大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 ところが、前に駈けて行く大男は、身体こそ頑丈(がんじょう)そうだが、駈け方は存外不器用で、何か河原の石ころか、杭(くい)かにつまずいて仰向けにひっくりかえった状(ざま)は、見られたものではありません。そうすると、それを幸いに後ろから追いかけて来た大小二つの人間が、いきなりそれを取押えて組伏せにかかりました。そこで、大男がはね起きようとする、二人が必死と抑え込もうとする、三箇が川の岸で組んずほぐれつの大格闘を始め出したのです。
 遠眼鏡で委細を見ていた田山[#「田山」は底本では「田代」]白雲は全く呆れてしまいました。いいかげん長い間お客をおっぽり出して、焦(じ)らせて置きながら、ようやく姿を見せたかと思うと、こんどはまたお客の眼の前で、素敵なロケーションをおっぱじめてしまった。船頭は舟を操(あやつ)ればよろしい、船頭がロケーションをして見せることはふざけ過ぎている。また、こちらに待焦(まちこが)れている客人は、ロケーションの余興を船頭に向って要求はしていない、船頭は早く船を出すようにしてくれればいいのだ。白雲のように最新の機械はもってはいないけれども、待ちくたびれたすべての客は、この船頭小屋から飛び出して来た三人の人影によって行なわれつつある対岸の大格闘を、ありありと肉眼で見て、またわき立ちました。
「何してやがるんだ、人をさんざん待たせて置きながら、自分たちは勝手な芝居をしていやがら、フザけた船頭だ、なぐっちまえ」
 江戸ッ児なら、こんなに言うでしょう。そうかと言って、ここからでは弥次も飛ばせず、退屈まぎれに事のなりゆきを遠目に眺め渡して、むだな力瘤(ちからこぶ)を入れるばかりです。
 そのうちにむっくりはね起きたくだんの大男、もう立ち直ったと見ると、大変な馬力で両方からとりかかる大小二つの、たぶんこれは船頭親子であろうと見られるところの二つを、むしろ返り討の体(てい)で突き飛ばし、はね飛ばし、その暴れっぷりの不器用ながら猛烈なることは当るべくもありません。あとから追いかけた船頭親子は、あべこべに突きまくられ、はね飛ばされ、蹴倒されつつ、ついには大声をあげて救いを求むる体です。
 それを見ると、田山白雲、急に気がついたことがあると見えて、心急いだ人が電話口でお辞儀をするように、遠眼鏡を一層深くのぞき込んで、
「ア! ウスノロ! うすのろだ、あいつだ……」
と、下にいる待合客のすべてがびっくりしたほどに一つの叫びを立ててしまいました。
 事実、白雲が絶叫したのも無理がありません。そう思って見ると、ことに遠眼鏡という視力の飛道具を使用して見れば、いよいよそれはそれに相違ないことで、眼の玉の碧(あお)いことはわからないが、髪の毛の唐もろこしの房のように赤いことが、はっきりとわかってくる。
 このウスノロの力の強いことは、さすがの白雲も一時はタジタジとさせられた体験がある。なかなかかいなでの老人子供の手に合うものではない。ああして立て直して返り討の形になり、二人に悲鳴を挙げさせているのも無理のないところだが、それはそうとしてあいつをここで見ようとは思わなかった。もとよりあいつを探しに出た目的の旅ではあるが、こんなところで、あんなことをしているあいつを、こうして発見しようとは思わなかった。
 何のためにあいつ、こんなことをしているのだ――それはわかっている! というのは、あのウスノロがこういうことをやり出すのは今に始まったことではない、あいつは本来がウスノロであって、ジゴマでもなければ、ギャングでもないのである。強盗殺人をしようの、詐欺横領をしようのというほどのたくらみはあいつには無いのだ。あいつが人を犯し、人から咎(とが)められることのかぎりは食(しょく)と色(しき)との外に出ないのだ。食といったところで、あれのは、いよいよ飢えに迫って堪えられなくなったところに至って、初めてノコノコと人里へ出て来て、その当座の飢えを凌(しの)ぐだけのものをかっぱらって来る以上の仕事はできないのだ。それから色、すなわち性慾のことだって、あいつのは、なにも特に巧言令色に構えこんで、色魔だとか、誘惑だとかいう手段で行くのではない、眼の前へ異性の女の肉のかおりがうごめいて来る時に、ついついたまらなくなってかぶりつくまでのものだ。
 今の事情が、またそれを証明させる。あいつ無闇に親船を駈落(かけおち)して来は来たものの、本来あの兵部の娘にしてからが、そんなに思慮の計算のあるやからではない、人の金を持ち出して、二十日余りに四十両の五十両のと使い果してから、この世の名残(なご)りとしゃれるようなしゃばっけも持ち合わせてはいない。ただ盲目的に着のみ着のままで飛び出して来たのだから、行当りばったり、行詰るにきまっている。行詰った時、最初の要求は、彼等にとっては死でなくして食である。少なくとも、ウスノロの奴め、雪時の熊のように、どこかへ食物をあさりに出るに相違ない。食物を人里へあさりに出たが最後、眼の色、毛の色の変った珍客――昔二ツ眼のある人物が、見世物の材料を生捕るために一ツ眼の人の島へ押渡ったところ、反対に二ツ眼のある人間が来たから取っつかまえて見世物にしてやれ、と言ってつかまってしまったというのと同じ運命に落つるにきまっている。白雲が最初、七兵衛おやじの影を捕えるのはかなり難儀であろうが、ウスノロの方は存外手間暇(てまひま)がかかるまいと安く見ていたのが的中しました。彼は今、飢えに迫ってあの船頭小屋の中へ何か食物を漁(あさ)りに来たのだ。そして船頭親子に見つかってあの醜体だ。白雲は自分の想像の図星を行っているウスノロめの行動が、むしろおかしくなって吹き出したいくらいに感じたが、しかし、彼処(かしこ)で争っている三人の御当人たちの身になってみれば必死の格闘である。ことに気の毒なのは、この一種異様な侵入者を、ここまで追跡して来て、せっかく取抑えたかと思えば、かえって逆襲されて、一歩あやまると、自分たちの生命問題になる立場に変って、狼狽(ろうばい)しつつ、後退しつつ、必死に争っている体を見ると、白雲は気の毒でたまりません。
 白雲以外の舟を待つ人々は、事の内情も、目色、毛色も一切わからないから、どちらへどう同情していいかわからないけれども、どちらにしても、あの格闘の幕が終るまでは、われわれは舟に乗れないのだと、半ばヤケ気味に諦(あきら)めつつ、なお八分の興味をもって右のロケーションを眺めておりました。
 そのうちに、突きまくられ、追いまくられた船頭親子は、無残にも足を踏みすべらして、重なり合うように北上川の川の淵の中へ落ち込んでしまいました。
「アッ」
と、こちらの岸で見ていた一同が声をあげて、この無残な船頭親子のドン詰りに同情の叫びを挙げましたけれども、この不幸が、実はかえって力の弱い船頭親子には幸いでありました。というのは、力限り陸上で格闘を続けていた日には際限がない、際限がありとすれば、暴力に於て格段の差ある親子は、あの巨大な暴漢のために、徹底的に、致命的に叩き伏せられて、再び立つことができないようにまでさせられてしまうにきまっている。それが川という別管区域へ落ち込んでしまったために、相手はちょっと追窮の機会を失ったのだから、この二人の親子が水練を心得ている限り――船頭のことだから、むろんそのたしなみはあるに相違ない――また、何か水中に人を刺すような木石の類が存在していない限り、致命的の怪我からはまず遁(のが)れられるものと見なければならない。
 果して、追究された船頭親子が水中に落ち込んだのを機会に、むしろそれは落ち込んだというよりは、こちらが叩き込んだと見るのが至当な攻勢であったけれども、そこまで来ると、もうこれ以上働くことよりも、逃げることの急なのが自分の立場であるということにでも気のついた如く、倉皇(そうこう)と取って返し、最初倒れた際に、そこにおっぽり出した包みもの、それは、その中のものは白雲の遠眼鏡を以てすれば、当然なにか船頭小屋の中に有合わせた、当座の食料品であらねばならぬところのものを取り上げるや、それを拾って、不器用な駈けっぷりで、こけつまろびつ川下の方へにげて行くのであります。
「やれやれ、これでどうやら一巻の終りになったが、かわいそうに、たたき込まれてお陀仏(だぶつ)になったらしい船頭親子――」
と言って、待ちくたびらかされたこちらの旅人たちも、改めて同情の眼を以て見る瞬間に、早くも船頭親子は、落ち込んだところから十間ばかり上流へポカリと浮き出して、二人とも河原に立って、着物を絞りながら馬鹿な面(つら)をして、逃げて行く大男の後姿を見送っている。
 やれやれ、これでまあ、こっちも助かった、船頭親子も怪我がない限り、おっつけ舟も廻って来るだろう、と旅人どもは、市(いち)が栄えたような心持で、げんなりしたが、白雲ひとりだけの興味は、決してそれで尽きたのではありません。更に一層の興味をこめて遠眼鏡の筒を、逃げて行くウスノロ氏の後ろへ向けました。
 こけつまろびつ走りつづけたウスノロが、ほどなく蘆荻(ろてき)の生いしげったようなところへ来ると、その蔭からパッと飛び出して、いきなり抱きつくようにウスノロ氏を迎えたものがあります。
「あれだ!」
 白雲は、その者が兵部の娘もゆる嬢であることを直ちに認めました。
「ははあ、あいつら、こんなところに巣をくっていたのか、本来、ふやけた奴等ではあるが、それにしても水びたりになって隠れているのにも及ぶまいに、どこまでも変っている、どうするか見遁すことではないぞ」
と、見ているうちに、二つの影は相(あい)擁(よう)して、その蘆荻の中へ没入してしまいました。
「ちぇッ、やっぱりあの水の中の蘆荻の蔭で二人がうじゃじゃけている、しようももようもない奴等だ」
 白雲は、二人の没入した蘆荻の中を、苦笑いしながらなお眼鏡を外(はず)さないで見ていると、やがてその間から、すうっと一隻(いっせき)の小舟が漕ぎ出されたのを見て、
「ははア、よしきりじゃあるまいし、水の中にうじゃじゃけていたというわけでもない、奴等、舟をあの蔭につないで隠れていたのだな。そうして兵部の娘だけが舟に残っていて、ウスノロが食料品徴発と出かけたものなんだ。そうして、多少の食料にありついたから、これから河岸(かし)を変えようというのだ。あれを下流へ行けば飯野川の宿になり、それから、ずんずん下れば追波湾(おっぱわん)へ出るのだ、今では石巻方面よりも、あちらの流れが北上川の本流と言いたいくらいだ。さあ、しかし、こう認めた以上は、あいつらをこうして遠方からいい気でさげすんでばかりいてはならない、あれを追いかけなければならない、追っかけて手捕りにしなければならぬ使命と責任とを負う身だ――もう一ぺん、あの野郎を相手にロケーションを繰返さなければならない、今度は船頭共とは相手が違う、追いついた以上はこっちのものだが――追い過して海へでも追い出してしまってはならぬ」
というようなことが気懸りになると、白雲も実際、対岸の火事の如く、対岸の駈落者を興味半分だけで見ているわけにはゆかないことに胸をうちました。

         二十八

 田山白雲が船を出て行った夕べ、駒井甚三郎は、ひとり静かに船室に落着くと、「人が出て行った」という感傷に堪えられない。
 白雲が出て行ったのは戻るために出て行ったのである。七兵衛が帰って来ないのは帰りたくてたまらないのが帰れない事情に妨げられているということを、駒井はよく知っている。それだのに、人が去って行くという淋しい気持を、如何(いかん)ともすることができません。
 マドロスと兵部の娘に至っては論外であるけれども、それですら、離れて出て行ってしまった人間には相違ない。彼等の放縦と、我儘(わがまま)と、不謹慎とで背(そむ)いて去ったのだから、こちらに責任が無いと言えば言うものの、自分の周囲に人を引きつける徳がなく、人を容れるの量がないのかということを想像してみると、駒井といえども、いとど心淋しさを催さずにはおられないのでしょう。
 古来英雄というものには、みな人を引きつける一つの力を備えている。憎まれながらも、恐れられながらも、人がそれについて行く。人がそれから離れられないという力があるものだ。然(しか)るに自分は――英雄であるとはうぬぼれていないが、自分に附く人よりも、自分から離れる人の方が多く、自分のよしと信ずる理想が、人から喜ばれるよりも、人から斥(しりぞ)けられるものばかりが多いように思われてならない。第一、自分の妻が、もう最初から自分を離れている。お君が離れた。従ってあの米友という礼儀はわきまえないが、心実の確かな小男も、自分を離れたというよりは、むしろ怨(うら)んで去った。神尾主膳の陥穽(かんせい)にかかって、自分は半生を葬られてしまったようだが、実はやっぱり自分は、その地位を保つだけの徳がなく、職を辷(すべ)るだけの欠陥があったせいだと見られないこともない――駒井はこんなことを考えながら、やがてひとり船室を立ち出で、甲板の上を静かに歩み出でました。
 外へ出て見ると、月ノ浦の夜に月はありませんでしたけれども、至って静かなものです。遠く松島湾の方のいさり火を眺めて、駒井甚三郎は満面に触るる夜気を快しとしました。
 船の修繕と、未完成の部分の工事、この地で大工に心あるものを雇いは雇ったが、どうも思うようにこちらの壺を呑込んでくれなくて困る。人手に不足はなく、みんなよく働くけれども、本来、こういう船の工事を扱う手心が出来ていないのだから仕方がない。明日はまたひとつ鍛冶屋を探し求めなければならない。機関部の工事を補足をするために、この辺から鍛冶屋を求め出して来なければならない。それはあるだろう、本当の鍛冶屋は探せば出てくるに相違ないが、それを生(なま)では使えない、一応陶冶(とうや)教育を加えてから、傍についていて指導して使わなければならない。その手数がどうも容易のものではないが、それは致し方ない、と駒井が、そのことを思い及ぼすと、どうもあの不所存者のことが気になる。
「あのマドロスの奴がいれば、こういう時には全く役に立つ」
 やっぱり未練のような思いが残るらしい。
 その時に、船室の一方から唄が流れ出して来ました。
ネン、ネン、ネン
ネン、ネン、ネンヨ
ネンネのお守はどこへいた
南条おさだへ魚(とと)買いに
チーカロンドン
パツカロンドン
ツアン
「茂だな、茂太郎歌い出したな、珍妙な子守唄を」
と甚三郎が思い出していると、キャッキャッと言ってよろこぶ男の子の声が続いてしました。これは申すまでもなく登。
 そうするとまた、茂太郎の声で、
ちょうち、ちょうち、ばア
ちょうち、ちょうち、ばア
うつむてんてん、ばア
かいぐり、かいぐり、ばア
ととのめ、ととのめ、ばア
 その度毎にキャッキャッとよろこび笑う登、登を笑わせていよいよはしゃぐ茂太郎。こんどはどうしたのか、登がワーッと泣き出す。
「そら、茂ちゃん、だからいけません、あんまりしつっこいから、とうとうお泣かせ申してしまいました」
と叱るのはばあやの声。
「いいよ、いいよ、お泣かせ申したって、また、あたいが笑わせてあげるから、いいじゃないか。さあ、登さん、ごらん、あたいが踊ってあげるから、ばア」
 それは茂太郎の声。登も御機嫌がなおったと見えて泣きやんでいると、茂太郎の声色(こわいろ)めかした気取った声で、
うんとことっちゃん
やっとこな
そうれつらつらおもんみれば……
 そこで、登といわず、ばあやといわず、一同がやんやと喝采(かっさい)したその声を聞くと、船頭もいれば、大工も交っているらしい。やんやとうけさせた御当人を想像すると、これはどうやら団十郎をやっているものらしい。目口をかわかし、台詞(せりふ)をめりはらせて、大気取りに気取ったところが目に見えるようです。駒井もそれを聞くと、ほほえまれずにはおられず、なんとなく陽気な気分になるのです。
 そこで駒井も、自分もひとつその船室へ入り込んで見ようという気にまでなったが、かえって一同を驚かせて、せっかくの興を殺(そ)いではいけない――と、その前を音立てず素通りをしてしまいました。

         二十九

 それから駒井甚三郎は、歩廊の間を歩いて、コック部屋のところへ来ると、ここで金椎(キンツイ)君を見舞ってやりたい気になりました。それは今の団欒(だんらん)の中に、金椎とお松だけが加わっていないらしいから、駒井はここへ来て、扉をコツコツと叩いたが、叩いても叩きばえのする金椎でないことに気がつくと、そのまま扉をあけ放しました。
 普通ならば、どちらからか言葉をかけなければならないのですが、ここではそうする必要もなく、開けて見ると室の真中に蝋燭(ろうそく)が一本かすかに光っているその前で、ひとりひれ伏している金椎を見ました。
 駒井が入って来たのに驚きもしないのは、それは、全然気がつかないであちら向きにつっぷしているからであります。といっても、そこで熟睡に落ちているわけでも、居眠りをしているわけでもありませんでした。金椎は卓子(テーブル)を前にして、何かしら厳(おごそ)かな唸(うな)りを立てている。しかし、その唸りは病苦に悩んでの唸りではない。
 その光景を見ると、駒井は何か知らん厳粛沈痛なるものの気分に打たれて、突立ってしまいました。駒井は、金椎がこうして密室の中に、ひとり深い唸りを立てている光景を見たのは、今宵にはじまったことではないのです。駒井がどうかして不意に金椎の室内を訪れた時、こういった光景を見て、最初は病気に苦しんでいるのだと思いましたが、後にはそうでないことを知りました。
 つまり、この聾少年(ろうしょうねん)はこうして「おいのり」をしているのです。駒井には信じきれない、目に見きれない神様というものに対して、この少年はこうして「おいのり」を捧げているのだ、ということを知ると共に、駒井はそれを軽んぜられない心になりました。これを妨げてはいけないという心になって、ある時はそのまま立去り、ある時は、その「おいのり」の済むまで自分も儼然としてそのところに立ち尽すのを例としました。
 今もまたその通りです――しかし、駒井甚三郎がこうしてその少年の祈りを見ているが、今宵の少年の祈りは、いよいよ厳粛に、深刻に進み行くかのように、腸(はらわた)へしみるような深い唸(うな)りが連続的に続いて行く。単にその唸りだけが、駒井の心を、なんとも言えない厳かな、沈痛なものに導き入れるのです。駒井はついにその重圧に堪えられないで、この少年の祈りの終るのを待たずに、またそっとこの室を出てしまいました。
 祈りの聾少年は、船長の入って来たことも知らず、立去ったことも知らなかったでしょう。そしてこの分では、何か夜もすがらの祈りが続くかもしれない。
 そこを忍びやかに立ち出でた駒井甚三郎は、次に、事務長室のところまで来て、また歩みを止めてコトコトと扉を打ちますと、こんどは明瞭な返事がありました。
「どなた?」
「駒井です」
「おお船長さま」
 中にいたのはお松です。お松は事務長室の卓子(テーブル)の上で、今まで一心に本を読んでいたことがよくわかります。
「何ですか、この本は」
「この間、殿様からかしていただいた御本でございます」
「おお、伊蘇保(いそほ)物語、どうです、面白いですか」
「まことに結構な御本でございます、今までこんなおもしろい、為めになる御本を読んだことがございません。あんまり結構でございますから、つい、登様の御機嫌を伺いに行くのも忘れて、今まで夢中に拝見いたしたところでございます」
「そうでしょう、それはたしかに面白くてためになる本、わしも感心して読みました」
「もとは西洋の御本だそうでございますから、わたしはまた金椎さんの大事にしておいでなさる、西洋のお寺のお経の御本かと思いましたら、そうではございませんでした」
「中身はお伽噺(とぎばなし)のようなものだが、このお伽噺は大人君子(たいじんくんし)も深く味わわなければならないお伽噺だ」
「ほんとうに左様でございます、噛(か)みしめればしめるほど、幾つになっても、どんな偉いお方でも、お手本になるお伽噺だと存じます、全くこんな為めになる御本はほかにはございません」
「それに元は西洋の本でも、翻訳がなかなか名文だから、いっそう読み心地がよい。どこまで読みました」
「はい、ここまで拝見しましたが」
と言ってお松は、雁皮紙刷(がんぴしず)りの一種異様な古版本のある頁を開いて、駒井の方へ示しました。
「ははア――」
と駒井が、それに眼を落したところに、次の如き文字が見える。
「狼と子を持った女のこと」
「それから殿様、この少し前のところに、私としても、少し不審なことがございます」
と言って、お松は、十枚ばかり後ろへ紙数を繰り返したところの書物の上を指すと、そこには、
「父と子どものこと」
 駒井が示されたまま黙読すると、次のように書いてある。
「ある父、子を大勢もったが、その子供の仲が不和で、ややもすれば喧嘩口論をして犇(ひし)めくによって、その父、なにとぞしてこれらが仲を一味させたいといろいろ工(たく)めども、為(しょ)うずるようもなかったが、あるとき児ども一処(いっしょ)に集まりいたとき、父下人(げにん)を召(よ)うで、『樹の楚(いばら)をあまた束(たば)ねて持ってこい』というて、その束(つかね)を執って、数多(あまた)を一つにして縄をもって思うさま堅う巻きたてて子どもに渡いて『これを折れ』という、児共われもわれもと力を尽して折ってみれども、すこしも叶わなんだ、そのとき父堅く巻きたてしをほどき、一把(いちわ)ずつ面々に渡いたれば、造作もなく折った、それをみて父のいうは、『めんめんもそのごとく、一人(いちにん)ずつの力は弱くとも、たがいにじゅっこんし、志を合わするにおいては、なにとした敵にも左右(そう)無うとり拉(ひし)がるることあるまじいぞ……』と言い終った。
    下心(したごころ)
 互いの一味をもって人間の仲も強く、また不和なときは国家も滅びやすいという義じゃ」
 駒井甚三郎がこの条(くだり)を読み了(おわ)ると、お松が、
「このお話はどうも、わたくしが子供の時に聞いた毛利元就(もうりもとなり)公のお話と、あんまりよく似過ぎておりますから、ことによると元就公のお話を、こんなふうに書き改めたのではないかとも思われるのでございますが」
 駒井がそれを聞いて、頷(うなず)いて、
「なるほど、そう思われるのも決して無理はないが、事実はそうではないのだ。いったい、この伊蘇保の物語というのは、今から二千年も前に出来た本なのだから、毛利元就の時代より遥かに遠い。だから疑えば毛利元就のあの三人の子供に弓の矢を折らせたという物語は、かえってこの物語から出たつくり話ではないかと疑うのが当然なのである。しかし、もう少し同情した考えようによると、日本でこの本がはじめて翻訳されたのは文禄三年ということだが、それ以前に日本へ来た宣教師や外人によって、なんらかたとえ話となって日本人の口に膾炙(かいしゃ)していたかも知れない、それを元就が聞き知っていて、自分の最期(さいご)の遺言に利用したものと見られないこともあるまい」
「そういう順序でございましょうか。なんにしても大へん結構なお話で、偉い父親ならば、きっと利用しそうなお話でございます」
 それから、駒井は、そう解釈するのが親切であって、たとえ話などというものは、本にまとまって出るずっと以前に、必ず口頭で伝えられてなければならないはずのもの、現にこの伊蘇保(いそほ)物語などにしてからが、二千年前、ギリシャという国で、イソホという人が著したということになっているけれども、事実はそれよりも千年も前に、同様の話が行われていたということ、イソホはそれらを上手に集め成したのだろう――日本でも、文禄時代に肥前の天草(あまくさ)で翻訳される以前、いずれの国人にも最も耳あたりのよいこの物語が、言い伝えられ、語り伝えられていないというはずはなく、まして、海外交通の最も便宜の多かった山陽道方面の要地を占めていた毛利元就の知識となることは不自然ではない。元就が最期の時に、あれを利用したのは、元就その人の教養と遠慮とを知るに最も適格な話として受け容れられるということなどを説明して聞かせてくれた。そのあと、お松が、
「殿様、こんなに結構な御本ですけれども、ただ一カ所、ほんとうになさけないと思うことがございます」
「それは何です」
「イソホさまが、養子に御教訓なさる言葉のうちに、『妻に心を許すな、平生、意見を加えい、すべて女は弱いによって、悪には入り易(やす)く、善には至り難いぞ』とあるのと、それから、『大事を妻に洩(もら)すな、おんなは知恵浅く、無遠慮なるによって、他に洩して仇となるぞ』とありますが、仏様のお教えにも女は成仏(じょうぶつ)ができない、孔子様も女子と小人など仰せられまして、女をたのみ難いものになさるのは、東洋の国々ばっかりかと思いましたら、この御本のように、西洋でもやはり女は浅ましいものとなっておりますのが、真実のこととは申しながら、なさけない思いがいたします」
「うむ、全部がそうというわけでもなかろうが――」
と言って、駒井は肯定するような、しないような返事をしました。あさましい女もあれば、たとえばお松さんのような、立派な強い素質を持った女性もある――とでも言えば言いたかったのでしょうが、そうも言わないでいると、お松が、
「それから殿様、わたくしは申し上げに出ようと思っていたところでございますが、ただいま船の修理に来ておいでなさる人たちの中に、珍しい人が一人おりますのでございます」
「それは、どういう人ですか」
「この近辺の人ですが、日本でははじめて、この世界中を一巡りして来た人の仲間のうちの一人だそうでございます、世界の国々を経巡(へめぐ)って来たことに於ては、あのマドロスさんなんぞより、遥かに世間が広いらしうございます」
「ははア、それは耳寄りな話だ」
と言って、駒井甚三郎はわれながらはずむほどに身を乗出したというのは、今もいままで思いなやんでいた当座の問題――かけがえのない船の苦労人(くろうと)、思案の果てが、いつもあの不埒(ふらち)千万なマドロスの上に落ちて来るのが苦々しい限り。ところがこのマドロスに上越すところの海の苦労人(くろうと)が、現在自分の身近くにいる! という報告を、別人ならぬお松が聞かせてくれたのだから、駒井が夢かと驚喜の色を浮ばせるのも無理はありません。
「そういう人がいるなら、早速会ってみたい、どこにいます」
「お船の船頭部屋に泊り込んで、毎日、修繕仕事を手伝わせていただいております」
「今晩もいますか」
「はい、宵のうちは乳母(ばあや)さんのお部屋へ、皆さんとよくお話しに出かけます」
「では、直ぐにここへ呼んでもらえまいか」
「今晩お会い下さいますか」
「早い方がよい、今すぐにここへ呼んで来て下さい、ここでひとつ、会いましょう」
「では行ってまいります」
 お松があたふたと出て行ったその後で、駒井甚三郎は、なんだか胸が躍るように思いました。が、また思い返してみると、それはあんまりお誂向(あつらえむ)き過ぎる、そういう思いがけない人間が、この際、ひょっこりとここへ現われるなどは夢のようなものだ。もとより本当のマドロス修業をした人間ではない、海へ出た魚師かなにかが災難で漂流して、世界中を吹き廻されて来たというものだろうが、なんにしても遠洋航海の実地経験さえ持ち合わせている人ならば充分だ、早くその人を見てみたい、そうしたならば明日からでもマドロスの補欠として雇い、大工から引抜いて、天晴(あっぱ)れ一方の仕事を任せてみたい。
 こう気構えしていると、やがてお松が手を曳(ひ)いて、当人をここへ連れて来ました。

         三十

 待ち焦(こが)るるほどの目の前へ、当人を連れて来られて見ると、再び駒井甚三郎が、一時は拍子抜けのするほど呆気(あっけ)に取られてしまい、
「ははア、君はいったい幾つなのですか」
と、とりあえず年を尋ねることが先になってしまったことほど、この当人は年寄中のヨボヨボでありました。遠洋航海ということから、マドロスの海風に吹き鍛えられた皮膚の色、図抜けて張り切った若い体格、そればっかり頭にあった駒井は、目の前にこのヨボヨボ老人を見せつけられて、やっとそれだけの文句しか出なかったものです。
 しかし尋ねられた老人は、駒井にそんな思惑外れがあろうとは思われないから、抜からぬ顔で、
「はいはい、今年八十六でございます」
「八十六!」
 で、駒井が全く苦笑いを抑えることができませんでしたが、でも、サラリと打解けて、
「そうですか、よくその年で達者に働けますね。そうして、君が世界中を廻って来たというのは、それは幾つくらいの時のことでしたか」
「え」
と言って、もじもじしたのは耳が少し遠いものらしい。八十六では耳の少し遠いくらいは無理はない、と思っていると、お松が代って、大きな声をして、
「おじいさん、あなたが異国を巡ってお歩きになったのは、幾つの時でしたかと殿様がお尋ねになります」
「はあ、わしが流されたのですか、それは寛政五年十一月のことでございましてな」
「寛政五年」
といって、駒井は胸算用(むなざんよう)をしてみますと、寛政五年といえば、今を去ること六十四年の昔になる、その当時は、このお爺さんも二十二歳といった若盛りだが、それにしても古い話だ――
 と、また呆(あき)れましたが、しかし、古いにしても、新しいにしても、経験の教えるところは腐らないものがある。よしよし今晩はひとつ、この老人に就いて聞き得るだけを聞いてみよう。耳は少し遠いようだが、金(かな)ツンボというわけではないから、お松がそばにいてあしらってくれればけっこう話の用には立つ。そこで駒井は、
「お松さん、金椎君は今、例によってお祈りでもしているらしい、それを妨げてはいけないから、あなたひとつ、茶菓の用意をして下さい、今晩ひとつ、このお爺さんから海の話を聞かせてもらいましょう、ゆっくりと」
 お松は心得て、
「承知いたしました」
といって出て行ったが、暫くして茶菓の用意をととのえて持って来ました。
 そこで駒井甚三郎は、老人を相手に、その昔経験した漂流談を、お松と二人がかりで聴き取りにかかります。何しても耳が遠いし、年は寄っているし、記憶ももう散逸している部分も多いし、言葉も大分ちがいますから、もどかしいことはこの上なしですけれども、それでも相当の収穫が与えられないということはありません。少なくともこの老人が、日本人としては最初に世界を一周して来たところの漂流者の中の一人であるということは疑いがありません。
 時は寛政五年十一月、石巻の船頭で、平兵衛、巳之助、清蔵、初三郎、善六郎、市五郎、寒風沢(さぶさわ)の左太夫、銀三郎、民之助、左平、津太夫、小竹浜の茂七郎、吉次郎、石浜の辰蔵、源谷室浜の儀兵衛、太十ら十六人、江戸へ向けての材木と、穀物千百石を積んで石巻を船出したが、途中大風に逢って翌六年二月まで海と島との間を漂流した。ようやく漂いついたところが露西亜(ロシア)領のオンデレケオストロという島。
 その島の島人のなさけでとどまること一年ばかり、穀物は無く、魚類のみを食べていた。
 七年四月三日にまた船に乗って島々を過ぎ、陸地を渡り、エリカウツカというところに着いて、総勢一家を借りてすみ、住民の情けにめぐまれ、或いは日雇となって働いて賃銀を得ること八年、その後モスコーを経て、ロシアの港ビゼリポルガというところで皇帝に謁見(えっけん)を賜わった時分には、一行のうち六人のものはもう死んでいた。
 ここで皇帝から帰るものは帰るべし、とどまろうとするものはとどまるも差支えなしとの仰せによって、四人は帰り、六人はとどまることになった、その帰国四人のうちの一人が、すなわちここにいる老人である。
 かくて文化元年正月、かの地を発船し、マルゲシ、サンベイッケ等を経て、七月の初めカムシカツカに着き、翌月発船して九月長崎に帰る――
 という物語。それを繰返し、引集めて要領をとってみると、まずロシアの地に漂着し、そこで大部分を暮し、それからシベリアを経てウラル山脈を越え、モスコーを経てペテレスブルグに至って、ロシア皇帝に謁見し、公使レサノットに従ってカナシタの港を出て、大西洋を経、アメリカのエカテンナというところへ行き、それから、サンドーイッチ島を過ぎてカムチャツカに入り、長崎に帰るという順路、寛政五年から十三年目で故国へ帰ったという筋道だけは分る。
 右の話のうちにも、地名だの、方角だの、ずいぶん混線したり、聞き馴れないところが多いが、それでも地理の素養の深い駒井には、よく要領を受取ることができました。
 なおくわしくは、明日自分の船長室へ連れて来て、地図についてくわしく問い質(ただ)すことにして、それから余談に移ると、老人は一年ばかりの間、米も粟もなく、魚ばかり食べていたことがあるの、はじめて麦のパンを与えられた時の嬉しさだの、皇帝にお目にかかる時は、わざわざ繻子(しゅす)の日本服を拵(こしら)えて与えられたことだの、日本へ帰ろうというもの四人には羅紗(らしゃ)を一巻、懐中時計を一つずつと、それから金銭を与えられたし、向うに泊っている者六人には、衣服、寝道具を支給され、食事には毎日三度三度、パンと、豚と、魚と、酒を与えられたこと、そんなことの思い出を興味多く語り出でましたが、夜も大分ふけましたから、お松にまたその老人を送り返させて、そうして自分は船長室へ戻って、蝋燭(ろうそく)をともして、光にうつる壁の大地図を引合わせて、今の老人の話した要領の筋道を、ずっと指で線を引いてみました。

         三十一

 根岸の屋敷で、神尾主膳が日脚の高くなった時分に起きあがり、
「ああ、昨夜もあの女は帰らなかったな」
とつぶやきました。
 あの女というのはお絹のことです。お絹は昨夜もこの家へ帰らなかったのです。昨夜もという以上は、帰らないのは昨夜に限ったことではない、このごろは、度々そういうことがあると認められる。事実も、その通りで、つづいて神尾が楊子を使いながら勝手元で横文字のはいった赤い缶入(かんいれ)を横目に見て、吐き出すように、
「あいつ、また異人館か」
 それもその通り、このごろのお絹は、異人館へ入りびたりの体(てい)である。
 神尾としては、今となってはもう、かくべつ気にもしないらしい。いちいち気にしていた日には際限がないとあきらめているようでもあるし、異人館なるが故に寝泊りを黙許しているだけの、情実でもあるかのようにも見られる。
 洗面も食事も済むと、神尾は書斎へ立てこもりました。
 いつもは、ここで、閑居しての唯一の善事としての書道を試むるのですが、今日は、筆を選ぶことはあと廻しにして、まず、机に両肱(りょうひじ)をついて、腮(あご)を両掌(りょうて)で受けて、じっと庭前をながめこんだのであります。
 庭の八ツ手の下を小鳥が歩いているのを、暫くぼんやりと見つめていたが、今度は、腮を受けていた両掌を外(はず)して、眼と額をおさえてうつむきました。
「さあ、今日からひとつ、著作にとりかかってやろう」
 暫くあって、むっくと頭を上げて、硯(すずり)を引寄せ、紙を重ねて文鎮(ぶんちん)を置き、それから硯箱の中から細筆を選んで手に取り上げたのが、いつもとは少し変っています。
 いつもならば、こんな細筆を選ぶということはない。細筆をとる時は、何か実用あっての例外の場合のみであって、朝は木軸の大筆に、まずたっぷりと水を含ませることを楽しんでいたのですが、今日は、いきなり細筆を選んで、「ひとつ著作にとりかかる」とかけ声をしたところを見ると、筆の使用も、目途も、従来とは違い、翰墨(かんぼく)を楽しむというのではない、実用向きに使用して、この男がかりにも著作をする気になった動機というものがまた不審ではあるが、すでに今日から着手しようとおくびにも言い出したところを以て見れば、かねがねその下心はあったに相違ない。
 神尾主膳は著作をすべからざるものだときめてしまう理由はない。この男が著作をする、それはやっぱり似つかわしからぬところの一つのものではあるが――現に旗本や御家人で、絵師や戯作(げさく)を本業同様にしている者もいくらもある。大名高家でも、立派な随筆を世に残している人もあるのだから、神尾にしても、かりそめにも著作でもしてみようという気になったことは、すでに閑居善事の第二段であるかも知れない。
 下へ罫(けい)を入れた紙をあてがい、その上へ半紙を置いて、神尾は、さらさらと文字を綴りはじめました。暫くして、
「女賢(さか)シウシテ牛売リ損ネル……」
と、二三度、口のうちでつぶやきながら、筆の進行をすすめて思案の体(てい)――
「女賢シウシテ牛売リ損ネル……」
 彼は、今、再三それを繰返して、
「はて、この故事来歴の出典は、どこであったかしら」
 思案の種はそれでした。
「女賢シウシテ牛売リ損ネル」という俚諺(りげん)は、日頃、耳目に熟していながら、さて、これを紙に書いて、その解釈を附する段になって、神尾がハタと当惑したのであります。
 この語の表現する意味は、女というものは、賢いようでも抜かりがある、いや、女の賢いのは、賢いほど仕損じがあるものだ、だから女の賢いのは危ない、女を賢がらせてはいけない――という戒(いまし)めになっているのだが、さて、これが出所はどこか、支那から来たのか、和製か、その故事来歴を知りたい、普通、会話として、常識としてでは、そんな詮議立てをしないでも通るが、著作として世に示すには、そんなことではならない。そこで、神尾が首をひねったのは、それを知るべく、いかなる参考書によったらいいかということの思案でした。
「曲亭の燕石雑志(えんせきざっし)なんぞにありゃしないか、あれは物識(ものし)りだから」
と言ってみたが、あいにく、ここにはその燕石雑志もない、三才図会(ずえ)もない、どうも、この牛売リ損ネタ実例の出典に思い悩んでみても当りがつかないのであります。ついに神尾は一応断念して、
「明日あたり、市中の本屋をあさってみよう」
 そこで筆をさし置いて、また庭の面をぼんやりとながめていました。
 その時に、微風が吹いて来て、机の上を煽(あお)ると、さして強い風ではなかったけれど、半紙の薄葉(うすよう)を動かすだけの力はあって、二三枚、辷(すべ)るように、ひらひらと畳の上へ舞い下りました。
 神尾が、あわててそれを抑えにかかった手先から洩(も)れたところには、「半生記」との題名が読まれる。
 ははあ、著作といったのは、身の上を書いているのだな、しおらしくも、神尾主膳が自分の「半生記」の懺悔録でも書き残して置きたいという了見になったと見える。
 それに相違ない、神尾の著作といったのは、かねてよりの宿望で、自分の父祖から、わが身の今日までの自叙伝を一つ書いて置きたいという、その希望が今日になって実現しかけたというわけなのです。そうして、書き進んで、神尾は自分の母のことを書く段取りになりました。母のことを思い出して書いて行くうちに、右の「女賢(さか)シウシテ牛売リ損ネル」につき当って、その解釈に当惑したという次第なのでありました。
 そこで神尾は、筆に現わすべき進行をやめて、その代りを頭の中に再現させ、自分の母というものの面影(おもかげ)を脳裏に描いてみました。
 神尾主膳の母――
 それが当人の頭の中での主題となっているのであります。外で見ては、ちっともわからないけれど、神尾の頭の中では、幼少の時代の自分と母との世界が、まざまざと展開している。母を想像する裏には、どうしても父というものが浮んで来なければならぬ。
 自分の父というものは、ぐうたらで、のんだくれで、のぼせ者で、人から煽(おだ)てられれば、財産に糸目をつけなかった。どうにもこうにも手のつけられないどうらく者であったということは、自分も人伝(ひとづて)によく聞かせられて、事実そうだと信じている。その父に輪をかけて悪辣(あくらつ)になったのが、この自分だということをも、自分ながら相当承認している。人の噂(うわさ)から言っても、自分の印象から言っても、わが父なる者は、やくざ旗本の標本であったに相違ないとして、母は、それとは全く異った賢婦人であったということは、世間の通評であり、自分もあえてそれを否定しようとはしないが、よくよく考え直してみると、その信念がぐらつく。わが母は果して、父と全く打って変った良妻賢婦であったろうか、父が箸(はし)にも棒にもかからない欠陥のすべてを、母が埋合わせて、持ち合せていたように信じてよいものだろうか。
 少なくとも、母がそれほどの賢婦人であったなら、この現在のおれというものを、こんなに仕立てないでも済んだのではないか。
 わが母の賢婦説は再吟味の必要がある。父のぐうたらは検討の余地なしとしても、わが母というものの世間相場は、改定される必要はないか。
 神尾は、今それをつくづく思い返している。
 世間の人はその当時、言った、神尾の家は奥方で持っているのだ、主人は論外だが、奥方がしっかりしているから、それで持っているのだ――これが世間の定評になっていたのに、当人の母は、また唯一のあととり息子たるまだ頑是(がんぜ)ないこの拙者の耳に、タコの出るほど言い聞かせていたのは、
「神尾の家は、お前が起すのですよ、お父さんは駄目だから、お前が立派な人になって、見返してやるようにしなければなりません」
 これが母の口癖であった。
 だから、自分も、父というものは駄目なものだ、父というものは厄介者だ、自分たちの名誉を害し、生活を動揺させる以外の存在物ではあり得ないものだ、父に代って、世間を見返してやるというのが、自分の将来の仕事でなければならない、という意味での教育をされて来たのだ。それでも、少年時代は父を軽蔑するまでには至らなかったが、父の存在というものを無視すべきことは教えられていた。
 そうしてまた、父の生活ぶりそのものが、ちょうど母の教えるように、自分にはみなされて来ると、そのだらしのないところが目につき、青年時代の初期から、何かにつけて父を軽蔑しだして来たのだ。そうすると、父が時としては烈火の如く憤(いきどお)って、自分を叱責したり、罵倒(ばとう)したりする、それが腕力沙汰にまでなった時、軽蔑が変じて反抗となってしまった。そういう時に、また母が必ず、こちらに加勢してくれた。
 父の評判はますます悪くなる、それに反比例して母の人気はよくなる、神尾家は主人はぐうたらだが、奥方がしっかりしているので持っている――その極(きわめ)はいよいよ本格的となって、今日までも動かせないでいるのだが、果して、それが無条件でそのまま受取れるか。
 母は、もとより父のように品行上の欠点はなかった。品行上の欠陥がないということは、世間的には、すべての性格的の欠陥を帳消しするのと同じ理由で、品行上に些細(ささい)な欠陥でもあれば、他の性格的にどんな美点善処があろうとも、たいてい葬られてしまう。品行上では箸にも棒にもかからなかったわが父が、性格的には全く欠陥ばかりであったろうか。何かしら、認められないところに良処はなかったか。父は世間からは悪評判で葬られていたが、友人間ではむしろ敬愛される性格と趣味とを持っていたようだ。母はそれに引きかえて、第一、性格に潤いというものがなかったようだ――それから……
 母が、世間に言われているような賢婦人だったら、父をあんなにはしていなかったのではないか。よし、父を救うことが絶望だとしても、自分をこんなにしてしまうまでのことはなかったのではないか。
 自分は、今となって、母の再吟味に続いて、多くの遺憾(いかん)な点を見出す。それと共に、父の性格に、何か埋もれているところはないか、何かなつかしいものが隠れていたように思われてならない。
 女が第一線に立つことは、よかれ悪(あ)しかれ不自然である。不自然が最善であり得るはずがない。古人が「女子ト小人ハ養ヒ難シ」と言ったのは、牝鶏(ひんけい)の晨(あした)することを固く戒めたのも、今となって、神尾主膳にはひしと思い当る、現にあのお絹だ――
 見給え、あれがこのごろ調子づいていることを。七兵衛から金銀を捲上げて、この生活にゆとりを見せたのも、自分の手柄だとしている。
 異人館へ出入りして、外人をひっかけて、何か物にしようというたくらみをいっぱしの見得(みえ)のつもりでいる。
 主膳は、そこまで考えると、あのお絹という女と、自分の母とがその当時、どういうおもわくの下に生きていたかを知りたい気持になりました。父の正妻であったわが実の母と、父のお手かけであった今のあのお絹とが、根本から異なった性格の下に、表面角突合(つのつきあ)いをしたという噂も聞かないが、内心いかように、嫉刃(ねたば)を磨(と)いでいたかを考えると、いまに帰ったら、ひとつあの女をとっつかまえて、あの女が、わが実の母を、どう解釈しているか、それに探りを入れてみようと思い定めました。
 その時分に、庭先へ、また例の御定連(ごじょうれん)の子供たちが、どやどやと入りこんだ物音を聞きました。

         三十二

 男の子と、女の子と、入り乱れてキャッキャッと遊ぶ子供の肉声を聞くと、神尾主膳の血が物狂わしくなりました。
 浅ましいことの限りに、主膳は、子供の声を聞いてその童心に触れることができません。いかに性悪な人も、おさな児の姿に天国の面影を見ない者はないはずですが、悲しい哉(かな)、神尾主膳にとっては子供の肉声が、自分の血の狂いを齎(もた)らすのは、特にあのこと以来のことであります。
 あのことというのは、先頃までよく遊びに来ていた、大柄な、少し低能な、そのくせ色情だけは成人なみに発達している、よしんベエのこと。吉原遊びをするから、お前おいらんになって、廻しをお取りといえば、直ぐにその真似(まね)をする女の子、隠れんぼをして主膳の書斎へずかずかと入って来て、主膳の膝を隠れ場所に選んだバカな女の子――このごろ姿が見えないから、仲間の子らにたずねてみると、「ああ、殿様、よしんベエはお女郎に売られたんだよ」に、二の句がつげないでいると、立てつづけに、「よしんベエはねえ、吉原へお女郎に売られたんだから、殿様、買いに行っておやりよ」とやられて息がとまりそうになるところを、畳みかけて、「あたいも、いまに稼(かせ)いでお金を貯めて、お女郎買いに行くの、よしんベエを買いに行ってやらあ」
 友達が売られたのを、お小遣(こづかい)をもらっておでんを食いに行くと同様に心得ている返答に、神尾主膳が胸の真中をどうづかれて、ひっくり返されてしまった。そのこと以来、特に主膳は子供の肉声に怖ろしき圧迫を感ずるようになったのです。で、この肉声を聞くと、三ツある目の真中のが、にちゃにちゃと汗ばんできて、心も、色も、物狂わしくなってきて、立ち上ったかと思うと、お絹の部屋へ走り込みました。
 そうして、あちらこちらと部屋中をかき廻して、その最後が戸棚を引きあけると、その中をがらがらひっかき廻し、そうして見つけ出したのが、多分、西洋酒の一リットル入りばかりの小壜(こびん)であります。それを見ると、主膳は栓(せん)をこじあけて、グッと飲みました。
 これは何という種類の酒だか主膳は知らないが、黄色い液体がまだ六分目ほど入っている。その四分目ほどは、先日、お絹から振舞われた覚えがある。その残りの部分をお絹から壜を取り上げられて、「もう、いけません、お預けですよ、このお酒は強いから、毎日、このくらいずつ、わたしがくぎって飲ませて上げます」と蔵(しま)いこまれたのを覚えている。それを主膳は覚えているから、これだと思って、栓をとって、グッと飲み出したのですが、その時に、さすがの主膳も、一時(いっとき)、
「カッ!」
と口と咽喉(のど)を鳴らして、飲んだ分を一時に吐(は)き出し、壜をおっぽり出そうとしたほどに、酒の強烈な力におそれました。強い酒とは知っていたが、これほど強いものだとは思わなかった。
 しかし、いくら強くても酒は酒に相違ない。毒物でないということは、主膳の経験に於ても、強いながら口当りにもわかるものですから、二口目はやや注意して、そろりそろりと飲みました。
 そうして、この何というかわからない強烈な酒の残り六分ほどを主膳が、そろりそろりと忽(たちま)ち飲みつくしてしまうと、眼がクラクラとしました。クラクラとしたけれども、毒に当ったのではない、やっぱり酔心地に相違ない。瞑眩(めいげん)のうちに陶酔を感じながら空壜をおっぽり出すと共に、またそこいらをガラガラひっかき廻しているうちに、ふと、折込みの舶来のガラス鏡を発見し、
「ははあ、こいつ、お絹のやつが異人からせしめたのだな」
と言って、くりひろげる途端、思わず自分の面(かお)がうつると、明々瞭々たる三ツ眼!
 累(かさね)ではないが、それ以来の主膳は鏡を見ることを嫌う。お絹がお化粧をしているところへ通りかかって、つい自分の顔が鏡面に触れた瞬間などは、あわててそれを避ける。日本の鏡はうつすにしても、もっと親切だが、このガラス鏡は強烈だ、いぶしも雅致もなく、醜態そのままをすっかりうつしてしまう。主膳はかっとなって、そのガラス鏡を畳の上に叩きつけたが、叩きつけられて裏返しになった鏡の一面に、また鮮かな絵がある。それは酔いと物狂わしさにボケた主膳の眼にも、ハッキリと受取れるところの絵模様。
 肌のすてきに美しい裸女が一人、一糸もかけずに嬌態(きょうたい)を長椅子にもたせて、一種異様な笑みを浮べている。
 神尾が三つの眼で、一ぺん叩きつけた鏡の裏絵を見つめました。
「毛唐(けとう)の奴は、裸女を平気で描いて表へ出しやがる、描かせる奴も描かせる奴だが、描く奴も描く奴だ、こん畜生!」
と言いながら主膳は、畳の上の鏡の裏絵の裸体美人へ、自分の鼻先をこすりつけるほどに持って来て、香いをかぐかのようにながめ入りました。
「ちぇッ」
 実際、腹の立つほどうまく描けていやがる、肉がそのまま浮いて出ている、肌の光沢が生き写しになっていやがる、それに、この生(なま)たらしい笑い顔はどうだ、生のものをそのまま取って来て描きやがったのだ、描く奴も描く奴だが、描かせる奴も描かせる奴だ、そうしてこの鏡の裏絵なんぞにして、大びらで世間へ向けて売り出す、不埒(ふらち)千万だ。
 日本の女なんぞは、どんなに恥知らずだって、自分の姿を、裸にして描かせて売らせる奴はない。また、どんな堕落した絵かきだって、女の丸裸物を描いて市中へ売ろうなんぞということはしない。また、たとい売女遊女にしても、色は売るけれども、裸になった姿を描かせるような奴はまだ一人もいない――毛唐はそれを平気でやる。
 毛唐は獣なのだ。だから、女を可愛がるにしても、イキな身なりや、すっきりした姿を可愛がるんじゃない。女を買うにしても、裸にしなけりゃ満足ができないのだ。遊ぶにしたところで、蘭燈(らんとう)の影暗く浅酌低吟などという味なんぞは、毛唐にわかってたまるものか。あいつらは、女を玩(もてあそ)ぶに、女を裸にして玩ばなければ満足のできないやからなのだ――ちぇッ、いいざまをして、この女(あま)め、笑ってやがる、小憎らしい笑い方だなあ――
 主膳はこう言って、三眼爛々(らんらん)として、西洋婦人の豊満な肉体美をながめているうちに、その女のかおかたちがだんだんお絹に似てくる。お絹でありようはずはない、第一、頭が金髪で、色の白さは似ているとしても、その肉づきがお絹でないことはわかりきっているが、嬌然(にっこり)笑っているいやらしい笑い方が、だんだんとお絹の面になってくると、肉体そのものまでが異人ではない、明暮(あけくれ)自分のそばにいるあの模範的の淫婦娼婦だ。
 そう思ってくると、その笑い方が、からかい気味になったり、思わせぶりになったり、いやがらせ気味になったりして、主膳をなぶって来る。
「ちぇッ」
 主膳の三ツ眼はクルクルとして、その絵の傍へもう一つの幻影をこしらえて、それを燃ゆるような眼で睨(にら)み出しました。もう一つの幻影というのは、そこへ、赤髯(あかひげ)の大きな脂(あぶら)ぎったでぶでぶの洋服男が一つ現われて、いきなり、裸体婦人の後ろから羽掻(はがい)じめにして、その髯だらけの面を美人の頬へ押しつけて、あろうことか、その口を吸いにかかったのです。幻像がそうなった時、こんがらかった主膳の三ツ眼が全くくらくらとして、手が早くも躍動すると、無茶に畳に落ちた折鏡の全体を拾い取り、力を極めて、発止! と投げつけたのが日頃お絹が身だしなみをするところの丸鏡の正面であります。
 在来の鏡台にかかった日本の鉄製の磨かれた丸鏡と、舶来の四角なガラス鏡とが発止とかみ合って火花を散しました。しかし、どちらがどれだけ損害の程度が大きかったかということなんぞに頓着もない主膳は、それから自分の部屋へ走り戻ると、急いで衣服を改め、わななくような手つきで足袋をはき、紙入を懐中へ押しこみ、それから大小をさし込み、頭巾(ずきん)をかぶりこみ、いよいよ本物の物狂わしい気色(けしき)になって、この屋敷の裏門から、ふらふらと外へ出かけて行ってしまいました。
 その後ろ姿を見ると、ふらふらとして、まさしく物につかれたような姿で、どうかすると、机竜之助がこんな姿で人を斬りに出かけることがある。
 その後ろ姿を、庭に遊んでいた子供たちがきわどいところで認め、
「あれ、殿様が、どっかいらっしゃるよ、わたしたちにはだまってさ」
「ああ、三ツ目錐(めぎり)の殿様が、ないしょでどこへかいらっしゃるよ」
「こっそりとね――おかしいわね」
「きっと吉原へ行くんだよ」
「そうだわ」
「そうに違いないよ」
「頭巾をかぶってさ」
「吉原よ」
「吉原たんぼは水たんぼ」
「吉原へ何しに行くの?」
「きまってるじゃないか、お女郎買いにさ」
「あ、そうだ、よしんベエを買いに行くんだろう」
「そうなんだね」
「そうよ」
「そうにきまってるよ」
「憎らしい殿様、ビビ――」
と女の子の一人が、眼をむいて、主膳の後ろ姿に向って唇を突き出すと、
「ビビ――」
 寄っていた子供たちが、すべて、出て行った神尾の後ろ姿に向って、眼口を突き出しました。
 こうして、屋敷の裏門を出た神尾主膳は、子供たちの想像するように、必ずしも吉原へ行くものとは受取れない。
 根岸の里をふらつき出した神尾主膳は、どこをどう踏んでいるのだか、自分でもよくわかってはいないらしい。ふらふらふらと、人通りのないところ、或いは人通りの劇(はげ)しいところを、無性に歩いて来たが、あるところで、
「駕籠屋、築地の異人館まで急いでくれ、異人館、知っているだろう、赤髯の巣だ、毛唐が肉を食っているところだ、行け行け、異人館へ乗りこめ――酒料(さかて)はいくらでも取らせてやる」
 やがて威勢のいい駕籠の揺れっぷりで、神尾主膳の身はかつがれて宙を飛んで行く。
 その行先は、もうわかっている、すなわち築地の異人館。




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