大菩薩峠
是非お友達にも!
■暇つぶし何某■

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著者名:中里介山 

         一

 今日の小春日和、山科の光仙林から、逆(ぎゃく)三位一体(さんみいったい)が宇治醍醐(だいご)の方に向って、わたましがありました。逆三位一体とは何ぞ。
 信仰と、正義と、懐疑とが、袖をつらねて行くことであります。本来は、まず懐疑があって、次に正義が見出され、最後に信仰に到達するというのが順序でありますけれども、ここではそれが逆になって、懐疑が本体になって、正義と信仰とが脇侍(わきじ)であり、もしくは従者の地位しか与えられていない、というところが逆三位一体と、かりに名づけたもので、三つ一緒に歩いているから三位の観を呈するまでのこと、内心に於ては必ずしも一体でなく、また一体ならんと予期してもいない。
 信仰がまず正義を呼んで言いました、
「ねえ、友さん、しっかりしなくっちゃいけないよ」
「うん」
 ここで、まず、信仰と正義との受け渡しがありました。
 女がまず口を開いて、男がこれに応じたこと古事記の本文と変りはありません。だが、ここでは巻直しにならないで、女の方があくまで押しが強い。
「お前という人は、正直は正直なんだが、信心ごころというものがありません、人間、正直はいいけれども、正直ばかりじゃ世に立てないよ、信心だね、人間のことは神様仏様がお見通しなんだから、神様仏様を御信心をして、それからの話なんですよ、今日はお前、お嬢様が御信心ごころでおいでになるんだから」
 ここまで教訓した信仰の鼓吹者は別人ならず、江戸の両国の女軽業(おんなかるわざ)の親方、お角さんなのです。お角さんはあれで信心者だから、仮りに三位一体の信仰の一柱(ひとはしら)に見立ててみたたまでのことで、その神妙な指令の受方(うけかた)になっているのが即ち宇治山田の米友なのであります。
 宇治山田の米友は正義の権化(ごんげ)です。そこで、これを三位一体の一柱と見立てたが、信仰の申渡しに反対して、正義はあえて主張を試みないでいると、懐疑が代っておもむろに、それをあしらいかけました。
「わたしは信心者ではありません」
とまず、おごそかに否定をしたのは、逆三位の本体たる懐疑者の声明としては至当の声明であります。
「わたしは、神様も仏様も信じません、では何を信ずるかと言えば、まあ自分を信ずるというほかはないでしょう、だが、その自分も信じきれないのでね、何を信じていいかわからないんですよ」
 覆面をして、背たけのすらりとした美人、姿だけを見て言う、お銀様です。否定された信仰者はあえて動揺もしないで、直々に受取って、
「わからないでする信心が本当の信心で、わかってする信心は本当の信心じゃないって、伝道師さんがおっしゃいました」
「そんなことがあるものですか」
 信仰者が、逆らわずに補綴(ほてい)を加えようとするのを、懐疑者は立ちどころにハネ飛ばして、
「そんなばかなことがあるものですか、わからないで何の信心ができますか、物の道理がわかって、はじめて信心をする気になるのでしょう、わからないものを信ぜよと言って、信ずることができますか」
「いいえ、お嬢様、そこのところが……そこのところが、その何なんです……」
 何か相当の拠(よ)りどころはあるらしいが、口に上せてはっきりと補うことができない、そこに信仰者の悶(もだ)えがありました。ハネ飛ばされてもしょげもしないし、反撥もしないところに、信仰に於ける相当の自信があることはあると受取れるのですが、さて、立ちどころにその反撥に応酬して、相手を取って押えるだけの論鋒が見出せない、その悶えをかえって懐疑者が補ってやるという逆三位。
「いいんですよ、親方のは親方のでいいんですよ、お前さんは信心者なんだから、それでいいのよ、鰯(いわし)の頭も信心から、って言うでしょう、それは軽蔑して言うんじゃありませんよ、鰯の頭をでさえ信じきれる人が結局エライんです、鰯の頭をでさえ信じ得られる人が、人間を信じなくてどうするものですか、人間を信じ得られる人は、神をも、仏をも、信じ得られる人なんです、それは幸福です、偉大でさえあるんです、ところが、わたしときた日には何ものをも信じ得られません、悲惨ですね」
 ここに至って、女軽業の親方はグウの音が出ませんでした。相手から逆十字がらみに抑え込まれたのですから、抗弁の仕様もなく、さりとて納得しきるには頭が足りない。こうして女軽業の親方は、いつもこの暴女王ばっかりが苦手(にがて)なのです。
 なるほど、お角さんという人は、信心者は信心者に相違ないけれども、その信心たるや、あまりに広汎にして色盲に近く、その祈念たるや、あまりに現実的にして取引に近いだけのものです。それは熱田神宮へ参詣して、そっと茶店の女中に耳打ちして、「この神様は何にきく神様なの」とたずねて女中を面喰わしたことでもわかります。ドコの荒神様(こうじんさま)を信心すれば金談がまとまるとか、ドコの聖天様(しょうてんさま)は縁結びにあらたかだということは、江戸府内ならば大抵は暗記していて、おのおのその時と事件に合わせることを心得ての信心ですから、いわば神仏に信心を捧げて置いて、それからお釣を取ろうという信心なのです。そうかといって、その信心を捧げた神様仏様がお釣をくれないからと言って、それを怨(うら)むようなことは微塵(みじん)もなく、それはちょうどこの時分に、神様が御不在であったり、さらずば自分の信心の仕方に足りないところがある。己(おの)れの信心の誠意は自ら疑うことはないが、その作法に何ぞ神様仏様のお気に召さないことがあって、それでお聞入れにならないから信心が届かない、こう信じているのだからかえって己れを直(なお)くすというわけで、この点では、やはり功利以上に超越した信心者の名を許して、さしつかえがないと言わなければなりません。

         二

 かくて、この三位一体は、山科から醍醐(だいご)への道を、小春日をいっぱいに浴びて、悠々閑々(ゆうゆうかんかん)と下るのであります。道は勾配(こうばい)になっているわけではないが、さながら満帆の春風を負うて、長江に柔艫(じゅうろ)をやるような気分の下に、醍醐へ下るのであります。
 お角さんは、称して、お嬢様は御信心のために醍醐へいらっしゃるのだと言う。御当人は、それを排して、わたしが醍醐へ行くのは信心のためではありませんと言いきったが、それでは信仰以外の何の目的を以て行くのか、それは言いません。さりとて、今はその時でないから、醍醐までお花見と言ってもそれは成り立ちません。単純に散歩の気分ならば、なにも特に醍醐を指定する理由もなかろうと思われるけれども、それを問いただすことをしないのが、お角さんの気象でもあり、信心者の大らかさでもあり、且つまた、この暴女王をあしらいの勘所(かんどころ)でもあると思いますから、お角はあえてそれ以上には押すことなく、また押すべき必要もないと口をつぐみます。
 しかし、本来を言えば、お嬢様の醍醐をたずねる目的は、三宝院の庭と絵とを見んがためでありました。
 それをそそのかしたのは不破の関守氏でありまして、関守氏は、つい昨晩、お銀様に向って、こんなことを言いました――
「醍醐の三宝院へ参詣してごらんなさいませ、あそこの庭が名作でございます、しかし、庭よりもなお、その道の人を驚かすのは、国宝の絵画彫刻でございまして、その絵画の数々あるうちに、ことに異彩を極めたのは大元帥明王(だいげんみょうおう)の大画像でございます、大元帥(だいげんすい)と書きましても、帥の字は読まず、ただ大元明王と訓(よ)むのが宗教の方の作法でございますが、あの大画像は、いつの頃、何者によって描かれたものか存じませんが、いずれは一千年以前のものでございましょう、幅面の広大なること、図柄の奇抜なること、彩色のけんらんなること、いずれも眼を驚かさぬはありません。但し、眼を驚かすために描かれたのではなく、密教の秘法を修する一大要具として描かれたものに相違ございませんが、絵そのものが、たしかに素人(しろうと)をも玄人(くろうと)をも驚かさずには置きません、実にめざましいグロテスクを描いたものです。大元帥明王――そのいかにグロテスクであるかは一見しないものにはわかりません、宗教的にはなかなか以て神秘幽玄なる見方もあるに相違ございませんが、これを単に芸術的に見てですな、芸術的に見て、実に筆致と言い、墨色と言い、彩色といい、全体の表現と言い、すばらしいものです。ことにその彩色が――彩色のうち、人目を奪う紅(あか)と朱(しゅ)の色が大したものです。なにしろ千年以上の作というにかかわらず、朱の色が、昨日硯(けん)を発したばかりの色なんです、今時の代用安絵具とは違います、絵かきが垂涎(すいえん)しておりますよ、こんな朱が欲しいものだ、ドコカラ来た、舶来? 国産? いかなる費用と労力をかけても、それを取寄せてつかってみたいとの心願を致しますけれど、あんな朱はドコで求めることもできません、科学者は研究をはじめましたが、今以て、その原料が何物であるかわからんそうです、動物質か、植物質かさえもわからないのだというのですから――つまり、千年の昔に悠々として使いこなした顔料を、千年後の今日の科学で解釈がつかないというんですから、現代の科学も底の知れたものです。あれはぜひ一見の必要がありますな」
 こう言って説き立てたものですから、お銀様が、その明日という日に、この通り醍醐詣でとなった始末であります。随行に選ばれたのはお角と米友、これは不破の関守氏の当然の見立てでもあり、本人たちも納得したところであります。
 山科から醍醐までは下り易(やす)い道です、歩き易い距離でした。道は平坦(へいたん)だが、前に言う通り、流れに棹(さお)さして下る底の道であります。ほどなく、逆三位一体は、醍醐三宝院の門前に着きました。

         三

 お銀様とお角さんが三宝院のお庭拝見をしている間、米友は門前の石橋の欄(てすり)に腰打ちかけて休んでおりました。そこへ、六地蔵の方から突然に、けったいな男が現われて、
「兄(あに)い、洛北の岩倉村に大賭場(おおとば)があるんだが、ひとつ、かついで行かねえか、いい銭になるぜ」
と、いったい、藪(やぶ)から棒に、誰に向って、こんなことを言いかけたのか、米友としても、ちょっと途方に暮れて、忙がわしく前後左右を見渡したけれども、自分のほかに手持無沙汰(てもちぶさた)でいる人っ子はないから、多分、このおいらという奴を目にかけて呼びかけたんだろうが、それにしちゃあ、人を見損ってるぜ。
「兄い、どうだ、行く気ぁねえか、いい銭になるぜ、洛北の岩倉村に前代未聞(ぜんでえみもん)の大賭場があるんだから行かねえか」
 同じようなことを繰返して、今度は、ひたと自分の眼の前へ足を踏みつけて突立ち止っての直接談判(じかだんぱん)だから、もう思案の問題ではありません。
「おあいにくさまだよ」
と米友が言いました。
「おあいにくさま、いやはや」
と、けったいな男は苦笑いをしたが、それで思い止まるとは見えない、ニヤリニヤリと笑いながら、米友の前におっかぶさるような姿勢になって、
「そんなお愛嬌(あいきょう)のねえことを言わねえもんだ、やびなよ、やびなよ」
「やばねえよ」
「やびなよ」
「やばねえてばなあ、しつこい野郎だなあ」
 ここで、やべとやばぬの押問答になりましたが、やべというのは「歩め」或いは「歩べ」という急調な訛(なまり)でありまして、ところにより、俗によって使用されるが、必ずしもこの辺の方言とは思われない。ただ、やびなよ、やびなよ、と言うのは、先方の希望であり、懇願でなければならないし、やぶと、やばぬとは、こっちの勝手であり、権能でありますから、断じてそれを強要すべきではありません。しかるに、このけったいな男は、懇願と強要との区別がつかないらしいから、米友は改めて、このけったいな男の面(かお)を見上げてうんと睨(にら)みつけたが、そのとき気がつくと、このけったいな男は、肩にしこたま背負いものを背負っている。袋入りの米ならば五升も入りそうなのに、米ではなくて米より重いもの、袋の角の突っぱりでもわかる、この中には銭という人気物がしこたまつめてある。そこで、米友も、このけったいのけったいなる所以(ゆえん)を覚らないほどのぼんくらではない。よくある手だと見て取ったのは、渡る世間によくあるやつで、つまり、ばくち打ちの三下(さんした)、相撲で言えば関取のふんどしをかつぐといったやからと同格で、貸元のテラ銭運搬がかりというものがある、そいつだな、そいつが、どうも己(おの)れの責任が重くてやりきれねえ、そこで路傍のしかるべきルンペン子を召集して、自分の下請をさせることはよくある手である。今、おれをその下請のルンペンに見立てやがったのだ、ということを米友が覚ったから一喝(いっかつ)しました。米友から一喝されても、その野郎はなおひるまず、
「二貫やるぜ、二貫――洛北の岩倉村まで二貫はいい日当だろう」
「お気の毒だがな、おいらあ主人持ちだ、こうして、ここで、ひとりぽっちで、つまらねえ面(かお)をしているようなもんだが、職にあぶれてこうしてるわけじゃねえんだぜ、頼まれておともを仰せつかって、御主人がこの寺の中へ入っている、おいらはここで待ってるんだ、だから、誰に何と言って頼まれたからって、御主人をおっぽり出して銭儲(ぜにもう)けをするわけにゃあいかねえ」
 米友として、珍しく理解を言って、おだやかに断わりました。
 これほどまでに理解を言って聞かせたら、いかにしつっこい野郎とても、そのうえ強(し)いることはあるまいと思っていると、そのけったいな男が、突然きょろきょろと四方(あたり)を見廻して、落着かないこと夥(おびただ)しい。今まで米友を見かけて口説(くど)いていた眼と口とが、忙がわしく前方へ活動をして、面の色さしまで変ったのは挙動が甚(はなは)だ不審です。米友も解(げ)せないと思って、その男の落着かなくなる目標の方を見やると、笠をかぶった二三人連れの人がこちらを向いて、徐々に歩んで来るのです。距離としてはまだ一丁の上もあるから、親の敵(かたき)にしたところで、そう今から狼狽するには及ぶまいと思われるのですが、この男の体勢はいよいよ崩れて、ほとんど腰の据えどころがありません。
 先方の動静を見ると、この男を狼狽せしむるような、なんらの体勢を示しているのではない。いわば先方は、こちらに、けったい在(あ)ることも、グロ在ることも一向知らず、平常の足どりで歩んで来るのですが、その姿形だけを見て、このけったいをして身の置きどころなきを感ぜしめるほどの権威が、先方に備わっていると見なければなりません。つまり、あれは十手取縄をあずかるお役人なんだ。その途端、何と思ったか、けったいな野郎は、背中のしこたま重い銭袋を、米友の頭から投げつけて置いて、自分は一散飛びに飛んで横丁の竹藪(たけやぶ)の中へ飛び込んでしまいました。
「危ねえ――」
と叫んだのは、けったいな野郎でなく、米友の声でありました。

         四

「危ねえ――」
 これは米友が叫びました。全くあぶないのです、五升袋へ詰めた銭を、まともに頭からブッつけられた日には、たいていの面はつぶれてしまう。米友なればこそ体(たい)をかわして、銭の袋は後ろへ外したけれど、余人ならば相当の怪我です。だが、出来事は、それっきりの単純なものでありました。
 目標の笠は、ほどなく米友の前へ、ずっしずっしと通りかかりましたけれど、何の騒がぬ面色、足どりで、そのうちの一人が、チラと米友を横目に見ただけで、その前を素通りしてしまったのですから、けったいとも言わず、薬袋(やくたい)とも言わず、何事もなく素通りをしてしまったのですが、その一行は山科方面から来たには来たが、六地蔵の方へ向けて行くかと思うとそうでなく、米友の眼の前を素通りして、すぐに鍵の手に曲ったのは、三位一体の二体がすでに入門したと同じく、三宝院の門に向うのでありました。
 宇治山田の米友は、しばしそれを見送っていたが、二三子の姿は三宝院の境内(けいだい)に消えても、竹藪に飛び込んだ、けったいな野郎は容易に二度と姿を見せません。
 時が経つうちに、米友もようやく退屈を感じ出してきました。退屈を感じはじめると、この男は生来短気なのです。短気が癇癪(かんしゃく)を呼び出して来るのが持前なのですが、ようやく少し焦(じ)れ出すと共に、後ろ捨身に投げられた銭金袋に目がつかないわけにはゆきません。これが米友でなかった日には、何事を措いても、このしこたまのテラ銭が気になってたまらないはずなのですが、今になって、ようやく草むらの中に、かっぱと伏している袋に気がついたのは、無慾は感心としても、この男の神経としては鈍感に過ぎる。
「やっけえなものを置いて行きやがったな」
 試みに、草むらの中へ分け入って、その袋に諸手(もろて)をかけてみました。重い。幸いにしてこの男は稀代の怪力を持っている。
 かくて、この金袋を抱き起してみたが、さてこれからの処分法が問題です。
 実は問題でもなんでもありようはずはない。およそ、盗難や遺失物は交番へ届けさえすれば、それで済むことなのです。当時まだ交番が出来ていない、出来ているとしても、その近所にないというならば、これに代る一時の手段はいくらもあるべきはずなのです。これを米友が、重大なる問題かの如く悩み出すのも、この男に限って、交番へ届けるという簡単な手続を、極めておっくうがる理由があるようであります。
 届ける分には何もおっくうはないが、届けた後には必ず住所姓名を問われるにきまっている、その住所姓名を問われるということが、今日のこの男にとっては苦手なのです。
 彼は、自分で自分を隠さなければならぬ不正直さはどこにも持っていない。また自分で自分を韜晦(とうかい)せねばならぬほどの経国の器量を備えているというわけではない。それなのに、天地の間(かん)に暗いことのない精神を持ちながら、天地を狭められたり、行動を緊縛されたりするというのは、何のわけだか、自分で自分がわからない。ただその度毎に蒙(こうむ)る不便、不快、不満というものは、いかばかりか、ややもすれば生命の危機に追い込まれることも今日まで幾度ぞ。
 そうかといって、一身の危険を回避せんがために、公道の蹂躙(じゅうりん)を敢えてしてはならない。正義の名分をあやまらしめてはならない。届け出て、住所氏名を問われるが、いかに個人的に不利、不益、不快、不満であっても、遺失物に対して相当の責任を取るべきことは、免れ難き人間の義務である。
 かくて、五升袋の銭塊を前にして、米友が、とつおいつと思案に暮れました。

         五

 宇治山田の米友が、門前に於て、かくばかり当惑している時に、お銀様とお角さんとは、三宝院のお庭拝見をしておりました。
 二人の東道役(とうどうやく)をつとめるのが、院に子飼いと覚しい一人の小坊主でありましたが、最初からこの坊主に気を引かれたのは、女軽業の親方だけではありません、お銀様でさえが、玄関に現われたその瞬間から、ハッとした思いです。
 というのは、この小坊主が、別人ならぬ宇治山田の米友に生きうつしなのです。違うところは、米友よりも年まわりが一まわりも違うかと思われるほどの幼年ですから、背丈も、本来高くもあらぬあの男をまた一けた低くしたようなもので、これが友しゅうの弟でなかったら、世に米友の弟はないと思われるばかりです。
 そこで、お銀様とお角さんが、思わず眼と眼を見合わせてうなずいたのは、二人ともに、ぴったりと観るところが一致したので――これは一致しないわけにはゆきません、一致もこの程度になると、□啄同時(そったくどうじ)のようなもので、言句を言わないで眼だけでよくわかる。
「よく肖(に)ていますねえ」
「よく肖ているわねえ」
 言語に発して、しかして後、呼吸を合わせる程度のものではなかったのです。昭和現代の支那事変のつい近ごろ、日本で、ある映画会社がフィルムに製造すべく、かの憎むべき蒋介石(しょうかいせき)のモデルを、一般に向って募集したことがありましたそうです。そうすると、四国かドコかの山中から現われた一人の応募者があったそうです。テストに現われた係員が、まず呆気(あっけ)に取られたのは、この応募者が、蒋介石に肖ていること、肖ていること、そっくりそのまま以上、本人よりもよく肖ていたそうです。斯様(かよう)にして求めさえすれば、日本の中にさえ蒋介石よりも蒋介石によく似たという人間も現われるものなのでありますが、ここでは求めざるに不意に現われたものですから、さすがの暴女王様も、お角親方も、舌頭を坐断されてしまって、うなずき合うよりほかに言語の隙を与えないほどでありました。
 もし、ところがこうしたところでなかったら、お角親方は、啖呵(たんか)を切って叫んだかも知れません――「これは友の舎弟なんですよ、間違いっこはありません、本人よりもよく友に似てるんです、もともとあいつも上方の生れと聞いていました、家もあんまりよくないもんだから、藁(わら)のうちから別れ別れにされて、一匹は関東へ、一匹はこっちへお弟子に貰われたんですよ、友を呼んで見せてやりましょうよ、生別れの兄弟の名乗りをさせてやろうじゃありませんか、ほんとうに当人よりもよく似ていますよ、これがあの男の弟でなかったら、世間に弟というものはありゃしません」
 こう言って、親方まる出しのけたたましい叫び声を立てて、権柄で友を呼び込んで、否も応も言わさず、兄弟名乗りをさせたかも知れません。しかし、ここはところがらですから遠慮をしました。ところがらをわきまえて遠慮のたしなみがあるところが、さすが女親方の取柄で、本来自分が字学が出来ないし、身分に引け目があるところから、場所柄によっては必要以上におびえ込み、謙遜以上に謙遜してしまうことが、この女性の美徳といえば美徳の一つでありますことがまた、ここでけたたましい叫びを立てなかった一つの理由なのであります。
 そこで、二人がうなずき合っただけで、この奇遇的小坊主の案内を受けて、玄関から名刹(めいさつ)の内部の間毎の案内を受けようとする途端、これはまた運命の悪戯(いたずら)! とまでお角さんをおびえさせて、一時(いっとき)、その爪先をたじろがせたほどの奇蹟を見ないわけにはゆきません。
 本人よりもよく米友に肖(に)ているこの小坊主が、先に立って案内に歩き出したところを見ると、どうでしょう、これが跛足(びっこ)なのです。
「まあ、お嬢様!」
と今度は音に立てて、さしもの親方が、オゾケを振って一時立ちすくんだのは無理もありません。暴女王でさえが覆面の間から鋭い眼をして、この小坊主の足許(あしもと)を見定めたほどであります。
 世に遺伝ということはあって、子が親に似ているのは当然中の当然。その子の弟が、兄に似ていることも当然中の当然。親が頭がいいから、子も頭がいいというのも不合理ではない。子の体格のいいのは、親の譲りものというのも無理はないし、悪いのになると、悪疾の遺伝、悪癖の遺伝までも肯定されるが、跛足が遺伝するということは、あまり聞かないことです。
 親が跛足であったから子が跛足、兄貴が跛足だから、弟の跛足に不足はないということは言えないのです。賢愚と、不肖と、性格と、体格には、遺伝があり得るけれども、怪我というものは後天的なものだから、兄貴が負傷して跛足になったからとて、弟まで怪我をして跛足になり得るという遺伝はないのです。
おっちょこちょいと
おっちょこちょいが
夫婦になれば
出来たその子が
また、おっちょこちょい
 これは、ふざけたような口合い唄でありますけれども、また一面の真理たるを失わない。
 おっちょこちょいの倅(せがれ)に、おっちょこちょいが生れるということは有り得ることで、王侯将相豈種(おうこうしょうしょうあにしゅ)あらんやというは、それは歴史上を均(なら)して、幾千億万分の一の特例であって、標準とすべくもありません。百姓の子は百姓になり、大工の子は大工になり、町人の子は町人になることに、わけて階級制度のやかましい日本の国では、滔々(とうとう)たる世間並みのおきてになっているが、跛足(びっこ)の子が跛足であり得ること、兄が跛足なるが故に、弟も跛足という常識はありません。
 腕の喜三郎親分(前の政友会総裁鈴木喜三郎氏のことではない)は、兄貴が喧嘩で片腕を失ったから、おれも両腕があっては面白くねえと言って、自分で自分の片腕を切り落して、兄貴と同格になったという特例はあるが、あれは遊侠のする気負いです。これは運命の悪戯(いたずら)! と、さすがの両女傑が、案内の小坊主を見て一時、立ちすくんだのも無理はありません。

         六

 だが、お角さんとても、驚くべきものは驚きもするけれども、驚いてそうして、度を失うお角さんではありません。直ちに平常心を取戻して、案内役の小坊主を、ちょっと杉戸の蔭に小手招きして、耳うちをしました、
「兄さん、御苦労さま、あのね、わたしのお連れのあのお方はね、少しわけがあって、お怪我をしていらっしゃるんだから、あの通りかぶり物を取りません、ね、それを承知してね」
と言って、その途端に、ふところ紙でおひねりを一つこしらえて、この小坊主に持たせようとしました。
 これは、お角さんとしては常識の手法の一つで、悪い意味ではない一つの軽少なる賄賂(わいろ)、あるいは最も好意ある鼻薬! むしろ儀礼の一つであって、お角さんの社会で普通に行われるのみならず、世界的に公認の闇取引――ではない、計算書にまで公然と記入して来られる、記入して来られた方が来られないよりも、むしろ気持のよい世界的の社交関税、通称を「チップ」と呼ばれるところのものの労力に対する報酬、ある場合には敬意を含めたところの意志表示なのでありましたが、この小坊主は、前のかぶり物御免に対しては相当の黙認を与えたけれども、後者の関税闇取引に対しては、断然それを拒絶して、お角親方の好意を無にしてしまいました。つまり、同行の女性が特殊の事情によって、面(かお)に覆面を施しながら間毎を通過するという特権を黙認したのは、これは一種の同情心がさせるわざなのでありました。儀礼を重んずべき女性として、あえてこの無礼を忍ばなければならない事情というものは、他よりは本人が苦痛とするところでなければならぬ。それを押して行こうという事情には、よくよくのものがなければならぬ。そこに小坊主も暗黙の間の同情心が発揮されたと見えるが、白い紙でこしらえた社交関税は、すげなくお角親方の手から拒絶して、押しつけるその手先をかいくぐるようにして、早くも先に立って、お庭先の舞台の方へ逸出してしまいましたから、さすがの親方も、すっかりテラされてしまいました。ぜひなくお角さんは、せっかくこしらえたおひねりをそのまま帯の間へ突込んでしまって、そのあとを追いましたが、この時、もはや女王様は、廊下舞台の欄干に立って、一心に三宝院のお庭をながめているところであります。
 三宝院の庭は、京都に於ける名庭園の一つであります。いや、日本の国宝の一つとして、世界的に名園の一つであります。音に聞いてはじめて見るお銀様には、大なる興味でなければなりません。名園の名園たる所以(ゆえん)の常識は、お銀様の教養の中には、もうとうに出来ている。お銀様が余念なく、自分の眼と頭によって余念なく名園を観賞し、解釈しているところへ、お角さんの社交的儀礼をすげなく、すり抜けて来た小坊主が、早くもそちらに立って滔々(とうとう)と説明をはじめました――
「これなるは有名なる醍醐の枝垂桜(しだれざくら)、こちらは表寝殿、葵(あおい)の間(ま)、襖の絵は石田幽汀(いしだゆうてい)の筆、次は秋草の間、狩野山楽(かのうさんらく)の筆、あれなる唐門(からもん)は勅使門でございます、扉についた菊桐の御紋章、桃山時代の建物、勅使の間――襖の絵は狩野山楽の筆、竹園に鴛鴦(おしどり)、ソテツの間、上げ舞台、板を上げますと、これが直ちにお能舞台になります、中の間、狩野山楽の草花、柳の間――同じく狩野山楽の筆、四季の柳をかかれてございます、こちらの廊下の扉、この通り雨ざらしになっておりますが、これに松竹の絵のあとが、かすかに残ります、同じく狩野山楽と伝えられておりまする、これから奥寝殿、この屏風(びょうぶ)は、醍醐の百羽烏として有名な長谷川等伯の筆、こちら[#「こちら」は底本では「これら」]が門跡(もんぜき)の間でございます、あの違棚が、世に醍醐棚と申しまして、一本足で支えてございます、その道の人が特に感心を致します、あの茶室がこれも名高い『舟入茶室』松月亭と申します、太閤様がお庭の池の方から舟でこの堀をお通りになって、この茶室へお通いになりました、太閤様お好みの茶室、これは桜屏風、山口雪渓の筆、これからが三宝院の本堂、正面が弥勒仏(みろくぶつ)、右が弘法大師、左が理源大師の御木像でございます、これが枕流亭……
 さてこれからがお庭でございます、このお庭は太閤様御自作のお庭でございます、あれが名高い藤戸石、一名を千石石とも申します、錦の袋に入れて二百人でこれへ運びました、天下一の名石でございます。
 これが琴平石、平忠度(たいらのただのり)の腰掛石、水の流れのような皺(しわ)のあるのがなんか石、蝦蟇(がま)石、あの中島の松が前から見れば兜松(かぶとまつ)、後ろから見れば鎧松(よろいまつ)、兜かけ松、鎧かけ松とも申します、向うの小山の林の中に小さく見えます祠(ほこら)が、豊臣太閤をお祀り致してございます、なぜ、あんな小さく隠してあるかと思いますと、徳川家の天下の御威勢に遠慮をしたのでございます、この名園に一つの欠点がございます、それはあの二つの土橋が同じ方面へ向けてかけてあることが一つの欠点でございます」
 名園の名園たる来歴を一通り説明してのけた上に、その欠点をまで附け加える小坊主の口合いは、そういうことをまで附加せよと教えられているのではなく、案内しているうちに、誰かその道の者があって、立話にこんな批評を加えたのを小耳に留めて置いて、その後の説明の補足に用いているものと思われます。
 この滔々(とうとう)たる説明を、小坊主の口から一気に聞かされたことに於てお銀様とお角さんが、再び眼を見合わせたのは、今度は、弁信法師に似ている、今までは宇治山田の兄いに肖過(にす)ぎるほど肖ていたのが、今度は、あのお喋(しゃべ)り坊主のお株をも奪おうとする、重ね重ね、怖るべき運命の悪戯だと思わないわけにはゆかなかったからでしょう。
 しかし、この点は前ほどに、二人をおびやかすに至らなかったことは、この程度の雄弁は、いわゆる門前の小僧の誰もよくするところで、あえて天才の異常のさせることではないのです。口癖にのみ込ませて置きさえすれば子供でもすることで、ここに行われるのみならず、他のいずれでも行われる。また、素材をとっつかまえて来て、もっと誇張した吹込みをして、世人の好奇心の前へ売り物に出すことは、むしろお角親方の本業とすることだから、こういうのには、さのみおびえるには及ばなかったのです。
 つまり、弁信法師の怖るべき舌堤の洪水は、超絶的の脳髄がさせる、千万人の中の天才の仕業ですが、この小坊主のは、そんな手数のかかるものではない。この場合、またよく似ている、あんまりよく似ている、さきに米友で、あれほど人をおびやかしながら、またもお喋り坊主のお株にまで手をのばそうとする、このこましゃくれが面憎くなったからでありましょう。

         七

 お庭拝見が済むと、お銀様だけが改めて、弥勒堂後壁の間へ案内されました。
 弥勒堂後壁の間というのは、建築が極めて高いだけに、光線の取り方が充分でありませんから、室内はなんとなく暗陰たる色が漂うております。けれども、古風な建築としては、相当光線の取入れには注意がしてあるらしく、明るいところから、急にこの一室へ入ったのですから、その当座こそ視覚の惑乱がありますけれども、落着いてみれば、掛物を見て取るに不足な光線ではありません。見上げるところの正面に、とても広大なる画幅がかかっていて、その周囲には、この脇侍(わきじ)をつとめるらしい一尺さがった画像があるのであります。これらの脇侍の画像とても、その一枚一枚を取外して見れば驚くばかり広大な軸物に相違ないが、正面の大画幅の大きさが、すぐれてすばらしいものですから、脇侍が落ちて見えるのは、ちょうど、奈良の大仏の仁王門の仁王が、それだけを持出せば絶倫の大きさのものなのですが、なにしろ大仏の本尊の盧遮那仏(るしゃなぶつ)が、五丈三尺という日本一の大きさを誇っている、その前ですから、仁王としては無双の仁王が、子供ぐらいにしか見えず、ただ、その芸術の優秀なことに於て前後を睥睨(へいげい)しているのと、案内人が遠慮会釈もなく、「これが有名な東大寺大仏殿の仁王、右が運慶(うんけい)、左が湛慶(たんけい)――」と言って、作ということを言わないから、仁王尊そのものの右が運慶尊、左が湛慶尊になりきって、本体と、作者が、見事に習合せしめられている。識者はそれを笑い、愚者はそれに感歎する。案内者自身はまた、右が運慶尊、左が湛慶尊と信じきって、眼中に信仰と芸術の差別なきところが、お愛嬌のようなものであります。
 そこで、お銀様はじっと立って、この特異の大画を上から下へ、下から上へ、見上げ見おろしてじっと立ちました。
 この怪異なる、人ともつかず魔ともつかぬ大画像は、いったい何を意味しているのか、不幸にしてお銀様にはこれがわかりません。
 ただ見るところは、不動尊以上の不動尊の形相(ぎょうそう)を呈しているが、不動のような赤裸のいつわらざる形体を誇っているのではない、身辺はあらゆる紅紫絢爛たる雑物を以て装飾され、彼の如く、しかく単純に剣と縄との威力を誇示するには止まらない。なるほど、不破の関守氏から予備知識を与えられた、これが三十六臂(ぴ)の形式というものでしょう。一つの形体から三十六の手が出て、それがおのおのの方向に向って、おのおのの武器を持っている。世には千手観音(せんじゅかんのん)という尊像もあるのだから、三十六や七は数に於て問題でないが、その生血の滴る現実感の圧迫にはこたえざるを得ない。
 五体を見ると、逞(たくま)しい黒青色の黒光り、腰には虎豹の皮を巻き、その上に夥(おびただ)しい人間の髑髏(どくろ)を結びつけている。背後は一面の鮮かな火焔で塗りつぶされている。よく見ると、その火焔の中に無数の蛇がいる。おお、蛇ではない、竜だ。夥しい小竜大蛇がうようよと火の中に鎌首をもたげているのみではない、なおよく見ると、あの臂(ひじ)にも、この腕にも、竜と蛇が巻きついている。
 顔面はと見ると、最初は、正面をきった不動明王のようなのばかりが眼についたが、その左右に帝釈天(たいしゃくてん)のような青白い穏かな面(かお)が、かえって物凄い無気味さを以て、三つまで正面首の左右に食(く)っついている。なおよく見ると、その三つの首のいずれもが三眼で、その眼の色がいずれも血のように赤い。その口には、牙をがっきと噛み合わせた大怒形(だいどぎょう)。
 なお、その振りかざした三十六臂のおのおのの持つ得物得物を調べてみると、合掌するもの、輪(りん)をとるもの、槊(さく)を執るもの、索(さく)を執るもの、羅(ら)を握るもの、棒を揮(ふる)うもの、刀を構えるもの、印を結ぶもの、三十六臂三十六般の形を成している。
 再び頭上を見直すと、さきには忿怒瞋恚(ふんぬしんい)の形相のみが眼に入ったが、その頭上は人間的に鬢髪(びんぱつ)が黒く、しかもおごそかな七宝瓔珞(しっぽうようらく)をかけている――
 物に怖(お)じない暴女王の眼も、このまま見上げ見下ろしただけで消化するには混乱しました。その時、お銀様は甲州の家にあった「阿娑縛抄(あさばしょう)」一部を惜しいものだと思い出さないわけにはゆきません。
 甲州の家には文庫が幾蔵もあった。お銀様は、それを逐一風を入れて虫干をしたことがあります。ゆくゆくは残らず、それを頭に入れるつもりでありましたけれども、その時は一通りの風入れでありましたが、「阿娑縛抄」百八冊を手がけてみたのも、その時のことでありまして、この大部の書のあらわすところが何物であるかに歯が立ちませんでした。他日必ず読みこなしてみせるとは、この女王の気象でありましたが、その時は、一種異様な大部な書物である、内容がなかなか食いつけないのは、その中には夥多(かた)異様の彩色絵で充たされている、その彩色絵が一種異様なグロテスクのみを以て充たされていて、いわゆるさしえの常識では全く歯が立たない。何を書いてあるものか知ら、これぞ世間に言う「真言秘密の法」を書いた本に違いない、ということを、その時にお銀様が感じました。
「真言秘密の秘伝書」――これは研究して置かなければならない、と心がハズンだのは秘密そのものの魅惑で、この女王は秘密を好むのです。その時は秘密の法は即ち魔術の一種で、超自然力以上の魔力の秘伝がこの本に書いてある、この本を読んだ人が役(えん)の行者(ぎょうじゃ)になれる――というような世俗的魅力がお銀様をとらえたのですが、その直下(じきげ)にこれをこなすの機会と時間とを与えられなかったから、いつか「阿娑縛抄」を読み解いてみせるとの心がけだけは失われていなかったのですが、それがあの時の火事で、すっかり焼けてしまいました。そのことを今になって、くやむの心がお銀様の胸に動いて来ました。
 お銀様は剛情です。わからないことはわからないとして、知らざるを知らずとして問うことは、この女性のよくするところではありません。また、こんな人おどしの仏像の存在の理由を、己(おの)れを空しうして教えを乞うてみたところで、無用無益なりとの軽蔑さえも起りました。
 画像そのものは、この女性を、昏惑(こんわく)から来る反感へ導いて行くのですが、その表現の色彩だけは、それと引離して、多大の躍動と、快感とを与えずには置かないのであります。のっけに見せられた素人(しろうと)に向っては、何の色が幾つだけ、どの部分に点彩され、使用されているかというような、複合の観察は遂げられませんでしたけれども、まず打たれるのは、その赤と朱との与うる燃ゆるばかり盛んなる威力と、快感でありました。
 これとても、不破の関守氏から、特に力を入れて予備知識を与えられていた点でありますけれども、そういう予備知識が全然与えられていないにしてからが、この盛んなる燃ゆる色には、いかなる素人も魅せられざるを得ないものが確かに有ると信じました。絵は千年を経ているけれども、色彩、ことに赤は、昨日硯海(けんかい)を飛び出したほどの鮮かさである。そうして、その道の丹青家をして垂涎(すいえん)せしめる。この色を出したい、いかにしてこの色を出せるか、そもそもこの清新なる色彩の原料は何物であって、いずれより将来し来(きた)れる――ということが、古来、専門家の間の疑問であって、今日に至って、なお解釈されていないということに、お銀様は、最初から最も大きな期待を持っていたのです。信仰の上からしても、芸術の上からしても、画像そのものを特に拝するという気分は、そんなに切迫したものではありませんでしたが、古来未(いま)だ知られず、今人なお発見し難き色彩の秘密が、お銀様の意地を煽(あお)りました。そういうものを見てやりたい、見て見破ってやりたい、というほどの反抗心を、異常なるもの、難解なるもの、威圧なるものに対するごとに起されるこの女性の通有癖であることに過ぎません。だが、その難問に体当りをして行くには、科学が足りないことは省(かえり)みずにはいられない。問うことを好まないこの女性が、ここで僅かにくちばしをきったのは、
「この絵は、いつごろのものですか、時代は」
 ただ、それだけの質問を発しました。質問を受けた当の案内役は、以前のこましゃくれた、肖(に)ている小坊主ではありません、しとやかな学僧の一人で、且つ、極めて無口の若者でありました。
「は、吉野朝時代でございます」
 ただそれだけ答えたのみで、更に知識の先走りをしないのは、知らないのか、知っても言うことを好まないのか、それはわかりません。とにかくに、拝観人から、それだけの質問の口火を切れば、それをきっかけに、学僧によっては、滔々(とうとう)と知識を振蒔(ふりま)いて見せる、諄々(じゅんじゅん)と豪者を啓(みちび)くの態度を取ってみたりする学僧もあるのですが、この学僧には絶えてそういう好意がなく、衒(てら)う気もありませんから、お銀様はそれ以上に知識を要求するの機会を失いました。
 だが、吉野朝時代でございます、という簡単な応答に対して、お銀様をして相当の考証に耽(ふけ)らしめた余地はありました。この点は少々、不破の関守氏の与えた予備知識に不足がある、不足でなければ放漫がある、不破の関守氏は千年以上の作と言ったが、吉野朝ではまだ千年にならない。
 そこでお銀様の、年代記のうろ覚えを頭の中で繰りひろげてみると、徳川氏が二百年、織田、豊臣氏が五十年、足利氏が百有余年と見て、どのみち五六百年の星霜には過ぎまいと思いました。
 もしかして、吉野朝と言ったのが、浄見原(きよみはら)の天皇の御時代とすれば、これは、たしかに千年以上になりましょうが、ここに吉野朝と言ったのは、足利氏以前の南北朝時代の吉野朝時代のことに違いないと思われるから、そうしてみると、どう考えても五六百年以前には溯(さかのぼ)らない、しかし、古い物を称して千年と言うのは、一種の口合いなのですから、それはさのみ咎(とが)めるには及ばないとして、千年を経て、その朱の色が昨日硯(すずり)を出でたるが如しという色彩感は、さのみ誇張でも、誤算でもないということを、お銀様も認めました。
 本来は、そういう質問や、そういう認識だけで、この画像[#「画像」は底本では「面像」]を卒業してしまおうというのが無理なので、そんなことよりも、まず最初に問わなければならないことは、「大元帥明王(だいげんみょうおう)とは何ぞや」ということなのであります。これが解釈なくして、この画像を、色彩と年代だけで見ようとするのは、縁日の絵看板のあくどい泥絵だけを見て、木戸銭を払うことを忘れたのと同じようなものなのです。
 お銀様がそれをしらないということは、不幸にしてそれを知るだけの素養を与えられていないという意味であります。

         八

 それはそれとして、お銀様が後壁の間に参入した瞬間に、お角さんとしては、これに追従を試むることを遠慮しました。というのは、後壁の間に参入、大元帥明王に見参ということは、お銀様だけの志願であって、お銀様だけに許されたというよりも、お角さんにとっては、よし、もし許されたからといって、猫に小判のようなものなのであります。特別に教養のあるものだけに許される特権でなければならないし、特別に教養の無いものが、それに追従することは、不敬であり、不遜であることを自覚しての、お角さんとしての遠慮なのです。
 そこで、明王に特別謁見の間を、お角さんは、次の間というよりも、奥書院の廊下に立って待受けておりました。そこに立っていると、またも本庭の余水の蜿々(えんえん)たる入江につづく「舟入の茶屋」を見ないわけにはゆきません。お角さんは、太閤様お好みの松月亭の茶室に、じっと見入っている。が、それとても、大元帥明王の画像の前に立つお銀様と同様の、色盲ならぬ色盲をもって、木石の配置だけを深く見入っているような恰好(かっこう)をしているけれども、内容極めて空疎なるは致し方なく、お茶を知らない、寂(さび)を知らない、わびというものを知らないお角さんは、ただ眼の前にあるからそれを見ているだけで所在が無いから、ことにお場所柄であるから、枉(ま)げて、つつましやかにしているだけのものなのです。
 その時、廊下の彼方(かなた)で、高らかに経を読む声が聞えました。多分お経だろうと思われる。お寺へ来て朗々と読まれる文言を聞けば、お経とさとってよろしい。お経は何のお経だかわからないが、その読み上げている主は門前の小僧であることが、お角さんによくわかります。門前の小僧ではない、本当は門内の小僧なのですが、さいぜんから門前の小僧にしてしまっているあの薄気味の悪いほどよく似た、びっこの小僧の読み立てる声に紛れもないと思いました。
 全く、お角さんの思うことに間違いなく、たしかに右の門前の小僧が、廊下の一端に膝小僧を据(す)えて、朗々と音を挙げていることは確実なのですが、それは、正式に机を置き、経文を並べて読んでいるのではない、膝小僧と談合式に、上の空で暗誦を試みているものであります。何を読み上げているのか。注意して聞けば、次のような文章を読み上げているのです。
「鎮護国家ノ法タル大元帥御修法ノ本尊、斯法(しほふ)タルヤ則(すなは)チ如来(によらい)ノ肝心(かんじん)、衆生(しゆじやう)ノ父母(ぶも)、国ニ於テハ城塹(じやうざん)、人ニ於テハ筋脈(きんみやく)ナリ、是ノ大元帥ハ都内ニハ十供奉(ぐぶ)以外ニ伝ヘズ、諸州節度ノ宅ヲ出ヅルコトナシ、縁ヲ表スルニソノ霊験不可思議也(なり)」
 音をたどればそういうような文言を読み上げているのだが、お角さんには、そのなにかがわからない。ただ、お経を読み上げているとのみ聞えるのですが、わからないのはお角さんばかりではない、読んでいる御当人もわかっているのではないから、ただ音を並べているだけなのが、そこが即ち、お角さんの言う門前の小僧が習わぬ経を読むもので、こうして無関心に繰返しているうちに、説明となり、密語となって巻舒(けんじょ)されることと思われます。
 お角さんは、そのいわゆる、習わぬ経を繰返す門前の小僧の咽喉(のど)が意外にいいことを感づくと同時に、これをひとつものにしてみたら、どんなものであろうという気がむらむらと起りました。
 ものにするとは、何かお手のものの商売手に利用してみてやろうじゃないかという謀叛気(むほんぎ)なのであります。このお寺の納所(なっしょ)で、案内係であの小坊主を腐らせてしまうのは惜しい。惜しいと言って、なにも惜しがるほどの器量というわけではないけれど、米友でさえも、利用の道によっては、あのくらい働かして、江戸の見世物の相場を狂わしたことがある。いまさし当り何という利用法はないが、一晩考えれば必ず妙案が湧く。第一、あのお経を読んでいる咽喉がステキじゃないか、咽喉が吹切れている、あれを研(と)いで板にかければ、断じてものになる――とお角さんが鑑定しました。
 発見と、鑑定だけでは、ものにするわけにはゆかぬ。人間を買い取るに第一の詮索(せんさく)は親元である。親元を説くことに成功すれば、人間の引抜きは容易(たやす)いことだ。ところで、あの小坊主の親元ということになってみると、存外埒(らち)が明くかも知れない。というのは、いずれもあの年配の子供を寺にやるくらいのものに於て、出所のなごやかなるは極めて少ない。いずれは孤児であるとか、棄児(すてご)であるとか、そうでなければ、身たとえ名門良家に生れたにしてからが、放たれ、棄てられたと同じ月日の下に置かれた人の子が、こういうところへ送り込まれるのだ。あわよくば名僧智識にもなれようけれど、それは千万人に一人。そういうわけだから、存外、この買出しは楽かも知れない。そんなような謀叛気がお角さんの頭にむらむらと湧いて来たのは、実行の如何(いかん)にかかわらず、商売商売の冥利(みょうり)だから仕方がありません。
 だが、それともう一つ異った人情味に於て、お角親方は、あの小僧をつれ出して、友公と引合わして兄弟名乗りをさせてやりたい、そうすれば二人も喜んで、こっちも功徳になる――なんぞという人情味も大いに湧いているのです。これとても独断千万なことで、似ているからといって、それが兄弟ときまったわけのものではないが、さすがのお角さんの頭も、今日の瞬間には、想像と実際とが混乱していると見える。

         九

 三位一体を醍醐(だいご)へ向けて送り出して後の不破の関守が、がんりきの百蔵を端近く呼んで、こう言いました、
「がんちゃんや、洛北の岩倉村に大バクチがあるが、行ってみる気はねえか」
「そいつは耳寄りですねえ」
と言って、がんりきの百が、耳から先に、関守氏の膝元へ摺(す)りつけて行きました。
 普通の青年ならば、バクチなどという言葉を聞いてさえ苦々しく思うのですが、そこは、がんりきの百ちゃんのことですから、それと聞くや、耳よりだと言って身体(からだ)を摺りつけたのは浅ましいものです。それと知りながら、浅ましい心に誘惑をかけた不破氏の挙動も、断じて君子の振舞でないと言わなければなりますまい。
「行ってみな、お前は今まで関東のバクチは相当に功を積んでいるとのことだが、こっちの方の大バクチは見たことがあるまいから、後学のために見て置きなせえ」
「有難い仕合せ」
 ますますよくないたくらみです。後学のためにも、前学のためにも、バクチなどは見学して置かなくてもよろしい。むしろ、そういう見学は避けた方がよろしい、避けしめるのが、先輩のつとめというものだが、ここで嗾(けしか)けるようなことを言う関守氏は、その言葉つきからしてわざと下品に砕けて、
「行くなら行ってみな、資本(もとで)としてはたんともねえが――ここに二十両ある」
 胴巻ぐるみ、百の前へ投げ出したのは、いよいよ怪しからぬことで、行って見ろと嗾けた上に、資本金までも供給するのですから、シンパ以上の、むしろ共謀に近いほどの不逞(ふてい)なのです。ところががんちゃん、否やに及ばず、早速二十両の胴巻を頂戴に及んで、
「善は急げ、これから早速飛んで参りましょう。ところでその洛北岩倉村てえのはいったい、どっちの方向で、当日のトバの貸元てえのは、どういう顔でござんすかねえ、そこんところをひとつ、伺って置きてえもんでござんさあ」
 ロクでもない片腕で、早くも二十両の胴巻ぐるみ懐ろへ捻込(ねじこ)みながら、中っ腰になって、善は急げと来たが、その善なるものを急ぐにつけても、善戦をしなければならない。善戦をするには、彼を知り、我を知らなければならない。そこで相手方の地の理と、相手方の親分大将の身分について、相当の知識を持たなければならないというのは、この男として相当の心づかいでありましょう。
「うむ――洛北岩倉村というのはな」
 そこは不破の関守氏も抜からぬもので、がんりきの百のために、洛北岩倉村の地理を説くことかなり詳(つまびら)かなものであります。
 その説くところによると、これから、日岡の峠を通って蹴上粟田口(けあげあわたぐち)へ出るが、三条橋は渡らずに、比叡山の方へとずんずん進んで、それ、名代の八瀬大原(はせおおはら)の方へ行く途中のところにその岩倉村というのがある。そこの岩倉村は岩倉中納言の領地で、大バクチはその中納言殿の屋敷の中で行われるのだ――という説明を皆まで聞かずに、がんりきの百蔵が、急に白けきった面(かお)をして開き直り、
「へえ、上方じゃあ中納言様がバクチを打つんでげすかエ」
「いや、中納言殿がバクチを打つのではない、その岩倉村の山ふところにある中納言殿のお屋敷の中で、大トバの開帳が行われると言うのだ」
「へへえ、考えやがったな、江戸でも御老中の屋敷の中なんぞで、そいつが、しょっちゅう御開帳になるんですよ、仲間(ちゅうげん)や馬丁(べっとう)が、寄ってたかって御老中のお馬屋の中で、しゃそじょうこてやつをきめこむんでさあ、御老中でさえその位なんだから、中納言様ときちゃあ豪勢なもんだろう、フリにこっちとらが行ったって歯が立つめえがなあ」
と、いささかゲンナリしたのは、がんりきの百に、中納言は少し食過(しょくす)ぎる。中納言の方でも、がんりきの百などはあまり食いつけまい。そこで、百が、つまり位負けがしてしまった様子を不破氏が見て取って、
「中納言だからって、そんなに慄(ふる)えるこたあねえぞ、百五十石の中納言様だ」
と言って聞かせました。
「百五十石でげすか、位は中納言で、お高が百五十石でげすか、そんなこたあござんすまい、そりゃあ間違いでござんしょう」
「間違いではない、摂家筆頭の近衛家(このえけ)だって、千石そこそこだ」
「セッケはそうかも知れませんが、中納言様が百五十石なんてえな受取れねえ、水戸も中納言でござんしょう、三十五万石でげすぜ、仙台も中納言でござんしょう、六十四万石でげすぜ、百五十石ではお前さん、馬廻りのごくお軽いところじゃがあせんか、そんなはずはございませんよ、おからかいなすっちゃ罪でござんすぜ」
「からかうわけではないが、まあ、そんなことはどうでもいいから、行ってみろよ、そのトバへ。とても面白い面が集まるんだそうだ、全国的にな。全国的にそのトバへ面の変った鼻っぱしの強いバクチ打ちが集まって、ずいぶんタンカを切るそうだ。だから、行ってみな、変った人相を見るだけでもためになるぜ。手前も甲州無宿のがんりきの百とやら、相当啖呵の切れる男じゃねえか、なにも中納言と聞いて、聞きおじをするような柄でもあるめえ」
 不破氏に、こんなふうに油をかけられて、がんりきの百がまた躍起となりました。
「ようがす、行きますとも、そう聞いて後ろを見せた日には、甲州無宿が廃(すた)りまさあ、一本だけ不足だががんちゃんの腕のあるところを、その洛北岩倉村というので見せてやりてえ、さあ出かけましょう」
 ここで、張りきって力み返ったのは現金なものです。
「まあ待て、今からでは遅いから、今晩は泊って明日」
 この時、もう日の暮れ方で、関守氏は炉辺の火を取って、座右の行燈(あんどん)に移し入れました。

         十

 逸(はや)るがんりきを控えさせて置いてから、不破の関守氏は、醍醐から帰ったはずの女王様の御機嫌伺いにと本邸の方へ伺候(しこう)しましたが、ほどなくわが庵(いおり)へ戻って来てから、改めて控えのがんりきを呼び出して、わが庵の炉辺の向う際へ据(す)えつけ、さて言うよう――
「明日は、しっかりやってくれ、がんりき名代(なだい)の腕を上方衆に見せてやってくれ、頼むよ。時に、その前戦(まえいくさ)の小手調べに、ひとつそのバクチというやつの本格を、拙者に見せてくれまいか。拙者通俗の概念というはあるが、実際の経験というはない、予行演習をひとつこの場で見せてもらえんものかなあ」
「合点(がってん)でござんす――ずいぶん、がんりきの腕のあるところをお目にかけやしょう」
と言って、がんりきの百は、いま一方だけの手を懐ろの中に差し込んだと見ると、ズラリ引き出した自前の胴巻、それを逆さにふると、一つの小箱が飛び出しました。小箱の大きさ全長が一寸五分、幅が一寸足らず、関守氏が拾い上げて見ると、「下方屋」と書いてある。がんりきが受取って、パチンとその小箱の合せ目を外(はず)すと、コロがり出した賽粒(さいつぶ)というものが大小四個。大小というが、その大なるも三分立方はなく、以下順次四粒、中なると小なるはそれに準じて、小豆(あずき)に似たような代物(しろもの)まであります。
「イヤに、ちっぽけな賽ころだねえ」
と関守氏が言う。百はそれをもとのように小箱に並べながら、
「これは商売人(くろうと)の懐賽(ふところざい)ってやつで、駈出しには持てません、さて早速ながら本文に移りますが、バクチというやつも、その種類を数え立てると千差万別、際限はねえんですが、まず丁半(ちょうはん)、ちょぼ一というやつがバクチの方では関(せき)なんで、それにつづいて花札、めくり、穴一(あないち)、コマドリ、オイチョカブ……そこで、丁半を心得ていれば即ちバクチを心得てるも同様というわけなんでげす。先以(まずもっ)て、物の数というやつは、たとえ千万無量の数がありましょうとも、これを大別して丁と半とにわける、丁でない数は即ち半、半でない数は即ち丁、世間に数は多しとも、この二つのほかに種はございません。これを人間にたとえて申しますてえと、人間の数は天の星の数、地に砂の数ほど有るにしましてからが、種をわければ男と女、この二つに限ったものでげす。すなわち男でない人間は即ち女、すなわち女でなければ即ち男、というわけで人間の区別には、この二色しかござんせんよ、たまにゃ、ふたなりなんていうのがあるが、あれは出来そこないなんで、本来は有るものじゃございません。ところで数というものも、天地の間に、丁と半とこの二つだけに限ったもので、それを当てるのが即ちバクチの極意(ごくい)なんでございますねえ」
 がんりきが講釈をはじめました。これは驚くべきことで、手の人、足の人であったこの野郎は、今晩は口の人に転向してしまって、まかり間違えば、ここでもお喋り坊主の株をねらう奴が、やくざの中から現われようとは、ところがらとはいえ、ふざけた野郎と言わなければならぬ。これを、
「ふん、ふん」
と聞いているから、この手のふざけた野郎が、いよいよいい気になって、
「さあ、これは数の取引でござんすが、今度は物でござんすよ、この賽っ粒というやつが、バクチの方では干将莫耶(かんしょうばくや)の剣(つるぎ)でござんしてな、この賽粒の表に運否天賦(うんぷてんぷ)という神様が乗移り、その運否天賦の呼吸で黒白(こくびゃく)の端的(たんてき)が現われる」
「大したものだ!」
 関守氏が気合を入れたもので、がんりきがいよいよ乗気になり、
「ごらんなせえな、額面が六個あって、一から六まで星が打ってある、一をピンとも言い、六をキリとも申しやす、さてまたこのピンからキリまでに、天地四方を歌い込んで、一天(てん)、地(ち)六、南(なん)三、北(ほく)四、東(とう)五、西(せい)二とも申しやす、まずこの六つの数を、丁と半との二種類に振分けること前文の通り、丁てえのは丁度ということで、ちょうど割りきれる数がとりも直さず丁、割って割りきれねえ半端(はんぱ)の出るのが半――つまり一(ピン)は割りきれねえから半、二は割りきれるから丁、三が半で、四が丁、五が半ならば六が丁、という段取りなんで、おっと待ったり、このほかに五の数だけはごと言わずにぐと申しやす、五(ぐ)の目(め)というやつで――こうして置いて、この賽ころを左の手にこう取って、右に壺をこう構える、手が足りねえから恰好(かっこう)がつかねえ、旦那、その湯呑を一つお貸しなすっておくんなさい」
と言ってがんりきは、炉辺に飲みさしの関守氏の九谷の大湯呑に眼をつけました。
「よし来た」
 関守氏は異議なく、その茶がすを湯こぼしに捨て、がんりきの前へ提供してやると、がんりきの百は、左手に隠した四個の小賽を、左の耳元で、巫女(みこ)が鈴を振るような手つきに構えたが、関守氏は、その構えっぷりを見て感心しました。

         十一

 こいつ、ロクでもねえ奴だが、さすがにその道で、賽を握らせると、その手つきからして、もう堂に入ったものだ。
 四粒の天地振分けが、その中に隠れているのか、いないのか、外目(はため)で見てはわからない、軽いものです。もとより商売人の賽粒のことだから、軽少を極めて出来たものには相違ないが、それにしても軽過ぎるほど軽い、その手つきのあざやかさに、関守氏がある意味で見惚(みと)れの価値が充分ありました。
 そこで、耳元で振立てると、はっと呼吸が一つあって、振一振、左の小手が動いたかと見えると、天地振分けを四箇(よっつ)まで隠した五本(?)の指がパッと開きました。その瞬間、四粒の天地は、早くも五倫の宇宙から、壺中(こちゅう)の天地に移動している。つまり、はっという間に四つの小粒が、今し関守氏から借り受けた湯呑の中へ整然として落着いているのです。これまたその手つきのあざやかさに、またも関守氏の舌を捲かせ、
「うまいもんだ」
と言って、思わず感歎すると、がんりきは、こんなことは小手調べの前芸だよと言わぬばかりの面をして、
「本来は、この壺皿を左の手にもって、右で振込むやつをこう受取るんでげすが、手が足りねえもんですから、置壺(おきつぼ)で間に合せの、まずこういったもので、パッと投げ込む、その時おそし、こいつをその手でこう持って、盆ゴザの上へカッパと伏せるんでげす、眼に見えちゃだめですね、電光石火てやつでやらなくちゃいけません」
 左で為(な)すことを右でやり、右で行うことを、また引抜きで左をつかってやるのだが、一本の手をあざやかに二本に使い分けて見せる芸当に、関守氏が引きつづき感心しながら、膝を組み直し、
「まあ、委細順序を立ててやってみてくれ給え、ズブの初手(しょて)を教育するつもりで、初手の初手からひとつ――いま言ったその盆ゴザというのは、いったいどんなゴザなんだ、バクチ打ち特有のゴザが別製に編ましてあるのか、いや、まだそのさきに、この場では湯呑が代用のその本格の壺というやつの説明も願いたい」
「壺でげすか、壺は、かんぜんよりでこしらえた、さし渡し三寸ばかりのお椀(わん)と思えば間違いございません、雁皮(がんぴ)を細く切ってそれを紙撚(こより)にこしらえ、それでキセルの筒を編むと同じように編み上げた品を本格と致しやす、それから盆ゴザと申しやしても、特別別製に編ましたゴザがあるわけではございません、世間並みのゴザ、花ゴザでもなんでもかまいませんよ、それを賭場(とば)へ敷き込んで、その両側へ丁方と半方が並びます、そうすると壺振が、そのまんなかどころへ南向きに坐り込むのが作法でござんさあ」
「まあ、待ち給え、いちいち実物によって……時節柄だから代用品で間に合わせるとして、ここにゴザがある」
と言って関守氏は、つと立って、なげしの上から捲き込んだ一枚のゴザを取り出して、それをがんりきの前で展開しました。
「結構にござんす、それじゃあひとつ、盆ゴザを張って、本式に稽古をつけてごらんに入れやしょう、いいでござんすか」
「相手に取って不足ではあるが、拙者が君の向うを張るから、本式に、稽古と思わず勝負のつもりで、一つやってみてくれ給え、つまり、君が丁方となり、拙者が半方となる、では、君が半方を張り、拙者が丁と張るから、一番、委細のところを見せてもらいたい」
「ようがす、そのつもりで、手ほどきから御教授を致しましょう」
と言って、がんりきは、座を立ち上ると、盆ゴザの中央のところへ、前に言った通り南向きにどっかと坐り込みました。

         十二

 盆ゴザの中央へ坐り込んだ途端に、がんりきの百が、無けなしの片腕を内懐ろへ逆にくぐらせたと見ると、パッと片肌をぬいでしまい、それと同時に着物の裾(すそ)をひんまくった源氏店(げんやだな)、つまりこれが俗にいう尻をヒンマクる形だと関守氏が、見て取りました。今時は芝居でよく見る形、悪党がかけ合いをする時の常作法、尻をマクルというやり方を舞台では見るが、本場はこれがはじめて、下品極まる伝統的作法ではあるが、下品のうちにも作法は作法、こうしたものかと見ていると、
「まず壺振りの芸当始まり――こうして諸肌(もろはだ)ぬぎの、本式は諸肌なんですが、ここは片肌で御免を蒙(こうむ)りやすよ、こう尻をヒンマクる、これ壺振りの作法でござんして、つまり、こりゃ野郎のみえでするんじゃございません、さあ、この通り潔白、頭のてっぺんから、毛脛(けずね)の穴まで見通しておくんなせえ、イカサマ、インチキは卯(う)の毛ほどもございやせん、という、潔白を証拠立てるヤクザの作法の一つなんでさあ――」
と説明を加えたことによって、関守氏がまた改めて覚りました。
 大肌ぬぎになったり、尻をヒンマクったりすることを、このやからのみえであり、強がりの表示であるとのみ見ているのは誤りで、なるほど、頭のてっぺんから毛脛の穴まで見通してくれという、潔白表明の作法から来ているのかな、一挙一動でも、その出所には名分が存するものだと感じたものです。
 そこで、がんりきの百は、代用品拝借の湯呑を取って、それに紙を敷き、最初の形式で置壺に構え、これも最初の形で左の掌で軽小に一振り、眼にも留まらぬ天地振分け、賽(さい)はカラリと壺に落ちたか落ちないか、その瞬間、左の手は早くも壺の縁に飛んで、壺は天地返し――カッパと盆の上へ伏せられたものです。
「さあ、旦那、お張りなせえ、丁方なりと、半方なりと、気の向いた方をお張りなせえ」
「よし、丁と張った」
「勝負!」
と言ったがんりきの百は、その壺皿を引起こすと、関守氏の眼で四つの小粒が行儀よく並んでいるだけ。
「さあ、持っておいで」
と言ってがんりきは、その粒を消してみました。
 賽を見せられただけで、どっちが勝ったか負けたかわからない。つまり場面には丁と出たのか、半と出たのか、けじめがつかないうちに賽を消され、眩惑された関守氏が、
「いったい、どっちが勝ったんだ」
「はは、そりゃ素人衆(しとろうとしゅう)にゃわからねえ、今のは丁と出たんでげすが、四つじゃあおわかりになりますまい、二つで真剣にやりましょう」
と言って、小粒を握った手を耳もとへ軽くあてがった形で、がんりきが言いました、
「四粒でやるなあ、玄人(くろうと)に限ったもんで、素人(しろうと)には見わけがつきません、二つでやりましょう、二つで……ごくすろもうというところで伝授しようじゃございませんか。伝授にしてからが、素手(すで)じゃあ息が合いませんから、何ぞ賭(か)けやしょう、コマを売りやすから、張ってごらんなさい」
「コマというのは何だ」
「コマ札というやつがあって、貸元からそれを買って張るのが定法(じょうほう)なんでげすが、そういうことはこの場では行われませんから、まあ、ようござんす、何ぞおかけなさい」
「よし、何ぞ無いかな」
と言って関守氏は――あたりを見廻す途端に裏小屋で、烈しく吠え出したのは、例の電光石火のデン公に相違ない。

         十三

 犬の吠える声を聞いて、人の近づくことを知り、その人もうろんな人ではない、犬係を志願した米友が、犬小屋の前を通過したことによって、犬が挨拶をしたに過ぎないということを関守氏が知ると、まもなく、ガタピシと裏戸を開いて、米友がそこへ現われました。
「どっこいしょ」
と言って入り込むと同時に、肩にかけた何か特別に重味のある一個の袋を、土間の俵の上へ、ずしんと卸(おろ)してしまいます。
「何だい、めっぽう重そうなものをかついで来たね、南京米(ナンキンまい)じゃあるまいな」
と関守氏がききますと、
「持って来るには持って来たが、置場所に困ってるんだ、お前さん、こいつを預かってくんな」
「何だよ、いったい、品物は。南京米でなけりゃ、じゃがいもか」
「そんなあ、不景気なもんじゃねえんだぜ」
と米友が、汗を拭き加減に、今そこへ取卸した至極重みのかかる袋を、伏目に見ながらの応対です。
「何だか、中身を名乗りなよ」
「当ててみな」
と、米友としては変に気を持たせるような返答ぶりでしたけれど、ワザと言うのでないことは、すぐに自問自答で底を割ってしまったことでわかるのです。
「銭(ぜに)だよ、こん中に、銭がいっぺえ詰ってるんだぜ」
「そいつぁ驚いた」
と、関守氏と、がんりきと、二人が思わず音(ね)を上げました。
 代用食類似の不景気な品ではなく、銭とあってみると、たとえ鐚(びた)にしてからが、天下御免のお宝である。それを質の如何(いかん)にかかわらず、ともかく、袋にいっぱい包んで、小柄のくせに怪力を持つこの野郎が、汗を拭き拭きかつぎ込むというその重量は大したもので、「お気の毒」(一厘銭の異名)にしてからが莫大の実価である。それを人もあろうに、銭金(ぜにかね)にはあんまり縁の遠かりそうな男が、不意にかつぎ込んで来たのですから、大黒童子が戸惑いをして来たようなものです。
 二人が呆気(あっけ)に取られている間に、米友は素早く、何故に自分が重たい思いをして、この袋をここへ荷(にな)い来(きた)ったかということの因縁を、手短かに物語りました。
 それによると、今日、この男は、暴女王のおともをして醍醐へ赴いたが、その三宝院の門前で、他の二体がお庭拝見をしている間を待合わせている時に、変な奴が来て、このおれを見かけて、袋をかついで洛北岩倉村へ行けと言う。いい銭になるから行けと言う。いい銭になろうとなるまいと、こっちはこっちの果すべき職務がある、人は同時に二人の主に仕えるわけにはいかない、それをいくら説いて聞かせても、このけったいな野郎が、強引においらを誘惑する。それを虫をこらえてあしらっているうちに、観修寺(かんじゅじ)の方から役向と覚しい二三の両刀がやって来ると、何をうろたえたか、このけったいな野郎が、この金袋をおいらに抛(ほう)りつけて一目散に逃げてしまった。役人は素通りをしたが、その野郎はかえって来ない。いつまで経っても取戻しに来ない。
 そこで、米友はさんざん考えさせられたが、本来は、なにも少しも考えることはない、手取早い話が、交番へ届ければいいのである。交番がその辺にまだ設けられてなければ、しかるべき役向へ、土地の人を介して届けてもらいさえすれば、事は簡単明瞭に済むのだが、今日、米友の場合、それがなかなか簡単明瞭には済まない。盗んだ物とすれば盗んだ奴に罪はあるが、拾った者に罪があるはずがない。拾って、しかしてこれを隠せば当然罪になる。拾ってそうして我が物とすれば、これは猫婆(ねこばば)というものであって、泥棒に準じた罪に置かれることは米友もよく知っている。
 ただ、米友の場合、困るのは、拾い主には拾い主としての義務がある、責任もあるというその心配なので、まず第一に、自分の住所氏名から訊(ただ)される、これが苦手であること。領分は変り、国境(くにざかい)は違っているのだけれども、いったん生梟(いきざら)しにまでかけられた自分の古瑕(ふるきず)が、不必要なところであばかれた日には気が利(き)かねえやな。
 いやだなあ! そこで、米友は一気にあきらめてしまって、その金袋を、通行人の隙をうかがって、三宝院の境内の藪(やぶ)の中へ投げ込んでしまったのです。
 そうして置いているうちに、暴女王と女親方[#「親方」は底本では「親分」]の方の宝物拝観も、御庭拝観も済んで、また三位一体となって、この光仙林へ立戻って来たには来たが、またも、あの金袋で苦労する。金で苦労するのは、大抵の場合は、金の欠乏で苦労するということになるが、米友の場合は、金があり過ぎて苦労をする。ああして置けば早晩、誰か発見する、発見された日のお取調べという段になると、結局は、探りさぐって、このおいらが呼出しということになってみると、どうでも事がうるさいよ。
 ちぇッ! いくたび地団太を踏んだことであろう。ここへ戻ったものの、今のさきまでそのことを苦心して落着かなかったのですが、とうとう思いきった決断としては、とにかく、ここまで持って帰って、不破の旦那に相談をして、その知恵を借りるに越したことはない。
 そう思って、夜中に、またまた醍醐まで、びっこ足を引きずり引きずり立戻って、藪の中をさがしてみると、まだあるある、いい気持ですやすや眠っているような形で、袋が藪の中に横たわっている。そいつを、御丁寧に抱き起した米友は、重いやつを、えっちらおっちらとここまでかつぎ込んで、この始末です。
「そういうわけだから、こいつは、おいらの金じゃあねえ、洛北の岩倉村というのへやるのが筋道だ」
「洛北岩倉村」
「うん、そこで賭場(とば)のお開帳がある、そいつの貸元へ納める金らしいぜ」
「そいつは、いよいよ運否天賦(うんぷてんぷ)のめぐり合せだ」
とがんりきの百も、頭でのの字を書いて、横目に金袋を睨(にら)んで、口にはよだれという体(てい)は、全く以て授かり物、渡りに舟と言おうか、一方の旦那は、嗾(けしか)けて資本(もとで)を貸して洛北岩倉村の賭場へ推(お)しやろうとするのに、一方の野郎は、場銭を一袋かつぎ込んで、おれに使えと言わぬばっかりだ。人間、運のいい時はいいもので、鴨が葱(ねぎ)を背負って、伊丹樽をくわえ込んだようなものだ。
 このところ、がんりき、すっかり有卦(うけ)に入って、天下の福の神に見込まれた、この分じゃ明日の合戦も百戦百勝疑いなしと、むやみに勇み立ちました。

         十四

 米友は、金の袋を置きっぱなしにして、そのまま出て行ってしまう。
 そのあとを、関守氏は引きつづいて、がんりきからバクチ術の実地教授を受けて、丁半、ちょぼ一の何物なるかを、ほぼ了解しました。その間にも、がんりきの百はしきりに勇みをなして、明日の合戦幸先(さいさき)よし、上方では初陣(ういじん)、ここでがんりきの腕を見せて、甲州無宿の腕は、片一方でさえこんなもの、というところを贅六(ぜいろく)に見せてやる。
 そういう心勇みで、しきりに浮き立っていたが、いいかげんにバクチのコーチも切上げて、はなれた控間で一睡を催すと、その翌朝、早くも宇治山田の米友と連れ立って、洛北岩倉村へと遠征に出で立ちました。
 この場合、何のために米友が同行するかというに、それは言わずと知れた金の袋の運搬用のためであります。あえてがんりきの百の随行というわけではない。
 本来、米友としては、こんないけ好かない野郎との同行を好まないのです。
 暴女王お銀様の尊大倨傲(そんだいきょごう)は快しとしない点もあるが、ドコか意気の合うところもあるし、なんにしても、女王と立ててあるところに寄留をしていれば、主人でないまでも、家主であるから、これに服従、と言わないまでも、頼まれればイヤとは言えない、行ってやるという気分にもなる。女軽業のお角に就いてはどうしたものか、ほとんど唯一と言ってよいほどに米友の苦手で、天下にこの女にばかりは頭が上らない。頭が上らない弱味はないのだが、それに押されて、この女に臨まれると身が竦(すく)むというのは、全くがらにないことで、米友自身にもナゼだかわからない。駒井能登守に対してさえポンポン啖呵(たんか)の切れる米友が、お角さんの一喝を食うと縮み上ってしまう。お角さんには、友公、友公と言って叱り飛ばされるけれども、道庵先生でさえが、友さん、友さんと立てなければ用を弁じないことが多いのに、お角さんばかりには無条件で御(ぎょ)せられる。それほどの米友だから、がんりきの野郎を好まないのは勿論(もちろん)です。こんな、いけ好かない野郎のおともなどは以ての外、同行をさえ嫌っているのだが、今日はこの、いけ好かない野郎に同行するのではない、この金袋と同行するのだ。性のいい金か、悪い金か、それは知らないが、この金の行きどころは洛北岩倉村にあるので、山科光仙林に置くべきものではない、在(あ)るべきところへ在らしめるように働くのはおよそ人生の義務であるという建前から、いけ好かない野郎と同行の不快を忍んで、金かつぎの役目に廻った次第です。
 ですから、途中、一言も利(き)きません。いけ好かない野郎が、しきりにおてんたらを言って御機嫌を取ろうとするのを、うるさいとばかり素気(そっけ)なく、一言も口を利いてやらないのであります。
 いけ好かない野郎にしてもまた、このグロテスクの気象を先刻御承知だから、できるだけその御機嫌を取結んで、いけ好くようにしようとつとめるのだが、さっぱり利き目がありません。
「兄さん、団子を買ったが食わねえか、それともお饅頭(まんじゅう)の方がよけりぁ、お饅頭にしな」
と言って、日岡の峠茶屋で甘い物を振舞おうとしたが、米友は根っから受けつけません。
「食いたかねえよ、おいらは食いたけりゃ自分の銭を出して食うよ、お前に買ってもらって食うせきはねえ」
と、この時に米友がはじめて応答したぐらいのものです。かく応答するかと見ると、自分は汚ない巾着(きんちゃく)を出して、手早く鳥目を幾つか並べると共に、茶屋の大福餅を鷲掴(わしづか)みにして、むしゃむしゃと頬張りました。
 そういうわけで、がんりきもあきらめたのです。こいつは買収もできないし、懐柔も利かない。触らぬ神に祟(たた)り無しだと、神様扱いにして道のりを進め、粟田口から三条橋は渡らず、二条新地をずんずん北に取って、八瀬大原の方へと急ぎます。

         十五

 ほどなく、洛北岩倉村に着きは着いたが、さて賭場(とば)の在所(ありか)がわからない。
 トバはドコだ、トバはドコだと聞いて廻るわけにはゆきません。なあに、広くもあらぬ山ふところの岩倉村だ、やがて嗅ぎつけてみせると、がんりきはがんりきの意地で、里人に物をたずねようともせず、そこここと嗅ぎ廻ったが、相当この道に鋭敏なはずのがんりきの鼻が利かないのは不思議なほどです。
 少々たずねあぐんだ時に、ふと小ぎれいな垣根越しに見ると、庭にうずくまって植木いじりをしている一人の老人を見かけました。
「モシ、お爺さん、ちょっと物をたずねたいんですがね」
と、がんりきが猫撫声で問いかけると、垣根越しに、
「何だ!」
と言って、頭を上げた途端にこちらを睨(にら)んだ眼つきに、がんりきが思わず慄(ふる)え上りました。
「これは飛んだ失礼――」
と、やみくもに頭を下げたのは、お爺さんなんぞと呼びかけてみたが、これはまだお爺さんというべきほどの年ではない、四十歳の前後でしょうが、その人相が、今まで見たことのないほどの異相を備えているということが、がんりきをおびえさせたので、つまり威光に打たれたというような気合負けなのでした。見てみると、色が黒くて頭が人並外(はず)れて大きい、そうして、その頭の結い方を見ると、武家にも町人にも見られない形。そうかといって、お公卿(くげ)さんのようでもあり、還俗(げんぞく)した出家のようでもあり、どうにもちょっと判断のつけようがない人柄ですが、その眼光の鋭いこと、人品におのずから人を圧する威力というようなものがあって、がんりきの野郎などは一睨みで、危うくケシ飛んでしまいそうなところを危なく食いとめたが、食いとめてみると、「おどかしやがんない、やい」といったような反動で、こいつにひとつ、しつこく物をたずね返してやろうという気になったところが、がんりきの意地です。そこで、
「ええ、少々ものをおたずね致したいんでございますが、この辺に中納言様のお屋敷てえのがございやしょうかねえ」
「中納言の邸(やしき)、知らん」
「その中納言様には用があるわけじゃございません、中納言のお邸で、何かお慰みが行われるそうでござんすが、それをひとつ御案内を願いたいものでござんす」
と猫撫声を逞(たくま)しうしたが、今度は手ごたえがありません。手ごたえの無いのは軽蔑してやがるんだ、癪(しゃく)なおやじめと、がんりきはややかさにかかって、
「早い話が、そのお邸の中をお借り申して、関東関西のあんまりお固くねえ兄いたちが集まって、お慰みをやろうてえんでございますが、なんとお心当りはございますまいか」
「…………」
 やっぱり、手ごたえが無い。そこで、がんりきが意地になってなおも畳みかけて、
「ええ、手取早く申し上げちまえば、つまりその賭場が開けるんだそうで、そういう噂(うわさ)を、道中でふと承ったから、三下冥利(さんしたみょうり)にお尋ねしたようなわけなんで、噂に聞くと大したもので、なんでも北は会津から、東は水戸、南は薩摩の涯(はて)から、赤間ヶ関の親分までが、ズラリと面を並べる凄(すげ)えんだそうですが、来て見ると、見ると聞くとは大きな違い、ドコにそんな大親分がいらっしゃるか、ドコに天下分け目のトバが御開帳になっているか、てんで烟(けむり)も見えやしません。もしやこの山の上か、谷の底か、そんなところに本陣が据えてお有りになるんじぁございませんか。土地のお方に伺えばわかると存じまして、おたずね申し上げるんでございますが、そんなような気分の場所は、この近辺にございませんかなあ」
 がんりきが、こう言ってイヤに含み声を鼻にかけたが、相手は全然取合わない。
「外で何ぞ物を言う奴がいる、追い返せ」
と、奥に向って人に命ずる気色ですから、がんりきがテレもし、狼狽もし、こいつはお歯に合わないと、そのまま、ほうほうの体でその垣根を立ちのいて、次へと移りました。
 こうして、広くもあらぬ岩倉村を、がんりきと米友とは、次から次へとおとのうて歩きましたけれども、中納言のお邸というのは、見当りもせず、聞き当てもせず、まして丁々発止のトバの気分などは、この男自慢の鋭敏な鼻を以てしても嗅ぎつけることができず、結局、うろうろして再び舞い戻って来たのは、さいぜんの垣根越し、あの癪にさわる、威光のある親爺(おやじ)から追払われた、その垣根から屋敷の周囲をめぐって見ると、とにかく、村中きってこれだけの構えの家はない。なにも驚くほどの宏でも壮でもないけれども、作りに奥行があって、なにか物々しい屋敷といえば、これほどのものはほかにない。
 ということを、がんりきが再吟味をしてみると、はて、ことによると、今のあの色の黒い、頭のでっかい、眼の光るおやじが、あれが中納言かも知れない。
 してみると、たずねる山は、このお屋敷かな、その気になって見ると、どうやら少々臭いぞ、だが――ここは大トバの開かれるキボでねえと、がんりきの鼻は直ちに否定してかかったけれども、それでも念のためと、今度はひとつ、表門から正式は憚(はばか)りがあるとして、裏門の方からこっそり探りを入れてみようじゃないか。
 その気取りで、がんりきは垣根をグルリと一めぐり、裏門の方へ向ったが、どうも、ややともすると胸がドキついてならない。敵を見て、人見知りをするような兄さんとは兄さんが違うと、自分で力んでいるのだが、なんだか胸がドキつくというのは、考えてみると結局、あの今の頭のでっかい、色の黒い、眼つきの怖ろしく光る、あのおやじの眼つき、面つきが、変に頭に残ってならない。
 どうも、あのおやじは只物でねえ、人(にん)によって威光というやつはあるが、一眼であんなに睨みの利く奴にでくわしたことがねえ、どうもあれが魔をなすんだな。あの眼で、「何だ!」と言って、一睨みされた時から、おこりをわずらった。なんだか、この屋敷は怖(こわ)いよ、見たところ、下屋敷でべつだん用心の構えも厳しいというわけじゃあねえが、ちっとばかり犯し難いな、犯し難え気がするよ。
 こいつは一番、不破さんにからかわれたかな。関守先生、あれでなかなか業師(わざし)だから、何か所存あって、がんりきめを囮(おとり)に使いたいために、わざわざこんなところへ反間の手を食ったかな。だが、タカの知れたこのヤクザ野郎を、かついでみたところではじまらねえ話さ。よしんば、かつがれたところでおれはいいが、この同行の兄さんに気の毒だ。昨日から重い荷物をかつぎ通し、これが自分のものになるじゃなし、あっちへかつぎ、こっちへかつぎ、いいかげん御苦労さま――という気持で、思わず米友を見返ったが、その途端、それそれ、この金袋が物を言うよ、不破さんがおっしゃるだけじゃねえ、この金袋が物を言う、こいつも洛北岩倉村を目にかけて来たお金だ、すいきょうで大金を餅につく奴もあるめえじゃねえか、事は正真いつわり無し。
 金の袋を見てまた巻直しという心で、この屋敷の裏手へ廻ったが、やっぱり何となしにドキつく。水を汲んでいる姉さんに、そっと物をたずねて――
「姉や、この屋敷はいったい、どなたのお屋敷なんだエ」
 そうすると、大原女(おはらめ)が答えて言うには、
「岩倉三位(いわくらさんみ)さんのお邸(やしき)どすえ」
「岩倉三位――中納言様とは違いますかねえ」
 がんりきの百には、三位と中納言のさかがわからない。中納言にも、百五十石から六十四万石まであるのだから、たいがい戸惑いしているところへ、三位ときた日にはまたわからなくなった。
 そこで、がんりきの百が、狐につままれたような面(かお)をして、岩倉三位の門前を、振返り、振返りながら退却に及ぶと、それと行当りばったりに、一つの団隊と衝突しました。衝突というわけではないが、危なく摺違(すれちが)って、見ると、これは穏やかならぬ同勢でありました。都合十人も一隊をなして、いずれも肩を聳(そび)やかし、一種当るべからざる殺気を漲(みなぎ)らして、粛々と練って来たのでありますが、その風体(ふうてい)を見ると、今の流行の壮士風、大刀を横たえたのが数名、それに随従する無頼漢風のが数名。先頭に立った一人が、恭(うやうや)しく三宝を目八分に捧げて、三宝の上には何物をか載せて、その上を黄色のふくさと覚しいので蔽(かく)している。
 がんりきの百が危なく体をかわす途端に、
「コレコレ、岩倉三位の屋敷はドコだ」
 それが、あんまり粗暴で横柄なたずね方ですから、がんりきの百もいい気持がしない。顎(あご)を突き出して、唇を反(そ)らして、たったいま新知識の岩倉邸の門を、つまり顎で指図して教えてやると、先方は、ちょっと妙な面をしたが、相手にせず、すぐさま立て直って、がんりきに顎で教えられた通り、門をめざして粛々と繰込んで行きます。
 がんりきは、御大相な奴等だ、いったい何をかつぎ込むのかと、一行の後ろ影を見送っていましたが、はっと気のついたことは、そうだ、そうだ、うっかり釣り込まれて、本職を忘れていたわい。
 こっちは、中納言様、中納言様と下手(したて)にばっかり出て来たが、あいつらは、岩倉三位、岩倉三位と、大きそうに出やがって練込んで行くが、結局、帰(き)するところは一つで、東西きっての大賭場が開けるというその貸元をたずねて行く奴なんだ。こっちの符牒(ふちょう)が間違っているから、グレ通しだが、おいらと同じ目的のため、ああして乗込んだにちげえねえ。こいつぁ、うっかり口をあいて見ているばっかりの場合でねえぞ。あの尻尾をつかまえてやれと、百は早くもそこを合点したものですから、忙がわしく米友に向って、
「兄さん、おいらが、きっと突留めて来るからお前、そこんとこでひとつ待っててくんな、首尾がよければ、あの門の前で手を挙げるから、この手が挙がったら、お前、物言わず門の方へやって来てくんな」
 こう言って、米友を小蔭に休らわせて置いて、自分は抜からぬ面で、いま顎で教えてやった一行の後をくっついて、再び岩倉三位の邸前まで取ってかえしたものです。

         十六

 そうして、動静(ようす)いかにと窺(うかが)っていると、この物々しい一行は、玄関へかかると、恭しく、先手が承って捧げた三宝を式台に置き、おごそかにその錦の覆いを払って、それから、一同はこれより三歩さがって、土下座をきりました。
「岩倉三位殿に献上!」
「岩倉三位殿に献上!」
 こう言って、土下座をきって跪(かしこ)まった一同が、異口同音に呼ばわったかと思うと、そのまま突立ち上り、踵(きびす)を返して、さっさともと来し門外へ取って返すものですから、ここでも、がんりきの百が、すっかり拍子抜けがしてしまいました。
 これは、てっきり、こちとらと目的を同じうした東西のお歴々、壺振、中盆(なかぼん)、用心棒、の一隊と見て取って、直ちに諒解があって、玄関へ通されるか、裏手へ廻されるか、こっちの方もそれに準じてと、固唾(かたず)を呑んでいると、案に相違して、かくの如く、献上物を捧げっぱなしにしたままで、さっさともと来た道へ帰ってしまう。賭場の仁義にこんなことはない。
 そもそも、献上物ならば献上物のように、捧げる方ばっかりの片仁義というのはなく、受ける方にも相当の応接がなければならないのに、置きっぱなしの献上物というのが、どだい礼儀に叶(かな)わねえ、いってえ、何を献上に来やがったのかと、がんりきの百が、二つの眼を使いわけて、その玄関の式台に置据えられた三宝の上の錦のふくさと覚しいのを払った献上物というやつの現物を一眼見て、この野郎がまたしても、三斗の酢(す)を飲ませられたような面をしました。
「えッ……」
 何だ、何だ、何だてえんだ、ありゃいってい、人間の片腕じゃあねえか、イヤに当てつけやあがるぜ、人間の生腕(なまうで)が一本、三宝の上に置いてあるんだぜ、いってえ、何のおまじねえだ、当てつけるなら少々お門違いのようなものだが、あいつらの言った今の口上は、「岩倉三位殿に献上!」「岩倉三位殿に献上!」と吐(ぬ)かして、決して、「がんりきの百様へ進上!」「がんりきの百様へ進上!」とは聞えなかった。あの献上物なら、こっちが欲しいくらいなもんだが、さて、また何の由で、岩倉三位ともいわれる御仁(ごじん)が、あんな献上物を持込まれなければならないのか、また何の由であの奴らが、こんな献上物を持込んだのか、何が何やら、煙(けむ)に捲かれ通しで、居ていいか、立っていいかさえわからない。今日は幸先(さいさき)がいいと思って出て来てみると、現場へ来てはカスの食い通し。こんな日にゃ、出る目も出ねえ、ちぇッ面白くもねえと、がんりきが唾を噛(か)んでやたらに吐き出しました。
 そうすると、後ろ手の方で、またしても喧々囂々(けんけんごうごう)、人の罵(ののし)る声、騒ぐ物音、さあまた事が起ったぞ、喧嘩だな、喧嘩となれば、てっきり今の物々しい奴等、してまた、その相手は、待てよ、ことによると、おいらの御同行のあの気の早い、あんちゃんじゃあねえかな。こいつ事だぞ、あのあんちゃんときた日にゃ、相手かまわずだからなあ、事だぞ!
 がんりきは宙を飛んで駈けつけて見ると、果して、宇治山田の米友が、石の上に腰をかけて、大地を指さしながらたんかを切っている。それを取りまいて、いきり立っているのはたった今、岩倉三位へ献上物の一行に相違ありません。
 いったい、何がどうしたと言うんだ。何が行きがかりで、こうなったんだい。つまらねえいさかいをしなさんなよ。
 がんりきは、加勢のつもりではない、取和(とりなだ)めのつもりで、例の馬力で一足飛びにその現場へ戻って見ました。

         十七

 大地を指さした宇治山田の米友が、生腕(なまうで)献上の一行を相手に、何をたんかをきっているかと聞いてみると、
「そんなら証拠を出しな、証拠を出してから物を言いな、なるほどと思う証拠がありさえすりゃあ、この場でおいそれと渡してやるよ、証拠がなけりゃあ、誰が何と言ったって渡さねえよ、たしかにこの袋が、お前(めえ)たちのもんだという証拠を見せてくんな、お釈迦様に見せても承知のできる証拠を出してみねえな、そうすりゃ、この場で文句を言わずに渡してやるよ、証拠がなけりゃ、誰が何と言ったって渡すこっちゃあねえ!」
と啖呵(たんか)をきっている米友。これと正面相対して、青筋を立てているのは、さいぜん、生腕献上の先手を承って、三宝を目八分にささげた若い髯(ひげ)むじゃの浪士風の男であります。
「黙れ、証拠呼ばわりすべき性質のものじゃないぞ、その袋は、我々の仲間が昨日醍醐の三宝院の門前へ預けて置いて来た品じゃ、袋と言い、中味といい、これに相違ないから申すのじゃ、その方は、黙ってこちらへ引渡して行けば、それでよいのだ、仔細ないから置いて参れ、つべこべと物を申すに於ては、眼を見せて遣(つか)わすぞ」
と、右の浪士風の男が、つとめて抑損して、馬鹿をさとすつもりで言ったようですが、相手が宇治山田の米友ですから通じません。
「お前の方は仔細なかろうが、おいらの方はそれじゃ済まねえよ、当然渡すべき人に渡さなけりゃあ、義理が済まねえんだ」
「その当然渡すべき人々が我々なんだ、我々の所有物を、我々が受取ろうというのだから、これより以上の当然はなかろう」
「だから言わねえこっちゃあねえ、お前さんたちが、当然受取るべき本人なら、本人のような証拠を見せてくれと言ってるおいらの理窟がわからねえのかい」
「証拠というて、貴様に受取を出すべき筋はない、どだい、貴様は誰に渡すつもりで、その金袋を持って来たのだ、貴様は、さいぜんから、渡すべき人に渡すと言っているが、その渡すべき人というのは、いったい誰だ」
「うむ、そりゃあな……」
と言って、さしもの米友が、ここで少し口籠(くちごも)ったのは、当然の所有者に渡してやるべきつもりで、ここまで持って来たには相違ないが、その、当然の当然とすべき本人が何者であるかは、御当人にもわかっていないのです。これから、その御当人を探し当てて、返すところへ返してやるというつもりで、目下捜索中なのですから、こればっかりは、さすが米友の正義を以てしても即答がなり兼ねて、不覚にも言葉尻が濁るのを、相手は、ソレ見たことかと鋭く突込んで、
「それ見ろ、それは言えまい、本来、貴様らの持つべき筋合でないから言えないのだ、悪い了簡(りょうけん)を出すもんじゃない、さもしい心を起すもんじゃあないぞ、物が欲しければ、相当の筋道を踏んで持つべきものだ、さあ、素直に我々の手に返せ、戻せ、わかったか」
「わからねえ!」
 米友が決然として言いきったのは、この場合、正道がかえって、わからずやのように受取られるのみならず、拾得物を横領の悪漢のようにも受取れるものですから、堪忍袋(かんにんぶくろ)の緒を切りました。どっちが堪忍袋の緒を切ったのだか、わからないところがお愛嬌だと、がんりきの百はせせら笑ったが、笑いごとではない。この時、浪士の右の足が撥(は)ねたかと思うと、米友の胸板(むないた)めがけて、肋(あばら)も砕けよと蹴りが一つ入ったものです。普通ならば、これだけで事は解決してしまうのですが、
「何をしやがる!」
と米友は、蹴りを入れたその足を、両手でがっきと受留めて、こぐら返しに逆にひっくり返したものですから、蹴りはきまらず、浪士の身体が横ざまにひっくり返って、あっぷ、あっぷと言いました。
 その事の体(てい)が、今まで、さげすみ半分に、処分をこの一人に任せて、傍観の体勢でいた献上の一行を、残らず沸騰させてしまい、
「こいつ」
「この野郎」
「この馬鹿野郎」
「この身知らず」
「こいつ、気ちがいだ」
「泥棒だ」
「胡麻(ごま)の蠅だ」
 寄ってたかって袋叩きの乱戦になると、こうなると、宇治山田の米友が本場です。
 こういう喧嘩にかけては、相手の拳(こぶし)を受けて立つような男ではない。相手の一つの拳が来る前に、ぱた、ぱた、ぱたと三つ四つは、こっちから打ちが入っていて、あっ! と言わせる間に素早く飛びのいて、例の金袋を引っかつぐや否や後ろへさがったのは、逃げるつもりではない、足場をつくるつもりらしい。

         十八

 そこで、梨の木を一本、後ろ楯(だて)に取って、袋をかこい、蟠(わだかま)った米友は、例の手練の杖槍を取って、淡路流に魚鱗の構えを見せるかと思うと、そうでなく、後ろにかこった金の袋の結び目へ手をかけて、
「面倒くせえから、それ、欲しけりゃあくれてやらあ、手を出すなら出してみな、面(つら)でも腕でも持って来な、目口から押出すほど食わしてやらあ!」
 袋の結び目を手早く解いて、その両手を袋の中に突込むと、すくえるだけのザク銭(ぜに)をすくい上げ、
「そうれ!」
と言ってバラ蒔(ま)きました。バラ蒔いたその当面は、呆気(あっけ)に取られた献上隊の目と鼻の間です。
「あっ!」
と、これにはまた事実上の面喰いで、予期しなかった目つぶし。相手にこれほどの飛道具が有ろうとは思わなかった。
 さて、それから、花咲爺が灰を取り出して蒔くように、掴(つか)んでは投げ、掴んでは投げる。
 何といっても、盲滅法(めくらめっぽう)に投げるのではない、十分の手練に、二分の怒気を含めて投げるのですから、敵いかに多勢なりとも、面(おもて)を向けることができません。面を向ければ、多武(とう)の峰の十三重の塔と同じく、向いたところが満面銭で刻印されてしまう。
 額へ当れば額、頬っぺたへ当れば頬っぺた、縦に来た時は箆深(のぶか)に肉に食い入ろうというのだから、この矢面には向うべくもない。加うるに、この弾丸はなかなかに豊富で、むやみに掴投げにしてさえこの一袋は相当の使いでがあるのに、これを適度に使用されてはたまらない。左に持った一掴みの中から、右手で一枚を抜き取って、その片面にしめりをくれる。
「総花にフリ撒(ま)いてやるというのに、そう遠慮するなら今度ぁ、狙撃(ねらいうち)だぞ、それその前につん出た三ぴん野郎! こっちへ向け、そうら、手前のお凸(でこ)の真中へ、一つお見舞」
と言って、はっと気合をかけると、予告の通り三ぴん氏の額の真中へ、寛永通宝子がぴったりと吸い着く。
「そうら見ろ、お次ぎはこっちの三下野郎、イヤにふくれた手前の赤っ面の頬っぺたに一つ――こんにちは」
と言う言葉の終らぬ先に、なるほど、三下氏の頬っぺたに吸いついた文久通宝子、まるまっちい蝙蝠安(こうもりやす)が出来上る。
「その昔の、おいらの先祖の鎮西八郎為朝公(ちんぜいはちろうためともこう)じゃあねえが、お望みのところを打って上げるから申し出な、頭痛、目まい、立ちくらみ、齲歯(むしば)の病、膏薬(こうやく)を貼ってもらいてえお立合は、遠慮なく申し出な、そっちの方の大たぶさの兄いが、イヤに物欲しそうな面(つら)あしておいでなさる、ドレ一丁献じやしょうか、そうら!」
 空(くう)を切って飛んだのは、今度は名代の当百(とうひゃく)。以前のよりは少々重味があって、それが物欲しそうな大たぶさの耳の下をかすめて、鬢(びん)つけの中へ、ダムダム弾のようにくぐり込んだのだからたまらない。
「あっ!」
と、自分で自分の髪の毛をかきむしってとび上りました。
「そうら、こちらの方でも御用とおっしゃる」
 今度は一っ掴み、数でこなしてバラ蒔いて、
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
 指の股へ四枚はさんで、四枚を同時に振り出すと、それが眼あるもののように飛び出して、相手四人の顔面へ好みによって喰いつこうというのだから、眼も当てられない。
「こちらの方でも御用とおっしゃる」
 恵方(えほう)を向いた年男。
「あちらの方でも御用とおっしゃる」
 蛤(はまぐり)をつまみ上げた長井兵助。
 これを見て、がんりきの百の野郎が、手を拍(う)って嬉しがりました。
「寛保二年、閏(うるう)十月の饑饉(ききん)、武州川越、奥貫(おくぬき)五平治、施米(ほどこしまい)の型とござあい――」
 頼まれもしないに寄って来て、袋の結び目から、受けなしの片手をさし込んでの一掴み、口上交りで米友の手伝いをはじめました。
「下総の国、印旛(いんば)の郡(こおり)、成田山ではお手長お手長」
 いい気持になって、人の懐ろで施しをはじめる。友兄いほどにはないが、こいつもまた、相当の曲者で、投げる銭に眼はつけないが、鼻ぐらいはくっつけて飛ばすから、受けきれない。
 さしもの献上組も、これには全く辟易(へきえき)していると、頃を見計らったがんりきの百蔵が、米友を顧みて、
「あんちゃん、物は切上げ時がかんじんだぜ、この辺で見切りをつけようじゃねえか、お前(めえ)は跛足(びっこ)で、おいらは足が早いんだから、お前、ひとつおいらの背中へ飛びつきな、猿廻しの与次郎とおいでなさるんだ、お前を背負って、おいらが走る分にゃあ、ドコからも文句の出し手はあるめえぜ」
「合点(がってん)だ」
 その時の米友は、感心に人見知りをしません。投げるだけ投げた手を、ぱたぱたとはたき上げたかと見る間に――
 袋はそのまま杖槍は腰に、猿が猿まわしに取っつくように、がんりきの背中へ御免とも言わずに飛びつくと、心得たもので、がんりきの百が、そのまま諸(もろ)に肩をゆすり上げて――
「あばよ!」
と言って、献上組を尻目にかけ、足の馬力にエンジンをかけると、その迅(はや)いこと。
「あれよ、あれよ」
と献上組、あとを追わんとする者なし。

         十九

 駒井甚三郎の無名丸が、東経百七十度、北緯三十度の附近にある、ある無名島に漂着したのは、あれから約二十日の後でありました。
 漂着というけれども、むしろこれは到着と言った方がよいかも知れぬ。
 船がある一定の航路を持っている限りに於て、それが誤れば漂着であり、それが正しければ到着であるが、駒井の船は到着すべき目的地を持ちませんでした。
 海上は、天佑(てんゆう)と申すべきほどに無難でありました。
 無難とはいうが、なにしろ、一葉の自製船を以て、世界の太平洋中に約一カ月を遊弋(ゆうよく)したものですから、その苦心と、操縦は、容易なものではないが、運よく、颱風の眼をくぐり、圏をそらして、世の常の漂流者が嘗(な)める九死一生の思いをしたということは一度もなかったのですが、それだけ、駒井船長の隠れたる苦心というものが、尋常でないことがわかります。駒井甚三郎でなければ、頭髪もすでにこの一航海で真白になっていたかも知れません。
 東経百七十度、北緯三十度の辺に一島を見つけて、ようやくこれに漂着したとはいうものの、これはあらかじめ、駒井が測ったところの地点であり、予期したところの一島でありました。
 いずれにしても、この辺に島がなければならぬ。人の住む島か、鬼の棲(す)む島か、ただしは、人も鬼も全く棲むことなき島か、その事はわからないが、この辺に島嶼(とうしょ)が存在することを予想して、そうして、針路をそちらに向けたところ、果してこの島を発見したのですから、極めて好条件の漂着であったことに相違はありません。
「それでも、この辺の海上は至極無事なのです、天候はいずれの海上へ行っても予想はできませんが、地理と人情はたいていわかります、この辺には、人を食う種族の住む島はなく、人の船を襲うて荷を奪う海賊というものも、あまり現われないのです、支那の近海とは違って、亜米利加(アメリカ)へ近づくほど海賊が少ないのです、土地が豊かで、天産物が多く、そうして、人間の数が少なければ、人は人の物を奪わずとも、天与の物資そのものを目的とします。与えられたものが即ち運命なりとすれば、とにかく、あの島が、最初に我々を迎えてくれたのですから、あれに我々の運命をかけてみることも天意かも知れません、全員総上陸の用意を命じていただきたい」
 駒井甚三郎は、遠目鏡を離さず、船橋の上に立ちながら、相並んで島をながめている田山白雲に向ってこう言いました。
 ほどなく、総上陸の用意が整えられた時、駒井甚三郎は、みなに命じて大砲を一発打たせてみました。この航海で大砲を使用したのは、これで二発目です。一発は鯨の群の遊弋(ゆうよく)に向って試みてみました。今度は島へ向って礼砲のつもりです。その、轟然(ごうぜん)たる響きを聞いても、島のいずれの部分からも、人獣の動揺する姿を認めることができなかったものですから、駒井は遠目鏡を外(はず)して、また田山白雲に向って言いました、
「無人島です、人間は住んでおりません、もし相当多数の住民がありとすれば、船がここまで来る間に土人の舟が現われるはずですが、舟がちっとも現われない上に、人も現われて来ない、人間の使用品の類も漂うて来ない、煙も揚らない、人間の住んでいる気配はありませんから、一同揃(そろ)って、このまま上陸ができることは幸いです。しかし、一方から考えると、人間が住んでいないということは、人間の眼の発見から逃れていたという意味にもとれますが、同時に、人間がすでに見つけたとしても、土地そのものが住むに堪えないから、それで放棄したものとも解釈がつくのです。総員上陸の用意はして置いて、下検分のため一応、先遣隊をやる必要がありますね、誰彼と言わず、わたしとあなたとで、検分を試みてみようじゃありませんか、船夫(せんどう)を二人連れて、バッテイラで漕がせて、もう一枚、ムクを加えて行こうではありませんか」
 駒井からこう言われて、それを拒む白雲ではありません。
「至極妙です――早速手配をしましょう」
 ここで、駒井と白雲とが、二人の船夫(せんどう)をつれて、ムク犬をも乗組に加え、小舟でこの島に上陸を試むることになりました。残された船員一同は、そのいずれにも不安を感ずるということがなかったのは、出で行く人は、自分たちの頭ではわからぬ用意周到の船長であり、それと行を共にする田山白雲は、世に珍しい豪傑の一人ですから……それに、船長は精良なる銃器を持っているし、白雲は有力なる日本刀の二本を差している。船頭二人はこの道の熟達者であるし、ことにムクという奴が、未知未開の蛮地へ入り込んでは、必ずや人間以上の本能を発揮するに相違ない。たとえ鬼が出ようとも、引けは取らない――という信頼が充分だし、また船に残る者も、残された者も、僅かの航海の間に相互の協同精神が熟しきっている。ことに、七兵衛入道の肝煎(きもいり)ぶりというものが無類です。動かす必要のない船を預かる場合に於て、水も洩(も)らさぬ用心が、この入道の胸にあることも、船中の信頼の一つでありました。

         二十

 それから清澄の茂太郎が、逸早(いちはや)くメイン・マストの頂辺(てっぺん)に打ちのぼって、本船を離れて行く船長と白雲の一行を、視覚の及ぶ限り監視の役をつとめている。
 船の甲板では七兵衛入道が、やがて総員上陸すべき人員の点検と、陸揚げすべき資材の整理に大童(おおわらわ)となっている。
 七兵衛のその後のいでたちを見ると、いったん入道した形を決して変えない。あれ以来、絶えず船中で、頭へ剃刀(かみそり)を絶やさないと見えて、入道ぶりがもはや堂に入っているところへ、潮風で磨きがかかって、地頭そのものがいっそう自然の形に見えるようになりつつあります。
 その着物も、またそれに応じて、日本木綿を縫い直して筒袖にし、それに駒井形のだんぶくろをつけて、船員としても板についた形になっている。
 かくて、全員総上陸の点検の上、物資は物資でこれを大別して、船に残すべきものと、陸上に持って上せるべきものとし、とりあえず衣食住を保証すべき物資と、その用具の取揃えにかかりながら、七兵衛が言いました、
「まず第一が水ですね、水の手がなければ人が住めない、井戸を掘るとか、水口を取るとか、鶴嘴(つるはし)と、鍬(くわ)と、鎌と、鉈(なた)、鋸(のこぎり)――そういったような得物を、ここへお出しなせえ。それを束(たば)にして、がっちりとここへ並べて置きなせえ。それから、煮炊(にたき)をする鍋釜、米と塩、鰹節と切干――食料は、よく中身を調べて、この次へこうしてお置きなせえ。とりあえず野陣を張る天幕はいいかね、張縄から槌(つち)、落ちはないかね。それからお医者さんの道具と薬箱、これは潮水に当てねえように、雨にかからねえように、桐油(とうゆ)をかけて、細引にからげて、取扱注意としておくんなさいよ。めいめい足を忘れねえように、蛮地の山坂を歩くには足が大事だよ、足が――沓(くつ)に慣れた者は沓、草鞋(わらじ)草履(ぞうり)の用意、二足でも、三足でも、よけい腰にブラ下げるようにして、水筒には、それぞれ湯ざましを入れて、これも腰から放さねえことだ。陸(おか)へ上ったら、直ぐに飲める水が有るか、ねえか、そこのところの用心だ、時候がわりの土地へ来て、うっかり悪い水を飲んじゃあ、取返しがつかねえぜ」
 さてまた、婦人と小児の周旋は、お松が承って、これを担当する――
 婦人といっても、監督のお松と、それから乳母(ばあや)、七兵衛入道が押しつけられて来た南部の生娘(きむすめ)のお喜代――番外としては、ほとんど監禁同様に船室に留められている兵部の娘、それだけのもので、小児としては登少年たった一人――清澄の茂太郎は、小児扱いをすることはできない。
 男子はすべて、総上陸の用意をしているが、婦人と小児は、必ずしもそうは急がない。というのは、果して、あの島に安全生活の保証が立つか立たないかは、船長と総監(白雲のこと)が帰って来てでなければわからない。よし、人間の生活に堪えることが充分に保証ができたとしても、婦人小児連は当分の間、野営同様の空気に曝(さら)されるよりは、この船の中を当分の住居としていて、陸上に相当の住宅準備が出来て後、本上陸ということにしても遅くはない。よって、これら婦人部隊は、比較的に動揺が穏かです。
 幸いにして、婦人部隊に至るまで、いずれも健康に恵まれている。恵まれているというよりも、船長の周到なる用意と知識とが、船上衛生に抜かりなからしめている。その上に、食糧から医薬に至るまでの準備が潤沢であった――等々の条件が、船員のすべての健康を保証していたので、健康以上に張りきった精力に溢(あふ)れて見えるのさえある。
 してみると、ここまで、世間の漂流記にあるような極度の欠乏や困苦から、この船員はすべて免らされて来ている。天候と言い、健康と言い、珍しいほど好条件に恵まれているもので、ある意味では、世界周遊の遊覧船に乗せられて、たまたまこの地に船がかりをしたような気分をさえ与えられるのでありますが、前途のすべてが、こんな洋々たる気分ばかりではあるまい、ということは誰にも予想されるのです。
 ことに船長の身になってみると、現在の好条件がかえって、未来の多難を暗示するような考慮もないではない。それをまた本当に思いやっているのが、船長についではお松です。白雲は豪放で、それらの点には、さのみ頓着はしていないようです。
 お松は、一通り甲板から各船室を見舞った上に、ひとり船長室へ来て留守をつとめていながら、眼の前に浮ぶ島と、それに向って漕ぎ行く駒井と白雲一行の小舟を、窓の内から見送って、希望と心配とに張りきっておりました。

         二十一

 ここにもう一つ、隠れたる功績をうたわなければならないことがあります。
 それは、メイン・マストの上にいる清澄の茂太郎であります。
 この少年は出鱈目(でたらめ)をうたい、足拍子を取り、また興に乗じて踊り出すことに於て、船中の愛嬌者とはなっていますが、愛嬌者以上の実用の功力(くりき)を認められたこと、今度の航海の如きはありません。それは何人よりもまず、駒井船長に認められました。
 というのは、時に感じては、逸早くメイン・マストへ攀(よ)じ上って、出鱈目の口上を口走るが、その出鱈目のうちに、驚くべき天気予報を感知したのが駒井船長でありまして、今日は無事であること、明日は降るであろうこと、曇るであろうこと、または即今、南の方から低気圧が捲き起ること、北の方の潮の色が変っていること、そういうことが出鱈目の口うらのうちに含まれているのみならず、彼の音声の変化だけでも、気象に合わせて科学的に考慮してみると、経緯度ごとに音節の変調を来たしているやに見える。それを最も早く見て取り、聞き取った駒井船長は、船室のうちから、その研究を統計に取りかかりました。その結果が、その少年の声によって、気象の変化をある程度まで識別し得られる――船の針路が、ある程度まで暗示せられ得る、ということを発見して、有力なる航海指針のうちに加えました。それで、この航海が、漂流に似て漂流にあらず、初心の航海者が当然受くべき苦難から、きわどい潮さきによく逃(のが)るることを得て今日に至ったということと、今日に至ってこの島へ安着したその予感も、この少年の感覚に負うところが多いのであります。
 もちろん、人間のことだから、機械のように固定した正確を得ることはできない点もありますけれども、観察の如何(いかん)によっては、生きた気象台であり、生きた羅針台であり、生きた航路案内者となり得ることを、駒井船長が見て取ったものですから、これを観察し、これを利用することを怠りませんでしたけれども、それが評判に上ることによって、船中の要らぬ好奇心を加え、当人の鋭敏な感覚に無用な刺戟を与えてはいけないから、誰にもそのことを知らせずに、当人にのみほしいままに歌わせ、ほしいままに躍(おど)らせて、その純真性をつとめて保護して置かなければならないと思い、誰にも言わないうちに、ただ一人、お松にだけには、相当の暗示を与えて置きました。
 それですから、船長が島に渡った後のお松は、船長室を守ると共に、マストの上なる茂太郎の言動挙動に、それとなく注意を払っておりますけれども、今日の茂太郎は、歌うべくして歌わないのが不思議です。陸に着いたら真先、サンサルヴァドルの歌を歌うべきはずになっていたのが歌いません。
 茂太郎がこの島を歌わないということが、お松にとっては、この島が人の住むべき島でない、人が住むことに、何ぞ障壁のあるべき島だということの暗示にならないでもありません。
 それよりもなおいけないのは、万々一、そんなことは予想するさえいやで、また予想するほどの必要が微塵(みじん)もないことですけれども、島の検分に赴(おもむ)いた船長さんと田山さんの一行の上に、何かの異変が――というようにまでもお松は念を廻(めぐら)してみるのであります。
 そこで、身は船室に於て、船長なき後の船の一切の機密をあずかると共に、耳は高くメイン・マストの上に働いて、今にも起るべき、予報と、合図を待つことに集中されているのであります。
 幸いにしてやや暫く、歌うべきものの歌う声が起りました。お松は福音(ふくいん)を聞き貪(むさぼ)る如く、その声に執着すると、その歌は――
ダコタの林の中に
小屋を作り
パンを作り
泉を飲み
大地と岩と
五月の花をながめ
星と
雨と
雲とに驚けば
ものまね烏が啼(な)く
山鷹が飛ぶ
わたしは
新世界のために歌う
脚には聖なる土
頭の上には太陽
地球は廻転する
偉大なる哉(かな)、先人
ここに女性と男性の国
魂はとこしえに
海よりも遥(はる)かに偉大に
満ちては退く
退きては満つる
わが魂もて
不滅の詩を歌え
国々に起る
海と陸との
英雄
私は悪を歌おう
悪というものはないもの
現在に不完全なものはない
未来に不可能なものはない
ごらんなさい
大地は決して疲れないから
 例によって出鱈目の歌だが、その出鱈目にも相当に根拠はあるのです。
 どう根拠があるということは、当人には無論わからないが、駒井船長や、田山白雲の会話を聞き、また船長から口うつしのお松の筆記の席に侍し、そんなこんなで、うろ覚えが興に乗じて、前後左右、交錯したり、焼直されたりして、飛び出して来るのですが、今の歌もまさしくその反芻(はんすう)に相違ない。お松もその歌詞をそっくり受取ったわけではないが、その音節を聞いていると平和であり、その歌調の表現は、悲観でも失望でもない、むしろ、積極的に、大地と自然とを謳歌(おうか)する歌になっているものですから、お松は、この島が豊かな土地であり、船長はじめ検分の一行も極めて無事満足に探検を進めて、希望に満ちているということを、この歌が暗示すると認めたものですから、ほっと安心しました。

         二十二

 上陸して島内の最寄りを一応視察した駒井甚三郎は、同行の田山白雲に向ってこう言いました、
「水も掘れば出て来る見込みは充分だし、土地も開けば耕作の可能性がたしかです。ただ川がないから、水田は覚束(おぼつか)ないと思うが、陸稲及び麦、しからずば蕎麦(そば)などは出来ましょう。そのほかに、この地特有の食糧を供する植物があると思います。ともかくもここへ我々の根を卸してみましょう、相当生活してみて見込みがなければないで、また手段方法を講ずる余地が有りそうなものです。それにこの島は、周囲せいぜい二三里のものでしょうが、必ずや遠からぬ附近に、これに類似した大小幾つかの島が存在すべき見込みがあります。ひとまずここを足がかりとして、近き海洋を視察している間には、我々に与えられた最も適当な楽土を発見するかも知れない、約束せられたる土地というようなものがないとは限らない――左様、東経は百七十度、北緯は三十何度の間、ハワイ群島はミッドウェイ諸島に近いところ、或いはその中の一部に属しているかも知れません。これらの島々は、まだ名あって主のなき島と謂(い)うべきだから、我々に先取権が帰着すべき希望も充分あります。では、船へ帰って、この旨、一同に申し告げて、総上陸ということを決行しようではありませんか」
 白雲がこれを聞いて頷(うなず)き、
「結構ですね、そうして、いよいよ総上陸ということになりますと、まず第一に住居地の選定をして、上陸早々、住宅の建設に取りかからねばなりません、図面を一つ引いて行きましょうかね」
「そうして下さい、とりあえず海に近いところ、あの辺か、或いはこの辺がいいでしょう、材料は、近辺の、成長するあらゆる植物を、利用のできるだけ利用することですね」
「設計図は任せて下さい、拙者が、原始的で、そうして気候風土に叶(かな)う様式を創案してみますから」
「そう願いましょう。それから特に注意しなければならんことは、気候はこの通り温かいのですから、霜雪の難はありません、大河湖沼が乏しいから、洪水の憂いというものからも救われましょう、唯一の心配は風ですね、海洋の中の一孤島ですから、風当りは相当強いものと見なければなりません。しかし、波は岸を洗うとも、島をうずめるようなことはありません、海嘯(つなみ)だけは用心しなければなるまいから、単に海岸の舟つきの部分だけを念頭に置かず、半ば岩穴づくりにして、堅固に掘立てを構えることですね、風の当りさわりを本位にして」
「そうでしょう、強風暴風に堪えると共に、この通り暑いところですから、風通しをも考えなければなりませんな」
「それともう一つ、大家族主義で行くか、分散主義で行くか、それも重要な構図のうちです、つまり、海の生活を直ちに陸にうつしたような方式で行くか、或いは陸は陸のように、おのずから個性を尊重する建前で行くか、その建築方式を、あらかじめきめて置いてかからねばなりますまい」
「それもありますな。しかし、あれだけの人数が、いちいち一戸を持つなんぞということは、今日直ちにできることではありませんから、当分は大家族主義を取るほかないでしょう」
「しかし、物は最初がかんじんです、最初にその様式を整えて置かないと、後日改良をすると言っても、容易なものじゃないです」
「いったい人類生活は、大家族主義が本当ですか、個々分立主義が正しいですか。日本でも、飛騨(ひだ)の山中へ行きますと、一棟に四十家族も包容する大家族主義が現に行われていますが、我々の将来も、あれで行けるものか、或いはまた一人一家、少なくとも一夫一婦毎に一棟を分つという近代の行き方に則(のっと)らねばならないか、我々の植民第一に、その方針を決定してかかる必要はたしかにあります。あなたの趣味は、いったいどちらですか」
と田山白雲から尋ねられて、駒井が相当確乎(かっこ)たる所信を以て、次のように答えました。
「私は一人一家主義です、ここに一人が独立の生計を与えられれば、必ず独立した一家を持たなければならぬという論者です、いわんや結婚生活者に於てをやです。かりに我々の仲間で、結婚以外に行き道がないものは、大家族主義を捨てて、独自の生活を営ましめるようにありたい、飛騨の大家族主義の如きは、自然生活にはかなっているかも知れませんが、私は個人の確立のためにそれを取りません、結婚者は当然独立した一家庭を持つべきは勿論、結婚した後に於ても、男女ともに別々に一家を成してさしつかえないと考えているのです、そうする方が合理的になるのじゃないかと考えているのです」
 白雲には、駒井のこの論旨が、よく呑込めませんでした。結婚生活者にはぜひ一家庭を持たしめよということは聞えるが、結婚した後に於ても、おのおの別々に生活するがよろしいという論理は、そのままでは甚(はなは)だ不透明だと思いました。

         二十三

 しかし、この場合、そういうことに議論を逞(たくま)しうしているべきでない。白雲はそれを追究せず、そのうちに乗って来た小舟のあるところに到着すると、一行がこれに取乗って、本船さして漕ぎ戻る極めて無事な光景であります。
 船へ帰ると駒井甚三郎が、船員全体を上甲板に集めて、次のような申渡しをしました。
「さて、我々はこの島へ上陸して、今後、この島の主となると共に、この島に骨を埋める覚悟で働かねばなりません。ここは我々だけの国であり、おたがいだけの社会でありますから、今までの世界の習慣に従う必要もなければ、反(そむ)くおそれもありません。もしこの島の生活を好まぬ時は、いつでも退いてよろしい。生活を共にしている間は、相互の約束をそむいてはなりません。ここには法律というものを設けますまい、命令というものを行いますまい、法律を定める人と、それを守る人との区別を置かないように、命令を発する人と、命令を受くる人との差別を認めますまい。仮りに私が先達(せんだつ)でありとしましても、それは諸君を治めるという意味の立場でなく、諸君に物を相談するという立場でありたい。この故に、我々だけの国とはいうものの、我々の国には王者がありません、治める人と、治めらるる人とがありません、従ってこの国には賞というものがなく、罰というものがないことになります。賞という以上は、それを賞する者がなければならず、賞するというのは、一段高いところに立って、そのことのぜひ善悪を鑑別して後にこれを推(お)す者になるのですから、批判の地位になります、批判が正しい時はそれでよろしいが、もし批判が間違っている時は、賞にその権威がなくて、軽蔑が起るのですから、人世と人とを推進せんがため、賞というものがかえって世道人心を紊(みだ)るの結果ともなるのであります。罰もその通りでありまして、社会が罰というものを設けるのは、これによって善をすすめ、悪を抑(おさ)えんためでありますが、それもやはり罰する人が正しければよろしいが、罰する人が誤っていた日には、罰を与えていよいよ人心を危うくするばかりです。よって、ここの国では賞も行わず、罰も行わずという建前にしたい。では、善いことはせんでもよい、悪いことは仕放題で罪がないかと申しますと、それは大いに有ります、おたがい同士仲よく生きて行くために害を為(な)すことは悪い、それを滑(なめら)かにするものは善い、とこう定めて置きましょう、そうすれば、おのずからこの島に於て為さねばならぬことと、為して悪いこととがわかるはずです。まず第一に、生きて行くには食物がなければなりません、空気と水は天地が与えてくれますから、これは人間の骨折りはいらない、その他の食物は、一切人間の手で、人間が作らなければなりませんから、人間の活(い)きて行く善事のまず第一のものは、食物を作ることです。これとても人間の力だけで出来るものではありません、米を蒔(ま)くにも、田畑というものがなければなりません、幸いに、私共がただいま実地検分して参りました結果によりますと、この島には、食物を生産すべき可能性が充分にあるのであります、人力を加えさえすれば、立派な耕地となる面積があるのであります、種子物の類は、豊富に船の中に貯えて持参してありますから、上陸早々、まず雨露を凌(しの)ぐところをこしらえて、それから耕地のこなしに取りかかりましょう、これが私たちの最初の善事でありますから、皆さん、応分の力をこれに添えて働いて下さい。みな働くと申しても、皆さんの力が平均しているわけではありませんから、誰も彼も鍬(くわ)を取り、鎌を振(ふる)って、荒仕事ができるものではありません、女子供はましてそうですが、力の足らぬもの、経験の乏しいものは、見よう見まねに、仕事の成績には関係せず、努めてやってみようという心がけが大切です。また、労力相当の軽い仕事から始めて、助けて行くのもよろしいです。そうすれば、これだけの人数で、五町や十町の開墾は苦もなくできます、それに種子をおろせば、まだ土が珍しいから、肥料なくして大抵の作物は出来るはずです。種子をまいて半年なり一年なりすれば、この人数を養うだけの収穫は必ずあります。故に、皆さんは、まず食物を作ることを第一の善事だと心得て下さい。それを妨げるもの、妨げないまでも、その助力を惜しむものが第一の悪事だと心得て下さい。それからです、我々は決しておたがいに過大の労力を課することを慎みましょう、出来ないものに無理に仕事をさせることのないように、出来る者にも、なるべく多くの余裕を与えて、人間というものは食って行くだけの世ではない、食って行くのは、つまり、皆々の持合わせた天分を、最上に発揮するためだということを心得て、おたがいの修養と、発表とを、怠らぬように致したい。そこで当分は、半日働いて、半日はおのおのの思うままのことをしてよろしい、本を読みたいものは本を読む、絵をかきたいものは絵を描く、歌をうたいたいものは歌をうたう、大工をしたい、細工をしたい、というおのおのの好み好みのことを、存分におやりなさい。半日は食物のために働き、半日は趣味のために生くるということ、これをこの島のおきてと致しましょう。それから、万々一、おたがいの中に我儘(わがまま)気儘(きまま)が昂じて、他の害悪をなす場合には、他の世界では、直ちにつかまえて牢へ入れたり、首を斬ったりするのですが、ここでは一切、そういう刑罰は用いますまい、刑罰の代りに遠慮を申し渡しましょう。我々の生活がわかってさえもらえば、好んで周囲を悪くするものはないはずですから、万々一、そういう人は、この社会を離れてさえもらえばよろしい。と言ってもここは大洋の中の孤島ですから、めいめい勝手に離れて行きたいところへ行くというわけにはいきませんから、この島のうちで別世界をこしらえて、そちらへ移ってもらう、そうして、そちらで自分の好きなような生活ぶりをやってみるがよい、当分の間、食うべきものは、こちらから分けて上げることにして、それ以後は勝手な生き方で生きてみるようにする。なおこの新しい生活を共にして行く間には、今までの世界で起らなかった問題も相当起るかも知れませんが、その時は、おたがいに相談の上で善処することと致し、とりあえず右のような意味で、食物を作ることに全力を注ぐということを、天地に誓いましょう、これには御異存はござるまいと思います」
 駒井甚三郎が、諄々(じゅんじゅん)として、かく申し渡した時に、誰も異議異存のあろうはずはありません。一同無条件に同意して、略式を以て天地に誓うの形式を取りました。
 ここに駒井甚三郎が、その理想の王国を作るの第一歩に踏み入ったわけですが、これは胆吹の山で、暴女王が行わんとしたところのものと、期せずして異曲同工なのであります。
 暴女王は専制の王国を打立て、力を以て、思い通りの小社会を作ろうとして失敗しました。
 駒井甚三郎は、力を以てせずして、自由を以て、人間生活を最善に伸ばそうとするところに相違がある。
 彼女の気象が烈しかったと反対に、これの行動は極めておだやかでありますけれども、その徹底を求めてやまざる意志の強烈にはあえて甲乙なしというべきでしょう。
 果して、治者なく、被治者なき社会の存立があり得るや。命令と、法律と、その後に強力がなくして多数を統御し得るや。これは、これだけの少数同志ならばとにかく、この形式を、何千何万倍の人数に及ぼし得る可能が有り得るや否や。駒井甚三郎は身を以て、これが実験にとりかかり得たものと見なければなりますまい。
 総員はみな無条件に聴従したけれども、この中の誰が、駒井の本心に共鳴し得るや。田山白雲すらが、その深い洞察はできない。聴従はするが、共鳴はないのです。そこに駒井としては、無上の希望があると共に、無限の淋(さび)しさがあるというものです。

         二十四

 かくて、田山白雲の設計図により、附近の木石を利用し、船中からも相当の資材を持ち出し、かなりの新館が、忽(たちま)ちに出来上りました。
 船は島蔭の程よき所に廻航して、そこに据附けの形となり、多くは小舟によって往来しつつ、そこを宿所として工事に働きに出ましたが、ほどよく新館が出来てみると、船に留って守るものと、新館に移動する者と、交代に手分けをしなければなりません。
 それから、附近を詮索(せんさく)して水道の工事があり、やがて開墾にとりかかって、草木を焼き、或いは伐(き)り、開くあとから種を蒔(ま)きはじめました。幸い、農事にかけては七兵衛入道が万事本職で、熟練した指導ぶりを見せていますから、仕事の捗(はかど)ること目ざましきばかりです。
 そのうちにも、休息と、慰安の時間は多分に与えられて、仕事の余暇は、おのおのその楽しむところを発揮するの自由を与えられましたから、ほんとうにすべてがトントン拍子で、幸先は決して悪いものではありません。
 駒井甚三郎は新館の一室を書斎とし、一室を寝室とし、食事は多勢と共に食堂兼用の広間ですることもあれば、書斎に取寄せて済ますこともある。駒井の次の一間は、秘書役のお松の部屋です。
 お松は、駒井の秘書と、内政と、その事務の助手のすべてを兼ねて、なくてならぬ人です。
 駒井が研究に没頭して事務に遠ざかる時は、お松でなければ駒井に代って取りしきる人がありません。田山白雲は豪放磊落(らいらく)を以て鳴り、このごろは、その附近の異風景の写生に専(もっぱ)らで、義務として開墾に応分の力を出すほかには、細務に当るの余暇がない。時としては、島めぐりに日を重ねて帰ることさえある。
 いちいち、駒井船長の指揮を仰ぐことの代りに、お松さんに相談すれば、大抵の用は足りる、というところから、お松の地位が、責任と繁忙を加えて来るのはぜひがありません。
 駒井は、お松の才能を見て、得難き人を与えられたることを心ひそかに感謝している。この娘には万事を任せて間違いがないと信じていることは、いつも変らない。異常なる興味と、熱心と、忠実とを以て、自分の身のまわり一切の処理をしてくれる、その勉強ぶりをじっと見ている駒井の眼に、いつか涙のにじむことさえある。
「ああ、この子も娘ざかりなのに、考えてみれば自分は、この娘の未来を無視しているのではないか、自分は自分で趣味に生き、理想に生きて行くのだから、どんな山海万里の涯(はて)に果てようとも厭(いと)うところはないが、考えてみると、それだけの趣味も理想も持たぬ人たちを、強(し)いてこっちの趣味と、理想に引張り込んで、世間並みの希望と快楽を、すべて奪ってしまうにひとしいことになりはしないか、ことに娘ざかりのこの子たちを、今はこうして、自分というものに引きずられて、無我に働いてくれるようなものの、いつか眼がさめて、幻滅の悲しみに泣かすことはないか、眼がさめた時は、もう盛りが過ぎた時で、女の一生が色のあせたものになってしまって、一生を老嬢の淋(さび)しさに泣かすようになった日には、その罪は誰が負う、本来ならば、年頃になったような娘は、早くしかるべき相手を求めて、とにかく一人前に納めてやることが先輩の義務であろうのに、自分はただいい秘書を求め、助手を求め当てたことだけに満足していて、それで済むか、今の忠実を見るにつけ、後の心配をしてやるべき責任は自分にあるが、こうなってみると、世間並みの家庭に納めて、世間並みの肩身を広くさせてやることができない、体(てい)よく、こちらの犠牲として一生を廃(すた)らせてしまうことになるのだ、その点は気の毒に堪えない」
 駒井は、お松の仕事ぶりを見ながら、つくづくそれを感じて、つい、深い感慨に陥ってといきをつくことさえある。今日も、朝のうちから、皆の者は開墾に出て、駒井は研究室で、地図と海図をひろげて調べている、その机の一方で、一心に記録をうつしているお松を、横からながめて、またも、うっとりとその感謝と、悔恨に似た心で満たされて、思わずホッと息をついた時に、ペンを置いて、インキの壺を満たしかかったお松の眼とぴったり合いました。
 駒井もハッとしましたが、お松も思わず胸を轟(とどろ)かせました。
 地図を見つめて研究に耽(ふけ)っておいでになるとばっかり信じきっていた主人が、今までじっとわたしの方を見つめておいでになった。しかも、その眼の中には、解釈のできない深い思いが籠(こも)っていて、ただ研究に疲れたお眼をそらすために、あらぬ方を向いておいでになったものとは思われない。たしかに自分というものに視点を注がれて、じっと思い込んでおいでになったそのお心持は、不意にわたしの眼とかち合ったあの瞬間の狼狽(ろうばい)ぶりでよくわかる。
 お松はその時に、思わず面が真赤になりました。
 今まで、尊敬すべき主人として、二心なく働いていたし、また、こういう御主人の下に働き得ることに、精一杯の満足を捧げていたのですから、いかに接近して、いかに立入ったお仕事の相手をしようとも、自分としては、ちっとも心の動揺を感じたことはなし、また殿様も、女性として、人間として、わたしをごらんなさるほどに人情に近い方ではないから、単に、この中で最も役立つ女という実用一方のお取扱いとのみ信じていたから、そこになんらの隔意というものはありませんでしたが、この時は違いました。
 お松は何の故に、駒井の殿様が、今更あんなにわたしを御注視なすっていらしったか、その心のうちを知るに苦しみました。そうして、その瞬間に、使われ人としての自分でなく、女性としての己(おの)れを発見したものですから、我知らず狼狽して、ホッと上気してしまったこの心持が、自分ながらわからない。恥かしいとは思いましたが、ただ恥かしいでは隠しきれないバツがあって、そこは賢い女ですから、取紛(とりまぎ)らすように心を立て直し、言葉を改めて駒井に向って言いました。
「殿様、御気分でもお悪いのでございますか」
 さし止められている殿様という言葉が、この時、思わず口を突いて出てしまったことは、その心が、昔の思い出に占められていたからです。秘書としてのお松ではなく、処女としてのお松でありました。
「いや、別に気分が悪いことはないが、少し考えさせられることがあってね」
「まあ、お考えあそばすことは、あなた様の始終のお仕事ではございませんか、いまさら考えごとをあそばすと、おっしゃるのがおかしいわ」
と、お松はつい語尾を砕けて言いきって、自分でなんとなく胸を躍(おど)らせる心持を加えたのが、自分でわかりません。
「いや、研究の考えごとと、人情の考えごととは、同じ考えごとでも性質が違うからな」
「考えごとにそんなに幾つもあるものでございますか、人情とは何でございます」
「人情というのは、人間の情合いのことなのだ。学問というのは、情合いをはなれた理性というものです。学問の考えは、深ければ深いほど落着くが、人情の考えというものは、深ければ深いほど乱れてくるものだ」
「では、殿様には、何かお心を乱すような人情の思い出が、お有りあそばしますか」
「有るとも、大有りだ」
「伺いとうございますね」
「言わん方がいいだろう、言えばいや増す思いというものだからな」
「では、わたくしが代って申し上げてみましょうか、お君様のことを、お思い出しになったのでございましょう……」
「うむ……いや、違う、あれはもう忌明(いみあけ)だ、思い出せば不憫(ふびん)と思いやられぬことはないが、いつまでも愛惜(あいじゃく)を追うのは、それ、冥路(よみじ)のさわりというものでな、今では、さっぱりとあきらめている、いまさら思い出して、心を傷(いた)ましむるということもないのだ」
「では、奥方様のことを……」
「いや、あれは愛情がない、権式があるばかりだ、正直に言うと、結婚以前から冷たいもので、今もその通り」
「では、どなたのことを思い出しておいでになったのでございますか」
「実はな、お松どの、君のことを考えて、つい思いに沈んでしまったのだ」
「まあ、勿体(もったい)ない」
と言って、お松がまたも真紅になって、うろたえる心を抑(おさ)えることができないほどです。

         二十五

 ただ単に自分のことを考えていてくれたということは、感謝すべきことであっても、狼狽すべき事柄ではありません。それなのに、お松の狼狽ぶりのあわただしさ。自分ながら、今日に限って、何でこんなにあわてなければならないか、その理由がわかりません。
「お松さん、私は、つくづく君に済まないという考えが、このごろ漸(ようや)く起りました、遅いことでした」
「何をいまさら改まって、そのように仰せられますか、わたくしにはわかりませぬ」
「あなたが忠実に働いてくれればくれるほど済まない、思えば、私は、あなたを忠実な秘書であり、助手であるとしか認めていませんでした、お松どのという存在は、ただ駒井の研究を助けてくれる得難き道具として――道具というのは少し言いすぎかも知れませんが、最も善い意味で、そういう取扱いが当然だという心得のみで、それ以上には考えることもしませんでしたが、今、考えてみると、あなたも女でした」
「何とでも仰せあそばせ」
 お松は、駒井の率直な言いぶりに、挨拶の言葉を見出せなかったのです。駒井は、言葉をつづけて言いました。
「あなたも女です、今ここに女性として、私の親近の一人を見ていますと、その女性は、娘盛りという、人生に二度とない花の時代でした、ああ、それを自分は、ただ自分の助手としてのみ、便利有用なる道具としてのみ認めて、女性として、娘ざかりとしての、あなたというものを見て上げることができなかった、むしろ、その余裕を今日まで持ち得なかったということに、大きな慚愧(ざんき)を感じました、己(おの)れというものに熱中している間に、知らず識(し)らず人を犠牲にしていた大きな罪を、覚らずにはいられません、それを、今という今、痛切に責められたものですから、思わず歎息となりましたのです」
「何をおっしゃいますか、わたくしには聞えませぬ」
とお松も、つとめて冷静を保つ心で駒井の言い分に応対をして、
「女としての私が、お傍に働いてお気に召さぬならば、いつでも引下らせていただきます、微塵お怨(うら)み申し上げる心などはござりませぬ、幸い、わたくし、子供の時から骨折仕事にも慣れておりますから、明日からでも開墾の皆様と御一緒に、草も刈りましょう、水も運びましょう、その方が、わたくしの身にも相応しているに違いありません」
 駒井は、それを押しなだめて申しました、
「そういう意味に取ってもらっては迷惑します、今ここから君に離れられては、君に代るべき人がない、人がないから、やむを得ず君に働いていてもらうのではない、たとえ幾人の適任者がありましょうとも、君を措(お)いて、助けてもらえる人は現在の駒井にはないのです、拙者が済まないと思うのは別の意味ではありません、女性の一人を、女性として扱うことをせずに、単に便利なる使用人として一生を廃(すた)らせてしまうその責任が、この駒井にありはしないか、世が世ならば、そなたのために、よき連合いを求めて、立派な家庭の人として仲立(なかだち)して上げるべきはずなのに、それをせずに、こうして、いい気になって、娘ざかりをあだに過させ、今後とても、そういう希望を以て、君を世に出して上げることが覚束ない、それを思うと、自分の罪に戦(おのの)かずにはいられないのです。人というものは、己(おの)れの理想に熱中していると、知らず識(し)らずその家庭に大きな犠牲を作るものだということを、今ごろ、つくづくと考えさせられた次第なのです。そこで、そなたの身が不憫(ふびん)でならなくなりました、今までは、物としての人を見たのですが、今は人としての女を見たのです、自分の心の弱き部分が綻(ほころ)びて、血を出したようなものなのです、深く気に留めないで下さい」
 物やさしく言う駒井の言葉が、今日はナゼかお松の心を動かすことが深く、いつも、はきはきと答える言葉が、今日はまとまらず、この深甚(しんじん)な、異例の言葉に対して、何と挨拶すべきか、お松はぽっとしてしまいましたが、やがて、卓の上に泣き伏してしまいました。声を揚げて泣いてしまいました。

         二十六

 その時から、駒井甚三郎とお松との間の感情が、平静を失いました。
 お松は、駒井にとって唯一の秘書であり、助手であることは変りはありませんけれども、今までの虚心であることができません。この人に近づくことに、心を置かなければならなくなりました。駒井としては、あの時、言い過ぎたとも思う様子はなく、更に言い足そうとする気配もなく、依然として、威と恩とを備えた主人とし、船長としての態度を保つことに変りはありませんでしたけれど[#「ど」は底本では「で」]も、ひそかに見やるお松の眼には、痛々しいものの映ることを止めることができません。
 威厳の人としてのこの主人に、お松は物の哀れをはじめて見出しました。それは甲州以来の昔の思い出が、今までは人の身の上のようにしか思われなかったものが、今は、わが身の上のような気がしてなりません。
 そうしてみると、あの朋輩(ほうばい)としての不幸薄命なお君さんという女性の運命の絵巻を、ここに再び繰りひろげて、それを哀れなりと思う心が、泉のように甦(よみがえ)って来ました。本当に自分としては、お君さんを気の毒だと思い、できる限りのお世話はしたつもり。またお君さんの方でも、わたしというものを、本当に唯一無二の、心の底までの打明け相手として許しておりました。
 その時分のお松は、駒井の殿様は、殿様として尊敬はしていたけれど、それは有っても無くてもよい存在のようなもので、お君さんだけがなければならない人で、その人のために、身を尽し心を尽して尽したつもりですけれども、ついにその効(かい)がありませんでした。自分の無力を歎くと共に、お君さんの不幸な一生を、歎いても歎き足りない気でいます。その時の自分の心には、宇津木兵馬というものだけがあって、そのほかの男性のことはありません。この世で、いちばん縁のありそうな人で、その実、いちばん縁のないのが兵馬様であります。紙一重(かみひとえ)の違いが、いつでも千里の外にそれる、それをお松は、運命というものは、いつもこうしたものだと、雄々しくもその時に思いあきらめて、更に新しい仕事を、新しい勇気を見つけては、ここまで進んで来ました。
 海上の生活から、今の役目が重くしていそがしいために、このごろは思い出すこともなく、お君と、兵馬のために、心の痛手を病むことが少なくなって来ていました。それを、このごろ再び、物思う身となりました。昔は人の身、今はわが身というような、言い知らぬ心の痛みが、お松を悩ますもののようです。
 ある時は、お君さんに済まない! というような夢心地になって、ハッと我にかえることさえありました。お君さんの運命が、今日となって、わが身に降りかかろうとは、それは夢の外の夢のような思いに堪えられません。
 それから、お松はなるべく、主人の室に遠ざかって仕事をしようとしました。わざと次の間に持ち出してみたり、今まで心置なく物をたずねたり教えを受けたりすることも、この頃からなるべく口を利(き)かぬように、物を言わぬように、できるならば、ひとりだけ離れて船の中にいたいというような気分に迫られて来たのが、自分でもわかりません。
 駒井もまた、気のせいか、態度に変りはないとは言いながら、お松に向ってする口の利き方が鈍くなって、少なくなったように思われます。お松は、この心の間の裂け目を悲しいと思いましたけれども、その悲しさのうちに、何か甘いものが、重い心の躍動というものがあるのを感ぜずにはいられません。
 それから幾日の間、こんなようにして、二人は、外見は少しも変らずに、助けつ助けられつして過しましたが、その間にも、先日のような突っこんだ話は少しも出ませんでした。
 駒井は冷静な科学者の立場で研究をつづけている、その変らぬ面の、すずしい中のきびしさを見ると、あの時の、あの言葉が、通り魔のように、何ものかのいたずらがさせたことではないかと感ずるばかりです。
 それから一週間ばかり経って後のある日、開墾の方が予定よりもずっと速(すみ)やかに進んだことのお祝いを兼ねて、慰労の催しをすることがありました。その主唱者は七兵衛で、また委員長も七兵衛であります。取って置きの食糧を整理して、赤の御飯を炊(た)く、手づくりの諸味(もろみ)の口を切る、海でとった生きのいい魚、陸で集めた自然の野菜、バナナ、パイナップル、それから信天翁(あほうどり)を料理した肴(さかな)、そういったような山海の珍味を用意して、折柄、その晩は大空に皎々(きょうきょう)たる月がかかり、海上千里、月明の色に覆われて、会場は椰子(やし)の葉の茂る木の間に開かれてありました。
 勇ましき開墾の凱歌を唱えて、一同が飽くまで、この月に酔い、海に躍るの興は、世界に二つとない、ここまでの苦を慰めるに余りあるもので、全員がみな十二分に歓を尽し、歌うもの、踊るもの、吟ずるもの、語るもの、さまざまに発揮して、島一つ浮き上るような景気でした。
 七兵衛は、自ら楽しむと共に、司会者としての用心に抜かりなく、白雲は酒を呑んで、ひとり嘯(うそぶ)いて豪吟をはじめる、それについて清澄の茂太郎が、身振りあやしく踊って倦(あ)きないものですから、田山も歌って疲るるということを知りません。茂太郎の踊りは一座の花であると共に、他の船頭たちもまた、これにそそられて芸づくしがはじまります。白雲は興に乗じて、それらのお国芸をいちいち審査審判して廻りました。
 ウスノロのマドロスまでが、大はしゃぎでハーモニカを持ち出すと、それがまた一座の人気を呼ぼうというものです。
 そこで興がいよいよ亢(こう)じて、尽くるということを知りません。

         二十七

 駒井甚三郎は酒を飲むことをせず、また唄うことも、踊ることも、いずれも興味を持ち得ていないけれども、ただ、衆がたわいなく喜び興ずること、そのことを興なりとして、やがて、自分ひとりこっそりと椰子(やし)の葉蔭から海岸の方へと歩みを運んで、上気した頬を海風に嬲(なぶ)らせ、かがやく汀(みぎわ)の波に足許を洗わせながら、歩むともなく歩んで行きました。
 お松も同じ思いです。皆の楽しむことは嬉しいけれども、茂太郎のように踊ることもできず、白雲のように唸(うな)ることもできない。今日は七兵衛入道が、船夫(せんどう)を指揮して万端の座持をしてくれますから、自分が立入って働かなくてもよい。駒井の殿様と同じように、客分のような地位に置かれましたが、やがて、椰子の葉蔭から高く月を仰いで、むらむらと、場外の夜気に打たれてみたくなりますと、地上に楽しむ人も面白いけれども、この大海原(おおうなばら)の月の夜――何というすばらしいながめでしょう。つい一足二足と歩いて、海岸に出てみます。海はいよいよ遠く、月はいよいよ高く上って、千万里の波につらなる、大洋の面のかがやかしさは、今日まで海には見飽きた眼を以てしても、すばらしいと思わないわけにはゆきません。
 甲州の山で泣いた月、松島の浜の悩ましい月も思い出の月ではあるけれど、この豪壮で、そうして奥に限りのない広さから来る言いようのない淋しさに似た心地、それが何とも言えない。
 お松は、漸く海と月とに酔うては進みつつ行くと、ふと行手に人影を認めました。
 それはたった一つ、自分と同じように、この海岸を歩んで行く人影。この島に、ほかにその人が有ろうはずはないから、あれもわたしたちの仲間の一人、わたしと同じように席を外(はず)して海の風に吹かれに出た人。誰でしょう――とお松は、それを訝(いぶか)るより先に、自分の胸が轟(とどろ)きました。
 誰と言うまでもない、あの席を外して、ああして、ひとりお歩きなさるのは、駒井船長様のほかにはない。いつのまに殿様は、お外しになったのか、気がつかなかった、とお松はそれに胸を轟かすと共に、重い鉛を飲まされたように心がわくわくして、踏む足もとが、しどろに狂う風情です。ぜひなく、そこに立ち尽して彼方(かなた)の人影を、じっと見つめたままでおりました。その時には天上に月もなく、海上に波もなく、お松の心がたった一つの人影にとらわれて、進んでいいか、退いていいかさえわからなくなりました。
 彼方の人影もまた、汀(なぎさ)のほとりを、あちらへ向いて進んでいるのか、こちらを向いて引返しておいでになるか、それもわかりません。絵のような海岸に、ぽっちりと一滴の墨を流したように、人ひとりが立ち尽しているのを見るばかりです。
 しばらくして、お松は月を避けるもののように海岸の砂をたどると、道はいつしか椰子の林の中に入っていました。お松は、まともに月を浴びることが心苦しくなって、木蔭に忍ぶ身となったらしい。けれども、その足もとは、夢を追うように、海に立つ彼方の墨絵のような一つの人影を追うているのです。
 彼方の人影も、もはや、それより先へは、行って行けないことはないけれども、あとに会場を控える身にとっては、単独の行過ぎになることを虞(おそ)れて、とある着点からおもむろに、踵(きびす)を返して戻るもののようです。その時には、もうはっきりと、その進退の歩調がわかりました。そうして、こちらがじっとしていさえすれば、あちらの戻りを迎えることになるという進退がはっきりとわかりました。お松は椰子の木蔭に息をこらして、人を待つの姿勢となりました。
 それとも知らぬ駒井甚三郎が、当然そこを折返して来たのは、久しく待つ間のことではありませんでした。
「誰、そこにいるのは」
と言葉をかけたのは、待機の女性ではなくして、そぞろ心で月に歩んでいる独歩の客でありました。
「はい、わたくしでございます」
とお松は、きっぱりと言いながら、存外わるびれずに、木蔭から身を現わして駒井の方へ近づいて来ました。
「ああ、お松どの、そなたも月に浮かれて来ましたか」
「はい、ちょっと、海へ出て見ますと、あんまりすばらしいお月夜でございますものですから」
「まだ、みんな騒いでいますか」
「ええ、皆さん、大よろこびで、あの分では夜明しも厭(いと)いますまい」
「そうですか、それは本望です、そういう楽しみをしばしば与えてやりたいものだ、我々がいると、かえって興を殺(そ)ぐこともあるかと、実はそれを兼ねて少々席を外してみたが、外へ出ると、またこのすばらしい光景だものだから、つい、うっかり遠走りをやり過ぎて、いま、戻り道に向ったところです」
と駒井は、いつもの通り沈重(ちんちょう)に釈明を試みました。その時にお松は、この場の悪くとらわれたような羞恥の心が、自分ながら驚くほど綺麗に拭い去られて、ずっと駒井の傍へ寄ることを懼(おそ)れようとしませんでした。
 そうして、駒井の後ろに従うような気分でなく、それと相並んで歩きたいような気持に駆(か)られました。
「殿様、どうして、わたくしがあの木蔭にいることがおわかりになりまして?」
「ははあ、それはわかるよ、こうして月に浮かれてそぞろ歩いているとは言いながら、なにしろ、はじめての無人島だ、環境の事情からも、自衛の本能からもだな、前後左右に敏感に神経が働くからな、注意すまいと思うても、物影の有る方に注意は向くよ、植物と人間とを見誤るほどに、わしは酔うてはいないのだ」
 その返答を聞いて、なるほど、夢のように、そぞろ歩きをしながらも、人をあずかる身になると、油断というものはあり得ない、という心のたしなみをお松がさとりました。男子は外へ出れば七人の敵がある、という諺(ことわざ)なども思い当るし、何の苦もなかりげに見える人に、かえって断えざるの苦があるというような同情を思い出でました。
「あまり夜露に打たれてはお毒でございましょうから、お館(やかた)へお帰りあそばせ、あの人たちは、あのまま、あの人たちにお任せになった方が功徳にもなるでございましょうから、このままお帰りあそばしてはいかがでござります、わたくしがお供を致します」
とお松が言い出でたのを、駒井は素直に受入れました。
「なるほど、それもそうですね、夜露が毒とも思わんけれども、帰って、仕残しの仕事もある、そなたの言う通り、だまってこのまま引上げた方が、多数の興をさまたげないで済むというものだ。では、一緒に帰るとしましょう」
「そうあそばしませ」
 駒井はお松を伴うて、椰子の林の木蔭を、新館への帰途につきました。
 その時に、お松は、なんとも精一杯に自分の胸が躍動するような心持になりました。
 この主人を、送り迎えに立ったことはこれまで幾度、室を共にし、事を共にし、職務以外には何の雑念もなかった身が、今宵は躍(おど)る心が怪しくも狂います。
 お松としては、今までにほとんど感じたところのないほどの、強い充実味にぐんぐんと引きしめられる。ただ何とはなしに生甲斐(いきがい)があるというような心持、女としての充実した喜びが海の潮のように迫るを感ぜずにはいられません。今までは、いつも神妙に、後ろに従って主従の謙遜を忘れなかった身が、今晩はぐんぐん押しきって、この人と並んで語りたい、押並んで歩きながら、思う存分に話したい、という気分に満ち溢(あふ)れていました。
 駒井甚三郎もまた、踏む足がおだやかではありません。思いなしか、その白い頬の色が、木(こ)の間(ま)の月に輝いて、この人としては滅多に見ることのできない血の気を湧かせているやに見えないこともありません。お松の思い上った、不遜に近い歩みぶりを、決して不快なりとはしていないようです。
 かくて、二人は椰子の木蔭を、かの新館なりと覚ゆる方面に向って、無言で歩きました。それは主従相伴うて歩むのでなく、二個の人間が相携えて行くもののようです。
 椰子の林をわけて行くといっても、それは熟地に見るような簡単なものではないのです。蛮地ではないけれども、多年の無人島ですから、たとえ隣から隣へ行くにしても、道というものはないところなのです。そこへ、心あたりだけの道をつけて進むというよりほかに、進む道はないのです。自分たちの住む新館は、たしかあちらの方と、漫然とした道方角を選んで歩いても、それがそのままに通り抜けられるかどうかはわかりません。
 で、二人は、方向の目的はきまっているが、その径路のことは忘れているようでありました。
 無言で、ずんずん歩み行くこと、そのことだけに気が張りきって、到着の時と、ところと、そんなことは忘れてしまったのではないか。

         二十八

「お松さん、わたしはここで、一つ、あなたを驚かすことを言ってみたい」
と、ある地点へ来て、駒井は足をとどめて、椰子の大木の一つに身を釘附けにしたようによりかかって、こう言いかけられたお松は、全身の鼓動を覚えたけれども、それでも度を失うようなことはなく、むしろ、待っていましたというような大胆な心をもって、駒井の前に立ちはだかりました。立ちはだかったというのは、不作法千万な振舞でありますけれど、お松としては、それほど大胆になり得た気分を、自分ながら誇りたい心持で、
「何を仰せられましても、驚きは致しませぬ」
「本来は、驚かすつもりもなく、驚くべき何事もないのですが、少しもわたしを知らない人は、狂気の沙汰(さた)と思うかも知れません」
「殿様、あなたはわたしの唯一の御主人様でござります、御主人から仰せを蒙(こうむ)って、それで驚く家来はございません、この場で命を取るぞと仰せられましても、それに驚くような家来は、家来でございません」
「いいえ、そなたは、わたしの家来ではない、わたしはもう疾(と)うの昔に、人の主人たる地位をのがれた、同時にただ一人の人をも家来とし、奴隷とするような僭上(せんじょう)を捨てた、わたしを殿様呼ばわりするは、それは昔からの口癖が、習慣上から廃(すた)らないのだから、急に咎(とが)めようとも思わないが、本来、わたしはもう疾うに昔の殿様を廃業している、こうして涯(かぎ)り知られぬ海上をうろつく、これが本当の浪人じゃ、浪人という字は浪という字を書く、陸上にさまようているのは、あれは浪人ではなく、牢人と、人を囚(とら)える牢という字を書いたものもあるが、海上から見ると、陸にいる人は牢にいる人と同じかも知れない、陸にいてはいくら自儘(わがまま)だといっても窮屈じゃ、限度という格子に必ず突き当るが、そこへ行くと、海上は無制限だ、海上には、海上の自由があるな、たしかに。だから海上に漂う身になってみないと、真の浪人の味はわからぬものだ、つらいことも無制限だが、楽しいことも無制限だ。人間として、人間の制限を受けるのはいやなものだな、お松さん、そうは思いませんか」
「それはおっしゃる通りでございます、陸にいると、海にいるとでは、人間の気象が自然に違って参ります」
「制限のなき世界、制限なくしておのずから節度のある世界、節度を人から強(し)いられず、自ら楽しんで傲(おご)ることなき、そういう世界が望みで、わたしはこの船の旅に出ました、わたしはもう人の上に立つことはしない、人の下に忍ぶこともしない、お松さん、君が、もしまた、このわたしを主人と思い、己(おの)れの立場を家来と思っているとしたら、それはおたがいの誤解であるばかりでなく、おたがいの不幸です、この道理が、あなたにはよくおわかりのはずです」
「毎々(つねづね)、そのように承っておりますが、それは道理だけのものでございます、誰ひとり、あなた様を、自分の同輩だと思うものがございましょう、思おうとしても思われません、それだけに備わるものがございますから。それだけ企て及ばないものがあるのでございますから」
「おたがいに身を以て解釈しなければならない、昔のままの頭を以て、今の生活をしようというは無理ですよ、わたしたちが千辛万苦をしてなりとも、異境の土になりたいというのは、今までの生活がいやだからです、その生活を土台から築き直すためには、歴史と、習慣と、恩義というようなものを負うている国では、それができないから、わざわざこうして、天涯に土を求めているのに、昔のような頭で、昔のような生活に帰るつもりなら、おおよそそれは無意義なのです、その様式をすっかり打ち直すと共に、その心持を全く入れ替えなければならない。船のうちでは、そうしようとしても許されないものがありました、こうして自由なる国土の形式が、とにもかくにも出来上った上は、その実行にうつらなければならないのです――それを、わたしは、ここへ来ると同時に、ひそかに決心しました、考えるだけは考え尽して、もはや決心の時代も過ぎて、実行の時代に入りました、その実行の第一として、誰よりも先に、お松さん、お前を驚かさなければならない。実を言うと今日まで、その機会を冷静に見つめていましたが、今晩という今晩が、その与えられた機会だと思わないわけにはいかない、もう、これ以上に論議を費す必要はないのです、物を言って説明(ときあか)す必要はないのです、わたしは極めて平静の心を以て、これを言いますが、お松さん、あなたはわたしと結婚しなければなりません、駒井甚三郎は改めて、お松どのに結婚を申し込むのです、秘書として、助手としてではない、妻として、あらゆるものを駒井に許すのです、それをわたしは今ここで、あなたに要求したい」
 駒井甚三郎は、つとめて平静をよそおい、また平静の心を以てこれを言わなければ、言う意味をなさないことを感ずるかの如く、こう言いきって、そうして、お松の表情を、月に照らして、爪の先までも見落すまじと見入ったのです。

         二十九

 しばらくの間、たぎり流るるような烈しい沈黙が、無人島の、今は無人でない処女嶋の、椰子の林の木の間につづきました。
 駒井のかくまで、技巧ならぬ技巧をこらして打ち出でた応対に、お松としては返事がありません。返事ができないのです。できないのは、あり余って、そうして、その言葉を見出すに苦しむのでありましょう。
 全くこれは、この純良忠実なる処女を驚かすに充分なる申し出でありました。尋常の場合、当然の立場でいてさえ、女性として、この申し出に触れた時は人生の最高潮であって、これに動揺しない婦人は一人もあるべきはずでない。驚くなと言っても、驚かずにはいられないはずのものです。お松の心の激動と、その激動を持ちこたえるものごしは、駒井に正面から見下ろされてのがるる由がありません。生憎(あいにく)にも、木蔭を洩(も)るる月の光が、また直下にこの処女に射向いて、絶体絶命の手づめを見せているのです。
 こうなった時に、お松は、これこそ驚くべき勇気を以て、少しもたじろがずに駒井の面(かお)を見上げて、それに劣らぬ平静を以て答え得られたことが意外です。何か力あって、この女性を後ろから嗾(けしか)けるもののように、
「承知いたしました、わたくしは、あなた様のお申出でを、このまま素直にお受入れ致します」
「うむ――」
と言って、駒井甚三郎が、その足を大地に踏みこたえるように立て直して、
「有難い――よく承知をしてくれました、今晩から、あなたは、わたしの妻です」
「かような、これより以上の大事はないお申出でを、そのまま、この場でお受けする気持になった、わたくしというものの我儘(わがまま)をおゆるし下さい、わたくしは自分で、もう自分のことがわかりませぬ、無条件で、なんでもかでもあなた様のお申出でに従うよりほかに道がないことを犇(ひし)と身にこたえました、本来ならば、充分に考えさせていただいて、せめて今夜一晩なりとも、静かに考えさせていただいてから、最後の御返事をしなければならないのに、それをしないで、この場で、こんなに手軽く仰せに従う、わたくしというものの軽佻(かるはずみ)を定めてお心の中ではおさげすみになっていらっしゃるかと存じますが、わたくしは、もうさげすまれようが、賤(いや)しまれようが、左様なことを考えている余裕はないのでございます、今晩一晩考えさせていただいたに致しましても、明晩、明後日、一生涯考えてみましたとても、このお返事は考えてはできません、それ故に、この場で、あなたのお心に従います――それが、僭上であるか、男女の道に外れているか、いないか、世間態のために、あるべきことか、なかるべきことか、そんなことも、以前のわたくしならば、充分に考えている余裕がありましたでしょうが、今のわたくしにはそれがありません、あなた様が、当然のこととして、それをお申し出でになったように、わたくしも当然のこととして、それをお受入れ致します、誰が何と言っても、もはや怖れません、誰に対して済まないことになるか、済むことになるか、そんなことも一切はここで忘れ去ってしまっております、この、はしたない、慎しみのない女を、お憐(あわれ)み下さいませ」
 畢生(ひっせい)の力を振(ふる)って、こう言ったお松の舌は雄弁でした。平静に、平静にとつとめながら、その間から迸(ほとばし)る熱情が、火花のように散るのを、駒井は壮(さか)んなものをながめるかの如くに見つめて、
「有難い、わたしは今まで、いかなる女性からもそういう強い愛情を受けたことがありません、女性が男性の要求を受ける場合に、抵抗がなくして、それに成功のあることは絶無です、積極にか、消極にか、抵抗を受けてその後に征服があるのです、結婚というものの原始の形式はそれでした、それが進歩して、その間に、あやというものだけが残っている、一旦は拒むものです、許す気持を以て争うものです、よい意味の芝居をしないで、男の要求を受入れる女というものはありません、それをお松さんだけがしない、これは偉大なる強さです、この抵抗のない抵抗の何という強さ、今晩、駒井甚三郎は、生きているという喜びを感じました」
「わたくしも、初めて、女として生れ甲斐があったということを、今こそ欺(あざむ)かずに申し上げることができるのでございます。駒井甚三郎様、男として、あなた以上に依頼のできる人が、あなたのほかにはございません、あなた様もまた、女として、友として、同志として、わたくし以上に信用のできる相手を見出し得ようということは、もはや、わたくしが許しませぬ、許したとても、それは見出すことが不能でございましょう、どんな海の果て、陸の末までも、わたくしは、あなたと運命を共にする唯一人の女でなければならないと、それは、ただ張りきった一時の感情で申し上げるのではございません、あの時から、運命がそうさせたのでございます。この大きな力をごらんください、もはや、わたしの身であって、わたしの身ではございません、この大きな力に押され、大きな力に引きずられているわたしを、お憐み下さい、わたくしは、もう自分の力で自分をささえることができませぬ、自分で今何を言っているかさえわからなくなりました」
 この時に、お松は身を以て駒井の上に倒れかかりました。
 全く、自分で自分を支えることができない。今まで堪(こら)えに堪えていたけれども、もう持ちきれないこの重味を、持ちかけられるのはそこよりほかにはありません。その怖るべき力を、真面(まとも)に受けた駒井甚三郎は、よろよろと、それを受留めながら、これも自分の力で自分の足もとを支えることができず、最初から楯(たて)に取っていた椰子の大木に支えられて、そこで、烈しい泣き声が、駒井の胸の中にすっかりかき埋められて、それでも井堰(いせき)を溢るる出水のように、四方にたぎるのを如何(いかん)ともすることができません。
 身を以て泣く女の力、駒井はその力が、雷電の如く火花を散らす強さを知りました。

         三十

 この時以来、二人の身心に大革命が行われたということを、誰も知ったものはありません。
 聡明にして叡智なるこの二人は、その秘密を誰にも知らせようとはせず、また知らせてはならないことだと感じました。
 二人の間が、今までと変って、二つのものでなく、完全に溶け合ってしまって、しかも、その情熱は白熱の情熱で、土をも、金をも、あらゆるものを溶かし尽す盛大なる力を、秘密の中に生かし置く二人の人間としての慎みが、また強大なりと言えるかも知れません。
 それが、二人を偽善に導かず、壮快なる活動力となり、人に疑惑を持たせずして、信頼を加えるように嶋の人からもてなされていることは、今日が昨日に優ろうとも劣ることはありません。
 それだのに、二人は、この秘密の知らるることを怖れました。相戒めて、よそよそしく振舞わなければならないことを申し合わせたのは、それは、こういう疑惑が人心を迷わすことのいかに大きいかを、二人ともに、経験の上からよく心得ているのです。
 人心を得るも、失うも、その機微に存することを、飽くまで味わって来た駒井甚三郎、世間の苦労をしつくして、人心の反覆を知り過ぎるほど知っているお松は、二人の評判が、この僅かな同志の間にでも異様に立ちのぼった時は、それは二人同士の身心の革命が、血を流さずして行われたことのように容易なものでないことを、熟知しているからであります。
 人心が離れる、離れないということは、男女の間の疑惑から起って、予想だもしない危険があるということに、相戒め、節制をつとめる二人の間は、偽善ではなくして、誠意でありました。
 二人の間を、異様な眼を以て見るものは一人もありません。船にある時、優良なる船長であった主人と、その最も忠良なる侍女、或いは秘書としてのお松を、虚心平気で見る以外の眼を以て見るものは一人もありませんでした。
 二人の革命は、無事に二人だけの破壊と組立てを完了している。その勝利というような甘い感じが、ややもすれば、この聡明にして警戒深い二人の世界を、動かそうとすることもないとも言えないが、二人の世界は、二人だけの世界で、何者といえども、これに触るるを許さないところのものでありました。
 その甘きに酔うべき秘密を、二人は、厳粛に、犯されざる垣の内に保ち得たりとする、そこに、誠意もあり、警戒もあるが、また、免るべからざる弱さもありました。その弱味が、蓋(ふた)を取って物を見るように見られていることを感づかない二人の心に、充分の隙間(すきま)があり、愚さがあるということを気づかないでいるところに、また二人の善良さもあるというものです。
 事実、秘密は保たれている――と信じきったところに過(あやま)ちはなかったもので、今も現に、一人として異様な眼で見るものはないのは、まさに相違ないのですが、たった一人の者に、その秘密を見破られてしまっている――ということに、二人が気がつかなかったというのは運の尽き――いや、それが結局、喜ぶべきことかも知れません。この同志の中のたった一人が、早くも二人の秘密をうかがい知ってしまいました。
 その一人とは誰。神秘に属する官能を与えられた無邪気な清澄の茂太郎か。いいや、そうではない。茂太郎は鋭敏な天才に似ているけれども、まだその世界を知るまでには、年齢の力が許していない。つまり、それを最初に見破ったのは別人ならず、七兵衛入道なのであります。
 七兵衛は、もう翌日の朝、二人の間を見破ってしまいました。
 朝の御機嫌伺いを兼ねて、事業の進境の相談をするために、真先におとずれた時に、平静を極めた二人の、常と少しも変らない態度とあいさつのうちに、どこをどう見つけたか、心のうちに肯(うなず)くものがあって、そこはやっぱり狸ですから、二人がなにくわぬ表情をしている以上に、この男は尋常な面つきで、いんぎんに聞くべきを聞き、述ぶべきを述べて、天幕の中へ引下って来たが、まだ働き手は誰も出動していないテントの炉の前で、煙管(きせる)を一つポンとはたきながら、七兵衛入道は変な面をして、思わずこう言いました、
「お松も、いよいよ女になったなあ」
 駒井甚三郎も、お松も、この人に会っては、皮をかぶることはできないのです。
 だが、そういった七兵衛入道の面には、いささかも意地の悪い表情はなく、それが結局、二人の喜びに勝(まさ)るとも劣ることなき、躍動を抑えて、ほほえむかの如き含蓄の深い色を漂わせて、
「縁は異なものとはよく言ったものだ、あの子が駒井の殿様のものになろうとは思わなかった、駒井能登守を、こっそりと独占(ひとりじめ)にする凄腕(すごうで)を持っていようとは思わなかった、さて、おれが仕込んで、おれ以上の腕になったというものか、全く以て小娘は油断ができない」
と、こう独(ひと)り言(ごと)を言いながら、ほくそ笑みをつづけましたが、その笑顔は、我が子の手柄を親としての自慢と誇りに堪えないような笑顔でないと誰が言います。事実上、七兵衛は、わがこと成れりというほどに、そのことを喜んでいるのは確かです。
 お松についても、駒井についても、知るだけを知りつくしている七兵衛入道は、今さら、「縁は異なものとはよく言ったものだなあ」と、ひたすら、その縁という異常なることに感じて、それの正しいか、正しからざるかは考えていないらしい。考える暇もないらしい。もし、少々でもその余裕があったとしたならば、彼は第一に、このことが宇津木兵馬というものにとって、いいことか、悪いことか、そのことだけでも一応は考えなければならないはずなのです。
 七兵衛としては、一日も早く兵馬に本望を遂げさせて、そのあと二人を一緒にしてやる、これが一生の願いで、これまで陰に陽にそのことに力を入れて来たのですが、ここで、そういう結構が、すっかり打ちこわされてしまっていることを知った以上は、お松に対して苦言を言わなければならず、駒井に対して直諫(ちょっかん)もしなければならないところなのですが、これがすっかり消滅して、
「お松もいよいよ女になった、これで、おれも安心だ」
という安心と満足でいっぱいなのは、どうしたものでしょう。こうして七兵衛が、大安心と満足で満ちきっているところへ、天幕の外から、
「おじさん、来ているの?」
 これも、うら若い女の声でありました。紛(まご)う方(かた)なき奥州の南部で、七兵衛入道がむりやりに押しつけられて来た、お喜代という村主の娘の声に相違ありません。

         三十一

「お喜代坊か」
と七兵衛が言ったので、
「おじさん、一人?」
と答えて天幕の中へ現われたのは、湯の谷の温泉で、きわどい時に拾い当てた山方の娘のお喜代であります。
 お喜代は、紺飛白(こんがすり)のさっぱりした着物をつけて、赤い帯をしめ、手拭を髪の上に垂らして、手甲(てっこう)脚絆(きゃはん)のかいがいしいいでたちで入って来ました。その張りきった体格と、娘でありながら、まだ子供のような無邪気な初々(ういうい)しさが、思わず七兵衛を見惚(みと)れさすものがあります。
「ああ、わしは今、駒井様へ行ってお指図を受けて来たところなんだが、もう、みんな働きに来るだろう、喜代ちゃん、そこへ火を焚(た)きつけておくれよ、お湯をわかしといてもらいてえ」
「はい、承知しました」
 極めて柔順に、この子は、七兵衛の言いつけを聞いて、急ごしらえの築立竈(つきたてかまど)の下へ、薪(たきぎ)を折りくべて火をたきつけ、やや遠いところの水汲場へ行って、バケツへ水を満たして来て、釜に入れたりなど、まめまめしく働く。その働くさまを、七兵衛は、こちらから煙草をのみながら、じっとながめておりましたが、
「ああ、ここにも娘盛りがいる」
と言って、何か深く考えさせられたものがあるようです。
 お喜代は、あんなにして七兵衛が貰い受けて来たというよりも、変った意味の前世の約束で、無理に背負わせられて来たのだが、こうなってみると、有力な拾いものであります。有力どころではない、求めても得られない、珍重な拾い物をしたと思わずにはいられません。
 その当座こそ、この娘は、さんざんに泣きもしたし、故郷を恋しがったりして手がつけられなかったけれども、今は慣れきってしまいました。これが与えられた生活であるという希望が、ようやく芽を出して来たのは、上陸して後にはじまったのではありません、船の中が好きになりました。海上生活が好きになったというよりは、この中の同志が物珍しくて、そうして、いずれも内容があって、親切であることが、単純な山の中の人と共に生きているよりは、なんとなしに豊かなものであることを知って、この人たちと共に暮すならば、海の涯(はて)、山の奥、どこまでもと言いたい気分になっているのでした。それから、この植民地が出来るにつけても、女としては唯一無二の働き手です。お松も働き手ではあるが、それは上局の部分に属して、主として船長附きになっているから、開墾そのものと、その生活の世話に、手を下して助力するということはできません。その不足を、お喜代ひとりが補って余りあるのです。この娘は山方でも、家柄のいいところへ生れたのですが、労働を厭(いと)わないのみならず、労働に慣れておりましたから、ほんとうにここでは三面六臂(さんめんろっぴ)の働きをします。口数が少なくて、働くことは三人前もしますから、この点に於ても申し分はありません。そうして、張りきって何不足なく働くものですから、体力もみるみる実が入って、はちきれそうな肉体の豊かさを、紺飛白の着物の下から、唐ちりめんの赤い襷帯締(たすきおびしめ)の色から、甲掛脚絆の外れから、惜しげもなくはみ出して見せるところに、七兵衛が思わず見とれて、そうしてまた思いました、
「ここにも娘盛りがいる、今はまだいいけれども、そのうちに、と言っているのでは遅くなる、何とかしなければならない、何とかしてやらなければならない、何とかするといっても、もう世界は限られているようなものだから、いずれは、この組の中の誰かに合わせてやらなければならない、そのうちに当人が誰を好くとか、誰ぞがぜひにとか望んで来るものがあるに相違ない、打ち出してそう言えないうちに、それを見てやらなければならないのは年寄の役だ、だが、危ないものだなあ」
と七兵衛が、年寄心で、それからそれと取越し苦労に耽(ふけ)って行く。
「危ないというのはほかではねえ、この国には男が多くて女が少ない、少ないというよりは、まだ男の数は、そうと、十三人を数えるけれども、約束済以外の女といっては、まあこの娘と乳母(ばあや)――は、これはもう一度卒業したんだから、明いているといえば明いているが、初物(はつもの)とは言えねえのだ、してみると、取引のできる女というのは、お喜代坊ひとりだけなんだ、十三人の男に一人の女、しかもそれが、はち切れそうな娘盛りと来ていちゃあ、これは只事じゃあ済まねえなあ、こいつ、この国での一番の考えごとだぜ」
 七兵衛の苦労は、そこまで及びましたけれども、それはただに取越し苦労ではない、火がそこまで燃えさかって来ているようで、おっつけ、この女の持主というものを確定してやらないことには、その暗黙の競争者で火花が散る。苦労人の七兵衛は、この問題を、島に於ける最初の、しかも最大の難問題のように思われ出してきました。
 競争者が出来た時に、一方に与えて一方に与えなければ、すぐに生命(いのち)がけの問題になる、ということを、苦労人の七兵衛が考えないわけにはゆきません。そうしてみると、今のうちに、すっかりこの娘の持主をきめてやって、他の者は手が出せないものだという観念を、みんなに持たせてしまわなければ事が遅い。これは考えている時じゃない、眉(まゆ)に火のついた問題だと、七兵衛はせき立ちました。
 お松の方は、あれで大安心。いいか、悪いか、それは知らないが、もうあの女の運命はきまったから、あれは、これ以上に心配してやるがものはない。これからはこの娘だ、今夜は一晩、寝ずに考えてやるぞ、と七兵衛が、じっと思い入れあった時に、どやどやと皆が出動して来ました。

         三十二

 その晩、七兵衛は、無名丸の方へ廻って船番がてら、船で一夜を明かすことになりました。
 広い船室の中に、たった一人で、思う存分考えてやろうとしたのは、今朝、天幕の中でじっと見据(みす)えた、あの体力のハチきれそうな、おぼこの娘の身の上のことでした。
 それを考えると、自分というもののこし方も、おのずから考えられるので――
「ああ、おれも考えてみると、女房では苦労をさせられたんだなア、苦労をさせられたというより、女房のために一生を誤られたと言ってもいいかも知れねえ。なあに、そんなことがあるものか、自分というやつの手癖足癖が悪いから、こうなったに相違ないが、嬶(かかあ)が良かったらこうならずに済んだかと思われるのも、まんざら愚痴じゃあるめえ。あいつお土産つきでおれのところへ来やがったんだが、そいつはおろしてしまって、次のやつが出来ようという時に、男と逃げた、それから、おれがグレ出したというようなもんだが、女というやつは、どっちへ廻っても油断がならねえなあ。その後、おりゃ、女という方にはさっぱり綺麗に、よくもここまで通して来たもんだ、悪い事ぁするが、その悪いことも性分でやってるので、意地でやるわけじゃねえんだ、因果なことに、盗むのが面白くって面白くって、世間が隙(すき)だらけで隙だらけで、だまって見ていられねえから、ついちょっと手が出る、手が出ると、足が物を言うので、ツイツイここまで盗みを商売にしては来たものの、その上り高で、道楽を一つするじゃなし、お妾(めかけ)を一人置こうじゃなし、時たま旨(うめ)え酒を飲んで、旨え物を食ってみるくれえが関の山なんだ。女房のほかには、女てやつにさっぱり慾がなかったなあ、今日までそれで通して来たんだ。考えてみると、おれは盗人(ぬすっと)さえしなければ、聖人のようなものだ、盗人にならなけりゃ、相州の二宮金次郎になっていたかも知れねえ。だが、おれの初手(しょて)の嬶は、あいつは今どうなっていやがるかなあ、嫁入前に男をこしらえて、お土産つきで来るような奴だから、娘時分には、男も一人や二人じゃなかったろう、どうせ、水呑百姓のおれんとこへ、まあ、鄙(ひな)には珍しいというくらい、渋皮のむけた奴で、おれのところへ来るのだから、何か仕くれえがあったに違えねえ。おれも面白くねえから、あんまり大事にしてやらなかったが、やっぱり前の男と切れなかったのか、また別のをこしれえやがったのか、ああして追出(おんで)てしまやがって、その後は、さっぱり消息(たより)を聞かねえ、聞きてえとも思わねえし、聞きたくもねえのだが、ロクなことはあるめえよ、本木(もとき)にまさる末木(うらき)なしでなあ、人間、一ぺん夫婦となった以上は、どっちにどういう間違いがあっても、離していけず、離れていけねえ、間男(まおとこ)をしようとも、やくざをしようとも、そりゃ亭主の器量が足りねえんだとあきらめて、嬶は免(ゆる)してやることだ、一生可愛がってやることだ、おれはそう思うよ。あの時に、おりゃ、もう少し嬶を可愛がってやるんだっけ。苛(いじ)めもしなかったがな、面白くねえから、いい顔を見せなかった、朝晩いい面を見せられなけりゃ、女房は辛いよ、女房だけが悪いたあ言えねえ、亭主にそれだけの徳がねえから、女房が悪いこともするということになるんだ。だから、若い娘にはいい亭主を持たせてやりてえ、なるべく早く、なるべくいいところへ、物心のつかねえうちにかたづけてやるのが、年寄役のつとめなんだ、いい御亭主になれなかった罪滅ぼしに、おれは、せめていい世話人にだけはなってやりてえ。さあ、その手詰めの試験台があの娘だ、あの娘を罪滅ぼしの試験台に、おれは仲間での出雲の神様になりてえ、そうでなければ浅草の粂(くめ)の平内(へいない)だ、おれをふみつけさえすれば、男女の縁は結んでやる、とこういう功徳の神様になって、罪滅ぼしをやりてえもんだが、さて、その小手調べが、どうなるものかなあ」
 七兵衛は、こういうことに思い耽(ふけ)って、早速明日から、この島のうちで、誰にあの娘を授けてやったらいいか、その品定めにとりかかろう、物好きな品定めではない、当りがついたら、いやおうなしに縁を結ばせて、あの娘の持主をはっきりきめてしまうのだ。
 こういう心持で、船の中の乗組、船頭、水手(かこ)、楫取(かんどり)のすべての面を頭に浮べたが、どうも考えてみただけでは、これはと思わしい相手が思いつかない。あれは実直だが、老人だし、二十、三十の若い者があるのに、四十がらみの船頭にも持って行けないし、若いのをへたに選んだ日には、一方に恨みの種を蒔(ま)くようなものだし、はてさて、一同のうちに誰を見立てたものか、ほとほと七兵衛の頭が乱れます。
 冗談じゃない、ではいっそ、七兵衛おじさん、お前の物にしちまったら……もともと、お前に授かったのじゃないか――全く冗談は言ってもらいますまい、第一、この坊主頭にてえして、そんなことができますかい、それに、今日まで男後家を立て通して来たといえば二本棒だが、聖人の道を守って来たこのおやじを、今となって人間道に引卸すなんては罪だよ、考えてもいけねえ、そういうことは口走るもんじゃねえよ、と七兵衛は自問自答して、厳粛に打消してしまったりしていましたが、一晩考えてみても、なんら目当てはつきません。
 物事はそう取越し苦労ばっかりするもんじゃねえ、神仏がいいようにして下さらあ、縁は異なもの味なもので、人間業に行って行かねえやつなんだ、早い話が、甲府勤番支配駒井能登守が、この大海原の真中の離れ島の椰子の木の下で、おれの娘分のお松と出来合うなんていうことが、仏様だってあらかじめ御存じのある事じゃあるめえ、それと同じことに、あの娘だって、どうしようの、こうしようのと、おれがここでやきもき思ったからとて、どうなるものか、冗談は言いっこなし、いい年をして、そんなことができるかい、そんなことをしようものなら、みんなの示しがつくと思うかい、なに、駒井の親玉でさえもあれじゃないか、お前のはそれよりもっと素姓がいいんだぜ、村方総出で許されて来たんだぜ、あの時、村方の者が何と言った。
 あの村のならわしで、いったん男に肌を見られた女は、もうよそへお嫁に行くことはできない。
 村の昔からの習わしでございまして、娘のうちに、男に肌を見られたものは、どんなに身分が違いましょうとも、年合いが違いましょうとも、その男よりほかへは行ってはならねえことになっているのでございます、見たもの因果、見られたもの因果でございまして。
 そういう習慣でございます、そうしてその娘は、あの場で、こちら様に、すっかり見られてしまったんでございますから、もう嫁にやるところもございません、婿(むこ)を取るところもございません。
 それのみじゃございません、怪我にでも一人の女の肌を見てしまったものは、否が応でも、その女を自分のものにして、面倒を見なけりゃならねえおきてになっているのでございます、それをしなけりゃ村八分、いや、荒神様の怖ろしい祟(たた)りがあるのでございまして。
 わしらが方では、名主様のお嬢様がお湯に入っているところを、雇人の作男が、ふと見てしまったばっかりに、そのお嬢様は、隣村への縁談が破談になり、その作男を夫に持たなければならなくなってしまったことなんぞもございます。
 何を申しましても、村の昔からのおきてなんでございまして、このおきてを破ると、孫子の代まで恐ろしい祟りがございます、そうして、現在この子は、あなた様のために、あの通りの目に会いました、善い悪いは別に致しまして、これがこの子の運でございます、もうこの娘は、あなた様よりほかに面倒を見ていただく人はございませんから、御迷惑さまながら、どちらへでもこの娘をお連れなすっていただきたいものでございます。
 もし、あなた様が、この娘の面倒を見て下さらなければ、この娘は死ぬよりほかは行き場所のない子なんでございます。
 そういうわけで、押しつけられたのだ。
 そりゃ、それに違えねえけれど、それは土地の迷信というものだ。土地の信仰を無にはできねえから、一時、おれはそれに随って来たが、船つきの都合で、暫く方向をかえて、疫落(やくおと)しをやってから、娘をまた里方へ帰すつもりで引受けて来たんだぜ、それをそのままいい気になって、わがものにしてしまおうなんて、考えても考えられねえことだ、縁というやつは、なるようにしかならねえものだ、神仏にお任せ申して置きあ、いいようにして下さらあ、人間、人のためを思うのはいいが、思い過すと、かえってためにならねえ、人間の運というものは、人間にはわからねえんだ、縁は異なもの味なものさ……いい人はいいようにして下さらあ、納まるべきものは納まるところへ納まるさ、そう、くよくよしたもんじゃあねえよ……

         三十三

 こういう意味で七兵衛は、この問題に未解決の解決を与えて、それでひとまず打切りとしました。
 朝起きて見ると、兵部の娘が、思いの外にきちんとした身だしなみで、パンとお茶とを持って来て、七兵衛のために朝飯をととのえてくれました。マドロスはと見ると、一心に船の掃除をつとめている。この二人は、ほとんど常住の船の番人です。上陸してその部署につかないこともないではないが、船を守ることを本業として、陸に来ることは、ただ自分としての割当ての縄張を見て置くだけといったようなものです。
 見るに、気のせいか、マドロスも、ウスノロぶりがだいぶ引きしまってきたようです。兵部の娘の何となく甲斐甲斐しく見え出したのと同じ見えですが、見損いでない限り、二人の気分の改まりは、環境のもたらす一つの好感化かも知れません。というのは、今や他の船員はことごとく陸上に安定の地を求めて一生懸命です。が、この二人だけは船に置かれて、これまた、船を安定の地として残されている。周囲の嫉妬もないし、憎悪(ぞうお)も遠のいたし、そこで心の僻(ひが)みが取れたせいもありましょう。それともう一つは、この一組の仲は、あらゆる船員の憎悪の的でありましたが、七兵衛だけは異った同情を持っていたのです。マドロスが検束なきふしだらで、この娘一人を独占し、女も女で、人もあろうに、あの眼の碧(あお)いウスノロのどこがいいのだと、さげすまない者は無いが、さて、これほど侮られ、にくまれながら、この二人の存在を如何ともすることができない所以(ゆえん)は、船の舵(かじ)をこの男が握っているからで、この男無き限り、他の船員に、まだ知らぬ大洋を安全に行き得る自信がない。他のあらゆる事情に於ては否定すべき存在であるのに、そのことのただ一つの技術のために、彼の不検束が許されている。それが許されている間は、女のふしだらもまた許されている。こういった唯一の条件の下にのみ、二人の存在は許されているのですから、その以外には、あらゆる冷たい眼を向けられているのに、ひとり七兵衛だけは、二人の間を、一種の同情を以てゆるしておりました。
 出来ないうちはともあれ、出来た以上は仕方がない、出来たにしても、どちらか一方に不満がある時は、またそれはどうにか手段があろうけれど、毛唐であれ、ウスノロであれ、出来てしまっている上に、二人とも、憎くない、好き合っているということになってみては、もう、文句の無いところだ、許してやるさ、明るく二人を扱ってやることさ、少なくとも、冷たい扱いをしないで可愛がってやるがいいさ……こういうように、同情心を以て対するものですから、二人も、七兵衛の温かい心に非常な感謝の念を持っているのです。
 この感謝の心が、かくも行動となって現われて、七兵衛に対する限り、もてなしぶりが違うのです。そこで二人も七兵衛の来ることを喜ぶし、七兵衛もまた、二人以外の船の目附(めつけ)としては、その老巧から言っても当然その人ですから、ほとんど隔晩には船へ泊りに来て、船は、今やこの三人だけの世界のようになっているのです。
 時たま、田山白雲が、船を見舞に来ることもあるが、これはウスノロにとっては最も苦手で、この人が来るとウスノロは、船室の中にすくんで扉を閉して出て来ません。兵部の娘の姿が見えると、白雲が何かとからかうものだから、娘も恥かしがって、なるべく姿を見せないようにしている。それだから船も白(しら)けて、さすがの白雲も、ここへやって来ることに気が向かない。画の資料を取寄せる際の極めて必要の場合でない限り、船へ来ることは稀れです。
 駒井甚三郎も、最初のうちは、ちょくちょく来て見たけれども、これは、二人を叱りも、からかいもしないけれども、二人の方で気が置けて、やっぱり姿を見せないことにつとめているし、駒井もまた、二人の存在を無視して、仕事を片づけては行くものですから、ほとんど没交渉のようなものです。それさえ、この数日間は姿を見せない。毎日一度は来た駒井船長が、船へ姿を見せないことによって、陸の方の事務がそれだけ忙しいことがわかります。忙しいというよりは、それは、あの晩の事あって以来のことですから、お松を必要とする限りに於て、駒井はその新館の一室から、助手を手放すことを好まない。ほとんど終日を二人は、一室のうちに扉をおろし、カーテンを卸して研究に耽(ふけ)ることさえあるのです。このごろは、開墾地の見舞をさえも怠りがちになることすらあります。
「船の中でも、そうでしたが、よくまあ、あれだけ根(こん)がつづくものですねえ、朝から晩まで本を読んで、調べものをなさって、それでお飽きになるということがない、お手助けをなさるお松さまも、学問がお好きの道なればこそで、ほかの者ではつとまることではございません、殿様もよく勉強をなさるが、お松さまの仕事も、ほかの人でつとまりっこはない、お好きの道とは言いながら、よくもあんなに精がつづくものでございますね」
と、無邪気なお喜代が、同情のあまり、七兵衛に向って感歎して言いましたが、七兵衛は、
「人間、好きな道には命さえ投げ出すよ、仕事というものは、外(はた)で人の見るほど苦になるものじゃない」
 駒井がここへ来て、新しい研究に熱中の度を加えたとの評判は、お喜代の眼にばかりではない、誰の眼にも、舌を捲いて感歎するものがありましたけれども、それを何でもないことに解釈するのは、七兵衛入道ひとりだけに過ぎません。

         三十四

 神尾主膳は、上野へ行って輪王寺の門跡について、覚王院の義観僧都(ぎかんそうず)を訪ねましたけれど、その日は面会ができませんでした。
 それでも、ひるまずに竜王院の執当をたずねてみたが、それもおりから不在とのことです。
 そこで、憤然として山を蹴って出づべきだが、今日の主膳は、左様な侮辱にひるまないで、更に、輪王寺の重役、鈴木安芸守(すずきあきのかみ)をたずねて、ここでは意外の珍客としてもてなされたものだから、いくらか溜飲を下げて、そこで、久しぶりに安芸守信博と対面をしました。
 本来、今の神尾の身で、供もつれずに、覚王院や竜王院を突然に訪ねてみたところで、猊下(げいか)へ通すまでもなく、玄関子がよろしく取計らってしまうことは、わかりきったことで、神尾主膳としても、その辺の常識は無ければならないのですが、いささか覚悟の前であったのでしょう、そこで山に於ては、前二者に次ぐ役人としての有力者、鈴木安芸守にぶっつかると、直ちに諒解(りょうかい)されたのみか、意外の珍客としてもてなされる気色さえあったものですから、神尾も、こうなければならないと、昔の自尊をいささか取戻したらしい。それも、一つは安芸守自身が居合わせて、取次から、珍しくも神尾の名のりを聞いたものですから、それでこの良会があったもので、さもなくば、やはり玄関子の取計らいを蒙(こうむ)ったに違いないと思われる。
 今の神尾は、人に訪ねられる身分でなく、ましてや人を訪ぬる身でない。悪友以外にまじめに訪問を試みたということは、甲府勤番の役向を別としては、何年にも絶無のことでありました。
 それでも覚王院に於ても、竜王院に於ても、あえて癇癪(かんしゃく)を破裂させなかったというものは、本来、今日は私心あっての訪問ではない、いささか誠意あっての義勇心(?)といったものから出でたのですから、私の侮辱に平然として屈せぬ面の皮がありました。
 役の出先、裃(かみしも)をつけたままで鈴木安芸守が、神尾主膳に対面して、
「これはこれは神尾主膳殿、珍しいことではござらぬか」
「いや、津の国の、何を申すもお恥かしい次第だが、今日、かくの通りにぶしつけに推参いたしたのは」
 先以(まずもっ)て、財物の無心に参ったのではござらぬという安心を、先方に与えなければならないほど、神尾の立場は気が引ける。
「その後、お噂(うわさ)を承るのみで、一向に御消息を存ぜぬことでしたが、御無事で何よりめでたい、どちらにお住いでござるか」
 安芸守の言うところには温か味がある、それが何かしら神尾を和(やわ)らかにするものがありました。この安芸守は年配に於て、十も主膳の先輩ではあるが、旗本としての門地は、今は知らないが、以前は遥かに神尾より下でした。今の神尾としては、誰ひとり振向くものもなし、振向くものの面(かお)は冷たいと思って、僻(ひが)むところを、こういうふうに温かに取扱われると、悪い気持はしない。まして、たった今、覚王院や竜王院で、お取計らいを食って出て来たその余勢ですから、神尾もここで、故旧になぐさめられるような温かな味、近来受けたことのないものを受けました。
「いや、ドコにいると名乗るほどの安定はない、刑余の亡命者でござるがな、今日は、どういうものか、虫の居所が少し違っていると見えて、じゃんじゃんの鐘を聞くと、急に上野の地が恋しくなったようなわけで、山へ登ってみましたよ。とりあえず、竜王院と覚王院をたずねてみたが、見事な門前払い、なるほど、今の神尾ではかくもあらんかと腹も立たなかった、今日という日は、妙に虫の居所が辛抱強い、それにも屈せずして御門を叩いてみると、ここの御門前は極めてすべりがよろしい、かくばかり滑(なめ)らかに通されて、温かいお言葉に接することは、神尾の身にとって、近ごろ絶えて無いこと、よろこばしう存ずる。ただし、好意に甘えて、御多用の時間を長くおさまたげすべきではないから、手っとり早く申し述べたいが、いったい、今の徳川の天下は、どうなっているのでござる、これから先々、どうなるというのでござる、それを、一言、お洩(もら)しが願いたいのじゃ」
 神尾としては、今日はまた舌も存外滑らかで、情理明晰(じょうりめいせき)にすらすらと述べました。
「何かと思えば、改まった御質問、さもありなん御心底もお察し申すが、なにしろ、そのことは重にして大、なかなかここで寸秒の座談に尽すというわけには参らぬ、拙者も門跡へ出仕の身でござるによって、ただいま打寛(うちくつろ)いで物語りを致す時間を持ち合わさぬ故に――それではこう致そう、貴殿の、その発心を、拙者はここで冷ますことを致したくない、よって、明晩と言わず、今晩、いささか二三子の会合もあるによって、苦しからずばその席へ、貴殿の再出馬を願いたいものだが、いかがでござるな」
「よろしい、承知仕った、すでに会うまじき昔の人に、会わんとして会うた以上は、尽すところを果さなけりゃならぬ、今晩なりと、明日なりと、貴殿のお引廻しにあずかりたい」
「いさぎよいお言葉、では、今夕七ツをお約束仕ろう、再度、これまで御足労を煩わしたい――参集の二三子とても、いずれも心置きなきものばかりでござる」
 鈴木安芸守の砕けた応対、ちっとも我を侮らぬ扱いがいよいよ頼もしい。それというのは、この人も幕府の一人には相違ないが、城下にいること少なくて、山に住むことが多いものだから、世間のことにうとく、従って、昔の神尾あるを知って、その後の神尾を知らない。さしも持崩して千瘡万穴の、この神尾の醜骸を、まだ取りどころのあるものとして、手を触れてみてくれるだけでも頼もしいと、神尾が一応、不覚の涙を催したというのも無理はないでしょう。

         三十五

 その夜、再び鈴木安芸守をたずねると、鈴木は、客間に杯盤を設けて、打ちくつろいで神尾を迎えたが、その座上に連なる二三子というのも、意外に皆、打砕けた気風で、御家人もあるが、いささか伝法な肌合いもあるが、幸いに神尾を見知っている者は無く、鈴木もまた、神尾の何者であるかを説明せずして、同じく待遇したものですから、場所がらと役目に似合わず、打解けた会合ぶりでありました。
 その座上も、かなり和やかで、主客の間に、ずいぶん忌憚(きたん)のない時代評も行われましたが、大局の帰するところは同じようなもので、どのみち、徳川家の末路の傾いて来たのは、時の勢いでぜひがない。東の衰える時は、即ち西に勢いの附く時である。それは、少なくとも関ヶ原以来のバランスだ。西の方で中心となるは、大藩のうちでも、薩摩、長州が動かなければ本当の幕府の脅威とはならない、それが現に動いている。動き過ぎるほど動いているが、ただ、薩長の勢力が動いたからとて、それだけではいかに動いても、天下の大勢をひっくり返すわけにはいかない。朝廷というものが中央においでになる、その朝廷の御稜威(みいつ)を借りて事をなさなければ、為すべき名分も、手段も立たぬ。よって薩長あたりが躍起となって策動している……
 ここまでは誰も見る通りの時勢なのであるが、これからの観察と、解釈とが、この一座のものとして聞くのと、巷(ちまた)で聞くのとは大きな相違がある。鈴木安芸守はこういうように言うのです、
「策動はしているが、結局はモノになるまい、蛤門(はまぐりもん)の失敗を、再三繰返すのみに過ぎまい、過激の壮士共や、変を好む浪人共と違い、朝廷におかれても、心ある堂上公卿は、内心みな徳川贔屓(とくがわびいき)じゃ、徳川家の悪いところは悪いで改めて行き、やっぱり三百年の重しのかかった勢いでないことには、この内外の多難は救われない、たとえ、建武の中興が成ったとしても、帰するところは、やはり武家の世だ、かりに、徳川家に代って、薩摩あたりが勢力を張ろうとしても、長州が許すまい、幕府がある間は薩長相提携もしようが、徳川退くならば彼等の間に当然の同志討ち、いずれの勢力も、徳川家の多年の威望には及ばない、とすれば、彼等の為すところは、朝廷を擁して、その御稜威の下に権柄をわが手に占めて行こうとする策略があるのみだが、そうなってみると、堂上公卿が得たりとばかり手を拱(きょう)してはいないのだ、位倒れで実力の無い公卿勢力を、左様に見くびってはならない、力は無くとも、歴史を持っている彼等の情実というものは、なかなか侮り難いものでな、武家の力だけでは如何とも致し難いものがある、そこで、四方八方の因縁がからみつくから、たとえ、徳川衰えたりといえども、一朝一夕で、天下の形勢が変るということはまずあるまい」
というのが、鈴木安芸守の結論らしい。
 これは関東方としては、しかるべき見方であり、また事実その通りに信じているのであるけれども、以て、天下の輿論(よろん)の帰向とは言われまい。さりとて、神尾主膳にはそれに異議を試むるほどの見識が出来ていない、黙して聞いているよりほかはない。また、今晩は黙して意見を聞くためにここへ来たので、己(おの)れの所見を述べに来たのではない。そこで神尾は神妙に沈黙していたが、鈴木のこの大体観を中心にして、集まる二三子が、かなり思いきった反駁(はんばく)を試みたり、同意を表したりすることが、また大いに学問になりました。
 しかし、この座では大体に於て、鈴木の意見に一致するので、それ以上に、徳川の余力を買いかぶって、薩長共の蠢動(しゅんどう)が結局、徒労に終ることを冷笑する空気が圧倒的でありましたが、最後に、最悪の場合を覚悟するとして、関西の勢力が朝廷を擁し、関東と相対峙(あいたいじ)するような形勢となると、輪王寺門跡のおわすこの上野の山が関東の王座となって、江戸城は、その衛城であること京都の二条城にひとしい。この意味から上野は守らなければならぬ、上野が関東の最後の、かつまた江戸での最上の本地となるのだという意見には、誰も異議はない。
 それから、朝幕と、各藩各勢力の有する人物評判などに及んで、こういう時勢に於ては、おのおのその有する各藩の人物の如何(いかん)によって、興廃の運命が決するというものだ。ところで、鈴木安芸守が人物論について、次のような傾聴すべきことを言いました。
「京都に於て、公卿で第一に怖るべき人物はというと、それは岩倉三位だ、あれが容易ならぬ曲者で、薩長といえども、まかり間違えば、岩倉のために手玉に取られない限りもない、あれは睨(にら)みが利(き)く、薩長の何人といえども、岩倉三位に対してだけは、正面から押しの利く奴が無い」
と、きっぱり言いました。岩倉三位に対して、ともかくもこれだけの認識を持っているというのは、鈴木安芸守が、やんごとなき御方の、おつきの養育係を命ぜられて四年間、京都に留まったその経験がさせることと思われますから、いずれも耳を傾けました。今の関東では、やれ長州に高杉があるの、薩摩に西郷がいるのと言っても、てんで取上げはしない。旗本たちにとっては、薩摩や長州の藩主そのものでさえが、己れと同格以下に心得ている伝統的の自尊心があるから、そのまた下の軽輩共などが眼中にあろうはずはない。それは浮浪人同様のもので、月旦(げったん)の席へは上せられない。かりに上せられても、一刷毛(ひとはけ)で片づいてしまう。しかし朝廷を擁する公卿となると、実力は問題にならないとしても、その門地の物言う勢力が、彼等をして軽視を許さない。そこで、公卿の人物観に於ては、存外、身を入れて聞くのでありますが、鈴木の岩倉観には、是非共に一言をさしはさむことができない。その代りに、
「では、関東方で、その岩倉に匹敵する人物は誰じゃ、西の岩倉と組んで、引けを取らぬ東の関は何の誰だろう」
 岩倉にケチをつけてみたいが、つける知識の持合せが無い、その反動として、東でこれに対抗する人物ありや、と伝法の一人が質問を発したのは、将を射んとして馬を射るの戦法に似たものがあります。そうすると、鈴木安芸守がこれに答えて次のように言いました、
「京都の朝廷に岩倉三位があるように、輪王寺の門跡に覚王院義観僧都がある、京都に於ける岩倉三位を向うに廻して、これと相撲の取れるのは、覚王院義観僧都あるのみだろう」
 これは意外な見立てと言わなければならぬ。会津とか、桑名とか、譜代の誰々、旗本に於て少なくとも小栗とか、勝というものが、口の端(は)に上らなければならない場合に、意外にも、一人の出家僧を以てこれに答えた鈴木安芸守も、山におればこそ、わが田に水を引くのではない、わが山に水を上せるものだ。今日の天下に、朝廷を擁し、大藩を向うに廻して、覚王院とやらの坊主一人で、どうして相撲が取れるものか、と言わば言うべきであるが、ここの人には、それほどの反感が無い、というのは、覚王院の威望が隠然として大きいのと、西の比叡(ひえい)に対する東の東叡山の存在が、ある意味に於ては、柳営以上の位にいるという頭があるからです。
 神尾主膳は、とにもかくにも、今日会わんとして会えなかった覚王院の義観なるものが、それほどの傑物であるかという印象の下に、更に鈴木に向って、ぜひ一度、その覚王院に面会したいから紹介してくれと頼みました。

         三十六

 そこまでは無事でしたが、その会談が七ツ下りの時分に、二三子のほかに、もう二人、新面(しんがお)の客がはせ加わったことが、神尾主膳にとって運の尽きでありました。
「これは、これは」
と言って、双方ともにテレたのは、こっちは神尾主膳だが、相手は土肥庄次郎であったからです。
「珍しや、神尾主膳殿、御壮健で」
「これは土肥庄次郎、その後はどうした」
 この男だけが、初対面でなかったのです。いずれは神尾に近づきのあるくらいだから、相当のシロモノではあろうけれども、昔の悪友という因縁ではない。実はこの男の祖父は、一橋の槍の指南役で、この男も祖父に就いて槍を学び、槍に就いての交りもある上に、その当時、悪友としてのよしみも浅からぬ方であった。
 土肥庄次郎の父を半蔵と言い、祖父を新十郎と言い、これは御旗奉行格大坪流の槍の指南役であった。その仕込みを受けて、あっぱれ免許皆伝の腕となり、槍を取っては、神尾のいい稽古相手であり、同時に悪所通いにかけても、負けず劣らずの腕を振(ふる)っていたものだが、土肥は遊ぶことに於ては、神尾に引けをとらないが、神尾ほどアクドイことはやらない、いわばお人好しの方であった。
 そのうちに土肥庄次郎は、長崎へ行くようになってから、二人の交りはパッタリと絶えて幾久しい間、ここでめぐり会ったというものだから、相当入魂(じゅっこん)であるべきだが、実は土肥はその後の神尾をよく知らず、神尾もまたその後の土肥のことはあんまり知らずにいて、ここへ来たものだから、再会のようで、実は生面(せいめん)にひとしい。
 しかし、ともかく、蛇(じゃ)の道を心得た昔の悪友が来た日には、この帰りはただでは納まらない。土肥庄次郎と、もう一人のために、神尾は誘惑を受けて、まず広小路の松源へ引っぱり込まれ、そこで飲みはじめました。
 土肥庄次郎が同行の一人というのは、ずんぐりと肥った伝法な男で、これは大師堂五郎魔であります。庄次郎と五郎魔とは、後(おく)ればせに、ちょっと来て、主人鈴木安芸守を呼び出して、ちょっと耳打ちをしたかと思うと、立ち際の一座と共に、慌(あわただ)しく帰りましたから、勢い神尾と門前で挨拶をし合わなければならぬ、その機会が松源への誘惑となったのですが、それを辞退する神尾でなかったのは、相手が相手だからでしょう。
 松源の二階で、神尾主膳と、土肥庄次郎と、大師堂五郎魔とが、三人で飲み合いました。
 酒を飲み出すと、興にのって、土肥庄次郎らがこういうことを口走りました。これは極々の秘密事項だから、断じて口外はならんが、拙者と五郎魔が、今晩、鈴木重役へ相談に行ったのは、当時流行のスパイ一件のためであるということで、それはこのごろ、上方から間諜(かんちょう)がこの上野の境内へ入り込んでいる、ドコにどういう奴が幾人入り込んでいるか、そのことはわからないが、その目的だけは、はっきりわかっている、それは輪王寺宮御所蔵の錦の御旗を盗み出さんがためである、無論、盗まんがための盗みではなく、西国方の廻し者であって、宮のお手元に錦の御旗を置くことは、何かにとって危険極まりがないから、それを盗み取って、善処しなければならないという、そのたくらみの目的だけは、庄次郎が聞き込んでいる、それを警戒のために鈴木安芸守に耳打ちに来たのだが、今度、我々に於ても抜かりなく、そこへ眼をつけて、やはり、間者を取って押えなければならぬということです。
 これは土肥庄次郎の打明け話で、次は大師堂五郎魔の実験談――
 つい昨晩のこと、五郎魔が、お茶の水の首縊松(くびくくりまつ)の下を通ると、若い奴が一人、今にもブラ下がろうとしているから、五郎魔が直ちに抱き留めた。
 ところが、その若い奴が、死なねばならぬわけがあるから、どうかこのまま死なせて下さいと、泣いて頼む故(ゆえ)、それほど死にたいとは、よくよくのことだろう、では、快く死ねと言って、縄を松の枝へかけてやって、そのまま塾へ帰って来たという。
 塾というのは伊庭(いば)の塾のことで、塾へ帰ると同門の岡野誠一郎をとっつかまえて、今、首くくりを助けて来てやった、とその由を語ると、正直な岡野が面の色を変えて、それは助けたんじゃない、殺したんだ、事情は何とあろうとも、生命(いのち)より大事なものは無い、そういうのは生かして助けなければならん、話の具合では、まだ息がありそうだ、行って見よう、二人で見届けに行こうと、岡野が焦(じ)れているものだから、おれも案内して、以前のところへ来て見ると、その若いのはブラ下がっている、もう駄目だ、息がたえている。
 誠一郎が、大息してなげいて言うには、この首縊松というやつが名代になっている、この松で今まで幾人首をくくったかわかりゃせぬ、いわば人殺しの松だ、憎い松だ、手は下さないけれども、人命を奪う奴、所詮この松があればこそ人が死にたがるのだ、ことにこの枝ぶりが気に食わぬ、こいつがにゅうとこっちの方へ出しゃばって、いかにも首をくくりいいように手招きをしていやがる、こいつが無ければ人は死ぬ気にならんのだ、怪しからん奴、憎い奴、と言って、岡野は君子人だが、その君子人が刀を抜いて、首くくり松の首くくり松たる所以(ゆえん)の、そのくくりよく出ている松の枝を切りかけたんだ。
 そこで、おれが、あわてて、これこれ岡野、松はういもの辛(つら)いものというから、松を憎がるのはいいが、その松は世間並みの松と違って、公儀御堀の松だぜ、一枝(いっし)を伐(き)らば一指(いっし)を切るというようなことになるぜ、めっそう重い処刑に会うんだぜ、それがいやだから、みんな松は憎いけれども、伐るのが怖い、よって今まで、こうして人命殺傷をほしいままにしつつのさばっているのだ、君にしてからが、めっそうなことをすると、前途有為の身体(からだ)に縄がかかるぜ、と言って聞かせると、岡野が、
「なあに、お咎(とが)めがあるならばあれ、いやしくも人命を奪う植物をそのままには差置けぬ、罪はおれが着るから、貴様も手伝え」
と言うから、よし来た! と刀を抜いて、枝をブチ切ってしまったよ。もう、首が括(くく)れない、あれへ来て死神に招かれる奴もあるまい、いい人助けをしてやったぜ。
 だが、岡野には感心したよ、おれが助けた奴を、またわざわざ助けに来る義心がエライ上に、あの君子人のくせに、刑罰を覚悟で悪魔払いをしようてんだから見上げたもんだ――五郎魔は五郎魔らしい身の上話をして、座興が湧いたから、第三次としてこれから吉原へ行こうと言い出したのを、無論、それを断わる神尾ではあるまいと見ていると、案外にも、今宵はこれで御免を蒙(こうむ)る、ほかに待っているのがあるからと言って、首を横に振ったのには、土肥庄次郎も、大師堂五郎魔も呆気(あっけ)に取られました。

         三十七

 ほかに待っているのがあると言って、吉原行きをことわって引返して来た根岸の侘住居(わびずまい)。
 これでは神尾もすでに老いたりだ、だが、他に待っている者があるとの口実が、いささか気がかりではある。
 いったい、誰が、この化物屋敷に神尾を待っている?
 待っていると言うたとて、ほかの者が待っているはずはない、先代ゆずりの、お絹という肌ざわりの相当練り上げられたのが、縮緬皺(ちりめんじわ)をのばして待っているくらいのもの。これが待っているからとて、附合いを外してまで戻ってやらねばならぬほどの、姉(ねえ)や思いの神尾ではないはずだ。姉やの方でもまた、一晩や二晩よりつかなかったからとて、おいたをしてはいけません、という程度のもの、きついお叱りがあろうはずはない。
 それでも神尾は、夜のおそきを厭(いと)わず、御行(おぎょう)の松の下屋敷へかえって来て、戸を叩くと、まだ寝ていなかったらしいお絹が、直ぐに戸をあけてくれたのを見ると、今日は、でかでかと大丸髷(おおまるまげ)のしどけない姿。毛唐の真似(まね)をして、束髪、女洋服ですましてみたかと思うと、もうがらり変って、おやじをあやなした時分の大時代の姿で納まり込んでいる。気まぐれな奴だと、神尾は横目で、じろじろと丸髷をながめながら通ると、お絹は自分の部屋で、ひとりギヤマンを研(みが)いていたらしい。
 幾つものギヤマンをそこへ並べて、その傍らには中形の壜(びん)がある。ちゃぶ台の上へそれを置いて、
「よくお帰りになりましたね」
「ああ、感心に帰って来たよ、ほめてもらわなくちゃ」
「賞(ほ)めて上げますとも、坊やはこのごろお行儀がよくなりました」
「全くその通り、実は鈴木安芸守をたずねたまでは至極無事だったが、あれから計らず悪友に逢ってな……」
「悪友――でも、あなたに善友というのもありましたか知ら」
「ばかにするな、今日は善友も善友、輪王寺の執当を二人までたずねた上に、重役の鈴木安芸守と真剣な話をして来たのだ、正真正銘の精進日(しょうじんび)なのだ、ところがきわどい時に昔の悪友、土肥庄次郎というのにつかまって、松源で一杯飲まされた」
「それから?」
「それからお定まりの吉原へ誘惑を受けたが、待ってる人があると言って、きっぱり断わってここへ帰って来たのだ、どうだ、有難い心意気だろう」
「それはまあ、全く珍しいお心がけでした、ほんとに賞めて上げる価値(ねうち)が多分にありますね。でも、待っている人って、そりゃ誰でしょう、それが気がかりだわ」
「は、は、は、お婆さんが一人で淋(さび)しがってるとは、言えなかったよ」
「お気の毒でしたねえ、姉さんとでも、おっしゃればよかったのに」
「奴等、変な面(つら)をしやがったよ」
「あなた、御病気になるといけませんよ、あなたはあなたらしくなさらないと、かえって病気になりますわ、敵に後ろを見せるようになっては、神尾主膳も廃(すた)りじゃありませんか」
「そんなこたあないよ、今日は精進日だから、そういうところへ行きたくなかったんだ、それに姉さんが、ひとりで、根岸の里にお留守居だから、お淋しかろうと思いやったばかりじゃない、当節柄、女一人を置いては、全く危険だからな、心が落着かないよ」
「嘘にも、そうおっしゃっていただくことが嬉しいわ」
「うんと賞めてもらいたい」
「御褒美(ごほうび)に上げようと思って、この通り研いておりました、さあ、坊や、一つお上り」
「何だ、それは」
「ギヤマン」
「ギヤマンはわかっているが、この油のようなのは何だ」
「これはね、ブランと申しましてね、西洋(あちら)のきついお酒なのです、あなたに一口上げたいと思って待構えておりましたの」
「そうか」
と言った神尾主膳は、じっとそのギヤマンの小コップに盛られた黄金色を見つめたまま、手に取ろうとしませんでした。
 いつもならば、こちらから催促して、キュッとひっかけるはずのところを、今日は妙に手を出さないものだから、お絹が、
「どうあそばしたの、イヤに御遠慮をなさるのねえ」
「うむ」
「何をそんなに考えていらっしゃるの」
「今日は精進日だ」
「そんなに精進というものは附いて廻るものですか知ら、わたし、気になりますわ、そんなに精進精進とおっしゃられると、わたしまで気が滅入(めい)ってしまいます」
「いや、悪く取るなよ、実は飲みたいんだ、咽喉(のど)から手が出るほど飲みたいんだが――これを一杯飲むとあとを引く」
「たんとお引きなさいな、そんなに幾つもいただけるお酒ではありません」
「一杯あとを引けばまた一杯――しまいにはお前を夜通し寝かさない」
「そんなこと、苦になりませんよ」
「それだけならいいが、拙者の病が出る、久しく酒乱の見せ場を出さなかったが、こいつは急に自分を誘惑する、手つかず人を酒乱に落しそうな酒だ、今晩は我慢しよう」
「そうおっしゃるなら、免(ゆる)して上げましょう、今晩はあなたの精進をさまたげないで上げましょう、では、わたしが代って」
と言いながら、小さなギヤマンについだブランと称する黄金水をとって、お絹がグッと呷(あお)ってしまいました。そうして、仰山に眉根を寄せて、火の玉でも呑み込んだ思い入れで、胸を揉(も)む形が可愛らしいお婆さんだと言って、神尾をよろこばせました。
 そうして、精進にはじまって精進に終った神尾が、その夜は無事に閨(ねや)に入りました。

         三十八

 寝についたが、妙にかんが高ぶる。今晩の鈴木邸の会談が骨となって、それにさまざまの想像の肉が附こうというものです。
 それでも暁方(あけがた)になると神経が鎮(しず)まって、それから熟睡に落ちて、朝日の三竿(さんかん)に上る頃にやっと眼をさましました。こんなことは、いつもの習いですが、昨晩の昂奮は内容が日頃と違ったまでのことです。
 不承不承に起き上って見ると、お絹が台所で何かと小まめに働いているらしい。こんなことも珍しいもので、起きて見ると、おめかしの最中であってみたり、どうかすると置いてけぼりを食って、一日を焦(じ)らされてしまうこともおきまりのようなのに、今日はお台所で甲斐甲斐しく立働いている物音が、なんだかくすぐったいような気持がさせられて、それでも、一軒の家で主婦がまめまめしく台所で働く物音は、悪い感じは与えないものだと思いました。
 それから、茶の間へ入って見ると、どうでしょう、夥(おびただ)しい御馳走が、ちゃぶ台の上狭きまでに立てならべられて、膳椀も、調度も、取って置きのを特に持ち出したような体(てい)たらくですから、神尾が、いよいよくすぐったいような気持です。
 まもなく二人がお膳についた時に、大丸髷のお絹が、きちんと身じまい薄化粧にまで及んで、たいへんな澄まし方でお給仕に立つのが、あんまり現金で痛み入るくらいのものでした。
「何もございませんが、今日はお婆さんの手料理ですから、たくさん召上っていただきます」
「お手料理かなあ、それは痛み入ったよ」
「お酒は差上げません、精進を妨げるとお悪いから、お酒は差上げません、その代り、お気に召しましたら何なりと」
「どうしてまあ、今日はこんなにもてなされるのかなあ、あとが怖いようだぜ」
「あとの怖いものは、今日はすっかり取上げましたから御安心くださいませ」
と言って、お絹がお鉢を取ってお給仕に当りました。
 神尾としては、この女のもてなしで、こんな晴れやかな気分に置かれたことはない。
 どういう了見で、今日に限って、こんなにまでしてくれるか、わからない。自分の誕生日でもなければ、父母の命日でもないのにと、うす気味が悪いほどだが、それでも悪い気持はしないのです。
「あなたが昨夕(ゆうべ)、どこへも行かずに、おとなしく帰って下すったから、そのお礼心なのですよ」
と言ったから、神尾がははあと感づきました。なるほど、ゆうべ、お世辞にも、待ってる人があるからと言って、吉原附合いを断わって戻って来た、それがこの女は嬉しいのだよ。一人で置いて留守が心配だから、夜更けを押して帰って来た、その心意気を買ってるんだ。買われたこっちはくすぐったいものだが、買った当人の心意気は殊勝でないとは言わない。
 女というものはこういうものなんだ。したい三昧(ざんまい)をしつくしていても、べつだん悪い面はしなかったが、そのしたい三昧をあきらめて、お前のために帰って来た、と言われると、女は嬉しいのだ。何よりも嬉しいと見える。だからこの海千山千の代物(しろもの)が、貰いたての女房のような心意気を見せて、この不精者が、おしろいの手を水仕(みずし)に換えて、輸入のテン屋を排撃して、国産を提供して、おれに味わわせようというのだな。
 女というものはこれだ。あんまり現金過ぎて、くすぐったいけれども、可愛いところがあるよ。なるほど、女は喜ばすべきものだ、女を喜ばすには、金をやることもいいし、品物をやることもいいが、一番いいのは、お前に限ると言ってやることだ。言ってやるだけではない、実行に現わして見せることだ。昨夜おれが吉原行きを断わって戻って来たのを、放蕩者(ほうとうもの)に似合わない、敵に後ろを見せるは名折れだとひやかしたが、本心はやっぱり、おれが吉原を断わって、待たせてある人のために帰って来てくれた、それがこんなに嬉しいのだ。
 そう思うと、この女も存外、女だ、女というものは憎めないものだと、神尾も身に沁(し)みる一種の愛情といったようなものが、油のように滲(にじ)み出して来ました。

         三十九

 こうして睦(むつ)まじく、食事を終ると、神尾主膳が、
「また今日も上野へ出かけて、坊主に面会して来る、話が長くなるかも知れんが、たとえどんなに遅くなっても帰って来るから、お前も、なるべくよそへ出ないでうちにいてくれ」
「ええ、よろしうございますとも、あなたさえ帰って下されば、どんなに遅くまでもお待ち申しておりますよ、悪友がおすすめになりましても、昨晩のように待っている人があるからと言って、御免蒙っていらっしゃい」
「今日のは悪友じゃない、坊主に会って来るのだから、いよいよ安心なものだ、その坊主も只者(ただもの)ではない、エライ豪傑坊主だということだから、こっちが望みで会いたいのだ」
「何でもいいから、エライお方にはお目にかかってお置きなさい、つまらない人にはなるべく会わないように、己(おの)れに如(し)かざる者を友とする勿(なか)れって言いますから」
「いやはや、世界は変るぞい、お前から論語を聞くようになった。じゃ、行って来るぞ」
「行っていらっしゃい、お早くお帰りなさいよ」
 こうして、すっかり身なりをととのえてやり、ポンと一つ背中を叩いて、出してやりました。
 神尾主膳の行く先のエライ坊主に会いに行くというのは、覚王院の義観のことでしょう。覚王院も、竜王院も、その昔から知らぬ間柄ではない。世の常の坊主と思っていたら、このごろになって、その評判がばかに高い。ことに昨夜の鈴木安芸守の見立てによると、京都の公卿の岩倉三位というのと匹敵する人物だという。岩倉がどのくらいの人物か知らんが、朝廷にいて、薩摩や長州の首根っ子を取って押えるというのだから、相当なものに相違あるまい。それが西で事を挙げると、こっちは東にいて相撲が取れる相手は覚王院の義観だという見立ては、当るにしても、当らぬにしても、後学のために会って置いていい坊主だ、そういうような気分で神尾主膳は、程遠からぬ、根岸からつい一足上りの上野の山へ今日も出かけて行きました。
 その留守には、お絹がおとなしく待っている。
 誰も来ないとなると、閑の閑たる根岸の里。お絹は大丸髷(おおまるまげ)に手拭を着せて、主膳の居間の掃除をはじめました。
 神尾主膳の居間は、らんみゃくです。王羲之(おうぎし)もいれば、□遂良(ちょすいりょう)もいる、佐理(さり)、道風(とうふう)もいるし、夢酔道人も管(くだ)を捲いている。自叙伝のようなものと、このごろ書きさしたその原稿も散らばっているし、そこらあたりは、さんざんの体でありますが、これは主膳が、ことわって、うっかり手をつけさせなかったという理由もあるけれど、二人ともに無精(ぶしょう)ぞろいのさせる業でもありましたが、今日は、すっかりそれを掃除して、一点の塵もとどめぬようにこの一間を清算してしまいました。
 掃除ということに、こんなに身を入れたことは、お絹としては、生れてはじめてのようなもので、掃除をきれいにしてみると、室がきれいになるばかりではない、身心も何だかさっぱりして、若々しい気分に満ちて、まだ本当の意味では味わったことのない新所帯の気持、どうやら新婚の気分といったようなものに浮き立つのも、いまさら気恥かしい。
 夕方になると、約束よりも早く立戻った神尾主膳。
 お絹に賞(ほ)められること、そうして、その日の晩餐も、睦(むつ)まじく、お絹の待構えた手料理とお給仕で快く済ましてから、食卓の談(はなし)がはずむ。
「聞きしにまさるエライ坊主だよ、あれだけの見識とは思わなかった、実際会ってみると談論風発、当代の人豪顔色無しだ、なるほど、あれなら輪王寺を背負って立って、関東のために気を吐くこと請合い、ちょっと、あれだけの大物は無いなあ、坊主にして置くは惜しい、政治家にしても、軍人にしても、大仕事のできる奴だ」
と言って感歎の声を惜しまない。お絹も煙にまかれて、
「そんなにエライ坊さんが、今時、上野にいらっしゃるのですか」
「いるとも、いるとも、あの坊主の説を聞いて、おれの頭の中は一変したよ、勝や小栗のことは知らないが、まあ、あいつらに勝るとも劣るものではあるまい、あれだけの奴がこっちにいれば、よし江戸の城は明け渡しても、上野の山で持ちこたえる、あいつが軍師で、輪王寺の錦の御旗を押立てて起(た)てば、徳川の旗下が挙(こぞ)って上野へ集まる、本来、ここまで来ないうちに、もっと早く、こちらから積極的に上方へ乗出したかったんだ、あんな坊主を上方へ向けて置いて、あっちで策戦をすれば、今時、こんなに後手(ごて)を食わずに済んだものだろう、そこは、あの坊主も、内心残念がっているようだが、なんにしても、あの坊主を坊主で置くは惜しい」
「そんなにエライお方を、坊主坊主と呼捨てになさって罰(ばち)が当りはしませんか、何という御出家様でございましたかねえ」
「輪王寺の執当職で覚王院義観というのだ、学問があって、胆力があって、気象が天下を呑んでいる、会ってみなけりゃあ、あいつのエラさはわからん、山岡鉄太郎や、松岡万あたりも、あれの前へ出ると子供のようなものだそうだ」
「お山にも、そんなエライ坊さんがいらっしっては頼もしいことでございますね」
「そうだ、義観のほかに、竜王院の堯忍、竹林坊の光映などというところは、覚王院とは異った長所を持つエラ物(ぶつ)だという噂だが、とにかく、覚王院一人に逢っただけでも意を強うするに足るものだ」
 神尾主膳は、よほど覚王院義観に参らされて来たようで、口を極めて感歎の舌を捲くが、お絹はバツを合わせるだけで、人物論などには興味を持ちません。そこで、神尾は覚王院礼讃はいいかげんに切上げて、さて声を落して言うことには――

         四十

「時に、話は別になるが、ここに、ちょっと耳寄りな、聞いて甘いような辛いような口が一つあるのだが、お前、乗ってみる気はないか、お前が乗れば、わしも乗る」
と調子が変ったものですから、お絹も人物論よりは乗り気になり、
「甘い口なら、いつでも乗りましょう、おっしゃってごらんあそばせ、あなたが甘いとお思いになっても、わたしには辛いかも知れません」
「話は至極甘いのだ、いわば葱(ねぎ)に鴨という調子に出て来ているのだが、さて、それに乗るということになると、相当の決心が要るよ」
「まあ、おっしゃってみてごらんあそばせ」
「実はな、ひとつ、京都へ行く気にならないか、お前が行く気なら、おれも行くよ」
「京都へ?」
「うむ、上方だ、今は江戸の舞台が、あっちへ移っているのだから景気は素敵だ、それに江戸と違って、千年の都だからなあ、見るもの聞くもの花の都だ」
「上方見物――ようござんすねえ、お恥かしながら、わたし、この年になって、まだ京都を存じません」
「そうだったかなあ、親爺(おやじ)の代に行って置けばよかった、惜しいことをしたねえ」
「行くつもりなら、いつでも行けると思って安心しているうちに――年をとってしまいましたのよ」
「いや、これから一花(ひとはな)と言いたいところだろう、どうだい、思いきって、花の都住居をしてみる気はないか」
「ないどころじゃありません、大有り名古屋のもっと先なんでしょう。いったい、何でそんなに急に京都風が吹き出して来たんでしょうね」
「まあ聞け、こういうわけなんだ、どの方面と名は言わないが、このおれにひとつ京都へ出張(でば)ってみないかという話が持ちかけられたんだよ。気の早い話だ、今日という今日の日に、人もあろうにこの神尾を見込んで、ひとつ京都へ乗込んで、一遊び遊んで来ちゃどうだという、甘い口がかかったんだ」
「まあ、それはどうした御縁なんでしょうねえ、また悪友にそそのかされておいでになったんじゃなくって?」
「いいや、これも悪友ではない、第一、悪友どもにこの神尾を見立てて京都へ行けというほどの実力ある奴がいるか。京都へ行けば、当分、遊びたいだけの遊びをしていいという軍費が出る、何一つ不足をさせない、その上に、仕事といってはただ遊んでいさえすればいいというのだから、神尾主膳あたりには打ってつけの役廻りだ」
「今時、そんな茶人があるものですかねえ、ほかならぬあなたをお見立てして、京都で思うさま遊ばせて上げようなんて、そんな有り余るお宝の持主がありますかねえ」
「それが有るのだ、有るべき道理あって有るのだから、やましいことがなく、しかも遊んでさえいれば、それが立派な御奉公になろうというのだから、まず近ごろ、これ以上の耳よりな話はないさ」
「そんなら、あなた、お考えになるまでもなく、早速お受けになればよいに」
「いや、それも一人じゃいやだよ、誰か面倒を見てくれる人が附いていてくれなくちゃあな、神尾もそうそう、若い時の神尾じゃないから、花の都へ上ったからとて、そう無茶な遊びもやれない、誰かついて行ってくれればいいがと考えたから、お受けもせずに戻って来た、家に待っている人があるとは言わないが、心当りへ当ってみてから挨拶をする、と言って帰って来たのは別儀ではない、私の姉さん、お前、一緒に京都へ行ってくれるかね、お前が行ってくれれば、これも一期(いちご)の奉公だと心得て、おれは京都へ乗込むよ」
「参りましょう、あなたのおともをして、京都へ参りましょう」
「いいかい、ただの京都見物じゃないよ、次第によると永住の形式になるかも知れないぜ、よく考えて返事をしてくれ」
「考えれば、条件も出て参りましょうから、考えないでお返事を致しましょう、あなたが、わたしのために家へ帰って来て下さるようになったお礼心で、わたしはあなたのいらっしゃるところならば、海の中でも、山の奥でも」
「本気かい、本気でそれを言ってくれるのかい」
「あなた、このわたしの心意気がおわかりになりませんの」
「わかる、わかる、では、おれは明日にもまた折返して、京都行きを承知して来るよ、いいかい?」
「御念には及びませぬ、今日からでも、おともを致します」
「よし、話はきまった」
と言って神尾主膳は、出陣の前ぶれのように勇み立ちました。

         四十一

 それから、神尾が突込んだ打明け話をして言うことには――
 今度の京都行きの話は、どこから出たかその出所はわからない。またわかっても、それは誰にも言えないが、だいたいに於て、こういうことになっている――
 相当の体面を保つだけの手当は、それはもとより充分に出る、その上に交際費はつかい放題とは言わないが、機密によってはかなり潤沢に許される、誰が今時、何のためにそんな無用な金を出して、無用な人を遊ばせるかと言えば、遊んでいながら、京都の内外の様子をすっかり偵察して、それを時に応じて、こっちへ知らせる役目だ、表面の辞令をいただかないお目附(めつけ)だ、悪く言えば間諜(かんちょう)、ペロで言えばスパイというやつかも知れないが、決して下等な仕事じゃない、柳生但馬もやれば、石川丈山もやった仕事なんだ、徳川家のために、公卿と西国の大名どもの監視をしていようというのだ、その役廻りにこの神尾を見立てたのは、誰とは言えないが、見立てた奴も、見立てられた奴も、まず相当なもんだろう、そこで、話はいよいよ早い、なんでも京都の北の方に鷹ヶ峰というところがある、そこに「光悦寺」という小さな山寺があって、その昔、本阿弥光悦という物ずきが住んでいた、その寺があいているから、そこへ入って坊主になれというのではない、閑居の体(てい)にしていて、気が向いたら、京都なり、大阪なり、好きなところへ泳ぎ出して、好きなように遊んでよろしい、出仕の場所の指図は受けないし、時間というのも制限がない、およそ、この神尾の勤め口としては絶好だろう、今もちょっと口に出たが、板倉周防の仕事をしろというのではない、柳生但馬とか、石川丈山とか――あれの仕事を当世で行くんだ。石川丈山と言えば、お前は名を聞いていないかも知れないが、戦場の行賞の不平をたねに、知行を抛(なげう)って京都の詩仙堂というのへ隠れたのは表面の口実、実は徳川のために、京都の隠目附(かくしめつけ)をつとめていたのだ。おれは但馬守ほどに剣術は使えないし、丈山ほどに漢詩をひねくる力はないが、遊ぶ方にかけちゃあ、ドコへ行ってもヒケは取るまい、近頃は、遊ぶに軍費というやつが涸渇(こかつ)しているから、遊びらしい遊びは出来ないが、今度のはれっきとした兵糧方がついている、なんと面白かりそうではないか――行って落着く住居までが、もう出来ているのだ、身一つではない、身二つを持って行きさえすれば、ここの生活が、直ちにそこへ移せるのじゃ、その上に、昔のようには及びもないが、再び神尾は神尾としての体面が保てる、お前にも苦労はさせないだけの保証があるのだ、異人館の方に未練もあるだろうが、京都での一苦労も古風でたんのうの味はあるに相違ない、同意ならば、善は急げということにしようじゃないか。
 その晩のうちに、二人の腹がきまってしまいました。お絹としては、まだ見ぬ花の都を見飽きるほど見て帰れるし、それは、れっきとした後ろだてがあって、体面が保てて、生活が安定するのだから、ほんとうにこの辺で納まるのが何よりという里心にもなったのでしょう。
 こっちに未練といえば、ずいぶん未練もあるし、異人館の方だって、大味もこれから出て来ない限りもないが、それも、本当を言えば、こんな生活から逃(のが)れて、老後が食って行けるように何かのみいりが欲しいから、引眉毛で出てみたようなもので、そんな仕事をせずとも、安心して暮せるようになりさえすれば、もうこの辺で年貢の納め時、と言ったような満たされた心があるものですから、お絹は一切の未練や、たくらみも、かなぐり捨てて、無条件で神尾に捧げてしまおうというのです。もう、これからは浮気もすっかり納めて、いちずにこの若主人を守り通そうという心が、昨夜あたりからこっそり水も漏(もら)さない仕組みになりきってしまっているのです。
 そこで神尾主膳主従は、京都行きの腹を固めて、今までにない新しい勇気に酔わされて、心地よい一夜を明かしたというものです。
 翌日になると、そのお受けのためにと言って、神尾が悠々として出かけました。

◇ピンチです!◇
◇暇つぶし何某◇

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