大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 この村正が、角屋の新座敷へ、今日は多くの雛妓(こども)(すなわち舞子)を集めました。
 雛妓に、話したいことを話させて、自分がそれを聞いて興に入(い)るという遊び方で、それだけならば、かなりアクが抜けているが、その次が油断がならない。
「さあ、今晩はみんなして思い入れ怖い話をしてごらん、そうして、一つ怖い話をしたら籤引(くじびき)で一人ずつ、この花籠を持って御簾(みす)の間(ま)まで行って、これを床の間に置いておいで――」
「まあ、怖い」
「いちばん怖い話をした人と、それからいちばん上手に花籠を置いて来た人に、村正のおじさんが、すてきな御褒美(ごほうび)を上げる」
「わたし、怖い話を知らない」
「わたし、怖いところへ行けない」
「怖い話って、お化けのことでしょう」
 彼等は、村正のおじさんの懸賞には相当気乗りがしているけれども、怖い! お化け! となると尻ごみをしないのはありません。
「意気地がないね、そんな意気地のない話で、よく壬生浪人(みぶろうにん)の傍へ寄れたもんだ」
「でもねえ――人間と化け物とは違うわよ」
「そうよ、人間と化け物とは違うわよ」
「でも、化け物に取って食われたという人はあるまいが、壬生の浪人に斬られたという人は山ほどある、その壬生の浪人を相手にして少しもこわがらないお前たちが、ありもしない化け物を怖がるとは理に合わない」
 村正のおじさんからからかわれて、はじめて一人の雛妓が、
「ああ、わたし、怖い話を知ってるわよ」
 眼のすずしい、丸ぼちゃの可愛らしいのが、声をはずませて合掌(がっしょう)の形をして見せました。
 これらの子供は島原の太夫の卵と見るべきものだから、その言葉も優にやさしい京言葉でなければならないが、ここは新座敷のことだから、新しい形式の、ほぼ標準語で、あどけない話しぶり。
 へたに、どす、おす、おした、おへんの語尾を正し、だをやとし、せをへとしたり、京言葉を遣(つか)わせないところが、新座敷の身上かも知れぬ。

         二十一

「九重の太夫さんが、自害をなされたお話、それとあの――芹沢(せりざわ)の隊長さんが殺された、あの前の晩の話――」
 一人の可愛ゆい舞妓(まいこ)が、振袖の脇の下から手を出して合掌しながら語り出したので、一座がしんと引締った時、村正のおじさんが、得たりと、床の間に幾つも置き並べられた手提げの花籠に目をくれながら、
「さあ、怖い話の皮切りが出たな、すると、花籠を持って行くのは誰?」
「いや!」
 子供の残された全部が否認を唱える。
「いやとは言わせぬよ、さあ、この籤をお引きなさい、短いのを引当てた人から順、いちばん長いのを引いた人がいちばん最後、中途で逃げた人はあとでお叱言(こごと)を言う、首尾よくやり遂げた人には御褒美、そうだなあ、まずその御褒美から先にきめて置こう、こうと、一等賞にはこの村正の刀――」
「そんなお腰の物なんていらないわ、女が大小をいただいたってなんにもならないわ」
「では、第一等に懸賞金五両――では安いかな、よし、拾両」
と言って、幾ひらかの黄金のまぶしいのを白い紙にのせて、そこへ置くと、これにはさすがに誘惑の色が動いてくる。まことに綺羅(きら)を飾って栄耀(えいよう)の真似(まね)はしているけれども、これらの子女、いずれも好きこのんでこの里へ来ているものはない。ここに今、村正のおじさんが並べた山吹色のものに欠乏を感じたればこそ、親や兄妹に成り代って、この里に流動して来ている者共である。拾片(とひら)の黄金の貴重なる所以(ゆえん)を知らぬ者とてはない。誘惑の色が動いたのを見て、村正のおじさんは透かさず、
「第二等賞には、金緞子(きんどんす)の帯――第三等には友禅の襦袢(じゅばん)」
 いずれをいずれとしても、彼等の誘惑の好餌ならぬものはない。でも、さすがに、御褒美に目がくらんで、手のうらを返すように主張を翻したとあっては、この里の名折れ、女の意地の恥とでもいったようなみえがあってか、頓(とみ)には言い出でないが、形勢たしかに動いたりと見て、
「さあ、籤(くじ)をお引き、島原の舞子(こども)ともあろうものが、この期(ご)に及んで、お化けにうしろを見せてはどむならん」
「では、あなたお先に」
「いいえ、あなたから」
「あたし、長いのが当りますように」
「あたし、籤のがれの神様がお立ちなさいますように」
「あたし、いちばん長いの、でなければ、その次の長いのを下さいますように、妙見様」
 こんなことを言いながら、一本抜き、二本抜き、とうとう十二本のこよりの籤が残らず、おのおのの舞子の手に渡りました。
「ああ、朝霧さんがいちばん短い」
「夕陽さんがいちばん長い」
 当座の運命の神様の手に捌(さば)かれた十二本の長短の順位は、おのおののがるべくもない。
 すでにのがるべくもないと自覚されてみると、いまさら愚痴と不平とは禁物であって、おのおのその運命に懸命の努力を以て追従せんとはする。
 そこで、最初に皮切りの、眼のすずしい、丸ぼちゃの口から、アラビヤンナイトの第一席がはじまろうとする。
「ずっと昔のことよ、ずっと昔と言っても、桃太郎さんや花咲爺さんの時分ではないこと、それから比べると新しいわね、もう何年ぐらいになるか知ら、五年ぐらいでしょう、その時分にあの御簾(みす)の間(ま)のお部屋で大変があったとさ」
「どんなに大変だったの」
「いいから、話さないで頂戴、それからさき聞くこといらない」
と言って、ついと立ち上ったのは一番籤を引いた、朝ちゃんという子でありました。
 同じコワイ思いをするくらいなら、耳をふさいで、眼をつぶって立った方がいいと思ったのでしょう。これから進行する会話によって、怖い思いの加速をさせられるよりは、聞かないで、無我夢中で、ぶつかってみた方がよい、と朝ちゃんは花籠を宙にさげ、清水(きよみず)の舞台から飛んだつもりで、廊下伝いに飛び立ってしまいました。
 果して、この初一番の花籠を、御簾の間の床に置いて来られるか、あるいは途中で棄権して逃げてかえって来るか――待っている十人の子供は固唾(かたず)をのんで、さて、自分の番に廻って来ることの予感が高まるから、うっかりと評判をすることもできません。

         二十二

 村正のおじさんは、にやにやとして、懸賞金の目録の追加をこしらえようと、紙入を取り出していると、かたことと廊下を歩む朝ちゃんの足音、しばらくは聞えていたのですが、それが聞えなくなって、ほんの少しの間、
「キャッ」
という声が、その方面で起ったものですから、こちらの同勢が聞いて、震え上って、また、
「キャッ」
と叫びました。
 向うは、何かに驚かされたか、そうでなければ、疑心暗鬼にやられたものに相違ないが、こちらは、無事なのに、ただ先方が「キャッ」と言ったから、電流に打たれたように、それに反応して「キャッ」と叫んだまでです。舞子たちは、それと共に重なり合って動顛(どうてん)したけれど、村正のおじさんは結句おもしろがって、
「何か出たか」
「朝ちゃんがキャッと言いました」
「何か出たな」
「怖い……」
 その押問答のうちに、息せき切って、ほとんど命からがらの体(てい)で逃げかえって来たのは、いま出て行った朝ちゃんです。
「どうしたの?」
「何が出たの?」
「出たの?」
 でも、そこへ来ると、気絶して水を吹きかけなければ正気の取戻せないほどではありませんでした。寄ってたかっていたわると、朝ちゃん、
「ああ、しんど」
「どうしたの」
「あの御簾の間のお座敷に幽霊がおりました」
「幽霊が――」
「あい」
「幽霊が何をしていた」
「御酒(ごしゅ)を召上って」
「酒を飲んで?」
「はい、九重太夫様を殺したあのお武家の幽霊が、たしかにいたのよ」
「そんなはずはないよ」
「いたわよ、行ってごらんなさい」
「それは行燈(あんどん)の変形だ、枯薄(かれすすき)を幽霊と見るようなものだ、では、だれか行って見届けておいで」
 村正のおじさんは、改めて一座を見廻したけれども、こうなると誰あって、進み出でようとするものはない。聞いただけで、唇を紫にして、本人の朝ちゃんよりも昂奮した恐怖に襲われている子さえある。
「では、みんなして揃(そろ)って行って、あらためて見て来てごらん、今時、お化けだの、幽霊だのなんていうものがあろうはずはない、提灯(ちょうちん)か、行燈か、襖(ふすま)の絵でも見ちがえたのだろう、そうでなければ、まかり間違って、誰か、あたりまえの人が、あたりまえに酒を飲んでいただけのものだろう、みんな揃って、たしかに見届けておいで」
 それでも、我れ行こうというものがない。
「そんなに言うなら、おじさん、自分で行って見てごらん、もしお化けがいたら、その村正の刀でやっつけておしまいなさい」
「それがいいわ、おじさんをおやりなさい」
「おじさん、ひとりで行って、調べてみてごらんなさい、そうすれば、わたしたち、あとから揃って見分(けんぶん)に行くわ」
「さあ、おいでなさいよ」
「弱虫!」
「村正のおじさん、腰が抜けたわよ」
「お立ち」
 子供たちが寄ってたかって、このおじさんを担(かつ)ぎ上げようとする。こうなると、どうも、どうやら自分が腰を上げて、上□共(じょうろうども)のために迷信退治をしてやらずばなるまい、と観念して、村正のおじさんなるものが不承不承に腰を上げると、子供たちが、やいのやいのと言って、廊下へそれを突き出す。村正のおじさんなるものを廊下へ突き出しておいて、自分たちはあとから、そろそろついて来るかと思うと、ぴったりと障子を締めきって、火鉢の周囲へかたまってしまう。テレきった村正どんは障子の外で、
「よし、じゃあ、おじさんはさきに行って、もし怖い者がいたら、退治るから、おーいと呼んだら、みんなして御簾の間に集まって来るのだぞ、いいか」
 隠れんぼのさがし手に廻されたような気分で、村正どんが廊下をみしりみしりと渡って、暗い中を手さぐりをしながら、やがて御簾の間までやって来ました。

         二十三

 入口で、はっと、軽く物につまずいた、というよりは、軽い物が足にさわったばっかりに、それを蹴飛ばすと、それは、朝霧がたったいま持って来た花籠の一つ。
 だが、なるほど――これは必ずしも疑心暗鬼というやつではないらしい。御簾の間の入口に来て見ると、たしかに人の気配がするようだ。
 はて、当分はここは開(あ)かずの間(ま)だと聞いて、あらかじめ子供遊びの舞台に申し入れて置いたのに、意外に客が引いてある。臨時にそうなったのか、あるいは、酔客の戸惑いか、いずれにしても、部屋も廊下も真暗なのにかかわらず、暗中に人があって、しきりにうごめいていることは確かなのです。
「誰かいるのかい」
と村正のおじさんが駄目を押しつつ、一歩、入口の戸前にたた彳(たたず)んで見ると、
「うーん、酔った、酔った、女が欲しいよ、女を連れて来ないか、女が欲しい」
 こう言って、夢中でうめいている。果して爛酔(らんすい)の客が戸惑いして、のたり込んでいたな、厄介者だが、処分をしてやらずばなるまいと、お節介者の村正どんは、一歩足を踏み入れて、
「戸惑いをなされたな、ここは御簾の間で、開かずになっている、お部屋はどちらで、連衆(つれしゅう)は?」
と、おどすように言いかけると、
「いや、戸惑いはいたさぬ、御簾の間を所望で来た身じゃ、酩酊(めいてい)はしたが待ち人が遅い――ああ酔った、酔った、こんな酔ったことは珍しい、生れて以来だ、まさに前後も知らぬ泥酔状態だわい」
 爛酔の客が、またもかく言って唸(うな)り出した。その気配を見ると、部屋の真中に大の字になって、いい気持に紅霓(こうげい)を吹いているらしい。
 だが、爛酔にしても本性(ほんしょう)は違(たが)わない。その唸るところを聞いていると、この御簾の間を名ざしで遊びに来て、承知の上でここに人を待っている、待っているというよりは、待たせられている。酒はもう充分だが、この上は女が欲しいと、露骨に渇望を訴えているようにも聞きなされる。
 しかし、かりそめにも招かれてここへ通ったお客とあれば、その取扱いが粗略に過ぎる。真暗い中へ抛(ほう)り込んで置いて、相方の女は無論のこと、同行の連れの人も居合わさない。燈火も与えられていない。無論、この爛酔の酒も、この席で飲まされたものではなく、どこかで飲んで、それからここへ登楼したのか、投げ込まれたのか知らないが、いずれにしても遊興の体(てい)ではなくて、監禁の形である。
 村正どんは、これはちょっと厄介な相手にかかり合ったという気持だが、なんにしても、こう暗くてはやむを得ない、明るいものにしてから、一応、説諭納得せしめて、店の者に引渡すが手順だと思いまして、
「おーい」
 そこで、さいぜん雛妓(こども)たちに向って打合わせて置いた通りの合図をしました。しかし、この合図の「おーい」にしてからが、性急な調子で言っては雛妓たちを八重に驚かす憂いがあるから、つとめて間延びのした声で「おーい」と言いましたから、その声に安心して、待ってましたとばかり、雛妓隊が手に手に雪洞(ぼんぼり)の用意をしたのを先頭に立てて、廊下づたいにやって来ました。
「おじさん、怖(こわ)い者いた?」
「お化けいた?」
「村正で退治た?」
「やっつけた?」
 口々に囀(さえず)って来るのを、
「なんでもない、お客様がいらしったのだよ、怖くないから早くおいで、おいで」
 招き寄せて、その先頭の掲げていた雪洞を自分の手に受取って、そうして、御簾の間の部屋の中に差し入れて見ました。

         二十四

 雪洞を入れて見ると、広くもあらぬ御簾の間の隅々までぼうと明るくなる。
 見れば、座敷の真中に一人の男が仰向きに爛酔(らんすい)して寝ていること、音で聞いて想像した通り。ただし、この想像は、一人の酔客があって、爛酔して譫語(うわごと)を発しているという想像だけで、その客の人相骨柄というようなものは、雪洞の光を待って、はじめて明らかなるを得たのです。奔馬の紋(もん)のついた真白い着物を着た、想像よりはずっと痩形(やせがた)だが、長身の方で、そうして髪は月代(さかやき)で蔽(おお)われているが、面(かお)の色は蒼(あお)いほど白い。爛酔という想像から、熟柿(じゅくし)のような息を吹き、同時に面ざしも酒ぶとりのした樽柿(たるがき)のような赤味を想い浮べてみると案外にも、これは蛍を欺かんばかりの蒼白さなのです。それで、月代の乱れ髪の髪の毛も相当に黒いのですから、その蒼白みもよけいに勝(まさ)って見え、それが眼をつぶって、とろんとした酔眼を爛々としてみはっているというものでなく、全く眼をつぶって、両の掌をぼんの凹(くぼ)あたりに当てて組合わせながら、天井を仰いで泡を吹いているのです。
 もとより、杯盤もなければ酒器もない。褥(しとね)も与えられていなければ、煙草盆もあてがわれてはいない。無人の室へひとり転がされてあるだけのものなのです。
 村正どんは案外の気色につまされて、しばらく無言で雪洞を上げたまま見つめていると、その袂(たもと)の下からのぞき込んだ雛妓共が、また黙って、その室内を見つめたままでいる。怖いものの正体が、そこに現存していることで、朝霧は自分が臆病の幻を笑われた不名誉だけは取戻したが、ここにひとり横たわる人の姿を見て、また何となしに、恐怖か凄みかに打たれて、沈黙して、村正どんの袂の下から息をこらして見ているだけです。酔客は、黙っている時は死んでいる人としか見えない、死んでここへ置放しにされた人相としか見えないくらいですから、
「殺されてるの?」
「死んでるの?」
 雛妓(こども)たちが、やっと、相顧みてささやき合うたのも無理のないところでしたが、その死人が、やがてまた口を利(き)き出しました、
「斎藤一はいないか、伊藤甲子太郎はどうした、山崎――君たち、おれを盛りつぶして、ひとり置きっぱなしはヒドいじゃないか、来ないか、早く出て来て介抱しないか、酔った、酔った、こんなに酔ったことは珍しい、生れてはじめての酔い方じゃ」
 仰向けになったまま、紅霓(こうげい)を吹いては囈語(たわごと)を吐いている。その囈語を小耳にとめてよく聞き、それから改めて、この室内を篤(とく)と見定めて、村正どんは相当、思い当るところがありました。
 爛酔して寝ている人は、枕許に大小を置いている。その提(さ)げ緒(お)がかすかに肘(ひじ)の方に脈を引いている。それを見るとこの客は、帯刀のままに登楼した客である。この地の揚屋では帯刀のまま席に通ることは許されない。玄関に関所があって、婢共(おんなども)が控えて心得た受取り方で、いちいちこれを保管してからでないと、各室の席には通されない。それは貴賤上下に通じて、古来今日まで変らぬ、この里のおきてなのであるが――最近、そのおきてを蹂躪(じゅうりん)――でなければ、除外例の特権を作らせた階級がある。それは程近い壬生寺の前に住する東国の浪人、俗に称して壬生浪人、自ら称して新撰隊、その隊士だけは古来の不文律を無視して、帯刀のままでどの席へでも通る。当時、それを差留める力を持ち合わすものがない。そこで、この爛酔の客が、通常の客ではない、新撰組にゆかりのある壮士の一人か、或いは、それらの徒の招きでここへ押上ったものかに相違ない、という想定が、早くも村正どんの頭に来ると共に、その夢中で口走る囈語の中に、呼び立てる人の名もどうやら聞覚えがないではない。
 右の種類に属する程度の者とすると、これはうっかり近よらぬがよろしい、普通の酔客ならば、あやなして持扱う手もあるが、あの連中では、うっかりさわっては祟(たた)りがある、という警戒の心がそこで起ったものですから、
「雛妓たち、ここはこのお客さんのお友達が来るらしいから、われわれは、また別の座敷で別の遊びをしよう、さあ、このままで一同引揚げたり」
 こう言って、村正どんは手勢を引具して退陣を宣告すると、夢うつつで、その声を聞き咎(とが)めたらしい爛酔の客が、
「なに、こども、こどもが来たか、子供が来たら遠慮なくここで遊ばせろ。実は拙者も、こう見えても子供は極めて好きなのじゃ、子供と遊ぶほど愉快なことはない、女は駄目だ、成熟した女というやつにはみんな毒があるが、子供には毒がない、今晩も、わしは招かれるままにここへ遊びに来たが、女、女と呼んではみたものの、もう昔のように女を相手にしてみようという気などは起らぬじゃ、子供がいたら子供と遊びたい。そうだな、せいぜい、あの時のお松といったあのくらいの年ばえの子がいたら出せと頼んだが、今晩は、子供さんを買切りのお客があって、あいにく一人も子供さんがありませぬ――とかなんとか挨拶しおったわい。いかにも残念千万――怪しからん、子供の買占めとは怪しからん、つれて来いと怒鳴ってやったが、子供の方から押しかけて来てくれたとは何より、なんの、座敷を替えて遊ぶ必要は更にない、遠慮なくこの席へ入ってお遊び」
 夢うつつの境で、こう明瞭に言いましたから、村正どんの足が釘附けられました。
 人を人と認めて申し出たわけではない、相変らず天井を仰いで、掌を頭の後ろに組んで、眼はじっくりと塞いだままで、こう言うのですから、正気か囈言(たわごと)かの境がいよいよ怪しいものになってくる。すでに、相手の人見知りをして、かかわり合いを怖れたから、こっそり立退きをしようと期していたところとて、看過されて、ついに先方から注文をつけられてみると、それを振切るのがまた一つの仕事になってくる。
 触(さわ)って祟(たた)るほどのものならば、心あっての申込みを拒んだ日にはまた事だ、酔漢といえども底心(そこしん)のありそうな奴だ、何とか適当の挨拶をしないと引込みが悪かろう、と村正氏は、立去りもし兼ねて悩みました。

         二十五

「いや、どうもたあいのないことで、お騒がせして相済みませぬ」
 村正氏は、それをあっさりと仕切って引上げようとするのを、爛酔の客は放しませんでした。
「そのたあいのないことが至極所望、毒のあることはもう飽きた、子供と遊びたい、遠慮なく子供たちをこれへお通し下さい、どうぞ、お心置きなくこの部屋でお遊び下さい」
「いや、なに、もう埒(らち)もないことで、みんな遊び草臥(くたび)れたげな、この辺で御免を蒙(こうむ)ると致そう」
 村正氏が、なにげないことにして逃げを打とうとすると、爛酔の客が、存外執拗(しつよう)でありまして、
「しからば、貴殿だけはお引取り下さい、子供たちは拙者に貸していただきたい」
「いや、そうは参りませぬ、子供たちだけを手放して、拙者ひとりが引上げるというわけに参らんでな」
「ど、どうしてですか」
「どうしてという理由もないのだが、子供を監督するは大人の役目でな」
「子供を監督――ではあるまい、貴殿は子供をおもちゃにしている」
「何とおっしゃる」
「世間の親は、子供をよい子に仕立てようと苦心している、君はその子供を弄(もてあそ)び物にして、なぶり散らしている」
「何を言われるやら、拙者はただ、子供を相手に無邪気な遊び――」
「なんとそれが無邪気な遊びか、成熟した女という女を弄んで飽き足らず、こんどは何も知らぬ娘どもを買い切って、これを辱(はずか)しめては楽しむ、にくむべき仕業だ」
「いや、長居は怖れ、これで失礼――」
 前後不覚に酔いしれていると思うと、なんでも知っているらしい。知ってそうしてワザとこだわるのか、知らずして無心に発する囈語の連続、とにかく、イヤな相手である、振り切って退散するに如(し)かずと、村正氏は兵をまとめにかかると、爛酔の客は、すさまじい笑いを発しました。
「は、は、は、逃げるな、逃げるとは卑怯だよ、さだめし貴殿は、これがあるから、これが目ざわりで、子供たちを遠のける、こんなものは――」
と言って、今まで押えつけたように仰向けの姿勢を崩さなかったのが、急にその頸にしていた一方の手を引抜いて、枕頭の大小の下げ緒を引いたと見ると、それを無雑作(むぞうさ)に引寄せて、カラリと一方の方に投げ出してしまいました。
「子供と遊ぶに、こんなものは要らぬ、さあ、どちらへでもこれはお片づけ下さい、こうして席を広くして、子供を存分にこれで遊ばせて下さい」
「いや、その儀にも及び申さぬて」
 村正氏は、つかぬ事を言って、とにかく引上げが肝腎だと思うが、無気味なことには、動けないのであります。別段、そくいづけを食っているわけではなし、抱きすくめられているわけでもなし、衣の裾の一方を押えられているわけでもないのに、動こうとして動けない、立直ろうとして、いよいよ足がすくむ思いがする。
 というのは、こう、しゅうねくからんで来られる客の意志を、無下(むげ)に振り切ると必ず反動がある、相手が相手だけにその反動が、またどんな騒動を呼び起すまいものでもない。この手の客はトカクはなれていけず、ついていれば御意の召すまで引きつけられてしまう。簡単な相手のようでかえってうるさい――村正氏は、ようやく何かにからみつかれる思いをしました。
 だが、一方の爛酔の客は、ちっともその座を動くのではない。今の先、両刀を投げ出してみたばっかりで、忽(たちま)ちまた以前のように仰向けの不動の姿勢になり、その両掌をぼんの凹(くぼ)で組合わせていることはかわりません。
 この酔客は前に言う通り、酔って紅くなる酔客ではない、酔ってますます蒼(あお)くなる性質の飲み手であることはわかっているが、すべての応対のうち、一度も眼を開かないということが一つの不愉快だと思いました。いかに爛酔の客といえども、これだけに筋の立った発言ができるのである、いかに酔眼とは言いながら、これだけの物を言う間には、一眼ぐらいは、ちらとでも開いて、そうして、相手の方面を、たとえ上眼づかいになりとも見やって置いて、それから舌なめずりでもして物を言うのが、生態上しかくあるべきはずなのに、この人は、ちっとも眼を開かないで、こっちを見ないで、こっちを相手にしている。いわば眼中に置かぬあしらい方であることが不愉快だと、村正氏もその途端に相応にそれに悪感(おかん)を催したのです。
「では、少々御免を蒙(こうむ)って、お邪魔いたすとしようかな、皆の者も、ここでしばらく遊んで行きな」
 切上げようとして、かえって深間へ入り込んで来たのは通人に似合わぬ不覚でした。
 村正氏を先に立てて、一隊十余人の雛妓(こども)は、有無なくこの一間に進入して、そうして、これから遊ぼうという、全く遊びたくない気分で遊ばなければならない。
 雛妓たちは、舞をする手ぶり足ぶりで、一種無気味な気持と好奇とを持って、早くもこの一間の中に充ち満ちて来て、
「おじさん、これから何をして遊ぶの」

         二十六

 この一間へ招き入れたと見ると、爛酔(らんすい)の客は、急に身を引きずって、自分で自分の頭を持って引摺って行くかとばかり、ずっと壁際の方に身を寄せてしまいました。
 壁際に身を引きずると共に、仕掛物ででもあるように、さきに投げ出した大小も、同じようについて行ったのみならず、その頭の下に敷いていたらしい黒い頭巾(ずきん)と、藍(あい)の合羽様のものをも、共に引きずって、そうして壁際にピタリと身を置いたかと思うと、今度は横向きに頬杖をして、以前の身構えで、長くすんなりと身を横たえたままで、こちらを向いているのです。
 多分、気を利かして、席を広くしてやったつもりでもあり、同時に、席を広くしてやって、充分に相手を遊ばせ、自分は長身(ながみ)の見物と洒落(しゃれ)のめそうとしてみたかも知れないが、やっぱりキザなのは、それらの挙動の間、少しも眼を開かないのです。蒼白(あおじろ)い面(かお)にしてからが、爛酔の気分は充分だから、わざと生酔いの擬勢をして見せるのではなく、当人は昏々(こんこん)として夢かうつつかの境にいるらしいが、それにしても、眼をつぶったきりで、こちらを眼中に置かないのが、やっぱりキザであり、癪(しゃく)であると村正さんも、きわどい間に始終それを気にしておりました。
 さて、こうなってみると、遊ばざるを得ない。こうあしらわれてみると、イヤでもここで遊ばせざるを得ないことに立ちいたりましたが、そこは、村正どんも一種の通客だから、このまま遊ぶのは遊ばれるようなもので、見たところ、喧嘩の相手にはしたくない代物(しろもの)だが、遊びながらからかってやる分には、どうしようもあるまい、また、そうでもして、こいつを少しムセっぽい思いでもさせてやらないことには腹が癒(い)えない。村正どんも、そんなような仕返し気分がやや働いたものですから、舞子たちに集まれの令を下して、
「さあ、これから一遊び、みんな思いきって面白く遊ぶのだよ、それには、こうしていては遊べないから、みんなして寝ながら遊ぶのだ、女中さんに頼んで、ここへお蒲団(ふとん)を敷いておもらい」
「ここへ寝(やす)むの?」
「みんな一緒に?」
「ああ、雑魚寝(ざこね)よ」
「雑魚寝って?」
 このやからも雑魚寝を知らないはずはあるまい。だが、遊ぶことは好きだし、ひどい骨折りをせずに寝て遊ぶように教育される雛妓は、寝ることを怖れずに喜んでいるらしい。
 まもなく、仲居おちょぼ連の活躍がはじまり、幾枚かの夜具がこの座敷へ持込まれると、さきの爛酔の客のまわりだけを少々残して、ほとんどこの座敷いっぱいの面積に夜具が展開されました。
 そうすると村正どんが、仲居のねえはんを呼んで、
「大儀だが、肴(さかな)をこれへひとつ運んでもらいたい。肴といっても、飲み手はいないから、甘いものをおごってくれ、ようかん、餅菓子、今川焼、ぼったら焼、今坂、お薯(いも)、何でもよろしい、山の如く甘いものを買い集めて、これへ持参するように」
と言いつけました。
 この景物は、よほど一座の人気を呼んだらしい。さすがに手を出してガツガツはしないが、みんな面を見合わせて嬉しそうな色を見せる。
 それをみると、村正どんは寝巻に着替えもせずに、ごろりと夜具の真中に横になって、
「おじさんは男だから、身ぐるみこのままで寝るが、お前たちは襦袢(じゅばん)一枚になって、ここへおじさんを真中にして、仲よく枕を並べてお寝み――」
「はい、お寝みなさい」
「お寝みなさい」
 言われた通りに彼等は、きゃっきゃっと言いながら帯をとり、上着をとって、襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている。
 この連中は、ある程度までは客の言うなり次第になるべく仕込まれてもいるし、また、身の防衛本能から言っても、命から二代目の衣装飾りというものを犠牲にして、ゴロ寝をするようなぶしつけはない。
 割信夫(わりしのぶ)、針打(はりうち)、花簪(はなかんざし)の舞子はん十何人、厚板、金入り繻珍(しゅちん)の帯を外(はず)し、大振袖の友禅を脱いで、真赤な襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている光景は、立田の秋の錦と言おうか、吉野の花の筏(いかだ)と言おうか、見た目もあやに、高嶺(たかね)の花とは違ったながめがある。
 さすがに村正(むらまさ)どん、その風情(ふぜい)を興がって、眼を細くして、前の酔客の形を真似(まね)でもしたように仰向けになってながめ廻していたが、さて、どんなものだと、壁際へ避けた件(くだん)の酔客の姿を見ると、相変らず長身を延ばしたっきり、肱杖(ひじづえ)をついて、じっとこっちを見ているにはいるが、眼を開いていないこと前に同じ。
 やっぱり気取っていやがるな、眼をあいて見い、眼をあいて、この未開紅の花を前後左右に置き並べて、色気なしに眠ろうとする、おれの風流をちっと見習え――こうでも言ってやりたいくらいだが、眼のあかない奴には手がつけられない、とテレ加減のところへ、
「お待遠さま」
 そこへ、山の如く甘いもの、フカシたての薩摩芋、京焼、蒸羊羹(むしようかん)、七色菓子、きんつば、今川焼、ぼったら等々の数を尽して持込まれる。
 それから暫く、眼を見合わせて遠慮をしている時間を除いて、やがて、甘いものに蟻がつき出すと、みるみる餅菓子の堤がくずれて、お薩の川が流れ、無性(むしょう)によろこび頬ばる色消しは、色気より食い気ざかりで是非もないことです。

         二十七

 食い気の半ばに村正どんは、次のような話をしました。
「昔々、京の三条の提灯屋(ちょうちんや)へ提灯を買いに行きましたとさ、提灯を一張買って壱両小判を出しましたが、番頭さんがおつりをくれません、もしもし番頭さん、おつりはどうしたと言えば、番頭さんが言うことには、提灯に釣がねえ」
 だが、この落ちは、舞子たちにあんまり受けませんでした。というのは、かんじんの、釣がねえのねえは、江戸方面の訛(なま)りで、関西では同様の格に用いない。
 そこで、まず御座つきは終った、それからあとが大変なのです。
 十余人の舞子部隊に命令一下すると、「くすぐり合い」の乱闘がはじまったのは――
 甲は乙、乙は甲の、丙は丁の、咽喉の下、脇の下、こめかみ、足のひら、全身のドコと嫌わずくすぐって、くすぐって、くすぐり立てる。甲からくすぐられた乙は、甲へやり返すと共に、丙の襲撃に備えなければならぬ。丙は乙に当ると共に、丁戊(ていぼ)の側面攻撃を防禦しなければならぬ。己(き)と戊(ぼ)とが張り合っている横合いから丁が差手をする。そう当ると庚(こう)と辛(しん)とが、間道づたいに奇襲を試みる。甲と丙とは、自分の身をすくめながら両面攻撃をやり出すと、丁と己とは、その後部背面を衝こうとする――いや、十余人が入り乱れて、くすぐり立て、くすぐり立て、その度毎に上げる喊声(かんせい)、叫撃、笑撃、怨撃は容易なものではない。千匹猿を啀(か)み合わせたように、キャッキャッと、目も当てられぬ乱軍であります。
 御大将の村正どん、無論、総勢を引受けて、ひるまず応戦すると共に、折々奇兵を放って、道具外れの意外の進撃をするものですから、そのたびに抗議が出たり、復讐戦が行われたり、その揚句は計らずも聯合軍の結成を誘致してしまいました。唯一の大人、大人のくせに卑怯な振舞をする、乱軍の虚を狙(ねら)っては道具外れ、くすぐるべき急所でないところをくすぐるのは国際法に反している、こんな卑怯な大人からやっつけなければ、正しい戦争はできない、そういう不平が勃発して、そこで、同志討ちの戦闘が一時中止されて、聯合軍の成立を見ました。
「やっつけちゃいなさいよ」
「こんな卑怯な村正て、ありゃしない」
「油断してるところをね」
「ばかにしてるわよ」
「大人から、やっつけちゃいなさいよ」
「村正を切っちゃいなさいよ」
「打っておやりよ、くすぐるだけじゃ仕置にならないわ」
「癖が悪いわ」
「抓(つね)っておやりよ」
「こいつめ、こいつめ」
「村正のなまくらめ」
「のしちゃいなさいよ」
 聯合軍が同盟して、激烈な包囲攻撃やら、爆弾投下まではじめたものですから、たまり兼ねた村正がついに悲鳴を揚げました。
「こいつは堪らぬ、降参降参」
 白旗を掲げたけれども、聯合軍はその誠意を認めないらしく、どうしても息の根を止めなければ兵を納めないらしい。
「拝む、拝む、この通り」
 そこで、聯合軍もいくらか胸が透いたと見えて、
「ごらんなさい、拝んでるわ」
「拝んでるから、許して上げましょうよ」
「その代り、もう、この人は戦争に入れないことにしましょう、決して手出しをさせないことにしましょう」
「それがいいわ」
「では捕虜なのよ、捕虜はここで、これを持って、おとなしく見ていらっしゃい」
と言って、一人が有合わした雪洞(ぼんぼり)を取って、長柄の銚子を持たせるように、しかと両の手にあてがったのは、捕虜としての当座の手錠の意味でしょう。
 無惨にも捕虜の待遇を受けた村正どん、命ぜられるままに、柄香炉(えこうろ)を持つような恰好(かっこう)をして、神妙に坐り込んでいると、そこで、聯合軍がまた解けて、同志討ちの大乱闘をつづけてしまいました。
 その騒々しさ、以前に輪をかけたように猛烈なものになって、子供とは思われない悪戯(いたずら)の発展。
 この騒動で、すっかり忘れられていたさいぜんの蒼白(あおじろ)い爛酔の客。
 騒がしいとも言わず、面白いとも言わず、静まり返って、以前のままの姿勢。長々と壁によって、肱枕(ひじまくら)で、こちらへ向いてはいるが、相変らずちっとも眼を開いて見ようとしない。
 この、いよいよ嵩(こう)じ行く乱闘の半ばで、不意に燈火が消えました。雪洞(ぼんぼり)から丸行燈にうつした唯一の明りがパッと消えると、乱闘が一時に止まる。
「わーっ」
という一種異様な合唱があって、
「あら、怖(こわ)いわ、早く燈(あかり)をつけてよう」
「怖いわ」
「あら、村正の奴、いたずらをしたんだわ」
「卑怯な奴、暗いもんだから」
「あら、村正が逃げるわよ」
「逃げ出したわよ」
「逃がすものか」
「捕虜の奴、逃がすものか」
 暗に乗じて、捕虜が逃走を企てたことは確実で、それを気取(けど)った一同は、同じく暗の中を手さぐりで、捕虜を追いかけると同時に、この室を退散。
 そうして、最初に計画を立てた明るい広間の中に乱軍が引上げて見ると、村正どんは、もうすました面(かお)で床柱にもたれて、長煙管(ながぎせる)でヤニさがっている。

         二十八

 燈(あかり)の不意に消えたことは、乱軍の休戦ラッパとなり、同時にまた、あの強(こわ)もてのような、変な空気ではじめた余興の見事な引上げぶりに終りました。
 いい汐合(しおあ)いに引上げたものだ、まさに甲賀流の極意! 村正どんは床の間へ帰って、長煙管でヤニさがって、それから腮(あご)を撫でていると、あとからあとからと、創痍満身(そういまんしん)の姿で聯合軍が引上げて来る。そのあとから仲どんが、衣裳と帯とを揃えて持って来る。
 みんな疲れ果てて、もう愚痴も我慢も出ない。せいせいと息をきって、眼を見合わせて、息をついているばかりだが、それでも皆、昂奮しきって、愉快な色が面に現われている。
 村正どんもまた、花合戦よりも蕾合戦(つぼみがっせん)のことだと内心得意がって、この清興(?)を我ながら風流事(こと)極(きわ)まれりと納まっている。子供を相手に、こういう無邪気(?)な色気抜きの遊びに限る、こういう遊びぶりこそは、色も恋も卒業した通の通でなければやれない、という面つきをして得意満々の体に見えたが、しかし、もう時刻もだいぶおそい、この辺で、この清興に疲れた可憐の子供たちを解放して、塒(ねぐら)につかせてやるのが、また通人の情け、無邪気というものも程度を知ることが、また通人の通人たる所以(ゆえん)でなければならないという面をして、
「どうだ、面白かったか」
「ほんとに面白かったわ」
「ずいぶん面白かったわ」
「でも、わたし苦しかったわ」
「負傷者は出なかったね、怪我をした者がないのが何より。さあ、この辺で、みんな引取って家へ帰って、お母さんのお乳を飲んでお寝み――」
 そこで、みんな衣裳髪かたちを一通り整えて、本当の安息の時間へ急ごうとして、なお余勇がべちべちゃと、あれよあれよと取噪(とりさわ)いでいるうちに、なんとなく物足りない気がしたと見えて、その中の誰言うとなく、
「朝ちゃんは――」
「朝霧さんがいないわ」
「おや」
「お手水(ちょうず)じゃないの?」
「さっきから見えないわ」
「どうしたんでしょう」
「朝霧さん」
「朝子ちゃん」
 一人が言い出すと、みんなが言い合わせたように呼びかけたが、その求める人の返事がない。村正どんも、さすがにそれが気にかかって、
「一人でも討死をさしては、大将の面目が立たない」
 そこで改めて簡閲点呼を試みたが、真実、その朝ちゃんだけがいないのです。呼んでも返事がないのです。
 はっ! と何かに打たれたように、村正氏は慌(あわただ)しく、以前のぼんぼりに火を入れさせて、わざと騒がぬ体にして、
「おじさんが探して来るから、みんな安心して待っておいで」
 一人で、その雪洞を持って、また廊下を引返して来たのは、今の乱闘の現場――御簾(みす)の間(ま)――そこへ、二の足をしながら、雪洞をさし入れて見ると、座敷いっぱいに敷きのべた古戦場のあとはそのまま。はっ! と再び動顛してまず眼についたは、かの壁の一隅、まだ人はいる。以前の長身白顔の爛酔客が、あちら向きになってうめいている。しかも、その壁に押しつけられたところは、大蛇(おろち)が兎を捕えたように、可憐の獲物を抱きすくめて、放すまじと、それにわだかまっている。獲物は、声も揚げない、叫びも立てない、死んだもののようになっている。死んでいるのかも知れない。大蛇は静かに蠕動(ぜんどう)して、そうして確かに生きている。
 はっ! と、村正氏はついに雪洞を取落してしまいました。
 四方はまたまっくらやみ。

         二十九

 その日、大びけ過ぎといった時刻の暁方、追い立てられるように、島原の大門を出た、たった一人の客がありました。
 追い立てられるというのは、ホンの形容で、事実、誰も追う人はなし、追わるるような弱味の体勢にはなっていないが、時が時であって、四方が四方でしたから、引窓の中から抜け出して、朝霧の中へ消えて行くような感じで大門を出たが、足どりは寛(ゆる)やかで、時々町筋に留まっては、前後を思案するような気配がある。黒い頭巾をかぶって、着ていたのが合羽(かっぱ)ではない、被布(ひふ)であるらしい。下着は白地で、大小を落し目に差しこんでいるが、伊達の落し差しではない。スワ! と言わないまでも、いつ何時でも鞘走(さやばし)るような体勢で、それでもって、はなはだ落着いて、静かに地上を漂うが如く忍んで行く。
 ははあ、これだな、先刻、御簾の間の、闇にひとりぽっちの爛酔(らんすい)の客、しきりに囈語(うわごと)を吐いて後に、小兎一匹を虜(とりこ)にしてとぐろを巻いて蠕動(ぜんどう)していた客。
 中堂寺の町筋へ来ると、その晩は残(のこ)んの月が鮮かでありました。が、天地は屋の棟が下るほどの熟睡の境から、まだ覚めきってはいない。一貫町から松原通りへ出るあたりの町角に、またちょっと立ちどまって、仔細らしく思案の頭をひねっている時、後ろからこっそりと忍び寄った、別にまた一つの物影がありました。
「へえ――お淋(さび)しくっていらっしゃいましょう」
とイヤに含み声で、前なる落し差しにこう言いかけたので、立ちどまった前の爛酔の客が、黙ってこちらをかえり見る形だけをしました。
「誰だ」
「へえ――お一人でお帰りでは、さだめてお淋しくっていらっしゃいましょうから、お宿もとまでお送り申し上げようと存じまして」
 前なる人から誰何(すいか)されたので、後ろなる忍び足が直ちに答えました。
「別に、送ってもらわんでもいいが」
「いいえ、その、頼まれたんでございましてな、あなた様をお宿所までお送り申し上げまするように、実は頼まれたんでございまして」
「誰が頼んだ」
「わっしは、島原の地廻りの者なんでございますが、角屋(すみや)さんの方から、たった今、これこれのお客様がお帰りになるから、おそそうのないようにお宿もとまでお送り申せと、こう言いつけられたものでござんすから、それで、おあとを慕って……」
「要らざることだ、女子供ではあるまいし、一人歩きのできない身ではない」
「ではございましょうが、お見受け申すと、どうやら不自由なところがございます御様子、ぜひお前、お宿もとまでお送り申せと、このように頼まれたものでございますから、ついその、失礼ながら、お後を」
「廓(くるわ)からついて来たのか」
「はい、左様でございます」
「お前が勝手に頼まれて、勝手について来る分には、来るなとは言わないが、こっちでは頼まぬぞ」
と言いきって、また立ち直って、前へ向って歩み去ろうとしますが、ここまでお後を慕って来たという忍び足は、はい、左様ならと言っては引返さない。
 ついと、鼠の走るように走り寄って来て、ついその落し差しの膝元まで来てしまいました。
「はい、あなた様には御迷惑でおいであそばしても、こちらは頼まれたお役目が立ちませぬでござりますから、どうか、お供を仰せつけられ下さいませ、お宿もとまで」
 見れば町人風のたぶさが、頬かむりの下に少し崩れている。紺の股引(ももひき)腹がけで、麻裏草履をはいて片膝を端折(はしょ)っている。抜け目がない体勢ではある。
「は、は、は、送り狼というやつかな」
と前なる頭巾が、冷やかに笑いました。
「えッ」
 少々仰山な驚きかたをして見せたが、それ以上、火花も散らず、ともかくも、形は送りつ送られつの形で、道はようやく木津屋橋まで差しかかった時分、
「いったい、お宿もとはどちら様でござんしたかなあ――どちら様へお越し?」
 送り狼もどきの頬かむりが、改めてここでお宿もと、お宿もととつきとめにかかるのが、うさんで、しつこく、からむようにも聞きなされるが、前のはいっこう平気で、
「こちらの宿もとをたずねるより、お前の方で名乗るがいい、何のなにがしと名乗ってみろ」
「何のなにがしと名乗るような、気の利いた奴(やっこ)ではございませんが、轟(とどろき)の源松と申しまして、東路(あずまじ)から渡り渡って、この里に追廻しの役どころを、つとめておりまする」
 轟の源松、聞いたような名だ。おお、それそれ、御老中差廻しの手利きだと言った、長浜の町で、宇治山田の米友を捕り上げた男。あれが、やがて、農奴として曝(さら)しにかかって、草津の追分につながれた時分、往来の道俗の中から、がんりきの百を見出して、こいつ怪しいと捉まえにかかったが、それは片腕のないためと、両足の有り過ぎるために、おぞくも取逃した、あの有名な捕方の名に相違ない。有名といったからとて、この冊子に於ての相当の有名だけであって、ここで、フリの客に、轟の源松と名乗りかけたからとても、誰でもそれと知っている名前ではない。
「ナニ、目明しの文吉――というのがお前の名か」
と、前なる黒頭巾が聞き耳を立てて、駄目を押すと、
「いいえ、目あかしの文吉じゃございません、轟の源松と申しまして、渡り者のケチな野郎でございます」
「ははあ、轟の源松」
 その名を繰返しながら、二人は見た目には主従の形で、すれつもつれつ前へと歩みます。

         三十

 轟の源松なるものは、手の利(き)いた岡っ引である。江州長浜の夜で、宇治山田の米友を相手に、あれほどの活劇を見せたが、本来、この辺の地廻りではない。特に天下の老中差廻しで、お膝元の大江戸から派遣せられたものであってみれば、草津や長浜の町が、その腕の見せ場ではないはず。米友やがんりきだけが当の相手ではあるまい。あれらは、ほんの道中の道草の小手調べ。されば、あれから農奴が膳所藩(ぜぜはん)の曝し場から、なんらかの手によって奪われて行方不明になったにしてからが、また、その曝しの現場を見て、挙動不審で拘引を試みようと思った旅のやくざ者を、上手の手から洩(も)らして、ちょっと歯噛みをさせられたにしてからが、その執念のために、京都から進入して、もっぱらこれが追跡に当るほどのことは想像されない。
 何か、もっと大きい使命があって、その利腕を見込まれたればこそ、京の天地へかく身をやつして、当時、血の花の咲く島原界隈に網を張っているものと見なければならない。
 この晩方、ひとり、島原を追い立てられたこの怪しの客に、何か見るところがあればこそ、お宿もとまでお送りを名として、近づいて来たことに相違ないとすると、そうなってみると、前の長身の客が、ははあ、送り狼と冷笑したのも、あながち、からかいの言い分ではない、転べば食うのである。いや転ばなくても、次第によっては転ばせて、捕縄(とりなわ)に物を言わせる凄味(すごみ)の相手であることは、つい今頃、送られる身になって、ぴーんと来ていない限りはないのだが、草津の駅でがんりきを咎(とが)めたように、頭ごなしに咎められない。がんりきを引捕ろうとするような、待ったなしの出足では近寄れない、相手が違う、ということは、近寄る方でも、最初からその勘にあることです。ですから、この芝居は、最初から双方の腹が読めきってやっている芝居で、自然、その渡りゼリフも、双方ともに一物あっての受け渡しなのですから、両方ともに相当の凄味が、底を割ってしまっていて、表面だけはしらばっくれた外交辞令になっている、というのだけのものだから、見ていても存外白ける。これが七兵衛あたりの役者になると、同じ狸同士でも、そこにはまた相当のコクもあろうというものだが、最初から芝居がかりがお客に見えたのでは、芝居にならない。素(もと)と素とがカチ合っているようなものです。そこで、おたがいが兼合いながらの問答であります。
「エエ、お客様のお宿もとは、どちら様でございましたかな、お帰り先は」
 またしても、お宿もと、お宿もと、そう露出(むきだし)に鎌を振り廻さなくとも、身分素姓が知りたいならば、もう少し婉曲(えんきょく)な言い廻しもあろうものを、いったい、最初からセリフが無器用だ。そうそう繰返して、詮索めかして出られると、憤(おこ)らない相手をも憤らせてしまうではないか。ところが今日の相手は存外淡泊で、
「そのお宿もとがないのだよ――実はな、拙者も久しぶりで京の地へ足を入れた最初の晩がこれなんだ。そうさなあ、もう何年の昔になるかなあ、たった一晩、島原で遊んだ風味が忘れられないで、京へ着くと第一の夜が、それあの里さ。尤(もっと)も、おれが好んで第一にあの里へ足を入れたというわけではない、途中、要らざる出しゃばり者が出て来て、おれをあの里へつれ込んだ、下地は好きなり御意はよし、というところかも知れない。その出しゃばり者とは、まず旧友といったようなところかな、そいつが二人も出て来て、そぞろ心のついている拙者を、あの里へ引張り込んだはいいが、おれを真暗な行燈部屋(あんどんべや)、ではない、御簾(みす)の間(ま)といって、相当時代のついた別座敷へ、おれを抛(ほう)り込んで置いたまま、その二人の奴が容易に戻って来ない、いやに旧友ぶりをして見せはしたが、実は薄情極まるものだ。だがまた、一概に薄情呼ばわりもきつい、あいつらも皆、今日あって明日の知れない命を持っている奴等だから、おれをあそこへ案内して置いて、久しぶりで大いに遊ばせようと思って、外へ所用を済ませに出たのが、万一、その途中、不慮のことでも起って……まあ、そんなことを思いやって、ひとり真暗な御簾の間にくすぶっていたが、宵(よい)が過ぎると、この通りの追払われもの、振られて帰るという里の合言葉があるそうだが、追われて帰るんだ。だが、追われるはいいが、その帰り先がわからん、心細い次第のものだ」
 さらさらと、少しかすれた声で淀(よど)みなく言ってのけて、自ら嘲るようにも聞えたから、轟の源松が、
「いえ、どう致しまして、追い立てるなんて、そんな失礼なことを致す里の習いではございません、おそそうがあってはいけないから、お宿もとまで確(しか)とお送り申し上げろと、わざわざわっしを、あとからせき立てて、よこしましたくらいなんですから」
「いずれにしても御苦労な話だが、御苦労ついでに、その拙者のお宿もとというやつをひとつ心配してくれないか、わしは今晩ドコへ行って宿(とま)ったらいいか」
「御冗談じゃございません、おれの行くところはどこだと交番でお聞きになるは、篠山(ささやま)の杢兵衛(もくべえ)さんに限ったものです、あなた様などの御身分で、めっそうもない」
「何はともあれ、島原は源平藤橘を嫌わないところだ、金さえあれば、王侯も、乞食も、同じ扱いをする里で、追い払われた身は行くところがないじゃないか――お前、親切で送ってくれるのだから、親切ついでに、わしを送り込む宿所まで見つけてくれるのが、本当の親切だ」
「恐れ入りました、左様の御冗談をおっしゃらずに、どうか、お行先をおっしゃっていただきます、暁方とは申せ、まだ先が長うございます、どれ、この辺でひとつ提灯(ちょうちん)に火を入れさせていただきまして」
 轟の源松は、腰に下げていた小田原提灯を取り出して、燧(ひうち)をカチカチと切って、それに火を入れたのは、とある橋の袂(たもと)でありました。

         三十一

「ここは三条大橋でございます、この辺で、お宿許を教えていただかないことには、あとは東海道筋百二十二里……あ、提灯の蝋燭(ろうそく)も寿命が尽きたかい」
 せっかく火を入れた小田原提灯が、もう少し前から消滅してしまっている。送ってくれと頼んだわけでも、頼まれたわけでもないから、不平を言うべき筋はあり得ないのだが、京の町を、てんから無目的で際限なく引張り廻された日にはやりきれない。それを、相手方はむしろ気の毒とでも思ったか、素直に受入れて、
「では、芹沢(せりざわ)がところまで送ってもらおうか」
「芹沢様とおっしゃいますのは」
「芹沢鴨、いま名うての新撰組では隊長だ」
「ああ、その芹沢先生ならば……」
 轟の源松は、仰山らしく声を上げて、
「芹沢先生は、お気の毒なことに殺されました」
「殺(や)られたか」
「ええ、まことにお気の毒なことで、あの剛勇無双な先生でも、災難というものは致し方がございません」
「いったい、芹沢は誰に殺(や)られたのだ」
「それがその――隊の方の評判によりますると、長州の者だろうとのことでございますが、なあに、そうではございません。では何者だとお聞きになると困りますが、薩摩でも、長州でもございません、ちゃあんと犯人はわかっているのでございますが、申し上げられません」
「お梅はどうした」
「ああ、あの女は――美(い)い女でございましたが、芹沢先生と一緒に殺されましたよ」
「人の女房を奪ったのだそうだな」
「女房ではございませんそうで、菱屋太兵衛のお妾(めかけ)だそうです、太兵衛に代って掛金の催促に来たのを芹沢先生が、いやおういわさず、ものにされてしまったというが本当らしいのでございます――芹沢先生と、あの美い女と、二人寝ているところをやられました、その場の有様というものは、いやもう、目も当てられぬ無惨なものでございまして」
 彼は、自分が親しく見たわけではあるまいが、人伝(ひとづて)にしても、手に取るようにその現場の状況を聞いて知っているらしい。そこで、所望によっては、そのくわしい物語をも演じ兼ねない様子に見えたが、聞き手はそういうことに深い興味を持たない人らしく、或いはそんなことは疾(と)うの昔に知っているかの如く、
「では、やむを得ない」
 その芹沢に厄介になろうという希望も撤回せざるを得ないと、あきらめるより仕方がない。さりとて、それに代るべき候補宿を提案する心当りもないらしい。そこで、今度は轟の源松の方から、鎌をかけて、
「では、近藤先生のお宅はいかがで、木津屋橋の近藤先生のお仮宅(かりたく)ならば、わたしがくわしく存じております」
「近藤は虫が好かん」
と覆面が言いました。
「では」
 轟の源松が、いいかげんテレきった表情を見て、長身の人が、ついに決然と最後の決答を与えました、
「高台寺の月心院へ届けてくれ」
「高台寺の月心院、心得ました」
 ここで、無目的の目的が出来た。指して行くあたりの壺がすっかりついたのだから、源松も勇みをなして、再び提灯に火を入れようとする途端に、何か物の気に感得してしまいました。
 こういうやからは、道によって敏感である。まして送り狼の役をつとめてみると、送る方も、送られる方も、あやまてば食われるのだから、寸分も神経の休養が許されない。
 轟の源松は再び提灯の火を入れようとして、何かの物の気に感じて、三条橋の上から、鴨川の河原の右の方、つまり下流の方の河原をずっと見込みました。
 前に言う通り、残(のこ)んの月夜のことですから、川霧の立てこむる鴨川の河原が絵のように見えます。その河原の中を走る二筋のせせらぎを、今、徒渉(かちわた)りしている物影を、この橋の上から認めたからであります。

         三十二

 橋の上からは、物の二町とは隔らない川下を、かち渡りしている二つの人影は、ここから見当をつけても、そう危険性なものではないらしい。
 本来、この時分に、天下の公橋を渡るさえ二の足が踏まれるのに、河原の真中を横に歩くようなやからが、尋常のやからでないことはわかっている。だが、轟の源松の物に慣れた眼で見て取ったところでは、特に危険性のないものであることは、一眼で明らかになりました。危険性というのは、つまり人命に関することで、最近、この辺のところは、足利三代の木像首をはじめとして、幾多人間の生首や、片腕や、生きざらしなどの行われた地点であるから、かりそめの人影の動揺にも、油断のならないのが当然でありますが、それとこれとは別、ただいまあなたにうごめく人影は、左様な危険性を帯びないものであることを、轟の源松が認めたのです。
 それは、どこにもあるお菰(こも)さんであります。乞食種族に属する者であることが月明で見てよくわかります。つまり、乞食の川渡りなのですから、一度は耳と目を拡張して見ましたけれど、その点を見届けて安心したというものです。
 乞食というものは天下の遊民であって、天下大いに治まる時は、三日でもって人生の味を嘗(な)めつくしてしまって、天下が麻の如く乱れようとも、現状以下に落つるの憂いのない代物(しろもの)である。持てる者がみな狼狽焦心する時に、乞食種族だけは、悠々自適の生活を転移する必要を認めない現状維持派であります。今、日本の天下は、王政の古(いにし)えにかえるか、徳川の幕府につながるかという瀬戸際に於て、王城の地はその鼎沸(ていふつ)の中心に置かれても、乞食となってみると、一向その冷熱には感覚がないのです。かくてこの無感覚種族は、いかなる乱世にも存在の余地を保留していると見えて、今の京都の天地にも、相応に棲息し、横行倒行している。今晩も、ここで、物騒な京都の夜を、平々かんかんとして川渡りを試みらるる自由は、またこのやからの有する特権でなければならぬ。住所なきところが即ち住所である。河西の水草に見切りをつけたから、明日は河東の水草に稼(かせ)ごうとして、その勤務先の異動を企てているまでです。前の方は少し背が高い。前の背の高いののわかるのは、後ろのが、それよりやや劣るからである。といっても、前後の比例が桁外(けたはず)れなること、道庵先生と米友公の如きではなく、先なるは人並よりやや優れた体格であって、後ろのは世間並みという程度のものだ。
 しばらくその菰かぶりの川渡りを遠目にながめていた轟の源松は、自然提灯に火を入れる手の方がお留守になる。
「あ、旦那、済みませんが、少しの間、ここに待って、ここに待っていていただくわけには参りますまいか――ちょっと見届けて参るものがございます」
と言って、送りの客を顧みましたが、この時、提灯は抛り出してしまって、懐ろへ手を差し入れたのは、火打道具を取り出さんがためではありません――一張の捕縄(とりなわ)です。
 その時の源松の気勢は、変っておりました。職務の遂行のためには死をだも辞せずという、一種の張りきった気合が充ち満ちたかと見ると、件(くだん)の長身覆面の客から物の三間ばかり離れて、橋板の上へ飛びのいて、足踏み締めて、身を沈めて、捕縄の一端を口に銜(くわ)えて、見得(みえ)をきってしごいたのは、かの長浜の一夜で、米友に向って施したのとまさに同じ仕草です。

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