丹下左膳
著者名:林不忘
土葬(どそう)水葬(すいそう)
一
ふしぎなことがある。
左膳がこの焼け跡へかけつけたとき、いろいろと彼が、火事の模様などをきいた町人風の男があった。
そのほか。
近所の者らしい百姓風や商人体が、焼け跡をとりまいて、ワイワイと言っていたが。
この客人大権現(まろうどだいごんげん)の森を出はずれ、銀のうろこを浮かべたような、さむざむしい三方子川(さんぼうしがわ)をすこし上流にさかのぼったところ、小高い丘のかげに、一軒の物置小屋がある。
近くの農家が、収穫(とりいれ)どきに共同に穀物でも入れておくところらしいが……。
空いっぱいに茜(あかね)の色が流れて、小寒い烏の声が二つ三つ、ななめに夕やけをつっきって啼きわたるころ。
夕方を待っていたかのように、その藁(わら)屋根の小屋に、ポツンと灯がともって、広くもない土間に農具の立てかけてあるのを片づけ、人影がザワザワしている。
「イヤ、これで仕事は成就したも同様じゃ。強いだけで知恵のたらぬ伊賀の暴れン坊、今ごろは、三方子川の水の冷たさをつくづく思い知ったであろうよ、ワッハッハ」
と、その同勢の真ん中、むしろの上にあぐらをかいて、牛のような巨体をゆるがせているのは、思いきや、あの司馬道場の師範代、峰丹波(みねたんば)。
「ほんとうにむごたらしいけれど、敵味方とわかれてみれば、これもしかたがないねえ」
大きな丹波の肩にかくれて、見えなかったが、こう言って溜息をついたのは、お蓮様である。
取りまく不知火(しらぬい)連中の中から、誰かが、
「ムフフ、御後室様はいまだにあの源三郎のことを……」
お蓮様は、さびしそうな笑顔を、その声の来たうす暗いほうへ向けて、
「何を言うんです。剣で殺されるのなら、伊賀の暴れン坊も本望だろうけれど、お前達の中に誰一人、あの源様に歯のたつ者はないものだから、しょうことなしに、おとし穴の水責め……さぞ源さまはおくやしかろうと、わたしはそれを言っているだけさ」
「そうです」
と丹波は、ニヤニヤ笑いながら一同へ、
「お蓮様は武士道の本義から、伊賀の源三に御同情なさっているだけのことだ。よけいな口をたたくものではない」
と、わざとらしいたしなめ顔。
「そこへ、あの丹下左膳という無法者まで、飛びこんできて、頼まれもしないのに穴へ落ちてくれたのだから、当方にとっては、これこそまさに一石二鳥――」
みなは思い思いに語をつづけて、
「もうこれで、問題のすべては片づいたというものだ。今ごろは二人で、穴の中の水底であがいているであろう」
両手で顔をおおったお蓮さまを、ジロリと見やって、
「サア、これで夜中を待って、上からあのおとし穴をうめてしまうだけのことだ」
「何百年か後の世に、江戸の町がのびて、あの辺も町家つづきになり、地ならしでもすることがあれば、昔の三方子川という流れの下から、二つの白骨がだきあって発見さるるであろう、アハハハ」
いい気で話しあっているこの連中を、よく見ると、みなあの焼け跡の近所をウロウロしていた農夫や、町人どもで、あれはすべて司馬道場の弟子の扮装だったのだ。それとなく火事の跡のようすを偵察していたものとみえる。
「サア、酒がきたぞ」
大声とともに、一升徳利をいくつもかかえこんで、このとき、納屋へかけこんできた者がある。
二
見ると、左膳に火事のことなどを話したあの町人である。
酒を買いにいって、いま帰ったところだ。
「サア、おのおの方、これにて祝盃をあげ、深夜を待つといたそう」
と言う彼の口調は、姿に似げなく、侍のことばだ。
これも、司馬道場の一人なのである。
一同は歓声をあげて、そこここにわりあてられた徳利を中心に、いくつとなく車座をつくって飲みはじめる。
いつのまにか、浅黄色の宵闇がしのびよっていた。こころきいた者の点じた蝋燭(ろうそく)の灯が、大勢の影法師をユラユラと壁にもつれさせる。
皆の心がシーンとなると、とたんに、言いあわせたように胸に浮かんでくるのは、あの、自分らが誤って斬り殺し、それを焼け跡へ放置して、源三郎と見せかけた仲間の死骸。
かたわらにころがしておいたのは、名もない茶壺で、ほんとうのこけ猿の茶壺は、とうに峰丹波の手におさめ、本郷の屋敷に安置してある……。
と思うから、丹波は上機嫌だが、その壺が早くもあの門之丞によって盗み出され、又その門之丞が斬りたおされて、壺はすでに左膳のもとへ――。
その左膳の手へうつった壺もお藤姐御のために、通りすがりの屑屋へおはらいものになって。
今は?
どこにあるかわからない。
……とは、峰丹波、知らなかった。
計略が図に当たって、源三郎を罠(わな)へ落としこんだのみならず、何かと邪魔になる丹下左膳まで、飛んで火に入る夏の虫、自分から御丁寧にも、その穴へ飛びこんでくれたのだから、これこそほんとうに一網打尽(もうだじん)である。
このうえは。
深夜までここにじっとしていて世間の寝しずまるのを待ち、一同で手早く、地面から地下へ通ずるあの三尺ほどの竪坑(たてあな)を埋めてしまえばいい。
そうすれば。
人相も知れないほどに焼けただれた、あの若侍の死骸と、壺を、源三郎とこけ猿ということにして、本郷の道場へ持って帰る。
もうその手はずがすっかりととのって、いま、この納屋の一隅には、白布をきせたその焼死体と、焼けた茶壺とが、うやうやしく置いてあるのだ。
峰丹波、今宵ほど酒のうまいことのなかったのも、むりはない。
狭い物置小屋に、一本蝋燭の灯が、筑紫(つくし)の不知火(しらぬい)とも燃えて、若侍の快談、爆笑……。
さては、真っ赤に染めあがった丹波の笑顔。
だが、その祝酒の真ん中にあって、お蓮様だけは、打ち沈んだ表情(かお)を隠しえなかったのは、道場を乗っ取るためとはいいながら、かわいい男をだまし討ちにした自責の念にかられていたのであろう。
すると――。
この騒ぎのきれ目切れ目に、どこからともなく風に乗って聞こえてくるのは、異様な子供のさけび声。
「父(ちゃん)?……父上(ちちうえ)! 父上!」
一同は、フト鳴りをしずめた。
「まだ吠えておるゾ。かの餓鬼め!」
だれかが歯ぎしりしたとき、ふたたび、悲しそうなチョビ安の声が夜風にただよって――。
「父上! 聞こえないのかい? 父上!」
三
遠くのチョビ安の声に、鳴りをしずめて聞きいっていた不知火の連中は、
「伊賀のやつらは、あの子供をそのままにして行ってしまったとみえるな」
「ウム、いかに連れ去ろうとしても、あの、左膳の落ちた穴のまわりにへばりついておって、どうしても離れようとせんのだ。だいぶ手古摺(てこず)っておったようだが」
「そこへ、町人体に姿をやつした拙者らが、弥次馬顔に出かけていって、斬りあいを聞きつけて役人どもが、出かけてくるところだと言いふらしたら、かかりあいになるのを恐れて、そのまま逃げちっていった。アハハハハハ」
まったく。
高大之進(こうだいのしん)の尚兵館組(しょうへいかんぐみ)と、結城左京(ゆうきさきょう)等の道場立てこもりの一統とは、底も知れない穴へ左膳がおちこんだのをこれ幸いと、泣きさけぶチョビ安をそのままに、そうそう引きあげてしまったのだ。
この物置小屋から出ていった司馬道場の弟子どもが、町人、百姓姿の口々から、役人きたるとさけんだのに驚いて。
また、その左膳のおちた地中に、自分らの探しもとめる主君柳生源三郎が、同じくとじこめられていようとは、夢にも知らずに。
「父上! あがってこられない? 父上!」
と、それからチョビ安は、こう叫びつづけて、穴の周囲を駈けてまわっているうちに。
めっきり長くなった日も、ようやく夕方に近づき、三方子川の川波からたちのぼる薄紫の夕闇。
穴は、ポッカリ地上に口をひらいて、暗黒(やみ)をすいこんでいるばかり……のぞいてよばわっても、なんの答えあらばこそ。
子供の力では、どうすることもできないのだ。
「父(ちゃん)! ああ、どうしたらいいだろうなア」
チョビ安は気がふれたように、地団駄(じだんだ)をふむだけだ。
とやかくするうちに――はや、夜。
「むこうの森の権現さん
ちょいときくから教えておくれ
あたいの父(ちゃん)はどこへ行った……」
うらさびしい唄声が、夜風に吹きちらされて、あたりの木立ちへこだまする。
「ほんとに、あたいほど不運な者があるだろうか。産みの父(ちゃん)やおふくろの顔は知らず、遠い伊賀の国の生れだということだけをたよりに、こうして江戸へ出て――」
チョビ安、穴のふちに小さな膝ッ小僧をだいてすわりながら、自分を相手にかきくどく言葉も、いつしか、幼い涙に乱れるのだった。
「こうして江戸へ出て、その父(ちゃん)やおふくろを探していたが、なんの目鼻もつかず、そのうちに、この丹下左膳てエ乞食のお侍さんを、仮りの父上と呼ぶことにはなったものの、その父上も、とうとう穴の中に埋められてしまっちゃア、もぐらの性でねえかぎり、どうも助かる見込みはあるめえ」
ちょうどチョビ安が、こんな述懐にふけっている最中。
ここをいささか離れた森かげの納屋では、峰丹波の下知で、いよいよ夜中の仕事にとりかかることになった。
一同は二手にわかれた。丹波とお蓮様は数名の者に、源三郎の身がわりの死骸(なきがら)をかつがせて、泣きの涙の体よろしく、ここからただちに本郷妻恋坂の司馬道場へ帰る。
ほかの連中が、小屋にある農具を手に、大急ぎで、あの左膳と源三郎の穴を埋めてしまおうというので。
いのち綱(づな)
一
「ほんとに、おめえみたいに親不孝な者ったら、ありゃアしない。その年になって嫁ももらわず、いくら屑屋(くずや)だからって、親一人子ひとりの母親を、こんな、反古(ほご)やボロッ切れや、古金なんかと同居さしといてサ、自分は平気で暇さえあれァ、そうやって酒ばっかりくらっていやアがる」
ボーッと灯のにじむ油障子の中路地のなかの一軒に、いきなり、こう老婆のののしる声がわいた。
ここはどこ?
と、きくまでもなく。
浅草(あさくさ)竜泉寺(りゅうせんじ)、お江戸名所はトンガリ長屋。
その、とんがり長屋の奥に住む、屑竹(くずたけ)という若い屑屋の家(うち)だ。
母ひとり子ひとりというとおり、いま、こうたんかをきったお兼というお婆さんは、この屑竹の母親なのだ。
六畳一間ほどの家に、およそ人間の知識で考えられるかぎりの、ありとあらゆるガラクタが積まれて、……古紙、雑巾(ぞうきん)にもならない古着、古かもじ、焚きつけになる運命の古机、古文箱。
古いお櫃(ひつ)には、古い足袋(たび)がギッシリつまり、古い空(あ)き樽(だる)の横に、古い張り板が立てかけてある始末。
身の置きどころ、足の踏み立て場もない。
室内のすべてのものには、上に古という字がつくのだ。
お兼婆さんも、まさに、その古の字のつく一人で、古い長火鉢の前に、古い煙管(きせる)を斜に構えて、
「商売に出たら最後、途中で酔っぱらって、三日も四日も家へ寄りつきゃアしない。この極道者めがッ! お母(ふくろ)なんか、鼠に引かれてもかまわないっていうのかい」
この怒号の対象たる屑竹は?
と見ると。
やっと二畳ほどのぞいている古だたみの真ん中に、あおむけにひっくりかえって、酒臭い息、ムニャムニャ言っている。
二、三日前、籠を背負って、
「屑イ、屑イ、お払い物はございやせんか」
と、駒形のほうへ出て行ったきり、この夜中に、やっと家を思いだしたようにブラリと帰って来たところだ。
ほかには道楽はなし、邪気のない男だが、若いくせに、大の酒ッくらいなんだ、この屑竹は。
おっかさんがおこるのも、むりはないので。
「そうして、帰ってくるかと思うと、私の言うことなんか馬の耳に念仏で、そうやって大の字なりの高鼾(いびき)だ……よし! 今日は一つ、泰軒先生に申しあげて、じっくり意見をしてもらいましょう」
と、たちあがったお兼婆さん、
「いま、泰軒先生を呼んでくるから、逃げかくれするんじゃないよ」
「ヘン! 逃げたくったッて、足腰が立たねえや。自慢じゃアねえが、宵から三升も飲んだんだ」
「マア、ほんとに、あきれて口がきけやアしない。母親を乾干しにしておいて、自分はそんなに酒をくらって歩くなんて」
憤然として、入口の土間に下り立ったお兼婆さん、暗がりをまたいでかけ出す拍子に、
「オ痛タタタタタ!」
何やらけつまづいたようす。
「なんだい! こんなところへこんなものころがしといて! 危いじゃないか。オヤ、茶壺だね。マア、うすぎたない茶壺だよ」
下駄でイヤというほど蹴っておいて、お兼は、どぶ板をならして家を出た。
二
これはいったい、どうしたというのだ。
おなじトンガリ長屋の、作爺さんの家だ。
土間から表へかけて、いっぱいに下駄がはみ出したところは、縁起(えんぎ)でもないが、まるでお通夜のようだと言いたい景色。
家の中には、例の泰軒居士を取りまいて、長屋の男、女、お爺さん、お婆さん、青年や若い女が、ギッシリすわって、作爺さんは、出もしない茶がらをしぼって、茶をすすめるのにいそがしい。
かわいい稚児輪(ちごわ)のお美夜ちゃんがねむそうな眼をして、それをいちいち配っている。
「だから、じゃ――」
と、泰軒先生は、あいかわらず、肩につぎのあたった縦縞の長半纏(ながばんてん)、襟元に胸毛をのぞかせて、部屋のまん中にすわっている。合総(がっそう)の頭をユラリとさせて、かつぎ八百屋(やおや)をしている長屋の若者のほうを、ふり向いた。
「だからじゃ。そのお町という女に実意があれば、どんなに質屋の隠居が墾望しようと、また父親(てておや)や母親(おふくろ)がすすめようとも、さような、妾の口などは振りきって、おまえのところへ来るはずじゃが」
先生は、チラと若者を見て、
「お町さんの家は、そんなに困っておるというのでもなかろうが」
「ヘエ、この先の豆腐屋(とうふや)で、もっとも、裕福というわけじゃアござんせんが、ナニ、その日に困るというほどじゃあねえので」
「しかるにお町坊は、家を助けるという口実のもとに、その伊勢屋の隠居のもとへ温石(おんじゃく)がわりの奉公に出ようというのだな」
「へえ、あんなに言いかわした、このあっしを袖にして……ちくしょうッ!」
若い八百屋は、拳固の背中で悲憤の涙をぬぐっている。
「コレ、泣くな、みっともない。お前の話で、そのお町という女の気立てはよく読めた。そんな女は、思い切ってしまえ」
「ソ、その、思い切ることができねえので」
「ナアニ、お町以上の女房を見つけて、見返してやるつもりで、せっせとかせぐがいい。おれがおまえならそうする」
「エ? 先生があっしなら――」
と八百屋の青年は、急にいきいきと問い返した。泰軒先生はニッコリしながら、
「ウム、おれがおまえなら、そうするなア。金に眼のくれる女なら伊勢屋に負けねえ財産を作って、その女をくやしがらせてやる」
「よし!」
と八百屋は、歯がみをして、
「あっしも江戸ッ子だ。スッパリあきらめやした。あきらめて働きやす……へえ、かせぎやす」
「オオ、その気になってくれたら、わしも相談にのりがいがあったというものじゃ。サア、次ッ!」
「アノ、泰軒様――」
と、細い声を出したのが、前列にすわっている赤い手柄の丸髷(まるまげ)だ。とんがり長屋にはめずらしい、色っぽい存在。
一と月ほど前に、吉原(なか)の年(ねん)があけて、この二、三軒先の付木屋(つけぎや)の息子といっしょになったばかりの、これでも花恥ずかしい花嫁さま。
「お前さんの番か。なんじゃ」
「アノ、あたしは一生懸命につとめているつもりですけれど、お姑さんの気にいらなくて、毎日つらい朝夕を送っていますけれど――」
泰軒先生ケロリとして、
「ふん、そのようすじゃア、お姑さんの気にいらねえのはあたりまえだ。自分では勤めているつもりですけれど……と、その、けれどが、わしにも気にいらねえ」
こうして毎日夜になると、泰軒先生の家は、このトンガリ長屋の人事相談所。
三
付木屋の花嫁は、たちまち柳眉をさかだてて、
「あら、こんなことだろうと思ったよ。年寄りは年寄り同士、泰軒さんもチラホラ白髪がはえているもんだから、一も二もなくお姑さんの肩をもって」
「コレコレ、そういう心掛けだから、おもしろくないのだ。老人は先が短いもの、ときにはむりを言うのもむりではないと考えたら、お姑さんのむりがむりじゃなく聞こえるだろう」
「だって、うちのお姑さんたら、何かといえば、あたしのことを廓(くるわ)あがりだからと――」
「そう言われめえと思ったら、マア、いまわしの言ったことをよく考えて、お姑さんの言うむりをむりと聞かないような修行をしなさい。そのうちには、お前さんからもむりのひとつも言いたくなる。そのおまえさんのむりもむりではなくなる。何を言っても、むりがむりでなくなれば、一家ははじめて平隠(へいおん)じゃ、ハハハハ。おわかりかな」
「わちきには、お経のようにしか聞こえないよ」
「わちきが出(で)たナ。マア、よい。明日の晩、亭主をよこしなさい。さア、つぎッ!」
「先生ッ!」
破(わ)れ鐘(がね)のような声。グイと握った二つ折りの手拭で、ヒョイと鼻の頭をこすりながら、このとき膝をすすめたのは、長屋の入口に陣どっている左官(さかん)の伝次だ。
「今夜は一つ、先生に白黒をつけておもらいしてえと思いやしてね。この禿茶瓶(はげちゃびん)が、癪(しゃく)に触わってたまらねえんだ。ヤイッ! 前へ出ろ、前へ!」
「こんな乱暴なやつは、見たことがねえ。泰軒先生、わっしからもお願いします。裁きをつけてもらいてえもんで」
負けずに横合いからのり出したは、その伝次の隣家(となり)に住んでいる独身者(ひとりもの)のお爺(じい)さんで。
「先生も御承知のとおり、わっしは生得(しょうとく)、犬(いぬ)猫(ねこ)がすきでごぜえやして……」
じっさいこのお爺さん、自分で言うとおり、犬や猫がすきで、商売は絵草紙売りなのだが、かせぎに出ることなど月に何日というくらい、毎日のように、そこらの町じゅうの捨て猫やら捨て犬をひろってきて、自分の食うものも食わずに養っているのだが。
それがこのごろでは、猫が十六匹、犬が十二匹という盛大ぶり。
犬猫のお爺さんでとおっている、とんがり長屋の変り者だ。
「そっちは好きでやっていることだろうが、隣に住むあっしどもは災難だ。夜っぴて、ニャアンニャアンワンワン吠えくさって、餓鬼は虫をかぶる、産前のかかアは血の道をあげるという騒ぎだ。あっしゃアこの親爺のところへ、何度となくどなりこんだんだが……」
「わが家の中で、おれがかってなことをするに、手前(てめえ)にとやかく言われるいわれはねえ」
「何をッ! 汝(われ)が好きなことなら、人の迷惑になってもかまわねえと言うのかッ」
「マア、待て!」
と泰軒先生は、大きな手をひろげて、二人をへだてながら、
「これは爺さんに、すこし遠慮してもらわなくッちゃならねえようだ。人間は近所合壁(きんじょがっぺき)、いっしょに住む。なア、いかに好きな道でも、度をはずしては……」
「泰軒先生ッ! 屑竹(くずたけ)の婆あが、お願いがあって参じました」
お兼婆さんの大声が、土間口から――。
四
「そら、見ろ!」
と左官(さかん)の伝次が犬猫の爺さんをきめつけたとき、
「先生様ッ! ちょっと自宅(うち)へ来てくださいッ。竹の野郎が、また酔っぱらって来て」
叫びながら、人をかきわけて飛びこんできたお兼婆さん、いきなり泰軒先生の手をとって、遮二無二(しゃにむに)引きたてた。
大は、まず小より始める。
富士の山も、ふもとの一歩から登りはじめる……という言葉がある。
日本の世直しのためには、まずこの江戸の人心から改めねばならぬ。
それには、第一に、この身辺のとんがり長屋の人気を、美しいものにしなければならない。
と、そう思いたった泰軒先生。
乞われるままに、長屋の人々の身の上相談にのっているうちに、いつしか、毎夜こうして、先生が居候(いそうろう)をきめこんでいるこの作爺さんの家には、とんがり長屋の連中が、煩悶、不平、争論の大小すべてを持ちこんできて、押すな押すなのにぎやかさ。
嫁と姑の喧嘩から、旅立ちの相談、恋の悩み、金儲けの方法、良人(おっと)にすてられた女房の嘆き……いっさいがっさい。
それをまた泰軒先生、片っぱしから道を説いて、解決してやるのだった。
まるで、この人事相談が蒲生泰軒の職業のようになってしまったが、むろん代金をとるわけではない。
だが。
淳朴(じゅんぼく)な長屋の人達は、先生に御厄介をかけているというので、芋が煮えたといっては持ってくるし継(つ)ぎはぎだらけのどてらを仕立ててささげてくる者もあれば……早い話が、泰軒先生にはつきものの例の貧乏徳利(びんぼうどくり)だ。
あれは、このごろちっとも空(から)になったことがない。
と言って、先生が自分で銭を出して買うわけではないので。
知らぬまに長屋の連中が、お礼心に、そっと酒をつめておいてくれる――。
泰軒先生、このとんがり長屋に来て、はじめて美しい人情を味わい、世はまだ末ではない。ここに、新しい時代をつくりだす隠れた力があると、考えたのだった。
近ごろでは、トンガリ長屋ばかりでなく、遠く聞き伝えてあちこちから、思いあぐんだ苦しみや、途方にくれた世路艱難(かんなん)の十字路、右せんか左せんかに迷って、とんがり長屋の王様泰軒先生のところへかつぎこんでくる。
先生が来てから、長屋の風(ふう)は、一変したのだった。
眼に見えるところだけでも、路地には、紙屑一つ散らばっていないようになり、どぶ板には、いつも箒(ほうき)の目に打ち水――以前の、大掃除のあとのようなとんがり長屋の景色からみると、まるで隔世の感がある。
何かというと、眼に角たてた長屋の連中も、このごろでは、
「おはようございます」
「どうもよいお天気で――何か手前にできます御用があったら、どうかおっしゃってくださいまし」
などと、挨拶しあうありさま。
徳化。
その泰軒先生、いま、お兼婆さんにグングン手を引っぱられて、屑竹(くずたけ)の住居へやってきた。
五
「酒は飲むのもよいが、盃の中に、このお母(ふくろ)の顔を思い浮かべて飲むようにいたせ。いい若い者が、酒を飲むどころか、酒に飲まれてしもうて、その体(てい)たらくはなにごとじゃッ」
先生の大喝に、屑竹はヒョックリ起きあがり、長半纏(ながばんてん)の裾で、ならべた膝をつつみこみ、ちぢみあがっている。
もうこれでいいだろう……と、チラと母親へ微笑を投げた泰軒、
「ほんとに先生、御足労をおかけしまして、ありがとうございました。これで竹の野郎も、どうにか性根を取りもどすでしょう。どうもお世話さまで――」
と言うお兼婆さんのくどくどした礼を背中に聞いて、出口へさしかかると、
「オヤ……?」
と歩をとめて、先生、足もとの土間の隅をのぞきこんだ。
「なんじゃ、これは、茶壺ではないか」
つぶやきつつ、手に取りあげ、灯にすかしてジッとみつめていたが、「ウーム」と泰軒、うなりだした。
「ううむ、きたない壺だな。こんなきたない壺が、このとんがり長屋にあっては、長屋の不名誉じゃ。イヤ、眼ざわりになる。じつにどうも、古いきたない壺だナ」
と、変なことを言いながら、平然として、上り框(がまち)の屑竹をかえりみ、
「竹さん、貴公、どうしてこの壺を手にいれられたかな?」
また叱られるのかと、屑竹はビクビクしながら、
「ヘエ、まったくどうも、こぎたねえ壺で、申しわけございません」
「イヤ、そうあやまらんでもよろしい。どこで、この壺をひろってこられたか」
「いえ、ひろってきたわけではないので。駒形の高麗屋敷の、とある横町を屑イ、屑イと流していますと、乙(おつ)な年増が、チョイト屑屋さん……」
「コレコレ、仮声(こわいろ)は抜きでよろしい」
「恐れ入ります。すると、その姐さんが、これはあまりきたねえ壺で、見ていても癪(しゃく)にさわってくるから、どうぞ屑屋さん、無代(ただ)で持って行っておくれと――」
「駒形の高麗屋敷?」
と泰軒は、瞬間、真剣な顔で小首をひねったが、すぐ笑顔にもどり、
「イヤ、そうであろう。誰とても、このよごれた壺をながめておると、胸が悪くなる。こんな不潔な壺を長屋へ置くことはできん。竹さん、わしはこの壺をもらっていって、裏のどぶッ川へ捨てようと思うが、異存はないであろうな?」
「異存のなんのって、どうぞ先生、お持ちなすって、打ちこわすなり、すてるなり……ふてえ壺だ」
と竹さん、母親のおかげで、泰軒先生に叱られたうっぷんを、土間の茶壺にもらしている。
「では、これなる不潔な壺、ひっくくってまいるぞ」
泰軒先生は笑い声を残して、その壺を気味悪そうにさげながら屑竹の土間から一歩路地へふみ出たが。
同時に、その表情(かお)は別人のように、緊張した。
長屋の洩れ灯に、だいじそうにかかえた壺をうち見やりつつ、
「こけ猿よ、とうとう吾輩(わがはい)の手に来たナ。お前は知らずに、世にあらゆる災厄を流しておる。サ、もうどこへもやらんぞ、アハハハハハ」
六
「わしは、日夜何者か見張りのついておるからだだ。今宵一夜といえども、この壺を手もとに置くことはできぬ。それに、待っておる者に渡して、はよう喜ばしてもやりたいし――」
ひとりごちた泰軒は、壺をさげて作爺さんの家へもどりながら、とほうにくれたのである。
というのは。
誰にこの壺を持たしてやろう?
作爺さんは、いつぞやの病気以来、足腰(あしこし)の立たない人間になってしまった。はって、家の中のことだけはできるけれど。
とつおいつ思案して、路地をぶらぶら歩いてくるとたん。
とんがり長屋の角に、一丁の夜駕籠がとまったかと思うと、
「代(だい)は今やる。ちょっと待ってくんねえ」
例によって大人(おとな)びた幼声は、まぎれもないチョビ安。
とんぼ頭を垂れからのぞかせて、駕籠を出るが早いか、眼ざとく路地の泰軒先生を見つけたとみえて、
「オウ、お美夜ちゃんとこの居候(いそうろう)じゃアねえか」
バタバタかけよって、
「オイ、イソ的の小父(おじ)さん、駕籠賃をはらってくんな。酒代(さかて)もたんまりやってな」
と呼吸(いき)をはずませている。
泰軒先生は、星の輝く夜空を仰いで、わらった。
「ワッハッハ、子供か大人かわからねえやつ……貴様は、あの丹下左膳の小姓であったナ」
「ウム、その父上左膳のことで来たんだ。とにかく居候の小父ちゃん、銭を出して、あの駕籠屋をけえしてくんなよ」
だが、それはむりで、泰軒先生にお金があれば、左膳に右手がある。
しかし、血相を変えているチョビ安のようすが、ただごとでないので、泰軒先生の一声に応じ、長屋の誰かれが小銭を出しあって、チョビ安の駕籠賃をはらってやった。
この駕籠は。
チョビ安、さきごろからこのお美夜ちゃんの家にいる泰軒先生を思い出して、この場合、その助力を借りようと思いたつが早いか、あの司馬寮の焼け跡から、通りかかった辻駕籠をひろい、一散にとばしてきたもので。
ふところに小石を入れてふくらまし、
「金はこのとおり、いくらでも持っている。酒代も惜しみはせぬぞヨ」
などとチョビ安、例の調子で、ポンと胸をたたいたりして見せたものだから、子供一人の夜歩き、駕籠屋はたぶんにいぶかりながらも、ここまで乗せて来たのだった。
「それで小父ちゃん、おいらが、その、父上の落ちた穴のまわりにうろついていると、夜になって、町人やら百姓のかっこうをしたやつらが、鋤(すき)や鍬(くわ)を持ってやってきて、おいらを押しのけて、ドンドン穴を埋めようとするじゃアねえか。多勢(たぜい)に無勢(ぶぜい)、あたいはスタコラ逃げ出して、駕寵でここへとんできたわけだが、もう穴は埋まったに相違ねえ。ねえ小父ちゃん。お前はとっても強い人だって、丹下の父上が始終(しじゅう)言っていたよ。どうぞ後生だから、おいらといっしょに現場へいって、父上を助けておくれでないか。よウ、よウ! 拝むから」
小さな顔を真っ赤に、涙を流して頼むチョビ安を、じっと見おろしていた泰軒居士、
「ナニ? 左膳が生きうめに? それは惜しい。使いようによっては、使える男だ。よし! 心配するな。小父ちゃんが行って助けてやろう」
七
けれど、この壺である。
こけ猿の茶壺を片手に、蒲生泰軒、考えこんでいると、それに眼をつけたチョビ安、頓狂声(とんきょうごえ)をあげて、
「ヤア、あたいと父上が、一生懸命にまもってきた壺。こないだ父(ちゃん)が、どこからか持ってきたのに、どうしてここにあるんだい」
「シッ! 大きな声を出すな。この壺は、それとは違う」
「イヤ、同じ壺だ。あたいには、ちゃんと見おぼえがあらア」
「これ、この壺のことをかれこれ申すなら、左膳を助けに行ってはやらぬぞ」
「アラ、チョビ安さんだわ。チョビさんだわ」
声を聞きつけたお美夜ちゃんが、家から走り出て来て、
「安さん! あんた、まあ、よく帰ってきたわねえ」
「オウ、お美夜ちゃんか。会いたかった、見たかった」
なんかとチョビ安、いっぱしのことを言って、お美夜ちゃんの手をとろうとすると、ハッと何事か思いついた泰軒先生、
「コラコラ、チョビ安とやら、ただいまはそんなことを言うておる場合ではあるまい。生きうめになった丹下左膳を助け出しに……」
「オウ、そうだ! お美夜ちゃん! いずれ、つもる話はあとでゆっくり――小父ちゃん! さあ、行こう」
「待て!」
と泰軒先生、お美夜ちゃんのそばにしゃがみこんで、
「今夜はお美夜ちゃんにも、ひと役働いてもらわねばならぬ」
と、何事か、そっとその耳にささやけば、お美夜ちゃんは、かわいい顔を緊張させて、しきりにうなずいていた。
それからまもなくだった。
二組の人影が、このとんがり長屋の路地口から左右にわかれて、漆(うるし)よりも濃い江戸の闇へ消えさったのだが……。
その一つは、泰軒先生をうながして、一路穴埋めの現場(げんじょう)へいそぐチョビ安。
もう一つの小さな影は。
大きな風呂敷でこけ猿の茶壺をしっかと背負ったお美夜ちゃん、淋しい夜道に、身長(せい)ほどもある小田原提灯をブラブラさせて、一人とぼとぼ歩きに歩いた末。
生まれてから、こんなに遠く家をはなれたことのないお美夜ちゃん。
しかも、夜中。
両側の家は、ピッタリ大戸をおろして、犬の遠吠えのみ、まっくらな風に乗ってくる。作爺さんは足がきかないので、お役にはたたず、朝まで待てない急な御用ときかされて、怖いのも、淋しいのも忘れたお美夜ちゃんは、背中にしょったこけ猿が、疲れた小さなからだに、だんだん重みを増してくるのをおぼえながら、いくつとなく辻々を曲がり、町々をへて、やがて来かかったのは桜田門(さくらだもん)の木戸。
番所をかためている役人が、驚いて、
「コレコレ、小娘、貴様、寝ぼけたのではあるまいな。そんな物をしょってどこへ行く?」
六尺棒を持ったもう一人が、そばから笑って、
「おおかた、引っ越しの手伝いの夢でも見たのであろう」
「いいえ!」
とお美夜ちゃんは、ここが大事なところと、かわいい声をはりあげ、
「あたしね、南のお奉行様のお役宅(やくたく)へ行くんですの。とおしてくださいな」
八
「オウイ、ガラッ熊! 鳶由(とびよし)ッ!」
真夜中のトンガリ長屋に、大声が爆発した。
声は、まるでトンネルをつっぱしるように、長屋のはしからはしへピーンとひびいてゆく。
叫んだのは、この長屋の入口に巣をくって、口きき役を引き受けている石屋の金さん……石金(いしきん)さん。
名前だけでも、えらく堅そうな人物。
その堅いところが、このとんがり長屋の住民の信用をことごとく得て、まず、泰軒先生につぐ長屋の顔役なのだ。
今。
その石金さんが、あわてふためいて路地を飛び出して、こうどなったのだからたまらない。
まるで兵営に起床喇叭(らっぱ)が鳴りひびいたように、ズラリとならぶ長屋の戸口に、一時に飛び出す顔、顔、顔。
ガラッ熊は、まっ裸の上に印ばんてん一枚引っかけて。
鳶由(とびよし)は、つんつるてんの襦袢(じゅばん)一まいのまま。
そのほか、灰買いの三吉。
でろりん祭文(さいもん)の半公(はんこう)。
傘(かさ)はりの南部浪人(なんぶろうにん)、細野殿(ほそのどの)。
寝間着(ねまき)の若い衆、寝ぼけ眼(まなこ)のおかみさん、おどろいた犬、猫まで飛び出して、長屋はにわかに非常時風景だ。
寝入りばなを石金の濁声(だみごえ)に起こされて、一同、何が何やらわからない。
「相手は誰だ、相手はッ?」
「なんだい、お前さん、そんな薪(まき)ざっぽうなどを持ってサ」
「や! 喧嘩じゃあねえのか」
「半鐘(はんしょう)が鳴らねえじゃねえか。火事はどこだ」
「いや、火事でもない。喧嘩でもない」
長屋の入口につっ立った石金は路地を埋める人々へ向かって、大声に、
「オウ、おめえら、このごろすこしでも、この長屋が住みよくなり、また、困ったことがありゃア、持ち込んで行けると思って安心していられるのは、いったいどなたのおかげだか、わかってるだろうな」
路地いっぱいの長屋の連中、ガヤガヤして、
「泰軒先生だ」
と、いう鳶由(とびよし)の声についで、
「そのとおり! 泰軒先生は、おれたちの恩人だ」
「泰軒先生あっての、トンガリ長屋だ」
みな大声にわめく。
「そこでだ――」
群衆へ向かって話しかける石金の足もとへ、心きいた誰かが、横合いの芥箱(ごみばこ)を引きずり出してきて、
「サア、これへ乗っておやりなせえ、声がよく通るだろう」
石金はその芥箱のうえに立ちあがって、
「オイ、その大恩人の泰軒先生が、いま眼の色を変えて、向島のほうへすっとんでいらしった」
と、演説をはじめた。
期せずして、深夜の長屋会議の光景を呈(てい)している。
「この間まで、作爺さんの隣家(となり)に住んで、おれ達の仲間だったチョビ安が、先生を迎えに来たのだ。なにやらただならぬ出来事らしいことは、チラと見た先生の顔つきで、おらア察したんだ。先生と安の話から、渋江村(しぶえむら)の司馬寮(しばりょう)の焼け跡というのを小耳にはさんだが、そこに何ごとかあって、先生はとんでいったものとみえる。おめえらも、トンガリ長屋と江戸にきこえた連中なら、よもや先生を見殺しにゃアしめえナ」
九
真夜中の住民大会。
塵埃箱(ごみばこ)の上に立ちあがった委員長石金さんの舌端(ぜったん)、まさに火を発して、
「おれたちがこうしていられるのも、泰軒先生のおかげだと思やあ、これから押しだしていって、先生に加勢をするのに、誰一人異存のある者はあるめえ」
ワーッとわいた群衆の叫びのなかに、奇声で有名なガラッ熊のたんかがひびいて、「ヤイ、石金のもうろく親爺(おやじ)め、オタンチンのげじげじ野郎め、わらじの裏みてえなつらアしやがって、きいたふうのことをぬかすねえ」
イヤどうも、こういう、字引にもない言葉を連発する段になると、ガラッ熊、得意の壇場(だんじょう)だ。
「エ、コウ、石金め、乙(おつ)うきいたふうな口をたたくぜ。異存のある者はあるめえたア、なんでえ。誰ひとり異存があっておたまり小法師(こぼし)があるもんか、なあおい、みんな……棒っ切れでも、心張棒(しんばりぼう)でもかついでって、先生に刃向かうやつらをたたきのめしてしめぇ」
「そうだ、そうだ! 泰軒先生に助太刀するのに、文句のあるやつがあるもんか」
「石金も気をつけてものを言うがいい」
「オーイ、みんな! このままで押しだせッ」
ワッショイ、ワッショイ……まるでお神輿(みこし)をかつぐような騒ぎ。
「細野先生!」
と誰かが、この長屋のひとりで、尾羽(おは)打(う)ち枯らして傘をはっている南部浪人(なんぶろうにん)へ呼びかけて、
「こういうときア、痩せても枯れてもお侍だ。竹光(たけみつ)でもいいから一つ威勢よく引っこぬいて、先に立っておくんなせえ」
「言うにやおよぶ。泰軒氏のためとあらば、拙者水火もいとい申さぬ。ソレおのおの方ッ!」
なんかと、細野先生、継ぎはぎだらけの紋つきの尻をはしょって、一刀を前半にたばさみ、ドンドンかけだした。
「ソレ、先生におくれるな」
「なにも獲物(えもの)のねえやつは、かまわねえから、相手の咽喉(のど)ッ首へくらいついてやれ」
「オイ、八百屋(やおや)の初(はつ)さん、そんなおめえ、天秤棒(てんびんぼう)などかつぎだして、どうしようってんだ」
「なあにね、これで相手の脛(すね)をかっさらってやりまさあ」
「オーオー、糊(のり)屋の婆さん、戦場に婆さんは足手まといだ。おめえはまア、家に引っこんでいなせえよ」
「何を言ってるんだよ。うちの次男坊の根性を入れかえて、悪所(あくしょ)通いをやめさせてくだすったのは、どなただと思う。みんな泰軒先生じゃないか。その先生の一大事に、婆あだって引っこんでいられますか。これだって、石の一つぐらいほうれらアね。南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)南無阿弥陀仏」
とんがり長屋の一同、どっと一団になって押しだしました。
下帯一つにむこう鉢巻のもの、尻切れ半纏(はんてん)に鳶口(とびぐち)をひっかつぐやら、あわてて十能を持ち出したものなど。
思い思いの武器。
文字どおりの百鬼夜行……。
「泰軒先生を助けろ!」
「チョビ安を救え!」
深夜の町を、このわめき声が、はるか向島のほうへとスッ飛んでゆく。
石金、ガラッ熊、鳶由(とびよし)、細野浪人、この四天王格。先頭にたって。
たいへんな助勢。
十
「それでは、われらは、この源三郎身がわりの焼死体と、偽のこけ猿の焦げた壺を守って、お蓮の方ともども、これよりただちに道場へ引っ返し、源三郎の死んだことと、こけ猿の壺なるもののもう世の中からなくなったことを、すぐにも発表する手はずだから、よいか、その方(ほう)どもは一刻を争い、このおとし穴を埋めてしまえ。手ぬかりのないようにいたせよ」
戸板にのせ、白布でおおった身がわりの死骸と。
真っ黒に焼けた、にせのこけ猿と。
この二つを先にたてた峰丹波の一行。
お蓮様を中に、さながら葬式の行列よろしく、闇をふくんで粛々(しゅくしゅく)と寮の焼け跡へさしかかった。
月のない夜は、ふむ影もない。
つい一昼夜前まで、このあたりにめずらしい、数寄(すき)をこらした寮の建物のあったあたり、焼け木が横たわり、水と灰によごれた畳、建具がちらばり……まだ焼け跡の整理もついていない。
何一つ落ちてもいないのに、食をあさる痩せ犬も、ものさびしい。
行列の殿(しんがり)をおさえて行く峰丹波ガッシリしたからだをそこで立ちどまらせて、穴埋めの役割の連中へ、そう最後の命令をくだした。
町人体、百姓風に扮した道場の弟子ども、いま、手に手に小屋にあった農具を持って、葬列を見送りかたがた、ここまでいっしょに来たところだ。
別れるのだ、ここで。
丹波とお蓮様は、悲しみの顔をつくって、殊勝(しゅしょう)げに、これからショボショボと妻恋坂へ。
残る穴埋め係の中から、宰領格(さいりょうかく)の結城左京(ゆうきさきょう)が進み出て、
「御師範代、御心配無用」
と丹波へ笑いかけ、
「これからすぐに埋めにかかれば、ナニ、さほどの仕事ではござりません。たちまちのうちにふさぎ得ましょうほどに、一刻ばかりの後には、途中で追いつくでございましょう」
「ウム、いそいでやってくれ。水はもう、だいぶ穴へたまっていることであろうな」
「むろん、すでに水浸しでござろう。この三方子川(さんぼうしがわ)の川底から、細き穴をうがち、はじめは点々と水のしたたるように仕組みおきましたが、その穴がだんだん大きくなり、ドッと水が落ちこんだにきまっています。今ごろは土左衛門が二つ、この地の底に……はっはっは」
「そこをまた土葬にするのじゃ。これでは、いかな伊賀の暴れン坊も、またかの丹下左膳といえども、二つの命がないかぎり、二度とわれらの面前に立つことはなかろう。いや、これで仕事はできあがったというものじゃ。では、われら一足先へまいるからナ」
言葉を残して、丹波の一行はそのまま、さながら悲しみの行列のように、底深い夜の道へと消えて行く。
お蓮様のみは、これでいよいよ源三郎が地底の鬼となるのかと思うと、さすがに、心乱れるようすで、
「今となって、源様を助けようとも思わなければ、また、もう手遅れにきまっているけれど、せめては、水につかった死骸なりと引きあげて、回向(えこう)を手向(たむ)け、菩提(ぼだい)をとむらうことにしたら……」
その声を消そうと、峰丹波は大声に、
「御後室様、おみ足がお疲れではございませぬか。サア、出発、出発!」
と、さけんだ。
十一
お蓮さまはそれでも、後ろ髪を引かれる思い。
「源様ッ!――源三郎さまッ!」
胸をしぼるような最後のひと声。
かけもどって、おとし穴をのぞこうとするお蓮様に、きっと眼くばせして丹波が下知。ほとんど手取り足取りにかつがんばかり……。
前後左右からお蓮様をとりかこんで、行列は、歩をおこして去った。
あとには、穴埋め役の一同。
生あたたかい風の吹く深夜の焼け跡に同勢七、八人、あんまり気持よからぬ顔を見あわせて、
「穴の底におぼれてるやつを、土で埋ずめりゃア、これほど確かな墓はねえ。目印に、捨て石の一つもおっ立てておいてやるんだな」
「後年、無縁仏(むえんぼとけ)となって、源三郎塚……とでも名がつくであろうよ」
しめった夜気に首をすくめて、誰かが大きなくさめ。
「ハアックショイ! そろそろ始めようではござらぬか」
「フン、気のきかねえ役割だ。こんな仕事は、早くすませるにかぎる」
「しかしなア、なるほど穴は、細いものにすぎぬが、下へいって、かなり大きな部屋に掘りひろげてあるというではないか。そこまで埋めるとなると、七人や八人では、朝までかかっても追いつくまい」
「そうだ、最初に、大きな石の二つ三つもころがしこんで、穴の途中をふさぎ、その上から土をかぶせればよいではないか」
それは思いつきだとばかり、結城左京(ゆうきさきょう)をはじめ二、三人が、手ごろの石を見つけにあたりの闇へ散らばって行く。
ほかのやつらは、鋤(すき)や鍬(くわ)をかついで、おとし穴のふちへ集まってきた。
左膳のおちこんだときのまま、張り渡してあった、うすい焼け板が、割れ飛んでいる。
穴の底は、一段と闇が濃く、気のせいか、轟々と水音のこもって聞こえるのは、いよいよ三方子川の底が抜けて、地下室全体、水部屋になっているのか……。
もう、左膳も源三郎も、ふくれあがった二個の溺死体に相違ない。水に押しあげられ、土の天井にはさまれて、いかに苦しい死を……そう思うと一同、さすがに、あんまりいい気持はしないので。
穴の中からは、うめき声ひとつあがってきません。
濁水をのむ墓。
チョビ安の姿も、すでに付近に見えない。人っ子ひとりいないので安心しきった七、八人、すぐ仕事にとりかかればいいのに――。
今のいままで、物置小屋でさんざん飲んできた祝い酒。
それが戸外(そと)へ出て、ドッと夜風に吹かれると同時に、一度に発した酔い。
「マア、そうせくこともあるまい」
ひとりの言葉をいいことに、みんな穴のまわりにすわりこんでしまった。そして、足で土くれを落としてみながら、気味わるそうにだまりこくっている。
石をさがしに行った結城左京ら二、三人は、近くの暗中をウロウロしているらしく、帰ってくるようすもない。
「結城どの、石はあったかナ?」
穴のふちから、たれかがきいた。と、
「石でふさがず、貴様らのからだでふさげばよい」
うしろで、暗黒(やみ)が答えた。
十二
石で穴を埋めるかわりに、貴様たちのからだで埋めるから、そう思え……。
太い濁声(だみごえ)が、闇からわいて!……。
ギョッとしてとびのいた、穴のまわりの連中、暗黒をすかしておよび腰だ。
「お、おい、結城殿(ゆうきどの)、左京殿(さきょうどの)。何を冗談を言うのだ――」
最初は、ほんとに、石をさがしにいった結城左京が、こっそり帰ってきて、ふざけているのだと思ったので。
「いいかげんうすッ気味のわるい役目を引き受けて、おっかなびっくりのところだ。おどかしっこなしにしようぞ」
そんなことを言いながら、ふと思ったことは。
どうも、声がちがう……?
そのとたんに、
「ウフフフフフ、だいぶ胆をひやしたようじゃが、その調子では、墓埋めなどというすごい仕事はつとまるまいテ、わっはっはっは」
また大声が、眼の前に爆発して、暗黒が凝(こ)ったかと見える一塊(かい)の人影が、ノッソリ立ち現われた。
それでも。
穴のまわりのやつらは、まさかここへじゃま者が飛びこんでこようとは考えないから、あくまでも、仲間のひとりと思いこんで、
「石があったかと、きいているんだ」
「さっさと埋ずめて、引きあげようではござらぬか、結城氏(ゆうきうじ)」
口々につぶやきながら、こわそうに二、三歩ずつ後ずさり。
だが。
結城左京にしては、チトからだが大きい。
かれ左京、突然妙な服装(なり)をしてここにもどってきたのか――。
この拍子に、暗がりで何も見えない彼らも、一時に合点がいったというのは。
眼前の大きな黒法師の横から、子供の声がして、
「居候の小父ちゃん、この穴だよ、父上が落ちこんだのは! 早くこいつらを追っぱらって助けてちょうだいよ。ねえ、イソ的の小父ちゃん!」
「ヤヤッ! この子ッ?」
「ウム! 宵の口まで、この穴のまわりをうろつき、父上(ちゃん)、父上(ちちうえ)! と左膳を呼ばわっていたかの少年!」
異口同音にさけんで、穴埋め組は、一度に鋤(すき)、鍬(くわ)などをふりかぶって身がまえた。
黒い影の足もとから、小さな影が走り出て、おとし穴のふちへかけ寄り、
「父(ちゃん)! 父上! ヨウ! まだ生きているの?」
「オーイ、結城殿ゥ!」
一同は、頭のてっぺんから出るような声で、しきりに仲間を呼び集める。
「石などは、もうどうでもよい。じゃまがはいった! こっちから先に片づけねば……」
「何イ? じゃまが?」
あちこちの暗黒に声がして、散らばっていた結城ら二、三人が、あたふたこっちへ来るようす。
泰軒先生はどうするかと思うと、この危機におよんでも手から離さず、トンガリ長屋から飛んでくる間ぶらさげてきた、例の一升徳利をかたむけて、グビリとひと口、飲んだものだ。まず、勢いをつけて……というわけ。
「こいつらア! あの丹下左膳てえ隻眼隻腕の化け物は、なるほど世の中に役にたたぬ代物じゃが、しかし、農工商をいじめながら徳川におべっかをつかう武士という連中にあいそをつかし、世を白眼視しておる点で、吾輩(わがはい)と一脈相通ずるところのある愉快なやつじゃ。それをなんぞや! 腕でかなわず、この奸計(かんけい)におとし入るるとは、卑怯千万……!」
十三
武器を持っていないのが、一期(ご)の不覚だった。
刀を帯しているのは、結城左京(ゆうきさきょう)ほか、二、三人だけ。
他の連中は、商人や百姓に扮(ふん)したまま、穴埋めに出て来たのだから、納屋にころがっていた鍬(くわ)や鋤(すき)をひっかついでいる……これでは、いまここへ現われた異様な人物に、対抗のしようがない。
物置小屋へひっかえして、両刀を取ってくる――一同の頭にひらめいたのは、このことだった。
合惣(がっそう)を肩までたらし、むしろのような素袷(すあわせ)に尻切れ草履(ぞうり)。貧乏徳利をぶらさげて、闇につっ立っている泰軒先生――……これを泰軒先生とは知らないから、司馬道場の連中は、めっぽう気が強い。
結城左京が一歩進み出て、
「われらは、火事に焼けた当家の者、あと片づけに来たまでのことです。どなたか存ぜぬが、何やら言いがかりをつけられるとは、近ごろもって迷惑至極――」
「夜中(やちゅう)をえらんで焼け跡の整理とは、聞こえぬ話だ。穴でも埋める仕事があるなら、わしも手つだってやろうかと思ってナ」
左京は、つと仲間をふり返って、
「こいつはおれが引きうけた。かまわぬから、すぐ埋めにかかれ」
「小父ちゃん、居候の小父ちゃん! 早くお父上を引き出しておくれよ。両手があってもはいあがれないのに、片手じゃアどうすることもできねえだろう。もう死んだかもしれないねえ、小父ちゃん」
穴のまわりに立ちさわぐチョビ安をめがけて、鋤や鍬が殺到した。
「えいッ、小僧、そこのけッ!」
その一人の横顔へ、やにわに振りまわした泰軒先生の一升徳利が、グワン! と当たって、
「オッ! なんだか知らぬが、ばかにかたい、大きな拳固だぞ」
打たれたやつは、頭をかかえてよろめきながら、感心している。
泰軒先生に斬りつけて、みごとにかわされた結城左京(ゆうきさきょう)は、さすがに十方不知火(じっぽうしらぬい)流の使い手、瞬間に、これは容易ならぬ相手と見破りました。
「ヤ! おれ一人では手におえぬ。おのおの方、刀を! 刀を!――」
一同は鋤や鍬をそこへ投げすてて、もと来た森かげの物置小屋へ、一散走りに引っ返してゆく。
みなが来るまで、なんとかしてこの場をつなごうと、左京が泰軒へ白刃をつきつけて、静かな構えにはいろうとしたとき!
嵐のような多人数の跫音(あしおと)が、地をとどろかしてこっちへ飛んでくる。
驚いたのは、左京だけではなかった。泰軒もチョビ安も、闇をすかして振りかえると、
「先生ッ、先生イッ!」
ガラッ熊の声だ。
「トンガリ長屋が、総出で助太刀にめえりやした」
おどりあがったチョビ安、
「ヤア、石金の小父ちゃんだ! 鳶由(とびよし)の兄(あん)ちゃんだ! ああ、長屋の細野先生もいる」
「いかがなされました、泰軒先生」
「イヤ、これはおれが引きうけたから、早くその穴を掘りかえして――」
泰軒先生、さっき左京の言ったのと、同じ言葉をくりかえす。それをチョビ安が、いそいで説明して、
「オウイ、長屋の衆、この穴の中に、あっしのお父上が埋ずまっているんだよ。そこらに、鍬や鋤がほうってあるだろう。オウ、みんな手を貸してくんな!」
十四
それは、世にもふしぎな光景だった。
浅草(あさくさ)竜泉寺(りゅうせんじ)の横町からかけつけた、トンガリ長屋の住民ども、破れ半纏(はんてん)のお爺さんやら、まっ裸の上に火消しの刺子(さしこ)をはおった、いなせな若い者や、ねんねこ半纏で赤ん坊をしょったおかみさん、よれよれ寝間着の裾をはしょったお婆さん――まるで米騒動だ。てんでに、そこらに散らばっていた鍬(くわ)や鋤(すき)をひろいあげて、一気に穽(あな)を掘りひろげはじめた。
「この下に、あたいのお父上が埋まっているんだよ。早く、早く!」
と、チョビ安は、穴のまわりをおどりあがって、狂いさけぶ。
チョビ安の父?
と聞いて、長屋の人達は、びっくりした。
以前チョビ安は、このこけ猿騒動にまきこまれる前までは、やはり、とんがり長屋に巣を食って、夏は心太(ところてん)、冬は甘酒(あまざけ)の呼び売りをしていたのだから、その身の上は、長屋の連中がみんな知っている――。
あたいの父(ちゃん)はどこへ行った……あの唄も、みなの耳に胝(たこ)ができるほど、朝晩聞かされたもので、このチョビ安には、父も母もないはず。
遠い伊賀の国の出生とだけで、そのわからぬ父母をたずねて、こうして江戸へ出て、幼い身空で苦労していると聞いたチョビ安。
その、チョビ安の父親(てておや)が、この穴の下に埋められているというんだから、とんがり長屋の人々は、驚きのつぎに、ワアーッと歓声をあげました。
「オイ、安公の親父(おやじ)が見つかったんだとよ」
「ソレッ! チョビ安のおやじを助けろッ!」
貧しい人たちほど、涙ぐましいくらい、同情心が深いものです。
人の身の上が、ただちに自分の身の上なのだ。トンガリ長屋の連中は、もう一生懸命。男も女も、全身の力を腕へこめて穴を掘ってゆく。
ふだんはめっぽう喧嘩っぱやい、とんがり長屋の住人だが、この美しい人情の発露には、チョビ安も泣かされてしまいました。
「ありがてえなア。おいらの恩人は、この長屋の人たちだ。いつか恩げえしをしてえものだなあ……――」
うれし涙をはらって、チョビ安、ひとり言。
穴の周囲は、戦場のようなさわぎです。糊屋(のりや)のお婆さんまで、棒きれをひろってきて、土をほじくっている。これは助けになるよりも、じゃまになるようだが……――うしろのほうで突然、トンツク、トンツクと団扇太鼓(うちわだいこ)が鳴りだしたのは、法華宗(ほっけっしゅう)にこって、かたときもそれを手ばなさないお煎餅屋(せんべいや)のおかみさんが、ここへもそれを持ってきて、やにわにたたきはじめたのだ。士気を鼓舞すべく……また、南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)の法力を借りて、この穴埋めの御難を乗りきるべく――。
とんつく、とんつく!
とんとん、つくつく……!
イヤ、お会式(えしき)のようなにぎやかさ。
指揮をしているのは、例の石金のおやじと、南部御浪人(なんぶごろうにん)細野先生だ。
ガラッ熊、鳶由(とびよし)、左官(さかん)の伝次――この三人の働きが、いちばんめざましい。鍬をふるい、つるはしを振りかぶり、鋤を打ちこんで、穴は、見るまに大きく掘りさげられてゆく。
一同泥だらけになって、必死のたたかいだ。おんな子供は、その掘りだした石や土を、そばから横へはこんでゆく――深夜の土木工事。
泰軒先生は?
と見ると、やってる、やってる!
むこうで、結城左京(ゆうきさきょう)をはじめ、刀を取って引っかえしてきた不知火流の七、八人を相手に、
「李白(りはく)一斗(いっと)詩(し)百篇(ひゃっぺん)――か。ううい!」
酒臭い息をはきながら、たちまわりのまっ最中。
十五
「李白一斗詩百篇、自(みずか)ら称(しょう)す臣(しん)はこれ酒中(しゅちゅう)の仙(せん)」
泰軒先生、おちつきはらったものです。
思い出したように、この、杜甫(とほ)の酒中八仙歌の一節を、朗々吟じながら――。
棟の焼けおちた大きな丸太を、ブンブン振りまわして、だれもそばへよれない。
のんだくれで、のんき者で、しようのない泰軒先生、実は、自源流(じげんりゅう)の奥義(おうぎ)をきわめた、こうした武芸者の一面もあるんです。
トンガリ長屋の人たちは、この泰軒先生のかくし芸を眼(ま)のあたりに見て、ちょっと穴を掘る手を休め、
「丸太のような腕に、丸太ン棒を振りまわされちゃア、近よれねえのもむりはねえ」
「ざまアみやがれ、侍ども!」
「オウ、感心してねえで、穴掘りをいそいだ、いそいだ」
不知火(しらぬい)の連中は、気が気ではない。泰軒一人でも持てあましぎみだったところへ、文字どおり百鬼夜行の姿をした長屋の一団が、まるで闇からわいたようにとびだしてきて、見る間に穴を掘りだしたのだから、結城左京らのあわてようッたらありません。
それはそうでしょう。
この穴を掘りさげていけば、柳生源三郎と、丹下左膳がとび出す。
猫を紙袋(かんぶくろ)におしこんで、押入れにほうりこんであるからこそ、鼠どもも、外でちっとは大きな顔ができるようなものの……。
その鋭い爪をもった猫が、しかも二匹、いまにも袋をやぶり、押入れからとび出すかもしれないのだ。
それも、死骸であってくれれば、なんのことはないが――。
水におぼれて、もう死んでいるには相違ないけれど……伊賀の暴れん坊と不死身の左膳のことだ、ことによると……。
ことによると。
まだ生きているかもしれない――。
「こいつひとりにかまってはおられぬ」
と左京は大声に、
「早く! 早く穴のほうへまわって、あの下民(げみん)どもを追っぱらってしまえ」
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