大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「君ちゃん、いまお前は、ここの梅の枝を一枝折ったね、その枝を俺(おい)らにおくれ」
「これかい、この梅の枝を友さん、お前が欲しいのかい」
「うむ」
「そうして、どうするの」
「どうしたっていいじゃねえか、欲しいから欲しいんだ」
「欲しければお前、こんな花なんか、わたしに強請(ねだ)らなくても、いくらもお前の手で取ればいいじゃないか」
「そんなことを言わずに、それを俺らにおくれ」
「これはいけないよ」
「どうして」
「これは殿様に上げるんだから」
「殿様に?」
と言って米友は強い目つきでお君を見ました。
「これは、わたしから殿様へ差上げる花なんだから、友さん、お前ほしいなら別に好きなのを取ったらいいだろう、ほら、まだ、あっちにもこっちにもいくらも咲いているじゃないか」
 お君はチラホラと咲いている梅の木の花や蕾(つぼみ)を、米友に向って指し示すのを、米友は見向きもせずに、お君の面(おもて)をじっと見つめていましたが、
「要(い)らねえやい」
「おや、友さん、怒ったの」
「ばかにしてやがら」
 米友は、そのままぷいと廊下の縁の下を潜(くぐ)り抜けて、どこかへ行ってしまいました。
 駒井能登守が役所へ出かけたそのあとで、お君は部屋へ行ってホッと息をついて、微醺(びくん)の面(おもて)を両手で隠しました。
 障子の外には日当りがよくて、ここにも梅の咲きかかった枝ぶりが、面白く障子にうつっています。
 お君は脇息(きょうそく)の上に両肱(りょうひじ)を置いて、暫らくの間、熱(ほて)る面を押隠していましたが、そのうちにウトウトと眠気がさしてきました。
「お冷水(ひや)を持って来て」
「はい」
 次の間で女中が返事をすると、まもなくギヤマンの美しい杯(さかずき)が蒔絵(まきえ)の盆の上に載せられて、若い女中の手で運ばれました。ギヤマンの中には玉のような清水がいっぱい満たされてあります。お君はそのお冷水(ひや)を口に当てながら、
「わたしは眠いから少し休みたい、お前、床を展(の)べておくれ」
「畏(かしこ)まりました」
「それから、あの犬に何かやっておくれかい」
「いいえ、まだ」
「忘れないように」
「畏まりました」
 女中が出て行った後で、お君は水を一口飲んでギヤマンを火鉢の傍へ置き、それから鏡台に向い、髪の毛を大事に撫で上げました。笄(こうがい)を抜いたりさしたりしてみました。紅(くれない)のさした面(かお)を恥かしそうにながめていました。こうしている間もお君は、自分の身の果報を思うことでいっぱいであります。女中のよく言いつけを聞いてくれることも嬉しくありました。鏡がよくわが姿をうつしてくれるのも嬉しくありました。撫であげる髪の毛の黒いことも嬉しくありました。笄の鼈甲(べっこう)から水の滴(したた)るようなのも嬉しくありました。面から襟筋の白粉も嬉しいけれど、胸から乳のあたりの肌の白いことも嬉しくありました。殿様の美男であることが嬉しくありました。自分を産んでくれた母の美しかったということも嬉しくありました。
「ムクかい、待っておいでよ」
 お君はこうして鏡台に向っていながらも、ツイその日当りのよい縁先へ、ムク犬が来たということには気がつきました。
 気がついたけれども、障子をあけて犬を見てやろうとはしないで、やはり鏡に向って髪の毛をいじりながら、そう言って言葉をかけただけであります。人の愛情は二つにも三つにもわけるわけにはゆかないのか知らん。能登守に思われてからのお君は、犬に冷淡になりました。冷淡になったのではないだろうけれども、以前のように打てば響くほどに世話が届きませんでした。ムク犬のためにする毎日の食事も、以前は自分から手を下さなければ満足ができなかったのに、このごろでは女中任せになっていました。女中がツイ忘れることもあるらしく、それがためにかどうか、このごろのムク犬は、お君の傍にあるよりは米友の方へ行っていることが多いようであります。
 今、ムクはお君のいるところの縁先へ来ていることは、その物音でも呼吸でもお君にわかるのであります。こんな時には必ずムクにしかるべき意志があって来るのだから、前のお君ならば何事を措(お)いても障子をあけるのでしたけれども、今のお君はそれよりも、鏡にうつる己(おの)れの姿の方が大事でありました。
「ワン!」
 堪り兼ねたと見えてムク犬は、外で一声吠えました。吠えられてみるとお君は、どうしても障子をあけなければなりません。そこにはムク犬が柔和(にゅうわ)にして威容のある大きな面(おもて)を見せていました。
 お君の面を見上げたムク犬の眼の色は、早く私についておいで下さいという眼色でありました。
 それは何人(なんぴと)よりもよく、お君に読むことの出来る眼の色であります。
 お君はムクに導かれて、廊下伝いに歩いて行きました。
 これはこの前の晩の時のように、闇でもなければ靄(もや)でもありませんで、梅が一輪ずつ一輪ずつ綻(ほころ)び出でようという時候でありました。
 お君が、とうとうムク犬に導かれて、廊下伝いに来たところは米友の部屋でありました。そこへなにげなくお君が入って、
「おや、友さん」
と言いました。見れば米友はあちら向きになって、いま旅の仕度をして上(あが)り端(はな)に腰をかけて、しきりに草鞋(わらじ)の紐を結んでいるところであります。
 旅の仕度といっても米友のは、前に着ていた盲縞(めくらじま)の筒袖に、首っ玉へ例の風呂敷を括(くく)りつけたので、ちょうど伊勢から東海道を下った時、江戸から甲州へ入った時と同じことの扮装(いでたち)でありました。
「どこへ行くの、米友さん」
 お君は米友の近いところへ立寄りながら尋ねました。
 米友は返事をしませんでした。
「殿様の御用なの?」
 米友はなお返事をしません。返事をしないで草鞋の紐を結んでいます。
「どうしたの、米友さん」
 お君は後ろから米友の肩に手をかけました。
「どうしたっていいやい」
 米友が肩を揺(ゆす)ると、お君は少しばかり泳ぎました。
「お前、何か腹を立っているの」
 米友はなお返事をしないで、ようやく草鞋の紐を結んでしまい、ずっと立って傍に置いた例の棒を取って、ふいと出かけようとする有様が尋常でないから、お君はあわてて、
「何かお前、腹の立つことがあるの、気に触ったことがあるの。そうしてお前はここのお屋敷を出て行ってしまうつもりなの」
「うむ、今日限り俺らはここをお暇(いとま)だ」
「そりゃまた、どうしたわけなの。お前はどうも気が短いから、何かまた殿様の御機嫌を損(そこ)ねるようなことをしたんじゃないか。そんならわたしが謝罪(あやま)って上げるから事情(わけ)をお話し」
「馬鹿野郎、殿様とやらの御機嫌を損ねたから、それで出るんじゃねえや、俺らの好きで勝手におんでるんだ」
「そんなことを言ったってお前、そうお前のように我儘(わがまま)を言っては第一、わたしが困るじゃないか」
「お前が困ろうと困るめえと俺らの知ったことじゃねえ」
「何か、キットお前、気に触ったことがあるんだよ、あるならあるようにわたしに話しておくれ、他人でないわたしに」
「一から十まで癪(しゃく)に触ってたまらねえから、それでおんでるんだ」
「何がそんなに癪に触るの」
「なんでもかでもみんな癪に触るんだ、その紅(あか)っちゃけた着物はそりゃ何だ、その椎茸(しいたけ)みたような頭はそりゃ何だ、そんなものが第一、癪に触ってたまらねえや」
「お前はどうかしているね」
「俺らの方から見りゃあ、どうかしていると言う奴がどうかしてえらあ、ちゃんちゃらおかしいや」
「まあ、米友さん、それじゃ話ができないから、ともかく、まあここへお坐り。お前がどうしてもこのお屋敷を出なくてはならないようなわけがあるならば、わたしも無理に留めはしないから、そう短気を起さずに、そのわけを話して下さい、ね」
「出て行きたくなったから出て行くんだ、わけもなにもありゃしねえや、一から十まで癪に触ってたまらねえからここの家にいられねえんだ」
「何がそんなにお前の癪にさわるのだか、お前のように、そうぽんぽん言われては、ほんとに困ってしまう」
「その椎茸(しいたけ)みたような頭が気に入らねえんだ、尾上岩藤の出来損(できそこ)ねえみたようなのが癪に触ってたまらねえんだ」
「あ、わかった……」
 お君は米友を押えながら、何かに気のついたような声で、
「わかった、お前は、わたしが出世したから、それで嫉(や)くんだろう」
「ナ、ナニ!」
 米友は屹(きっ)と振返って凄い眼つきをしてお君を睨(にら)みました。
「きっと、そうだよ、わたしが出世したから、お前はそれで……」
「やいやい、もう一ぺんその言葉を言ってみろ」
 米友はお君の面(かお)を穴のあくほど睨みつけました。
「そうだよ、きっと、そうに違いない、わたしが出世してこんな着物を着るようになったから、お前は世話がやけて……」
「うむ、よく言った」
 米友はお君の面を目玉の飛び出すほど鋭く睨んで、拳(こぶし)を固めながら頷(うなず)いて黙ってしまいました。
「どうしたんだろう、ナゼそんなに怖い面をしているの、わたしにはわけがわからない」
 米友に睨められたお君は、睨んだ米友の心も、睨まれた自分の身のことも、全くわけがわからないのでありました。もう一ぺん言ってみろといえば、何の気もなしにそれを繰返すほどにわけがわからないのであります。
「馬鹿! 出世じゃねえんだ、慰(なぐさ)み物(もの)になってるんだ」
「おや、友さん、何をお言いだ」
「お前は、人の慰み物になっているのを、それを出世と心得てるんだ」
「エ、エ、何、何、友さん、そりゃなんという口の利き方だえ、いくらわたしの前だからといって、そりゃ、あんまりな言い分ではないか、二度言ってごらん、わたしは承知しないから」
「二度でも三度でも言うよ、お前は殿様という人から、うまい物を食わせてもらい、いい着物を着せてもらって、その代りに慰み物になっているんだ、それをお前は出世だと心得ているんだ」
「あ、口惜(くや)しい!」
「何が口惜しいんだ、その通りだろうじゃねえか」
「わたしは殿様が好きだから、それで殿様を大事にします、殿様はわたしが好きだから、それでわたしを大事にします、それをお前は慰み物だなんぞと……あんまり口惜しい、殿様はそんなお方ではない、わたしを慰み物にしようなんぞと、そんなお方ではない、わたしは殿様が好きだから」
「好きだから? 好きだからどうしたんだい、好きだから慰み物になったのかい」
「友さん、よく言ってくれたね、よく言っておくれだ、お前からそこまで言われれば、もうたくさん」
 お君はこう言って口惜しがって、ついに泣き出してしまいました。
「どっこいしょ」
と言って米友は、竹皮笠を土間から取り上げて被(かぶ)りました。その紐を結びながら、
「やいムク州、永々お世話さまになったが、俺(おい)らはこれからおさらばだ、お前も達者でいなよ」
 ムク犬は悄然として、二人の間の土間にさいぜんから身を横たえていました。
「十七姫御が旅に立つヨ、それを殿御が聞きつけてヨ、留まれ留まれと袖を引くヨ」
 米友は久しぶりで得意の鼻唄をうたいました。この鼻唄は隠(かくれ)ケ岡(おか)にいる時分から得意の鼻唄であります。これだけうたうと笠の紐を結び終った米友は、例の棒を取り直して、さっさとここを飛び出してしまいました。

         九

 米友が出て行ってしまったあとで、お君は堪えられない心の寂(さび)しさを感じました。
 ムクはと見れば、そこにはいません。おそらく米友を送るべくそのあとを慕って行ったものと思われます。
 その時に、この米友の部屋の後ろへそっと忍んで来た人がありました。台所口から、
「こんにちは」
と細い声でおとなうのは、やはり女の声でありました。
 しばらくすると、
「こんにちは」
 二度目も同じ声でありました。
「米友さん」
 三度目に米友の名を呼びました。
「御免下さい」
 台所口の腰高障子をそっとあけて、忍び足で家の中へ入り、中の障子へ手をかけて、
「米友さん」
と言いながら、障子をあけたのはお松でありましたが、米友を呼んで入って見ると、それは米友ではなくて、立派な身なりをした奥向きの婦人が、柱に凭(もた)れて泣いておりましたから、きまりを悪そうに、
「どうも相済みませぬ、あの、米友さんはお留守でございますか」
 泣いている婦人は、その時、涙を隠してこちらを向きました。
「まあ、お前さんは……」
「あなたはお君さん」
「ずいぶん、これはお珍らしい」
「まあ、なんというお久しぶりな」
と言って二人ともに面を見合せたなりで、暫らく呆気(あっけ)に取られていました。
 お松とお君との別れは、遠江(とおとうみ)の海でお君が船に酔って船に酔って、たまらなくなって以来のことであります。あの時、お君だけは意地にも我慢にも船におられないで、上陸してしまいました。
 神尾主膳の家と、駒井能登守の屋敷とは、その間がそんなに遠くはないのに、両女(ふたり)ともに今まで面(かお)を会せる機会がありませんでした。甲府にいるということをすらおたがいに知ってはおりません。
 米友の口から聞けば聞かれるのであったろうけれど、米友はこのことをお松に語りませんでした。お松は外へ出る機会が多少あっても、その後のお君は屋敷より外へ、ほとんど一歩も踏み出したことはありませんでした。それ故、二人はここで偶然に会うまで、その健在をすらも忘れておりました。
 今見れば、お松は品のよい御殿女中の作りです。これはお松としてそうありそうな身の上であるけれども、お君がこうして奥向きの立派な身なりをしていようとは、お松には思い設けぬことでありました。お君は、久しぶりで会った人に、涙を見せまいとして元気を作りました。お松は、人の留守へ入って来たきまりの悪いのを言いわけするように、
「わたしはここにいる若い衆さんに、お頼み申してあることがあります故、つい無作法にこうやって参りました、それをここであなたにお目にかかろうとは思いませんでした、どうして、いつごろからこちら様においでなさいますの」
 お松は昔の朋輩(ほうばい)の心持で尋ねました。
「これにはいろいろと長いお話がありますから、後でゆっくり申し上げましょう。そして、お松さん、お前さんは今どちらにおいであそばすの」
 お君の方からこう言って尋ねました。
「わたしは、こちらの勤番のお組頭の神尾主膳の邸の中におりまする」
「あの神尾様の……そうでございましたか、少しも存じませんでした」
「わたしもお君さんが、わたしのいるところからいくらも遠くないこの能登守様のお屋敷においでなさろうとは、夢にも存じませんでした。お見受け申せば、昔と違ってたいそう御出世をなされた御様子」
「はい、お恥かしうございます」
 お松から出世と言われてみると、お君はなんとなしに恥かしい心持になりました。お松はそう言って、気のつかないように綺羅(きら)びやかなお君の姿を見直しましたけれど、どうもよく呑込めないような心持がするのであります。
 自分はまだ娘であるけれどもこの人は、もう主(ぬし)ある人か……というような不審から、お松はなんだか、昔のように姉妹気取りや朋輩気取りで呼びかけることに気が置けるのであります。
「お松さん、ここではお話が致し悪(にく)うございますから、わたしの部屋までおいであそばせ」
 お君はお松を自分の部屋へ案内しようとしました。
「はい、あの……ここにおいでなさる米友さんというお方は?」
「あの人は、今、あの、どこかへ……お使に行きましたから」
「左様でございますか。わたしはあの人にぜひ会わねばならない用事がありますの」
「そのうち帰って参りましょう、お手間は取らせませぬから、どうぞわたしのところまで」
 お松はお君の部屋へ導かれて、そこで両女(ふたり)は水入らずに一別以来の物語をしました。
 この物語によって見ると、お松はお君の今の身の上の大略を想像することができました。お松もまた甲州へ来る道中の間で、駒井能登守の人柄を知っているのでありましたから、その人に可愛がられるお君の今の身の上は幸福でなければならないと思いました。
 けれどもお松は、そんなことのみを話したり聞いたりするために尋ねて来たのではなかった、大事の人に会わんがために来たのでありました。晴れて会われない人に、そっと会うべく忍んで来たのでありました。そっと会えるように米友が手引をしてくれるはずになっていたから、それで米友を訪ねて来たのですが、その米友がいないで、偶然にも会うことのできたその人はお君――かえってこれは一層自分の願いのために都合がよいと思いました。この屋敷においてはずっと地位の低い米友を頼むよりは、主人の寵愛(ちょうあい)を受けているこの優しい人に打明けたのが、どのくらい頼みよくもあるし、都合もよいか知れないと気がついたから、お松は、やがてそのことをお君に打明けて頼みました。
 果してお君は、お松が思っている通りに、よい手引をしてくれる人でありました。お松が思ったより以上に快く承知をして、そのことならば誰に頼むよりも、わたしにという意気込みで返事をしてくれました。且つ、今は幸いに主人もいないから、これから直ぐに、わたしがそのお方の休んでおいでなさるところへ御案内をしましょう、ということでありました。お松が飛び立つほど嬉しく思ったのも無理はありません。
 お松のようにおちついた性質(たち)の女が、ソワソワとする様子を見るとお君も嬉しくありました。この人をこんなに喜ばせるのは、またあの兵馬さんを喜ばせることになるのだと思えばなお嬉しくありました。こういう人たちの間の手引をして喜ばせる自分の身も嬉しいことだと思いました。
 両女(ふたり)は人目に触れないで二階へ上ることができました。お君は、先に立ってその一室の障子を細目にあけて中を見入り、
「兵馬さん」
 この声に兵馬は夢を破られました。軽い眠りの床から覚めて見ると、そこに立っている女の姿。
「お松どの」
 兵馬もさすがに、驚きと喜びとを隠すことができないらしい。
「御気分は?」
「もう大丈夫」
 兵馬は生々とした声でありました。
「ああ、わたしは心配致しました」
「どうもいろいろと有難う」
「お手紙を確かにいただきました」
「昨日はまた薬を有難う」
「あの友さんという人が、ちょうどこちらのお屋敷に雇われていたものですから。何かにつけて仕合せでございました」
「あれは、わしも知っている人……それからまたお君どのも」
「はい、お君さんにも、わたしは会うことができました、そのお君さんの手引でこうして上りました」
「して、主人の許しを得て?」
「いいえ、こちらの殿様はただいまお留守なのでございます」
「とにかくも、この屋敷へ落着いたことは当座の仕合せ、この上は一日も早く全快して、ひとまず甲府の土地を立退かねばなりませぬ」
「早く御全快なすって下さいまし。兵馬様、わたしはこんなものを持って参りました」
と言いながらお松は、持って来た風呂敷包を解くと、真綿(まわた)でこしらえた胴着でありました。
「お気に召しますか、どうでございますか」
と言って、その胴着のしつけの糸かなにかを取りますと、
「それほど寒いとも思わぬが、せっかくのお志だから」
 兵馬は蒲団(ふとん)の上に坐り直して、挿帯(さしこみおび)をしていたのを解きかけました。
「兵馬様、これから毎日お訪ねしてもよろしうございますか」
「悪いことはないが、人に咎(とが)められると迷惑ではないか」
「誰にも知られないように用心して参りまする」
「それでも、この家の主人に知られぬわけにはゆくまい」
「こちらのお殿様は、お君さんを可愛がっておいでなさいますから……」
 お松は面を赧(あか)らめます。

         十

 あとを慕って送って来るムク犬を無理に追い返した米友は、甲州の本街道はまた関所や渡し場があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと、甲府を飛び出して石和(いさわ)まで来ました。
 石和で腹をこしらえた米友は、差出(さしで)の磯や日下部(くさかべ)を通って塩山(えんざん)の宿(しゅく)へ入った時分に、日が暮れかかりました。
「もし、そこへ行くのは友さんじゃないか」
 袖切坂の下で、やはり女の声でこう呼びかけられたから米友は驚きました。
「エ、エ!」
 眼を円くして見ると、
「ほら、どうだ、友さんだろう」
と女はなれなれしく言って傍へ来るから、米友はいよいよ変に思いました。
 もう黄昏時(たそがれどき)でよくわからないけれども、その女はこの辺にはあまり見かけない、洗い髪の兵庫結(ひょうごむす)びかなにかに結った年増の婀娜者(あだもの)のように見える。着物もまた弁慶か格子のような荒いのを着ていました。
 はて、こんな人に呼びかけられる覚えはないと米友は思いました。
「誰だい」
「まあ、お待ちよ」
と言って女が傍へ寄って来た時に、はじめて米友は、
「あ、親方」
と言って舌を捲きました。これは女軽業の親方のお角(かく)でありました。なぜか米友ほどの人物が、このお角を苦手(にがて)にするのであります。この女軽業師の親方のお角の前へ出ると、どうも妙に気が引けて、いじけるのはおかしいくらいです。
 もともと、黒ん坊にされたのは承知のことであって、道庵先生に見破られたために、その化けの皮を被(かぶ)り切れなかったのは米友の罪でありました。米友はそれは自分が悪かったと、それを今でも罪に着ているから、それでお角を怖れるのみではありません。
 もし前世で米友が蛙であるならば、お角が蛇であったかも知れません。どうも性(しょう)が合わないで、それが米友の弱味になって、頭からガミガミ言われても、得意の啖呵(たんか)を切って、木下流の槍を七三に構えるというようなわけにはゆかないから不思議であります。
「あ、親方」
と言って米友が舌を捲くと、お角の方は今日は意外に素直(すなお)で、その上に笑顔まで作って、
「どうしたの、今時分、こんなところをうろついて……」
「これから江戸へ帰ろうと思うんだ」
「これから江戸へ、お前が一人で?」
「うん」
「そうして、どこから来たの、今夜はどこへ泊るつもりなの」
「甲府から来たんだ、今夜はどこへ泊ろうか、まだわからねえんだ」
「そんなら、わたしのところへお泊り」
「親方、お前のところというのは?」
「いいからわたしに跟(つ)いておいで」
 米友は唯々(いい)としてお角のあとに跟いて行きました。お角はまた米友を従者でもあるかのように扱(あしら)って、先へさっさと歩いて袖切坂を上って行きます。
「お前、甲府へ何しに来たの」
「俺(おい)らは去年、人を送って甲府へ来たんだ」
「そうして今まで何をしていたの」
「今まで奉公をしたりなんかしていたんだ」
「どこに奉公していたの」
「旗本の屋敷やなんかにいたんだ」
「そしてお暇を貰って帰るのかい」
「そうじゃねえんだ」
「どうしたの」
「俺らの方でおんでたんだ」
「そんなことだろうと思った、お前のことだから」
「癪(しゃく)に触るから飛び出したんだ」
「お前のように気が短くては、どこへ行ったって長く勤まるものか」
「そうばかりもきまっていねえんだがな」
「きまっていないことがあるものか、どこへ行ったってきっと追ん出されてしまうよ」
「俺らばかり悪いんじゃねえや」
「そりゃお前は正直者さ、あんまり正直過ぎるから、それでおんでるようなことになるのさ」
「その代り、こんど江戸へ出たら辛抱するよ」
「それからお前、いつぞやお前はお君のところを尋ねに両国まで来たことがあったね」
「うん」
「それだろう、お前は人を送って来たというのは附けたりで、ほんとはあの子を尋ねにこちらへ来たのだろう」
「そういうわけでもねえんだ」
「しらを切っちゃいけないよ、そういうわけでないことがあるものか、お前をこちらへよこした人の寸法や、お前がこちらへ来るようになった心持は、大概わたしの方に当りがついているんだから」
 米友はそこで黙ってしまいました。どこまで行っても受身で、根っから気焔が上らないで、先(せん)を打たれてしまうようなあんばいです。
 袖切坂のあたりは淋しいところで、ことに右手はお仕置場(しおきば)です。袖切坂はそんなに大した坂ではないけれど、そこを半分ほど上った時に、
「おや」
と言って、どうしたハズミか、先に立って行ったお角が坂の中途で転(ころ)びました。物に躓(つまず)いて前へのめったのであります。
「危ねえ、危ねえ」
 米友はそれを抱き起すと、
「ああ、悪いところで転んでしまった」
 見ればお角の下駄の鼻緒が切れてしまっています。それをお角は口惜しそうに手に取ると、はずみをつけてポンと傍(かたえ)のお仕置場の藪(やぶ)の中へ抛(ほう)り込んで、
「口惜しい、うっかりしていたもんだから、袖切坂で転んでしまった」
 キリキリと歯を噛んで口惜しがりました。お角の腹の立て方は、わずかに転んだための癇癪(かんしゃく)としては、あまり仰山でありました。
「怪我をしたのかね、かまいたちにでもやられたのかね」
 米友は多少、それを気遣(きづか)ってやらないわけにはゆきません。
「そんなことじゃない、袖切坂で、わたしは転んでしまったのだよ、ちぇッ」
 お角の言いぶりは自暴(やけ)のような気味であります。
「袖切坂がどうしたって」
「ここがその袖切坂なんだろうじゃないか、ところもあろうに、あんまりばかばかしい」
「そりゃ木鼠(きねずみ)も木から落っこちることがある、転んだところで怪我さえしなけりゃなあ」
「怪我もちっとばかりしているようだよ、向(むこ)う脛(ずね)がヒリヒリ痛み出した」
と言ってお角は、紙を取り出して左の足の膝頭(ひざがしら)を拭くと、ベッタリと血がついていました。
「やあ血が!」
 米友も、その血に驚かされると、お角は、
「怪我なんぞは知れたことだけれど、袖切坂で転んだのが、わたしは腹が立つ」
 お角は、よくよくここで転んだのが癪で堪(たま)らないらしい。
 袖切坂を登ってしまうと行手に大菩薩峠の山が見えます、いわゆる大菩薩嶺(だいぼさつれい)であります。標高千四百五十米突(メートル)の大菩薩嶺を左にしては、小金沢、天目山、笹子峠がつづきます。それをまた右にしては鶏冠山(けいかんざん)、牛王院山(ごおういんざん)、雁坂峠(かりざかとうげ)、甲武信(こぶし)ケ岳(たけ)であります。
 素足で坂を登りきったお角は――坂といっても袖切坂はホンのダラダラ坂で、たいした坂でないことは前に申す通りです。そこで、お角は米友を顧みて、
「友さん」
と米友の名を呼びました。
「よく覚えておきなさい、この坂の名は袖切坂というのだから」
 そういう言葉さえ余憤を含んでいるのが妙です。
「袖切坂……」
 米友は、お角に聞かされた通り、袖切坂の名を口の中で唱えましたけれど、それは米友にとってなんらの興味ある名前でもなければ、特に記憶しておかねばならない名前とも思われません。
「ナゼ袖切坂というのだか、お前は知らないだろう」
「知らない」
「知らないはずよ、わたしだって、ここへ来て初めて土地の人から、その因縁(いわれ)を聞いたのだから」
 お角は坂を見返って動こうともしません。米友もまたぜひなくお角の面(かお)と坂とを見比べて、意味不分明に立ちつくしていました。そこらあたりは畑と森と林が夕靄(ゆうもや)に包まれて、その間に宿はずれの家の屋根だけが見え隠れして、二人の立っているところには、「袖切坂」という石の道標に朱を差したのが、黄昏(たそがれ)でも気をつけて読めば読まれるのであります。
「この坂で転んだ人は、誰でも、その片袖を切ってここの庚申塚(こうしんづか)へ納めなくてはならないことになっている。それを知っていながら、わたしはここで転んでしまった。なんという間の抜けた、ばかばかしいお人好しなんだろう、わたしという女は」
 お角は、こう言って身を震わして焦(じ)れったがりました。お角の焦れったがる面と言葉とを、米友は怪訝(けげん)な面をして見たり聞いたりしていました。
「人間だから、根が生えているわけではねえ、転んだところでどうもこれ仕方がねえ」
 米友はこう言いました。
「あんまりばかばかしいから、わたしは片袖なんぞを切りゃしない。この坂へ来ては子供だって転んだもののあるという話を聞かないのに、いい年をしたわたしが……坂の真中でひっくり返って、おまけにこの通り御念入りに創(きず)までつけられて……」
 膝頭(ひざがしら)の創が痛むのか、お角はそこへ手をやって押えてみましたが、
「友さん、わたしがここで転んだということを、誰にも言っちゃいけないよ」
「うむ」
「言うと承知しないよ」
「うむ」
「けれどもお前はきっと言うよ、お前の口からこのことがばれるにきまっているよ。もしそういうことがあった時は、わたしはお前をただは置かない……ただは置かないと言っても、わたしよりお前の方が強いんだから……してみると、わたしはいつかお前の手にかかって殺される時があるんだろう、どうもそう思われてならない」
「何、何を言ってるんだ」
「転んだところを見た人と見られた人が、もし間違っても男と女であった時は、どっちかその片一方が片一方の命を取るんですとさ」
「ええ!」
 米友はなんともつかず眼を円くしました。
 ほどなく米友の連れて来られたところは、塩山の温泉場からいくらも隔たらない二階建の小綺麗な家でありました。
「この人に足を取って上げて、それから御飯を上げておくれ」
 お角は女中に言いつけました。
 米友は御飯を食べてしまうと二階へ案内されました。二階へ案内されて見ると、そこがまた気取った作りでありました。すべてにおいて米友は、この家の様子と、あのお角という女主人を怪しまぬわけにはゆきません。
 それよりも先に、両国橋で女軽業の一座を率いていた親方が、どうしてこんなところの侘住居(わびずまい)に落着いたかということが、米友には大いなる疑問であります。甲府へ興行に来た間違いからお君がひとり置き捨てられたのは、聞いてみればその筋道が立ちますけれど、この女親方がここへ落着いていることは、どうも米友には解(げ)せないのであります。まもなく、お角はお湯に行くと言って出て行きました。やがて女中が二階へ来て、あなたもお湯においでなさいましと言いました。米友は、湯はよそうと言いました。それではお床を展(の)べてあげましょうと言って、次の間へ寝床をこしらえて、屏風(びょうぶ)を立て、燈火(あかり)に気をつけて、お休みなさいませと言いました。
「いったい、ここの旦那というのは何を商売にしているんだい」
「絹商人(きぬあきんど)でございます」
 米友はなるほどと思いました。郡内にも甲府にも絹商人ではかなり大きいのがあるから、何かの縁でそれに見込まれてあの親方が囲われたな、と米友はそんな風に感づいて、多少腑(ふ)に落つるところはあったけれども、袖切坂の上でお角が言った異様な一言(ひとこと)は、どうも米友には解くことができませんでした。
 米友が寝込んだのはそれから長い後ではなかったけれども、その夜中に格子をあける者がありました。
 米友はまた、さすがに武術に達している人であります、熟睡している時であっても、僅かの物音に眼を醒(さ)ますの心がけは、いつでも失うことはありません。
「うむ、そうか、そんならいいけれど、滅多(めった)な人を入れちゃいけねえぜ」
 それが男の声です。
 そこで米友は、ははあ、やって来たな、旦那の絹商人(きぬあきんど)という奴がやって来たなと、腹の中でそう思いました。
 そのうちに瀬戸物のカチ合う音や、燗徳利(かんどくり)が風呂に入る音なんぞがしました。それでもって、お角とその絹商人とが差向いで飲みはじめていることがわかりました。
 二人は飲みながら話をしています。その話し声が高くなったり低くなったりしていますけれども、聞いているうちに、米友がまたまたわからなくなったのは、男の方の言葉づかいが決して商人の言葉づかいではないことであります。
 いくら土地の商人にしたところで、いま下で話している人の口調は、反物(たんもの)の一反も取引をしようという人の口調ではありません。
 絹商人というけれども、何をしているんだか知れたものじゃないと、米友はいいかげんにたかを括(くく)りました。
「おや、妙なことをお言いだね」
 突然と下から聞えたのは、お角の声であります。
「だからどうしようと言うんだ」
 それは男の声。
「どうもしやしない、これからその神尾主膳とやらのお邸へ、わたしが出向いて行って、ちゃあんと談判して来るからいい」
「そいつは面白い」
「面白かろうさ。そうしてそのついでに、百という男は、がんりきと二つ名前の男で、切り落された片一方の手には甲州入墨……」
「何を言ってやがるんだ」
 下の男と女は、いさかいになったのを、米友は聞き咎(とが)めてしまいました。
 しかし、高い声はそれだけで止んで、男女ともに急に押黙ってしまいました。
 その翌朝、あのがんりきの何とやらいう小悪党に会わなければならないのだなと思いながら、米友は下へ降りて見ると、お角と女中のほかには誰もいませんでした。
 女中の世話で朝飯を食べてしまっても、昨夜の男は姿を見せませんでした。お角もなにくわぬ面(かお)をしていました。米友もそのことは聞きもしないで、直ちに出立の暇乞いをしました。お角はもっと米友を留めておきたいような口吻(くちぶり)でありましたけれど、そんならと言っていくらかの餞別(せんべつ)までくれました。そうして、遠からずわたしも江戸へ帰るからあっちでまた会おうと言って、米友のために、二三の知人(しるべ)のところを引合せてやったりなどしました。
 そうして米友は、そこを出かけて東へ向って行くと例の袖切坂です。そこへ来ると、いやでも眼に触れるのが、坂の上に立てられてある「袖切坂」の石の道標でありました。
「ここだな」
と思って米友はその石を見ると、袖切坂の文字には昨夜見た通りの朱をさしてありましたが、その文字の下に猿の彫物(ほりもの)のしてあることに初めて気がつきました。この猿はありふれた庚申(こうしん)の猿です。庚申様へ片袖を切って上げるとかなんとか言ったのは、やっぱりここのことだろうと米友は、昨晩のお角の言った言葉を思い出して、再び奇異なる感じを呼び起して見ると、その庚申の下に、片袖ではない――下駄が片一方、置き捨てられてあることを発見しました。
 下駄が片一方、しかもそれは男物ではない、間形(あいがた)の女下駄に黒天(こくてん)の鼻緒、その鼻緒の先が切れたままで、さながら庚申様へ手向(たむ)けをしたもののように置かれてあるのをみとめて、米友は眼を円くしました。
 想像を加えるまでもなく、その下駄はお角の下駄であります。昨夕(ゆうべ)この坂の中程で転んだお角が、焦(じ)れったがって歯咬(はがみ)をしながら、鼻緒の切れたその下駄をポンと仕置場の藪(やぶ)の中へ投げ込んだ時に、米友は怪訝(けげん)な面(かお)をして見ていました。
 それを誰がいつ拾い出したのか、今朝はもうここに、ちゃんとこうして供えられてある――だから米友は眼を円くしないわけにはゆきません。
 迷信や因縁事で米友を嚇(おどか)すには、米友の頭はあまりに粗末でそうして弾力があり過ぎます。昨夕、ここであんなことをお角から言われて、その時はおかしな気分になりました。今はもうほとんど忘れてしまっていました。それだからこうして見ると、誰がしたのかその悪戯(いたずら)が面悪(つらにく)くなるくらいのものでありました。米友は手に持っていた棒をさしのべて、長虫でも突くような手つきで、下駄の鼻緒の切れ目へそれを差し込みました。
 前後と左右を見廻して、その下駄を抛(ほう)り込むところを見定めようとしたけれど、あいにく、あの藪の中へ投げ込んでさえ拾い出してここへ持って来る奴があるくらいだから、畑や道端へうっかり捨てられないと、米友は棒の先へその下駄を突掛けたものの、そのやり場に窮してしまいます。
 やむことを得ず米友は、その下駄を手許へ引取って、片手でぶらさげて、その場を立去るよりほかには詮方(せんかた)がなくなりました。行く行くどこかへ捨ててしまおうと、米友は油断なく左右を見廻して行ったけれども、容易にその下駄一つの捨て場がわかりません。ついには土を掘って埋めてしまおうかとも思いましたけれど、そうもしないで、ほとんど小一里の間、米友はその下駄をぶらさげて歩いてしまいました。
 右の足の跛足(びっこ)である米友が、女の下駄を片一方だけ持ち扱って歩いて行くことは、判じ物のような形であります。

         十一

 その後ムク犬は、駒井と神尾と両家の間を往来するようになりました。お君のムク犬を可愛がることは昔に変らないが、その可愛がり方はまた昔のようではありません。自分で手ずから食物を与えることはありません。またムクと一緒にいる機会よりも能登守に近づく機会が多いので、自然にムク犬に対するお君の情が薄くなるように見えました。しかし、お君はムク犬を粗末にするわけではなく、ムク犬もまた主人を疎(うと)んずるというわけではありませんでした。
 お君とムク犬との関係がそんなになってゆく間に、お松とムク犬とがようやく親密になってゆくことが、目に見えるようであります。
 それだからムク犬は、或る時は駒井家の庭の一隅に眠り、或る時は神尾の家へ行って遊んで来るのであります。神尾の家といってもそれは本邸の方ではなく、別家のお松の部屋の縁先であります。お松はこの犬を可愛がりました。
 神尾家の本邸のうちは、このごろ見ると、またも昔のような乱脈になりかけていることがお松の眼にはよくわかります。貧乏であった神尾主膳がこの春来、めっきり金廻りがよくなったらしい景気が見えました。けれどもその金廻りがよくなったというのは、知行高(ちぎょうだか)が殖(ふ)えたからというわけではなく、また用人たちの財政がうまくなって、神尾家の信用と融通が回復したというわけでもないようです。
 このごろ神尾家へは、雑多な人が入り込みます。札附(ふだつき)の同役もあれば、やくざの御家人上(ごけにんあが)りもあり、かなり裕福らしい町人風のものもあり、また全然破落戸風(ごろつきふう)のものもある――それらの人が集まって、夜更くるまで本邸の奥で賭場(とば)を開いていることを、お松は浅ましいことだと思いました。神尾主膳に金廻りがよくなったというのは、それから来るテラ銭のようなものでしょう。
 中奥(なかおく)の間(ま)ではその夜、また悪い遊びが開かれていました。その場の様子では主膳の旗色が大へん悪いようです。
 主膳の悪いのに引替えて、いつもこの場を浚(さら)って行くは、がんりきの百であります。
 一座の者が一本腕のがんりきのために、或いは殺され、或いは斬られて、手を負わぬものは一人もない体(てい)たらくでありました。
 それを見ていた神尾主膳は、業(ごう)が煮えてたまりませんでした。
「百蔵、もう一丁融通してくれ、頼む」
と言い出すと、
「殿様、御冗談(ごじょうだん)おっしゃっちゃいけません、もうおあきらめなすった方がお得でございます」
「左様なことを言わずにもう一丁融通致せ、新手(あらて)を入れ替えて、貴様と太刀打ちをしてみたい、見(み)ん事(ごと)仇を取って見せる」
「駄目でございますよ、新手を入れ替えたところで、返り討ちにきまっておいでなさいますから、今宵のところはこの辺でお思い切りが肝腎でございますよ」
「どうしても融通ができぬか」
「冗談じゃございません、このうえ融通して上げたんじゃ、勝負事の冥利(みょうり)に尽きてしまいますからな」
「けれども貴様、それじゃ勝ち過ぎる」
 がんりきが縦横無尽に場を荒すのを神尾主膳も忌々(いまいま)しがっていたが、一座の連中もみんな忌々しがっていました。主膳は堪り兼ねて、
「がんりき、それでは抵当(かた)の品をやる、それによって融通しろ」
「よろしうございます、相当の抵当を下さるのに、それでも融通をして上げないと、左様な頑固なことは申しません。そうしてその抵当とおっしゃいますのは」
「この品だ」
 神尾主膳は、青地錦の袋に入れた一振(ひとふり)の太刀を床の間から取り外しました。それは多分伯耆(ほうき)の安綱の刀でありましょう。
 神尾主膳は秘蔵の刀を当座の抵当に与えて、それで、がんりきからいくらかの金を融通してもらいました。けれども不幸にしてその金もたちどころに、がんりきに取られてしまいました。案の如く見事な返り討ちです。片手で自分の膝の前に堆(うずだか)くなっている場金(ばがね)を掻き集めながら、
「ナニ、今日はわっしどもの目が出る日なんでございます、殿様方の御運の悪い日なんでございます、殿様方がお弱いというわけでもございませんし、わっしどもがばかに強いというわけなんでもございません、勝負事は時の運なんでございますから、これでまた、わっしどもが裸になって、殿様方がお笑いになる日もあるんでございますから、わっしどもは決して愚痴は申しません」
 場金を掻き集めて胴巻(どうまき)に入れてしまい、
「それからこの一品、どうやら、わっしどもには不似合いな品でございますが、せっかく殿様から抵当(かた)に下すった品でございますから、持って帰って大切にお預かり申して置きます……」
「がんりき、ちょっと待ってくれ」
 神尾主膳が言葉をかけました。
「何か御用でございますか」
「その刀は置いて行ってもらいたい」
「よろしうございますとも、抵当にお預かり致したものでございますから……」
「知っての通り、今、その方に支払うべき持合せがない、明日までには都合致すが、その一振は家の宝じゃ、そちに抵当に遣わすと言ったのも一時の座興、手放せぬ品じゃ、置いて行ってもらいたい」
「これは恐れ入りました、その手で、いままで殿様にはずいぶん御奉公を致しておりまする、今晩もまた一時の座興なんぞとおっしゃられてしまっては、友達の野郎に対しても、がんりきの面(かお)が立ちません、殿様の御都合のよろしい時まで、この刀は確かにお預かり申し上げました」
 片手で青地錦に入れた一振を取っておしいただき、
「皆様、御免下さりませ」
 お辞儀をして、さっさと立ってしまいました。
 神尾主膳はじめ一座の者は、険(けわ)しい眼をしてその後ろ影を見送るばかりで、さすがに身分柄、手荒いことも出来ません。
 がんりきの百は神尾の屋敷を出た時に、青地錦の袋に入れた刀を背負っていました。
 上弦の月が中空にかかっているのを後ろにして、スタスタと歩き出すと、
「もし百さん」
と言って塀の蔭から出たのは、女の姿であります。
「誰だい」
「わたしだよ」
「お角か」
「あい」
「何しにそんなところへ来てるんだ」
「お前さんが来るのを待っていたのだよ」
「家に待ってりゃあいいじゃないか」
「そうしていられないから出て来たんじゃないか」
 傍へ寄って来たのは、女軽業の親方のお角であります。
「どうしたのだ」
「どうしたのじゃない、お前、またこのお邸へ入り込んだね」
「入っちゃ悪いか」
「悪いとも……だけれど、今はそんなことを言っていられる場合じゃない、手が入ったよお前。手が入ったから、あすこにはいられない、あすこへ帰ることもできない」
「そうか」
「これからどうするつもり」
「どうしようたって、どうかしなくちゃあ仕方がねえ、やっぱり逃げるんだな」
「どこへ逃げるの、わたしだって着のみ着のままで、ここまで抜けて来たのだから」
「だから、俺は俺で勝手に逃げるから、お前はお前で勝手に逃げろ」
「そんなことを言ったって……」
「まあ、こっちへ来ねえ」
 がんりきは、お角を塀の蔭へ連れて来て、
「幸い、今夜はこっちの目と出て、これこの通りだ。山分けにして半分はお前にくれてやるから、こいつを持ってどこへでも行きねえ」
「そうしてお前は?」
「俺は俺で、臨機応変とやらかす」
「そんなことを言わないで、一緒に連れて逃げておくれ」
「そいつはいけねえ、おたげえのために悪い」
「お為ごかしを言っておいて、お前はこのお邸のお部屋様のところへでも入浸(いりびた)るんだろう」
「馬鹿、そんなことを言ってられる場合じゃあるめえ」
「それを思うと、わたしは口惜(くや)しい」
「何を言ってるんだ」
「もしお前がそんなことをしようものなら、わたしはわたしで持前(もちまえ)を出して、折助でもなんでも相手に手あたり次第に食っつき散らかして、お前の男を潰(つぶ)してやるからいい、このお金だってお前、あの後家さんだかお部屋様だかわからない女の手から捲き上げて来たお金なんだろう」
「そんなことがあるものか」
「そうにきまっている、そんならちょうど面白いや、あの女から貢(みつ)いだ金をわたしの手で使ってやるのがかえって気持がいい、みんなおよこし」
「持って行きねえ」
「もう無いのかい」
「それっきりだ」
「その背中に背負(しょ)っているのは、そりゃ何?」
「こりゃ脇差だ、これも欲しけりゃくれてやろうか」
「そんな物は要らない」
「さあ、それだけくれてやったら文句はあるめえ、早く行っちまえ、こうしているのが危ねえ」
「それでも……」
「まだ何か不足があるのかい」
 この時、二人の方へ人が近づいて来ます。がんりきとお角は離れ離れに、塀の側と辻燈籠(つじどうろう)の蔭へ身を忍ばせようとした時、
「何をしやがるんだい」
 やにわにがんりきに組みついて来たものがあります。
 それと見たお角は、前後の思慮もなくその場へ飛びかかりました。
「貴様は――」
 覆面の侍の後ろから飛びかかったお角は、直ちに突き倒されてしまいました。
「神尾の廻し者だろう、大方、そう来るだろうと思っていた」
 がんりきは片手を後ろへ廻して、侍の髱(たぼ)を掴んで力任せに小手投げを打とうとしました。侍はその手を抑えて、がんりきが差置いた青地錦の袋入りの刀を取ろうとしました。
「それをやってたまるものか」
 片腕のがんりきは両手の利く侍よりも喧嘩が上手でありました。侍の腰がきまらないところを一押し押して振り飛ばすと、覆面の侍は前へのめってしまいました。
「ざまあ見やがれ」
 いつしかその後ろから、また一人の覆面の侍が出て来て、
「どっこい」
と組みつきました。
「まだいやがる」
 がんりきはそれと組打ちをはじめる。その隙(すき)に前にのめった覆面は起き上りながら、その袋入りの刀を奪い取ろうとする。
「いけない」
と言って、ほぼ一緒に起き返ったお角が、その侍の手に持った刀へ噛(かじ)りつきました。
「この女、小癪(こしゃく)な奴」
「泥棒、泥棒」
 お角はこう言って大声を立てようとした、その口を侍が押える。お角は必死になったけれど男の力には敵(かな)わない。
「この野郎」
 喧嘩にかけて敏捷ながんりきは、足を掬(すく)って組みついていた方の覆面の侍を打倒(ぶったお)して、今お角を蹴倒して刀を持って逃げようとする侍の行手に立ちはだかる。
「お角、だまっていねえ、泥棒泥棒なんて言っちゃあいけねえ」
と言いながら、持って逃げようとする袋入りの刀を、また引ったくろうとする。前に投げ倒されたのがまた起き直る。蹴倒されたお角がじっとしてはいない。
 この四個(よっつ)の人影がここで組んずほぐれつ大格闘をはじめてしまいました。争うところはその袋入りの刀にあるらしい。
 お角は何だかわからないけれども、がんりきの危急と見て格闘の仲間入りをしました。女だてらに負けてはいないで、武者振りついていました。
「あッ」
という声でお角は慄え上りました。
「百さん、どうおしだえ」
 お角は我を忘れてがんりきを呼ぶ途端に、一人の覆面のために烈しく地上へ投げ出され、その拍子に路傍の石で脾腹(ひばら)を打ってウンと気絶してしまったから、その後のことは何とも分りません。
 それからどのくらい経ったのか知れないが、お角は介抱される人があって呼び醒(さ)まされた時に、気がついて見れば、やはり覆面の侍が傍にいました。
 しかし、同じ覆面の侍でも今度の侍は、前の覆面の侍とは確かに相違していることがわかります。人品も相違しているし、風采(ふうさい)も相違していることがわかります。
「お女中、気を確かにお持ちなさい、お怪我はないか」
と背を撫でているのは、その人品骨柄(じんぴんこつがら)のよい覆面の侍ではなくて、その若党とも覚(おぼ)しき覆面をしない侍でありました。
「はい、有難う存じまする、別に怪我はござりませぬ」
 お角はすぐにお礼と返事とをしました。
「何しろ危ねえことでございます、血がこんなに流れているから、わっしどもはまた、お前様がここに殺されていなさるとばかり思った」
 気味悪そうに提灯を突き出して四方(あたり)を見廻しているのは、やはりこの人品骨柄のよい覆面の侍のお伴(とも)をして来た草履取(ぞうりとり)の類(たぐい)であろうと見えます。
「血が流れていて人が殺されていないから不思議。お女中、そなたはいずれの、何という者」
「いいえ、あの……」
「包まず申すがよい」
「あの、わたくしは……」
 お角は問い糺(ただ)されて、おのずから口籠(くちごも)ります。その口籠るので、若党、草履取はお角にようやく不審の疑いをかけると、
「これには何ぞ仔細があるらしい、ともかく屋敷へ同道致すがよかろう」
と言ったのは、人品骨柄のよい覆面の武家でありました。その声を聞くと爽(さわや)かな、まだお年の若いお方と思われるのみならず、その声になんとやら聞覚えがあるらしく思われるが、お角は急には思い出されません。
「いいえ、わたくしはここで失礼を致します、もうあの、大丈夫でございますから」
と言って、やみくもに袖を振切って駈け出してしまいます。
 一行の人はその挙動を呆気(あっけ)に取られて見ていたが、別に追蒐(おいか)ける模様もなく、屋敷へ帰ってしまいました。
 その屋敷というのは駒井能登守の屋敷であって、覆面の品のよい武家は主人の能登守でありました。
 このことについて、その翌日、何か風聞が起るだろうと思ったら、更に起りませんでした。あの附近を通った者が、血の痕(あと)のあることをさえ気がつかずにしまいました。恐らく昨夜のうちに、それを掃除してしまったものがあるのでありましょう。その場のことはそれだけで過ぎてしまいました。

         十二

 甲府の市中にもこのごろは辻斬の噂が暫く絶え、御老中が見えるという噂も、どうやら立消えになったようであります。それで甲府の内外の人気もどうやら気抜けがしたようであったところに、はしなく士民の間に火を放(つ)けたような熱度で歓迎される催しが一つ起りました。その催しというのは、府中の八幡宮の社前で、盛大なる流鏑馬(やぶさめ)を行おうということであります。
 八幡の流鏑馬は古来の吉例でありました。それは上代から毎年八月十五日を期して行われたのでありましたが、久しく廃(すた)れていたのを、この二月初卯(はつう)を期して――後代の佳例に残るかどうかは知らないが、ともかくもやってみたいというのが発企者(ほっきしゃ)の意見で、それに輪をかけたのが賛成人と市中村々の人民とでありました。
 この発企は、駒井能登守から出たものと言ってもよろしいのであります。能登守の家の重役が八幡の古例を調べ出して、ふとこのことを能登守に話すと、能登守はそれは面白い、その古例を復興してみたいものだと言いました。それを上席の勤番支配太田筑前守に話してみると、筑前守も喜んで同意を表しました。それに並み居る人々も、単に上役に対する追従(ついしょう)からでなく、心からその企てを面白いことに思ってはずみました。
 すでにその辺から纏(まと)まったことであるから、それが城下へうつる時は、一層の人気になるのは無論のことであります。
 二月初卯の日、八幡社前において三日間の流鏑馬(やぶさめ)が行われるということは、城下から甲州一円の沙汰になりました。
 初めの二日は古例によって、甲州一国の選ばれたる人と馬――あとの一日は甲府勤番の士分の者。それに附随して神楽(かぐら)もあれば煙花(はなび)もある、道祖神のお祭も馳せ加わるという景気でありましたから、女子供までがその日の来ることを待ち兼ねておりました。
 能登守の家来たちは、八幡社前の広い場所に縄張りをしました。大工が入り、人足が入り、馬場を設けたり桟敷(さじき)をかけたりすることで、八幡のあたりはまだ当日の来ないうちから、町が立ったような景気であります。
 能登守自身もまた馬に乗っては、この工事の景気を時々巡視に行きました。これはもとより能登守一人の催しではないけれども、最初に言い出した人であるのと、地位の関係から、ほとんど能登守が全部の奉行(ぶぎょう)を引受けたような形勢であります。
 能登守の家中(かちゅう)は、この催しの世話役に当って力を入れているばかりでなく、士分の者から選手を出す時に、ぜひとも自分の家中から誰をか出さねばならぬ、その時に自家の選手が他家の者に後(おく)れを取るようなことがあってはならぬ、というその責任から、或いは勇み、或いは用心をするということになりました。
 殊に主人の駒井能登守が砲術の名手として聞えた人であるだけに、その家中から、ロクでもない人間を出してしまっては、それこそ取返しのつかない名折れであると思って、重役や側用人たちは、もうそのことで心配していました。
 それがために例の重役や側用人らが苦心を重ねているうちに、どうしても聞き捨てにならぬことが出来たと見えて、重役が主人の許(もと)へ出て来ました。
「このたびの流鏑馬のお人定めは、誰をお指図でござりましょうや……就きまして我々共、容易ならぬ心配を致しおりまする。と申すのは、かの神尾主膳殿の許に、信州浪人とやら申す至って弓矢の上手が昨今滞在の由にござりまする、それは必ずやこのたびの流鏑馬を当て込んで、例の意地を立て、わが手に功名を納めんとの下心と相見えまする。あの神尾主膳殿は何の宿意あってか、いちいち当家に楯(たて)をつくようなことばかりを致されまする。よってこのたびの流鏑馬の催しに、功名をわが手に納めんとの下心より、一層、当家に対して、腹黒き計略が歴々(ありあり)と見え透くようでござりまする。それ故に、このたびのお人定めは疎略に相成りませぬ、万一のことがありますれば、お家の恥辱、また神尾主膳がこの上の増長、計りがたなく存じまする」
 家来たちは心からこのことを憂いているのであり、また憂うることに道理もあるのでありましたが、能登守はそれを知ってか知らずにか、
「そりゃそのほうたちが思い過ごし、このたびの催しは、寸功を争うためにあらずして、国の兵馬を強くせんがため……しかし、其方たちの申すことも疎略には思わぬ、追ってよき人を見立てて沙汰を致そう」
「仰せながら、もはや余日もいくらもごりませぬ、一日も早く御沙汰を下し置かれませぬと。本人の稽古と準備のために……」
「その辺も心得ている、それ故、家中一同にその用心を怠らず、いつ沙汰をしても驚かぬようにしているが肝腎」
 能登守自身も必ずや、このことを考えていないはずはない。事は些細(ささい)ながら、家の面目と責任というようなことへ延(ひ)いて行くことも考えていないはずはないでしょう。

 この時分、神尾主膳の屋敷では、このごろ召抱えた信州浪人の小森というのが、主人の御馳走を受けながら、しきりに用人たちを相手に気焔を吐いていました。小森の年配は四十ぐらい、名は小森だが実は大きな男でありました。
「拙者の流儀は、信濃の国の住人諏訪大夫盛澄(すわのたいふもりずみ)から出でたもので……この盛澄は俵藤太秀郷(たわらとうだひでさと)の秘訣を伝えたものでござる」
と言って得意げに語るところを見れば、騎射に相当の覚えのあるものであることに疑いないらしい。
「このねらい方というやつが……人によってはこれを鏃(やじり)からねらうものもある、また左からねらうものもあるけれど、これはいずれもよくないこと」
 小森は柱に立てかけてあった塗弓を手に取りながら、ねらい方のしかたばなしをはじめました。
「一途(いちず)にこうして鏃ばかりでねらうと、鏃の当(あて)はよくても、桿(かん)の通りが碌(ろく)でもないことになると、矢の出様が真直ぐにいかない。また弓の左からねらうと、矢というものはもとより右の方にあるものだから、鏃が目に見えなくなる。
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