丹下左膳
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著者名:林不忘 

 栄三郎と山東平七郎は。
 泰軒と月輪軍之助は。
 また、かの丹下左膳は。
 かれらも、共同の敵なるこの玄妙飛来剣のまえには勝負を中止せざるを得なかったとみえて、どこにもそこらには立ち姿の見えないのは、いいあわしたように草に伏しているのであろう――。
 じっさい、かの手裏剣は左膳をはじめ、月輪組を襲うのみならず栄三郎泰軒をも目標にしているものに相違なかった。
 というのは、一度ならず二度、三度までも、例の小柄(こづか)が泰軒栄三郎の身辺に近く飛んで来て、ひとつは、栄三郎の腰なる武蔵太郎の鞘を殺(そ)いで落ちたことさえあったことだ。
 この得体の知れない飛び道具にはせっかく腕に油の乗りかけて来た栄三郎も、また天下に怖いもののないはずの泰軒先生も、ちょっと扱いようがなくて、とにかくとっさに相手の月輪とともに地に伏さっているのだった。
 左膳もどこかに這っているのであろう……しいんとした夜気に明け近い色がただよって、低く傾いた月は漸次に光を失いつつある。
 ところどころに小高く見えるのは、斬り殺された月輪の士の死体だ。
 この上に東天紅(とうてんこう)のそよ風なびいて、葉摺(はず)れの音をどくろの唄と聞かせている。
 この休止のままに夜があけるのであろうか?――と、こちらの木かげからのぞき見るお艶がひとり気をもんだとき、白煙のような朝靄(もや)のなかを小走りに遠ざかりゆく大小ふたつの人影が眼にはいったのだった。
 猿まわしと小猿……夢を見ているのではないかと、お艶は眼をこすった。

  さくら暦(ごよみ)

 あすか山。この享保年中に植えしものには、立春より七日目ごろもっとも盛んなり。
 王子権現(ごんげん)。同七十七日目ごろよし。古木五、六株あり。八重にて匂いふかし。
 すみだ川。おなじく六十四、五日ごろをよしとす。水辺(みずべ)ゆえ眺め殊(こと)にすぐれたり。
 御殿山(ごてんやま)。七十日目ごろさかん也(なり)。房総(ぼうそう)の遠霞(えんか)海辺の佳景、最もよし。
 大井村。七十五日ごろさかん也。品川のさき、来福寺、西光寺二カ所あり。
 柏木村。四谷の先、薬師堂まえ右衛門桜という。さかり同じころ也。
 金王桜。しぶや八幡の社地。おなじころよし。
 当時評判東都花ごよみ桜花の巻一節。
 さて――はな季節である。
 どんよりと濁った空。
 砂ほこり……そして雨。
 一あめごとのあたたかさという。
 咲き始めた。いや、さきそろった。もう散った――などとこのあわただしさが、さくらのさくらたる命だと聞くが、風呂屋や髪床のような人寄り場に、桜花より先に、花のうわさにはなが咲く……そうした一日の午後だった。
「いや、ようよう、我善坊(がぜんぼう)の伯父御隈井九郎右衛門殿から五十両立て換えてもらって、おれもこれでほっといたした。どうもこの節はふところ工合が悪く、そこもとにいろいろと心配をかけて相すまない。が、マア、こうして手切れの金もできたのだから、この上は一刻も早く栄三郎に渡して離縁状を取って来てくれるよう……源十郎、このとおり頼み入る」
「ま! 殿様、なんでございます、おじぎなんぞなさいまして!」
「ははは、不見識だといわるるか。ハテ、実は母者人(ははじゃびと)に生きうつしのそこもと、これからはまたお艶のお腹さまとして拙者にとっては二つとない大切な御隠居、そのお人に頭をさげるに、なんで異なことがござろう?」
「ホホホホ、それはまあそうでしょうけれど……ではあの五十枚たしかに」
 しずかな声が曇った春の陽のうつろう縁の障子をポソポソと洩れ出ている。
 本所法恩寺前――化物やしきと呼ばれる五百石小ぶしん入りの旗本、鈴川源十郎の奥座敷である。
 定斎屋(じょうさいや)の金具の音がのんびりと橋を渡って消えてゆくと、近くの武家の塀内で、去年の秋から落ち葉を焼くけむりが、白くいぶったままこの部屋の端にまでたゆって来ている。
 春長うして閑居。
 明窓浄几(めいそうじょうき)とはいかなくても、せめて庭に対して経(きょう)づくえの一脚をすえ、それに面して書見するなり、ものにはならないまでも、詩箋のひとつもひねくろうというのなら、さすがは徳川幕下直参(じきさん)の士、源十郎もすこしは奥ゆかしかろうというものだが、どうしてどうしてこの鈴川のお殿様ときた日には、書物といえば博奕(ばくち)の貸借をつける帳面以外には見たこともなく、筆なんか其帳(それ)へ記入する時のほか手にしたこともないという仁だから、いくら錆(さ)びた庭面に春の日が斑(まだら)に滑ろうが、あるかなしかの風に浮かれて桜の花びらが破れ畳に吹きこんでこようが、いっこうに風流雅味(がみ)のこころを動かされるふうもなく、きょうも先刻から、とうのむかしに抱きこんである老婆さよを呼び入れて、こうしてしきりに五十金の縁切り状だのと春らしくもないことを並べたてているのは、さては源十郎、いよいよお艶を手に入れる策略を現にめぐらしはじめたものとみえる。
 さてこそ、ふたりの中間に、山吹色――というといささか高尚だが、佐渡の土を人間の欲念で固めた黄金が五十枚、銅臭芬々(ふんぷん)として耳をそろえているわけ。
 俗物源十郎の妄執(もうしゅう)、炎火と燃えたってついにお艶におよばないではおかないのであろうか?
 邸前の野に、雲に入るひばりの声……。
 それも、買わんかな、売らんかなの両人の耳には入らぬらしく、源十郎、したり顔に膝を進めてつと声をおとした。
「サ! おさよ殿、これなる五十両を受け取って、約束どおりに栄三郎から三行半(みくだりはん)を取って来てもらいたい。いかがでござる?――よもや嫌とは……」
「いやだなどとめっそうもない! それではお殿様、はい、この五十両はわたくしがお預り申して」
 と何も知らないおさよは、眼を射る小判の色に眩惑(げんわく)されて、一枚二枚と小声で数えながら金を拾いあげはじめたが! その一つ一つに、出羽様の極印(ごくいん)で、丸にワの字が小さく押してあるのには、おさよはもとより、よく検(あら)ためもしなかったので、源十郎じしんさえすこしも気がつかなかった。
 血のにじんだ小判!
 大工伊兵衛の死相をうかべた金面!
 それが一つずつ老婆の貪欲(どんよく)の手に握りあげられてゆくとき、左膳と月輪の雑居した離室に、どッ! と雪崩(なだれ)のような笑い声が湧いて消えた。
 この室内のしじまにチロチロと金の触れるひびき……。

 怨霊(おんりょう)を宿した金子(きんす)に手をふれておさよの皮膚は焼けただれたか……というに、べつにそうしたこともなく、丸にワの字の出羽様の極印も両人とも知らぬが仏で、世のつねの小判のように、おさよはそのまま五十両を数え終わって、ちょっと改まって源十郎へ向きなおった。
「はい。たしかに五十枚。まことにありがとうございました。これでどうやらお艶の身の振り方もつき、またわたしもこの年になって安楽(らく)ができ、いわばわたしども母娘(おやこ)の出世の――いとぐちと申すべきもの、では、これからさっそく参りまして……」
「ア、そうしてもらいたい」
 源十郎は上々機嫌だ。
「なに、財布がない。では、これを持っていかれるがよい」
 と、これが世にいう運のつきであろうとは後になって思い合わされたところで、この時は源十郎お艶ほしさの一念でいっぱいだから後日の証拠のなんのということはいっこうに心が働かない。ごく気軽に自分の財布を取り出して内容をはたき、これに件(くだん)の五十金を入れておさよに渡すと、おさよは大切に昼夜帯(はらあわせ)のあいだへしまいこんで、
「じゃ、一っ走り――」
 起とうとするところを、ちょいとおさえた源十郎、
「何の中でも、当節(とうせつ)五十両といえばまず大金の部である。こころおぼえのために栄三郎から離縁状を取って戻るまで、受取りをひとつ書いてもらいたいものだが……」
 もっともと思ったおさよが、そこで、筆紙と硯を借りて文面は源十郎の言うとおり――。まず差入れ申す一札のこと……と、書きはじめて、やっと筆をおいた。その文言はこうだった。
差入れ申す一札のこと
一金五十両也。上記のとおり確かにお受取り申し候。娘艶儀、御前様へ生涯(しょうがい)抱切(かかえき)りお妾に差上げ申し候ところ実証なり。婿栄三郎方は右金子をもって私引き受け毛頭違背(いはい)無御座候。為後日証文依而如件(よってくだんのごとし)。
 享保四年四月十一日。
艶母    さよ
鈴川源十郎様
 御用人衆様
 この誓文(せいもん)を書き残したおさよは源十郎が棟梁伊兵衛を殺して奪った金……内いくらかは松平出羽守お作事方の払い金と、大部分はたらぬとはいい条、現在むすめお艶が羽織に身売りしたその代とを〆(し)めて五十になる。それを持ってイソイソと本所の鈴川様おやしきを立ち出たのだった。
 一歩、屋根の下を離れると、忘れていた春の最中である。
 もう早い夏のにおいが町の角々にからんで、祭りの日のような、何がなしに楽しい心のときめきがふと老いたおさよの胸をかすめる。
 幼いころの淡い哀愁であろうかその記憶が、陽光のちまたを急ぎゆく老女のおぼつかない感懐をすらそそらずにはおかないのだった。
 これも、春のなすすさびであろう。
 正直なかわりに単純そのもののようなおさよは、この、人血に染む金で娘のみさおを渡し、それによって展(ひら)かれるであろうはかない最後の安逸(あんいつ)を、早くもぼんやりと脳裡にえがいて、ひとりでに足の運びもはかどるのであった。
 本所を出て、あれから浅草へ歩を向ける。
 まばらな人家のあいだに空き地がひろがって、うす紅の海棠(かいどう)は醒めやらぬ暁夢(ぎょうむ)を蔵して真昼の影をむらさきに織りなし、その下のたんぽぽの花は、あるいはほうけあるは永日ののどかさを友禅(ゆうぜん)のごと点々といろどっているけしき……いつの間にやら、春はどこにでも来ていた。
 南の風。
 そこにもここにも、さくら、さくら、さくら――。
 気がついてみると、今日は吉野(よしの)の花会式(はなえしき)である。
 なつかしい心もち。
 そういったものがひたひたとおさよの身内に押し寄せて来て、彼女は、しばし呆然と道の端に立ちどまっていた。
 どこへ行こう?……と考える。
 栄三郎さんの瓦町の家は、じぶんも一度、刀を掘り出し持って行ったことがあるから知っているが、のっけからこの離縁ばなしをあそこへ持ちこんでゆくのはおもしろくない。
 第一、いまお艶はどこで何をしているのか、それはわからないにしても、瓦町にいないことだけは人の口に聞いて確実なのだから……。
 はて! 金と引き換えに証文まで書き、こうして殿様に受け合って出て来たのはいいが、いったいまずどこへ行って、誰に相談したものであろう?
 思案のうちに、ハタと何かを思いついたらしいおさよ、ひとり頻(しき)りにうなずきながらまたあるきだした。
 まばゆい日光が、浮世の辛苦にやつれた老婆の肩に、細く痛々しくおどっている。
 駒が勇めば花が散る……。
 これは駒ではないが、細工場でおもい槌(つち)をふるって、真赤に焼けた金を錬(なら)すごとに、そのひのひびきに応じて土間ぐちに近く一本立っている桜の木から、雪のような白い花びらがヒラヒラ舞い落ちる。
 テンカアン、テンカアン! と一番槌の音。
 あさくさ三間町の鍛冶富、鍛冶屋富五郎の店さきである。
「サ、吉公、そこんところをもうすこし、裏をよく焼くんだぞ!」
 いそぎの請負仕事であるとみえて、きょうは富五郎、桜花をよそに弟子の吉公をむこうへまわして相変わらず口こごとだらけ。
「ふいごが弱えんじゃねえかナ。あんまり赤がまわらねえじゃねえか。なんでえ、飯ばかり一人前食いやがってしっかりしろい!」
 ――と、それでも珍しく自分で仕事場に立って真っ黒になっているところへ――。
「はい。ごめんなさい、富五郎さん」
 という薹(とう)の立ちすぎた女の声が、藪(やぶ)から棒に聞こえて来たから、富五郎が槌の手を休めてヒョイと戸口の方を見やると、田原町の家主喜左衛門といっしょにいろいろ面倒を見てやった、奥州相馬の御浪人和田宗右衛門さまの後家おさよ婆さんが、妙にニヤニヤ笑ってのぞいているので、
「イヨウ!」
 と驚いた鍛冶富、
「やア、おさよさんじゃアねえか」
「どうも申しわけもございません。お世話になりっぱなしでまだその御恩返しの万分の一もできずに、しじゅうわがことにばかりかまけて御無沙汰つづきでおります。そのうえ、今日はまた折り入ってお願いがあって参りましたので」
「ウムウム。ああそうかい、そりゃまアよく来なすった。いま仕事の最中で挨拶もできねえから、さ、かまわずズンズン奥へあがんなさい……といったところで、知ってのとおりの手狭なあばら家だ。ずうっとはいりこむのはいいが、とたんに裏へ抜けちまうからナ、そこは何だ、いいかげんのところにとまって待っていておくんなさい、はははは、ナニ、すぐにこいつを仕上げて、ひさしぶりだ、いろいろ話も聞こうし報(し)らせてえこともある。さ、ま、遠慮しねえで――」
 いいところへ彼のお艶の母が舞いこんで来たものだ。こいつは一番、このおさよ婆さんにこのごろのお艶の始末をうちあけ、さよから先に納得(なっとく)させてお艶を手に入れてやろうと、さっそくに考えをきめた富五郎、まるで天からぼた餅が降ってきたようなさわぎで、
「こらッ吉ッ! きょうはお客が見えたからこれで遊ばせてやる。いますこし励んだらしまいにして手前(てめい)はよくあと片づけしておけ」
 ジュウンと火熱の鉄を水につっこんで、富五郎はまっくろになった手と顔を洗い、上り端(ばな)の六畳へ来てみると、ふだんから小さなおさよ婆さんがいっそう小さくしぼんで、眼をしょぼつかせながらすわっている。
 そこで。
 どっかりと長火鉢の向うにあぐらをかいた富五郎と、出された座布団をちょいと膝でおさえたおさよとが、無音のわびやら何やらにまたひとしきり挨拶があったのちに、
「おさよさん――」とあらたまって鍛冶富が口をきったのだった。
「どうだえ? 眼がさめなすったかい?」低声になって、「俺ア毎度田原町とも、それからうちのおしんともお前のうわさをしているよ。あんな縹緻(きりょう)のいい娘を持ってサ、おれならお絹物(かいこ)ぐるみの左団扇(ひだりうちわ)、なア、気楽に世を渡る算段をするのに、なんぼ男がよくっても、ああして働きのねえ若造にお艶坊をあずけて、それでお艶さんを埋(う)もらせるばかりか、はええはなしがお前さんまでその年をしてお屋敷奉公に肩を凝(こ)らせる、なんてまあ馬鹿げた仕打ちだと、しじゅうおしんとも語りあっておらアお前さんのために惜しんでいた。が、そこはマア若え女のほうがじきに熱くもなりゃあ冷めるのも早えや、お艶坊はお前、とっくの昔にスッパリ栄三郎さんと手を切ってヨ。今じゃア……」
 いいかけて口をつぐんだ富五郎へおさよはいきなりすがりつくように乗り出したのだった。
「え? うすうすは聞いてもいましたが、それじゃアあの、お艶はすっかり栄三郎と別れて――して今はどこに何をして?」
「これおさよさん!」
 眼を鈍く光らせて、鍛冶富は急によそよそしくなった。
「同じ江戸にいながら、母として娘の所在も生活(くらし)も知らねえとは、おさよさん! おめえ情けねえとは思わねえか」
 さも慨然(がいぜん)と腕を組んだ富五郎のまえに、おさよは始めて欲得(よくとく)のない母の純心を拾い戻した気がして、ながらく忘れていたいとおしい涙が、お艶に対してこみあげるのを覚えた。
 そのようすに、鍛冶富の片頬が、しめたッ! とばかりにかすかに笑みくずれる。
 おさよは、しずかに鼻をかんだ。
「あ! そういえば、あの、おしんさんは?」
 おさよは顔をあげてきいた。富五郎はうそぶく。
「なに、かかあかい、かかあは先刻湯へ行きましたよ」
「道理で、影が見えないと思いました。おふたりともいつもお達者で結構でございますねえ」
「いんや、あんまり結構でもねえのさ」
 と、ほろにがい調子で富五郎が答えている時に、ちょうど露地づたいに近所の風呂から帰って来た富五郎女房のおしん、何ごころなく裏口からあがろうとすると、誰やら客らしい声がいやにしんみりと流れてくるから、おや! どなただろう? と障子の破れからのぞいてみたところが、かねがね亭主の富五郎がひそかに懸想(けそう)していることを自分も感づいているお艶の母のおさよなので、ハテ、珍しくなんの用だろう――? そのまま水ぐちにしゃがんで耳をすましている……とは知らない鍛冶富。
「女房と畳はたびたびかえるがいいそうでネ。ハハハハ、いや、こいつあ冗談だが、さて今の話で、お艶さんがこの日ごろどこに何して暮らしているかは、おさよさん、実はわっしも知らねえんだよ」
 おさよは、いつしか眼のふちを赤くしていた。
「ですけれど親方、ついさっき、何もかも御存じのような口ぶりを洩らしたじゃありませんか。後生ですから――」
「はっはっは! そりゃア事の次第によっちゃアまんざら吐きださねえこともねえかも知らねえが、と、当分、おれは何ものんでやしねえものと思っていてもらいてえ。が、ものは相談だから、お前さんがわしの念をとどけさせるというのならおれもここで一肌ぬいで、ちと大時代だが、御親子対面の場を取りはからわねえとも限らない……」
「親分、なんでございますね、そのお前さんの念(ねん)というのは」
「ウフフフ、なんだネそんなまじめな顔をして! お前さんにそう真っ向から問いただされちゃア、おれも困るじゃないか」
「――――」
「まあよい。こっちのことは第二にして、お前さんも、そうやってわざわざ出て来なすったからにゃア、何か大切な用があってのことだろう? そいつを一つ、即(そく)に聞こうじゃねえか」
 いわれた時におさよは、その鍛冶富も疾(と)うからお艶に心をよせて、今はまたお艶が夢八と名乗って深川のまつ川から羽織に出ている事実をつきとめている唯一の人間……ということなどは思いもおよばないで、きかれるままに渡りに船とばかりきょう尋ねて来た用むきをポツリ、ポツリと話し出したのだった。
 どうも栄三郎がああいう柔和な人間でまことに結構だが、いってみれば働きがなく、末の見こみというものがない。殊には富五郎のいうとおり、もうお艶栄三郎がキッパリ別れているならなおのこと、いまおさよの奉公先本所法恩寺前で五百石のお旗本鈴川源十郎様が、きつう娘に御執心(ごしゅうしん)なされて、一度はお屋敷に閉じこめてわがものにしようとしたが、栄三郎ときれいに手を切って娘を生涯の妾にくれるならば、内々のところは奥様にして、そうならばこのさよも五百石の女隠居、眼をつぶるまで世話をしてやろうといってくださる。栄三郎にはいささか不実だが、これもなんともいたし方がない。しかもすでに離れているものなら、さほど生木を割くというわけでもなし、世の中はまず自分の楽をはかるのが当世かと思う。ついては、いかになんでもわたしから栄三郎へは掛合いがしにくいから、富五郎さんおいそがしいところをお頼み申して心ないが、どうだろう、ここに殿様からいただいた小判が五十両――これだけあれば、いつぞやお前さんに返金するために栄三郎に立て替えてもらった金の埋めもついて、ほかにうるさいことをいわれるおぼえはないはず。その五十金がこのとおりソックリ財布にはいっている。これを手切れにして、一つ出向いて栄三郎を説き伏せて来てはくれまいか……。
 富五郎は沈黙。
 白っぽい場末の静寂が、おさえつけるように真昼の街をこめている。
 弟子の吉公が、またお向うの質屋の小僧と喧嘩をはじめたらしくうわずった声がおもての往来に流れていたが台所にひそむおしんは、何も耳にはいらないふうで、ひたすら室内の富五郎の返答を待った――うなだれて固唾(かたず)をのむおさよ婆さんとともに。
 いわば恋がたきである――源十郎と鍛冶富。
 その鈴川の殿様のために、手切れの使者に立って金を渡し、はなしをまとめてくれとおさよ婆さんに頼まれたときに、鍛冶屋の富五郎、味もそっけもなくポンとはねつける。
 と、思いのほか。
 逆に、グッと一つそり返りざま、胸のあたりを大きくたたいて見得をきった。
「ようがす!」
 と容易(たやす)く受け合う。
 立ち聞くおしんは、案に相違して、お艶を源十郎にやろうという良人(おっと)のことばに燃えかかっていた嫉妬のほむらもちょっとしずまって、いささか安心したらしいようすだが思ったよりこともなく承知(うけあ)ってくれたのに、かえってさよのほうがびっくりし、
「え? それではアノ――?」
 せきこんでききかえすと、ますます鷹揚(おうよう)に合点をした富五郎親方。
「わかりました、おさよさん。お前さんの心はよっく理解がつきましたよ。なアるほどネ、子を思う親の誠に二つはねえとは、よくいったもんだ。お前さんはつまりお艶さんにこのうえの苦労をさせたくねえ。なんとかして鈴川様へさしあげて、すこしでも楽な身分にしてやりてえという腹でいっぺえで、いってみりゃア自分のことなど二の次なんだろう。そうなくちゃアならねえ……うム……親ッてえものはありがてえもんだなあ! おらあおさよさん、この年になって初めて親の恩を知りましたよ。あああ、焼野(やけの)の鶴に夜のきぎす――」
 なんかと富五郎、何を思い出したのかそこらのお寺の説法にでも聞いたらしい文句を並べだしたりはいいが、どうもいうことがさかさまである。
 にもかかわらず。
 涙っぽいその調子に誘われて、おさよが思わずさしうつむくと、うら口のおしんまでが湯帰りの濡れ手拭とまちがえて、雑巾(ぞうきん)で眼じりをこすっている。
 春の日の午さがりだけあって、いかにも間の抜けた愁嘆場(しゅうたんば)……。
 なまあったかい風が、ほこりを舞わせて家をつつむ。
 世の中があくびをしているよう……いかにも眠いもの憂さである。
 おさよが、赤くなった眼をあげた。
「では、瓦町へ出かけて行ってお金を渡し、栄三郎さんから離縁状を取って来てくださるというんでございますね」
「そうともサ! お前さんの言うとおり、世の中は真直ばかりでもいかねえ。おまけに、手前の女房を食わせることもできずに追ん出てゆかれた栄三郎さんだ。そりゃア先様はまた先様で、なんのかのとほかに心をつかうこともあるんだろうけれど、なあに先方の都合なんざア聞く耳もいらねえ。これからすぐに瓦町へ行って栄三郎さんをおだて、ニッコリ笑って縁切り状を書かせて来てみせるから、お前さんはマアわしに任(まか)せて、なんの心配することアねえやな、今におしんも帰ってくるから、ユックリ話して休んでいなさるがいい」
「ほんとに普段は勝手ばかり、用がなければおたずねもしないくせに、とんだ御迷惑なお願いをして――」
「マアいいとも、いいとも、そんなことは言いなさんな、勝手はお互いだ」
「恐れ入りますでございます」
「ナアニ! ところでもうおっつけかかあの帰って来る時分だが……畜生! 何をしてやがるんだろう? 碌でもねえ面の皮の引んむけるほど、おびんずる様みてえに磨きたてやがって――」
 と、これを聞いたおしん、そっと足音を忍ばせてもう一度戸外へ出たが、気がつくと、もしも話の模様がじぶんを突きだしてお艶を入れるようなことにでもなったら、これを振りまわして暴れこんでやろうと、さっきから手にしてたたずんでいた擂粉木(すりこぎ)を、まだ握ったまんまなので、われながらアッ! とふきだしそうになるのをおさえつつ、ほどよいところから、エヘン! 一つさりげなく咳払いをして、
「あれ! どなたかお客さまでござんしたか」
 わざとあわただしく駈けあがって障子をガラリ、
「まあおさよさん! お珍しい!」
 とニコニコ顔のおしん、これでうちの亭主野郎もどうやらお艶さんをあきらめるであろうと思うからそのはなしを持ちこんできたおさよ婆さんを下へも置かずもてなしだすと、
「おしんや。あっちの羽織を出してくんな……それじゃアおさよさん、ちょっくら瓦町へ行って来ますよ。おしん、おさよさんは飲(い)ける口だ。晩にゃア一本つけてナ、帰途に俺が魚甚へ寄って何かよさそうな物を見つくろって来るから――」
「行ってらっしゃい」
 おしん、おさよに送り出されて三間町の己(おの)が鍛冶店をあとにした富五郎、もう二度とわが家の近くへ立ち寄らないつもりだから、さすがにうしろ髪を引かれる思い、町かどで、叱りじまいに小僧の吉公をどなりつけたまま五十両をふところに浅草瓦町とは違う方角へ、逃げるがごとく、足早に消えていった。
 それからまもなく――。
 三間町を出はずれた鍛冶屋富五郎は、ひとり思案に沈みながら人通りのすくない町すじを選んで歩いていた。
 ときどき、ふところへ手をやる。
 と、五十両入りの財布をのんだ懐中はあったかくふくらんで、中年過ぎのこのごろになってともすれば投げやりに傾こうとする富五郎のこころを躍らせずにはおかないのだった。
 十両からは首の台がとぶころである。
 五十といえば、もちろん大金であった。
 が、金そのものよりも、鍛冶富をうらやませてやまないのは、その金が買い得るあの艶の身膚(みはだ)であった。
 聞けば、本所の殿様は、この五十金をおさよ婆さんに渡して、これで栄三郎からきれいにお艶をもらってこいといったそうな。評判の貧乏旗本で身持ちの悪い鈴川様が、どうして五十とまとまったものを調達できたのか、これが第一の不審だが、それはそれとしても、我欲に眼のくらんだおさよが、選(よ)りに選(よ)って自分のところへ交渉方(かけあいかた)を持ちこんで来たのは、富五郎にとってはこのうえもない幸であった。
 よろしい! 承知した! と大きく胸をたたいて婆さんを安心させたのみか、親の恩なぞと並べ立ててちょっぴり泣かせたのち、いと殊勝に縁切りの使者にたつふうに見せかけて家を出て来た鍛冶富だったが、まともに先方に話をつけて五十両おいてこようとは、かれは始めから考えていないのだった。
 突然おさよ婆さんが訪れてきた時、彼はちょうど女房(にょうぼう)のおしんも留守なので、きょうこそはお艶所望の件を持ち出して、妾(めかけ)で承服なら妾、また家へ入れてくれなければ嫌だというのなら、どうせ前々からあきあきしている古女房だから、すぐにもおしんに難癖をつけて追い出し、その後釜にお艶をすえてやろうから、どうか母のお前さんからもとりなしてくれ。ついては、これはわしだけしか知る者はないのだが、お艶さんはいま、まつ川の夢八という名で深川から芸者に出ているから、会いたいならすぐにもあわせてあげよう――とこうすべてをぶちまけて恩にきせ、お艶のもらい受けを頼みこむつもりでいたやさき、おさよ婆さんがきりだした来訪の要件というのを聞いてみると、鈴川の殿様のほうが先口で、しかもここに五十両という手切れの現金、おまけに五百石の女隠居というのに婆さんコロリと参っているふうだから、こりゃア今になって俺がどんなに割りこもうとしたところで所詮相手が旗本ではかないっこない。
 といって、黙って見ていたんじゃあ、おれが行かなくても婆さんなり誰かなりが出かけて話をまとめ、ことによったら鈴川様はお艶坊を手活(ていけ)の花と眺めるかも知れない。あのお艶を、鈴川だろうが何川だろうが、金で買わせてなるものか!
 ――と、ひどく心中にりきみかえってしまった鍛冶屋の親方富五郎、お艶を本所へやらないためには、じぶんがこの五十両を持って逃げるに限る。そうすれば、おさよも手ぶらではお屋敷へ帰れず、またお艶のありかを知る者は自分以外にないのだから、鈴川様の手がお艶にとどくことはない。――
 そうだ。一つ五十金を路用にして、当分江戸をずらかることにしよう?
 なんとしても、あの菊石(あばた)の殿様にお艶さんを自儘(じまま)にさせることはできねえ!
 どうも女房のおしんにはあきの差しているところだ。一番ゆくえをくらまして、この金のつづく限り、おもしろおかしく旅の飯を食ってこよう……と、おのが手にはいらない物は他人(ひと)にもとらせたくないのが下司(げす)の人情、金を持って瓦町へ行くとは真っ赤なうそで、おしんやおさよをちょろまかし、しばらく家をあける気で飛び出して来た富五郎だが――。
 いよいよとなってこうして町を歩きながら考えると、ハテどこへ旅立ったものやら、いっこうに勘得(かんとく)がつかない。
 で、鍛冶富、ブラリブラリと徒歩(ひろ)ってゆくのだが、そのうちに、ふと思いついたのが子供のころから望んでいて、まだ一度も出かけたことのないお伊勢詣りだ。
 ウム! それがいい、伊勢詣りと洒落(しゃれ)よう。
 こう心に決めたかれは、どうもひどいやつで、鈴川源十郎が伊兵衛棟梁を殺して奪った五十両を我物とし、丸にワの字は出羽様の極印(ごくいん)が打ってあるとも知らずに、それからただちに辻駕籠を拾って六郷の渡船場まで走らせ、川を越せば川崎、道中駕籠を宿つぎ人足を代えて早打ちみたよう――夜どおし揺られて箱根の峠にさしかかるあたりで明日の朝日を拝もうという早急(さっきゅう)さ。
「おウッ! 駕籠え! いそぎだ、酒代(さかて)エはずむぜ、肩のそろったところを、エコウ、あらららうアイ! てッんだ。やってくんねえ!」
 気の早いおやじもあったもので、そのまま桜花にどよめくお江戸の春をあとに、ハラヨッ! とばかり、ドンドン東海道を飛ばして伊勢へ下りにかかった。

  水火秘文状(すいかひもんじょう)

 藍色(あいいろ)の夕闇がうっすらと竹の林に立ちこめて、その幹の一つ一つに、西ぞらの残光が赤々と照り映えていた。
 ほの冷たい風に、蜘蛛の糸が銀にそよぐのを見るような、こころわびしいかわたれのひと刻である。
 城西、青山長者ヶ丸。子恋の森の片ほとり……。
 そこの藪かげに、名ばかりの生け垣をめぐらし、草ぶきの屋根も傾いて住みふるした一軒の平屋が、世を忍ぶ人のすがたを語るかにおぼつかなく建っていた。
 野中の森はずれ――ひさしくあいていたその家にこのごろ、いつからともなく二十人ばかりの正体のはっきりしない男達が移ってきて、出入りともにさだめなく、ひそやかな日夜を送っているのだった。
 もとは、相当裕福な武家の隠居所にでも建てたのであろう、木口、間取り、家つきの調度の品々までなかなかに凝(こ)った住居(すまい)ではあるが、ながらく無人、狐狸(こり)の荒らすにまかせてあったうえに、いまの住人というのがまた得体(えたい)の知れない男ばかりの寄合い世帯なので、片づけや手入れをするものもなく、荒廃乱雑をきわめているぐあい、さながらこれも化物屋敷といいたいくらい……。
 この、安達(あだち)ヶ原(はら)ならぬ一つ家の土間に、似合しからぬ五梃の駕籠がきちんと、並べておろしてあるのだった。
 そして。
 その上の壁に、五人分の火事装束がズラリと釘にかかっている――かの五人組火消し装束の不思議な住居。
 首領――とよりは、むしろ長老と呼びたい白髪の翁のもとに。
 四肢のごとく動く屈強な武士が四名。
 ふだんは掃除水仕事や家の警備に当たり、一朝出動の際はただちに駕籠舁(かごかき)と早変りする、六尺近い、筋骨隆々たる下男が十人。
 それに。
 中途から一団に加わった小野塚伊織の弥生と、そのまた弥生が稀腕(きわん)を見こんで招じ入れた手裏至妙剣(しゅりしみょうけん)の小魔甲州無宿山椒(さんしょう)の豆太郎と、〆めて十七人の大家内に、森かげの隠れ家には、それでも賑やかな朝夕がつづいているのだった。
 丹下左膳と、諏訪栄三郎の中間にあって等しく両者をねらい、左膳から乾雲を、栄三郎から坤竜を奪って雲竜二刀をひとつにせんとしている謎の一群!
 頭(かしら)立つ老人は小野塚鉄斎の化身とでもいうのであろうか? 弥生までが黒髪を断ち切ってこの五人組に加担し、あまつさえ豆太郎などという変り種までとりこんで戦備をととのえ、じっさい着々活躍しつつあるとは、たとえ弥生の伊織と五人組とのあいだに、どんな了解(わけあい)がついているにせよ、それは、老翁はじめ五人組の正体同様、なんとも外からは想像をゆるさない秘情であった。
 白髪童顔の老人は、そも何者か?
 それに仕うる血気の四士?
 また、彼らと行動をともにする男装の弥生の心中は? 栄三郎への彼女の悲慕哀恋(ひぼあいれん)はいったいどうしたというのだろう?
 これらすべてが、火事装束に包まれる青白いほのお、やがては燃え抜いてあらわれんとする密事の火種であらねばならない。
 この、去来突風のごとく把握すべからざる火事装束五人組と弥生豆太郎の住家のうえに、今や武蔵野の落日が血のいろを投げて、はるかの雑木ばやしに□唖(いあ)と鳴きわたる烏群の声、地に長い痩竹(そうちく)の影、裏に水を汲むはねつるべの音、かまどの煙、膳立てのけはい――浮世の普通(なみ)に、もの悲しくあわただしいなかに、きょうもはや宵を迎えようとする風情が噪然(そうぜん)として漂っていた。
 たそがれ。
 あかね色。
 ……輝き初(そ)める明星。
 その時、夕まけて寒風の立つ背戸ぐちの竹やぶに、ふたつの影がしゃがんでいた。
 弥生と、そうして豆太郎である。何かの話のつづきらしく、豆太郎は顔をあげずにいいはじめた。見ると、彼は小刀をといでいるのだ。
 例の殺人手裏剣用の短剣を、何梃(なんちょう)となく地べたに並べて、かたわらの手桶の水をヒョイヒョイとかけながら、豆太郎は器用な手つきでせっせと小柄をとぎすましている。
 青黒く空の色を沈めて横たわる小さな刃……それが血を夢みて心から微笑んでいるようだ。
「なあに伊織さん、あの二人だって、あれだけおどかしときゃアたくさんでさあ。へっへっへ、みんな肝をつぶして突っぷしゃがったっけ」
 いいながら豆太郎、手の小剣を鼻さきにかざして、しかめッ面(つら)で刃をにらんだが、まだ気に入らないとみえて、
「チッ! こいつめ!」
 またゴシゴシ磨石(といし)にかけ出したが、あの二人と聞いて、弥生が急にもの思いにあらぬ方を見やったとたん、
「伊織どの! 伊織殿! 伊織殿はおられぬかな?」
 奥から、老翁の声が流れてきた。
「そうさ。乾雲一味の者は大分たおしたようだから、まずあれで上出来であった……あの紅絵売りの若侍と乞食とはああして威嚇(いかく)するだけでよいのだ、怪我があってはならぬ」
 起きあがりながら、こうそそくさと弥生がいうと、豆太郎はちょっと不審げな顔を傾けて、
「へえい! そういうことになりますかね。なんだか俺チにゃあわからねえ」
 で、弥生がまた、なにか口にしようとしているところへ、さっきから呼びつづけていた老人の声が、こんどはひときわ甲高(かんだか)に聞こえてきた。
「伊織どの! そこらに伊織殿はおらぬかな?」
 手裏剣を磨く手も休めもせずに豆太郎が注意した。
「伊織さん、呼んでるぜ、大将が」
 弥生はうなずいて家内(なか)へはいった。
 奥の書院へ通る。
 何一つ家具らしいもののない八畳の部屋、水のような暮色がしずかに隅々からはいよるその中央に褪(あ)せた緋(ひ)もうせんを敷いて一人の翁が端座している。
 銀糸を束ねた白髪、飛瀑(ひばく)を見るごとき白髯、茶紋付(ちゃもんつき)に紺無地甲斐絹(かいき)の袖なしを重ねて、色光沢(つや)のいい長い顔をまっすぐに、両手を膝にきちんとすわっているところ、これで赤いちゃんちゃんこでも羽織れば、老いて愚に返った喜(き)の字の祝いのようで、まるで置き物かなんぞのように至極穏当な好々爺(こうこうや)としか見えない。
 さて、何者にせよ、火事装束の四闘士と十人の荒らくれ男をピッタリおさえて、自ら先に乾坤の刀争裡(とうそうり)に馳駆するだけあって、その眼は鷲のような鋭光を放ち、固く結んだ口もと、肉(しし)おきの凝(こ)りしまった肩から腕の外見、一瞥(べつ)してこの老士とうてい尋常の翁ではないことを語っている。
 松の古木のような、さびきったその身辺に、夕ぐれとはいえ、何やらうそ寒いものが漂っているのを感得して、
「は、お呼びでございましたか」
 と入って来た弥生は、思わずぶるッと小さく身ぶるいをしながら黙りこくっている老翁のまえへ、いざりよって座を占めた。
 うす暗い。
 となりは、ほとんどもう闇黒に近い室内。
 そこに、神鏡のように茫(ぼう)ッと白く浮かんでいる老人の顔を見ると、弥生は、はじめて気がついたようにあたりを見まわした。
「あれ! まだお灯が入っておりませんでございましたか。どうも不調法を……ただいま持って参りまする」
 と弥生、そこは天性で、もとを知られているこの老人の前へ出ると、小野塚伊織のはずの弥生、いつも本来の女性に立ち返って、じぶんでもふしぎなくらい自然に、言葉さえもただの弥生になるのだった。
 四六時ちゅう、みずから意を配って男のように立ち振舞っているだけに、こうしてしばらくにしろ、その甲冑(かっちゅう)を脱ぎ捨てて女の自分に戻ることは、泣きたいような甘いこころを、つと弥生の胸底にわかさずにはおかない。
 老士は口を開かない。
 が、この弥生の心もちを伝え知ったかのように、剃刀(かみそり)のように冷やかだった眼色にやさしみが加わって、やがて、ぽつりといいきった声には不愛想ながらも、どこかに児に対するごとき一脈親愛の情がのぞき見られた。
「灯はいらぬ」
 そして、珍しく、かすかな笑顔が小さく闇黒に揺れた。
「暗うても会話(はなし)は見えるでな」
「ホホホ! それはそうでございます」若侍の伊織が、娘の弥生として笑う。
 そこに、妙に奇異な艶(なま)めかしさが動くのだった。
「して、そのおはなしと申しますのは?――なんでございましょう?」
 すると、老人はしばらく沈思していたが、
「伊織どの! いや、弥生殿……のう、伊織が弥生であることに、まだ誰も気づいた者はありませぬかな」
 ギョッ! としたらしく弥生はにわかに肩をかくばらせて男のていに返りながら、
「はじめから御存じの先生とお弟子衆のほかは、たれ一人として知るものはないはずにござりまする」
「うむ。かの、豆太郎とか申した人猿めは?」
「は。きゃつとて何条疑いましょう! いうまでもなく、わたしを男と思いこんでいるふうにござりまするが、今宵に限って、先生には何しにさようなことをおたずねなされますか」
 老士の膝が、一、二寸前方へ刻み出た。
「いささか気になるによって聞いたまでで、大事ない。だが弥生どの、ぬかりはござるまいが、けどられぬよう十分にナ……」
 弥生がうなずいた拍子に、それを合図に待っていたかのごとく、うらの竹やぶに咽喉自慢の豆太郎の唄声。
坂は照る照る。
鈴鹿(すずか)は曇る。
あいの土山(つちやま)、雨が降(ふ)る。

上り下りのおつづら馬や
さても見事な手綱(たづな)染めかえナア
馬子衆のくせか高声に
鈴をたよりにおむろ節(ぶし)
坂は照る照る
すずかは曇る
間の土山、雨が降ウる
はいッ!
シャン、シャン、か――。
 暮れ迫る森かげの家を、手裏剣をとぎながら、ひとりうかれ調子の豆太郎の声が、ころがるように筒ぬけてゆく。
 唄にあわせて砥石(といし)にかけているものらしく、拍子をとって、声に力がはいっている。
 ひなびたこころあいを、渋い江戸まえの咽喉で聞かせる、亀背の一寸法師には似あわない、嬉しいうた声であった。
あいの土山、雨がふる
やらずの雨だよ
泊まって行きなよ
主(ぬし)を松かさ
さわれば落ちるよ
ハイ、ハイ……とネ
 途切れ途切れに伝わってくる豆太郎の唄ごえがパッタリとやむと暗く濃い春宵のしじまのなかで、老士と弥生は、ほのかに顔を見合ってほほえんだ。
 思い出したように老人がいう。
「お呼び立ていたしたはほかでもない」
「は」
 と呼吸を呑んで、弥生はこころもち固くなった。
 いま、この人なき、夕べの一刻にかれはそも何をいい出そうとしているのか……それが弥生には、この際すくなからず気になるのだった――。
 千年を経た松柏(しょうはく)のごときこの家のあるじ――。
 弥生がここへ来て、起臥(おきふし)をともにして以来知り得た限りでは。
 老士……名は、得印兼光(とくいんかねみつ)。
 美濃(みの)の産、仔細あって郷国を出て、こうして江戸に、関の孫六の夜泣きの大小を一つ合わして手に収めんと身を低めているのだとのみ――。
 何ゆえの奔走か? また、従う四士と十人の大男はいかなる関係にあるのか――これから自余(じよ)のいっさいは、かれらはもとより、固く口をつぐみ、弥生もまた、ふかく一味の侠義に感じている以上、内部にあってその真相を探ろうとするがごときは慎しまなければならなかった。
 ただ。
 兼光と弥生のあいだに成り立っている約束は、ともに力をかし合ってひとまず雲竜二剣をひとつにし、その上で兼光の手から、改めてその大小一つがいを故小野塚鉄斎の遺児なる弥生に返納しようということになっているのだ。
 さてこそ。
 風のように随所随所に現われて二刀を狙う五梃駕籠と、豆太郎を引き具してそれを助ける小野塚伊織の弥生。
 丹下左膳から乾雲丸を奪還しようというならば話はわかるが、なにゆえ彼らは、それのみならず栄三郎の坤竜をも横どりしようとし、また弥生がそれに協力しているのであろうか。
 弥生、かなわぬ恋の意趣返(いしゅがえ)しに栄三郎を敵にまわそうというのか? あらず!
 弥生としても、助けられた恩のある五人組である。ただ一時二刀をひとつにして、そのうちただちに弥生に返すというのだから、弥生はその日の一日も早からんことを望み、豆太郎を使ってもちろん主に左膳をつけ狙うと同時に、栄三郎のほうは密(そっ)と坤竜を奪(と)ろうとしてその身辺に危害なきを期しているのだ。
 いわば弥生は、兼光一団の申し出を利用しているまでのことなのだが、はたして豆太郎、よく弥生の真意(しんい)を汲んで、その望むがごとく立ちまわるであろうか?
 毒を用いる者は、みずからその毒を受けぬ用心が第一である。
 すでに小野塚伊織の人柄をひそかに怪しんでいるらしい豆太郎……なるほど、得印(とくいん)老人の言うとおり弥生は、気づかれぬ注意が肝要であった。
 が、豆太郎は、豆太郎として。
 今宵は。
 得印兼光のほうから口をひらいて、はじめてここに、われとおのれに誓った秘命のすべてを語り出そうとしている。
 夜に入っていっそうの寂寞(せきばく)。
 兼光の一言一語をも洩らさじと耳を傾ける弥生の顔に、大きなおどろきが、波紋のようにみるみる拡がっていくのだった。
 して、その、世をしのぶ老士得印兼光なる主の物語というのは? はなしは、文明(ぶんめい)より永正(えいしょう)にかけてのむかしにかえる。

 火事装束五梃駕籠の頭首(とうしゅ)、世をしのぶ老士得印兼光の物語は。
 文明(ぶんめい)より永正(えいしょう)にかけての昔――。
 当時美濃(みのの)国に、刀鍛冶の名家として並ぶ者なき上手(じょうず)とうたわれたのが、和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)であった。
 すべて業物(わざもの)打ちは、実と用とともに品位を尊ぶ。
 この和泉守の太刀姿は、地鉄(じがね)こまやかに剛(つよ)く冴えて、匂いも深く、若い風情のなかに大みだれには美濃風(みのふう)に備前の模様を兼ねたおもむきがあり、そのころまず上作の部に置かれていたという。
 美濃の国、関の里。
 世に関の七流というのは、善定(ぜんじょう)兼吉、奈良太郎兼常、徳永兼宣、三阿弥(あみ)兼高、得印兼久、良兼母、室屋兼任――この七人の末葉(まつよう)、美濃越前をはじめとして、五畿(き)七道(どう)にその数およそ千百相に別れ、みな兼の字を冒して七流の面影を伝えたのだったが――。
 関(せき)の孫(まご)六と号した兼元(かねもと)も、この和泉(いずみ)の一家であった。
 孫六は、業物(わざもの)の作者である。
 かれの鍛(う)つところの刀は、にえ至って細く、三杉の小亀文(みだれ)が多くまたすずやきもあり、ことにその二代兼元なる関の孫六となると、新刀最上々の大業物(おおわざもの)として世にきこえているが、関の新刀になってからはだいぶん位が落ちたけれど、初世孫六のころの関一派の繁栄はじつに空前絶後ともいうべきで、輩出した名工また数かぎりもないうちに、なかでも志津三郎兼氏、兼重、兼定、兼元、兼清、兼吉、初代兼光はすぐれての上手(じょうず)、兼永、兼友、兼行、兼則、兼久、兼貞、兼白、兼重などもすべて上手ということになっている。なべて、美濃物(みのもの)の刀は砥障(とざわ)りがやわらかで、備前刀(びぜんとう)とは大いに味を異にしているのがその特長であった。
 一世関の孫六、
 かれはその得意とする大業物(わざもの)を打つに当たって、みずから半生を費やして編み出した血涙の結晶たる大沸(おおわかし)小沸(こわかし)ならびに刃(やいば)渡しという水火両態の秘奥(ひおう)を、ひそかに用いたのだった。
 鍛刀の技たるや、細部や仕上げにいたっては各家口伝(くでん)、なかには弟子にさえ秘しているところがあって、おのおの異なり、容易に外界から推測すべくもないが、まず大体は同法であって、すなわち……。
 本朝刀剣鍛錬(たんれん)の基則。
 まず、鉄は、むかしから出場所がきまっている。
 伯耆(ほうき)の印賀鉄(いんがてつ)、これを千草といって第一に推し、つぎに石見(いわみ)の出羽鉄、これを刃に使い、南部のへい鉄、南蛮(なんばん)鉄などというものもあるが、ねばりが強いので主に地肌(じはだ)にだけ用立てる。
 鍛(きた)えに二法あり。
 古刀鍛はおろし鉄のいってんばりであったが、これはまず孫六あたりをもって終りとなし、新刀鍛となっては、正則のほかに大村加卜(かぼく)ほか武蔵太郎一派の真十五枚甲伏(かぶとぶせ)というのも出たが、多く伝わっているのは卸し鉄と新刀ぎたえのふたつだけだ。
 さて、ここに伯耆(ほうき)の印賀(いんが)鉄がある。
 これを刀剣に鍛えんとするには、まず備えとて、炭、土、灰を用意し、炭はよく大きさをそろえて切り、粉は取り去る。
 土にも産地がある。山城(やましろ)の深草山、稲荷山(いなりやま)などの土が最上。
 灰は、藁を焼いたもの。

 水――澄冽(ちょうれつ)をよしとす。清砂(せいしゃ)、羽二重(はぶたえ)の類をもって濾(こ)すのである。
 それから。
 へしと称し、平打ちにかけて鋼(はがね)を減らし、刀の地鉄(じがね)を拵(こしら)える。水うちともいう。
 つぎに、積みわかし。
 これは、ねた土を水でといた濃液(のうえき)を注ぎかけて火床に据(す)え、ふいごを使って鉄を焼くのだ。小わかしというのがそれ。
 大沸かしとは、鉄の周囲に藁灰をまぶし、また火中に入れて熾熱(しねつ)する。
 すめば鍛えである。
 三人の相槌(あいづち)をもって火気を去り、打ち返して肌に柾目(まさめ)をつけ、ほどよいころから沸(わ)かし延べの手順にかかる。
 わかし延べは、束(たばね)である。
 今までバラバラの鋼だったものを、これで一本の刀姿にまとめ、素延(すの)べに移る。
 素延(すの)べは、地鉄のむらをなおし、刃方(はがた)の角(かど)を平め、鎬(しのぎ)のかどを出す。
 火造り――せんすきともいい、はじめて鑢(やすり)を用いていよいよ象(かたち)をきわめる。
 つぎに。
 反(そ)りをつけ、もっとも大切な焼刃にかかるのだが、そりも焼刃も各流相伝になっていて、それによって艶や潤いに大差が生ずる。
 これに要する土は、黒谷(くろたに)のものがよしとされていること、あまねく人の知るところだ。

 この反りと焼刃の工程。
 もとより刀剣の胎生(たいせい)に大切なところで、これによって鋭利凡鈍(ぼんどん)も別れれば、また鍛家の上手下手(じょうずへた)もきまろうというのだが。
 それよりもいっそう重大なのが、次順の湯加減、一名刃渡(やいばわた)しである。
 やいばわたし……鍛刀中の入念場(にゅうねんば)。
 まず水槽に七、八分めばかりの清水をたたえ、火床には烈火をおこし、水は四季に応じてその冷温を加減する――これすなわち湯かげんの名あるゆえん。
 春、二月の野の水。
 秋、八月の野の水。
 これと同じくすることがかんじんだ。そうしてしたくができれば、本鍛冶が、□元(はばきもと)から鋩子(ぼうし)さきまで斑(まだら)なく真紅に焼いた刀身を、しずかに水のなかへ入れるのだが、ここが魂(たましい)の込(こ)め場所で、この時水ぐあい手かげん一つで刃味も品格も、すべて刀の上(じょう)あがり不あがりが一決するのだから工手は、人を払って一心不乱に神仏を念ずるのがつねだった。
 こうして、やいば渡しも終われば。
 荒砥(あらと)にかけて曲りをなおし、中心(なかご)にかかって一度砥屋(とぎや)に渡し、白研(しらとぎ)までしたのを、こんどはやすりを入れて中心を作る。この中心ができあがったうえでさらに研(と)ぎをしあげ、舞錐(まいぎり)で目貫(めぬき)穴をあけ銘を打ち、のち白鞘(しらざや)なり本鞘(ほんざや)なりに入れて、ようよう一刀はじめてその鍛製の過程を脱する――のだが!
 ここに。
 かの関の孫六の水火両様の奥伝というのは。
 ひとつは火で、これは積みわかしにおける大沸かし小わかしのこつ。
 他は水で、それは刃わたしの際のいささかの水工夫であった。
 まことに。
 水と火をもって鍛えにきたえる刀作の術にあっては、その水と火に一家独特の精髄(せいずい)を遺した孫六専案の秘法は、じつにいくばくの金宝を積んでも得難いものに相違なかったろう。
 水火の密施(みっし)。
 ほかでもない。
 個々の鉄体を積み、一種の泥水をかけて焼く時のちょっとした心得――小沸かしの伝と。
 そのつぎに、鉄のまわりに藁灰をつけて熱火に投ずるまぎわのふいごの使い……大沸かしの仕方。
 これが孫六の体得した火の法で。
 水の法は。
 すでに一本の形をそなえた荒刀(こうとう)を、刃渡しとして水中に沈めるときの、ほんのちょっとした水温と角度――にはすぎないけれど。
 この関の孫六水火の自案(じあん)。
 口でいい、耳で聞いたくらいでアアそうかとたやすく会得(えとく)のいくものならば、なんの世話もいらないわけだが、どうしてどうして孫六じしんが一生涯を苦しみ抜いた末、やっと死の床に臥す直前に、ふとしたはずみに心づいて、この刀道の悟りをひらいたという、いわば天来の妙法なのだから、技(わざ)ここに至らんと希(ねが)う者は、身みずから孫六のあえいだ嶮岨(けんそ)を再び踏み越すよりほかに、その秘術をさとり知るよすがはない――こう、美濃の国は関のあたりに散らばる兼の字をいただく工人一家のあいだに、長年いいつたえられて来ているのだった。
 しからば。
 関七流の長(おさ)、孫六の把握し得た水火鍛錬(たんれん)の奥義、かれの死とともにむざむざ墓穴に埋もれはてたというのであろうか?
 否!
 大いに、否!
 世に名工俊手(しゅんしゅ)と呼ばるる者、多く自己にのみ忠(ちゅう)にして頑(かたく)ななりといえども、また、関の孫六、いささかその御他聞に洩れなかったとはいえ、かれとても一派を樹立した逸才、よし自家相伝の意(こころ)はないまでも、日本刀剣づくりの大道から観て、どうして己が苦心になる方策をおのれのみのものとして死の暗界に抱き去るような愚昧(ぐまい)を犯そう!
 必ずや、いずくにか、いかなる方法でか、この孫六の水火の秘技、今に伝わっているに相違ない……とは誰しもおもうところ。
 事実、そっくりそのまま残っているのだ。
 どこに!
 水火一対(つい)――いまは所を異にして!
 ……と語り終わった得印老人のことばに、
「え?」
 思わず急(せ)きこんで闇黒のなかに乗り出したのは弥生。
「それでは、アノ、その関の孫六の水火の法が、いまだに世に残されておりますとな――」
「いかにも!」
 見えはしないが老士、暗中に大きくうなずいたらしかった。
「いまわしがお話し申したとおり、孫六発案の大沸かし小沸かし、さては刃わたしの密法、ともに合符(がっぷ)の秘文となって現在この世に伝来しおること明白でござる」
「まあ! それほど大切な御文書どこにあるかは存じませねど、もはやお手に入れられましたでござりましょう」
 と弥生は、瞬間のおどろきから立ちなおると、やはりすぐと地の女性に返るのだった。
「あッはッハッハ! いや……」
 急に大きく笑い出した得印兼光は、突如、顔をつき出して低声(こごえ)になりながら、
「されば、その水火秘文状(ひもんじょう)の所在でござるが」
「は。そのありかは……?」
「ただいまも申すとおり、合符(がっぷ)になっておる」
「合符?」
「さよう、割文(わりふみ)じゃ。一あって一の用をなさず、二にて初めて一の文言を綴る――つまり水の条(じょう)と火の件(くだ)りと二枚の紙に別れておるのじゃが、それがじゃ、紙は二枚になっておっても、文句は両方につづいている。すなわち、同時に二枚紙を継いで判読せんことには、そのうちいずれの一枚を手にしたとて、とうてい水火の鍛術(たんじゅつ)を満足に会得(えとく)するわけには参らぬ仕組みになっておる」
 弥生は、しずかに首をひねった。
「……と申しますると?」
「おわかりにならぬかな。いや、泰平の世に生まれたお若い方、ことには女子……」
「アレ!」
「おお! ナニ、ははは、誰も立ち聞く者はござるまい……とにかく、御身の存じよらぬはもっともじゃが、戦国のころには何人も心得おった密書の書き方でのう、敵陣を横ぎって遠地に使者をつかわす場合になぞ、必ずこの筆式(ひっしき)を用いたもの。それは――」
 といいかけて、得印老士は、指で畳に字を書き出したとみえる。声とともにかすかな擦音(さつおん)が弥生の耳へ伝わるのだった。
 闇黒の部屋。
 ふたりはいつしかそのまんなかに、ヒタと真近くむきあっていた。
 明日(あす)は雨でがなあろう……春の夜の重い空気がなまあったかく湿って、庭ごしに見える子恋の森のいただきには、月も星もひかりを投げていなかった。
 沈黙――を破った得印兼光のことば。
 それによると。
 合符(がっぷ)……割文(わりふみ)というのは。
 一枚の小さな紙に、ひとつの文句をはじめから書いていき、他の文句をしまいから逆に行間(ぎょうかん)に埋めて両文相俟(ま)って始めて一貫した意味を持っているものを、その紙片の中央から、ふたつに破いておのおの別々に携帯せしめて敵地を通過させる戦陣音信(いんしん)の一法であった。
 かくすれば。
 たとえ二人の使いのうちひとりが敵の手中におちて書状の一片を取りあげられたところで、敵は、もう一つの半片をも得ない限り、そこになんら貫徹した文章を読むことができず、二人を離して派遣しさえすればこの合符割文(がっぷわりふみ)の文づかいは、当時まず安全に近い通信法となっていた。
 これに思いついたのであろう、関の孫六が、その水火鍛錬の秘訣を後人に遺した文状は、すなわちこの合符わり文の一書二分になっていたのだ。
 かれ孫六……。
 死床にあってすでに天命の近きを知るや、人を遠ざけた病室にひとり粛然と端座してしずかに筆紙をとり、ほそ長い一片の紙に針の先のごとき細字をもって――。
一、水はやいばわたしが肝(かん)じんにて候(そうろう)。
 そは、熱刀を水中に入るるに当たり――。
 うんぬんと書きつらね、同時に、おなじ紙の末尾より文を起こし、最初の文字の行と行のあいだへ、左から右へ読まして……。
一、火は大わかし小わかしのことにて候。
 そは、はじめに地鉄(じがね)を積(つ)むとき――。
 と、ここに、この一狭紙(きょうし)に、水火両様の奥伝をしたためて、のち此紙(これ)を真ん中から二つに裂き、水の条からはじまる最初の一片と、火のくだりを説いてある後半の別紙と、おのおの別に切り離して世に残すことにしたのだった。
 そのとき孫六。
 やまいを得るまえに最近仕上げた陣太刀づくりの大小を手にとり赤銅にむら雲の彫(ほり)をした刀の柄をはずして、その中心(なかご)に後半の火密(かみつ)を巻きこめ、おなじく上り竜をほった脇差のつかの中に前片水秘(すいひ)の部を締(し)め隠したのである。

 名匠の熱執(ねっしゅう)をひとつにこめた水火秘文状。
 離るべからざるを二つに断った水秘と火密。
 水は低きに就(つ)き、火は高きに昇る。
 ゆえに。
 水は竜、火は雲である。
 それかあらぬか。
 関の孫六水火の合符(がっぷ)、乾雲(けんうん)丸は大沸かし小沸かしの火策をのみ、わきざし坤竜(こんりゅう)はやいば渡しの水術を宿して、雲竜二剣、ここにいよいよ別れることのできない宿業の鉄鎖(てっさ)をもってつながれる運命とはなったのだった。
 一あって用をなさず、二合(がっ)してはじめて一秘符となる古文書を、中央からやぶいて二片一番(つがい)としたさえあるに、しかも、その両片の一字一語に老工瀕死(ひんし)の血滴が通い、全文をひとつに貫いて至芸(しげい)労苦(ろうく)の結晶が脈々として生きて流れているのである。
 たださえ!
 同装一腰、雲と竜に分かれて離れられない乾雲坤竜だ。

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