丹下左膳
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著者名:林不忘 

と、沓脱(くつぬ)ぎから三つ四つむこうの飛び石の上に、おなじく低い声があった。
「何やら役向きの話らしいから遠慮しておった。じゃまならこのまま帰る」
いい捨てて早くもきびすを返そうとするようすに、忠相はあわてて、
「遠慮は貴様の柄でないぞ、ははははは、なにじゃまなものか。ひさしぶりだ。よく来たな。さ、誰もおらん。まあ、こっちへあがれ」
 満腹の友情にあふれる笑い口から誘われて、ぬっと手燭(てしょく)の光野へ踏みこんできた人影を見ると……つんつるてんのぼろ一枚に一升徳利。
 この夜更けに庭からの訪客はなるほど蒲生泰軒をおいてあり得なかった。
 泥足(どろあし)のまま臆(おく)するところもなく自ら先に立って室内へ通った泰軒居士(こじ)、いきなり腰をおろしながらひょいと忠相の書見台をのぞいて、
「なんだ? なにを読みおる? うむ、旱雲賦(かんうんぷ)か。賈誼(かぎ)の詩だな――はるかに白雲の蓬勃(ほうぼつ)たるを望めば……か、あははははは」
 とこの豁達(かったつ)な笑いに忠相もくわわって、ともに語るにたる親交の醍醐味(だいごみ)が、一つにもつれてけむりのように立ちこめる。
 裾をたたいて着座した南町奉行大岡越前守忠相。
 野飼いの奇傑(きけつ)蒲生泰軒は、その面前にどっかと大あぐらを組むと、ぐいと手を伸ばして取った脇息を垢(あか)じみた腋(わき)の下へかいこんで、
「楽(らく)だ」
 光沢(つや)のいい忠相の豊頬(ほうきょう)にほほえみがみなぎる。
「しばらくであったな」
「まったくひさしぶりだ」
 で、またぽつんと主客眼を見合って笑っている。多く言うを要しない知己(ちき)の快(こころよ)さが、胸から胸へと靉靆(あいたい)としてただよう。
 夜風にそっと気がついて、忠相は立って行って縁の障子をしめた。帰りがけに泰軒のうしろをまわりながら、
「痩(や)せたな、すこし」
「俺か……」と泰軒は首すじをなで、「何分餌(えさ)がようないでな、はははは。しかし、そういえば、このごろおぬし眼立って肥った。やはり徳川の飯はうまいとみえる」
 越前はいささかまぶしそうに、
「相変わらず口が悪いな。どこにおるかと案じておったぞ」
「どこにもおりゃせん。と同時に、どこにでもおる。いわば大気じゃな。神韻(しんいん)漂渺(ひょうびょう)として捕捉しがたしじゃ――はははは、いや、こっちは病知らずだが、おぬしその後、肩はどうだ? 依然として凝(こ)るか」
「なに、もうよい。さっぱりいたした」
「それは何より」
「互いに達者で重畳(ちょうじょう)」
 ふたりはいっしょにぴょこりと頭をさげあって、哄然(こうぜん)と上を向いて笑った。
 が、泰軒は忠相の鬢(びん)に、忠相は泰軒のひげに、初霜に似た白いものをみとめて、何がなしにこころわびしく感じたのであろう。双方(そうほう)ふっと黙りこんで燭台の灯影に眼をそらした。
 中間部屋(ちゅうげんべや)に馬鹿ばなしがはずんでいるらしく、どっと起こる笑い声が遠くの潮騒(しおさい)のように含んで聞こえる。
 秋の夜の静寂は、何やら物語を訴うるがごとくその縷々(るる)たる烏有(うゆう)のささやきに人はともすれば耳を奪われるのだった。
 対座して無言の主客。
 一は、いま海内(かいだい)にときめく江戸南町奉行大岡越前守忠相。他は、酒と心中しよか五千石取ろかなんの五千石……とでも言いたい、三界(がい)無宿(むしゅく)、天下の乞食先生蒲生泰軒。
 世にこれほど奇怪な取りあわせもまたとあるまい。しかも、この肝胆(かんたん)あい照らしたうちとけよう。ふしぎといえばふしぎだが、男子刎頸(ふんけい)の交わりは表面のへだてがなんであろう。人のきめた浮き世の位、身の高下がなんであろう! 人間忠相に対する人間泰軒――思えば、青嵐(せいらん)一過して汗を乾かす涼しいあいだがらであった。
 とは言え。
 大岡さまの前へ出て、これだけのしたい三昧(ざんまい)……巷の一快豪(かいごう)蒲生泰軒とはそも何者?

   いすず川

「貴様、どこからはいりおった? 例によってまた塀を乗りこえて来たのか」
 忠相(ただすけ)はこう眼を笑わせて、悠然と髯(ひげ)をしごいている泰軒を見やった。
 泰軒の肩が峰のようにそびえる。
「べつに乗り越えはせん。ちょっとまたいできた、はははは甲賀流忍術(こうがりゅうにんじゅつ)……いかなる囲みもわしにとけんということはないて、いや、これは冗談だが、こうして夜、植えこみの下を這ってきて奉行のおぬしに自ままに見参するなんざあ、俺でなくてはできん芸当であろう」
「うむ。まず貴様ぐらいのものかな。それはいいが」
 と越前守忠相の額に、ちらりと暗い影が走ると、かれはこころもち声をおとして、「手巧者(てこうしゃ)な辻斬りが出おるというぞ。夜歩きはちと控えたがよかろう」
 すると泰軒、貧乏徳利を平手でピタピタたたきながら、
「噂(うわさ)だけは聞いた。袈裟掛(けさが)け――それも、きまって右肩からひだりのあばらへかけて斜め一文字に斬りさげてあるそうではないか。一夜に十人も殺されたとは驚いたな。もとより腕ききには相違ないが――」
「刀も業物(わざもの)、それは言うまでもあるまい。武士、町人、町娘、なんでもござれで、いや無残な死にざまなそうな。だが、一人の業(わざ)ではないらしい。青山、上野、札(ふだ)の辻(つじ)、品川と一晩のうちに全然方角を異(こと)にして現われおる。そのため、ことのほか警戒がめんどうじゃ」
「うん。いまも来る途中に、そこここの木戸に焚き火をして固めておるのを見た。しかし、おぬしは数人の仕事だというが、おれは、切れ味といい手筋といい、どうも下手人は一人としか思えぬ」
「はて何か心当りでもあるのか」
「ないこともない」
 と泰軒は言葉を切って、胸元から手を差しこんでわき腹をかいていたが、
「いいか。おぬしも考えてみろ……右の肩口から左の乳下へ、といえば、どうじゃな、その刀を握るものは逆手(さかて)でなくてはかなうまい?」
「ひだりききとは当初からの見こみだが、江戸中には左ききも多いでな」
「そこで! 百尺竿頭(しゃくかんとう)一歩を進めろ!」
 どなるように泰軒がいうと、忠相はにっこりして大仰(おおぎょう)に膝を打った。
「いや、こりゃまさに禅師(ぜんじ)に一喝(かつ)を食ったが、いくら江戸でも、左腕の辻斬りがそう何人もいて、みな気をそろえて辻斬りを働こうとも考えられぬ」
「だから、おれは初めから、これは隻腕の一剣客が闇黒(やみ)に左剣をふるうのかも知れぬといっておるではないか」
「ふうむ。なるほど、一理あるぞこれは! して、何奴(なにやつ)かな、その狂刃の主(ぬし)は?」
「まあ待て。今におれが襟がみ取って引きずって来て面を見せてやるから」
 大笑すると、両頬のひげが野分(のわき)の草のようにゆらぐ、忠相は心配そうな眼つきをした。
「また豪(えら)そうな! 大丈夫か。けがでもしても知らんぞ」
「ばかいえ、自源流(じげんりゅう)ではまず日本広しといえどもかく申す蒲生泰軒の右に出る者はあるまいて」
 言い放って袖をまくった泰軒、節(ふし)くれだった腕を戞(かっ)! と打ったまではいいが、深夜の冷気が膚にしみたらしく、その拍子にハアクシャン! と一つ大きなくしゃみをすると、自分ながらいまの稚心(ちしん)がおかしかったとみえ、
「新刀試し胆(きも)だめしならば一、二度ですむはず……きょうで七、八日もこの辻斬りがつづくというのは、何百人斬りの願(がん)でも立てたものであろうと思われるが――」
 となかば問いかける忠相の話を無視して、かれはうふふとふくみわらいをしながら、勝手に話題を一転した。
「お奉行さまもええが、小うるさい件が山ほどあろうな」
「うむ。山ほどある。たまには今夜のように庭から来て、知恵をかしてくれ」
「まっぴらだ。天下を奪った大盗のために箒(ほうき)一本銭(ぜに)百文の小盗を罰して何がおもしろい?」
 こう聞くと、忠相が厳然とすわりなおした。
「天下は、呉越(ごえつ)いずれが治めても天下である。法は自立だ」
「それが昔からおぬしのお定り文句だった、ははははは」
「越前、かつて人を罰したことはない。人の罪を罰する。いや、人をして罪に趨(はし)らしめた世を罰する――日夜かくありたいと神明に祈っておる」
 泰軒は忠相の眼前で両手を振りたてた。
「うわあ! 助からんぞ! わかった、わかった、理屈はわかった! だがなあ、聞けよおぬし、人間一悟門(ごもん)に到達してすべてがうるさくなった時はどうする? うん? 白雲先生ではないが、旧書をたずさえ取って旧隠(きゅういん)に帰る……」
「野花啼鳥(やかていちょう)一般(いっぱん)の春(はる)、か」
 と忠相がひきとると、ふたりは湧然(ゆうぜん)と声を合わせて笑って、切りおとすように泰軒がいった。
「おぬしも、まだこの心境には遠いな」
 さびしいと見れば、さびしい。
 ことばに懐古の調があった。秋夜孤燈(しゅうやことう)、それにつけても思い出すのは……。
 十年一むかしという。
 秩父(ちちぶ)の山ふところ、武田の残党として近郷にきこえた豪族(ごうぞく)のひとりが、あてもない諸国行脚(あんぎゃ)の旅に出でて五十鈴(いすず)川の流れも清い伊勢の国は度会(わたらい)郡山田の町へたどりついたのは、ちょうど今ごろ、冬近い日のそぼそぼ暮れであった。

 外宮(げくう)の森。
 旅人宿の軒行燈に白い手が灯を入れれば……訛(なま)りにも趣(おもむき)ある客引きの声。
 勢州(せいしゅう)山田、尾上(おのえ)町といえば目ぬきの大通りである。
 弱々しい晩秋の薄陽がやがてむらさきに変わろうとするころおい、その街上(まち)なかに一団の人だかりがして、わいわい罵(ののし)りさわぐ声がいやがうえにも行人(こうじん)の足をとめていた。
 往き倒れだ。
 こじきの癲癇(てんかん)だ。
 よっぱらいだ。
 いろんな声が渦をまく中央に、浪人とも修験者(しゅげんじゃ)とも得体の知れない総髪(そうはつ)の男が、山野風雨の旅に汚れきった長半纒(ながはんてん)のまま、徳利を枕に地に寝そべって、生酔いの本性たがわず、口だけはさかんに泡といっしょに独り講釈をたたいているのだった。酒に舌をとられて、いう言葉ははっきりしないが、それでも徳川の世をのろい葵(あおい)の紋をこころよしとしない大それた意味あいだけは、むずかしい漢語のあいだから周囲の人々にもくみ取ることができた。
 代々秩父の山狭(さんきょう)に隠れ住む武田の残族(ざんぞく)蒲生泰軒。
 冬夜の炉辺(ろへん)に夏の宵の蚊(か)やりに幼少から父祖古老に打ちこまれた反徳川の思念が身に染み、学は和漢に剣は自源(じげん)、擁心流(ようしんりゅう)の拳法(けんぽう)、わけても甲陽流軍学にそれぞれ秘法をきわめた才胆をもちながら、聞き伝えて、争って高禄と礼節をもって抱えようとする大藩諸侯の迎駕(げいが)を一蹴して、飄々然(ひょうひょうぜん)と山をおりたかれ泰軒は、一時京師鷹司(たかつかさ)殿に雑司(ぞうし)をつとめたこともあるが、磊落不軌(らいらくふき)の性はながく長袖(ちょうしゅう)の宮づかえを許さず、ふたたび山河浪々の途にのぼって、まず生を神州にうけた者の多年の宿望をはたすべく、みちを伊勢路(いせじ)にとって流れついたのがこの山田の町であった。
 人に求めるところがあれば、人のためにわれを滅(めっ)する。
 世から何ものをか獲(え)んとすれば世俗に没して真我(しんが)をうしなう。
 といって、我に即すればわれそのものがじゃまになる。
 金も命も女もいらぬ蒲生泰軒――眼中人なく世なくわれなく、まことに淡々として水のごとき一野児であった。
 この秀麗な気概(きがい)は、当時まだひらの大岡忠右衛門といって、山田奉行を勤めていた壮年の越前守忠相の胸底に一脈あい通ずるものがあったのであろう。不屈な泰軒が前後に一度、きゃつはなかなか話せると心から感嘆したのは大岡様だけで、人を観(み)るには人を要す。忠相もまた変物(へんぶつ)泰軒(たいけん)の性格学識をふかく敬愛して初対面から兄弟のように、師弟のように陰(いん)に陽(よう)に手をかしあってきた仲だったが、四十にして家を成(な)さず去就(きょしゅう)つねならぬ泰軒の乞食ぶりには忠相もあきれて、ただその端倪(たんげい)すべからざる動静を、よそながら微笑をもって見守るよりほかはなかった。
 だから、八代吉宗公に見いだされた忠相が、江戸にでて南町奉行の顕職(けんしょく)についたのちも、泰軒はこうして思い出したように訪ねてきては、膝をつき合わしてむかしをしのび世相を談ずる。が、いつも庭から来て庭から去る泰軒は家中の者の眼にすらふれずに、それはあくまでも忠相のこころのなかの畏友(いゆう)にとどまっていたのだった。
 それはそれとして。
 この秋の夜半。
 いま奉行屋敷の奥座敷に忠相と向かいあっている泰軒は、何ごとか古い記憶がよみがえったらしく、いきなり眼をほそくして忠相の顔をのぞいた。
「おぬし、おつる坊はどうした? 相変わらず便(たよ)りがあるか」
 すると老いた忠相が、ちょっと照れたように畳をみつめていたが、
「もう坊でもなかろう。婿(むこ)をとって二、三人子があるそうな。先日、みごとな松茸を一籠(かご)届けてくれた。貴様にもと思ったが分けようにもいどころが知れぬ――」
「なに、おぬしさえ食うてやればおつる坊も満足じゃろうが、お互いにあのころは若かったなあ」
「うむ、若かった、若かった! おれも若かったが、貴様も若かったぞ、ははははは」
 と忘れていた軽い傷痕(きずあと)がうずきでもするように、忠相は寂然(じゃくねん)と腕を組んで苦笑をおさえている。
 泰軒もうっとり思い出にふけりながら、徳利をなでてまをまぎらした。
 怖いとなっているお奉行さまに過ぎし日を呼び起こさせるおつる坊とは?
 話は、ここで再び十年まえの山田にかえる。
 神の町に行き着いたよろこびのあまり、無邪心(むじゃしん)小児のごとき泰軒が、お神酒(みき)をすごして大道に不穏な気焔をあげている時、山田奉行手付の小者が通りかかって引き立てようとすると、ちょうど前の脇本陣茶碗屋の店頭から突っかけ下駄の若い娘が声をかけて出て来た。

 わき本陣の旅籠(はたご)茶碗屋のおつるは、乙女(おとめ)ごころにただ気の毒と思い、役人の手前、その場は知人のようにつくろって、往来にふんぞり返っていばっている泰軒を店へ招(しょう)じ入れたのだった。
 仔細(しさい)ありげな遠国の武士――と見て、洗足(すすぎ)の水もみずからとってやる。
 湯をつかわせて、小ざっぱりした着がえをすすめた、が泰軒はすまして古布子(ふるぬのこ)を手に通して、それよりさっそく酒を……というわがままぶり。
 一に酒、二に酒、三に酒。
 あんな猩々(しょうじょう)を飼っておいて何がおもしろいんだろう? と家中の者が眉をひそめるなかに、おつるは、なんの縁故もない泰軒を先生と呼んで一間(ひとま)をあたえ、かいがいしく寝食の世話を見ていた。
 明鏡のようにくもりのないおつるの心眼には、泰軒の大きさが、漠然(ぼんやり)ながらそのままに映ったのかも知れぬ。
 また泰軒としても、思いがけないこの小娘のまごころを笑って受けて辞退もしなければ礼一ついうでもなく、まるで自宅へ帰ったような無遠慮のうちにきょうあすと日がたっていったが――。
 狭い市(まち)。
 脇本陣に、このごろ山伏体(やまぶしてい)のへんな男がとまっているそうだとまもなくぱっとひろまって、ことに手先の口から、その怪しき者が大道で公儀の威信に関する言辞を弄(ろう)していたことが大岡様のお耳にもはいったから、役目のおもて捨ててもおけない。即座に引き抜いて来て、仮牢(かりろう)へぶちこませた。
 その夜、後年の忠相、当時山田奉行大岡忠右衛門が、どんな奴か一つ虚をうかがってやれとこっそり牢屋に忍んでのぞくと……。
 君子は独居(どっきょ)をつつしむという。
 人は、ひとりいて、誰も見る者がないと思う時にその真骨頂(しんこっちょう)が知られるものだ。
 板敷きに手枕して鼻唄まじり、あれほど獄吏(ごくり)をてこずらせていると聞いた無宿者が、いま見れば閉房(へいぼう)の中央に粛然(しゅくぜん)と端坐して、何やら深い瞑想にふけっているようす。
 室のまんなかに座を占めたところに、行住座臥(ぎょうじゅうざが)をもいやしくしない、普通(ただ)ならぬ武道のたしなみが読まれた。
 しかも! 土器の油皿、一本燈心(とうしん)の明りに照らしだされた蒼白い額に観相(かんそう)に長じている忠相は、非凡の気魂、煥発(かんぱつ)の才、雲のごとくただようものをみたのである。
 これは、一人傑。
 ととっさに見きわめて、畳のうえに呼び入れて差し向かい、一問一答のあいだに掬(きく)すべき興趣(きょうしゅ)滋味(じみ)こんこんとして泉のよう――とうとう夜があけてしまった。そして、朝日の光は、そこに職分を忘れた奉行と、心底を割った囚人とがともに全裸の人間として男と男の友愛、畏敬(いけい)、信頼に一つにとけ合っているのを見いだしたのだった。
 このお方はじつは千代田の密偵、将軍おじきのお庭番として名を秘し命を包んでひそかに大藩の内幕を探り歩いておらるるのだから、万事そのつもりで見て見ぬふりをするように……というような苦しい耳うちで下役の前を弥縫(びほう)した忠相も、自分に先んじて風来坊泰軒を高くふんだ茶碗屋おつるの無識の眼力にはすくなからず心憎く感じたのだろう。かれは、泰軒をおつるに預けさげたのちも、たびたびお微行(しのび)で茶碗屋の暖廉(のれん)をくぐったが、それがいつしか泰軒を訪れるというよりも、その席へ茶菓を運んでくるおつるの姿に接せんがため――ではないか? と忠相自身もわれとわが心中に疑いだしたある日、ずばりと泰軒が図星(ずぼし)をさした。
「おぬしは、おつる坊を見にくるのだな。はははは。かくすな、かくすな。いや、そうあってこそ奉行も人だ。おもしろい」
 忠相はなんとも言わずに、胸を開いて大笑した。
 ただそれだけだった。
 これが恋であろうか。よしや恋は曲者にしても、お奉行大岡様と宿屋の娘……それはあまりにも奇(く)しき情痴のいたずらに相違なかった。
 が、爾来(じらい)いく星霜(せいそう)。
 身は栄達して古今の名奉行とうたわれ、世態(せたい)人情の裏のうらまで知りつくしたこんにちにいたるまで、忠相はなお、かつて伊勢の山田のおつるへ動きかけた淡い恋ごころを、人知れず、わが世の恋と呼んでいるのだった。
 陽の明るい縁などで、このごろめっきりふえた白髪を抜きながら、忠相がふと、うつらうつらと蛇籠(じゃかご)を洗う五十鈴(いすず)川の水音を耳にしたりする時、きまって眼に浮かぶのはあのふくよかなおつるの顔。
 まことにおつるは、色彩(いろどり)のとぼしい忠相の生涯における一紅点(こうてん)であったろう。たとえ、いかに小さくそして色褪(いろあ)せていても。
 そのおつるの家に、泰軒が寄寓してからまもなくだった。山田奉行忠相の器量を試みるにたるひとつの難件がもちあがったのは。
 そのころ松坂の陣屋に、大御所十番目の御連枝(ごれんし)紀州中納言光定(きしゅうちゅうなごんみつさだ)公の第六の若君源六郎(げんろくろう)殿が、修学のため滞在していて、ふだんから悪戯(いたずら)がはげしく、近在近郷の町人どもことごとく迷惑をしていたが、葵(あおい)の紋服におそれをなして誰ひとり止め立てをする者もなかった。
 源六郎、ときに十四、五歳。
 それをいいことにして、おつきの者の諫(いさ)めるのもきかずに、はては殺生禁断の二見ヶ浦へ毎夜のように網を入れては、魚籠(びく)一ぱいの獲物に横手をうってほくほくしていると、このことが広く知れ渡ったものの、なにしろ紀伊(きい)の若様だから余人とちがってすぐさま捕りおさえるわけにもゆかず、一同もてあましていたが、これを聞いた山田奉行の大岡忠右衛門、法は天下の大法である、いかに紀州の源六郎さまでもそのまま捨ておいては乱れの因(もと)だというので、ひそかに泰軒ともはからい、手付きのものを連れて一夜二見ヶ浦に張りこんでさっさと源六郎を縛(しば)りあげた。
 そして。
 無礼! 狼藉(ろうぜき)! この源六郎に不浄の縄をかけるとは何ごと……などとわめきたてるのも構わず奉行所へ引ったてて、左右に大篝火(おおかがりび)、正面に忠右衛門が控えて夜の白洲(しらす)をひらいた。
「これ! 不届至極(ふとどきしごく)! そのほうは何者か、乱心いたしたな?」
 と、上段の忠右衛門がはったとにらむと、
「乱心? 馬鹿を申せ。われは松平源六郎である。縄をとけッ」
「だまれ」忠右衛門も声をはげまして「松平源六郎とは恐れ多いことを申すやつじゃ。なるほど紀州第六の若様は源六郎殿とおおせられるが、いまだ御幼年ながら聡明叡智(そうめいえいち)のお方で、殺生禁断(せっしょうきんだん)の場所へ網をおろすような不埓(ふらち)はなさらんぞ。そのほうまさしく乱心いたしおるとみえる、狂人であろう汝は」
「狂人とは何事! 余はまったく紀州の源六郎に相違ない」
「またしても申す。これ、狂人、二度とさような言をはくにおいてはその分にさしおかんぞ。汝がすみやかに白状せん以上、待て! いま見せてやるものがある」
 こう言って忠右衛門が呼びこませたのが、小俣(おまた)村の百姓源兵衛という男、名主そのほか差添えがついている。
「源兵衛、面(おもて)をあげい。とくと見て返答いたせ。これに控(ひか)えおるはそのほうの伜(せがれ)源蔵と申す者に相違なかろう? どうじゃ」
 そのときに、くだんの源兵衛、お白洲(しらす)をもはばからず源六郎のそばへ走りよって、「ひゃあ、伜か、お前気がふれて行方をくらましたで、みんなが、はあ、どんなに心配ぶったか知んねえだよ。やっとのこってこのお奉行所へ来てるとわかって、いま名主(なぬし)どんに頼んで願えさげに突ん出たところだあな。だが、よくまあ達者で……」
 驚いたのは源六郎だ。
「さがれッ! えいッ、寄るな。伜とはなんだ。見たこともないやつ」
 と懸命に叱りつけたが、百姓源兵衛に名主をはじめ組合一統がそれへ出て、口々に、
 現在の親を忘れるとはあさましいこった。
 どうか、はあ、気をしずめてくんろよ。
 これ源蔵や、よく見ろ。われの親父(おやじ)でねえか。
 などと揃いもそろって狂人応対(あつかい)をするので、源六郎歯ぎしりをしながら見事に気がふれたことにされてしまった。
 そのありさまに終始ほほえみを送っていた忠右衛門は、やおら言いわたした。
「さ、この狂者は小俣(おまた)村百姓源兵衛のせがれ源蔵なるものときまった。親子でいて父の顔を忘れ、見さかいがつかんとは情けないやつだが、掟(おきて)を犯して二見ヶ浦で漁をするくらいの乱心なれば、そういうこともあり得ようと、狂気に免じ、今日のところは心あってそむいたものとみとめず、よって源蔵儀は父源兵衛に引き渡しつかわす。十分に手当をしてやるがよい――源蔵ッ! 狂人の所業(しょぎょう)とみなしてこのたびは差し許す、重ねてかようなことをいたさんよう自ら身分を尊(とうと)び……ではない、第一に法をたっとばんければいかん。わかったな、うむ、一同、立ちませい」
 というこの四方八方にゆきとどいたさばきで、源六郎はおもてむきどこまでも百姓の子が乱心したていに仕立てられて、かろうじて罪をのがれ、面倒もなくてすんだのだったが、後の八代将軍吉宗たる源六郎もちろん愚昧(ぐまい)ではない。天下の大法と紀州の若君との苦しい板ばさみに介(かい)して法も曲げず、源六郎をもそこなわず、自分の役儀も立てたあっぱれな忠相の扱いにすっかり感服して、伊勢山田奉行の大岡忠右衛門と申すは情知(じょうち)兼ねそなわった名判官(はんがん)である。
 と、しっかり頭にやきついた源六郎は、その後、淳和奨学両院別当(じゅんなしょうがくりょういんべっとう)、源氏の長者八代の世を相続して、有徳院(うとくいん)殿といった吉宗公になったとき、忠右衛門を江戸表へ呼びだして、きょうは将軍家として初のお目通りである。
 越前守忠相と任官された往年の忠右衛門ぴったり平伏してお言葉のくだるのを待っていると――。
 しッ、しい――ッ、と側で警蹕(けいひつ)の声がかかる。
 と、濃(こ)むらさきの紐が、葵(あおい)の御紋散しでふちどった御簾(みす)をスルスルと捲きあげて、金襴(きんらん)のお褥(しとね)のうえの八代将軍吉宗公を胸のあたりまであらわした。
 裃(かみしも)の肘を平八文字に張って、忠相のひたいが畳にすりつく。
 お声と同時に、吉宗の膝が一、二寸刻み出た。
「越前、そのほう、余を覚えておろうな?」
 はっとした忠相、眼だけ起こして見ると、中途にとまった御簾の下から白い太い羽織の紐がのぞいて……その上に細目(こまかめ)をとおして、吉宗の笑顔がかすんでいた。
 むかし、山田奉行所の白洲の夜焚き火のひかりに、昂然(こうぜん)と眉をあげた幼い源六郎のおもかげ。
 忠相の眼にゆえ知らぬ涙がわいて手を突いている畳がぽうっとぼやけた。
 が、かれはふしぎそうに首をひねった。
「恐れ入り奉りまする――なれど、いっこうわきまえませぬ」
 すると吉宗、何を思ったか、いきなり及(およ)び腰に自ら扇子(せんす)で御簾をはねると、ぬっと顔を突き出した。
「越前、これ、これじゃよ。この顔だ。存じおろうが」
 忠相は、下座からその面をしげしげ見入っているばかり……じっと語をおさえて。
 引っこみのつかない将軍がいらいらしだして、お小姓はじめ並みいる一同、取りなしもできず度を失ったとき、
「さようにござりまする」
 憎いほど落ちつき払った越前守の声に、お側御用お取次ぎ高木伊勢守などは、まずほっとしてひそかに汗のひくのを感じた。
「うむ。どうだな?」
「恐れながら申しあげまする――上(かみ)には、よほど以前のことでございまするが、忠相が伊勢の山田奉行勤役中、殺生厳禁(せっしょうげんきん)の二見ヶ浦へ網を入れました小俣(おまた)村百姓源兵衛と申す者の伜、源蔵という狂人によく似ていられまする」
 狂者にそっくりとはなんという無礼!
 と理由を知らない左右の臣がささやき渡ると、
「そうか。源蔵に似ておるか」
 にっこりした吉宗、御簾の中から上機嫌に、
「小俣村の源蔵めも、そのほうごときあっぱれな奉行のはからいを、今さぞ満足に思い返しておるであろう……これよ、越前、こんにちをもって江戸おもて町奉行を申しつくる。吉宗の鑑識(めがね)、いやなに、源蔵の礼ごころじゃ。このうえともに、な、精勤(せいきん)いたせ。頼むぞ」
「はっ、おそれ入り――」
 と言いかけた忠相のことばを切って、音もなく御簾がおりると、そそくさと立ちあがる吉宗の姿が、夢のようにすだれ越しに見えたのだったが……。
 かつて自分が叱りつけた源六郎さま。
 それがもうあんなりっぱに御成人あそばされて――お笑いになる眼だけがもとと変わらぬ。
 ほほえみと泪(なみだ)。
 すり足で退出するお城廊下の長かったことよ。
 あの日、大役をお受けしてからこのかた。
 南町奉行としての自分は、はたして何をし、そして、なにを知ったか?
 思えば、風も吹き、雨も降った。が、いますべてを識りつくしたあとに、たった一つ残っている大きな謎(なぞ)。
 それは、人間である。
 人のこころの底の底まで温く知りぬいて、善玉(ぜんだま)悪玉(あくだま)を一眼見わけるおっかない大岡様。
 たいがいの悪がじろりと一瞥(べつ)を食っただけで、思わずお白洲の砂をつかむと言われている古今に絶した凄いすごいお奉行さまにも、煎(せん)じつめれば、この世はやはりなみだと微笑のほか何ものでもなかった……かも知れない。
 夢。
 ――という気が、忠相はしみじみとするのだった。
 で、うっとりした眼をそばの泰軒へ向けると、会話(はなし)のないのにあいたのか、いつのまにやらごろりと横になった蒲生泰軒、徳利に頭をのせてはや軽い寝息を聞かせている。
 ばっさりと倒れた髪。なかば開いた口。
 強いようでも、流浪(るろう)によごれた寝顔はどこかやつれて悲しかった。
「疲れたろうな。寝ろ寝ろ」
 とひとり口の中でつぶやいた忠相は、急に何ごとか思いついたらしくすばやく手文庫(てぶんこ)を探った。
「こいつ、金がないくせに強情な! 例によって決して自分からは言い出さぬ。起きるとまたぐずぐずいって受け取らぬにきまっとるから、そうだ! このあいだに――」
 忠相が、そこばくの小判を紙に包んでそっと泰軒の袂(たもと)へ押し入れると、眠っているはずの泰軒先生、うす眼をあけて見てにっことしたが、そのまま前にも増して大きないびきをかき出した。
 とたんに、
 庭前を飛んで来たあわただしい跫音(あしおと)が縁さきにうずくまって、息せききった大作の声が障子を打った。
「申しあげます」
「なんだ」さッとけわしい色が、瞬間越前守忠相の顔を走った。

   緑面女夜叉(りょくめんにょやしゃ)

「なんだ騒々しい! 大作ではないか。なんだ」
 忠相(ただすけ)が室内から声をはげますと、そとの伊吹大作はすこしく平静をとりもどして、
「出ました、辻斬(つじぎ)りが! あのけさがけの辻斬り……いま御門のまえで町人を斬り損じて、当お屋敷の者と渡りあっております」
「辻斬り? ふんそうか」
 とねむたそうにうなずいた越前守は、それでも、これだけではあんまり気がなさそうに聞こえると思ったものか、取ってつけるようにいいたした。
「それは、勇ましいだろうな」
「いかが計らいましょう?」
「どれ、まずどんなようすか」
 ようよう腰をあげた忠相が、障子をあけて縁端ちかく耳をすますと、
 月も星もない真夜中。
 広い庭を濃闇(のうあん)の霧が押し包んで、漆黒(しっこく)の矮精が樹から木へ躍りかわしているよう――遠くに提灯の流れて見えるのは、邸内を固める手付きの者であろう。
 池の水が白く光って風は死んでいた。
 ただ、深々と呼吸(いき)づく三更(こう)の冷気の底に、
 声のない気合い、張りきった殺剣(さつけん)の感がどこからともなくただよって、忠相は、満を持して対峙(たいじ)している光景(さま)を思いやると、われ知らず口調が鋭かった。
「曲者は手ごわいとみえるが、誰が向かっておる」
「岩城(いわき)と新免(しんめん)にござりますが、なにぶん折りあしくこの霧(きり)で……」
「門前――と申したな。斬られた者はいかがいたした?」
「商家の手代風(てだいふう)の者でございますが、この肩さきから斜めに――いやもう、ふた目と見られませぬ惨(むご)い傷で……」
「長屋で手当をしてつかわしておりますが、所詮(しょせん)助かりはすまいと存じまする」
 言うまも、剣を中に気押し合うけはいが、はちきれそうに伝わってくる。
「無辜(むこ)の行人をッ! 憎いやつめ! しかも大岡の屋敷まえと知っての挑戦であろう」
 太い眉がひくひくとすると、忠相は低く足もとの大作を疾呼(しっこ)した。
「よし! いけッ! 手をかしてやれ、斬り伏せてもかまわぬ」
 そして、柄をおさえて走り去る大作を見送って、しずかに部屋へ帰りながら、血をみたような不快さに顔をしかめた忠相は、ひとり胸中に問答していた。
 このけさ掛け斬りの下手人が、左腕の一剣狂であることは、自分は最初から見ぬいていた。それをさっき泰軒に、やれ左ききであろうの、数人に相違ないのと言ったのは、泰軒といえども自分以外の者である以上、あくまでも探査の機密を尊(たっと)んでおいて、ただそれとなくその存意をたぐり出すために過ぎなかったのだが――。
 なかでは、泰軒が帯を締めなおしていた。
 天下何者にも低頭(ていとう)しないかれも、大岡越前のためにはとうから身体を投げ出しているのだ。
「聞いたぞ、おれが出てみる」
「よせ!」忠相は笑った。
「貴様に怪我(けが)でもされてはおれがすまん」
「なあに、馬鹿な」
 一言吐き捨てた泰軒は、
「帰りがけにのぞくだけだ……では、また来る」
 と、もう闇黒(やみ)の奥から笑って、来た時とおなじように庭に姿を消すが早いか、気をつけろ! と追いかけた忠相の声にもすでに答えなかった。
 無慈悲の辻斬り! かかる人鬼の潜行いたしますのも、ひとえに忠相不徳のなすところ――と慨然(がいぜん)と燈下に腕をこまぬく越前守をのこして、陰を縫って忍び出た泰軒が、塀について角へかかった時!
 ゆく手の門前に二、三大声がくずれかかるかと思うと、フラフラと眼のまえに迷い立った煙のような人影?
 ぎょッ! として立ちどまったのをすかし見ると、長身痩躯(そうく)、乱れた着前(まえ)に帯がずっこけて、左手の抜刀をぴったりとうしろに隠している。
「せっかく生きとる者を殺して、何がおもしろい?」
 泰軒の声は痛烈なひびきに沈んだ。
「うん? 何がおもしろい? お前には地獄のにおいがするぞ」
「…………」
 が、相手は黙ったまま、生き血に酔ったようによろめいてくる。刀の尖(さき)が小石をはじいてカチ! と鳴った。
「おれとお前、見覚えがあるはずだ。さ! 来い! 斬ってみろ俺を」
 こういい放った泰軒は、同時にすくなからず異様な気持にうたれて前方(まえ)をのぞいた。片腕の影がすすり泣いていると思ったのは耳のあやまりで、ケケケッ! と、けもののように咽喉笛(のどぶえ)を鳴らして笑っていたのだった。
「斬れ! どうだ、斬れまいが! 斬れなけりゃあおとなしくおれについて来い」
 悠然と泰軒が背をめぐらした間髪、発! と、うしろに跳剣(ちょうけん)一下して、やみを割った白閃が泰軒の身にせまった。

 垣根に房楊枝(ふさようじ)をかけて井戸ばたを離れた栄三郎を、孫七と割りめしが囲炉裡(いろり)のそばに待っていた。
 千住(せんじゅ)竹の塚。
 ほがらかな秋晴れの朝である。
 軒の端の栗の梢に、高いあおぞらがのぞいて、キキと鳴く小鳥の影が陽にすべる。
「百舌(もず)だな……」
 栄三郎はこういって膳に向かった。そして、
「いかにも田舎(いなか)だ。閑静でいい。こういうところにいると人間は長生きをする」
 と、改めてめずらしそうにまえの広場に大根を並べ乾(ほ)してそれにぼんやりと、うすら寒い初冬の陽がさしているのを眺めていた。
 孫七は黙って飯をほおばっていた。
 鶏が一羽おっかなびっくりで土間へはいろうとして、片脚あげて思案している。
「七五三は人が出ましたろう。神田明神(かんだみょうじん)なぞ――」
 お兼(かね)婆さんが給仕盆を差しだしながら、穂(ほ)をつぐように話しかけると、
「お兼もいっしょに食べたらどうだ? そう客あつかいをされては厄介者の私がたまらぬ」
 と栄三郎はすすめてみたが、お兼も箸をとろうともしなければ、息子の孫七も口を添えないので、三人はそれきり言葉がとぎれて、黒光りのする百姓家のなかに貧しい朝餉(あさげ)の音が森閑(しんかん)と流れた。
 心づくしとはわかっていても、悩みをもつ栄三郎には咽喉(のど)へ通らない食事であった。
 やがて無口の孫七は、むっつりして粗朶(そだ)を刈りに立つ。
 食客(いそうろう)の栄三郎は、いつものようにすぐに野猿梯子(やえんばしご)を登って与えられた自室へ。
 と言っても頭のつかえる天井(てんじょう)うらだ。
 所在なさに横になった諏訪栄三郎。
 思うまいとして眼さきをよぎるのはお艶のすがたであった。
 あの首尾の松の夜。
 闘間(とうかん)にお艶を失った彼は、風雨のなかを御用提灯に追われ追われて対岸へ漕ぎつき、上陸(あが)るとすぐ泰軒とも別れて腰の坤竜丸(こんりゅうまる)を守って街路に朝を待ったが……あかつきの薄光(はっこう)とともに心に浮かんだのが、この千住竹の塚に住むお兼母子のことであった。
 栄三郎が生まれたとき、母の乳の出がわるくて千住の農婦お兼を乳母(うば)として屋敷へ入れた。お兼には孫七という栄三郎と同(おな)い年の息子があったが、それをつれて一つ屋根の下に起き臥(ふ)ししているうちにいつしかお兼は栄三郎を実子のように思い、栄三郎もまたお兼をまことの母のごとくに慕うようになった。これは栄三郎が乳ばなれしてお兼に暇が出たのちもずっとつづいて、盆暮(ぼんく)れには母子そろって挨拶にくるのを欠かさない――いまは息子の孫七があとをとって、自前(じまえ)の田畑を耕し、ささやかながら老母を養っている。
 口重(くちおも)で人のいい乳兄弟の孫七といつまでも自分の子供と思っている乳母のお兼。
 かれらこそはしばらくこの傷ついたこころをかばってくれるであろう……まずさしあたり雨露のしのぎに。
 こう考えて、栄三郎がこの竹の塚の孫七方へ顎(あご)をあずけてからもう何日かたったが、武士には武士の事情があろうと、お兼婆さんも孫七も何にもきかぬし、栄三郎も何もいわなかった。だが、それだけ、ひとりで背負(しょ)わねばならぬ栄三郎の苦しみは、身体があけばあくほど大きかったといわなければならない。
 油じみた蒲団掻巻(かいまき)に包まれて、枕頭の坤竜を撫(ぶ)しながら、かれはいくたび眠られぬ夜の涙を叱ったことであろうか。
 半夜(はんや)夜夢さめて呼ぶお艶の名。
 が、もとより恋の流れに棹(さお)さしていさえすればよい栄三郎ではなかった。若い血のときめきと武門の誓い!
 お艶と乾雲(けんうん)!
 この一つのために他を棄てさることのできないところに栄三郎のもだえは深かったのだ。
 毎夜のように首尾の松の下に立って、河へ石を三つなげて泰軒に会ってはくるが、お艶の行方も乾雲丸の所在(ありか)も、せわしない都にのまれ去って杳(よう)として知れなかった。
 加うるに弥生のこと。
 鳥越の兄藤次郎のこと。
 夜泣きの刀とともに泣く栄三郎の心だった。
 ――裏山のかけひの音が、くすぐるようにごろ寝している栄三郎の耳に通う。かれはむっくりと起きあがって、窓明りに坤竜丸の鞘を払った。
 うすぐらい部屋に、一方の窓から流れこむ陽が坤竜丸の剣身に映えて、煤(すす)だらけの天井に明るい光線(ひかり)がうつろう。
 冬近い閑寂(かんじゃく)な日、栄三郎は、千住竹の塚、孫七の家の二階にすわって、ながいこと無心に夜泣きの脇差を抜いて見入っている。鍔元(つばもと)から鋩子先(ぼうしさき)と何度もうら表を返して眺めているうちに、名匠の鍛えた豪胆不撓(ごうたんふとう)の刀魂が見る見る自分に乗り移ってくるようにおぼえて、かれは眼をあげて窓のそとを見た。
 竹格子(たけごうし)を通じて瑠璃(るり)いろの空が笑っている。
 小猫の寝すがたに似た雲が一つ、はるか遠くにぽっかりと浮かんでいるのが、江戸の空であろう……栄三郎は刀をしまうと、こんどはぽつんと壁によりかかって、眼をつぶって考え出した。
 世の中はすべて思うままにならないことの多いなかに、一ばん自分でどうにでもできそうで、それでいていかんともなし難いものがみずからの心であるような気を、彼はこのごろ身にしみて味わわなければならなかった。
 それはことに、かれが鉄斎先生の娘弥生どのを思いおこすごとに、百倍もの金剛力をもって若い栄三郎を打つのだった。
 嫌いではない。決してきらいではない!
 が、単に嫌いでないくらいのことでは、どうあってもひたすらに心を向けるわけにはいかないところへ、先方から押しつけるように持ってこられると、ついその気もなくはね返したくなるのが男女恋戯(れんぎ)のつねだという。
 栄三郎は弥生を、きらい抜くというのではなかったが、いかに努めても好きになれない自分のこころを彼は自分でどうすることもできなかったのだ。なぜ? ときかれても栄三郎は答え得なかったろうし、ただつとめて好きになる要もなければ、また、なれもしないばかりか、かえってその気もちが負債(おいめ)のように栄三郎をおさえて、それが彼を弥生から離していったのかも知れなかった。
 が、理屈として、
 そこに栄三郎の胸に、三社まえの掛け茶屋当り矢のお艶という女があったがためであることはいうまでもない。武家の娘の生(き)一本に世を知らぬ、そして知らぬがゆえに強い弥生の恋情よりも、あら浪にもまれもてあそばれて寄って来て海草(うみくさ)の花のような、あくまでも受身なお艶という可憐な姿に、栄三郎のすべてをとらえて離さぬきずなの力のあったことは、考えてみればべつにふしぎではなかった。
 そのお艶。
 あの大川の夜、身代りとして舟へ飛びこんだ莫蓮女(ばくれんもの)の口では、お艶は本所の殿様とやらに掠(さら)われたとのことだったが、……どうしてるだろう? こう思うと、栄三郎はいつでもいてもたってもいられぬ焦燥(しょうそう)に駆られて、狂いたつように、手慣れの豪刀武蔵太郎安国をひっつかんでみる。
 しかしその刀と並んでいる坤竜丸を眼にするたびに、かれは何よりも先に一時斬って棄てねばならぬわが心中の私情に気がついて、卒然(そつぜん)として襟を正し肩を張るのだった。
 乾雲丸と坤竜丸!
 剣妖(けんよう)丹下左膳は、乾雲に乗って天を翔(かけ)り闇黒(やみ)に走って、自分のこの坤竜を誘(いざな)い去ろうとしている――それに対し、われは白日坤竜を躍らせ、長駆(ちょうく)して乾雲を呼ぶのだ!
 こうしてはいられぬ!
 恋愛慕情のたてぬきにからまれて身うごきもとれぬとは! 咄(と)ッ! なんたるざまだッ!
 切り離せ! そうだ、左膳を斬るまえにまずお艶への妄念(もうねん)をこの坤竜丸の冷刃で斬って捨て、すっぱりと天蓋無執(てんがいむしゅう)、何ものにもわずらわされない一剣士と化さなくては、とうてい自由な働きは期し得ない!
 百もわかっている。が、やっぱりお艶のうえを思うと、栄三郎は剣を第二にこのほうへ! と心がはやる……それは情智のあらそいであった。
 だが?
 おとなしくしていて養子にでもやられては、お艶も刀もそれきりになってしまう。それではたまらぬと、そこで兄藤次郎にはすまぬと影に手を合わせながら、わざと種々の放埓(ほうらつ)に兄を怒らせて、こうして実家(いえ)へもよりつかずに繋累(けいるい)を断った栄三郎ではないか。
 律気(りちぎ)な兄者人はどんなに怒っていることであろう!
 あの五十両もかわいいお艶のためとはいえ、何もあんなことをしなくてもまともな途(みち)で才覚のつかないわけではなかったが、あれも兄へのあいそづかし――いまも胸底ひそかに兄に詫びてはいるもののそれもこれ、一心を賭して乾坤(けんこん)二刀をひとつにせんがためではなかったか?
 お艶! 恨んでくれるな。今にきっと探しだして助けるから。
 こう低声(こごえ)に口走った栄三郎が、なんとなく再び闘機の近いことをひしと感じて、カッ! と血のさかのぼった眼を見ひらいた時、うらの寺にまのぬけた木魚の音が起こった。
「若様、お茶がはいりましたが――」
 梯子段の中途にお兼婆さんの声がした。

「お艶(つや)や! お艶や」
 と、あたりをはばかる声で、お艶は午後のうたた寝からさめた。
 気がつくと夢を見ていた。
 自分の身が人魚と化して、海底の岩につながれている。青蚊帳(かや)をすかして見るような、紺いろにぼけた世界だった。藻(も)の林が身辺においしげって、ふしぎなことには、その尖端(さき)に一つ一つ果(み)のように人の顔がついていた。源十郎だった。お藤だった。与吉だった。隻眼で、こわい傷のある左膳とかいう侍の首だった。それが四方八方から今にも咬(か)みつきそうに自分をめざして揺れ集まってくる。
 お艶が恐ろしさに身ぶるいして逃げようとしても、昆布(こんぶ)のような物が脚腰(あしこし)にからみついていて一寸も動かれない。懸命に助けを呼んでも、口から大きな泡の玉が立ち昇るだけで、自分の声が自分にも聞こえなかった。
 なんという情けない!……
 と胸を掻きむしって上を仰ぐと、陽の光が斜めに縞のようにぼやけている水面を、坤竜丸を差した栄三郎が泳いでゆく、何度も何度も頭上高く輪をかいて泳ぎまわっているが、おりてはこないし、お艶も浮かびあがれなかった。
 ああ! じれったい!
 あんなにわたしの上をまわっていて、これが見えないのかしら? 見てももう救い出してくださるお気はないのかしら?
 首尾の松の小舟で……あれほど固く誓ったものを!
 人魚になったお艶が源十郎の首にすりよせられて思わず泣き叫ぼうとしたとき、
「お艶! お艶!」
 と呼ぶ声が水の層を通してだんだんはっきりと聞こえてきた。
 あ! 栄三郎さまがおいでくだすった!
「は、はい――お艶はここにおりますッ!」
「お艶」
 という最後の声が耳のそばで大きくひびいたので、お艶がはっと眼をあけてみると……。
 栄三郎ではない――母のおさよが盆に何かのせて来て、しゃがんでいた。
「お艶、お前、好きだったよねえ。お汁粉(しるこ)ができたから持って来たよ。さ、起きておあがり」
 おさよは娘をのぞきこんで、
「お前、なんだかうなされていたようだね」
「ええ、こわい夢……夢でよかった」
 まだぼんやりして上身を起こしたお艶は、ほつれた髪を手早く掻きあげながら、眠りのなかで泣いていたものとみえて、巻いて枕にしていた座蒲団のはしが涙に濡れているのに気がつくと、そっとうしろへかくして悲しく笑った。
 寝起きの頬に赤くあとがついて、男ごころをそそらずにはおかない悩ましさ。
 母と娘、せまい幽室(ゆうしつ)に無言のまま向かいあっている。
 本所(ほんじょ)法恩寺(ほうおんじ)橋まえ鈴川源十郎屋敷の一間(ひとま)である。
 櫛まきお藤のさしがねで、刀渦(とうか)にまぎれ、巧妙にお艶の身柄をさらい出した源十郎は、深夜の往来に辻駕籠(つじかご)を拾ってまんまと本所の家へ運びこんだまではよかったが……。
 いつぞや老下女おさよの話に出た娘というのがこのお艶であろうとは、さすがの源十郎、ゆめにも気がつかなかった。
 駕籠からひきずり出されたお艶を見て、おさよはのけぞるほど愕(おどろ)いたが、そこは年の功、日ごろの源十郎を知っているので、母親ということをさとられずに、かげになりそれとなくお艶の身を守るのが、この際第一の上分別ととっさに考えた。おさよはすばやくお艶に眼くばせしてその意を送り、おもてはあくまでも源十郎の命を大事にすると見せかけて、お艶を奥にあらあらしく監禁(かんきん)しながら、うらへまわっては、母親としてどれだけの切ない心づかいをしなければならなかったろう。運はお艶を見すてず、押しこめられた鬼の窟(あな)にありがたい母の手が待っていたのである。
 奥まった納戸(なんど)。
 くる日も来る日も、お艶にはかびくさい囚(とら)われの朝夕があるだけ――しかしお艶の起居を看視するのはおさよの役だったので、おさよは誰にも疑われずに今のようにそっとお艶の部屋へ忍んでは話しこんで慰(なぐさ)めることも、好きな食物も運び得たのだったが母と娘……とはまだ屋敷じゅうひとりとして見ぬいたものはない。
 酒の場には必ずお艶がひきだされる。
 それでお艶は、窓から見える草間の離室(はなれ)へ、あさに晩にこっそり出入りしている隻眼(せきがん)のお侍が、栄三郎様と同じ作りの陣太刀を佩(は)いていることを知って、なんとかして栄三郎様へしらせてあげたいとは思うが――翼(はね)をとられた小鳥同様の身。
 が、源十郎はあせるだけで、ゆっくりお艶のそばへもよれず、どうすることもできなかった。いつでも口説(くど)きにかかったりしていると、きまって風のようにおさよが敷居に手を突いて、人が来たという。何か御用は? と顔を出す。源十郎は舌打ちするばかりだった。
 いまも、その源十郎のかん走った声が、あし音とともに廊下を近づいてくる。
「さよ! さよ! こらッ、さよはおらぬか」
 たちまち身をすくませるお艶を制して、おさよはあわてて部屋を出た。
「あれ、お母さん! またこっちへ来ますよ。早く行っておさえてください……」
 お艶が隅に小さくなるのを、おさよは、
「いいからお前は黙ってまかせておおきってば!」
 と低声に叱って障子をしめると、おもて座敷をさして廊下を急いだが、そのまも、
「おさよッ!……はて、どこへ行ったあの婆あは?」
 という源十郎の声が、突き刺すように近づいてくる。
 本所の化物屋敷鈴川の家には、午(ひる)さがりながら暗い冷気が鬱(うっ)して、人家のないこのあたりは墓所のようにひっそりしていた。
 小走りに角をまがったおさよ、出あいがしらに源十郎のふところに飛びこんだ。
「なんだ? 婆あか。俺に抱きついてどうする? ははははは、それよりもおさよ、あんなに呼んだのになぜ返事をせん! また、お艶の部屋へ行きおったな」
 源十郎は瞬間太い眉をぴくつかせて、
「どうも変だぞ? 貴様、あの娘となんぞ縁故でもあるのか」
 とおさよをのぞくと、どきりとしたおさよはすぐさま惨(みじ)めに笑いほごした。
「いいえ殿様、とんでもない! ただ若いくせにあんまり強情な娘で、それに殿様がお優しくいらっしゃるので、いい気になりましてねえ、そばで見ていてもはがゆいようでございますから、この婆あがちょくちょく搦手(からめて)から攻めているんでございますよ」
 とおさよはなんとかしてあやなす気でいっぱいだ。
「そうか。おれも荒いことは好まんから恥ずかしながらあのままにしてあるが……まま貴様、なにぶん頼む。じっくり言いきかせてくれ」
「ええええ。そうでございますよ。いまはまだ本人も気がたっておりますから、殿様の御本心もなかなか通じませんけれど、あれでねえ、とっくりと損得を考えますれば、ほほほ、いずれ近いうちには折れて出ましょうとも」
 うそも方便とはいえ、現在の母たるものがなんたる! と思えばおさよも心中に泪をのまざるを得なかった。
「それにねえ殿様、あんな堅いのに限って――得てあとは自分からうちこんで参るものだとか申しますから、まあ、この婆あにまかせて、お気を長くお持ち遊ばせ」
 源十郎は上機嫌、廊下の板に立ちはだかって、襟元からのぞかせた手でしきりと顎をなでては、ひとり悦に入りながら、
「うむ、そういうものかな、はははは、いや、大きにそうであろう。おれは何も、あれを一時の慰(なぐさ)み物にするというのではないのだ」
「それはもう……わたくしも毎日よっく申しきかせておりますんでございますよ、はい」
「と申したところで、水茶屋では公儀へのきこえもあることだからとても正妻(せいさい)になおすというわけにはいかんが、一生その、なんだな、ま、妾(めかけ)ということにしてだな、そばへおいて寵愛(ちょうあい)したいと思う」
 と源十郎は、口から出まかせにさもしんみりとして見せるが、一生そばへおいて――と聞いて、貧窮(ひんきゅう)のどん底から下女奉公にまで出ているおさよの顔にちらりと引きしまったものが現われた。
「殿様」
「なんだ? 改まって……」
「ただいまのおことば、ほんとうでございましょうね?」
「はてな! おれが、何かいったかな」
「まあ! 心細い! それではあんまりあの娘(こ)がかわいそうではございませんか」
「なんのことだ? おれにはわからん」
「一生おそばにおいて――とおっしゃった……あれは御冗談でございましょう?」
 源十郎は横を向いて笑った。
「なんの! 冗談をいうものか。いやしくも人間一匹の生涯を決めるに戯(たわむ)れごとではかなうまい。真実おれはあのお艶をとも白髪(じらが)まで連れ添うて面倒を見る気でおる。これは偽りのない心底(しんてい)だ」
 もし事実そうなったら、お艶のためにも自分のためにも……とっさに思案する老婆さよの表情(かお)に、いっそのこと、ここでお艶に因果(いんが)をふくめて思いきって馬を鹿に乗りかえさせようかと、早くも真剣の気のみなぎるのを、源十郎はいぶかしげに見守った。
「さよ、貴様、あれのことというといやにむきになるな」
「いえいえ! け、決してそんなことはございません!」おさよはどぎまぎして、「ただ、あのただ、わたくしにもちょうど同じ年ごろの娘があるもんでございますから、つい思い合わせまして、あのお艶が……いえ、お艶さんが一生お妾にでもあがるようなことになりましたら、さぞ楽をするであろうと――」
「そうだ。本人のためはいうにおよばず、もし血につながるものがあったら、父なり母なり探し出して手厚く世話をしてやるつもりだから、内実は五百石の後室とそのお腹だ。まず困るということはないな」
 こう源十郎がいいきると、おさよは思わずとりすがるように、
「殿様ッ! それはあの、御本心でございますか」
 すると源十郎、
「な、何を申す! 武士に二言のあろうはずはないッ!」
 といい気もちにそり返りざま、両刀をゆすぶるつもりで――左へ手をやったが、生憎(あいにく)丸腰。
 で、何かいい出しそうにじッ! とおさよを見すえた刹那(せつな)! 裂帛(れっぱく)の叫び声がどこからともなく尾をひいて陰々たる屋敷うちに流れると……。
 源十郎とおさよ、はた! と無言の眼を合わせた。

 と! またしても声が――
 ヒイッ……という、思わず慄然(ぞっ)とする悲鳴はたしかに、女の叫びだ!
 それが、井戸の底からでも揺れあがってくるように、怪しくこもったまま四隣(あたり)の寂寞(せきばく)に吸われて消える。
 源十郎は委細承知らしく、にが笑いの顔をおさよへ向けた。が、口にしたのはやはりお艶のことだった。
「では、さよ、貴様もあの娘の件にはばかに肩を入れておるようだが、いずれそこらの曰(いわ)くはあとで聞くとして――」
「いえ。曰くも何もございません。わたくしは先へ話をするつごうもあり、それにつけても何より大事な殿様のお心持をしっかり伺(うかが)っておきたいと存じましただけで……それも今度はよくわかりましてございます。はい。ほんとにお艶さんはしあわせだ」
 と、正直一図のおさよは、だんだん源十郎に感謝したい気になってきた。
「うむ、まあ、そういったようなものだが」
 狡猾(こうかつ)な笑(え)みをひそめた源十郎、つづけざまにうなずいて、
「いつまでも立ちばなしでもあるまい。近くゆっくりと談合して改めて頼むつもりでおる」
「頼むなどとは、殿様、もったいのうございます! わたしこそお艶に代わって……」
 言いかけて、おさよがあわてて口をつぐむのを、源十郎は知らん顔に聞き流して声を低めた。
 言うところは、こうである。
 あの、女のさけび声。
 あれは、狂暴丹下左膳が、離室(はなれ)で櫛まきお藤を責め苛(さいな)んでいるのだという。
 そう聞けば、おさよにも思いあたる節(ふし)があった。
 源十郎がお艶の駕籠をかつぎこませた暴風雨(あらし)の晩、夜更(よふ)けて、というよりも明け方近く、庭口にあたってただならぬ人声を耳にしたおさよが、そっと雨戸をたぐってのぞくと、濡れそぼれた丹下左膳、土生(はぶ)仙之助の一行が、ひややかに構えたお藤を憎さげにひったてて、今や離室の戸をくぐるところだったが――。
 それからこっち、お藤は浅草の自宅(いえ)へも帰されずに、離室からは毎日のように左膳の怒号(どごう)にもつれてお藤の泣き声が洩(も)れているのだ。
 事ありげなようす! とは感じたが、もとより老下女などの顔を出すべき場合でないので、気にかかりながらもお艶の身を守る一方にとりまぎれていたけれど、いまとなって心に浮かぶのは。
 あの丹下左膳という御浪人。
 かれは亡夫宗右衛門と同じ奥州中村相馬様の藩士で、自分やお艶とも同郷の仲だが、それがなんでもお刀探索(かたなたんさく)密命を帯びてこうして江戸にひそんでいるとかと、いつかの夜のお居間のそとで立ち聞いたことがある。
 道理で、辻斬りが流行(はや)るというのにこのごろはなお何かに呼ばれるように左膳は夜ごとの闇黒(やみ)に迷い出る――もう一口(ひとふり)の刀さがしに!
 しかるに!
 源十郎にないしょにお艶のもとに忍んで話しこんでいるうちに栄三郎のその後の模様もだいぶ知れたが、お艶の口によると、栄三郎はいま、二本の刀のうち一本をもって、他のひとつを必死に物色しているとのこと。
 さては! と即座に胸に来たおさよだったが、その場はひとりのみこんで何気(なにげ)なくよそおったものの、納戸(なんど)のお艶が、それとなく窓から左膳の出入りをうかがっては、いかにもして栄三郎へしらせたがっていることも、おさよはとうから見ぬいていたから、いよいよ左膳と栄三郎は敵同士(かたきどうし)、たがいに一対の片割れを帯して、その二刀をわが手に一つにしたいと求めあっているに相違ない……これだけのことが、湯気(ゆげ)をとおして見るようにぼんやりながらおさよの頭にもわかっていた。
 ところが今、源十郎はお艶の一生を所望している! おめかけとはいえ、終身奉公ならば奥方同然で老いさきの短い母の自分も何一つ不自由なく往(ゆ)くところへ行けようというもの。それに、お艶の素性(すじょう)が知れて武家出とわかれば、おもてだって届けもできれば披露(ひろう)もあろう。

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