雪駄(せった)履きの源十郎が、形だけは八丁堀めかして、屈託げに顎をうずめてブラリ、ブラリ――さて、こうして人中を逃れて考えをまとめるつもりで出は出てきたものの、この夜更けにどこへいこうの当てがあってのことでもなければ、また何人のところへ持ちこんだところで、もう源十郎にはオイソレと金のはなしに乗ってくれるものもないのだった。
 で、思案投げ首。
 五十両……五十両と心中にうめきながら、河岸(かし)にそって歩いてゆくと、時の鐘楼が夜ぞらに浮かんで、南割下水の津軽越中様お上屋敷の森がひとしお黒ぐろと押し黙って見える。
 どこからか梅の香が漂ってきている。
 早春の夜のそぞろ歩き。
 とは言うものの、五百石旗本の身で五十両の金子(きんす)につまっている源十郎としては、風流心どころかいっさい夢中、とやこうと思い悩みながら、やみくもに歩をひろっているのだった。
 花町の角を曲がって、竪川にかかる三つ目の橋。
 それを渡って徳右衛門町から五間堀へと、糸に引かれるようにフラフラと深川の地へはいっていった。
 抜けるように白いお艶の顔と、山吹いろの小判とがかわるがわる幻(まぼろし)のように眼前にちらつく。
 おさよ婆を死んだ母御にそっくりだなどと敬(うやま)っておくのも、源十郎としては、いわば将を射る先にまず馬を射る戦法――やっとのことでそのおさよを手に入れ、ここに五十両の金さえあれば、それを縁切りにおさよを通しておおぴらに栄三郎からお艶を申し受けることができるところまで漕(こ)ぎつけながら、こうしてその金員の調達にはたと差(さ)しつかえているとは、宝の山に入りつつ手を空しゅうするようなものと、源十郎、思えば思うほどわれながらふがいなく、身内の焼けるような焦燥(しょうそう)の念に駆られざるを得なかった。
 左膳の刀争いなぞ、もはや彼の思慮のいずくにもない。
 あるのはただ、金のみ、五十両! 五十……。
 五百石取り天下のお旗本に、たったそれだけの工面がつかぬというのはまことに不思議なようだが、つねから放蕩無頼(ほうとうぶらい)、知行はすべて前納でとっくにとってしまい、おまけに博奕(わるさ)が嵩(こう)じて八方借金だらけ――見るに手も足も出ない鈴川源十郎着流しに銀拵えの大小をグイとうしろに落として、小謡(こうた)を口に小名木川の橋を過ぎながら、ふと思いついたのが麻布(あざぶ)我善坊(がぜんぼう)の伯父隈井九郎右衛門(くまいくろうえもん)のこと。
 四年まえに五十両借りたきりになっているが、なにしろ隈井の伯父はお広間番の頭、役得が多くしたがって工面がいい。泣きついていったらもう五十ぐらいなんとかしてくれるかも知れぬ。
 そうだ、一つ鉄面皮(てつめんぴ)に出かけてみようか。
 いや! よそう、よそう!
 そういえば去年の盆前にも一度二十両しぼり出しに行ったことがあったっけ。
 あの時、いやにお世辞がよく、たんと御馳走をしてくれたのはいいけれど、そのもてなしの最中に、伯父のやつこんなことを言いやがった――実はナ鈴川、昨年わしの知行が水かぶりで二百石まるつぶれになってしまった。が、まあ、お役料二百俵あるから、それでどうやらこうやら内外の入費をやってのけたけれど、そういう訳でまことに勝手向きが不如意だ。ついてはいつぞや用だてた五十両の金、全額といったら貴公も迷惑だろうから、どうか半金ばかり入れてもらいたい……とこう、真綿で首を締めるように、丁寧に催促されては、そこへこっちから、また二十両拝借ともきりだしかねて、なるほど、それではいずれ近日調達して返済いたします――と、俺は汗をかいてそこそこに逃げ帰って来た。
 ああ先手をうたれてやんわりやられちゃアかなわない。まったく我善坊(がぜんぼう)の伯父御(おじご)と来ちゃア食えない爺いだからなア……。
 と源十郎。
 自分こそ親類じゅうの爪弾(つまはじ)き、大の不実者、人間の屑のように言われているのを棚にあげ――アアこうなることとわかっていたら、ふだんからもうすこし不義理をつつしみ、年始暑寒にも顔を出して、あちこち敷居を低くしておけばよかったと、いま気がついても後のまつり。
 暗剣殺(あんけんさつ)……八方ふさがり。
 しんから途方にくれた鈴川源十郎が、五十両に魂を失って操り人形のように、仙台堀から千鳥橋を渡って永代(えいたい)に近い相川町、お船手組の横丁へでたときだった。
 月のない夜は、うるしのように暗い。
 ふとゆく手にあたって弓張提灯(ゆみはりぢょうちん)――まつ川と小意気な筆あとを灯ににじませて、「オッと! 棟梁(とうりょう)、ここは犬の糞が多うがす」
「なあに大丈夫でえ。踏みアしねえ」
 来かかった町人ていの男ふたり……。
 源十郎、自分で気がつくさきにもう片側の土塀に背をはりつけて、鼠絹長襦袢の袖をピリリと音のしないように破り取るが早いか、すっぽり頭からかぶって即座の覆面……汗ばむ手のひらを衣類にこすり拭(ふ)いてペッ! 大刀の目釘を湿(しめ)していた。

 岡場所(おかばしょ)……といっても。
 江戸の通客粋人が四畳半裡(り)に浅酌低唱(せんしゃくていしょう)する、ここは辰巳(たつみ)の里。
 ふかがわ。
 柳はくらく花は明るきなかに、仲町(なかちょう)、土橋(どばし)、表やぐらあたりにはかなり大きな楼も軒をならべて、くだっては裏やぐら、すそつぎ、直助など――。
 人も知る、後世京伝(きょうでん)先生作仕かけ文庫の世界。そこのやぐら下の置屋まつ川というのに。
 さきごろからお目見得に住みこんで来ていた若い美しい女があったが、容貌といい気性といい申し分ないとあって、この四、五日親元代りの大工伊兵衛と話しあいの末、きょうはいよいよ身売りの相談がなりたち、女は夢八と名乗ってまつ川から出ることになり、大工の伊兵衛は、今夜その金を受け取って新助(しんすけ)という若い者とともにさっきかえっていった。
 こうしてやぐら下のまつ川からあらわれた新顔の羽織衆、夢八。
 この夢八こそは、当り矢のお艶、というよりも、諏訪栄三郎の妻お艶が、ふたたび浮き世の浪に押され揉まれて、慣れぬ左褄(ひだりづま)を取る仮りの名であった。
 伊達(だて)の素足に、意地と張りを立て通す深川名物羽織芸者……とはいえ、この境涯へお艶が身を落とすにいたるまでには、じつはつぎのようないきさつがあったのだった。
 それは。
 弥生と乾坤二刀のためにわれとわが恋ふみにじって栄三郎を離れて来たお艶、泰軒に守られて江戸のちまたをさまよい歩いたのち、泰軒は彼女を、もったいなくも大岡越前様に押しつけて、与吉を追って北国の旅へたってしまった。
 そのあとで越前守忠相は。
 正道に与(くみ)する意と畏友(いゆう)泰軒へのよしみとから、かげながら坤竜丸に味方しているとはいえ、そしてこのお艶は、その坤竜の士諏訪栄三郎の妻だとはわかっていても、家中の者の手まえ、不見不識(みずしらず)の若い女性を屋敷にとめておくわけにはゆかない。
 といって、もとより帰る家なきものを追い出し得る忠相ではなかった。ましてや、これは泰軒から預かっている大切な身柄である。で、このうつくしい荷物にはさすがの南のお奉行さまもいろいろに頭をひねったあげくふと思いついたのが、ちょうどそのとき屋敷の手入れに呼ばせてあった出入りの棟梁、日本橋銀町(しろがねちょう)の大工伊兵衛(いへえ)のことだった。
 伊兵衛棟梁は、もと南町奉行の御用をつとめたこともあって、手先としても、下素者(げすもの)ながら忠相の信任厚い老人だったが、いまでは十手を返上して、もっぱら本業の大工にかえり、大岡家をはじめ出羽様などに出入りして御作事方(おさくじかた)いっさいをうけたまわっているほど、堅いので聞こえた男なので、彼なら安心して一時お艶を又預けにすることができると考えた忠相が、さっそく自身邸内の普請場へ出向いて伊兵衛をものかげへ呼び、その旨を話して依頼すると。
 ほかならぬお奉行様の命に二つ返辞で引き受けた伊兵衛、ただちにお艶をつれて、銀町の自宅へ戻る。
 はしなくも大岡様をおそば近く拝んだうえ、種々御下問にあずかって、雲と竜ふたつ巴(どもえ)の件、丹下左膳、鈴川源十郎一味の行状なぞ己が知るかぎりお答え申しあげたお艶は、わが一身のことまでお耳に入れて恐懼(きょうく)したまま、かくして伊兵衛とともに御前を退出したのだったが――。
 うちに帰ってよくお艶を見なおした伊兵衛は、その世にも稀(まれ)なる美貌におどろくと同時に、遊んでいても差しつかえないがそれではかえって気がつまるばかり、むしろしばらく芸者にでもなったら憂(う)さ晴らしにいいだろう……と、女房とも談合して、幸いやぐら下のまつ川というのが講中や何かで相識(しりあい)だからお艶さんをこっちの娘分にして当分まつ川へ置いてもらったらどうだろう? 決して枕はかせがないという一枚証文なら、べつに身体に瑕(きず)がつくわけでもなし、おもしろおかしい日がつづいたら本人もさぞ気がまぎれてよかろうではないか――こうお艶にすすめてみると、
 気兼ねのないようにされればされるほど、さきが届けば届くにつけ、いづらいのが他人の家。
 朝ゆう狭い肩身のお艶は、いっそここで思いきって芸者にでも出れば、第一、ひろく人に会い、したがって口も多いから、この日ごろ気になってならぬあの弥生さまの行方にもひょっとしたら手掛かりがあろうも知れぬし、自分をねらう本所の殿様へは何よりの防禦(ぼうぎょ)と面(つら)あて……が、ただ風の便りに栄三郎さまがお聞きなされたらどんなに悲しまれることか!
 けれどそれも、愛想づかしの上(うわ)ぬりとはこのうえもない渡りに舟!
 こうした泣き笑いに似た気もちから、大工伊兵衛を親元として、みずから幾何(そこばく)の金でまつ川へ身を売ってきた夢八のお艶であった。
 そうして今宵――。
 そうして今宵……。
 はじめて櫓(やぐら)下のまつ川から出た羽織芸者の夢八。
 身売りの金は、いずれ足を洗う時の用意にもと固い伊兵衛がそのまま預かって、まつ川と字の入った提灯を借り、弱子の新助を連れて河むこうの銀町へ帰って行ったのは、月のない夜の丑満(うしみつ)すぎてからだった。
 さんざ時雨(しぐれ)のさざめきも夜なかまで。
 夢八のお艶が伊兵衛を送ってまつ川の門ぐちへ出たときは、さしも北里のるいを摩(ま)するたつみの不夜城も深い眠りに包まれて、絃歌(げんか)の声もやみ、夜霧とともに暗いしじまがしっとりとあたりをこめていた。
 そとへ出るとすぐ、伊兵衛は夢八を押し戻すようにした。
「いや、お艶さん――、じゃアない、もう夢八姐さんだったね、はははは、ここでたくさん、夜風はぞっとします。風邪(かぜ)を引きこんだりしちゃアいけない。さ、構わずはいっとくんなさい。またね、何かつらいことがあったら遠慮なく言って来なさるがいい。お前さまは大岡様からの大事な預り人で、困って芸者に出る人じゃないから、嫌になったらいつでも廃業(よ)すこった。ここの親方は、さっきの話でも知れるとおり、よっくわかった仁(ひと)だから決してむりなことは言やしないが……マア気のすすまない座敷はドンドン断わって、保養に来たつもりでせいぜいきれいにして遊んでいなせえ。
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