大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 道はようやく沼を離れてしまって、林の中深く入って行くようです。
「先生、わたしにばかり白状させてしまっては罪ですよ、懺悔話をお聞かせください、ぜひ、どうぞ」
 度胸がおちついたとはいうものの、手ごたえがないので、不安が不安を追っかけるように、後家さんは竜之助に促(うなが)しました。
 けれども、何としてか、竜之助は答えることなしに、少し歩みを早めて、ずんずんと後家さんより先に立って木立の中深く進んで行くものですから、後家さんは、肪(あぶら)ぎった大きな身体(からだ)をそれに引きずられるように、追いすがるように歩いて、
「あんまり奥へおいでになってはいけません……お池の方へ戻りましょうよ」
 その時、沼のあなたに当って、谺(こだま)を返す一つの呼び声がありました、
「お内儀(かみ)さん――お内儀さん、どちらへおいでになりました」
 それは林を隔て、沼を隔てて呼ぶ浅吉の声にまぎれもありません。
 この声を聞くと後家さんが、いまいましそうな、また、いつになく怖ろしそうな顔になって、声のする方へ向き直ったけれども、そちらへ足をめぐらそうとはしません。
 机竜之助もまた、その時、ずんずんと進んでいた足をとどめて立っていると、
「お内儀(かみ)さん――お内儀さん、お迎えに参りましたよ、お一人歩きをなさると、お危のうございますよ」
 甲(かん)に高い浅吉の呼び声は、感情もまたたかぶって、沼のほとりを、あちらこちらとさがし廻っている様子が、なんとしても穏かには響きません。
「お内儀さあ――ん……」
 聞いていると、どこまでも嫉(ねた)みを持ってものを追い求める声です。
「ねえ、先生……」
 後家さんは、半ば恐怖の色を以て、竜之助にすがるように、
「あれは、うちの浅公ですよ……御存じでしょう、わたしの雇人ですが、このごろ、どうしたものか、わたしを恨んでいます……恨んではいるけれども、口に出しても、手に出しても、何もすることはできない意気地なしなんですが、ああいう意気地なしが思いつめると、また何をしでかすかわかったものではありません……この間の晩も……」
といって、後家さんの唇の色が変って、舌がもつれました。
「ねえ、先生、この間の晩、夜中に、どうも変ですから、ふいに眼がさめて見ますとね、あの野郎がわたしのこの咽喉(のど)をおさえて、こうして……わたしを絞めようとしていたんですね、吃驚(びっくり)して、起き直って、わたしが、とっちめてやりますと、泣いてあやまりましたが、あんなのがかえって怖いのかも知れません。ですから、先生、ぜひ、あの護身の手を一つ教えておいてくださいまし、もし、不意に咽喉でも絞めに来るとか、また刃物でも持って向って来た時には……」
 後家さんが、再び、護身の手のことをいい出した時、竜之助はその左の腕を後家さんの背後から伸ばして、その襟(えり)を取ってグッと絞め、
「左様、後ろから絞められた時は……」
 不意でしたから後家さんが、よろよろとよろけかかりました。
 不意のことでしたから、後家さんも仰天(ぎょうてん)して、よろよろよろけかかるのを竜之助は、
「もし、これを強く絞めようと思えば、こう親指を深く入れて、べつだん力を入れずにグッと引きさえすれば……動けば動くほど深くしまるばかりだ」
と言いながら、後ろから腕を深く入れると、後家さんは、
「あ、あ」
といって息を吹くばかりで口が利(き)けません。後家さんの聞こうとするのは、深く絞める仕方ではなく、絞められた時に、振りほどく手段なのです。ですから、いったんしめた手をゆるめて、その解(と)き方を示すべき時に、竜之助は、無意味にその手をゆるめられなくなりました。
 この男には、かりそめの絆(ほだし)が、猛然たる本能を呼び起すことは珍しくないので、活殺の力をわが手に納めた時に、それを無条件でつっぱなしきれなくなるのがあさましい。かりそめにしめあげた腕はゆるめなければならないのに、人間の肉が苦しみもがく瞬間の、はげしい運動と、熱い血潮に触れると、むらむらとして潜在の本能がわき上ります。
「苦しいか」
「く、く、苦……」
 後家さんは、必死となって竜之助の腕にすがって、その蛇のような腕を振りほどこうともがいたが、それは、さいぜん予告しておいた通りに、もがけばもがくほど深く入るだけで、力を入れるそのことが、いよいよ敵に糧(かて)を与うる理法となっていることを知らない。
 はっ! と落ちたか、落ちない時に、それでも竜之助は手を放しました。手を放すと、肥満した女の骸(むくろ)が、朽木(くちき)のように、自分の足もとに倒れたことを知りました。
 しかし、それは、ほんの少しの間たつと、倒れた後家さんは半眼を見開いて、
「先生、あんまり酷(ひど)い」
といいました。死んだのではなかったのです。
「あんまり酷いじゃありませんか、殺さなくってもいいでしょう、お雪ちゃんに教える時にも、こんなになさったの……?」
 半醒(はんせい)のうちに、後家さんは、竜之助に怨(えん)じかけました。地獄をのぞいていまかえった人というような見得(みえ)で……
 それから、やがてまた二人が相並んで、林の中をそぞろ歩きして行くのを見かけます。
 その時分、林のあなたでは、またも男妾(おとこめかけ)の浅吉が烈しく呼ぶ声、
「お内儀(かみ)さん、どちらへおいでになりましたんですよ、一人歩きは危のうございますよ、お迎えに上りましたよ」
 多分、二人の耳には、以前から、その金切声が再々入っているはずですけれども、あえて耳を傾けようとはしませんでしたが、
「お内儀さあ――ん」
 そこで後家さんが小うるさくなって、
「気が違やしないか知ら、浅公――」
とつぶやきました。
 しかし、その浅公も、もうかなり呼び疲れたと見えて、それからしばらく呼び声が絶えてしまいました。
「ねえ、先生、そういうわけですから、意気地なしほど思い込むと怖いかも知れませんよ。用心のために……殺しちゃいけませんよ、今のように殺さないで、殺しに来るのを避ける法を教えて下さいましな、あれを外(はず)す仕方を教えて下さいましな」
といって、もうケロリとして、今の苦しかった地獄の門を忘れてしまったようです。事実、或いは苦しかったのではないかも知れない。上手にしめられると苦しいと感ずるのは瞬間で、それから後は恍惚(こうこつ)として、甘い世界に入るように息がとまってゆくそうな。こういう図々しい女は、再びその甘い死に方をして、また戻って来る気分を繰返してみたいのかも知れない。
「それを外(はず)すのは雑作(ぞうさ)もない」
といって、竜之助は再び後家さんの首を後ろから締めにかかると、
「先生、殺しちゃいけませんよ」
 今度は後家さんも覚悟の前ではあるし、竜之助も心得て、以前ほど強くは締めず、ゆるやかにうしろから手を廻して、
「これをこうすれば袖車(そでぐるま)……」
「もっと強く締めて下さい」
 その時、サッと木の葉をまいて、風のような大息をつきながら、そこへ馳(は)せつけたものがありました。
「お、お、お、お、お内儀(かみ)さん――」
 真蒼(まっさお)になって、ほとんど口が利(き)けないで、そこに踏みとどまりながら、吃(ども)っていましたから、竜之助も手をゆるめ、後家さんも向き直って見ると、それは男妾の浅吉でありました。
「お内儀(かみ)さん、あぶない――」
「浅吉、お前何しに来たの?」
「え、え」
「何しに来たんですよ、たのまれもしないに――」
「でも、お内儀さん、この節は、お一人で山歩きをなさるのは、お危のうございますよ」
「子供じゃあるまいし」
 後家さんは、ひどく邪慳(じゃけん)な色をして、浅吉に当りました。
「でも、お内儀さん、私は、あなたが今、この方に殺されているのだとばかり思ったものですから……」
 事実、浅吉はそう思って、その主人の急場を救わんがために駈けつけたものに相違ない。ところが来て見れば、当の御本人が至極平気で、かえって助けに来た自分を邪慳にし、
「そんなわけじゃないよ、お前こそ、わたしを殺したがっているくせに……」
「どう致しまして」
「さっきから、なんだって、あっちこっちでわたしを呼び廻っているの。山の中だからいいけれど、世間へ出たら外聞が悪いじゃありませんか」
「どうも済みません」
「いいから、お帰り、お前ひとりでお帰り、わたしはこの池を廻って帰るから……」
「ですけれど、お内儀(かみ)さん……」
「何です」
「お危のうございますよ」
「何が危ない。しつこい人だ、お前という人は。うるさい!」
「けれども……」
「大丈夫だよ、お前こそ一人歩きをして、熊にでも食われないように、気をおつけ」
 後家さんは、こういって浅吉を振りつけて行こうとすると、浅吉の眼の色が少し変りました。
「お内儀さん……どうしても危ない、あの方と一緒に歩いてはいけません」
「何をいっているんだい、失礼な」
「どうぞ、わたしと一緒にお帰りなすって下さいまし」
 浅吉は、とうとう後家さんの袖をつかまえてしまいました。これほどに思い込んで引留めることは、この意気地無しには珍しいことです。
「お放し」
 それを振りもぎって、振向いて見ると、たったいま自分の首を締めた人が、そこに見えない。
「おや?」
 後家さんは、慌(あわ)てて、四辺(あたり)を見廻したけれども、その姿は消えてしまっている。林の中にも、沼の岸にも、それらしいものが見えないから、
「おや、どこへおいでになった?」
 後家さんが、狼狽(うろたえ)ていた時、浅吉は透(すか)さず再びその袖を取って、
「お帰んなさいまし、わたしと一緒に帰れば生命(いのち)に別条はございません」
「何をいってるんだよお前は。お前こそ、わたしにとっては気味が悪いよ」
といって、後家さんはせきこんで、林の中へ駈けて行こうとするのを、浅吉が後ろから必死の力で抱き止めて、
「お内儀さん、あなたは死神につかれています、死神に……」
 男妾の浅吉の必死の力を、さしも大兵(だいひょう)の後家さんが、とうとう突き飛ばしきれず、それに取押えられてしまいました。
 ほどなく薯虫(いもむし)が蟻に引きずられて行くように、この大兵の後家さんが、男妾の浅吉に引っぱられて、沼の岸を逆に戻って行く姿が見えましたが、やがて鐙小屋(あぶみごや)の前へ来ると、断わりなしにその戸をあけて二人が中へ入りました。
 小屋はかなりの広さに出来ていて、正面には神棚があって、御幣(ごへい)の切り目も正しくして新しい。
 浅吉は、小屋の中へ御主人を誘(いざな)って、自分はかいがいしく一方の炉に火を焚きつけて、向い合って話をはじめました、
「ねえ、お内儀(かみ)さん、私はなにも人様の讒訴(ざんそ)をするわけではございませんが……あの方の人相をごらんなさい。昨晩も夢を見ましたよ。私は毎晩のように、このごろは夢を見ますのは、みんなほかの夢じゃございません、お内儀さんも私も、あの方に殺されてしまう夢なんです……昨夜もね、ちょうどそれ、あの無名沼(ななしぬま)なんですよ、あの沼の中に何か白いものが光って見えますから、私が近寄って見ますと、それがあなた、お気にかけなすっちゃいけませんよ、お内儀さんの死骸なんです。あなたが殺されて、あの沼の中へ投げ込まれているのを、私はまざまざと見たものですから、それが気になってたまらないでいるところへ、今日、こうして、あなたが沼の方へ、ズンズンとおいでなさるものですから、遠くで私が見ていますと、なんのことはない、あなたは、沼にすむ魔物に引寄せられておいでなさるとしか見えないものですから、私は我を忘れて、あなたの跡を追いかけて参りました、そうして大きな声をして、あの通りにお呼び申してみました。それでもようございました、危ないところをお助け申しました。これからは決してお一人歩きをなさらないようになさいまし、どうぞ……」
 浅吉は一生懸命でこのことをいいますのに、後家さんは案外平気で、
「お前、このごろ、どうかしているよ」
「いいえ、わたしより、お内儀(かみ)さん、あなたがどうかしておいでなさるのですよ」
と浅吉は例になくせわしく口を利(き)いて、
「あなたは魔物に引摺(ひきず)られておいでなさるんですよ」
「ばかなことを言っちゃいけないよ、どこに魔物がいます」
「いけません、お内儀さん、危ないのは、魔物にひっかかったと思う時よりも、魔物をひっかけたと思っている時の方が危ないのです」
「わけのわからないことをお言いでない、魔物なんてこの世の中にありゃしませんよ、みんなあたりまえの人間ですよ、人間並みにつきあっていさえすりゃ、怖いものなんてあるものか」
「そ、そ、それがいけないのです、お内儀さん、御当人にはわかりませんが、傍(はた)で見ていると、よくわかります、あの人は、今にきっと、お内儀さんも、私も殺してしまう人ですよ、早く逃げないと……」
「逃げたけりゃ、お前ひとりでお逃げ、お前こそ、わたしを殺そうとしたじゃないか、この間の晩のあのざまは何です」
「あれは、お内儀さん、その、夢ですよ。その怖い夢を見たものですから、思わず知らず力がはいって、あんなことになりました。お詫(わ)びをして許していただいたじゃありませんか。もうあれっきり、あのことをおっしゃって下さらないはずじゃありませんか」
「いいよ、そう申しわけをしなくったって。ちっとも怖かないから……第一、お前に人を殺すだけの度胸がありゃ頼もしいさ」
「お内儀(かみ)さん、それをおっしゃらないで下さい、私だって……」
「私だって、どうしたの」
 浅吉がギュウギュウ問い詰められている時に、小屋の裏戸が鳴りました。
 裏口の戸をガタピシとあけて、そこへ現われたのは、狩衣(かりぎぬ)をつけて、藁(わら)はばき、藁靴を履(は)いた、五十ばかりの神主体(かんぬしてい)の男。金剛杖を柱に立てかけて、
「これはこれは」
 おのれが留守中の来客を見て、挨拶の代りに、これはこれはといって、
「は、は、は、は……」
とさも陽気に笑いました。
「お帰りなさいまし、お留守中に失礼を致しました」
 浅吉が申しわけをすると、
「なんの、なんの、そのままにしていらっしゃい。いやどうも、いいお天気で、は、は、は……」
と、いいお天気そのもののように、神主は明るく笑いました。
「あんまりいいお天気だものですから、こうしてブラブラと遊びに出かけました」
と後家さんがいうと、神主は、
「ああ、そうでしたかい、そうでしたかい、よくおいでたの。わしは昨晩、室堂(むろどう)へ泊りましての、御陽光を拝みましての、御分身がすっかり身にしみ渡りましたので、よろこんで下山を致して参りましたわい。さあさあ、もっと火をお焚きなされ、火をたいて陽気になされませ」
 こういって神主は藁靴、藁はばきをとって、炉辺に坐り込み、薪を炉の中にくべました。
「お山の上はずいぶん雪が深うございましたろう、よくおのぼりになりましたね」
「ええ、ええ、もう、積雪膝を没するばかりで、風でも吹いてごろうじろ、とても上り下りのできるものではございません、当分は室堂へお籠(こも)りのつもりで出かけましたが、今朝は御陽光がすっかり身にしみて、この通りの上天気だものですから、一気に室堂から下って参りましたわい」
「御修行でおいでなさればこそ、とても並みの人にはできません」
と後家さんが感心してお世辞をいうと、浅吉が、これに継ぎ足して、
「ほんとに、お羨(うらや)ましうございます、わたしなんぞは、こんな若いくせをしまして、火の傍ばっかり恋しがっているのに、この寒空を、あの高い山まで楽々と上り下りをなさるのは、恐れ入りました、御修行とはいいながら、大したものです」
「なんの、なんの……修行というほどのことではございません、誰にもできることですよ。高いお山の上へ登って御陽光を分けていただきますと、もうこの心持が嬉しくなって、世間が晴々しくなって、この足が自分ながら躍(おど)り立つように軽くなりましてな、山坂を上ることも、下ることも、寒さも風も苦にはなりませんわい。こうして小屋へ帰って、焚火の光を見ますと、火の光がまた、なんともいえない陽気なもので、嬉しくなります、は、は、は……」
 神主は嬉しくてたまらないように、しきりに喜んでいたが、ふと浅吉の顔を見て、
「若衆(わかいしゅ)さん、お前さん、また何か鬱(ふさ)ぎ込んでいますな、いけません、一人鬱いでいると、室内がみんな陰気になりますから、おやめなさい、人間、陰気ということがいちばんいけないのですて……人は陽気がゆるむと、陰気が強くなります。陰気というのは、つまりけがれのことで、けがれは、つまり気を枯らす気枯(けが)れということでござってな、お天道様の御陽光が消えると、けがれが起るのじゃ。お前さん、陰気だ、陰気だ、これはいけない、いけない、陽気にならっしゃい、ちと外へ出て御陽光を吸っておいでなさい……お前さんがいるために、この小屋の内までが変に陰気くさくなっていましたわい、ドリャお祓(はら)いをして進ぜよう」
と言って元気に老神主は立って、神棚の前の御幣を持って来て、
「朝日権現は万物の親神……その御陽光天地に遍満し、一切の万物、光明温暖のうちに養い養われ、はぐくみ育てらる……」
と言って、二人の頭の上で、しきりにその御幣を振りかざしました。
 この幣束(へいそく)で、お祓(はら)いをしてもらったのだか、祓い出されたのだか、二人はほどなく小屋の外へ出てしまいました。
「ごらん、お前があんまり陰気な顔をしているもんだから、あの神主様にまでばかにされてしまった」
といって、後家さんが浅吉をこづきました。浅吉はよろよろとして踏みとどまるところを、後ろから行って後家さんがまたこづきました。
「ホントに陽気におなりよ、意気地なし、陰気はけがれだと神主様も言ったじゃないか、お天道様の御陽光が消えると、けがれが起ると神主様がそうおっしゃったよ、ホントにお前はけがれだよ」
「だって、お内儀さん……」
 恨めしそうに後ろを向きながら、浅吉がまたよろよろとよろけて踏みとどまると、
「お前がいると陰気くさくっていけないって、体(てい)よく追っ払われたんじゃないか、外聞が悪い」
といって後家さんが三たびこづくと、浅吉がまたよろけました。
「意気地なし」
 後家さんから四たび突き飛ばされて、二間ばかり泳いで踏みとどまった浅吉は、
「それは御無理ですよ」
 やはり恨めしそうに振返ったけれど、あえて反抗しようでもなければ、申しわけをしようでもありません。小突かれれば小突かれるように、むしろこうして虐待されたり、凌辱されたりすることを本望としているかの如く、極めて柔順なものです。
 そうして、突き飛ばされて、突き飛ばされて、二人の姿は小梨平から見えなくなりました。
 そのやや暫くあとで、机竜之助は、林の蔭から、こっそりと身を現わして、鐙小屋(あぶみごや)に近いところの岩間から湧き出でる清水を布に受けて、頭巾(ずきん)を冠(かぶ)ったなりで、うつむいては頻(しき)りに眼を冷し冷ししていると、小屋の中から手桶をさげて出て来た神主が、
「これは、これは――」
といって、竜之助の仕事を立って見ていましたが、
「それは利(き)きますよ、水でなけりゃいけません、湯では本当の修行になりませんな……白骨の温泉の雌滝(めだき)に打たれるより、この水で冷した方が、そりゃ利き目がありますよ」
「どうも、しみ透るほど冷たい水だ」
と竜之助が眼を冷しながら答えると、神主が、
「トテモのことに、室堂の清水まで行って御覧になってはいかがです、これどころじゃありません……それから一万尺の権現のお池へ行って、神代ながらの雪水をむすんでそれを眼にしめして、朝な朝なの御陽光を受けてごらんなさい、癒(なお)りますよ」
「御陽光というのは何だね」
「朝日権現のお光のことでございます、黒住宗忠様が天地生き通しということをおっしゃいましたのを御存じでしょう」
「知らない」
「三月の十九日に、宗忠様は、もう九死一生の重態の時に、人に助けられて、湯浴(ゆあみ)をして、衣裳を改めて、御陽光をお拝みになりましたから、家の人たちは、もうこの世のお暇乞(いとまご)いを申し上げるのだろうと思っていましたところが、御陽光が宗忠様の胸いっぱいになって、それより朝日に霜の消えるが如く、さしもの難病がことごとく御平癒になりました」
「ははあ」
「久米の南条の赤木忠春様は、二十二歳の時に両眼の明を失いましたけれど、宗忠様の御陽光を受けてそれが癒りましたよ」
「ははあ」
「御陽光に背(そむ)いてのびる人間はなし、御陽光を受けて癒らぬ病人というのはございません……まあ、一度、この乗鞍ヶ岳へお登りなさいませ、そうして、朝日権現の御前に立って、蕩々(とうとう)とのぼる朝日の御陽光を拝んで御覧あそばせ、それはそれは、美麗とも、荘厳(そうごん)とも……」
と言いかけて、美麗荘厳はこの人に向って、よけいなことだと気がつきました。

         三十一

 宿では、お雪ちゃんが炬燵(こたつ)に入って人形に衣裳しているところへ、竜之助がフラリと帰って来ました。
「あ、先生、お帰りなさいまし」
 衣裳人形を片手にして、お雪は帰って来た竜之助を見上げると、竜之助は刀を床の間へ置いて、静かにお雪ちゃんと向い合わせの炬燵に手を入れました。
 お雪はにっこりと笑って、
「お迎えに上ろうと思いましたが、たぶん鐙小屋(あぶみごや)だろうと思ってやめました」
「そうでしたか、わたしも、お雪ちゃんを誘って行こうと思ったが、歌に御熱心のようだから、一人で出かけましたよ」
「ええ、ずいぶん、あの先生偉い先生よ、お歌の方の学問では京都でも指折りの先生ですって……」
「それはいい先生が見つかって仕合せだ」
「全く仕合せよ、あなたには武術の護身の手というのを教えていただくし、あの池田先生には歌を教えていただくし……」
 お雪は心から、自分の今の身の上の幸福を感じているらしい。そうして、今ちょっと手を休めた衣裳人形の着物の襟(えり)を合わせはじめると、竜之助が、
「お雪ちゃん、どうだ、乗鞍ヶ岳へのぼってみようではないか」
「え、お山登りですか、結構ですね。ですけれども……」
 お雪は人形の手を袖へ通して、
「けれども今はいけませんね、せめて春先にでもなってからでしょう」
「ところがいま登ってみたいのだ」
「この雪の深いのに……」
「左様……あの鐙小屋の神主が案内をしてくれるといいました」
「あの神主様が案内をして下さる? それだって、先生、今は行けやしませんよ」
「どうして?」
「どうしてとおっしゃったって……ここには雪はありませんが、外へ出てごらんなさい、山はみんな真白ですよ、吹雪でもあったらどうします」
「それでも、あの神主は、昨晩室堂(むろどう)へ泊って易々(やすやす)と帰って来た」
「そりゃ、仙人と並みの人とはちがいますよ、山で修行している人と、たまにお客に来た人とはちがいますもの」
「だから、その山で修行した人が先達(せんだつ)をしてくれればいいわけではないか」
「そりゃそうかも知れませんが……わたしは女ですもの。それに先生……」
と言ってお雪は人形の衣裳の前を合わせ、
「あなたは、いったい、山登りをしてどうなさるの、いい景色をごらんになるわけではなし、朝の御来光を拝みなさるわけではなし……それこそ、骨折り損じゃありませんか。それよりは、おとなしく、炬燵(こたつ)に入って休んでおいでなさい、わたしが面白い本を読んでお聞かせしますから……」
 お雪は慰め顔に言いましたが、竜之助が何とも返事をしませんから、なんだか気の毒になって、
「ねえ、先生、わたしが今、何をしているか御存じ?」
「知りません」
「それでも当ててごらんなさい」
「歌を作っているのでしょう」
「いいえ」
「それではお裁縫(しごと)?」
「いいえ」
「わからない」
「あのね……お人形さんに着物を拵(こしら)えて上げているところなのよ、さっき、梅の間の戸棚をあけて見ますと、この衣裳人形がありましたから、有合わせの切れを集めて、こんなに拵えました」
 竜之助は、それを聞いて驚いてしまいました。この娘は自分の周囲に、今、どんな人間がいて、その立場がどうであるかということはいっこう念頭になく、深山の奥で、近づく限りの人を友とし、知り得る限りのことを学び、愛すべきものを愛し、弄(もてあそ)ぶべきものを弄ぼうとして、恐るることを知らない。

 この間、池田良斎は、お雪ちゃんの持って来た万葉集を見てこういいました。
「ああ、これは寛永二十年の活字本で珍しいものだ、今日の万葉集はすべてこれを底本(ていほん)にしているが、普通には千蔭(ちかげ)の略解本(りゃくげぼん)が用いられている、よほど好書家でないとこれを持っていない」
 そうして、北原賢次とお雪ちゃんのために、日本の活字の来歴を一通り話したことでありました。同時に、活字本と、普通の木版本の相違をも、よく説明して聞かせたことでありました。
 活字は、すべて一字一字ずつとりはずしのできるもの。普通の木版は、一面に文章そのままを平彫(ひらぼり)にしてしまうもの。良斎の説によると、日本の活字の最初は、平安朝以前にあったが、最も盛んなのは徳川家康の前後ということ。また近代西洋式の流し込みの活字を創造したのは長崎の人、本木昌造ということになっているが、実は播磨(はりま)の人、大鳥圭介(けいすけ)がそれより以前に実行している……というようなことまで知っているところを見ると、この人は国学のみならず、現代の知識にもなかなか明るい人と見える。
 その翌日から万葉集の講義が始まりましたが、その講義は良斎らの座敷を選ばず、名物の炬燵(こたつ)を仲介することもなく、この炉辺をそのまま充(あ)てることになりました。
 一冊の万葉集を真中に置いて、炉の一方には良斎先生が陣取り、それと相対して北原賢次とお雪ちゃん――陪聴(ばいちょう)の役として留守番の喜平次も顔を出せば、お雪ちゃんの連れの久助さんも並んでいる。
 池田良斎は、燃えさしの粗朶(そだ)の細いところを程よく切って、それをやや遠くの方から万葉集の字面に走らせ、
こもよ
みこもち
ふぐしもよ
みふぐしもち
この岡に
菜(な)摘(つ)ます児(こ)
家きかな
名のらさね
そらみつ
やまとの国は
おしなべて
吾こそをれ
しきなべて
吾こそませ
われこそはのらめ
家をも名をも
 一通り訓(よみ)をして、それからいちいち字義の解釈を下して、全体の説明にうつりました。
「この歌は、雄略天皇様が、あるところの岡のあたりで、若菜を摘んでいる愛らしい乙女を呼びかけておよみになった歌で、これ、そこに籠(かご)を持ちくしを持って菜を摘んでいる愛らしい乙女よ、お前の家はどこじゃ、聞きたいものじゃ、名乗れ、自分はこの国を支配する天皇であるぞよ……というお言葉、いかにも上代の平和にして素朴な光景、一国の元首が、名もなき乙女に呼びかけ給う壮大にして、優美な情調が一首の上に躍動している。すべて万葉の歌は……」
と講義半ばのところへ、大戸を押し開いて、あわただしく駆け込んだものがありましたから、講義が一時中止になりました。
「惜しいことをした、ホンのもう一息のところで……」
と言って、講義半ばの空気を壊したことをも頓着せず、炉辺へしがみつくようにやって来て、
「熊を一つ取逃がしてしまった、突くにはうまく突いたが、槍がよれたから外(そ)れちまった、危ねえところ――」
 猟師は手首の負傷を撫でて、すんでのことに熊の口から助かって、命からがら逃げて来た記念を見せる。鉄砲を持たないこの辺の猟師は、熊を見つけると充分に引寄せて、のしかかって来る奴を下から槍で胸か腹を突く、突っ込んだ瞬間に逃げる――そのあとで熊は突かれた槍を敵と思い込んで、抜くという知恵がなく、かえって自分で抉(えぐ)って、自分で死ぬという。
 熊の襲来で、万葉集の講義が一段落となりました。
 そうしてこの猟師の報告によって、件(くだん)の熊の運命について、おのおのその見るところを語りはじめました。ある者は、熊というものは到底、刺された槍を抜き取るだけの知恵のあるものではない。浅かれ、深かれ、槍を立てた以上は、自分で抉って、自分で傷を深くするだけの器量しかないのだから、これは当然どこかに倒れているに相違ないと言う。
 ある者はまた、それも程度問題で、突き方が非常に浅ければ振りもぎってしまうし、木の根や岩角に当って、おのずから抜け去ることもあるのだから、無事に逃げ去ってしまったろうという。
 どっちにしても、もう少しその運命を見届けて来なかった猟師に落度がある――という結論になって、猟師が苦笑いする。
 池田良斎はそれを聞いて、
「とにかく、熊の下腹まで行って槍を突き上げるとは非常な冒険だ、へたに運命を見届けているより、獲物(えもの)は外(そ)れても、逃げて帰ったのが何よりだ」
と言いましたけれども、猟師は、なかなか諦(あきら)めきれないらしい。
 宿の留守居連中も集まって来て、諦められない猟師を、いっそう諦められないものにする――というのは、熊一頭を得れば一冬は楽に過せる、山に住む人の余得として、これより大きいのはない、それを取外(とりはず)した猟師のために、やれやれ気の毒なことをしたと悔みを言うものですから、猟師がいよいよ諦めきれなくなりました。
「ちぇッ、もしかすると、そこいらに斃(たお)れていやがるか知れねえ、もう一ぺん出直してみよう」
 この連中にとっては、自分たちの生命の危険よりは、熊一頭が惜しいように見える。猟師は、そこでふたたび錆槍(さびやり)をかつぎ出しました。こうなると力をつけた連中も気を揃えて、それに加勢をすることになると、最初には、たしなめた池田良斎すらが、この機会にその熊狩見物を面白いことにして、同行をすることになると、万葉集の講演が、そのままお雪ちゃんだけを残して、熊狩隊に変ってしまいました。
 そこで宿に秘蔵の、鉄砲一挺も持ち出されることになる。この鉄砲とても、いつぞや、塩尻峠のいのじヶ原で持ち出された業物(わざもの)と、弟(てい)たり難く、兄(けい)たり難い代物(しろもの)ですが、それを持ち出した留守居の源五の腕だけは、あの時の一軒屋の亭主よりも上らしい。
 こうして鉄砲が一挺に槍が二本、同勢六人で押し出した熊狩隊は、行く行く熊の話で持切りです。
 熊は必ず一頭では歩かない、親の行くところには必ず子が従うということ。熊の掌(てのひら)の肉がばかに美味(うま)いということ。熊の胆(い)の相場。熊は山を歩くにも、猪や、鹿のように、どこでもかまわぬという歩き方をしない、だから、ここを追えばここへ出るという待ち場所はちゃんときまっている――というようなことを話し合う。
 池田良斎はそれを聞いて、商売商売だと思う。よく朝鮮征伐の物語で、勇士が虎に接近した昔話を読むが、この辺の猟師もそれに負けないことをやる。そうしてかれらは、それを冒険だとも、手柄(てがら)だとも思っていない。かえってその冒険よりも、熊一頭の所得を偉大なものだと信じていることを不思議がる。
 暫く進んで、ようやく山深く分け入った時、
「ソラアいた、いた――ソレ、あすこで動いてるのを見ろやい」
 一人が叫び出すと、すべての眼の色が緊張する。
「一発ブッくらわしてみろ」
 そこに獲物(えもの)の影を認めて、早くも追出しの鉄砲を一発打つと、意外にも向う遥かに人の声、
「人間だよ、人間が一人いるから、気をつけておくんなさいよ」

         三十二

 そこで、熊狩りの一隊が呆(あき)れました。
 彼等が呆れているところへ、お椀帽子(わんぼうし)を冠(かぶ)って、被布(ひふ)を着た旅の男が一人、のこのこと歩いてくるのは、「人間ですよ」と自ら保証した通り、人間が一人、抜からぬ顔をして現われて来ました。
「一体、どうしたんです、旅のお客さん、今時分こんなところを、どこから来てどこに行くのです……危ないこった」
と熊狩りが狩り出したその人間を取巻いて、詰問の体(てい)。
「わしどもは、旅の俳諧師(はいかいし)でございましてね、このたび、信州の柏原(かしわばら)の一茶宗匠(いっさそうしょう)の発祥地を尋ねましてからに、これから飛騨(ひだ)の国へ出で、美濃(みの)から近江(おうみ)と、こういう順で参らばやと存じて、この山越えを致しましたものでございますが……ふと絵図面を見まして、これよりわずかのところに白骨温泉のあることを承知致しましてからに、道をまげて、これよりひとつ、その白骨の温泉に温(ぬく)もって参らばやとやって参りました」
「それは、それは」
 熊狩りの一行は、この俳諧師の出現に機先を折られた様子。
 ともかく、この俳諧師一人をノコノコと平気で歩かせてよこした方の道には、とうてい熊はいないと鑑定しなければならぬ。
 そこで熊狩りの一隊は、陣形と策戦の方針を一変しなければならぬ。
 獲物中心の連中が、ガヤガヤとその陣形と策戦の方針を語り罵(ののし)りながら、方向転換をやっている時、見学の池田良斎は、やや離れて後からくっついて、新たに出現した俳諧師を生捕ってしまいました。
「あなた、俳諧をおやりなさるのですか」
「へ、へ、へ、少しばかり……」
 年の頃は、まだ三十幾つだろうが、その俳諧師らしい風采(ふうさい)が、年よりは老(ふ)けて見せた上に、言語挙動のすべてを一種の飄逸(ひょういつ)なものにして見せる。
「信州の柏原の一茶の旧蹟を尋ねて、只今その帰り道なのでございます」
「ははあ、なるほど、一茶はなかなか偉物(えらぶつ)ですね」
「え」
といって俳諧師は眼を円くし、
「失礼ながら、あなたにも一茶の偉さがおわかりですか」
「それは、わたしにも、いいものはいい、悪いものは悪いとうつりますよ」
 池田良斎が答えると、俳諧師は驟雨(にわかあめ)にでも逢ったように身顫(みぶる)いをして、
「では一茶の句集でもごらんになったことがございますか」
「あります、あります、『おらが春』を読みましたよ」
「おらが春――たのもしい、あなたが、そういう方とは存じませんでした」
 俳諧師は着物の襟をさしなおして恐悦がりました。仲間(ちゅうげん)みたような風采をしていた良斎の口から、一茶を褒(ほ)められて、自分の親類を褒められたような気になったのでしょう。有頂天(うちょうてん)になった俳諧師は、
「おらが春を本当に読んで下されば、一茶の生活と、人間と、発句(ほっく)の精神とはまずわかります、わかるにはわかりますがね、人によってそのわかり方の違うのはぜひもありません。あなたは、一茶という人間を、どういうふうにごらんになっていますか、それを承りたい」
「そうですね」
 池田良斎がこの質問に逢って、少しく首を捻(ひね)りますと、俳諧師はそれにかぶせて、
「どうですな、一茶の偉いというのは、太閤秀吉の偉いのとは違いましょう、日蓮上人の偉さとも違いましょう、また近代のこの信濃の国の佐久間象山の偉さとも違いましょう、一茶の偉さは、英雄豪傑としての偉さではありませんよ、人間としての偉さですよ、信濃の国の名物中の名物は俳諧寺一茶ですよ……いや、信濃の国だけではありません、この点において一茶と並び立つ人は天下にありません、一茶以前に一茶無く、一茶以後に一茶なしです……」
 俳諧師の言葉に熱を帯びてきました。
 一方の熊狩りはどこへ行ったか姿が見えません。かれらは一頭の熊のために、一頭の熊が与うる生活の資料のために、血眼(ちまなこ)になっているから、山を眼中に置かない。
 こちらは歌人――とは断定できないが――と俳諧師とは、古人を論じて来時の道を忘るるの有様です。
 しかし、どうやら間違いなく二人は白骨の宿へたどりつくと、池田良斎が東道(とうどう)ぶりで、炉辺に焚火の御馳走を始めました。
 ところで、この俳諧師の、俳諧寺一茶に対する執着は容易に去らない。
「古人は咳唾(がいだ)珠(たま)を成すということをいいましたが、一茶のは咳唾どころじゃありません、呼吸がみな発句(ほっく)になっているのです、怒れば怒ったものが発句であり、泣けば泣いたのが発句となり……横のものを縦にすれば、それが発句となり、縦のものを横に寝かせば、それがまた発句です。その軽妙なること俳句数百年間、僅かに似たる者だに見ずと、時代を飛び越した後人がいいましたけれども、それでも言い足りません。一茶の句は滑稽味が多いとおっしゃるのですか。それはやはりあなたも素人観(しろうとかん)の御多分に漏れません。よく一茶を惟然(いねん)や大江丸(おおえまる)に比較して、滑稽詩人の中へ素人(しろうと)が入れたがります。『おらが春』の序文を書いた四山人というのが、それでも、さすがに眼があって、これを一休、白隠と並べて見ました。それでも足りないのです。また一茶の特色を、滑稽と、軽妙と、慈愛との、三つに分けた人もあります、慈愛を加えたのが一見識でございましょう。一茶の句をすべて通覧してごらんになると、森羅万象がことごとく詠(よ)まれぬというはありません、その同情が、蚤(のみ)、虱(しらみ)、蠅(はえ)、ぼうふらの類(たぐい)にまで及んでいることを見ないわけにはゆきますまい。それとまた一方に、一茶を皮肉屋の親玉のように見ている人もあります。つむじ曲りの、癇癪持(かんしゃくも)ちの、ひねくれ者のように見ている人もあります。勧農の詞(ことば)なんぞを読んで、聖人の域だと感心している人もあります。しかし、それはみんな方面観で、当っているといえば、凡(すべ)て当っているし、間違っているといえば、凡てが間違っているのです。本来、一茶のような人間に定義をつけるのが間違いなのです……ごらんなさい、これは天明から文政の間、まあ一茶の盛りの時代に出た全国俳諧師の番附ですが」
といって俳諧師は、行李(こうり)の中から番附を取り出して良斎に見せ、
「本来、風流に番附があるべきはずのものではありませんが……俗世間には、こういうものを拵(こしら)えたがる癖がありましてね。この番附には一茶が入っておりません、たまに入っているかと思えば、二段目ぐらいのところへ申しわけに顔を見せているだけです。しかし、これは仕方がありません、点取り宗匠連が金を使って、なるべく自分の名を大きくしておかないと商売になりませんからね、一つは商売上の自衛から出ているのですが、面白いのは、一茶の子孫連中が、その祖先の有難味にいっこう無頓着で、一茶が最後の息を引取った土蔵――それは今でも当時のままに残っておりますが、左様、土蔵といったところで、一間半に二間ぐらいのあら壁作(かべづく)りのおんどるみたようなもので、本宅が火事に逢ったものだから、一茶はこの土蔵の中に隠居をして、その一生涯を終りました、その土蔵の中へ、ジャガタラ芋(いも)を転がして置きました、たまに、わたしどもみたような人間が訪れて礼拝するものですから、その子孫連中があきれて、何のためにこんな土蔵を有難がるのか、わからない顔をしている有様が嬉しうございました……西洋の国では、大詩人が生れると、その遺蹟は国宝として大切に保護しているそうですが、日本では、一茶のあの土蔵も、やがて打壊されて、桑でも植えつけられるが落ちでしょう。一茶というものは、時代とところを離れて、いつまでも生きているものだから、遺蹟なんぞは、どうでもいいようなものですけれど……一茶の子孫の家ですか、それは柏原の北国街道に沿うて少し下ったところの軒並の百姓家ですが、今も申し上げた通り、自分の先祖の有難味を知らないところが無性(むしょう)に嬉しいものでした。家を見て廻ると、あなた、驚くじゃありませんか、流し元の窓や、唐紙(からかみ)の破れを繕(つくろ)った反古(ほぐ)をよくよく見ると、それがみんな一茶自筆の書捨てなんですよ。知らずにいる子孫は、いい反古紙のつもりで、それを穴ふさぎに利用したものです。あんまり驚いたもんですから、わたしどもはそれを丁寧にひっぺがしてもらって、こうして持って帰りました。それからこの渋団扇(しぶうちわ)、これもあぶなく風呂の焚付(たきつけ)にされるところでした。ごらんなさい、これに『木枯(こがら)しや隣といふも越後山』――これもまぎろう方(かた)なき一茶の自筆。それからここに付木(つけぎ)っ葉(ぱ)があります、これへ消炭(けしずみ)で書いたのが無類の記念です。一茶はああした生活をしながら、興が来ると、炉辺の燃えさしやなにかを取って、座右にありあわせたものに書きつけたのですが、こんなものをその子孫が私どもに、屑(くず)っ葉(ぱ)をくれるようにくれてしまいました。あんまり有難さに一両の金を出しますと、どうしても取らないのです、そういう不当利得を受くべきはずのものじゃないと思ってるんですな。これは、先祖の物を粗末にするというわけじゃない、その有難味のわからない純な心持が嬉しいのですね。それでも一茶自身の書いた発句帳、これはその頃の有名な俳人の句を各州に分けて認(したた)めたもの、下へは罫紙(けいし)を入れて、たんねんにしてあった、これと位牌(いはい)、真中に『釈一茶不退位』とあって、左右に年号のあるもの、これだけは大切に保存していました」
 俳諧師は、話しながら、渋団扇だの、付木っ葉だのを取り出して良斎に見せました。

 その時分、お雪ちゃんは、ただ一人で広い湯槽(ゆぶね)の中につかっておりました。
 今、髪を洗ったばかりと見えて、それをいいかげんに背から湯槽の縁(ふち)へ載せ、首だけだして身体(からだ)をすっかりと湯につけています。
 ここの湯槽は、一間に一間半ぐらいなのが八つあって、その八つの湯槽には、それぞれ名前がついているのだが、そのなかで疝気(せんき)の湯がいちばん熱く、綿の湯というのが名前の如く、やわらかくてぬるいことになっているが、それは盛りの時分のことで、今はどれも同じようなもので、お雪はやわらかな綿の湯につかりながら、白骨(しらほね)の名の起る白い湯槽(ゆぶね)の中を見ていました。この湯槽は石灰分がくッついているせいか、どれも白くおぞんでいて、湯の水も白いように見えるが、流れ出す湯口を見ると無色透明で入浴の度毎に飲むと利(き)き目があるということだから、お雪も今、それを少しばかり飲んでみました。
 いつもならば、こうしていると誰か入りに来るのですが、今日は全宿の大部分は熊狩りに出動してしまっているし、三階の牡丹(ぼたん)の間へ間替えをした浮気ッぽい後家さん主従は、別段物争いの音も立てず、炉辺で話をしているのは国学者と俳諧師ですから、どう間違っても掴(つか)み合いになる心配はなし、昼日中(ひるひなか)が太古のような静かさで、お雪は自分一人がこの温泉にいるような、いい気持になってしまいました。
 そのうちに、お雪ちゃんが思い出しておかしくてたまらないのは、この間お雪が、竜之助から護身の手を教わったという話を聞いて、宿の留守番の嘉七という若い剽軽者(ひょうきんもの)が、
「わしらはハア、剣術もなにも知らねえが、敵が前から斬りかけて来た時は、ハア、額で受けらあ、後ろから斬りかけて来た時は背中で受けまさあ」
とすました顔でいったことです。
 お雪は、その時の嘉七の言葉と顔付がおかしいといって、ころげるほど笑いましたが、今もそれを思い出すと、ひとりおかしくなって、おかしくなって、ことに嘉七の額が少しおでこだものですから、額で受けらあという言葉が一層利(き)いたので、今も湯槽(ゆぶね)の中でその思出し笑いが止まらないのです。

         三十三

 さてまた弁信法師は一面の琵琶を負うて、またもうらぶれの旅に出でました。
 ここは峡中(こうちゅう)の平原、遠く白根の山の雪を冠(かぶ)って雪に揺曳(ようえい)するところ。亭々たる松の木の下に立って杖をとどめて、悵然(ちょうぜん)として行く末とこし方をながめて立ち、
「茂ちゃん、お前のいるところはわたしには、ちゃんとわかっているようで、それで、どうしても逢えないの。今も、わたしのこの耳に、お前が、わたしに逢いたがっているその声が、ようく聞えるんですけれども、わたしにはお前のいるところがわからない」
 弁信は松の梢(こずえ)の上を仰いでこういいました。これはこの法師にとっては珍しいことではありません。いつでも、人なきところに人を置き、声なきに声を聞いては、それを有るものの如く応対するのが、このお饒舌(しゃべ)り坊主の一つの癖であります。
「ですから、昨日(きのう)もああしてお前に逢えないで過ぎました、今日も逢うことができないで暮れようと致します、明日はどうでしょう……どうかして、わたしはお前をたずねだして逢いたいと思うけれども、今日ここで逢えないように、明日彼(か)のところで逢えないかも知れません、或いは今生(こんじょう)この世で逢えないのかも知れません……といってわたしは、それを悲しみは致しませんよ、今生に逢えなければ後生(ごしょう)で逢いましょう、ね、茂ちゃん」
 弁信はこういって暫く声を呑みましたが、また、ねんごろに言葉をつづけました。
「茂ちゃん、お前は後生というのを知っていますか……人間に生(しょう)を受けたこの世は長くても百年。五十年を定命(じょうみょう)と致すそうでございます。けれども生命の流れは曠劫(こうごう)より来(きた)って源(みなもと)を知ること能(あた)わず、未来際(みらいざい)に流れてその尽頭(じんとう)を知ることができないのですよ。五十年百年の命は、この長き生命の流れに比べますと、電光朝露(でんこうちょうろ)よりも、なお速(すみや)かなものだと思いませんか……後生がないという人は、一日の間に昼夜がないというのと同じことです、死は暫くの眠りでございます……」
 ここに至ると弁信は、茂太郎に向って語るのだか、それとも、他の見えざる我慾凡俗の衆生(しゅじょう)に向って語るのだか、わからない心持になったと見えて、
「皆様、人間の死は一つの眠りでございます、眠りの間にも生命は働いているのでございます……ただ一日の夜は、正確な時間の後に万人平等に来りますけれども、人間の死にはきまりというものがございません、死の来る時だけは、人間の力で知ることができず、制することもできません。皆様、それを恨むのは間違いです、人は病気で死んだ、災難で死んだといいますけれども、この世で病気に殺されたり、災難に殺されたりした者は一人もあるものではございません……いいえ、いいえ、お聞きなさい、そうです、そうです、人間は決して病気や災難で死んだものではありません、この世につかわされた運命が、そこで尽きたからそれで死ぬのです……今生(こんじょう)の善根が、他生(たしょう)の福徳となって現われぬということはなく、前世の禍根が、今生の業縁(ごうえん)となってむくわれぬというためしはございませぬ……十善の戒行(かいぎょう)を修(しゅ)した報いが、今生において天子の位に登ると平家物語から教えられました、『十善天子の御果報申すもなかなかおろかなり』と平家御入水(ごじゅすい)の巻にございます。帝王の御身ですら、御定業(ごじょうごう)をのがれさせ給わず、ましていわんや……この小智薄根のわたくし……いかなる前生の罪か、この通り不具の身として、人間界に置かれましたわたくし……」
と言って、弁信法師は嗚咽(おえつ)して泣きました。涙がハラハラと雨のように落ちます。たまらなくなったと見えて、杖の上に置いた手の甲に顔をうずめて泣きましたが、
「ねえ茂ちゃん、お前がよく歌った、あの九つや、ここで逢わなきゃどこで逢う、極楽浄土の真中で……という歌が、わたしの耳に残って、今ぞ胸の蓮華(れんげ)の開くように沁(し)み渡ります」




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