大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 清澄の茂太郎は、ハイランドの月見寺の三重の塔の九輪(くりん)の上で、しきりに大空をながめているのは、この子は、月の出づるに先立って、高いところへのぼりたがる癖がある。人に問われると、それは、お月様を迎えに出るのだというが、しかし今晩は、どうあっても月の出ないはずの晩ですから、茂太郎も、それを迎えに出る必要はないはずです。
天には星の数
地にはガンガの砂の数
 大声あげてうたいました。
 してみると、茂太郎は、星をながめるべくこの塔の上へのぼったものです。
 茂太郎が、星をながめる興味は、今にはじまったことではありません。
「星は雨の降る穴だ」
と教えられた時分に、ふと清澄山の頂(いただき)で、海の上高く、無数の星をつくづくとながめて、
「穴ではない、星だ、星だ」
と叫んだのが最初で、それからこの子は、天界の驚異のうちに、星の観察を加えました。
 見れば見るほど、星の正体がこの子供には神秘にも見え、また親愛にも見え出して来たので、月を迎えに出るのを口実に、ほんとうは星の数をかぞえて帰ることが多かったものです。
 もとより、この子は、天文の観察を、少しも科学の基礎の上には置いていない。
「あの星がいちばん光る」
という直覚の第一歩から踏み出して、それを標準に、夜な夜なの変化を観察して、その記憶を集めているうちに、
「動かない星がある」
という第二段の知識で、北極星を認めたことから進み、今では星座の知識をほとんど備えて、普通の肉眼では六ツしか見えないという牡牛座(おうしざ)の星も、この少年には、たしかに十以上は見えたものらしい。
 星は決して雨の降る穴ではない、どの星も、この星も、おのおの独立した個性を持って大空に光っていると見たこの少年は、昔の杞国(きこく)の人が憂えたと同じように、いつあの星が落ちて来ないものでもないという恐怖に、一時はとらわれましたが、恐怖の対象としては、星の光は、あまりに美しくて、懐かしいので、久しからずして、その怖れから解放されて、驚異のみが加わってゆくのです。
 清澄山や日本寺あたりの空は広く、気は澄んでいて、天候の観察には便利でありましたが、このハイランドは、それに比べると壺中(こちゅう)の天地のようなものでしたから、一時は迷いましたけれど、今ではすっかりお馴染(なじみ)になって、
天には星の数
地にはガンガの砂の数
を歌い出すと、おのおのの星が舞い出して、茂太郎の周囲に降りてくるようです。
 色の最も赤い、運動の最もはやい、マースの星が、茂太郎の愛するところの一つでありました。
 茂太郎の天文学は、科学に基礎を置いていないように、迷信にも囚(とら)われておりませんから、西洋ではローマ以来、戦(いくさ)の神と立てられているこの星、東洋ではその現わるるのは戦の前兆として怖れられたこの星も、茂太郎には、ただその色が美しく、そして舞いぶりがことにいさましいのをよろこばすだけのものです。
 すべて、物は、純な心を以て見ないものに、その美しさを示すということがありません。清澄の茂太郎にとっては、天上の星の一つ一つが、充分にその美しさを旋廻して見せるのですから、見れども飽くということを知らず、ある時は星と共に大空の奥深く吸い込まれ、ある時は星が来って、わが周囲に舞いつ、おどりつしているもののように見え、
「弁信さん、星がキレイにおどっているよ、とても綺麗(きれい)……」
と呼びました。
 清澄の茂太郎が、天上の星をながめている時、地上の庭では、弁信法師が虫の鳴く音に耳を傾けております。
「トテモ綺麗だよ」
 茂太郎は天上の星に恍惚(うっとり)として躍動した時、地上の虫を聞いていた弁信は、
「茂ちゃん、わたしは今、虫の音を聞いているところですよ」
 この返事は、塔の上はるかな茂太郎の耳には入らなかったでしょう。
「いろいろの虫が、草むらで鳴いておりますよ」
 おのおのの虫は、おのおのの生を語るが如く、力いっぱいの奏楽を試みている。弁信は、今、その一つ一つが持つ生命の曲を聞きわけようとして離れられないものらしい。茂太郎は、あらんかぎりの愉悦を以て、あらんかぎりのあこがれを捧げて、星をながめているのだが、虫を聞いている弁信の面(おもて)から、泣くが如く、憂うるが如き、一味の哀愁を去ることができません――これは二人の性格の相違にもよるのでしょうが、すべて天上を見るものには、無限のあこがれがあって、地上に眼を転ずる時は、誰しも一味の哀愁をわすれることができないのでしょう。
 そこで、天上と地上の二人の交渉は、暫く絶えてしまいました。
 星はほしいままに天上にかがやき、虫は精いっぱいに地上で鳴いていると、
「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と日蓮上人が仰せになりました」
 弁信法師がこういって、見えない眼をしばたたいたのは、物に感じて、また例のお喋(しゃべ)りを禁ずることができなくなったものでしょう。
「鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と日蓮上人が仰せになりましたのは……」
 弁信法師は、地上の虫が咽(むせ)ぶように咽び出して、
「現在の大難を思うも涙、後生(ごしょう)の成仏(じょうぶつ)を思うてよろこぶにも涙こぼるるなり、鳥と虫とは鳴けども涙落ちず、日蓮は泣かねど涙ひまなし……と御遺文のうちから、私が清澄におります時に、朋輩から教えられたのを覚えているのでございます」
といって、あらぬ方(かた)に向き直って、いつもするように、誰をあてにともない申しわけ。
「ええ、私でございますか……いつも申し上げる通り、この眼が見えないものでございますから、耳の方が発達しておりまして、一度聞かせていただいたことはわすれません、二三度、とっくりと聞かせていただきますと、生涯わすれないのが、幸か不幸か私にはわかりませぬ……ことに、達人高士のお言葉には、必ず音節とおなじような律(りつ)がございますものですから、それが音律の好きな私には、ひとりでに、すらすらと覚えられてしまう所以(ゆえん)でございます」
 弁信は、ふらふらと庭の中を二足ばかりあるいて踏みとどまり、
「日蓮上人は、安房(あわ)の国、小湊(こみなと)の浜でお生れになりました。こういう山国とちがいまして、あちらは海の国でございます、大洋の波が朝な夕なに岸を打っては吼(ほ)えているのでございます……小湊へおいでになった方も多いでございましょうが、あの波の音をお聞きになりましたか……今も波の音が南無妙法蓮華経と響いて聞えるのが不思議でございます、それは日蓮様がお生れになる以前から、やはり南無妙法蓮華経と響いていたのでございましょう……海の波がしらは獅子の鬣(たてがみ)のようだと、人様が申しましたが、私共が聞きますと、大洋の波の音は、獅子の吼える音とおなじなのでございます」
 虫の鳴く音から誘われた弁信の耳には、東夷東条安房の国、海辺の怒濤(どとう)の響が湧き起ったようです。

         二

 その時、塔の上では茂太郎が、けたたましい声で歌い出しました――
とっつかめえた
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえた
星の子を
とっつかめえて
五両に売った!
五両の相場
五両の相場は誰(た)が立てた
八万長者のチョビ助が!
 けれども、下にいた弁信法師の耳には、この時海潮音(かいちょうおん)の響がいっぱいで、茂太郎のけたたましい声が入りませんでした。
 弁信法師は今黙然(もくねん)として、曾(かつ)て聞いた片海(かたうみ)、市河、小湊の海の響を思い出しているのです。梵音海潮音(ぼんおんかいちょうおん)はかの世間の声に勝(まさ)れりという響が、耳もとに高鳴りして来たものですから、その余の声を聞いている遑(いとま)がありません。
 こうして、天上のあこがれと、地上の瞑想(めいそう)が、二人の少年によって恣(ほしいまま)にされている時、その場へ不意に一人の殺生者(せっしょうもの)が現われました。
 殺生者――といっても白骨の温泉へ出発した机竜之助が立戻ったわけではなく、極めて平凡なその道の商売人である猟師の勘八が、抜からぬ面(かお)で立戻り、ひょっこりとこの場へ現われたものであります。
「弁信さん、お前、そこで、あにゅう、かんげえてるだあ」
 猟師の勘八は、いま山からもどったばかりのなりで、鉄砲をかつぎながら言葉をかけたものですから、
「あ、勘八さんでしたか」
「今、けえりましたよ」
「そうでしたか、猟はたくさんございましたか」
「大物を追い出すには追い出したでがすが、また追い込んでしまったから、これから出直しをしようと思ってけえって来たところでがすよ」
「あ、左様でございましたか。そうしてその大物というのは何でございます」
「熊だよ」
「え、熊がこの辺にもおりますか」
「いますとも」
「お怪我(けが)をなさらないようになさいまし」
「有難う。それから弁信さん」
「はい」
「お前さんは、お銀様という人を知っているだろうね」
「お銀様――ああ、知っておりますよ、それがどうしましたか」
「その方を、わしが連れて来ましたよ」
「お銀様を連れておいでになった……勘八さん、お前こそ、どうしてお銀様を知っているのですか」
「山の中で拾って来ました」
「拾って……それは、どうしたわけでしょう」
「委(くわ)しいことは、お銀様から直接(じか)にお聞きなすったらいいだろう」
「本人のお銀様を、お前さんがここへ連れておいでになったのですか、そうしてお銀様はドコにおいでになりますか」
「いま、庫裡(くり)の方へ御案内をして上げておいたから、お前、行って、お目にかかっておやりなさい」
「有難うございます……そうしてなんでございますか、勘八さんがお連れ下すったのはお銀様だけでございますか、それとも、あの若いおさむらいの方も御一緒にお帰りになりましたか」
「あの方は、けえりません、お銀様だけ一人連れてきました」
「そうでしたか……お銀様のこれへおいでになった理由は、私にも思い当ることがないではございませんが……」
といって弁信は、何か思案にくれました。

         三

 月見寺の一室に控えているお銀様は、ふと床の間に目をつけて、その草花を生(い)け替える気になりました。
 というのは、青銅の大花瓶に乱雑に投げ込んである秋草は、多分清澄の茂太郎あたりの仕事だろうが、無論、式にも法にもかなってはいない。そこで、お銀様が見かねて、それを整理する気になったのです。
 かなり丹念に、花と枝を整理してゆくと、見ちがえるばかりのあざやかなものとなりました。
 それでもお銀様は、まだ不足なものがあるように、活(い)け終った草花を、ためつすがめつして、ながめていること暫し、ここといって改めたいところはないが、そうかといって、これだけでは物足りない心持を、どうすることもできないらしい。
 これは、どうしたものだろう。お銀様は、花を活ける手際には、相当の自信を持っているつもりなのに……
 結局、これは、自分の活け方の悪いのではない、この方式で活けた花は、この室内にはうつらないのだ、と気がつきました。
 花にも、手際にも、難があるのではない、この室そのものが、花と、手際とにそぐわないのだ。つまりこの室が悪いのだという結論になりました。
 ですから、この室を作り変えない以上は、この花に得心がゆくべきはずがない。室を作り変えるのは、家を作り変えるのだ。問題が、そこまで行くと、お銀様も不本意ながらこのままで安んずるほかはありません。
 そんならば、この室のどこが悪いのだ、一見したところで、無理に作られているとも思われない。仔細に見たところで、世間並みの書院造りの手法様式と変ったものが、あろうとも思われないが、どうも気分そのものが気に喰わない。
 と思って、見廻しているうち、ふと、お銀様の眼にとまったのは、床の間に立てかけであった、長い白鞘物(しらさやもの)です。これは、お寺の床の間には似つかわしからぬもので、今までお銀様が気がつかなかったのは、燈火(あかり)の具合で、隅の柱に隠形(おんぎょう)の印(いん)をむすんでいたからです。
 お銀様は、ようこそあれと、その白鞘の長物をとって、自分の膝の上まで持って来ましたが、やがて行燈(あんどん)の下で、半分ばかり鞘を抜き出してながめ入ったものです。
 この時とても、お銀様はいつもするように、頭巾(ずきん)をまぶかにかぶっていたし、山をのがれてきたのにかかわらず、着物の着こなしは端然たるものです。
 お銀様の眼が怪しくかがやきだしたのは、それから後のことで、息をはずませながら、刀をもとのままにおさめて、もとあったところへ置く手先がふるえているのも不思議でしたが、刀を置いた手を、すぐに棚の戸にかけて、スルスルと押し開くと、中をながめていましたが、手をさしのべて、中から引き出したのは、若い娘などの持ちたがる蒔絵(まきえ)の香箱(こうばこ)であります。
 それを、大事そうに、以前のところまで持って来たお銀様は、嫉(ねた)むような目つきと、おそれをなすような胸のさわぎで、箱の蓋(ふた)を払って見ましたが、中にはやわらかな紙が二三枚、丁寧にたたんで入れてあるだけのものでした。
 これは、水につけて蔭干しにして、やわらかくもみ上げた奉書の紙で、これで刀剣の中身をぬぐうのだとは、お銀様もちゃんと知り抜いているので、かたえに刀剣がある以上は、ドコかにこれがなければならない――
 それは、家があれば台所のあるのとおなじことで、お銀様も、幾度か、机竜之助のために、この紙を用意してやった覚えがあるのですが、現在、ここにあるこの紙は、お銀様がこしらえてやったものではありません。
 そう思って見ると、自分が常にこしらえてやったものよりは、揉み方がやわらかである――お銀様は、急にその香箱を持って、自分の鼻先に持って来ると、紛(ぷん)として立ちのぼる香りは椿油の香いであります。椿の油は、刀剣を愛する人の好んで用うるものであると共に、髪の毛の黒いことを望む女の人は、誰でもこれを珍重しますから、ドチラにしてもその香いは不自然ではありません。
 けれども、お銀様は、その油の香いが嫌でした。この場合、お銀様には、奉書の紙の揉(も)み方のやわらかいのが癪(しゃく)にさわったと見え、この紙を取り上げてズタズタに引裂いた時です、
「お嬢様――」
と弁信法師のおとずれの声が聞えたのは――
「はい」
 お銀様は引裂いた紙を、従容(しょうよう)として香箱の中に詰めながら返事をしました。
「弁信さんですね」
「ええ」
と答えたその弁信は、この室へ入って来たのではありません。それは次の間にいるのだか、また廊下の辺にでもたたずんでいたか、夜来て、夜この室に入ったお銀様には、更に見当がつきません。
「お嬢様」
 再びお銀様の名を呼んだ弁信は、前の通りどこにいるか、所在を知らせないで、
「あなたが、何のためにここへおいでになって、何を、私におたずねになろうとするのか、それは、私にようくわかっております。しかし、お嬢様、たとい、あなたがおたずねになろうとするほどのことを、私がいっさい存じておりましたにしても、それを残らず申し上げねばならぬという責(せめ)は、私にないものと御承知下さいまし……つまり、私は、あなたがこれへおいでになって、私にお尋ねになろうとすることに、いっさい御返事を申し上げないことに、きめてしまいました」
 何も尋ねられない先に、弁信はこういって予防線を張ってしまったのは、尋ねられないまでも、その先、その先をいってしまいたがるこのお喋(しゃべ)り法師としては、異数の現象でありました。
「それでは無理におたずねは致しますまい」
とお銀様が冷やかに答えましたが、
「お前が教えてくれなくても、わたし一人で探してみせるから……」
と針をふくんでいいかえしました。しかし、この針も弁信法師の胸には立たず、
「すべての女の人は、男を畏(おそ)れますけれども、あなたは男を畏れるということを知りませぬ、通例の場合では、女一人を男の前へ出すことは危険でございますが、あなたに限っては、女の前へ男を出すことがあぶないのでございます」
 弁信法師一流のいい廻しで、前提を置き、言葉をついで、その註釈を述べようとする時、
「今晩は……」
とその間へハサまったのは、それは弁信の声ではありません。お銀様の挨拶でもありません。清澄の茂太郎が、自分の身体が押しつぶされるほどの夜具(やぐ)蒲団(ふとん)を荷(にな)って、お銀様のいるところへやって来たのです。
「御苦労さま」
とお銀様が言いました。
「ああ、重たかった」
 夜具蒲団を頭から投げおろした茂太郎が、ホッと息をつく有様を、お銀様がつくづくとながめて、
「随分重かったでしょう、よく、これだけ持てましたね」
「随分重かったよ……どちらへお休みになりますか」
といって、茂太郎は座敷の部分を、キョロキョロみまわしますと、
「ええ、ようござんす、そうして置いて下さい」
「そうですか、それじゃ枕を持って来て上げましょう」
 茂太郎は取ってかえしました。
 お銀様は立って、その蒲団を程よいところへしきのべた時分には、弁信法師のことはわすれていました。弁信もまた、それきりで、どこにいたのだか、どこへ行ったのだか、最初からわからないままです。
 まもなく一つの箱枕を持って来た清澄の茂太郎は、燃ゆるばかりの緋絹(ひぎぬ)の広袖の着物を着ていました。
 そこでお銀様が、
「たいそう綺麗(きれい)な着物を着ていますね」
「ええ、もとは坊さんの法衣(ころも)だったのです、それをお雪ちゃんが、あたいに拵(こしら)え直してくれました」
「そうですか」
 茂太郎は今、下着には、あたりまえの袷(あわせ)を着て、その上へいっぱいに緋絹の広袖を着ているのですから、その異形(いぎょう)のよそおいが、たしかに人の目を引きます。けれども、その緋絹が無用になった坊さんの法衣(ころも)を利用したものと思えば、出所が知れているだけに、不思議でもなんでもありません。
「お雪ちゃんというのは、あなたの姉さんですか」
 お銀様は、この子供の言葉尻を利用することを忘れませんでした。
「いいえ、お雪ちゃんは、ここのお寺の娘さん分ですよ」
「そうですか。そのお雪ちゃんは、いまもここにいて……?」
「いいえ……」
 茂太郎が頭を振るのを、お銀様は透(す)かさず追いかけました。
「此寺(ここ)にはいないの?」
「ええ、この間までいましたけれど……」
「この間まで……そうして、今どこへ行ったの?」
「温泉へ行きました」
「温泉へ……?」
「ええ」
「どこの温泉」
「さあ……」
 お銀様の追窮が急なので、茂太郎に困惑の色が現われましたから、お銀様も、ちょっと手綱(たづな)をゆるめる気になって、
「お雪ちゃんという娘さんは、幾つぐらいのお歳なの」
「そうですね、あたいは聞いてみたこともないんだけれど……十七か八でしょう」
「そうして、お雪ちゃんは誰と温泉へ行きました」
「誰とだか……」
「お前、知らないの?」
「ええ。だけども、一人で行ったんじゃないんだよ」
「一人じゃないの、幾人で?」
「三人連れで……」
「その三人は、誰と誰?」
 お銀様の追窮が、やっぱり急になってゆくので、茂太郎の困惑が重なるばかりです。
「それは、わかってるにはわかってるが、弁信さんが、いうなといったからいわれない」
「そう……」
 お銀様も、それ以上は押せなくなりました。しかし、これだけ聞けば、全然得るところがなかったとはいえない。
 そうするとお銀様は、十七八になるお雪という娘の骨を、食い裂いてやりたいほど憎らしくなりました。
「おばさん、お前はなぜ頭巾(ずきん)をかぶっているの……?」
 その時、不意に茂太郎が反問しました。
「これはね――」
 お銀様は行燈(あんどん)の方へまともに面(おもて)を向けて、
「お前さん、わたしの面(かお)を見たいの?」
といいました。
「見たかないけれど、家の中で頭巾をかぶっているのはおかしいじゃないか」
「お前、おばさんの面(かお)が見たいんでしょう、見たければ見せて上げましょうか」
「見たかないけれど……」
「見たいんでしょう……」
といって、お銀様は膝を進ませて茂太郎の手を取りました。
「見たければいくらでも見せて上げるから、この頭巾の紐(ひも)を解いて頂戴……」
「だって……」
「いい児だから解いて頂戴……」
 お銀様は茂太郎を膝の上へ抱き上げ、そうしてあわただしく自分の頭巾を取ってしまいました。
「おばさん、何をするの」
 清澄の茂太郎がもがくと、お銀様は、
「何もしやしません、わたしは鬼子母神(きしもじん)の生れ変りですからね」
といって、放そうとはしませんから、
「いやだ、いやだよ、おばさん」
「怖(こわ)かありませんよ、鬼子母神は人の子を取って食べるのですけれども、わたしは食べやしません、可愛がるだけなのよ、わたしは千人の子供を可愛がってみたい」
「いやだってば、おばさん」
「いいのよ、わたしの面(かお)をごらん」
「え」
といって茂太郎は、頬摺(ほおず)りをするほどさしつけたお銀様の面(かお)を見つめると、
「怖(こわ)い面でしょう、わたしの面は……」
 人に隠して見せまいとつとめた自分の面を、この時に限ってお銀様は、打開いて茂太郎に見せようとします。
 満面が焼けただれて、白眼勝(しろめが)ちの眼が恨みを含んで、呪(のろ)いそのもののような面をまともに見た人は、誰でもゾッとして身の毛をよだてないものはありません。しかし茂太郎は、それを怖れないでうるさがり、
「怖かありません、おばさんの面は怖くないけれども、こうやって抱かれるのが窮屈でならない、放して下さい」
「お前、ほんとうに、わたしの面を怖いとは思わない?」
 お銀様は、なお、おびやかすように茂太郎の面に、呪いそのもののような自分の面を見せようとすると、
「怖かありません、あたいは人の怖がるものを怖がらないけれど、窮屈なことがいちばんきらいなのよ」
「いいえ、おばさんの面はこわい面でしょう、それにくらべるとお前の面は、綺麗な面ね」
「いいえ、怖かありません、あたい蛇だって、狼だって、何だって怖いと思ったことはないけれど、人に可愛がられるのが大嫌いさ、息が詰まるんだもの……」
「お前の名は何というの?」
「清澄の茂太郎」
「茂ちゃんていうの」
「ああ、おばさん、放して頂戴よ、息苦しくて仕方がないからさ」
「おとなしくして、鬼子母神様(きしもじんさま)の子におなりなさい」
「放して下さい、ほんとに熱苦しいんだもの……よう、おばさん」
「おとなしくしておいで――」
「いやだ、いやだ……おばさん、何をするの、放さないの?」
「わたし一人で淋しいから、茂ちゃん、泊っておいでなさいな」
「息が詰まるじゃないか、おばさん、どうしても放さなけりゃ、あたい、口笛を吹いて狼を呼ぶからいいや」
「何ですって、狼を呼ぶ……?」
「ああ、あたいがここで口笛を吹くと、狼が出てくるんだから……」
「まあ怖い……お前は狼より、わたしの方が嫌いなの?」
「だって、息がつまりそうだもの」
「あたしの顔は、狼より怖い……」
「そんなことはないけれど……」
「わたしの息は、蛇の息より、熱苦しいの?」
「おばさん、堪忍(かんにん)して頂戴ね、あたいは怖いものはないけれど……」
「だから、おとなしく、おばさんのいうことをお聞きなさい、あたしは千人の子供を食べる鬼子母神様の生れ変りなんですもの」
「いけませんよ、おばさん。あ、それじゃ、あたい口笛を吹きますよ」
「吹いてごらん、いくらでも」
 お銀様は、その呪(のろ)いそのもののような面(おもて)に、凄(すご)い笑いを漂わせて、茂太郎の口をおさえました。

         四

 お銀様の膝をのがれ出た茂太郎は、弁信に向っていいました、
「弁信さん、奥にいるおばさんはこわいおばさんですよ、人の子を取って食べるんですとさ」
「そばへ寄らないようにおし」
「嘘でしょう、千人の子供を取ってたべるなんて……」
「それは鬼子母神のことです」
「でも、鬼子母神様の生れ変りだっていいましたよ。ナゼ、鬼子母神様は、人の子を取って食べるの?」
「それは愛に餓えているからです……」
 弁信法師はこういって、その話を打切って、二人は例の如く枕を並べて寝に就きました。
 その夜は無事。

 翌日になって、またしてもこの寺へ一人の珍客がやって来ました。
 それは武州高尾山の半ぺん坊主が、やけに大きな奉加帳(ほうがちょう)を腰にブラ下げて、この寺に乗込んで来たことで、
「こういうわけで、今度お許しが出ましたから、またまた山を崩し、木を伐(き)って、車を仕掛けることになりました。ところで、役人の方はうまくまるめちまいましたが、工事をうまくまるめるには、別にそれ、丸いものが余分にかかりますでな……」
といって、頤(あご)を撫でながら奉加帳をくりひろげたものです。
 奉加帳をひろげて、べらべらと能書(のうがき)を並べた末、
「さて高い声ではいえませんが……そうして登りが楽になりますてえと、山の上へ金持がバクチを打ちに参ります、商売人を連れて、おんかでバクチを打ちに参ります、これがそのテラといっては出しませんが、この連中の納める杉苗が大したものなんで。それにのぼりが楽になりますてえと、連込みの客もだいぶ入ってまいります、こういうのが、また杉苗を余分におさめるというわけでございますから……その杉苗でございますか、そんなに杉苗をもらってどうするのだとおっしゃいますか……へ、へ、それは徳利の中でも、半ぺんの下でも、どこへでも植えちまいますから御心配下さるな。そういうわけで、この車が出来さえすれば、一割や二割の配当は目の前でございます」
 半ぺん坊主は、言葉たくみに説き立てました。
 その時、応対に出たのが幸か不幸か、弁信でありました。
 弁信は半ぺん坊主のいうところを逐一(ちくいち)聞き終り、その終るを待って、
「御趣意の程、よく承(うけたまわ)りました。承ってみますると、私はそういうことを承らない方が仕合せであったという感じしか致さないのが残念でございます。あのお山は、私もついこの間まで御厄介になっておりましたから、よく存じておりますが、車を仕掛けて人様を引き上げねばならぬほどの難渋(なんじゅう)なお山ではございませぬ、斯様(かよう)に眼の不自由な私でさえも、さまで骨を折らずに登ることができましたくらいですから、御婦人や子供衆たちでも御同様に、さまで骨を折らずに、お登りになることができようと存じます。よし、多少、お骨は折れるに致しましても、そこに信心の有難味もございまして、登山の愉快というものもあるのではございませぬか、信心のためには、木曾の御岳山までもお登りなさる婦人たちがあるではございませぬか。それにくらぶれば、あのお山などは平地のようなものでございます。それに承れば、せっかく、代々のお山の木を切りまして、それを売払っていくら、いくらとのお話でございますが、昔のおきてでは、一枝を切らば一指を切るともございます、お山によっては、山内の木を伐(き)ったものは、死罪に行うところすらあるのでございます、それをあなた方、多年、そのお山の徳によって養われている方が先に立って、そういうことをなされて、御開山方へ何とお申しわけが立つのでございましょう……なおお聞き申しておりますると、せっかく信心の方々が杉苗を奉納なさるのを、あなた方は徳利の中へ入れて、飲んでおしまいになったり、半ぺんの下へ置いて、食べておしまいなさるそうですが、そうして、あなた方は、自分で自分の徳をほろぼしておしまいになることを、自慢にしておいでなさるのですか……樹木は地上の宝でございます、木を植ゆるは徳を植ゆるなりと申されてありまする、あなた方の御先祖代々が、せっかく丹精して、あれまでに育てて霊場を荘厳(そうごん)にしてお置きになるのを、むざむざと伐って、それでよい心持が致しますか……また山の自然の形には、自然そのままで貴いところがあるものでございます、これを切り崩して、後日の埋め合わせはどう致すつもりでございますか。俗世間でも、家相方位のことをやかましく申しますのは、一つは、この自然さながらの形を、重んずるところから出でているのではございませぬか……それほどまでにして、車を仕掛けてあなた方は、いったい、だれをおよびになろうという御了簡(ごりょうけん)なのですか。聖衆は雲に乗っておいでになりまする、信心のともがらは遠きと、高きを厭(いと)わぬものでございます、ゆさんの人たちは足ならしのために恰好(かっこう)と申すことでございます……ところの幽閑、これ大いなる師なりと古人も仰せになりました。出家のつとめは、俗界の人のために清い水を与えることでございます、清い水を与えるには、清いところにおらなければならない約束ではございませぬか……山を荘厳にし、出家が空閑におるのは、俗界の人に、濁水を飲ませまいがためでございます。釈尊は雪山(せつせん)へおいでになりました、弘法大師も高野へ精舎(しょうじゃ)をお営みになりました、永平の道元禅師は越前の山深くかくれて勅命の重きことを畏(かしこ)みました、日蓮聖人も身延の山へお入りになりました、これは世を逃(のが)れて、御自分だけを清くせんがためではござりませぬ……源遠からざれば、流れ清からざるの道理でございます。もし、あなた方が、どうでも人の世のまん中に立ち出で、衆と共に苦しみ、衆と共に楽しむ、の思召(おぼしめ)しでございますならば、いっそ、浅草寺(せんそうじ)の観世音菩薩のように、都のまん中へお寺をおうつしになっては如何(いかが)でございますか……」
 弁信法師が一息にこれだけのことをしゃべって、なお立てつづけようとするから、半ぺん坊主は青くなって、
「話せねえ坊主だなあ」
 奉加帳を小脇に、逃ぐるが如く走り出ました。

         五

 半ぺん坊主が出て行った日の夕方、宇津木兵馬が飄然(ひょうぜん)としてこの寺に帰って来ました。
 その晩、前のと同じ部屋で、兵馬は燈下に行李(こうり)を結びながら、
「私は、明日再び山へ入ります、そうして今度は当分出て来ないつもりです」
と言うと、あちらを向いていたお銀様が、
「どちらの方の山へ?」
とたずねました。
「以前の方の山を、もう少し深く、入れるだけ入ってみようと思います」
「そちらの山を深く行きますと、温泉がございますか?」
「温泉……あちらの方面には温泉がありませぬ」
「わたしは、また温泉のある方の山へ行ってみたいと思います」
「そうですか……では、信州の方面へおいでになるとよろしうございます、甲武信と申しましても、甲州と武州には、温泉らしい温泉がありませぬ」
「あなたは御存じですか」
とお銀様があらたまった質問を、兵馬に向って試みようとします。
「何でございますか」
「このごろ、此寺(ここ)の娘さんはドチラの温泉へまいりましたか」
「ああ、お雪ちゃんですか……あの子は、そうですね、どこでしたか……」
と兵馬が小首を捻(ひね)りました。
「あなたも、そのお雪ちゃんという娘さんを御存じでしょうね」
「知っていますとも、親切なよい娘さんです。わたしもそのお雪ちゃんの親切で、この寺へ御厄介になる縁になったのです」
「そうですか。その娘さんはひとりで温泉へおいでになりましたか?」
「いいえ、ひとりではありますまい、娘さん一人では遠くへは出られますまい……誰か近所の人が附いて行ったようです」
「その近所の人というのは、誰ですか御存じ?」
「知りません、私のいない間のことですから……」
「わたしも、そのお雪ちゃんとやらの行った温泉へ、行ってみたいと思うのですが、それは、あなたのおいでになろうとする山の方角とは違いますか」
「さあ、それが……私の行こうとする方面には、こころあたりの温泉がないのです」
「誰も、そのお雪ちゃんという娘さんの行った先の温泉を、知らないというのが不思議ではありませんか」
「知らないはずはありますまい、留守の人に尋ねてごらんになりましたか」
「尋ねてみましたけれど、誰も教えてはくれません」
「それでは、あとで私が尋ねてみて上げましょう、誰か知っていなければならないはずです」
 そこで、兵馬は、少し進んでたずねてみようかと思いました。
 いったい、この不思議な女の人は、誰をたずねてこの寺へ来たのだ。男の姿に身をかえてまで、一人旅をしてたずねて来たのは、どうもお雪という娘をめあてに来たのではないらしい。よくよくの深い仔細(しさい)があればこそだろうが、今まで兵馬には、そんなことを立入って、たずねてみるほどの余裕がないのでした。
 今となって、燈下にうつるこの女の呪(のろ)わしき影法師を見ると、何か知らん、強くわが胸を打つものがあるように思われてならぬ……男装した女。行くにも、住(とど)まるにも、覆面を取らぬ女……その生涯にはかぎりなき陰影がなければならぬ。道はちがうが、われも多年人を求むる身だ。こう思って兵馬が、新しい感興に駆(か)られた時に、
「あなた、もし、この刀の持主を御存じはありませぬか?」
といって不意に立ってお銀様が持ち出したのは、例の床の間の白鞘(しらさや)の一刀です。
 宇津木兵馬はその刀を見て、こんな刀が、この寺にあったのかと疑いました。
 行李をまとめていた手を休めて、お銀様の手からその刀を受取ると、多大の疑惑を以て、その刀を抜きにかかりました。
 兵馬はまだ刀を見て、その作者を誰といいあてるほどの眼識はない。けれども、刀の利鈍と、品質はわかる。ことに一たび実用に用いた刀……露骨にいえば、最近において人を斬ったことのある刀は、一見してそれとわかる。到るところの社会で、血のりを自慢の刀をよく見せられていたものだから――
 ところで、寺院には似げもない長物(ながもの)を、思いもかけぬ人の手で見せられて、鞘(さや)を払って見るといっそう驚目(きょうもく)に価するのは、その刀が最近において、まさしく人を斬った覚えのある刀に相違ないと見たからです。
 十分に拭いはかけたつもりだけれども、拭いが足りない。
 そこで兵馬は、まずこの刀の作者年代が、誰で、いつごろ、ということは念頭にのぼらないで、
「これは寺の刀ですか、それとも誰か持って来たのですか?」
「この床の間にあったのです」
「それでは、寺の物ですな」
「そうかも知れません」
 兵馬の疑点が一歩ずつ深く進んで行きました。身に寸鉄を帯びざることは、智識の誇りではあるにしても、寺に刀があって悪いという掟(おきて)はない。ただ不審なのは、近き既往においてこの刀が、まさしく血の味を知っていたとのことです。この寺の住持は老齢の身で、盗まれたものさえ、訴えては出ないほどの仁者である。それが、この刀を振り廻そうはずがない。それでは弁信か、茂太郎か。どちらにしても、想像の持って行き場がないではないか。まして、お雪ちゃんにおいてをや。
 同時に閃(ひら)めいたのは……閃めかなければならないのは、過ぐる夜のことで、山窩(さんか)のものだという悪漢が二人、この寺に押込んで、泊り合わせた兵馬のために傷つけられて逃げた、それが町の外(はず)れの火の見櫓の下でおおかみに食われて死んでいた、罰(ばち)はテキ面だと人をして思わしめたのは、遠くもない先つ頃のことで、その当座は――今でも、誰も狼に食われたものと信じて疑わない。事実また狼に食われたものに相違ないが、当時、駈けつけて親しく検視をやってみた兵馬だけは、単に狼に食われただけで済ますことはできなかった。けれども、あの場合、狼に食われたことに一切を解決してしまった方が、民心を安んずる上において都合がよかったので、兵馬もこれをこばまなかった。しかしあれは、食われたのは後で、斬られたのが先である。一刀のもとに斬って捨てた手練のほどに戦(おのの)いたのは――戦くだけの素養のあったのは、たしか兵馬一人であったはず。
 これほどの斬り手がどこにひそんでいたか。これは今以て兵馬には解決がついていないところへ……見せられたこの刀が、激しい暗示を与える。
「誰がこの刀を持っていましたか?」
「それは、わたくしから、あなたにたずねているのです」
「いや、私にはわかりませぬ、あなたにお尋ねしなければなりません。あなたはこの刀の持主を尋ねて、この寺へおいでになったのですか、その人は、何という人で、何のためにこちらへ来たのですか」
「それは人を殺すことを何とも思わない人です……ですけれども、わたしはその人が忘れられないのです」
「あなたのおっしゃることがよくわかりませぬ」
「それでは、もう一つ付け加えましょう、その人は目の見えない人です……どういう縁故でこの寺へ参りましたかは存じませぬが、今はこの寺にはいませんそうで……温泉へ行ってしまったそうです」
「まだわかりませぬ、もう少しお聞かせ下さいまし」
 話が、それから進むと、お銀様は、ついに兵馬に向って、
「机竜之助」
の名を語らねばならなくなりました。そうでなくてさえ一語一語に、何かの暗示を強(し)いられていた兵馬は、最後に「机竜之助」の名を聞いて、ながめていた白刃を伝って、強烈な電気に打たれたように振い立ちました。
「あ、それだ、その人ならば、あなたが尋ねる人ではない……」
 兵馬の昂奮がお銀様を驚かしたのみならず、あわただしく刀を鞘(さや)に納めて、投げ出した行李(こうり)を再びひきまとめて、
「私は、あなたと共に、その温泉へ行かなければならぬ、その温泉とはどこですか」
 兵馬が最初の当途(あてど)もない甲武信の山入りを放擲(ほうてき)したのと、お銀様と共に、その未だ知られざる温泉へ、発足しようと思い立ったのとは同時です。
 ここに運命の極めて奇なる因縁で、宇津木兵馬とお銀様とは、その翌日、行を共にして尋ね人のあとを追うことになりました。
 温泉の名をハッコツとだけは、知ることができましたが、そのハッコツとはどこ。それは誰に聞いても要領を得ることができませんでした。
 今ならばハッコツの音(おん)から解いて、白骨(しらほね)の字をさぐるのはなんでもないことですけれども、その当時にあって、日本人の一人も、日本アルプスの名を知らないように、信濃(しなの)と飛騨(ひだ)の境なる白骨温泉(しらほねおんせん)の名は、誰の耳にも熟してはおりませんでした。
 ともかくも、温泉として聞えたる信濃の国、諏訪の地名から推(お)して、多分それに近くとも遠くはない地点だろうとの二人の想像は、さのみ無理ではありません。そこで二人は、まず諏訪の温泉を目標として、探索の歩を進めることに相談をきめました。
 欲望を異にして、目的を同じうするこの悪戯(あくぎ)に似たるほどの奇妙な道連れは、単に道連れとしてはおたがいに頼もしいものでありました。なぜならば、お銀様は長途の旅に、兵馬ほどの護衛者を得たわけであり、兵馬はまた今の最も欠乏している路用の上に、最も有力なる後援者を得たということになるのです。事実、お銀様はこの時もまだ多分の金を懐中に入れてありました。なお、これから諏訪の方面へ向けて旅立ちの途中、故郷の有野村へでも手を入れようものなら、自分の所有のうちから、誰にもはばからずに、ほとんど無限の融通をつけるのは何でもないことです。
 お銀様は今も、持てる金のすべては兵馬に附託して、これで旅の用意の万事をととのえるように、そうして乗物も二人分、通しを頼んでもらいたいということをいいました。
 しかし兵馬は、お銀様だけは都合のよい乗物で、自分はドコまでもそれに附添うて、徒歩で行こうと決心をきめて、それによって旅行の準備を進めてしまいました。
 兵馬は計らずして、敵(かたき)の行方(ゆくえ)に一縷(いちる)の光明を認めたと共に、思い設けぬ富有の身となりました。附託されたかなりの大金は、いやでも自分が保管するのが義務のようになっている。この奇怪にしてしかも鷹揚(おうよう)なお嬢様は、今後必要に応じて、いくらでも兵馬のために、支出することを辞せない様子を見せている。
 あてどもない山奥に、半ば自暴(やけ)の身を埋めに行こうと決心した兵馬は、ここにゆくりなく、幸運の神に見舞われたようなもので、暫く茫然(ぼうぜん)と夢みる心地でいましたが、若いだけに早くも心に勇みが出て、踏みしめる足許もなんとなく浮き立つように感じ、ほとんどこの何年来にもなかったよろこびに、心が跳(おど)るのであります。
 そうかといって、この世に代価を払わない幸運というものは一つもない。兵馬にこの幸運を与えた祝福の神は、人の子を取って食う鬼子母(きしも)の神であってみれば、早晩何かの代価を要求せられずしては済むまいと想われる。

         六

 駒井甚三郎は、房州の洲崎(すのさき)に帰るべく、木更津船(きさらづぶね)に乗込みました。
 その昔お角が、清澄の茂太郎を買込みに行く時に乗込んで、大難に遭(あ)ったのとおなじ航路で、おなじ性質の乗合船。
 なるべく人目に立たないように、駒井は帆柱のうしろ、荷物の隅に隠れていました。
 乗合の客は、例のとおなじように、士分階級をのぞいた農工商のものと、今日は、それ以外の遊民が少なからず乗合わせている。
 遊民というのは、玄冶店(げんやだな)の芝居に出てくるような種類の人。赤間の源左衛門もいれば、切られないの与三(よさ)もいる。お富を一段上へ行ったようなお角がいないのが物足りない。
 しかし、きょうは、天気も申し分なく、近き将来の時間において、思い設けぬ天候の異変もこれあるまじく、たとえ、お角が乗合わせていたからとて、人身御供(ひとみごくう)に上げられる心配もまずありそうなことはなく――そうそうあられてはたまらない――それで江戸湾内を立ち出でる木更津船の形は、広重(ひろしげ)に描かせて版画にしておきたいほど、のどかなものです。
 隠れているといっても、なにしろ限りある木更津船の甲板の上で、書物を開いている駒井甚三郎の耳には、乗合船特有の世間話が、連続して流れ込んで来るのを防ぐことはできない。ある時は耳を傾けて、これに興を催してみたり、ある時は書物に念を入れて、それを聞き流したりしているうちに、こまったことには、例の遊民の連中がいつか気を揃えて、いたずらを始めてしまったことです。
「半方(はんかた)が二十両あまる、ないか、ないか」
と中盆(なかぼん)が叫び出すと、
「おい、音公、お前に五本行ったぞ」
 貸元が念を押す。
「合点(がってん)だ」
 向う鉢巻が返答する。
「六三に四六を負けるぞ、負けるぞ」
と中盆が甲高声(かんだかごえ)で呼び立てると、
「はぐりをうっちゃれよ、打棄(うっちゃ)れよ」
と片肌脱(かたはだぬぎ)がせき立てる。
「一番さいてくれ、さいてくれ」
 鳴海(なるみ)の襦袢(じゅばん)が居催促をする。
「金公、それ三本……ええ、こっちの旦那、お前さんは十本でしたね」
 貸元は盛んにコマを売る。
「いいかげんに、やすめを売れやい」
「勝負、勝負……」
 駒井甚三郎も、これには弱りました。
 この連中も最初のうちは、やや控え目にしていたのが、ようやく調子づいて来ると、四方(あたり)に遠慮がない。諸肌脱(もろはだぬぎ)になった壺振役(つぼふりやく)が、手ぐすね引いていると、声目(こえめ)を見る中盆(なかぼん)の目が据わる。ぐるわの連中が固唾(かたず)を呑んで、鳴りを静めてみたり、またけたたましくはしゃぎ出したりする。
 こうなっては隠れていることも、書物を読むこともめちゃめちゃです。駒井は一方ならぬ迷惑で、避難の場所を求めようとしたが、やはりかぎりある船中に、人と荷物でなかなかそのところがない。ひとり駒井が迷惑しているのみならず、乗合いの善良な客はみな迷惑しているのです。しかし、善良な客が進んで船内の平和を主張するには、どうも相手が悪過ぎる――船頭でさえ文句が附けられないのだから、暫く、無理を通して道理をひっこめておくより思案がないらしい。
 駒井甚三郎とても、相手をきらわないというかぎりはない。見て見ないふりのできるかぎりは、立ち入りたくない。しかし、この船中で見渡したところ、かりにも士分の列につらなっている身分のものは、自分のほかにはいないらしい。万一の場合、義において自分が、船内の平和を保つ役目を引受けなければならないのか、とそれが心がかりになりました。その時分、勝負がついたと見えて、船の上はひっくりかえるほどの騒ぎです。
 こういう場合の役まわりは、宇治山田の米友ならば適任かも知れないが、駒井甚三郎ではあまりに痛々しい。
 それを知らないで、調子づいた遊民どもは、全船をわが物顔に熱興している。
 彼等が、熱興だけならば、まだ我慢もできるが、船中の心あるものを迷惑がらせるのみならず、その善良な分子をも、この不良戯(ふりょうぎ)のうちへ引込まずにはおかないのが危険千万です。
 いわゆる良民のうちにも、下地(したじ)が好きで、意志がさのみ強くないものもあります。見ているうちに乗気になって、鋸山(のこぎりやま)へ石を仕切(しきり)に行く資本(もとで)を投げ出すものがないとはかぎらない。くろうとの遊民どもも、実はそのわなを仕掛けて待っている。
「へ、へ、へ、丁半は采(さい)コロにかぎるて、なぐささい、じゃあるめえな」
「じょうだんいいなさんな」
「五貫ばかり売ってもらいてえ」
 罷(まか)り出でたのは乗合いの中の素人(しろうと)にしては黒っぽく、黒人(くろうと)にしては人がよすぎる五十男。
「合点(がってん)だ、さあ五貫……」
 貸元が景気よくコマを売る。
「丁が余る、丁が余る……いかがです、旦那、負けときますぜ、やすめを一つお買いになっては……」
「へ、へ、へ」
 前のよりはいっそう人のよかりそうな、純乎(じゅんこ)たる素人が、ワナを眼の前につきつけられて、まんざらでもない心持。
 こうやって彼等の景気は増すばかりで、心あるものの気持は苦々(にがにが)しくなるばかりです。
 暫くしている間に、最初にしたり面(がお)をして出た半黒人(はんくろうと)も、まんざらでもない心持の純素人(じゅんしろうと)も、グルグルとグループの中へ捲き込まれてしまうと、中盆(なかぼん)が得意になって、
「運賦天賦(うんぷてんぷ)のものですから、本職だって勝つときまったものではなし、ドコへ福がぶっつかるかわかりませんや」
 いざやと壺振りが、勢い込んで身構えをする。
 二三番するうちに、新入者がまた二三枚加わる。加わった当座は多少の目が出ると、有頂天(うちょうてん)になり、やがてそのつぎは元も子もなくして、着物までも脱ぎにかかる。取られれば取られるほど、眼が上(うわ)ずってしまう有様が見ていられない。
 こうなってみると駒井甚三郎も、相手を憚(はばか)ってはいられない。そこで思いきって、一座の方へ進み出でました。
「これこれ、お前たち、いいかげんにしたらいいだろう」
「何が何だと……」
 諸肌脱(もろはだぬ)ぎで壺振りをやっていたのが、まずムキになって駒井に食ってかかりました。
「そういうことをしてはいけない、乗合いのものが迷惑する」
と駒井が厳然としていいました。
 しかし、この遊民どもは、駒井が前(さき)の甲府勤番支配であって、ともかくも一国一城を預かって、牧民の職をつとめた経歴のある英才と知る由もない。このことばには荘重(そうちょう)なものがあって、厳として警告する態度はあなどり難いものがあったとはいえ、今、異様の風采(ふうさい)をして、ことには女にも見まほしいところの青年の美男子であるところに、彼等の軽侮のつけ目がある。そうして見廻したところ、相手は一人であるのに、自分たちは血をすすった一味徒党でかたまっている。こいつ一人を袋だたきにして、海の中へたたき込むには、何の雑作(ぞうさ)もないと思ったから、多少、事を分けるはずの貸元も、中盆(なかぼん)も、気が荒くなって、
「何がどうしたんだって――人の楽しみにケチをつける奴は殴(なぐ)っちまえ」
「殴っちまえ」
 風雲実に急です。駒井もこうなっては引込めない……かえすがえすも、米友ならば面白いが、駒井では痛ましい。
 その時、帆柱のかげからムックリとはね起きた六尺ゆたかの壮漢、
「こいつら、ふざけやがって……」
 盆ゴザも、場銭も、火鉢も、煙草も、手あたり次第に取って海へ投げ込む大荒(おおあ)れの勇者が現われました。

         七

 これほどの勇者が、今までどこに隠れていたか、駒井も気がつかなかったが、乗組みの者、誰も気がついていなかったようです。
 不意に飛び出したこの六尺豊かの壮漢が、痛快というよりは乱暴極まる荒(あ)れ方をして、あっというまもなく、賭場(とば)を根柢から覆(くつが)えしてしまいました。
 さしもの遊民どもが手出しができないのみならず、あいた口がふさがらないのは、その荒(あ)れっぷりの乱暴と迅速とのみならず、六尺豊かの髯面(ひげづら)の大男の、威勢そのものに呑まれてしまったからです。
 といってこの六尺豊かの髯面の大男、そのものの人体(にんてい)がまた甚だ疑問で、相手を向うに廻して荒れていなければ、これが無頼漢(ぶらいかん)の仲間の兄貴株であろうと見るに相違ない。そうでなければ、船頭仲間の持余し者と見たであろう。しかし、よく見ると、無頼漢でもなければ、船頭仲間の持余し者でもない、れっきとしたこの乗合船のお客様の一人で、身なりこそ無頼漢まがいの粗野な風采をしているが、寝ていたところをよくごらんなさい、両刀が置きっぱなしにしてあるのです。しかもその長い方の刀は、人の目をおどろかすほどすぐれて長いものです。
 それですから、さしもの遊民どもも、一層おそれをなしました。
「人の安眠を妨害する奴等、船底へ引込んで神妙にしとれ」
 中盆と壺振の二人の襟首をひっぱって、船底の方へ投げ込んでしまったのは、あながち怪力というわけではない、呑まれてしまった遊民どもが、自由自在になっているのです。
 そこで、さしも全権を振(ふる)っていたこの連中が、一時に閉塞(へいそく)して、ことごとく船の底へ下積みにされてしまいました。
 船中の者も、この勇者を欽仰(きんこう)することは一方(ひとかた)ではありません。
 その勇気といい、筋骨といい、身に帯びたすばらしい長短の刀といい、天下無敵の兵法(ひょうほう)の達者、誰が見ても疑う余地はありません。最初の口火を切った駒井甚三郎の影は、この勇者の前に隠されて、一人もそれを讃仰(さんごう)するものはないのです。
 駒井もまた、この豪傑が不意に現われて、自分の解決すべき難関を、一気に解決してくれた幸運をよろこびましたから、讃仰者のないのを恨みとする理由はありません。こういう場合においては、第一声を切ることが勇者の仕事で、その出端(でばな)を利用して敵を驚かして、一気に取挫(とりひし)ぐことは、喧嘩の気合を知っているものにはむしろ容易(たやす)いことですが、駒井は閑却されて、あとから出た豪傑が人気を独占しましたけれど、駒井にとっては不足どころではありません。
 こうして一時無頼漢どもに占領されていた船の甲板は、再び良民の天下となって、乗合船そのものの平和な光景が回復されました。
 駒井能登守は思いました。これはこれ一場の喜劇のようなものだが、一代の風潮もこの通りで、進んで身を挺するの勇者さえ現わるれば、悪風を退治するのはむしろ容易(たやす)いことで、悪は本来退治せられるがために存在するものであるのに、怯懦(きょうだ)な人間が、それにこわもてをして触ろうとしないから、彼等が跋扈(ばっこ)するのだ……本当の勇者が一人出づれば一国がおこる、というようなところまで考えさせられました。
 ただ、ここに現われた勇者は、体格の屈強なるに似ず、勇気の凜々(りんりん)たるに似ず、ドコかに多少の愛嬌と和気がある。駒井甚三郎はともかくもお礼の心を述べておこうと、彼に近づいて、慇懃(いんぎん)に、
「どうも御苦労さまでした……失礼ながら、あなたは何とおっしゃいますか、そうして何の目的で対岸(あちら)へお渡りになるのですか」
 駒井から慇懃に尋ねられた六尺豊かの壮漢は、
「は、は、は、拙者は絵師ですよ、足利(あしかが)の田山白雲といって、田舎(いなか)廻りの絵描きですよ」
 駒井甚三郎も、この返答には、いささか面喰(めんくら)いました。
 誰もが天下無敵の勇者であるように思い、またそう思われても、さしつかえないほどの体格と力量を持ち、今やこの船中では、偶像的にまで渇仰(かつごう)されようとしているその御本人が、「おれは絵師だ……しかも田舎まわりの絵描きだ」と淡泊にぶちまけてしまった気取らない純一さを、駒井は微笑せずにはいられませんでした。さいぜんの蛮勇は真似(まね)ができても、この淡泊は真似ができないと感じました。
 そこで、駒井甚三郎と田山白雲との、うちとけた談話がはじまります。
 田山白雲は、今の画界の現状と、その弊風とを語りました。
「あの書画会というやつ、あれがいけないんです……柳橋の万八で、たいてい春秋二季にやりますな、あれが先輩を傲(おご)らしめ、後進を毒するのです。それとても、書画会が悪いのではない、書画会をそういう機関にした組織そのものが誤ってるんでしょうな。あなたも、万八の書画会へはおいでになったことがありましょう」
「ありません」
「それは話せない、一度はごらんになってお置きになるがよろしい、あれは新進の画家には登竜門になるのですから、あの別席へ陳列されるということは、画家にとってはなかなかの光栄なのですから、若い人たちが勉強します……勉強して、なかなかいいものを作ることがあります、その点だけは画界のためになりますが……」
と、いいながら田山白雲は、そのすぐれて長い刀をいじくりまわすところは、どう見ても塙団右衛門(ばんだんえもん)といったような形で、いやしくも絵筆をとるほどの人とは見えません。しかし、その話しぶりは、時弊を論じても、一概に意地悪くならないところに、やはり風流人らしい一面はあるようです。
「それからがいけないのです、自分の努力を、正直に人に見せている分には難はないのですがね……そのうちに、人の物を審査してみたくなる、これが間違いのもとです。二三回いいのを見せてくれたなと思っているうちに、いつのまにか大家になって、人の物の審査をやり出すのです、そうして後進に訓示をするような口吻(こうふん)を弄(ろう)するんですからいけませんや……それではトテも大物は出ませんね」
「そうでしょう、好んで人の師となるのはよくないことです」
と駒井が軽く相槌(あいづち)を打ちました。白雲は慨然として、
「そこへいくと……浮世絵師とはいいながら、葛飾北斎(かつしかほくさい)はエライところがありましたよ。あの男は相当に名を成した時分にも、書画会へ出るには出ましたがね、雨の降る時などは蓑笠(みのかさ)で、ハイ葛飾の百姓がまいりましたよ、といって末席でコクメイに描いていたものです。年はたしか九十で死にましたかな。死ぬ前も、天われにもう十年の歳をかせば本物が描ける、どうしてもいけなければ、もう五年、といって死んだというのは本当でしょう。おれには猫一匹も描けない、描けないと、絶えず妹に訴えていたというのも、嘘ではあるまい……」
 それから白雲は、当代の画家にはこの己(おの)れを責むる心がなく、社会に真の画家を養成する大量のないことを説き、天然の名勝や、善良な美風が破壊される時に、腹を立てる美術家はないが、舶来の裸物(はだかもの)に指でもさすと、ムキになって怒り出す滑稽を笑い、我が国の古来の大美術はもちろん――近代になって、東州斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の如きでも、その特色を外国人から教えられなければわからないでいる。自分をわすれるにも程のあったものだというようなことを論じているうちに、船が木更津(きさらづ)へ着きました。
 ここで、こそこそと例の遊民どもは上陸し、乗客の大部分も下船しましたが、この二人は船の上に留(とど)まったまま、談論に耽(ふけ)っているのです。
 聞くところによると田山白雲は、保田(ほた)から上陸して房総をめぐり、主として太平洋の波を写生して帰るのだそうです。
 白雲のいうところによると、古来、日本の画家で、水を描いて応挙(おうきょ)の右に出づるものはないが、まだ大洋の水を写したのを見ない、房総の鼻をめぐって見ろと人から勧められたままに、出て来たのだということです。房総の海は自分に何を教えるか知らないといっている。
 駒井は、自分の仮住居(かりずまい)、洲崎(すのさき)の番所の位置をよく説明して、行程のうち、ぜひ足をとどめるようにとのことを勧め、田山は喜んでそれを請け入れました。
「わしは、こうして歩いていると、誰も画家とは見てくれないで困りますよ。いや困りはしません、結局、それが幸いになることもあるのです……そうです、十人が十人、拙者を武芸者だと睨(にら)んでかかるのですな。それが都合のよいこともありますが、滑稽を引起すことも珍しくはない。いや、武術も少しやるにはやりました。拙者の藩は小藩ですからな、僅かに一万石の小藩ですから、家老上席になったところで九十石の身分です。
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