大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「これはね――」
 お銀様は行燈(あんどん)の方へまともに面(おもて)を向けて、
「お前さん、わたしの面(かお)を見たいの?」
といいました。
「見たかないけれど、家の中で頭巾をかぶっているのはおかしいじゃないか」
「お前、おばさんの面(かお)が見たいんでしょう、見たければ見せて上げましょうか」
「見たかないけれど……」
「見たいんでしょう……」
といって、お銀様は膝を進ませて茂太郎の手を取りました。
「見たければいくらでも見せて上げるから、この頭巾の紐(ひも)を解いて頂戴……」
「だって……」
「いい児だから解いて頂戴……」
 お銀様は茂太郎を膝の上へ抱き上げ、そうしてあわただしく自分の頭巾を取ってしまいました。
「おばさん、何をするの」
 清澄の茂太郎がもがくと、お銀様は、
「何もしやしません、わたしは鬼子母神(きしもじん)の生れ変りですからね」
といって、放そうとはしませんから、
「いやだ、いやだよ、おばさん」
「怖(こわ)かありませんよ、鬼子母神は人の子を取って食べるのですけれども、わたしは食べやしません、可愛がるだけなのよ、わたしは千人の子供を可愛がってみたい」
「いやだってば、おばさん」
「いいのよ、わたしの面(かお)をごらん」
「え」
といって茂太郎は、頬摺(ほおず)りをするほどさしつけたお銀様の面(かお)を見つめると、
「怖(こわ)い面でしょう、わたしの面は……」
 人に隠して見せまいとつとめた自分の面を、この時に限ってお銀様は、打開いて茂太郎に見せようとします。
 満面が焼けただれて、白眼勝(しろめが)ちの眼が恨みを含んで、呪(のろ)いそのもののような面をまともに見た人は、誰でもゾッとして身の毛をよだてないものはありません。しかし茂太郎は、それを怖れないでうるさがり、
「怖かありません、おばさんの面は怖くないけれども、こうやって抱かれるのが窮屈でならない、放して下さい」
「お前、ほんとうに、わたしの面を怖いとは思わない?」
 お銀様は、なお、おびやかすように茂太郎の面に、呪いそのもののような自分の面を見せようとすると、
「怖かありません、あたいは人の怖がるものを怖がらないけれど、窮屈なことがいちばんきらいなのよ」
「いいえ、おばさんの面はこわい面でしょう、それにくらべるとお前の面は、綺麗な面ね」
「いいえ、怖かありません、あたい蛇だって、狼だって、何だって怖いと思ったことはないけれど、人に可愛がられるのが大嫌いさ、息が詰まるんだもの……」
「お前の名は何というの?」
「清澄の茂太郎」
「茂ちゃんていうの」
「ああ、おばさん、放して頂戴よ、息苦しくて仕方がないからさ」
「おとなしくして、鬼子母神様(きしもじんさま)の子におなりなさい」
「放して下さい、ほんとに熱苦しいんだもの……よう、おばさん」
「おとなしくしておいで――」
「いやだ、いやだ……おばさん、何をするの、放さないの?」
「わたし一人で淋しいから、茂ちゃん、泊っておいでなさいな」
「息が詰まるじゃないか、おばさん、どうしても放さなけりゃ、あたい、口笛を吹いて狼を呼ぶからいいや」
「何ですって、狼を呼ぶ……?」
「ああ、あたいがここで口笛を吹くと、狼が出てくるんだから……」
「まあ怖い……お前は狼より、わたしの方が嫌いなの?」
「だって、息がつまりそうだもの」
「あたしの顔は、狼より怖い……」
「そんなことはないけれど……」
「わたしの息は、蛇の息より、熱苦しいの?」
「おばさん、堪忍(かんにん)して頂戴ね、あたいは怖いものはないけれど……」
「だから、おとなしく、おばさんのいうことをお聞きなさい、あたしは千人の子供を食べる鬼子母神様の生れ変りなんですもの」
「いけませんよ、おばさん。あ、それじゃ、あたい口笛を吹きますよ」
「吹いてごらん、いくらでも」
 お銀様は、その呪(のろ)いそのもののような面(おもて)に、凄(すご)い笑いを漂わせて、茂太郎の口をおさえました。

         四

 お銀様の膝をのがれ出た茂太郎は、弁信に向っていいました、
「弁信さん、奥にいるおばさんはこわいおばさんですよ、人の子を取って食べるんですとさ」
「そばへ寄らないようにおし」
「嘘でしょう、千人の子供を取ってたべるなんて……」
「それは鬼子母神のことです」
「でも、鬼子母神様の生れ変りだっていいましたよ。ナゼ、鬼子母神様は、人の子を取って食べるの?」
「それは愛に餓えているからです……」
 弁信法師はこういって、その話を打切って、二人は例の如く枕を並べて寝に就きました。
 その夜は無事。

 翌日になって、またしてもこの寺へ一人の珍客がやって来ました。
 それは武州高尾山の半ぺん坊主が、やけに大きな奉加帳(ほうがちょう)を腰にブラ下げて、この寺に乗込んで来たことで、
「こういうわけで、今度お許しが出ましたから、またまた山を崩し、木を伐(き)って、車を仕掛けることになりました。ところで、役人の方はうまくまるめちまいましたが、工事をうまくまるめるには、別にそれ、丸いものが余分にかかりますでな……」
といって、頤(あご)を撫でながら奉加帳をくりひろげたものです。
 奉加帳をひろげて、べらべらと能書(のうがき)を並べた末、
「さて高い声ではいえませんが……そうして登りが楽になりますてえと、山の上へ金持がバクチを打ちに参ります、商売人を連れて、おんかでバクチを打ちに参ります、これがそのテラといっては出しませんが、この連中の納める杉苗が大したものなんで。それにのぼりが楽になりますてえと、連込みの客もだいぶ入ってまいります、こういうのが、また杉苗を余分におさめるというわけでございますから……その杉苗でございますか、そんなに杉苗をもらってどうするのだとおっしゃいますか……へ、へ、それは徳利の中でも、半ぺんの下でも、どこへでも植えちまいますから御心配下さるな。そういうわけで、この車が出来さえすれば、一割や二割の配当は目の前でございます」
 半ぺん坊主は、言葉たくみに説き立てました。
 その時、応対に出たのが幸か不幸か、弁信でありました。
 弁信は半ぺん坊主のいうところを逐一(ちくいち)聞き終り、その終るを待って、
「御趣意の程、よく承(うけたまわ)りました。承ってみますると、私はそういうことを承らない方が仕合せであったという感じしか致さないのが残念でございます。あのお山は、私もついこの間まで御厄介になっておりましたから、よく存じておりますが、車を仕掛けて人様を引き上げねばならぬほどの難渋(なんじゅう)なお山ではございませぬ、斯様(かよう)に眼の不自由な私でさえも、さまで骨を折らずに登ることができましたくらいですから、御婦人や子供衆たちでも御同様に、さまで骨を折らずに、お登りになることができようと存じます。よし、多少、お骨は折れるに致しましても、そこに信心の有難味もございまして、登山の愉快というものもあるのではございませぬか、信心のためには、木曾の御岳山までもお登りなさる婦人たちがあるではございませぬか。それにくらぶれば、あのお山などは平地のようなものでございます。それに承れば、せっかく、代々のお山の木を切りまして、それを売払っていくら、いくらとのお話でございますが、昔のおきてでは、一枝を切らば一指を切るともございます、お山によっては、山内の木を伐(き)ったものは、死罪に行うところすらあるのでございます、それをあなた方、多年、そのお山の徳によって養われている方が先に立って、そういうことをなされて、御開山方へ何とお申しわけが立つのでございましょう……なおお聞き申しておりますると、せっかく信心の方々が杉苗を奉納なさるのを、あなた方は徳利の中へ入れて、飲んでおしまいになったり、半ぺんの下へ置いて、食べておしまいなさるそうですが、そうして、あなた方は、自分で自分の徳をほろぼしておしまいになることを、自慢にしておいでなさるのですか……樹木は地上の宝でございます、木を植ゆるは徳を植ゆるなりと申されてありまする、あなた方の御先祖代々が、せっかく丹精して、あれまでに育てて霊場を荘厳(そうごん)にしてお置きになるのを、むざむざと伐って、それでよい心持が致しますか……また山の自然の形には、自然そのままで貴いところがあるものでございます、これを切り崩して、後日の埋め合わせはどう致すつもりでございますか。俗世間でも、家相方位のことをやかましく申しますのは、一つは、この自然さながらの形を、重んずるところから出でているのではございませぬか……それほどまでにして、車を仕掛けてあなた方は、いったい、だれをおよびになろうという御了簡(ごりょうけん)なのですか。聖衆は雲に乗っておいでになりまする、信心のともがらは遠きと、高きを厭(いと)わぬものでございます、ゆさんの人たちは足ならしのために恰好(かっこう)と申すことでございます……ところの幽閑、これ大いなる師なりと古人も仰せになりました。出家のつとめは、俗界の人のために清い水を与えることでございます、清い水を与えるには、清いところにおらなければならない約束ではございませぬか……山を荘厳にし、出家が空閑におるのは、俗界の人に、濁水を飲ませまいがためでございます。釈尊は雪山(せつせん)へおいでになりました、弘法大師も高野へ精舎(しょうじゃ)をお営みになりました、永平の道元禅師は越前の山深くかくれて勅命の重きことを畏(かしこ)みました、日蓮聖人も身延の山へお入りになりました、これは世を逃(のが)れて、御自分だけを清くせんがためではござりませぬ……源遠からざれば、流れ清からざるの道理でございます。もし、あなた方が、どうでも人の世のまん中に立ち出で、衆と共に苦しみ、衆と共に楽しむ、の思召(おぼしめ)しでございますならば、いっそ、浅草寺(せんそうじ)の観世音菩薩のように、都のまん中へお寺をおうつしになっては如何(いかが)でございますか……」
 弁信法師が一息にこれだけのことをしゃべって、なお立てつづけようとするから、半ぺん坊主は青くなって、
「話せねえ坊主だなあ」
 奉加帳を小脇に、逃ぐるが如く走り出ました。

         五

 半ぺん坊主が出て行った日の夕方、宇津木兵馬が飄然(ひょうぜん)としてこの寺に帰って来ました。
 その晩、前のと同じ部屋で、兵馬は燈下に行李(こうり)を結びながら、
「私は、明日再び山へ入ります、そうして今度は当分出て来ないつもりです」
と言うと、あちらを向いていたお銀様が、
「どちらの方の山へ?」
とたずねました。
「以前の方の山を、もう少し深く、入れるだけ入ってみようと思います」
「そちらの山を深く行きますと、温泉がございますか?」
「温泉……あちらの方面には温泉がありませぬ」
「わたしは、また温泉のある方の山へ行ってみたいと思います」
「そうですか……では、信州の方面へおいでになるとよろしうございます、甲武信と申しましても、甲州と武州には、温泉らしい温泉がありませぬ」
「あなたは御存じですか」
とお銀様があらたまった質問を、兵馬に向って試みようとします。
「何でございますか」
「このごろ、此寺(ここ)の娘さんはドチラの温泉へまいりましたか」
「ああ、お雪ちゃんですか……あの子は、そうですね、どこでしたか……」
と兵馬が小首を捻(ひね)りました。
「あなたも、そのお雪ちゃんという娘さんを御存じでしょうね」
「知っていますとも、親切なよい娘さんです。わたしもそのお雪ちゃんの親切で、この寺へ御厄介になる縁になったのです」
「そうですか。その娘さんはひとりで温泉へおいでになりましたか?」
「いいえ、ひとりではありますまい、娘さん一人では遠くへは出られますまい……誰か近所の人が附いて行ったようです」
「その近所の人というのは、誰ですか御存じ?」
「知りません、私のいない間のことですから……」
「わたしも、そのお雪ちゃんとやらの行った温泉へ、行ってみたいと思うのですが、それは、あなたのおいでになろうとする山の方角とは違いますか」
「さあ、それが……私の行こうとする方面には、こころあたりの温泉がないのです」
「誰も、そのお雪ちゃんという娘さんの行った先の温泉を、知らないというのが不思議ではありませんか」
「知らないはずはありますまい、留守の人に尋ねてごらんになりましたか」
「尋ねてみましたけれど、誰も教えてはくれません」
「それでは、あとで私が尋ねてみて上げましょう、誰か知っていなければならないはずです」
 そこで、兵馬は、少し進んでたずねてみようかと思いました。
 いったい、この不思議な女の人は、誰をたずねてこの寺へ来たのだ。男の姿に身をかえてまで、一人旅をしてたずねて来たのは、どうもお雪という娘をめあてに来たのではないらしい。よくよくの深い仔細(しさい)があればこそだろうが、今まで兵馬には、そんなことを立入って、たずねてみるほどの余裕がないのでした。
 今となって、燈下にうつるこの女の呪(のろ)わしき影法師を見ると、何か知らん、強くわが胸を打つものがあるように思われてならぬ……男装した女。行くにも、住(とど)まるにも、覆面を取らぬ女……その生涯にはかぎりなき陰影がなければならぬ。道はちがうが、われも多年人を求むる身だ。こう思って兵馬が、新しい感興に駆(か)られた時に、
「あなた、もし、この刀の持主を御存じはありませぬか?」
といって不意に立ってお銀様が持ち出したのは、例の床の間の白鞘(しらさや)の一刀です。
 宇津木兵馬はその刀を見て、こんな刀が、この寺にあったのかと疑いました。
 行李をまとめていた手を休めて、お銀様の手からその刀を受取ると、多大の疑惑を以て、その刀を抜きにかかりました。
 兵馬はまだ刀を見て、その作者を誰といいあてるほどの眼識はない。けれども、刀の利鈍と、品質はわかる。ことに一たび実用に用いた刀……露骨にいえば、最近において人を斬ったことのある刀は、一見してそれとわかる。到るところの社会で、血のりを自慢の刀をよく見せられていたものだから――
 ところで、寺院には似げもない長物(ながもの)を、思いもかけぬ人の手で見せられて、鞘(さや)を払って見るといっそう驚目(きょうもく)に価するのは、その刀が最近において、まさしく人を斬った覚えのある刀に相違ないと見たからです。
 十分に拭いはかけたつもりだけれども、拭いが足りない。
 そこで兵馬は、まずこの刀の作者年代が、誰で、いつごろ、ということは念頭にのぼらないで、
「これは寺の刀ですか、それとも誰か持って来たのですか?」
「この床の間にあったのです」
「それでは、寺の物ですな」
「そうかも知れません」
 兵馬の疑点が一歩ずつ深く進んで行きました。身に寸鉄を帯びざることは、智識の誇りではあるにしても、寺に刀があって悪いという掟(おきて)はない。ただ不審なのは、近き既往においてこの刀が、まさしく血の味を知っていたとのことです。この寺の住持は老齢の身で、盗まれたものさえ、訴えては出ないほどの仁者である。それが、この刀を振り廻そうはずがない。それでは弁信か、茂太郎か。どちらにしても、想像の持って行き場がないではないか。まして、お雪ちゃんにおいてをや。
 同時に閃(ひら)めいたのは……閃めかなければならないのは、過ぐる夜のことで、山窩(さんか)のものだという悪漢が二人、この寺に押込んで、泊り合わせた兵馬のために傷つけられて逃げた、それが町の外(はず)れの火の見櫓の下でおおかみに食われて死んでいた、罰(ばち)はテキ面だと人をして思わしめたのは、遠くもない先つ頃のことで、その当座は――今でも、誰も狼に食われたものと信じて疑わない。事実また狼に食われたものに相違ないが、当時、駈けつけて親しく検視をやってみた兵馬だけは、単に狼に食われただけで済ますことはできなかった。けれども、あの場合、狼に食われたことに一切を解決してしまった方が、民心を安んずる上において都合がよかったので、兵馬もこれをこばまなかった。しかしあれは、食われたのは後で、斬られたのが先である。一刀のもとに斬って捨てた手練のほどに戦(おのの)いたのは――戦くだけの素養のあったのは、たしか兵馬一人であったはず。
 これほどの斬り手がどこにひそんでいたか。これは今以て兵馬には解決がついていないところへ……見せられたこの刀が、激しい暗示を与える。
「誰がこの刀を持っていましたか?」
「それは、わたくしから、あなたにたずねているのです」
「いや、私にはわかりませぬ、あなたにお尋ねしなければなりません。あなたはこの刀の持主を尋ねて、この寺へおいでになったのですか、その人は、何という人で、何のためにこちらへ来たのですか」
「それは人を殺すことを何とも思わない人です……ですけれども、わたしはその人が忘れられないのです」
「あなたのおっしゃることがよくわかりませぬ」
「それでは、もう一つ付け加えましょう、その人は目の見えない人です……どういう縁故でこの寺へ参りましたかは存じませぬが、今はこの寺にはいませんそうで……温泉へ行ってしまったそうです」
「まだわかりませぬ、もう少しお聞かせ下さいまし」
 話が、それから進むと、お銀様は、ついに兵馬に向って、
「机竜之助」
の名を語らねばならなくなりました。そうでなくてさえ一語一語に、何かの暗示を強(し)いられていた兵馬は、最後に「机竜之助」の名を聞いて、ながめていた白刃を伝って、強烈な電気に打たれたように振い立ちました。
「あ、それだ、その人ならば、あなたが尋ねる人ではない……」
 兵馬の昂奮がお銀様を驚かしたのみならず、あわただしく刀を鞘(さや)に納めて、投げ出した行李(こうり)を再びひきまとめて、
「私は、あなたと共に、その温泉へ行かなければならぬ、その温泉とはどこですか」
 兵馬が最初の当途(あてど)もない甲武信の山入りを放擲(ほうてき)したのと、お銀様と共に、その未だ知られざる温泉へ、発足しようと思い立ったのとは同時です。
 ここに運命の極めて奇なる因縁で、宇津木兵馬とお銀様とは、その翌日、行を共にして尋ね人のあとを追うことになりました。
 温泉の名をハッコツとだけは、知ることができましたが、そのハッコツとはどこ。それは誰に聞いても要領を得ることができませんでした。
 今ならばハッコツの音(おん)から解いて、白骨(しらほね)の字をさぐるのはなんでもないことですけれども、その当時にあって、日本人の一人も、日本アルプスの名を知らないように、信濃(しなの)と飛騨(ひだ)の境なる白骨温泉(しらほねおんせん)の名は、誰の耳にも熟してはおりませんでした。
 ともかくも、温泉として聞えたる信濃の国、諏訪の地名から推(お)して、多分それに近くとも遠くはない地点だろうとの二人の想像は、さのみ無理ではありません。そこで二人は、まず諏訪の温泉を目標として、探索の歩を進めることに相談をきめました。
 欲望を異にして、目的を同じうするこの悪戯(あくぎ)に似たるほどの奇妙な道連れは、単に道連れとしてはおたがいに頼もしいものでありました。なぜならば、お銀様は長途の旅に、兵馬ほどの護衛者を得たわけであり、兵馬はまた今の最も欠乏している路用の上に、最も有力なる後援者を得たということになるのです。事実、お銀様はこの時もまだ多分の金を懐中に入れてありました。なお、これから諏訪の方面へ向けて旅立ちの途中、故郷の有野村へでも手を入れようものなら、自分の所有のうちから、誰にもはばからずに、ほとんど無限の融通をつけるのは何でもないことです。
 お銀様は今も、持てる金のすべては兵馬に附託して、これで旅の用意の万事をととのえるように、そうして乗物も二人分、通しを頼んでもらいたいということをいいました。
 しかし兵馬は、お銀様だけは都合のよい乗物で、自分はドコまでもそれに附添うて、徒歩で行こうと決心をきめて、それによって旅行の準備を進めてしまいました。
 兵馬は計らずして、敵(かたき)の行方(ゆくえ)に一縷(いちる)の光明を認めたと共に、思い設けぬ富有の身となりました。附託されたかなりの大金は、いやでも自分が保管するのが義務のようになっている。この奇怪にしてしかも鷹揚(おうよう)なお嬢様は、今後必要に応じて、いくらでも兵馬のために、支出することを辞せない様子を見せている。
 あてどもない山奥に、半ば自暴(やけ)の身を埋めに行こうと決心した兵馬は、ここにゆくりなく、幸運の神に見舞われたようなもので、暫く茫然(ぼうぜん)と夢みる心地でいましたが、若いだけに早くも心に勇みが出て、踏みしめる足許もなんとなく浮き立つように感じ、ほとんどこの何年来にもなかったよろこびに、心が跳(おど)るのであります。
 そうかといって、この世に代価を払わない幸運というものは一つもない。兵馬にこの幸運を与えた祝福の神は、人の子を取って食う鬼子母(きしも)の神であってみれば、早晩何かの代価を要求せられずしては済むまいと想われる。

         六

 駒井甚三郎は、房州の洲崎(すのさき)に帰るべく、木更津船(きさらづぶね)に乗込みました。
 その昔お角が、清澄の茂太郎を買込みに行く時に乗込んで、大難に遭(あ)ったのとおなじ航路で、おなじ性質の乗合船。
 なるべく人目に立たないように、駒井は帆柱のうしろ、荷物の隅に隠れていました。
 乗合の客は、例のとおなじように、士分階級をのぞいた農工商のものと、今日は、それ以外の遊民が少なからず乗合わせている。
 遊民というのは、玄冶店(げんやだな)の芝居に出てくるような種類の人。赤間の源左衛門もいれば、切られないの与三(よさ)もいる。お富を一段上へ行ったようなお角がいないのが物足りない。
 しかし、きょうは、天気も申し分なく、近き将来の時間において、思い設けぬ天候の異変もこれあるまじく、たとえ、お角が乗合わせていたからとて、人身御供(ひとみごくう)に上げられる心配もまずありそうなことはなく――そうそうあられてはたまらない――それで江戸湾内を立ち出でる木更津船の形は、広重(ひろしげ)に描かせて版画にしておきたいほど、のどかなものです。
 隠れているといっても、なにしろ限りある木更津船の甲板の上で、書物を開いている駒井甚三郎の耳には、乗合船特有の世間話が、連続して流れ込んで来るのを防ぐことはできない。ある時は耳を傾けて、これに興を催してみたり、ある時は書物に念を入れて、それを聞き流したりしているうちに、こまったことには、例の遊民の連中がいつか気を揃えて、いたずらを始めてしまったことです。
「半方(はんかた)が二十両あまる、ないか、ないか」
と中盆(なかぼん)が叫び出すと、
「おい、音公、お前に五本行ったぞ」
 貸元が念を押す。
「合点(がってん)だ」
 向う鉢巻が返答する。
「六三に四六を負けるぞ、負けるぞ」
と中盆が甲高声(かんだかごえ)で呼び立てると、
「はぐりをうっちゃれよ、打棄(うっちゃ)れよ」
と片肌脱(かたはだぬぎ)がせき立てる。
「一番さいてくれ、さいてくれ」
 鳴海(なるみ)の襦袢(じゅばん)が居催促をする。
「金公、それ三本……ええ、こっちの旦那、お前さんは十本でしたね」
 貸元は盛んにコマを売る。
「いいかげんに、やすめを売れやい」
「勝負、勝負……」
 駒井甚三郎も、これには弱りました。
 この連中も最初のうちは、やや控え目にしていたのが、ようやく調子づいて来ると、四方(あたり)に遠慮がない。諸肌脱(もろはだぬぎ)になった壺振役(つぼふりやく)が、手ぐすね引いていると、声目(こえめ)を見る中盆(なかぼん)の目が据わる。ぐるわの連中が固唾(かたず)を呑んで、鳴りを静めてみたり、またけたたましくはしゃぎ出したりする。
 こうなっては隠れていることも、書物を読むこともめちゃめちゃです。駒井は一方ならぬ迷惑で、避難の場所を求めようとしたが、やはりかぎりある船中に、人と荷物でなかなかそのところがない。ひとり駒井が迷惑しているのみならず、乗合いの善良な客はみな迷惑しているのです。しかし、善良な客が進んで船内の平和を主張するには、どうも相手が悪過ぎる――船頭でさえ文句が附けられないのだから、暫く、無理を通して道理をひっこめておくより思案がないらしい。
 駒井甚三郎とても、相手をきらわないというかぎりはない。見て見ないふりのできるかぎりは、立ち入りたくない。しかし、この船中で見渡したところ、かりにも士分の列につらなっている身分のものは、自分のほかにはいないらしい。万一の場合、義において自分が、船内の平和を保つ役目を引受けなければならないのか、とそれが心がかりになりました。その時分、勝負がついたと見えて、船の上はひっくりかえるほどの騒ぎです。
 こういう場合の役まわりは、宇治山田の米友ならば適任かも知れないが、駒井甚三郎ではあまりに痛々しい。
 それを知らないで、調子づいた遊民どもは、全船をわが物顔に熱興している。
 彼等が、熱興だけならば、まだ我慢もできるが、船中の心あるものを迷惑がらせるのみならず、その善良な分子をも、この不良戯(ふりょうぎ)のうちへ引込まずにはおかないのが危険千万です。
 いわゆる良民のうちにも、下地(したじ)が好きで、意志がさのみ強くないものもあります。見ているうちに乗気になって、鋸山(のこぎりやま)へ石を仕切(しきり)に行く資本(もとで)を投げ出すものがないとはかぎらない。くろうとの遊民どもも、実はそのわなを仕掛けて待っている。
「へ、へ、へ、丁半は采(さい)コロにかぎるて、なぐささい、じゃあるめえな」
「じょうだんいいなさんな」
「五貫ばかり売ってもらいてえ」
 罷(まか)り出でたのは乗合いの中の素人(しろうと)にしては黒っぽく、黒人(くろうと)にしては人がよすぎる五十男。
「合点(がってん)だ、さあ五貫……」
 貸元が景気よくコマを売る。
「丁が余る、丁が余る……いかがです、旦那、負けときますぜ、やすめを一つお買いになっては……」
「へ、へ、へ」
 前のよりはいっそう人のよかりそうな、純乎(じゅんこ)たる素人が、ワナを眼の前につきつけられて、まんざらでもない心持。
 こうやって彼等の景気は増すばかりで、心あるものの気持は苦々(にがにが)しくなるばかりです。
 暫くしている間に、最初にしたり面(がお)をして出た半黒人(はんくろうと)も、まんざらでもない心持の純素人(じゅんしろうと)も、グルグルとグループの中へ捲き込まれてしまうと、中盆(なかぼん)が得意になって、
「運賦天賦(うんぷてんぷ)のものですから、本職だって勝つときまったものではなし、ドコへ福がぶっつかるかわかりませんや」
 いざやと壺振りが、勢い込んで身構えをする。
 二三番するうちに、新入者がまた二三枚加わる。加わった当座は多少の目が出ると、有頂天(うちょうてん)になり、やがてそのつぎは元も子もなくして、着物までも脱ぎにかかる。取られれば取られるほど、眼が上(うわ)ずってしまう有様が見ていられない。
 こうなってみると駒井甚三郎も、相手を憚(はばか)ってはいられない。そこで思いきって、一座の方へ進み出でました。
「これこれ、お前たち、いいかげんにしたらいいだろう」
「何が何だと……」
 諸肌脱(もろはだぬ)ぎで壺振りをやっていたのが、まずムキになって駒井に食ってかかりました。
「そういうことをしてはいけない、乗合いのものが迷惑する」
と駒井が厳然としていいました。
 しかし、この遊民どもは、駒井が前(さき)の甲府勤番支配であって、ともかくも一国一城を預かって、牧民の職をつとめた経歴のある英才と知る由もない。このことばには荘重(そうちょう)なものがあって、厳として警告する態度はあなどり難いものがあったとはいえ、今、異様の風采(ふうさい)をして、ことには女にも見まほしいところの青年の美男子であるところに、彼等の軽侮のつけ目がある。そうして見廻したところ、相手は一人であるのに、自分たちは血をすすった一味徒党でかたまっている。こいつ一人を袋だたきにして、海の中へたたき込むには、何の雑作(ぞうさ)もないと思ったから、多少、事を分けるはずの貸元も、中盆(なかぼん)も、気が荒くなって、
「何がどうしたんだって――人の楽しみにケチをつける奴は殴(なぐ)っちまえ」
「殴っちまえ」
 風雲実に急です。駒井もこうなっては引込めない……かえすがえすも、米友ならば面白いが、駒井では痛ましい。
 その時、帆柱のかげからムックリとはね起きた六尺ゆたかの壮漢、
「こいつら、ふざけやがって……」
 盆ゴザも、場銭も、火鉢も、煙草も、手あたり次第に取って海へ投げ込む大荒(おおあ)れの勇者が現われました。

         七

 これほどの勇者が、今までどこに隠れていたか、駒井も気がつかなかったが、乗組みの者、誰も気がついていなかったようです。
 不意に飛び出したこの六尺豊かの壮漢が、痛快というよりは乱暴極まる荒(あ)れ方をして、あっというまもなく、賭場(とば)を根柢から覆(くつが)えしてしまいました。
 さしもの遊民どもが手出しができないのみならず、あいた口がふさがらないのは、その荒(あ)れっぷりの乱暴と迅速とのみならず、六尺豊かの髯面(ひげづら)の大男の、威勢そのものに呑まれてしまったからです。
 といってこの六尺豊かの髯面の大男、そのものの人体(にんてい)がまた甚だ疑問で、相手を向うに廻して荒れていなければ、これが無頼漢(ぶらいかん)の仲間の兄貴株であろうと見るに相違ない。そうでなければ、船頭仲間の持余し者と見たであろう。しかし、よく見ると、無頼漢でもなければ、船頭仲間の持余し者でもない、れっきとしたこの乗合船のお客様の一人で、身なりこそ無頼漢まがいの粗野な風采をしているが、寝ていたところをよくごらんなさい、両刀が置きっぱなしにしてあるのです。しかもその長い方の刀は、人の目をおどろかすほどすぐれて長いものです。
 それですから、さしもの遊民どもも、一層おそれをなしました。
「人の安眠を妨害する奴等、船底へ引込んで神妙にしとれ」
 中盆と壺振の二人の襟首をひっぱって、船底の方へ投げ込んでしまったのは、あながち怪力というわけではない、呑まれてしまった遊民どもが、自由自在になっているのです。
 そこで、さしも全権を振(ふる)っていたこの連中が、一時に閉塞(へいそく)して、ことごとく船の底へ下積みにされてしまいました。
 船中の者も、この勇者を欽仰(きんこう)することは一方(ひとかた)ではありません。
 その勇気といい、筋骨といい、身に帯びたすばらしい長短の刀といい、天下無敵の兵法(ひょうほう)の達者、誰が見ても疑う余地はありません。最初の口火を切った駒井甚三郎の影は、この勇者の前に隠されて、一人もそれを讃仰(さんごう)するものはないのです。
 駒井もまた、この豪傑が不意に現われて、自分の解決すべき難関を、一気に解決してくれた幸運をよろこびましたから、讃仰者のないのを恨みとする理由はありません。こういう場合においては、第一声を切ることが勇者の仕事で、その出端(でばな)を利用して敵を驚かして、一気に取挫(とりひし)ぐことは、喧嘩の気合を知っているものにはむしろ容易(たやす)いことですが、駒井は閑却されて、あとから出た豪傑が人気を独占しましたけれど、駒井にとっては不足どころではありません。
 こうして一時無頼漢どもに占領されていた船の甲板は、再び良民の天下となって、乗合船そのものの平和な光景が回復されました。
 駒井能登守は思いました。これはこれ一場の喜劇のようなものだが、一代の風潮もこの通りで、進んで身を挺するの勇者さえ現わるれば、悪風を退治するのはむしろ容易(たやす)いことで、悪は本来退治せられるがために存在するものであるのに、怯懦(きょうだ)な人間が、それにこわもてをして触ろうとしないから、彼等が跋扈(ばっこ)するのだ……本当の勇者が一人出づれば一国がおこる、というようなところまで考えさせられました。
 ただ、ここに現われた勇者は、体格の屈強なるに似ず、勇気の凜々(りんりん)たるに似ず、ドコかに多少の愛嬌と和気がある。駒井甚三郎はともかくもお礼の心を述べておこうと、彼に近づいて、慇懃(いんぎん)に、
「どうも御苦労さまでした……失礼ながら、あなたは何とおっしゃいますか、そうして何の目的で対岸(あちら)へお渡りになるのですか」
 駒井から慇懃に尋ねられた六尺豊かの壮漢は、
「は、は、は、拙者は絵師ですよ、足利(あしかが)の田山白雲といって、田舎(いなか)廻りの絵描きですよ」
 駒井甚三郎も、この返答には、いささか面喰(めんくら)いました。
 誰もが天下無敵の勇者であるように思い、またそう思われても、さしつかえないほどの体格と力量を持ち、今やこの船中では、偶像的にまで渇仰(かつごう)されようとしているその御本人が、「おれは絵師だ……しかも田舎まわりの絵描きだ」と淡泊にぶちまけてしまった気取らない純一さを、駒井は微笑せずにはいられませんでした。さいぜんの蛮勇は真似(まね)ができても、この淡泊は真似ができないと感じました。
 そこで、駒井甚三郎と田山白雲との、うちとけた談話がはじまります。
 田山白雲は、今の画界の現状と、その弊風とを語りました。
「あの書画会というやつ、あれがいけないんです……柳橋の万八で、たいてい春秋二季にやりますな、あれが先輩を傲(おご)らしめ、後進を毒するのです。それとても、書画会が悪いのではない、書画会をそういう機関にした組織そのものが誤ってるんでしょうな。あなたも、万八の書画会へはおいでになったことがありましょう」
「ありません」
「それは話せない、一度はごらんになってお置きになるがよろしい、あれは新進の画家には登竜門になるのですから、あの別席へ陳列されるということは、画家にとってはなかなかの光栄なのですから、若い人たちが勉強します……勉強して、なかなかいいものを作ることがあります、その点だけは画界のためになりますが……」
と、いいながら田山白雲は、そのすぐれて長い刀をいじくりまわすところは、どう見ても塙団右衛門(ばんだんえもん)といったような形で、いやしくも絵筆をとるほどの人とは見えません。しかし、その話しぶりは、時弊を論じても、一概に意地悪くならないところに、やはり風流人らしい一面はあるようです。
「それからがいけないのです、自分の努力を、正直に人に見せている分には難はないのですがね……そのうちに、人の物を審査してみたくなる、これが間違いのもとです。二三回いいのを見せてくれたなと思っているうちに、いつのまにか大家になって、人の物の審査をやり出すのです、そうして後進に訓示をするような口吻(こうふん)を弄(ろう)するんですからいけませんや……それではトテも大物は出ませんね」
「そうでしょう、好んで人の師となるのはよくないことです」
と駒井が軽く相槌(あいづち)を打ちました。白雲は慨然として、
「そこへいくと……浮世絵師とはいいながら、葛飾北斎(かつしかほくさい)はエライところがありましたよ。あの男は相当に名を成した時分にも、書画会へ出るには出ましたがね、雨の降る時などは蓑笠(みのかさ)で、ハイ葛飾の百姓がまいりましたよ、といって末席でコクメイに描いていたものです。年はたしか九十で死にましたかな。死ぬ前も、天われにもう十年の歳をかせば本物が描ける、どうしてもいけなければ、もう五年、といって死んだというのは本当でしょう。おれには猫一匹も描けない、描けないと、絶えず妹に訴えていたというのも、嘘ではあるまい……」
 それから白雲は、当代の画家にはこの己(おの)れを責むる心がなく、社会に真の画家を養成する大量のないことを説き、天然の名勝や、善良な美風が破壊される時に、腹を立てる美術家はないが、舶来の裸物(はだかもの)に指でもさすと、ムキになって怒り出す滑稽を笑い、我が国の古来の大美術はもちろん――近代になって、東州斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の如きでも、その特色を外国人から教えられなければわからないでいる。自分をわすれるにも程のあったものだというようなことを論じているうちに、船が木更津(きさらづ)へ着きました。
 ここで、こそこそと例の遊民どもは上陸し、乗客の大部分も下船しましたが、この二人は船の上に留(とど)まったまま、談論に耽(ふけ)っているのです。
 聞くところによると田山白雲は、保田(ほた)から上陸して房総をめぐり、主として太平洋の波を写生して帰るのだそうです。
 白雲のいうところによると、古来、日本の画家で、水を描いて応挙(おうきょ)の右に出づるものはないが、まだ大洋の水を写したのを見ない、房総の鼻をめぐって見ろと人から勧められたままに、出て来たのだということです。房総の海は自分に何を教えるか知らないといっている。
 駒井は、自分の仮住居(かりずまい)、洲崎(すのさき)の番所の位置をよく説明して、行程のうち、ぜひ足をとどめるようにとのことを勧め、田山は喜んでそれを請け入れました。
「わしは、こうして歩いていると、誰も画家とは見てくれないで困りますよ。いや困りはしません、結局、それが幸いになることもあるのです……そうです、十人が十人、拙者を武芸者だと睨(にら)んでかかるのですな。それが都合のよいこともありますが、滑稽を引起すことも珍しくはない。いや、武術も少しやるにはやりました。拙者の藩は小藩ですからな、僅かに一万石の小藩ですから、家老上席になったところで九十石の身分です。しかし、武術は好きで、ずいぶんやるにはやりましたよ、自慢ではないが、まあ、大抵の喧嘩には負けません。武術も好きでしたが、絵も好きでした。子供の時分、拙者は江戸で生れました。浅草の観世音へ行っては、あの掛額をながめて、絵をかいたものです、あれが拙者の最初の絵のお手本です。文晁(ぶんちょう)のところへも、ちょっと行きました。ありゃ俗物です、俗物ですけれども、一流の親分肌のところもありましたね……絵の本当の師匠は古人にあるのです、古人よりも山水そのものですな。雪舟もいいましたね、大明国(だいみんこく)にわが師とすべき画はない、山水のみが師だ……と。要するに写生です、一も二も写生ですよ……しかし、この写生観は応挙のそれとは性質を異にしているかも知れませんが、写生はすなわち自然で、自然より大いなる産物はありませんからな――いけません、西洋の山水画というものも、うす物を通して見るには見ましたが、それは支那のものとは比較になりませんよ。あなたは、支那の山水画を御存じでしょうな、雪舟、その他一二を除いては、日本の山水画も、あれにくらべると侏儒(いっすんぼうし)です、支那の山水画は人間の手に出来たものの最上至極のものです、あれがみんな写生ですよ……西洋画の写生よりも、もっと洗練された写生なんです」
といって白雲は、支那の古代からの、宋、元、明に及ぶまでの絵画の歴史と品評とを始めました。駒井甚三郎はここでもまた、異常なる傾聴を余儀なくされたのです。
 駒井も今まで絵を見ていないということはない。また絵についても当時の上流の士人が持っていただけの教養は持っている。ただ、当時上流の士人が持っていただけの教養以上にも、以外にも出でなかったのみだ。南北の両派、土佐、狩野(かのう)、四条、浮世絵等についての概念を以て、人の高雅なりとするものは高雅なりとし、平俗なりとするものは平俗としていたのが、ここで思いがけない写生一点張りの画論を聞いて、容易ならぬ暗示を与えられたようにも感じました。
 彼は船乗りの小僧、金椎(キンツイ)によって、西洋文明の経(たて)を流れているキリストの教えを教えられ、今はまた、ここで自分が絵画とか美術とかいうものに対する知識と理解の、極めて薄いことを覚(さと)らせられました。
 学ぶべきものは海の如く、山の如く、前途に横たわっている――という感じを、駒井甚三郎はこの時も深く銘(きざ)みつけられました。
 船が保田に着く。田山白雲は、一肩(いっけん)の画嚢(がのう)をひっさげて、ゆらりと船から桟橋へ飛び移りました。
「さようなら、近いうち必ず洲崎の御住所をお訪ね致しますよ」
 笠を傾けて、船と人とは別れました。まだ船にとどまって、館山(たてやま)まで行かねばならぬ駒井甚三郎は、保田の浜辺を悠々(ゆうゆう)と歩み行く田山白雲の姿を見て、一種奇異の感に堪えられませんでした。

         八

 その名のような白雲に似た旅の絵師を、駒井甚三郎は奇なりとして飽かず見送っておりました。
 ほどなく松の木のあるところから姿を隠してしまった後も、髣髴(ほうふつ)として眼にあるように思います。
 しかしながら、人の生涯は、大空にかかる白雲のように、切り離してしまえるものでないと思いました。人情の糸が、必ずどこかに付いていて、大空を勝手に行くことの自由をゆるされないのが人生である。あの男もどこかで行詰まるのではないか。あの男の蔭に、泣いて帰りを待つ妻子眷族(さいしけんぞく)というものもあるのではないか。
 さりとて、人間は天性、漂泊を好む動物に似ている。
 自由を好んで不自由の中に生活し、漂浪を愛して、一定の住居にとどまらなければならない人間。それでもその先祖はみな旅から旅を漂泊して歩いたものだから、時としてその本能が出て来て、人をして先祖の漂浪にあこがれしめるのではないか。物慾の中に血を沸かして生きている人々が、どうかすると西行や芭蕉のあとに、かぎりなき憧憬(どうけい)を起すのは、ふるさとを恋うるの心ではないか。
 左様なことを駒井は考えました。
 船はその夜、保田の港へ泊ることになったものですから、駒井も船の中に寝ることにきめました。この時分には、もう大抵の乗客は上陸してしまって、船は駒井だけのために館山へ廻航するの有様で、船のしたには駒井の携えてきた書物をはじめ、手荷物の類がかなり積み込まれているから、駒井も、ここでちょっと船とはわかれられないようになっているのです。
 まだ日脚(ひあし)は高いので、このまま船中に閉じ籠(こも)るのも気の利(き)かない話です。
 そこで、駒井甚三郎は、程遠からぬ鋸山(のこぎりやま)の日本寺へ登ることを思い立ちました。久しく房州にいるとはいえ、この山へ登ってみたいと思いながら、その機会がなかったのを、今日は幸いのことと思って、船頭に向い、
「これから日本寺へ参詣してくる、ことによると今夜はあの寺へ泊めてもらうかも知れない、しかし、明日の午後、船の出帆までには相違なくもどってくる」
といって、笠をかぶり、田山白雲が右の方、保田の町へ入り込んだのとちがって、左をさして、乾坤山(けんこんざん)日本寺の山に分け入りました。
 切石道を登って、楼門、元亨(げんこう)の銘(めい)ある海中出現の鐘、頼朝寄進の薬師堂塔、庵房のあとをめぐって、四角の竹の林から本堂に詣(もう)で、それを左へ羅漢道(らかんみち)にかかると、突然、上の山道から途方もない大きな声で話をするのが聞える。
「羅漢様に美(い)い男てえのはねえものだなあ」
「べらぼうめ、こちと等(ら)は羅漢様からお釣りをもらいてえくれえのものだ」
「ちげえねえ、いよう羅漢様」
「羅漢様――」
「羅漢様――」
 山を遊覧する人間が、大きな声を出してみたくなるのは、妙な心理作用であると思いました。江戸あたりから遊覧に来た連中らしいが、とうとうそれらは羅漢様からお釣りを取ろうという面(かお)を見せずに、あちらの山に消えてしまう。
 さて、石の千体の羅漢はこれから始まる。あるところには五体十体、やや離れて五十体、駒井甚三郎は、その目をひくものの一つ一つをかぞえて行くうち、愚拙(ぐせつ)なるもの、剽軽(ひょうきん)なるもの、なかには往々にして凡作ならざるものがある。無惨なのは首のない仏。しかしながら、首を取られて平然として立たせたもう姿には、なんともいえない超然味がないではない。
 やがて駒井が足をとどめたところには小さな堂があって、その傍らにかなり古色を帯びた石標――「秋風や心の燈(ともし)うごかさず 南総一燈法師」と刻んである。
 それよりも、駒井の心をひいたのは、まだ新しい羅漢様の一つに「元名(もとな)米商岡村ふみ」と刻まれた、その女名前が、妙に駒井の心をなやませました。
 そこを少しばかりのぼってまた曲りにかかる。
 その曲りかどで風が吹いて来ました。
 その風の中からおりて来たのが妙齢の美人です。
 駒井もゾッとしました。高島田に結って、明石(あかし)の着物を着た凄いほどの美人が、牡丹燈籠(ぼたんどうろう)のお露のような、その時分にはまだ牡丹燈籠という芝居はなかったはずですが、そういったような美人が、舞台から抜け出して、不意に山の秋風の中から身を現わしたのだから、駒井ほどのものも、ゾッとするのは無理もありません。
 それだけではありません。見ればその娘の胸に抱えられているものがある。
 娘が後生大事(ごしょうだいじ)に抱えているそれを、よく見ると羅漢様の首でありましたから、駒井はいよいよ怪しみの思いに堪えることができません。
 すれちがって、娘は曲りかどを下へ、駒井は立って見送っていると、一間ばかり行き過ぎた娘があとを振返って、駒井を見てにっこりと笑いました。
「これからお登りなさるの?」
「ええ」
 駒井は物怪(もののけ)から物を尋ねられたように感じながら頷(うなず)いて見せると、
「お帰りに、わたくしのところへ泊っていらっしゃいな」
 これには急に挨拶ができませんでした。しかし、そこで駒井は、ああ気の毒なと感ずることができました。
 この娘は、その風姿の示す通り、しかるべき家のお嬢様として、恥かしからぬ女性ではあるが、何かにとらわれて気が狂っているのだ。そこで、
「どうも有難う……」
 駒井は愛嬌を以て答えると、娘はうれしそうに踏みとどまって、
「ほんとうに来て頂戴……待っていますから」
「行きます」
 駒井はお世辞のつもりでいいました。
「きっと」
「…………」
 深くは相手にならないがよいと駒井が思いました。常識を逸しているものを苟(いやし)くも信ぜしめるのは、それを弄(もてあそ)ぶと同じほどの罪であるように思われたからです。そこで駒井は自分から歩みを進めて、またも登りにかかりました。
 登る途(みち)は、くの字なりになっていますから、次の曲りかどへ来ると、どうしても、以前の曲りかどを見ないわけにはゆきません。
 以前の娘は、まだそこに立って、駒井の後ろ姿をながめているのと、ピタリと眼が合いました。
「きっと、いらっしゃい」
「行きますから、早くお家へ帰っておいでなさい」
 駒井は早くこの娘を家へ帰してやりたいものだと思いました。家ではまたナゼこういう病人を一人で手放して置くのだろうと、それを心もとなく思っていると、娘は恥かしそうに、
「もし……あなた、そこいらに茂太郎が見えましたら、お帰りにぜひおつれ下さいましな」
 それでは、やっぱり連れがいたのか……そこへにわかに雲がまいて来ました。
 日本寺の裏山はすなわち鋸山で、名にこそ高い鋸山も、標高といっては僅かに三百メートルを越えないのですから、そうにわかに雲を呼び、風を起すほどの山ではありません。しかし、このとき、にわかに雲がまいて来たのは、比較的、風が強かったせいでしょう。山も、木萱(きがや)も、一時にざわめいてきました。
 髪と着物の裾(すそ)をこの風と雲とに存分に吹きなぶらせて、山を駈けおりる女は、羅漢様の首ばかりを後生大事に抱いて、
「いやな人……」

         九

 駒井甚三郎はその晩は日本寺へ泊り、翌(あく)る日は予定の通り船へ戻ると、船も予定の通りに館山へ向けて出帆したものですから、多分、無事に洲崎へ着いていることでしょう。
 これよりさき、保田の町へ入り込んだ田山白雲は岡本兵部(ひょうぶ)の家へおちつき、その夜は兵部の家の一間で、熱心に主人が秘蔵の仇十洲(きゅうじっしゅう)の回錦図巻を模写しておりました。
 あれほどに写生を主張していた男が、船から上ると早々模写をはじめたことは、多少の皮肉でないこともないが、そうかといって、写生主義者が模写をして悪いという理窟もありますまい。つまり、よくよくこの仇十洲の回錦図巻に惚(ほ)れこんだればこそ、万事を抛(なげう)って模写にとりかかったものと見るほかはない。
 仇十洲の回錦図巻の模写に、田山白雲が寝ることも、飲むことも、忘れていると、
「今晩は……」
 そこへ、極めてものなれた女の声。
「はいはい」
 田山白雲も筆を揮(ふる)いながら洒落(しゃらく)に答えますと、
「入ってもようござんすか」
「ようござんすとも」
「そんなら入りますよ」
「おかまいなく」
 白雲は始終描写の筆をやすめませんでした。白雲の頭は仇十洲の筆意でいっぱいになっているものですから、障子の外のおとずれなどはつけたりで、調子に乗って、うわの空で返事をしてみただけのものです。
「御免下さい」
 障子をあけて、そこに立ったのは、スラリとした牡丹燈籠のお露です。
「はい」
 それでも田山白雲は筆もやすめないし、頭を後ろへまわして、来訪に答えるの労をも惜しんでいる。
「御勉強ですね」
「ええ、御勉強ですよ」
「お邪魔になりゃしなくって?」
「ええ、お邪魔になりゃしませんよ、話していらっしゃいな」
 白雲は柄(がら)になく優しい声でお世辞をいいました。けれど相変らず模写に頭を取られているものですから、相手の誰なるやを考えているのではありません。
「どうも有難う……何を、そんなに勉強していらっしゃるの?」
 幽霊のような裾(すそ)を引いて、するすると入って来て、後ろから白雲の模写ぶりを覗(のぞ)きにかかりましたけれども、白雲はいっこう平気で、
「ここの主人から借り受けた仇十洲の回錦図巻があまり面白いから、こうして模写を試みているところですよ」
 白雲は、やはり言葉はうわの空で、頭と、手と、目とが、図巻に向って燃えているのです。
「そんなによいのですか、その絵巻物が?」
「結構なものですよ、全く惚(ほ)れ込んでしまいましたね」
「そうですか、そんなによいものなら、わたしにも見せて頂戴な」
といって無遠慮に図巻の上へ伸ばしたその手が、白魚のように細かったものですから、ここに初めて田山白雲は愕然(がくぜん)としました。
「え」
 そこで初めて振返って見ると、例のゾッとするほどの妙齢の美人です。
「あなたは何ですか」
「幽霊じゃありませんよ」
 疑問を先方が答えてくれましたから、白雲ほどのものが度肝(どぎも)を抜かれました。
「いつ、ここへ入って来ました?」
「いつ……? 今、あなたにお聞きしたんじゃありませんか、それで、あなたがいいとおっしゃったから入って来たのよ」
「そうでしたか、拙者がいいと言いましたか」
「いいましたとも」
「そうでしたか……」
 田山白雲が呆(あき)れ返ってながめると、その上に解(げ)せないことは、この美人が後生大事に胸に抱きかかえているものがあります。
 それが人間の生首でなくて仕合せ。
「あなた、わたし、今日、鋸山の日本寺へ参詣して来たのよ、一人で……」
「そうですか」
「そうしてね、途中で美(い)い男にあいましたのよ、それはそれは美い男」
「そうですか、それは結構でしたね」
 白雲がしょうことなしに話相手になりました。
「あなたより美い男よ……」
「そうですか、わたしより美い男でしたか」
と白雲が苦笑いしました。
「ですけれども、あなたも美い男よ……美い男というより男らしい男ね、あなたは……」
「大きに有難う」
「ですけれども、茂太郎も美(い)い子ね、あなたそう思わなくって?」
「左様……」
「そうでしょう、あのくらい美い子は、ちょっと見当らないわ」
「そうかなあ」
「それに第一声がいいでしょう、あの子の声といったら素敵よ。昔は、わたしが歌を教えて上げたんだけれど、今ではわたしより上手になってしまったわ」
「ははあ、そんなに歌が上手でしたか」
「上手ですとも。あなた、それで、あの子は声がよくって、歌うのが上手なだけではないのよ、自分で歌をつくって、自分で歌うのよ」
「そうですか、それはめずらしい」
「一つ歌ってお聞かせしましょうか」
「どうぞ」
「わたしは茂太郎ほどに上手じゃありませんけれど、それでも茂太郎のお師匠さんなのよ」
「何か歌ってお聞かせ下さい」
「何にしましょうか」
「何でもかまいません」
「それでは、わたしが茂太郎に、はじめて歌の手ほどきをして上げた、あれを歌いましょうか」
「ええ」
「それは子守唄なのよ」
「子守唄、結構ですね」
「それでは歌いますから、よく聞いていらっしゃい」
といって、女は胸に抱いているものをあやなすようにして、
ねんねがお守(もり)は
どこへいた
南条長田(おさだ)へとと買いに
そのとと買うて
何するの
ねんねに上げよと
買うて来た
ねんねんねんねん
ねんねんよ
 そうすると、女が歌の半ばにほろほろと泣き出してしまいました。
 田山白雲は胸を打たれて気の毒なものだと思いました。この年で、この容貌(きりょう)で、そしてこの病。
 これが岡本兵部の娘なのか。
 娘は泣きながら両袖を合わせて、抱えたものをいよいよ大事にし、
「ねえ、あなた、茂太郎はどこへ行きましたろう……鋸山の上にもいませんでしたわ」
「そのうち帰るでしょう」
「そうか知ら、帰るかしら、いつまで待ったら帰るでしょう」
ねんねんねんねん
ねんねんよ
ねんねのお守は
どこへいた
お山を越えて
里越えて
そうしてお家へ
いつ帰るの……
 女は蝋涙(ろうるい)のような涙を袖でふいて、
「ねえ、あなた、この子の面(かお)が茂太郎によく似ているでしょう、そっくりだと思わない?」
といって、今まで後生大事に胸にかかえていたものを、両手に捧げて白雲の机の上に置きました。それは石の羅漢(らかん)の首ばかりです。
「うむ」
 白雲が挨拶に苦しんでいると、
「似ているでしょう。もし似ていると思ったら、それを描(か)いて頂戴な……」

         十

 田山白雲は保田を立つ時、予期しなかった二つの獲物(えもの)を画嚢(がのう)に入れて立ちました。
 仇英(きゅうえい)の回錦図巻と狂女の絵。その二つを頭の中で組み合わせながら、再び白雲は旅にのぼったものです。

 下谷の長者町の道庵先生が、かねての志望によって、中仙道筋を京大阪へ向けて出立したのも、ちょうどその時分のことでありました。
 先生のは、もっと、ずっと以前に出立すべきはずでしたけれども、米友の方に故障もあったり、何かとさしつかえがそれからそれと出来たものですから、つい延び延びになってしまいました。
 いよいよ出立の時は、近所隣りや、お出入りのもの、子分連中が盛んに集まって、板橋まで見送ろうというのを強(し)いて辞退して、巣鴨の庚申塚(こうしんづか)までということにしてもらいました。物和(ものやわ)らかな豆腐屋の隠居、義理固い炭薪屋(すみまきや)の大将といったような公民級をはじめとして、子分のデモ倉、プロ亀に至るまでがはしゃぎまわってみおくりに来ました。
 しかし、これらの連中は、みな庚申塚でかえしてしまい、あとに残るのは先生と、同伴の宇治山田の米友と二人だけ。
「米友様」
と道庵先生が呼びかけると、
「うん」
と米友がこたえます。
 道庵がしゃれて褄折笠(つまおりがさ)に被布(ひふ)といういでたち。米友は竹の笠をかぶり、例の素肌(すはだ)に盲目縞(めくらじま)一枚で、足のところへ申しわけのように脚絆(きゃはん)をくっつけたままです。二人ともに手頃の荷物を振分けにして肩にひっかけ、別に道庵は首に紐をかけて、一瓢(いっぴょう)を右の手で持ちそえている。米友は独流の杖槍。
「さて米友様、永(なが)の旅立ちというものは、まず最初二三日というところが大切でな……静かに足を踏み立ててな、草鞋(わらじ)のかげんをよく試みてな……そうしてなるべく度々休んで足を大切にすることだ」
「なるほど」
「旅籠屋(はたごや)へ着いたら、第一にその土地の東西南北の方角をよく聞き定めて、家作りから雪隠(せついん)、裏表の口々を見覚えておくこと……」
「うん」
「もしまた、馬や、駕籠(かご)や、人足の用があらば、宵(よい)のうちに宿屋の亭主にあってよく頼んでおくがよい、相対(あいたい)でやると途中困ることがあるものだ。朝起きては膳の用意をするまでに仕度をして、草鞋をはくばかりにして膳に向うようにしなくちゃならねえ」
「うん」
「朝はせわしいものだから、よく落し物をする故、宵のうちによく取調べて、風呂敷へ包んで取落さぬようにしなくちゃならねえ」
「なるほど」
「旅籠屋は定宿(じょうやど)があれば、それに越したことはないが、初めてのところでは、なるたけ家作りのよい賑やかな宿屋へ泊ることだ、少々高くてもその方が得だ」
「そうかなあ」
「道中で腹が減ったからといって、無暗に物を食ってはいけねえ、また空腹(すきばら)へ酒を飲むのも感心しねえ……酒を飲むなら食後がいいな、暑寒ともにあたためて飲むことだよ、冷(ひや)は感心しねえ」
「おいらは酒は飲まねえ」
と米友がいいました。

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