丹下左膳
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著者名:林不忘 

 鍛刀の技たるや、細部や仕上げにいたっては各家口伝(くでん)、なかには弟子にさえ秘しているところがあって、おのおの異なり、容易に外界から推測すべくもないが、まず大体は同法であって、すなわち……。
 本朝刀剣鍛錬(たんれん)の基則。
 まず、鉄は、むかしから出場所がきまっている。
 伯耆(ほうき)の印賀鉄(いんがてつ)、これを千草といって第一に推し、つぎに石見(いわみ)の出羽鉄、これを刃に使い、南部のへい鉄、南蛮(なんばん)鉄などというものもあるが、ねばりが強いので主に地肌(じはだ)にだけ用立てる。
 鍛(きた)えに二法あり。
 古刀鍛はおろし鉄のいってんばりであったが、これはまず孫六あたりをもって終りとなし、新刀鍛となっては、正則のほかに大村加卜(かぼく)ほか武蔵太郎一派の真十五枚甲伏(かぶとぶせ)というのも出たが、多く伝わっているのは卸し鉄と新刀ぎたえのふたつだけだ。
 さて、ここに伯耆(ほうき)の印賀(いんが)鉄がある。
 これを刀剣に鍛えんとするには、まず備えとて、炭、土、灰を用意し、炭はよく大きさをそろえて切り、粉は取り去る。
 土にも産地がある。山城(やましろ)の深草山、稲荷山(いなりやま)などの土が最上。
 灰は、藁を焼いたもの。

 水――澄冽(ちょうれつ)をよしとす。清砂(せいしゃ)、羽二重(はぶたえ)の類をもって濾(こ)すのである。
 それから。
 へしと称し、平打ちにかけて鋼(はがね)を減らし、刀の地鉄(じがね)を拵(こしら)える。水うちともいう。
 つぎに、積みわかし。
 これは、ねた土を水でといた濃液(のうえき)を注ぎかけて火床に据(す)え、ふいごを使って鉄を焼くのだ。小わかしというのがそれ。
 大沸かしとは、鉄の周囲に藁灰をまぶし、また火中に入れて熾熱(しねつ)する。
 すめば鍛えである。
 三人の相槌(あいづち)をもって火気を去り、打ち返して肌に柾目(まさめ)をつけ、ほどよいころから沸(わ)かし延べの手順にかかる。
 わかし延べは、束(たばね)である。
 今までバラバラの鋼だったものを、これで一本の刀姿にまとめ、素延(すの)べに移る。
 素延(すの)べは、地鉄のむらをなおし、刃方(はがた)の角(かど)を平め、鎬(しのぎ)のかどを出す。
 火造り――せんすきともいい、はじめて鑢(やすり)を用いていよいよ象(かたち)をきわめる。
 つぎに。
 反(そ)りをつけ、もっとも大切な焼刃にかかるのだが、そりも焼刃も各流相伝になっていて、それによって艶や潤いに大差が生ずる。
 これに要する土は、黒谷(くろたに)のものがよしとされていること、あまねく人の知るところだ。

 この反りと焼刃の工程。
 もとより刀剣の胎生(たいせい)に大切なところで、これによって鋭利凡鈍(ぼんどん)も別れれば、また鍛家の上手下手(じょうずへた)もきまろうというのだが。
 それよりもいっそう重大なのが、次順の湯加減、一名刃渡(やいばわた)しである。
 やいばわたし……鍛刀中の入念場(にゅうねんば)。
 まず水槽に七、八分めばかりの清水をたたえ、火床には烈火をおこし、水は四季に応じてその冷温を加減する――これすなわち湯かげんの名あるゆえん。
 春、二月の野の水。
 秋、八月の野の水。
 これと同じくすることがかんじんだ。そうしてしたくができれば、本鍛冶が、□元(はばきもと)から鋩子(ぼうし)さきまで斑(まだら)なく真紅に焼いた刀身を、しずかに水のなかへ入れるのだが、ここが魂(たましい)の込(こ)め場所で、この時水ぐあい手かげん一つで刃味も品格も、すべて刀の上(じょう)あがり不あがりが一決するのだから工手は、人を払って一心不乱に神仏を念ずるのがつねだった。
 こうして、やいば渡しも終われば。
 荒砥(あらと)にかけて曲りをなおし、中心(なかご)にかかって一度砥屋(とぎや)に渡し、白研(しらとぎ)までしたのを、こんどはやすりを入れて中心を作る。この中心ができあがったうえでさらに研(と)ぎをしあげ、舞錐(まいぎり)で目貫(めぬき)穴をあけ銘を打ち、のち白鞘(しらざや)なり本鞘(ほんざや)なりに入れて、ようよう一刀はじめてその鍛製の過程を脱する――のだが!
 ここに。
 かの関の孫六の水火両様の奥伝というのは。
 ひとつは火で、これは積みわかしにおける大沸かし小わかしのこつ。
 他は水で、それは刃わたしの際のいささかの水工夫であった。
 まことに。
 水と火をもって鍛えにきたえる刀作の術にあっては、その水と火に一家独特の精髄(せいずい)を遺した孫六専案の秘法は、じつにいくばくの金宝を積んでも得難いものに相違なかったろう。
 水火の密施(みっし)。
 ほかでもない。
 個々の鉄体を積み、一種の泥水をかけて焼く時のちょっとした心得――小沸かしの伝と。
 そのつぎに、鉄のまわりに藁灰をつけて熱火に投ずるまぎわのふいごの使い……大沸かしの仕方。
 これが孫六の体得した火の法で。
 水の法は。
 すでに一本の形をそなえた荒刀(こうとう)を、刃渡しとして水中に沈めるときの、ほんのちょっとした水温と角度――にはすぎないけれど。
 この関の孫六水火の自案(じあん)。
 口でいい、耳で聞いたくらいでアアそうかとたやすく会得(えとく)のいくものならば、なんの世話もいらないわけだが、どうしてどうして孫六じしんが一生涯を苦しみ抜いた末、やっと死の床に臥す直前に、ふとしたはずみに心づいて、この刀道の悟りをひらいたという、いわば天来の妙法なのだから、技(わざ)ここに至らんと希(ねが)う者は、身みずから孫六のあえいだ嶮岨(けんそ)を再び踏み越すよりほかに、その秘術をさとり知るよすがはない――こう、美濃の国は関のあたりに散らばる兼の字をいただく工人一家のあいだに、長年いいつたえられて来ているのだった。
 しからば。
 関七流の長(おさ)、孫六の把握し得た水火鍛錬(たんれん)の奥義、かれの死とともにむざむざ墓穴に埋もれはてたというのであろうか?
 否!
 大いに、否!
 世に名工俊手(しゅんしゅ)と呼ばるる者、多く自己にのみ忠(ちゅう)にして頑(かたく)ななりといえども、また、関の孫六、いささかその御他聞に洩れなかったとはいえ、かれとても一派を樹立した逸才、よし自家相伝の意(こころ)はないまでも、日本刀剣づくりの大道から観て、どうして己が苦心になる方策をおのれのみのものとして死の暗界に抱き去るような愚昧(ぐまい)を犯そう!
 必ずや、いずくにか、いかなる方法でか、この孫六の水火の秘技、今に伝わっているに相違ない……とは誰しもおもうところ。
 事実、そっくりそのまま残っているのだ。
 どこに!
 水火一対(つい)――いまは所を異にして!
 ……と語り終わった得印老人のことばに、
「え?」
 思わず急(せ)きこんで闇黒のなかに乗り出したのは弥生。
「それでは、アノ、その関の孫六の水火の法が、いまだに世に残されておりますとな――」
「いかにも!」
 見えはしないが老士、暗中に大きくうなずいたらしかった。
「いまわしがお話し申したとおり、孫六発案の大沸かし小沸かし、さては刃わたしの密法、ともに合符(がっぷ)の秘文となって現在この世に伝来しおること明白でござる」
「まあ! それほど大切な御文書どこにあるかは存じませねど、もはやお手に入れられましたでござりましょう」
 と弥生は、瞬間のおどろきから立ちなおると、やはりすぐと地の女性に返るのだった。
「あッはッハッハ! いや……」
 急に大きく笑い出した得印兼光は、突如、顔をつき出して低声(こごえ)になりながら、
「されば、その水火秘文状(ひもんじょう)の所在でござるが」
「は。そのありかは……?」
「ただいまも申すとおり、合符(がっぷ)になっておる」
「合符?」
「さよう、割文(わりふみ)じゃ。一あって一の用をなさず、二にて初めて一の文言を綴る――つまり水の条(じょう)と火の件(くだ)りと二枚の紙に別れておるのじゃが、それがじゃ、紙は二枚になっておっても、文句は両方につづいている。すなわち、同時に二枚紙を継いで判読せんことには、そのうちいずれの一枚を手にしたとて、とうてい水火の鍛術(たんじゅつ)を満足に会得(えとく)するわけには参らぬ仕組みになっておる」
 弥生は、しずかに首をひねった。
「……と申しますると?」
「おわかりにならぬかな。いや、泰平の世に生まれたお若い方、ことには女子……」
「アレ!」
「おお! ナニ、ははは、誰も立ち聞く者はござるまい……とにかく、御身の存じよらぬはもっともじゃが、戦国のころには何人も心得おった密書の書き方でのう、敵陣を横ぎって遠地に使者をつかわす場合になぞ、必ずこの筆式(ひっしき)を用いたもの。それは――」
 といいかけて、得印老士は、指で畳に字を書き出したとみえる。声とともにかすかな擦音(さつおん)が弥生の耳へ伝わるのだった。
 闇黒の部屋。
 ふたりはいつしかそのまんなかに、ヒタと真近くむきあっていた。
 明日(あす)は雨でがなあろう……春の夜の重い空気がなまあったかく湿って、庭ごしに見える子恋の森のいただきには、月も星もひかりを投げていなかった。
 沈黙――を破った得印兼光のことば。
 それによると。
 合符(がっぷ)……割文(わりふみ)というのは。
 一枚の小さな紙に、ひとつの文句をはじめから書いていき、他の文句をしまいから逆に行間(ぎょうかん)に埋めて両文相俟(ま)って始めて一貫した意味を持っているものを、その紙片の中央から、ふたつに破いておのおの別々に携帯せしめて敵地を通過させる戦陣音信(いんしん)の一法であった。
 かくすれば。
 たとえ二人の使いのうちひとりが敵の手中におちて書状の一片を取りあげられたところで、敵は、もう一つの半片をも得ない限り、そこになんら貫徹した文章を読むことができず、二人を離して派遣しさえすればこの合符割文(がっぷわりふみ)の文づかいは、当時まず安全に近い通信法となっていた。
 これに思いついたのであろう、関の孫六が、その水火鍛錬の秘訣を後人に遺した文状は、すなわちこの合符わり文の一書二分になっていたのだ。
 かれ孫六……。
 死床にあってすでに天命の近きを知るや、人を遠ざけた病室にひとり粛然と端座してしずかに筆紙をとり、ほそ長い一片の紙に針の先のごとき細字をもって――。
一、水はやいばわたしが肝(かん)じんにて候(そうろう)。
 そは、熱刀を水中に入るるに当たり――。
 うんぬんと書きつらね、同時に、おなじ紙の末尾より文を起こし、最初の文字の行と行のあいだへ、左から右へ読まして……。
一、火は大わかし小わかしのことにて候。
 そは、はじめに地鉄(じがね)を積(つ)むとき――。
 と、ここに、この一狭紙(きょうし)に、水火両様の奥伝をしたためて、のち此紙(これ)を真ん中から二つに裂き、水の条からはじまる最初の一片と、火のくだりを説いてある後半の別紙と、おのおの別に切り離して世に残すことにしたのだった。
 そのとき孫六。
 やまいを得るまえに最近仕上げた陣太刀づくりの大小を手にとり赤銅にむら雲の彫(ほり)をした刀の柄をはずして、その中心(なかご)に後半の火密(かみつ)を巻きこめ、おなじく上り竜をほった脇差のつかの中に前片水秘(すいひ)の部を締(し)め隠したのである。

 名匠の熱執(ねっしゅう)をひとつにこめた水火秘文状。
 離るべからざるを二つに断った水秘と火密。
 水は低きに就(つ)き、火は高きに昇る。
 ゆえに。
 水は竜、火は雲である。
 それかあらぬか。
 関の孫六水火の合符(がっぷ)、乾雲(けんうん)丸は大沸かし小沸かしの火策をのみ、わきざし坤竜(こんりゅう)はやいば渡しの水術を宿して、雲竜二剣、ここにいよいよ別れることのできない宿業の鉄鎖(てっさ)をもってつながれる運命とはなったのだった。
 一あって用をなさず、二合(がっ)してはじめて一秘符となる古文書を、中央からやぶいて二片一番(つがい)としたさえあるに、しかも、その両片の一字一語に老工瀕死(ひんし)の血滴が通い、全文をひとつに貫いて至芸(しげい)労苦(ろうく)の結晶が脈々として生きて流れているのである。
 たださえ!
 同装一腰、雲と竜に分かれて離れられない乾雲坤竜だ。
 それがこの、死に臨む刀霊(とうれい)の手に成った水火の秘文合符をそれぞれに蔵しているとは!
 むべなるかな!
 乾坤……天地のあらんかぎり、火の乾雲丸、水の坤竜丸、雲は竜を呼び、竜は雲を望んで、相慕い互いにひきあうさだめにおかれているのだった。
 ふたたび思い起こす刀縁伝奇(とうえんでんき)。
 二つの刀が同じ場所におさまっているあいだは無事だが、一朝乾坤二刀、そのところを異にするが早いか、たちまち雲竜双巴(ふたつどもえ)、相応じ対動して、血は流れ肉は飛び、波瀾(はらん)万丈、おそろしい現世の地獄、つるぎの渦を捲き起こさずにはおかないという。
 それが事実であることは、誰よりも弥生が、眼のあたりに見て知悉(ちしつ)しているのだったが、この夜泣きの刀のいわれには、単に雲竜相引の因果のほかに、底にじつに、こうして秘文合符(がっぷ)の故実がひそんでいたのである。
 わかれていて二刃、同じ深夜に相手を求めてシクシクと哭(な)き出すというが、それは、割文(わりふみ)となって仲を裂かれている水火の秘文が、各自その柄のなかから悲声をしぼるのかも知れなかった。
 死のまぎわまで鍛刀の思いを断たない関の孫六の血肉が働いているのだ。あり得ないことと誰がいい得よう!
 こうして――。
 乾雲坤竜の大小、おのおのその柄の底に水火文状(もんじょう)の合符(がっぷ)を秘めたまま、星うつり物かわるうちに、幾代か所有主をかえ、何人もの手を経たのちに、いつの世からか神変夢想流剣道の指南、祖家の小野塚家の伝宝となって、先主鉄斎の代におよんで江戸あけぼのの里なる道場に安蔵され、年一度の大試合にのみ、賞として一時の佩腰(はいよう)を許されていたのが。
 しかるに。
 この夜泣きの刀に、あらぬ横恋慕(よこれんぼ)を寄せたのが、名だたる蒐刀家の相馬大膳亮。
 そして、その命を奉じて、今江戸おもてに砂塵をまきたてているのが、独眼隻腕の剣妖丹下左膳……それに対する諏訪栄三郎。
 乾雲丸とともに、火使(ひつかい)の心得は左膳の手に。
 坤竜丸とともに、水ぐあいの説は栄三郎の腰に。
 合符(がっぷ)、剣にしたがっていまだに別在しているところに、地下の孫六のたましいは休まる暇とてもなく、それが地表にあらわれてこのあらゆる惨風凄雨(さんぷうせいう)の象(かたち)を採(と)っているのであろう……。
 だが、しかし!
 孫六が刀装をほどこして以来、まだ一たびもよそおいを変えたことがないらしく、今に陣太刀(じんだち)づくりのままの二剣である。一刻も早く両刀を一手におさめて柄を脱(の)けたならば、必ずや、大の乾雲からは、割(わ)り文(ぶみ)の後片火説の紙が生まれ、小の坤竜は、前半水法のくだりを吐き出すに相違ない。
 当時孫六は、幅一寸、長さ尺余の紙きれに、微細蚊(か)のあしのごとき文字をもって、巻き紙のように横に、左右両方から水火の秘文を一行おきに書きうずめ、これを中裂し、一片を一刀に、めいめい中心の上へしかと捲きしめて、またその上から赤銅の柄をはめ返したものだった。
 と、同時に。
 かれは、万一の散逸をおもんぱかっての用意をも忘れなかった。
 べつに、一書を草(そう)して水火刀封の旨を記載し、彼はそれを、日ごろ愛用のやすり箱へしまいこんで、はじめて安堵して永久の眠りについたのだったが――。
 その心算(こころ)は。
 おのが子孫が何人にまれ、およそ後人に刀剣鍛錬に志して達成を望む者、もしこの孫六の鑢(やすり)を手がける境(きょう)まですすんだならば彼こそはその箱の中の指書(ししょ)を見て、ひいてはそれより、二刀の柄から水火秘文状を掘り出しても差支えのない人物であることを自証(じしょう)するものだ。
 こういう腹だったのが、爾後(じご)幾星霜、関七流の末に人多しといえども、いまだ孫六のやすりに手が届いて別書を発見したものはなく、従って水火合符刀潜(とうせん)の儀、夢にも知れずにすぎて来たのである。

 それでも、うすうすながら関の開祖孫六に、水あげ火あげの独自の両秘術があったらしいことだけは、ふるい昔の語りぐさのように、美濃国にいる刀鍛冶のあいだにいいつたえられてきたけれど、誰も、孫六の専用した古式の鑢(やすり)を使いこなす域にまで到達したものがなかったために、やすりの箱は埃をかぶったまま長く開かれずついに彼の死後こんにちにいたるまで、水火の奥ゆるしが割符(わりふ)となって夜泣きの大小の中心(なかご)に巻き納めてあるということを認めた、やすり箱の中の孫六の別札真筆(べっさつしんぴつ)も、とうとう見出される機とてもなく、古今の貴法(きほう)のうえに、春秋いたずらに流れ去ってきたのだったが!
 さては、あったら名人のこころづかいも空(くう)に帰して、水火秘文の合符(がっぷ)、むなしく刀柄裏(り)に朽ち果てる……のか。
 と、見えたとき。
 半生を鍛剣のわざに精進して、技(ぎ)熟達(じゅくたつ)、とうとう孫六遺愛の鑢(やすり)を手がけようとして箱をひらいたのが関(せき)正統(せいとう)の得印家に生まれて、何世かの兼光を名乗る、この子恋の森陰一軒家のあるじ、火事装束五梃駕籠の首領の老士であった。
 この得印兼光は、じつに孫六の末胤(まついん)だったのである。
 ――と、ここにはじめて素姓をあかし、名乗りをあげた得印老人のまえに、闇黒の部屋に坐して弥生は思わず襟をただしたのだった。
「何ごとにまれ、芸道の苦心は尊いものと聞きおよびまする。夜泣きの刀が、さような大切な文を宿しそのように因縁(いんねん)につながっておろうとは、父もわたくしも、いや、小野塚家代々のものがすこしも存じ寄りませぬところでござりましたろう。いかさま、雲と竜のふたつの刀、それでは切っても切れぬはずにござりまする。よくわかりました。それではわたくしも、微小ながら今後いっそう力をつくして、かの二剣をひとつに、必ず近くお手もとへお返し申すでござりましょう」
「いや! いや!」
 滅相もない! といったふうに兼光はあわてて手でも振り立てたものらしい。暗い空気が揺れうごいて、弥生の顔をあおった。
「いや! たとえわたしの先祖が鍛(う)ったところで、いまは、刀はあくまでも小野塚家のもの、わしとてもそれに、指一本触(ふ)れようとは思い申さぬ。が、ただ、その乾坤二刀の柄の内部(なか)に秘めらるる孫六水火の秘文状(ひもんじょう)それだけ……それだけは、所望でござる! この老骨の命を賭しても!」
「ごもっとも! 伊織、心得ましてござりまする」
 と弥生は、話が固くなるにつれて、またもや本性の女らしさが徐々に消えて、この日ごろ慣れている男の口調に返るのだった。
 関の孫六の後裔(こうえい)、得印老士兼光の低声が、羽虫の音のようにつづいてゆく。
「当今(とうこん)、新刀の振るわないことはどうじゃ?」
 いきなり、老人はこう吐き出すようにいって、眉をあげた。
「御治世のしるし津々浦々にまでいきわたって、世は日に月に進みつつあるというが、刀鍛冶だけは昔の名作にくらぶべくもない。本朝の誇りたる業物(わざもの)うちの技能、ここに凋落(ちょうらく)の兆(きざし)ありといっても過言ではあるまい。なんとかせねばならぬ! 古法の秘を探り求めるか、みずから粉骨砕身(ふんこつさいしん)して新道をきりひらくかせぬことには、鍛刀のわざもこれまでである――こう思ってわしは寝る眼も休まず勤労して来たものだが、菲才(ひさい)はいかにしても菲才で、恥ずかしながらいまだ一風を作(な)すところまで到らぬうちに、それでも、どうやらこうやら祖師孫六のやすりを使い得るようになって、一日この老いの胸にときめく血潮をおさえて、ついに鑢(やすり)箱のほこり払ったとおぼしめされ」
「は……?」
「と、出て来たのじゃ! 出て来たのじゃ! 乾坤二刀に水火の秘訣が合符(がっぷ)となって別べつに封じこめてあるという、まごう方なき孫六直筆の一書が現れたのじゃ! 弥生どの、そのときのわしの悦びと驚きは、ただもうお察しありたい」
「…………」
「以後のことは申すまでもござるまい。弟子どもを八方に走らせて探らせると、いまその大小は、ソレ、そこもとの父御(ててご)、江戸根津あけぼのの里なる小野塚家にあると聞きおよび、急遽(きゅうきょ)、四人の高弟をしたがえ、平鍛冶中より筋骨のすぐれし者をえらんで駕籠屋に仕立て、ただちに江戸おもてへ馳せつけ参ったのでござるが、その時はすでに御存じのとおり、かの丹下めの無法により二剣ところを異にして、刀が血を欲するのか、内部(うち)なる水火が暴風雨を生ぜぬにはおかぬのか――とまれ、かかる騒動の真っただなかへ、われら、美濃国関の里よりのりこみ来たったわけでござる。その後、そこもととこうして起居をおなじうすることに相成ったのも、奇縁と申せば奇縁じゃが、これも水火の霊、すなわち祖孫六の手引きであろうと、わしは、ゆめおろそかには思いませぬ」
 老人がポツリと口をつぐむと……沈みゆく夜気が今さらのごとく身にしみる。

 かくして。
 謎(なぞ)の老士得印兼光は、夜泣きの刀の作者関孫六の子孫だったことがわかり、部下の、同じ火事装束の四人はその弟子、六尺ぢかい大男ぞろいの駕籠かきも、重い鉄槌(てっつい)をふるう平鍛冶のやからなればこそ、これも道理とうなずけて、弥生は、こころからなる信頼のほほえみを禁じ得なかったと同時に、斯道(しどう)に対する老人の熱意のまえには、さすがは名工孫六の末よと、おのずから頭のさがるのをおぼえるのだった。
 もう夜は五刻になんなんとして、あるかなしの夜映を受けて、庭に草の葉の光るのが見える。
 会話(ことば)がとぎれると、人家のないこの青山長者ヶ丸のあたりは、離れ小島のようなさびしさにとざされて、あぶらげ寺の悪僧たちであろう、子恋の森をへだてた田の畔(くろ)を、何か大ごえにどなりかわしてゆくのが聞こえる。
 犬が吠えて、そしてやんだ。
 春の宵は、人にものを思わせる。
 得印老人の物語が、感じやすい弥生のこころをさらって、遠く戦国のむかしにつれ返っているのだった。
 近くの闇黒に、弥生は見た――ような気がしたのである。
 古い絵のなかの人のようなよそおいをした刀鍛冶の孫六が、美濃の国、関の在所にあって専心雲竜の二刀を槌(つち)うつところを!
 ふいごが鳴る。火がうなる。赤熱(しゃくねつ)の鉄砂が蛍のように飛び散ると、荘厳(そうごん)神のごとき面(おも)もちの孫六が、延べ鉄(がね)を眼前にかざして刃筋をにらむ……。
 それは真に、たましいを削るような三昧不惑(さんまいふわく)の場面であった。
 と見るまに。
 その幻影は掻き消えて、そこに、弥生の眼には、またほかのまぼろしが浮かぶともなく描かれているのだった。
 死に近い孫六である。
 かれは、書いている。ほそ長い紙きれに、おどろくべき細字をもって、しきりに筆を走らせているのだが、その字の色はうす赤かった。血のように赤く、また汗のごとくに水っぽいのだ。
 それもそのはず!
 彼は、みずからの血におのが汗をしぼりこんで、この水火の秘文(ひもん)をしたため遺(のこ)しているのではないか!
 そのうちに、書き終わった孫六は秘文を中断して割文となし、ふるえる手で、乾坤二刃のみにそれぞれに捲(ま)きしめている……が、ここまで自分の想描(そうびょう)を追って来たとき、弥生はハッ! として[#「ハッ! として」は底本では「ハッ!として」]眼をまえの得印老士のほうへ返した。
 死につつある孫六の顔が、兼光のように見えて来、再びそれが、亡父(ぼうふ)鉄斎のおもかげに変わりだしたような気がしたからだ。
「弥生どの!」
 りんとした得印兼光の声が、鋭く弥生を呼んでいるのだった。
「は」
 これで弥生、暗中の醒夢(せいむ)をふるいおとしていずまいをなおした。
「かかる次第じゃによって、わしはいかにもして、一時かの二剣を手にせねばならぬのじゃ。ナニ、ちょっとでよい。ほんの一刻、ふたつの柄をはずして秘文を取り出しさえすればあとの刀には、わしはなんらの未練も執着も持ち申さぬ。当然、正当の所有主(もちぬし)たるそこもとへ即時返上つかまつるでござろう」
「は。そのお言葉を頼みに、わたくしも豆太郎も、せいぜい働きますでござりまする。ではそのようなことに――何はともあれ、二剣ひとまず御老人のお手もとへ! ハッ心得ました」
 老士はただ、会心の笑みを洩らしただけらしい。こたえはなかった。
 が!
 雲竜奪取もさることながら……。
 弥生のこころは、いつしか先夜、豆太郎とともに深川のお山びらきに左膳月輪を襲った時に、瓦町からつけていった栄三郎の姿。さては、夕ぐれ彼の帰り来る折りの風流べに絵売りのいでたち――それらの思い出を悲しく蔵して浮きたたなかった。
 扮装(なり)は男でも、名は若侍でも、弥生はやはり弥生、成らぬ哀慕に人知れず泣くあけぼの小町のなみだは今もむかしもかわりなく至純(しじゅん)であった。
 と、そこへ。
 おなじ夜に、旗亭(きてい)の二階に障子をあけて現われたお艶の芸者すがたが眼にうかぶ。
 自分に義理を立てて、さてはあの女は歌妓(かぎ)とまで身をおとしたのか……すまぬ!
 こう弥生が、あやうく口に出して独語(ひとりご)とうとしたとき、
「オヤオヤ! これあ驚きましたな。ばかに暗いじゃありませんか」
 豆太郎が、あんどんに灯を入れて来た。

  候(そうろう)かしく

 四月。
 ころもがえ。
 卯(う)の花くたしの雨。
 きょうも朝から、簀(す)のような銀糸がいちめんに煙って、籬(かき)の茨(いばら)の花も、ふっくらと匂いかけている。
 屋敷横、法恩寺の川はいっぱいの増水で水泡をうかべた濁流が岸のよもぎを洗って、とうとうと流れ紅緒(べにお)の下駄が片っぽ、浮きつ沈みつしてゆくのが見える。
 土手につづく榎(えのき)の樹。
 早い青葉若葉が濡れさがってところどころ陽に七色に光っていた。
 あかるい真昼の小雨だ。
 はるか裏にひろがるたんぼのなかを、大きな蓑(みの)を着た百姓が、何かの苗を山とつんだ田舟を曳いてゆくのが、うごきが遅いので、どうかするととまっているようで、ちょうど案山子(かかし)のように眺められるのだった。
 潮干狩のうわさも過ぎて、やがては初夏のにおいも近い。
 遠くの野に帯のような黄色な一すじが、雨に洗われて鮮やかに見えるのは、菜の花であろう……。
 雨日小景(うじつしょうけい)。
 左膳は、その一眼にこれらの風情をぼんやりと映して、さっきから本所化物やしき庭内、離室の縁ばしらに背をもたせたまま、まるで作りつけたように動かずにいるのだ。
 人なみはずれて身長の高い左膳は、こうして縁側に立てば、破れ塀のあたまごしに、そと一円を見はるかすことができたけれど、それにしても剣怪左膳、どうしてこうおとなしく、絹雨にけぶるけしきなどを、いつまでも見惚(みと)れているのであろう。
 彼らしくもない。
 ……といえばいえるものの、じつは左膳、これでも胸中には、例によって烈々たる闘志を燃やし、今やこころしずかに、捲土重来(けんどじゅうらい)、いかにもして栄三郎の坤竜を奪取すべき方策を思いめぐらしているところなのだ。
 ながい痩身、独眼刀痕の顔。
 空(から)の右袖をブラブラさせて、左しかない片手に柱をなで立つと、雨に濡れた風がサッと吹きこんできて、裾の女ものの下着をなぶる。
 鋭い隻眼が雨中の戸外に走っているうちに、しだいに左膳の頬は皮肉自嘲の笑みにくずれて来て、突然かれは、いななく悍馬(かんば)のごとくふり仰いで哄笑した。
「あっはははッは! 土生(はぶ)仙之助は殺(や)られたし、月輪も、先夜は岡崎藤堂ら数士を失い、残るところは軍之助殿、各務氏、山東、轟の四人のみか――ナアニ、武者人形の虫ぼしじゃアあるめえし、頭かずの多いばかりが能(のう)じゃねえ。しかし、源の字は当てにならず、おれとともにたった五名の同勢か。ウム! それもかえっておもしろかろう! おれにはコレ、まだ乾雲という大の味方があるからな……」
 ひとり述懐を洩らしつつ左膳、みずからを励ますもののごとく、タッ! と陣太刀赤銅の柄をたたいたとき、
「チェッ! よくあきずに降りゃアがる!」母屋(おもや)から傘もなしに、はんてんをスッポリかぶって、ころがるようにとびこんで来たのは、ひさしぶりにつづみの与吉だ。
 降りこめられて、しょうことなしに離室いっぱいに雑魚寝(ざこね)している月輪の残党四人をのぞきながら、
「ヒャッ! 河岸にまぐろが着いたところですね」
 と相変わらず、江戸ぶりに口の多い与の公、はじめて気がついたように左膳に挨拶して、
「お! 殿様、そこにおいででしたか、注進注進」
「なんだ?」
「なんだ、は心細い! いやに落ち着いていらっしゃいますね……ハテどうかなさいましたか。お顔のいろがよくないようですが――」
「何をいやアがる!」左膳は相手にしない。「てめえもあんまり面(つら)の色のいいほうじゃアあるめえ。儲(もう)けばなしもないと見えるな」
「ところが殿様! 丹下の殿様! ヘヘヘヘヘ、ちょいと……」
「何?」
「ちょいとお耳を拝借」
 苦笑とともに左膳、腰をかがめて与吉の口に暫時(ざんじ)、耳をつけていたが、やがて何ごとか与吉のことばが終わると、ニッと白い歯を見せてほくそえんだのだった。
「そりゃア与の公、てめえ、ほんとうだろうナ」
「冗談じゃアない。何しにうそをいうもんですか」
 与の公はいきおいこんだ。
「ほんと、ほんと、あのお艶……、母屋(おもや)の殿様がゾッコンうちこんでいなさる女(あま)っこが、深川で芸者に出ているてエこたあ、誰がなんといおうと、お天道さまとこの与吉が見とおしなんで――へえ、正真正銘ほんとのはなしでございます」
「そうか」
 と一言、左膳はなぜかニヤリと笑ったが、
「ふうむ。そりゃアまあそうかも知れねえが、なんだって手前(てめえ)は、そいつを肝心の源十郎へ持っていかねえで、そうやっておれに報(し)らせるんだ? お艶のいどころなんぞ買わせようたって、おれア一文も払やしねえぞ」
「殿様ッ! 失礼ながら駒形の与吉を見損(みそこな)いましたネ。こんなことを、筋の違うあんたんとこへ持ちこんで、それでいくらかにしようなんて、そんなケチな料簡の与吉じゃアございません」
「大きく出たな」
「しかし、ですね。鈴川様はいまピイピイ火の車……」
「いつものことではないか」
「それが殊にひどいんで、とても知らせてやったところで一文にもなりませんから、そこでこちら様へただちに申しあげるんでございますが、ねえ丹下様、この女の所在ととっかえっこに、ひとつ鈴川さまに働かせてみちゃアどうでございます」
「ハハハハ、罪だな」
「なあに、罪なことがあるもんですか。こないだの晩だって、先にいっしょに瓦町へ物見に行ったときなんざア、ポウッと気が抜けたように、お艶のことばかり口走って歩いていたくらいですから、そのお艶の居場所がわかった、ついては、なんとかして栄三郎から刀を奪ってくれば、すぐにもそこを教えよう――こういってやりゃア、今はお艶のことでフヤフヤになっていますが、あれでも鈴川様は去水流の名人ですから、お艶ほしさの一念からきっと栄三郎を手がけて坤竜をせしめて参りますよ。あっしアこいつア案外うまくいくことと思いますが、丹下様、いかがで?」
「ウム、そうだな、折角の援軍もいまは四人に減って、おまけに栄三郎には泰軒、そこへもってきて五梃駕籠のほかに、かの手裏剣づかいの人猿も現れ、おれ達にとっては多難なときだ。こりゃア一番、てめえのいうとおり、お艶を囮(おと)りに、源十をそそのかして、コッソリ瓦町へ放してやるとしようか」
 はなれの縁で左膳と与吉が額部(ひたい)をよせて、こうヒソヒソささやきあっている時に!
 折りも折り。
 庭をへだてた化物屋敷のおもや鈴川源十郎の居間では。
 ぴったりと障子を閉(し)めきって、あるじの源十郎とひとりの年増女(としま)が、これも何やら声を忍ばせて、しきりに話しこんでいる最中。
 年増(としま)……とは誰?
 と見れば。
 めずらしくも、櫛まきお藤である。
「だからさ、お殿様、じれッたいねえ。何もクサクサ考えることはないじゃありませんか」
 今までどこにもぐっていたのか、眼についてやつれて、そのかわり、散りかねる夕ざくらの凄美(せいび)を増した櫛まきの姐御、ぽっと頬のあからんでいるのに気がつけば、ふたりのあいだにのみ干された茶碗酒がふたつ。
 じまんの洗い髪――つげの横ぐし。
 大きな眼を据え顔を傾けて、早口の伝法肌(でんぽうはだ)、膝をくずした姿も色めき、男を男と思わぬところ、例によって姐御一流の鉄火(てっか)な調子……。
「そりゃアあたしもネ、なんて頼み甲斐のないお人だろうと、いまから思えば冷汗(ひやあせ)ものですけど、一時は殿様をお恨み申したこともありますのさ。でもね、すぎたことはすぎたこと。さらりと水に流してしまえば、そこは江戸ッ子同士のわかりも早く、ホホホ、こうしてあつかましく遊びにまいりましたよ」
「よく来た」
 ぽつりいって、源十は冷酒(ひや)[#「冷酒(ひや)」は底本では「冷酒(ひや)」]を満たしてやる。
 だるい静けさ。
 さっき源十郎がひとりで、先日手切れの五十両を持って出ていったきり今に帰らないおさよのことを、さまざまに思いめぐらして憤怒(いかり)をおさえているところへ、チョロチョロと裏庭づたい、案内も乞わずに水ぐちからあがりこんで来たのが、この絶えてひさしい櫛まきお藤であったから、うらまれる覚えのある源十郎、すくなからず不気味に思いながらも、あんまり嫌な顔もできず、あり合わせの酒をすすめながら相手になっていると。
 お藤はすぐ、おのが恋仇敵ともいうべき左膳の思い女(もの)弥生のことを、われから話題(はなし)に持ち出したのだった。
 弥生のその後――それをお藤は源十郎に語る。
 そして……。
 お藤は、こういうのだった。
 弥生がいま、男装して小野塚伊織と名乗り、青山長者ヶ丸なる子恋の森の片ほとり、火事装束五人組の隠れ家にひそんでいることを、たしかにさる筋よりつきとめた――と。
 お藤がここにいうさる確かな筋とは?
 それは、ほかでもない。
 彼女じしんのうちにいつしか発達した探索の技能によって、最近じぶんで嗅(か)ぎ出しただけのことである。みずからつけまわして探り当てたのだから、なるほどこれ以上確かな筋もあるまいが……。
 いったいこのお藤。
 ながらく岡(おか)っ引(ぴき)その他の御用の者をむこうにまわして昼夜逃げ隠れているうちに、対抗の必要上、いつのまにか駈け出しの岡(おか)っ引(ぴき)なんか足もとへも寄れないほどに眼がきき出して、ことに人の行方なぞたいがいの場合、お藤姐御の智恵さえ借りれば、即座にかたのつくことが多かった。
 こんどもその伝(でん)。
 かの第六天篠塚稲荷の地洞(じどう)に左膳とともに一夜を明かしたのち左膳はそのまま、お藤の盗って来た坤竜を引っつかんで、まんじ巴(ともえ)の降雪(ゆき)のなかを飛び出して行ったきり、ふたたび、稲荷の地室に待つお藤のもとへは帰らなかった――でひとり残されて待ちぼうけを食ったお藤、それからはそのやしろの縁の下に巣をかまえて、兇状もちの身は、お上(かみ)の眼が光っているから、当分は外出もできず、くらいなかに寝たり起きたり、左膳を慕い世をのろって、ひそかに沈伏していたのだった。
 この篠塚稲荷(しのづかいなり)……むかし新田の家臣篠塚伊賀守、当社を信仰し、晩年法体(ほったい)してこの辺に住まっていたもので、別当国蔵院はその苗裔(びょうえい)であるといわれる。
 早くからこの古社に眼をつけたのがくしまき。彼女は、数年前、江戸おかまいになる先から、そっと祠内の根太(ねだ)をはがし根気よく地下を掘りさげて、床したの土中に、ちょっとした室(むろ)を作っておいたのである。
 なんのため?
 いうまでもなく、万一のさいのかくれ場所だ。
 事実、これがあるがためにお藤が十手の危口をのがれ得たこと何度だか知れない。彼女はつねに、捕り手が迫るがごとにどうにかしてこの稲荷のまえまでおびきよせ、そこで床下の部屋へドロンをきめこんで朱総(しゅぶさ)を晦(ま)き、ほとぼりのさめるまでそこで暮らすことにしていたのだ。だから、寝具から炊事(すいじ)の品々、当座の食糧などすべて日ごろから補給しておいて、いつなんどき逃げこんでもしばらくは困らないだけの用意を調えていた。
 現(げん)に、いつぞやの夜も、お藤はここで御用十手の円陣から消え失せて、のちには左膳をも助け出して、同じくこの穴ぐらへつれこんだのだったが、左膳が去ったあと――。
 暗中にひとりいてお藤のかんがえたことは。
 さすがに来(こ)し方ゆく末のことども。
 なかでも、むこうでは嫌っていても、左膳が思っているので、じぶんにとってはやはり恋路の邪魔である弥生のこと……それがお藤のこころを悩まして去らなかった。そういえば、いつか雨の晩に、番町から瓦町へつれ出してから、あの娘はいったいどうしているのだろう?
 何ごとも、思いついてはいてもたってもいられないお藤である。
 翌日から穴を出て、爾来(じらい)、彼女一流の探りの手腕をもって江戸中を櫛の歯のごとく当たって歩いていると!
 目黒の行人坂。
 寛永のころ、湯殿山の行者が大日如来(だいにちにょらい)の堂を建立した大円寺の縁日で、ふとおもかげの似た若侍とゆきずり、そこは、こんなことには特に頭の働くお藤なので、おや! 似ているぞ! と看(み)てとると同時に、あとをつけて、いよいよ弥生が、男装して小野塚伊織を名乗り、そのひそんでいる家まで突きとめたのだった。
 それをお藤は、いま源十郎へしらせているのだ。
「その儀は、おれより左膳へ、じかに教えてやったらよいではないか」
 苦笑を浮かべて源十郎がいう。
 お藤はせせらわらった。
「どこの世界に、自分の恋がたきの居どこを、わざわざ知らせてやるやつがあるもんですか。あたしゃ、それよりも左膳様が憎らしいんですよ。エエ、憎くて憎くてしょうがありません。だから殿様、丹下様があなたといっしょにお艶さんの行方(ゆくえ)を探すなら弥生さんのいるところを教えてやろうとおっしゃりさえすれば、弥生さんに首ッたけのあの人のことですもの、きっと眼のいろを変えてお艶さんをたずねまわるに相違ありませんよ。おもしろい芝居。ホホホホ、ねえ殿様、いかがでございます」
 鈴川源十郎、黙って煙草を輪に吹いている。

 お藤のはらでは。
 左膳へ人づてに弥生の住所を知らせてやれば、かれはすぐさま、とるものもとりあえず子恋の森へ駈けつけるに違いない。そうすれば先には、五人組をはじめ豆太郎というお化け野郎までそろっていることだから、きっと左膳は窮地におちいって、ひょっとすると乾雲はおろか、生命までも失うようなことになるかも知れない――それがいまの自分としては、あくまでもこの恋をしりぞける左膳に対して何よりの、そして唯一の報復であると、お藤は固く思いこんでいるのだ。
 で、躍起となって、源十郎にすすめている。
「あたしも、あんな隻眼隻腕のお国者に馬鹿にされどおしで、このまますっこんじゃいられませんや。こうして丹下様をひどいめにあわして仇敵(かたき)さえとってしまえば、あたしもやばい身体ですからしばらく江戸の足を抜いて、どこか遠くへ長いわらじをはくつもりでおりますのさ。まあ、これが櫛まきお藤のお名残り狂言でございますよ」
 源十郎も、しだいに乗り気になって、
「それで、お艶を探し出す助力と交換に、弥生の居所を知らせてやろうともちかけるのだナ」
「ええ。そうでございます。殿様だってお艶さんのいどころは気になっておいででしょう?」
「ウム。そりゃアまあそういったようなものだが――」
「だから、でございますよ、弥生さんの所在ととりかえっこに、ひとつ丹下様に働かせてみちゃアどうでございます?」
「ハハハ、罪だな、しかし」
「なに、罪なことがあるもんですか。そうして殿様はお艶さんを捜し出させ、左膳さまには青山の家をしらせてやってそこへあの人が飛びこんでゆけば、ね! ホホホホ飛んで火に入るなんとやら、あとはあたしの思う壺(つぼ)でございますよ」
「いやどうもお藤、貴様はなかなかの策士だな。かなわん。では、そういうことにしてやってみようか」
「ぜひ殿様、そうしてごらんなさいましよ……ときに、おさよさんは?」
「なに、さよか。ア、ちょっとそこらへ買い物にでも参ったのであろう」
 と、軽くごまかした源十郎、善はいそげとばかりにさっそく左膳へぶつかってみるつもりで、ソッとお藤を帰し、そのまま離庵(はなれ)のほうへ庭を横ぎってゆくと、
「イヨウ! 源的、そこにいたのか。話があって参った」
 むこうから左膳の声。
 いいところで――と、思わずふたりがニッコリする。
「左膳!」
「なんだ?」
「拙者も貴公に話があって参った」
「まさか店立(たなだ)てではあるまいな」
「大きに違う。貴公の女弥生のいどころが知れたのだ」
「ほう! それは耳よりな! しかし源の字! そういえば、貴様の女の、お艶のいどころも知れたぞ」
「ナニ! お艶の居場所? それを貴公は知っているのか、どこだ? どこだ?」
「待、待て! そうあわてくさるな。それより、弥生はどこにいるのだ? それをいえ!」
「オッと! そう安直(あんちょく)に種をわってどうなるものか。貴公から先にはきだすがよい!」
「何をうまいことを? 資本(もとで)のかかっておる仕入れだ。そうそう安くはおろさんぞ」
「はははは、こうやっていたのでは限(き)りがないよ。いっしょに明かしあうことにしようではないか」
「きょうは嫌に女の所在の知れる日だて――そこできくが、弥生はどこにいる?」
「お艶の住いはどこだ?」
「チッ! そんなら、おれから先にいおう! お艶はいま、ふかがわのまつ川という家から、夢八と名乗って、芸者に出ておる」
「フウム! まつ川の夢八……」
 うめいたまま源十郎、ふらふらとして庭外(そと)へ出ていきそうにするから、あわてたのは左膳だ。
「おいおい源公! てめえ、じぶんの聞く分だけ聞いておれのほうはどうした? 弥生様はいってえどこにいなさるんだ?」
「オオ、そうだったナ」振り向いた源十郎、「青山長者ヶ丸、子恋の森の片ほとりの一軒家」
 夢中の人のごとくつぶやくのを聞くより早く、
「なあに、青山?」
 左膳、それこそおっとり刀のいきおいで、それなりブウンと化物屋敷を駈け出した。と見るより、源十郎も速力を早める。
 一は深川へ。
 他は青山へ。
 同時に走り出した源十郎と左膳。
 だが、この会話とようすを、最初(はな)から庭のしげみに隠れて、立ち聞いていた大小ふたつの人かげがあった。
 それが、いつもこのごろ、絶えず当家にはりこんでいる弥生と豆太郎……であろうとは?
「いやいや! 貴様がなんと申そうと、お艶、ではない、夢八が当家におるということは、拙者、しかと突きとめて参ったのだ。じゃませずと部屋へ通せ」
 源十郎、やぐら下まつ川の上がり口に立ちはだかって、うすあばた面の顔をまっかに、こうどなり立てている。
 よほど逆上しているものらしく、この色街にあって不粋もはなはだしいことは、源十郎が今にも抜かんず勢いで、刀の柄に手をかけているのだが、応対に出たまつ川の主人はいっこうに動(どう)じない。
「エ、なんでございますか、手前どもにはとんと合点が参りませんでございます。へえ、しかし、夢八……というのはどうやら聞いたことのあるような名、いや、この辺やぐら下界隈(かいわい)には、御案内のとおり、置屋もたくさんあることにござりますれば、どうぞほかの家をお探しなすってくださいまし」
 ばか丁寧に、主人はこういって、しきりにテカテカ光る額を敷居にこすりつけているのだが、たしかにやぐら下のまつ川にお艶がいると聞いてきた源十郎、いっかなひきさがる道理がない。
 お艶の夢八、もちろんこの家にいるには決まっているが、八丁堀まがいの、あんまり相のよくない侍がのりこんできて強面(こわおもて)の談判なので、おやじはこう白(しら)をきりとおしているのだ。
 いる、いない――の押し問答。
 場所がら、いかついおさむらいが威猛高(いたけだか)に肩をはり、声を荒らげているのだから、日中用のない近所の女や男衆それに通行の者も加わって、はやまつ川の戸口には人の山をきずいている。
 源十郎はいらだった。本所からここまで急ぎに急いで駈けつけたのに、そういう女はおりません。ハイそうですか、さようなら……では彼もひきとるわけにはゆかなかった。
 そこで!
「黙れッ! おらんというはずがないッ。拙者はどこまでも押しあがって家(や)さがしをするからそう思え!」
 いうが早いか源十郎、片手なぐりにおやじを払いのけておいて、ドンドンまつ川の家の中へ踏みこんでみると!
 ちょうど突当りの小廊下に、チラとのぞいた女の影!
「お! お艶ッ、待てッ」
「あれッ!」
 同時に両方が声をあげた。その声音は源十郎が夢にうつつに耳に聞くお艶の調子!――だから源十郎、勇士が敵陣へでも進むかっこうで、パタパタと廊下を鳴らして奥へ走った。
 と!
 すでにそこにはお艶の姿はなく、この狂気めいた武士の闖入(ちんにゅう)に、家の内外に人の立ちさわぐのが、聞こえるばかり……ポカンとした源十郎が、血走った眼でそこらを見まわす!
 すぐ前に、桟(さん)のほそい障子を閉(た)てきった小部屋がひとつ、何かをのんでいるように妙にシンと静まり返っている。
「此室(ここ)だナ! うむ、お艶め、これへ逃げこんでひそんでおるに相違ない」
 われとうなずくと同時に、源十郎はフト障子に手をかけてサッとひらいた。
「ワッはっはっは」
 この、とてつもなく大きな笑い声が、まず源十郎をうった最初のおどろきだった。
 何者?……眼を凝(こ)らして見る――までもなく。
 部屋の中央に、むこう向きに大胡坐(おおあぐら)をかいて大盃をあおっているぼろ袷(あわせ)に総髪の乞食先生……。
 意外も意外! 蒲生泰軒だ!
「やッ! 貴様はッ?」
 思わずたじたじとなる源十郎へ、ゆったりと振り返って投げつけた泰軒の言葉は、いつになく強い憎悪と叱咤(しった)に燃えたっていた。
「たわけめッ! いささかなりと自らを恥じる心あらば、鈴川源十郎、サ! そこに正座して腹を切れイッ!」
「ウウム……」
 うめいた時に源十郎は、腹を切るつもりかどうか、とにかくパッ! と腰間の秋水(しゅうすい)、もう鞘を走り出ていた。
 泰軒はすわったまま、ジイッ!――源十郎をにらみあげている。
 ふしぎ!
 どうしてこのお艶の部屋に、泰軒先生が来あわせていたのか……といえば!

 水の音がするので、ふと気のついた左膳は、小走りの足をとめて谷間へおりると、清冽(せいれつ)なせせらぎにかわいた咽喉を湿(うる)おした。
 弥生のいどころが知れて本所の化物屋敷からここまで息せききって急いで来た左膳である。
 もうあの、向うにこんもりと見える繁(しげ)みが弥生のいるという子恋の森であろう……と水を飲みおわった左膳、腰の乾雲丸を左手に揺りあげて、再び土手に帰って歩を早める。
 このへん一体、鬱蒼(うっそう)たる樹立のつづき。
 笄橋(こうがいばし)。
 ここ青山長者ヶ丸の谷あいの小溝にかかっている橋で、国府の谷橋の転じたものであろうといわれているが――左膳がこの笄橋にさしかかった時だった。
 フッと行く手に人影がさしたかと思うと白く乾いた土が埃をあげている小径のさきに、片側から、まず太刀の柄がしらが影をおとしてハッと左膳が立ちすくむまに続いて浪人髷上半(まげじょうはん)、それから徐々にさむらい姿が、黒く路上に浮き出されて、同時に静かな声とともに行く手に立ちふさがったのを見れば……!
 坤竜丸――諏訪栄三郎!
「待っておったぞ。左膳!」
「ヤッ! 坤竜か、うむ、栄三郎だな――ひとりかッ」
 いいながら左膳、グイと片手に乾雲の柄をつき出して目釘をなめつつ、あわただしくあたりを見まわした。
 シーンとして深山のよう。
 ホウホケキョー、どこか近くの木で鶯(うぐいす)が鳴いている。
 栄三郎はほほえんで、
「もとより拙者ひとり。貴公の来らるるを知って栄三郎、坤竜とともにここにお待ちうけ申しておったのだ。幸いあたりに人はなし、果たし合いにはもってこいの森でござる。今までたびたび刃を合わせても、じゃまや助太刀が入って、貴公と、拙者、心ゆくまで斬りむすんだおぼえはござらぬ。またとない機会、いざ御用意を!」
 残忍な笑みが左膳の頬に浮かぶと彼はガラリと調子が変わった。左膳が、この江戸の遊び人ふうの言葉になる時、それは彼が満身の剣気に呼びさまされて、血の香に餓え、もっとも危険な人間となりつつあることを示すのだ。
 声が、薄い口びるの角から押し出された。
「俺のいいてえことをいっていやアがらあ。ハハハハ、何やかやと今まで延び延びになっておったが俺と手前は、夜泣きの刀を一つにするために、どっちか一人は死ななきゃアならねえんだ。なら栄三郎、去年の秋、俺が根岸曙(あけぼの)の里の道場を破ったとき、俺とてめえは当然立ち会うべくして立ち会わなかった。今日は竹刀の代りに真剣だが、あの日の仕合いのつづきと思って、存分に打ちこんで参れッ!」
 いよいよ栄三郎ひとりと見きわめた左膳は、真剣よりも、本当に仕合いにのぞんでいる気で、こうネチネチといいながら、じっと独眼をこらして栄三郎の顔に注いだが、あたまは、鈴川源十郎に対する火のような憤怒(ふんぬ)にもえたっていた。
 さては、謀(はか)られたな!
 と左膳、歯ぎしりをかんで思うのだった。
 かの源十郎、いつのまにやら栄三郎に与(くみ)して、自分をここまでおびき出したに相違ない。
 とすれば!
 栄三郎のほかに多数の伏勢が待ち構えているはずだと、左膳は一眼を光らせて、再び樹間、起伏する草の上を眺めまわしたが、やはり凝(こ)りかたまったような真昼の森のしじまには、笄橋(こうがいばし)の下を行く水の流れが音するばかり……何度見ても人の気配はない。
 血戦ここに、思うさま開かれようとしている。
 対立する諏訪栄三郎と丹下左膳。
 いいかえれば水火の秘文(ひもん)を宿す乾雲坤竜の双剣。
 一は神変夢想流。
 他は北州の豪派月輪一刀流より出でて、左腕よく万化の働きを示し、自ら別称を誇号(こごう)する丹下流。
 しずかな開始だった。
 スウ――ッ! と左膳が、単腕に乾雲丸を引き抜いて、正規の青眼につけると、栄三郎の手にも愛刀武蔵太郎安国が寂(じゃく)と光って、同じくこれも神変夢想、四通八達に機発する平青眼……。
 あいしたう二刀が近々と寄って、いずれがいずれをひきつけるか――これが最後の決戦と見えたが!
 ふしぎ!
 どうしてこの左膳の道に、諏訪栄三郎が刀意を擁(よう)して待ちかまえていたのか……といえば?
 先刻……。
 浅草瓦町の露地の奥、諏訪栄三郎の家に、ちょうど栄三郎と食客の泰軒とがいあわせているところへ表の戸口にあたってチラと猿のような、子供のような人影が動いたと思うと、音もなく一通の書状が投げこまれていったのだった。
 なんだろう?――と栄三郎が拾って来て二人で開いて見ると、栄三郎には覚えのある弥生どのの筆跡。
 よほど急いで認めたものらしく一枚の懐紙(かいし)に矢立ての墨跡がかすれ走って、字もやさしい候(そうろう)かしくの文……。
 というと、いかにも色めいてひびくが、顔を寄せて読んでいるうちに、泰軒と栄三郎、思わずこれはッ! と声を立てて互いに眼を見合ったのだった。
 候かしくの女手紙はいいが、内容は艶っぽいどころか、いかにも闘志満々たるもので、鈴川源十郎がお艶の居所を知って、やぐら下のまつ川へ向かい、同時に左膳は弥生の隠れ家を探り出し、青山長者ヶ丸の子恋の森をさして、いま出かけていったところだと。
 右の趣、取り急ぎ御両人様へお知らせ申し上げ候かしく……とのみで、名前は書いてないが、それが、その後行方の知れない弥生さまの筆であることは、栄三郎にはひと眼でわかった。
 この手紙は。
 このごろ毎日のように豆太郎をつれて、本所の化物屋敷を見張っている小野塚伊織の弥生、きょうもさっき、源十郎方の荒れ庭にひそんで、なんということなしにようすをうかがっていたところへ、母屋と離れから同時に出て来てちょうど弥生と豆太郎の隠れている鼻先で落ちあった源十郎と左膳が、互いに掛引きののち、ついにめいめいの女の居場所をあかしあうのを聞いたので、急ぎ両人が出て行くのを待ち、弥生はさっそく筆を取ってこの一状を認め、それを豆太郎に持たせて、すぐさま瓦町へ走らせて投げこませるとともに、自らはただちに青山の家をさして引っ返したのだった。
 そして瓦町では。
 鈴川源十郎が、いまやお艶を襲い、丹下左膳は弥生のもとへ出向きつつある……と知って、ひさしく謎となっていた弥生の居場所もわかったので、無言のうちにうなずきあいつつ[#「うなずきあいつつ」は底本では「うなづきあいつつ」]、スックと立ちあがった泰軒栄三郎、いわず語らずのうちに手順と受持ちはきまった。
 栄三郎にしてみれば、この際正直に気になるのは、いうまでもなくお艶のほうであったが、そこはことのいきがかり上、泰軒にまかせ、泰軒はまた眼顔でそれを引きうけて、彼はただちに深川の松川へ駈けつけてお艶を救うことになり、義によって栄三郎は、時を移さず青山長者ヶ丸へでばって途中に左膳を待ち伏せ、乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負をすることとなったのだった。
 こうしていち早く瓦町の露地を走り出た両人。
 ――だから源十郎がまつ川へ乗りこむさきにすでに泰軒の先(さき)ぶれによって、お艶は気のつかない夜具部屋へかくされ、その代りお艶の部屋に、泰軒居士がドッカとあぐらをかいて、のんきそうに茶碗酒をあおっていたわけ。
 たしかにここにお艶が?――と気負いこんで力まかせに障子を引きあけた源十郎、そこに、思いきや一番の苦手(にがて)、蒲生泰軒がとぐろを巻いているこのありさまに、ハッとすると同時、居合の名人だけに自分の気のつく先に、もうとっさに刀を抜いていた。
 が!
 源十郎心中に思えらく……。
 さては、はかられたな!
 かの左膳、いつのまにやら泰軒、栄三郎と腹をあわせて、自分にかかる不利な立場を与えたに相違ない。
 妙なことがあるものだと源十郎はいぶかしく感じながら、目下はそんなことは第二、まずここのかたをつけなければと、できるだけ薄気味悪くほほえみながら、源十郎が手の氷刃をかすかに振りたてて見せると、眼の前の泰軒先生の鬚面が、急に赤い大きな口をあいて、またもや、
「ワッハッハ……」
 無遠慮に笑い出したのでカッとした源十郎。
「此奴(こやつ)、たびたび要(い)らんところに現れる癖(くせ)がある。以後そのようなことのないように、ここでこの世から吹ッ消してしまうからそう思え!」
 と、へんにだらしのない科白(せりふ)とともに、ひっこみのつかない彼が、思いきって打ちこんでいこうとすると!
 戸外にあたって、
「火事だア! 火事だア!」
 まつ川の男衆をはじめ、近所の人々の立ちさわぐ声。
 斬りこむと見せて、たちまち身をひるがえして源十郎は、そのままヒラリ庭に飛びおりて、白刃をふりかざして危うく血路をひらくと、ほうほうのていで人ごみのなかをスッとんで行く。
 あとには、腹を抱えて笑う泰軒先生の大声が、また一段高々とひびいていた。

  三界風雨(さんがいふうう)

 笄橋の袂(たもと)。
 春の陽が木の間をとおして、何か高貴な敷物のような、黒と黄のまだらを織り出しているところに。
 助太刀や、とめだてはおろか、誰ひとり見る者もなく、栄三郎と左膳、各剣技の奥義(おうぎ)を示して、ここを先途と斬りむすんでいるのだった。
 刃とやいば――とよりも、むしろそれは、気と気、心と心の張りあい、そして、搏撃(はくげき)であった。
 壮観!
 早くも夏の匂いのする風が、森をとおしてどこからともなく吹き渡るごとに、立ち会う二人の着物の裾がヒラヒラとなびいて、例の左膳の女物の肌着が草の葉をなでる。
 ムッとする土と植物の香。
 ひと雨ほしいこのごろの陽気では、ただじっとしていても汗ばむことの多いのに、ここに雌雄(しゆう)を決しようとする両士、渾心(こんしん)の力を刀鋒(とうほう)にこめての気合いだから、いとも容易に動発しないとはいえ、流汗淋漓(りんり)、栄三郎の素袷(すあわせ)の背には、もはや丸く汗のひろがりがにじみ出ている。

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