大菩薩峠
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:中里介山 

 それやこれやと、人の面影を思い浮べているうちに、またうとうとと眠くなって、そのまま快き眠りに落ちて行きました。
 ややあって宇津木兵馬は、何物かの物音によって夢を破られ、眼を開いた時、障子を締めて廊下を渡って行く人の足音を聞きました。多分、食物か薬を、例のお君が持って来てくれたものだろうと思って、枕許を見ました。
 枕許には、竹の筒が置いてあります。その竹の筒には凧糸(たこいと)が通してあります。凧糸の一端に結び文のようなものが附いていることを認めました。
 今までこんなものを持って来たことはないのに、何もことわりなしに、ちょこなんと、これだけを置き放しにして行ってしまったことが、兵馬にはなんだか、おかしく思われるのでありました。
 そう思って考えてみると、今、これを置き放しにして行ってしまった人の足音が、どうも、いつも来てくれるお君の足どりではないと思い返されました。といって能登守の足音とも思われません。お君でなし、能登守でなしとすれば、そのほかにここへ入って来る人はないはずである。自分のここにいることさえも知った人はないはずである。と思うにつけて、兵馬には今のおかしさが、多少の不安に感ぜられてきました。
 兵馬は手を伸べてその竹筒を取りました。手に取って一通り見ると、それは最初にお松をして破顔せしめたと同じ記号によって、病中の兵馬をも微笑させました。その一端には「十八文」と焼印がしてあるからです。
「十八文」の因縁は、兵馬もまた微笑することができるけれども、それについてもお松ほどに、たちどころに納得がゆかないのは、これがどうしてここへ来るようになったか、それともう一つは、何者がここへ持って来たかということであります。
 その不安を解決するには恰好なこの結(むす)び状(ぶみ)、兵馬は少しく身を起き上らせて、直ちに結び状の結び目を解きました。解いて見ると二枚の手紙が合せてあります。それを別々にして見ると、大きな方は例の道庵先生の処方箋でありましたが、小さな方は女文字であったから、兵馬をしていとど不審の眼を□(みは)らせました。
 道庵先生の「もろこし我朝に……」は兵馬も苦笑いして、そっと側(わき)に置き、その女文字の一通を読んでみると、それはお松からの手紙でありましたから、兵馬も我を忘れて読まないわけにはゆきません。あまり長い文句ではありませんでしたけれども、一別以来の大要が書いてありました。そうして今は神尾主膳の許(もと)にまでいて、御身の上を案じているということが、短いながらも要領を得て、まごころを籠(こ)めて書いて、それから、ぜひ一度お目にかかりたいが、どうしたらお目にかかれるだろうとの意味で、そのお返事をこのお薬の竹筒に入れて、友さんの手によって返していただきたいということであります。
 兵馬には、いちいちそれが了解されました。お松の心持が充分にわかって、有難いとも思い、嬉しいとも思いましたが、ただ何人(なんぴと)の手によって、この薬と手紙とがここに持ち来(きた)されたかということは、大きなる疑問です。
「友さんの手によって」とあるけれども、その友さんの何者であるかを兵馬は知ることができません。したがって、その友さんなる者に頼むこともできません。そのうち、お君が見舞にでも来た時に聞いてみようと思いました。
 ともかくも、これに対する返事を認(したた)めておこうと兵馬は、傍(かたえ)の料紙硯(りょうしすずり)を引寄せましたけれど、少し疲れているためと、頭を休ませる必要から、また仰向けになって眼を閉じていました。
 昨日までの雪は晴れて、外は大へんに明るい。窓の下の庭では雪を掃いている物音が、手にとるように聞えます。
 やがて兵馬は、お松のために返事の手紙を書いてしまって、疲れを休めていると、また窓の下で雪掃きをしているらしい人の声です。その声を聞くともなしに聞いていると、
「俺(おい)らは一体(いってい)、雪というやつはあまり好かねえんだ、降る時は威勢がいいけれど、あとのザマと言ったらねえからな」
 雪を掃除している人が口小言を言っているらしい。突慳貪(つっけんどん)に言っているけれど無邪気に聞えて、おのずからおかしい感じがします。
「道はヌカるし、固めておけばジクジク流れ出すし、泥と一緒に混合(ごっちゃ)になって、白粉(おしろい)が剥(は)げて、痘痕面(あばたづら)を露出(むきだ)したようなこのザマといったら」
 雪を目の敵(かたき)にして、頭ごなしにしているようです。しかしながら聞いていると、なんとなく前に聞いたことのあるような声でありました。誰であって、いつ会った人だか、ちょっと見当がつかないけれども、確かに兵馬の耳に一度は聞いたことのある声だと思わせられました。ふと、お松の手紙にある友さんというのはこの人のことではないかと、兵馬はそんなことを想像しました。そうかも知れない、いつまでもこの二階の窓の下で、口小言を言ってることが意味のあるように取れば取れる。兵馬はその様子を見ようと思って、寝床を起きました。
 二階から障子を細目にあけて見ると、なるほど一人の男がしきりに、ブツブツ言いながら雪を掻(か)いています。
 兵馬が見ると、それは米友であったから意外に感じないわけにはゆきません。伊勢の古市の町と、駿河(するが)の国の三保の松原とで篤(とく)と見参(げんざん)したこの男をここでまた見ようとは、たしかに意外でありました。米友、宇治山田の米友という名前も、兵馬は記憶していました。
「ははあ、友さんというのはこれだな」
 米友の友を呼んでお松が、そう言うたものに違いないと兵馬は早くも覚(さと)りました。それと共に、さきほど、この薬の竹筒を運んでくれた男が、あれだなと覚りました。兵馬も米友を珍妙な人物だと思っています。その人物が珍妙であると共に、その槍の手筋は非常なる珍物であることを知っておりました。
 そのうちに雪を掃除していた米友が、手を休めて二階を見上げて、
「雪というやつは可愛くねえやつだ、雪なんぞは降ってくれなくても困らねえや、竹筒(たけづ)っぽうでも降った方がよっぽどいいや」
と、おかしなことを口走りました。雪なんぞは降らなくてもいい、竹筒っぽうでも降ればいいというのは、あまり聞き慣れない譬(たとえ)であります。竹筒っぽうが降れという注文は、あんまり飛び離れた注文でありましたけれど、兵馬はそれを聞いて頷(うなず)きました。取って返して例の竹筒を取り上げて、その中に入れてあった薬を手早く傍(かたえ)の紙へあけて、その代りに、いま書いたお松への返事の手紙を入れてしまって元のように栓(せん)をして、障子を前よりはもう少し広くあけると、覘(ねら)いを定めてポンと下へ投げ落しました。まもなく、
「降りやがった、降りやがった」
という声が聞えました。兵馬はその声を聞いて安心して、なお障子の隙から見ていると、米友は自分が投げた竹筒を拾って、これも手早く懐中へ忍ばせてしまって、怪訝(けげん)な面(かお)をしてこちらを見上げていたが、どこかへ行ってしまいました。

         八

 年が明けて、松が取れると、甲府城の内外が遽(にわ)かに色めき立ちました。
 平常(ふだん)、何をしているのだかわからない連中たちが、だいぶ働きはじめました。勤番支配以下、組頭、奉行、それぞれに職務を励行することになりました。
 これは、年が改まって心機が一転したからではありません。
 どういう訳か知らないが、この頃、甲府の城へ御老中が巡視においでになるという噂(うわさ)でありました。しかも、その御老中も小笠原壱岐守(いきのかみ)が来るということでありました。この人は幕末において第一流の人物でありました。この間まで謹慎しておられたはずの明山侯が、何の必要あって突然この甲府へ来られるのだかということは、勤番支配も組頭もみな計(はか)り兼ねておりました。
 多分、上方(かみがた)の時局を収拾するためにこの甲州街道を通って上洛する途中、この甲府へ泊るのだろうと見ている者もありました。その他、いろいろにこの御老中の巡視ということが噂になっています。ともかくも、城の内外を疎略のないようにしておかなければならないというのが、新年の宿酔(しゅくすい)の覚めないうちから、急に支配以下が働き出した理由なのであります。
 御本丸から始めて天守台、櫓々、曲輪曲輪(くるわくるわ)、門々、御米蔵、役所、お目付小屋、徽典館(きてんかん)、御破損小屋、調練場の掃除や、武具の改めや何かが毎日手落ちなく取り行われます。
 駒井能登守もまた、このたびの老中の巡視ということを何の意味だか、よく知りません。けれども能登守は、あの人が幕府の今の御老中で第一流の人であるのみならず、その学問――ことに能登守と同じく海外の事情や砲術にかけてなかなかの新知識の人であることを了解していました。能登守を甲府へ廻したのは、或いはこの明山侯の意志ではなかったかとさえ言われています。
 明山侯と能登守との意気相通ずるということは、神尾主膳等の一派、及び先任の支配太田筑前守を囲む一派のためには心持のよくないことであります。彼等は明山侯の来るのを機会として、雌伏(しふく)していた能登守が頭を擡(もた)げはしないかと思いました。かねて能登守を甲府へ廻しておいて、今日その機会が到来したために、明山侯がその打合せに来るものだろうとさえ邪推する者もありました。
 そうでないまでも、それについてなんらかの対抗策を講じておかなければならないと思いました。まんいち能登守が勢力を得る時は、我々が勢力を失う時だと焦(あせ)り出した者もあります。これらの連中は、このたびの老中の巡視ということを、一身の浮沈の瀬戸際(せとぎわ)のように気味を悪がり、それで自分たちの立場を擁護するためには、能登守の頭を擡げないように、釘(くぎ)を打ってしまわねばならぬと考えました。
 それがために、駒井能登守の立場は非常に危険なものになりました。登城しても、役所へ行っても、お茶一つ飲むことも能登守は用心をしました。夜はほとんど外出しませんでした。明山侯の来る前に、能登守を毒殺してしまおうという計画があるとの風説がありました。また夜分、忍びの者を入れて暗殺させようとしているとの風説もありました。また、能登守の内事や私行をいちいち探らせているとの忠告もありました。
 年が改まって、そうして変りのあったのは、これらのことのみに限りません。
 駒井能登守に仕えていたお君の身の上に、重大な変化が起りました。前には戯(たわむ)れに結(ゆ)ってみた片はずしの髷(まげ)を、この正月から正式に結うことになりました。いつぞやの晩には恥かしそうに密(そっ)と引掛けた打掛を、晴れて身に纏(まと)うようになりました。それと共にお君の周囲には、一人の老女と若い女中とがお附になって、使われていたお君が、それを使うようになりました。
 お君は、我から喜んで美しい眉を落してしまいました――家中(かちゅう)の者は皆この新たなるお部屋様のために喜びました。能登守のお君に対する愛情は、無条件に濃(こま)やかなものでありました。ほとんど惑溺(わくでき)するかと思うほどに、愛情が深くなってゆきました。
 お君のためには、新たなる部屋と、念の入(い)った調度と、数々の衣類が調えられました。お君は夢に宝の山へ連れて行かれたように、右を見ても左を見ても嬉しいことばかりであります。
 お君の血色にもまた著しい変化がありました。笑えば人を魅するような妖艶(ようえん)な色が出て来ました。そして何事を差置いても、その色艶(いろつや)に修飾を加えることが、お君の第一の勤めとなりました。
 お君はこれがために費用を惜しみませんでした。能登守もまた、お君のために豊富な支給を与えて悔ゆることがないのでありました。江戸の水、常磐香(ときわこう)の鬢附(びんつけ)、玉屋の紅(べに)、それを甲府に求めて得られない時は、江戸までも使を立てて呼び求めます。
 お君にとっての仕事は、もはや、それよりほかに何事もありません。その仕事は、出来上れば出来上るほどに、お君の形体と心とを変化させずにはおきません。
 笑うにも単純な笑いではありません。その笑いの末には罠(わな)があって、人を引き落すような笑いになってゆきます。物を言うにも無邪気な言いぶりではありません。そのうちに溶けるような思わせぶりを籠めておりました。物を見る目はおのずから流眄(ながしめ)になって、その末には軟らかい針をかけるようになりました。お君はその愛情を独占しているはずの能登守に対してすら、この笑いと、思わせぶりと、流眄とをやめることができませんでした。
 能登守というものは、みるみるこのお君のあらゆる誘惑のうちに溶けてゆきました。お君の誘惑はいわば自然の誘惑でありました。能登守を誘惑しつつ自分もまたその誘惑の中に溶けてゆくのでありました。お君には殿様を誘惑する心はありません。おのれの色香を飾って為めにする計画もありません。それは新しい春になって、山国の雪の中にも梅が咲き、鶯(うぐいす)がおとずれようとする時候になったとはいえ、この邸から忍び音の三味の調べをさえ聞こうとは思いがけぬことであります。
 外においての能登守が、あんなに煙がられたり邪推されたりしているのに、内においてのこの殿様はたあいないもので、ほとんど終日お君の傍を離れぬことがありました。お君はその誘惑のあらん限りを尽して、能登守を放そうとはしませんでした。
 世に食物を貪(むさぼ)るもので、惑溺の恋より甚だしいものはありません。無限の愛情を注がれても、お君はまだまだ満足したとは思いませんでした。能登守は、噛(か)んで、喰い裂いて、飲んでしまっても、まだ足りないほどにお君が可愛くて可愛くて、どうにもならなくなってしまいました。
 この際において、お君の心の中のいずこにも、宇治山田の米友を考えている余裕はありません。
 お君――ではない、お君の方(かた)であります。けれども昨日までのお君を急に、お君の方に改めることは、屋敷のうちの格式ではよしそうであっても、なんとなくきまりが悪い。お君もまたその当座は、自分のことでないように思います。
 お君の方は今、その花やかな打掛の姿で、片手には銚子(ちょうし)を持って廊下を渡って行きました。少しばかり酔うているのか、その面(かお)は桜色にほのめいているばかりでなく、廊下を走るあしもとまでが乱れがちでありました。
 廊下の庭から梅の枝ぶりの面白いのが、欄干(てすり)を抜けて廊下の板の間まで手を伸ばしておりました。その面白い枝ぶりには、日当りのよいせいで、梅の花の蕾(つぼみ)が一二輪、綻(ほころ)びかけています。
「ホホホ、もう梅が咲いている」
 お君の方はたちどまって、手近な、その一枝を無雑作に折って、香いを鼻に押し当て、
「おお好い香り、ああ好い香い」
 心のうちにときめく香りに、お君は自分ながら堪えられないように、
「殿様に差上げましょう、この香りの高い梅の花を」
 お君はそれを銚子の間に挿(さ)し込んで歩みを移そうとした途端に、よろよろとよろめき、
「おや」
 それはほろ酔いの人としては、あまりに仰山なよろめき方であります。打掛の裾が、廊下の床に出ている釘かなんぞにひっかかったものだろうと思って、片手に打掛を捌(さば)き、
「おや」
 振返ってみるとその打掛の裾は、廊下の下にいる何者かの手によって押えられているのでありました。
「君ちゃん」
「まあ、誰かと思ったら米友さん」
 お君の打掛の裾を廊下の下から押えたのは、背の低い米友でありました。
「米友さん、悪戯(いたずら)をしては困るじゃないか」
「なにも悪戯をしやしねえ」
「だって、そんなところで押えていては」
「用があるからだ」
「何の用なの」
「君ちゃん、いまお前は、ここの梅の枝を一枝折ったね、その枝を俺(おい)らにおくれ」
「これかい、この梅の枝を友さん、お前が欲しいのかい」
「うむ」
「そうして、どうするの」
「どうしたっていいじゃねえか、欲しいから欲しいんだ」
「欲しければお前、こんな花なんか、わたしに強請(ねだ)らなくても、いくらもお前の手で取ればいいじゃないか」
「そんなことを言わずに、それを俺らにおくれ」
「これはいけないよ」
「どうして」
「これは殿様に上げるんだから」
「殿様に?」
と言って米友は強い目つきでお君を見ました。
「これは、わたしから殿様へ差上げる花なんだから、友さん、お前ほしいなら別に好きなのを取ったらいいだろう、ほら、まだ、あっちにもこっちにもいくらも咲いているじゃないか」
 お君はチラホラと咲いている梅の木の花や蕾(つぼみ)を、米友に向って指し示すのを、米友は見向きもせずに、お君の面(おもて)をじっと見つめていましたが、
「要(い)らねえやい」
「おや、友さん、怒ったの」
「ばかにしてやがら」
 米友は、そのままぷいと廊下の縁の下を潜(くぐ)り抜けて、どこかへ行ってしまいました。
 駒井能登守が役所へ出かけたそのあとで、お君は部屋へ行ってホッと息をついて、微醺(びくん)の面(おもて)を両手で隠しました。
 障子の外には日当りがよくて、ここにも梅の咲きかかった枝ぶりが、面白く障子にうつっています。
 お君は脇息(きょうそく)の上に両肱(りょうひじ)を置いて、暫らくの間、熱(ほて)る面を押隠していましたが、そのうちにウトウトと眠気がさしてきました。
「お冷水(ひや)を持って来て」
「はい」
 次の間で女中が返事をすると、まもなくギヤマンの美しい杯(さかずき)が蒔絵(まきえ)の盆の上に載せられて、若い女中の手で運ばれました。ギヤマンの中には玉のような清水がいっぱい満たされてあります。お君はそのお冷水(ひや)を口に当てながら、
「わたしは眠いから少し休みたい、お前、床を展(の)べておくれ」
「畏(かしこ)まりました」
「それから、あの犬に何かやっておくれかい」
「いいえ、まだ」
「忘れないように」
「畏まりました」
 女中が出て行った後で、お君は水を一口飲んでギヤマンを火鉢の傍へ置き、それから鏡台に向い、髪の毛を大事に撫で上げました。笄(こうがい)を抜いたりさしたりしてみました。紅(くれない)のさした面(かお)を恥かしそうにながめていました。こうしている間もお君は、自分の身の果報を思うことでいっぱいであります。女中のよく言いつけを聞いてくれることも嬉しくありました。鏡がよくわが姿をうつしてくれるのも嬉しくありました。撫であげる髪の毛の黒いことも嬉しくありました。笄の鼈甲(べっこう)から水の滴(したた)るようなのも嬉しくありました。面から襟筋の白粉も嬉しいけれど、胸から乳のあたりの肌の白いことも嬉しくありました。殿様の美男であることが嬉しくありました。自分を産んでくれた母の美しかったということも嬉しくありました。
「ムクかい、待っておいでよ」
 お君はこうして鏡台に向っていながらも、ツイその日当りのよい縁先へ、ムク犬が来たということには気がつきました。
 気がついたけれども、障子をあけて犬を見てやろうとはしないで、やはり鏡に向って髪の毛をいじりながら、そう言って言葉をかけただけであります。人の愛情は二つにも三つにもわけるわけにはゆかないのか知らん。能登守に思われてからのお君は、犬に冷淡になりました。冷淡になったのではないだろうけれども、以前のように打てば響くほどに世話が届きませんでした。ムク犬のためにする毎日の食事も、以前は自分から手を下さなければ満足ができなかったのに、このごろでは女中任せになっていました。女中がツイ忘れることもあるらしく、それがためにかどうか、このごろのムク犬は、お君の傍にあるよりは米友の方へ行っていることが多いようであります。
 今、ムクはお君のいるところの縁先へ来ていることは、その物音でも呼吸でもお君にわかるのであります。こんな時には必ずムクにしかるべき意志があって来るのだから、前のお君ならば何事を措(お)いても障子をあけるのでしたけれども、今のお君はそれよりも、鏡にうつる己(おの)れの姿の方が大事でありました。
「ワン!」
 堪り兼ねたと見えてムク犬は、外で一声吠えました。吠えられてみるとお君は、どうしても障子をあけなければなりません。そこにはムク犬が柔和(にゅうわ)にして威容のある大きな面(おもて)を見せていました。
 お君の面を見上げたムク犬の眼の色は、早く私についておいで下さいという眼色でありました。
 それは何人(なんぴと)よりもよく、お君に読むことの出来る眼の色であります。
 お君はムクに導かれて、廊下伝いに歩いて行きました。
 これはこの前の晩の時のように、闇でもなければ靄(もや)でもありませんで、梅が一輪ずつ一輪ずつ綻(ほころ)び出でようという時候でありました。
 お君が、とうとうムク犬に導かれて、廊下伝いに来たところは米友の部屋でありました。そこへなにげなくお君が入って、
「おや、友さん」
と言いました。見れば米友はあちら向きになって、いま旅の仕度をして上(あが)り端(はな)に腰をかけて、しきりに草鞋(わらじ)の紐を結んでいるところであります。
 旅の仕度といっても米友のは、前に着ていた盲縞(めくらじま)の筒袖に、首っ玉へ例の風呂敷を括(くく)りつけたので、ちょうど伊勢から東海道を下った時、江戸から甲州へ入った時と同じことの扮装(いでたち)でありました。
「どこへ行くの、米友さん」
 お君は米友の近いところへ立寄りながら尋ねました。
 米友は返事をしませんでした。
「殿様の御用なの?」
 米友はなお返事をしません。返事をしないで草鞋の紐を結んでいます。
「どうしたの、米友さん」
 お君は後ろから米友の肩に手をかけました。
「どうしたっていいやい」
 米友が肩を揺(ゆす)ると、お君は少しばかり泳ぎました。
「お前、何か腹を立っているの」
 米友はなお返事をしないで、ようやく草鞋の紐を結んでしまい、ずっと立って傍に置いた例の棒を取って、ふいと出かけようとする有様が尋常でないから、お君はあわてて、
「何かお前、腹の立つことがあるの、気に触ったことがあるの。そうしてお前はここのお屋敷を出て行ってしまうつもりなの」
「うむ、今日限り俺らはここをお暇(いとま)だ」
「そりゃまた、どうしたわけなの。お前はどうも気が短いから、何かまた殿様の御機嫌を損(そこ)ねるようなことをしたんじゃないか。そんならわたしが謝罪(あやま)って上げるから事情(わけ)をお話し」
「馬鹿野郎、殿様とやらの御機嫌を損ねたから、それで出るんじゃねえや、俺らの好きで勝手におんでるんだ」
「そんなことを言ったってお前、そうお前のように我儘(わがまま)を言っては第一、わたしが困るじゃないか」
「お前が困ろうと困るめえと俺らの知ったことじゃねえ」
「何か、キットお前、気に触ったことがあるんだよ、あるならあるようにわたしに話しておくれ、他人でないわたしに」
「一から十まで癪(しゃく)に触ってたまらねえから、それでおんでるんだ」
「何がそんなに癪に触るの」
「なんでもかでもみんな癪に触るんだ、その紅(あか)っちゃけた着物はそりゃ何だ、その椎茸(しいたけ)みたような頭はそりゃ何だ、そんなものが第一、癪に触ってたまらねえや」
「お前はどうかしているね」
「俺らの方から見りゃあ、どうかしていると言う奴がどうかしてえらあ、ちゃんちゃらおかしいや」
「まあ、米友さん、それじゃ話ができないから、ともかく、まあここへお坐り。お前がどうしてもこのお屋敷を出なくてはならないようなわけがあるならば、わたしも無理に留めはしないから、そう短気を起さずに、そのわけを話して下さい、ね」
「出て行きたくなったから出て行くんだ、わけもなにもありゃしねえや、一から十まで癪に触ってたまらねえからここの家にいられねえんだ」
「何がそんなにお前の癪にさわるのだか、お前のように、そうぽんぽん言われては、ほんとに困ってしまう」
「その椎茸(しいたけ)みたような頭が気に入らねえんだ、尾上岩藤の出来損(できそこ)ねえみたようなのが癪に触ってたまらねえんだ」
「あ、わかった……」
 お君は米友を押えながら、何かに気のついたような声で、
「わかった、お前は、わたしが出世したから、それで嫉(や)くんだろう」
「ナ、ナニ!」
 米友は屹(きっ)と振返って凄い眼つきをしてお君を睨(にら)みました。
「きっと、そうだよ、わたしが出世したから、お前はそれで……」
「やいやい、もう一ぺんその言葉を言ってみろ」
 米友はお君の面(かお)を穴のあくほど睨みつけました。
「そうだよ、きっと、そうに違いない、わたしが出世してこんな着物を着るようになったから、お前は世話がやけて……」
「うむ、よく言った」
 米友はお君の面を目玉の飛び出すほど鋭く睨んで、拳(こぶし)を固めながら頷(うなず)いて黙ってしまいました。
「どうしたんだろう、ナゼそんなに怖い面をしているの、わたしにはわけがわからない」
 米友に睨められたお君は、睨んだ米友の心も、睨まれた自分の身のことも、全くわけがわからないのでありました。もう一ぺん言ってみろといえば、何の気もなしにそれを繰返すほどにわけがわからないのであります。
「馬鹿! 出世じゃねえんだ、慰(なぐさ)み物(もの)になってるんだ」
「おや、友さん、何をお言いだ」
「お前は、人の慰み物になっているのを、それを出世と心得てるんだ」
「エ、エ、何、何、友さん、そりゃなんという口の利き方だえ、いくらわたしの前だからといって、そりゃ、あんまりな言い分ではないか、二度言ってごらん、わたしは承知しないから」
「二度でも三度でも言うよ、お前は殿様という人から、うまい物を食わせてもらい、いい着物を着せてもらって、その代りに慰み物になっているんだ、それをお前は出世だと心得ているんだ」
「あ、口惜(くや)しい!」
「何が口惜しいんだ、その通りだろうじゃねえか」
「わたしは殿様が好きだから、それで殿様を大事にします、殿様はわたしが好きだから、それでわたしを大事にします、それをお前は慰み物だなんぞと……あんまり口惜しい、殿様はそんなお方ではない、わたしを慰み物にしようなんぞと、そんなお方ではない、わたしは殿様が好きだから」
「好きだから? 好きだからどうしたんだい、好きだから慰み物になったのかい」
「友さん、よく言ってくれたね、よく言っておくれだ、お前からそこまで言われれば、もうたくさん」
 お君はこう言って口惜しがって、ついに泣き出してしまいました。
「どっこいしょ」
と言って米友は、竹皮笠を土間から取り上げて被(かぶ)りました。その紐を結びながら、
「やいムク州、永々お世話さまになったが、俺(おい)らはこれからおさらばだ、お前も達者でいなよ」
 ムク犬は悄然として、二人の間の土間にさいぜんから身を横たえていました。
「十七姫御が旅に立つヨ、それを殿御が聞きつけてヨ、留まれ留まれと袖を引くヨ」
 米友は久しぶりで得意の鼻唄をうたいました。この鼻唄は隠(かくれ)ケ岡(おか)にいる時分から得意の鼻唄であります。これだけうたうと笠の紐を結び終った米友は、例の棒を取り直して、さっさとここを飛び出してしまいました。

         九

 米友が出て行ってしまったあとで、お君は堪えられない心の寂(さび)しさを感じました。
 ムクはと見れば、そこにはいません。おそらく米友を送るべくそのあとを慕って行ったものと思われます。
 その時に、この米友の部屋の後ろへそっと忍んで来た人がありました。台所口から、
「こんにちは」
と細い声でおとなうのは、やはり女の声でありました。
 しばらくすると、
「こんにちは」
 二度目も同じ声でありました。
「米友さん」
 三度目に米友の名を呼びました。
「御免下さい」
 台所口の腰高障子をそっとあけて、忍び足で家の中へ入り、中の障子へ手をかけて、
「米友さん」
と言いながら、障子をあけたのはお松でありましたが、米友を呼んで入って見ると、それは米友ではなくて、立派な身なりをした奥向きの婦人が、柱に凭(もた)れて泣いておりましたから、きまりを悪そうに、
「どうも相済みませぬ、あの、米友さんはお留守でございますか」
 泣いている婦人は、その時、涙を隠してこちらを向きました。
「まあ、お前さんは……」
「あなたはお君さん」
「ずいぶん、これはお珍らしい」
「まあ、なんというお久しぶりな」
と言って二人ともに面を見合せたなりで、暫らく呆気(あっけ)に取られていました。
 お松とお君との別れは、遠江(とおとうみ)の海でお君が船に酔って船に酔って、たまらなくなって以来のことであります。あの時、お君だけは意地にも我慢にも船におられないで、上陸してしまいました。
 神尾主膳の家と、駒井能登守の屋敷とは、その間がそんなに遠くはないのに、両女(ふたり)ともに今まで面(かお)を会せる機会がありませんでした。甲府にいるということをすらおたがいに知ってはおりません。
 米友の口から聞けば聞かれるのであったろうけれど、米友はこのことをお松に語りませんでした。お松は外へ出る機会が多少あっても、その後のお君は屋敷より外へ、ほとんど一歩も踏み出したことはありませんでした。それ故、二人はここで偶然に会うまで、その健在をすらも忘れておりました。
 今見れば、お松は品のよい御殿女中の作りです。これはお松としてそうありそうな身の上であるけれども、お君がこうして奥向きの立派な身なりをしていようとは、お松には思い設けぬことでありました。お君は、久しぶりで会った人に、涙を見せまいとして元気を作りました。お松は、人の留守へ入って来たきまりの悪いのを言いわけするように、
「わたしはここにいる若い衆さんに、お頼み申してあることがあります故、つい無作法にこうやって参りました、それをここであなたにお目にかかろうとは思いませんでした、どうして、いつごろからこちら様においでなさいますの」
 お松は昔の朋輩(ほうばい)の心持で尋ねました。
「これにはいろいろと長いお話がありますから、後でゆっくり申し上げましょう。そして、お松さん、お前さんは今どちらにおいであそばすの」
 お君の方からこう言って尋ねました。
「わたしは、こちらの勤番のお組頭の神尾主膳の邸の中におりまする」
「あの神尾様の……そうでございましたか、少しも存じませんでした」
「わたしもお君さんが、わたしのいるところからいくらも遠くないこの能登守様のお屋敷においでなさろうとは、夢にも存じませんでした。お見受け申せば、昔と違ってたいそう御出世をなされた御様子」
「はい、お恥かしうございます」
 お松から出世と言われてみると、お君はなんとなしに恥かしい心持になりました。お松はそう言って、気のつかないように綺羅(きら)びやかなお君の姿を見直しましたけれど、どうもよく呑込めないような心持がするのであります。
 自分はまだ娘であるけれどもこの人は、もう主(ぬし)ある人か……というような不審から、お松はなんだか、昔のように姉妹気取りや朋輩気取りで呼びかけることに気が置けるのであります。
「お松さん、ここではお話が致し悪(にく)うございますから、わたしの部屋までおいであそばせ」
 お君はお松を自分の部屋へ案内しようとしました。
「はい、あの……ここにおいでなさる米友さんというお方は?」
「あの人は、今、あの、どこかへ……お使に行きましたから」
「左様でございますか。わたしはあの人にぜひ会わねばならない用事がありますの」
「そのうち帰って参りましょう、お手間は取らせませぬから、どうぞわたしのところまで」
 お松はお君の部屋へ導かれて、そこで両女(ふたり)は水入らずに一別以来の物語をしました。
 この物語によって見ると、お松はお君の今の身の上の大略を想像することができました。お松もまた甲州へ来る道中の間で、駒井能登守の人柄を知っているのでありましたから、その人に可愛がられるお君の今の身の上は幸福でなければならないと思いました。
 けれどもお松は、そんなことのみを話したり聞いたりするために尋ねて来たのではなかった、大事の人に会わんがために来たのでありました。晴れて会われない人に、そっと会うべく忍んで来たのでありました。そっと会えるように米友が手引をしてくれるはずになっていたから、それで米友を訪ねて来たのですが、その米友がいないで、偶然にも会うことのできたその人はお君――かえってこれは一層自分の願いのために都合がよいと思いました。この屋敷においてはずっと地位の低い米友を頼むよりは、主人の寵愛(ちょうあい)を受けているこの優しい人に打明けたのが、どのくらい頼みよくもあるし、都合もよいか知れないと気がついたから、お松は、やがてそのことをお君に打明けて頼みました。
 果してお君は、お松が思っている通りに、よい手引をしてくれる人でありました。お松が思ったより以上に快く承知をして、そのことならば誰に頼むよりも、わたしにという意気込みで返事をしてくれました。且つ、今は幸いに主人もいないから、これから直ぐに、わたしがそのお方の休んでおいでなさるところへ御案内をしましょう、ということでありました。お松が飛び立つほど嬉しく思ったのも無理はありません。
 お松のようにおちついた性質(たち)の女が、ソワソワとする様子を見るとお君も嬉しくありました。この人をこんなに喜ばせるのは、またあの兵馬さんを喜ばせることになるのだと思えばなお嬉しくありました。こういう人たちの間の手引をして喜ばせる自分の身も嬉しいことだと思いました。
 両女(ふたり)は人目に触れないで二階へ上ることができました。お君は、先に立ってその一室の障子を細目にあけて中を見入り、
「兵馬さん」
 この声に兵馬は夢を破られました。軽い眠りの床から覚めて見ると、そこに立っている女の姿。
「お松どの」
 兵馬もさすがに、驚きと喜びとを隠すことができないらしい。
「御気分は?」
「もう大丈夫」
 兵馬は生々とした声でありました。
「ああ、わたしは心配致しました」
「どうもいろいろと有難う」
「お手紙を確かにいただきました」
「昨日はまた薬を有難う」
「あの友さんという人が、ちょうどこちらのお屋敷に雇われていたものですから。何かにつけて仕合せでございました」
「あれは、わしも知っている人……それからまたお君どのも」
「はい、お君さんにも、わたしは会うことができました、そのお君さんの手引でこうして上りました」
「して、主人の許しを得て?」
「いいえ、こちらの殿様はただいまお留守なのでございます」
「とにかくも、この屋敷へ落着いたことは当座の仕合せ、この上は一日も早く全快して、ひとまず甲府の土地を立退かねばなりませぬ」
「早く御全快なすって下さいまし。兵馬様、わたしはこんなものを持って参りました」
と言いながらお松は、持って来た風呂敷包を解くと、真綿(まわた)でこしらえた胴着でありました。
「お気に召しますか、どうでございますか」
と言って、その胴着のしつけの糸かなにかを取りますと、
「それほど寒いとも思わぬが、せっかくのお志だから」
 兵馬は蒲団(ふとん)の上に坐り直して、挿帯(さしこみおび)をしていたのを解きかけました。
「兵馬様、これから毎日お訪ねしてもよろしうございますか」
「悪いことはないが、人に咎(とが)められると迷惑ではないか」
「誰にも知られないように用心して参りまする」
「それでも、この家の主人に知られぬわけにはゆくまい」
「こちらのお殿様は、お君さんを可愛がっておいでなさいますから……」
 お松は面を赧(あか)らめます。

         十

 あとを慕って送って来るムク犬を無理に追い返した米友は、甲州の本街道はまた関所や渡し場があって面倒だから、いっそ裏街道を突っ走ってしまおうと、甲府を飛び出して石和(いさわ)まで来ました。
 石和で腹をこしらえた米友は、差出(さしで)の磯や日下部(くさかべ)を通って塩山(えんざん)の宿(しゅく)へ入った時分に、日が暮れかかりました。
「もし、そこへ行くのは友さんじゃないか」
 袖切坂の下で、やはり女の声でこう呼びかけられたから米友は驚きました。
「エ、エ!」
 眼を円くして見ると、
「ほら、どうだ、友さんだろう」
と女はなれなれしく言って傍へ来るから、米友はいよいよ変に思いました。
 もう黄昏時(たそがれどき)でよくわからないけれども、その女はこの辺にはあまり見かけない、洗い髪の兵庫結(ひょうごむす)びかなにかに結った年増の婀娜者(あだもの)のように見える。着物もまた弁慶か格子のような荒いのを着ていました。
 はて、こんな人に呼びかけられる覚えはないと米友は思いました。
「誰だい」
「まあ、お待ちよ」
と言って女が傍へ寄って来た時に、はじめて米友は、
「あ、親方」
と言って舌を捲きました。これは女軽業の親方のお角(かく)でありました。なぜか米友ほどの人物が、このお角を苦手(にがて)にするのであります。この女軽業師の親方のお角の前へ出ると、どうも妙に気が引けて、いじけるのはおかしいくらいです。
 もともと、黒ん坊にされたのは承知のことであって、道庵先生に見破られたために、その化けの皮を被(かぶ)り切れなかったのは米友の罪でありました。米友はそれは自分が悪かったと、それを今でも罪に着ているから、それでお角を怖れるのみではありません。
 もし前世で米友が蛙であるならば、お角が蛇であったかも知れません。どうも性(しょう)が合わないで、それが米友の弱味になって、頭からガミガミ言われても、得意の啖呵(たんか)を切って、木下流の槍を七三に構えるというようなわけにはゆかないから不思議であります。
「あ、親方」
と言って米友が舌を捲くと、お角の方は今日は意外に素直(すなお)で、その上に笑顔まで作って、
「どうしたの、今時分、こんなところをうろついて……」
「これから江戸へ帰ろうと思うんだ」
「これから江戸へ、お前が一人で?」
「うん」
「そうして、どこから来たの、今夜はどこへ泊るつもりなの」
「甲府から来たんだ、今夜はどこへ泊ろうか、まだわからねえんだ」
「そんなら、わたしのところへお泊り」
「親方、お前のところというのは?」
「いいからわたしに跟(つ)いておいで」
 米友は唯々(いい)としてお角のあとに跟いて行きました。お角はまた米友を従者でもあるかのように扱(あしら)って、先へさっさと歩いて袖切坂を上って行きます。
「お前、甲府へ何しに来たの」
「俺(おい)らは去年、人を送って甲府へ来たんだ」
「そうして今まで何をしていたの」
「今まで奉公をしたりなんかしていたんだ」
「どこに奉公していたの」
「旗本の屋敷やなんかにいたんだ」
「そしてお暇を貰って帰るのかい」
「そうじゃねえんだ」
「どうしたの」
「俺らの方でおんでたんだ」
「そんなことだろうと思った、お前のことだから」
「癪(しゃく)に触るから飛び出したんだ」
「お前のように気が短くては、どこへ行ったって長く勤まるものか」
「そうばかりもきまっていねえんだがな」
「きまっていないことがあるものか、どこへ行ったってきっと追ん出されてしまうよ」
「俺らばかり悪いんじゃねえや」
「そりゃお前は正直者さ、あんまり正直過ぎるから、それでおんでるようなことになるのさ」
「その代り、こんど江戸へ出たら辛抱するよ」
「それからお前、いつぞやお前はお君のところを尋ねに両国まで来たことがあったね」
「うん」
「それだろう、お前は人を送って来たというのは附けたりで、ほんとはあの子を尋ねにこちらへ来たのだろう」
「そういうわけでもねえんだ」
「しらを切っちゃいけないよ、そういうわけでないことがあるものか、お前をこちらへよこした人の寸法や、お前がこちらへ来るようになった心持は、大概わたしの方に当りがついているんだから」
 米友はそこで黙ってしまいました。どこまで行っても受身で、根っから気焔が上らないで、先(せん)を打たれてしまうようなあんばいです。
 袖切坂のあたりは淋しいところで、ことに右手はお仕置場(しおきば)です。袖切坂はそんなに大した坂ではないけれど、そこを半分ほど上った時に、
「おや」
と言って、どうしたハズミか、先に立って行ったお角が坂の中途で転(ころ)びました。物に躓(つまず)いて前へのめったのであります。
「危ねえ、危ねえ」
 米友はそれを抱き起すと、
「ああ、悪いところで転んでしまった」
 見ればお角の下駄の鼻緒が切れてしまっています。それをお角は口惜しそうに手に取ると、はずみをつけてポンと傍(かたえ)のお仕置場の藪(やぶ)の中へ抛(ほう)り込んで、
「口惜しい、うっかりしていたもんだから、袖切坂で転んでしまった」
 キリキリと歯を噛んで口惜しがりました。お角の腹の立て方は、わずかに転んだための癇癪(かんしゃく)としては、あまり仰山でありました。
「怪我をしたのかね、かまいたちにでもやられたのかね」
 米友は多少、それを気遣(きづか)ってやらないわけにはゆきません。
「そんなことじゃない、袖切坂で、わたしは転んでしまったのだよ、ちぇッ」
 お角の言いぶりは自暴(やけ)のような気味であります。
「袖切坂がどうしたって」
「ここがその袖切坂なんだろうじゃないか、ところもあろうに、あんまりばかばかしい」
「そりゃ木鼠(きねずみ)も木から落っこちることがある、転んだところで怪我さえしなけりゃなあ」
「怪我もちっとばかりしているようだよ、向(むこ)う脛(ずね)がヒリヒリ痛み出した」
と言ってお角は、紙を取り出して左の足の膝頭(ひざがしら)を拭くと、ベッタリと血がついていました。
「やあ血が!」
 米友も、その血に驚かされると、お角は、
「怪我なんぞは知れたことだけれど、袖切坂で転んだのが、わたしは腹が立つ」
 お角は、よくよくここで転んだのが癪で堪(たま)らないらしい。
 袖切坂を登ってしまうと行手に大菩薩峠の山が見えます、いわゆる大菩薩嶺(だいぼさつれい)であります。標高千四百五十米突(メートル)の大菩薩嶺を左にしては、小金沢、天目山、笹子峠がつづきます。それをまた右にしては鶏冠山(けいかんざん)、牛王院山(ごおういんざん)、雁坂峠(かりざかとうげ)、甲武信(こぶし)ケ岳(たけ)であります。
 素足で坂を登りきったお角は――坂といっても袖切坂はホンのダラダラ坂で、たいした坂でないことは前に申す通りです。そこで、お角は米友を顧みて、
「友さん」
と米友の名を呼びました。
「よく覚えておきなさい、この坂の名は袖切坂というのだから」
 そういう言葉さえ余憤を含んでいるのが妙です。
「袖切坂……」
 米友は、お角に聞かされた通り、袖切坂の名を口の中で唱えましたけれど、それは米友にとってなんらの興味ある名前でもなければ、特に記憶しておかねばならない名前とも思われません。
「ナゼ袖切坂というのだか、お前は知らないだろう」
「知らない」
「知らないはずよ、わたしだって、ここへ来て初めて土地の人から、その因縁(いわれ)を聞いたのだから」
 お角は坂を見返って動こうともしません。米友もまたぜひなくお角の面(かお)と坂とを見比べて、意味不分明に立ちつくしていました。そこらあたりは畑と森と林が夕靄(ゆうもや)に包まれて、その間に宿はずれの家の屋根だけが見え隠れして、二人の立っているところには、「袖切坂」という石の道標に朱を差したのが、黄昏(たそがれ)でも気をつけて読めば読まれるのであります。
「この坂で転んだ人は、誰でも、その片袖を切ってここの庚申塚(こうしんづか)へ納めなくてはならないことになっている。それを知っていながら、わたしはここで転んでしまった。なんという間の抜けた、ばかばかしいお人好しなんだろう、わたしという女は」
 お角は、こう言って身を震わして焦(じ)れったがりました。お角の焦れったがる面と言葉とを、米友は怪訝(けげん)な面をして見たり聞いたりしていました。
「人間だから、根が生えているわけではねえ、転んだところでどうもこれ仕方がねえ」
 米友はこう言いました。
「あんまりばかばかしいから、わたしは片袖なんぞを切りゃしない。この坂へ来ては子供だって転んだもののあるという話を聞かないのに、いい年をしたわたしが……坂の真中でひっくり返って、おまけにこの通り御念入りに創(きず)までつけられて……」
 膝頭(ひざがしら)の創が痛むのか、お角はそこへ手をやって押えてみましたが、
「友さん、わたしがここで転んだということを、誰にも言っちゃいけないよ」
「うむ」
「言うと承知しないよ」
「うむ」
「けれどもお前はきっと言うよ、お前の口からこのことがばれるにきまっているよ。もしそういうことがあった時は、わたしはお前をただは置かない……ただは置かないと言っても、わたしよりお前の方が強いんだから……してみると、わたしはいつかお前の手にかかって殺される時があるんだろう、どうもそう思われてならない」
「何、何を言ってるんだ」
「転んだところを見た人と見られた人が、もし間違っても男と女であった時は、どっちかその片一方が片一方の命を取るんですとさ」
「ええ!」
 米友はなんともつかず眼を円くしました。
 ほどなく米友の連れて来られたところは、塩山の温泉場からいくらも隔たらない二階建の小綺麗な家でありました。
「この人に足を取って上げて、それから御飯を上げておくれ」
 お角は女中に言いつけました。
 米友は御飯を食べてしまうと二階へ案内されました。二階へ案内されて見ると、そこがまた気取った作りでありました。すべてにおいて米友は、この家の様子と、あのお角という女主人を怪しまぬわけにはゆきません。
 それよりも先に、両国橋で女軽業の一座を率いていた親方が、どうしてこんなところの侘住居(わびずまい)に落着いたかということが、米友には大いなる疑問であります。甲府へ興行に来た間違いからお君がひとり置き捨てられたのは、聞いてみればその筋道が立ちますけれど、この女親方がここへ落着いていることは、どうも米友には解(げ)せないのであります。まもなく、お角はお湯に行くと言って出て行きました。やがて女中が二階へ来て、あなたもお湯においでなさいましと言いました。米友は、湯はよそうと言いました。それではお床を展(の)べてあげましょうと言って、次の間へ寝床をこしらえて、屏風(びょうぶ)を立て、燈火(あかり)に気をつけて、お休みなさいませと言いました。
「いったい、ここの旦那というのは何を商売にしているんだい」
「絹商人(きぬあきんど)でございます」
 米友はなるほどと思いました。郡内にも甲府にも絹商人ではかなり大きいのがあるから、何かの縁でそれに見込まれてあの親方が囲われたな、と米友はそんな風に感づいて、多少腑(ふ)に落つるところはあったけれども、袖切坂の上でお角が言った異様な一言(ひとこと)は、どうも米友には解くことができませんでした。
 米友が寝込んだのはそれから長い後ではなかったけれども、その夜中に格子をあける者がありました。
 米友はまた、さすがに武術に達している人であります、熟睡している時であっても、僅かの物音に眼を醒(さ)ますの心がけは、いつでも失うことはありません。
「うむ、そうか、そんならいいけれど、滅多(めった)な人を入れちゃいけねえぜ」
 それが男の声です。
 そこで米友は、ははあ、やって来たな、旦那の絹商人(きぬあきんど)という奴がやって来たなと、腹の中でそう思いました。
 そのうちに瀬戸物のカチ合う音や、燗徳利(かんどくり)が風呂に入る音なんぞがしました。それでもって、お角とその絹商人とが差向いで飲みはじめていることがわかりました。
 二人は飲みながら話をしています。その話し声が高くなったり低くなったりしていますけれども、聞いているうちに、米友がまたまたわからなくなったのは、男の方の言葉づかいが決して商人の言葉づかいではないことであります。
 いくら土地の商人にしたところで、いま下で話している人の口調は、反物(たんもの)の一反も取引をしようという人の口調ではありません。
 絹商人というけれども、何をしているんだか知れたものじゃないと、米友はいいかげんにたかを括(くく)りました。
「おや、妙なことをお言いだね」
 突然と下から聞えたのは、お角の声であります。
「だからどうしようと言うんだ」
 それは男の声。
「どうもしやしない、これからその神尾主膳とやらのお邸へ、わたしが出向いて行って、ちゃあんと談判して来るからいい」
「そいつは面白い」
「面白かろうさ。そうしてそのついでに、百という男は、がんりきと二つ名前の男で、切り落された片一方の手には甲州入墨……」
「何を言ってやがるんだ」
 下の男と女は、いさかいになったのを、米友は聞き咎(とが)めてしまいました。
 しかし、高い声はそれだけで止んで、男女ともに急に押黙ってしまいました。
 その翌朝、あのがんりきの何とやらいう小悪党に会わなければならないのだなと思いながら、米友は下へ降りて見ると、お角と女中のほかには誰もいませんでした。
 女中の世話で朝飯を食べてしまっても、昨夜の男は姿を見せませんでした。お角もなにくわぬ面(かお)をしていました。米友もそのことは聞きもしないで、直ちに出立の暇乞いをしました。お角はもっと米友を留めておきたいような口吻(くちぶり)でありましたけれど、そんならと言っていくらかの餞別(せんべつ)までくれました。そうして、遠からずわたしも江戸へ帰るからあっちでまた会おうと言って、米友のために、二三の知人(しるべ)のところを引合せてやったりなどしました。
 そうして米友は、そこを出かけて東へ向って行くと例の袖切坂です。そこへ来ると、いやでも眼に触れるのが、坂の上に立てられてある「袖切坂」の石の道標でありました。
「ここだな」
と思って米友はその石を見ると、袖切坂の文字には昨夜見た通りの朱をさしてありましたが、その文字の下に猿の彫物(ほりもの)のしてあることに初めて気がつきました。この猿はありふれた庚申(こうしん)の猿です。庚申様へ片袖を切って上げるとかなんとか言ったのは、やっぱりここのことだろうと米友は、昨晩のお角の言った言葉を思い出して、再び奇異なる感じを呼び起して見ると、その庚申の下に、片袖ではない――下駄が片一方、置き捨てられてあることを発見しました。
 下駄が片一方、しかもそれは男物ではない、間形(あいがた)の女下駄に黒天(こくてん)の鼻緒、その鼻緒の先が切れたままで、さながら庚申様へ手向(たむ)けをしたもののように置かれてあるのをみとめて、米友は眼を円くしました。
 想像を加えるまでもなく、その下駄はお角の下駄であります。昨夕(ゆうべ)この坂の中程で転んだお角が、焦(じ)れったがって歯咬(はがみ)をしながら、鼻緒の切れたその下駄をポンと仕置場の藪(やぶ)の中へ投げ込んだ時に、米友は怪訝(けげん)な面(かお)をして見ていました。
 それを誰がいつ拾い出したのか、今朝はもうここに、ちゃんとこうして供えられてある――だから米友は眼を円くしないわけにはゆきません。
 迷信や因縁事で米友を嚇(おどか)すには、米友の頭はあまりに粗末でそうして弾力があり過ぎます。昨夕、ここであんなことをお角から言われて、その時はおかしな気分になりました。今はもうほとんど忘れてしまっていました。それだからこうして見ると、誰がしたのかその悪戯(いたずら)が面悪(つらにく)くなるくらいのものでありました。米友は手に持っていた棒をさしのべて、長虫でも突くような手つきで、下駄の鼻緒の切れ目へそれを差し込みました。
 前後と左右を見廻して、その下駄を抛(ほう)り込むところを見定めようとしたけれど、あいにく、あの藪の中へ投げ込んでさえ拾い出してここへ持って来る奴があるくらいだから、畑や道端へうっかり捨てられないと、米友は棒の先へその下駄を突掛けたものの、そのやり場に窮してしまいます。
 やむことを得ず米友は、その下駄を手許へ引取って、片手でぶらさげて、その場を立去るよりほかには詮方(せんかた)がなくなりました。行く行くどこかへ捨ててしまおうと、米友は油断なく左右を見廻して行ったけれども、容易にその下駄一つの捨て場がわかりません。ついには土を掘って埋めてしまおうかとも思いましたけれど、そうもしないで、ほとんど小一里の間、米友はその下駄をぶらさげて歩いてしまいました。
 右の足の跛足(びっこ)である米友が、女の下駄を片一方だけ持ち扱って歩いて行くことは、判じ物のような形であります。

         十一

 その後ムク犬は、駒井と神尾と両家の間を往来するようになりました。お君のムク犬を可愛がることは昔に変らないが、その可愛がり方はまた昔のようではありません。自分で手ずから食物を与えることはありません。またムクと一緒にいる機会よりも能登守に近づく機会が多いので、自然にムク犬に対するお君の情が薄くなるように見えました。しかし、お君はムク犬を粗末にするわけではなく、ムク犬もまた主人を疎(うと)んずるというわけではありませんでした。
 お君とムク犬との関係がそんなになってゆく間に、お松とムク犬とがようやく親密になってゆくことが、目に見えるようであります。
 それだからムク犬は、或る時は駒井家の庭の一隅に眠り、或る時は神尾の家へ行って遊んで来るのであります。神尾の家といってもそれは本邸の方ではなく、別家のお松の部屋の縁先であります。お松はこの犬を可愛がりました。
 神尾家の本邸のうちは、このごろ見ると、またも昔のような乱脈になりかけていることがお松の眼にはよくわかります。貧乏であった神尾主膳がこの春来、めっきり金廻りがよくなったらしい景気が見えました。けれどもその金廻りがよくなったというのは、知行高(ちぎょうだか)が殖(ふ)えたからというわけではなく、また用人たちの財政がうまくなって、神尾家の信用と融通が回復したというわけでもないようです。
 このごろ神尾家へは、雑多な人が入り込みます。札附(ふだつき)の同役もあれば、やくざの御家人上(ごけにんあが)りもあり、かなり裕福らしい町人風のものもあり、また全然破落戸風(ごろつきふう)のものもある――それらの人が集まって、夜更くるまで本邸の奥で賭場(とば)を開いていることを、お松は浅ましいことだと思いました。神尾主膳に金廻りがよくなったというのは、それから来るテラ銭のようなものでしょう。
 中奥(なかおく)の間(ま)ではその夜、また悪い遊びが開かれていました。その場の様子では主膳の旗色が大へん悪いようです。
 主膳の悪いのに引替えて、いつもこの場を浚(さら)って行くは、がんりきの百であります。
 一座の者が一本腕のがんりきのために、或いは殺され、或いは斬られて、手を負わぬものは一人もない体(てい)たらくでありました。
 それを見ていた神尾主膳は、業(ごう)が煮えてたまりませんでした。
「百蔵、もう一丁融通してくれ、頼む」
と言い出すと、
「殿様、御冗談(ごじょうだん)おっしゃっちゃいけません、もうおあきらめなすった方がお得でございます」
「左様なことを言わずにもう一丁融通致せ、新手(あらて)を入れ替えて、貴様と太刀打ちをしてみたい、見(み)ん事(ごと)仇を取って見せる」
「駄目でございますよ、新手を入れ替えたところで、返り討ちにきまっておいでなさいますから、今宵のところはこの辺でお思い切りが肝腎でございますよ」
「どうしても融通ができぬか」
「冗談じゃございません、このうえ融通して上げたんじゃ、勝負事の冥利(みょうり)に尽きてしまいますからな」
「けれども貴様、それじゃ勝ち過ぎる」
 がんりきが縦横無尽に場を荒すのを神尾主膳も忌々(いまいま)しがっていたが、一座の連中もみんな忌々しがっていました。主膳は堪り兼ねて、
「がんりき、それでは抵当(かた)の品をやる、それによって融通しろ」
「よろしうございます、相当の抵当を下さるのに、それでも融通をして上げないと、左様な頑固なことは申しません。そうしてその抵当とおっしゃいますのは」
「この品だ」
 神尾主膳は、青地錦の袋に入れた一振(ひとふり)の太刀を床の間から取り外しました。それは多分伯耆(ほうき)の安綱の刀でありましょう。
 神尾主膳は秘蔵の刀を当座の抵当に与えて、それで、がんりきからいくらかの金を融通してもらいました。けれども不幸にしてその金もたちどころに、がんりきに取られてしまいました。案の如く見事な返り討ちです。片手で自分の膝の前に堆(うずだか)くなっている場金(ばがね)を掻き集めながら、
「ナニ、今日はわっしどもの目が出る日なんでございます、殿様方の御運の悪い日なんでございます、殿様方がお弱いというわけでもございませんし、わっしどもがばかに強いというわけなんでもございません、勝負事は時の運なんでございますから、これでまた、わっしどもが裸になって、殿様方がお笑いになる日もあるんでございますから、わっしどもは決して愚痴は申しません」
 場金を掻き集めて胴巻(どうまき)に入れてしまい、

次ページ
ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:205 KB

担当:undef