丹下左膳
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著者名:林不忘 

 いま各務(かがみ)房之丞が、先生よりおはなしがござると言ったので、なみいる弟子ども、改まってハテなんだろう? と皆固唾(かたず)をのんでいるにかかわらず、そこへ悠然と現れた軍之助は、かたく口を結んでちょっと場内を見渡したまま、ちょっと房之丞に眠くばせをすると、それなりつかつかと一方の壁へ向かって進んだが――たちまちピタリととまったのが、あの三略の言を墨痕に躍らせた額の真下。
 そこに、ずらりと横に門弟の名札が掛かっている。
 筆はじめは、いうまでもなく師範代各務房之丞。
 次席(じせき) 山東平七郎。
 第三に、轟(とどろき)玄八。
 四に、岡崎兵衛(ひょうえ)。
 五、秋穂左馬之介。
 大屋右近。
 藤堂粂(くめ)三郎。
 乾(いぬい)万兵衛。
 門脇修理(かどわきしゅり)。
 以下二百名あまり。
 めいめい一枚でも二まいでも札のあがるのを何よりの励(はげ)みに日常の稽古を怠らないのだが、今、この腕順の名ふだの下に立った剣師軍之助。
 やにわに腕をさしのばしたと見るや、一同があっけに取られているうちにパタパタと初めから順繰(じゅんぐ)り……名札を裏返しに掛けなおして、約七分の一の小松数馬(こまつかずま)のところで手をとめた。
 二百の名札のうち、はじめのほうはうらの木肌を黄白く見せている。
 その、裏がえしにされた札の数を読むと、各務房之丞から小松数馬までちょうど三十――。
 破門でもされるのでなければ、道場の名札を裏返しに掛けられるおぼえはない!
 と、高弟の三十名をはじめ満場の剣客が鳴りをしずめていると。
 軍之助、突如わめくようにいい渡した。
「これらの者三十人。今日かぎり破門を申しつける!」
 意外のことばに騒然とざわめきたった頭のうえに、より意表外の軍之助の声が、もう一度りんとしてひびいたのだった。
「いや! 待て、待て! わしもみずからを破門するのじゃ!」

 卯(う)の刻。
 あけ六つの太鼓が陽に流れて、ドゥン! ドーン! と中村城の樹間に反響(こだま)しているとき。
 異様な風体の武士たちが三々伍々(ごご)のがれるがごとく人目をはばかって町を離れ、西南一の宿の加島をさして、霜にしめった道をいそいでいた。
 そろいもそろって筋骨たくましい青壮(せいそう)の侍のみ。
 それが、一同対(つい)の鼠いろの木綿袷(もめんあわせ)に浅黄の袴、足半(あしなか)という古式の脚絆(きゃはん)をはいているところ、今や出師(すいし)の鹿島立ちとも見るべき仰々(ぎょうぎょう)しさ。
 胆をつぶしたのは沿路の百姓、早出の旅の衆で、
「うわアい! 新田(しんでん)の次郎作どんや、ちょっくら突ん出て見なせえや! いくさかおっ始(ぱじ)まっただアよ」
「ヒャアッ! 相手は何国(どこ)だんべ?」
「あアに、この隣藩の泉、本多越中(ほんだえっちゅう)様だとよウ!」
 などと、なかには物識り顔をするものもあってたいへんなさわぎ……月輪門下の剣団(けんだん)、進軍の先発隊と見られてしまった。それほどの装(よそお)い、決死の覚悟、生きて再び故山の土を踏まざる意気ごみである。
 が、なんのために腕を扼(やく)して江戸へ押し出すのか?
 同門の剣友、隻眼隻腕の丹下左膳を救うべく!
 それはいいが、左膳が何にたずさわり、そしていかにして危殆(きたい)に迫っているのか? したがって自分らは左膳に与(くみ)してどんな筋に刃向かうのか、敵は何ものなのか、そもそも何がゆえに左膳は戦い、またじぶん達もそれに加勢して、話に聞いた江戸で、この殺刀の陣を敷かなければならないのか?――かんじんのこれらの点になると、大将株の月輪軍之助をはじめ、皆の者、いっさい一様に文字どおり闇黒雲(やみくも)なのだ。しかし!
 そんなことはどうでもよかった。花のお江戸へ繰りこんで、好きなだけ人が殺せると聞いただけでこの北の荒熊達(あらくまたち)は、もうこんなに悦び勇んでいるのだった。
 幸か不幸か太平の世に生まれ合わせて、いくら上達したところで道場の屋根の下に竹刀(しない)を揮うばかり……。
 まれに真剣を手にしても、斬るのは藁人形かせいぜい囚人(めしうど)の生(い)き胴(どう)が関の山。
 駒木根颪(おろし)と岩を噛む大洋の怒濤とに育てあげられた少壮血気の士、いささか脾肉(ひにく)の嘆にくれていたところへ、生まれてはじめての華やかな舞台へ乗り出して、思うさま血しぶきをたてることができるのだから、誰もかれも、もう眼の色を変えてさわぎきっている。
 依頼によって動く殺人請負(うけおい)の一団。
 刃怪丹下左膳を生んだ北国野放しのあらくれ男が、生き血に餓えるけもののように隊を組み肩をいからして、街道の土を蹴立てていくのだ。
 陰惨(いんさん)な灰色の天地から、都鳥なく吾妻(あずま)の空へ……。
 人あって遠く望めば、かれらの踏みゆくところに従い、一塊の砂ほこり白く立ち昇って、並木の松のあいだ赤禿(あかは)げた峠の坂みちに、差し反(そ)らす大刀のこじりが点閃(てんせん)として陽に光っていたことであろう。
 こうして。
 破門された各務房之丞、山東平七郎、轟玄八以下三十名の剣星と、自らを破門してそれを率いる師軍之助と、月輪一刀流中そうそうの容列、〆(し)めて三十一士であった。
相馬中村は小さくなって通れ
鬼の在所じゃ月の輪の
 ……無心な童児(わらべ)の唄ごえにも、会心の笑みをかわす剣気の群れ――東道役は言わずと知れた駒形の兄いつづみの与吉だが、与の公、このところ脅かされつづけで、かわいそうにいささかしょげてだんまりの体(てい)だ。
 第一、言葉がよくわからない。
「こンれ! 汝(にし)ア、江戸もんけ? 江(え)ン戸(ど)は広かべアなあ」
「はい。まことにその、結構なお天気さまで、ヘヘヘヘ」
「江戸さ着(ち)たらば、まンず女子(おなご)を抱かせろ。こンら!」
「どうも、なんともはや、相すみませんでございます」
「わっハッハッハ!」
 とんちんかん、おおよそかくのごとく、口をきくたびに意思の疎通(そつう)を欠く恐れがあるし、江戸では見かけたこともない厳(いか)つい浅黄うらばかりがワイワイくっついているので、小突かれた日にぁ生命があぶない。さわらぬ神にたたりなしと、与吉は苦しいのを我慢して無言のまま、先に立って今度は水戸街道を加島、原町、小高、鷹野、中津、久満川、富岡……。
 ここから木戸まで二里の上(のぼ)りにかかる。

 はじめ、お下館(しもやかた)へさげられてゆっくり休んでいた与吉を、朝早く宿直(とのい)の侍が揺り起こしたのだった――。
 援軍の仕度ができたから町外れの道場へ……といわれて、案内につれ、月輪方へ出向いてみると。
 だだっ広い板敷に三十人の破門連だけが車座に居残って、剣主軍之助から江戸入りを命ぜられている最中。
 いかさま東下(あずまくだ)りとしかいいようのない、仕度も仕度、たいへんな大仕度に、つづみの与の公、まずたましいを消さなければならなかった。
 わけも知らないのに、軍(いくさ)にでも出るような騒動――にわかの発足とあって、わらじを合わす者、まだ一寸も江戸へ近づかないうちから、刀を引っこ抜いてエイッ! ヤッ! と振り試みるもの、上を下へとごった返しているから、これを見た与吉が、ひそかに考えたことには、
「これほどじゃあるめえと思ったが、強そうには強そうだけれど、いやはやどうも、ひでえ田舎ッぺばかりじゃアねえか。ちょッ! あの服装はなんでえ! 覲番侍(きんばんもの)が吉原の昼火事に駈けつけるんじゃアあるめえし、大概(てえげえ)にしゃアがれッ!……といいてえところだが、待てよ! これだけの薪雑棒(まきざっぽう)に取り囲まれていけあ、たとえあの乞食坊主がいつどこで飛び出したところで、帰途の旅は安穏(あんのん)しごくというものだ――身拵(みごしら)えは江戸へはいる前にでもよッく話してなおしてもらおう。それまではこの田舎者の道あんない。まあ、何も話の種だ」
 とあきらめて、一同とともに打ちつれだって出て来たのだが、性来粋(いき)がっている江戸ッ子の与の公、仮装行列のお供先を承っているようで、日光のかくかくたる街道すじを練ってゆくとなんとも気のひけることおびただしい。
 いまでさえこうだから、江戸に近づくにつれてその気恥ずかしさは思いやられる。どっちへ転んでも情けねえ役目をおおせつかったものだ! と、つづみの与吉、口のなかで不平たらたら……大きな肩に挟まれて木戸の宿場の登りぐち、虫の知らせか、進まぬ足を踏みしめて一歩一歩と――。
 かえりは、道をかえて水戸街道。
 常陸(ひたち)の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿(にいじゅく)へ出ようというのだ。
 奥州本街道とはすっかり方角が違うから、二本松に残して来た蒲生泰軒に出会する心配はまずあるまい。また仮りに行き会ったところで、こんどはこっちのもの、与吉はすこしも驚かない。
 富岡より木戸。
 この間、二里の小石坂。
 いい眺望(ながめ)である。
 山に沿ってうねりくねってゆく往還(みち)、片側は苗木を植えた陽だまりの丘で、かた方は切りそいだように断崖絶壁(だんがいぜっぺき)。
 まっ黒な峡(はざま)にそそり立つ杉の大木のてっぺんが、ちょうど脚下にとどいている。
 その底にそうそうと谷をたどる小流れの音。
 いく手に不動山の天害が屏風のごとくにふさぎ、はるかに瞳をめぐらせば、三箱の崎。舟尾(ふなお)の浜さては平潟に打ち寄せる浪がしらまで、白砂青松(はくさせいしょう)ことごとく指呼(しこ)のうち――。
 野火のけむりであろう、遠く白いものが烟々(えんえん)として蒼涯(そうがい)を区切っている。
「絶景! 絶景!」
 というべきところを、月輪の剣士一同、あゆみをとめて、ジュッケイ! ジュッケイ!
 と口ぐちにどなりあっている。
「町人! ここサ来(こ)! あの白っこい物アなんだ?」
「エエ……白っこい物と、はて、なんでございましょう――ア! あれは関田へおりる道じゃアございませんか」
「ほうか」
「コンラ町人、江ン戸にはこんな高い所あッか?」
「エヘヘ、まずございますまいな」
「ほうだろう……うおうい!」
 先の者がしんがりを呼ぶと、
「なんだア――ア?」
 と急ぎのぼってくる。
「中村のお城が見えるぞウイ」
「ほんなら、みんな並んで最後のお別れに拝むこッた。拝むこった」
 というので、なるほど、かすかに雲煙(うんえん)をついて見える相馬の城へ向かって、しばし別離のあいさつ……。黙祷(もくとう)よろしくあってまたあるきだすと、
「なあに、ここをかわせばもうじき広野の村へ下りでございます」
 なんかと与吉、この道は始めてのくせに例のとおり知ったかぶりをして、出張(でば)った山鼻の小径を曲がる――が早いか、血相をかえたつづみの与の公、ギオッ!
 とふしぎな叫声(さけび)をあげたが、駆けよった先頭の連中も、一眼見るより、これはッ! とばかりに立ちすくんだのだった。
 白い乾いた路上の土に、大の字なりふんぞりかえっている異形(いぎょう)の人物! パッサリと道土(つち)をなでる乱髪の下から、貧乏徳利の枕をのぞかせて……。
 思いきや! 泰軒蒲生先生の出現!
 顔いろを変えた与吉が、おののく手で各務房之丞の肱(ひじ)をつかみ、何ごとか二、三声ささやくと、ウムそうかと眼を見はった房之丞、おおきくうなずきながら首領月輪軍之助の耳へ取り次ぐ。
 と、
 軍之助の右手(めて)が高くあがって、
「なんじゃい、こいつ!」
「食(く)らい酔ってるで」
「かまわず踏みつけて通れや!」
などとグルリ取り巻いてどなりかわしていた剣鬼のやからをぴたッと制する。
 急落した沈黙。
 容易ならぬ漂気!――と見て、早くも二、三、せわしく刀の柄ぶくろを脱(の)けにかかる。
 が!
 この暴風雨のまえの静寂(しじま)にあって、泰軒居士は身動きだにしない。
 グウグウ……と一同の耳底に通うかすかないびきの声、豪快放胆(ごうかいほうたん)な泰軒先生、いつしかほんとにねむっているのだった。
 むさ苦しいぼろから頑丈な四肢を投げ出して、半ば口を開けている無心な寝顔に、七刻(ななつ)さがりの陽射しがカッと躍っている。
 大賢大愚(たいけんたいぐ)、まことに小児(ちびこ)のごとき蒲生泰軒であった。
 それを包んで、中村の剣群も眼を見あわすばかり、軍之助はじめほか一同、黙って足もとの泰軒をみつめている。
 いつ覚(さ)むべくもない奇仙泰軒……。
 かれは。
 二本松の町に一夜を明かして、その夜なかに与吉が脱出したことを知るやいな、いく先はどうせわかっている相馬中村――ただちにその足で先まわりして、道なき道を走って飯野を過ぎ、それから川俣、山中の間道(かんどう)づたい、安藤対馬守(つしまのかみ)どの五万石岩城平から、相馬の一行とは同じ往還を逆に、きょう広野村よりこの木戸の山越えにさしかかったところで。
 眠くなれば、どこででも寝る泰軒は、日のひかりを背いっぱいに受けて登ってくるうちに睡魔にとりつかれ、今ちょうど山坂の真ん中にひっくりかえって、ひとねむりグッスリとやらかしている最中だった。
 そこへ!
 思い設けないこの出会い……月輪の剣列(けんれつ)、いたずらに柄頭(つかがしら)をおさえてじっと見据えていると!
 はじまるナ! と看(み)てとった与の公、逸(いち)早くコソコソうしろへ隠れてしまったけれど、泰軒はいい気もちに高いびき、すっかり寝こんでいる――のかと思うと、さにあらず!
 どうしてどうして、彼はさっきから薄眼をあけて、まわりに立ち並ぶ足の数から人数を読みとろうとしているのだが、外観(そとみ)はどこまでも熟睡(じゅくすい)の態(てい)で、狸寝入りの泰軒先生、やにわに寝語(ねごと)にまぎらしてつぶやき出したのを聞けば、
「おお、コレコレ与吉、松島みやげにたくさん泥人形を仕入れて参ったな。だが、惜しむらくはどれもこれも不細工、ウフフフフ都では通用せん代物じゃて……」
 と言いおわるを待たず、それッ! 軍之助が声をかけたのが合図。
 パァッ! と円形が拡がると同時に飛びこんで来た秋穂左馬之介、かた足あげて、泰軒がまくらにしている一升徳利を蹴った――のが早かったか、一瞬にしてその脚をひっつかみ担(かつ)ぐと見せて急遽(きゅうきょ)身を起こした泰軒が遅かったのか?
 とまれ、それはほんの刹那の出来事だった。
 間髪を入れない隙に、あッ! と人々が気がついたときは、左馬之介の身体は岩石落とし……削りとったような大断面を鞠(まり)のごとくに転下して、たちまち山狭の霧にのまれ去った。
 あとには、一抹(まつ)の土埃が細く揺れ昇って、左馬之介のおちた崖の端に、名もない雑草の花が一本、とむらい顔に谷をのぞいている。
 けれど! 驚異はそれのみではなかった。
 とっさのおどろきから立ちなおって、すぐに泰軒へ目を返した月輪組は、いつのまに奪ったものか、そこに見覚えのある左馬の愛刀を抜きさげて、半眼をうっそりと突っ立っている乞食先生のすがたを見いださなければならなかった。
 自源流奥ゆるし水月のかまえ……。
 しかも、あの秒刻にして左馬を斬ったのだろうか、泰軒の皎刃(こうじん)から一条ポタリ! ポタリ! と赤いものがしたたって、道路の土に溜まっているのではないか。
 凄然たる微笑を洩らす泰軒。
 きらり、きらりと月輪の士の抜き連れるごとに、鋩子(ぼうし)に、はばき元に、山の陽が白く映(は)えた。

「なんじは、これなる町人を江戸おもてよりつけ参った者に相違あるまいッ!」
 と、月輪軍之助、泰軒の直前に棒立ちのまま叱咤(しった)した。
「…………」
 泰軒は無言。ほお髭が風にそよぐ。
「おのれッ! 応答(へんじ)をいたさぬかッ」
 言いかけて、軍之助は声を低めた。
「いままた、同志秋穂左馬之介の仇敵(かたき)……かくごせい!」
 そして!
 その氷針のような言葉が終わったかと思うと、さアッ! と一層、月輪の円形が開いて、あるいは谷を背に、他は丘にちらばり、残余(のこり)の者は刃列をそろえてすばやく山道の左右に退路を断った。
 とともに! 一刀流正格の中青眼につけた岡崎兵衛、めんどうなりと見たものか、たちまち静陣(せいじん)を離れて真っ向から、
「えいッ」
 はらわたをつんざく気合いを走らせて拝み撃ち!――あわれ泰軒先生、不動のごとく血の炎に塗(まみ)れさった……と思いのほか刹那(せつな)! 燐光一線縦にほとばしって、ガッ! と兵衛の伸剣(しんけん)を咬(か)み返したのは自源流でいう鯉の滝昇り、激墜(げきつい)の水を瞬転一払するがごとき泰軒の剛刀であった。
 とたん!
 払われた兵衛は、自力に押されて思わずのめり足、タッタッタッ! 掻き抱く気味にぶつかってくる。そこを、踏みこたえた泰軒、剣を棄てて四つに組む――と見せて、即(そく)に腰をひねったからたまらない。あおりをくった岡崎兵衛、諸(もろ)に手を突いて地面をなめた。
 が、寸時を移さず泰軒には、こんどは門脇修理を正面に、左右に各一人、三角の剣尖を作っていどみかかっている。
 危機!
 ……とは言い条(じょう)、自源流とよりはむしろ蒲生流といったほうが当たっているくらい、流祖自源坊の剣風をわが物としきっている侠勇(きょうゆう)蒲生先生、とっさに付け入ると香(にお)わせて、誘い掛け声――。
「うむ!」
 と!
 これに釣りこまれたか、それとも羽毛の隙でも剣眼に映じたものか、右なる刀手、殺気に咽喉(のど)をつまらせて沈黙のうちに引くより早く、一線延びきってくる片手突き!
 太刀風三寸にして疾知(しっち)した泰軒うしろざまに飛びすさるが早いか、ちょうど眼前に虚を噛(か)まされておよいでいる突き手を、ジャリ……イッ! と唐竹割りにぶっ裂いた。
 濡れ手拭――あれを両手に持って激しく空に振ると、パサリ! という一種生きているような異様な音を発する、人体を刀断する場合に、それによく似たひびきをたてると言われているが全くそのとおりで、いま水からあげたばかりの布(ぬの)を石にたたきつけたように、花と見える血沫(ちしぶき)が四辺(あたり)に散って、パックリと口を開いた白い斬りあとから、土にまみれる臓腑(ぞうふ)が玩具箱(おもちゃばこ)をひっくりかえしたよう……。
 チラ! とそのさまに眼をやった泰軒、
「すまぬ。――南無阿弥陀仏」
 さすがは名うての変りもの、じぶんが殺(や)ったそばからお念仏を唱えてニッコリ、ただちに長剣に血ぶるいをくれて真向い立っている門脇修理に肉薄してゆくと。
 白昼の刃影、一時にどよめき渡って、月輪の勢、ジリリ、ジリリとしまると見るや、一気に煥発(かんぱつ)して乱戟(らんげき)ここに泰軒の姿を呑みさった。
 夜ならば火花閃々。
 ひるだからきなくさい鉄の香がいたずらに流れて、あうんの声、飛び違える土けむり、玉散る汗、地に滑る血しお……それらが混じて一大殺剣の気が、一刻あまりも山腹にもつれあがっていた。
 はじめのうちつづみの与吉は、小高い斜面の切り株に腰をかけて、たかみの見物と洒落(しゃれ)ていたがだんだんのんきにかまえていられなくなって、そこらにある石でも枯れ枝でも手あたりしだいに泰軒を望んで投げつけてみたけれど、単に混戦の度を増して味方に迷惑なばかり。
 やがて。
 こうなってみると、せまくて足場のわるいのが、何よりも多勢(たぜい)の側にとって不利なので、存分に動きのとれる峠下の広野へ泰軒をひきだし、また自分たちも一歩でも江戸に近よろうと、軍之助の指揮のもとに、一同、突如刀を納めてバラバラバラッ! と雪崩(なだれ)をうって江戸の方角へ駈けおりてゆく。
 なむさん! 遅れては大変! と与の公もころがるようにつづいたが、
 追おうともしない泰軒。
 ニッとほくそ笑んで、懐中(ふところ)から巻き紙を切って、綴(と)じた手製の帳面を取り出したかと思うと、ちびた筆の穂先を噛んでそこらを見まわした。
 まぐろのようにころがっている屍骸(しがい)がふたつ。
 それに、最初峡(たに)へ斬りおとした秋穂左馬之介を加えて、きょう仕留めた獲物はつごう三名。
 泰軒先生、死人の血を筆へ塗って、三と帳づらへ書き入れた。
 中村を進発のとき、軍之助を筆頭に各務房之丞、山東平七郎、轟玄八ほか二十七人、〆めて三十一名だった相馬月輪組は、木戸の峠の剣闘に秋穂左馬之介等三人を失って二十八人、それでも与吉を案内に水戸街道の宿々に泊りを重ねて、きょうの夕刻、こうしてたどり着いたのが助川の旅籠(はたご)鰯屋(いわしや)の門口だ。
 木戸以来、泰軒の消息はばったりと途絶えて、いくら振り返っても影も形も見えないから、月輪の一同、安堵(あんど)と失望をごっちゃにした妙なこころもちだった。
 あの時は地の利がわるかったために思うように働けなかったが、充分な広ささえあればあんな乞食の一人やふたり、またたく間に刻(きざ)んでくれたものを!――こう思うと誰もかれもいまにも彼奴(あいつ)があらわれればいいと望んでいるものの、待っている時に限って、姿を見せないのがほととぎすと蒲生泰軒で、とうとうここまで、北州の雄月輪一刀流と、秩父に伝わる自源流と、ふたたび刃を合わす機会もなくすぎて来たのだが……。
 助川、江戸まで、四十一里半。本陣鰯屋の広土間。
 ドヤドヤとくりこんで来た月輪組の連中は、ただちに階上の二間をぶっ通して借りきって旅の汗を洗いにただちに風呂場へ駆けおりる者、何はさておき酒だ酒だとわめくもの、わるふざけて女中を追いまわす者――到着と同時にもう家がこわれるように大にぎわい。
 何しろ若年の荒武者が二十八士も剣気を帯びての道中だから、その喧噪(けんそう)、その無茶まことにおはなしにならない。
 あまりの騒動に宿役人が出張して来て、身がら、いく先などを型(かた)ばかりにしらべていったが、これは師範代各務房之丞が引き受けて、金比羅詣(こんぴらまい)りの途中でござると開きなおり、見事にお茶らかして追い返してしまう。
 あとには。
 気を許した一同が、五、六十本の大小を床の間に束(たば)で立て掛け、その前に大胡坐(おおあぐら)の月輪軍之助を上座に、ズラリと円くいながれて、はや酒杯が飛ぶ、となりの肴を荒らす、腕相撲、すね押しがはじまる……詩吟から落ちてお手のものの相馬甚句、さてはお愛嬌(あいきょう)に喧嘩口論まで飛び出して、イヤハヤ、たいへんな乱痴気ぶりだ。
 旅中はおのずから無礼講、それに、何をいうにも若い者のこととて大眼に見てかあきらめてか、それともあきれたとでもいうのか、剣師軍之助はこの崩座(ほうざ)を眺めて制しようともせず、やりおるわいと微笑みながらチビリチビリと酒をふくんでいると。
 いつしか話題が泰軒へ向いて、
「力はあるが、大した剣腕(うで)ではないで、こんど出て来たら、拙者が真ッぷたつにしてくれるテ。なあ、汝(うぬ)らア騒がずと見物しとれ」
「何をぬかしくさる! おれは、きゃつの業(わざ)の早いのが恐るべきだちゅうんだ、岡崎がかわされて手をついた時の不様(ぶざま)ってあっか」
「さようでございます。どうもあのとおり乱暴な乞食なんで、見ておりましても手前なんかは胸がドキドキいたしますが、でもまあ、皆さまというお強いお方がそろっていらっしゃいますので、このところ与の公も大安心でございます、へい」
「そうとも! そうとも! 何があっても町人はすっこんでおろ!」
「なんともはや、その言葉一つが頼みなんで――ま、ま、一ぱい! 酒は燗(かん)、さかなはきどり、酌は髱(たぼ)なアンてことを申しながら、野郎のおしゃくで恐れ入りますが、どうぞ[#「どうぞ」は底本では「とうぞ」]お熱いところをお重ねなさいまし。オッととととと!……これは失礼」
 などと、与の公までがしゃしゃり出てきて、いい気になって酒盃のやりとりを続けているところへ!
 ミシ! と天井うらの鳴る音!
 まだ日が暮れたばかり。おまけに下はこの宴席、なんぼなんでも鼠(ねずみ)の出るわけはなし、それに! ねず公にしてはちと重すぎる動きが感じられる。
 と、一同が期せずして話し声をきり、飲食の手をとどめて、思わずいっしょに天井を仰いだとたん!
 パリパリパリッ! と、うずら目天井板の真ン中が割れたかと思うと、太い毛脛(けずね)が一本、ニュウッ! と長くたれさがって来た。
 あっけにとられて口をあけたまま見あげていた月輪の剣豪連、それッ! というより早く、算をみだして床の間の刀束へ殺到する。
 その間に、天井裏の怪人、脚から腰と下半身をのぞかせて、いまにも、座敷の中央へ飛びおりんず気配!
 うわさをすれば影とやら――泰軒先生の意外な登場。
 与吉は?……と見れば、逃げ足の早いこと天下一品で、もう丸くなって段梯子(だんばしご)をころげ落ちていた。

 秋穂左馬之介以下二名のとむらい合戦!
 と思うから、このたびこそは討たずにはおかぬと、一刀流月輪の門下、軍之助、房之丞を、かしらに冷剣の刃ぶすま、ずらりと大広間に展開して、四方八方から一泰軒をめざし、進退去就(しんたいきょしゅう)いっせいに、ツツウと刻みあし! 迫ると見れば停止し、寂然(じゃくねん)たることさながら仲秋静夜の湖面。
 夕まけて戸内の剣闘(けんとう)。
 灯りが何よりの命とあって、泰軒の出現と同時に、気のきいた誰かが燭台を壁ぎわへ押しやって百目蝋燭(ひゃくめろうそく)をつけ連ねたので、まるで昼のようなあかるさだ。
 そのなかに、刀影(とうえい)魚鱗(ぎょりん)のごとく微動していまだ鳴発しない。
 まん中のひらきに突っ立った泰軒、やはり貧乏徳利を左手に右に左馬之介から奪った彼の一刀をぶらりとさげて、夢かうつつの半眼は例によって自源流水月の相……。
 降ってわいたようなという形容はあるが、これはそれを文字どおりにいっていかさま降ってわいたつるぎの暴風雨――こうしてかれ泰軒が、突如助川いわし屋の天井から天降るまでに彼はいったいどこにひそみ、いかにして月輪組をつけて来たか?
 あれほど意をくばってきたになお尾行されているとは気がつかなかった……という月輪一同の不審ももっともで、ちちぶの深山に鹿を追い、猿と遊んで育った郷士泰軒、彼は自案にはすぎなかったが、隠現(いんげん)機(とき)に応ずる一種忍びの怪術を心得ていたのだ。
 だからこそ、江戸でも、警戒厳重な奉行忠相の屋敷へさえ、風のように昼夜をわかたず出入するくらい、まして、自然の利物に富む街道すじに、多人数の一団をつけるがごときは、泰軒にとっては朝めしまえ、お茶の子サイサイだったかも知れない。
 かくして。
 一行にすこし遅れ、混雑にまぎれていわし屋の屋根うらへ忍びあがったかれ、いまその酒宴の真っただなかをはかってずり落ちてきたのだ。
 泰軒の足もと近く、朱に染まった手に虚空(こくう)を掴んで動かない屍骸ひとつ。それは、跳びおりざま横薙(な)ぎに払った剣にかかって、もろくも深胴をやられた大屋右近のなきがらであった。
 ビックリ敗亡、あわてふためいたのはいわし屋の泊り客に番頭、女中、ドキドキ光る奴が林のように抜き立ったのだから手はつけられず、とばっちりをくってはたまらぬと、一同、さきを争って往来へ飛び出したのはいいが、なかには、狼狽(ろうばい)の極、胴巻(どうまき)とまちがえて小猫を抱いたり、振分けのつもりで炭取りをさげたり……いや、なんのことはない、まるで火事場のさわぎ。
 この騒乱に地震と思って、湯ぶねからいきなり駈け出して出た女が、ひとり手ぬぐいを腰にうろうろしているのを見かけると、抜け目のない奴で、じぶんの荷だけはいっさいがっさい身につけ、担ぎ出したつづみの与の公、すばやく走りよって合羽を着せる、履物をやる、ごった返すなかでそのいきとどくこと、どうも此奴(こいつ)、いつもながら女とみるとばかに親切なやつで。
 果たして、良人(おっと)と覚(おぼ)しき女の同伴(つれ)が飛んで来て、礼よりさきにどしんと一つ与吉を突きとばしたのは駒形の兄哥(あにい)一代の失策、時にとってのとんだ茶番であった。
 それはさておき――。
 おもて二階の剣場では。
 気頃(きごろ)を測っていた泰軒が、突(とっ)! 手にした一升徳利を振りとばすと右側の轟玄八、とっさに峰をかわしてハッシと割る!
 これに端を発した刃風血雨。
 ものをも言わず踏みこんだ泰軒、サアッと敵の輪陣(りんじん)を左右に分けておいて、さっそくのつばくろ返し手ぢかの小松数馬の胸板を刃先にかけてはねあげたから、いたえず数馬、□(どう)ッ! と弓形にそる拍子に投げ出された長刀白線一過してグサッ! と畳に刺さった。
 とたん! 側転(そくてん)した泰軒、藤堂粂三郎とパチッ! やいばを合わせる……と同秒に足をあげて発! そばの一人を蹴倒しながら、長伸、軍之助を襲うと見せかけ、隙に乗じて泰軒、ついに壁を背にして仁王立ち……再び、刀をさげ体を直(ちょく)に、なかばとじた眼もうっとりと、虚脱平静(きょだつへいせい)、半夜深淵をのぞむがごとき自源流水月の構剣……。
 またしても入った不動の状。
 せきれいの尾のようにヒクヒクと斬尖(きっさき)にはずみをくれながら、月輪の刀塀(とうへい)、満を持して放たない。
 往来に立ってワイワイさわいでいる人々の眼にうつるのは。
 二階の障子に烏のように乱舞する人影と人かげ……。
 と! 見る間に。
 その障子の一枚を踏み破って、のめるように縁の廊下に転び出た大兵(たいひょう)の士――月輪剣門にその人ありと知られた乾(いぬい)万兵衛だ。
 が、おなじ瞬間に追撃(おいう)ちの一刀!
 利剣長閃、障子のやぶれを伸びて来たかと思うと、たちまち鮮血鋩子(ぼうし)に染み渡って、
「あッ痛(いた)……ウッ!」
 と万兵衛、肩口をおさえて、がっくりそのままらんかんに二つ折れ、身をささえようとあせったが、肥満の万兵衛何条(なんじょう)もってたまるべき! おのが重体(おもみ)を上身に受けて欄干ごし、ドドドッ! と二、三度庇(ひさし)にもんどりうったと見るや、頭部から先にズデンドウ、うわアッと逃げ退く見物人の真ん中へ落ちて、
「ザ、残念! ざんねんだッ!」
 と、ふた声三声くち走ったのが断末魔、地に長く寝て動かずなった。
 二階の博刃(はくじん)は今し高潮に達したとみえ、ふみきる跫音(あしおと)、鉄(あらがね)とあらがねの相撃ちきしみあうひびき、人の心胆を寒からしめる殺気、刀気……ののしるこえ、物を投げる音! たちまち! ザアッと障子が鳴って黒い斑点が斜めに散りかかりつつみるみる染みひろがっていくのは、泰軒か月輪団か、さてはまた一人斬られたとみえる。
 こわいもの見たさに刻々あつまってくる路前の人出も、あアレヨアレヨ! と叫びかわすばかりで、なんとも手のくだしようがなく、女達なぞは、一太刀浴びたらしい魂切(たまぎ)る声が流れるごとに、顔を覆い耳をふさいでいるが、それでも容易に立ち去ろうとはしない。
 代官はじめ宿役の衆は、この剣戦を知らぬ顔にいったい何をしているか?――というに、広くもない村うち、彼らといえども識らぬではない。が、一段落ついて危険が去ってから出動するつもりで、いまは、ヤレ身仕度だ、それ人数だ、とできるだけ暇をとって出しぶっているのだ。
 さてこそ、これほどの騒動にまだ御用提灯の見えぬわけ……。
 そのうち。
 群集のひとりが頓狂な声を張りあげて、
「火事だアッ!」
 と叫んだ。
 然り! 火事も火事、一瞬にして勢いさかんな烈火の舞いだ。
 燭台(しょくだい)を蹴倒して、その灯が襖(ふすま)へでも燃え移ったことから始まったらしい。
 蛇の舌のような火さきがメラメラと障子をなめ畳にひろがってまたたく間に屋根へ吹き抜け、天に冲(ちゅう)する光煙、地を這いまわるほのお、火の子は雨と飛び、明々の灼気(しゃっき)風と狂って本陣いわし屋の高楼いまは一大火災の船と化し終わった。
 折あしく戌亥(いぬい)の強風。
 家財をかついで右往左往逃げまどう町民、わめきかわす声、梁(はり)の焼け落ちる轟音、昼よりも明るい天地のあいだにしいんと静まり返って燃えさかる火! 火! 火!
 その、烈火の影、黄色く躍る熱沙(ねっさ)の土をふんで、一団の人かげが刀を杖つき、負傷者(ておい)をかばって遠く宿を離れ、常州(じょうしゅう)をさしてひた走りに落ちのびていた。
 今宵の乱闘にまたもや敗けをとりながら、こうしてそれでも歩は一歩と江戸へ近づく相馬中村の剣群月輪の勢、路傍の小祠(しょうし)にいこって頭数を検するに、こいつだけは無事息災(ぶじそくさい)、まっさきに逃げ出して来たつづみの与吉のほかに、二十八人のうちから死者大屋右近、乾万兵衛、小松数馬、里村狂蔵の四名を出し、残りの二十四名のなかにも重軽の金創(きんそう)火創を受けて歩行困難を訴えるもの三人……目的地(めあて)とする江戸との間にまだ四十里の山河をへだてているにすでにこの減勢とは、統帥(とうすい)軍之助の胸中、早くもうたたうらさびしいものがひろがるのだった。
 はるかに小手をかざせば助川の空はいちめんの火雲、近くの邑々(むらむら)で打ち鳴らす半鐘の音が風に乗って聞こえていた――。
 あの焦土の中心にあっては、いかな泰軒先生もついに一握の灰と化したろう……という想定はもってのほか!
 ちょうど月輪の連中が途上に休んでいるころおい、不死身(ふじみ)の泰軒は、燃え狂ういわし屋の屋内を火の粉の一つのように駈けまわって、
「あ! ここにも一つ死んでおるぞ! これで三人、いや、下の道に落ちたのがひとり、合計今夜は四人の収穫か。ワッはっはっは!」
 と、眉毛に火のつくなかで自若たる泰軒、ふところをさぐって取り出したのは殺生道中血筆帳の一冊、禿筆(ちびふで)の先を小松数馬の斬り口へ塗って血をつけ――。
 すけ川の宿にて四人也。
 トップリと書きこみながら、念仏とともに一句浮かんだ。
「春浅しほだ火に赤き鬼四つ……南無阿弥陀仏」
 こうして二十四名に減って助川をあとにした月輪軍之助の一行はつづみの与吉をみち案内にたて、その夜のうちに石神までたどりつき、翌(あく)る一日を宿屋に休息してゆうゆう傷の手当、刀のていれに費やして夕ぐれとともに石神を発足、くらい山道を足にまかせて、眠っている中納言様の御城下常陸(ひたち)の水戸を過ぎ、やがて利根川に注ぐ支流鞍川の渓谷へさしかかったころから……。
 雨。
 そして風。
 一山、ごうッと喚き渡って、峡間(はざま)にこだまし樹々をゆすぶる深夜のあらしだ。
「こりゃたまらぬテ!」
「ひどい吹き降りになりおったな」
 言いながら水を越す用意。
 鞭声粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河をわたる。
 広い河原だ。
 黒い石が累々(るいるい)と重なりつづいて古びた水苔で足がすべる。蛇籠(じゃかご)を洗う水音が陰々と濡れそぼれた夜の底をながれていた。
 右は、遠く荒天にそびえる筑波(つくば)の山。
 ひだり、阪東太郎(ばんどうたろう)の暗面を越えて、対岸小貝川一万石内田主殿頭(たのものかみ)城下の町灯がチラチラと、さては香取、津の宮の家あかりまで点々として漁火(いさりび)のよう――。
 それへ向かって、狭い浅い鞍川の河水が岩角をかんで白く咲きつつ押し流れているのだ。
 うしみつ。
 咆(ほ)える風に横ざまの雨滴(うてき)。
「よいか! 集まって渡れや!」
「浅いが、水が早いで、足をとられんようにナ、みんな気をつけて来(こ)!」
 口ぐちに叫びあいつつ、残士二十四の月輪の援隊、冷(ひや)ッとする水に袴(はかま)のもも立ちとった脚の半ばまで埋めて、たがいに手を藉(か)し肩を預けながら、底石を踏んでちょうど川中へ来かかった時だった。
 さきに立っていた山東平七郎がみつけたのだ。
 平七郎、河のまん中にピタッと急止し、大手をひろげて背後につづく同志を制しながら、一同またかッ? とばかりに刀をかまえてゆく手をのぞくと……何もない。
 ただ、黒い河水の表面に、南瓜(かぼちゃ)とも薬玉(くすだま)とも見える円い物がひとつ動くとも漂うともなく浮かんでいるだけ――。
「なんじゃい? あれは」
「笊(ざる)の川ながれじゃ。大事ない」
「芥のかたまりぞ! わっはッは、山東殿の風声こりゃ笑わせるテ」
 それでも連中、念のためにしばらく立ちどまってみつめていたが、なるほど、富士川みず鳥の羽音、平家ではないがとんだ臆病風と哄笑一番、ふたたび水中に歩を拾って進もうとする!
 いきなりつづみの与の公が、ブルブルガタガタとふるえ出した。
 ……も道理こそ……!
 声が聞こえる。
「ア、これこれ与吉、待っておったぞ! よい湯加減じゃ。背中をながせ、せなかを流せ」
というように。
 しかもそれが暴風雨(あらし)のひびきのいたずらとも、水音のなす耳のせいとも思えるのだが、こんどはハッキリと一声、たしかに河のそこからどなるように立ちのぼってきたから、与吉はもちろん、月輪組の一統、あッ! とおめくなり急淵を蹴って河中に散った。
「来ぬかッ! しからば当方より出向くぞッ!」
 と同時!
 今のいままで笊(ざる)の川ながれ塵埃(ごみ)の集結(かたまり)と見えていた丸い物が、スックと水を抜いて立ちあがったのを眺めると、裸ん坊の泰軒先生!
 九つの生命でもあるものか。いつのまにやら先まわりして、先生、さっきからこの夜ふけの鞍川につかって待ちぶせながら、のんきに行水と洒落(しゃれ)のめしていたのだ。
 全くの不意うち!
 おまけにたびたびの出会いに泰軒の秀剣を見せつけられ、すっかりおじけだっているから苦もない。蜘蛛の子のようにのがれ散る影を追って、泰軒、水煙とともに川に二人を斬りすてた。
 門脇修理ほか一人。
 そして与吉を先に、軍之助が風雨に狩られ余数をあつめて、水戸街道を江戸の方へ走りつつあるとき、泰軒は、岸の小陰から衣類とともに例の血筆帳(けっぴつちょう)を取り出して、血にそむ筆で二人と大書していた。
 今その、泰軒愛蔵の殺生道中血筆帳(けっぴつちょう)をひもとけば。
 おもてに血痕くろぐろと南無阿弥陀仏の六字。それから木戸の峠の三、助川宿の四人、鞍川の二と本文がはじまって、かくして江戸へ着くまでに。
 笠間の入口でまたひとり。
 若芝の野で三人。
 江戸の五里手まえ、松戸の往還で再び一人。
 しめ十四名を血載した帳面を懐中(ふところ)に、巷勇(こうゆう)蒲生泰軒がひさしぶりに帰府した夕べ、十七人に減じられた月輪組とつづみの与吉は、まだうしろを振り返りながら、灯のつきそめた都の雑踏(ざっとう)にまぎれこんでいた。

  子恋(こごい)の森

 武江遊観志略(ゆうかんしりゃく)を見ると、その三月事宜(じぎ)の項(こう)に――。
 柳さくらをこきまぜて、都は花のやよい空、錦繍(きんしゅう)を布(し)き、らんまん馥郁(ふくいく)として莽蒼(ぼうそう)四野も香国(こうこく)芳塘(ほうとう)ならずというところなし。燕子(えんし)風にひるがえり蜂蝶(ほうちょう)花に粘(ねん)す。わらじを着けて花枝をたずさえ、舟揖(しゅうしゅう)をうかべて蛤蜊(こうり)をひろう。このとき也、風雅君子、東走西奔、遊観にいとまあらずとす。これは旧暦だが、とにかく三月の声を聞けば、もう人のこころを浮き立たせずにはおかない春のおとずれである。
 三日は桃の節句。雛祭り。白酒。
 四日。
 江戸の西隅、青山摩利支天(まりしてん)大太神楽(だいだいかぐら)興行……とあって、これが大へんな人出だった。
 青山長者ヶ丸の摩利支天(まりしてん)境内。
 いつの世に何人が勧請(かんじょう)奉安したものか、本尊は智行法師作の霊像、そのいやちこな御験(みしるし)にあずからんとして毎年この日は詣人群集、押すな押すなのにぎわいである。
 堂の四隣に樹木多く、呼んで子恋(こごい)の森という。
 あたかもよし、花見月のおまつり日和。
 武家屋敷に囲まれたたんぼの奥に、ふだんはぽつんと島のように切り離されて見える子恋の森だが、きょうは遠く下町から杖を引く人もあって、見世物、もの売り、人声、それらの音響と人いきれが渾然(こんぜん)として陽炎(かげろう)のように立ちのぼりそう……。
 森のなか。
 荒れはてた御堂をとりまいて、立錐(りっすい)の余地もなく人ごみがゆれ動いている。
 村相撲がある。紙で作った衣裳(いしょう)冠(かんむり)の行司木村なにがし、頓狂声の呼出しが蒼空(あおぞら)へ向かって黄色い咽喉を張りあげると、大凸山と天竜川の取り組み。それへ教学院の荒法師や近所の仲間が飛び入りをして、割れるような拍手とわらいが渦をまく。
 片隅には、二十七、八のきれいな女が、巫女(みこ)のようないでたちで何やらしきりに人を集めているので、その口上を聞けば、
「これなるは、安房(あわ)の国は鋸(のこぎり)山に年ひさしく棲みなして作物を害し人畜をおびやかしたる大蛇(おろち)。またこれなる蟇(がま)は、江戸より東南、海路行程数十里、伊豆の出島十国峠の産にして……長虫は帯右衛門と名づけ、がまは岩太夫と申しまする。東西東西! まアずは帯右衛門に岩太夫、咬み合いの場より始まアリさようウッ!」
 と、見ると、いかにもこれが安房帯右衛門殿であろう、一匹の痩せこけた青大将が、白い女の頸に襟巻のようにグルリと一まき巻きついて、あまった鎌首を見物のほうへもたげ、眠そうな眼をドンヨリさせている。
 女の足もとには、あまり大きからざる蟇(がま)の岩太夫、これは縄でしばられていて、つまらなそうにゴソゴソ這い出そうとするたびに、ぐいと引き戻される。
 やがて女が、頸の蛇をとって地面へおろすと、帯右衛門も岩太夫もそこは稼業だけあって心得たもので、暫時(しばし)にらみあいの態よろしくののち、いきなり帯右衛門が岩太夫に巻きついて締めつけて見せる。この時岩太夫すこしも騒がず口をあけてガアガアと音を発したが、たぶん、
「オオ兄イ、どうせ八百長だ、やんわり頼むぜ」
 ぐらいのところであろう。いっこうおもしろくないので、立合いの衆は肝腎(かんじん)の蛇と蟇の喧嘩よりも、太夫元の美しい女をじろじろ見つめているのだが、この女、いずれ後から怪(け)しからぬ薬でも取り出して売りつけようの魂胆と見える。
 むこうでは南蛮(なんばん)姿絵の覗(のぞ)き眼鏡が子供を寄せ、こっちでは鐘の音のあわれに勧善懲悪地獄極楽のカラクリ人形。
 おででこ芝居合抜き。
 わあッと人浪が崩れ立ったと見れば、へべれけに酔っぱらった何家かの折助(おりすけ)が四、五人づれ、女をみかけしだいにふざけ散らして来るのだった。
 その群集におされて、逃げるともなく小走りに、堂わきのあき地へ駆けこんだ若侍[#「若侍」は底本では「若待」]ひとり。
 月代(さかやき)も青々と、りゅうとした着つけに落とし差しの大小……。
 が、その顔!
 女にしても見まほしいというが、これはまさしく女性の眼鼻立ち! 服装かたちこそ変わっているが、まぎれもないあの、いまの麹町三番町土屋多門の養女となっている、行方不明のはずの弥生(やよい)ではないか。
 それがりんたる若ざむらいの拵(こしら)えで、この青山長者ヶ丸の祭礼へ!
 亡父の姓を取って小野塚伊織(いおり)と名乗っている男装の弥生、ぼんやりとそこに揚がっている絵看板をふり仰ぐと、劉(りゅう)という唐人刀操師(とうそうし)の見世物小屋で、大人五文、小人三文――。
「さあサ、いらっしゃアイ!」
 木戸番が塩から声を振りしぼった。
 板囲いに吊るした筵(むしろ)をはぐって、小野塚伊織の弥生が、その刀操術の見世物小屋へ通ると、屋内は大入りの盛況で、むっとこもった人息が弥生の鬢(びん)をかすめる。
 五文の木戸銭は高価(たか)くはないが、芸人は劉ひとり、それも、刀操術などと大きく、武張(ぶば)ったところで、能とする演技は、例の小刀投げのいってんばりだ。
 かたなの手品だけに見物人は男が主(おも)、女子供は数えるほどしかいない中に、恐(こわ)らしい浪人頭がチラホラ見える。
 すっかり武士になりすましている弥生は、臆(おく)せず人をかきわけて前方(まえ)へ出た。
 口上人が、エエ、これに控えまする唐人は劉(りゅう)と申し、天竺(てんじく)は鳥烏山(ちょううざん)の生れにして――なんかとでたらめに並べて引っこむと、すぐに代わりあって、二、三尺高い急ごしらえの舞台へ現れたのが小刀投げの太夫支那人の劉であろうが、弥生をはじめ、一眼見た観客一同は好奇とも恐怖ともつかない声をあげて小屋ぜんたいがウウムとうなった。
 唐人劉。
 みんなはじめは猿かと思った。
 いや、猿にしては大きすぎるが、とにかく、これが世にいう一寸法師か、七、八歳の小児の体躯(からだ)に分別くさい大きな頭がのって、それが、より驚いたことには、重箱を背負ったような見事な亀背であるうえに、頭から胴、四肢(てあし)まで全身漆黒(しっこく)の長い毛で覆われているのだ。
 平たい顔に、冷たい細い眼、ひしゃげた鼻、厚いくちびる――人間離れのした相貌(そうぼう)をグッと前へ突き出して、腰を二つに折り、長い両手のさきを地にひきずったところ……さながら絵に画く猩々(しょうじょう)そのままで、出て来た時から見物人のどぎもを奪ったのは当然、弥生はあやうく男装を忘れ、驚異の声を放ち眼をおおおうとしたくらいだった。
 まれに見る怪物!
 おびえた子供が、片すみで! ワッと火のつくように泣き出すと、劉はそっちを見てニコニコしている。
 割りに気はいいらしいので、皆もいささか安心して、すこし浮き足だったのが、またソロソロ舞台のほうへつめかけ出すと、
「唐のお女中の悪血が凝(こ)って、月たらずで生まれましたのがこの太夫、御覧のとおりのお化けながら、当年とって三十と九歳! 劉(りゅう)さん!……あいヨウ――」
 香具師(やし)がそばから披露(ひろう)をするのはいいが、自分で呼んでじぶんでこたえるのだから世話はない。
 そこで、お化けの劉さん、チョンと析(き)の頭(かしら)を合図に、たちあがって芸当に移った。
 舞台の片側に戸板が立てかけてあり、それにピッタリ背をつけて十二、三の女の児が直立する、と、数十本のピカピカ光る小剣を手にした劉、その少女から三間ほど離れた個所に足場をえらんで、小刀の柄を先に、峰(みね)を手のひらに挟んで構えるが早いか! 奇声とともに投げ放った本朝でいう手裏剣の稀法(きほう)!
 晧糸(こうし)水平(すいへい)に飛んで、発矢(はっし)! と小娘の頭に刺さった……と見る! 剣鋩(けんぼう)、かすかに人体をそれて、突き立ったので、仰天した観覧人たちがホッと安堵(あんど)の胸をなでおろす間もあらばこそ、二本三本とやつぎばやに劉の手を飛び出した剣。流れ矢のように空に白線をえがきながら、トントントントントン! と続けざまに、娘の首、わきの下、両うで、躯幹(からだ)、脚部と上から下へ順々に板に刺したって、それがすべて肉体とはすはす、一分の隙に娘を避けて板に突き立つものだから、こんどは一同、ふうッと感服の吐息をもらして、拍手することさえ忘れている。
 一刀を放つごとに、やッ! やッ! と叫ぶ劉、長い腕をぶんまわしのごとく揮(ふる)って、黒毛をなびかせ短身を躍らせているようすが、栗のいががはじき返っているよう――。
 まるでたたき大工が釘を打つように、またたくまに光剣をもって少女の輪郭を包んでしまった。
 茫然としている見物人のまえで、娘がソッと板から離れると、大手をひろげた少女の立ち姿が、つるぎの外線でくっきりと板のおもてに画かれている。
 商売商売とはいえ、しんから感嘆に値する入神の技芸!
 娘と劉がちょっと手をつないで軽く挨拶をしたとき、固唾(かたず)をのんでいた観客も、はじめて気がついたように大きな喝采(かっさい)を送った。
 が、弥生はすでに、何か思うところあるらしく、かたい決意に顔を引きしめて、そそくさと人を分けつつ小屋を出かけていた。

 堂の裏手から森の奥へ一条の小径(こみち)がのびている。
 それからまもなく。
 その小みちをすこしはずれた草むら、昼なお暗い杉木立ちの下に、ふたつの人影が一つに固まり合って何事かささやいていた。
「さればじゃ、あまりに其方(そち)の手裏剣が見事ゆえに、強(た)ってここまで足労をわずらわした次第だが、頼みというのはほかでもない――」
 こう言いかけているのは、男の声こそつくっているが、確かに弥生の小野塚伊織に相違ない。
 それに答えていま一人が、
「なんのお前様、唐人の化(ば)けの皮を一目で引ん剥(む)いだ、御眼力、お若えが恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしぼじん)……へっへっへっなんでごわす? ま、そのお話てえのをザッと伺おうじゃアげえせんか、あっしもこれで甲州無宿山椒(さんしょう)の豆太郎――山椒は小粒でもピリッとからいや。ねえ、事の仔細を聞いたうえでサ、案外乗り気に一肩入れるかも知れませんぜ」
 つぶやくような低声(こごえ)だが、歯切れのいい江戸弁をふるっている男……かれは、今し方、あの刀操術の見世物小屋で奇怪な剣技に観客を酔わしていた劉太夫(りゅうだゆう)という唐人であった。
 とすれば。
 唐人劉の正体は日本人も日本人、じぶんで名乗るとおりに甲州無宿山椒の豆太郎。
 さてこそこの豆太郎、亀背の一寸法師にはちがいないが、あのりっぱな黒毛の衣を脱ぎ捨てて顔のつくりを洗い落としたところ、ただ珍妙な男というだけで、さして身の毛のよだつほどの人柄でもない。
 が、底が割れれば割れたで、それだけ小さくのっぺりとしているのが変に無気味でもあり、また、一朝手裏剣をとっては稀代(きだい)の名手である点、なるほど「山椒(さんしょう)は小粒でもピリッとからい」に背(そむ)かないとうなずかせるものがある。
 甲府生れの豆太郎は、怖ろしい片輪のうえに性来(せいらい)手裏剣に妙を得て、香具師(やし)に買われて唐人劉と称し、諸国をうちまわっているうち、きょうの祭りを当てこみにこの長者ヶ丸に小屋を張って銭をあつめているところへ、見物中の若侍が木戸へかかり、ちょっとはなしがあるとここへ呼び出されたのだった。
 何を思いついてこんな変わった太夫と膝を組んで語る気になったものか、とにかく弥生は、演技を終えて汗を拭きながら出て来た劉の豆太郎を見て、さては己がにらんだとおりであったかと微笑を禁じ得なかった。
 毛縫いを脱して今眼のまえにしゃがんでいる豆太郎は、舞台の劉さんとは全く別人のようで、はじめから弥生が看てとったごとく日本人の無頼漢だったからだ。
 三尺あまりの身体に状箱を縛りつけたような身躯(からだ)[#「身躯」は底本では「身驅」]、小さな手足にくらべて莫迦(ばか)にあくどい大きな顔……。
 しかし! かれ豆太郎に一梃の小刀を与えよ!
 空翅(か)ける鳥もたちまち地におち岩間を走る疾魚も須臾(しゅゆ)にして水面に腹を覆すであろう。
 その豆太郎が、ふんべつ臭く小さな腕を組み、凝然と耳をすましていると。
 あるいは依頼(いらい)懇願(こんがん)するがごとく、あるいは諄々(じゅんじゅん)として説くように、しきりに何かを明かしている弥生。
 とんだ贋物(いかもの)の豆太郎と、小野塚伊織こと男装の弥生と。
 その間、どんな話題がいかに展開していったことか――。
 否(いや)、それよりもこの弥生が、突然小野塚伊織なる若侍の扮装(いでたち)で今日この子恋の森へ現れるにいたるまでに、そもどのような経路が伏在しているのか?
 ここでいささか振り返ってその後の弥生をたずねるに。
 ……それは、彼女が櫛まきお藤につれられて瓦町の栄三郎方を訪れ、お艶とともに一夜を雨のような涙に明かし、そして戸外には、両女の涙に似た雨が音もなく煙っていたかの思い出の明け方だった。
 思い出のあけぼの?
 そうだ。あの日を最後に、女としての弥生は、成らぬ哀恋(あいれん)の悶(もだ)えと悟りに、死にかわりにそこに、凄艶(せいえん)な一美丈夫小野塚伊織があらたに生まれ出たのである。
 その生みの悩みは?
 思い出はなおもつづく――。
 恋は、強い者を弱くし、弱いものを強くする。
 あの小雨の夜から、弱いお艶が急に強いこころに変わって栄三郎への愛想づかしを見せだしたように、つよい弥生は、にわかによわい処女に立ち返って、悲恋の情に打ちのめされた彼女、傘(かさ)を断わって雨のなかを瓦町の露地を離れて一人トボトボ濡れそぼれてゆくと――。
 夜来の雨に水量ました神田川の流れ。
 どどどウッ! と、岸の石垣を洗って砕ける暁闇の水面。
 浅草橋の中ほどに歩みをとどめて何心なく欄干に凭(よ)って下をのぞいた弥生であった。
 明けやらぬ空。
 まだ眠りからさめぬ大江戸の朝は、うらかなしい氷雨(ひさめ)が骨に染みて寒かった。
 魔がさす。
 ……とでも言おうか、こういうとき、嘆きをもつ人のたましいにふと死の影が投げられるものだ。
 橋のうえの弥生に、眼に見えぬ黒い翼の死神(しにがみ)が寄り添った。
 かれは弥生の耳へ誘いの言葉をささやく。
 雨滴のひびき、河の水音を、弥生は、死の甘美をうたう声と聞いたのだった。
 死神はまた弥生に、眼下の水底を指さし示す。
 そこに弥生は、渦をまく濁流のかわりに百花繚乱たる常春(とこはる)の楽土を見たのだった。
 死を思う心の軽さ――それは同時に即決をしいてやまない。
 きっとあげた弥生の顔を、雨がたたいた。が、彼女はもう泣いていなかった。かすかに開かれた弥生の口から、亡父と栄三郎の名が吐息のごとく洩れ出た……と思うと、履物(はきもの)をぬぐ。チラとあたりを見まわす。手を合わす――。
「お父さま、弥生もおそばへ参ります!」
 と一言! 死神の暗翼(あんよく)に抱かれた弥生が、あわやらんかんから身を躍らそうとしたとき! 人生にあっては、百般の偶然事ことごとくこれ必然である。
 ことの起こるや、起こるべきいわれがあって起こる……この場合がちょうどそれだったと言ってよかろう。
 ときしもあれ、棒鼻をそろえて、突風のごとく橋上を疾駆し去った五梃の山駕籠があった。
 筋骨たくましい六尺近いかご舁(か)きが十人、ガッシと腰をおとして足並みゆたかに、踊りのように息杖(いきづえ)をふるって、あっというまにあさくさばしを渡り過ぎたのだが!
 あとを見ると弥生の姿がない!
 さてはついに飛びおりて神田川の藻屑(もくず)と消えたか!
 と言うに。
 危い弥生をみとめて、走りざまに陸尺(ろくしゃく)のひとりが片手に掻(か)きこみ、むりやりに駕籠の一つへでも押しこんだものであろう。
 弥生はすでに気を失っていたが、それは真に間髪を入れない早わざであった。
 その証拠には。
 こうしてその朝、あの本所鈴川方の斬りこみから引きあげて来た五梃駕籠が、エイハア! の[#「エイハア! の」は底本では「エイハア!の」]掛け声も鋭く角々を折れ曲がって、大戸をあけはじめた町家つづきを駈け抜けること一刻あまり、トンと鳴って底が地についてみると、ゾロゾロとはい出た五人の火事装束――そのなかに、首領(かしら)だった銀髪赭顔(あからがお)の老武士の腕に、ぐったりとなった弥生のからだが優しく抱かれていたのだった。
 が、この、細雨の一夜を剣戦にあかして、しののめとともに風魔(ふうま)のごとく走り去って来た五人組は何者?
 そして、いまその落ち着いたところはどこか?……この青山長者ヶ丸子恋の森を近くに望む、とある陽だまりの藪(やぶ)かげだった。
 乾坤をねらう火事装束は、今また弥生のいのちの恩人である。そのあいだにいかなる話しあいができあがったものか、同じ日より弥生は、過去のすべてとともに丈(たけ)なす黒かみをフッツと断ち切り、水ぎわだった若衆ぶりに名も小野塚伊織と改め、五人の武士と十人の荒くれ男が住むふしぎな家に、かれらの尊崇(そんすう)の的(まと)として起居をともにすることとなったのだった。
 運命(さだめ)知らぬ操(あやつ)りの糸――これも離在する雲竜二刀がかげにあってひくのであろうか。
 ほどなく浅草橋の上で弥生のはいて出た足の物が発見され、当然弥生は身を投げて死んだこととなり、養父土屋多門(つちやたもん)も泪ながらにあきらめて、あたらしくふえた土屋家仏壇の位牌(いはい)には、弥生の俗名と家出の月日とが記されてある……。
 然り! 弥生は死んだのだ。が、その変身小野塚伊織は、人に知られず生きている。
 その、生きている弥生の伊織、いま子恋の森で何ごとか語り終わって、ちょっと相手の一寸法師を見やると、山椒(さんしょう)の豆太郎、どことなく淫(みだ)らな眼をニヤつかせて、さすがに争われずふっくらと白い弥生の胸元をのぞきこむようにしているので、はッとした弥生、思わず立ちあがった。
 灼(や)けつくような豆太郎の視線を受けて、われにもなくどきりとした弥生が、ゆらりと草間に立って忙しく襟を掻き合わせると、こんどは豆太郎、その白い手首から袖口の奥へとへんな眼を走らせながら、これもたったは立ったものの、ようよう頭が弥生の帯へ届くくらいで……。
「ヘヘヘヘ、何もお殿さま、取って食おうたア言いやしめえし、急にそんなに気味わるそうになさるものでもござんすまいぜ」
「うむ。なに、いや、ただ気がせくのだ」
 と弥生はできるだけ男のように大きくどっしりとかまえて、

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