大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 百姓の老爺(おやじ)と子供とがその掛物を拡げて見ようとするところだから、米友は眼の色を変えて駈け寄って、横の方から、それをひったくりました。
「おいらの不動様だイッ」
 百姓親子は、眼を円くしました。
 水に入れようとしてやりそこない、火に焼こうとしてまたやりそこなった米友は、ぜひなく不動尊の像をかついで、代々木の林を立ち出でました。
 その途すがら米友は、なお頻(しき)りにこの画像の処分方を考えていました。そうして最後に考えついたのは、前よりはずっと穏健な仕方であります。それは個人に頼むことこそ億劫(おっくう)だが、しかるべき堂宮(どうみや)へ納めてしまえば文句はなかろう。堂宮といううちには、神仏それぞれ持ち分があるのだから、不動様を閻魔様(えんまさま)の許(もと)に頼むわけにはゆくまい。不動様は不動堂に限ると思いました。で、住職か或いは堂守に、事情を言いこしらえて納めてしまえばイヤとは言うまい。イヤと言えば抛(ほう)り込んで逃げてしまおう、とまで決心して、ようやく人通りのあるところへ出た時に、この辺にしかるべき不動堂はないものかと人に尋ねました。その人が、下総の成田山の出張所が、御府内のどこそこにあるということをよく教えて聞かせました。しかし米友は、江戸の市中まで持って帰りたくはないのだから、江戸に近い田舎でしかるべき不動様はないかというようなことを尋ねると、それはまた滝の川の不動様と、目黒の不動様だろうという返事でありました。
 その二つの不動様のうち、どれが近いかと尋ねると、ここからでは目黒の方が、ずっと近いということでしたから米友は、よし、それでは目黒の不動にしようと、その方角を、よくよく聞き取ってそちらに足を向けました。
 米友が不動尊の画像をかついで、目黒不動の境内(けいだい)まで来て見ると、そこが大変に賑やかで、お祭か縁日かであるらしい。あんまり賑やかで、かえってきまりが悪いと思いながら米友は、その人混みの中へずんずんと入って行くと、その日にこの庭で「富(とみ)」があったものです。
 米友には、まだ「富」の観念がよく定まっておらないながらに、札場(ふだば)の中へ入って、人の蔭になって様子をながめていたものです。
 世話人が箱の中から、錐(きり)で本札(もとふだ)を突き出して番号を読むと、みんなが持合せの影札を見比べて、当ったものは嬉しそうに、当らないものは、しおらしい面(かお)をしています。当った番号は紙に書いて、向うの柱へ貼り並べられました。それが大変な人気ですから、札には利害関係のない米友も、つい面白くなって頻りに富札の景気を見ていました。
 面白がって見ているうちに、一の富七十三番の札が落ちました。跳(おど)り上って喜んだのは品川宿の建具屋の平吉という若い男で、この百両が平吉の手に落ちることにきまると、当人も嬉ぶし、誰も彼も羨ましそうに見えました。平さんは札とひきかえにその百両を受取って、いそいそとその場を出かけると、平吉を知っている人が、あぶないものだ、平さんにあれを持たしては帰りがあぶないと言って眉をひそめたのは、その幸運をそねんで言うものとは思われません。また帰りに泥棒や追剥(おいはぎ)につけられるという心配でもなく、それは、平さんという男の人柄を見てもわかることで、持ちつけない大金を持ったため、途中、出来心でどんなところへひっかかってしまうかわからない。それをあぶながっているものらしくあります。
 果せる哉(かな)、この平さんは百両の富が当った嬉しまぎれに、友達を無暗に引っぱって角の店へ上って、景気よく一杯やり出しました。
 これは平さんがあまりよろしくないのです。こういう時は、何を置いてもいったん自宅へ帰って、女房の前へその百両を見せて喜ばせた上に、近所の者を呼んで一杯やるということにしなければ本当ではないのだが、嬉しい時は、なかなかそうは思慮が廻らないもので、ついここで百両の封を切って散財することになりました。
 そうすると、みんなしてこの平さんをチヤホヤした上に、店の女中を初め、見知らぬお客までが、その当り運にあやかりたいというわけで、一杯いただきたがるものだから、平さんは断わりきれないで、つい、うかうかと呑んでいるうちに、腹のしまりがつかなくなりました。どのみち、あてにしない金であるところへ、こうして福の神の生れ代りみたように、あがめ奉られては、平さんに限らず箍(たが)のゆるむのは仕方のないことです。
 ちょうど、この時に、五六騎轡(くつわ)を並べて通りかかった侍の遠乗りがあったために大事が持ち上りました。いずれもしかるべき身分でもあり、年配でもあって、軽からぬ役目をつとめているものらしい人品です。わざと多くのともをつれないで、微行(しのび)の体(てい)の遠乗りであったが、そのうちの一人が、逞(たくま)しい下郎に槍を立てさせていました。
 その槍は九尺柄の十文字であります。それがちょうど、この店の下へ通りかかった時に、運悪く二階の上からクルクルと舞い下って、この十文字の槍の鞘(さや)にひっかかったのが、鎖紐(くさりひも)の煙草入であります。根付(ねつけ)とかますとが、十文字の鞘で支えられたのだから、ちょうどいいあんばいにひっかかったのではあったけれども、それが大事の槍であったから、槍持の奴(やっこ)は嚇(かっ)としました。槍持の奴と面(かお)を見合せた馬上の侍は、むっとして言わん方なき不快の色を示して通り過ぎたけれど、この槍持奴だけは、根の生えたようにそこへ突立って動きません。
 仁王立ちに突立った槍持奴は、槍の鞘にひっかかった煙草入を取ろうともしないで、そのまま大地に突き立てて、頭から湯気を立ててこの家の二階を睨(にら)み上げています。
 さしも騒がしかったこの店が、その時に水を打ったように静かになりました。店の者が一人も残らず面の色を青くしました。往来の人も歩みをとどめてしまいました。
 そこへ店の中から転り出したのが例の平さんでありました。実は平さん自身が飛び出さない方がよかったのだけれども、この男は正直者でもあり、慌(あわ)て者でもあったから、店の者から何か言われると、慌ててここへ飛び出して来たものです。
 そうして槍持奴の前へ土下座をきって申しわけをすると、槍持奴は雷(かみなり)の割れるような声で、
「このかんぶくろはてめえのか」
 平吉は縮み上って、
「はいはい、手前のでございます」
「てめえのなら持って行け」
「はいはい」
「早く持って行け、何でえ、何で手なんぞを出しやがるんだい、この槍へ上って自分の手で取って行きやがれ」
 持って行けと言いながら、槍はそこへ突き立てたままです。
 この時に、前の五六騎づれの侍たちについていた仲間(ちゅうげん)たちが、ほとんど残らず取って返して、ズラリと平吉を取巻きました。
 人に揉まれて来た米友が、聞くともなしに聞いていると、事件の要領はこうです。
 百両の富に当った品川宿の平吉という建具屋が、嬉しまぎれに身近の人を招(よ)んで、角の店の二階で飲んだ揚句(あげく)、連れの一人が、平さん大金持になった上は、こんな安っぽい煙草入はよしてしまいねえと言って、冗談にポンと往来へ抛り出す真似をしたのが、どうしたハズミか本気に手が辷(すべ)って、二階から往来へ飛び出してしまいました。飛び出した煙草入が運悪く、通りかかった十文字の槍の鞘へからみついてしまいました。事件の要領はただそれだけです。事柄はただそれだけだけれど、煙草入のからみついた相手が悪かったから、全く始末のいけないことになってしまいました。
「いけねえ、いけねえ、平さんは鈴喜(すずき)の庭へ引張り込まれてしまった。あすこにはお歴々の方がお微行(しのび)で大勢休んでおいでなさるんだ、なんでもお奉行のお方や、与力の方で、いずれも飛ぶ鳥を落す御威勢のお方なんだそうだ。そのお槍へ平さんの煙草入がケチを附けてしまったものだから、納まりがつかねえ、なんでも平さんは、あのお槍で殺(や)られちまうんだそうだ、あのお槍を持った殿様が、平さんを突き殺しておいて、あとで五人の殿様が試し斬りをなさるんだって言ってましたぜ。もう助かりません、何しろ、あっちが飛ぶ鳥を落すお歴々のお揃いだから、誰も口の出せるものがありゃしませんや、こればっかりはお庄屋様だって、不動院の御前(ごぜん)だって、後へ引いておしまいなさる。ああ平さんがかわいそうだ、平さんがかわいそうだ、こんなことだったら早く私たちが連れて帰りさえすればよかったんだが、ついここで飲み出したのが悪かった。平さん、友達甲斐がねえと恨んじゃいけねえよ、全く友達甲斐がねえんだから、恨まれても仕方がねえけれど、災難にしても、災難があんまり大き過ぎらあ。あれで皆さん、平さんには女房もあれば子供も二人まであるんですよ、おかみさんは今日の富を心待ちにして待っているんでございますよ、まさか百両の一番札が落ちようと思いませんが、もしいくらでも当りさえすれば、子供にああしてやろう、こうしてやろうなんて、出がけに算当(さんとう)を組んで笑いながら切火をきってくれたもんです。それがこんなことになったと言って、どうして私はおかみさんに合わす面(かお)がありましょう、金さん、お前が附いてながら、早く連れて帰ってくれさえすればこんなことになりゃしないと言って、おかみさんに泣かれたら、わたしゃ何と言って言いわけをしましょう。私が友達甲斐がねえから平さんを、あんなことにしてしまった、皆さん、わたしゃ平さんに済まない、平さんのおかみさんに済まない、なんとかして下さいよう」
 こう言っておいおいと泣いているのは、同じ品川から平吉と一緒に連れ立って、今日の富へ来た友達の一人であります。多分、煙草入を手から辷(すべ)らしたのがこの男でしょう。いい男が手放しで泣くのだが、この場合に限って同情の至りで、ほとんど貰い泣きをしたがるものばかりです。しかし、こう言って泣きつかれても今更、誰がどうしてやろうと言うこともできません。
 宇治山田の米友が、うなり出したのはこの時です。

 米友が鈴喜の家の裏手の竹藪(たけやぶ)の中をうろついていたのは、それから間もないことでした。
 庄屋様に行っても、竜泉寺の住職を煩(わずら)わしても、お詫(わ)びの叶(かな)わないと言われるのを米友が、救い出そうとするつもりか知らん。
 例の不動尊の画像は刀でも差すように、腰へしっかと挿(はさ)んで、藪の中にある大木へ攀上(よじのぼ)りました。その大木の上から見下ろすと、鈴喜の家の庭から、開け放した間取りまでが手に取るようです。
 庭は思いの外ひっそりとしていたが、その一方の隅の楓(かえで)の木の下に、後ろ手に結(ゆわ)かれているのは建具屋の平吉という人らしい。座敷の上には、お歴々の遠乗りの連中が食事の最中と見えて、誰も平吉を顧みる者がない。槍持の奴(やっこ)の姿も見えなければ、仲間連中も一人としてその番をしている者はありません。ああして木の根へ括(くく)っておけば、あえて番人を附ける必要はなかろうけれど、うっかりしているのは、問題の十文字の九尺柄の槍です。あれほど大事な槍が、ここでは無雑作(むぞうさ)にその楓の木へ、横の方から立てかけられてあるだけです。大木の上から事の体(てい)を一通り見下ろした米友は、その無雑作に立てかけられた十文字の九尺柄の槍を見ると、むらむらと悪戯心(いたずらごころ)が起りました。
 問題の中心はあの男でなくて、あの槍であると思いました。それにからまった鎖紐の煙草入なぞは、もとより物の数ではないが、槍はたしかにあの連中のうちの表道具である。この場合、中へ飛び込んで、あの男を助けて来るのは容易なことではないが、あの槍を取り上げてしまうのは、さしたる難事ではないと気のついたのが、米友の悪戯心をそそったわけです。それをするには、ここから物置の屋根へ飛びうつって、母屋(おもや)の庇(ひさし)を渡り、そこに腹這(はらば)って手を延ばしさえすれば、楽々と槍を捲き上げることができる――と気がついてみると、それは面白い面白い、早く捲き上げて下さいと、槍の方で米友を手招ぎするように見え出したから堪りません。極めて身軽に米友は、大木の上から物置の屋根へ飛び下りてしまいました。
 飛び下りた途端に帯をゆすぶって、腰に差していた不動尊の画像を背中へ廻し、そのままズルズルと走って母屋の庇へ出ました。庭では牡鶏(おんどり)が一羽、小首を傾(かし)げて物珍しそうに、米友の挙動をながめているだけです。
 そこで米友は庇の上へ腹這いになって下をのぞいて見ると、食事を了(おわ)ったお歴々の連中は、しきりに比翼塚(ひよくづか)の噂をしているらしい。結(ゆわ)かれている平吉はと見れば、死人のようになって、すすり泣きをしているのがかわいそうです。
 米友は右の手を差伸べると、楓に立てかけた槍をスルスルと引き上げました。同じ木の根に結かれていた平吉すらもそれを知らないくらいだから、誰あって感づいた者はありません。ただ、屋根の上を歩いていたブチ猫がこの体を見て、急に両足を揃え、背骨を高くして、威嚇(いかく)の姿勢を示したのが、米友を苦笑いさせただけのものでした。
 仕済(しす)ましたりという面をして米友は、その槍を小脇にかい込むや、また以前の物置の上へ舞い戻って、そこから塀を伝わって、屋根の外へ出てしまいました。
 それからいくらも経たない後のこと、いざという時に、楓の木へ立てかけた槍がありません。槍持の奴は青くなり、誰にたずねても要領を得たのはない。平吉は打っても叩かれても知ろうはずがない。どうしても行方不明とあれば盗まれたのだ。盗まれたのは煙草入をからまれたよりは少し痛みが重い。ことに奉行であるか、与力であるか知らないが、そのお歴々が五六騎集まっている眼の前で盗まれたとすれば、いよいよ痛みが重い。
 こうして鈴喜(すずき)の家の内外では、槍の紛失から青くなって騒いでいる時分に、外から一つの報告がありました。
 不動の境内(けいだい)で、見慣れない小男が、しきりに十文字の槍をおもちゃにしているということです。槍をおもちゃにしているという報告は、穏かならぬ知らせです。鈴喜の家の内外を探しあぐねた連中が、ソレと言って我れ先に飛び出しました。
 これより先、槍を荷(にな)った宇治山田の米友は、どういう了見か知らないが、不動の境内の人混みの中へ取って返しました。十文字の槍は肩にしているが、不動の画像は腰にたばさんでいます。
 いったい、この時分の米友の了見方というものは、米友自身にもよくわかりません。近来のことは世間にも、米友の周囲にも、あまり変兆(へんちょう)が多いから、この短気な正直者は精神に異状と言わないまでも、多少自暴気味(やけぎみ)になっているかも知れません。槍を担ぎ出して、人目に触れない方角はいくらもあるのに、好んで人出の多い不動の境内へ取って返して、多くの人の注目に頓着せず、悠々と歩いて行くはあまりといえば非常識です。
「おーい、小僧待て!」
 かの槍持奴(やりもちやっこ)をはじめ仲間ども、そのあとには鈴喜の家の主人雇人までがくっついて、ちょうど三仏堂の前まで来た時、その声を聞いて米友が、屹(きっ)と後ろを振返りました。
 すわ、何事! と思ったのは、前から事のなりゆきを知っているものばかりではありません。
 待っていた! と言わぬばかりに宇治山田の米友は、九尺柄の十文字の槍を地に突き立て、三仏堂の前に蟠(わだかま)りました。その体(てい)を見ると、槍持の奴の癇癪(かんしゃく)が一時に破裂して、
「野郎、その槍はどこから持ってきた」
「鈴喜んちの庭から持って来た」
 米友はあえて驚かない。
「野郎、誰にことわって持って来た」
「屋根の上の猫と、庭にいた鶏にことわって持って来た」
「野郎、野郎」
 槍持の奴は、にぎりこぶしを両方から握り固めました。
「何が野郎だ」
 米友は短い両の足を、程よく踏張(ふんば)りました。
「よこしゃがれ」
 槍持の奴は、米友をけし飛ばそうとかかると、
「いやだい!」
 身体をこころもち反(そ)らせて、かかって来た槍持を左の手で、ひょいと横の方へ突きました。そこで槍持の奴が、はずみを食って脆(もろ)くも右の方へゴロゴロと転がったから、見ているものが驚きました。
「おや」
 見ている者が面(かお)の色を変えた時に、宇治山田の米友が地団駄を踏んで、
「ただはやれねえやい、この槍が欲しけりゃ、代りの品を持って来いやい」
 こう言って米友は、三仏堂の縁の前へ飛び上りました。
 驚くべきことには、その途端に十文字の槍の鞘(さや)を払ってしまったものです。それはハズミで鞘が取れたのではなく、米友自身が心得て鞘を払った上に、当人がその鞘を丁寧に懐中(ふところ)へ入れてしまったから、間違いという余地はありません。槍の中身は、さすがによく手入れが届いて明晃々(めいこうこう)たる長剣五寸横手四寸の業物(わざもの)です。
 これは誰も気狂(きちが)いだと思いました。その気狂いが槍の鞘を払って、ともかくも寄らば突かんと構えたのだから、命知らずでも、これはうっかりと近寄れません。
 たとえハズミにしろ、槍持の奴を取って投げた今の早業からして見ると、かりそめに構えた槍の姿勢というものは、無茶に打ってかかるの隙が見出せないことが、不思議といえば不思議です。剣呑(けんのん)といえば剣呑です。
 宇治山田の米友がいま構えている姿勢というのは、心あってかなくてか、「大乱(おおみだ)れ」という形になっていました。これは多数の太刀(たち)を相手に応対する時、十文字槍の人が好んで用ゆる姿勢で、槍を中取(ちゅうど)りに持つのを米友は、もう少し突きつめているだけが違います。この姿勢で充分に使わせると、左右を薙(な)ぎ立てることができます。近寄るのを追払って寄せつけないことができます。また薙刀(なぎなた)をつかうと同じように使って、敵を左右へ刎退(はねの)け、突きのけることもできます。面と、腕と、膝との三段を、透間(すきま)もなく責め立てて敵を悩ますこともできます。太刀を取って向って来るものを上段に突き出して、脇架(わきか)に大きく引き取ることも自在です。米友は心あって宝蔵院流の大乱れの型を用いているのではなかろうけれど、その構えがおのずからそうなっていることは争えません。争えない証拠には、タジタジと後ろへさがる者はあっても、米友の槍先に向って行こうとする者がないのであります。
 米友が大乱れに取っていることが、米友自らの気取りでないくらいだから、立っている者もまた、本式にそれを受取ることのできないのは勿論(もちろん)です。ただ精悍無比(せいかんむひ)……というよりは無茶なその挙動が、すべての人の荒胆(あらぎも)をひしぎました。気狂いの刃物には、うっかり近寄らないがいいという聡明さが、タジタジと、さすがの命知らずをも後しざりさせたものと見えます。
 実際また竜之助に離れて以来、不動の夢を見つづけに見てからの米友というものは、気狂いにこそならないけれども、その心理作用に異常な焦(あせ)りがありました。建具屋の平吉なるものの災難を聞いたところで、一種の義憤を含む例の短気がむらむらと萌(きざ)したことは、この男としては寧(むし)ろ可愛いところであって、いつもいつもそれがために得をしてはいない。その度毎に命の綱渡りのようなことばかりしているのだが、幸いに、危ないところで一命だけはとりとめているのだが、それにしても今日のはあまりに無茶です。
 もし、取巻いている奴等が突っかかって来たら、縦横無尽に突き立てるつもりか知らん。いつか甲州道中の鶴川で、川越し人足を相手にやった二の舞を、そこでもやり出すつもりか知らん。あの時は幸いに、駒井能登守という思いがけない仲裁人が出て来て、頭を坊主にされて納まったけれども、今日はあの伝ではゆくまい。能登守のような物のわかった、押しの利く仲裁人が滅多に出て来ようとも思われないのに、もし一人でも負傷させたということになると、今度は甲州の山の中の川越し人足とは相手が違って、非常な面倒なものになる。その上に、またいくら米友が荒(あば)れてみたところで、楓(かえで)の木に結(ゆわ)いつけられている建具屋の平吉が赦(ゆる)さるべきものでもなく、かえって米友が荒れれば荒れるほど、平吉の罪も重くなるというものでしょう。それですから、ここで米友が力(りき)み出したのは全く無茶です。義憤としては意味をなすかも知れないが、義侠の振舞としては全然事壊(ことこわ)しであります。
「みんな聞いてくれ、おいらは品川宿の平吉なんて人は知ってやしねえんだ、煙草入が引っかかったのも、おいらの知ったことじゃねえや、ただ、あんまり癪にさわるから、時候のかげんで、この槍を持ち出したくなったんだ、鎌宝蔵院の九尺柄の使いごろの槍だから、虫のいどころで、今日は思う存分に使ってみたくなったんだ、使ってしまったら返してやるから、それまでおいらに貸してくれ」
 そう言ってクルクルとさせた眼中が、気のせいか、今日は殺気を帯びているようです。
 ややあって宇治山田の米友は、九尺柄の十文字の槍を、宙天高くハネ上げました。下まで落ちて来る間に手拍子を丁(ちょう)と一つ打って、その手で受け止めると、右の手で水返しのあたりを掴(つか)んで、十文字を外輪(そとわ)にして、自分の身体を心棒に、独楽(こま)のようにブン廻しをはじめました。これは鎌宝蔵院流七十三手のうちには無い手です。かりに積ってみると槍が九尺、米友の手の長さが一尺五寸として、直径二丈一尺の大独楽が廻りはじめたものです。しかもその独楽の外輪は鎌になっているのだから、当れば肉も骨も切れてしまいます。
 見ている者が肝(きも)を冷して遠退いたのは無理もありません。縁日で歯磨を売る香具師(やし)が、その前芸をやるために、あまり見物を近くへ寄せまいとして地面へ筋を引いて廻るのを、ここでは鞘を払った真槍(しんそう)で、無雑作にブン廻しをはじめたのだから、その乱暴さ加減は格別です。
 こうして見物を程よく追払っておいた米友は、一方の角から一方の角へ向けて、真一文字に走り出しました。
 これには見物は驚かされたが、その走り方が尋常ではありません。さながら鳥が両翼をひろげて、低く飛んで行くような走り方です。眼前にかなり広い沼があって、その沼の上を一文字に飛んではいるが、岸に着くと、はたと翼を納めて休(やす)らわんとする気合の飛び方でありました。これはまさしく鎌宝蔵院でいう「飛乱(ひらん)」の型であります。
 一方の見物が、あっ! と飛び退いた時には、宇治山田の米友はクルリと背を向けて、また前の方角へ真一文字に走り出しました。前には中空を飛ぶ鳥のような姿勢であったが、今度は形を下段(げだん)に沈めて、槍を一尺ほどにつめて走るのが、さながら猛獣の進むが如き勢いであります。
 それで一方の見物がまた、はっと飛び散ったけれども米友は、素早く身を返して元のところに突立って槍を中取りに持ち、前へ突き出しかたと思うと、柄を返してはったと物を打つような形をしました。左から打ち込み、右から打ち込み、さながら棒と槍とを併せて使うように、九尺の十文字を両様に使いました。
 それが終ると、十文字の長剣だけは遊ばせて、横手の鎌だけをヒラリヒラリと胡蝶(こちょう)のように舞わしています。十文字を逆手(さかて)に持って、上から突き伏せる形をしてみるのかと思えば、躍り上って空飛ぶ鳥を打って落すように変化しました。穂先を三様に使い分け、槍の柄を二様に使い分けるのみならず、石突を返して無二無三に突いて引くかと見れば、飛び違いざまに敵の小手へ引鎌(ひきがま)をかけて滝落しの形がきまります。
 こうして宇治山田の米友は、たった一人で無茶苦茶に十文字の九尺柄をおもちゃにしています。おもちゃにしているわけではないが、見物の者にはそうとしか見えないのであります。しかし、そのおもちゃの扱いぶりの熟練と軽妙とを極めた捌(さば)きは、無心で見ている見物をも酔わせるほどの働きでありました。
 自棄(やけ)にしても気狂(きちが)いにしても、これは面白い観物(みもの)だと思わないわけにはゆきません。たしかに面白いには面白いが、あぶないこともまたあぶない。だからうっかり、いよいよ近寄ることはできません。怒気紛々として掴みかかろうとしている下郎たちも、どうにもこうにも米友に近寄る隙さえ見出すことができません。ひとりで無茶苦茶に使っている槍が傍へ寄れば、きっと物を言うにちがいない。物を言えば必ず田楽刺(でんがくざ)しに刺されてしまいそうである。思いがけない気狂いだと思いました。誰もまだ、ほんとうに米友が槍を心得ているのだと気のついたものはありません。自棄に振り廻している槍の間から、本格と変則とが米友流に随処にころがり出すその妙処を、見て取ってくれる人のないのが気の毒です。気の毒であるのみならず、この時に、どこからともなく泥草鞋(どろわらじ)が片一方、米友の面上を望んで降って来ました。その泥草鞋は身を沈めて避けたけれども、それを合図に石や、木や、竹切れが、雨霰(あめあられ)と降って来ました。
 それと見るや米友は横っ飛びに飛んで、三仏堂の縁の上へ飛び上ったかと思うと、扉を押して堂の中へ身を隠し、素早く中から扉を閉して閂(かんぬき)を締めました。
 そこで、かの槍持奴をはじめ、仲間どもは扉の前まで押寄せたけれども、さて、それを踏み破って、一歩を堂の中へ踏み入れようということには、躊躇(ちゅうちょ)しなければなりません。踏み込んだが最後、中に待ち構えた気狂いのために、田楽刺しにされることは請合いと思わなければなりません。そのほかの群集は徒(いたず)らに三仏堂のまわりを取巻いて、わいわい噪(さわ)いでいるばかりです。
 ややあって、高い欄間(らんま)の間から面(かお)を現わした宇治山田の米友が、群集を見下ろしてこう言いました。
「おいらは宇治山田の米友といって、生れは伊勢の国の拝田村の者だが、わけがあって江戸へ出て来たには出て来たが、江戸に来ても根っから詰まらねえや、時候のせいかこのごろは、気がいらいらしてたまらねえ、右を向いても、左を向いても、癪(しゃく)にさわる世の中だ、いったい、おいらのような人間は、見るもの、聞くものが癪にさわるように出来てるんだと、このごろつくづくそう思った、だから、死んでしまった方がいいんだろう、命なんぞは惜しかあねえや、この世の中に未練なんぞはありゃしねえんだ、おいらは気が短けえから、いやになると自分の命までがいやになってたまらねえ、親兄弟があるわけじゃなし、女房子供があるわけでもねえから、どうでもなる命だ、命のもてあましだ、そうかと言って、川へ飛んだり、首を縊(くく)ったりするのも気が利(き)かねえからな、ちょうどいいところだ、あの建具屋の若いのに身代りになってやろうと思って、こんな悪戯(いたずら)をやり出したんだ、どうだい、あの若いのにはおかみさんもあれば、子供もあるという話だから、おいらは今いう通り、そんな厄介者は一人もねえ命のもてあまし者なんだから、身代りにしてくれねえか、つまり、あの建具屋の縄を解いてやって、その代りに、おいらをふん縛ってくれ、あの若いのを助けてやってくれさえすりゃあ、素直(すなお)にこの槍を返してやるよ、それが承知ができなけりゃ、当分このお堂の中でお籠(こも)りだ、無茶に踏み込んで来る奴がありゃ、この十文字でいちいちドテッ腹へ穴をあけて、冥途(めいど)へ道連れにしてやるまでのことだよ、断わっておくが、こう見えても、おいらは槍だけは一人前に遣(つか)えるんだぜ、見る人が見たらわかるんだろうが、おいらの槍は天然自然に会得(えとく)しているんだぜ、それに木下流の磨きをかけているんだぜ、槍は身に応じたもので、おいらの身体では二間三間の槍は柄(がら)に合わねえ、九尺の十文字でさえ、ちっとばかり長過ぎるんだが、どうやらこれなら使えねえことはなかろう、本気にこの槍で、おいらが荒(あば)れ出した日には、死人、怪我人が山ほど出来るぜ、危ねえもんだが、おいらはそれをやらねえ、おとなしくこのお堂の中へ隠れているから、誰か確かな人を証人に、あの建具屋の若いのを、おいらの眼の前で許してやってくれ、そうすれば、この槍はちゃんと返してやった上に、おいらが身代りになって、牢ん中へブチ込まれようとも、見ているところで首をちょんぎられようとも不足は言わねえ、誰でもいいから話のわかる人を出して、しっかりと挨拶をしてくれ、それからついでに、お握飯(むすび)に沢庵(たくあん)をつけて三つ四つ差入れてもらいてえ」
 聞いている者がその言い分の不敵なのに呆(あき)れ返りました。呆れ返りながらも、聞いてみると幾分の道理がないでもない。ことに最後に握飯(むすび)を差入れろということは、かなり虫のいい注文だと思いました。しかし腹が減っているだろうから、それも無理のない注文だと同情する者もありました。
 この事件はついに、泰叡山(たいえいざん)の方丈(ほうじょう)を煩わして、解決をつけることになったのは幸いです。
 槍の主も、こうなっては事を好まないらしい。米友の言うような条件で、建具屋の平吉を許してやる代りに、米友が縛られることになりました。その証人は泰叡山の方丈です。十文字の槍は元の主へかえって、米友は縄をかけられて、名主の家へ預けられました。
 それでこの事件の当座の解決は出来たが、後難があるといえばその後難は、一に米友の身にかかって来るはずです。けれども、それは泰叡山の取扱いでどうにかなることでしょう。

         二

「ナニ、水戸の山崎? 山崎がここへやって来たのか」
 さすがの南条力も、何か呆(あき)れ面(がお)でありました。
「さきから、お屋敷の前を行ったり来たりしておいでになりました」
「そうか、訪ねて来たものを会わないわけにもいくまい、ここへ案内してくれ給え」
 案内に立ったお松は、再び玄関へ取って返そうとすると、南条はお松を呼び留めて、
「お松どの、ちょっと待ってくれ、その山崎という男は、直接(じか)に拙者の名を言って尋ねて来たか、それとも、最初にほかの者の名を言うて訪ねて来たのではないか」
「いいえ、ほかにはどなた様のお名前もおっしゃりはなさいません、南条様にお目にかかりたいと申しました」
「そうか、それならばよろしい、間違っても宇津木兵馬を訪ねて来たと言いはしまいな」
「左様なことはおっしゃいません」
「ま、もう少し待ってくれ、いま訪ねて来たその山崎譲という男はな、宇津木兵馬に会わせてはならない人だ、兵馬がこの家にいるということを知らせても悪い人だ、先方がなんと言っても兵馬の名を出してはいけないぜ。それから、兵馬の部屋をよく始末して、山崎に中を見られないようにしておかなくてはいかん、この後とても、その辺はよく心得ておいてくれ給えよ」
 南条は立って行くお松を、わざわざ呼び留めて、これだけの注意を与えました。
 やがて案内を受けた山崎は、南条の部屋へ入ると、
「いつぞやは失礼」
と言って挨拶しました。
「その節は失礼」
 南条もまた同じようなことを言って、礼を返しました。
 してみればこの二人は、もう既にどこかで初対面が済んでいるものと見えます。多分、中仙道筋から相前後して、甲府の城下へ入ってから後、あの辺で相見るの機会があったものと見なければなりません。
「南条殿はいつごろ、こちらへおいでになりましたな」
「左様、あれからまもなく、こっちへやって参りましたよ」
「ははあ、左様でござるか」
「して山崎君、君は」
「拙者は、つい、この二三日前に出て来ました」
「左様でござるか。して、当分はこちらにおいでか、或いはまた甲州筋へお立帰りなさるかな」
「早速、甲府へ帰り、それからまた上方(かみがた)へ出かけるつもりであったが、江戸へ来て見ると、江戸にも存外、いたずら者が多いから、当分は帰らぬことになりましたわい」
「ハハハ、どこへ行っても当節は、いたずら者が多くて困りますな」
「仰せの通り。上方のいたずら者は禁廷のお庭の前でいたずらをする、江戸のいたずら者は将軍の膝元をつついてふざける、なかにはものずきなのがあって、拙者如きの首まで欲しがる奴があるから、全くやりきれたものではない」
 山崎はこう言って自分の首筋を撫でて見せると、南条は抜からぬ面(かお)をして、
「実際、あぶないものさねえ」
と言いました。
「あぶないことこの上なし、今の江戸は将軍家がお留守で、お膝元の警備がゆるんでいるところにつけ込んで、たちのよくないいたずら者がウヨウヨしている」
「それとても、たかの知れた浮浪人の仕業(しわざ)ゆえに、大したことは、ようせまい」
「ところが、事体(じたい)は意外に重大で、浮浪人の後ろには、容易ならぬ巨根(おおね)が張っている、その根を断つにあらざれば葉は枯れない。どうです南条君、その巨根をひとつ掘り返してみたいものだが、手を貸して下さるまいか」
「拙者共でお役に立つならば、ずいぶんお手助けを致すまいものでもないが、いったい、その巨根というのは何者だ」
「それは三田の四国町あたりに巣を食っている」
「なるほど」
「つまり、いたずら者の本家本元は薩摩だ、薩摩というやつは実に不埒千万(ふらちせんばん)なやつだ、その薩摩を取って押えて、ふかしたり、焼いたりしてしまいたいものだ」
「なるほど」
 南条はなるほどと言って、妙な笑い方をしました。
「薩摩を掘り返して、ふかしたり、焼いたりして食ってしまわなければ、江戸の市中は鎮(しず)まらん」
 山崎が、今にもふかしたての薯(いも)を食ってしまいそうなことを言うと、南条は皮肉な面をして、
「しかし、七十万石の薩摩薯だから、ふかしても、焼いても、かなり食いでがあるなあ。第一、ずいぶんあっちこっちへ蔓(つる)が張っているだろうから、掘り返すだけでもなかなか骨の折れる仕事じゃ」
「我々の仕業は、ただ蔓を手繰(たぐ)ってみりゃいいのだ、手繰ってみると、思いがけないところへその蔓が張っているから妙だ、本所の相生町あたりまで、その薯蔓が伸びているからなあ」
 山崎は胡坐(あぐら)をかき直して、煙草盆をつるし上げ、鼻の先まで持って来ました。
 そこで話が少し途切れているところへ、廊下を渡って来る人の足音がありました。南条の居間の前で、その足音が止まると、
「南条殿、おいででござりますか」
 障子を颯(さっ)と押開いたものです。
「あ……」
 それで南条も、ややあわてました。障子を押開いた人も面食って、入りもやらず、さりとて立去りもならず、
「お客来(きゃくらい)でしたか、失礼」
 その人はぜひなく障子を締め直して立去ろうとしたが、そのお客と面(かお)を見合せないわけにはゆきません。
「おお……」
 その声と共に障子をたてきって、さながら、見るべからざるものを見たように、あわただしくその場を辞して行きました。ここに来合せたのは不幸にして宇津木兵馬であります。山崎譲は南条に向って、
「南条殿、今のは貴殿のお知合いか」
「うむ、知っている」
 この時の南条の返答ぶりを聞いて山崎は、
「南条君、君、少年をそそのかしちゃいけないぜ」
 こう言って、頗(すこぶ)る冷淡に構えました。
「そりゃどういう意味じゃ」
 南条もそらとぼけているようです。山崎は莞爾(にっこり)と笑いました。
「いったい、九州の人間は、婦人よりも少年を愛する癖がある、君もまた九州人だろう」
「以ての外、拙者が九州人でない証拠は、拙者の音(おん)を聞いたらわかるだろう、婦人や少年のことは与(あずか)り知らんことじゃ」
「ははあ」
 山崎は、なおひとしお思案の体(てい)で、南条の弁解をうっかりと聞き流していたが、また煙草盆を鼻の先へつるし上げて、煙草の火をつけました。屈(こご)んで煙草盆の火をつけないで、火をつけるたびに煙草盆の方を鼻の先までつるし上げるのがこの男の癖と見えます。
 南条が何かしら躍起の体(てい)に見えるのに、山崎はかえって冷淡に落着いて、煙草を一ぷく吹かしてから、
「それはどうでもよろしいことだが、南条殿、今のあの少年は、ちょっとみどころのありそうな少年でござるな」
「山崎君、みどころがあるかないか、君には一見して、そんなことがわかるのか」
「わかる」
と言いながら山崎譲は吹殻をハタくと、またしても煙草盆を持って鼻の先へつるし上げました。
 南条力は横の方を向いて、壁にかけた山水画をながめながめ、しきりに頬ひげを撫でている。山崎は煙草吸いだが、南条は煙草をのまない。
「というのは……」
 山崎は煙草を一ぷくしてから、お茶を取って飲みました。
 こうして、また二人が奥歯に物のはさまったような会談ぶりをつづけようとする時分に、廊下を逃げるように立去った宇津木兵馬は、お松の部屋の前に来て立っています。ここへ立寄るつもりで来たのではないが、ここへ来なければならないようになったらしい。
 相生町の老女の家を辞して出でた山崎譲は、両国橋を渡りながら腕を組んで、独合点(ひとりがてん)をして相生町の方を振返りました。
「ははあ、万事読めたわい、南条の奴が、宇津木兵馬をそそのかしてやらせたんだ、道理で小腕ながら、やにっこい斬り方ではないと思った。しかし、宇津木があすこにいたということも意外だが、あの先生が南条に頼まれたからとて、余人ならぬ拙者に斬ってかかるというのはわからない、宇津木もおれも、壬生(みぶ)にいては一つ釜の飯を食った仲じゃないか、それに何を間違っておれに刃(やいば)を向けるのだろう、わからんな。ことによってあの先生、南条あたりに説かれて、我々に裏切りをするつもりでやったとすれば憎むべしだ、生意気な奴だ、打捨(うっちゃ)ってはおけないが、我々を敵とするほどに恨みのあるはずはないし、また敵にすれば損のいくことはわかっている、どういうつもりだろう、ひとつ会って詰問してやろうか、返答次第によっては不憫(ふびん)ながらそのままでは置けん。しかし、あいつの腕は惜しい。むしろ、これは裏を掻(か)いて、こっちがあれを逆に利用して、あの一味の動静を探らせてみようか。それがよかろう。まあ、しかし、この辺まで当りがつけば仕事は面白くなる」
 山崎はこう言って、ほほ笑みをしながら、両国橋を歩いて行きました。
 山崎は、江戸を騒がす総ての巨根(おおね)が薩摩に存することをよく知っております。この南条や五十嵐らは薩摩の者ではないが、薩摩とは密接の脈絡を保って、何か関東において事を起そうとしている野心のほども、よく見抜いていました。甲府城乗取りの陰謀は、これがために一頓挫して、南条らは一時、気を抜くために江戸へ退散したことも、山崎は最初から知っていました。
 江戸へ出て来ては、片手間に彼等の行先をつきとめてやろうと、半ばは好奇心でやって来たのが、大木戸の事件以来、こいつは一番、真剣で突っ込まなくてはならないと思いました。
 それでこの数日間、得意の炯眼(けいがん)を光らして見ると、つきとめたのが本所の相生町の老女の家です。南条や五十嵐がこの家に出入りしていること、時としてそこを住居として逗留していることを知るのは、山崎の手腕ではたいした難事ではありませんでした。
 それで、あらまし老女の家の内外の形勢の予備知識を得ておいてから、その内状を発(あば)きにかかるべく、いかなる手段を取ろうかと考えたが、これは拙(へた)なことをするよりは、いきなり南条にぶっつかって、その度胆(どぎも)を抜いてやるのが面白かろうと、結局、こうして今日、押しかけてみたわけです。押しかけてみると南条以外に珍らしい獲物(えもの)がありました。しかしながら、南条も宇津木も、それはまだ末で、例の巨根はそこから蔓(つる)を張っている薩州屋敷にある。将軍不在に乗じて、江戸を騒がすことの根源はそこにある、ということのみきわめが大事であります。
 山崎はそれを考えながら、両国の見世物小屋のある方へと知らず知らず足を引かれて来ました。
 ところが、そのなかのひときわ大きな見世物小屋に「江戸の花 女軽業」の看板が掛っています。その看板の文字を山崎が眺めていると、筆蹟に見覚えがある。見世物小屋などに掲げるには惜しいほどの字だと思いました。
「そうだ、神尾の字に似ているな、甲府詰めになった神尾主膳の筆によく似ているが、いかに落ちぶれたとて、まさか神尾が看板書きにもなるまい。あの男は、今どこに何をしているかなあ」
 山崎はこう思って看板を見ていると、その次に白い布を長く垂れて、全く変った筆で、「清澄の茂太郎事病気の為、向う三日間相休み申候」と認(したた)めてありました。
 山崎がその小屋の前を通り過ぎると、後ろから肩を叩く者があります。
「山崎先生」
「おお、七兵衛か」
 振返って見ると、自分と同じような装(よそお)いをした七兵衛でありました。
「相生町へおいでになりましたか」
「うん、相生町へ乗り込んで見たところだが、お前はどこにいた」
「私は、この女軽業の親方というのを知っております故、ちょっと立寄って参りました。して、相生町の方の御首尾はいかがでございます」
「なかなか面白かった」
「これから、どちらへおいでになります」
「そうさな、お前と会って相談をしてみたいこともあるんだが……」
「それでは、この女軽業の小屋の中へおいでになりませんか、今も申し上げる通り、この小屋の親方というのが至極別懇(べっこん)なんでございますから、楽屋で休みながら、お話を伺おうではございませんか」
「なるほど、それもよかろう」
 いったん通り過ぎた女軽業の小屋の前へ、二人は立戻って来て、
「七兵衛、一体こりゃ何だ、この清澄の茂太郎というのは」
「これについては、一通りの魂胆(こんたん)があるんでございます。清澄の茂太郎というのは、房州から仕込んで来たこの小屋の呼び物で、ずいぶん客を呼んでいたものですが、このごろ、その呼び物が逃げ出してしまったんですな。逃げた顛末(てんまつ)は、私がよく存じておりますが、女同士の鞘当(さやあ)てというところがおかしいんで、両方でイガミ合っているうちに、肝腎の当人が、行方知れずになってしまったんでございますよ。当人の茂太郎というのが、二人の女を出し抜いて、近所の馬を引張り出して、どこへ行ってしまったか、いまだに行方がわかりません。何しろ呼び物でございますから、こんなことをして三日の申しわけをしておくんでございます」
 七兵衛は山崎を案内して、路次から楽屋の方へ廻りました。お角は留守でしたけれど、女どもが取持ちをします。
 二人はそこで一杯やりながら、
「さて、七兵衛、これからまた一つ、お前の手を借りたい仕事が出来たのだ、それはほかではない、芝の三田の、俗に四国町というところをお前は知っているか」
「エエ、存じておりますとも、赤羽根橋を渡れば真直ぐに行ったところ、金杉橋を渡ると右へ曲ったところが、それでございましょう。あの辺には薩摩と、阿波と、有馬と、伊予の四カ国のお大名のお邸があるから、それで俗に四国町と申すことまで、ちゃあんと存じておりますよ」
「それだ、その四国町のうちでもいちばん大きな、薩摩の屋敷をお前は知ってるだろうな」
「それもよく存じておりますよ、あのお屋敷の前を俗に御守殿前(ごしゅでんまえ)と申しましてね、門は黒塗りの立派なものでございます、屋根は銅葺の破風作(はふづく)りで、鬼瓦の代りに撞木(しゅもく)のようなものが置いてございます、正面三カ所に轡(くつわ)の紋がありますから、誰が見たって、これが薩州鹿児島で七十七万石の島津のお屋敷だとわかります」
「なるほど」
 そこで山崎譲は懐中から紙入を取り出して、拡げたのは美濃紙大の一枚の絵図面でありました。
「これがその薩摩屋敷だ」
 今更のようにその図面を、しげしげとながめます。
「その薩摩のお屋敷が、どうかなすったのですか」
 七兵衛も傍から覗(のぞ)き込みました。
「お前も知ってるだろう、近頃、江戸の市中を騒がす悪い奴は、大抵ここから出ているのだ」
「なるほど」
「ところで、この薩摩屋敷の中の模様を、すっかり調べ上げてみたいのだが、どうだ、お前によい知恵はないか」
「左様でございますなあ……あのお屋敷が物騒だということは、今に始まったことじゃございませんなあ、大分、眼をつけておいでなさる方がございましたはずですよ。お隣が阿波の屋敷でございましょう、その阿波様の屋敷の火の見櫓の上から、薩州のお屋敷の模様を、こっそりと探っておいでになったお方もありましたっけ」
「おや、どうしてお前は、そんなことまで知っている」
「ちょっとした通りがかりの節に、そんな噂をお聞き申しました。上の山藩の金子とおっしゃるお方なぞは、あれから薩摩の屋敷の中をのぞいて見ては、しきりに絵図を引いておいでになったことがあるそうでございますけれど、本当ですか、嘘ですか」
「ナニ、上の山藩の金子? それでは上の山の金子与三郎のことだろう、あの男ならば、やりそうなことだ」
「それでなんですか、山崎先生、あなたも、あの薩摩のお屋敷の様子を、くわしくお調べになりたいのですか」
「そうだ、それについてお前の知恵を借りたいものだが、何とかしてあの屋敷の中へ入ってみる手段はないものかな」
 こう言われて七兵衛は、篤(とっく)りと考えてみる気になりました。暫く考えていたが、やがて仔細らしく、
「先生が、あの屋敷へ入り込むというのは容易なことじゃござんすまい、私も少々勝手の悪いことがございますのです、ここに一つ思い浮んだのは、ほかじゃございません、甲州の山の中から出て来た勝っ気で勘定高い小倅(こせがれ)が一人、あの近所に住んでいるんでございます、こいつが田作(ごまめ)の歯ぎしりで、ヒドク薩州のおさむらいを恨んでいるんですから、あいつをつっついて、当らしてみたらどうかと思うんでございます……慾こそ深いが、目から鼻へ抜けるような小倅でございますから、つかいようによっては、ずいぶんお役に立ちましょう」
 話半ばのところへ、お角が帰って来ました。
「七兵衛さん、お待たせ申しました」
「どうでした、子供は見つかりましたかね」
「いいえ、見つかりません。何しろ、動物(いきもの)の言葉がよくわかる子供ですから、動物に好かれて仕方がありません、蛇でも鳥でも、あの子を見ると、みんな友達気取りになって傍へ寄って来るし、当人もまた動物が大好きなんですから、あぶなくて仕方がありません、とうとう繋(つな)いでおいた馬を引張ってどこかへ行ってしまいました」
 お角はこう言っているうちにも焦(じれ)ったそうに、
「この間、千住の方から来た人の話に、下総の小金ケ原に近いところで、たった一人の子供が裸馬に乗ったり、馬から下りて手綱(たづな)を引っぱったりして、遊びながら東の方へ歩いて行ったのを見た者があるといいましたから、それではないかと思います。それで、今日は、これから小金ケ原まで人をやってみようかと思っているところでした」
「なるほど」
「ですけれども、それは月夜の晩のことで、それを見た人も遠目のことですから、茂太郎だか、どうだか、わかったものじゃありません、土地のお百姓の草刈子供やなにかであったりしちゃあ、ばかばかしいと思いますけれど、それでも諦めのためですから」
 お角は、ただ茂太郎に逃げられたということのほかに、負けぬ気の業腹(ごうはら)があるようです。けれども、ここでは別段に、お絹のことも恨んでもいないようです。お絹が連れて行ったはずの茂太郎は、七兵衛の知恵で、伯耆の安綱と交換して、無事に取返したものと見えます。今度、その少年が馬を連れて逃げ出したというのは、それから後の事件で、お絹はまるっきりこの事件にはかかわっていないようです。もし、お絹があのままで、いまだに茂太郎を誘拐して返さないようなことがあれば、それこそお角だって、これだけの焦(じ)れ方でいられようはずはない。お絹もまた、命がけで、そんないたずらを試みるほどに目先が見えないはずはありません。
 あれはあれで解決がついて、別に、清澄の茂太郎は感ずるところあって、月明に乗じ、馴(な)れた馬をひきつれて、この見世物小屋を立去ったものと見えます。

         三

 三田の薩州邸の附近の、越後屋という店に奉公していた忠作が、その家を辞して、専(もっぱ)ら薩州邸内の模様を探りにかかったのは、それから間もない時のことであります。
 いろいろに変装した忠作の身体(からだ)が、薩州邸を中心に三田のあたりに出没していましたが、ある日、越後屋へ立寄って中庭を通りかかると、一室のうちで声高に話をしているさむらいの言葉を聞きました。そのさむらいは何者であるか一向わからないが、酒を飲みつつ威勢のよい話をしているうちに、薩摩ということが折々出るから、そこで何となく聞捨てにならなくなって――
「左様、なんと言っても薩摩で第一の人物は西郷吉之助だろう、西郷につづく者は……西郷につづく者は、ちょっと誰だか見当がつかない」
「西郷はエライには違いない。土佐の坂本竜馬が、西郷の度量測(はか)るべからず、これを叩くこと大なれば、おのずから大に、これを叩くこと小なれば、おのずから小なり、と言って舌を捲いているところを見ると、かなりの人物であることがわかる。中岡慎太郎の手紙でも、この人学識あり、胆略あり、常に寡言(かげん)にして、最も思慮雄断に長じ、たまたま一言を出せば確然人腸(じんちょう)を貫く、且つ徳高くして人を服し、しばしば艱難を経て頗(すこぶ)る事に老練と、讃(ほ)め立てているところを見ても、かなりの大豪傑であろうと思われるが、しかし、薩摩において西郷ばかりが人物ではあるまい、小松帯刀(たてわき)や大久保一蔵は、西郷に優るとも劣ることなき豪傑だという評判じゃ」
「そりゃあ西郷以外にも豪傑がなかろうはずはない、まず殿様の斉彬(せいひん)が非凡の人物でなければ西郷を引立てることができようはずがない、知恵と手腕においては小松帯刀や大久保市蔵が西郷に優るとも、徳の一点に至っては、梯子をかけても及ぶまい、人物が大きくって徳がある、英雄首(こうべ)をめぐらせばすなわち神仙(しんせん)である、西郷は乱世には英雄になれる、頭の振りよう一つでは聖人にも仙人にもなれるところが豪傑中の豪傑だ、おそらく、薩州だけではなく、今の日本をひっくるめて第一等の大人物だろうと考えられる」
「エラク西郷に惚れ込んだものだな。ところで、その徳というものが問題になるのだ、聖人君子の徳というものは、施(ほどこ)して求むるところなきもので、その徳天地に等しという広大無辺なものになるものだが、英雄豪傑の徳というものは、一種の人心収攬術(じんしんしゅうらんじゅつ)に過ぎんのだからな。西郷のその徳というのも要するに、薩摩一国に限られた徳で、大きいと言ったところで、たいてい底もあれば裏もあるものだから、このごろ、江戸の市中へ壮士を入れて、いたずらをさせているのも、一に西郷の方寸に出でるとのことではないか。あの男がこうして傾きかかった徳川の腹を立たせようとする策略は、なかなか腹黒いものだ。西郷にしたところで、徳川が倒れたら、そのあとを島津に継がせたかろうさ。長州は長州で、またこの次の征夷大将軍は毛利から出さねばならぬと思っているだろう。みんな相当の芝居気(しばいっけ)を持っていない奴はなかろう。しかし、このごろの薩摩屋敷が江戸の町家を荒すのは、芝居の筋書が少し乱暴すぎる」
「ありゃあ、西郷がやっているのではない、益満(ますみつ)がやっているのだ」
「益満というのはなにものだ」
「人によっては、西郷につづく薩摩での人物だと言っている。益満が采配(さいはい)を振(ふる)って、ああして江戸の市中を騒がしているのだから、まだまだ面白い芝居が見られるだろう」
 立聞きをしていた忠作は、この言葉を聞いていたく興味に打たれました。それでは薩摩屋敷の荒(あば)れ者(もの)の采配を振っているのは益満という男か、その益満という男は、どんな男であろうと、忠作は益満という名を、しっかりと頭の中へ刻みつけました。
 そこを出てから忠作は、薩摩屋敷のまわりを一廻りして、芝浜へ向いた用心門のところまで来かかると、ちょうど門内から、忠作よりは二つも三つも年上であろうと思われる少年が出て来ました。少年に似合わず、少しく酒気を帯びているようであります。
 一目見ただけで忠作は、たしかに見覚えのある若ざむらいだと思いました。深く記憶を繰り返してみるまでもなく、目から鼻へ抜けるこの少年の頭には、甲斐の徳間入(とくまいり)の川の中で砂金をすくっていた時、あの崖道から下りて来て道をたずねたのが七兵衛で、川を隔てて向うの崖道を七兵衛と共に歩いて行ったのが、今ここへ出て来た若い人であります。
「よろしい、この人のあとをつけてみよう、自分は笠をかぶって、酒屋の御用聞の風(なり)をしているのだから、勝手が悪くはない」
 忠作にあとをつけられているとは知らぬ若い人。ただいま、薩州邸の用心門を立ち出でたのは別人ではない、宇津木兵馬であります。あとをつける者ありとも知らぬ宇津木兵馬は、かなりいい心持になって、
武蔵野に草はしなじな多かれど
 摘む菜にすればさても少なし……
と口ずさみながら、芝の山内の方面へ歩いて行きます。
 増上寺の松林へ入り込んだ兵馬は、その中の松の一本の下をグルグルと廻りはじめたが、刀の小柄(こづか)を抜き取りその松の木に、ビシリと突き立てて行ってしまいました。
 兵馬の立去ったあとで、その松の木の傍へ寄って見て、はじめて小柄の突き立てられてあることを知り、忠作はそれを無雑作に引抜いて、松の木には目じるしの疵(きず)をつけ、またも兵馬のあとをつけて行きます。
 兵馬は朴歯(ほおば)の下駄かなにかを穿(は)いている。忠作は草鞋(わらじ)の御用聞。両人ともに歩きも歩いたり、芝の三田から本所の相生町まで、一息に歩いてしまいました。
 さて、相生町へ来ると兵馬が例の老女の家へ入ったのを、忠作はたしかに見届けました。
 ここまで来てみると、いったい、この家は何者の住居であるかということを突き留めて帰らねばなりません。忠作は屋敷の周囲を二三度まわりました。
「こんにちは、まだ御用はございませんか」
 裏口へ廻って、こんな声色(こわいろ)を使ってみると、
「三河屋の小僧さん?」
「はい」
「ちょいとここへ来て手を貸して下さいな」
「へえ、承知致しました」
 呼び込まれたのを幸いに、潜(くぐ)りから長屋へ入り、
「こんにちは」
「小僧さん、後生ですからここへ来て手を貸して下さい」
 薄暗い中でしきりに女の声。
「どちらでございます」
「かまわないから早く来て下さいよ」
「こちらから上ってもよろしうございますか」
「どこからでもよいから、早く来て手を貸して下さい」
 流し元のあたりで頻(しき)りに呼ぶものだから、忠作は大急ぎで行って見ると、一人の女中が桝(ます)を膝の下に組みしいて、天下分け目のような騒ぎをしているところです。桝落しをこしらえて鼠を伏せるには伏せたが、どうしていいか始末に困っているところらしい。
「鼠が捕れましたね」
「小僧さん、早く、どうかして下さいな」
 忠作は上手に桝を明けて鼠をギュウと捉(つか)まえて、地面へ置くと、足をあげてそれを踏み殺してしまいました。女中はホッと息をついて、
「おや、いつもの小僧さんと違いますね」
と言って忠作の面(かお)を見ました。
「どうか御贔屓(ごひいき)を願います」
 忠作は頭を下げました。
 そこへ、廊下を渡って、また一人の女の人が、
「お福さん」
と呼ばれて、鼠を押えた女中が、
「はい」
と答えました。
「後生ですから、これへ汲みたてのお冷水(ひや)をいっぱい頂戴」
 一つの銀瓶(ぎんがめ)を手に捧げています。
「畏(かしこ)まりました、あの大井戸から汲んで参りましょう」
「済みませんね」
 廊下を渡って来た女の人は、手に持っていた銀瓶を、鼠を押えていた女中に手渡しすると、鼠を押えていた女中は、それを持って水汲みに出かけたもののようです。
「毎度有難うございます」
 忠作はいいかげんのことを言って立去ろうとする時に、銀瓶を捧げて来た女の人が、
「もし、小僧さん」
と呼び留めました。
「はい、御用でございますか」
「あの、お前さんは毎日ここへ来るでしょうね」
「はい、毎日伺います」
「それではね、ちょっと、わたしに頼まれて下さいな」
「へえ、よろしうございますとも、できますことならば何なりと」
 忠作を見かけて、何事をか頼もうとするこの女の人は、お松でありました。
 忠作は、その頼まれごとを勿怪(もっけ)の幸いと立戻ると、お松は何か用向を言おうとして忠作の顔を見て、
「小僧さん、お前のお店はどこ」
「三河屋でございます」
 忠作は抜からず返答をしたつもりでいました。
 お松は暫く思案していたが、やがて何を頼むのかと見れば、
「小僧さん、ついでの時でいいから、岩見銀山(いわみぎんざん)の薬を少しばかり買って来て頂戴な」
と言いました。
「はい、承知致しました」
 岩見銀山の薬が買いたければ、特に改まって酒屋の御用聞に頼むまでもあるまいに、先刻も女中が鼠を伏せて頻りに騒いでいたが、今もわざわざ岩見銀山を注文するのは、よくよくこの屋敷では鼠で困らされているのだろうと思いました。そこへ以前の女が銀瓶に水を満たして持って来ると、
「どうも御苦労さま」
 お松はそれを受取って、もとの廊下を帰って行きます。忠作も、お松から岩見銀山を買うべく頼まれた小銭(こぜに)を持って屋敷の外へ出てしまいました。
 兵馬が未(いま)だこの屋敷へ帰らず、忠作がそのまわりをうろつかない以前に、肩臂(かたひじ)いからした多くの豪傑がこの屋敷へ入り込みました。集まるもの十五六名。

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