丹下左膳
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著者名:林不忘 

 きょう風のように乗りこんで来た心友蒲生泰軒、そのかげに隠れるようについている女をチラと見るが早いか、いつぞやそれが田原町二丁目の家主喜左衛門から尋ね方を願い出ている当り矢のお艶という女であることを、人相書によって忠相はただちに見てとっていた。
 そのお艶は、坤竜の士諏訪栄三郎と同棲していたので、所在(ありか)がわかったときも、そっとしておけ! と、わざと喜左衛門へしらせなかったくらいだったのが、いまどうして泰軒といっしょにここへ来たのであろう?――忠相はこうちょっと不審に思っていた。
 おおよそかくのごとく。
 その強記(きょうき)はいかなる市井(しせい)の瑣事(さじ)にも通じ、その方寸には、浮世の大海に刻々寄せては返す男浪(おなみ)女浪(めなみ)ひだの一つ一つをすら常にたたみこんでいる大岡忠相であった。
 南町奉行大岡越前守忠相様。
 明微洞察(めいびどうさつ)神のごとく、世態人情の酸(す)いも甘(あま)いも味わいつくして、善悪ともにそのまま見通しのきくうえに、神変不可思議(しんぺんふかしぎ)な探索眼(たんさくがん)には、いちめん悪魔的とまで言いたい一種のもの凄さをそなえているのだった。
 と!
 ふと蒲生泰軒のあたまに閃(ひら)めいたのは、いつか本所の化物屋敷に自分と栄三郎が斬りこみをかけた時突如として現れた、あの始終を知るらしい五梃駕籠(かご)のことであった。
 風のような火事装束(しょうぞく)の五人の武士!
 その正体は今もってわからないが、あのなかの頭(かしら)だった老人! と思い当たると、なぜか彼は、忠相がすべてを察知しているわけが読めたような気がして、その時まで碁盤をにらんでいた顔をあげると泰軒、ニッと忠相に笑いかけた。
 しかし、忠相はその微笑にこたえなかった。
「なあ、蒲生!」
 と、じっと盤を見つめていたが、
「どうする気だ、その碁を」
「もとよりあくまでもやる! 運命の二石をひとつにするまでは」
「貴公らしいて」
 しずかにつぶやいた忠相、盤上の黒の一石を手にして、つうとそばのほうへそらしながら、
「さあ、泰軒、かようにひとつが助勢を求めて走っておるぞ。どうじゃ、どうじゃ、どうするつもりじゃ? これに対する処置は」
「ナニ! 助勢を? 誰がどこへ……?」と思わず泰軒、碁(ご)をそっちのけに乗りだすと、忠相は手の石で盤をパチパチたたきながら、
「泰軒! 碁だ、碁だ――が、サア、まず求援の使いの向かう方角は……」
「うむ。その方角は……」
「さればさ――さしずめ、北のかたかな」
 こう言い放っておいて、忠相はジロリと泰軒を見やった。
 一石駆けぬけて援軍を求めに走りつつある――しかも、その方角が北のかた!
 という忠相の言葉に、蒲生泰軒はキッとなって盤をにらんだ。
 いかさま、ひとつの黒い石が、忠相の手によって黒団を離れ、碁盤の隅に孤独の旅をいそぎつつあるように見える。
 これこそ、奥州中村相馬藩の城下へ、左膳のために剣客のむれを呼びに草まくらの数を重ねつつあるつづみの与吉のすがたではなかろうか。
「サ! どうする? どうする気じゃ?」
 忠相はこううながすように言って泰軒を見た。
 じっと石の配置に眼をすえたまま、泰軒は動かない。そのかげに身をすくませているお艶も、いつしかこの碁戦の底にひそむ真剣なかけひきに釣りこまれて、われを忘れて、横のほうからのぞきながら、見入り聞き入りしているのだった。
 外見はあくまでも閑々(かんかん)たる風流烏鷺(うろ)のたたかい……。
 陽のおもてに雲がかかったのであろう、障子いっぱいに射していた日光がつうとかげると、清冽(せいれつ)な岩間水に似たうそ寒さが部屋をこめて、お艶は身震いに肩をすぼめた。
「泰軒、下手(へた)の考えなんとかと申すぞ。なあ、この石をいかがいたすつもりなのだ?」
 かすかな揶揄(やゆ)をふくんだ越前守の声。
 が、泰軒は答えない。大きな膝が貧乏ゆるぎをしているのは、まさに沈思黙考というところらしい。
 すると忠相は、やにわにひとつかみの黒い石を取り出して、援軍をもとめに行きつつあると言った石のまわりに並べた。
「見るがよい。この通り首尾よく同勢を集めて、今やもとへ戻ろうとしておる。この対策はどうじゃな?」
「ふむ! 仔細(しさい)ないわ。こういたしてくれる」
 言ったかと思うと泰軒、手もとの白石(しろ)のひとつをとって、パチリとその新たなる黒の集団の真ん中へ入れた。
 忠相は首をひねって、
「ははあ。そう出向いていくか」
「さよう。かくして帰路の途中、せいぜい数を殺(そ)ぐのじゃな。まず、ひとつ二つと機会あるごとにしとめて――」
 といいながら、泰軒は、いま白をおいた周囲から黒石の二、三を取ってのける。
「かようにいたして、帰るまでにはもとの木阿弥(もくあみ)にしてやろうと思う」
「ウム! それがよい!」
 と忠相は膝を打って、
「急ぎ後を追って、せっかくの助軍を斬りくずすことじゃ……何しろ、この援兵を敵の本城へ入れてはならぬ。俗にも申す多数に無勢、勝ちいくさが負けになろうも知れぬからな。が、はたしてそううまく参ろうかの?」
「何がだ?」
「ただいまの、帰路を擁(よう)して徐々に援助の隊を屠(ほふ)るという戦法――」
「それはこの石の手腕(うで)ひとつにある。この石! この石! この、おぬしのいわゆる薄よごれた石じゃ!」
 こう豁然(かつぜん)と胸をたたいて泰軒が笑うと、忠相もおだやかな微笑をほころばせながら、
「たのもしい石じゃて」
 とチラと泰軒の顔を見やったが、やがて、
「北……と申せば道は一本みち。ただちに発足すればわけなく追いつくであろう」
「北の旅は荒谷行(こうやこう)――血を流すにはもってこいじゃ」
「が、大事な石、ぬかりはあるまいが気をつけてくれ」
「心配無用!」
 言い放った泰軒、助けの石と称する黒のかたまりをすっかりわが手に納めてしまうと、いきなり二つの白石を摘まみあげるが早いか、盤の隅の黒団へ突き入れて、同時にすべてをさらいおとした。
 盤上に残った黒白ふたつの石、それが中央にピッタリ並んでいる。
「もうよい! わかった」
 と忠相は、ゆったりとふところ手をして、
「わしのほうの仕事はそのうえ……あとは必ずわしが引き受けるから、それまでにおぬしが力を貸して、この二石をひとつにしてくれ」
 ふっと碁談がやむと、白っぽい午さがりのしずけさのなかで、どこか庭のむこうで愛犬の黒がなくのが聞こえた。
 いかにして忠相は、いながらにして乾雲を取りまく一味の助勢を掌(たなごころ)を指すように知っているのか、それがふしぎと言えばふしぎだったが、忠相の今の口ぶりでは、誰か本所化物屋敷の者が、北藩中村へ助剣を求めに走っていること、疑いをいれない。
 では、すぐにこれから!――と泰軒が起ちあがると、忠相がそれを眼でとめた。
「蒲生! 忘れ物……」
 と、すばやい視線がお艶へ向いている。泰軒はとぼけた。
「旅は身軽が第一――ハッハッハ、この荷物は当分おぬしに預けておくとしよう!」
 そして、困りきって苦笑している越前守忠相と、もったいなさに消え入りたげに小さくなったお艶を残して、そのとたんに、庭に面した障子はもう泰軒をのんでいた。

  北国旅日記(ほっこくたびにっき)

「親方ア! 返り馬だあ。乗ってくらっせえよ」
 という鼻から抜ける声とともに、間伸びした鈴の音が、立場茶屋の葦簾(よしず)を通して耳にはいると、江戸者らしい若い小意気な旅人が、ひとり飲みかけた茶碗を置いて振り返った。
 縞の着物に手甲脚袢(きゃはん)、道中合羽に一本ざし、お約束の笠を手近の縁台(えんだい)へ投げ出したところ、いかにも何国の誰という歴(れっき)として名のあるお貸元が、ひょんな出入りから国を売ってわらじをはいているように見えるものの、さて顔を眺めると……まぎれもないあさくさ駒形の兄哥(あにい)つづみの与吉。
 こいつ、櫛まきお藤の隠れ家でのんべんだらりとお預けをくっているはずなのが、それがある朝、ヒョイと思い出したのが丹下の殿様から言いつかっている大事の御用――こりゃアいけねえ、おらあこんなところにいい気に引っかかっていられるわけのもんじゃアねえんだ! と思いついたのが足の踏み出し、お尻の軽いことこの上なしという野郎だから、お藤の姐御(あねご)が先月から家をあけているのと折柄の好天気を幸いに、そそくさとわらじの紐をはきしめて、こうして奥州中村への旅に出て来たのだった。
 影と二人づれの、まことに気の合う旅まくら……。
 なあに、丹下様はどんなに急いでいたってかまうこたアねえやな。こちとらアもらった路銀をせいぜいおもしろおかしく散(さん)じてヨ、それに帰路(かえり)はお侍連の東道役(とうどうやく)、大いばりで江戸入りができようてんだからこんなうめえ話はねえサ。おまけにおいらのこの中村行きは誰ひとり知る者もねえはずだから、栄三郎の側から追っ手の来る心配もなし――ままよ、江戸ッ児の気晴らし旅、まあ、ゆっくりとやるとしよう。
 こういう心だから急げば早い足を格別伸ばそうともせずに、泊りを重ねてこの昼すぎちょうどさしかかったのが野州の小金井だ。
 古河の町は、八万石土井大炊頭(おおいのかみ)の藩で江戸から十六里。
 その古河を今朝たって野木、間々田(ままだ)、小山、それから二里の長丁場(ながちょうば)でこの小金井。
 道中細見記をたどれば、江戸から中村まで七十八里とあるから、つづみの与の公、まだ前途遼遠(りょうえん)という次第だが、心がけが遊山気分で、いっこうに足を早めようともせず、こうして日の高いうちからどっかり腰をおろし茶店の老爺(ろうや)を相手に大いに江戸がっているところ。
 白い街道にやけに陽が照りつけて、真冬に北へ向かうのだからどんなに寒かろうと内心おびえて来たにもかかわらず、今日なんかは江戸よりもよっぽどあたたかいくらい。
 それでもさすがに底冷たい風が砂ほこりを吹きこんで、名物と銘(めい)うった団子がザラザラと舌にさわる。ちょいと趣の変わった木立ちや人家、黒ずんだ遠田(とおた)のおもて、路傍に群れさわぐ子供らの耳なれない言葉……。
 江戸っ児はうち弁慶(べんけい)、旅に出てはからきし意気地がないという。
 与吉もその点では御多聞に洩れず、なんだかしきりに心細い気がしてくるのを、自分で懸命に引きたてるつもりで、
「旅もいいが、こちとらみてえな生え抜きの江戸っ児は、一歩お膝下(ひざもと)を出はずれるてえと、食物と女の格がずんと落ちるのに往生するよ。女はお前、肌をみがく水が悪いとして眼エつぶるとしてもヨ、食物はなんでえ食物は!」
「へえ。そうかね」
「チッ! そうかねえじゃねえや。早え話がこの団子よ、こ、こんな物が食えるけえ。これで名物のなんのとチャンチャラおかしいや。なア、江戸じゃあこんな団子は猫も食わねえんだよ」
「あんれ! ここらの猫もハア団子アあんまり食わねえだよ」
「何をッ! 馬鹿にするねえ! えこう、江戸じゃあナ、まあ聞きねえってことよ。金竜山(きんりゅうざん)浅草寺(せんそうじ)名代の黄粉(きなこ)餅、伝法院大榎(えのき)下の桔梗屋安兵衛(ききょうややすべえ)てんだが、いまじゃア所変えして大繁昌(はんじょう)だ。馬道三丁目入口の角で、錦袋円(きんたいえん)と廿軒茶屋の間だなあ。おぼえときねえ」
 なんかと頼まれもしない浅草もちの広告(ひろめ)に力こぶをいれて、一人弁舌(べんぜつ)をふるっていると、
「親方ア、馬はどうだね、安くやんべえよ」と、またしても馬子の声。
 与吉は大いに業(ごう)を煮やして、
「何イ! 馬だ? べら棒め、馬がどうしたッてんでえ!」
 威勢よくたんかをきって向きなおった拍子に、つづみの与吉、さっと顔から血の気がひいた。
 二軒むき合っている向う側の茶みせから、じっと眼を据えてこっちを見つめている異様な男!
 おぼえのある乞食すがたに貧乏徳利……。

 うまくお艶の身柄を忠相(ただすけ)へ押しつけおおせた泰軒、さっそく庭へおり立つところを忠相が呼びとめたのだった。
「これ、蒲生! 何やらここに落ちておるぞ」
 というので、ちょっと引っ返して部屋をのぞくと、いままで坐っていた場所に小判が数枚!
 泰軒の窮状(きゅうじょう)を察した忠相が、無心もないのに投げ出したもので、路用としてそれとなく与える意(こころ)。涙の出るほどのゆきとどきぶり……。
 ふたりは何も言わなかった。
 泰軒はただのっそりあがって来て金子(きんす)を納め、呵々(かか)大笑して再び出て行ったきり――礼もなければ辞儀もない。この両心友の胸間、じつにあっさりとして風のごとくに相通ずるものがあった。
 そして。
 お艶がなおもひれ伏しているうち大岡様のお屋敷を出た泰軒は、瓦町の栄三郎様へも立ちよらずに、その日のうちに江戸をあとに北上の旅にのぼったのである。
 乾雲のために求援の使いにたって、今や一路北州をさしていそいでいる者があると言ったが、はて誰だろう? まだ相馬へは着いてはいまいから、追い越して顔さえ見ればわかるに相違ない。そのうえ、相手のいかんによって策の施しようはいくらもあると、ゆく手に当たって人影が見えるたびに、泰軒はひたすらに足を早めて来たのだった。
 駅路(えきろ)のさざめきも鄙(ひな)びておもしろく、往(お)うさ来(く)るさの旅人すがた。
 が、住居を持たぬ泰軒先生は、江戸にいても四六時ちゅう旅をしているようなもの。したがってこうして都を離れるにも、何一つ身仕度などあろうはずもなく、きたきり雀の古布子(ふるぬのこ)に、それだけは片時も別れぬ一升徳利の道づれ――。
 奥の細みち。
 と言うと風流なようだが、泰軒は気がせく。
 人一倍の健脚に鞭(むち)をくれて、のしものしたり一日に十有数里。
 奥州街道。
 江戸から二里で千住(せんじゅ)。おなじく二里で草加(そうか)。それから越(こし)ヶ谷(や)、粕壁(かすかべ)、幸手(さって)で、ゆうべは栗橋の泊り。
 早朝に栗橋をたって中田、古河の城下を過ぎ、本街道をまっしぐらに来かかったのがこの小金井である。
 町を素通りに、スタスタ通り抜けようとした、宿場はずれ。
 ふと一軒の茶店からしきりに江戸江戸と江戸を売りに来ているような声がするので、泰軒、何ごころなくみやると、見たことのある町人がさかんに気焔(きえん)をあげている。
 ハテナ! と小首をかしげたとたん、最初に思い出したのが正覚寺門前振袖銀杏(いちょう)のしたで、諏訪栄三郎のふところから財布を抜いて走った男。これが本所鈴川源十郎の取巻きの一人で、名もわかっている……つづみの与吉! と、とっさにみてとったが、泰軒は知らん顔、そのまま向う側の茶店の入口近く陣取って、隠れるでもなければうかがうでもない、こっちから公然(おおっぴら)ににらみつけていると――。
 馬子をどなりつけて振り向いたとたん、思いがけない泰軒のいることに気のついた与の公、はッとすると同時に青菜に塩としおれ返ってしまった。
 今のいままで恐ろしく威勢のよかったやつが、ムニャムニャとにわかに折れてしまったから、びっくりしたのは茶店のおやじだ。
「どうしただね? 腹でも痛み出したかね?」
 うるさくきくので、与吉はこれをいいことに、
「うん? ううん……なんでもねえ。いや、腹が痛えや。こんな団子を食わせるからだ」
「あんだって、この人は団子にばかりそうけちイつけるだんべ! 三皿もお代りしたくせに……」
 顔をしかめてうなりながら、与吉がチラ! チラ! とうしろをふり返ると、路をへだてた床几(しょうぎ)に泰軒先生それこそ泰然と腰をすえてまたたきもせずにこっちの方をみつめている。
 与吉は、ジリジリと背中が焼けつくようで、いてもたってもいられぬ心地。
 蛇ににらまれた蛙同然――人もあろうに一番の難物が、どうしてここへこうヒョッコリ現れたんだろう! こいつア厄介なことになったもんだ! と一時は与吉、顛倒(てんとう)せんほどに驚いたが、なあに、この先まだ道は長え。宇都宮へへえるまえにでもどこかできれいにまいてやろうと決心を固めて、
「爺さん! ホイ、茶代だ。ここへおくぜ」
 と勢いよく起ちあがると、それを待っていたように、むこう側の茶店でも泰軒が腰をあげたようす。
 首すじがゾクゾクして、与吉はともすれば立ちすくみそうになったのだった。
 猛犬に踵(かかと)をかがれながらさびしい道をあるいていく時の気もち……ちょうどあれだった。背骨がしいんとして、腰の蝶番(ちょうつがい)が今にもはずれそうに思われる。駈け出すわけにはいかず、そうかといって振り返ることもできずに、与吉は半ば死んだ気でフラフラと往還(みち)のみちびくがままにたどってゆく。
 すぐあとから泰軒先生が、一升徳利を片手にぶらさげ、鬚(ひげ)の中から生えたような顔に微笑を浮かべて悠々閑々(ゆうゆうかんかん)とついて来るのだった。
 珍妙奇天烈(きてれつ)な二人行列。
 それが、陽うららかな宇都宮街道を、先が急げば後もいそぎ、緩急停発(ていはつ)ともに不即不離(ふそくふり)のまま、どこまでもどこまでもと練っていくところ、人が見たらずいぶんおもしろい図かも知れないが、当(とう)の与吉の身になると文字どおり汗だくの有様で、兄哥(あにい)すっかり逆上(あが)ってしまっている。
 どうも薄気味の悪いことこのうえない。
 もうすこし離れてつけてくるのなら、こっちも駒形の与の公、なんとかして撒(ま)く才覚も生まれようというものだが、こうピッタリかかとを踏まんばかりにくっついていられては、どうにもこうにも考えることさえできないのだ。
 それも。
 おい! とか、コラ! とか声でもかけてくれるならまだいい。そうしたら当方にも応対のしようがあって、おや! これはこれは乞食の旦那様、お珍しい! はて、どちらへ?――ぐらいのことが、スラスラと出ない与吉でもないし、じっさいその問答の二、三も心中に用意があるのだが、こんなに押し黙ってついて来られると、先方が普段からの苦手なだけに、与の公、手も足も出ないで、亡者(もうじゃ)のような心地。
 その亡者のような与の公と、お閻魔(えんま)さまの蒲生泰軒とが、ぶらりぶらりと野中の一本道を雁行(がんこう)していくのだ。
 小金井をたって下石橋、二里半の道で宇都宮……大通りを人馬にもまれて素どおり。
 もうそぼそぼ暮れだが、与吉はこんなつれといっしょに[#「いっしょに」は底本では「いっしよに」]旅籠(はたご)をとる気にもなれない。で、町を突っきり、夜道をかけて今度はどんどん足を早め出した。
 いけない!
 やっぱりスタコラついて来る。
 黙りこくって、影のようにうしろに迫りながら押っかぶさるようにしてついてくるのだ。
 与吉もこれにはすっかり往生したが、振り返りでもしようものなら、そのとたんにぽかんと拳固(げんこ)がとんできそうな気がするし、一度などは与吉が道路にしゃがんでわらじを結びなおすと、泰軒は平然とそばに立って待っている始末で、駒形名うてのつづみの与吉、まるで大きな荷物をしょいこんだ形でほとほと閉口(へいこう)してしまった。
 無言のまま同行二人。
 真夜中の白沢。
 氏家(うじいえ)。
 喜連川(きつれがわ)――喜連川左馬頭(さまのかみ)殿御城下。
 夜どおしがむしゃらに歩きつめて、へとへとに疲れきった与の公のうえに、さく山あたりで暁の色が動きかけた。
 脚は棒のようになる。眼はくらむ。狩り立てられた狼のようになった与吉、ひとこと泰軒が声をかけたら即座に降参してすべてをぶちまけ、すぐに江戸へ引っ返すなり、ことによったらこのままどこへでも突っ走ってしまおうと思っていると……。
 泰軒は平気の平左。
 ときどき貧乏徳利をぐいと傾けてひっかけながら、口のなかで、謡曲(うたい)の一節。
 明(あけ)の月が忘れられたように山の端(は)にかかって、きょうもどうやら好晴らしい。うす紫の朝靄(もや)には、人家が近いとみえて鶏の声が流れ、杉木立ちの並ぶ遠野の果てに日の出の雲は赤い。
 はるかに連山の残雪。
 ふっと近くに馬のいななきがきこえてゆく手の草むらにガサガサと音がしたので、与吉がびっくりして立ちどまると、放し飼いの馬が二、三頭、ヌッと鼻面を並べて出した。
「なんでえ! 驚かしゃがらア! シッ! どけ、どけ! シイ――ッ!」
 と、馬とわかって、与の公急に強くなっていばりだしたものだから、よほどそれがおかしかったとみえ、
「はっはっはッは……」
 うしろに泰軒の笑い声。
 与の公、とうとう泣き顔をふり向けて悲鳴をあげた。
「旦那(だんな)! 先生! 人が悪いや、あっしをこんなに追いまくるなんて――ねえ、旅は道づれ世は情けって言いまさあ。ひとついかがで、御相談いたしやしょう」
 と与吉、大道商人が客をつかまえたように小腰をかがめて手をもんだ。
「相談……とは、なんじゃ」
 与吉を見おろして立ちはだかった泰軒のぼろ姿に、さわやかな朝の光が徐々(じょじょ)と這い上がっている。
 与吉は首をなでたり頭をかいたり、眼まぐるしく両手を動かしながら、
「テヘヘヘヘ、どうも先生、旦那、いや殿様――ッてのも変だが、そう意地にかかってついて来られちゃア私が歩きにくくてしようがございません。もういいかげんに、ここらでなんとか一つ話をつけていただいて、手前も考えなおしとうございます、へい」
「つける。……と申して、おれは貴様をつけた覚えはないぞ。第一貴様こそ始終おれの前に立って、歩きにくくてかなわん。いったいどこへ行くのだ」
「ヘヘヘヘ、御冗談で」
「ヘヘヘヘではない、いずこへ参るのかとそれをきいておるに」
「へえ。実はその、松島――へえ、松島見物でございます。松島やああ松島や松島や……」
「春に向かって松島見物とは結構な身分だな」
「ナニ、あまり結構でもございません」
「いや、結構だ。遠く俗塵(ぞくじん)を離れて天然の妙致(みょうち)に心気を洗う。その心がけがたのもしいぞ」
「恐れ入ります」
「なあに、恐れ入らんでもよい。おれもその松島へゆく途中だ。同道いたそう」
「え? では、あの、先生も松島へ?」
「さよう。一生に一度は見ておいてもよいところじゃからナ」
「ちッ! 仕方がございません。与吉もあきらめました。りっぱにお供しやしょう」
「これこれ、与吉と申したな。ただいまの挨拶はなんだ?」
「いえなに、こっちのことで――ごいっしょに行けばよろしいんでございましょう? ええ参りますとも! 松島だって、どこだって、こうなりゃ……」
「ア、これこれ与吉、黙って来るがよい」
 そこで。
 仏頂面の与吉と、笑いを噛みしめていかめしい顔を作った泰軒とが、妙なふうに肩を並べて歩き出したまではいいが、この二人の奇体な取合せに、朝早くさく山の町へ用たしに出る百姓などが驚いて道をよけている。
「先生! 先生はいつ江戸をおたちになったんで? たいそうおみ足が早うございますな」
「はははは、お前が松島に向かったと聞いてな、わしも急に思い立って出て来たのだ。足の早いのは貴様こそ、親は飛脚(ひきゃく)ででもあったかな?」
「かなわねえや先生にゃア」
 なんとかほどよくばつを合わせて歩きながら――。
 つづみの与の公、心中ひそかに思えらく。
 これはなんといっても相手が悪い。今ここで下手(へた)にあがこうものなら、かえってだにのように食いつきとおして、いっそうおもしろくないことになろうから、いいかげんにあしらっておいて、奥州本街道から横にはずれて相馬へ出ようとする福島の町ででも器用にずらかってやることにしようと。
 泰軒は泰軒でまた胸に一物(もつ)を蔵(ぞう)している。本所の鈴川方から誰かが中村へ援軍を呼びに旅立ったと聞いてその使者とは何者だろう? それによってこっちも大いに出かたがあると内心いきおいこんで追いついてみるとあにはからんや、対等の役者として太刀打ちもできないつづみの与の公だから、泰軒はいささか失望の感だった。こんな者をとっちめたところで、張り殺してみたところでつまらない。相手にするさえいさぎよしとしないので、それならばむしろいっしょに相馬中村まで与吉を見とどけて、かれが何十人かの剣団(けんだん)を案内して江戸へ戻る途中を擁(よう)し、ひさかた振りに根限り腕をふるって一大修羅場に死人(しびと)の山を築いてくれよう――こういう気だから表面はしごくのんきだ。
 これ、与吉、この徳利へ酒をつめて参れ。
 これ、与吉、ついでに金をたてかえておけ。
 これ、与吉、坂道でくたびれたから背後から押してくれ。コレ与吉、コレ与吉と、泰軒先生さかんに与の公を使いたてる。与の公もいま先生を怒らしちゃア厄介だと思うから何ごともヘイコラこれ命に従っているうちに。
 大田原――大田原飛騨(ひだ)守城下。一万一千四百石。
 白河の関――阿部播磨(はりま)守城下。十万石。
 二本松――丹羽左京太夫殿。十万七百石。
 このところ江戸より六十六里なり。
 ……で、これからあと四つの宿場で福島へ着くという、その二本松の町へはいったのが、江戸を発足してから八日目の夕ぐれだった。
 両側に並ぶ宿屋を物色しながらふと気がつくと、今までそばを歩いていた泰軒先生の姿が見えない!
 つづみの与吉、しめたッ! とばかりにいきなり眼の前の柳屋と行燈をあげたはたごへ飛びこんだ。
「いらっしゃいまし――お早いお着きでございます」
 二、三人の婢(おんな)が黄色い声を合わせる。

 二本松の町。
 諸国旅人宿(しょこくりょじんやど)、やなぎ屋のおもて二階。
 いま洗足(すすぎ)をとってあがって来たつづみの与吉、うす暗い一間へ通されてのっけからケチをつけてかかる。
 口の悪いのは江戸っ児の相場……それがこうして旅へ出ているのだから、何かにつけひとことわるくちをいわなければ腹の虫が納まらないという役得根性も手伝い、泰軒先生をたくみに振りおとした気でいる与の公は、もうすっかりいい気もちになって、
「チッ! こんなしみったれた部屋しかねえのか。馬鹿にしてやがら」
 と、ジロジロとそこらを見まわしてすわろうともしない。案内して来た女中も心得たもので、
「もっと宿料を奮発(ふんぱつ)なされば、あっちにいくらもいいお座敷があいておりますよ」
 これには与吉、ギャフンと参って、
「そりゃそうだろう。そうなくちゃアかなわねえところだ――人間万事金の世の中ってナ、アハハハ」
 どうも与の公ときたらうるさい野郎で、四六時中しゃべっていなければ気のすまないところへ、今は、泰軒という苦しい厄介がなくなったのだから、ひとしお上機嫌に口が多い。
 飯か湯かどっちを先にするときかれて、湯へはいりながら飯を食いてえ……などと勝手なことをしゃべり散らすので、女もあきれて降りていってしまう。
 あとで与吉が、宿の丹前に着かえて、力を入れてもたれかかるとひとたまりもなく折れそうな、名ばかりの二階縁の欄干にもたれて下の往来をのぞくと。
 うら淋しいながらに、ちょうど上(のぼ)り下(くだ)りの旅の人があわてて宿をとる刻限(こくげん)とて、客引きの声もかしましく、この奥州街道に沿う町にもさすがに夕ぐれはあわただしい。
 よごれた白壁。檐(のき)の低い瓦屋根のつづき。取りこむのを忘れた、色のさめた町家の暖簾(のれん)、灯のにじむ油障子。馬糞に石ころ……何をひさぐ店か、和田屋(わだや)と筆太に塗ったここらでの老舗(しにせ)らしい間口の広い家――そういったものが、迫りくる暮色のなかに雑然蕪然(ぶぜん)と押し並んで、立枯れの雑木ばやしを見るような、まことに骨さむい景色……。
 投入れのひからびている間(あい)の宿。
 与吉が、柄にもなくこんな句を思い出していささか悵然(ちょうぜん)としながら、あの乞食先生はどうしたろう? さぞ今ごろは泡をくらってこの与吉を探しているに違えねえ、ざまア見ろ! と心中に快哉(かいさい)を叫んだ時、廊下に面した障子が開いて人がはいって来た。
「恐れ入りますが、お一方(ひとかた)お相宿を願います」という番頭の挨拶にギョッ! とした与吉が振り向いてみると、越後の毒消し売りがひとり荷を抱えて割り込んで来ている。
 これで与吉はすこし気を悪くしたが、それでも、婢(おんな)が晩めしを運んで来て給仕をする。
「姐(ねえ)さん、この辺に飯盛はいねえのかえ」
「御飯ならわたしが盛(も)ってあげますよ」
「ちょッ! この飯じゃアねえや。こうッと、草餅よ。はははは、くさもちは、どうでエ?」
「くさもちはありませんが、かき餅が名物でござんす」
「笑(わら)わかしゃがらア! 草もちのかわりにかき餅とくりゃあ世話アねえ。にっぽん語の通じねえところだから情けねえ――それなら姐(ねえ)や、なんだぜ、今夜忍んで行くぜオイ。え? いいだろう?」
「あれ! 知りませんよ」
「なに、知らねえことがあるものか。お前みてえなべっぴんは江戸にも珍しい」
「ホホホ、それほどでもござんすまい――そんな殺し文句をまいて歩くと、あの女(ひと)がただはおきませんよ」
「何を言やんでえ!」
 などと与吉一流の無駄口をたたきながら飯をすまして、一風呂ザアッと流してくるからと按摩を頼み、手拭をぶらさげて突っかけ草履、与吉が廊下へ出たところへ、どこの部屋からかあまり粋とはいえない三味線の音……。
しぐれ降る浅茅(あさじ)ヶ原(はら)の夕ぐれに二こえ三声雁(かり)がねの、便り待つ身の憂きつらさ――。
 と来たときに、お節介(せっかい)な与の公、耳をおさえて、
「よしゃアがれッ!」
 と、どなりながら、暗い裏梯子を駈けおりると、とっつきが風呂場になっていて、ガヤガヤと人声がこもっている。
 男女混浴……国貞(くにさだ)画(えが)くとまではいかないが、それでも裸形(らぎょう)の菩薩(ぼさつ)が思い思いの姿態をくねらせているのが、もうもうたる湯気をとおして見えるから、与吉はもう大よろこび。
「あらよウッ! みなさん、ごめんねえ!」
 と、精々いなせに飛びこんでゆくと! 聞き覚えのある謡曲の声とともに、よもぎのような惣髪(そうはつ)のあたまが一つ、せまい湯船の隅にうだっている。
 はッ! と思うと与の公、ちょいと身体を濡らしただけで、そのまま女たちのあいだをこっそり抜け出て来ようとしたが、すでに遅かった。
「はっはッはっは、待っておったぞ!」
 と割れっ返るような大声といっしょに、泰軒先生がヌッと湯の中に立ちあがったから、与吉は妙な恰好に流し場にしゃがんで、
「おや! 先生でございますか。どうなさいましたかと、じつは御心配申しあげておりましたよ。でもまあ、よく御無事で、エヘヘヘ……」
「ひさしく会わんような挨拶だナ」
「いえね、全く。さっきこの柳屋の前の往来でひょいと気がつくてえと、先生のお姿がかき消すようにドロンでげしょう? あっしゃア――」
「しすましたり矣(い)と此家(ここ)へ飛びこんだのであろうが、ドッコイ! そうは問屋がおろさん。貴様もここへはいるだろうと思って、おれは一足先にあがったのだ」
「どうも質(たち)のよくねえわるさをなさいますよ。びっくりするじゃございませんか」
「ビックリではない。がっかりであろう。とにかく、ざっと暖まったらあがって来て、背中を流してくれ」
「あい。ようがす」
 とは答えたものの入って来た時の元気はどこへやら、与吉はがらりとしょげ返って、白く濁った湯に首を浮かべて一渡りそこらを眺めまわしたけれど、眼にはいる雪の肌もいっこうにこころ楽しくない。
 奥と入口に魚油の灯がとろとろと燃えて、老若男女の五百羅漢(らかん)。
 仕舞(しま)い湯のせいか女が多い。立て膝して髱(たぼ)をなでつける婀娜女(あだもの)、隅っこの羽目板へへばりついている娘、小桶(おけ)を占領して七つ道具を並べ立てた大年増、ちょっとの隙(すき)にはいだして洗い粉をなめている赤ん坊、それを見つけて叱る母親、いやもう大変なさわぎ。
 喧々囂々(けんけんごうごう)として湯気とともに立ちあがる甲高い声々……その間を世辞湯(せじゆ)のやりとり、足を拭く曲線美(きょくせんび)――与吉がいい気もちに顎(あご)を湯にひたしてヤニさがっていると、
「アアこれこれ与吉、ゆであがらんうちに出て来て流せ」
 はじまった! 仕方がないから三助よろしくの体(てい)で、大きな背中をごしごしこすり出すと、
「そんなことではくすぐるようで痒(かゆ)くてならん、もっと力を入れて! もっと! もっと!」
 与吉は真赤にりきんでフウフウ言っているが、泰軒はすこしも感じないと見えてしきりに強く強くとうながす。おかげで与吉はふらふらになってしまったのはいいが、いかにも乞食先生の下男のようで、なみいる女客の手まえ男をさげたことおびただしい。
 しかも、ようよう流しがすんだかと思うと、アアこれこれ与吉、湯を汲んで参れ、アアこれこれ与吉、脚をもんでくれ、アアこれこれ与吉……与吉がいくつあってもたりない始末。
 泰軒先生がさきにあがると、やっとのことで赦免(しゃめん)になった与吉、疲れをいやすどころか、かえってクタクタにくたびれきって部屋へ戻ったが!
 先生は階下の裏座敷。
 それに、相部屋の毒消し売りはぐっすり寝こんでいるようすだからまず怪しまれる心配はないと、急に思い立って湯の香のさめぬ身体を旅仕度にかため、ひどい奴で、往きがけの駄賃(だちん)に毒消し売りの煙草入れを腰に、ころんでもただは起きないつづみの兄イ、今夜のうちに二本松、八町目、若宮、根子町(ねこちょう)の四宿を突破して、朝には、福島からいよいよ相馬街道へ折れるつもり――用意万端ととのえて、そっと部屋を忍び出ようとしているところへ、
「今晩は、按摩の御用はこちらでございますか、おそくなって相すみません」
 宵の口に言いつけておいたあんまが来たので、その声に、ねている毒消し売りがムニャムニャ動き出す。
 あわてた与吉、とっさに端の障子を滑らして廊下に出るとにわか盲目とみえて、勘が悪く、まだなんとか言っているのをうしろに聞きながらもとより宿賃は踏み倒し、そのまま軒づたいに裏へ飛びおりてほっと安心!
 泰軒先生は委細御存じなく、白河夜船の最中らしい。
 こんどというこんどこそは、ものの見事にまいてやったぞ……。
 思わず会心の笑みとともに歩き出した与吉、振り返って見ると、宿の洩れ灯に屋号の柳の枝葉が映えて、湯上りの頬に夜風がこころよい。
 寂然たる天地のあいだを福島の城下まで五里十七丁。
 飯野山の峰はずれに月は低く、星の降るような夜だった。

  血筆帳(けっぴつちょう)

 堀の水は、松の影を宿して暗く静まり、塗(ぬ)りつぶしたような闇黒(やみ)のなかに、ほの白い石垣が亀甲(きっこう)につづいて大浪のごとく起伏する木立ちのむこうに、天守閣の屋根が夜空をついて望見される。
 刻をしらせる拍子木の音が、遠く余韻(よいん)をひいて城内に渡っていた。
 外様(とざま)六万石として北東の海辺に覇(は)を唱える相馬大膳亮(そうまだいぜんのすけ)殿の湯池鉄壁(とうちてっぺき)、中村城のそと構えである。
 寒星、風にまたたいて、深更霜凜烈(しんこうしもりんれつ)。
 町家、城中ともに眠りについて、まっくらな静けさが限りなく押しひろがっている……。
 と!
 なんに驚いてか、寝ていた水禽(みずどり)が低く飛び立ってバサと水面を打った時!――大手の並木みちを蹣跚(よば)うように駆け抜けてきて、そのままタタタ! と二足三あし上(あ)げ橋の板を鳴らしてお城のなかへ踏みこもうとした人影がひとつ。
 見とがめた番士数名。たちまちばらばらッと躍り出て六尺棒を又の字に組み、橋の中央にピタリとこれをおさえてしまう。安房(あわ)は貝淵(かいぶち)、林駿河守の案技になり、貝淵流(かいぶちりゅう)の棒使い海蘊絡(もくずがら)めの一手――。
「何奴(なにやつ)ッ!……無礼者ッ! さがれッ!」
 鋭い声ながら、夜ふけのあたりをはばかって低いのがかえってものすごくひびいた。
「へ!」
 と答えるともなく、押し戻される拍子にベタリとその場へ膝をついた件(くだん)の男……つづみの与吉はだらしなく肩息のありさまだった。
 むりもない。
 ゆうべ夜中に二本松で泰軒先生に置いてけぼりを食わせてから、五里の山道をひた走りに明け方には福島に出て、そこから東へ切れて舟地(ふなち)の町で三春川を渡り、九十九折(つづらおり)の相馬街道を無我夢中のうちに四里半、手土(てつち)一万石立花出雲守の城下を過ぎ、ふたたび夜の山坂を五里半……いのちがけに走りとおして、今ようようこの相馬中村へ到着したところだから、さすがの与の公、洗濯物をしぼって叩きつけたようにぐったりとなっているわけ。
 一昼夜、飲まず食わずに険路十五里――それというのも、左膳の用命を大事にと思うよりは与吉としては正直、泰軒先生がこわいからで――。
 ところが、何度ふり返っても先生は影も形も見えなかった。
 しかし柳屋の一件で見てもわかるとおり、どこをどう先まわりして、いつひょっこり眼前へ現れないものでもないと、与吉は、問屋場のお休み処を横目ににらんで、ひたすら痩脛(やせずね)をカッとばして来たのだが、やはり泰軒は与吉の脱出を知らずに、柳屋の裏座敷で大いびきをかいていたものとみえ、とうとう与吉がこの中村に着くまで、泰軒のにおいもしなかったのだった。
 りっぱにあの羽がい締(じ)めをのがれ得た。
 ああ見えてもこのつづみにかかっちゃア甘えもんだと、与吉はいっそう足を早めて、見えぬ泰軒に追われるように絶えず小走りをつづけて来たのだ。
 で、今。
 はね橋の真ん中にガッタリ手をついた与吉。
「水……おなさけ、水を……! え、江戸の、タ、丹下左膳様からお使いに参ったものでござります。ど、どうぞ水をいっぱい……」
 と聞いて、びっくり顔を見合わせたのは番士達。
 仔細は知らぬが、出奔した丹下左膳が立ち帰って参ったなら門切れであろうと苦しゅうない、ただちに手厚く番所へ招じ入れて上申するようにと、ふだん組頭から厳命されているその丹下の急使というので[#「というので」は底本では「とういので」]、一同、与吉を城内へ許しておいて、すぐひとりが、何人もの口を通して宿直(とのい)の重役へ伝達する。
 重役から茶坊主、坊主からお側(そば)小姓と順をふんで、それから国主大膳亮の耳へ――。
 早速これへ!
 となって、城内に時ならぬ人の動き。
 とりあえず焚(た)き火をあたえられて暖をとっていたつづみの与吉、旅仕度のまんまでお呼び出しに預かり、火焔をうつして樹影あざやかなお庭を、案内の近侍について縫ってゆくと、繁みあり、池水あり、数奇結構をこらしてさながら禁裡仙洞(きんりせんどう)へ迷いこんだおもむき。
 夢のような夜景色といおうか……ぼんやりした与の公が、キョトキョトあちこち見まわしながら、とある植えこみから急に広い芝生へ出たときだった。
 さきに立つ若侍がしいッ! と声をかけたので、あわてて頭をさげた与吉、気がついてみると、遙か向うのお縁側にくっきりと明るい灯がうかんで、二、三の人影が豆のように小さく並んで見える。
 まだよほど遠いが、それでもここから摺(す)り足に移った。

 骨を刺す寒夜ににわかの謁見(えっけん)だった。
 縁ちかく敷居ぎわに、厚い夜の物を高々とのべさせ、顎を枕に支えて腹這(はらば)いになっている国主大膳亮は、うち見たところ五十前後の、でっぷり肥った癇癖(かんぺき)らしい中老人である。
 広い頭部、大きな眼……絶えず口尻をヒクヒクさせて、ものをいうたびに顔ぜんたいが横にひきつる。
 大きな茶筅髪(ちゃせんがみ)を緋(ひ)の糸で巻いたところなど、さすがに有名な変物(へんぶつ)だけあって、白絹の寝巻の袖ぐちを指先へ巻いて、しきりに耳垢(みみあか)を擦りとってはふっと吹いている。
 が、眼は、射るように近づいて来る与吉に注がれていた。
 燭台の光が煌々(こうこう)とかがやき渡って、金泥(きんでい)の襖(ふすま)に何かしら古(いにしえ)の物語めいた百八つの影を躍らせているのだった。
 剣怪丹下左膳の主君、乾坤二刀の巴渦(ともえうず)を巻き起こしたそもそもの因たる蒐剣狂愛(しゅうけんきょうあい)の相馬大膳亮(だいぜんのすけ)が、この深夜に、寝床の中からつづみの与吉に対面を許して、左膳の秘使を聞きとり、それに応じてさっそく対策を講じようとしているところ……。
 江戸へ出て以来無音(むいん)の左膳から突如急使が到着したと聞いて何事? とすぐさま端近く褥(しとね)を移させたのだが、どうせ代人が手ぶらでくる以上、大した吉報でないのに相違ないと、こうして与吉を待つあいだも、癇癪(かんしゃく)もちの大膳亮、ひとりさかんにいらいらして続けざまに舌打ち――。
 まえはいちめんの広庭。
 遠くからこの寝間の光が小さく四角に浮き出で、灯のはいった箱船のように見えた時、与吉はいよいよお殿様へお眼通りだナと胸がドキンとしたが、なあにたかが田舎大名、恐れるこたアねえやな……こう空(から)元気をつけて、申しあぐべきことづけを口の中で繰り返しながら、飛石を避けて鞠躬如(きくきゅうじょ)、ソロリソロリと御前へ進んで、ここいらと思うと、はるか彼方(かなた)にぴたりと平伏しようとすると、
「チッ、近う! ち、近う、ま、参れッ!」
 と、どなりつけるようなお声がかり。
 大膳亮はいう。
「タタタタタタタッ……たッ、たたたッ丹下左膳カ、から、ッ、つ――ツ、使いに来たというのは、そ、そのほうかッ……」
「さ、さようでごぜえます」
 思わず釣りこまれてどもった与吉はッとして眼をあげたとたん、大柄な殿様の顔が、愛(う)いやつとでも言うようにニッコリ一笑したのを見た。
 こいつぁ江戸張りに生地(きじ)でぶつかってゆくに限る――与吉は早くも要領をつかんだ。
 同時に、大膳亮が四辺(あたり)を見まわして、
「モ、者ども、密談じゃ! 密談じゃ! 遠慮せい、遠慮!」
 やつぎ早に喚(わめ)きたてると、暗くて見えなかったが、左右の廊下にいながれていたお側用人、国家老をはじめ室内の小姓まで、音ひとつたてず消えるようにひきとって行く。
 与吉をうながして、縁の直下までつれていっておいて案内の若侍も倉皇(そうこう)と退出した。
 後には。
 相馬大膳亮とつづみの与の公、水入らずの差し向いである。大膳亮は蒲団から首だけ出して、与吉は、下の地面にへい突くばって。
 珍奇な会談は、まず大膳亮から口をきられた。
「こここ、これ、タッタッ丹下……は無事か」
「お初にお眼にかかりやす。エ、手前ことは江戸は浅草花川戸、じゃアなかった、その、駒形のつづみの与吉――ッてより皆さんが与の公与の公とおっしゃってかわいがってくださいまして……」
「だッ、黙れ、黙れ! ダダ、誰が貴様の名をきいた?」
「へい」
「タタタタ、丹下は無事かッと申すに」
「へえ。さればでござりまする。どうもお殿様の前でげすが、あの方ぐれえ御無事な人もちょいとございませんで、へい[#「ございませんで、へい」は底本では「ございませんで、 へい」]」
「ナ、何を言うのか。き、貴様の言語は余(よ)にはよく通(つう)ぜん」
「なにしろ、やっとうのほうがあのお腕前でございましょう? 江戸中の剣術使いが一時にかかったって丹下様には太刀打ちできねえという、いえ、こりゃアまあ、こちとら仲間の評判なんで……お殿様もお眼が高えや、なんてね、しょっちゅうお噂申しあげておりますでございますよ、お噂を、ヘヘヘヘ失礼ながら」
 何がどうしてなんとやら――自分でもいっさい夢中で、ただもうここを先途(せんど)とべらべらしゃべりたてている与吉を大膳亮は、いささかあきれてのぞきこみながら、
「キキ、貴様、気がふれたか」
 と言いかけたが、寒がりの大膳亮、夜風を襟元へうけて、すばらしく、大きな嚔(くしゃみ)を一つ――ハックシャン!
 これに驚いて与の公、きょとんとしている。
 そのうちにだんだん落ち着いてきた与吉が、ますます縁の真下へにじり寄って、丹下左膳からいいつかって来たことを、思い出し思い出し申しあげると!
 黙って聞いていた相馬大膳亮、大柄な顔が見るみるひき歪んで、カッと両眼を見ひらいたばかり、せきこんで来ると口がきけないらしくやたらに鼻の下をもぐもぐさせて床から乗り出して来た。
 その半面に、明りが奇怪にうつろう。
 ――関の孫六夜泣きのかたな……乾雲(けんうん)丸と坤竜(こんりゅう)丸。
 丹下左膳が、昨年あけぼのの里なる小野塚鉄斎、神変夢想流(しんぺんむそうりゅう)の道場を破って、巧みに大の乾雲丸を持ち出したことから、その後のいきさつ、覆面(ふくめん)火事装束の一団の出現、坤竜の諏訪栄三郎に蒲生泰軒という思わぬ助けがついていて、おまけに左膳が顎(あご)を預けている本所の旗本鈴川源十郎があんまり頼みにならないために諸事意のごとく運ばず、乾雲は依然として左膳の手にあるものの、いまだに二剣ところを別して風雲(ふううん)急(きゅう)を告げ、左膳は今どっちかというと、苦境におちいっているかたち……これらの件を細大(さいだい)洩らさず、順序もなしに与吉は、じぶんのことばでベラベラと弁じあげたのち、エヘン! とちょっとあらたまって、
「さてお殿様……そこで、丹下さまがこの与の公におっしゃるには。なア与の公、ここはいってえどうしたものだろう? 汝ならなんとする? とネ、こう御相談に預かりましたから、与の公もない智恵(ちえ)をしぼりあげて申し入れましたんで――そりゃア丹下様ッ、てあっしゃ言いましたよ。へえ、そりゃ丹下さま、かくかくかようになさいませ。お郷里(くに)もとのこちらへ援兵を願って……うん! 名案! それがいい! と、丹下さまアわかりが早えや。うん、それあいい。が、その使者には[#「使者には」は底本では「使者にわ」]誰が参る? ッてことになりやして、つづみの与吉がお役に立ちますならば願ってもない幸いとわたしがこう反(そ)っくり返りましてね、この胸をぽんと一つ叩きましたところが、おお! それでは与吉、貴様が行ってくれるか。なんの左膳さま、一度つづみがおひき受けしましたうえからは、たとえ火のなか水の中、よしやこの身は粉になろうともまアあんたは大船に乗った気で――おお、そんなら与吉頼んだよ。あいようがす……なアんてね、へえ、それでその、私が奥州街道を一目散(もくさん)……アアくたびれた」
「…………」
「ところがお殿様、ここにふしぎともなんとも言いようのねえことにゃア、その泰軒という乞食先生がね、どうしてあっしの中村行きをかぎつけたものか、それを考えると、与吉もとんと勘考(かんこう)がつかねえんだが、ウヘエッ! ぶらりと小金井に来ていやしてねえ、それからズウッととんだお荷物のしょいづめでございましたよ、いえ、全く」
「――――」
「が、だ。御安心なせえ、お殿様、あっしも駒形の与吉でございます。この先の二本松の宿でね、きれいにまいてやりましたよ。その時もあなた、わたしがお風呂へ行ったとお思いくださいまし……するてえと驚きましたね、お殿様のめえだが裸体(はだか)の女が、ウヨウヨしてやがる、その真ん中に今の泰軒てえ乞食野郎が、すまアしてへえってるじゃあございませんか」
「…………」
「ま、与吉も骨折り甲斐がございました。へえ、こう申しちゃなんですが、左膳さまがおっしゃるには、礼のところは必ず見てやる、てんでネ、なあに、お礼なんか受ける筋合いでもなけりゃあ、またそれほどのことでもございませんで、ヘヘヘヘヘヘ大笑いでございましたよ」
「――――」
 与吉が舌に油をくれて何を言っても、大膳亮はうなるだけで、今まで岩のように黙りこくっていたが。
 情が迫ると咽喉(のど)につかえて言葉の出ない大膳亮は、この時ようよう与吉のもたらした驚愕(きょうがく)と不安から脱しきれたものか、血走った眼を急にグリグリさせて乗るようにきき返した。
「ソ、それで、タ、丹下は、助剣(じょけん)の人数がほしいと言うのだな?」
「へえ。腕っこきのところを束(たば)でお願い申したいんで」
「キキキ貴様が、あ……案内して江戸へ戻るというのか」
「はい。さようで」
「うう――いつ、いつ、たつ?」
「へ、そりゃアもう明朝早くにでも発足いたします。丹下様がお待ちですし、それにこの際一刻を争いますから……」
「ウム!」と強くうなずいた大膳亮、同時に鋭い眼光を左右へくばって、
「こ、これ! たたたッ誰(た)そある!」
 相馬藩中村の城下はずれに、月輪一刀流の鋭風をもって近国の剣界に君臨している月輪軍之助の道場へ、深夜、城主の定紋をおいた提灯が矢のように飛んだ。
 軍之助へ、お城から急のお召し。
 何ごとであろう?……と、とるものもとりあえず衣服をあらためた剣精軍之助は、迎えの駕籠に揺られてただちに登城をする。
 そして、さっそく御寝の間へ通されてみると。
 国主大膳亮はこの夜更けにねもやらず、夜着をはねて黙然(もくねん)と端座したまま瞑想にふけっているようす、つづみの与吉はすでに、ねんごろに下部屋へさげられて休養したあとだった……。
 その夜、大膳亮は月輪軍之助にいかなるところまで打ち明け、しかして何を下命したか。
 偏執果断の大主大膳亮、吃々(とつとつ)としてこういっただけである。
「ヒ、人殺しの好きな者を、さ、さ、三十人ほどつれて江戸へくだってはくれぬかの? 仔細はいけばわかる。ア、あの、タッ、たたたッ丹下、舟下左膳の助太刀(すけだち)じゃ。余から頼む、おもてだって城内のものをやられん筋じゃ。で、ココ、ここは、ど、どうしても軍之助、ソ、そちの出幕(でまく)じゃ。シ、真剣の場を踏んだ、ク、クッ屈強な奴ばらをそちの眼で選んでナ、迎えが来ておるで、その者とともに三十名、夜あけを待って早々江戸へ向かってもらいたいのじゃ。よいか[#「もらいたいのじゃ。よいか」は底本では「もらいたいのじゃ。 よいか」]、しかと承引(しょういん)したな」
「殺剣(さつけん)衆にすぐれし者のみを三十名。はア。心得ましてござりまする、何かは存じませねど、かの丹下殿とはわたくしも別懇(べっこん)のあいだがら……殿のおことばがなくとも、必要とあらばいつにても助勢を繰り出すべきところ――しかも、お眼にとまってわたくしどもへ御芳声(ごほうせい)をいただき、軍之助一門、身にあまる栄誉に存じまする」
「うむ。デ、では、ヒ、ひきとって早く手配をいたすがよい」
「ははッ! わたくしはもとより門弟中よりも荒剣の者をすぐりまして、かならず御意に添い奉る考え、殿、御休神めされますよう……」
「ウム、たたたたッたのもしきその一言、タ、大膳亮、チ、近ごろ満足に思うぞ」
 ――いかに刀剣に対して眼のない溺愛(できあい)の大膳亮とはいえ、もし彼が、この北境僻邑(へきゆう)にすら今その名を轟かせている江戸南町奉行の大岡越前が、敵方蒲生泰軒との親交から坤竜丸の側にそれとなく庇護(ひご)と便宜をあたえていると知ったなら、大膳亮といえどもその及ばざるを覚り、後難を恐れて、ここらでさっぱりと己(おの)が迷妄(めいもう)を断ちきり、悶々(もんもん)のうちにも忘れようとしたことであろうが、このつるぎのふたつ巴(どもえ)に関連して、大岡のおの字も思いよらない大膳亮としては、すでに大の乾雲を手にして、いまはただの小の坤竜にいき悩んでいるのみと聞いては、二剣相ひくと言われているだけに、いま手をひいて諦めることは、かれの集癖の一徹念がどうしても許さなかった。
 生命がけでほしいものへ今にも手が届きそうで、そこへ思わぬじゃまがはいったすがた……。
 阻(はば)まれれば阻まれるほど燃えたつのが男女恋情のつねならば、夜泣きの刀にひた向く相馬大膳亮のこころは、ちょうどそれだったといわねばなるまい。
 世の常心(じょうしん)をもって測ることのできない、それは羅刹(らせつ)そのものの凝慾地獄(ぎょうよくじごく)であった。
 かくまでも刃にからんでトロトロとゆらめき昇る業炎(ごうえん)……燭台の灯が微かになびくと、大膳亮は、大熱を病む人のごとくにうなされるのだった。
「おお! サさ左膳か――デ、でかしたぞ! ソその乾雲を離すな! 離すな! 今にナ、ググググ軍之助が援軍を率いて参るから、そち、彼とともに統率(とうそつ)して、キキキ斬って斬って、斬りまくれ! なあに、かまわぬ! カカカッ構わぬ……ううむ!――なんと? か、か、火事装束(しょうぞく)! おのれッ何やつ? トトト脱(と)れ覆面(ふくめん)を? ウヌ! 覆面を剥(は)がぬかッ! ツウッ……!」
 そして。
 ともし灯(び)低く、白(しら)みわたる部屋にこんこんと再び眠りに沈んだ大膳亮――畢竟(ひっきょう)これはうつし世の夢魔(むま)、生きながらに化した剣魅物愛(けんみぶつあい)の鬼であった。
 明けゆく夜。
 城外いずくにか一番鶏(どり)の声。
 やがて、お堀ばたの老松に朝日の影が踊ろうというころおい。
 中村の町の尽(つ)きるところ、月輪一刀流月輪軍之助(つきのわぐんのすけ)の道場では、江戸へつかわすふしぎな人選の儀が行なわれているのだった。
 月輪一刀流……とは。
 天正文禄(ぶんろく)の世に。
 下総(しもうさ)香取郡飯篠村の人、山城守家直(やましろのかみいえなお)入道長威斎、剣法中興の祖として天心正伝神道流(しんとうりゅう)と号していたが、この家直の弟子に諸岡(もろおか)一羽(う)という上手(じょうず)あり、常陸(ひたち)えど崎に住んで悪疾を病み、根岸兎角(とかく)、岩間小熊、土子泥之助なる三人の高弟が看病をしているうちに、根岸兎角はみとりに倦(あ)き、悪疾(あくしつ)の師一羽を捨て武州に出で芸師となり、自派を称して微塵(みじん)流とあらため世に行われた。
 ところが。
 あとに残った小熊と泥之助は、病師の介抱を怠らず、一羽が死んでのち、兎角(とかく)のふるまいをもとより快からず思って、両人力をあわせ一勝負して亡師の鬱憤(うっぷん)をはらそうとはかり、ついに北条家の検使を受け、江戸両国橋で小熊と兎角立ち会い、小熊、根岸兎角を橋上から川へ押しおとして宿志をとげた。
 根岸兎角は、師の諸岡一羽のもとを逐電(ちくでん)して、はじめ相州小田原に出たのだが、この兎角、伝うるところによれば、丈(たけ)高く髪は山伏のごとく、眼に角(かど)あり、そのものすごいこと氷刃のよう――つねに魔法をつかい、人呼んで天狗の変化(へんげ)といい、夜の臥所(ふしど)を見た者はなかった。
 愛宕山(あたごやま)の太郎坊(たろうぼう)、夜な夜なわがもとに忍んで極意秘術を授(さず)けるといい広め、そこで名づけたのがこの微塵流(みじんりゅう)。
 その後江戸に出て大名、小名に弟子多かったが、三年たって諸岡一羽が死ぬと、相弟子の岩間小熊と土子泥之助、兎角を討ちとるために籤(くじ)を引き、小熊が当たって江戸へのぼる。泥之助は国にとどまり、時日を移さず鹿島明神に詣でて願書一札を献納した。
 敬白願書奉納鹿島大明神宝前(ほうぜん)、右心ざしのおもむきは、それがし土子泥之助兵法の師諸岡一羽亡霊(ぼうれい)は敵討ちの弟子あり、うんぬん……千に一つ負くるにおいては、生きて当社に帰参し、神前にて腹十文字にきり、はらわたをくり出し、悪血をもって神柱(かんばしら)をことごとく朱にそめ、悪霊になりて未来永劫(えいごう)、当社の庭を草野となし、野干(やかん)の栖(ねぐら)となすべし――うんぬん。
 文禄(ぶんろく)二年癸巳(みずのとみ) 九月吉日 土子泥之助……というまことに不気味な強文言(こわもんごん)。
 これがきいて神明おそれをなし霊験ことのほかあらたかだったわけでもあるまいが、両国橋の果し合いでは確かに岩間小熊が勝ったのだけれど、その仕合いの模様にいたっては、群書(ぐんしょ)おのおの千差万別、いま真相をつまびらかにする由もない。しかし、これが当時評判の大事件だったことは疑いなく、奉行のうちに加わって橋詰から目睹(もくと)していた岩沢右兵衛介(うひょうえのすけ)という仁(ひと)の言に、わが近くに高山豊後守(ぶんごのかみ)なる老士ありしが、この両人を見て、いまだ勝負なき以前、すわ兎角まけたりと二声申されしを不審におもい、のちその言葉をたずねしに、豊後守いいけるは、小熊右に木刀を持ち左手にて頭をなで上げ、いかに兎角と言葉をかくる。兎角、さればと言いて頬ひげをなでたり。これにて高下(こうげ)の印(しるし)あらわれたり。そのうえ兎角お城に向かいて剣をふる。いかで勝つことを得ん。これ運命の告(つ)ぐる前表也と――。
 とにかく。
 その時、小熊は兎角のために橋の欄干へ押しつけられ、すでに危うく見えたのだったが、すもう巧者の小熊いかがしけん。兎角の片足を取って橋の下へ投げおとし、同時に脇差を抜いて、八幡これ見よと高声に呼ばわりながら欄干を切った……この太刀跡、かの明暦三年丁酉(ひのととり)正月の大火に両国橋が焼けおちるまで、たしかに残っていたそうである。
 さて。
 兎角(とかく)、悪いやつは滅びる――などと洒落(しゃれ)てみたところで、そんなら、この根岸兎角の微塵流剣法、これで見事に、それこそ微塵となって大川に流れ果てたかというにそうではない。
 撃剣叢談(げきけんそうだん)巻の二、微塵流のくだりに。

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