丹下左膳
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著者名:林不忘 

「あれ! どなたかお客さまでござんしたか」
 わざとあわただしく駈けあがって障子をガラリ、
「まあおさよさん! お珍しい!」
 とニコニコ顔のおしん、これでうちの亭主野郎もどうやらお艶さんをあきらめるであろうと思うからそのはなしを持ちこんできたおさよ婆さんを下へも置かずもてなしだすと、
「おしんや。あっちの羽織を出してくんな……それじゃアおさよさん、ちょっくら瓦町へ行って来ますよ。おしん、おさよさんは飲(い)ける口だ。晩にゃア一本つけてナ、帰途に俺が魚甚へ寄って何かよさそうな物を見つくろって来るから――」
「行ってらっしゃい」
 おしん、おさよに送り出されて三間町の己(おの)が鍛冶店をあとにした富五郎、もう二度とわが家の近くへ立ち寄らないつもりだから、さすがにうしろ髪を引かれる思い、町かどで、叱りじまいに小僧の吉公をどなりつけたまま五十両をふところに浅草瓦町とは違う方角へ、逃げるがごとく、足早に消えていった。
 それからまもなく――。
 三間町を出はずれた鍛冶屋富五郎は、ひとり思案に沈みながら人通りのすくない町すじを選んで歩いていた。
 ときどき、ふところへ手をやる。
 と、五十両入りの財布をのんだ懐中はあったかくふくらんで、中年過ぎのこのごろになってともすれば投げやりに傾こうとする富五郎のこころを躍らせずにはおかないのだった。
 十両からは首の台がとぶころである。
 五十といえば、もちろん大金であった。
 が、金そのものよりも、鍛冶富をうらやませてやまないのは、その金が買い得るあの艶の身膚(みはだ)であった。
 聞けば、本所の殿様は、この五十金をおさよ婆さんに渡して、これで栄三郎からきれいにお艶をもらってこいといったそうな。評判の貧乏旗本で身持ちの悪い鈴川様が、どうして五十とまとまったものを調達できたのか、これが第一の不審だが、それはそれとしても、我欲に眼のくらんだおさよが、選(よ)りに選(よ)って自分のところへ交渉方(かけあいかた)を持ちこんで来たのは、富五郎にとってはこのうえもない幸であった。
 よろしい! 承知した! と大きく胸をたたいて婆さんを安心させたのみか、親の恩なぞと並べ立ててちょっぴり泣かせたのち、いと殊勝に縁切りの使者にたつふうに見せかけて家を出て来た鍛冶富だったが、まともに先方に話をつけて五十両おいてこようとは、かれは始めから考えていないのだった。
 突然おさよ婆さんが訪れてきた時、彼はちょうど女房(にょうぼう)のおしんも留守なので、きょうこそはお艶所望の件を持ち出して、妾(めかけ)で承服なら妾、また家へ入れてくれなければ嫌だというのなら、どうせ前々からあきあきしている古女房だから、すぐにもおしんに難癖をつけて追い出し、その後釜にお艶をすえてやろうから、どうか母のお前さんからもとりなしてくれ。ついては、これはわしだけしか知る者はないのだが、お艶さんはいま、まつ川の夢八という名で深川から芸者に出ているから、会いたいならすぐにもあわせてあげよう――とこうすべてをぶちまけて恩にきせ、お艶のもらい受けを頼みこむつもりでいたやさき、おさよ婆さんがきりだした来訪の要件というのを聞いてみると、鈴川の殿様のほうが先口で、しかもここに五十両という手切れの現金、おまけに五百石の女隠居というのに婆さんコロリと参っているふうだから、こりゃア今になって俺がどんなに割りこもうとしたところで所詮相手が旗本ではかないっこない。
 といって、黙って見ていたんじゃあ、おれが行かなくても婆さんなり誰かなりが出かけて話をまとめ、ことによったら鈴川様はお艶坊を手活(ていけ)の花と眺めるかも知れない。あのお艶を、鈴川だろうが何川だろうが、金で買わせてなるものか!
 ――と、ひどく心中にりきみかえってしまった鍛冶屋の親方富五郎、お艶を本所へやらないためには、じぶんがこの五十両を持って逃げるに限る。そうすれば、おさよも手ぶらではお屋敷へ帰れず、またお艶のありかを知る者は自分以外にないのだから、鈴川様の手がお艶にとどくことはない。――
 そうだ。一つ五十金を路用にして、当分江戸をずらかることにしよう?
 なんとしても、あの菊石(あばた)の殿様にお艶さんを自儘(じまま)にさせることはできねえ!
 どうも女房のおしんにはあきの差しているところだ。一番ゆくえをくらまして、この金のつづく限り、おもしろおかしく旅の飯を食ってこよう……と、おのが手にはいらない物は他人(ひと)にもとらせたくないのが下司(げす)の人情、金を持って瓦町へ行くとは真っ赤なうそで、おしんやおさよをちょろまかし、しばらく家をあける気で飛び出して来た富五郎だが――。
 いよいよとなってこうして町を歩きながら考えると、ハテどこへ旅立ったものやら、いっこうに勘得(かんとく)がつかない。
 で、鍛冶富、ブラリブラリと徒歩(ひろ)ってゆくのだが、そのうちに、ふと思いついたのが子供のころから望んでいて、まだ一度も出かけたことのないお伊勢詣りだ。
 ウム! それがいい、伊勢詣りと洒落(しゃれ)よう。
 こう心に決めたかれは、どうもひどいやつで、鈴川源十郎が伊兵衛棟梁を殺して奪った五十両を我物とし、丸にワの字は出羽様の極印(ごくいん)が打ってあるとも知らずに、それからただちに辻駕籠を拾って六郷の渡船場まで走らせ、川を越せば川崎、道中駕籠を宿つぎ人足を代えて早打ちみたよう――夜どおし揺られて箱根の峠にさしかかるあたりで明日の朝日を拝もうという早急(さっきゅう)さ。
「おウッ! 駕籠え! いそぎだ、酒代(さかて)エはずむぜ、肩のそろったところを、エコウ、あらららうアイ! てッんだ。やってくんねえ!」
 気の早いおやじもあったもので、そのまま桜花にどよめくお江戸の春をあとに、ハラヨッ! とばかり、ドンドン東海道を飛ばして伊勢へ下りにかかった。

  水火秘文状(すいかひもんじょう)

 藍色(あいいろ)の夕闇がうっすらと竹の林に立ちこめて、その幹の一つ一つに、西ぞらの残光が赤々と照り映えていた。
 ほの冷たい風に、蜘蛛の糸が銀にそよぐのを見るような、こころわびしいかわたれのひと刻である。
 城西、青山長者ヶ丸。子恋の森の片ほとり……。
 そこの藪かげに、名ばかりの生け垣をめぐらし、草ぶきの屋根も傾いて住みふるした一軒の平屋が、世を忍ぶ人のすがたを語るかにおぼつかなく建っていた。
 野中の森はずれ――ひさしくあいていたその家にこのごろ、いつからともなく二十人ばかりの正体のはっきりしない男達が移ってきて、出入りともにさだめなく、ひそやかな日夜を送っているのだった。
 もとは、相当裕福な武家の隠居所にでも建てたのであろう、木口、間取り、家つきの調度の品々までなかなかに凝(こ)った住居(すまい)ではあるが、ながらく無人、狐狸(こり)の荒らすにまかせてあったうえに、いまの住人というのがまた得体(えたい)の知れない男ばかりの寄合い世帯なので、片づけや手入れをするものもなく、荒廃乱雑をきわめているぐあい、さながらこれも化物屋敷といいたいくらい……。
 この、安達(あだち)ヶ原(はら)ならぬ一つ家の土間に、似合しからぬ五梃の駕籠がきちんと、並べておろしてあるのだった。
 そして。
 その上の壁に、五人分の火事装束がズラリと釘にかかっている――かの五人組火消し装束の不思議な住居。
 首領――とよりは、むしろ長老と呼びたい白髪の翁のもとに。
 四肢のごとく動く屈強な武士が四名。
 ふだんは掃除水仕事や家の警備に当たり、一朝出動の際はただちに駕籠舁(かごかき)と早変りする、六尺近い、筋骨隆々たる下男が十人。
 それに。
 中途から一団に加わった小野塚伊織の弥生と、そのまた弥生が稀腕(きわん)を見こんで招じ入れた手裏至妙剣(しゅりしみょうけん)の小魔甲州無宿山椒(さんしょう)の豆太郎と、〆めて十七人の大家内に、森かげの隠れ家には、それでも賑やかな朝夕がつづいているのだった。
 丹下左膳と、諏訪栄三郎の中間にあって等しく両者をねらい、左膳から乾雲を、栄三郎から坤竜を奪って雲竜二刀をひとつにせんとしている謎の一群!
 頭(かしら)立つ老人は小野塚鉄斎の化身とでもいうのであろうか? 弥生までが黒髪を断ち切ってこの五人組に加担し、あまつさえ豆太郎などという変り種までとりこんで戦備をととのえ、じっさい着々活躍しつつあるとは、たとえ弥生の伊織と五人組とのあいだに、どんな了解(わけあい)がついているにせよ、それは、老翁はじめ五人組の正体同様、なんとも外からは想像をゆるさない秘情であった。
 白髪童顔の老人は、そも何者か?
 それに仕うる血気の四士?
 また、彼らと行動をともにする男装の弥生の心中は? 栄三郎への彼女の悲慕哀恋(ひぼあいれん)はいったいどうしたというのだろう?
 これらすべてが、火事装束に包まれる青白いほのお、やがては燃え抜いてあらわれんとする密事の火種であらねばならない。
 この、去来突風のごとく把握すべからざる火事装束五人組と弥生豆太郎の住家のうえに、今や武蔵野の落日が血のいろを投げて、はるかの雑木ばやしに□唖(いあ)と鳴きわたる烏群の声、地に長い痩竹(そうちく)の影、裏に水を汲むはねつるべの音、かまどの煙、膳立てのけはい――浮世の普通(なみ)に、もの悲しくあわただしいなかに、きょうもはや宵を迎えようとする風情が噪然(そうぜん)として漂っていた。
 たそがれ。
 あかね色。
 ……輝き初(そ)める明星。
 その時、夕まけて寒風の立つ背戸ぐちの竹やぶに、ふたつの影がしゃがんでいた。
 弥生と、そうして豆太郎である。何かの話のつづきらしく、豆太郎は顔をあげずにいいはじめた。見ると、彼は小刀をといでいるのだ。
 例の殺人手裏剣用の短剣を、何梃(なんちょう)となく地べたに並べて、かたわらの手桶の水をヒョイヒョイとかけながら、豆太郎は器用な手つきでせっせと小柄をとぎすましている。
 青黒く空の色を沈めて横たわる小さな刃……それが血を夢みて心から微笑んでいるようだ。
「なあに伊織さん、あの二人だって、あれだけおどかしときゃアたくさんでさあ。へっへっへ、みんな肝をつぶして突っぷしゃがったっけ」
 いいながら豆太郎、手の小剣を鼻さきにかざして、しかめッ面(つら)で刃をにらんだが、まだ気に入らないとみえて、
「チッ! こいつめ!」
 またゴシゴシ磨石(といし)にかけ出したが、あの二人と聞いて、弥生が急にもの思いにあらぬ方を見やったとたん、
「伊織どの! 伊織殿! 伊織殿はおられぬかな?」
 奥から、老翁の声が流れてきた。
「そうさ。乾雲一味の者は大分たおしたようだから、まずあれで上出来であった……あの紅絵売りの若侍と乞食とはああして威嚇(いかく)するだけでよいのだ、怪我があってはならぬ」
 起きあがりながら、こうそそくさと弥生がいうと、豆太郎はちょっと不審げな顔を傾けて、
「へえい! そういうことになりますかね。なんだか俺チにゃあわからねえ」
 で、弥生がまた、なにか口にしようとしているところへ、さっきから呼びつづけていた老人の声が、こんどはひときわ甲高(かんだか)に聞こえてきた。
「伊織どの! そこらに伊織殿はおらぬかな?」
 手裏剣を磨く手も休めもせずに豆太郎が注意した。
「伊織さん、呼んでるぜ、大将が」
 弥生はうなずいて家内(なか)へはいった。
 奥の書院へ通る。
 何一つ家具らしいもののない八畳の部屋、水のような暮色がしずかに隅々からはいよるその中央に褪(あ)せた緋(ひ)もうせんを敷いて一人の翁が端座している。
 銀糸を束ねた白髪、飛瀑(ひばく)を見るごとき白髯、茶紋付(ちゃもんつき)に紺無地甲斐絹(かいき)の袖なしを重ねて、色光沢(つや)のいい長い顔をまっすぐに、両手を膝にきちんとすわっているところ、これで赤いちゃんちゃんこでも羽織れば、老いて愚に返った喜(き)の字の祝いのようで、まるで置き物かなんぞのように至極穏当な好々爺(こうこうや)としか見えない。
 さて、何者にせよ、火事装束の四闘士と十人の荒らくれ男をピッタリおさえて、自ら先に乾坤の刀争裡(とうそうり)に馳駆するだけあって、その眼は鷲のような鋭光を放ち、固く結んだ口もと、肉(しし)おきの凝(こ)りしまった肩から腕の外見、一瞥(べつ)してこの老士とうてい尋常の翁ではないことを語っている。
 松の古木のような、さびきったその身辺に、夕ぐれとはいえ、何やらうそ寒いものが漂っているのを感得して、
「は、お呼びでございましたか」
 と入って来た弥生は、思わずぶるッと小さく身ぶるいをしながら黙りこくっている老翁のまえへ、いざりよって座を占めた。
 うす暗い。
 となりは、ほとんどもう闇黒に近い室内。
 そこに、神鏡のように茫(ぼう)ッと白く浮かんでいる老人の顔を見ると、弥生は、はじめて気がついたようにあたりを見まわした。
「あれ! まだお灯が入っておりませんでございましたか。どうも不調法を……ただいま持って参りまする」
 と弥生、そこは天性で、もとを知られているこの老人の前へ出ると、小野塚伊織のはずの弥生、いつも本来の女性に立ち返って、じぶんでもふしぎなくらい自然に、言葉さえもただの弥生になるのだった。
 四六時ちゅう、みずから意を配って男のように立ち振舞っているだけに、こうしてしばらくにしろ、その甲冑(かっちゅう)を脱ぎ捨てて女の自分に戻ることは、泣きたいような甘いこころを、つと弥生の胸底にわかさずにはおかない。
 老士は口を開かない。
 が、この弥生の心もちを伝え知ったかのように、剃刀(かみそり)のように冷やかだった眼色にやさしみが加わって、やがて、ぽつりといいきった声には不愛想ながらも、どこかに児に対するごとき一脈親愛の情がのぞき見られた。
「灯はいらぬ」
 そして、珍しく、かすかな笑顔が小さく闇黒に揺れた。
「暗うても会話(はなし)は見えるでな」
「ホホホ! それはそうでございます」若侍の伊織が、娘の弥生として笑う。
 そこに、妙に奇異な艶(なま)めかしさが動くのだった。
「して、そのおはなしと申しますのは?――なんでございましょう?」
 すると、老人はしばらく沈思していたが、
「伊織どの! いや、弥生殿……のう、伊織が弥生であることに、まだ誰も気づいた者はありませぬかな」
 ギョッ! としたらしく弥生はにわかに肩をかくばらせて男のていに返りながら、
「はじめから御存じの先生とお弟子衆のほかは、たれ一人として知るものはないはずにござりまする」
「うむ。かの、豆太郎とか申した人猿めは?」
「は。きゃつとて何条疑いましょう! いうまでもなく、わたしを男と思いこんでいるふうにござりまするが、今宵に限って、先生には何しにさようなことをおたずねなされますか」
 老士の膝が、一、二寸前方へ刻み出た。
「いささか気になるによって聞いたまでで、大事ない。だが弥生どの、ぬかりはござるまいが、けどられぬよう十分にナ……」
 弥生がうなずいた拍子に、それを合図に待っていたかのごとく、うらの竹やぶに咽喉自慢の豆太郎の唄声。
坂は照る照る。
鈴鹿(すずか)は曇る。
あいの土山(つちやま)、雨が降(ふ)る。

上り下りのおつづら馬や
さても見事な手綱(たづな)染めかえナア
馬子衆のくせか高声に
鈴をたよりにおむろ節(ぶし)
坂は照る照る
すずかは曇る
間の土山、雨が降ウる
はいッ!
シャン、シャン、か――。
 暮れ迫る森かげの家を、手裏剣をとぎながら、ひとりうかれ調子の豆太郎の声が、ころがるように筒ぬけてゆく。
 唄にあわせて砥石(といし)にかけているものらしく、拍子をとって、声に力がはいっている。
 ひなびたこころあいを、渋い江戸まえの咽喉で聞かせる、亀背の一寸法師には似あわない、嬉しいうた声であった。
あいの土山、雨がふる
やらずの雨だよ
泊まって行きなよ
主(ぬし)を松かさ
さわれば落ちるよ
ハイ、ハイ……とネ
 途切れ途切れに伝わってくる豆太郎の唄ごえがパッタリとやむと暗く濃い春宵のしじまのなかで、老士と弥生は、ほのかに顔を見合ってほほえんだ。
 思い出したように老人がいう。
「お呼び立ていたしたはほかでもない」
「は」
 と呼吸を呑んで、弥生はこころもち固くなった。
 いま、この人なき、夕べの一刻にかれはそも何をいい出そうとしているのか……それが弥生には、この際すくなからず気になるのだった――。
 千年を経た松柏(しょうはく)のごときこの家のあるじ――。
 弥生がここへ来て、起臥(おきふし)をともにして以来知り得た限りでは。
 老士……名は、得印兼光(とくいんかねみつ)。
 美濃(みの)の産、仔細あって郷国を出て、こうして江戸に、関の孫六の夜泣きの大小を一つ合わして手に収めんと身を低めているのだとのみ――。
 何ゆえの奔走か? また、従う四士と十人の大男はいかなる関係にあるのか――これから自余(じよ)のいっさいは、かれらはもとより、固く口をつぐみ、弥生もまた、ふかく一味の侠義に感じている以上、内部にあってその真相を探ろうとするがごときは慎しまなければならなかった。
 ただ。
 兼光と弥生のあいだに成り立っている約束は、ともに力をかし合ってひとまず雲竜二剣をひとつにし、その上で兼光の手から、改めてその大小一つがいを故小野塚鉄斎の遺児なる弥生に返納しようということになっているのだ。
 さてこそ。
 風のように随所随所に現われて二刀を狙う五梃駕籠と、豆太郎を引き具してそれを助ける小野塚伊織の弥生。
 丹下左膳から乾雲丸を奪還しようというならば話はわかるが、なにゆえ彼らは、それのみならず栄三郎の坤竜をも横どりしようとし、また弥生がそれに協力しているのであろうか。
 弥生、かなわぬ恋の意趣返(いしゅがえ)しに栄三郎を敵にまわそうというのか? あらず!
 弥生としても、助けられた恩のある五人組である。ただ一時二刀をひとつにして、そのうちただちに弥生に返すというのだから、弥生はその日の一日も早からんことを望み、豆太郎を使ってもちろん主に左膳をつけ狙うと同時に、栄三郎のほうは密(そっ)と坤竜を奪(と)ろうとしてその身辺に危害なきを期しているのだ。
 いわば弥生は、兼光一団の申し出を利用しているまでのことなのだが、はたして豆太郎、よく弥生の真意(しんい)を汲んで、その望むがごとく立ちまわるであろうか?
 毒を用いる者は、みずからその毒を受けぬ用心が第一である。
 すでに小野塚伊織の人柄をひそかに怪しんでいるらしい豆太郎……なるほど、得印(とくいん)老人の言うとおり弥生は、気づかれぬ注意が肝要であった。
 が、豆太郎は、豆太郎として。
 今宵は。
 得印兼光のほうから口をひらいて、はじめてここに、われとおのれに誓った秘命のすべてを語り出そうとしている。
 夜に入っていっそうの寂寞(せきばく)。
 兼光の一言一語をも洩らさじと耳を傾ける弥生の顔に、大きなおどろきが、波紋のようにみるみる拡がっていくのだった。
 して、その、世をしのぶ老士得印兼光なる主の物語というのは? はなしは、文明(ぶんめい)より永正(えいしょう)にかけてのむかしにかえる。

 火事装束五梃駕籠の頭首(とうしゅ)、世をしのぶ老士得印兼光の物語は。
 文明(ぶんめい)より永正(えいしょう)にかけての昔――。
 当時美濃(みのの)国に、刀鍛冶の名家として並ぶ者なき上手(じょうず)とうたわれたのが、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)であった。
 すべて業物(わざもの)打ちは、実と用とともに品位を尊ぶ。
 この和泉守の太刀姿は、地鉄(じがね)こまやかに剛(つよ)く冴えて、匂いも深く、若い風情のなかに大みだれには美濃風(みのふう)に備前の模様を兼ねたおもむきがあり、そのころまず上作の部に置かれていたという。
 美濃の国、関の里。
 世に関の七流というのは、善定(ぜんじょう)兼吉、奈良太郎兼常、徳永兼宣、三阿弥(あみ)兼高、得印兼久、良兼母、室屋兼任――この七人の末葉(まつよう)、美濃越前をはじめとして、五畿(き)七道(どう)にその数およそ千百相に別れ、みな兼の字を冒して七流の面影を伝えたのだったが――。
 関(せき)の孫(まご)六と号した兼元(かねもと)も、この和泉(いずみ)の一家であった。
 孫六は、業物(わざもの)の作者である。
 かれの鍛(う)つところの刀は、にえ至って細く、三杉の小亀文(みだれ)が多くまたすずやきもあり、ことにその二代兼元なる関の孫六となると、新刀最上々の大業物(おおわざもの)として世にきこえているが、関の新刀になってからはだいぶん位が落ちたけれど、初世孫六のころの関一派の繁栄はじつに空前絶後ともいうべきで、輩出した名工また数かぎりもないうちに、なかでも志津三郎兼氏、兼重、兼定、兼元、兼清、兼吉、初代兼光はすぐれての上手(じょうず)、兼永、兼友、兼行、兼則、兼久、兼貞、兼白、兼重などもすべて上手ということになっている。なべて、美濃物(みのもの)の刀は砥障(とざわ)りがやわらかで、備前刀(びぜんとう)とは大いに味を異にしているのがその特長であった。
 一世関の孫六、
 かれはその得意とする大業物(わざもの)を打つに当たって、みずから半生を費やして編み出した血涙の結晶たる大沸(おおわかし)小沸(こわかし)ならびに刃(やいば)渡しという水火両態の秘奥(ひおう)を、ひそかに用いたのだった。
 鍛刀の技たるや、細部や仕上げにいたっては各家口伝(くでん)、なかには弟子にさえ秘しているところがあって、おのおの異なり、容易に外界から推測すべくもないが、まず大体は同法であって、すなわち……。
 本朝刀剣鍛錬(たんれん)の基則。
 まず、鉄は、むかしから出場所がきまっている。
 伯耆(ほうき)の印賀鉄(いんがてつ)、これを千草といって第一に推し、つぎに石見(いわみ)の出羽鉄、これを刃に使い、南部のへい鉄、南蛮(なんばん)鉄などというものもあるが、ねばりが強いので主に地肌(じはだ)にだけ用立てる。
 鍛(きた)えに二法あり。
 古刀鍛はおろし鉄のいってんばりであったが、これはまず孫六あたりをもって終りとなし、新刀鍛となっては、正則のほかに大村加卜(かぼく)ほか武蔵太郎一派の真十五枚甲伏(かぶとぶせ)というのも出たが、多く伝わっているのは卸し鉄と新刀ぎたえのふたつだけだ。
 さて、ここに伯耆(ほうき)の印賀(いんが)鉄がある。
 これを刀剣に鍛えんとするには、まず備えとて、炭、土、灰を用意し、炭はよく大きさをそろえて切り、粉は取り去る。
 土にも産地がある。山城(やましろ)の深草山、稲荷山(いなりやま)などの土が最上。
 灰は、藁を焼いたもの。

 水――澄冽(ちょうれつ)をよしとす。清砂(せいしゃ)、羽二重(はぶたえ)の類をもって濾(こ)すのである。
 それから。
 へしと称し、平打ちにかけて鋼(はがね)を減らし、刀の地鉄(じがね)を拵(こしら)える。水うちともいう。
 つぎに、積みわかし。
 これは、ねた土を水でといた濃液(のうえき)を注ぎかけて火床に据(す)え、ふいごを使って鉄を焼くのだ。小わかしというのがそれ。
 大沸かしとは、鉄の周囲に藁灰をまぶし、また火中に入れて熾熱(しねつ)する。
 すめば鍛えである。
 三人の相槌(あいづち)をもって火気を去り、打ち返して肌に柾目(まさめ)をつけ、ほどよいころから沸(わ)かし延べの手順にかかる。
 わかし延べは、束(たばね)である。
 今までバラバラの鋼だったものを、これで一本の刀姿にまとめ、素延(すの)べに移る。
 素延(すの)べは、地鉄のむらをなおし、刃方(はがた)の角(かど)を平め、鎬(しのぎ)のかどを出す。
 火造り――せんすきともいい、はじめて鑢(やすり)を用いていよいよ象(かたち)をきわめる。
 つぎに。
 反(そ)りをつけ、もっとも大切な焼刃にかかるのだが、そりも焼刃も各流相伝になっていて、それによって艶や潤いに大差が生ずる。
 これに要する土は、黒谷(くろたに)のものがよしとされていること、あまねく人の知るところだ。

 この反りと焼刃の工程。
 もとより刀剣の胎生(たいせい)に大切なところで、これによって鋭利凡鈍(ぼんどん)も別れれば、また鍛家の上手下手(じょうずへた)もきまろうというのだが。
 それよりもいっそう重大なのが、次順の湯加減、一名刃渡(やいばわた)しである。
 やいばわたし……鍛刀中の入念場(にゅうねんば)。
 まず水槽に七、八分めばかりの清水をたたえ、火床には烈火をおこし、水は四季に応じてその冷温を加減する――これすなわち湯かげんの名あるゆえん。
 春、二月の野の水。
 秋、八月の野の水。
 これと同じくすることがかんじんだ。そうしてしたくができれば、本鍛冶が、□元(はばきもと)から鋩子(ぼうし)さきまで斑(まだら)なく真紅に焼いた刀身を、しずかに水のなかへ入れるのだが、ここが魂(たましい)の込(こ)め場所で、この時水ぐあい手かげん一つで刃味も品格も、すべて刀の上(じょう)あがり不あがりが一決するのだから工手は、人を払って一心不乱に神仏を念ずるのがつねだった。
 こうして、やいば渡しも終われば。
 荒砥(あらと)にかけて曲りをなおし、中心(なかご)にかかって一度砥屋(とぎや)に渡し、白研(しらとぎ)までしたのを、こんどはやすりを入れて中心を作る。この中心ができあがったうえでさらに研(と)ぎをしあげ、舞錐(まいぎり)で目貫(めぬき)穴をあけ銘を打ち、のち白鞘(しらざや)なり本鞘(ほんざや)なりに入れて、ようよう一刀はじめてその鍛製の過程を脱する――のだが!
 ここに。
 かの関の孫六の水火両様の奥伝というのは。
 ひとつは火で、これは積みわかしにおける大沸かし小わかしのこつ。
 他は水で、それは刃わたしの際のいささかの水工夫であった。
 まことに。
 水と火をもって鍛えにきたえる刀作の術にあっては、その水と火に一家独特の精髄(せいずい)を遺した孫六専案の秘法は、じつにいくばくの金宝を積んでも得難いものに相違なかったろう。
 水火の密施(みっし)。
 ほかでもない。
 個々の鉄体を積み、一種の泥水をかけて焼く時のちょっとした心得――小沸かしの伝と。
 そのつぎに、鉄のまわりに藁灰をつけて熱火に投ずるまぎわのふいごの使い……大沸かしの仕方。
 これが孫六の体得した火の法で。
 水の法は。
 すでに一本の形をそなえた荒刀(こうとう)を、刃渡しとして水中に沈めるときの、ほんのちょっとした水温と角度――にはすぎないけれど。
 この関の孫六水火の自案(じあん)。
 口でいい、耳で聞いたくらいでアアそうかとたやすく会得(えとく)のいくものならば、なんの世話もいらないわけだが、どうしてどうして孫六じしんが一生涯を苦しみ抜いた末、やっと死の床に臥す直前に、ふとしたはずみに心づいて、この刀道の悟りをひらいたという、いわば天来の妙法なのだから、技(わざ)ここに至らんと希(ねが)う者は、身みずから孫六のあえいだ嶮岨(けんそ)を再び踏み越すよりほかに、その秘術をさとり知るよすがはない――こう、美濃の国は関のあたりに散らばる兼の字をいただく工人一家のあいだに、長年いいつたえられて来ているのだった。
 しからば。
 関七流の長(おさ)、孫六の把握し得た水火鍛錬(たんれん)の奥義、かれの死とともにむざむざ墓穴に埋もれはてたというのであろうか?
 否!
 大いに、否!
 世に名工俊手(しゅんしゅ)と呼ばるる者、多く自己にのみ忠(ちゅう)にして頑(かたく)ななりといえども、また、関の孫六、いささかその御他聞に洩れなかったとはいえ、かれとても一派を樹立した逸才、よし自家相伝の意(こころ)はないまでも、日本刀剣づくりの大道から観て、どうして己が苦心になる方策をおのれのみのものとして死の暗界に抱き去るような愚昧(ぐまい)を犯そう!
 必ずや、いずくにか、いかなる方法でか、この孫六の水火の秘技、今に伝わっているに相違ない……とは誰しもおもうところ。
 事実、そっくりそのまま残っているのだ。
 どこに!
 水火一対(つい)――いまは所を異にして!
 ……と語り終わった得印老人のことばに、
「え?」
 思わず急(せ)きこんで闇黒のなかに乗り出したのは弥生。
「それでは、アノ、その関の孫六の水火の法が、いまだに世に残されておりますとな――」
「いかにも!」
 見えはしないが老士、暗中に大きくうなずいたらしかった。
「いまわしがお話し申したとおり、孫六発案の大沸かし小沸かし、さては刃わたしの密法、ともに合符(がっぷ)の秘文となって現在この世に伝来しおること明白でござる」
「まあ! それほど大切な御文書どこにあるかは存じませねど、もはやお手に入れられましたでござりましょう」
 と弥生は、瞬間のおどろきから立ちなおると、やはりすぐと地の女性に返るのだった。
「あッはッハッハ! いや……」
 急に大きく笑い出した得印兼光は、突如、顔をつき出して低声(こごえ)になりながら、
「されば、その水火秘文状(ひもんじょう)の所在でござるが」
「は。そのありかは……?」
「ただいまも申すとおり、合符(がっぷ)になっておる」
「合符?」
「さよう、割文(わりふみ)じゃ。一あって一の用をなさず、二にて初めて一の文言を綴る――つまり水の条(じょう)と火の件(くだ)りと二枚の紙に別れておるのじゃが、それがじゃ、紙は二枚になっておっても、文句は両方につづいている。すなわち、同時に二枚紙を継いで判読せんことには、そのうちいずれの一枚を手にしたとて、とうてい水火の鍛術(たんじゅつ)を満足に会得(えとく)するわけには参らぬ仕組みになっておる」
 弥生は、しずかに首をひねった。
「……と申しますると?」
「おわかりにならぬかな。いや、泰平の世に生まれたお若い方、ことには女子……」
「アレ!」
「おお! ナニ、ははは、誰も立ち聞く者はござるまい……とにかく、御身の存じよらぬはもっともじゃが、戦国のころには何人も心得おった密書の書き方でのう、敵陣を横ぎって遠地に使者をつかわす場合になぞ、必ずこの筆式(ひっしき)を用いたもの。それは――」
 といいかけて、得印老士は、指で畳に字を書き出したとみえる。声とともにかすかな擦音(さつおん)が弥生の耳へ伝わるのだった。
 闇黒の部屋。
 ふたりはいつしかそのまんなかに、ヒタと真近くむきあっていた。
 明日(あす)は雨でがなあろう……春の夜の重い空気がなまあったかく湿って、庭ごしに見える子恋の森のいただきには、月も星もひかりを投げていなかった。
 沈黙――を破った得印兼光のことば。
 それによると。
 合符(がっぷ)……割文(わりふみ)というのは。
 一枚の小さな紙に、ひとつの文句をはじめから書いていき、他の文句をしまいから逆に行間(ぎょうかん)に埋めて両文相俟(ま)って始めて一貫した意味を持っているものを、その紙片の中央から、ふたつに破いておのおの別々に携帯せしめて敵地を通過させる戦陣音信(いんしん)の一法であった。
 かくすれば。
 たとえ二人の使いのうちひとりが敵の手中におちて書状の一片を取りあげられたところで、敵は、もう一つの半片をも得ない限り、そこになんら貫徹した文章を読むことができず、二人を離して派遣しさえすればこの合符割文(がっぷわりふみ)の文づかいは、当時まず安全に近い通信法となっていた。
 これに思いついたのであろう、関の孫六が、その水火鍛錬の秘訣を後人に遺した文状は、すなわちこの合符わり文の一書二分になっていたのだ。
 かれ孫六……。
 死床にあってすでに天命の近きを知るや、人を遠ざけた病室にひとり粛然と端座してしずかに筆紙をとり、ほそ長い一片の紙に針の先のごとき細字をもって――。
一、水はやいばわたしが肝(かん)じんにて候(そうろう)。
 そは、熱刀を水中に入るるに当たり――。
 うんぬんと書きつらね、同時に、おなじ紙の末尾より文を起こし、最初の文字の行と行のあいだへ、左から右へ読まして……。
一、火は大わかし小わかしのことにて候。
 そは、はじめに地鉄(じがね)を積(つ)むとき――。
 と、ここに、この一狭紙(きょうし)に、水火両様の奥伝をしたためて、のち此紙(これ)を真ん中から二つに裂き、水の条からはじまる最初の一片と、火のくだりを説いてある後半の別紙と、おのおの別に切り離して世に残すことにしたのだった。
 そのとき孫六。
 やまいを得るまえに最近仕上げた陣太刀づくりの大小を手にとり赤銅にむら雲の彫(ほり)をした刀の柄をはずして、その中心(なかご)に後半の火密(かみつ)を巻きこめ、おなじく上り竜をほった脇差のつかの中に前片水秘(すいひ)の部を締(し)め隠したのである。

 名匠の熱執(ねっしゅう)をひとつにこめた水火秘文状。
 離るべからざるを二つに断った水秘と火密。
 水は低きに就(つ)き、火は高きに昇る。
 ゆえに。
 水は竜、火は雲である。
 それかあらぬか。
 関の孫六水火の合符(がっぷ)、乾雲(けんうん)丸は大沸かし小沸かしの火策をのみ、わきざし坤竜(こんりゅう)はやいば渡しの水術を宿して、雲竜二剣、ここにいよいよ別れることのできない宿業の鉄鎖(てっさ)をもってつながれる運命とはなったのだった。
 一あって用をなさず、二合(がっ)してはじめて一秘符となる古文書を、中央からやぶいて二片一番(つがい)としたさえあるに、しかも、その両片の一字一語に老工瀕死(ひんし)の血滴が通い、全文をひとつに貫いて至芸(しげい)労苦(ろうく)の結晶が脈々として生きて流れているのである。
 たださえ!
 同装一腰、雲と竜に分かれて離れられない乾雲坤竜だ。
 それがこの、死に臨む刀霊(とうれい)の手に成った水火の秘文合符をそれぞれに蔵しているとは!
 むべなるかな!
 乾坤……天地のあらんかぎり、火の乾雲丸、水の坤竜丸、雲は竜を呼び、竜は雲を望んで、相慕い互いにひきあうさだめにおかれているのだった。
 ふたたび思い起こす刀縁伝奇(とうえんでんき)。
 二つの刀が同じ場所におさまっているあいだは無事だが、一朝乾坤二刀、そのところを異にするが早いか、たちまち雲竜双巴(ふたつどもえ)、相応じ対動して、血は流れ肉は飛び、波瀾(はらん)万丈、おそろしい現世の地獄、つるぎの渦を捲き起こさずにはおかないという。
 それが事実であることは、誰よりも弥生が、眼のあたりに見て知悉(ちしつ)しているのだったが、この夜泣きの刀のいわれには、単に雲竜相引の因果のほかに、底にじつに、こうして秘文合符(がっぷ)の故実がひそんでいたのである。
 わかれていて二刃、同じ深夜に相手を求めてシクシクと哭(な)き出すというが、それは、割文(わりふみ)となって仲を裂かれている水火の秘文が、各自その柄のなかから悲声をしぼるのかも知れなかった。
 死のまぎわまで鍛刀の思いを断たない関の孫六の血肉が働いているのだ。あり得ないことと誰がいい得よう!
 こうして――。
 乾雲坤竜の大小、おのおのその柄の底に水火文状(もんじょう)の合符(がっぷ)を秘めたまま、星うつり物かわるうちに、幾代か所有主をかえ、何人もの手を経たのちに、いつの世からか神変夢想流剣道の指南、祖家の小野塚家の伝宝となって、先主鉄斎の代におよんで江戸あけぼのの里なる道場に安蔵され、年一度の大試合にのみ、賞として一時の佩腰(はいよう)を許されていたのが。
 しかるに。
 この夜泣きの刀に、あらぬ横恋慕(よこれんぼ)を寄せたのが、名だたる蒐刀家の相馬大膳亮。
 そして、その命を奉じて、今江戸おもてに砂塵をまきたてているのが、独眼隻腕の剣妖丹下左膳……それに対する諏訪栄三郎。
 乾雲丸とともに、火使(ひつかい)の心得は左膳の手に。
 坤竜丸とともに、水ぐあいの説は栄三郎の腰に。
 合符(がっぷ)、剣にしたがっていまだに別在しているところに、地下の孫六のたましいは休まる暇とてもなく、それが地表にあらわれてこのあらゆる惨風凄雨(さんぷうせいう)の象(かたち)を採(と)っているのであろう……。
 だが、しかし!
 孫六が刀装をほどこして以来、まだ一たびもよそおいを変えたことがないらしく、今に陣太刀(じんだち)づくりのままの二剣である。一刻も早く両刀を一手におさめて柄を脱(の)けたならば、必ずや、大の乾雲からは、割(わ)り文(ぶみ)の後片火説の紙が生まれ、小の坤竜は、前半水法のくだりを吐き出すに相違ない。
 当時孫六は、幅一寸、長さ尺余の紙きれに、微細蚊(か)のあしのごとき文字をもって、巻き紙のように横に、左右両方から水火の秘文を一行おきに書きうずめ、これを中裂し、一片を一刀に、めいめい中心の上へしかと捲きしめて、またその上から赤銅の柄をはめ返したものだった。
 と、同時に。
 かれは、万一の散逸をおもんぱかっての用意をも忘れなかった。
 べつに、一書を草(そう)して水火刀封の旨を記載し、彼はそれを、日ごろ愛用のやすり箱へしまいこんで、はじめて安堵して永久の眠りについたのだったが――。
 その心算(こころ)は。
 おのが子孫が何人にまれ、およそ後人に刀剣鍛錬に志して達成を望む者、もしこの孫六の鑢(やすり)を手がける境(きょう)まですすんだならば彼こそはその箱の中の指書(ししょ)を見て、ひいてはそれより、二刀の柄から水火秘文状を掘り出しても差支えのない人物であることを自証(じしょう)するものだ。
 こういう腹だったのが、爾後(じご)幾星霜、関七流の末に人多しといえども、いまだ孫六のやすりに手が届いて別書を発見したものはなく、従って水火合符刀潜(とうせん)の儀、夢にも知れずにすぎて来たのである。

 それでも、うすうすながら関の開祖孫六に、水あげ火あげの独自の両秘術があったらしいことだけは、ふるい昔の語りぐさのように、美濃国にいる刀鍛冶のあいだにいいつたえられてきたけれど、誰も、孫六の専用した古式の鑢(やすり)を使いこなす域にまで到達したものがなかったために、やすりの箱は埃をかぶったまま長く開かれずついに彼の死後こんにちにいたるまで、水火の奥ゆるしが割符(わりふ)となって夜泣きの大小の中心(なかご)に巻き納めてあるということを認めた、やすり箱の中の孫六の別札真筆(べっさつしんぴつ)も、とうとう見出される機とてもなく、古今の貴法(きほう)のうえに、春秋いたずらに流れ去ってきたのだったが!
 さては、あったら名人のこころづかいも空(くう)に帰して、水火秘文の合符(がっぷ)、むなしく刀柄裏(り)に朽ち果てる……のか。
 と、見えたとき。
 半生を鍛剣のわざに精進して、技(ぎ)熟達(じゅくたつ)、とうとう孫六遺愛の鑢(やすり)を手がけようとして箱をひらいたのが関(せき)正統(せいとう)の得印家に生まれて、何世かの兼光を名乗る、この子恋の森陰一軒家のあるじ、火事装束五梃駕籠の首領の老士であった。
 この得印兼光は、じつに孫六の末胤(まついん)だったのである。
 ――と、ここにはじめて素姓をあかし、名乗りをあげた得印老人のまえに、闇黒の部屋に坐して弥生は思わず襟をただしたのだった。
「何ごとにまれ、芸道の苦心は尊いものと聞きおよびまする。夜泣きの刀が、さような大切な文を宿しそのように因縁(いんねん)につながっておろうとは、父もわたくしも、いや、小野塚家代々のものがすこしも存じ寄りませぬところでござりましたろう。いかさま、雲と竜のふたつの刀、それでは切っても切れぬはずにござりまする。よくわかりました。それではわたくしも、微小ながら今後いっそう力をつくして、かの二剣をひとつに、必ず近くお手もとへお返し申すでござりましょう」
「いや! いや!」
 滅相もない! といったふうに兼光はあわてて手でも振り立てたものらしい。暗い空気が揺れうごいて、弥生の顔をあおった。
「いや! たとえわたしの先祖が鍛(う)ったところで、いまは、刀はあくまでも小野塚家のもの、わしとてもそれに、指一本触(ふ)れようとは思い申さぬ。が、ただ、その乾坤二刀の柄の内部(なか)に秘めらるる孫六水火の秘文状(ひもんじょう)それだけ……それだけは、所望でござる! この老骨の命を賭しても!」
「ごもっとも! 伊織、心得ましてござりまする」
 と弥生は、話が固くなるにつれて、またもや本性の女らしさが徐々に消えて、この日ごろ慣れている男の口調に返るのだった。
 関の孫六の後裔(こうえい)、得印老士兼光の低声が、羽虫の音のようにつづいてゆく。
「当今(とうこん)、新刀の振るわないことはどうじゃ?」
 いきなり、老人はこう吐き出すようにいって、眉をあげた。
「御治世のしるし津々浦々にまでいきわたって、世は日に月に進みつつあるというが、刀鍛冶だけは昔の名作にくらぶべくもない。本朝の誇りたる業物(わざもの)うちの技能、ここに凋落(ちょうらく)の兆(きざし)ありといっても過言ではあるまい。なんとかせねばならぬ! 古法の秘を探り求めるか、みずから粉骨砕身(ふんこつさいしん)して新道をきりひらくかせぬことには、鍛刀のわざもこれまでである――こう思ってわしは寝る眼も休まず勤労して来たものだが、菲才(ひさい)はいかにしても菲才で、恥ずかしながらいまだ一風を作(な)すところまで到らぬうちに、それでも、どうやらこうやら祖師孫六のやすりを使い得るようになって、一日この老いの胸にときめく血潮をおさえて、ついに鑢(やすり)箱のほこり払ったとおぼしめされ」
「は……?」
「と、出て来たのじゃ! 出て来たのじゃ! 乾坤二刀に水火の秘訣が合符(がっぷ)となって別べつに封じこめてあるという、まごう方なき孫六直筆の一書が現れたのじゃ! 弥生どの、そのときのわしの悦びと驚きは、ただもうお察しありたい」
「…………」
「以後のことは申すまでもござるまい。弟子どもを八方に走らせて探らせると、いまその大小は、ソレ、そこもとの父御(ててご)、江戸根津あけぼのの里なる小野塚家にあると聞きおよび、急遽(きゅうきょ)、四人の高弟をしたがえ、平鍛冶中より筋骨のすぐれし者をえらんで駕籠屋に仕立て、ただちに江戸おもてへ馳せつけ参ったのでござるが、その時はすでに御存じのとおり、かの丹下めの無法により二剣ところを異にして、刀が血を欲するのか、内部(うち)なる水火が暴風雨を生ぜぬにはおかぬのか――とまれ、かかる騒動の真っただなかへ、われら、美濃国関の里よりのりこみ来たったわけでござる。その後、そこもととこうして起居をおなじうすることに相成ったのも、奇縁と申せば奇縁じゃが、これも水火の霊、すなわち祖孫六の手引きであろうと、わしは、ゆめおろそかには思いませぬ」
 老人がポツリと口をつぐむと……沈みゆく夜気が今さらのごとく身にしみる。

 かくして。
 謎(なぞ)の老士得印兼光は、夜泣きの刀の作者関孫六の子孫だったことがわかり、部下の、同じ火事装束の四人はその弟子、六尺ぢかい大男ぞろいの駕籠かきも、重い鉄槌(てっつい)をふるう平鍛冶のやからなればこそ、これも道理とうなずけて、弥生は、こころからなる信頼のほほえみを禁じ得なかったと同時に、斯道(しどう)に対する老人の熱意のまえには、さすがは名工孫六の末よと、おのずから頭のさがるのをおぼえるのだった。
 もう夜は五刻になんなんとして、あるかなしの夜映を受けて、庭に草の葉の光るのが見える。
 会話(ことば)がとぎれると、人家のないこの青山長者ヶ丸のあたりは、離れ小島のようなさびしさにとざされて、あぶらげ寺の悪僧たちであろう、子恋の森をへだてた田の畔(くろ)を、何か大ごえにどなりかわしてゆくのが聞こえる。
 犬が吠えて、そしてやんだ。
 春の宵は、人にものを思わせる。
 得印老人の物語が、感じやすい弥生のこころをさらって、遠く戦国のむかしにつれ返っているのだった。
 近くの闇黒に、弥生は見た――ような気がしたのである。
 古い絵のなかの人のようなよそおいをした刀鍛冶の孫六が、美濃の国、関の在所にあって専心雲竜の二刀を槌(つち)うつところを!
 ふいごが鳴る。火がうなる。赤熱(しゃくねつ)の鉄砂が蛍のように飛び散ると、荘厳(そうごん)神のごとき面(おも)もちの孫六が、延べ鉄(がね)を眼前にかざして刃筋をにらむ……。
 それは真に、たましいを削るような三昧不惑(さんまいふわく)の場面であった。
 と見るまに。
 その幻影は掻き消えて、そこに、弥生の眼には、またほかのまぼろしが浮かぶともなく描かれているのだった。
 死に近い孫六である。
 かれは、書いている。ほそ長い紙きれに、おどろくべき細字をもって、しきりに筆を走らせているのだが、その字の色はうす赤かった。血のように赤く、また汗のごとくに水っぽいのだ。
 それもそのはず!
 彼は、みずからの血におのが汗をしぼりこんで、この水火の秘文(ひもん)をしたため遺(のこ)しているのではないか!
 そのうちに、書き終わった孫六は秘文を中断して割文となし、ふるえる手で、乾坤二刃のみにそれぞれに捲(ま)きしめている……が、ここまで自分の想描(そうびょう)を追って来たとき、弥生はハッ! として[#「ハッ! として」は底本では「ハッ!として」]眼をまえの得印老士のほうへ返した。
 死につつある孫六の顔が、兼光のように見えて来、再びそれが、亡父(ぼうふ)鉄斎のおもかげに変わりだしたような気がしたからだ。
「弥生どの!」
 りんとした得印兼光の声が、鋭く弥生を呼んでいるのだった。
「は」
 これで弥生、暗中の醒夢(せいむ)をふるいおとしていずまいをなおした。
「かかる次第じゃによって、わしはいかにもして、一時かの二剣を手にせねばならぬのじゃ。ナニ、ちょっとでよい。ほんの一刻、ふたつの柄をはずして秘文を取り出しさえすればあとの刀には、わしはなんらの未練も執着も持ち申さぬ。当然、正当の所有主(もちぬし)たるそこもとへ即時返上つかまつるでござろう」
「は。そのお言葉を頼みに、わたくしも豆太郎も、せいぜい働きますでござりまする。ではそのようなことに――何はともあれ、二剣ひとまず御老人のお手もとへ! ハッ心得ました」
 老士はただ、会心の笑みを洩らしただけらしい。こたえはなかった。
 が!
 雲竜奪取もさることながら……。
 弥生のこころは、いつしか先夜、豆太郎とともに深川のお山びらきに左膳月輪を襲った時に、瓦町からつけていった栄三郎の姿。さては、夕ぐれ彼の帰り来る折りの風流べに絵売りのいでたち――それらの思い出を悲しく蔵して浮きたたなかった。
 扮装(なり)は男でも、名は若侍でも、弥生はやはり弥生、成らぬ哀慕に人知れず泣くあけぼの小町のなみだは今もむかしもかわりなく至純(しじゅん)であった。
 と、そこへ。
 おなじ夜に、旗亭(きてい)の二階に障子をあけて現われたお艶の芸者すがたが眼にうかぶ。
 自分に義理を立てて、さてはあの女は歌妓(かぎ)とまで身をおとしたのか……すまぬ!
 こう弥生が、あやうく口に出して独語(ひとりご)とうとしたとき、
「オヤオヤ! これあ驚きましたな。ばかに暗いじゃありませんか」
 豆太郎が、あんどんに灯を入れて来た。

  候(そうろう)かしく

 四月。
 ころもがえ。
 卯(う)の花くたしの雨。
 きょうも朝から、簀(す)のような銀糸がいちめんに煙って、籬(かき)の茨(いばら)の花も、ふっくらと匂いかけている。
 屋敷横、法恩寺の川はいっぱいの増水で水泡をうかべた濁流が岸のよもぎを洗って、とうとうと流れ紅緒(べにお)の下駄が片っぽ、浮きつ沈みつしてゆくのが見える。
 土手につづく榎(えのき)の樹。
 早い青葉若葉が濡れさがってところどころ陽に七色に光っていた。
 あかるい真昼の小雨だ。
 はるか裏にひろがるたんぼのなかを、大きな蓑(みの)を着た百姓が、何かの苗を山とつんだ田舟を曳いてゆくのが、うごきが遅いので、どうかするととまっているようで、ちょうど案山子(かかし)のように眺められるのだった。
 潮干狩のうわさも過ぎて、やがては初夏のにおいも近い。
 遠くの野に帯のような黄色な一すじが、雨に洗われて鮮やかに見えるのは、菜の花であろう……。
 雨日小景(うじつしょうけい)。
 左膳は、その一眼にこれらの風情をぼんやりと映して、さっきから本所化物やしき庭内、離室の縁ばしらに背をもたせたまま、まるで作りつけたように動かずにいるのだ。
 人なみはずれて身長の高い左膳は、こうして縁側に立てば、破れ塀のあたまごしに、そと一円を見はるかすことができたけれど、それにしても剣怪左膳、どうしてこうおとなしく、絹雨にけぶるけしきなどを、いつまでも見惚(みと)れているのであろう。
 彼らしくもない。
 ……といえばいえるものの、じつは左膳、これでも胸中には、例によって烈々たる闘志を燃やし、今やこころしずかに、捲土重来(けんどじゅうらい)、いかにもして栄三郎の坤竜を奪取すべき方策を思いめぐらしているところなのだ。
 ながい痩身、独眼刀痕の顔。
 空(から)の右袖をブラブラさせて、左しかない片手に柱をなで立つと、雨に濡れた風がサッと吹きこんできて、裾の女ものの下着をなぶる。
 鋭い隻眼が雨中の戸外に走っているうちに、しだいに左膳の頬は皮肉自嘲の笑みにくずれて来て、突然かれは、いななく悍馬(かんば)のごとくふり仰いで哄笑した。
「あっはははッは! 土生(はぶ)仙之助は殺(や)られたし、月輪も、先夜は岡崎藤堂ら数士を失い、残るところは軍之助殿、各務氏、山東、轟の四人のみか――ナアニ、武者人形の虫ぼしじゃアあるめえし、頭かずの多いばかりが能(のう)じゃねえ。しかし、源の字は当てにならず、おれとともにたった五名の同勢か。ウム! それもかえっておもしろかろう! おれにはコレ、まだ乾雲という大の味方があるからな……」
 ひとり述懐を洩らしつつ左膳、みずからを励ますもののごとく、タッ! と陣太刀赤銅の柄をたたいたとき、
「チェッ! よくあきずに降りゃアがる!」母屋(おもや)から傘もなしに、はんてんをスッポリかぶって、ころがるようにとびこんで来たのは、ひさしぶりにつづみの与吉だ。
 降りこめられて、しょうことなしに離室いっぱいに雑魚寝(ざこね)している月輪の残党四人をのぞきながら、
「ヒャッ! 河岸にまぐろが着いたところですね」
 と相変わらず、江戸ぶりに口の多い与の公、はじめて気がついたように左膳に挨拶して、
「お! 殿様、そこにおいででしたか、注進注進」
「なんだ?」
「なんだ、は心細い! いやに落ち着いていらっしゃいますね……ハテどうかなさいましたか。お顔のいろがよくないようですが――」
「何をいやアがる!」左膳は相手にしない。「てめえもあんまり面(つら)の色のいいほうじゃアあるめえ。儲(もう)けばなしもないと見えるな」
「ところが殿様! 丹下の殿様! ヘヘヘヘヘ、ちょいと……」
「何?」
「ちょいとお耳を拝借」
 苦笑とともに左膳、腰をかがめて与吉の口に暫時(ざんじ)、耳をつけていたが、やがて何ごとか与吉のことばが終わると、ニッと白い歯を見せてほくそえんだのだった。
「そりゃア与の公、てめえ、ほんとうだろうナ」
「冗談じゃアない。何しにうそをいうもんですか」
 与の公はいきおいこんだ。
「ほんと、ほんと、あのお艶……、母屋(おもや)の殿様がゾッコンうちこんでいなさる女(あま)っこが、深川で芸者に出ているてエこたあ、誰がなんといおうと、お天道さまとこの与吉が見とおしなんで――へえ、正真正銘ほんとのはなしでございます」
「そうか」
 と一言、左膳はなぜかニヤリと笑ったが、
「ふうむ。そりゃアまあそうかも知れねえが、なんだって手前(てめえ)は、そいつを肝心の源十郎へ持っていかねえで、そうやっておれに報(し)らせるんだ? お艶のいどころなんぞ買わせようたって、おれア一文も払やしねえぞ」
「殿様ッ! 失礼ながら駒形の与吉を見損(みそこな)いましたネ。こんなことを、筋の違うあんたんとこへ持ちこんで、それでいくらかにしようなんて、そんなケチな料簡の与吉じゃアございません」
「大きく出たな」
「しかし、ですね。鈴川様はいまピイピイ火の車……」
「いつものことではないか」
「それが殊にひどいんで、とても知らせてやったところで一文にもなりませんから、そこでこちら様へただちに申しあげるんでございますが、ねえ丹下様、この女の所在ととっかえっこに、ひとつ鈴川さまに働かせてみちゃアどうでございます」
「ハハハハ、罪だな」
「なあに、罪なことがあるもんですか。こないだの晩だって、先にいっしょに瓦町へ物見に行ったときなんざア、ポウッと気が抜けたように、お艶のことばかり口走って歩いていたくらいですから、そのお艶の居場所がわかった、ついては、なんとかして栄三郎から刀を奪ってくれば、すぐにもそこを教えよう――こういってやりゃア、今はお艶のことでフヤフヤになっていますが、あれでも鈴川様は去水流の名人ですから、お艶ほしさの一念からきっと栄三郎を手がけて坤竜をせしめて参りますよ。あっしアこいつア案外うまくいくことと思いますが、丹下様、いかがで?」
「ウム、そうだな、折角の援軍もいまは四人に減って、おまけに栄三郎には泰軒、そこへもってきて五梃駕籠のほかに、かの手裏剣づかいの人猿も現れ、おれ達にとっては多難なときだ。こりゃア一番、てめえのいうとおり、お艶を囮(おと)りに、源十をそそのかして、コッソリ瓦町へ放してやるとしようか」
 はなれの縁で左膳と与吉が額部(ひたい)をよせて、こうヒソヒソささやきあっている時に!
 折りも折り。
 庭をへだてた化物屋敷のおもや鈴川源十郎の居間では。
 ぴったりと障子を閉(し)めきって、あるじの源十郎とひとりの年増女(としま)が、これも何やら声を忍ばせて、しきりに話しこんでいる最中。
 年増(としま)……とは誰?
 と見れば。
 めずらしくも、櫛まきお藤である。
「だからさ、お殿様、じれッたいねえ。何もクサクサ考えることはないじゃありませんか」
 今までどこにもぐっていたのか、眼についてやつれて、そのかわり、散りかねる夕ざくらの凄美(せいび)を増した櫛まきの姐御、ぽっと頬のあからんでいるのに気がつけば、ふたりのあいだにのみ干された茶碗酒がふたつ。
 じまんの洗い髪――つげの横ぐし。
 大きな眼を据え顔を傾けて、早口の伝法肌(でんぽうはだ)、膝をくずした姿も色めき、男を男と思わぬところ、例によって姐御一流の鉄火(てっか)な調子……。
「そりゃアあたしもネ、なんて頼み甲斐のないお人だろうと、いまから思えば冷汗(ひやあせ)ものですけど、一時は殿様をお恨み申したこともありますのさ。でもね、すぎたことはすぎたこと。さらりと水に流してしまえば、そこは江戸ッ子同士のわかりも早く、ホホホ、こうしてあつかましく遊びにまいりましたよ」
「よく来た」
 ぽつりいって、源十は冷酒(ひや)[#「冷酒(ひや)」は底本では「冷酒(ひや)」]を満たしてやる。
 だるい静けさ。
 さっき源十郎がひとりで、先日手切れの五十両を持って出ていったきり今に帰らないおさよのことを、さまざまに思いめぐらして憤怒(いかり)をおさえているところへ、チョロチョロと裏庭づたい、案内も乞わずに水ぐちからあがりこんで来たのが、この絶えてひさしい櫛まきお藤であったから、うらまれる覚えのある源十郎、すくなからず不気味に思いながらも、あんまり嫌な顔もできず、あり合わせの酒をすすめながら相手になっていると。
 お藤はすぐ、おのが恋仇敵ともいうべき左膳の思い女(もの)弥生のことを、われから話題(はなし)に持ち出したのだった。
 弥生のその後――それをお藤は源十郎に語る。
 そして……。
 お藤は、こういうのだった。
 弥生がいま、男装して小野塚伊織と名乗り、青山長者ヶ丸なる子恋の森の片ほとり、火事装束五人組の隠れ家にひそんでいることを、たしかにさる筋よりつきとめた――と。
 お藤がここにいうさる確かな筋とは?
 それは、ほかでもない。
 彼女じしんのうちにいつしか発達した探索の技能によって、最近じぶんで嗅(か)ぎ出しただけのことである。みずからつけまわして探り当てたのだから、なるほどこれ以上確かな筋もあるまいが……。
 いったいこのお藤。
 ながらく岡(おか)っ引(ぴき)その他の御用の者をむこうにまわして昼夜逃げ隠れているうちに、対抗の必要上、いつのまにか駈け出しの岡(おか)っ引(ぴき)なんか足もとへも寄れないほどに眼がきき出して、ことに人の行方なぞたいがいの場合、お藤姐御の智恵さえ借りれば、即座にかたのつくことが多かった。
 こんどもその伝(でん)。
 かの第六天篠塚稲荷の地洞(じどう)に左膳とともに一夜を明かしたのち左膳はそのまま、お藤の盗って来た坤竜を引っつかんで、まんじ巴(ともえ)の降雪(ゆき)のなかを飛び出して行ったきり、ふたたび、稲荷の地室に待つお藤のもとへは帰らなかった――でひとり残されて待ちぼうけを食ったお藤、それからはそのやしろの縁の下に巣をかまえて、兇状もちの身は、お上(かみ)の眼が光っているから、当分は外出もできず、くらいなかに寝たり起きたり、左膳を慕い世をのろって、ひそかに沈伏していたのだった。

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