大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         一

 夜が明けると共に靄(もや)も霽(は)れてしまいました。天気も申し分のないよい天気であります。幸内は能登守の屋敷から有野村の伊太夫の家へ迎えられることになりました。
 有野村へ迎えられて幸内が、その今までの経過をすっかり物語りさえすれば、万事は解釈されるのでした。神尾主膳の残忍さ加減と、その屋敷にいる盲剣客(めくらけんかく)の一種異様なる挙動とが、幸内の口から明らかになりさえすれば、それを聞く人々は或いは仰天し、或いは戦慄しながら、事の仔細を了解するはずでありました。けれども不幸にして、送り返された幸内なるものは、ただ送り返されたという名前だけに過ぎません。まだ屍骸(しがい)というには早いけれども、とても生きた者として受取ることはできないほどであります。
 幸内は口が利(き)けないのみならず、手も利きませんでした。手が利かないのみならず、身体が利きませんでした。それらのすべての機関が働かないにしても、眼だけでも動けば、多少ものを言うのであろうけれど、その眼も昏々(こんこん)として眠ったままでいるのであります。ただ動いているのは、微かなる脈搏のみであります。
 幸内の看病には、ほとんど誰も寄せつけないでお銀様ひとりがそれに当っておりました。駒井家から是々(しかじか)と聞いても、お銀様はそれを耳にも入れないのでした。駒井家の使の者に対してすらお銀様は、一言のお礼の挨拶をもしようとはしませんでした。殿様のことは無論、あれほど親しかったお君の身の上のことすらも尋ねようとはしませんでした。お君からは、お嬢様にくれぐれもよろしくと使の者の口から丁寧な挨拶があったのだけれど、お銀様はそれを冷然として鼻であしらって取合いませんでした。それよりも先に幸内を自分の部屋に近い、前にお君のいたところへ休ませて、その傍に附ききりの姿です。
 お銀様はこんなふうに、ただに駒井家に対して冷淡であるのみならず、その冷淡の底には深い恨みを懐(いだ)いて、深い恨みは強い呪(のろ)いとなって能登守とお君との上に濺(そそ)がれているのでありました。前には一種の僻(ひが)んだ嫉妬(しっと)でありました。今は骨髄に刻むほどの怨恨(えんこん)となっているのであります。せっかく運びかけた神尾家との縁談を、途中で故障を入れたのはあの能登守だという恨みは、お銀様の肉と骨とに食い入る口惜しさでありました。お銀様に向ってのすべての報告はみんな、この口惜しさを能登守とお君とに濺ぐように出来ておりました。なぜならば、支配の上席なる筑前様でさえも御承諾になっているものを、能登守がひとり、旗本の女房は同族か或いは大名でなければ身分違いだと言い立てたために、事が運ばないのだということに一致するからであります。
 今時(いまどき)、そんなことはどうにでもなるのである。よしどうにでもならないにしたところで、自分の家の家柄はそれに恥かしいような家柄ではないものを、それを能登守から見下げられたということが、お銀様は腹が立ってたまりませんでした。
 その上、そんなよけいな故障を言い立てた能登守自身はどうであろう、あのお君を可愛がって、うつつを抜かしているではないか。お君という女は言わば旅の風来者(ふうらいもの)で、氏(うじ)も素性(すじょう)も知れない女ではないか。自分ではその氏も素性も知れない女を可愛がって勝手な真似をしながら、人の縁談に鹿爪(しかつめ)らしいことを言って故障を入れる、その心が憎らしいではないか。それにはきっと、お君が傍からよけいな入知恵をしているであろうとの邪推で、二人の憎らしさがいよいよ骨身に食い入って行くのであります。
「ねえ、幸内や、早く癒(なお)っておくれ、わたしはお前から聞いてみなければわからない、わたしもまたお前に聞いてもらわなければならないことがある」

 その晩、お銀様の居間へ丸頭巾(まるずきん)を被(かぶ)った父の伊太夫がやって来て、何か言っているようでありましたが、やがてその言葉がいつもよりも荒く聞えました。お銀様もそれに答えて二言三言(ふたことみこと)なにか言いましたが、その声がやがて泣き声になってしまいました。
 いつもの場合においては、お銀様が泣き声を出す時には、父の伊太夫の方で折れるのが例でありましたけれど、その晩はそうではありませんでした。
「お前のような不孝者はない、幸内をくれてやるから、それをつれてどこへでも行け、あとは三郎がおれば困ることはない」
 父の伊太夫はこう言って苦(にが)り切っておりました。
「ようございますとも、ようございますとも」
 お銀様の泣き声は甲走(かんばし)ってしまいました。
「わたしは先(せん)のお母さんの子ですから、わたしがいない方が家のためになります、三郎のお母さんと、わたしのお母さんとは違いますから、今のお母さんのためにも三郎のためにも、わたしがいない方がようございましょう、そうしてお父様は今のお母さんを大切になさいまし、わたしはどこへでも行ってしまいますからようございます」
 お銀様は頭(かぶり)を振って泣きました。
「お銀、お前は何を言うのだ、自分の我儘(わがまま)を知らないで、いつもいつも、そういう言いがかりばかり言ってお父様を困らせようとしても、そうはお父様も負けてはいないよ」
「ええ、ええ、どう致しまして、わたしがお父様を言い負かそうなんぞと、そんなことがありますものですか、わたしはどこへでも行ってしまいますから」
「お銀」
 伊太夫はいよいよ苦り切って、
「お前には、物が言えない、気を落着けてよくお聞きなさい、お前がそうして幸内の傍へ附ききりでいることが、世間へ聞えていいことだか悪いことだか、大抵わかりそうなものではないか。第一、家の者にまでわしがきまりが悪い。それから、あの神尾の縁談のことだといって、まだ話が切れたわけではなし、そんなことのさわりにもなるから、幸内を別宅の方へやって養生させたいと言うのは順当な話ではないか、無理のない話ではないか。それをお前が聞きわけないで、こうして幸内と一つ部屋のようなところへ寝泊りして、ほかの者には誰にも手出しをさせないというのは、あんまり我儘が過ぎるではないか。ね、よく考えてごらん」
 ここに至って、やはり伊太夫は折れているのであります。噛(か)んで含めるように、腫物(はれもの)に触るように繰返してお銀様を説いているのであります。
「幸内をわたしが看病しては悪いのでございますか、それでは誰に看病させたらよいでしょう、わたしでなければ本気になって幸内を見てやる者はないではございませんか、ほかの者はみんな幸内を嫉(そね)んだりにくがったりしているではございませんか」
「そんなことがあるものか」
「いいえ、そうでございます、この家では本心から、わたしの力になってくれる者は幸内のほかにはありませんから、わたしが幸内を大切にしなければ、大切にする者はないのでございます」
「ばかな!」
「ええ、わたしは馬鹿でございます。お父様、わたしをこんなに馬鹿にしたのは誰でございましょう、先(せん)のお母さんが生きておいでなさる時分には、わたしはこれほど馬鹿ではなかったのでございます、わたしもこれほど馬鹿ではなかったし、それに、わたしの……わたしの面(かお)もこんな面ではなかったのでございます。今のお母さんがいらしってから、わたしはこんな馬鹿になりました、わたしの面は……わたしの面は、こんな面になってしまいました」
 お銀様は喚(わ)ッと泣き出しました。
「お銀、お前はまたそれを言うのか」
 伊太夫は情けない面をして、泣き伏したわが娘の姿を見ていました。
「お父様、もうこれから二度と申し上げるようなことはございますまいから、どうか今晩は申し上げるだけのことを申し上げさせて下さいまし。先(せん)のお母さんは、わたしが十歳(とお)の時に病気で亡くなりました、わたしはその亡くなった時のことをようく存じております、世間では、今のお母さんが、先のお母さんを殺したんだとそう申しているそうでございます……」
「これ、何を言うのだ」
「お父様、それは嘘(うそ)でございます、嘘でございますけれども、世間ではそんなに噂(うわさ)をしている者もあることは、お父様だってごぞんじでございましょう。お母さんは口惜(くや)しがって死にました。わたしは十歳でしたから、先のお母さんが何をそんなに口惜しがっておいでなすったのか少しも存じません、また誰もわたしに話してくれる人はありませんけれど、あの時分、お母さんのお口からそれとなく、わたしにお聞かせなされた二言三言が、今でも耳に残っているのでございます、それでなるほど、それはそうかと時々思い当ることがあるのでございます。わたしは先のお母さんがかわいそうだと思います。そうかと言って、わたしは今のお母さんに恨みがあるわけでもなんでもございません」
「あああ、困ったことだ、お前の僻(ひが)み根性(こんじょう)は骨まで沁(し)み込んでしまっているのだ、情けないことだ」
 伊太夫はなんとも言えない悲しそうな歎息であるのに、お銀様は、父の歎息に同情することがあまりに少ないのであります。
「お父様のおっしゃる通り、わたしの僻み根性は骨まで沁み込んでしまいました、モウどうしても取ってしまうことはできないのでございます。わたしももとからこんな僻み根性の子ではありませんでした、婆やなんかが時々噂をしているのを聞きますと、わたしの子供の時は、それはそれは可愛い子であったと申します、可愛い子で、情け深くて、どんな人でもわたしを好かない者はなかったそうでございます。それが今はこんなになってしまいました、わたしの姿がこんなになってしまうと一緒に、わたしの心も片輪になってしまいました。お父様、わたしの姿は、もう昔のような可愛い子供にはなれないのでございますね、それでも、こんな姿をしていながらも、わたしがこうして生きていられるのは誰のおかげでございましょう、幸内のおかげでございます。わたしがこの面(かお)を火鉢の火に吹かれた時に、幸内が飛んで来て助けてくれたから、それで命が助かったのは、わたしが十歳で幸内が十二の時、お父様もよく御承知でございましょう。わたしの面を焼いたのは、それは今のお母さんのなさったことだと、わたしは決してそんなことは思っていやしませんけれど……」
「な、なにを言うのだ、お銀、そ、そういうことがお前、お前として」
 伊太夫も、さすがにせきこんで吃(ども)るのでありました。けれどもお銀様は冷やかなものであります。
「わたしの面はその時から、誰かのために殺されてしまいました。けれども幸内のために生命(いのち)だけは助けられました、生命も助けられない方が、誰かのためにも、わたしのためにもよかったのでしょうけれど、助けられてみれば、こうして生きているよりほかはないのでございます。幸内に助けられた生命ですもの、幸内にくれてやっても差支えはございますまい、幸内に助けられた身体(からだ)ゆえ、幸内に任せてしまっても誰もなんとも言えないはずではございませんか。世間がわたしと幸内のなかをうるさく言うなら言わしておきましょう、それがために縁談とやらの障(さわ)りになるならならせておきましょう、お父様が今のお母さんをお好きのように、わたしも幸内が好きなんでございます」
 伊太夫はついに全くその娘をもてあましてしまいました。ただに全くもてあましたのみならず、そのあまりに執拗(しつよう)な言い分に嚇(かっ)と腹を立ててしまいました。
「お前がそれほど幸内が大事なら、幸内をつれて勝手にどこへなりと行きなさい、父はもうお前のすることについては何も言わぬ、お前もこれから父の世話にならぬ覚悟でいなさい」
と言い捨てて、座を蹴立てるようにして立去りました。
 お銀様は父の立去る後ろ影を、凄(すご)い面(かお)をして睨めていましたが、
「ええ、ようございますとも、出て参りますとも、幸内をつれてどこへでも、わたしは行ってしまいます、お父様のお世話にはなりませぬ、死んでも藤原の家の者のお世話にはなりませぬ」
 お銀様は歯噛(はが)みをしました。その有様は、父に対して言い過ぎたという後悔が寸分も見えないで、なお一層の反抗心が募ってゆくように見えます。
「幸内や」
 お銀様は、幸内の寝ている枕許へ膝行(いざ)り寄って来ました。
「いま聞いた通り、わたしはここの家にはいないから、お前、少しのあいだ待っていておくれ、わたしはお前をつれて行くところを探して来るから待っておいで、今夜のうちにもお前をつれて出て行ってしまいたいから、わたしはこれから心当りを聞きに出かけます、お父様にああ言われてみれば、わたしはもう一刻もこの家にはいられない、お前もいられまい、誰がなんと言っても、わたしはお前を連れて出て行ってしまいます」
 お銀様は、やはり歯噛みをしながらこう言って幸内の寝面(ねがお)をのぞいていましたが、すぐに立って箪笥(たんす)をあけました。それで、あわただしい身ごしらえをはじめたところを見ると、この娘はほんとうにたった今この家を出かけるつもりでしょう。帯の間へは例の通り懐剣を挟みました。そうして小抽斗(こひきだし)から幾つかの小判の包みを取り出して、無雑作に懐中へ入れました。それからまた例の頭巾(ずきん)を被(かぶ)りました。
「いいかえ、わたしはこれから甲府へ行って、お前を引取るような家を探して直ぐにまた迎えに来るから、それまで一人で待っておいで。ナニ、お父様がかまってくれなくても、二年や三年お前と一緒に暮らして行くだけのお金は、わたしが持っているから心配することはない」
 お銀様の手足が慄(ふる)えているために、懐中へ入れた小判の包みをバタバタと取落して、それをまた懐中へ拾い込み、それがまた懐中からこぼれるのを、お銀様は慄える手先で拾って、狂人が物を口走るように独言(ひとりごと)を言いました。
「まあ、ずいぶんお前月代(さかやき)が生えているね。もしよそへ行く時に、それではあんまりだから、わたしが月代を剃って上げたいけれど、今はそんなことをしてはいられない。甲府へ行ったら、わたしは人を頼んでお前を迎えによこすから、わたしも附いて来るから、その時になってお父様がなんと言ったって、わたしは帰りゃしない、お前も帰さない。この家には、わたしがいない方がいいのだから、わたしがいなくなればみんな手を拍(う)って喜ぶのだから、わたしがいないので、いなくなるので、それだから、わたしは……」
 お銀様は、畳の上へこぼした小判の包みが手に触(さわ)らないのであります。やっと拾ってまた懐中へ入れるとまたこぼれます。お銀様はとうとう、その幾つかの小判の包みのうち一つを取落したままで、行燈(あんどん)の火を細めて外へ出ました。
 外は昨晩のように深い靄(もや)はありませんでしたけれども、闇夜(やみよ)であることは昨晩と少しも変りはありません。

 お銀様が父と言い争っている時分から、この家の縁先の網代垣(あじろがき)の下に黒い人影が一つ蹲(うずく)まっていて、父子(おやこ)の物争いを逐一(ちくいち)聞いていたようです。
 伊太夫が怒って足音荒く立退いてしまった時分に、そろそろと縁先へ忍び寄って戸の隙間から、お銀様の挙動を覗(のぞ)いているようでありました。抱えるようにしていたけれど、両刀の鐺(こじり)は羽織の下から外(はず)れて見えています。
 お銀様が今、戸をあけて外へ出ようとした時に、この怪しい人影は、また前のところへ立退いて蹲まっていました。お銀様がどこともなく闇の中へ消えてしまった時分に、またその怪しの人影はそろそろ網代垣の下から身を延ばして、以前の通り縁先へ忍び寄り、それから雨戸へ手をかけました。お銀様のいま立てきったばかりの戸の裏には鍵をしてありません。それですから別段に音も立てずに一尺ばかり開くことができると、直ぐに中へ入ってしまいました。
 なんの苦もなく障子を開いて座敷へ入った姿を見れば、紛(まぎ)れもなくひとりの武士です。それも小身の侍や足軽ではなく、多少の身分ありそうな武士です。多少の身分のありそうな武士が、こんな挙動をして人の家に忍び入るのは似合わしからぬことであります。けれども似合わしからぬことを敢てせねばならぬほどの危急に迫られたればこそ、こうして忍んで来たものと思わなければなりません。お銀様が細目にして行った行燈(あんどん)の傍へ行ってそれを掻(か)き立てた時に、頭巾から洩れる面体(めんてい)をうかがえば、それが神尾主膳であったことは、意外のようで意外でありますまい。
 主膳はソロソロと昏睡(こんすい)している幸内の枕許へ寄って来て、その寝顔を暫らくのあいだ見ていました。そうしてニッとして残忍な笑い方をしましたが、背中を行燈の方に向けて、幸内の枕許へ立ちはだかるようにしてしまったから、何をするのだか挙動が少しもわからないが、ただ懐(ふところ)から縄を出して扱(しご)くような素振(そぶり)をしたり、またそこらにあったものを引き寄せるような仕事をしているうちに、寝ていた幸内が、
「ウーン」
とうなり出したのを、主膳はその頭の上から蒲団(ふとん)を被せて抑えましたから、幸内のうなる声は圧(お)し殺されたように絶えてしまいました。
 それで静かになってしまうと、主膳はまた行燈の方へ向き直りましたが、幸内は蒲団を被せられてしまっているから、どうなったのかサッパリわかりません。ただ前よりは一層おとなしくなってしまったようであります。行燈の方へ向き直った主膳は、思わず小さな声で、
「あっ」
と言って自分の両の手先を見ました。その手先へ鬼蜘蛛(おにぐも)のような血の塊(かたまり)がポタリポタリと落ちている。
「ああ鼻血か」
 主膳は、仰向いて、その手を加減しながら自分の懐中(ふところ)へ入れて畳紙(たとう)を取り出して面に当てました。いま主膳を驚かしたその血の塊は、外(よそ)から出たのではありません、自分の鼻から出た鼻血でありました。けれども紙で拭いたその血を行燈の光で見ると夥(おびただ)しいもので、黒く固まってドロドロして、しかもそれが一帖の畳紙(たとう)を打通(ぶっとお)して染(し)みるほどに押出して、まだ止まらないのです。
 神尾主膳は、そのあまりに仰山な鼻血の出様に、自分ながら怖くなったようでありました。鼻血を抑えながら、あたりを始末して以前の戸口からこの座敷を脱(ぬ)け出しました。

         二

 お銀様がこの夜中に家を脱け出したのは、あまりと言えば無謀です。けれどもそれが無謀だか有謀だかわかるくらいならば、家を脱け出すようなことはしますまい。ともかくも、こうしてお銀様は無事に屋敷を脱け出し、有野村を離れて甲府をさして闇の中をヒタ歩きに歩きました。その途中、無事であったことは幸いです。
 しかし、それを離れて後ろから跟(つ)いて行く神尾主膳の姿などを想像にも思い浮べることのなかったのは、幸いとは言えません。
 ようやく甲府の町へ入ろうとする時分に辻番がありました。荒川を渡って元の陣屋跡のところに、このごろ臨時に辻番が設けられました。
「これこれ、どこへ行かっしゃる」
 辻番の中で六尺棒を持った屈強な足軽が、通りかかるお銀様を呼び留めました。
「はい」
と言ってお銀様はたちどまりました。
「待たっしゃい」
 辻番は、お銀様の頭巾の上から足の爪先まで見据えていましたが、
「見れば女子(おなご)の一人道、どちらからおいででござる」
「有野村から参りました」
「有野村は何の何某(なにがし)という者でござる」
「はい……藤原の伊太夫の家から……召使の君と申しまする」
「有野村の藤原家の召使? それが一人でこの夜分」
「主人の内密(ないしょ)の使でよんどころなく……こんなに遅くなりました」
「はて、そうしてどこへ行かっしゃるのじゃ」
「それは……御城内の神尾主膳様のお屋敷まで」
 お銀様は、ここで二つのこしらえごとを言ってしまいました。自分がお君の名を仮(か)りたことと、神尾主膳の屋敷を行先のように出鱈目(でたらめ)に言ってしまったことです。
「神尾主膳殿へ?」
と言って辻番は、ややけねんを持つように、お銀様を見廻していたが、
「よろしい、通らっしゃい。しかし、このごろは市中が物騒でござることをそなたはまだ知らぬと見えるな。物騒というのはほかではない、よく人が斬られる、辻斬が流行(はや)るから宵のうちさえ人の通りは甚だ少ない、知らぬこととはいえこの深夜、一人で、まして女の身で、このあたりを歩くというは危険千万じゃ」
「有難うございます」
 辻番に通らっしゃいと言われたから、お銀様はそこを通り過ぎてしまうと、飯田新町の通りであります。
 いま、辻番から言われたこともお銀様は、もう忘れてしまいました。甲府のこのごろの物騒なことも有野村あたりまで聞えていないのではなかったけれど、お銀様の耳へはそれがまだ入っていませんでした。さて、甲府の町へ入るには入ったけれど、どこへ行こうという当(あて)はありません。神尾主膳の邸と言ったのはもとより出鱈目(でたらめ)ですけれども、うすうす心のうちでお銀様が心当てにして来たのは、それは役割の市五郎の家でした。
 役割の市五郎を訪ねることに心をきめたお銀様が、案内を知った甲府の町の道筋をお城の方へと歩いて行くと、子供の泣き声が聞えました。
 その子供の泣き声がいかにも物悲しそうに聞えて来ました。、弱い帛(きぬ)を長く裂いてゆくように泣き続けて、やがて咽(むせ)び入(い)るようになって消えたかと思うと、また物悲しそうに泣く音(ね)を立てて欷歔(しゃく)り上げる泣き声が、いじらしくてたまらなく聞えます。
 お銀様は、どこからともなくその物悲しい子供の泣き声を聞いた時にはじめて、もう夜も大分ふけていることに気がつきました。気がついて立ったところのすぐ眼の前に、こんもりと一叢(ひとむら)の森があることを知りました。右の方は城内へつづくお武家屋敷があることを知りました。眼の前の森は穴切明神の森であることも、甲府の地理に暗くないお銀様には直ぐに合点がいったのです。その明神も見えるし、その森蔭にはお小人屋敷(こびとやしき)なんぞもあるのですから、闇の晩とはいえ、それを見極めることになんの手数も要(い)らないわけであります。
 甲斐の国、甲府の土地は、大古(おおむかし)は一面の湖水であったということです。冷たい水が漫々と張り切って鏡のようになっていると、そこへ富士の山が面(かお)を出しては朝な夕なの水鏡をするのでありました。富士の山の水鏡のためには恰好(かっこう)でありましょうとも、水さえなければ人間も住まわれよう、畑も出来ようものをと、例の地蔵菩薩がお慈悲心からある時、二人の神様をお呼びになって、
「どうしたものじゃ、この水をどこへか落して、人間たちを住まわしてやりたいものではないか」
と御相談になると、そのうちの一人の神様が、
「それは結構なお思いつきでござる、なんとかひとつ拙者が工夫してみましょう」
と言って、四辺(あたり)の地勢を見廻していたが、やがて前の方の山の端の薄いところを、
「エイ」
と言って蹴飛ばすと、その山の端の一角が蹴破られてしまいました。それを見るより、もう一人の神様が立ち上って、
「よしよし、あとは拙者が引受けてなんとかしよう」
と言って、いま蹴破られた山の端へ穴をあけて、そこへ一条の水路を開いたから、見ているうちに漫々たる大湖水の水が富士川へ流れて落ちました。
 それを遠くの方で見ていた不動様が、
「乃公(おれ)も引込んではおられぬわい」
と言って、川の瀬をよく均(なら)して水の滞(とどこお)らぬようにしました。
 この二仏二神のおかげで、甲府の土地が出来たのだというのが古来の伝説であります。最初に言い出した地蔵様は甲府の東光寺にある稲積(いなづみ)地蔵で、次に山を蹴破ったのが蹴裂(けさく)明神で、河の瀬を作った不動様が瀬立(せだち)不動で、山を切り穴を開いた神様が、すなわちこの穴切明神であるというこの縁起(えんぎ)も、お銀様はよく知っているのでありました。ここへ来て夜の更けたことを知ったお銀様は、はじめて自分の無謀であったことと、大胆に過ぎたことを省(かえり)みる心持になりました。前に来た時には、日中であったに拘(かかわ)らず、しかもお城の真下であったに拘らず、悪い折助のために酷い目に遭ったことを思い出して、ついにこの夜更けにこの淋しい道を、どうして自分がここまで来て、無事にここに立っていられるのかをさえ思い出されて、ぞっと怖ろしさに身をふるわすと、例の物悲しい、いじらしい子供の泣き声であります。
 なんだか知らないけれども、その泣き声が自分のあとを慕うて来るもののようでありました。自分を慕うて幼な子があとを追っかけて来るもののように、お銀様には思われてなりません。
 お銀様はその子供の泣き声が気になって仕方がありません。
 穴切明神を後ろにして武家屋敷の方へ向って行きますと、そこで絶え入るような子供の泣き声が足許から聞えるのでありました。
「おや、棄児(すてご)か知ら」
 お銀様は、まさに近い所の路傍の闇に子供が一人、地面(じべた)へ抛(ほう)り出されて泣いているのを認めました。
「かわいそうに棄児……」
 お銀様はその子供の傍へ駈け寄りました。棄児としてもこれはあまり慈悲のない棄児でありました。籠へ入れてあるでもなければ、玩具(おもちゃ)一つ持たせておくでもありません。裸体(はだか)にしないだけがお情けで、ただ道の傍(はた)へ抛り出されたままの棄児でありました。
「おお、こんなことをしておけば凍死(こごえし)んでしまう、なんという無慈悲なこと、なんという情けない親」
 お銀様は直ぐにその子を抱き上げました。咽(むせ)び入(い)るようなこの子は抱き上げられて、いじらしくもお銀様の胸へぴったりと面(かお)を寄せて、その乳を求めながら、欷歔(なきじゃ)くっているのであります。
「お乳が無くて悪かったね、いい坊やだから泣いてはいけません」
 ようやくかたことを言えるくらいの男の子。お銀様はその子を固く抱いて頬ずりをしました。
 その時に、お銀様の鼻に触れたのは紛(ぷん)として腥(なまぐ)さい、いやないやな臭いであります。お銀様はその臭いが何の臭いだか知りませんでしたけれど、むっと咽(む)せかえるようになって、我知らず二足三足歩いて見ると、そこの地上にまた一つ、物の影があるのであります。
「人が倒れている」
 お銀様はまさしくそこに倒れている人を見ました。その人が尋常に倒れているものでないことを直ぐに感づきました。怪我で倒れたのでもなし、病気で倒れたのでもないことに気がつきました。
「ああ、どうしよう、人が斬られている、殺されている!」
 天地が遽(にわ)かに暗くなって――暗いのは最初からのことだが、この時は腹の中まで暗くなりました。前後左右四方上下から、真黒な大鉄壁を以て、ひたひたと押えつけられるような心持になって眼がくらくらと眩(くら)んでしまいました。
 けれども胸に抱いた子は、いよいよ固く抱いておりました。
 幼な子を抱いて闇の中に立っていたお銀様の肩を、後ろから軽く叩いたものがあります。
「もし」
 お銀様は愕然(がくぜん)として我にかえりました。我にかえると共に慄え上りました。
「どなた」
 お銀様の歯の根が合いませんでした。そこに頭巾(ずきん)を被(かぶ)って袴(はかま)を穿(は)いて立っているのは武士の姿であります。
「驚き召さるな、拙者は通りかかりの者……してそなたは?」
 存外、物優(ものやさ)しい声でありました。
「わたくしも通りかかりの……」
 お銀様は辛(かろ)うじてこう言いました。
「この場の有様は、こりゃ………」
 武士もまた、さすがにこの場の無惨(むざん)な有様に、悸(ぎょっ)として突立ったきりでありました。
「そこに誰か斬られているのでござりまする、そうしてこの子供がここに投げ出されておりました」
「また殺(や)られたか」
「どう致しましょう」
 この時、武士はさのみ狼狽(ろうばい)しないで、
「もしや、そなたは有野村の藤原家の御息女ではござらぬか」
と聞かれてお銀様は狼狽しました。
「左様におっしゃる、あなた様は?」
「拙者は神尾主膳でござる」
「神尾主膳様?」
「伊太夫殿の御息女に違いないか」
「はい」
 お銀様は神尾主膳の名を聞いて一時に恥かしくなりました。主膳はお銀様の父の許(もと)を訪ねたこともあって、お銀様もその面影を知らないではありません。その人にここで会おうとは思いませんでした。会ってみれば、お銀様としても、さすがに恥かしい思いがしなければならないはずです。
「お銀どの……どうしてまたこの夜更けに、こんなところにお一人で……いや、それを承っていることも面倒じゃ、これはこのごろ流行(はや)りものの辻斬、拙者も今宵は忍びの道、かかわり合ってはおられぬ、この場はこのままにして立退き申そう、そなた様はいずれへお越しじゃ」
「はい、わたくしは」
「ともかくも、拙者が屋敷まで見えられるように」
「有難う存じまする」
「見廻りの者が来ないうちに」
「それでもこの子が……」
「さあ、その子は……」
 二人がその子の始末に当惑している時に、火の番の拍子木が聞えました。

         三

 破牢のあったというその当夜から、ひとり胸を痛めているのはお松であります。
 その破牢者のうちに宇津木兵馬があったということは、今や隠れもなき事実であります。けれどもその行方(ゆくえ)が今以てわからぬというのは、今宵もまんじりともしないほどお松の心を苦しめていました。お松の耳に入ったいろいろの噂は、破牢者のうちの無宿者の一隊は、どうやら山を越えて秩父の方へ逃げたものと、信濃路へ向ったものとがあるらしいということのほかに、その主謀者と見做(みな)されるものは、どうしてもこの市中に潜伏していなければならないということでありました。主謀者とは誰ぞ、宇津木兵馬はその人ではあるまいけれど、その人に荷担(かたん)した時はその人と責任を共にする人であるとは、お松も想像しないわけにはゆきません。
 してみれば、兵馬さんはこの甲府の市中のいずれかに隠れている。どこに隠れているだろう。果して隠れ了(おお)せてこの地を逃げ延びることができればそれは結構であるけれど、もうその評判がお松の耳にまで聞えるようになっては、この狭い天地でさえも危ない――とお松はそれを考えると、剣(つるぎ)の刃を渡るようにハラハラしました。
「お松ちゃん、お松ちゃん」
 窓の戸をトントンと叩いて、わが名を忍びやかに呼ぶ者のあるのは覚えのある声で、お松にとっては必ずしも寝耳に水ではありません。
「はい」
 窓の戸を開きますと、そこから首を出したのは七兵衛でありました。
「おじ様」
「お松、ちょっと耳を貸してくれ」
 七兵衛の来るのは、いつもあわただしいものであります。いつなんどき来て、いつなんどき帰るのだかわかりませんでした。こうして夜中に合図をして不意に訪(おとな)うことには、少なくともお松は慣れているのであります。
「兵馬さんはいるよ。うむ、うむ、この甲府の中に、それはな、思いがけないところへ逃げ込んでいるから、まあ今のところ無事だ。今のところは無事だけれども、その大将がこれからどうするつもりかそれは知れない、いったん隠して置いて養生をさせて、それから改めて突き出すつもりなんだか、それとも隠し了(おお)せて逃がすつもりなのか、そこのところがわからねえ」
 七兵衛がお松の耳に口を当ててささやくと、
「まあ、兵馬さんがこの甲府の町の中にいらっしゃる? それはどこでございます、おじさん」
「それはちっと思いがけねえところなんだ。俺はな、そこから兵馬さんを盗み出して、無事なところへお逃がし申したいと思ってるんだが、そこの家には犬がいて……意気地のねえような話だが、犬がいるために俺はその邸へ近寄れねえのだ」
「おじさん、それはどこなんでございますよ、おじさんが行けなければ、わたしがなんとか工夫してみますから」
「それはお前、二の廓(くるわ)のお役宅で、駒井能登守様のお邸だ」
「あの御支配の殿様の?」
「そうだ、たしかに兵馬さんは、あのお邸に隠れている、そりゃ役人たちにもまだ目が届かねえ、外からそれを見届けたのは俺ひとりだ」
「まあ、あの御支配の駒井能登守様のお邸に兵馬さんが……」
 お松は寧(むし)ろ呆(あき)れました。七兵衛が、まだ何をか言おうとした時に、裏の木戸口がギーッと言いました。人があってあけたもののようです。このとき早く七兵衛は、窓から何物をかお松の部屋へ投げ込んだまま闇の中へ姿を隠してしまいました。
 暗いところから入って来たのは意外にも、主人の神尾主膳でありました。
「お松、まだ寝ないのか」
「はい、まだ」
 お松は窓の戸を締めきらないうちに、主人から言葉をかけられてドギマギして、
「今、誰か来ていたようだが」
 お松はハッとしました。
「いいえ、誰も」
 この返事も大へん慌(あわ)てた返事でしたけれども、主膳は深く気にしないで、そのまま行ってしまいました。お松はホッと息をついて窓を締めて座につきました。
 駒井能登守の名はお松もよく知っています。名を知っているのみならず、郡内の道中で、親しくお近づきになっています。けれどもその人は甲州勤番の支配である。破牢の兵馬を糾弾(きゅうだん)すべき地位にある人で、それを擁護(ようご)すべき立場の人でないということはお松にもよくわかるはずです。それ故にせっかく兵馬の在所(ありか)を知ったものの、これから先がまだ心配でたまりません。
 ただ一つ心恃(こころだの)みなのは、能登守という殿様が、うちの殿様と違って、物事に思いやりのあるらしい殿様であることのみでありました。思いやりに縋(すが)ったならばと、お松はそこにいくらかの気休めを感じて、あれよこれよと考えはじめました。
 そのうちに、忘れていたのは、さきほど七兵衛が窓から投げ込んで行った品物であります。油紙に包んで凧糸(たこいと)で絡(から)げてある包みを解いて見ると、五寸ぐらいに切った一本の竹筒が現われました。その竹筒には何かいっぱいに詰め込まれてあるらしい重味が、なんとなく無気味に思われます。それでやはり凧糸で把手(とって)をこしらえて、提(さ)げるようにしてありましたところへ、懸想文(けそうぶみ)のような結状(むすびぶみ)が括(くく)りつけてありました。
 お松はそれを提げてみて、思わず微笑しないわけにはゆきませんでした。その竹筒の一端に「十八文」という烙印(やきいん)が捺(お)してあったからです。
 それでお松はすっかり合点がゆきました。「十八文」が一切を了解させてくれたのみならず、いろいろに胸を痛めたり心を苦しめたりしていたお松を、腹を抱えさせるほどに笑わせました。
 あの先生はおかしい先生であると思って、お松は思出し笑いをしながらも、その親切を嬉しく思いました。これは兵馬さんのための薬である。兵馬さんが病気であるために、おじさんが道庵先生に調合してもらって、ワザワザ持参したものと思って見れば、有難くて、その竹筒を推(お)しいただかないわけにはゆきません。
 してみれば、これを兵馬さんの許(もと)まで届ける責任は、わたしに在るとお松は勇み立ちました。別に厳重な封じもないのだから、その懸想文のような結状を取って開いて見ると、それは道庵先生一流の処方箋でありました。
「もろこし我朝に、もろもろの医者達の出し申さるる薬礼の礼にもあらず……ただ病気全快の節は十八文と申して、滞りなく支払するぞと思ひきりて掛るほかには別の仔細候はず。」
 こんなことが木版摺(もくはんずり)にしてあるのだから、問題にもなんにもなったものではありません。

         四

 お松が寝ついた時分からサラサラと雪が降りはじめました。
 翌朝になって見ると、峡中の二十五万石が雪で埋もれてしまいました。過ぐる夜の靄(もや)は墨と胡粉(ごふん)を以て天地を塗りつぶしたのですけれど、これは真白々(まっしろじろ)に乾坤(けんこん)を白殺(はくさつ)して、丸竜空(がんりゅうくう)に蟠(わだか)まる有様でありました。昨夜からかけて小歇(こや)みなく降っていたのが朝になって一層の威勢を加えました。東へ向いても笹子や大菩薩の峰を見ることができません。西へ向って白根連山の形も眼には入りません。南は富士の山、北は金峰山、名にし負う甲斐の国の四方を囲む山また山の姿を一つも見ることはできないので、ただ霏々(ひひ)として降り、繽紛(ひんぷん)として舞う雪花(せっか)を見るのみであります。
 白いものの極は畢竟(ひっきょう)、黒いものと同じ作用(はたらき)を為すものです。大雪の時は暗夜の時と同じように咫尺(しせき)を弁ぜぬことになります。この降り塩梅(あんばい)では大雪になると、誰もそう思わぬものはありません。
 この朝、駒井能登守の門内からこの雪を冒(おか)して一隊の人が外へ出ました。一隊の人といっては少し大袈裟(おおげさ)かも知れないが、その打扮(いでたち)の尋常でないことを見れば、一隊の人と言いたくなるのであります。
 人数は僅か四人――そのうち三人は笠を被って合羽(かっぱ)を着ていました。三人の中の一人はまさに主人の能登守でありました。その左右にいた二人は、家来の者らしくもあるし、家来ではないらしくもあるし、と言うまでもなくその一人は南条――能登守に亘理(わたり)と呼ばれて旧友のような扱いを受けた人――それから、も一人は五十嵐と呼ばれた人、つまりこの二人は過ぐる夜の破牢者の巨魁(きょかい)なのであります。こうして笠を被って合羽を着て、大小を差して並んでみれば、それは物騒な破牢者とは誰にも気取(けど)られることではありません。
 能登守を真中にして二人が左右を挟んで行けば、誰が見てもその用人であり家来衆であることの異議はないのであります。ただこの大雪に能登守の身分として馬駕籠の助けを仮(か)らず、笠と合羽と草鞋(わらじ)で出かけることが、勇ましいと言えば勇ましい、気軽といえば気軽、また例の好奇(ものずき)かと笑えば笑うのでありましたが、それとても、すぐに三人の後に附添うた一人のお伴(とも)の有様を見れば、ははあなるほどと納得(なっとく)ができるのであります。
 そのお伴は鉄砲を担(かつ)いで、弾薬袋を肩から筋違(すじかい)に提(さ)げておりました。能登守はこうして今、家来とお伴とをつれて雪に乗じて、得意の鉄砲を試そうとするものと見えます。そうすればなるほど能登守らしい雪見だと、誰もいよいよ異議のないところでありましたけれど、その鉄砲を担いで弾薬袋を提げたお伴(とも)なるものが、尋常一様のお伴でないことを知っていると、また別種な興味が湧いて来なければならないのであります。
 その伴は宇治山田の米友でありました。前に立った三人ともに合羽を着ていましたけれど、米友だけは蓑(みの)を着ていました。三人は脚絆(きゃはん)と草鞋に足を固めていましたけれど、米友だけは素足でありました。三人は大小を差していましたけれど、米友は無腰(むこし)でありました。
 さて、勢いよく門の外へ飛び出した三人は、卍巴(まんじともえ)と降る雪を刎(は)ね返してサッサと濶歩しましたけれども、米友は跛足(びっこ)の足を引摺って出かけました。
「米友」
 能登守が振返って呼ぶと、
「何だ」
 米友は傲然(ごうぜん)たる返事であります。
「冷たくはないか」
 能登守も南条も五十嵐も、歩みながら振返って、米友の素足を見ました。
「はッはッはッ」
 米友は嘲笑(あざわら)って、かえって自分に同情を寄せる先生たちの足許を見ました。この一行は勢いよく雪を冒して進んで行きます。どこへ行くのだか知れないけれども、たしかに荒川筋をめあてに行くものと見えました。
 前に言う通り天地はみんな雪であります。往来の人の気配(けはい)は極めて少なくあります。犬の子は威勢よく遊んでいました。たまに通りかかる人も、前に言うような見当から、誰も一行を怪しむものはありません。その中の一人が能登守であるということすらも気のついたものはありません。
 その同じ朝、神尾主膳は朝寝をしておりました。この人の朝寝は今に始まったことではないけれども、この朝は特別によく寝ていました。それは昨夜の夜更(よふか)しのせいもあったろうし、外はこの雪でもあるし、こうして寝かしておけばいつまで寝ているかわかりません。その神尾主膳が急に朝寝の夢を破られたのは、能登守の一行がその屋敷を出るとほとんど同時でありました。取次の言葉を聞いてこの無精者(ぶしょうもの)がガバと刎(は)ね起きたところを見ると、それは主膳の耳にかなりの大事と響いたものと見えます。
「よし、早速ここへ通せ」
 起き上らないうちからこう言ったところを見ても、いよいよ大事の注進を齎(もたら)したものがあることはたしかです。
 まもなく、主膳の寝間へ通されたものは役割の市五郎でした。
「神尾の殿様、逃げました、逃げました、いよいよ逃げ出しましたよ」
「どっちへ逃げた」
「代官町から荒川の筋、たしかに身延街道でございましょう。野郎共を三人ばかり、後を追っかけさせておきましたから、行方(ゆくえ)を突留める分にはなんでもございませんが、いざという時、野郎共では……」
「よし、後詰(ごづめ)はこちらでする。市五郎、其方(そのほう)大儀でも分部(わけべ)、山口、池野、増田へ沙汰をしてくれ、急いで鷹狩(たかがり)を催すと言ってここへ集まるように。表面(うわべ)は鷹狩だがこの鷹狩は火事よりせわしい」
「委細、承知致しました、それでは御免」
 市五郎はそこそこに辞して出かけました。それから後の神尾主膳の挙動は気忙しいもので、面(かお)を洗う、着物を着替える、家来を呼ぶ、配下の同心と小人(こびと)とを呼びにやる、女中を叱る、小者(こもの)を罵る。主膳がやっと衣服を改めてしまった時分に、この屋敷の門内へは、もう多くの人が集まりました。
「おお、おのおの方、大儀大儀、市五郎からお聞きでもござろう、近ごろ珍らしい鷹狩、獲物(えもの)に手ごたえがありそうじゃ」
「神尾殿の仰せの通り、近頃の雪見、それゆえ取る物も取り敢えず馳せつけて参った」
「さあ、同勢揃うたら、一刻も早く」
「かけ鳥の落ちて行く先は身延街道」
 なるほど鷹狩には違いなかろうが、鷹狩にしては、あんまり慌(あわただ)しい鷹狩であります。これらの同勢十八人は、雪を蹴立てて驀然(まっしぐら)に代官町の通りから荒川筋、身延街道をめがけて飛んで行きました。
 神尾主膳だけは残って、彼等の出て行く後ろ影を見送っていましたが、
「酒だ、前祝いの雪見酒」
 神尾主膳はそれから酒を飲みはじめたが、雪見の酒よりか、何か心祝いの酒のように見えました。飲んでいるうちに、ようやくいい心持になって、
「おい、雪見だ、雪見だ、せっかくの雪をこんなところで飲んでいては面白くない、これから躑躅(つつじ)ケ崎(さき)へ雪見に出かける、誰か二人ばかり行ってその用意をしておけ、下屋敷の二階の間を掃除して、火を盛んに熾(おこ)して酒を温め、あっさりとした席をこしらえておけ」
と命令し、
「さあ、これから躑躅ケ崎へ出かける。歩いて行くとも。いざさらば雪見に転ぶところまでも古いが、この雪見に歩かないで何とする。伴(とも)は一人でよろしい、仲間(ちゅうげん)一人でよろしい。長合羽の用意と、傘履物」
 主膳は立ち上って、
「刀……」
と言って、よろよろとした足許を踏み締めると、女中が常の差料(さしりょう)を取って恭(うやうや)しく差出しました。
「これではない、あちらのを出せ」
 床の間の刀架(かたなかけ)に縦に飾ってある梨子地(なしじ)の鞘(さや)の長い刀を指しました。
「うむ、それだ」
 梨子地の鞘の長い刀を大事に取下ろして主人へ捧げると、主膳はそれを受取って、
「これが伯耆(ほうき)の安綱だ」
 言わでものことを女中に向ってまで口走るのは、酒がようやく廻ったからであります。
 伯耆の安綱――してみればこの刀はこれ、有野村の藤原家の伝来の宝、それを幸内の手から捲き上げて、今はこうして拵(こしら)えをかえて、自家の秘蔵にしてしまったものと見るよりほかはないのであります。

         五

 神尾主膳は酒の勢いで、この雪の中を躑躅(つつじ)ケ崎(さき)の古屋敷まで歩いて行きました。
 そこへ辿(たど)りついて見ると、さいぜん言いつけておいた通りに、二階の一間が綺麗(きれい)に掃除されて、そこでまた一盞(いっさん)を傾けるように準備が整うていました。三ツ組の朱塗の盃が物々しく飾られてありました。
 この躑躅ケ崎の古屋敷というのは、武田の時分には甲坂弾正と穴山梅雪との屋敷址であったということです。昔は鶴ケ崎と言い、今は躑躅ケ崎という山の尾根が左手の方にズッと突き出ています。それと向って家は東南に向いていました。この家はなかなか大きなもので、ずっと前に勤番の支配であった旗本がこしらえて、その後は長く空家同様になっていたのを神尾主膳が、何かの縁で無償(ただ)のように自分のものにしたのです。
 いま、主膳が坐っている二階の一間は、雪見には誂向(あつらえむ)きの一間で、前に言った躑躅ケ崎の出鼻から左は高山につづき、右は甲府へ開けて、常ならば富士の山が呼べば答えるほどに見えるところであります。
「あの男はよく寝ている、あまりよく寝ている故、起すのも気の毒じゃ、眼が醒(さ)めてから呼ぶとしよう」
 主膳はこう言って、三ツ組の朱塗の盃をこわして、一人で飲み始めました。一人で飲みながらの雪見です。雪見といっても、眼の下の広い庭の中に池があって、その池の傍に巨大なる松の木が枝を拡げています。この松を「馬場の松」と人が呼んでいましたのは、おそらく同じ武田の時代に馬場美濃守の屋敷がその辺にあったから、それで誰言うとなく馬場の松という名がついたのでありましょう。この馬場の松に積る雪だけでも、一人で見るには惜しいほどの面白いものがあります。しかし、主膳はそれほどに風流人ではありません。馬場の松の雪を見んがために、ワザワザここへ飲み直しに来たものとも思われません。
 主膳が一人でグイグイ飲んでいると、時々下男が梯子(はしご)から首を出して怖(おそ)る怖る御用を伺いに来るのみであります。
「あの男は、まだ眼が覚めないか、起しに行ってやろうかな、しかし炬燵(こたつ)へ入ってああして熟睡しているところを叩き起すも気の毒じゃ、疲れて昼は休んでいる」
 主膳があの男というのは、ここの屋敷に籠(こも)っているはずの机竜之助のことでありましょう。竜之助を相手に雪見をしようと思って来たところが、その竜之助はいま眠っているものと見えます。
 主膳はこんな独言(ひとりごと)を言っているうちに、立てつづけに呷(あお)りました。浴びるように飲みました。気がようやく荒くなりました。
「うむ、うむ、この刀、この刀」
と言って主膳は、やや遠く離して置いてあった例の梨子地の鞘の長い刀の下(さ)げ緒(お)を手繰(たぐ)って身近く引寄せて、鞘の鐺(こじり)をトンと畳へ突き立てて、朧銀(ろうぎん)に高彫(たかぼり)した松に鷹の縁頭(ふちがしら)のあたりに眼を据えました。
「この刀を試(ため)すことをいやがる机竜之助の気が知れぬ、と言って拙者の腕で試してみようという気にもならぬ」
 その途端になんと思ったのか、神尾主膳の眼中が遽(にわ)かに血走って、
「お銀、お銀、お銀どの」
 声高く、そうして物狂わしく呼びつづけました。
 神尾主膳が続けざまにお銀様の名を呼んだ時は、もう酒乱の境まで行っていました。その時は思慮も計画も消滅して、これから燃え出そうとするのは、猛烈なる残忍性のみであります。
「お銀どの、お銀どの」
 二階の梯子段の上まで行って下を見ながら、またお銀様の名を呼びました。けれどもお銀様の返事はありません。
「お銀どの、お銀どの」
 例の刀を持ちながら広い梯子段を、覚束(おぼつか)ない足どりで二段三段と降りはじめました。
「はい」
 この時、はじめて廊下をばたばたと駈けるようにして来たのはお銀様であります。どこにいたのか、お銀様は神尾の呼んだ声をいま聞きつけて、廊下を急ぎ足で駈けて来ましたけれど、面(かお)は恥かしそうに俯向(うつむ)いて、両袖を胸の前へ合せていました。
「ああ、お銀どの、今、そなたを呼びに行こうとしていたところじゃ。さあ、これへお上りなされ、誰もおらぬ、遠慮なくお上りなされ。お上りなされと申すに」
 その言いぶりが穏かでないことよりも、その酔っていることがお銀様を驚かせましたけれども、神尾はお銀様の驚いたことも、またお銀様をこんなことで驚かせては不利益だということも、一向見境いがないほどになっていました。
「ちと、そなたに見せたいものがある、そなたでなければ見ても詰らぬもの、見せても詰らぬものじゃ。さあ、遠慮することはない、こちらへおいであれ」
 主膳は手を伸ばしてお銀様の手をとろうとしました。お銀様はさすがに遠慮するのを、神尾は無理に右の手で、お銀様の手を取りました。左の手には例の梨子地の鞘の長い刀を持っていました。
「そんなにしていただいては、恐れ多いことでございます」
 お銀様が遠慮をするのを、主膳は用捨(ようしゃ)なくグイグイと引張ります。お銀様はしょうことなしにその梯子段を引き上げられて行くのであります。
 引き上げられて行くうちに、爛酔(らんすい)した神尾主膳が、その酔眼をじっと据えて自分の面(かお)を見下ろしているのとぶっつかって、お銀様はゾッと怖ろしくなりました。
 お銀様はこの時まで、まだ神尾について何事も知りません。知っていることは、その仲媒口(なこうどぐち)によっての誇張された神尾家の噂(うわさ)のみでありました。何千石かの旗本の家であったということと、まだ若いということと、多少は放蕩をしたけれど放蕩をしたおかげで、人間が解(わか)りがよくて物事に柔らかであるというようなことのみ聞かされていました。そうして父の許へしばしば訪れて来た主膳の面影は、ほぼそれに相当すると思っていました。
 前の晩には思わぬところでその人に逢って、この屋敷へ送られて来ました。主膳があの際に何の必要であの辺を通り合せたかということに疑念がないではなかったけれど、自分を労(いた)わってこの屋敷まで送って来て、そのうち相談相手になると言って今日までここに待たしておいたもてなしは、親切であり行届いたものでありましたから、お銀様はすくなからず神尾の殿様を信頼しておりました。
 その人が、今ここへ来て見ると、酔っていて――しかもその酔いぶりは爛酔であります。爛酔を通り越して狂酔の体(てい)であることは、どうしても今までのお銀様の信頼の念を、ぐらつかせずにはおきません。神尾が自分を上から見据えている眼は、貪婪(どんらん)の眼でありました。単に酔っているだけの眼つきではありません。この酔態を見た時に、神尾主膳の人柄を疑いはじめたお銀様は、その眼を見た時になんとも言えぬ厭(いと)うべき恐怖を感じました。それと共に、急いで神尾に取られた手を振り放そうとしましたけれど、それは締木(しめぎ)のように固く握られてありました。
 お銀様は、ついに二階の一間まで、主膳のために手を引かれて来てしまいました。
 そこは主膳が今まで飲んでいたところらしく、獅噛(しかみ)のついた大火鉢の火が熾(おこ)っているし、猩々足(しょうじょうあし)の台の物も置かれてあります。
「お銀どの、なんと見事な雪ではないか、この松の雪を御覧候え、これは馬場の松といって自慢の松の樹じゃ」
 主膳も座に着きました。しょうことなしにお銀様はその向うにモジモジとして坐っています。
「結構な松の樹でござりまする」
 お銀様は怖々(こわごわ)と庭を覗(のぞ)きました。池の汀(みぎわ)の巨大なる松の樹は、鷹が羽を拡げて巌の上に伸ばして来た形をして枝葉を充分に張っている上に、ポタポタと雪が積み重なっているのは、さすがに自慢の松であり、見事な雪であることに、怖々ながらお銀様も見惚(みと)れます。
 松を見ているお銀様の横顔を、神尾主膳は例の貪婪(どんらん)な眼つきで見据えていました。
「お銀どの」
「はい」
「いい松であろう、木ぶりと申し枝ぶりと申し、あのくらいの松はほかにはたんとあるまい、あれは馬場の松……武田の名将馬場美濃守が植えたと申す馬場の松」
「ほんとに見事な松でございます」
「そなたの家は甲州で並ぶもののない大家(たいけ)、それでもあのくらいの松はあるまい、あのくらい見事な松は、そなたの屋敷にもあるまい」
「わたくしどもの庭にも、このような見事な松はござりませぬ」
「左様であろう、この神尾は貧乏だけれど、そなたの家にも無い物を持っている」
と言って、神尾は二三度頷(うなず)きました。それからニヤリと笑って、
「まだまだ、神尾の家には、そなたの家には無くて、神尾の家だけにある宝が一つある、それを見せて進ぜようか」
と言いながら主膳は、またしても例の梨子地の鞘の刀を引寄せて、
「この刀なんぞもその一つじゃ、よく見て置かっしゃれ、鞘はこの通り梨子地……鍔(つば)の象眼(ぞうがん)は扇面散(せんめんち)らし、縁頭(ふちがしら)はこれ朧銀(ろうぎん)で松に鷹の高彫(たかぼり)、目貫(めぬき)は浪に鯉で金無垢(きんむく)じゃ」
 主膳はその刀を取って鞘のまま、お銀様の眼の前に突きつけました。
「結構なお差料(さしりょう)でござりまする」
 お銀様は、怖れとそれから迷惑とで、刀はよくも見ないで挨拶だけをしました。
「いや、これしきの物、そなたの眼から結構と言われては恥かしい。そなたの家の倉や土蔵には、このくらいの刀や拵(こしら)えは掃いて捨てるほど転がっているはずじゃ。神尾の家ではこれだけの拵えも自慢になる。ナニ、たかの知れた鍔の象眼、縁頭の朧銀が何だ、小(ちっ)ぽけな金無垢……」
 主膳は自慢で見せたものを嘲りはじめました。お銀様は自分の賞め方が気に触ったのかと思いました。
「いいえ、どう致しまして、このような結構なお差料が私共の家なんぞに……」
「無いであろう。そりゃ無いはずじゃ、このくらい結構な差料は、そなたの家はおろか、甲州一国を尋ねても……いやいや、日本六十余州を尋ねても、二本三本とは手に入るまい。それを神尾が持っている、それ故そなたに見せて進ぜたいと申すのじゃ」
「わたくしどもなぞには、拝見してもわかりませぬ」
「見るのはおいやか、せっかく拙者が親切に、秘蔵の名物を見せてあげようとするのに、そなたはそれを見るのがおいやか」
「そういうわけではござりませぬ」
「しからば見て置かっしゃい、ようく見て置かっしゃい」
 主膳はお銀様の目の前でその刀をスラリと抜き放ちました。
「あれ!」
 お銀様が驚いて飛び上ろうとするのを、主膳は無手(むず)と押えてしまいました。
「さあ、刀の自慢というのは拵えの自慢ではない、拵えは悪くとも中身がよければ、それが真実(ほんとう)の刀の自慢じゃ。お銀どの、そなたは今この刀の拵えを結構なものじゃというて賞めた、中身を見てもらいたい、このくらいの縁頭や目貫は、そなたの家には箒(ほうき)で掃いて箕(み)で捨てるほどあろうけれど、この中身ばかりはそうは参るまい。さいぜんも申す通り、甲州一円はおろか、日本六十余州を尋ねても、二本三本とは手に入らぬ自慢の神尾主膳が差料、誰にも見せたくはないものながら、ほかならぬそなたのお目にかける、篤(とく)と鑑定(めきき)がしてもらいたい」
 神尾主膳はお銀様に刀を見せるのではなく、お銀様を捉(つかま)えて刀を突きつけているのでありました。
「わたくしどもなどに、どう致しまして、お刀の拝見などが……」
「左様ではござらぬ、篤と御覧下されい」
「どうぞ御免あそばしまして」
「刀が怖いのでござるか」
「どうぞお引き下さいませ」
 お銀様は鷹に押えられた雀のように、ワナワナと顫(ふる)えるばかりであります。
「まことに刀の見様を御存じないのか」
「一向に存じませぬ」
「しからば、刀の見様を拙者が御伝授申し上げようか」
「後程にお伺い致しまする」
「後程?……それでは拙者が困る、御遠慮なくこの場で御覧下されい。よろしいか、長さは二尺四寸、ちと長過ぎる故、摺上物(すりあげもの)に致そうかと思ったけれど、これほどの名物に鑢(やすり)を入れるのも勿体(もったい)なき故、このまま拵えをつけた、この地鉄(じがね)の細かに冴(さ)えた板目の波、肌の潤(うるお)い」
「どうぞ御免あそばしませ、わたくしどもにはわかりませぬ」
「見事な大湾(おおのた)れ、錵(にえ)が優(すぐ)れて匂いが深いこと、見ているうちになんとも言われぬ奥床しさ」
「わたくしは、もう怖くてなりませぬ」
「斬ると言ったら怖くもあろうけれど、見る分には怖いことはござらぬ」
「それに致しましても……」
「ただこうして区(まち)から板目の肌に現われた模様を見ていたところでは、その地鉄がなんとなく弱々しいけれど、よくよく見れば潤いがあって、どことなしに強いところがある」
「もう充分、拝見致しました」
「まだまだ。潤いがあって、どことなしに強いところがあって、その上に一段と高尚で、それからこの古雅な趣(おもむき)……よく見れば見るほど刃の中に模様がある」
「どうぞ御免あそばしませ」
「お銀どの、そなたはこの刀にお見覚えはござらぬか」
「ええ」
「この刀……」
「ええ、このお刀に、わたくしが、どう致しまして」

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