丹下左膳
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著者名:林不忘 

 それに、相部屋の毒消し売りはぐっすり寝こんでいるようすだからまず怪しまれる心配はないと、急に思い立って湯の香のさめぬ身体を旅仕度にかため、ひどい奴で、往きがけの駄賃(だちん)に毒消し売りの煙草入れを腰に、ころんでもただは起きないつづみの兄イ、今夜のうちに二本松、八町目、若宮、根子町(ねこちょう)の四宿を突破して、朝には、福島からいよいよ相馬街道へ折れるつもり――用意万端ととのえて、そっと部屋を忍び出ようとしているところへ、
「今晩は、按摩の御用はこちらでございますか、おそくなって相すみません」
 宵の口に言いつけておいたあんまが来たので、その声に、ねている毒消し売りがムニャムニャ動き出す。
 あわてた与吉、とっさに端の障子を滑らして廊下に出るとにわか盲目とみえて、勘が悪く、まだなんとか言っているのをうしろに聞きながらもとより宿賃は踏み倒し、そのまま軒づたいに裏へ飛びおりてほっと安心!
 泰軒先生は委細御存じなく、白河夜船の最中らしい。
 こんどというこんどこそは、ものの見事にまいてやったぞ……。
 思わず会心の笑みとともに歩き出した与吉、振り返って見ると、宿の洩れ灯に屋号の柳の枝葉が映えて、湯上りの頬に夜風がこころよい。
 寂然たる天地のあいだを福島の城下まで五里十七丁。
 飯野山の峰はずれに月は低く、星の降るような夜だった。

  血筆帳(けっぴつちょう)

 堀の水は、松の影を宿して暗く静まり、塗(ぬ)りつぶしたような闇黒(やみ)のなかに、ほの白い石垣が亀甲(きっこう)につづいて大浪のごとく起伏する木立ちのむこうに、天守閣の屋根が夜空をついて望見される。
 刻をしらせる拍子木の音が、遠く余韻(よいん)をひいて城内に渡っていた。
 外様(とざま)六万石として北東の海辺に覇(は)を唱える相馬大膳亮(そうまだいぜんのすけ)殿の湯池鉄壁(とうちてっぺき)、中村城のそと構えである。
 寒星、風にまたたいて、深更霜凜烈(しんこうしもりんれつ)。
 町家、城中ともに眠りについて、まっくらな静けさが限りなく押しひろがっている……。
 と!
 なんに驚いてか、寝ていた水禽(みずどり)が低く飛び立ってバサと水面を打った時!――大手の並木みちを蹣跚(よば)うように駆け抜けてきて、そのままタタタ! と二足三あし上(あ)げ橋の板を鳴らしてお城のなかへ踏みこもうとした人影がひとつ。
 見とがめた番士数名。たちまちばらばらッと躍り出て六尺棒を又の字に組み、橋の中央にピタリとこれをおさえてしまう。安房(あわ)は貝淵(かいぶち)、林駿河守の案技になり、貝淵流(かいぶちりゅう)の棒使い海蘊絡(もくずがら)めの一手――。
「何奴(なにやつ)ッ!……無礼者ッ! さがれッ!」
 鋭い声ながら、夜ふけのあたりをはばかって低いのがかえってものすごくひびいた。
「へ!」
 と答えるともなく、押し戻される拍子にベタリとその場へ膝をついた件(くだん)の男……つづみの与吉はだらしなく肩息のありさまだった。
 むりもない。
 ゆうべ夜中に二本松で泰軒先生に置いてけぼりを食わせてから、五里の山道をひた走りに明け方には福島に出て、そこから東へ切れて舟地(ふなち)の町で三春川を渡り、九十九折(つづらおり)の相馬街道を無我夢中のうちに四里半、手土(てつち)一万石立花出雲守の城下を過ぎ、ふたたび夜の山坂を五里半……いのちがけに走りとおして、今ようようこの相馬中村へ到着したところだから、さすがの与の公、洗濯物をしぼって叩きつけたようにぐったりとなっているわけ。
 一昼夜、飲まず食わずに険路十五里――それというのも、左膳の用命を大事にと思うよりは与吉としては正直、泰軒先生がこわいからで――。
 ところが、何度ふり返っても先生は影も形も見えなかった。
 しかし柳屋の一件で見てもわかるとおり、どこをどう先まわりして、いつひょっこり眼前へ現れないものでもないと、与吉は、問屋場のお休み処を横目ににらんで、ひたすら痩脛(やせずね)をカッとばして来たのだが、やはり泰軒は与吉の脱出を知らずに、柳屋の裏座敷で大いびきをかいていたものとみえ、とうとう与吉がこの中村に着くまで、泰軒のにおいもしなかったのだった。
 りっぱにあの羽がい締(じ)めをのがれ得た。
 ああ見えてもこのつづみにかかっちゃア甘えもんだと、与吉はいっそう足を早めて、見えぬ泰軒に追われるように絶えず小走りをつづけて来たのだ。
 で、今。
 はね橋の真ん中にガッタリ手をついた与吉。
「水……おなさけ、水を……! え、江戸の、タ、丹下左膳様からお使いに参ったものでござります。ど、どうぞ水をいっぱい……」
 と聞いて、びっくり顔を見合わせたのは番士達。
 仔細は知らぬが、出奔した丹下左膳が立ち帰って参ったなら門切れであろうと苦しゅうない、ただちに手厚く番所へ招じ入れて上申するようにと、ふだん組頭から厳命されているその丹下の急使というので[#「というので」は底本では「とういので」]、一同、与吉を城内へ許しておいて、すぐひとりが、何人もの口を通して宿直(とのい)の重役へ伝達する。
 重役から茶坊主、坊主からお側(そば)小姓と順をふんで、それから国主大膳亮の耳へ――。
 早速これへ!
 となって、城内に時ならぬ人の動き。
 とりあえず焚(た)き火をあたえられて暖をとっていたつづみの与吉、旅仕度のまんまでお呼び出しに預かり、火焔をうつして樹影あざやかなお庭を、案内の近侍について縫ってゆくと、繁みあり、池水あり、数奇結構をこらしてさながら禁裡仙洞(きんりせんどう)へ迷いこんだおもむき。
 夢のような夜景色といおうか……ぼんやりした与の公が、キョトキョトあちこち見まわしながら、とある植えこみから急に広い芝生へ出たときだった。
 さきに立つ若侍がしいッ! と声をかけたので、あわてて頭をさげた与吉、気がついてみると、遙か向うのお縁側にくっきりと明るい灯がうかんで、二、三の人影が豆のように小さく並んで見える。
 まだよほど遠いが、それでもここから摺(す)り足に移った。

 骨を刺す寒夜ににわかの謁見(えっけん)だった。
 縁ちかく敷居ぎわに、厚い夜の物を高々とのべさせ、顎を枕に支えて腹這(はらば)いになっている国主大膳亮は、うち見たところ五十前後の、でっぷり肥った癇癖(かんぺき)らしい中老人である。
 広い頭部、大きな眼……絶えず口尻をヒクヒクさせて、ものをいうたびに顔ぜんたいが横にひきつる。
 大きな茶筅髪(ちゃせんがみ)を緋(ひ)の糸で巻いたところなど、さすがに有名な変物(へんぶつ)だけあって、白絹の寝巻の袖ぐちを指先へ巻いて、しきりに耳垢(みみあか)を擦りとってはふっと吹いている。
 が、眼は、射るように近づいて来る与吉に注がれていた。
 燭台の光が煌々(こうこう)とかがやき渡って、金泥(きんでい)の襖(ふすま)に何かしら古(いにしえ)の物語めいた百八つの影を躍らせているのだった。
 剣怪丹下左膳の主君、乾坤二刀の巴渦(ともえうず)を巻き起こしたそもそもの因たる蒐剣狂愛(しゅうけんきょうあい)の相馬大膳亮(だいぜんのすけ)が、この深夜に、寝床の中からつづみの与吉に対面を許して、左膳の秘使を聞きとり、それに応じてさっそく対策を講じようとしているところ……。
 江戸へ出て以来無音(むいん)の左膳から突如急使が到着したと聞いて何事? とすぐさま端近く褥(しとね)を移させたのだが、どうせ代人が手ぶらでくる以上、大した吉報でないのに相違ないと、こうして与吉を待つあいだも、癇癪(かんしゃく)もちの大膳亮、ひとりさかんにいらいらして続けざまに舌打ち――。
 まえはいちめんの広庭。
 遠くからこの寝間の光が小さく四角に浮き出で、灯のはいった箱船のように見えた時、与吉はいよいよお殿様へお眼通りだナと胸がドキンとしたが、なあにたかが田舎大名、恐れるこたアねえやな……こう空(から)元気をつけて、申しあぐべきことづけを口の中で繰り返しながら、飛石を避けて鞠躬如(きくきゅうじょ)、ソロリソロリと御前へ進んで、ここいらと思うと、はるか彼方(かなた)にぴたりと平伏しようとすると、
「チッ、近う! ち、近う、ま、参れッ!」
 と、どなりつけるようなお声がかり。
 大膳亮はいう。
「タタタタタタタッ……たッ、たたたッ丹下左膳カ、から、ッ、つ――ツ、使いに来たというのは、そ、そのほうかッ……」
「さ、さようでごぜえます」
 思わず釣りこまれてどもった与吉はッとして眼をあげたとたん、大柄な殿様の顔が、愛(う)いやつとでも言うようにニッコリ一笑したのを見た。
 こいつぁ江戸張りに生地(きじ)でぶつかってゆくに限る――与吉は早くも要領をつかんだ。
 同時に、大膳亮が四辺(あたり)を見まわして、
「モ、者ども、密談じゃ! 密談じゃ! 遠慮せい、遠慮!」
 やつぎ早に喚(わめ)きたてると、暗くて見えなかったが、左右の廊下にいながれていたお側用人、国家老をはじめ室内の小姓まで、音ひとつたてず消えるようにひきとって行く。
 与吉をうながして、縁の直下までつれていっておいて案内の若侍も倉皇(そうこう)と退出した。
 後には。
 相馬大膳亮とつづみの与の公、水入らずの差し向いである。大膳亮は蒲団から首だけ出して、与吉は、下の地面にへい突くばって。
 珍奇な会談は、まず大膳亮から口をきられた。
「こここ、これ、タッタッ丹下……は無事か」
「お初にお眼にかかりやす。エ、手前ことは江戸は浅草花川戸、じゃアなかった、その、駒形のつづみの与吉――ッてより皆さんが与の公与の公とおっしゃってかわいがってくださいまして……」
「だッ、黙れ、黙れ! ダダ、誰が貴様の名をきいた?」
「へい」
「タタタタ、丹下は無事かッと申すに」
「へえ。さればでござりまする。どうもお殿様の前でげすが、あの方ぐれえ御無事な人もちょいとございませんで、へい[#「ございませんで、へい」は底本では「ございませんで、 へい」]」
「ナ、何を言うのか。き、貴様の言語は余(よ)にはよく通(つう)ぜん」
「なにしろ、やっとうのほうがあのお腕前でございましょう? 江戸中の剣術使いが一時にかかったって丹下様には太刀打ちできねえという、いえ、こりゃアまあ、こちとら仲間の評判なんで……お殿様もお眼が高えや、なんてね、しょっちゅうお噂申しあげておりますでございますよ、お噂を、ヘヘヘヘ失礼ながら」
 何がどうしてなんとやら――自分でもいっさい夢中で、ただもうここを先途(せんど)とべらべらしゃべりたてている与吉を大膳亮は、いささかあきれてのぞきこみながら、
「キキ、貴様、気がふれたか」
 と言いかけたが、寒がりの大膳亮、夜風を襟元へうけて、すばらしく、大きな嚔(くしゃみ)を一つ――ハックシャン!
 これに驚いて与の公、きょとんとしている。
 そのうちにだんだん落ち着いてきた与吉が、ますます縁の真下へにじり寄って、丹下左膳からいいつかって来たことを、思い出し思い出し申しあげると!
 黙って聞いていた相馬大膳亮、大柄な顔が見るみるひき歪んで、カッと両眼を見ひらいたばかり、せきこんで来ると口がきけないらしくやたらに鼻の下をもぐもぐさせて床から乗り出して来た。
 その半面に、明りが奇怪にうつろう。
 ――関の孫六夜泣きのかたな……乾雲(けんうん)丸と坤竜(こんりゅう)丸。
 丹下左膳が、昨年あけぼのの里なる小野塚鉄斎、神変夢想流(しんぺんむそうりゅう)の道場を破って、巧みに大の乾雲丸を持ち出したことから、その後のいきさつ、覆面(ふくめん)火事装束の一団の出現、坤竜の諏訪栄三郎に蒲生泰軒という思わぬ助けがついていて、おまけに左膳が顎(あご)を預けている本所の旗本鈴川源十郎があんまり頼みにならないために諸事意のごとく運ばず、乾雲は依然として左膳の手にあるものの、いまだに二剣ところを別して風雲(ふううん)急(きゅう)を告げ、左膳は今どっちかというと、苦境におちいっているかたち……これらの件を細大(さいだい)洩らさず、順序もなしに与吉は、じぶんのことばでベラベラと弁じあげたのち、エヘン! とちょっとあらたまって、
「さてお殿様……そこで、丹下さまがこの与の公におっしゃるには。なア与の公、ここはいってえどうしたものだろう? 汝ならなんとする? とネ、こう御相談に預かりましたから、与の公もない智恵(ちえ)をしぼりあげて申し入れましたんで――そりゃア丹下様ッ、てあっしゃ言いましたよ。へえ、そりゃ丹下さま、かくかくかようになさいませ。お郷里(くに)もとのこちらへ援兵を願って……うん! 名案! それがいい! と、丹下さまアわかりが早えや。うん、それあいい。が、その使者には[#「使者には」は底本では「使者にわ」]誰が参る? ッてことになりやして、つづみの与吉がお役に立ちますならば願ってもない幸いとわたしがこう反(そ)っくり返りましてね、この胸をぽんと一つ叩きましたところが、おお! それでは与吉、貴様が行ってくれるか。なんの左膳さま、一度つづみがおひき受けしましたうえからは、たとえ火のなか水の中、よしやこの身は粉になろうともまアあんたは大船に乗った気で――おお、そんなら与吉頼んだよ。あいようがす……なアんてね、へえ、それでその、私が奥州街道を一目散(もくさん)……アアくたびれた」
「…………」
「ところがお殿様、ここにふしぎともなんとも言いようのねえことにゃア、その泰軒という乞食先生がね、どうしてあっしの中村行きをかぎつけたものか、それを考えると、与吉もとんと勘考(かんこう)がつかねえんだが、ウヘエッ! ぶらりと小金井に来ていやしてねえ、それからズウッととんだお荷物のしょいづめでございましたよ、いえ、全く」
「――――」
「が、だ。御安心なせえ、お殿様、あっしも駒形の与吉でございます。この先の二本松の宿でね、きれいにまいてやりましたよ。その時もあなた、わたしがお風呂へ行ったとお思いくださいまし……するてえと驚きましたね、お殿様のめえだが裸体(はだか)の女が、ウヨウヨしてやがる、その真ん中に今の泰軒てえ乞食野郎が、すまアしてへえってるじゃあございませんか」
「…………」
「ま、与吉も骨折り甲斐がございました。へえ、こう申しちゃなんですが、左膳さまがおっしゃるには、礼のところは必ず見てやる、てんでネ、なあに、お礼なんか受ける筋合いでもなけりゃあ、またそれほどのことでもございませんで、ヘヘヘヘヘヘ大笑いでございましたよ」
「――――」
 与吉が舌に油をくれて何を言っても、大膳亮はうなるだけで、今まで岩のように黙りこくっていたが。
 情が迫ると咽喉(のど)につかえて言葉の出ない大膳亮は、この時ようよう与吉のもたらした驚愕(きょうがく)と不安から脱しきれたものか、血走った眼を急にグリグリさせて乗るようにきき返した。
「ソ、それで、タ、丹下は、助剣(じょけん)の人数がほしいと言うのだな?」
「へえ。腕っこきのところを束(たば)でお願い申したいんで」
「キキキ貴様が、あ……案内して江戸へ戻るというのか」
「はい。さようで」
「うう――いつ、いつ、たつ?」
「へ、そりゃアもう明朝早くにでも発足いたします。丹下様がお待ちですし、それにこの際一刻を争いますから……」
「ウム!」と強くうなずいた大膳亮、同時に鋭い眼光を左右へくばって、
「こ、これ! たたたッ誰(た)そある!」
 相馬藩中村の城下はずれに、月輪一刀流の鋭風をもって近国の剣界に君臨している月輪軍之助の道場へ、深夜、城主の定紋をおいた提灯が矢のように飛んだ。
 軍之助へ、お城から急のお召し。
 何ごとであろう?……と、とるものもとりあえず衣服をあらためた剣精軍之助は、迎えの駕籠に揺られてただちに登城をする。
 そして、さっそく御寝の間へ通されてみると。
 国主大膳亮はこの夜更けにねもやらず、夜着をはねて黙然(もくねん)と端座したまま瞑想にふけっているようす、つづみの与吉はすでに、ねんごろに下部屋へさげられて休養したあとだった……。
 その夜、大膳亮は月輪軍之助にいかなるところまで打ち明け、しかして何を下命したか。
 偏執果断の大主大膳亮、吃々(とつとつ)としてこういっただけである。
「ヒ、人殺しの好きな者を、さ、さ、三十人ほどつれて江戸へくだってはくれぬかの? 仔細はいけばわかる。ア、あの、タッ、たたたッ丹下、舟下左膳の助太刀(すけだち)じゃ。余から頼む、おもてだって城内のものをやられん筋じゃ。で、ココ、ここは、ど、どうしても軍之助、ソ、そちの出幕(でまく)じゃ。シ、真剣の場を踏んだ、ク、クッ屈強な奴ばらをそちの眼で選んでナ、迎えが来ておるで、その者とともに三十名、夜あけを待って早々江戸へ向かってもらいたいのじゃ。よいか[#「もらいたいのじゃ。よいか」は底本では「もらいたいのじゃ。 よいか」]、しかと承引(しょういん)したな」
「殺剣(さつけん)衆にすぐれし者のみを三十名。はア。心得ましてござりまする、何かは存じませねど、かの丹下殿とはわたくしも別懇(べっこん)のあいだがら……殿のおことばがなくとも、必要とあらばいつにても助勢を繰り出すべきところ――しかも、お眼にとまってわたくしどもへ御芳声(ごほうせい)をいただき、軍之助一門、身にあまる栄誉に存じまする」
「うむ。デ、では、ヒ、ひきとって早く手配をいたすがよい」
「ははッ! わたくしはもとより門弟中よりも荒剣の者をすぐりまして、かならず御意に添い奉る考え、殿、御休神めされますよう……」
「ウム、たたたたッたのもしきその一言、タ、大膳亮、チ、近ごろ満足に思うぞ」
 ――いかに刀剣に対して眼のない溺愛(できあい)の大膳亮とはいえ、もし彼が、この北境僻邑(へきゆう)にすら今その名を轟かせている江戸南町奉行の大岡越前が、敵方蒲生泰軒との親交から坤竜丸の側にそれとなく庇護(ひご)と便宜をあたえていると知ったなら、大膳亮といえどもその及ばざるを覚り、後難を恐れて、ここらでさっぱりと己(おの)が迷妄(めいもう)を断ちきり、悶々(もんもん)のうちにも忘れようとしたことであろうが、このつるぎのふたつ巴(どもえ)に関連して、大岡のおの字も思いよらない大膳亮としては、すでに大の乾雲を手にして、いまはただの小の坤竜にいき悩んでいるのみと聞いては、二剣相ひくと言われているだけに、いま手をひいて諦めることは、かれの集癖の一徹念がどうしても許さなかった。
 生命がけでほしいものへ今にも手が届きそうで、そこへ思わぬじゃまがはいったすがた……。
 阻(はば)まれれば阻まれるほど燃えたつのが男女恋情のつねならば、夜泣きの刀にひた向く相馬大膳亮のこころは、ちょうどそれだったといわねばなるまい。
 世の常心(じょうしん)をもって測ることのできない、それは羅刹(らせつ)そのものの凝慾地獄(ぎょうよくじごく)であった。
 かくまでも刃にからんでトロトロとゆらめき昇る業炎(ごうえん)……燭台の灯が微かになびくと、大膳亮は、大熱を病む人のごとくにうなされるのだった。
「おお! サさ左膳か――デ、でかしたぞ! ソその乾雲を離すな! 離すな! 今にナ、ググググ軍之助が援軍を率いて参るから、そち、彼とともに統率(とうそつ)して、キキキ斬って斬って、斬りまくれ! なあに、かまわぬ! カカカッ構わぬ……ううむ!――なんと? か、か、火事装束(しょうぞく)! おのれッ何やつ? トトト脱(と)れ覆面(ふくめん)を? ウヌ! 覆面を剥(は)がぬかッ! ツウッ……!」
 そして。
 ともし灯(び)低く、白(しら)みわたる部屋にこんこんと再び眠りに沈んだ大膳亮――畢竟(ひっきょう)これはうつし世の夢魔(むま)、生きながらに化した剣魅物愛(けんみぶつあい)の鬼であった。
 明けゆく夜。
 城外いずくにか一番鶏(どり)の声。
 やがて、お堀ばたの老松に朝日の影が踊ろうというころおい。
 中村の町の尽(つ)きるところ、月輪一刀流月輪軍之助(つきのわぐんのすけ)の道場では、江戸へつかわすふしぎな人選の儀が行なわれているのだった。
 月輪一刀流……とは。
 天正文禄(ぶんろく)の世に。
 下総(しもうさ)香取郡飯篠村の人、山城守家直(やましろのかみいえなお)入道長威斎、剣法中興の祖として天心正伝神道流(しんとうりゅう)と号していたが、この家直の弟子に諸岡(もろおか)一羽(う)という上手(じょうず)あり、常陸(ひたち)えど崎に住んで悪疾を病み、根岸兎角(とかく)、岩間小熊、土子泥之助なる三人の高弟が看病をしているうちに、根岸兎角はみとりに倦(あ)き、悪疾(あくしつ)の師一羽を捨て武州に出で芸師となり、自派を称して微塵(みじん)流とあらため世に行われた。
 ところが。
 あとに残った小熊と泥之助は、病師の介抱を怠らず、一羽が死んでのち、兎角(とかく)のふるまいをもとより快からず思って、両人力をあわせ一勝負して亡師の鬱憤(うっぷん)をはらそうとはかり、ついに北条家の検使を受け、江戸両国橋で小熊と兎角立ち会い、小熊、根岸兎角を橋上から川へ押しおとして宿志をとげた。
 根岸兎角は、師の諸岡一羽のもとを逐電(ちくでん)して、はじめ相州小田原に出たのだが、この兎角、伝うるところによれば、丈(たけ)高く髪は山伏のごとく、眼に角(かど)あり、そのものすごいこと氷刃のよう――つねに魔法をつかい、人呼んで天狗の変化(へんげ)といい、夜の臥所(ふしど)を見た者はなかった。
 愛宕山(あたごやま)の太郎坊(たろうぼう)、夜な夜なわがもとに忍んで極意秘術を授(さず)けるといい広め、そこで名づけたのがこの微塵流(みじんりゅう)。
 その後江戸に出て大名、小名に弟子多かったが、三年たって諸岡一羽が死ぬと、相弟子の岩間小熊と土子泥之助、兎角を討ちとるために籤(くじ)を引き、小熊が当たって江戸へのぼる。泥之助は国にとどまり、時日を移さず鹿島明神に詣でて願書一札を献納した。
 敬白願書奉納鹿島大明神宝前(ほうぜん)、右心ざしのおもむきは、それがし土子泥之助兵法の師諸岡一羽亡霊(ぼうれい)は敵討ちの弟子あり、うんぬん……千に一つ負くるにおいては、生きて当社に帰参し、神前にて腹十文字にきり、はらわたをくり出し、悪血をもって神柱(かんばしら)をことごとく朱にそめ、悪霊になりて未来永劫(えいごう)、当社の庭を草野となし、野干(やかん)の栖(ねぐら)となすべし――うんぬん。
 文禄(ぶんろく)二年癸巳(みずのとみ) 九月吉日 土子泥之助……というまことに不気味な強文言(こわもんごん)。
 これがきいて神明おそれをなし霊験ことのほかあらたかだったわけでもあるまいが、両国橋の果し合いでは確かに岩間小熊が勝ったのだけれど、その仕合いの模様にいたっては、群書(ぐんしょ)おのおの千差万別、いま真相をつまびらかにする由もない。しかし、これが当時評判の大事件だったことは疑いなく、奉行のうちに加わって橋詰から目睹(もくと)していた岩沢右兵衛介(うひょうえのすけ)という仁(ひと)の言に、わが近くに高山豊後守(ぶんごのかみ)なる老士ありしが、この両人を見て、いまだ勝負なき以前、すわ兎角まけたりと二声申されしを不審におもい、のちその言葉をたずねしに、豊後守いいけるは、小熊右に木刀を持ち左手にて頭をなで上げ、いかに兎角と言葉をかくる。兎角、さればと言いて頬ひげをなでたり。これにて高下(こうげ)の印(しるし)あらわれたり。そのうえ兎角お城に向かいて剣をふる。いかで勝つことを得ん。これ運命の告(つ)ぐる前表也と――。
 とにかく。
 その時、小熊は兎角のために橋の欄干へ押しつけられ、すでに危うく見えたのだったが、すもう巧者の小熊いかがしけん。兎角の片足を取って橋の下へ投げおとし、同時に脇差を抜いて、八幡これ見よと高声に呼ばわりながら欄干を切った……この太刀跡、かの明暦三年丁酉(ひのととり)正月の大火に両国橋が焼けおちるまで、たしかに残っていたそうである。
 さて。
 兎角(とかく)、悪いやつは滅びる――などと洒落(しゃれ)てみたところで、そんなら、この根岸兎角の微塵流剣法、これで見事に、それこそ微塵となって大川に流れ果てたかというにそうではない。
 撃剣叢談(げきけんそうだん)巻の二、微塵流のくだりに。
 武芸小伝に微塵流往々(おうおう)存するよし見えたれば、兎角が末流近世までも行なわれしがごとし。いまも、辺鄙(へんぴ)にはなお残れるにや、江戸にはこの流名きこゆることなし……とあるとおりに、月輪軍之助の祖月輪将監(しょうげん)は、根岸兎角ひらくところの微塵流から出てのちに、北陬(ほくすう)にうつり住んで別に自流を創(そう)し、一気殺到をもって月輪一刀流と誇号したのだった。
 当代の道場主軍之助は、以前から丹下左膳と並称された月輪門下の竜虎。
 左膳に破流別動の兆あるに反し、軍之助は一刀流正派のながれを守るものとして先師の鑑識(めがね)にかない入婿して月輪を名乗っているのだが、剛柔兼備(ごうじゅうけんび)、よく微塵流の長を伝えて、年配とともに磐石のごとくいま北国を圧する一大剣士であった。

 変動無常
 因敵転化(てきによっててんかす)
 という刀家相伝(とうけそうでん)三略のことば。
 それが初代将監先生大書の額となってあがっている月輪の道場である。
 夜のひき明け……。
 もはや寒稽古は終わったけれど、未明の冷気の熱汗をほとばせる爽快(そうかい)味はえもいわれず、誘いあわせて、霜ばしらを踏んでくる城下の若侍たちひきもきらず、およそ五十畳も敷けるかと思われる大板の間が、見る見る人をもって埋まってゆく。
 相馬(そうま)は、武骨をもって聞こえる北浜(ほくひん)の巨藩である。
 しかも藩主大膳亮が刀剣を狂愛するくらいだから、よしや雪月花を解する風流にはとぼしいといえども気風として烈々尚武(しょうぶ)の町であった。
 相馬甚句(じんく)にいう。男寝て待つ果報者――それは武士達のあいだには通用しない俗言とみえて、こんなに朝早くから陸続と道場の門をくぐっているのだ。
 竹刀のひびき。
 気合いの声。
 板を踏み鳴らす音。
 それがしばらく続いて、いつもよりすこし早めにとまったかと思うと、
「おのおの方、ただいま先生よりお話がござる。粛静(しゅくせい)に御着座あるよう……」
 という師範代各務房之丞(かがみふさのじょう)の胴間声(どうまごえ)に、一同、ガヤガヤと肩を押し並べてすわったが、おもむろに正面の杉戸が開いて出て来た月輪軍之助を見ると、満堂思わず、アッ! と愕(おどろ)きの声をあげた。
 その姿である。急にかたき討ちの旅を思いたってこれからただちに出発するところ――とでもいいたい身ごしらえだ。
 大筋の小袖に繻子(しゅす)のめうちの打割袴(ぶっさきばかま)、白布を縒(よ)った帯に愛刀を横たえ、黒はばきわらんじに足を固め、六角形に太ながら作り鉄のすじ金をわたして、所どころに、疣(いぼ)をすえた木刀を杖にした扮装(いでたち)、古めかしくもものものしい限り…。
 それがまた。
 いま各務(かがみ)房之丞が、先生よりおはなしがござると言ったので、なみいる弟子ども、改まってハテなんだろう? と皆固唾(かたず)をのんでいるにかかわらず、そこへ悠然と現れた軍之助は、かたく口を結んでちょっと場内を見渡したまま、ちょっと房之丞に眠くばせをすると、それなりつかつかと一方の壁へ向かって進んだが――たちまちピタリととまったのが、あの三略の言を墨痕に躍らせた額の真下。
 そこに、ずらりと横に門弟の名札が掛かっている。
 筆はじめは、いうまでもなく師範代各務房之丞。
 次席(じせき) 山東平七郎。
 第三に、轟(とどろき)玄八。
 四に、岡崎兵衛(ひょうえ)。
 五、秋穂左馬之介。
 大屋右近。
 藤堂粂(くめ)三郎。
 乾(いぬい)万兵衛。
 門脇修理(かどわきしゅり)。
 以下二百名あまり。
 めいめい一枚でも二まいでも札のあがるのを何よりの励(はげ)みに日常の稽古を怠らないのだが、今、この腕順の名ふだの下に立った剣師軍之助。
 やにわに腕をさしのばしたと見るや、一同があっけに取られているうちにパタパタと初めから順繰(じゅんぐ)り……名札を裏返しに掛けなおして、約七分の一の小松数馬(こまつかずま)のところで手をとめた。
 二百の名札のうち、はじめのほうはうらの木肌を黄白く見せている。
 その、裏がえしにされた札の数を読むと、各務房之丞から小松数馬までちょうど三十――。
 破門でもされるのでなければ、道場の名札を裏返しに掛けられるおぼえはない!
 と、高弟の三十名をはじめ満場の剣客が鳴りをしずめていると。
 軍之助、突如わめくようにいい渡した。
「これらの者三十人。今日かぎり破門を申しつける!」
 意外のことばに騒然とざわめきたった頭のうえに、より意表外の軍之助の声が、もう一度りんとしてひびいたのだった。
「いや! 待て、待て! わしもみずからを破門するのじゃ!」

 卯(う)の刻。
 あけ六つの太鼓が陽に流れて、ドゥン! ドーン! と中村城の樹間に反響(こだま)しているとき。
 異様な風体の武士たちが三々伍々(ごご)のがれるがごとく人目をはばかって町を離れ、西南一の宿の加島をさして、霜にしめった道をいそいでいた。
 そろいもそろって筋骨たくましい青壮(せいそう)の侍のみ。
 それが、一同対(つい)の鼠いろの木綿袷(もめんあわせ)に浅黄の袴、足半(あしなか)という古式の脚絆(きゃはん)をはいているところ、今や出師(すいし)の鹿島立ちとも見るべき仰々(ぎょうぎょう)しさ。
 胆をつぶしたのは沿路の百姓、早出の旅の衆で、
「うわアい! 新田(しんでん)の次郎作どんや、ちょっくら突ん出て見なせえや! いくさかおっ始(ぱじ)まっただアよ」
「ヒャアッ! 相手は何国(どこ)だんべ?」
「あアに、この隣藩の泉、本多越中(ほんだえっちゅう)様だとよウ!」
 などと、なかには物識り顔をするものもあってたいへんなさわぎ……月輪門下の剣団(けんだん)、進軍の先発隊と見られてしまった。それほどの装(よそお)い、決死の覚悟、生きて再び故山の土を踏まざる意気ごみである。
 が、なんのために腕を扼(やく)して江戸へ押し出すのか?
 同門の剣友、隻眼隻腕の丹下左膳を救うべく!
 それはいいが、左膳が何にたずさわり、そしていかにして危殆(きたい)に迫っているのか? したがって自分らは左膳に与(くみ)してどんな筋に刃向かうのか、敵は何ものなのか、そもそも何がゆえに左膳は戦い、またじぶん達もそれに加勢して、話に聞いた江戸で、この殺刀の陣を敷かなければならないのか?――かんじんのこれらの点になると、大将株の月輪軍之助をはじめ、皆の者、いっさい一様に文字どおり闇黒雲(やみくも)なのだ。しかし!
 そんなことはどうでもよかった。花のお江戸へ繰りこんで、好きなだけ人が殺せると聞いただけでこの北の荒熊達(あらくまたち)は、もうこんなに悦び勇んでいるのだった。
 幸か不幸か太平の世に生まれ合わせて、いくら上達したところで道場の屋根の下に竹刀(しない)を揮うばかり……。
 まれに真剣を手にしても、斬るのは藁人形かせいぜい囚人(めしうど)の生(い)き胴(どう)が関の山。
 駒木根颪(おろし)と岩を噛む大洋の怒濤とに育てあげられた少壮血気の士、いささか脾肉(ひにく)の嘆にくれていたところへ、生まれてはじめての華やかな舞台へ乗り出して、思うさま血しぶきをたてることができるのだから、誰もかれも、もう眼の色を変えてさわぎきっている。
 依頼によって動く殺人請負(うけおい)の一団。
 刃怪丹下左膳を生んだ北国野放しのあらくれ男が、生き血に餓えるけもののように隊を組み肩をいからして、街道の土を蹴立てていくのだ。
 陰惨(いんさん)な灰色の天地から、都鳥なく吾妻(あずま)の空へ……。
 人あって遠く望めば、かれらの踏みゆくところに従い、一塊の砂ほこり白く立ち昇って、並木の松のあいだ赤禿(あかは)げた峠の坂みちに、差し反(そ)らす大刀のこじりが点閃(てんせん)として陽に光っていたことであろう。
 こうして。
 破門された各務房之丞、山東平七郎、轟玄八以下三十名の剣星と、自らを破門してそれを率いる師軍之助と、月輪一刀流中そうそうの容列、〆(し)めて三十一士であった。
相馬中村は小さくなって通れ
鬼の在所じゃ月の輪の
 ……無心な童児(わらべ)の唄ごえにも、会心の笑みをかわす剣気の群れ――東道役は言わずと知れた駒形の兄いつづみの与吉だが、与の公、このところ脅かされつづけで、かわいそうにいささかしょげてだんまりの体(てい)だ。
 第一、言葉がよくわからない。
「こンれ! 汝(にし)ア、江戸もんけ? 江(え)ン戸(ど)は広かべアなあ」
「はい。まことにその、結構なお天気さまで、ヘヘヘヘ」
「江戸さ着(ち)たらば、まンず女子(おなご)を抱かせろ。こンら!」
「どうも、なんともはや、相すみませんでございます」
「わっハッハッハ!」
 とんちんかん、おおよそかくのごとく、口をきくたびに意思の疎通(そつう)を欠く恐れがあるし、江戸では見かけたこともない厳(いか)つい浅黄うらばかりがワイワイくっついているので、小突かれた日にぁ生命があぶない。さわらぬ神にたたりなしと、与吉は苦しいのを我慢して無言のまま、先に立って今度は水戸街道を加島、原町、小高、鷹野、中津、久満川、富岡……。
 ここから木戸まで二里の上(のぼ)りにかかる。

 はじめ、お下館(しもやかた)へさげられてゆっくり休んでいた与吉を、朝早く宿直(とのい)の侍が揺り起こしたのだった――。
 援軍の仕度ができたから町外れの道場へ……といわれて、案内につれ、月輪方へ出向いてみると。
 だだっ広い板敷に三十人の破門連だけが車座に居残って、剣主軍之助から江戸入りを命ぜられている最中。
 いかさま東下(あずまくだ)りとしかいいようのない、仕度も仕度、たいへんな大仕度に、つづみの与の公、まずたましいを消さなければならなかった。
 わけも知らないのに、軍(いくさ)にでも出るような騒動――にわかの発足とあって、わらじを合わす者、まだ一寸も江戸へ近づかないうちから、刀を引っこ抜いてエイッ! ヤッ! と振り試みるもの、上を下へとごった返しているから、これを見た与吉が、ひそかに考えたことには、
「これほどじゃあるめえと思ったが、強そうには強そうだけれど、いやはやどうも、ひでえ田舎ッぺばかりじゃアねえか。ちょッ! あの服装はなんでえ! 覲番侍(きんばんもの)が吉原の昼火事に駈けつけるんじゃアあるめえし、大概(てえげえ)にしゃアがれッ!……といいてえところだが、待てよ! これだけの薪雑棒(まきざっぽう)に取り囲まれていけあ、たとえあの乞食坊主がいつどこで飛び出したところで、帰途の旅は安穏(あんのん)しごくというものだ――身拵(みごしら)えは江戸へはいる前にでもよッく話してなおしてもらおう。それまではこの田舎者の道あんない。まあ、何も話の種だ」
 とあきらめて、一同とともに打ちつれだって出て来たのだが、性来粋(いき)がっている江戸ッ子の与の公、仮装行列のお供先を承っているようで、日光のかくかくたる街道すじを練ってゆくとなんとも気のひけることおびただしい。
 いまでさえこうだから、江戸に近づくにつれてその気恥ずかしさは思いやられる。どっちへ転んでも情けねえ役目をおおせつかったものだ! と、つづみの与吉、口のなかで不平たらたら……大きな肩に挟まれて木戸の宿場の登りぐち、虫の知らせか、進まぬ足を踏みしめて一歩一歩と――。
 かえりは、道をかえて水戸街道。
 常陸(ひたち)の水戸から府中土浦を経て江戸は新宿(にいじゅく)へ出ようというのだ。
 奥州本街道とはすっかり方角が違うから、二本松に残して来た蒲生泰軒に出会する心配はまずあるまい。また仮りに行き会ったところで、こんどはこっちのもの、与吉はすこしも驚かない。
 富岡より木戸。
 この間、二里の小石坂。
 いい眺望(ながめ)である。
 山に沿ってうねりくねってゆく往還(みち)、片側は苗木を植えた陽だまりの丘で、かた方は切りそいだように断崖絶壁(だんがいぜっぺき)。
 まっ黒な峡(はざま)にそそり立つ杉の大木のてっぺんが、ちょうど脚下にとどいている。
 その底にそうそうと谷をたどる小流れの音。
 いく手に不動山の天害が屏風のごとくにふさぎ、はるかに瞳をめぐらせば、三箱の崎。舟尾(ふなお)の浜さては平潟に打ち寄せる浪がしらまで、白砂青松(はくさせいしょう)ことごとく指呼(しこ)のうち――。
 野火のけむりであろう、遠く白いものが烟々(えんえん)として蒼涯(そうがい)を区切っている。
「絶景! 絶景!」
 というべきところを、月輪の剣士一同、あゆみをとめて、ジュッケイ! ジュッケイ!
 と口ぐちにどなりあっている。
「町人! ここサ来(こ)! あの白っこい物アなんだ?」
「エエ……白っこい物と、はて、なんでございましょう――ア! あれは関田へおりる道じゃアございませんか」
「ほうか」
「コンラ町人、江ン戸にはこんな高い所あッか?」
「エヘヘ、まずございますまいな」
「ほうだろう……うおうい!」
 先の者がしんがりを呼ぶと、
「なんだア――ア?」
 と急ぎのぼってくる。
「中村のお城が見えるぞウイ」
「ほんなら、みんな並んで最後のお別れに拝むこッた。拝むこった」
 というので、なるほど、かすかに雲煙(うんえん)をついて見える相馬の城へ向かって、しばし別離のあいさつ……。黙祷(もくとう)よろしくあってまたあるきだすと、
「なあに、ここをかわせばもうじき広野の村へ下りでございます」
 なんかと与吉、この道は始めてのくせに例のとおり知ったかぶりをして、出張(でば)った山鼻の小径を曲がる――が早いか、血相をかえたつづみの与の公、ギオッ!
 とふしぎな叫声(さけび)をあげたが、駆けよった先頭の連中も、一眼見るより、これはッ! とばかりに立ちすくんだのだった。
 白い乾いた路上の土に、大の字なりふんぞりかえっている異形(いぎょう)の人物! パッサリと道土(つち)をなでる乱髪の下から、貧乏徳利の枕をのぞかせて……。
 思いきや! 泰軒蒲生先生の出現!
 顔いろを変えた与吉が、おののく手で各務房之丞の肱(ひじ)をつかみ、何ごとか二、三声ささやくと、ウムそうかと眼を見はった房之丞、おおきくうなずきながら首領月輪軍之助の耳へ取り次ぐ。
 と、
 軍之助の右手(めて)が高くあがって、
「なんじゃい、こいつ!」
「食(く)らい酔ってるで」
「かまわず踏みつけて通れや!」
などとグルリ取り巻いてどなりかわしていた剣鬼のやからをぴたッと制する。
 急落した沈黙。
 容易ならぬ漂気!――と見て、早くも二、三、せわしく刀の柄ぶくろを脱(の)けにかかる。
 が!
 この暴風雨のまえの静寂(しじま)にあって、泰軒居士は身動きだにしない。
 グウグウ……と一同の耳底に通うかすかないびきの声、豪快放胆(ごうかいほうたん)な泰軒先生、いつしかほんとにねむっているのだった。
 むさ苦しいぼろから頑丈な四肢を投げ出して、半ば口を開けている無心な寝顔に、七刻(ななつ)さがりの陽射しがカッと躍っている。
 大賢大愚(たいけんたいぐ)、まことに小児(ちびこ)のごとき蒲生泰軒であった。
 それを包んで、中村の剣群も眼を見あわすばかり、軍之助はじめほか一同、黙って足もとの泰軒をみつめている。
 いつ覚(さ)むべくもない奇仙泰軒……。
 かれは。
 二本松の町に一夜を明かして、その夜なかに与吉が脱出したことを知るやいな、いく先はどうせわかっている相馬中村――ただちにその足で先まわりして、道なき道を走って飯野を過ぎ、それから川俣、山中の間道(かんどう)づたい、安藤対馬守(つしまのかみ)どの五万石岩城平から、相馬の一行とは同じ往還を逆に、きょう広野村よりこの木戸の山越えにさしかかったところで。
 眠くなれば、どこででも寝る泰軒は、日のひかりを背いっぱいに受けて登ってくるうちに睡魔にとりつかれ、今ちょうど山坂の真ん中にひっくりかえって、ひとねむりグッスリとやらかしている最中だった。
 そこへ!
 思い設けないこの出会い……月輪の剣列(けんれつ)、いたずらに柄頭(つかがしら)をおさえてじっと見据えていると!
 はじまるナ! と看(み)てとった与の公、逸(いち)早くコソコソうしろへ隠れてしまったけれど、泰軒はいい気もちに高いびき、すっかり寝こんでいる――のかと思うと、さにあらず!
 どうしてどうして、彼はさっきから薄眼をあけて、まわりに立ち並ぶ足の数から人数を読みとろうとしているのだが、外観(そとみ)はどこまでも熟睡(じゅくすい)の態(てい)で、狸寝入りの泰軒先生、やにわに寝語(ねごと)にまぎらしてつぶやき出したのを聞けば、
「おお、コレコレ与吉、松島みやげにたくさん泥人形を仕入れて参ったな。だが、惜しむらくはどれもこれも不細工、ウフフフフ都では通用せん代物じゃて……」
 と言いおわるを待たず、それッ! 軍之助が声をかけたのが合図。
 パァッ! と円形が拡がると同時に飛びこんで来た秋穂左馬之介、かた足あげて、泰軒がまくらにしている一升徳利を蹴った――のが早かったか、一瞬にしてその脚をひっつかみ担(かつ)ぐと見せて急遽(きゅうきょ)身を起こした泰軒が遅かったのか?
 とまれ、それはほんの刹那の出来事だった。
 間髪を入れない隙に、あッ! と人々が気がついたときは、左馬之介の身体は岩石落とし……削りとったような大断面を鞠(まり)のごとくに転下して、たちまち山狭の霧にのまれ去った。
 あとには、一抹(まつ)の土埃が細く揺れ昇って、左馬之介のおちた崖の端に、名もない雑草の花が一本、とむらい顔に谷をのぞいている。
 けれど! 驚異はそれのみではなかった。
 とっさのおどろきから立ちなおって、すぐに泰軒へ目を返した月輪組は、いつのまに奪ったものか、そこに見覚えのある左馬の愛刀を抜きさげて、半眼をうっそりと突っ立っている乞食先生のすがたを見いださなければならなかった。
 自源流奥ゆるし水月のかまえ……。
 しかも、あの秒刻にして左馬を斬ったのだろうか、泰軒の皎刃(こうじん)から一条ポタリ! ポタリ! と赤いものがしたたって、道路の土に溜まっているのではないか。
 凄然たる微笑を洩らす泰軒。
 きらり、きらりと月輪の士の抜き連れるごとに、鋩子(ぼうし)に、はばき元に、山の陽が白く映(は)えた。

「なんじは、これなる町人を江戸おもてよりつけ参った者に相違あるまいッ!」
 と、月輪軍之助、泰軒の直前に棒立ちのまま叱咤(しった)した。
「…………」
 泰軒は無言。ほお髭が風にそよぐ。
「おのれッ! 応答(へんじ)をいたさぬかッ」
 言いかけて、軍之助は声を低めた。
「いままた、同志秋穂左馬之介の仇敵(かたき)……かくごせい!」
 そして!
 その氷針のような言葉が終わったかと思うと、さアッ! と一層、月輪の円形が開いて、あるいは谷を背に、他は丘にちらばり、残余(のこり)の者は刃列をそろえてすばやく山道の左右に退路を断った。
 とともに! 一刀流正格の中青眼につけた岡崎兵衛、めんどうなりと見たものか、たちまち静陣(せいじん)を離れて真っ向から、
「えいッ」
 はらわたをつんざく気合いを走らせて拝み撃ち!――あわれ泰軒先生、不動のごとく血の炎に塗(まみ)れさった……と思いのほか刹那(せつな)! 燐光一線縦にほとばしって、ガッ! と兵衛の伸剣(しんけん)を咬(か)み返したのは自源流でいう鯉の滝昇り、激墜(げきつい)の水を瞬転一払するがごとき泰軒の剛刀であった。
 とたん!
 払われた兵衛は、自力に押されて思わずのめり足、タッタッタッ! 掻き抱く気味にぶつかってくる。そこを、踏みこたえた泰軒、剣を棄てて四つに組む――と見せて、即(そく)に腰をひねったからたまらない。あおりをくった岡崎兵衛、諸(もろ)に手を突いて地面をなめた。
 が、寸時を移さず泰軒には、こんどは門脇修理を正面に、左右に各一人、三角の剣尖を作っていどみかかっている。
 危機!
 ……とは言い条(じょう)、自源流とよりはむしろ蒲生流といったほうが当たっているくらい、流祖自源坊の剣風をわが物としきっている侠勇(きょうゆう)蒲生先生、とっさに付け入ると香(にお)わせて、誘い掛け声――。
「うむ!」
 と!
 これに釣りこまれたか、それとも羽毛の隙でも剣眼に映じたものか、右なる刀手、殺気に咽喉(のど)をつまらせて沈黙のうちに引くより早く、一線延びきってくる片手突き!
 太刀風三寸にして疾知(しっち)した泰軒うしろざまに飛びすさるが早いか、ちょうど眼前に虚を噛(か)まされておよいでいる突き手を、ジャリ……イッ! と唐竹割りにぶっ裂いた。
 濡れ手拭――あれを両手に持って激しく空に振ると、パサリ! という一種生きているような異様な音を発する、人体を刀断する場合に、それによく似たひびきをたてると言われているが全くそのとおりで、いま水からあげたばかりの布(ぬの)を石にたたきつけたように、花と見える血沫(ちしぶき)が四辺(あたり)に散って、パックリと口を開いた白い斬りあとから、土にまみれる臓腑(ぞうふ)が玩具箱(おもちゃばこ)をひっくりかえしたよう……。
 チラ! とそのさまに眼をやった泰軒、
「すまぬ。――南無阿弥陀仏」
 さすがは名うての変りもの、じぶんが殺(や)ったそばからお念仏を唱えてニッコリ、ただちに長剣に血ぶるいをくれて真向い立っている門脇修理に肉薄してゆくと。
 白昼の刃影、一時にどよめき渡って、月輪の勢、ジリリ、ジリリとしまると見るや、一気に煥発(かんぱつ)して乱戟(らんげき)ここに泰軒の姿を呑みさった。
 夜ならば火花閃々。
 ひるだからきなくさい鉄の香がいたずらに流れて、あうんの声、飛び違える土けむり、玉散る汗、地に滑る血しお……それらが混じて一大殺剣の気が、一刻あまりも山腹にもつれあがっていた。
 はじめのうちつづみの与吉は、小高い斜面の切り株に腰をかけて、たかみの見物と洒落(しゃれ)ていたがだんだんのんきにかまえていられなくなって、そこらにある石でも枯れ枝でも手あたりしだいに泰軒を望んで投げつけてみたけれど、単に混戦の度を増して味方に迷惑なばかり。
 やがて。
 こうなってみると、せまくて足場のわるいのが、何よりも多勢(たぜい)の側にとって不利なので、存分に動きのとれる峠下の広野へ泰軒をひきだし、また自分たちも一歩でも江戸に近よろうと、軍之助の指揮のもとに、一同、突如刀を納めてバラバラバラッ! と雪崩(なだれ)をうって江戸の方角へ駈けおりてゆく。
 なむさん! 遅れては大変! と与の公もころがるようにつづいたが、
 追おうともしない泰軒。
 ニッとほくそ笑んで、懐中(ふところ)から巻き紙を切って、綴(と)じた手製の帳面を取り出したかと思うと、ちびた筆の穂先を噛んでそこらを見まわした。
 まぐろのようにころがっている屍骸(しがい)がふたつ。
 それに、最初峡(たに)へ斬りおとした秋穂左馬之介を加えて、きょう仕留めた獲物はつごう三名。
 泰軒先生、死人の血を筆へ塗って、三と帳づらへ書き入れた。
 中村を進発のとき、軍之助を筆頭に各務房之丞、山東平七郎、轟玄八ほか二十七人、〆めて三十一名だった相馬月輪組は、木戸の峠の剣闘に秋穂左馬之介等三人を失って二十八人、それでも与吉を案内に水戸街道の宿々に泊りを重ねて、きょうの夕刻、こうしてたどり着いたのが助川の旅籠(はたご)鰯屋(いわしや)の門口だ。
 木戸以来、泰軒の消息はばったりと途絶えて、いくら振り返っても影も形も見えないから、月輪の一同、安堵(あんど)と失望をごっちゃにした妙なこころもちだった。
 あの時は地の利がわるかったために思うように働けなかったが、充分な広ささえあればあんな乞食の一人やふたり、またたく間に刻(きざ)んでくれたものを!――こう思うと誰もかれもいまにも彼奴(あいつ)があらわれればいいと望んでいるものの、待っている時に限って、姿を見せないのがほととぎすと蒲生泰軒で、とうとうここまで、北州の雄月輪一刀流と、秩父に伝わる自源流と、ふたたび刃を合わす機会もなくすぎて来たのだが……。
 助川、江戸まで、四十一里半。本陣鰯屋の広土間。
 ドヤドヤとくりこんで来た月輪組の連中は、ただちに階上の二間をぶっ通して借りきって旅の汗を洗いにただちに風呂場へ駆けおりる者、何はさておき酒だ酒だとわめくもの、わるふざけて女中を追いまわす者――到着と同時にもう家がこわれるように大にぎわい。
 何しろ若年の荒武者が二十八士も剣気を帯びての道中だから、その喧噪(けんそう)、その無茶まことにおはなしにならない。
 あまりの騒動に宿役人が出張して来て、身がら、いく先などを型(かた)ばかりにしらべていったが、これは師範代各務房之丞が引き受けて、金比羅詣(こんぴらまい)りの途中でござると開きなおり、見事にお茶らかして追い返してしまう。
 あとには。
 気を許した一同が、五、六十本の大小を床の間に束(たば)で立て掛け、その前に大胡坐(おおあぐら)の月輪軍之助を上座に、ズラリと円くいながれて、はや酒杯が飛ぶ、となりの肴を荒らす、腕相撲、すね押しがはじまる……詩吟から落ちてお手のものの相馬甚句、さてはお愛嬌(あいきょう)に喧嘩口論まで飛び出して、イヤハヤ、たいへんな乱痴気ぶりだ。
 旅中はおのずから無礼講、それに、何をいうにも若い者のこととて大眼に見てかあきらめてか、それともあきれたとでもいうのか、剣師軍之助はこの崩座(ほうざ)を眺めて制しようともせず、やりおるわいと微笑みながらチビリチビリと酒をふくんでいると。
 いつしか話題が泰軒へ向いて、
「力はあるが、大した剣腕(うで)ではないで、こんど出て来たら、拙者が真ッぷたつにしてくれるテ。なあ、汝(うぬ)らア騒がずと見物しとれ」
「何をぬかしくさる! おれは、きゃつの業(わざ)の早いのが恐るべきだちゅうんだ、岡崎がかわされて手をついた時の不様(ぶざま)ってあっか」
「さようでございます。どうもあのとおり乱暴な乞食なんで、見ておりましても手前なんかは胸がドキドキいたしますが、でもまあ、皆さまというお強いお方がそろっていらっしゃいますので、このところ与の公も大安心でございます、へい」
「そうとも! そうとも! 何があっても町人はすっこんでおろ!」
「なんともはや、その言葉一つが頼みなんで――ま、ま、一ぱい! 酒は燗(かん)、さかなはきどり、酌は髱(たぼ)なアンてことを申しながら、野郎のおしゃくで恐れ入りますが、どうぞ[#「どうぞ」は底本では「とうぞ」]お熱いところをお重ねなさいまし。オッととととと!……これは失礼」
 などと、与の公までがしゃしゃり出てきて、いい気になって酒盃のやりとりを続けているところへ!
 ミシ! と天井うらの鳴る音!
 まだ日が暮れたばかり。おまけに下はこの宴席、なんぼなんでも鼠(ねずみ)の出るわけはなし、それに! ねず公にしてはちと重すぎる動きが感じられる。
 と、一同が期せずして話し声をきり、飲食の手をとどめて、思わずいっしょに天井を仰いだとたん!
 パリパリパリッ! と、うずら目天井板の真ン中が割れたかと思うと、太い毛脛(けずね)が一本、ニュウッ! と長くたれさがって来た。
 あっけにとられて口をあけたまま見あげていた月輪の剣豪連、それッ! というより早く、算をみだして床の間の刀束へ殺到する。
 その間に、天井裏の怪人、脚から腰と下半身をのぞかせて、いまにも、座敷の中央へ飛びおりんず気配!
 うわさをすれば影とやら――泰軒先生の意外な登場。
 与吉は?……と見れば、逃げ足の早いこと天下一品で、もう丸くなって段梯子(だんばしご)をころげ落ちていた。

 秋穂左馬之介以下二名のとむらい合戦!
 と思うから、このたびこそは討たずにはおかぬと、一刀流月輪の門下、軍之助、房之丞を、かしらに冷剣の刃ぶすま、ずらりと大広間に展開して、四方八方から一泰軒をめざし、進退去就(しんたいきょしゅう)いっせいに、ツツウと刻みあし! 迫ると見れば停止し、寂然(じゃくねん)たることさながら仲秋静夜の湖面。
 夕まけて戸内の剣闘(けんとう)。
 灯りが何よりの命とあって、泰軒の出現と同時に、気のきいた誰かが燭台を壁ぎわへ押しやって百目蝋燭(ひゃくめろうそく)をつけ連ねたので、まるで昼のようなあかるさだ。
 そのなかに、刀影(とうえい)魚鱗(ぎょりん)のごとく微動していまだ鳴発しない。
 まん中のひらきに突っ立った泰軒、やはり貧乏徳利を左手に右に左馬之介から奪った彼の一刀をぶらりとさげて、夢かうつつの半眼は例によって自源流水月の相……。
 降ってわいたようなという形容はあるが、これはそれを文字どおりにいっていかさま降ってわいたつるぎの暴風雨――こうしてかれ泰軒が、突如助川いわし屋の天井から天降るまでに彼はいったいどこにひそみ、いかにして月輪組をつけて来たか?
 あれほど意をくばってきたになお尾行されているとは気がつかなかった……という月輪一同の不審ももっともで、ちちぶの深山に鹿を追い、猿と遊んで育った郷士泰軒、彼は自案にはすぎなかったが、隠現(いんげん)機(とき)に応ずる一種忍びの怪術を心得ていたのだ。
 だからこそ、江戸でも、警戒厳重な奉行忠相の屋敷へさえ、風のように昼夜をわかたず出入するくらい、まして、自然の利物に富む街道すじに、多人数の一団をつけるがごときは、泰軒にとっては朝めしまえ、お茶の子サイサイだったかも知れない。
 かくして。
 一行にすこし遅れ、混雑にまぎれていわし屋の屋根うらへ忍びあがったかれ、いまその酒宴の真っただなかをはかってずり落ちてきたのだ。
 泰軒の足もと近く、朱に染まった手に虚空(こくう)を掴んで動かない屍骸ひとつ。それは、跳びおりざま横薙(な)ぎに払った剣にかかって、もろくも深胴をやられた大屋右近のなきがらであった。
 ビックリ敗亡、あわてふためいたのはいわし屋の泊り客に番頭、女中、ドキドキ光る奴が林のように抜き立ったのだから手はつけられず、とばっちりをくってはたまらぬと、一同、さきを争って往来へ飛び出したのはいいが、なかには、狼狽(ろうばい)の極、胴巻(どうまき)とまちがえて小猫を抱いたり、振分けのつもりで炭取りをさげたり……いや、なんのことはない、まるで火事場のさわぎ。
 この騒乱に地震と思って、湯ぶねからいきなり駈け出して出た女が、ひとり手ぬぐいを腰にうろうろしているのを見かけると、抜け目のない奴で、じぶんの荷だけはいっさいがっさい身につけ、担ぎ出したつづみの与の公、すばやく走りよって合羽を着せる、履物をやる、ごった返すなかでそのいきとどくこと、どうも此奴(こいつ)、いつもながら女とみるとばかに親切なやつで。
 果たして、良人(おっと)と覚(おぼ)しき女の同伴(つれ)が飛んで来て、礼よりさきにどしんと一つ与吉を突きとばしたのは駒形の兄哥(あにい)一代の失策、時にとってのとんだ茶番であった。
 それはさておき――。
 おもて二階の剣場では。
 気頃(きごろ)を測っていた泰軒が、突(とっ)! 手にした一升徳利を振りとばすと右側の轟玄八、とっさに峰をかわしてハッシと割る!
 これに端を発した刃風血雨。
 ものをも言わず踏みこんだ泰軒、サアッと敵の輪陣(りんじん)を左右に分けておいて、さっそくのつばくろ返し手ぢかの小松数馬の胸板を刃先にかけてはねあげたから、いたえず数馬、□(どう)ッ! と弓形にそる拍子に投げ出された長刀白線一過してグサッ! と畳に刺さった。
 とたん! 側転(そくてん)した泰軒、藤堂粂三郎とパチッ! やいばを合わせる……と同秒に足をあげて発! そばの一人を蹴倒しながら、長伸、軍之助を襲うと見せかけ、隙に乗じて泰軒、ついに壁を背にして仁王立ち……再び、刀をさげ体を直(ちょく)に、なかばとじた眼もうっとりと、虚脱平静(きょだつへいせい)、半夜深淵をのぞむがごとき自源流水月の構剣……。
 またしても入った不動の状。
 せきれいの尾のようにヒクヒクと斬尖(きっさき)にはずみをくれながら、月輪の刀塀(とうへい)、満を持して放たない。
 往来に立ってワイワイさわいでいる人々の眼にうつるのは。
 二階の障子に烏のように乱舞する人影と人かげ……。
 と! 見る間に。
 その障子の一枚を踏み破って、のめるように縁の廊下に転び出た大兵(たいひょう)の士――月輪剣門にその人ありと知られた乾(いぬい)万兵衛だ。
 が、おなじ瞬間に追撃(おいう)ちの一刀!
 利剣長閃、障子のやぶれを伸びて来たかと思うと、たちまち鮮血鋩子(ぼうし)に染み渡って、
「あッ痛(いた)……ウッ!」
 と万兵衛、肩口をおさえて、がっくりそのままらんかんに二つ折れ、身をささえようとあせったが、肥満の万兵衛何条(なんじょう)もってたまるべき! おのが重体(おもみ)を上身に受けて欄干ごし、ドドドッ! と二、三度庇(ひさし)にもんどりうったと見るや、頭部から先にズデンドウ、うわアッと逃げ退く見物人の真ん中へ落ちて、
「ザ、残念! ざんねんだッ!」
 と、ふた声三声くち走ったのが断末魔、地に長く寝て動かずなった。

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