虹の橋
著者名:野口雨情
『あらツ』と云つて驚いた途端(はづみ)におきいちやんは、ずるずると足を辷らして堤(どて)から小川の中へすべり落ちました。
おたあちやんは、後も見ずに堤の上を駆け駆け一生懸命に家まで帰りました。お母さんは心配して表へ出て居ました。
『おきいちやんは、どうしたの』とお母さんから訊(き)かれたとき。
『前(さき)に帰つたんだわ』と云つて、なんにも知らない振りをしてゐました。
(四)
あくる日になつて、いつもかかさずに遊びに来るおきいちやんが来ませんでした。
『おまへ、おきいちやんと喧嘩でもしたんぢやないのかい』とお母さんは自分が云ひ出した三又土筆のことから、二人の仲よしが、仲の悪い悪い二人になつたとは知らずに訊きました。
『ううム』『ううム』とおたあちやんは頭を横に振つてゐました。
そのあくる日も、そのあくる日も、おきいちやんは遊びに来ませんでした。
お母さんは『喧嘩したんだらう』と幾度訊いても、そのたんびおたあちやんは、頭を横に振つてゐるばかりでした。
そのうちに、おきいちやんが病気で寝てゐると云ふことを近所の人から聞きました。
おたあちやんのお母さんは『見舞にいつておいで』と云つても、おたあちやんは、いつも気のない返事をして、却々(なかなか)行きさうにもしませんでした。
おたあちやんは、今は、あの日のことが沁(し)み沁(じ)み後悔されて『悪いことをした』と心で思ふやうになりました。それがだんだん嵩[#「嵩」は底本では「蒿」]《たかま》つて来て濁つてゐたおたあちやんの心は、一日一日と澄んで来るやうになりました。おたあちやんは、三又土筆(つくし)のことをお母さんに話して了(しまほ)ふかと思ひましたが、それでは却つてお母さんに心配をかけるだらうと、一人で胸をいためて居りました。
幾日かたつうちに春もすぎて、夏が来ました。今年も湖の上に虹の橋のかかる頃となりました。
今年も虹は
湖(こすゐ)の上さ
太鼓橋かけた
去年も虹は
湖の上さ
太鼓橋かけた
昔も 今も
湖の上さ
太鼓橋かけた
湖の上さ
百間幅の
太鼓橋かけた
今日も、村の子供達は、湖の岸に立つて唄つて居りました。
(五)
それから、幾日かたつて、おたあちやんとおたあちやんのお母さんとが、おきいちやんの家の前を通りました。二人は吃驚(びつくり)しました。家には戸が締つてゐて、もう幾日も人の住んだやうな気配が見えませんでした。どうしたのかと思つて近所の人達に訊いて見ますと、おきいちやんの家は今から一月も前、湖の向ふの村へ越して行つたと云ふことでした。
なほ、近所の人達の話によりますと、おきいちやんは、春からずつと病(わづら)つてゐましたが、近頃になつて、どうにか治つたかと思ふと、こんどは伯母さんが病(わづら)ふやうになりました。
伯父さんは歳を老(と)つてゐるし、もともと貧乏な家ですから、どうすることも出来なくなつて、病みあがりのおきいちやんは、湖の向ふの村の機場(はたば)へ機織工女に売られることになつたのです。それと同時に伯父さん伯母さん達は、他(よそ)の村へ越して行つたと云ふことでした。
おたあちやんのお母さんは『何んと云ふ不仕合せな人だらう』と涙ぐみました。おたあちやんの眼にも涙が一杯浮んで来ました。
おたあちやんは、次の日から、湖の岸の水神様(すゐじんさま)のお宮へお願(ぐわん)をかけました。
――水神様、どうかおきいちやんを救つてあげて下さい。ほんたうにわたしがわるかつたのです。三又土筆(つくし)がなかつたら、こんなにわたしは苦しい思ひはしなかつたでせう、ほんたうにわたしがわるかつたのです。水神様、どうぞおきいちやんを救つてあげて下さい――
かうしてゐるうちに、いつとはなしに、向ふの村から、こつちの村へ往き来してゐる船頭達の間にこんな唄が謡(うた)はれるやうになりました。
湖(こすゐ)の風は
何んと云つて吹いた
明日(あした)は 帰ろ
生れた村へ
湖の風は
どこから吹いた
機屋の背戸の
薮から吹いた
(六)
水神様(すゐじんさま)のお宮は、湖の岸の、杉の大木の茂つた丘の上にあつて大変見晴らしのよい所でした。天気のいい日には、湖を越えて、ずつと向ふの村まで見渡されるのでした。
おたあちやんは、お宮の境内から向ふの村を眺めて、おきいちやんのことを思ふのでした。
今日もお宮の境内から見てゐると、珍らしく大きな虹が湖の上へ出てゐました。それが丁度向ふの村から、こつちの村へ橋をかけたやうに出てゐました。村の子供達は、湖の岸へ立つて虹の唄を謡(うた)つてゐるのも聞えました。
おたあちやんは、はじめは、ただうつとりと見とれてゐましたが、だんだん見てゐるうちに悲しくなつて来ました。それは、まだ二人が仲よしで遊んでゐた、ある夏の夕方、大きな大きな虹が出ました。その時おきいちやんは何にかに憑れたやうな調子で、しみじみ話しました。
『虹の橋の上には、きつと天の御殿があるのよ、そして、そこには綺麗な花が沢山咲いてゐると思ふわ。わたし死んだら天の御殿へゆくの、おたあちやんもおいでよねえ、わたし死ぬとき大きな虹の橋が出てくれればいいと思ふわ』
『わたしも一緒に行くわよ』
『さう』と云つておきいちやんは、どうしたことか、ほろほろと涙を落したことがありました。
虹はいつまで見てゐても消えませんでした。おたあちやんは、ぢツとしてはゐられなく悲しくなつて来て、急いでお宮の石段を下りて家(うち)へ帰りました。
家へ帰る途々(みちみち)も、仲よしであつた頃のおきいちやんの云はれたことが思ひ出されて、仕方がなかつたのでした。
それから間もなく、おきいちやんが、機場(はたば)で亡(なくな)られたと云ふ話を聞きました。おたあちやんがお宮の境内で大きな虹の橋を見た日が丁度その日だつたのです。
湖の船頭達は、いつどこから聞いて来たのか、又こんな唄を謡(うた)ふやうになりました。
湖(うみ)の向ふのあつちの国の
花が欲しくば
唄聞きたくば
赤い草履(ぞんぞ)はいて
虹の橋渡れ
湖の向ふのあつちの国の
花が見たくば
唄恋しくば
赤い下駄(かつこ)はいて
虹の橋渡れ
(七)
虹の橋は湖の上へ幾度もかかりました。
虹の橋のかかるたび、おたあちやんは、きつと水神様(すゐじんさま)のお宮へいつてゐました。
――水神様、あの虹の橋を渡つて天の御殿へゆけるやうにわたしをして下さい。わたしは、おきいちやんの傍へゆきたう御座います、どうかわたしの願ひをききいれて下さい ――
いつも斯う云つてお祈りをしてゐるうちに、おたあちやんの心はだんだん浄められて水晶のやうになりました。
心がだんだん澄んで来るにつれて、虹の橋の上に、これまで見えなかつた美しい天の御殿が見えるやうになつて来ました。それが一日毎にはつきりして来ました。
天(そら)の御殿からは、天人が謡(うた)ふ、長閑(のどか)な楽(たのし)い唄が聞えて来ました。
おたあちやんは、うつとりと聞きとれるのでした。と、
『おたあちやん、おたあちやん』と呼ぶ声がしました。
『あ、おきいちやんの声だ、おきいちやん、おきいちやん、勘忍して頂戴、わたしも御殿へまへりますよ、いままへりますよ。おきいちやん、おきいちやん勘忍して頂戴』
おたあちやんは、気狂(きちがひ)のやうに同じことを幾度も幾度も繰返して口ばしりました。
それから幾日もたたないうちに、おたあちやんの姿が見えなくなりました。
虹の橋も、いつとなく小さいのしか、かからなくなつて了ひました。
さうすると、また、船頭達の間に、こんな唄が謡(うた)はれるやうになりました。
湖(こすゐ)の上さ
天まで続く
虹の橋かけた
ふりわけ髪の
二人の子供
渡つて行つた
赤い下駄(かつこ)はいて
赤い草履(ぞんぞ)はいて
手々ひいて行つた
かうして、湖の船頭達の間には、この不思議な唄がいつまでも謡(うた)はれてゐました。それが軈(やが)て村の子供等にまで謡はれるやうになりましたが、誰一人この不思議な唄の意味(わけ)を知つてゐる者はありませんでした。
ただ知つてゐるのは湖の水神様(すゐじんさま)ばかりでした。
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