丹下左膳
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著者名:林不忘 

「お! こんなところに部屋があります」
 という若い声。すると年老った声がそれに答えて、
「ほほう。ここから戸外(そと)へ出られぬかな?」といっているから、さてははいってくるかも知れぬと思うまもなく、サッと板戸があいて、老若ふたりの浪人姿が黒い影となって戸口をふさいだ。そして暗い室内をしばらくのぞいているようだったが、やがて、ここからは出られぬことを見たものらしく、軽い失望の言葉を捨てて戸を閉(し)めた。
 二人の足音が遠ざかって、そのうちに台所ぐちからでも屋敷を出離れて行ったけはい。
 これを娘お艶の男の栄三郎と知らぬおさよは、ほっとしてまた耳を傾けた。
 今ふたり出ていったにもかかわらず、庭にはまだ剣のいきおいが漂(ただよ)って、撃ちあうひびき、激しい気合いが伝わってくる。
 栄三郎に泰軒としては。
 この鈴川の屋敷に、お艶の母おさよ婆さんが下女奉公にあがっていて、それがお艶が逃げたことから源十郎にひどいめにあわされているらしいと知っていたので、ついでに助け出したいとも思って納戸まであけてみたのだったが、世の中にはこういう変なことがすくなくない。救いを求める人と、救う目的でさがす人とが一度はこんなに近く寄りながら、たがいに相手を知らずにそのまま過ぎてしまう――これも人間一生の運命(さだめ)を作る小さなはずみのひとつかも知れなかった。
 夜もすがらの雨に、ようやく明けてゆこうとする江戸の朝。
 やがて……。
 泰軒と栄三郎が、遠く鈴川の屋敷をはなれたころ。
 ほかの側の外塀(そとべい)にぴったりついて、先刻から供(とも)待ち顔に底をおろしている五梃の駕籠(かご)があった。
 江戸の町では見かけない山駕籠ふうの粗末なつくりだが、陸尺(ろくしゃく)は肩のそろった屈強なのがずらりと並んでいて、
「エオ辰(たつ)ウ、コウ、いやに長く待たせるじゃあねえか」
「さようなあ。もういいかげん出てきそうなもんだが、こう長くかかるところを見るてえと、こりゃあひょっとすると大物のチャンバラだぜ。なあ勘(かん)」
「あたりめえよ。荒療治(あらりょうじ)だなあ。ちったあ手間のとれるなあ知れきったこった」
「それあいいが先にもだいぶんできてるのがいるっていうじゃあねえか」
「そのかわり、こっちだって一粒選(よ)りだ。なあに、案ずることあねえやな」
「俺(おれっ)チだっていざとお声がかかりゃあ飛びこんでって暴れるんだ。先生ら、こう、ぴかつく刀を振りまわしてよ、エエッ……なんてんで、畜生ッ、うまくやってるぜ」
「全くだ。おれも乗りこんでやってみてえなあ」
「シッ! おおい、みんな! 声が高えぞ!」
「黙ってろ黙ってろ! それより、用意はいいな。お出になったらすぐ往くんだ。コウレ、七公、尻(けつ)ウさげろってことよ」
 わいわい言いあっているが――。
 多少わけ知りらしい口調といい、ことに、この十人の男が、いずれも六尺近い、仁王のような頑丈(がんじょう)なのばかりがそろっていることといい、決して普通の駕籠舁(か)きとはうけとれない。
 この、力士のような堂々たる人足(にんそく)が十人、いっせいに鈴川方の塀の木戸へ眼をあつめていると、はたして、パッと内部から戸を蹴りあげて走り出た五人の火事装束!
 首領らしい老人を先頭に、それぞれ抜き身を手に、すばやく駕籠へおさまると、
「そら来た! やるぜ!」と合図の声。
 五つの駕籠がギイときしんで地を離れたかと思うと、棒鼻(ぼうはな)をそろえて――。
 エイ、ハアッ!
 ハラ、ヨウッ!
 見るまに駈け出した五つの駕籠、早くも朝寒の雨にのまれて、通り魔の行列のように、いずくともなく消えてしまったが、それは実に驚くべき迅速(じんそく)な訓練であった。
 どこから来てどこへ去ったとも知れない五つの駕籠!
 その中の火事装束の五人の武士。
 かれらもまた、乾坤二刀を奪ってひとつにせんとするものであろうか?……とにかく、江戸の巷に疾風のごとき五梃駕籠が現われたのはこの時からで、あとには、一夜の剣闘に荒らされた鈴川の屋敷に、朝の光になごむ氷雨がまたシトシトとけむっていた。

   合(あ)わせ鏡(かがみ)

 冬らしくもない陽がカッと照りつけて、こうして日向(ひなた)に出ていると、どうかすると汗ばむくらいだ。
 ウラウラと揺れる日の光のにおいが、障子に畳にお神棚(かみだな)に漂って、小さなつむじ風であろう、往来の白い土と乾いた馬糞(ばふん)とがおもしろいようにキリキリと舞いあがって消えるのが、格子戸ごしに眺められる。
 裏の銭湯で三助を呼ぶ番台の拍子木(ひょうしぎ)が、チョウン! チョウン! と二つばかり、ゆく年の忙(せわ)しいなかにも、どこかまだるく音波を伝える。と、それを待っていたかのように、隣家の杵屋(きねや)にいっせいにお稽古の声が湧いて、きイちゃん、みイちゃんの桃割れ達が賑やかに黄色い声をはりあげた。
 くろウ、かアみイの、ツンテン。
 むすウぼオれエた――るうウウ。
 錆(さ)びたお師匠(ししょう)さんの声が、即(つ)かず離れず中間を縫ってゆく。
 ……聞いている喜左衛門(きざえもん)の皺(しわ)の深い顔に、思わず明るい微笑がみなぎると、かれは吸いかけた火玉をプッ――と吹いて、ついで吐月峰(はいふき)のふちをとんとたたいた。
 三十番神の御神燈に、磨(みが)き抜いた千本格子。
 あさくさ田原町三丁目家主喜左衛門の住居である。
 長火鉢のまえに膝をそろえた喜左衛門は、思いついたように横の茶箪笥(ちゃだんす)から硯箱(すずりばこ)をおろして、なにごとか心覚えにしたためだした。
 こう押しつまると、年内にかたづけたい公事用が山のようにたまっているところへ、きょうも朝から何やかやと町内の雑事を持ちこまれて、茶一つゆっくりのんでいられないのだった。
 走り奴(やっこ)の久太(きゅうた)が、三が日(にち)の町飾りや催し物の廻状(かいじょう)を持ってきたあとから、頭(かしら)の使いが借家の絵図面を届けてくる。角の穀屋(こくや)が無尽(むじん)の用で長いこと話しこんで行ったばかりだ。
「いやはや!」と喜左衛門はつぶやいた。「こういそがしくちゃ身体が二つあってもたりねえ」
 と、ふと彼は考えこんで、そのまま筆を耳にはさんで腕を組んだ。
 屈託顔(くったくがお)。
 もとの店子(たなこ)おさよ婆さんの一件である。
 三間町の鍛冶(かじ)屋富五郎、鍛冶富に頼まれて、奥州の御浪人和田宗右衛門(わだそうえもん)とおっしゃる方を世話してこの三丁目の持店(もちだな)のひとつに寺子屋を開かせた。が、まもなく宗右衛門は死んでしまう、あとに残ったおさよお艶(つや)の親娘(おやこ)の身の振り方については、鍛冶富ともよく談合したうえ、おさよ婆さんのほうは、じぶんと富五郎が請人(うけにん)にたって本所法恩寺橋まえの五百石お旗本鈴川源十郎様方へ下女にあげ、娘のお艶には、これも自分が肝(きも)いりで、当時売り物に出ていた三社(さんじゃ)前の掛け茶屋当り矢を買いとってやらせてみたのだったが……。
 鍛冶富は、人のうわさによれば、だいぶお艶に食指が動いてそのために、金もつぎこめば、また到底(とうてい)そのほうの望みがないとわかってからは、かなり激しく貸し金の催促もしたようだけれど。
 おれはただ、店子といえば子も同然、大家といえば親も同然――という心もちから、慾得(よくとく)離れてめんどうをみただけのことなのだ。
 それだのに。
 お屋敷へあがったおさよからは、便りどころかことづて一つあるではなし、娘は娘で、勝手に男をこしらえて今はどこにどうしているとも知れず店をしめて突っ走ってしまった。
 お艶は何をいうにも若い女のこと、ただ折角(せっかく)のこの家に敷居が高くなるだけで、それも言ってみれば自業自得(じごうじとく)だが、婆さんは年をくっているくせにあんまりとどかなすぎる。が、そんなことを一々怒っていた日には、家主は癇癪(かんしゃく)が破裂して一日とつとまらぬ。とはいえ、聞くところでは鈴川様は、大して御評判のよくないお屋敷だとの人の口もある。あれやこれやを思い合わせると、苦労性だけに喜左衛門は、お艶の身の上といい、とりわけおさよ婆さんのことがどうもこのごろ気にかかってならないのだ。
「娘っこも娘っこだが、おふくろもおふくろだて」
 われ知らず口に出た喜左衛門へ、女房が茶(ちゃ)の間(ま)へはいってきて受け答えをした。
「お前さん、おさよさんとお艶坊(ぼう)のことを気におやみだねえ」
「うん。虫の知らせと言おうか。なんとなくこう胸騒(むなさわ)ぎがしてならねえ」
「そうだねえ。そう言えばわたしもこの二、三日あの親娘の夢見が悪いのさ。どうだろう、いっそ本所のお屋敷へうかがってみては?」
「うん……そうよなあ」
 と喜左衛門が生(なま)返事を洩らした時、勢いよく格子があいて、
「おうッ、喜左衛門どん、いるかね!」

「押しつまりましたね」
 鍛冶富は、すわるとすぐ煙草(たばこ)入れをスポンと抜いてから言った。
「御多用でごわしょう……」
 ぽつんとこたえて、喜左衛門は気がなさそうである。鍛冶富はクシャクシャと顔中をなでまわして、
「いえね。なんてえこともなく、ただこう無闇(むやみ)に気ぜわしくてね、ははは、やりきれません」
 で、今さら、年の瀬の町の騒音が身にしみるようにそしてそれを噛んで味わうように、二人はちょっと下を向いてめいめいの手の甲をみつめた。
 喜左衛門の女房(にょうぼう)が茶を入れてすすめる。
 ふたりはいっしょに音を立ててすすった。
 喜左衛門は髪も白いほうが多く、六十の声をかなり前に聞いたらしい年配だが、富五郎は稼業(かぎょう)がら、おまけに今でも自ら重い槌(つち)を振っているだけあった。年齢も喜左衛門よりははるかに下だけれど、それにしても頑丈な身体つきをしている。腕っぷしなぞ松の木のようだ。
「なあ喜左衛門どん」
「はい」
 しばらく何かもそもそしていた鍛冶富は、やがて思いきったように口をひらいた。
「おさよさんのこってすがね――」
 と聞いて、喜左衛門が、ほん、ほん! というような声を立てて急に膝を乗り出すと、鍛冶富もそれに勢いがでて、
「いや、お笑いになるかも知れねえが、ちょいとその、鈴川様のお屋敷について嫌なことを聞きこみしたんでね……」
「ほ! なんですい?」
「まあさ、あそこへおさよさんを入れたのは、お前さんとわたしが請人(うけにん)。請人と言えば親もと代りのもんだから先方から変な噂を耳にするにつけて、わたしもいろいろと気をもんでいましたがね、今度はどうも聞きっ放しにならねえから、こうしてお話しにあがったようなわけで――」
「はい。いや、殿様のお身持ちのよくねえことやなんかは、わしもちょくちょく聞いておりましたがな、はい、一体全体まあどんなことが起こりましたい? 実はな富さん、おさよ婆さんのことといい、あのお艶坊のほうといい、今度の和田さんの後始末にだけはこの爺(じじ)いも手をやきましたよ。もう人の世話はこりごりだといつも婆(ばあ)さんとこぼしているくらいさ。ま、お前さんのまえだが、わしもこの件にはえらく気を使ってな、いっそのこと出かけていって、おさよさんを願いさげてお前さんにでも引きとってもらおうかと、今も、なあ婆さんや、はい、これとね、まあ、話しておりましたところですよ」
「ヘヘヘ、お艶さんもどうも困りもんだがあれはお奉行所へも捜(さが)し方を願ってあることだし、それより今日のはなしは……なにね、あっしの友達に御用聞きの下で働いている野郎(やろう)がありましてね、そいつが言うんだが、先日なんだってえじゃあありませんか。あの雨の晩にお屋敷に斬りこみがあって、死人や怪我(けが)人がうんと出たそうじゃあありませんか。何か、お聞きになりませんでしたかね?」
「はい。そう言えば、そんなようなこともちらと小耳にははさみましたが――それでなんですい、その暴れこんだ連中てのは? 意趣遺恨(いしゅいこん)とでもいうような筋あいですかい?」
「それがさ、その下っ引きの言うことにゃあ、なんでも同じ晩に二組殴りこみをかけたらしいんだが、あとから来たのは火事装束のお侍が五人――というんですけれど、さあ、なんのための斬り合いだか、そいつが皆目(かいもく)わからねえ」
「火事装束? へんな話だね。なんにしても押し迫ってから物騒(ぶっそう)な」
「さいでげす。でね、その野郎は眼を皿のようにしてかぎまわっているんですがね、さあ、口裏をひいてみるてえと、こんなこたあ大きな声じゃ言えねえが、どうも鈴川様はだいぶお上(かみ)に眼をつけられてるらしいね。ことによると近々お手入れがあるか知れねえと。いや、これあね、わたし一人の考えだが、ははは……ね、とまあ、言ったような次第さ。どうしたもんでごわしょう?」
「事件が起こったあとじゃあ、おさよさんもかわいそうだし――」
「それに、係りあいでこちとらの名が出るようなこたあまっぴらだ」
「ようがす!」喜左衛門は考えていた腕をほどいて、
「お前さんも、今のところ乗りかけた船でしかたがねえとあきらめて、どうだね、せわしい身体だろうが、一つこれから私といっしょに本所に出向いてくれませんかい……おい! 婆さんや、あっちの羽織(はおり)を出してもらおう。ちッ! 用のある時はきまってそこらにいやあしない。いい年をしやがって、あんな金棒引(かなぼうひ)きもないもんだ。ばあさん!――しようがねえなあ。婆あッ!」
 家主喜左衛門、だんだんカンカンになって、ポッポと湯気をあげている。

 客――でもないが、鍛冶屋富五郎が来ているあいだに、ちょっと家のまえの往来でも掃(は)いておこうと、喜左衛門の女房は箒(ほうき)を持って表へ出た。
 いいお天気。
 日の光が町全体に明るく踊って、道ゆく人の足もおのずから早く、あわただしい暮れの気分を作ってるなかにも、物売りの声がゆるやかに流れて、徳川八代泰平の御治世(ごじせい)は、どこか朗(ほが)らかである。
 歳(とし)の市(いち)へ、伐(き)り出した松を運ぶ荷車が威勢よく駈けて通る。歳暮の品を鬱金木綿(うこんもめん)の風呂敷(ふろしき)に包んで首から胸へさげた丁稚(でっち)が浅黄の股引(ももひき)をだぶつかせて若旦那のお供(とも)をしてゆく。
「おばちゃん……」
 という声に振り返ると、長屋の由(よし)公がお袋(ふくろ)に手をひっぱられて横丁の人混(ご)みに消えるところだった。その母親の白い顔が笑って、何かそそくさと挨拶をしたようだった。
 泣いても笑ってもあと何日――町へ出てみると、しみじみとそんな気がするのだった。
 そうだ。気は心だからあの児へ何かお歳暮をやらなくちゃあ……女の子達には出ず入らずで一様に羽子板がいいけれど、腕白(わんぱく)にはやはり破魔(はま)の弓かしら?
 こんなことを考えて、何度も腰をのばしながら、喜左衛門の女房はせっせと格子の前を掃いている。
 うつ向いて箒の手を動かしていると、眼に入るのは近くを往来する人の足ばかりだ。
 知った人が声をかけてゆく。
 通る人の足をよごさないように気をつけてはいたが、誰かにお低頭(じぎ)をされた拍子だった。ふと箒の先に思わぬ力がはいって折りから掃きためてあった塵埃(ごみ)が飛んで、ちょうど前を歩いていた人の裾から足袋(たび)へしたたかかかった。
 はっとして顔をあげると、
 着流しに蝋鞘(ろうざや)の大小を差した、すこしふとり気味の重々しいお侍である。
 切れ長の眼(まな)じりに細い皺を刻んで、じっと立ちどまったまま、埃(ほこ)りを浴びた足もとと、箒をさげてどぎまぎしている老婆の顔とをしずかに見くらべている。
 喜左衛門の女房は、背中に火がついたように狼狽(ろうばい)した。
 お手うち! 斬られる! 斬られないまでも、どんなおとがめがあろうも知れぬと思って、はっとすると舌がこわばった。
「あれッ! とんだ、また、粗相(そそう)をいたしまして! どうぞ殿様、どうぞ御料簡(ごりょうけん)なされてくださりませ」
 とっさにこう詫(わ)びると同時に、のめるように飛んで行って前掛けの先で侍の足を払おうとした。
 と、侍は二、三歩さがって、おだやかに笑った。
「ああ、よいよい。あやまちは誰にでもあること――自分で拭くから心配はいらぬ」
 言いながらもう懐紙(かいし)を出して、ゆっくりと裾をはらっている。
 相当の年齢。服装なども、眼にはつかないが、争えない高貴なおもむきを示して、何よりもそのふくよかな穏顔(おんがん)に、人なつっこい笑みが春の海のように輝いていることだった。
 ぼんやり見ていた喜左衛門の女房はわれに返ったように再び侍の足へ突進して、転ぶようにしゃがむなりまたほこりをたたきだした。
「わたくしの不調法でございます。お手ずからはあんまりもったいなくて、恐れ入ります。どうぞおゆるし遊ばして」
「いや。それにはおよばぬ」
 侍は急いで身をひくと、手を取らんばかりにして、なおも争う老婆を立たせた。
「ははは、なんのこれしき! お前も家にはいっては人の妻、母、いやもう祖母であろう。その妻たり母たり祖母たる者に足を拭かせたとあっては、わしがその人々に相すまん。な、許してくれ。ここはわしのほうであやまる。ははははは」
 なんというわけのわかった、奥ゆかしいお侍だろう!――と老婆が涙ぐんで頭をさげていると、「だが」と侍はつづけて、「往来筋の掃除は、まだ人の出ん早朝のうちにいたしたがよろしかろう。あ、これ! それから、あそこに散らばっておる紙屑(かみくず)古下駄のたぐい、新しき年を迎えるに第一みぐるしい。隣家の前ではあるが手のついでに取りかたづけてやりなさい」
 声もなく老婆が二つ折れに腰をかがめた時に、くだんの武士、ちらとうしろを見返って歩き出そうとした。お供(とも)であろう、すこし離れて同じつくりの血気の侍がひとりついているのだ。
 こんなこととは知らないから、婆さんから婆あへおいおい格をおとして、家内では喜左衛門が胴間(どうま)声をあげている。
 呼んでいるから行け! というように、先なる侍の眼がほほえんで老婆を見た。

 いくら呼んでも女房の返辞がないので、チェッ! と舌打ちをした喜左衛門は、自分で外出のしたくをして、すぐに本所の鈴川様のお屋敷へ行こうと、鍛冶屋富五郎をうながしてそとへ出た。
 出てみると、
 そこらにいないと思った女房が、いまにも泣き出しそうな顔をさげて、誰かにピョコピョコおじぎをしている。喜左衛門老人はカッカッとなった。
「なんでえ! べら棒めッ! 通る人を見て泣いてやがら。気でも狂れたんじゃねえか」
 ポンポンどなりながらひょいと見ると、四、五間(けん)むこうを供をつれてゆくりっぱな侍。
 はて! どこかで見たような! と小首をかしげた喜左衛門、こんどは蚊の鳴くような低声(こごえ)だ。
「婆さんや、どうしたんだえ? 何か、あの武家さんに叱られでもしたのかえ?」
 まあお爺さん、お聞き。世の中にはえらいお人もあるものさね。こういうわけなんだよ――と女房の話すのを聞いて、すっかり感心した喜左衛門、へえい! と眼をあげて改めて侍のうしろ姿を見送ったとたんに。
 歩き出していた主従(しゅじゅう)が、一緒にちょっと振り返ったが、先に立つ老武士の顔を見た喜左衛門は、にわかに周章狼狽(しゅうしょうろうばい)して、いきなり女房と鍛冶富の手をぐっととると、声を忍ばせて続けざまに、
「大岡様(おおおかさま)だ! 大岡さま! 大岡さま!……まぎれもねえ大岡様だッ! ヒャアッ婆さん! お前まあ大(たい)したお方と口をきいたもんだなあ!」
「えッ! あ、あれが大岡様! お爺さん、お前さんまた担(かつ)ぐんじゃあないだろうねえ」
「ばかッ! こんな冗談が言えるもんか。はばかりながら公事御用に明るくて江戸でも名代(なだい)の口きき大家だ。南町のお奉行所は手前の家よりも心得ているんだが、実(じつ)あ、たった一度、それ、極道(ごくどう)長屋の鉄の野郎(やろう)がお手あてになって、おれが関係に付き添って行ったことがあるだろう? あの時、お白洲(しらす)でお調べをなすったお顔がまだ眼の底にこびりついてらあ。そうよ。今のが大岡さまだ! 南町のお奉行大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)様!」
「知らぬこととはいいながら」婆さんは浄瑠璃(じょうるり)もどきだ。
「ああありがたい。いっそもっとおそばによって、よくお顔を拝んどきゃよかったよ。ねえ、お爺さん、この話は孫子の代まで語(かた)り草(ぐさ)だねえ」
「そうとも、そうとも! うしろ影なりと拝みなおすこった」
「こちとら、こんな時でもなけりゃあお奉行さまなんか顔も見られねえ。よし! 長屋じゅうへふれてみんなを呼んでこよう」
 鍛冶富が駈け出そうとするのを、喜左衛門がとめた。
「富さん! もったいねえことをするもんじゃねえ。おしのびでいらっしゃるんだ――」
 土下座(どげざ)をせんばかりに喜左衛門夫婦と鍛冶屋富五郎がガヤガヤしているのを、仔細(しさい)を知らない通行人がふしぎな顔で見て通る。
 そのうちに。
 うららかな陽を全身に浴びた大岡忠相。きょうは文字どおりの忍びだから、手付きの用人伊吹大作(いぶきだいさく)ただ一人を召しつれて、さっさと角(かど)をまがってしまった。
 どこへ? というあてもない。
 いわばぶらぶら歩きである。
 民情に通じ、下賤(げせん)を究(きわ)めることをもって奉行職の一必要事と観(かん)じている越前守は、お役の暇を見てよくこうして江戸の巷を漫然(まんぜん)と散策することを心がけてもいたし、また好(この)んでもいたのだ。この日も冬には珍しい折りからの晴天を幸い、年のくれの景況でも見ようとぶらりと屋敷を出たものであろう。思うこともなさそうに越前守忠相、人を避けてあるいてゆく。あとに続く伊吹大作の気づかれは大変。なにしろ八方に目をくばって、ひとりで鯱張(しゃちほこば)ってお供をするんだから――。
 小僧の喧嘩(けんか)にもぶつかれば、馬のいばりも飛ぶ。遊戯(あそび)にほうけた女の児が走り出て来てよろけたり、職人がお前を近く横切ったり……そのたびに大作ははっとするが、忠相にはすべてがほほえみと見えて、にこやかに左右を見渡しながらおおらかに歩を運ぶ。
 観音様には、江府第一の大市。
 並木の通りから雷神門(らいじんもん)へかけて、押すな押すなの人波である。
 これはこれは!
 というふうに、越前守の笑顔が大作をふり返った。
 お江戸名物あさくさ歳(とし)の市(いち)。
 町々辻々は車をとめ、むしろを敷いて、松、注連縄(しめなわ)、歯朶(しだ)、ゆずり葉、橙(だいだい)、柚(ゆず)……。
 立ち並ぶ仮屋に売り声やかましくどよんで、臼(うす)、木鉢(きばち)、手桶(ておけ)などの市物が、真新しい白さを見せている。
 浅草橋からお蔵(くら)まえ、駒形並木(こまがたなみき)、かみなり門の往来東西に五丁ほどのあいだ、三側四側につらなって境内はもとより立錐(りっすい)の余地もない盛りよう。おまけに裏は砂利場(じゃりば)、山の宿にまでつづいて、老若男女、お武家、町方、百姓の人出が、いろとりどりの大きな渦を巻いて、閑々(かんかん)としてまた閑々と流れていた。
 冬の陽は高く銀に照って、埃と人いきれと物音が靉然(あいぜん)とひとつにからんで立ちのぼる。
 陽の斑(ふ)点と小さな影とが、通りにあふれる人々の肩に踊って、高貴な虎の皮を見るようだが、何かしら弱々しく冷たいものがそのあいだにみなぎって、さすがに今年もあますところすくないあわただしさを思わせた。
 芋(いも)を洗うような人ごみ。
 そのなかを、おしのびの南町奉行大岡越前守忠相、自邸の庭でも逍遙(しょうよう)するように片手を袖に悠然と縫ってゆく。
 すこし離れてお供をする用人伊吹大作は、ともすれば主君の影が雑踏にのまれようとするので、気が気でない。遅れてはならないと忠相の広い肩幅を眼あてに、懸命に人を掻きわけている。
 右も左も、前にもうしろにも、眼のとどく限りの町すじを埋(う)めて、人、人、人……。
 忠相はただ、まわりのすべてを受け入れ、頷(うなず)いて、あらゆる人と物に微笑みかけたい豊(ゆた)かなこころでいっぱいだった。
 そこには、位の高い知名な身の自分が、今こうして市井(しせい)の巷を庶民に伍(ご)してもまれもまれて徒歩(ひろ)っているのを誰ひとり知るものもないという、稚(おさな)い、けれども満ちたりたよろこびなどはすこしもなかった。もっとも以前ひそかにこの府内巡行をはじめた最初のうちは、彼にもそうした悪戯(いたずら)げな気もちが、まんざらないでもなく、街上をゆく者や店々に群れさわいでいる男女が、なんらかのはずみで自分が大岡越前であることを知ったら、かれらはどんなにか驚き、恐れ、且(か)つあわててそこの土に平伏することであろうか――こう考えると、忠相はいまにも誰かにみつかりそうな気がしてならなかったり、時としては、余は南町の越前である! と叫びあげたい衝動に襲(おそ)われたりしたものだが、しかし、それは昔のことである。
 いまの忠相は、すっかり枯れきっているのだ。
 かれは何らの理屈も目的もなしに、中老の一武人として、寂(さ)びた心境のなかに日向(ひなた)の町を歩いているだけで、言いかえれば、この、浅草の歳の市をひやかしてゆく、でっぷりとふとった上品なお侍は、南町の名奉行大岡越前守忠相ではなく、江戸の一市民にすぎないのだ。だから、向うから来て、自然と顔を合わせてすれちがう多くの者が、誰も気がつかずに往くのにふしぎはないのだった。
 奉行といえども二本の脚がある以上、こっそり町を歩いたとてなんの異やあらん――忠相はこう思っている。その気でどこへでも踏みこんでゆくのだから、お付きの者は人知らぬ気苦労をしなければならないので、いつもおしのびを仰せ出されると、みなこそこそいなくなったり急に腹痛(はらいた)を起こしたりするのがつねだった。
 伊吹大作は人が好いので、ほかの者に代りを押しつけられてたびたびお供をしているうちに、根がお気に入りだけに、このごろでは市内巡視には必ず大作がおつき申し上げることにいつからともなく決まってしまっているのだが、これがなかなか大汗もので、さすがの大作、正直なところ迷惑(めいわく)しごくと腹の底でこぼしている。
 ことに今日!
 ところもあろうに浅草の市なぞへおみ足が向こうとは思わなかった!
 と大作、人浪に押し返されて、くるしまぎれに恨んでいるが、この大作の心中には頓着(とんじゃく)なく、忠相は身体を斜めにしてどんどん進みながら、つと眼についた一軒の仮店に首をつっこんで、
「ふむ。海老(えび)がある」
「へい。ございます――本場物(ほんばもの)で」
「本場……と申せば、伊勢か」
「へえ、へえ、伊勢の上ものでございます」
 これを聞くと越前守忠相、山田の時代がなつかしかったものか、やにわにうしろを向いて呼ばわった。
「大作! 来て見い。みごとな伊勢海老(いせえび)じゃぞ」
 忠相の声が藪(やぶ)から棒に大きかったので、となりにしめ縄をひねくっていたおかみさんの背なかで、おびえた赤ん坊がやにわにワアッ! と泣きだした。
 市の中ほどへ出たときだった。
 突如、うしろに起こった人声を聞いて、忠相何ごころなく振り返ってみた。
 掏摸(すり)だ! 掏摸だアッ! と罵(ののし)りさわいで、背後の人々が一団となって揺れあっている。腕が飛ぶ拳が振りあがる、殴(なぐ)る蹴る。道ぜんたいが野分(のわき)のすすきのよう……。
 と!
 その、人のうずまきのなかにキラリと光った物がある。
「わアッ! 抜いたッ! 抜いたッ! 怪我をするな怪我をッ!」
 という声々がくずれたったかと思うと、旅仕度に身をかためたお店者(たなもの)らしい若い男が、振分けの小荷物を肩に、道中差しの短い刀をめちゃくちゃにふりまわしながら鼠のようにこっちへ飛んでくる、とばっちりを食って斬られてはかなわないから、通行人のむれがサッと左右にわかれたせまい無人の境を、弥次馬(やじうま)に追われて一散に駈けて来るのを見ると――つづみの与吉である。
 与吉のやつ、走りながら金(かな)切り声でどなっている。
「さあ! こうなりゃあどいつこいつの容赦(ようしゃ)はねえ。そばへ寄りゃあ、かたっぱしからぶった斬るぞッ! どいたどいたッ!」
 この勢いに辟易(へきえき)して、みな路をあけるばかり……誰ひとりとび出す者はいない。女子供の悲鳴、ごった返す人垣。としの市の真(ま)ん中(なか)にたいへんな騒ぎが勃発(ぼっぱつ)した。
 これがつづみの与吉――とは知らないが、抜刀をかざす男が近づくとみるや、大作は身を挺(てい)して前へ出るなり、すばやく忠相をかばって柄に手をかける。
「善ちゃん! こっち! こっち! 早くッ!」
 忠相の耳の下で黄いろい声が破裂した。商家の内儀風(おかみふう)の若い女が、この騒動ではぐれたらしく、その時、むこう側からヨチヨチと中間の空地を横ぎりかけた四、五歳の小児を死にもの狂いに呼んでいるのだ。
 与吉は刀身を陽にきらめかせて、もう鼻のさきへ迫ってきている。
「善ちゃん、危ないッ! いいからお帰り! そっちにッ!」
 と女が叫んだ刹那、忠相はヒラリと大作の守護を脱(だっ)して、あれよという間に、通りみちにまごつく善ちゃんを抱きかかえて向う側へ飛びこんだ。
 同時に!
 与吉と、与吉の道中差しは、鉄砲玉のように空(くう)になって疾駆(しっく)し去った。
 とおりがかりの浪人や鳶(とび)の者がぶつかりあいながら与吉を追っかけて行く。それッ! という忠相の眼顔にこたえて、大作もただちに追っ手に加わった。
「この雑踏に抜きゃあがるとは、無茶(むちゃ)な野郎もあったもんですね」
「掏摸(すり)だそうですよ。なんにしても人さわがせなやつで」
 あとには、市の人出が一面にざわめいて、そこにもここにも立ち話がはずんでいる。
 忠相も口をだした。
「掏摸か。それにしても道中姿は珍しいな」
「へえ。あれがあの輩(てあい)の手なんで……一つまちがえばその足で遠国へずらかろうという――」
「なるほどな」
 人品卑(いや)しからぬお侍だが、どこの誰とも知らないから皆気やすに言葉をかわしている。
「なんでもお若いお武家とかの袂へ悪戯(わるさ)をするところを感づかれて、すんでのことでつかまろうとしたのを、まあ奴(やつ)にとっちゃあこの人混みを幸(さいわい)に暴れだしたんだそうで――とにかく、えらい逃げ足の早え野郎でごぜえます」
 忠相は、首を振って感心してみせた。
「袂にわるさをしたと申して、何か奪ったのであろうがな」
「そいつあ知りませんが、なんにしてもあんなけだものは寄ってたかってぶちのめしてさ、沢庵(たくあん)石でも重りにして大川へ沈めをかけるのが一番でさあ。南町に大岡様てえ名奉行が目を光らせていらっしゃるのに、そのお膝下(ひざもと)でこの悪足掻(わるあがき)だ。いけッ太え畜生じゃありませんか、ねえ」
 越前守忠相、くすぐったそうにうなずいて、ほほえみながら立ち去ろうとすると、善ちゃんの手を引いた若い母親があらためて礼を言っている。
「いや……」
 と笑った忠相の眼は、折りからまたひとり、血相を変えて人を分けてくる若い浪人者の上にとまった。
 諏訪(すわ)栄三郎だ――手に紙片を握っている。
 本所化物屋敷の斬りこみは、火事装束の一隊という思わぬ横槍がはいって、四、五の敵をむなしく殺(あや)めたほか、めざす左膳には薄傷(うすで)をおわせたにすぎなかったが、きょうにも乾雲丸に再会せぬものでもないと、歳の市の人中をぶらりと歩いていた諏訪栄三郎。
 ふと袖にさわるもののあるのを感じて、何ごころなく見返ると……。
 思いきや! 鈴川源十郎の腰巾着(こしぎんちゃく)、つづみの与吉が、どういう料簡(りょうけん)か旅のしたくを調えて、今や自分の袖口に何か手紙様(よう)のものを押し入れようとしている。
 コヤツ! 何をするッ!
 と考える先に、栄三郎の手はもう与吉の肘(ひじ)にかかっていた。
「おのれッ!」
「あ! ごめんなさい。人違いでございます」
「黙(だま)れッ! 貴様は過日(いつぞや)の――うむ、よし! そこまで来いッ!」
 引ったてようとする。ひたすらあやまって逃げようとする。この二人の争いに、気の早い周囲の江戸っ児がすぐにきんちゃく切りがやり損じたと取って、そこで、掏摸(すり)だ、掏摸だ! とばかりに与吉をかこんで袋だたきにし始めると、かなわぬと見た与吉、やにわに道中差しを抜いて通路を開きながら突っ走ってしまった。
 有難迷惑な弥次馬のおかげ、与吉をおさえそこねた栄三郎が、念のために袂をさぐってみると、出てきたのは、いま与吉が投げこんでいった丹下左膳から栄三郎へ……すなわち、夜泣きの刀乾雲丸から同じ脇差坤竜丸へあてた一通の書状!
 混雑中ながら猶予(ゆうよ)はならぬ。手早く封を切って読みくだした栄三郎なにごとかサッ! と顔色を変えたと思うと、手紙を、武蔵太郎の柄がしらといっしょにグッと握りしめて遅ればせだが、与吉の去った方へしゃにむに急ぎだした。
 剣怪左膳の筆跡――そもそも何がしたためてあったか? 妖刀乾雲、左膳の筆を藉(か)りていかなる文言をその分身坤竜にもたらしたことか?
 それはさておき。
 人を左右に突きのけてくる栄三郎の浪人姿を、群集の頭越しにみとめた忠相は、あれが今の掏摸にあった侍というささやきを耳にするや、何を思ったか、いきなり足を早めて彼をつけだした。
 カッ! と血が頭脳にのぼっているらしい栄三郎、人浪を押しわけてよろめき進む。男をはねのける。女はつきとばす、子供も蹴散らしてゆくがむしゃらぶり。
 忠相も、いそいでそれに続いたが、嫌というほど誰かの足を踏んで、痛いッ! と泣き声をあげられた時は、大岡越前守忠相、にこやかな笑顔を向けて丁寧(ていねい)に詫びた。
 しかし、
 駒形を行きつくして、浅草橋近くなったころは、与吉も追っ手も影を失って、栄三郎もはじめてあきらめたものか、悄然(しょうぜん)とゆるんだ歩を、そこから折れて瓦町のとある露地へ運び入れた……市のにぎわいをうしろに。
 忠相が後から声をかけた。
「彼奴(きゃつ)、稀代の韋駄天(いだてん)、駿足(しゅんそく)でござるな、はははは、それはそうと、貴殿、落とし物はござらぬかの?」
 振り返った栄三郎は、そこに、見おぼえのない上品な武士が立っているので、思わずむっとして問い返した。
「拙者に何か仰(おお)せられましたか」
「いや、ただいまのさわぎ……彼者(かのもの)は、貴殿にこの書面を捻じこんでいったに相違ござるまいと存ずる。なに、これはただ拙者の推量だが、はははは、いかがでござるな?」
 との忠相の言葉に、栄三郎は、はっと気がついたようにじろりと忠相を見やりながら踵(くびす)をめぐらそうとしたが!
 今のいままで手につかんでいたはずの左膳の手紙が! どこでいつ落としたものかなくなっているので、おや! と忠相の手もとを見ると!
 これはまたどうしたというのだ。
 いつ、どこで拾ったものか、皺くちゃのその手紙がちゃんと忠相の手にあるではないか。
「やッ! そ、それは――」
 と、あわてふためいた栄三郎が、われを忘れて跳びかかろうとするとヒョイとさがった越前守忠相、手にした封書の裏おもてを、じらすように栄三郎の面前にかざしてにっこりした。

諏訪栄三郎殿
隻腕(せきわん)居士 丹下左膳拝
「いかにもその手紙は、拙者の落としたもの。不覚……ともなんとも言いようがござらぬ、恥じ入ります。お拾いくだされた貴殿にありがたく厚くお礼を申します。いざ、お渡しを願いたい――」
 これが町奉行の大岡越前守とは知る由もない栄三郎、よし零落(おちぶ)れて粗服(そふく)をまとうとも、面識のない武士には対等に出る。かれは必死に狼狽(ろうばい)を押しつつんで、こう言って二、三歩進み出たが、忠相は同時にあとへさがって、
「お手前が諏訪栄三郎といわるる。それはよいが、これ、裏に丹下左膳――隻腕居士拝とある。そこで諏訪氏貴殿におたずね申すが、この片腕は左腕でござろうの? いや、左腕でなくてはかなわぬところ、どうじゃ」
 ときいた忠相のあたまに、電光のようにひらめいたのは、当時府内を震憾(しんかん)させている逆けさがけの辻斬り、その下手人(げしゅにん)も左剣でなければならない一事だった。
 で、然り――という意をふくめて驚きながら栄三郎がうなずくのを見ると、忠相は、
「然らばこの一書、貴殿にお返し申すことは相成らぬ」
 きっぱり断わって、さっさと懐中へしまいこんでしまった。
 無体(むたい)なことを! 刀にかけても奪還せねば! と栄三郎が面色をかえてつめよった時、見ると、相手のつれらしい侍が急ぎ足に近づいてくるので、残念ながらこの曰(いわ)くありげな二人に挟まれて、種々問いただされてはよけいなあやまちを重ねるのみと、栄三郎は倉皇(そうこう)として忠相を離れ、逃げるように露地の奥へ消えていった。
「御前(ごぜん)、こんな所にいらっしゃろうとは存じませぬゆえ、ほうぼうおさがし申しましてござります」
 という声に、忠相がふり向くと与吉を追っていった伊吹大作である。
 多勢とともに追跡してみたが、なにしろあの人出、一度は旅合羽(がっぱ)へ手をかけたもののスルリと抜けられて、ついそこの通りでとうとう与吉の影を見失ったという。
「面目(めんぼく)次第もござりませぬ、いやはや掏摸をはたらこうというだけあって、なんと身軽なやつで」
「掏摸? 誰が掏摸じゃ?」
「は? あの男――」
「あれは掏摸ではない」
「すると巾着切(きんちゃくき)りで? それともちぼ……」
「たわけめ。同じではないか」
「恐れ入りましてござります」
「なあ大作。他人の懐中物(かいちゅうもの)を機をもって掠(かす)めとるを掏摸と申す」
「は」
「機によって人の袂に物品を投ずる――こりゃすりではあるまい。きゃつはある者の依頼を受けて、あの人の袂に封書を投げ入れたのじゃ。よって越前、かの町人を掏摸とは呼ばぬぞ」
「あの、手紙を? なれど御前、どうしてそのようなことがおわかりになりまする?」
 と眼を円くしている大作を無言にうながして、忠相はしんから愉快そうに、左膳の書をのんだふところをぽんと一つたたいて歩き出した。
「ははあ。なるほど委細(いさい)そこに!」大作は自分の胸を打つ真似(まね)をして、
「いや、さようでございましょうとも! さようでございましょう!」
 感に耐(た)えて首を振りながらお供につづこうとすると、忠相はぼんやりと立ちどまって、いま栄三郎のはいって行った露地の口を見守った。
 狭い裏横みち。
 角(かど)にささやかな空地(あきち)。
 材木が積んであって、子供が十四、五人がやがや遊んでいる。
 空高く、陽は滋雨(じう)のごとく暖かだ。
 ひさしぶりに満ちたりるまで巷の気を吸い、民の心と一つに溶けた大岡忠相、カンカン照る日光のなかで子供と同じ無心に返ってそのさざめきを眺めている。
 一段高い積み木の上に正座した年かさの子。
「南町奉行大岡越前であるぞ。これ面(おもて)をあげい。そのほう儀……」
 お白洲(しらす)ごっこだ。道理で、地面に茣蓙(ござ)を敷(し)いて、あれが科人(とがにん)であろう、ひとりの子供が平伏している。左右にいながれるお調べ方、つくばい同心格の子供達、眉(まゆ)を吊(つ)りあげ、頬をふくらせたその真面目(まじめ)顔。
 越前守が苦笑しているうちに、あとの大作はぷッとふきだしてしまった。
 はるかむこうに、さっき田原町を出て来た家主喜左衛門と鍛冶富、また大岡に会ったと外(よそ)ながら慇懃(いんぎん)に小腰をかがめる。本所の鈴川方へ行く途中とみえる。これを見ると忠相は、さては誰か顔を知っておる者にみつかったな! と足を早めて立ち去ったが、あるかなしかの風が白い砂ほこりを低く舞わせて、うしろに子供の大岡様の声がしていた。
「そのほう儀、去る二十九日、横町の質屋の猫を天水桶(てんすいおけ)に突っこんで、そのまま窓からほうりこんだに相違あるまい。まっすぐに申し立ていッ――」

「姐御ッ」
 と飛びこんで来たけたたましい与吉の声に、長火鉢(ながひばち)の向うからお藤は物憂(ものう)い眉をあげた。
「なんだね、そうぞうしい」
 立て膝のまま片手で畳をなでているのは、煙管(きせる)を探すつもりらしい。
 櫛まきお藤の隠(かく)れ家(が)である。
「いけねえ。落ち着いてちゃあいけねえ!」と与吉は、わらじをとくまも呼吸(いき)を切らしているが、家内のお藤は大欠伸(おおあくび)だ。
「また始まったよ、この人は」
 てんで相手にしそうもないようすだけれど、それでもさすがに、ぬっとあがって来た与吉の道中姿を見るとお藤もちょっと意外そうに顔を引きしめて、
「おや! お旅立ち?」
「ヘヘヘヘ」与吉は悪党らしく小刻みに笑って、「なあにね、ちょっくら芝居(しばい)を打って来ました」
「芝居を!」
「あい」
 どっかりとすわった与吉、お藤の差しだす茶碗の冷酒(ひや)をぐっとあおって、さて、上機嫌(じょうきげん)に話しだしたのは……。
 左膳の手紙の一件。
 あの雨の夜の乱刃に、化物屋敷で斬り殺された者が総計七名、これはすべて泊まり合わせていた博奕(ばくち)仲間で、負傷者は左膳の軽傷以下十指に近かった。
 しかも、栄三郎と泰軒には一太刀もくらわさないうちに、あの、得体(えたい)の知れない火事装束の一団が乗りこんできて、これには左膳、源十郎もしばし栄三郎方と力を合わせて当たってみたが、その間に泰軒は屋敷をのがれ出てしまった。
 頭(かしら)だった火事装束が刀影をついて放言したことには、彼らもまた夜泣きの一腰、乾雲坤竜の二刀を求めているものだと。
 つまりこの一隊の異形(いぎょう)の徒(と)は、左膳の乾雲、栄三郎の坤竜にとって、ともに同じ脅威(きょうい)であった。
 そこで剣豪左膳、いま一度左腕に縒(よ)りをかけて、力闘数刻、ようやく明け方におよんだが!
 時、左膳に利あらず、火事装束の五人組に稀刀(きとう)乾雲丸を横奪(おうだつ)されて、すぐに塀外へ駈け出てみたときは、すでに五梃の駕籠がいずくともなく消え失せていたあとだったというのだ。
 乾雲が持ち去られた。
 すると今、奇剣乾雲は左膳の手を離れて、何者ともはっきりしない五梃駕籠の一つにでもひそんでいるのであろう! お藤は白い顔にきっとくちびるをかんだ。
「与(よ)の公(こう)、ほんとうかい、それ」
 つづけざまに合点(がてん)合点をした与吉、なおも語をついで、こうして乾雲丸が左膳の手もとにない以上、もういたずらに栄三郎とはりあう要もないと、さてこそ、その旨を書いた左膳の手紙を、こっそり栄三郎へ届ける役を言いつかったつづみの与吉、歳の市の雑踏裡(ざっとうり)に栄三郎を見かけてうまく書状を袖からおとしこんだまではいいが……。
「掏摸とまちがえられてえらい目にあいましたよ。光る刀を引っこぬいてどんどん駈けてきましたがね。いや、あぶねえ芸当(げいとう)さ、ははははは」
 与吉は事もなげに笑っているが聞いているうちにお藤の目は疑(うたが)わしそうにすわってきた。
 もしそれがほんとなら、丹下左膳が自分で栄三郎を訪れて、さらりと和解を申しこみそうなもの。そのほうがまた、どんなにあの人らしいか知れやしない――。
 第一、あの丹下様が、あんなに命をかけていた乾雲丸をそうやすやすととられるだろうか?
 けれど、ものにはすべて機(はず)みということもある。
 丹下左膳といえども魔神ではない……こう考えてくると、お藤は与吉がうそをついているとも、左膳に欺(だま)されているとも思えないのだった。要するに、何がなんだかわからないお藤。
「そうかい」
 とおもしろくもなさそうにつぶやくと、頭痛でもするのか、しきりにこめかみをもみ出した。かと思うと今度は丹念(たんねん)に火鉢の灰をかきならしている。
 あたまの中ではいろんな思いがさわがしく駈けめぐっているが、外見(そとみ)はいかにも閑々(かんかん)としてお妾のごとく退屈そうだ。
 撫で肩に自棄(やけ)に引っかけた丹前、ほのかに白粉(おしろい)の移っている黒襟(えり)……片膝立てた肉置(ししおき)もむつちりと去りかけた女盛りの余香(よこう)をここにとどめている景色――むらさきいろの煙草の輪が、午さがりの陽光のなかをプカリプカリと棚の縁起物(えんぎもの)にからんで。
 つづみの与の公、この白昼いささかごてりと参って、お藤のようすを斜めに眺めている。
 丹下の殿様も気が知れねえ、こんな油の乗りきってる女を振りぬくなんて、と。

 吐き出すように、お藤がいう。
「すると何かえ、丹下さまはもうお刀をその火事装束とやらの五人組にとられてしまって、お手もとに持っていないということを文にして、それをお前が、あの方の命令(いいつけ)で栄三郎の袂へ入れて来たと言うんだねえ?」
「へえ。いかにもそのとおり……大骨を折りましたよ」
 与吉は、お藤の香が漂ってくるようで、まだぼんやりと夢をみている心地だ。つと癇(かん)走ったお藤、熱く焼けた長煙管(ながぎせる)の雁首(がんくび)を、ちょいと伸ばして与吉の手の甲に当てて、
「しっかりおしよ、与の公! なんだい、ばかみたいな顔をしてさ。夕涼みの糸瓜(へちま)じゃあるまいし」
「あッ! 熱(あ)つつつ――」
 とびのいた与吉は、大仰(おおぎょう)に顔をしかめつつ甲をなめて、
「ひでえや姐御。あついじゃありませんか……おお熱(あつ)!」
「ほほほ、お気の毒だったねえ。だからさ、だから責められないうちに白状(はくじょう)おしよ」
「へ? 白状って? あっしゃ何も櫛まきの姐御に包み隠しはいたしませんよ。そこへ突然あつういやつをニュウッ! と来たもんだ。へっへ、人が悪いぜ姐御」
「何を言ってやんだい! そんならきくけど、その旅仕度はどうしたのさ?」
「あ! これか」と与吉は頓狂(とんきょう)に頭をかいて、「これあ、なんだ、私が味噌(みそ)をしぼった化けこみなんだ。てえのが、姐御も知ってのとおり、わたしも浅草じゃあ駒形のつづみとかってちったあ知られた顔だから、おまけにあの栄三郎てえ若造にあ覚えられてもいるしね、きょうの仕事に当たって、素(す)じゃあどうもおもしろくねえ。かといって変に細工をして扮装(つく)りゃあかえって人眼につくしさ、さんざ考えたあげくのはてが、この旅人すがたと洒落(しゃれ)たんでございます。どうです、似合いましょうヘヘヘ」
「ああ、そうかい」軽く受けながらも、お藤はきらりと与吉の顔へ瞳を射った。「じゃ、どこへも走るんじゃないんだね?」
「正直のところ、姐御がいらっしゃる間は、与吉も江戸を見限りはいたしません」
「うまいこといってるよ。左膳様は?」
「さあ――鈴川さんとこにおいででげしょう」
「げしょうとはなんだい、知らないのかい?」
「このごろ、あの屋敷にはお上の眼が光っておりますから、あっしもここすこし足を抜いております」
「そんならいいけれど、与の公、お前はどうも左膳さまとは同じ穴の狸(むじな)らしいね」
「と、とんでもない!」
 とあわてる与吉を、お藤はじろりと冷やかに見て、
「とにかく、お前と左(さ)の字とは何をもくろんでるか知れやしない。あたしゃこんな性分で中途はんぱなことが大嫌いさ。どうせ袖にされたんだから、これからずっと何かと丹下さまのじゃまをするつもりだよ、もう当分お前をこの家から出さないからね。いいかい、そう思っておいで」
「姐御、そいつあ一つ勘弁(かんべん)願いてえ」
 と剽軽(ひょうきん)に頭をさげながら、与吉が、めいわくそうな、それでいて嬉しそうな顔を隠すように伏せていると、お藤が下からのぞきこんだ。
「お前の、左の字に頼まれて弥生(やよい)さんをねらっておいでだろうねえ? ところが与の公、あの娘(こ)は先日から行方知れずさ」
 弥生が行方不明(ゆくえふめい)に!
 事実、いつぞや雨の朝早く、しょんぼりと瓦町の栄三郎の家を出て以来、弥生は番町の養家多門方へも帰らなければ、その後だれひとり姿を見たものもない……。
 生きてか死んでか――弥生の消息はばったりと絶えたのだった。
 不審(ふしん)! といえば、もうひとつ。同じ明け方に、この櫛まきお藤は、第六天篠塚稲荷の前で捕り手に囲まれて、すでに危うかったはずではないか、それが、鉄火(てっか)とはいえ、女の手だけでどうしてあの重囲(じゅうい)を切り抜けて、ここにこうして、今つづみの与吉を、なかば色仕掛(いろじかけ)で柔らかい捕虜(とりこ)にしようとしているのであろう。
 謎(なぞ)は謎を生み、わからないことずくめだが、それより、もっと合点(がってん)のいかない一事は。
 ちょうど同じころおい。
 左膳の手紙を、大岡さまとは知らないが、由ありげな武士に拾われてしまった諏訪栄三郎が、気の抜けたように露地の奥の自宅(うち)へ立ち帰って、ぼんやりと格子戸をあけると!
 水茶屋の足を洗って以来、いつもぐるぐる巻きにしかしたことのない髪を、何を思ってかお艶はきょうは粋(いき)な銀杏(いちょう)返しに取りあげて、だらしのない横ずわりのまま白い二の腕もあらわに……あわせ鏡。
「だれ? おや! はいるならあとをしめておはいりよ。なんだい。ほこりが吹きこむじゃないか。ちッ。またお金に縁(えん)のない顔をさげてさ。ああ、嫌だ、いやだ!」
 うらと表の合わせかがみ――この変わりよう果たしてお艶の本心であろうか?

   煩悩外道(ぼんのうげどう)

 あさくさ田原町の家主喜左衛門と鍛冶屋富五郎との口ききでおさよが鈴川源十郎方へ住みこんだ始めのころは。
 五百石のお旗本だが、小普請(こぶしん)で登城をしないから馬もなければ馬丁もいない。下女もおさよひとりという始末。
 狐(きつね)でも出そうな淋しいところで家といっては鈴川の屋敷一軒しかない。
 それでも御奉公大事につとめていると、丹下左膳(たんげさぜん)、土生仙之助(はぶせんのすけ)、櫛(くし)まきお藤(ふじ)、つづみの与吉をはじめ、多勢の連中が毎夜のように集まって来ては、ある時は何日となく寝泊りをして天下禁制(てんかきんせい)のいたずらがはずむ、車座に勝負を争う――ばくちだ。本所の化物屋敷としてわる御家人旗本のあいだに知られていたのがこの鈴川源十郎の住居であった。
 しかしそういう寄り合いがあって忙しい思いをしたあくる朝は、膳部(ぜんぶ)のあとで必ず、
「おい土生、ゆうべは貴公が旗上げだ、いくらかおさよに小遣(こづかい)をやれ」
「よし! 悪銭(あくせん)身につかず。いくらでも取らせる。これ、さよ……と言ったな前へ出ろ」
 などと四百くらいの銭をポウンとなげうってくれるので、そのたびにもらった二、三百の銭を……。
 おさよの考えでは、こうして臨時にいただいたお鳥目(ちょうもく)をためたら、半分には極(き)めのお給金よりもこのほうが多かろう。そうすれば、三年のあいだ辛抱したら、娘お艶の男栄三郎がちっと大きな御家人の、……株を買う足(た)しにもなろうというもの……と、先を思って一心に働いていたが、そのうちにふと立ち聞きしたのが食客丹下左膳の身の上と密旨(みっし)、並びに、夜泣きの大小とやらにからんで栄三郎にまつわる黒い影であった。
 が、同藩の仲と知っても、おさよはひとり胸にたたんで、ただそれとなく左膳のようすに眼をつけているとやがて、降(ふ)ってわいた大変ごとというべきは、むすめのお艶がある夜殿様の源十郎にさらわれて来て奥の納戸(なんど)へとじこめられた。
 それを、親娘(おやこ)と気どられないように、かげにあって守りとおさねばならなかった。おさよの苦心はいかばかりであったろう。
 しかるに。
 源十郎がお艶を生涯のめかけにほしいと誠心をおもてに表わして言うので、おさよといえども何も慾(よく)にからんで鞍替(くらが)えをしたわけではないが、老いの身のまず考えるのは自分ら母娘ふたりの行く末のことだ。ここらで思いきってお艶と栄三郎を引き離し、お艶は内実(ないじつ)は五百石の奥方。じぶんはそのお腹様という栄達(えいたつ)に上ろうとさかんに源十郎に代わってお艶をくどいてみたものの、栄三郎に恋いこがれているお艶はなんとすすめても承知しなかった。
 手切れのしるしには、栄三郎が生命を的(まと)にさがしている乾雲丸を、源十郎の助力によって左膳から奪って与えればいいとまで私(ひそ)かに思案が決まったところ、かんじんのお艶にこっそり逃げられてしまったのだった。
 これは櫛まきお藤が源十郎へのはらいせにつれ出したのだが、源十郎はそうとは知らずにその尻(しり)をそっくりおさよ婆さんへ持ってきて、今までお艶を幽閉(ゆうへい)しておいた納戸へこんどはおさよを押しこめ、第一におさよお艶のかかわりあいから聞き出そうと毎日のように折檻(せっかん)した。
 その間に栄三郎泰軒の救いの手が、ついそこまで伸びて来て届かなかったのが、この、源十郎の詰問(きつもん)の結果。
 はい。じつはわたくしはお艶の母、あれはわたくしの娘でございます。
 とおさよの口から一言洩(も)れると源十郎、高だかと会心の哄笑をゆすりあげて、
「いや、そのようなことであろうと思っておった。さてはやはり、いつか話に聞いた娘というのはあのお艶のこと、男の旗本の次男坊は諏訪栄三郎であったか。だが、はっきりそうわかってみれば、思う女の生みの母御(ははご)なら、この源十郎にとっても義理ある母だ。こりゃ粗略(そりゃく)には扱われぬ。知らぬこととは言い条(じょう)、いままでの非礼の段々平(ひら)におゆるしありたい」
 と、奸智(かんち)にたけた鈴川源十郎、たちまちおさよを実の母のごとく敬(うやま)って手をついて詫びぬばかり、ただちに招(しょう)じて小綺麗(こぎれい)な一間(ま)をあたえ、今ではおさよ、何不自由なく、かえって源十郎につかえられているありさま。
 将(しょう)を射(い)んと欲(ほっ)せばまず馬を射よ。あるいは曰(いわ)く、敵は本能寺(ほんのうじ)にありというわけで、源十郎はこのおふくろをちょろまかして、それからおいおいお艶を手に入れようと、今日もこうしておさよに暖かそうな、小袖か何か着せて、さも神妙に日の当たる座敷によもやまのはなし相手をつとめていると――。
「ごめんくださいまし……」
 と裏口に案内を求める町人らしい声。

「こんちは……ごめんくださいまし。おさよさんはいませんかね?」
 と喜左衛門が大声をあげても、誰も出てくるようすはないから、こんどは鍛冶屋富五郎が引き取っていっそうがなりたてている。
「おさよさアン! おさよ婆あさん! ちッ! いねえのかしら……? じれってえなあ」
 と、この声々が奥へつつぬけてくるから、おさよも源十郎のお相手とはいえ、じっとしてはいられない。すぐに裏口へ立って行こうとするのを鈴川源十郎、実の母にでも対するように慇懃(いんぎん)にとめて、
「まま、そのままに、そのままに。なに、出入りの商人であろう。拙者が出る」
 と懐手(ふところで)、のっそりと台所に来てみると、水口の腰高障子(こしだか)から二つの顔がのぞいている。
 あさくさ田原町三丁目の家主喜左衛門と三間町の鍛冶富――おさよの請人(うけにん)がふたりそろってまかり出て来たので源十郎、さては悪い噂でも聞きこんだな、内心もうおもしろくない。
「なんだ? おさよ殿に何か用かな?」
 押っかぶせるように仁王立ちのまんまだ。
 おさよどの! と殿様の口から! 聞いて胆(きも)をつぶした喜左衛門に鍛冶富、すくなからず気味がわるい。
 挨拶もそこそこに、源十郎の顔いろをうかがいながら、お屋敷のごつごうさえよろしければ、ちと手前どものほうにわけがあって、一時おさよ婆あさんを引き取りたいと思うから、きょうにでもおさげ願いたく、こうして引請人(ひきうけにん)が頭を並べてお伺いした……と!
 源十郎、眉をつりあげて威猛高(いたけだか)だ。
「なにィ! ちと理由(わけ)があっておさよどのをもらいさげに参った? これこれ、喜左衛門に富五郎と申したな」
「へえへえ、鍛冶屋富五郎、かじ富てんで」
「なんでもよい。両人とも前へ出ろ。申し聞かせるすじがある」
 言い捨てて源十郎、スタスタ奥へはいっていったから、はて! 何事が始まるのだろう? と二人ともおっかなびっくりでしりごみしているところへ、ただちにとってかえした源十郎を見ると、刀をとりに行ったものであろう左手に長い刀を下緒(さげお)といっしょに引っつかんで、その面相羅刹(らせつ)のごとく、どうも事態(じたい)がおだやかでない。
 何がなんだかいっこうに合点(がてん)がいかないものの喜左衛門と鍛冶富は今にも逃げ出しそうだ。
 そこへ源十郎の怒声。
「こらッ、もちっと前へ出ろ! 出ろッ! ウヌ! 出ろと申すにッ!」
 と与力の鈴源だけあって、声にもっともらしい渋味(しぶみ)がこもり、おどしが板についていて、町人づらをふるえあがらすには充分である。
「はい。出ます、出ます。こうでございますか」

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