大菩薩峠
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著者名:中里介山 


 そもそも、この月ノ浦というのは――それを説明する前に、溯(さかのぼ)って、東北の独眼竜伊達政宗を説かなければならないのですが、そうすると記述が徒らに肥えて、ロマンの肉が痩(や)せる。ただ、伊達政宗が、その昔、この港から、ローマへ使節を遣(つか)わした港であるということだけを、とりあえずしるして置く。
 そうして駒井甚三郎は、かねて海外に志ある人としての伊達政宗をかなり研究していたところから、一つはその思い出のために、この由緒(ゆいしょ)ある港を選んで着船したものと見て置いていただいてよろしい。
 本来ならばこの船が着くと同時に、真先かけて、はしけに立っている七兵衛の姿を見なければなりませんのですが、それが見えないことが、誰よりもまず清澄の茂太郎を失望させました。
 茂太郎は船の舷上に立って、左の小腋(こわき)には例の般若の面をかかえたまま、呆然(ぼうぜん)として爪を噛んで陸地の方を見つめたままです。
「なあーんだ、七兵衛おやじが来ていないや」
 これが着いたその夜のことです。夜のことでも、漁村と漁船には点々たる火影(ほかげ)が見えないということはなかったのですが、それでも陸地一帯は茫々模糊(ぼうぼうもこ)たる夜の色に包まれている間を、茂太郎は淋しげに見渡して、
「七兵衛おやじが、こっちへ駈けて来るのが、船の上ではよく見えたんだがなあ」
 茂太郎としては、珍しく、ほとんど泣き出しそうな声をして、彳(たたず)みきって動こうともしません。
 なるほど、そう言えばそうです。海上遠くメーンマストの上で、茂太郎は、「七兵衛おやじが、走るわ、走るわ」とわめき立てたことがありました。その時の調子と、今日のしょげ方とを比べて見ると、それではあの時のは、檣(ほばしら)の上の出鱈目(でたらめ)の即興ではなくて、真に、茂太郎の眼では、磐城平から海岸通りを北走する七兵衛の姿を認めたのか。
 そんなはずはあるまい。あの時は、陸地を避けて、船はあんなに遠く海洋の沖中を走っていたのだ。四顧茫々として、遠眼鏡を以てすら陸地がいずれにあるかさえわからなかったその中で、茂太郎が仙台領を走る七兵衛の姿を認め得られるはずはないのです。
 しかし、あれが即興の出鱈目であるとすれば、ここへ来て、こんなに失望する理由もまた消滅しなければならないのではありませんか。
 ましてこの夜のことです。はしけで迎えに来ないからといって、この見渡す海岸のいずれの地点にかその人が待兼ねていないとも限らないのに、以前の即興があまりに眩燿的(げんようてき)であっただけに、ここへ来ての失望が独断に過ぎるのは、多少気の毒と滑稽を感ぜしめないわけにはゆかないのです。
 今や茂太郎はパッタリと、出鱈目も歌わず、即興も叫ばぬ人になってしまいました。尤(もっと)も駒井としては、船がかり中は別して静粛を保つようにと、特に入港の前に申し渡してあるのですが、それを、すんなりと守り得られる茂太郎ではないはずで、船が着く時は、彼の即興がまたネジを戻すものとばっかり思われていたのに、ひっそりとして、全くそのことがありません。
「今晩は茂ちゃんが、バカにおとなしいではありませんか」
 お松が言うと、駒井が、
「珍しくあの子の上に船長の威令が行われた」
と言って微笑(ほほえ)みはしたけれども、その実はなんとなく、淋しい思いに襲われていることは、お松も同じことです。
 噪(さわ)ぐべき人は噪いだ方がよろしい。歌うべき人は歌った方がよろしい。船長の威令を無視してまでも、あの子はあの子として出鱈目を歌った方がよろしい。むしろ歌ってもらいたいものだというような物足らなさが、駒井の胸にも、お松の胸にも、ひとしく湧き上ることを如何(いかん)とも致しかねました。
 ですけれども、茂太郎の歌は、決して聞えませんでした。
「よく寝れば、寝るとて親は子を思い」――お松は、そういったような一種の親心同様な思いに駆(か)られて――船長室を立ち出で、
「茂ちゃあーん」
と呼んでみようとしたが、おとなしくやすんでいるものを起さないがよいとも思案しました。なまじい呼びかけて、またあの子の即興心をまで呼びさまし、はしゃぎ出されたのではたまらない。
 港へ入ったという安心で、あの子もぐっすり寝込んでいるだろう、明日まではそうして置くがよいと、お松は思案して、自分の部屋へ引返しましたけれど、茂太郎の歌わないことが、いよいよ我が身を滅入(めい)らせるような思いをしないではありません。
 こうして、入船の当夜は、特に静粛なるべき船長の思慮と命令がよく行われて、物音らしい物音、人声らしい人声は船内から一つも外へ洩(も)れないで、ほとんど無事にその夜が明け放れんとする時分に、船長の思慮と威令とが、遺憾なく蹂躙(じゅうりん)された一大衝動を捲き起したというのは、本意(ほい)ないことであります。
 さては茂公、いよいよまたネジが戻ったかな、七兵衛の姿をでもいずれからか発見して、急にはしゃぎ出したのか、そうではない。
 噪(さわ)ぐべく、歌うべき当人の株を奪って、その騒音は、意外といえば意外だが、さもそうありそうな船内の一角から起りました。例のマドロスが、突拍子もない大きな調子で、だみ声をあげたかと思うと、ガムシャラに歌い出すと共に、足踏み荒くダンスをはじめ出したことです。
 そのけたたましい物音に、一船内がことごとく暁の夢を破られてしまいました。
 夢を破られたもののすべてが、さてはマドロスめ――と、苦々しい思いをしましたけれど、マドロスは一向その辺の遠慮心を喪失してしまったものと見え、濁声(だみごえ)はいよいよ濁り、調子はいよいよ割れ出し、ダンスの足踏みは盛んに荒(あば)れ出したものであります。
「奴、また飲みやがったな」
 船頭二三が歯噛みをしました。事実、マドロスとても、その後はかなり神妙にし、船中でも相当に働き、役にたつ時は羅針盤同様の必要な役目をさえ成し遂げて、ともかく無事――金椎の厨房(ちゅうぼう)から饅頭(まんじゅう)を取って来て、ひそかに兵部の娘に食わせたり、食ったりしたなどは別として――にこれまで来たのに、そうして、今夜一晩は特に静粛にという船長の命令もようやく呑込んでいたのに、九十里のところで物の見事にぶちこわしてしまったということは――それは必ずしも御当人に、航海中たくわえられた反抗心があってそうさせたのではない。あのだみ声の呂律(ろれつ)でも、足踏みのしどろもどろでも分る通り、酒という魔物が手伝って、あれをああさせているのだ。
 それにしても、誰が酒を飲ませた。船中では一切飲ませないことにしてあったはず――飲みたくも、飲ませたくも、酔わせるだけの分量は貯えてなかったはずなのに。
 ははあ、では、あいつ待ちきれなくなって、早くもこっそりと小船に乗るかなんぞして、岸へ抜けがけをして、あのアルコール分を身体(からだ)の中へ仕込んで来たのだな、そうと解釈するほかはない。
 そうだ、そうしてアルコール分をしっくりと体内に仕込んで帰って、いい気持で寝床にもぐり込むはずのところを、その仕込んだ分量が超過したものだから、ついにあの呂律となり、あのステップとなってしまったのだ。
 ちぇッ――世話の焼けた奴だなあ。
 まず、最も近い室の房州出の船頭の二人が眉をひそめると、同様の思いが、お松にも、駒井の室へも響かないということはありません。
 しかし、マドロスにこうもアルコール分が廻った場合に、この船内では遺憾ながら、それを制裁する実力を持ったものが一人もありませんでした。
 ウスノロはウスノロだが、体格は図抜けていて馬鹿力があるし――田山白雲でもなければこれに対抗するものはないのです。今のところでは、手をつけるより、手をつけないで自然の鎮静を待つよりほかはないと船頭はじめ眉をひそめて、苦々しく思っているのだが、あいにくそのアルコール分はいよいよ沸騰するだけで、いつ鎮静の時を得るか分らないもののようです。
 船長室へ駈けつけたお松が、駒井の迷惑と共鳴して、
「こっそりとお酒を飲みに、陸(おか)へ上ったのでございましょう」
「困ったものだ」
 駒井甚三郎も真に当惑の色であります。
 そのうちに、たまり兼ねたか船頭が取鎮めかたがたなだめに行ったもののようです。ところがその結果はかえって石灰の中に水を入れたような結果になり――喧々囂々(けんけんごうごう)、組んずほぐれつ、収拾すべからざる大乱闘が捲き起されてしまったことは、船長室まで手に取るように聞えて来ました。
「まあ、なだめに行った船頭さんたちを相手に、また乱暴をはじめたようです、どう致しましょう」
「困ったことだ」
 駒井は苦り切っている。お松はいても立ってもいられない心持。あちらの船室内の騒動はいよいよ驚天動地。
「ほんとうに、田山先生がいらっしゃるといいのですが……」
 お松としても、時艱(かん)にして英雄を思うの情に堪えられないが、徒(いたず)らに英雄を想うのみで、この際、自分としてはなんらの施すべき策も手段もありません。
 捨てて置けば、幾つかの人命にも関するほどになりはしないか――この上は、是非に及ばない、自分が出動して取りさばくよりほかはないと、駒井も思案して立ち上りました。お松もおどおどしてその後に従い、乱闘の方に進んで行きましたが、お松の心では、この殿様を、あんなところへお出し申したくはない、こんなことにまでいちいち殿様の御足労を煩(わずら)わさねばならないかと、痛々しさに堪えられませんでした。
 いかに酔っていても、船長の命令に服するだけの常識は残っているだろうが、もし、それをきかない時は、この殿様が御自身手を下して、あんな奴を御成敗――といっても、人間はダラシがないにはないけれども、船としてはいま無くてならない人になっているあのマドロス、殿様もあれを失いたくはなくていらっしゃるだろうから、思い切った御成敗をなさるわけにはゆかない、そうすると、あれが増長する。
 お松は、どうかして、この殿様をあの場へやりたくない。できることなら自分が出向いて取締りをつけてやりたい。しかし、ああなっては気ちがいよりも怖いのだから、わたしの力なんぞではどうすることもしようがない。
 ああ、困ったことだ。
 お松は、じりじりとじれる足どりで、駒井に従いながら、実はその行手に立ちふさがりたい心持です。
 こうして、一歩一歩乱闘の室に近くなった時分に、急にそのけたたましい喧噪(けんそう)がいくぶん緩和されたような気分になったのは意外でした。それでも、たしかにそうです。獣の狂うような渦巻が急にいくらか和(やわ)らかになってきたようだと感じた途端――女の声で、
「マドロスさん、いいかげんになさい、そんな乱暴をしないで、わたしのところへ来てお休みなさい、まだ夜が明けたわけじゃないから、もう一休み、ゆっくりと寝ましょうよ、ね、マドロスさん……」
 それは、兵部の娘の声であります。この女性の声が乱闘の中へ流れ込んだものですから、それで獣の噛合(かみあ)いのような渦巻がいくぶん緩和されたものでありました。
 それを聞くと、甲板の上で、駒井甚三郎とお松とが、言い合わせたように足を止めていると、マドロスの声で、
「お嬢さんと、寝る、寝る、よろしい、寝る、寝る、よろしい、チーカロンドン、ツアン、バツカロンドン、ツアン」
 急に御機嫌が直ったマドロスが足踏みおかしく、よろよろとよろけた体を、兵部の娘に持たせている様子が手にとるようです。
もえさんと
寝る、寝る
よろしい
チーカロンドン
バツカロンドン
ツアン
 まさしく茂太郎の株を、この不埒(ふらち)なるマドロスめが奪って、そうして、兵部の娘にあやされながら、その寝室の方へと転げ込んで行く様子が、いよいよ手にとるようです。やがて一切の喧囂(けんごう)が拭うたように消え去ってしまいました。
 甲板の或る一点に、申し合わせたように足を止めた駒井甚三郎とお松は、そこで面(かお)を見合わせました。
 けれども、駒井の面にも、お松の面にも、まあこれで安心という快い色は見えませんでした。そうして二人とも、なんとなく興ざめ面で、無言にとって返さなければなりません。
 お松は、ここでちょっと駒井に取りなす言葉のきっかけを失った思いです。事実、この際、もゆるさんが、あの人を自分の寝室に引取ってくれたから、それでようござんしたとも、いけませんでしたとも、お松としては言えなかったものですから、そのまま暫く無言で、船長室へ引返す駒井甚三郎のあとに従い、無言でたじたじと引返すよりほかはありませんでした。
 そうして、お松は親柱のところへ来ると、また、思わずギョッとして立ちすくんでしまい、
「まア――」
 檣柱(ほばしら)の下の俵を積んだ上に、人が一人、黙って坐り込んでいる。
「茂ちゃんじゃないの」
「あい」
「まア、お前――」
 お松は、呆気(あっけ)にとられました。出鱈目(でたらめ)のうちの出鱈目、饒舌(じょうぜつ)のうちの饒舌である清澄の茂太郎が、ほとんど化石の彫刻みたように、チョコンとしてその俵の上にのせられたもののように坐っていたからです。
 熟睡していた人なら知らぬこと、今まであの騒ぎを知っていながら――一言も、この子の伴奏がなかったことは不思議中の不思議。それを今まで不思議とも感じなかったほど、自分たちは何かに制せられていたことを、いま気がついて見ると、やや明け方の光で見たこの少年の面色(かおいろ)が、いやに沈み切っていることに、またなんとなく胸を打たれないわけにはゆきません。
「いったい、お前、そこに何していたの、どうしたんです」
「あたいは、七兵衛おやじを見つけ出そうとして、ここに一晩中ながめていたの」
「一晩中?」
「ところが、七兵衛おやじの姿が見えません、何をおいても見えなければならないはずの七兵衛おやじが、来ていないことを見ると……」
「だってお前、この闇の中で……」
と言ったが、お松はこの非凡な少年が、暗い中でもけっこう見える眼を持っていたのだということに気がつきました。
 そうして、この少年は、夜目遠目のきく非凡な眼を以て、夜もすがらここに立番をして、一心不乱に七兵衛おじさんの来ることを期待していたのに、それが酬(むく)いられないことによって、この痛心の面(おもて)があり、その一心不乱のために、さしも喧囂を極めたマドロス騒動の一幕にも、振向かなかったものに相違ない。
 それほどまでに、七兵衛おじさんというものの来ることと、来ないことに関心を置いているこの少年。それは、多少とも縁ある人の去就に関心を持つことは人情には相違ないが、この少年が、これほどまで七兵衛おじさんを待兼ねている、それを思うと、自分の方がもう一層、それをなつかしがらなければならない義理でもあった――とお松は、ここで七兵衛の安否について、この少年の懸念(けねん)を頒(わか)つ心になってみると、この少年のなんだか沈んだ面色を見るにつけて、なんとなし、また一種の不安がこみ上げてくるのを如何(いかん)ともすることができませんでした。
「ここへおつきになることが遅いなら遅いでよいが、何かまた道中に変事があったのでは……あのおじさんに限って、旅に慣れているから、万々間違いはないと思うけれども……」
 こう言っているうちに、そのなんとなしの不安が、いよいよ募(つの)ってくるものですから、茂太郎の傍を立去りかねているうちに、駒井は、もう一人で自分の部屋へ帰ってしまいました。といって、それ以上どうすることもできないお松は、茂太郎をなだめすかすほかの術(すべ)を知りません。
「茂ちゃん、そう取越し苦労をしたって仕方がありません、いつまで待っていたって、来る時でなけりゃ来やしませんから、休みましょうよ、まだ明るくなるまでには充分時間がありますから、下へ行ってゆっくり休みましょう。わたしも、なんだか、まだ寝不足だから、もう少し休ませてもらいましょう」
 マドロスが兵部の娘につれられたのとは期せずして同工異曲に、お松は、茂太郎を引っぱるようにして自分の船室へ連れて行ってしまいました。
 そこで、船の上下こそ、今度は全く静かなものになりました。茂太郎も、存外素直(すなお)にお松の部屋へ来て、その一隅の寝床へもぐり込むと、早くもすやすやと寝息が聞えます。
 騒擾事件(そうじょうじけん)の発頭(ほっとう)たるマドロスも、鼻唄の声さえ、鼾(いびき)の声さえ、洩れないほどに納まり込んでしまっていると見るよりほかはない。明朝は、朝寝、昼寝おかまいなしというお触れですから、皆さんが安心しきって羽目を外(はず)して寝込んだものです。
 ひとり、駒井甚三郎だけが、船長室にカンカンと明りをともして、その光に熱心な面を射させて、海図であろうか、航海誌であろうか、眼をさらしていて寝ようとはしないだけのものです――そのほかに、眠っているのか、醒(さ)めているのか、寂然不動の体(てい)を守って艫(とも)の方に坐っているのがムク犬であります。
 やがて、船長室のカンカンとした燈火も消えました。これで全く船のうちの人という人は眠りに就いたことの確定を見すましたかのように、今まで寂然不動のムクが、悠然として立ち上り、のそのそとして甲板に歩み出しました。これからが、おれの職分の世界だと言わぬばかりに――

         十

 ノソリノソリと歩み出したムク犬は、左舷(さげん)の舟べりに立って、海の上を見渡しています。
 この静寂な海港の夜を破るほどの物音ではないけれど、左側の船腹のところで、たしかに断続的に物音が立っているのです。ミシリといったり、カタリといったり……それが鼠でも、ミサゴでもない証拠には、極めて軽いながら人の息づかいと、囁(ささや)きとが聞えるのです。
 ですから、当然、ムク犬として、それに聞き耳を立て、注意深い眼を注ぐことはその職責であります。ただ軽々しく吠えないのは、この犬として当然の思慮で、その何たるを見極めて後にこそ、吠ゆべきは吠え、防ぐべきは防ぐことを心得ているからです。
 ムクは両足を揃えて、半ばのぞき込むような形で、船腹を見おろしたまま、あえて動きませんでした。
 たしかに、船腹のブリッジドアを開いて、一人の人体が出て来ました。それは大男ですけれども、身軽に船の腹から這(は)い出したが、這い出したその下には、いつのまにかボートが櫓(ろ)を備えてつり下ろされていました。大男は存外身軽に、ひらりとそのボートへ乗り移ると、続いて同じところのドアから、また一つの瘤(こぶ)が現われたものです。やっぱり、人影です。人影ではあるけれども、以前のとは違いました。小柄な、きゃしゃな、女の姿であります。
 この女の姿が半ば船腹からはみ出されると、それを待っていたとばかり、取り上げて引き抜くように無雑作(むぞうさ)に抱きおろしたのは、その大男の手を以てして、同じボートの中でありました。
 ここで、二人は完全に、一つのボートの中におろされると、ホッと一息ついて親船を見返りがちに、何か二言三言ささやいたにちがいありませんが――ムクには聞き取れません。
 そうすると間もなく、大男の手はオールにかかったのですが、その以前に、もう二人のほかに、何か若干の手荷物が取りまとめられて、ボートの中に運ばれていたのです。
 こうしてボートは大男の、図体に似合わぬ熟練軽妙なオール捌(さば)きによって、ほとんど水音を立てず、鏡の上を辷(すべ)るように、すーっと月ノ浦の港の上を辷り出したものです。
 その前後、誰ひとり見ているものはなく、また誰をしも驚きさます物音をも立てず、すっと抜け出した手際だけは、たしかに鮮やかなものだと称すべき価値はあったのでしょう。
 それを最初から見ていたのはムクだけでした。ところで、この豪胆にして且つ敏感なるムク犬が、ついに吠えることをしませんでした。
 月ノ浦から小鯛島の間を、右のボートが夢のように辷って行く。それを茫然として見送っていたムク犬――出て行くボートの者にも、留まっている親船の人に向っても、あえて一吠えの挨拶をも警戒をも試みないところを以て見ると、さしものムクも、もうヤキが廻ったのか、そうでなければ、出て行くものは追わざるがよし、留まる者をして安らかに眠らしめよ、という厚意ある諒解をもっての挙動と見るよりほかはありますまい。
 今朝に限っての朝寝昼寝を充分に保証された船の人も、日が三竿(さんかん)にもなって、相当の時が来れば、そうそういい気持で内職の船を漕いでばかりはいられないと見えて、一人、二人ずつ面(かお)が揃ってくると、早くも、
「おや、ボートが一ぱい足りねえ――おや、船窓があいている、マドロスが――もゆるさんが――まあ、荷物が――」
 二人の姿が全く親船の中から見えないのです。二人ともに、手廻りの物が程よく取りまとめられて持ち出された形跡も充分ですから、合意の上で逃げたものと見るよりほかはありません。どちらがどうそそのかしたか、そのことはわからないが、いずれにしても、相当の合意をもって計画的に馳落(かけおち)を遂げてしまったということは、疑う余地がありません。
 呆(あき)れ返るもの――罵(ののし)る者――地団駄を踏む者――直ぐに追いかけて、あん畜生、とっ掴まえて今度こそはと、マドロスを憎むこと骨髄に徹する者もある。もゆるさんももゆるさんだ、何だってあんな毛唐にだまされて、いったい、あのウスノロのどこがいいんだ――と歯噛みをする者もある。
 お松としては、言句(ごんく)も出ないほど浅ましい感に堪えなかったので、傍(かた)えにいたムクをつかまえて、こんなことを言いかけてみました。
「ムク、お前が昨夜(ゆうべ)、あの二人の逃げ出すのを、気がつかなかったというのがおかしいわね、あの二人は当然ここを出て行くべき人なんだから、それでお前が知っていても止めなかったの――ここにいるよりも、出て行く方が二人のためにも、船のためにもいいと思ったから、それでお前が見逃したの、どちらだか、わたしにはわからない。お前がいながら、二人を無事に逃がした気持が、わたしにはわからない」
 こういってムクに言いかけたが、その傍にいた金椎(キンツイ)が、一種異様な表情を試むるだけで一言も吐かないのは、体質上是非もないが、兵部の娘とは切っても切れない馴染(なじみ)を持っているはずの清澄の茂太郎が、ここへも姿を現わさないし、ウンだとも、つぶれたとも言わないのも異例の一つです。
 と思いやる途端に、親柱の上高く人の声がする、
「ああ田山先生が来る――七兵衛おやじは来ないけれども、田山白雲先生がやって来る」
 もう、あんなところに登っている。
 どこの方角を、どうながめているのか知らないが――遠く眼を空と山との間に注いで、そうして、人が来る来ると呼んでいる。果してその方角から来る人があるならば、それは雲際から降りて来る人でなければならぬ。
 甲板に立つ人が幾つの眼を集めて見たからとて、こちらへ来る人の影は――といううちに、土地の海女(あま)や漁師は別として、田山らしい、白雲らしい人の影は、いずれにも見えはしない、茂公の出鱈目がはじまった、これでまあ、天気も変らないで済む――といったような、一種の気休めを与えるだけの効はありました。

         十一

 茂太郎の予報から約一刻(ひととき)も経て、果して田山白雲の生(しょう)のものが、月ノ浦の港の浜辺に現われて、船をめがけて大きな声をあげました。
 心得て、ボートが迎えに来る。親船について、白雲は駒井の案内で、なにもかも目新しく、物珍しい目で船の内外を見廻しながら、船長室に伴われて、そこで二人の会談がはじまりました。
 介添(かいぞえ)には、お松が時々出てあしらう。
「駒井氏、せっかくここまで来たからには、どうして、目と鼻の間の石巻へ船をつけないですか――月ノ浦なんて、こんな辺鄙(へんぴ)なところへわざわざもやったのは、どういう了見ですか」
「左様、この月ノ浦を選んでこの船をつけたのには相当の理由があるのです。今こそ、石巻や塩釜に比べて比較にならない月ノ浦だが、歴史上の由来は深いものがある。昔、伊達政宗が、支倉(はせくら)六右衛門をローマへ使者として遣(つか)わす時分に、船出の港として選んだのがこの月ノ浦だ」
「なるほど、伊達政宗がローマへ使を遣(や)った時の船が、ここから出たのですか」
「そうです、それが最初から我々の頭にあるものですから、石巻とは言い条、寧(むし)ろここを我々の投錨地(とうびょうち)――次第によっては当分、第二の根拠地と想像して、予定してやって来たのですが、来て見ると案外でした」
「どう案外でした」
「どうも、政宗があれだけの船おろしをしたのは、この浦ではないようです」
「どうしてそれがわかります」
「あの時は――政宗が拵(こしら)えた船は、幕府からも船大工十人の補助を受けてやった仕事なのですが、長さが十八間、幅が五間半、高さが十四尺、乗組は南蛮人を合わせて百八十人という多勢ですが、どうもこの地へ来て見ると、ここでそれだけの造船がやれそうには思われないのだ」
「なるほど」
「伊達政宗という人は、船を造ることにはかなり興味を持っていた男だが、その事業や、野心の程度などについては、多くの疑問が残されている、月ノ浦の地形を見て、いよいよその問題が大きくなってきたところだ」
「そうだろう、独眼竜、あいつ、なかなか食えない奴だからな」
と田山白雲が、伊達政宗を友達扱いででもあるように言い放ちますと、駒井甚三郎が、
「そうです、政宗はなかなか食えない男です、邪法国(くに)を迷わすなんぞと、詩にまでうたっていながら、その事実、宣教師を保護し、切支丹(きりしたん)を信じていたのですな。信じていないまでも、決してローマの法王なる者に悪意は持っていなかったのです。或いは切支丹を食いものにしようとした男かも知れません」
「そうでしょうとも。風向きによっては、秀吉や家康をさえ食い兼ねない男でしたから、切支丹を食うぐらいは朝飯前でしょう」
「それは少し比較が違う、秀吉や家康は、或いは食いものになるかも知れないが、切支丹は全然食いものにならん。これを迫害しないで、利用しようとした点に、政宗の頭脳(あたま)のよさを認められない限りもない。あの時代、秀吉を除いて、本当に海外に志のあった豪傑は、まず政宗でしょうかな――近世の奇物、林子平(りんしへい)なんというのも、たしかに政宗の系統を引いている。他の土地からは出ない人物だ」
というような人物論からはじまって、白雲もまた、古永徳(こえいとく)に惹(ひ)かされて、こちらを志した行程から、仙台城下の所見を語り出し、結局――このはからざる奇遇を喜ぶと共に、この奇遇の結びの神たる七兵衛の身の上に、話が落ちて行かないはずはありません。
 実は、もっと早く、二人ここで相見た最初の時に、引合せの老爺(おやじ)のことから緒(いとぐち)が開かれなければならない順序なのですが、船のことが先になって、次に人物論に花が咲いたものですから、勢い七兵衛おやじのことは、最後の時に繰りのべられてしまいました。
「名取川で、蛇籠(じゃかご)を作っていた怪しい老爺――あれには全く度胆を抜かれましたよ、あなたの御家来に、あんな怪物がいようとは思いも及びませんでした、あれには怖れました」
 田山白雲が全く恐れ入ったもののようにこう言うと、それを引受けたのは駒井甚三郎ではなく、傍らに介添役のお松でありました。
「そのおじさんは、それからどうなさいました」
「いや、おっつけここへ来るには来るはずなのだが、一つ土産を持って来ると言ったが、そのみやげたるや」
 ここまで来た時に、あわただしくこの部屋の前に立ったのが、清澄の茂太郎でありました。
「田山先生――」
「やあ、茂坊か」
「入ってもようござんすか」
「お入りなさい」
と許諾を与えたのは、駒井甚三郎でした。
 そこで室内に走り込んだ清澄の茂太郎が、まず田山先生に向って問いかけたのは、次の言葉であります。
「田山先生、七兵衛おやじはどうしたの?」
「今もそれを話していたところだ、おっつけこれへ、おみやげ持ってやって来る」
「そうか知ら――あたいは、どうも、あの七兵衛おやじはもう、ここへ来られないように思われてならない」
「どうして?」
 それを聞き咎(とが)めたのは白雲でしたが、さっと面(かお)の色を失ったのはお松でした。
「どうしてって……」
 茂太郎は、むずかるような声で、
「あたいはどうも、七兵衛おやじが怪我をしたように思われてならない」
「怪我!」
「怪我ならいいが、もしかして、縛られてしまやしないかと……」
「何を言うのです、茂ちゃん」
 お松がたまりかねてたしなめると、茂太郎は、
「どうしても、あの七兵衛おやじの身の上に、変ったことが起ったに違いない」
「そんなことが、わかるものですか」
「だって、あたいは、もう二日というもの、あのおやじが、つかまって、縛られて牢屋へ入れられたところを夢に見た」
「ほんとに、いやなことばかり、茂ちゃん――何も悪いことをしない人が、縛られたり、牢屋へ入れられたりなんかするものですか」
「そうかしら、でも……」
「それに、白雲先生と、つい一昨日(おととい)、お話をしていたと申します、いやなことを言うものではありません」
「そうか知ら……」
 その時、田山白雲が、茂太郎の面を睨(にら)みつけるように見詰めて、そのくせ、心は玉蕉女史の家の離れのあの一夜のこと――王羲之(おうぎし)の秘本を土産に持って来ると誓った、夢のような、幻のような場面に集中しないわけにはゆきません。
 そうして、その夜の、あのおやじの怪挙動を、逐一(ちくいち)ここで話したがよいか、もう暫く話さないでおいた方がよいのではないか――と、猶予し、且つ思案せしめられました。

         十二

 問題の七兵衛は、その日は観瀾亭の床下に昼寝をしておりました。
 七兵衛が昼寝をするということは、盗人の昼寝という本文に合致することだから、あえて異とするに足りないが、特にこの月見御殿の観瀾亭の床下を選んだというのは、どういう了見であるか。この床下の上には、田山白雲の憧(あこが)れの的(まと)となっている古永徳か、山楽かが、絢爛(けんらん)として桃山の豪華を誇っているのですが、七兵衛にとっては、特にこの床下が離れられないほどの魅力となるべき理由はなんにも無いはずです。七兵衛としては、別段、永徳でなければならないという見識も主張もないのですから、ところもあろうのに、この床下に昼寝の巣を選んだのは、偶然か、然(しか)らずんば何か商売上特別の便宜がなければなりますまい。
 観瀾亭、一名月見御殿の床下――御殿の床下なんという名目が七兵衛の芝居ごころを刺戟して、ちょっと拈(ひね)ってここへ寝てみたい心持にでもなったのか(明治大正の頃、華族芳川伯爵家の令嬢が、その自動車の運転手と情死する前に泊った宿屋へ、わざわざ出かけて行って、それと同じ室へ一泊して気分を味わった人間もある)そうでなければここはこれ、太閤様名残(なご)りの伏見桃山御殿のお間をそっくり移したということだから、大先輩の石川五右衛門氏が忍び込んだ手沢(しゅたく)のあともなつかしいなんぞの、そぞろ心から、ついこの床下を借用してみる気になったなんぞも、それも、あんまりコジツケに近い。第一、七兵衛は水呑百姓を以て自ら任じている素朴な男ですから、御殿の床下で、「ああら怪しやな」なんぞと騒がれてみたがったり、また大先輩の石川五右衛門氏のように、衣冠束帯の大百日(だいひゃくにち)で、六法をきってみようというような華美(はで)な芝居気のない男ですから、この床下を選んだことにしてからが、一方は牡鹿(おじか)半島方面の船の到着が気にかかり、一方はまだ仙台城下に無くもがなの心がかりがあるから、ちょうどその中間の、ここ松島の観瀾亭あたりを選ぶのが、地の利よりして最も適度と考えただけのものでしょう。
 地の利もいいし、場所柄も結構らしい。第一、床下とはいえ、海気がよく通って、陰深な気分がしないし、床の間が相当高くて、頭がつかえないし、そこへ菰(こも)とむしろを敷きこんで、合羽(かっぱ)を頭からスッポリと被(かぶ)り、軽い寝息で、すっかり寝込んでいるが、その枕許と、横ッ腹の方に、異形の物体が二つ三つ陳列してある。陳列とはいえ、そこへ投げ出して、ふわりと風呂敷を被せただけですから、中の物体はよくわからないが、形だけは風呂敷を抜いた角々で相当に受取れる。それによって恰好を案ずると、どうやら、古(いにし)えの武将が着た兜(かぶと)のような形をしています。別に長い箱入りの軸物のようなものが二本――そんなのを枕許と横ッ腹に抱えて、七兵衛はすやすやと昼寝をしているのです。
 七兵衛の寝息は、いかなる場合にもほんとうに軽いものです。いかに熟睡の時といえども、いびきというものを聞かせたことはなく、障子一重にいても、寝息そのものを感ぜしめたことはない。身も軽いけれども、天性、息も軽いのです。形そのものさえ見せなければ、他のなんらの気配によっても、自己の存在を、目と鼻の先の人にさえ知られるということのないように――すべてが出来ておりました。
 そこで、誰に憚(はばか)ることなく、昼寝の甘睡を貪(むさぼ)っていること幾時――自分の存在を知らしめないだけの天地の上に、他の者の来襲に遭っては、針を落したほどの音にも眠りを醒(さま)すの機能を授かっている。こうして甘睡を貪っていたところを、思いがけなく、息もつかせずにこの梁上床下の天才を襲いかけた不敵者がありました。しゅうーしゅうーっと鳴りを立てて、七兵衛が甘睡の枕許に、鼠花火のように襲いかかり、枕許の風呂敷を被せた兜様のものにカツンと当って七兵衛の面を横倒しに撫でおろしたものがあったのには、さすがの七兵衛が夢を破られて、一時は全く周章狼狽しました。
 何だ、もとより人間のお手入れではないし、そうかといって、鼠やいたちの類ではない。横倒しに倒れかかって自分の面を上から撫でおろした一件の物を、無性(むしょう)にかなぐりとって見ると、それは一筋の弓の矢でした。
「あ、矢だ!」
 縁の下のいずれかの隙間から、この矢が流れ込んで、自分の枕許を脅(おびやか)したのだ。我ながら――人獣に備える心は不断に怠ったとは言えないが、まだ、ここで弓矢に覘(ねら)われようとは、さすがの七兵衛も予想していなかったことです。
 その矢を握りしめて、半分起き直って見ると、七兵衛の頭を掠(かす)めたのは、この一筋の矢が――果して、自分のここにひそんでいることを認めて来り脅したのか、或いは何かのはずみの流れ矢か、その二つのうちの一つでなければならぬ。後のものならばまず安心だが――前のであってみるとこれはたまらない。
 七兵衛は、素早く身づくろいをせざるを得ませんでした。
 ともかくも自分の身だけを、いま寝ていたところよりは、ずっと一段の奥、海に近い方の親柱の一本を小楯にとって、身を伏せたまま、二の矢の受けつぎを、じっと見つめて息をこらしたものです。
 まもなく外で人声がします――
「どこへそれた――」
「その植込の笠松の枝ではないか」
「塀の下を見い」
「燈籠(とうろう)の蔭――」
「雨落の中――」
「樋(とい)の間――」
「いずれにも見えませぬ」
「では」
「このお床下へ飛び込んだものに相違ござりますまい」
「なにさま」
「お床下だ」
 二人のさむらいが来て、雨落の下でしきりに評定をはじめたが、もとより、七兵衛の耳へ手に取るように入る。
 まず安心――それ矢だ、どこかこの近隣で弓を稽古していたさむらいの矢が一筋それてこちらへ飛び込んで来たまでのことだ。あえてこの七兵衛のあることを知って、試みに射込んだ探りの矢でなかったことは安心だが、外の評定はこれで終ったのではない。もとより二人のさむらいは、もう縁の下だと諦(あきら)めて立去ってしまったのでもない。まだ同じところに立って評定を続けている。
「ちと困ったことだ」
「捨て置きましょう」
「いや、捨て置くわけにはならん、苟(いやしく)も藩の御殿の床下へ矢を射込んで、それをそのままにして置いては、後日の言いわけが相立たぬ」
「それもそうでござりますな」
「大儀ながら番人に申し入れて、よく床下を探させ下さい」
「心得ました」
 この問答を聞いて、再び七兵衛が不安に襲われました。
 なるほど、あやまって射込んだ矢一筋ではあるが、御殿の床下へ入ったものを、そのままにして置けない、尤(もっと)もな言い分だ。だが、そうしてみると、当然、ここへもぐり込んで、あくまで矢を探しに来る人の数がある。矢一筋よりも、見つかってならないものが現にこの通り床下にあるのだ。それをどうしよう、七兵衛は本当に焦眉(しょうび)の急(きゅう)の思いをしました。
 自分一身が遁(のが)れるだけは何の苦もないことだが、枕許のあの一件、あの幾点の品、あれをこの際、土を掘って埋めるわけにはいかない、火をつけて焼くわけにもいかない、当然やがて寸分の後、ここへもぐり込む人の身が、一筋の矢よりも、もっとずっと大きな獲物を発見するにきまっている……
 はや、三方からメリメリと矢探しの手がかかって来た。黒い人影が、むくむくと湧いて来る。七兵衛は身をもって遁れるよりほかは、この際、術(すべ)のなきことを覚りました。

         十三

 それから後、果して、一筋の矢より、ずっと大きな獲物を発見した諸士たちの驚愕は非常なものでありました。大がかりで御殿の上へ持ち出して見ると、それは金光の古色を帯びた名将の兜(かぶと)であり、蒔絵(まきえ)の箱に納まった軸物であり、錦の袋に入れられた太刀(たち)であり――一筋のそれ矢が射出した獲物としては抜群なる手柄であります。
 ただ抜群なる手柄だけでありさえすれば何のことはないのですが、実は、これらの物体は皆、観瀾亭の床下にあるべき品ではなく、五十四郡の伊達家の宝蔵の奥深く存在していなければならないはずの物体のみでありました。
 最初の諸士を中心として、松島のすべて、塩釜方面と瑞巌寺(ずいがんじ)の主なる面々が、みんなこの観瀾亭に集まって、縁の下の獲物の検分に移ると、舌を捲かないものはありません。
 これは検分すべきものでなくして、拝観すべきものである。拝観も容易にすれば眼のつぶれるべきほどの「御家の重宝」ということに一致して、とにかく、無下(むげ)なるものの口の端(は)にものぼらない先に、この宝物の御動座がなければならぬ。
 釣台にのせられて、これが非常な警護をもって、仙台より城内へ運び去られたのは久しい後のことではありませんでした。しかし、この大きな獲物の内容に就いては秘密に附されただけに、松島から青葉城下へかけて、さまざまの下馬評と、見て来たような当て推量が、事実らしく伝えられたのは是非もありません。
 この宝物こそ――伊達家秘宝の一つ、三宝荒神の前立(まえだて)のある上杉謙信公の兜だったというものもあります。いやいや楠木正成卿の兜だというものもあります。そうではない、伊達の大御先祖の軍配であったという者もあります。いやいや名代の武蔵鐙(むさしあぶみ)に紫手綱(たづな)でござりました、という者もあります。長光(ながみつ)の太刀だというものもあれば、弁慶の薙刀(なぎなた)だと伝える者もあります。軸物は世尊寺家の塩釜日記だとか、古永徳の扇面であったとか、ついには王羲之の孝経であったというような説が、紛々として起ったけれど、事実、誰も現品を見たものはない。縁の下から出て、一路御宝蔵へ逆戻り、いわば闇から出て、闇へ消えたようなものですから、確証あってこの品と言い切るものは一人もなかったのです。
 御家の宝物の品調べは、そんなようなわけで、何の根拠もない無責任な下馬評のはやるに任せているが、そのままで済まされないのは、この大胆不敵なる曲者(くせもの)の詮議であります。観瀾亭を中心として続々集まった諸士、顔役も、さすがにこの点は抜かりがありませんでした。
 一方、御宝物が厳重なる守護をもって送り返される前後より、たちどころに非常線が張られたのは申すまでもありません。
「まだ決して遠くは逃げていない」
と、炭部屋もどきに、縁の下の藁(わら)の寝床に手を触れてみた一人の諸士が言う。
「さりげないことにして網を張っていれば、戻って来る」
 そこを附込んで、虚をもって実を討たんと策を立てるものもある。
 それに応じてまた一方、いずれにしても、この非常線の非常なることを知って、それに処することに抜かりのあるべき七兵衛でないことはわかっているが、事が全く予期しなかった流れ矢一筋から来ているだけに、存外、転身の自由が利(き)かないおそれはあります。
 でも、その日の暮れるまでは、犯人がつかまったというなんらの報道もなく、仙台城下の内外の隠密(おんみつ)が、密々のうちにいよいよ濃度を加えることほど、彼の身元が心もとないと言わなければなりません。

         十四

 こういう空気の真只中へ、駒井甚三郎がおともを一人連れただけで、仙台城下へ乗込んで来て、別段咎(とが)めだてを受けなかったということは、不思議に似て不思議ではありません。
 それは、駒井とこの土地とは、古い馴染(なじみ)があるからのことで、その由緒(ゆいしょ)を語れば、今より約十年以前、この仙台藩で開成丸という大きな船を造った時にはじまるのです。
 その時に、江戸から三浦乾也が来て、仙台のための造船の一切の監督をしてやりましたが、当時、一青年学徒としての駒井甚三郎は、船を造る興味と研究のために、わざわざここへやって来て、その船で江戸までの廻航に便乗(びんじょう)したということがあるというわけでした。
 ですから、駒井にとっては、この地は曾遊(そうゆう)の馴染があって、その当時、藩の要路にも充分の懇意があったものですから、相当の気安さで旅行もできるし、また石巻、松島、塩釜、仙台の間は、通学の往復路のようなものでしたから、少し立入れば、今でも顔馴染がいくらもある。
 そういうわけですから、駒井は、極めて無事安全に仙台城下に着いて、まず養賢堂の学頭を通じて、このたびの来着の挨拶をすると共に、当分、この地――月ノ浦に船をとどめて、修補に当りたいことの諒解を求めると、順調にその要望が達せられて、幾多の便宜が与えられるようになったのは、痩(や)せても枯れても直参(じきさん)の面(かお)であることを、駒井がいまさら認めないわけにはゆきません。
 仙台の有志では、この不時の珍客を歓迎して、相当の集まりを催す計画が起りましたけれども、駒井は悉(ことごと)くこれを辞退して、養賢堂の儒臣が送ろうというのも辞退して、そうして折返し月ノ浦への戻り道、松島へ来て瑞巌寺を訪れると、折よく典竜老師が臥竜梅(がりゅうばい)の下で箒(ほうき)を使っていたのを見かけました。
「これは、これは」
というわけで、招ぜられて客殿へ通ると、つい話が面白くなりました。
 老師を相手の昔話や、今時の物語が面白くなってきたものですから、駒井は、今晩はここに一泊ということにきめました。
 その夜、この大寺の客殿の間にひとり寝かされてみると、今晩こそ、全く異なった世界へ持ち来たされたような気持にならざるを得ません。
 海の上に、波の音と風の騒ぎにのみ苦労をして来た身が、この大寺の森閑を極めたる一間に置かれてみると、昨日は昨日、今宵は今宵、二つの極端な世界を、両端から歩ませられている我が身を、我が身でないように感じました。
 そこで急に落着いて眠ることができません。静かなところもいいが、急にあまり静か過ぎることは、また人の身心を安定せしめないことがある――なんだか、寝ぐるしいようだ。寝苦しさを妨ぐべき何物もないのに、寝つかれない。
 なるほど静かなものだなあ、まるで四方千里、人烟(じんえん)を絶した山谷(さんこく)の中に置き放されたような心持がする。静寂といったところで海は直ぐそこだし、町も、城下も、そんなに遠いところではないが、洞然として森閑なる思いが身に迫るのは、寺が大きいからだ。
 駒井は寝ながら、行燈(あんどん)の光で、高い天井と、がっしりした木口をながめて、今更のように瑞巌寺の規模というものを考えさせられざるを得ませんでした。
 本来、駒井甚三郎は、科学工芸――ことに造船だの、新式兵器だのということに就いては、深甚(しんじん)なる研究も興味も持ってはいるが、土木建築となると、さほどに興味がないし、絵画彫刻となると、なお一層でした。
 ところが、こうして見ると、この寺を建てた政宗の規模を思い起さないわけにはゆきません。
 瑞巌寺は、寺ではなくして城だ――表は寺の構えにしてあるが、これを建てた最初の政宗の規模は城である。陽寺陰城とでもいうのかな、昔の大名が城としては持てないのを、寺として置いて、他日に備えるという用意は、この瑞巌寺に限ったことではない――加藤清正なんぞもその著しいもの、大名のうちの殊に大きなやつは、みんなそのくらいの用意を持っていた。
 あの当時は、造船の見学に多忙で、名所旧蹟の探訪に疎(おろそ)かでもあったが、今度はひとつその辺から瑞巌寺の規模を見直すかな、城としての寺の構造、要害としての地形を、明日になったらもう一ぺん見直してみよう。
 こうして駒井は眠られないままに、高い天井を眺めて、うつらうつらと伊達政宗のことを考えているうちに、ふと、この寺に「御座(ぎょざ)の間(ま)」があって、そこへは政宗が、いかなる貴賓をも立入らしめなかったという由緒の一間がある。といって、「御座の間」とある以上は、何かひとたびその名を空しうせしめざるほどの期待がなければならない。ひそかに伝うるところによると伊達政宗は、いつかこの土地に天子の行幸を期待し奉る大望があって、このために、特にこの「御座の間」が設け備え奉られたのだということだ。
 ありそうなことだ。
 それともう一つ、この瑞巌寺の天井のいずれかに、千人の甲を伏せて音もさせない、俗に「武者隠しの間」があるそうだ。そういうことは必ずしも当てにならないが、とにかく、明朝はひとつこの寺の構造をもう一ぺん見直してみよう。絵画彫刻の類も一応――いやこれは自分には少々畑違いだ、いずれ白雲画伯を紹介してよこすことにしよう――というようなことを感じているうちに、それでも瞼(まぶた)がようやく重くなってくるのはやむを得ないことです。もうかなりの夜更け、先晩、田山白雲が仙台城下で、美にして才ある婦人と語って興が乗り、ようやく離れ座敷で眠りに落ちようとしたのとほぼ同じぐらいの時刻でありました。
 唐戸(からと)のような大きな障子が、すうーっとあいて、有明の行燈(あんどん)の中が、にわかにまたたきをはじめました。
「誰じゃ」
 その時の駒井の驚き方も、あの時の白雲の驚き方も全く同じでありました。違うのは、パッと睡眼を醒(さま)すと共に、白雲は枕許の太刀(たち)を引寄せたけれども、駒井は蒲団(ふとん)の下の短銃(ピストル)へ右の手が触っただけのことでした。
 のんのんと瞬きをしつづけている有明の行燈の下に、人が一人、うずくまっている。
「御免下さりませ」
「そちは、何者じゃ」
「お静かにあそばしませ」
「何しに来た」
「駒井の殿様、わたくしめでござります」
「や、七兵衛ではないか」
 うずくまっていて頬かむりの頭を上げて見せた面(かお)は、駒井としては、全く見紛うべくもない七兵衛おやじです。
「深夜、お騒がせ申して相済みませぬが、七兵衛は只今、この奥御殿の天井裏の忍びの間、武者隠しと申すのに暫く隠れておりますが、今夜、殿様のおいでが、願ってもない仕合せでございました」
「どうしたというのだ、何で、そちはこんなところの天井裏に隠れている。船ではみんなそちの来るのを待兼ねている、田山君もそちの案内で無事に船に着いている、それにそちだけが――どうしてまた、そんな姿で、こんなところに――」
 駒井甚三郎は、七兵衛そのものは、洲崎で働いてくれた七兵衛に相違ないが、その内容は全く別物か――どうかすると、或いは七兵衛の幽霊ででもありはしないかとさえ疑われるほどの眩惑を感じました。
「はい、その御不審は御尤(ごもっと)もでございますが、この七兵衛は当分の間――まあ長くて七日間――はこの瑞巌寺様の構内から一寸も出られない余儀ない羽目になりました――これと申すも、よせばよいのに、年甲斐もない悪戯心(いたずらごころ)がさせた業でございます、仔細はいずれおわかりになりましても、お聞捨てにあそばして下さりませ。ただ一つのお願いは、七日の間の兵糧が少しばっかり欲しいのでございます、お握飯(むすび)なり、おかちんなり、ほんの凌(しの)ぎになるだけ――お松にでもお言いつけ下さって、あの、こちらのお庭の臥竜梅がございます、あの梅の大木のうつろの中へ、明晩でもひとつ……」
「ふーむ」
「なにぶんお願い申し上げます、委細は、あとからお耳に入ることもございましょうが、それにいたしましても七兵衛は、本来善人なんでございますから、白雲先生なぞはかまいませんが、若い者にはなるべくこんなことは聞かせていただかない方がよろしいんでございます」
「何を言っているのだ、どうも、今晩のお前の挙動というものは、全く拙者にはわからない」
 駒井は、いよいよ深く解し兼ねていると、鐘が鳴りました。
 寺の境内のことですから、その鐘が、突き抜けるように間近く響きました。七兵衛は、あわただしく立ち上り、
「では、時刻が遅れますと、なんでございますから、これでお暇(いとま)……」
 入って来たところから、完全に出て行ってしまったのですが、駒井はどうしても、夢でなければ魔である――物(もの)の怪(け)を信ずることの絶無な駒井甚三郎が、何か実物以外の影の尾を曳(ひ)いている姿を、認めようとして認め得られなかったのです。

         十五

 その翌朝、舟を雇うて、松島から石巻湾を横断して、月ノ浦に帰った駒井甚三郎は、何はさて置き、昨夜の怪事を田山白雲に向って物語りました。
 白雲は、自分が逢わせられたと同じ型を、異った舞台面で見せられた駒井の経験に、またおぞけをふるいました。そうして同時に二人が、七兵衛なる者が、今まで見ていた通りの篤実なおやじで、世話好きのために、桁(けた)の外(はず)れた道楽にまで踏み込むことを悔いない、珍しい田舎者(いなかもの)だと見た見方を変えなければならなくなりました。
 しかし、駒井にまだわかりきらないところも、白雲には、いよいよ心胆を寒からしめるほどに深く突込まれるものがあるのです。王羲之(おうぎし)の孝経を一目なりとも自分に持って来て見せると誓ったような、あの不思議な応対が、今となっては犇々(ひしひし)と思い当る――奇怪、不埒(ふらち)、人を食った白徒(しれもの)――と奥歯を噛んでみたが、それにしても、頼まれてもやれない仕事を、好意ずくでやってみせようという男。やることに事を欠きこそするが、そこに憎めない何物かがある。結局、わからない奴だ、変な奴だ、油断のならない奴だ。だが、自分たちにとっては、好意のありたけを見せられたほかには、なんらの悪意を受けてはいない。
 駒井甚三郎は、七兵衛なるものを、ようやく解しきれないものに見直したのは同じだが、白雲ほどに深刻にはこたえていないのです。そこで白雲も、自分の見直したところを率直に駒井に言ってしまうことが、なんとなく忍びないような気持になりました。
 しかし、解釈の相違にその辺までの程度はあるけれど、何は措(お)いても、彼を一刻も早く救い出してやらねばならぬ、という気持は全然一致している。それをするには何でもないことで、金城鉄壁の中に蔵(かく)されているというわけでもなんでもなく、隠れ家はちゃーんとわかっているし、ちょっと引出して、駒井が帰って来たように舟にでも載せさえすれば、いっぷくの間にここまで連れて来られるのだが、それを本人が希望しないで、少なくとも七日間はあれに窮命(きゅうめい)籠城(ろうじょう)していなければならぬというのは、何か事情があるのだろう。その事情を諒察してやるとすれば、彼の申し出どおり、その間の糧食を運んでやることが唯一の道だ。それとても、そんな難事ではない、そっと人知れぬ宵闇に、あの瑞巌寺の、人目の少ない境内の臥竜梅のうつろの中へ、握飯なり、干飯(ほしいい)なり持って行って、隠して置いてやりさえすればいいのだ、それだけのことはしてやらずばなるまい。それをするには、誰彼というよりお松に越したものはない。
 駒井と白雲とは、このことを相談し合いました。けれども、お松にこの内容の一切を語り聞かせることは考えものだと思いました。お松が七兵衛を信じている心持は、どこまでも尊重して置かなければならないと考えたものですから――手際よく要領をのみこませ、そうして、田山白雲が、その翌日お松を連れて、また舟で松島へ渡りました。
 松島の風景を写さんがために逗留(とうりゅう)の画家が、当座の女中として、雇い入れたようにして宿をとり、白雲は駒井の紹介で、瑞巌寺の典竜老師を訪れたものです。
 松島の宿に着いたお松も、わからない心持でいっぱいです。ただ当分、七兵衛おじさんのためにこっそりと食物を運んであげる役目――宵々毎に瑞巌寺の臥竜梅のうつろへ、その使命だけを固く心にかけましたが、それにしてもどうもなんだか、牢屋へ入れられている人に差入物にでも行くような気持がして――愚図愚図していれば、七兵衛おじさんはお仕置に会って斬られでもしてしまうのではないか知ら、というような不安が、何とはなしにこみ上げて来るのです。
 白雲はその翌日から、瑞巌寺へ日参して絵を描くことになったのは幸い――そうしてその夕暮、お松は絵の先生を迎えに行くふりをして、臥竜梅のうつろの使命の第一日を首尾よく果しました。

         十六

 これとほぼ時を同じうして、仙台の町奉行丹野元之丞(たんのもとのじょう)が、何か感ずるところあって、仲間(ちゅうげん)一人を連れて不意に、古城の牢屋を見廻りに来ました。
「兵助(ひょうすけ)、兵助、兵助はいるか」
「はい、お呼びなさるのは、どなたでございます」
「丹野じゃ」
「これはこれは、お奉行様」
 牢名主兵助が、立って戸前のところまで来ました。
 元之丞が、
「兵助――無事か」
「はい、おかげさまで、無事すぎるほど無事でございます」
 上目づかいにおとなしく返事をする囚人を、奉行は高飛車に、
「兵助、貴様も年をとったな」
「はいはい、年をとりましてございます」
「哀れなものだな、昔の元気はないな、その分では、目白籠(めじろかご)へ入れて置いてもこっちのものじゃ」
「へ、へ、へ、御冗談ものでございましょう、お奉行様」
と言って、獄中の人がはじめて冷笑しました。
「気にさわったか」
「御冗談もことによりけりでござります、お奉行様、兵助が年をとったと申しましたのは、往生を致したという次第じゃございません」
「なら、昔の元気が少しは残っているか」
「へ、へ、へ、万事若い時のようには参りませんが、お奉行様、兵助はおとなしくしているのが勝手でございますから、こうして牢畳の上で日向ぼっこをして虱(しらみ)をとっているまでのことでございます、音(ね)をあげろとおっしゃるなら、いつでも兵助相当の音をあげてごらんに入れます」
「うむ、まだ音をあげる元気があったのか」
「早い話がお奉行様――このお牢屋なんぞは、どだい骨が細くって、朝夕の立居振舞(たちいぶるまい)にも痛々しくてたまらないんでございます、まあ、お奉行様の前ですが、ちょっと、ここんとこをこうしてみてごらんあそばせ」
 兵助はのこのこと立って来て、牢の一方の格子の角をゆすると、どうしたものか、その柱の一辺がガタガタと弛(ゆる)んで、見ていると、そこから人間が楽々と這(は)い出しかねない隙間をこしらえて見せました。
「ふーむ」
と、奉行は目をすましてそれを見る。
「お奉行様、年はとりましたとは言うものの、兵助もまだ四十台でございますよ、やれとおっしゃれば、こんなヤワな細工をおっぺしょって娑婆(しゃば)へ飛び出して、もう一働きも、二働きも、罪を作るのは朝飯前でございますが――何を言うにも、もう四十の坂を越しましてな」
「四十がまだ若いというのか、年をとり過ぎたと申すのか、わからん」
「どちらにお取り下さってもよろしうございますが、盗人(ぬすっと)と致しましては、四十はもう停年でございますな」
「どうして」
「私が今日まで見ましたところが、盗人をする奴は二十五六止り、大抵その辺で年貢が上って、三尺高いところへ、この笠の台というやつがのっかるのが落ちでございますが、不思議とこの兵助は餓鬼の時分から手癖が悪いくせに、こうして御方便に四十の坂を越して、安穏(あんのん)に牢名主をつとめさせていただくというようなのは、全く例外なんでございます。ですから、観念いたしやした。世間では、兵助はロクでもない奴だが、親爺(おやじ)が仏師で、徳人であったその報いで、ああして無事に長生き――盗人としてはでございますよ――をしている、とこう言っているそうでございます。そこで兵助も観念しましてな、こうしておとなしくして、牢畳の上で虱をとって神妙に納まっているのでございますが、なあに、お奉行様がやれとおっしゃれば今晩にも、こんな窮屈なところは飛び出してお目にかかりません」
「ふむ――そんなことをやれとは言わない、しかし、お前に少しばかり相談があって来たのだ、早くいえば頼みたいことがあって来たのだ」
「これは、異(い)な仰せでございますな、お奉行様が盗人に頼みたいこととおっしゃるのは――これは、どうしても頼まれて上げなければなりますまい」
 こうして奉行が、囚人である兵助の耳に口を当てて、ささやく。つまり、耳こすりという段取りになりました。
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