大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 お絹は、身だしなみをする、取片附けをする、それが直ちに出立の身ごしらえ、荷ごしらえにもなるので、お嫁入でもするような若々しい気分に浮かされて、障子にはゆる小春日和、庭にかおる木犀(もくせい)の花の香までが、この思いがけない鹿島立ちを、やいのやいのとことほぐかのようににおいます。

         四十二

 宇津木兵馬は北国街道を下って、越前と近江の境を越えるまでは何事もなかったけれども、長浜へ来ると、ふと、路傍で思いがけないものを見つけました。
 それは、長浜の市中を横に走るところの、素敵に足の早い旅人を、遠目に見かけると、それが、がんりきの百という見知越しのやくざでない限り、ああいう気取り方と、ああいった走り道具を持ったものはないということでありました。
 果して、あいつが、がんりきの百である限り、あいつの通過するところに、草の生えたためしがない。転んでもただでは起きて行かない奴である。本街道を外れて、わざわざ長浜の町を突切るくらいだから、何かこの土地にからまるべき因縁があるに相違ないと感づいたのです。
 そこで、逸早(いちはや)く彼を取っつかまえて、泥を吐かせようと、かけ出してみたのですが、足に物を言わせることにかけては、こいつに敵(かな)いっこはない。見る間に、その後ろ影を町並の角に見失ってしまいました。兵馬は歯がみをしたけれど追っ附きません。空しくその走りくらましたあとについて急いでみると、琵琶の湖畔に出てしまいました。いわゆる臨湖の渡しであります。そこまで来た上は、この先はもう、湖であります。左へそれたか、右へ走ったか、そのことはわからないが、あいつの目ざすところが、北でも、東でもなく、西に向っていることに於て、当然、彦根、大津、京都の本街道を飛んで行くものに相違ないと思いました。
 そうでなければ、この地にとどまって、何か、あいつ相当の謀叛(むほん)を企てる、もうこの上は長追いは無益である、あのやくざがこの界隈に出没しているということを基調として調べてみれば、存外、獲物があるかもしれない、そう思ったものですから、兵馬は臨湖の岸まで来て、急がず、湖上遥かに見渡して、その風景に見恍(みと)れて彳(たたず)んだが、それからおもむろに湖畔を逍遥の体で歩んで行くと、ふと岸の一角に、まだ新しい木柱の一つ立つのを認めました。
「為有縁無縁衆生施餓鬼供養塔」
 墨色もまだあざやかに、立てたのは昨日今日の特志家の善業であること申すまでもありません。
 その大きな供養塔の木柱が立っている、その下の、波の寄せては返す岸辺を見ると、そこに雛卒都婆(ひなそとば)が流れている、その卒都婆もまだ新しい。波になぶられて、行きもならず、戻りもならずに漂うている、その墨の文字さえが、供養塔の文字とほぼ同時同筆を以て書かれたように、あざやかに読めるものですから、兵馬がそれを見やると、
「無明道人俗名机竜之助帰元」
と書いてあるので、蛇を踏んだようにハネ返ってその卒都婆を拾い上げました。
 見事な筆蹟である上に、これはまさしく女の手筆(しゅひつ)だと見ないわけにはゆきません。しかも、その女の手筆というものが、たしかにどこぞで見たことのある筆蹟のように思われてならないのですが、その筆先しらべはあとのこと、「無明道人俗名机竜之助」の文字が兵馬の腹にグザと突込みました。
 誰がこういうことをした、眼のあやまちではないかと、篤(とく)と見直したけれども、そのほかのなんらの文字でもない。
 兵馬は、これを取り上げると、もう一つ、それと上になり下になって漂うていたもう一つの同形のものを取り上げて読むと、
「淡雪信女亡霊供養」
と、同じ手筆で、同じ筆格に認(したた)められてある。
 この二つが供養塔の下に並んで、波に戯れているのは、謎とは思われない。何人か心あってしたこと、心なくてはできない手向(たむ)け草(ぐさ)、念が入り過ぎている。ことに人力ではなく、運命の悪戯(いたずら)というものがからまって、この波が今も二つをなぶるように、二つの魂がなぶられている。それをまた後の、いたずらの心から、さる人によって、この供養が営まれた。いずれをいずれにしても、倒逆の葛藤(かっとう)を免るることはできません。
 だが、ここにこれがある以上――もはや、戯れの底も見えた、と兵馬は小躍(こおど)りしつつ、汀(みぎわ)の砂地を踏み締めて、人やあるとあたりを見渡すと、漁師の老人が一人、櫂(かい)を手にして、とぼとぼと歩んで来る、それをこの柱の下で待受けて問を発しました。
「その供養塔は誰が立てたのですか、何のために、何という人がこれを、いつの日ころにたてたものですかね」
「はい、それはなあ、ついこの間で、こちらから舟を乗り出して、この湖の真中のどこかで、情死(しんじゅう)を遂げた男と女がござりましてな、男の方は三十幾つかの年配、女子(おなご)の方はまだ十七八でござんしょうかな、月夜の晩に、お月見だといって、浜屋の裏堀から舟を乗り出しましてな、この湖の中で、どんぶりと情死を遂げてしまいましたとかでござんす、舟だけが浮び流れ流れて、こっちの岸につきましたが、中には主がござりませぬ、遺書(かきおき)のようなものもござりませなんだ。舟が漂いついたので、こっちではじめて騒ぎまして、いろいろたずねてみましたが、さっぱり当りがつきません、なんしろ竹生島の方に参りますると、金輪際まで突通しの水の深さ、周囲を申しますと日本一の大湖でございますから、手のつけようもございませんでしたが、二人はとうに腹を合わせて心中の覚悟が出来ていたんでございますな、毛氈(もうせん)も、お重(じゅう)も、酒器も、盤も、宿からの品は一品も失いません、二人の身体だけが、水に沈んでしまいましたげな。お歳が少し違い過ぎて、男の方が上過ぎたのに、女子がまだ娘ざかりでございました、かわいそうに、そそのかされたわけではござんすまい、心を一つにした相対死(あいたいじに)に相違ござんすまいが、今様お半長右衛門だなんて、悪口を言っていたものがありました。ですが男の方は町人ではございません、苦(にが)み走(ばし)った、芝居ですると定九郎といったような人相で、あれよりずっと痩(や)せた人柄、病み上りのように蒼白(あおじろ)い、なんでも人の言うところによると、眼が不自由であったと申しますが、どんなものでござんすか」
 そこまで聞けば、もう充分以上のものではあるが、兵馬は、ただただ不安で、聞き済ましてはいられない。
「そうして、この二人は、それっきり浮き上らないのですか――今日まで、後日物語はありませんか」
「全くお聞き申しませぬ、あれっきり浮いて来ないのでございましょう、まあ、いっそ、心中でもしようというには、その方がよろしうござんすな、なまじい浮き上って来ない方が、功徳でございます――」
「では、この供養塔と卒都婆(そとば)、これは誰がしたのですか、縁もゆかりもない人がしたとしては、いささか念が入り過ぎている」
「それは、胆吹山(いぶきやま)の上平館(かみひらやかた)の女王様とやらの、なされた法事でございます」
「胆吹山の女王――」
 兵馬は、それからそれと、眼がまわり舌がもつれるほどの思いですが、臨湖の老人は、おだやかに、
「くわしいことは、浜屋へ行ってお聞きなさいませ、あそこのお内儀(かみ)さんが、委細を御存じのはずでございます」
「浜屋というのは、二人の泊った旅籠屋(はたごや)ですか」
「左様でございます、あの通りを上へ真直ぐに廻り、少し左へ鍵の手に折れますと、太閤様時代に加藤屋敷といわれた広い地面で、二階壁には蛇(じゃ)の目(め)の紋が打ってありますから直ぐにわかります、そこの若いお内儀さんが、委細を御存じのはずで――」

         四十三

 浜屋へ投宿して、一室に通された宇津木兵馬。その一室が、がんりきの百が小指を落された一室であるということは知りません。
 少し、土地柄のことについてお聞き致したいことがあるが、御亭主にお目にかかりたいと申し入れると、亭主でなく、若いおかみさんが御挨拶に来ました。
 湖岸の供養塔のことを話題としての宇津木兵馬の質問に答える、若いおかみさんの返答は、親切にして且つ詳細なものでありました。第十一の巻に現われた通りを裏から見たおかみさんの返答であります。その見るところに見足りないところはあっても、その答えるところに駈引はありません。兵馬にはいちいち納得のゆくことばかりであります。
 そうして、お内儀さんの最後の断案も、浜辺の老漁師の下したと同じことで――
 今様お半長右衛門のような二人の心中は、完全に遂げられて、その亡骸(なきがら)は絶対に浮んで来ないことを信じている。けれども、その善後策に就いては、まだ人の知らない新しい事実を教えてくれました。
 それは、二人が完全に、湖中に入水(じゅすい)を遂げたと知ったその日に、二人の供養があの臨湖の湖畔で営まれたこと、そうして、この供養の施主(せしゅ)というのが、疑問の一人の女性であったということです。
 兵馬は、それを訝(いぶか)しいことにも思い、また、なるほどと合点することにも思いました。というのは、湖畔で拾った卒都婆の文字が、たしかに女文字と睨(にら)んだからであります。その点は符合するが、そんならば、何の縁あって、右の女人が出しゃばって、この二人の亡霊の供養をしなければならないか、その女性は何者か、心当りはないか、という押しての疑問に答える浜屋のおかみさんの返答は、極めて要領を得て、そうしてまた要領を得ないものでありました。
 その女の方は、やはり、手前共に暫く御逗留(ごとうりゅう)をなさいました。胆吹山からおいでになりましたそうでございます。なおよく承りますると、胆吹の山に住む女豪傑の大将だそうでございます。
 なに、女豪傑の大将――それは、けったいなことだわい、してまた、その女豪傑の大将が、何の縁あって、男女二人の心中の供養をしなければならないのか、その因縁については、お内儀(かみ)さんの返事は漠として夢を掴(つか)むようで、ほとんど要領を得られません。
 だが、噂(うわさ)に聞くと、その女豪傑の大将はステキな女丈夫で、むろん女豪傑といわれるのだから、女丈夫の一人には相違あるまいが、多くの手下をつれて胆吹山に籠(こも)っていたが、この心中の二人も、その胆吹山の山寨(さんさい)に居候をしていたのだそうです。そういう縁故から出向いて来て、あの供養をして上げましたのだそうです。
 なるほど、何か胆吹にからむ因縁があるのだな。して、その女豪傑の大将といわれる婦人の方を、あなたは見ましたか。ええ、ようこそそれをお尋ねになりました、どのような風采(ふうさい)を致しておりましたか、はい、ちょっと一目うかがっただけでは、世の常の女の方に少しも違ったところはございません、せいはすらりとして、品のよい大家のお嬢様、そうでなければ若奥様といったようなお方で、芝居で致しまする鬼神のお松のような、金糸銀糸の縫取を着た女賊のようにはさらさら思われません。あれで女豪傑の大将で、たくさんの手下を自由自在に扱い、このほど起りました百姓一揆(ひゃくしょういっき)の大勢ですらが怖れて近よらなかったと申します、そんな威勢はドコにも見えませんでした。全く人は見かけによらぬものと申し上げるよりほかはござりませぬ。
 ただ、たった一つ――そのお方が世の常の女の方と違っておいでになったのは、入るから出るまで、昼も、夜も、しょっちゅう頭巾(ずきん)を被(かぶ)っておいでになりました。いついかなる場合にでも、あのお方が頭巾をお外しになったのをお見かけしたことがございません。でございますから、お面(かお)つきや、御縹緻(ごきりょう)のほどは少しもわからないのでございます――なに、しょっちゅう頭巾のかぶり通し――はてな、兵馬が気ぜわしいうちにも頭を捻(ひね)って、考えさせられたのは、誰と思い当ったわけではなく、その点に、右の女性の性格の重点があると感じたのでしょう。
 では、ひとつ、わしは少し心当りのことがあるから、明朝早速、胆吹へ上って、その女賊の大将にお目にかかって、お聞き申してみましょう。
 それはおよしあそばせ、ちょっと見ては、左様なおしとやかなお方でございますけれども、その悪党は底が知れぬ。気に入らぬものはみんな縊(くび)り殺して、穴蔵(あなぐら)の底に投げ落してしまうのだそうでございます。現に、幾人かの人の屍(しかばね)が、胆吹の奥の山の洞穴の底に埋もれて、夜、青火が燃えさかるという話。構えてお近づきにならぬがよろしうござんす――何をばかな、今の世にそんなばかばかしいことがあるものか、ぜひ、ひとつ、明日はその胆吹の御殿をたずねてみにゃならん。
 お言葉ではございますが、よし、鬼などのことは嘘と致しまして、これから胆吹へおいでのことはお見合せになった方がよろしかろうと存じます。そのわけは、その女のお方は、もう胆吹にはおりませぬ、胆吹を飛んで、大江山の方へお出ましになってしまったそうでござります。
 なに、大江山へ――いよいよ話が大時代(おおじだい)になった。でも、鬼のいない胆吹へひとつ乗込んでみよう、その棲所(すみか)のあとを調べてみるだけでも無用ではない。
 こう覚悟をして、それから話題を改めて、浜屋のおかみさんに向ってこれから胆吹へ上る筋をくわしくたずねました。

         四十四

 主婦の諫(いさ)めを用いず宇津木兵馬は、その翌早朝に出立して胆吹へ上りました。
 長浜から僅かに三里、上りとはいえども、程度の知れた道、まもなく胆吹の麓について、よく聞きただした上平館(かみひらやかた)の一角を探し当てたのは容易(たやす)いことです。
 いたりついて見ると、案外にも門は閉されて、全く人の気配がありません。
 推(お)せど、叩けど、おとなえども、応と答えるこだまはなく、全く無人の境と思いましたから、兵馬は、身軽く塀(へい)を乗越えて、上平館の境内へと侵入してみましたけれど、誰とて咎(とが)めるものはありません。
 はて、この分で見ると、ここははや解散したあとだ。つい近頃までは人の出入りの相当繁かった気配は充分ですけれど、現在は全く引払って、さらに人跡をとどめていないことは、小径に生ずる草、立てこめる気分の荒涼さでもよくわかります。およそ人の住むべき家に、人の住まないほど、すさまじい光景はないものの一つです。本来、未開の地には未開の処女性があって、人の官能を潔(いさぎよ)くするものですけれども、一旦、人が住んで、そのまま住まずとなって打棄てられた光景ほど、うたた物の荒涼と悲哀とを漂わせるものはありません。
 その気分に打たれた宇津木兵馬は、ははあ、もうこの一味は解散したのだな、人は解散したけれども、家屋敷はもとのまま、足を踏み入れるに従って、あちらに一棟、こちらに幾軒というほどに、建築の生(なま)なのに較べて、宏壮な規模が徒(いたず)らに住み残されてしまっている。さながら大本教と、ひとのみちの廃殿の中に入るようなものです。これほどの結構をし、これほどの屋敷を構えながら、かくも無惨に住み捨てるというのは冥利(みょうり)を知らぬ業だ、逆らって入るものは逆って出でる道理、大きく言えば、城春にして草青む、といったすさまじさが兵馬の胸を打つ。とにも、かくにも、行き尽すところまで侵入を企てよう、もし、その中に人臭いにおいでもあれば見つけ物、引っとらえて物を言わせてみようと、右に左に足を踏み入れたが、いよいよ深く行くにつれて、いよいよ荒涼なものです。絶対無人の境だということを確認しました。
 浜屋の若いお内儀(かみ)さんは、胆吹の女大将の話をして、まだこの館に一味が留まっているということを保証し、決して退却したとも、解散したとも言わなかったが、案外に来て見ればこの始末。
 してみると、あのお内儀さんは、一味が解散したことをまだ知らないのだ。あの辺の人まで伝達されないうちに散じてしまったとすれば、それはかなり最近でなければならぬのに、この荒れ方は、太古の昔のような面影がある。
 ほんとうに、人間の住むべき家に人間の住まないほど、荒れ方の早いものはない。人間の家には、人間が住むべきものだということを、兵馬は繰返してつくづくと感じました。
 さて一応見めぐり見きわめてみると、もう夕日が湖上の彼方(かなた)、比良、比叡の方と覚しきに落ちている。さて、今宵、兵馬は思いきって、この境内の内の一棟へ参入して、そこに宿を求めようとしました。そうしてこの幾棟かの家屋のうちの、最大の、最良の、御殿屋敷風なのを選んで、戸を排してみると厳しく釘づけになっているが、それを合点(がてん)の上で兵馬は、無理に押破って、御殿の中へ参入しました。
 相馬の古御所――といったような気分です。御簾(みす)がかかっており、蜘蛛(くも)の巣が張られてあり、畳は、ちゃんと高麗縁(こうらいべり)がしきつめたままだが、はや一種の廃気が湧いて、このまま置けばフケてしまう。
 兵馬はこの御殿の最も奥の間へ参入して、旅の荷物をそこに打ちおろし、その中から小提灯(こぢょうちん)、火打よろしく取り出して、早くも提灯に火を入れて、それをかざして間毎間毎を調べてみました。
 調度を取払ったというだけで、畳建具は依然として人の住める時のそのままで、取残された形跡は一つもありません。それに戸棚という戸棚、押入という押入のたぐい、いずれをも押してみても、がっちり錠(じょう)が下りている、そうでなければ釘附けです。
 そこで、兵馬が思うには、これは必ずしも解散とは言えないわい。いずれ家主は、そのうちここへ来て住むつもりか、そうでなければ出直して引取りに来るつもりなのだ。戸棚という戸棚、押入という押入が、この通りがっちりしているのは、いずれこの中が何物かで充実している証拠なのだ。してみると、これは空家とはいえない。人がいないだけで、まだ完全に住宅権が存在している。そこへ無断侵入を試みた自分というものは、家宅侵入の罪に問われる資格は充分ある。しかし、この場合、そういう遠慮は無用である。よろしく、覚悟の前、この戸棚のうちの一つ、最もめぼしいようなのを一つ押破ってみてやろうではないか。一つでたんのうできなければ、全部をいちいち破壊してみてやろうではないか。さし当り、今晩これに旅籠(はたご)を取るからには、夜の物が欲しい、なければないで済ませるが、すでにこの通り多数の物入があって、それをそのまま死蔵せしめて置くは、宝の山に手を空しうするも同じこと。誰を憚(はばか)る、要らぬ遠慮――
 と兵馬は決心して、その戸棚の中のめぼしい一つを、力を極めて押破ってみました。
 別に一ツ目小僧も出ては来なかった、これは確かに夜のもの、夜具(やぐ)蒲団(ふとん)の一団と認定のできた大包み、それを引出して解いて見ると、果してその通り、絹紬(きぬつむぎ)のまだ新しい夜具が現われる。
 とこうして、兵馬はついに、その新しい夜具を豊富に打着て、就眠の人となりました。
 働いているから眠りに落つることも早い。

         四十五

 肉体は疲れているから、眠りに落つることははやかったけれども、神(しん)は納まっていないから、睡眠が必ずしも安眠というわけにはゆかない。夜半、兵馬の胸を推(お)すものがある、うつつにながむれば、
「無明道人俗名机竜之助之墓」
 それは湖畔の木標ではなく、まだ切立ての一基の石塔であります。一方を見ると、同じような石塔が比翼の形に並んで、それに、[#「それに、」は底本では「それに」]
「同行淡雪未開信女之墓」
とある。
 この二つの石塔が、どことは知らぬ荒草離々たる裾野の中に、まだ石鑿(いしのみ)のあとあざやかに並んでいる。近づいて見ると、その後ろに墓守が二人、しきりに穴掘りをしている。傍らには布で巻いた二個の棺を据えて、しきりに墓穴を掘っている。それを覗(のぞ)き込もうとすると、墓と墓との間の丈なす尾花(おばな)苅萱(かるかや)の間から、一人の女性が現われて、その覆面の中から、凄い目をして、吃(きっ)と兵馬を睨(にら)みつけて、
「ここへ来てはいけません、あなた方の来るところではありません」
 その睨む眼の険しいこと、兵馬は、たしかに胆吹山の女賊の張本に相違ないと思いました。
 夢うつつは、その程度、それ以上、深刻にも精細にもなりませんでしたけれども、醒(さ)めた宇津木兵馬は、怖ろしいよりも、その暗示性の容易ならぬことに心が乱れました。
 かくて、いったん、破れた夢が、またあけ方まで無事に結び直されましたが、日の光、鶏の声が戸の隙から洩(も)るるを見て、兵馬は立って、一枚の雨戸を繰ると、満山の雪と見たのは僻目(ひがめ)、白いというよりは痛いほどの月の光で、まだあけたのではありません。
 それから、兵馬の頭に来た、何の拠(よ)るところとてはないけれど、ひしひしと迫る暗示は……
 机竜之助はもう死んでいるのではないか、死んでいるとすれば、確かに殺されて、この世に亡き人の数に入っている、彼を殺した人は何者、それは右の覆面の女賊のほかのものでありようはずはない、少なくともこの胆吹山まで来て、ここで竜之助は殺されてしまっているのだ。
 という暗示が兵馬の胸に食い入りました。湖中で心中というのは嘘だ、こしらえごとだ、でなければその女賊が、なんでわざわざ、まだ死骸も、水の物か陸の物かわからない先に、先走って供養塔などを立てるものか、それは世を欺く手管だ、本来は、竜之助はここで殺されている、その死を装わんがためにわざと湖上で死んだようにもてなしているのは、女賊の張本の芝居である。
 机竜之助は、すでに殺されているのだ、胆吹の山の女賊の手にかかって亡き人の数に入っている、それに相違ない、そう思われてならない、そうだとすれば哀れな話だ、彼に憐れみを加える余地は微塵(みじん)もないが、あれがこんなところで、女の手にかかって一命を果す、それも無惨や縊(くび)り殺された、なぶりものになって縊り殺されたとは何という悲惨な、そうして、何という醜態だ。
 そうだ、してみると、これより後の自分は、彼の亡骸(なきがら)をたずねて歩くより道がない。
 兵馬は、どうも、こんな暗示が胸いっぱいになって、竜之助ははや完全にこの世の人ではない、今後存在するとすれば、それは亡骸であり、亡霊である、これから自分の魂がそれを追いかけて歩くだけのものだ、力が抜けた、張合いが抜けた、というような気分で、兵馬の心が底知れず滅入(めい)って行くのであります。
 そうなると、夜が明けるや、一刻もここに留まっている気がなくなって、長浜まで一気に走り帰って、例の蛇(じゃ)の目(め)の浜屋へつくと、若いお内儀(かみ)さんが、なつかしそうな色を面にたたえて、よくまあ戻ってくれたという好意に溢(あふ)れて迎えてくれて、前夜と同じ部屋へ案内を受けました。
「いや、胆吹の女傑のあとをたずねて見ましたが、館(やかた)はあるが、人がいませんでした、人っ子ひとりおりませんでしたよ、解散したのでしょう。解散したとすれば、あの一味はドコへ行ったものでしょうか」
「多分、大江山でしょうと思いますが」
 またしても大時代――胆吹山でなければ大江山、兵馬はこれにも、げんなりせざるを得ません。
 さりとて、これから突留めなければならぬのは、机竜之助の身柄よりも、むしろ問題の女賊そのものの身性(みじょう)である。これは物が物だけに、存外早く手がかりがつくだろう。大江山というは、この女性のロマンがかりで、もっと近いところに、別生活に入りつつある。そういうことが想像されるものですから、更にここでその手がかりを求めなければならぬ、けれども、この若いお内儀さんにこれ以上を求むるのは無理だ、ということをさとり、さて、翌日は結束して再び昨日の臨湖の汀(みぎわ)に来て見ると、昨日ありしところのかの木標はなく、卒都婆もありません。砂の上には供養塔を立てたその痕跡さえなく、汀の波には卒都婆を弄(もてあそ)ぶ波の群れのみ昨日に変りありません。
 何者か抜き取って、木標は湖中に捨ててその行方(ゆくえ)を知らず、卒都婆は流れ流れて人の拾うものもなし。昨日まざまざと見た臨湖の景色が夢で、胆吹の夢に見たまぼろしに、かえって真実なりと欺かれる。兵馬はたよりなき感覚の幻滅を歎くことに堪えられない思いです。

         四十六

 机竜之助は胆吹の女王のために殺されたり、という宇津木兵馬の幻覚は、幻覚に似たる真実でないということはありません。
 ある意味では、竜之助が、女王の手に殺されているのは胆吹に始まったことではない。
 殺すということは、生命を奪うことで、生命を奪うということは、生命を亡くすることではないのです。単に生命の置きどころを変えたというにとどまるもので、かりに竜之助が暴女王の手にかかって殺されたりとすれば、それは女王が竜之助の生命を取って、自身の生命の中に置き換えたということの変名であって、竜之助そのものは、お銀様の中に生きている、お銀様は彼の肉体が無用になって、その生命の置場所になやんでいるのを見てとって、彼の生命を掴(つか)み取って、自分の体内に置き換えてやったという意味になるのですから、斯様(かよう)な殺し方は慈悲心の一種でさえある。形骸としての机竜之助が、柳は緑、花は紅の里を、いかなる形式でさまよい歩こうとも、それは夢遊病者の行動を、映し絵としてながめるだけのもので、彼の真の生命は、他のところに置き換えられて生きている。今後のお銀様は即ち竜之助であり、竜之助の更生が更にお銀様でないとは誰がいう。
 今や、お銀様の存在は一つの恐怖です。この女王は、剣を以て人を殺すということをしない、血を見て飽くという手数を尽さない、けれども、人を殺して血を見るという性癖は一つです。その一念がようやく増長しつつあるように見受けられる。
 この女王様の第一の利刃(りじん)は軽蔑です。この女王は、ほとんどあらゆる現象に対して、この女王が発する最初の挨拶は軽蔑であって、最後の辞令も軽蔑でないということはない。いかなる種類の人でも、この女王の軽蔑に価しない人はなく、いかなる種類の物象でも、この女王の軽蔑を蒙(こうむ)らぬ物象はない。
 胆吹の山寨(さんさい)は、今や彼女の軽蔑のために吹き飛ばされてしまいました。自ら築いたものを、自ら軽蔑するのだから、これは手の附けようがありません。
 今や、第二の光仙林を造ってはや、これをも軽蔑せんとしている。国宝級、重美系の芸術も、ようやく彼女の軽蔑から逃れ難く、光悦を集めながら、はや光悦を軽蔑しきっている。
 物を見に行くというのは、彼女にあっては、物を軽蔑しに行くのです。意志と感情を発散せぬものに対してすらそれですから、悪呼悪吸、もしくは愚呼愚吸のほかの何ものでもない人間共の存在に対する軽蔑が、骨髄を埋めているのも、まさにその道理でしょう。
 今日この頃は「易」を軽蔑せんとして未(いま)だ成らず、「密教」を軽蔑せんとして、新たに発足をはじめたようなものです。
 醍醐(だいご)三宝院の庭を見て、この女は豊太閤を軽蔑せんとしました。
 甲州の人は、徳川家康を恐れない、我が信玄に十に九ツも勝味(かちみ)のなかった家康を軽蔑せんとする、家康を恐れない人は、秀吉の重んずべきを知ることも極めて浅いのであります。徳川家康という人が、武田信玄に十に九ツまで勝味のなかった人であることを知っている甲州人は、その秀吉の唯一の勝利者としての、徳川家康を見ている。家康に勝味のない秀吉は、それに圧倒的な信玄より遥(はる)かに強きことを得ない。且つまた、信長という人は、武田を亡ぼした人であるけれども、信玄存する限り、その武を用うることができなかったのみならず、その部下としての秀吉は、未だ曾(かつ)て甲州陣の心胆を寒からしめんにも、熱からしめんにも、甲州というものに対して、その武を用いた経験がないではないか。故に甲州の人は家康を恐れない以上に秀吉を恐れない、最初からこれらの軽蔑すべき所以(ゆえん)を知っている。さてまた、この暴女王に限って甲州そのものを軽蔑すべき所以を知っている。父祖伝統の甲斐の国、武田よりも古い家柄を軽蔑して、その富ともろともに振捨てて悔ゆることを知らない暴女王は、豊太閤そのものを怖れずして、まずこれが趣味を軽蔑せんとして、醍醐の庭を見に来たかのようにさえ疑われる。
 ただ一つこの暴女王が、容易(たやす)く軽蔑しかねているのが、現にいま住む山科の安朱(あんしゅ)の地点なのであります。
 この暴女王も山科の地形だけは、憎まんとして憎み得ないものがあるらしい。軽んぜんとして軽んじ難い愛着を残しているものか。これは或る意味では当然過ぎるほど当然で、人というものは、過去に対してと、未来に対しては、かなり強硬にあり得るもので、過去というものは、再び現在を追っかけては来ない、過去は、いかに苦しかったことも過去となれば、すなわち現在への強迫区域を離れている、これを追懐しようとも、これを軽蔑しようとも、その脅威のおそれはないのであります。未来は当然来(きた)るべきものにしてからが、来らざる間は痛痒(つうよう)の感覚から離脱している。ただ現在だけは怖るべきです。人がもし現在の政治に反抗した日には、逆賊の取扱いを受けなければならないように、現在の住ましめられている地点を軽蔑しては、所払いの刑罰を受くることを覚悟しなければならぬ。いかに暴ならんがために暴を趣味とする女王といえども、現在の立脚点をだけは軽蔑し得られないという約束に縛られて、しかして山科という輪郭に暫し追従を試みているかというに、必ずしもそうではないのです。
 山科の地形が、甲州に似ている。山河襟帯(さんがきんたい)の中間に盆地を成すの形勢が、何となしに甲州一国を髣髴(ほうふつ)させるのが山科の風景である。山科を大きくして、その盆のくりがたをさらに深くしたのが即ち甲州であるとは言えるかも知れないが、すでに故郷の地形にあこがれを持たないこの女性が、改めてその雛形を珍なりとすべき理由はない。
「山科」という地が、おのずから一天地を成している。その整ったただずまいが、この女王のお気に召したらしい。山科十六郷はよく整った一国の形成を成している。京都の郊外の山科ではなく、京都に附属した山科でもなく、たとえ小規模ながらも、一天地を成しているところに山科の妙味がある。山科は小さき甲斐の国というよりも、小京都といった方が当るかも知れない。山河の形成が、僅かに十六郷を含めたなりで独立している。そうして、その独立が、お銀様の住むのにちょうど手頃である。胆吹は気象が少々荒びていた、ここの空気は淘(よな)げられている。できるならばこの山科全部をソックリ買いたい、これをソックリ買取って我が屋敷として住みたいと望み得るほど、この地形全体が少なくともこの女王にとって、手頃の地形を成していたからです。
 胆吹の女王となるよりも、山科の地主でありたい、そんなような愛着を、お銀様が山科そのものの地相に持ち得られたということが、即ち山科を軽蔑し易(やす)からずとする所以なのでありましょう。

         四十七

 胆吹の女王が、今や、山科の地主にまで脱皮しつつあるということを突きとめたのは、宇津木兵馬として、骨の折れることではありませんでした。
 自然、宇津木兵馬は、長浜から、この山科まで道を急ぎました。近江から山城は地つづき、山城の内にあって、山城以外に立つというべき山科は、近江の国からの取っつきであります。長浜から直行にして十余里の道、この間に、なんらの瘴煙蛮地(しょうえんばんち)はありません。
 兵馬が山科に来て、まず草鞋(わらじ)をぬいだのは、同じく大谷風呂でありました。
 それとなく探りを入れてみたが、案ずるがほどのものはなく、さらさらと解答が与えられます。
 あれは、三井さんのお嬢さんで、今度、この山科の安朱(あんしゅ)の光悦屋敷というのをお求めになりました。あれを地面、家屋敷ぐるみ、そっくり居抜きでお引取りになって、御家来方と一緒にお住いでございます、と明瞭に答えてくれる。三井さんのお嬢様、それは少し変だ、長浜では女賊の張本でもあるように言い、ここへ来ては三井さんのお嬢様呼ばわり。前のが誇張であったように、ここのは仮定であると、兵馬がさとります。つまり、三井さんのお嬢様と言ったのは、三井家にも匹敵するような大金持のお嬢様ということなので、この場合、三井家というのは大金持という代名詞に使用されているまでのこと、戸籍の如何(いかん)は問うところでないと、兵馬がさとりました。
 さて、その三井家のお嬢様の本当の戸籍であるが、それが知りたい、それを知るにはこの女中づれではダメだ、すでに金持のお嬢様だから、三井の名で呼びかけるほどの女だ、重ねて問いかえせば、では鴻池(こうのいけ)さんのお嬢様だっしゃろ、と答えるくらいが落ちであるから、ここでそれを糾明(きゅうめい)するわけにはいかないが、ナンとその三井家のお嬢様に、ちょっとでもいいからお目にかかってお話ができまいものか。
 そういうところからさぐりを入れてみると、それはダメでござります、とても気位の高いお嬢様で、めったな人とはお会いになりませぬ、極々(ごくごく)親しい間の御家来衆でなければ、決して人をお近づけになりませぬ、宿におりましても、御主人様でさえお顔を見たものはござりませぬ、朝も、晩も、頭巾を召してはずさないほどのお方でござりますから。
 なるほど、気むずかしいには気むずかしいらしいが、朝に晩に頭巾を被(かぶ)ってはずすという時がないということは、長浜の見方と相一致する。
 さて、それではぶしつけにおしかけてもダメだ、さりとてしかるべき紹介を求めるよすがなどが、この際あろうはずがない、どうしたものかと兵馬も迷いましたけれども、いずれにしても、相手は妖怪変化(ようかいへんげ)ではない、胆吹から大江山へ飛んだ女賊童子の一味でもないし、正体も居所もすっかりわかったのだからと、この上は手段を尽して、面と相向ってぶっつかるばかりだ、相手が人間であってみれば、難事であっても不可能事ではない、ということに確信を持たしめられたことは喜ばしい。
 なんの、暴女王の暴女王たる正体を知りさえすれば、兵馬には昔なじみの人、まして兵馬に対してはすくなからぬ同情者の一人であり、兵馬の行動に同情者であると共に、その行動に、好意の妨害を試みていたほどの強情もの。甲州の有野村の女王であることに、何の不思議もないのですが、人というものは迷う時は方寸も千里の闇に似て、闇の中で摸索すればするほど正体を暗いところに押しやってしまう。この分で、正面から押せば押すほど遠くへ押しやるにきまっているが、どう考えてもこの際、押しの一手よりほかはないと兵馬の苦心焦慮した行き方も、また無理のないものがあります。光仙林の門のところまで来て、さて、これから堂々と門を叩いていいか、悪いかに惑いました。正面からぶっつかって、かえって後日のことこわしに落ちはしないか、ということも思案してみました。
 そこで、二の足を踏みながら、万一その女王が、外出でもする機会はないか、女王でないまでも、つかまえて物を尋ねるキッカケをつくってくれる御用聞のたぐいでもと、暫く、行きつ戻りつしてみたが、あいにく、人の出入りはほとんど打絶えた門、ほとんど開(あ)かずの門かと疑われるほどでしたが、「光仙林」とものした表札の、目立たぬけれども新しいことによって見ても、最近に人が住みつつあるということは、疑うべくもありません。胆吹は完全に人の住み捨てたところ、ここは人が有るべきところで、人のなきは、なきにあらずして留守なのだ。
 それも道理、この日、宇治山田の米友はがんりきの百蔵と、洛北岩倉村へ出向いて不在。
 不破の関守氏は、その隠宅でしきりに小物の表具を扱っている。もとより素人経師(しろうときょうじ)だが手際が凡ならず、しきりにかきあつめた小美術品の補綴(ほてい)修理を、自分の手にかけて、あれよこれよと繕いに余念がない。
 女王は、安朱谷(あんしゅだに)の雲深きところに鎮座ましまして、人をしてその片鱗をうかがわしめることをゆるさない。臨時かしずきの役を承っているお角さんは、供待部屋を己(おの)れが本拠として、すやすやと昼寝の夢をむさぼっているというていたらくですから、さしも広大な光悦屋敷が、さながら人あってなきが如くなるも道理です。
 兵馬は、それがために、あぐね果てて空しく門前を行きつ戻りつしているが、無人境の一得には、いくら行きつ戻りつしたからとて、べつだん怪しげな目を向ける人もない。それが有ってくれる方が、かえって所望だと言いたいくらい、取合われないのが物足らぬこと夥(おびただ)し。ここで思いきって門内に進入し、過日、胆吹山の廃墟で試みた手段をとろうかと決心して、さすがに思い煩う途端、初めて表門の四辺がザワついて、ひゅうと風を切って走り出したもののあることに目をみはり、
「あ!」
と兵馬も驚いたのは、熊にあらず、羆(ひぐま)にあらず、この国ではめったに見ることができない、というよりも、太古以来絶えて存在を許されていない種類の動物、唐国(からくに)の虎という獣に似たやつが一頭、まっしぐらに門の中からおどり出したからであります。
「虎!」
と叫んでみたが、虎でない。
「彪(ひょう)!」
と呼び直してみたが、彪でもない。全身斑(まだら)にして、その身体は虎彪に匹敵して、しかもそれよりも勇んでいる。
 兵馬はそれに警戒を加えざるを得ません。心得は有り余るけれども、相手に覚えがない。一時はどうあしらっていいかに迷いましたけれども、虎はおろか、象でも鬼でも一ひしぎと、和藤内(わとうない)の勇気を取戻し、身構えをして見ると、それはやっぱり犬の一種だということがわかりました。
 犬ならば、いかに猛犬なりといえども、猛獣ではない。しかもその豪犬の首には、太やかな縄を引きまとい、それを引摺(ひきず)り、こっちへまっしぐらにやって来るのを、兵馬はやり過して簡単にその縄を引止めると、同時に犬は猛然として兵馬に飛びかかって来たけれど、それは、危害を加える意味の抵抗ではなくして、人間に対する挨拶としてもたれかかって来たということが、直ぐにその気合でわかります。これはいい授かりものが迎えに来てくれた、一番これを囮(おとり)にして、門内へ入り込もう、逸走した邸(やしき)の番犬を繋留して連れ戻って来てやるということになれば、家宅侵入の罪名に触れること決してこれなく、且つまた、感謝をもって受入れらるること、これも相違なし。
 そこで、兵馬は、その大犬の轡(くつわ)を取りつつ、徐々(そろそろ)と光仙林の門内に進入して、林にわけ入り、道なきかと思われる跡をたどって、ついに草にうずもれた不破の関守氏の隠宅の前へ来て、改めて柴折戸(しおりど)を叩くと、直ぐに内から声があって、
「お角さんかね」
「旅の者でござりまするが」
「旅の衆!」
と言って、不審がって小窓から面(かお)を現わしたのは、不破の関守氏であります。それを見て兵馬が、
「御当家の御飼養と覚しき見事な畜犬が、路傍に去来しておりましたから、引連れて参りましたが」
「それは、それは」
と言って、不破の関守氏に諒解があって、急ぎ庭下駄を突っかけて、カラリコロリとやって来る音が聞えます。

         四十八

 その翌日、駒井甚三郎は、鉄砲を肩にして、従者とては船乗の清八ひとりだけを伴い、島めぐりのためと言って、早朝から出かけました。田山白雲も、毎日、島めぐりのために出発しますけれども、これは島めぐりというよりも、写景を目的として、任意に出て任意に帰るのです。
 駒井のは、この島の地理学的研究のための実地踏査の第一歩です。
 広くもあらぬ島でもあるし、気候風土ともに、危険のおそれなきことを確認しての上の出立ですから、特にそれらの準備というようなものも必要なしと見て、日一ぱいに行って戻れるだけに、充分のゆとりを見て、一人で行き一人で帰る、いわば散歩気分の外出に過ぎません。
 開墾地の留守の支配は、七兵衛入道ひとりを以て足れりとします。このぐらい適当な管理者というものはなく、自ら働くことに於て模範の腕を持つのみならず、人を働かせる上に於て非凡な人情味を持ち、その上に、睨(にら)みを利(き)かせる威力というものが相当に備わっている。まだ、手を下して、人を懲(こら)したということはないけれども、まかり間違って、この入道の怒りを買った日には、なんだか底の知れないような刑罰が下りそうだ。刑罰というよりも、復讐が行われそうだというような凄味がドコかにあると見えて、これが人を威圧、というよりも、圧迫、或いは脅迫する圧力がある。そういうわけで、ニヤリニヤリと脂下(やにさが)る好人物としての入道には幾分の親しみもあるが、人を狎(な)れしめない圧迫感もある。それに、ムク犬というものが、お松の命令と意志を分身のようによく守る。曾(かつ)て敵視した七兵衛に向っても、牙を向けるというような気色が衰えました。
 お松は、駒井の不在中の官房をあずかること、その在舎中と変りはありません。田山白雲は、白雲の去来するように、自由な行動を許すよりほかはない。そこで、駒井は、もはや留守には何の心配もなく、外出が自由であります。
 駒井は東南の海岸線から跋渉をはじめました。今日は、この海岸線を行き得られるだけ行き、内側方面の踏査は、いずれ相当の人数を伴うて、測量式に行う時があるべしとして、今日はまず海岸の瀬踏みのようなものです。
 行くことおよそ二里と覚しい頃に、この島が予想したよりは奥行のある島だということに気がつきました。二里にして行手に一つの岩山を認めます。海岸に沿って北に走り、この島の分水嶺というほどではないが、テーブルランドを成しているらしいという地勢に駒井が興味を持ち、あの最も高い地点に立つと、他のどこよりも展望の自由が利くことを認め、そこで望遠鏡をほしいままにしようと思いついて、それに向って行くこと約半里、いたりついて見ると、予想ほどに高くはなく、高いと思って来て見たところに、凸凹があって、最高地点を求めている間に、また勾配が均(なら)されてしまう、その間に一つの入江がある、入江ではない、相当の湾入があって、自分たちの着いた海を北湾入とすれば、これは東湾入ともいうべき形勢であって、駒井甚三郎は、この地勢を見ると、どうやら人間臭いと思わないわけにはゆきません。
 そこで、駒井甚三郎は望遠鏡を取り上げて、上下四方をほしいままに見てみました。それから湾入の海岸線には特に心をとめて望見したけれど、人臭いという感触のほかに、現に人が住んでいるという形跡は更に認められないのです。しかしながら、この島に船がかりを求める人があるとすれば、自分たちのついた湾入か、そうでなければ、この地点を選ぶに相違ないと思わないわけにはゆきません。
 一応、望遠鏡の力によって、観察をほしいままにした後、駒井は清八を促して、その湾入の海岸へと下って行きました。すでに海岸に立って、駒井は、いよいよ以て人臭いという感じを禁ずることができないのです。どうも、人が住んでいる、現に住んでいなければ、遠からぬ昔に人が住んでいたに相違ない。住んでいたといえば土人か。土人ならば、相当部落を成して住んでいるに相違ないが、その形跡はない。僅かの小舟でここに漂着したとか、或いは、やや沖合で船の難破に遭(あ)い、そのうちの幾人かがこの辺に泳ぎついて、ここで暫く生活をしていた、といったような思いがするのです。太古以来、人間の息のかからぬ地点と、一度でも人間が通過した土地とは、痕跡は消しても、空気が残る。駒井甚三郎は直覚的に、それを感じている時に、清八が突然、
「船長様、熊がおりますぜ、熊が――」

         四十九

 駒井が、人間臭を感じていた時に、清八は異様な動物を認めました。
 熊が――と言ったのは、果して、日本人が認める熊であるか、何物であるかを確認したのではなく、何かの動物を、この男が見出したものですから、一概に、「熊が――」と呼んでみたのだ。駒井は直ちに否定しました。熊のいるべき風土ではないということを、反応的に受取ったから、熊が、ということは信じなかったけれども、この男が、たしかになんらかの動物を発見したという信用は失うことがありません。
「あ、熊が、あそこの岩かげから、コソコソと出て、また隠れてしまいました、御用心なさいませ」
 駒井の手にせる鉄砲を目八分に見て、報告と警戒とを加える。駒井は、その言うところを否定もせず、肯定もせずに、
「では、行って見よう」
 その方面に向って自分が先に立ちました。
「人間だよ、熊ではない」
「人がおりますか、人間が、土人でございますか、土人」
 熊であるよりも、人という方がかえって無気味なる感じです。土人、と繰返したのは、土人の中には人を食う種族がある、鬼に近い人種がいる、或いは鬼よりも獰猛(どうもう)な人類がいることが、空想的な頭にあるものですから、兇暴なる土人の襲撃の怖るべきことは猛獣以上である。猛獣は嚇(おど)しさえすれば、人間を積極的に襲うことはまずないと見られるが、土人ときては、若干の数があって、何をするかわからない。
「見給え、あそこに小舟がある」
「舟でございますか、ははあ、なるほど」
 それは小舟です。しかもその小舟が、半分ほど砂にうずもれながら波に洗われつつある。最初は岩の突出かと思いましたが、なるほど、舟だ、その舟も、どうやらバッテイラ形で、土人の用うるような刳舟(くりぶね)でないことを、かすかに認めると安心しました。
 この捨小舟(すておぶね)をめざして急いでみると、それから程遠からぬ小さな池の傍の低地に小屋を営んで、その小屋の前に人間が一人、真向きに太陽の光を浴びて本を読んでいる。黒い洋服をいっぱいに着込んでいるから、それで最初に清八が熊と認めたそれなのでしょう。こちらが驚いたほどに先方が驚かないのです。駒井主従が近寄って来ても、あえて驚異の挙動も示さず、出て迎えようともしないし、来ることを怖れようともしていないのが、少し勝手がおかしいとは思いながらも、危険性は少しも予想されないから、そのまま近づいて見ると、先方は鬚(ひげ)だらけの面をこっちに向けて、じっと見つめていることは確かだが、さて、なんらの敵意もなければ、害心も認められない。
 いよいよ近づいて見ると、原始に近い姿をしているが、その実、甚(はなは)だ開けた国の漂流者と見える。駒井がまず、英語を以て挨拶を試みてみました、
「お早う」
 先方がまた同じような返事、
「お早う」
 駒井の英語が、本土の英語でないように、先方の発音もまた借りの発音らしいから、英語を操るには操るが、英語の国民ではないという認識が直ちに駒井の胸にありました。
 けれども、英語を話す以上は、その国籍はともあれ、時代に於ては開明の人であり、或いは開明の空気に触れたことのある人でないということはありません。英国は海賊国なりとの外定義はあるにしても、その個人としては、直接に人を取って食う土人でないことは確定と思うから、ここで三個の人間が落合って、平和な挨拶を交し、これからが駒井とこの異人氏との極めて平和なる問答になるのです。

         五十

 駒井甚三郎は、まず、初発音に於て、この異人氏が英語は話すけれども英人でないことを知り、話してみると、この土地に孤島生活をしているけれども漂流人ではないということも知りました。誰も予想する如く、船が難破したために、この島へ漂いついて、心ならずも原始生活に慣らされている、早く言えば、ロビンソン漂流記の二の舞、三の舞である、とは一見、誰もそのように信ずるところだが、少し話してみると、やむことを得ざる漂流者ではなくて、自ら好んで単身この島へ渡って来て、また好んでこういう原始生活を営んでいる生活者であるということを、駒井甚三郎が知りました。
 これが駒井にとって、一つの興味でもあり、好奇心を刺戟すると共に、研究心をも刺戟して、これに会話の興を求めると共に、この異風の生活の白人を研究してみなければ置かぬ気持にもさせたのです。今日の開明生活を抛(なげう)って、何しに斯様(かよう)な野蛮生活に復帰したがっているか、それも、やむを得ずしてしかせしめられているなら格別、好んでこういう生活に入り、しかも、一時の好奇ではなく、もはや、あの小舟が朽ち果てる以前から来ており、今後、この島にこの生活のままで生涯をうずめる覚悟ということが、驚異でなければなりません。
 駒井甚三郎と異人氏の、覚束(おぼつか)ないなりの英語のやりとりで、しかも、相当要領を得たところの知識は、だいたい次のようなものでありました。
 この白人は、果して英国人ではない、本人は、しかと郷貫(きょうかん)を名乗らないけれども、フランス人ではないかと駒井が推定をしたこと。
 年齢は、こういう生活をしているから、一見しては老人の如くに見ゆるが、実はまだ三十代の若さであること。
 学問の豊かなことは、ちょっと叩いてみても、駒井をして瞠目(どうもく)せしむるものが存在していたということ。
 そこで、つまりこの青年は、三十代と見ればまだ青年といってもよかろう、一見したのでは五十にも六十にも見えるが――この青年は、何か特別の学問か、思想かに偏することがあって、その周囲の文明を厭(いと)うて、そうして、わざとこの孤島を選んで移り住んでいる者に相違ないということが、はっきりと判断がつきました。
 そういう類例は、むしろ東洋に於ても珍しいことはない。日本に於ても各時代時代に存在する特殊の性格である。こういう隠者生活というものは、東洋がその本家であるかと見ると、西洋にもあるのだ。いわゆる文明国にも、現にこういう人が存在する、ということを駒井がさとりました。
 異人氏の方でもまた、この珍客が、教養ある異邦人で、自分の思想生活を紊(みだ)す者でないことがわかったらしい。特に興味を以て、駒井との会話を辞さないようです。
 そこで、駒井甚三郎は、清八をして持参の弁当を取り出させ、その小屋の庭前の自然木の卓子(テーブル)の上に並べさせ、そのうち好むものを、異人氏にも勧め、且つ食い、且つ談ずるの機会に我を忘れ、また今日の任務をも忘れんとします。
 ここに於て、駒井はこの島に、自分たちよりも先住者が少なくも一人はいたことを知り、島の面積、風土のなお知らざるところをも聞き知り、もはや、これ以上には人類は住んでいないことなどをも知りましたが、個人として、この異人氏の身辺経歴等を知りたいとつとめたが、容易にそれを語りません。
「あなたは、この島に猟に来たのですか」
と異人氏がたずねるものですから、駒井が、
「いいえ、猟に来たのではないのです、あなたと御同様に、この島へ永住に来たのです」
「エ?」
と言って、異人氏がその沈んだ眼をクルクルとさせ、
「永く、この島にお住まいになるのですか」
「そのつもりで、仲間を引きつれて来て、これから三里先に開墾を始めています、以後、おたがいに往来して、お心安く願いたいものです、これを御縁に、たびたび、わたくしも、こちらをお訪ねしたい、どうぞ、我々の方も訪ねていただきたい」
 駒井がこう言いますと、異人氏は感謝するかと思いの外、みるみる失望の色が現われて、
「そうですか、あなた方二人だけではないのですか」
「二十余人の同勢で来ています」
「男ばかりですか」
「女もおりますよ」
「そうですか」
と言った異人氏には、失望のほかに、不快な色さえ現われて、それからは駒井の問いにはかばかしい返事をしませんでしたが、急に立ち上って、
「わたくし、あの小舟を修繕しなければなりません」
 つと立って行ってしまったものだから、駒井も引留めようがありませんでした。
 ぜひなく、清八と二人だけで食事を済まし、しばらく待ってみたが、容易に再び姿を現わしません。立って四方をさがしてみたけれども、どうもその当座の行方がわからない。ぜひなく二人はそのままに取りかたづけて、ここを出て前進にかかりましたが、途中、心にかけたけれども、この異人氏の姿が再び眼に触れるということはありませんでした。
 駒井は、それを本意なく思ったが、なんにしても、最初のうちは極めて好意を以て会話に答えた異人氏が、終り頃、急に失望不快の色を現わしたことと、そのまま席を立って、再び姿を見せなかったことに、何か、感情の相違があるものだとみないわけにはゆきません。では明日改めて、単身、ここまで出向いて来て、この遺憾(いかん)の部分の埋合せをしようと思い定めました。その日は、その程度の観察、往復の途中、地質と植物の標本を集めたくらいのところで、開墾地へ立帰りました。
 お松に向って、その日のあらましを物語り、明日はひとつあの異人氏の訪問を主目的として、また出かけてみるつもりだということを物語ります。
 七兵衛の報告を聞いて、開墾事業が着々として進んでいることを知り、多くの希望と愉快のうちにその夜を眠ります。

         五十一

 その翌日、駒井甚三郎は、三里の道を遠しとせずして、今日はたった一人で、昨日来た異人氏の草庵を訪ねてやって来ました。
 来て見ると、その有様、昨日に異ならず、戸は別に塞(ふさ)いでもないが、人はありません。二度、三度、呼びかけてみたが返答もありません。その様子では、昨日立って行ったままに、立戻らないようにも見えるが、いったん戻って、また出かけたものとも察せられる。
 あけ放された室内へ、駒井が入り込んで見廻すと、数多くの書籍がある。卓の上には、書きさした紙片が堆(うずたか)く散乱している。駒井は一わたり書棚の書物を検閲したが、英語と覚しいものは極めて乏しい。一二冊をとって披(ひら)いて見ると、文字は横には印刷されているが読めない――
 そこで、駒井はまた一旦、室外へ出て待ってみたが、到底埒(らち)が明かないと見て、ともかくも近いところを歩いてみようと、小径をそぞろ歩きすると、まもなく海岸へ出ました。海岸へ出て見ると、何のことに、探索に苦心するまでのことはなかった、つい眼のさきに、尋ねる人がいるのです。海岸へ乗捨てられた小舟をコツコツと修理していたのは、昨日見た異人氏以外の人でありようはない。
 そうだ、昨日も立ち上りざま、舟を修理をしなければならないと言って出た。最初から、こっちを探せば何のことはなかったものをと、駒井はその心構えで、ツカツカと近寄って来て、
「昨日は失礼――また尋ねて来ました」
「はい」
「舟をなおすのですか」
「はい、舟を修繕しています」
「だいぶ古くなっていますね」
「なにしろ、三年前に乗捨てた舟ですからね。もう二度使おうとは思わなかったですが、また手入れをしなければならないです」
「新たに漁でもおはじめなさるのですか」
「いや、漁ではありません、沖へ出なくても魚は捕れます」
「では、急に何の必要あって」
「海へ乗り出すのです、新たなる征服者が来たから、先住民族は逃げ出さなければならないです」
「待って下さいよ、新たなる征服者というのは我々のことですか、先住民族というのは君のことですか」
「そうです、あなた方は侵入者であり、征服者であります、新たなる征服者が来た時は、先住民族は逃げなければなりません、逃げなければ血を流します」
「これは奇怪なお説です、誰が君を殺すと言いましたか、誰が君の血を見たいと言いましたか」
「当然です、誰も言わないが、それが移住者の約束です」
「そういう約束をした覚えもない」
「人間同士の約束ではない、天則です、でなければ歴史です、人類相愛せよということは、猶太(ユダヤ)の大工さんの子だけが絶叫する一つの高尚なる音楽ですね、相闘え、相殺せ、征伐せよ、異民族を駆逐せよ、しからずばこれを殲滅(せんめつ)せよ――これは、歴史だから如何(いかん)とも致し難い、そこで、わたくしは殺されないさきに逃げます」
「驚くべき誤解ですねえ、我々も、まず平和と自由とを求めて、この地に来たのですよ、歴史の侵略者とは違います、海賊ではありません、紳士です」
「歴史の原則の前には、海賊も紳士もないです、あなた方は、平和を求めるつもりでこの島へ来ても、それがために、わたくしの平和が奪われます」
「奪いません、おたがいに和衷協同して、相護って行き得られるはずです」
「そんなことができるものか、現に、わたくしの平和が、こんなに乱されていることが論よりの証拠――やがて、わたくしが殺される運命は必然です」
「左様な独断に対しては、もはや議論の限りではない、ただ、東洋人ということが、野蛮と好戦の代名詞のように心得ている君等白人の謬見(びゅうけん)からただしてかからなければならんのだが、それには相当の時間を要する、少なくともその理解の届くまで、君の出発を延期してはどうだ、果して、君が憂うるところの如く、我々は君を殺さずには置かぬ人類であるか、或いは存外、君と平和に交り得る人種であるか、その辺の見当がつくまで、出発を保留して置いてはどうか、そうして、いよいよ危険と結論が出来たその時でも、立退きは遅くはあるまい、その担保として――これをひとつ君に預けて置こうじゃないか、これは我輩の唯一の護身武器だ、安全の保証だ」
と言って駒井甚三郎は、肩にかけていた鉄砲を取って、彼の前に提出し、同時にその帯革の弾薬莢(だんやっきょう)を取外しにかかると、
「いや、違います、違います、あなたの観察が違います、わたくしは、あなた方を怖れるのではないです、歴史を怖れるのです、東洋の人を、野蛮だの、好戦だのと軽蔑するほど、西洋の人は文明を持ってはおりません、大きな宗教、大きな哲学、大きな科学、みな東洋から出ました、今、西洋だけが文明開化のように見えるのは、それは表面だけです、西洋の文明開化は短い間の虹です、やがて亡びますよ、わたくしは、欧羅巴(ヨーロッパ)に生れたけれど、欧羅巴が嫌いです、それで、国々を廻ってこの島へ来たです、が、これから、ここを逃げ出して、またどこか自分のくらしいい土地を求めて行きます」


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