虹の橋
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著者名:野口雨情 

それが丁度向ふの村から、こつちの村へ橋をかけたやうに出てゐました。村の子供達は、湖の岸へ立つて虹の唄を謡(うた)つてゐるのも聞えました。
 おたあちやんは、はじめは、ただうつとりと見とれてゐましたが、だんだん見てゐるうちに悲しくなつて来ました。それは、まだ二人が仲よしで遊んでゐた、ある夏の夕方、大きな大きな虹が出ました。その時おきいちやんは何にかに憑れたやうな調子で、しみじみ話しました。
『虹の橋の上には、きつと天の御殿があるのよ、そして、そこには綺麗な花が沢山咲いてゐると思ふわ。わたし死んだら天の御殿へゆくの、おたあちやんもおいでよねえ、わたし死ぬとき大きな虹の橋が出てくれればいいと思ふわ』
『わたしも一緒に行くわよ』
『さう』と云つておきいちやんは、どうしたことか、ほろほろと涙を落したことがありました。
 虹はいつまで見てゐても消えませんでした。おたあちやんは、ぢツとしてはゐられなく悲しくなつて来て、急いでお宮の石段を下りて家(うち)へ帰りました。
 家へ帰る途々(みちみち)も、仲よしであつた頃のおきいちやんの云はれたことが思ひ出されて、仕方がなかつたのでした。
 それから間もなく、おきいちやんが、機場(はたば)で亡(なくな)られたと云ふ話を聞きました。おたあちやんがお宮の境内で大きな虹の橋を見た日が丁度その日だつたのです。
 湖の船頭達は、いつどこから聞いて来たのか、又こんな唄を謡(うた)ふやうになりました。

湖(うみ)の向ふのあつちの国の
花が欲しくば
唄聞きたくば
赤い草履(ぞんぞ)はいて
虹の橋渡れ

湖の向ふのあつちの国の
花が見たくば
唄恋しくば
赤い下駄(かつこ)はいて
虹の橋渡れ

  (七)

 虹の橋は湖の上へ幾度もかかりました。
 虹の橋のかかるたび、おたあちやんは、きつと水神様(すゐじんさま)のお宮へいつてゐました。
 ――水神様、あの虹の橋を渡つて天の御殿へゆけるやうにわたしをして下さい。わたしは、おきいちやんの傍へゆきたう御座います、どうかわたしの願ひをききいれて下さい ――
 いつも斯う云つてお祈りをしてゐるうちに、おたあちやんの心はだんだん浄められて水晶のやうになりました。
 心がだんだん澄んで来るにつれて、虹の橋の上に、これまで見えなかつた美しい天の御殿が見えるやうになつて来ました。それが一日毎にはつきりして来ました。
 天(そら)の御殿からは、天人が謡(うた)ふ、長閑(のどか)な楽(たのし)い唄が聞えて来ました。
 おたあちやんは、うつとりと聞きとれるのでした。と、
『おたあちやん、おたあちやん』と呼ぶ声がしました。
『あ、おきいちやんの声だ、おきいちやん、おきいちやん、勘忍して頂戴、わたしも御殿へまへりますよ、いままへりますよ。おきいちやん、おきいちやん勘忍して頂戴』
 おたあちやんは、気狂(きちがひ)のやうに同じことを幾度も幾度も繰返して口ばしりました。
 それから幾日もたたないうちに、おたあちやんの姿が見えなくなりました。
 虹の橋も、いつとなく小さいのしか、かからなくなつて了ひました。
 さうすると、また、船頭達の間に、こんな唄が謡(うた)はれるやうになりました。

湖(こすゐ)の上さ
天まで続く
虹の橋かけた

ふりわけ髪の
二人の子供
渡つて行つた

赤い下駄(かつこ)はいて
赤い草履(ぞんぞ)はいて
手々ひいて行つた

 かうして、湖の船頭達の間には、この不思議な唄がいつまでも謡(うた)はれてゐました。それが軈(やが)て村の子供等にまで謡はれるやうになりましたが、誰一人この不思議な唄の意味(わけ)を知つてゐる者はありませんでした。
 ただ知つてゐるのは湖の水神様(すゐじんさま)ばかりでした。




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