大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 今日も、小女を連れたお絹は、湯島の方から上野広小路へ出て、根岸の宅へ帰ろうとしました。広小路の賑やかなところを通って行くうちに、五条天神へはいる角のところで、一人の坊さんが立って頻(しき)りに説教をしている様子を見かけました。聞くともなしに聞くと、
「成田山御本尊のお姿、滅多にはおがめない不動尊御本体のおうつしを、このたび御本山のおゆるしを得て皆様に売り出して上げる、一巻が百と二十文、十巻以上お買求めの方には、一割引として差上げる、滅多にはおがめない成田山御本尊の御影像、一枚が百と二十文、十枚以上お買求めの方には一割引……」
 お絹がそれを聞いて、これはお説教ではないと思いました。
 これはお説教ではない、成田山御本尊の絵姿を売っているのだと思いましたが、その坊さんたちの仰々しい錦襴(きんらん)の装いや、不動明王御本尊と記した旗幟(はたのぼり)が、いかにも景気がよいものですから、お絹も足をとどめて、人の肩からちょっとのぞいて見ますと、中央に僧頭巾をかぶった坊さんが、物々しくいいつづけました、
「勿体(もったい)なくも、成田山御本尊不動明王のお姿、滅多には拝めない品を、このたび、衆生済度(しゅじょうさいど)のために、あまねく世間に売り出して差上げる、一枚が百と二十文、十枚以上お買求めの方には一割引――なお、この際お申込みの方には特に景品と致しまして――」
 前に、やはり錦襴の帳台を置いて、その上におびただしい絵像の巻物を積み重ねながら、要するに衆生済度のために、不動尊の絵姿を、一般に公開して売下げるという宣伝であります。
 大江戸は広いものですから、これを聞いて有難涙に暮れながら、お姿をいただいて帰るものもあり、なかにはばかばかしがって、山師坊主の堕落ぶりの徹底さかげんを、あざ笑って過ぐるものもあります。お絹も、その光景を見て、なんだか異様に感じました。
 信仰心などは微塵(みじん)もありそうもないこの女。それでも、不動尊の公開売出しには、少しばかり驚かされたものと見える。
 その場は、それだけで、まもなく根岸の里へ帰って来ました。
 神尾主膳はその時、一室に屈託して、今日もしきりに金のことを考えています。ぜひなく両国の女軽業(おんなかるわざ)の親方お角のところへ無心してやろうかとも思いました。あの女ならば話がわかる。頼みようによっては一肌も二肌も脱ぐ女だが……どうも現在では考え物だ。あの女を呼び寄せれば、こちらの女が黙ってはいない。お角とお絹とは前生(ぜんしょう)が犬と猿であったかも知れない。一から十まで合わないで、逢えば噛み合いたがっている。お角へ沙汰をすれば、あの女は一議に及ばずここへやって来る。お絹と面(かお)を合わせるようなことにでもなれば、この根岸の天地が晦冥(かいめい)の巷(ちまた)になる。それはずいぶん恐ろしい……どうかして、うまくお角を誘(おび)き寄せる工夫はないか。ともかく、手紙をひとつ書いてみようではないか。神尾主膳はその心持で手紙を書きかけたところへ、お絹が帰って来たものですから、その手紙をもみくちゃにしてしまいました。
「ただいま帰りました」
「お帰り」
と言ったが、神尾はやはり苦々(にがにが)しい心持です。
「ああ、今日はずいぶん歩きました」
「どこへ……」
「どこという当てはございませんけれど……」
 神尾はひとりで留守居をさせられている時は気が焦々(いらいら)し、帰って来た瞬間は、人の気も知らないでといういまいましい気分になりますけれど、やがてあまえるような口を利(き)き出されると、つい、とろりとして可愛がってやりたい気になります。そこで、結局、あれもこれも、有耶無耶(うやむや)です。
 やがて、二人睦(むつ)まじい世間話、
「今の坊さんたちの商売上手には、驚いてしまいました」
「どうして」
「今日、上野の広小路を通りかかりましたところ、坊さんのお説教とばかり思って見ましたら、不動様の御本尊の巻物を売り出しておりましたよ」
「なるほど」
「それもあなた、不動様の功徳(くどく)を述べる口の下から、一巻についていくら、十巻以上は割引……まるで糶売(せりうり)のような景気。でもなかなか売れるようでしたから、ずいぶんお金儲けにもなりましょう。ほんとうに今時の坊さんは商売上手です」
「ははあ」
 この時神尾主膳の耳へは、金儲けという言葉が強く響いて、その金儲けから逆に、お絹の言葉を二度三度思い返しているうちに、ハタと自分の膝をたたきました。
 神尾主膳がハタと膝をたたいたのは、お絹の世間話が暗示となって、こういうことを考えついたのです。
 坊主を利用してやろう――という、ただそれだけのボーッとした謀叛(むほん)の輪廓が浮き上って来ました。というのは、僧は俗より出で、俗よりも俗なり、ということをかねて知っていたからです。出家は人間の最上なるもの、王位を捨ててもそれを求むるものさえあるが、坊主の腐ったのときた日には、俗人の腐ったのより更に悪い、図々しくって、慾が深くって、理窟が達者で、弁口がうまくて、女が好きで……それを神尾主膳はよく心得ていたから、この際、堕落坊主をひとつ利用して、何か山を張ってみようと考えついたのです。
 そこで輪廓のうちへ、お絹の顔が、またボーッと浮んで来ました。
 女だわい――谷中(やなか)の延命院の坊主は、寺の内へ密会所を作って、身分ある婦人を多く引入れた。これは終(しま)いがまずかったが、もっと高尚な、巧妙な方法で大奥を動かして、権勢を握った坊主がいくらもある。
 坊主は、比較的に身分ある婦女子にちかより易(やす)い地位にもいるし、お寺参りをするのは、芝居茶屋へ通うよりは人目がよい。
 感応寺の「おみを」は十一代将軍の寵愛(ちょうあい)を蒙(こうむ)って多くの子を生んだ。そのおかげで感応寺は七堂伽藍(しちどうがらん)を建て、大勢の奥女中を犯していた。花園殿もその坊主にだまされて、身代りに女中が自害したこともある。
 神尾主膳は、そういうことの幾つもの例を手に取るように知っていたから、お絹の今の世間話が、その記憶を残らず蘇(よみがえ)らせて来たもので、それがこの際の謀叛気をそそのかしたものです。
 腹があって、融通がきいて、商売気のある坊主を見つけたいものだ。
 それは、さして難事ではあるまい。清僧を求めるにこそ骨も折れようが、左様な坊主は今時ザラにある――と神尾は、ひとりうなずいてみました。
 どういうつもりか、編笠をかぶって、忍びの体(てい)で、久しぶりで屋敷の中から市中へ向けて神尾が出かけたのは、その翌日のことです。
 昨日(きのう)話に聞いた上野広小路。そこへ立って人の肩から、そっとのぞくと、お絹の話した通り、旗幟(はたのぼり)を立てた坊さんが、物々しく、御本体不動尊の絵像を売っている。その口上も昨日聞いた通り……ただ、昨日の通りでないのが、一通り不動尊の絵像を売り出してから後、改めて、右の頭巾(ずきん)かぶりの坊さんが、その不動尊の絵像を買求めた者に、景品の意味で授ける安産のお守りの効能を、細かく説明していることです。
 右の坊さんは、怪しげな妊娠の原理から説き起して、この安産のお守りの功徳の莫大なることと、これによって、子無き婦人が、玉のような子供を挙げた実例を、雄弁で説いた上に、なお、希望の方は根岸の千隆寺というのへおいでになれば、われわれの師僧が秘法によって、子を求めんとする婦人のために、容易(たやす)く子を得る方法と、安産の加持(かじ)をして下さるということをいいました。
 ははあ根岸の千隆寺。これが近ごろ評判のそれか。自分の侘住居(わびずまい)と程遠いところではないはず。そこに近頃、安産のお守り、子無き婦人に子を授ける御祈祷が行われて、ずいぶん流行(はや)っているということが、侘住居の神尾主膳の耳へまでよく聞えていた。いろいろの副業を持っているお寺だな。その住職なるものは何者か知らないが、なかなかの遣手(やりて)と見える、ひとつあたってみようかな、というこころざしを起しました。
 しかし、今のところへその住職を招くのも嫌だし、自分が行って会見を求めるのも嫌だ、何か機会はないものかと考えているうちに、そうだそうだ、お絹をやることだ、あの女を子を求める子無き婦人に仕立てて……これは打ってつけの役者だわい、と神尾が思いつきました。

         二十六

 それから二三日すると、どういう相談がまとまったものか、お絹が装いを凝(こ)らして、程遠からぬ同じ根岸の千隆寺へ通いはじめました。
 水野若狭守(みずのわかさのかみ)内、神林某の妻という名義で、幸い、この寺の檀家(だんか)のうちにしかるべき紹介者があったものですから、寺でも待遇が違いました。その当座は多くの婦人の中に交わって、お絹も殊勝に護摩(ごま)の席に連なる。
 住職の僧が存外若いのに驚かされました。年配は神尾主膳と同格でしょう。美僧というほどではないが、色は少々浅黒いが、どこかに愛嬌があって、また食えないところもありそうです。
 で、左右の侍僧がたしか十余人。
 席はいつでもいっぱい。しかもそれが六分通りは婦人。あとの四分も、やはり婦人ではあるが、もう婦人の役を終った老婆連と、そのおともらしい男だけ。
 この若い住職は、印の結びぶりも鮮かだし、お経を読むのもなかなかの美声です。
 ともかく、何の信仰心もなしにやって来たお絹でさえも、その席へ連なっていると、悪い心持はしません。
 それはある日のこと、
「神林の奥様、お急ぎでなくば、今日は書院でお茶を一つ差上げたいと、御前(ごぜん)の言いつけでございます」
「それは有難うございます」
 護摩の席が終ったあとで、帰ろうとするお絹を、こういって番僧がひきとめたものですから、お絹が喜びました。
 書院に待たせられていると、ほどなく例の千隆寺の若い住職が、まばゆいほど紅(くれない)の法衣をそのままで、極めてくつろいだ面色(かおいろ)をして現われ、
「お待たせ致しました」
「先日は失礼致しました」
「いや、拙僧こそ。あの時は多忙にとりまぎれて、余儀なく失礼を仕(つかまつ)りました、今日はごゆるりと、お話を承りたいと存じます」
「はい……」
 お絹はどこまでも殊勝な面色(かおいろ)と、武家の奥様という品格を崩さないつもりで、身の上話をはじめました。
 この身の上話は、ここに通いはじめた最初から用意をして来たのですが、今日まで直接に住職に打明ける機会を与えられなかったものです。
「おはずかしい次第でございますが、わたくしが不束(ふつつか)なばっかりに、主人の心を慰めることができません、連添って十年にもなりますが、子というものが出来ませんので、夫婦の中の愛情に変りはございませんが、家名のことを考えますると……」
「御尤(ごもっと)もなこと」
「家名大事と思いまする夫は、妾(しょう)を置くことに心をきめまして、このことをわたくしに相談致しましたが、聞くところでは、夫はもう以前から、そうした女を他に置いてあるのだそうでございます。わたくしと致しましては、それに不服を申そうようはございませぬ、快く夫の申出でに同意を致しまして、妾を内へ入れるようにと申しましたが、それは夫が気兼ねを致しまして……」
 お絹はそこで、自分の苦しい立場を、言葉巧みに住職に訴えました。嫉妬ではないが、女のつとめが果せないために、夫の愛を他の女に分けてやらなければならない恨み。どんな方法によってでも、一人の子供を挙げることさえできたなら、死んでも恨みはないという繰言(くりごと)。それを細々(こまごま)と物語りました。
 聞き終った住職は、
「いや、いちいち御尤もなこと、左様な恨みを抱く婦人が世に多いことでござる。御信心浅からずとお見受け申すにより、八葉の秘法を修(しゅ)してお上げ申しましょう、丑(うし)の日の夜、これへお越し下さるように……」
 案外無雑作(むぞうさ)に允許(いんきょ)を与えられたものですから、お絹がまた喜びました。この秘法は、授けるまでに人を吟味し、信心を試験することがかなり厳しいと聞いていたのに――
 丑の日の深更を選んで、子無き女のために、子を授くるの秘法が行われる、滅多な者には許さないが、信心浅からずと見極めのついた者にのみ、その修法(しゅほう)が許される。
 という住職の申渡しが、お絹をして、してやったりと心の中で舌を吐いて、うわべに拝むばかりに有難がらせ、あまたたび、住職に拝礼して、いそいそとして千隆寺から帰って来ました。
 一切を神尾主膳に報告して三日目、丑の日という日の夕方、お絹が念入りにお化粧をはじめると、神尾がその傍でニタニタと笑い、
「これからが土壇場(どたんば)だ」
と言いました。
「戦場へ乗込むようなものですわ」
 お絹は度胸を据えながらも、ワクワクしている。
「一人でやるのは心配だ」
と神尾がいいますと、
「お連れがあっては許されませぬ」
とお絹がいう。
 どうもこの女の心持では、秘密の修法を受けに行くおそれよりは、好奇心に駆(か)られている方が多いらしい。だから、取りようによっては、「いいえ、御心配には及びませぬ、わたしは願っても、そういうところへ一人で行ってみたいのですよ」といっているようです。
 今にはじまったことではないが、それが神尾には不満です。神尾でなくったって誰だって、こういう危険を好む女に安心をしてはいられない。今は計るところがあるのだからいいようなものの、もしこれが本当の女房であったらどうだろう。深夜の秘密の修法には、秘密の道場があるに相違ない。その秘密室に隠されたる秘密の罪悪。子をほしがるほどの女に、娘というのはないはずだから、みんな人の妻妾――その秘密が洩れないのは、受ける者が秘密を守るからだろう。
 神尾主膳はこの時、千隆寺の坊主が憎いと思いました。まして美僧でもあろうものなら、殺してやりたいとさえ思いました。
 千隆寺の坊主ども覚えていろ! 思わず血走って一方を睨(にら)んだ目は、酒乱のきざした時の眼と同じことです。
 それと知るや知らずや、お絹は悠々閑々(ゆうゆうかんかん)とお化粧をこらしながら、
「色は浅黒いが、ちょっと乙な坊さんですから、ことによると女の方が迷うかも知れません。しかし御安心なさいまし、こちらは役者がちがいますからね」
とお愛嬌のつもりでいったのが、はげしく神尾の神経に触れたようです。
 飲まない時は酒乱が起らない。酒乱のない限り、神尾は扱い易(やす)い男になっているが、この時はそうでない。飲まないで、そうして、酒乱の時と同じような眼のかがやきを現わして、ブルブルとふるえ、
「お絹!」
「え……」
「お前、今晩、千隆寺へ行くのを止(よ)せ」
「え、何ですか、千隆寺へ行くのは止せとおっしゃるのですか。止せとおっしゃるなら止しもしましょうが、わたしが好んで行きたがるわけじゃないはずです、どなたか、おたのみになったから、柄になくわたしがお芝居を打とうというんじゃありませんか」
 お絹も少しばかり気色ばみました。そのくせ、お化粧の手は少しも休めない。
「いや、止してもらいたい、止めにしてもらいたい」
 神尾はいよいよあせり気味で口早にいいますと、お絹は落着いたもので、
「駄々っ児のようなことをおっしゃったって仕方がありません、止すなら止すように初めから……」
 この時、神尾主膳は物につかれたように立ち上って、
「止せ!」
 お絹の向っていた鏡台に手をかけると、無惨(むざん)にそれをひっくり返してしまったから、
「あらあら」
 これにはお絹も怫(むっ)としました。
 けれどもこの時のは、酒に性根(しょうね)を奪われておりませんでしたから、いわば一時の癇癪(かんしゃく)です。神尾主膳はむらむらとした気分を鏡台に投げつけて、それをひっくり返しただけで、すっと自分の居間へ引上げてしまいました。
「なんて、乱暴でしょう」
 お絹も、さすがに、むらむらとしましたが、酒が手伝っていない以上は、結局、これだけで納まるものだと見くびりながら、倒れた鏡台を起し、
「いやになっちまう」
と言いながら、鏡台を引起して、ふたたび鏡台に向ったが、「じゃ、止(よ)そう、お寺へなんか行くのは止しちまおう、こちらから頼んだわけじゃあるまいし」とは言いません。鏡に向って以前よりは念入りにお化粧をやり直したのは、かえって、「行きますとも……行きますとも。ここまで乗りかけた舟に乗らないでいられるものですか。落ッこちる心配なんかありませんから御安心下さいよ」といっているようです。そうでしょう、落ちる心配はあるまい。落ちたところで、この女は溺(おぼ)れる気づかいのない女です。
 そうして丹念にお化粧を済ましたお絹は、根岸の里の夕闇を、さんざめかして程遠からぬ千隆寺へ乗込んだのは間もない時。
 神尾主膳が酒を飲み出したのはそのあとのことで、お絹とひきちがいに、下男が近所の酒屋へ飛びました。
 お絹は日頃、主膳の酒癖を知っているから、この点は厳しくして酒を禁じていたものです。主膳もまた、その悪癖を自覚しているから、お絹の禁制をかえって力にもしていたようですが、今は、矢も楯もたまらず酒が飲みたくなって、下男を追立てたものです。
 で、居間に入って、ひとりでチビリチビリとやり出した時に、ようやく鬱憤(うっぷん)が、酒杯の中へ燦爛(さんらん)と散り、あらゆる貪著(どんじゃく)がこの酒杯にかぶりつきました。
 やがて癇癪が納まって陶然(とうぜん)――陶然からようやく爛酔(らんすい)の境に入って、そこを一歩踏み出した時がそろそろあぶない。
「誰だ、そこへ来たのは」
 酔眼にようやく不穏の色を浮ばせ、主膳が一喝したのは、まさしく酒乱のきざしと見えました。幸いにそれを真向(まっこう)から受ける相手がいない。
「誰だ、案内もなくそこへ通ったのは?」
 誰もいないはずの人をとがめていると、いないはずのところで、
「はい、これは神尾主膳様」
と返事がありました。
「誰だ、聞覚えのない声じゃ、襖(ふすま)をあけて面(かお)を見せろ」
「神尾の殿様」
「拙者の名を聞くのではない、そちの名をたずねているのじゃ、何者だ」
「御酒宴中のところを、お邪魔にあがりまして相済みませんが……」
「かごとをいわずと、名を名乗れ、案内もなしに、尋ねて来たのは誰じゃ」
といって神尾主膳が、荒々しく向き直りました。
「へえ、どうも相済みませぬ」
 顔を見せないで、声ばかりしている男が、たしかにこの襖の外に来ている。それを聞いて神尾はじれ出しました。
「ただ、済まないでは済むまい、夜陰、人のおらぬはずのところへ忍び込んで来た奴、盗賊に相違あるまい……盗賊でなければ名を名乗れ」
「へえ、恐れ入ります、七兵衛でございます」
「ナニ、七兵衛?」
「左様でございます」
「七兵衛とはどこの何者だ」
「お忘れになりましたか?」
「知らん、左様な者は覚えはない、誰にことわって、何の用で入って来たのだ、不届きな奴」
 神尾主膳は、荒々しく立って長押(なげし)の槍を下ろして、それを突っかけて襖を押開きましたが、誰もおりません。

 ほどなく御行(おぎょう)の松の下に立ったのは裏宿の七兵衛。額の汗をふきながら、
「あぶねえ、あぶねえ」
と言いました。
 この時、生垣(いけがき)の蔭から、不意に槍を持って姿を現わしたのが神尾主膳です。執拗(しつこ)いこと。怪しい者を追いかけて、ここまで槍をつっかけて来たのです。
 神尾主膳には多少槍の心得があって、九尺柄の槍を座に近いところへ置き、いざといえばそれを取ることにしている。いざといわない時も運動の意味で、それをしごいてみることがある。
 今は、そのいざというほどの場合でもなく、運動のためでもないのに、まさしく酒乱の手ずさみにこの槍がえらばれているもので、こういう際には、平生の技倆以上に思う存分にその槍を使うことが例になっている。かつて染井の化物屋敷では、この槍のためにお銀様が、危うく一命を取られるところでした。
 今はこうして、追わなくてもよい敵を、本城を留守にしておいて追いかけて来たものですから、七兵衛も驚きました。
 また厄介なことにはこういう際には、いやに眼が利(き)き出してきて、暗いところへ逃げ込んだ敵の影も、平生の視力以上に認められるだけの感能が働いてくるようです。神尾主膳の酒乱は、特に凶暴を逞(たくま)しうするために、鋭敏な附加能力といったようなものが現われるのですから始末が悪い。
「あぶねえ」
 驚いた七兵衛は、身をかわして飛び退きましたが、神尾の槍先は、透かさずそれを追いかけて来る。ために七兵衛は、御行(おぎょう)の松を楯に三たびばかりめぐりましたが、無二無三に突きかけて来る神尾の槍先、とてもあなどり難く、ほとんど進退に窮するほどの立場まで突きつめられたので、
「ちぇっ」
といって身を躍らすと、松の幹へ足をかけて、早くも三間ばかり走りのぼってしまいました。突きはぐった神尾主膳、天井裏の鼠をねらうように、槍を空(くう)につき立ててみたけれど、もう駄目です。そこで、あせって、しきりに空をのぞんで突き立てたが、手ごたえがないので、いよいよじれ出しました。
 木の上でホッと息をついた裏宿の七兵衛、
「神尾の殿様……私はあなた様に追われようと思って上ったんじゃありません、あなた様のおためになって上げようと思って上りました、それを、いきなり槍玉にかけようとなさるのは驚きました」
「憎い奴」
「神尾の殿様、落ちついてお聞き下さいまし」
「憎い奴」
「私は、あなた様にお目にかかった上で、ご相談を願いまして、それからひとつ、あの千隆寺へ行ってみようかとこう思いまして、穏かに上ったつもりなのですが……」
「千隆寺?」
 その時、神尾主膳は忘れていた記憶が蘇(よみがえ)って来たものと見え、
「うむ、千隆寺」
と叫んで歯噛みをしました。
「その千隆寺へ、実は七兵衛が、お絹様のおともをして行ってみたかったんです、ところが、どうも、そうはいきそうもございませんものですから、あなた様と御相談をした上で、ひとつ搦手(からめて)から乗込んでみようと、こう思いついて上ったのに、いきなり槍玉の御馳走は驚きました」
 木の上で七兵衛は、なるべく低い声で、ものやわらかに言いますと、主膳の逆上がいくらか引下ったと見えて、
「うむ、では、貴様は盗賊ではなかったのか」
「ええ、まあ、そういうわけでございます」
「では、下りて来い」
「いや、お待ち下さい、もう少し上ってみましょう、千隆寺の庭がここで眼の下に見えますから……」
 なるほど、この御行(おぎょう)の松の上へのぼると、呉竹(くれたけ)の根岸の里の寺々がよく見えます。
 円光寺も見える。正燈寺も見える。金杉の安楽寺までが、それぞれ相当に高い甍(いらか)を見せているが、めざす千隆寺の庭だけが、特に明るい。
 七兵衛が、夜分、遠めの利(き)く眼とはいえ、こうして、上から眺めたんでは、どこにどういう秘密が行われているか、わかるべきはずはない。多分、あの境内(けいだい)に忍び入るには、どの口から向ったのが有利か、それを研究しているのでしょう。
 一方、神尾主膳は、槍を片手に、一時は酔眼をみはって、松の上をながめていたが、やがて、酒乱の峠を越したのか、疲れてしまったのか、しきりに眠くなったと見えて、くずおれるように、松の幹によりかかってみたが、ついに支えきれず、根元へ倒れようとして起き直り、きっと足を踏みしめて、何か呟(つぶや)きながら、歩き出しました。
 どこへ行くのだろう。多分、屋敷へ引返すのだろうと、松の上から七兵衛は、足もとあぶなく、槍を力に、ふらふらと歩いて行く主膳の姿を、こころもとなく見返っていましたが、それも、まもなく、呉竹(くれたけ)の蔭なる小路(こうじ)に隠れて、見えずなりました。
 あとで、ゆっくりと、高見の見物で、千隆寺の境内を隈なく見おろしていた七兵衛。いいかげんの時刻に、ひとり合点(がてん)をして、その松を下りようとすると、例の呉竹の小路の間から、足音が聞えました。
 また思い出して、神尾主膳が戻って来たな、見つかっては面倒だと、いったん下りて来た七兵衛が、そのまま、松の茂みの間に身をひそめています。
 歩いて来たのは二人連れ。神尾主膳が戻って来たのでないことは確かだが、因果なことに、その二人が、御行(おぎょう)の松の根元へ来て、どっかと腰をおろしてしまったことです。
「時に時刻はどうだ」
「まだ少し早かろう」
 そのまだ少し早かろうという時間を、ここでつぶそうとするものらしい。
 七兵衛が苦(にが)い面(かお)をしました。どのみち、長い時間ではあるまいが、少なくとも、この連中が立退かない限り、この松の上からは下りられない。下なる二人は、かなり落着いて、しかし人を憚(はばか)っての話し声でありましたが、頭の上の七兵衛には、それが手に取るように聞き取れる。
「いったい、その立川流というのは、いつの頃、どこで起り出したものだろう」
「それは、今より八百年ほど昔、武蔵の国、立川というところで起ったのだが、その流行の勢いが烈しきにより、まもなく禁制となったにもかかわらず、ひそかに、その法を行うものが絶えなかったとのこと」
「ははあ、武蔵の立川が発祥地で、それから立川流という名が出たのか」
「それを、今時分、千隆寺の山師坊主がかつぎ出して、大分うまいことをしていたのが、今宵はその納め時」
というのが、七兵衛の耳に入りました。そうでなくても、その以前から七兵衛が気取(けど)ったのは、この二人の者は隠密(おんみつ)だ。与力か、同心か、その下の役か、よくわからないが、とにかく、物をいましめるために忍んで来た役向の者に相違ないと、早くも感づいてはいましたが、さてこそ、めざすところは、自分と同じことに千隆寺。そうして、どうやら、この寺へ、以前から目星をつけておいて、今夜は踏込んで、手入れをする手筈がきまっているらしい。
 それはわかったが、わからないのは立川流ということ。
 武蔵の国、立川というところは、七兵衛が江戸への往還の道だからよく知ってはいるが、そこから立川流というものが出たことは知らない。
 千隆寺の坊さんが、立川流という剣術をつかうわけでもあるまい。八百年前に起って、流行の猛烈にして弊害の甚だしきにより、禁制になったという流儀を、ここの坊主が行っているという。

         二十七

 立川流――の流れは、もう少し源が遠く、流れが深いはず。
 しかし、たぶん今ごろは、千隆寺の境内(けいだい)の八葉堂の地下の秘密室では、子を求むる婦人のために、問題の祈祷がはじまったものと覚しい。
 とにもかくにも、ここで、禁制の立川流を秘密に行って、男女を集めているという風聞は、もう、その筋の検挙の手を下すまでに拡がっているというのは、本当らしい。
 お絹という女の好奇心をそそって、今宵その秘密の修法(しゅほう)の席に連(つら)なることを許したはずの、この千隆寺の若い住職というのが、なかなかの曲者(くせもの)だ。
 さあ、いよいよその秘密の伏魔殿が発(あば)かれた日になって見ると、どんな怪我人が、どこから現われて来るか、この若い住職の素性(すじょう)もわかってくれば、その秘法に心酔して、夜な夜なつどう婦人連の顔が明るいところへ出された時、世間をあっ! といわせるかも知れない。
 七兵衛は、そんな事を考えている時、下では、呉竹の間や、稲垣の蔭や、藤棚の下や、不動堂の裏あたりから、黒い人影が幾つも、のこのこと出て来ては、松の幹の下の、以前に話し込んでいた二人の前に集まると、二人の者がいちいちそれに囁(ささや)いて差図をするらしい。差図を受けると集まって来たのが心得て、また闇の中に没入する。その人数凡(およ)そ十余人を数えることができました。ははあ、いよいよあの人数が千隆寺へ手を入れるのだな――そうなると自分はどういう態度を取ったものか。まあ、もう少し高見の見物。いよいよ事がはじまってから、また取るべき手段方法もあろう、まず危うきに近寄らぬが勝ち。幸い、よき物見の松、と七兵衛は再びこの松に落ちつく心持。
 その時、さいぜんから控えていた二人の者が、やおら立ち上って、しめし合わせながら、闇に消えてしまいました。
 そこで七兵衛も思案して、松の樹を下りましたが、さてどこへどう飛び込んだか、闇の礫(つぶて)のようなもので影がわかりません。
 しかし、松の上で見定めておいた見当によって、千隆寺の境内へまぎれ込んだのは疑いもなく、八葉堂の燈籠(とうろう)の下で、ちらりと見せたのは、たしかに七兵衛の姿でした。
 いや、その前方(まえかた)、燈籠の蔭には、七兵衛でない他の者の姿も、ちらりと影を見せたことがあります。多分、例の隠密(おんみつ)でしょう。
 それから一時(いっとき)ほどして、千隆寺の境内八葉堂のあたりを中心として、沸くが如き喧騒が、根岸の里の平和を、すっかり破ってしまいました。
 火事か、火事ではない、強盗か、いいえ、盗賊でもないそうです。千隆寺へお手が入りました。
 ナニ、どうして? お寺で賭博(ばくち)があったのだそうです。そうですか、それはどうも。いいえ、そうではありません、人殺しの凶状持(きょうじょうも)ちが、あのお寺へ逃げ込んだのだそうです。それはこわい――やや遠方まで、人の胆(きも)を冷させたが、この際、自分の家の戸締りをかたくすればとて、出て見ようとする者はありません。
 八葉堂を中にした千隆寺の庭では、数多(あまた)の坊主どもが、法衣を剥(は)がれて、例の捕吏(とりて)の手に縛り上げられて、ころがされている。婦人たちが泣き叫んで逃げ迷うのを、これは、さほど手荒なことをしないが、一人も逃さず、本堂へ追い込んで見張りをつけて置く。
 なかには、闇にまぎれて裏手から、或いは垣根を越えて、やっと逃げ出したところを、待ち構えていた捕方につかまえられて、有無(うむ)をいわさず、境内へ投げ返された僧侶も、女もある。実際、蟻のはい出る隙間(すきま)もないほどに、手筈はととのっていたものらしい。
 さて、本尊の住職はどうした。その夜、はじめて入室を許されたお絹という女はどうした。これは、縛(いまし)めのうちに見えない。
 捕吏(とりて)たちは、血眼(ちまなこ)になって、住職をとたずね廻るけれども、ついにその姿を見出すことができないで、堂の壇上から裏の藪を越えて、稲荷(いなり)の祠(ほこら)の前まで、地下に抜け穴が出来ていたのを発見した時は、もう遅かったようです。
 これより先、七兵衛は早くも本堂の天井裏に身をひそませて、じっと下の様子を見おろしておりました。
 本堂の中では、お手前物の蝋燭(ろうそく)を盛んにともしつらねさせて、さながら白昼のような中に、引据えられた婦人たちを前に置いて、仮りに訊問の席を開いているのが、天井の七兵衛には、手に取るように見えます。
 しかし、恥と怖れとで、その婦人たちは、いずれも面(かお)を上げている者がありませんから、どのような身分の、どのような縹緻(きりょう)の婦人だか、それはわかりません。
 有合わせの床几(しょうぎ)に腰をかけて、その婦人たちを訊問している二人の侍。その声で覚えがあるが、これはさいぜん御行の松の下で話し合っていたそれに違いない。今は、白昼のような蝋燭の光で、ありありと二人の姿を見て取ることができます。
 その時、七兵衛が疑い出したのは、この役人は町奉行の手か、お寺のことだから寺社奉行の手か。それにしても二人の役人ぶりが少し訝(おか)しいと思いました。仮りにも一カ寺に手を入れるのに、もとより確たる証拠は握っているだろうが、夜陰こうして踏み込むのはあまりに荒っぽい。そう思って、二人の役人を見下ろすと、どうも役人らしくなくて、浪人臭い――ははあ、これは例の四国町あたりの出動かも知れないぞ、と七兵衛が胸を打ちました。
 なるほど、芝の三田の四国町の薩摩屋敷の浪人あたりのやりそうなことだ。てっきり、それに違いないわい。それなら、それで、こっちにも了簡(りょうけん)があると、七兵衛が天井裏でニッと笑いました。
 下では、そんなことは知らず、いちいち婦人たちに訊問をつづけているが、いずれも恥かしがって返事がはかばかしくない。
「その方たち、夫ある身でありながら、こうして夜陰、お籠(こも)りをすることを許されて来たか」
「夫も承知のことでございます、ただ子供がほしいばっかりに……」
と泣き伏してむせぶ者もあります。
「どうだ、祈祷の利(き)き目(め)はあるか」
「はい……」
「聞くところによれば、住職及び徒弟どもの身持ちがよくないとのことだ、何ぞ覚えがあるか」
「…………」
「これは何に用うる品だ」
 問題の役人が手に取って示したのは、畸形(きけい)な裸形(らぎょう)の男女を描いた、立川流の敷曼陀羅(しきまんだら)というのに似ている。
「お祈りの時の敷物でございます」
「ナニ、これを下へ敷いて、その上でお祈りをするのか」
「はい」
 怖る怖る返事をするたびに、七兵衛がその婦人たちの横顔をうかがうと、町家のお内儀(かみ)さんらしいのもあれば、武家出の女房もあるようだし、お妾(めかけ)さんらしいのもあるし、ことに意外なのは、妙齢の娘たちが幾人もいることです。これらの娘たち、何の意味で子供が欲しいのか、問題の役人にもわからないが、七兵衛にもわからない。
 ところで、当の本尊の住職の行方(ゆくえ)はどうなった、問題の役人にはそれが気がかり。来ていたはずのお絹がここには見えない、それが七兵衛の気がかり。そこへ駈けつけた捕吏があわただしく、
「秘密堂の壇の下に、抜け穴がありました」
「ははあ、その抜け穴が……」
 さてこそとこの連中が意気込んで、その抜け穴というのを検分に出かけたあとで、七兵衛はソロソロと天井裏を這(は)い出して破風(はふ)を抜け、いつか廊下の下へおり立って見ると、そこへあつらえたように置き据えられた朱塗の賽銭箱(さいせんばこ)。しかも背負い出せといわぬばかりに紐(ひも)までかけてある。
 それを一揺(ひとゆす)りしてみた七兵衛は、行きがけの駄賃としてはくっきょうのもの、抜からぬ面(かお)で背中に載せると、燈籠の闇にまぎれてしまう。
 ちょうど、それと前後して、御行(おぎょう)の松の下を走る二人の者。前に手を引いているのはお絹で、あとのは千隆寺の住職。二人とも跣足(はだし)。
 ほどなく、神尾主膳の屋敷の中へ再び姿を現わした七兵衛。
 その時分、主膳は前後も知らず眠っておりました。
 その一間へ悠々とお賽銭箱を卸(おろ)した七兵衛は、早くも用意の裸蝋燭(はだかろうそく)を燭台に立て、その下で一ぷく。やがて、賽銭箱の蓋(ふた)を取ってかき交ぜ、燭台を斜めにしてのぞいて見ると、これはありきたりのバラ銭とちがい、パッと眼を射る光は、たしかに一分判(いちぶばん)、南鐐(なんりょう)、丁銀(ちょうぎん)、豆板(まめいた)のたぐい。これは望外の儲(もう)け物。しかしありそうなことでもあると徐(おもむ)ろにその獲物(えもの)の勘定にとりかかろうとするところへ、裏手で篠竹(しのだけ)のさわぐ音。
 ははあ、帰って来たな、と思いました。
 さいぜん、七兵衛が天井裏で眺めていた婦人の中には、お絹の姿が見えなかったのが不思議だが、あの女のことだから、うまく擦(す)り抜けたのだろう。これはたしかにあの女が帰って来たのだな、と思ったから、急にいたずら心が起りました。
 一番おどかしてやろうかなという心持で、フッとその燭台の火を消してしまいました。
 果して、立戻って来て、裏の篠藪からソッと枝折戸(しおりど)をあけて、入り込んで来たのは、千隆寺の住職の手を引いて、跣足(はだし)で逃げて来たお絹。ホッと息をついて、
「お前様、これが、わたくしどもの控えでございます、もう御安心あそばせ」
「いや、おかげさまで助かりました」
 やがて二人は廊下を通りかかると、その一室で音がする。その音は異様な音で、まさしく銭勘定の音であります。金、銀、青銅の類を取交ぜて若干の金を積み、それをザラリザラリと数えては積み、数えては積んでいる物の音ですから、お絹が怪しみました。
 誰かこの座敷で金勘定をしているな――しかしこれは解(げ)せない。解せないのみならず、あるべからざることで、日頃、金がほしい、金がほしいと口に出しているのを、憎い狐狸(こり)どもが知って調戯(からか)いに来たのか。
 そう思うと、ゾッと気味が悪くなりました。
「お前様」
「はい」
「ちょっと様子を見て参りますから、これにお待ち下さいませ」
 お絹は住職をとどめておいて、こわごわとその室に近寄って見ますと、暗い中で、まさしくザラリザラリと銭勘定の音。
「誰?」
 お絹がとがめてみますと、
「私ですよ」
「え?」
「私でございます」
「何をしているのです」
「お銭(あし)の勘定をさせていただいているんでございますよ」
「お銭の勘定……人の家へ来て何だって、そんな無躾(ぶしつけ)なことをなさるんです、いったいお前は誰です」
「私だというのに、わかりませんか」
「わからないよ、声を立てて人を呼びますよ」
「いけません、いけません」
「では、早く出ておいで」
「お絹様、わたくしでございます、七兵衛ですよ」
「七兵衛さん……」
 お絹はあいた口がふさがりませんでした。
「いつ来たの、お前」
「三日ほど前に参りました」
「なんとか挨拶したらよかりそうなものじゃありませんか、だしぬけに人の家へ入って来て、銭勘定なんぞをはじめて」
「でも、これが商売だから仕方がありませんね。いま明りをつけますから、お待ち下さいまし」
と言って、七兵衛が先刻の裸蝋燭(はだかろうそく)へ火をつけた途端に、障子を開いたお絹が見ると、あたりはパッと金銭の小山。
「まあ――」
 お絹はまずその光に打たれてしまいました。

 その翌日になって、お絹から千隆寺の住職を、改めて神尾主膳に引合わせた時、おたがいに呆(あき)れ返って、
「やあ、君か」
という有様でありました。
 千隆寺の住職――その名を敏外(びんがい)――というこの男は、姓を足立といって、本所の林町で相当の旗本の家に生れ、不良少年時代には、主膳と肩を並べて、押歩いた仲間の一人でありました。
 そこで、ガラリと砕けて、お互いの打明け話になってみると、この敏外は、叔父が護国寺の僧で、それを縁故に仏道に入り、無理に坊主にさせられて今日に及んだということであります。
「君などは、坊主になってうまい商売をはじめたものだが、拙者の如きはこの通りの有様でウダツが上らない、何かしかるべき商売があらば世話をしてもらいたいものだ」
と神尾がいいますと、足立敏外和尚はまるい頭をなで、
「ふふん」
と笑いましたが、またつくづくと神尾主膳の面(かお)を見て、
「君のその眉間(みけん)はどうしたのだ」
「これか――」
 主膳は今更のように眉間の傷に手を当てて、
「ちっとばかり怪我をしたのだ、これあるがゆえに、この面(かお)が世間へ出せぬ」
「うむ、ちょうど、眼が三ツあるようだ」
「生れもつかぬ不具者(かたわもの)――」
といって主膳の面(かお)には憤怒(ふんぬ)の色が現われました。それは、いつもこの傷を恨むと共に、骨にきざむほど憎らしくなる思い出は、あのこまちゃくれた、口の達者な怖ろしいほど勘(かん)のいい弁信という小法師のことであります。あいつのためにこうまで、生涯拭えぬ傷を負[#「負」は底本では「追」]わされたと思い出すと、堪らない憎悪の念がいっぱいになるのであります。
「いや、その傷が物怪(もっけ)の幸いというものだ。我々の眼で見ると愛染明王(あいぜんみょうおう)の相(すがた)だ」
「ふふん」
と今度は主膳が冷笑しました。主膳の冷笑は、敏外のよりもすさまじさがある。しかし、敏外住職は存外まじめで、
「その竪(たて)の一眼は、愛染明王の淫眼といって、ことに意味深い表徴(しるし)になっている」
「ナニ、いんがん」
「左様」
「どういう字を書くのだ」
「淫は富貴に淫するの淫の字――これは愛染明王が大貪著時代(だいどんじゃくじだい)の拭うても拭いきれない遺品(かたみ)だ。横の両眼は悪心降伏(あくしんごうぶく)の害毒削除の威力を示すが、竪の淫眼のみは、いつでも貪著と、染悪(せんお)と、醜劣と、汚辱(おじょく)とを覗いてやまぬものだ」
「ははあ……」
 神尾主膳は苦笑いしながら、何か当てつけられたように感じました。
 暫くしてこの二人は、久しぶりで一石(いっせき)囲むことになって、おたがいに多忙の心を盤の上に忘れてしまいます。
 当分は、この住職殿も、この屋敷の厄介になることだろう。

 一方、廊下の隅の一間には、裏宿の七兵衛がドッカとみこしを据(す)えてしまいました。
 いつも風のように来ては風のように去る男が、今度は動こうともしないで、その一室をわが物ときめこんで、割拠して敢(あえ)てくだらず、という意気込みです。
 そうして、夜になると、蝋燭をともしてザラリザラリとキザな音をさせる。
 これは相変らず、金銀、小粒、豆板、南鐐(なんりょう)、取交ぜた銭勘定をしているに違いないが、金に渇えているお絹にとっては、この音が気障(きざ)でたまらない。
 そこで、この屋敷が、これだけでも、以前の染井の化物屋敷に劣らぬ怪物の巣となりつつあることがわかります。

         二十八

 今日は夕焼のことに赤い日。葉鶏頭(はげいとう)の多い月見寺の庭を、ゆきつ、もどりつしている清澄の茂太郎は、片手に般若(はんにゃ)の面(めん)を抱えながら、器量いっぱいの声で、
やれ行け
それ行け
早駕籠(はやかご)で……
早駕籠で……
赤いもんどの
暁(あけ)の鐘(かね)
そりゃ、暁の鐘
と歌いながら、夕焼に赤い西の空に向って、歩調を練習する兵隊さんの足どりで、行きつ、戻りつしていましたが、またも繰返して、
やれ行け
それ行け
早駕籠で……
早駕籠で……
赤いもんどの
暁の鐘
そりゃ、暁の鐘
 例の弁信法師が積み上げた石ころのところまで来ると、左に抱えていた般若(はんにゃ)の面を、右に抱え直して、廻れ右をし、
お前とわたしと
駈落(かけおち)しよ
どこからどこまで
駈落しよ
鎌倉街道、駈落しよ
鎌倉街道、飛ぶ鳥は
鼻が十六、眼が一つ
 いい心持で、声を張り上げている時、弁信が縁へ現われて、
「茂ちゃん」
「あい」
「あんまり出鱈目(でたらめ)を歌ってはいけません、鼻が十六、眼が一つなんて鳥はありませんよ」
「そうか知ら」
「きまっているじゃないか、考えてごらん、十六の鼻を面(かお)のどこへつけます」
「だって、あたいは考えて歌っているんじゃないのよ」
と答えた茂太郎は、弁信の注意には深い頓着を払わずに、再び歩調を取って歩きつづけ、
あの姉さん
よい姉さん
堺町のまん中で
うんげん絞りの振袖を
口にくわえて
通る時……
淀(よど)の若衆(わかしゅ)が呼び留めて
お前の帯が解けている
「茂ちゃん」
 弁信が再び呼びかけたものですから、歌いかけた茂太郎が、
「あい」
「お前、うたうなら子供らしい歌をおうたいよ」
 またも干渉を試みたものですから、茂太郎が首を振って、
「なぜ」
「なぜだってお前……鄭声(ていせい)の雅楽(ががく)を乱るを悪(にく)む、と孔子様が仰せになりました」
「え……」
「歌うんなら、子供らしい歌をおうたいなさい、今のようなのはいけません」
「弁信さん、お前、むずかしいことばかりいうんだね、鼻が十六あってはいけないの、孔子様が歌をうたってはいけないのなんて……あたいが一人でうたって、一人で喜んでるんだから、かまわないじゃないか」
「そういうものではありません……では、わたしがひとつ、白楽天(はくらくてん)の歌をお前に教えて上げましょう」
「白楽天ッてなに――」
「支那の昔の歌よみさ」
「教えておくれ」
「道州の民(たみ)ッていうのを歌いましょう」
「道州の民ッていうのはなに」
「道州ノ民、侏儒(しゅじゅ)多シ」
「道州ノ民、侏儒多シ」
「長者モ三尺余ニ過ギズ」
「長者モ三尺余ニ過ギズ」
「市(う)ラレテ矮奴(わいど)トナッテ年々(としどし)ニ進奉セラル」
「弁信さん、これが歌なの、論語じゃないの」
 茂太郎が、少しく不平の色を現わしました。
「だまって覚えておいでなさい、あとでわけを話して上げますから」
 そこで二人は、黄昏(たそがれ)の縁に腰うちかけて、白楽天の譲り渡しを試みていますと、門をスタスタと入って来る人がありましたから、めざとくそれを見つけた茂太郎が、
「あ、いやな奴……」
というが早いか、身をおどらして、縁の下へ隠れてしまいました。
「誰が来たの」
 弁信が徒(いたず)らに見えない目を動かしているところへ入って来た旅の人が、
「御免下さいまし」
「どなたですか」
「はい、ええ、通りがかりの者でございますが……」
 見ればキリリとして甲掛(こうがけ)脚絆(きゃはん)の旅の人。口の利(き)き方も道中慣れがしていると見えて、ハキハキしたものです。
「はい」
「つかぬことを承(うけたまわ)るようでございますが……手前は大工が商売でございまして」
「あ、大工さんですか」
「はい、渡り大工といったようなものでございますが、承れば」
 承ればを二度ほど重ねたことほど切口上(きりこうじょう)で、弁信の傍へソロソロとやって来て、
「こちら様の本堂は棟木(むなぎ)から柱、床板に至るまでことごとく一本の欅(けやき)の木でお建てなすったとやら、その評判をお聞き申しましたものですから、こうして通りがかりに伺いましたようなもので、口幅(くちはば)ったい申し分ですが、この道の後学のためにひとつ、拝見をさしていただきたいとこう思いますんで……」
「あ、左様でございましたか」
 弁信法師もまた、さることありと頷(うなず)いて、
「左様なお話を私もお聞き申しておりました、棟より柱、椽(たるき)、縁、床板に至るまで、一本の欅(けやき)を以て建てたのがこの本堂だそうでございます、それはいろいろと因縁話(いんねんばなし)もございますようですが、ともかく、ごゆっくり、ごらん下さいまし……」
 その道の者が参考に見学したいというのだから、見ても見せても、さしつかえないと弁信がのみこみました。
「はい、有難うございます、それでは、とりあえず本堂の方から拝見をいたしまして、次に三重の塔を」
「どうぞ、御自由に。誰か御案内を致すとよろしうございますが、ただいま、人少なでございますものですから、どうか御自由に」
「その方が勝手でございます」
 こういって、旅の男は、スタスタと本堂の方へ行ってしまいました。
 その後で、弁信は何か一思案ありそうな面(かお)をして、
「もう暗いはず、灯(あかり)が無くて見えるか知ら」
 本堂へ廻って行った旅の人は、この薄暗い空気の中で、建築の模様を眺めながら、ジリジリと堂をめぐって、早くも背面へまわりました。
 その時分になって、縁の下から面(かお)を出した茂太郎が、
「弁信さん」
「なに」
「今の人は、もう行ってしまったかい」
「まだ裏の方を見ているでしょう。お前隠れなくてもいいじゃないかね」
「だって……弁信さん、あれはいやな奴だよ、あれはね、がんりきの百蔵といって、両国橋にいる時に、よくやって来た、いやな奴だ。あたいを捕(つか)まえに来たんじゃないか知ら」
「そうかね、そんな人だったの。でも、旅の大工だといっているから」
「大工じゃない、遊び人なんだよ。何しに来たんだろう、気をおつけ」
「そうね」
 二人は、そのいやな奴が何しにここへ来たかを解(げ)しかねて、気味悪く思いました。
 がんりきの百蔵とてもまた、すでに机竜之助在らず、お銀様も、宇津木兵馬も、お雪ちゃんもいないところへ、なんだって今頃になって尋ねて来たのだろう。
 果して見るだけ見、たたくだけたたいてみたがんりきの百蔵は、なあんだ、つまらないという面(つら)をして、以前のところへ戻って来ると、弁信法師は相変らず縁に腰をかけていたが、茂太郎は再び九太夫をきめ込む。
「いや、どうもおかげさまで、大へんによい学問を致しました、まことに結構な建前(たてまえ)で……」
 こんなお座なりを言ったがんりきの百蔵は、未練気(みれんげ)もなく、この寺を辞して出て行ってしまいました。
 そのあとで、弁信は、再び縁の下から這(は)い出した茂太郎をつかまえて、
「支那の道州というところは、どういう土地のかげんか、背の低い人が出るのだそうですね、大人になって身の丈(たけ)が三尺しかないのが出るのだそうです。で、それを矮奴(わいど)と名付けて、年々、朝廷に奉(たてまつ)ることになっていたのです」
「背の低い人間を天朝様へ上げるの。そうして、天朝様では、それを何にするの」
「珍しいから朝廷へ置いて、お給仕にでも使うんだろうと思います、それを道州任土貢(じんどこう)といいました」
「ジンドコウ?」
「ええ、土地の産物を貢物(みつぎもの)にするという意味なんでしょう」
「そうですか」
「その度毎に悲劇――が起るんですね。つまり任土貢に売られるものは、親も、子も、兄弟も、みんな生別れです、嫌ということができません」
「それは無理でしょう」
「無理です。それですから白楽天が歌いました、任土貢寧(むし)ロ斯(かく)ノ如クナランヤ、聞カズヤ人生ヲシテ別離セシム、老翁ハ孫(そん)ヲ哭(こく)シ、母ハ児(じ)ヲ哭ス……ある時、その道州へ陽城という代官が来ました」
「支那にもお代官があるの」
「ええ、お代官といったものでしょうか、日本のお大名ともちがうし……お代官よりは、もう少し格がいいんでしょう。その陽城という人が、道州を治めに来ました時、この任土貢(じんどこう)を、どうしても天朝様へ納めることをしませんでした」
「その時には、生憎(あいにく)、背の低い人が見つからなかったのでしょう」
「そうではないのです……陽城公は考えがあって、ワザとその背の低い人を朝廷へ奉らなかったのです。そうすると、天子様から再三の御催促がありました、ナゼ任土貢を奉らないのだと……」
「お代官も困ったでしょう」
「ところが、陽城公が詔(みことのり)に答えていうのは……臣、六典ノ書ヲ按(あん)ズルニ、任土ハ有(う)ヲ貢シテ無(む)ヲ貢セズ、道州ノ水土生ズル所ノ者、タダ矮民(わいみん)有ッテ矮奴(わいど)無シ……とキッパリとお断わり申し上げてしまったのですね。つまり、私は昔の書物を調べてみましても、任土貢というものは、その土地に有るものを献上することで、無いものを献上すべきものではござりませぬ、わが道州には矮民というものは有るが、矮奴というものは無い、無いものを献上することはできませぬと、天朝に向って、キッパリとお断わりを申し上げてしまったのです」
 弁信法師はこういって、感慨深く息をついて、
「ところが聖天子は、それを御感心あって、それより以来、矮奴を貢(みつぎ)とすることを悉(ことごと)くおやめになってしまいました。賢臣と明主との間はこうなければならない事です。道州の民のその後の喜びはどのくらいでしょう、老いたるも、若きも、みな喜んで、そこで一家団欒(だんらん)の楽しみが永久に保たれるようになりましたものですから……道州ノ民、今ニイタルマデソノタマモノヲ受ク、使君(しくん)ヲ説カント欲シテ先ズ涙下(なんだくだ)ル、ナオ恐ル児孫ノ使君ヲ忘ルルヲ、男ヲ生メバ多ク陽ヲ以テ字(あざな)トナス……道州の民は今に至るまで、陽城公の徳を慕うて、そのことを語らんとするにまず涙が下るといった有様で、後の子孫がそれを忘れてはならないというところから、男の子が生れると、多くはそれに陽の字をつけました」
 ひとりで説明し、ひとりで感心している弁信法師。それを聞いていた清澄の茂太郎は、退屈もしないが、さのみ感心した様子もなく、弁信の説明が一段落になった時に、例の般若の面を頭の上にのせて、つと立ち上って庭へ踊り出しました。
いっちく
たっちく
ジンドコウ
有るものは有るように
無いものは無いように
陽城公が申し上げ
道州民(たみ)が救われた
天朝様はお見通し
いっちく
たっちく
ジンドコウ
と歌いながら、三重塔のある宮の台に走(は)せ上(のぼ)りました。
 その時、宮の台の原には、がんりきの百蔵が石に腰うちかけて、思案の体(てい)です。
 この野郎、先刻は未練気もなく月見寺を出て行ったはずなのに、まだこんなところにひっかかっているところを見ると、何か思いきれないものが残っているのかも知れない。
「おれという野郎も、わからねえ野郎じゃねえか」
といって柄(がら)にもなく頬杖をついて、いささか悄気(しょげ)て見えるのは、近頃はどうも思うようにがんりきの眼が出ないで、あっちへ行っては鼻を明(あ)かされ、こっちへ来てはヌカヨロをつかませられ、これも思いきれないで、血眼(ちまなこ)で東西南北を駈けめぐって、なにほどかモノにしようと焦(あせ)っているのが、兄貴の七兵衛の物笑いの種となるばかりでなく、御当人も、少しは気がさしたものらしい。
「さて今晩のところは……」
といって頬杖を外(はず)し、身を起しかけたのは、今晩これからの塒(ねぐら)の心配でしょう。
「うっかりドジを踏んで、粂(くめ)の親分にでも見つかろうものなら……事だ」
 百蔵は真黒な犬目山(いぬめやま)の方を横目に睨(にら)んで見たのは、この男にとっては、この郡内は最も危険区域であり、ことに鳥沢の粂(くめ)という親分には、頭も尻尾も上らないで、いつぞやは、裸にされて、甲州名代の猿橋の上から逆(さか)さまにつるされたことがある。その辺を心配してみると、この危険区域には、うっかり碇(いかり)を卸せなくなるはずです。
 で、結局、どう思案がついたか腰を浮かしながら、
「待てよ……あの寺で、おれの姿を見ると、慌(あわ)てて縁の下へ隠れたのは、ありゃ清澄の茂太郎だ」
とつぶやきました。なるほど、がんりきほどの眼力(がんりき)で、子供の隠れんぼを見落すはずもあるまい。
 その時分、幸か不幸か茂太郎は、
いっちく
たっちく
ジンドコウ
 そういいながら、ちょうど、この宮の台の原へ馳(は)せ上って、ほとんど、がんりきの眼前咫尺(しせき)のところまでやって来たものですから、
「おい――茂坊」
「おや?」
 清澄の茂太郎が、ギョッとして立ち止まりました。
「茂太郎」
「あ、お前は……」
「お前こそ、どうしてこんなところに来てるんだい、両国橋にいれば、ああして人気の上に祭り上げられて、栄耀栄華(えいようえいが)が尽せるのに、なんだってこんな山ん中へ逃げて来ているんだい。叔父さんと一緒に帰(けえ)らねえか、親方もお前を待ちきってるぜ、御贔屓筋(ごひいきすじ)もお前をさがしている。江戸へ行けば、お前は人気の神様で、金の生(な)る蔓(つる)を持っているのに、なんだってこんなところに隠れてるんだい。さあ、叔父さんと一緒に帰らねえか」
 悪獣毒蛇を恐れない茂太郎が、この時、面(かお)の色を真青(まっさお)にして返事ができませんでした。
 清澄の茂太郎は、アッとばかりに立ちすくんでしまいました。
 がんりきの百蔵は、立ち上って左の手で茂太郎の右の手首をつかまえてしまいますと、
「叔父さん」
 茂太郎は悲しい声を出しました。
「何だ」
「堪忍(かんにん)しておくれよ」
「堪忍するもしないもありゃしねえ、お前をよくしてやるんだぜ」
「だって」
「こんな山ん中に隠れているより、江戸へ出りゃあ――両国橋へ帰りさえすりゃあお前、いい着物を着て、うまいものを食べて、人にちやほやされて……」
 がんりきの百蔵は、やさしく言って聞かせるように、
「楽ができて、うまいものが食べられて、人からは、やんやといわれて、それでお金が儲(もう)かるんだ」
といいました。
「叔父さん、あたいは、この方がいいんだよ、こっちにいたいんだから……」
「何をいってるんだ」
 がんりきの百蔵が、茂太郎の言い分をとりあわないのは、あながち、この子供のいやがるのを拉(らっ)し去ろうというのではなく、自分の推量で、つまり、いま言った通り、江戸へ帰りさえすれば、楽ができて、うまいものが喰べられて、いい着物が着られて、人から可愛がられるのに、こんな山の中へ拐(かどわか)されて来ているのを、不憫(ふびん)がる心もいくらかあるのです。だから、物やさしい声で、
「それから茂坊、お前には御贔屓(ごひいき)があることを忘れやしめえ。貴婦人――というのはなんだが、しかるべき後家さんや、御殿女中なんてのが、お前を可愛がりたがって、やいのやいのをきめていることを忘れやしめえ。叔父さんが話してやるから帰んな……よ、お寺へ話をしてやろう。お寺の誰に話をすりゃいいんだえ」
「叔父さん、御免よ、あたいは江戸へ帰りたくないんだから」
「わからねえことを言いっこなし」
「いいえ。じゃあね、叔父さん、弁信さんに相談して来るから、待っていて頂戴」
「弁信さんてなあ誰だい」
「あたいのお友達……今、縁側に腰をかけていたでしょう」
「あ、あの、小さい坊さんか」

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