大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「なんにしても、どちらを向いても百姓一揆(ひゃくしょういっき)てんで、たいした騒ぎでござんしたよ、その中をいいかげん胡麻(ごま)をすってトッパヒヤロをきめやして、首尾よく仰せつけ通りの胆吹の山寨(さんさい)へかけつけやして、例の青嵐の親分にお手紙のところをお手渡し申しますてえと、そこへもはや一揆が取詰めて来ようという形勢で、このままに捨てて置けば、この山寨は残らず占領の、家財雑具は挙げてそっくり盗賊のために掠奪てなことになりますから、さすがの胆吹御殿のつわもの共も顔色はございません、ところが、青嵐の親分とくるてえと、さすが親分は違ったもので、ちっとも騒がず、計略を以て一揆の大勢を物の見事に退却させてしまいました、全く軍師の仕事でげす、わが朝では楠木、唐(から)では諸葛孔明(しょかつこうめい)というところでござんしょう」
 手紙をひろげて立読みをしながら、がんりきの言葉を等分に耳に入れている不破の関守氏は、
「御大相なことを言うなよ。だが、百姓一揆の颱風(たいふう)は、胆吹御殿をそれてどっちの方へ行った」
「まあ、お聞きなせえ、一揆の大勢がいよいよ胆吹御殿をめがけて、一揉(ひとも)みと取りつめて参りますその容易ならざる気配を見て取ったものでげすから、このがんりきが、このところに御座あっては危うし危うしとお知らせ致しますと、青嵐の親分は心得たもので、直ちにりゅうとした羽織袴に大小といういでたち、今こそ浪人はしながらも、さすがに二本差した人の人柄は違いますな、そのりゅうとした羽織袴に大小でもって、御殿に有らん限りの金銀米穀を大八車の八台に積ませましてな、エンヤエンヤで景気よく一揆軍へ向けて乗込ませました、つまり、買収、もしくは懐柔というやつなんでげすな、これこの通り金銀米穀をお前たちに取らせるから、胆吹山を攻めるのはやめろ、攻めたところで、新築の建前が少々と、新田が少しあるばっかりだ、行こうなら諸国大名の城下へ行け、三十五万石の彦根へ行け、五十五万五千石の紀州へ行け、大阪へ出たら鴻池(こうのいけ)、住友――その他、この近国には江戸旗本の領地が多い、新米(しんまい)の胆吹出来星王国なんぞは見のがせ見のがせ、とこういう口説(くぜつ)なんでげして、その策略がすっかりこうを奏したと思いなせえ」
「なるほど」
 不破の関守氏は、手紙よりは会話の方に向って少しく等分が崩れる。がんりきは相変らず、自分の功名をでも吹聴(ふいちょう)するような気分で、
「根が百姓一揆でござんすからなあ、金と穀を眼の前に山と積まれた日にぁ、忽(たちま)ちぐんにゃりの、よしよし、そう事がわかりゃはあ何のことはねえ、空家をぶっつぶしたところではじまらねえ、御持参の分捕物でかんべんしてやれ、さあこの金銀米穀を分け取りだと、それから分前という話になるてえと、みっともねえ話さ、青嵐の親分が見ている前で、もう分前の争いがおっぱじまったそうでげすよ、浅ましいもんですなあ、百姓共――慾から出た一揆なんてものは、慾でまた崩れる、そこへ行くと、坊主の一揆は百姓一揆より始末が悪い、一向宗の一揆なんてのは、未来は阿弥陀浄土に生れるのが本望なんだから、銭金や米穀なんぞは眼中に置かねえ、七生までも手向いをしやがる、慾に目のねえのも怖(こわ)いが、慾のねえ奴にも手古摺(てこず)るもんですなあ、親方」
「そんなことは、どうでもいい、青嵐の親方と、百姓一揆の結末を、もう少し話してみろ」
「胆吹御殿へ向っての打ちこわし騒ぎなんてのは、それですっかり解消してしまいまして、それから一揆共が、眼の前へ振り撒(ま)かれた餌(えさ)の分前で同志討ちが始まろうというわけなんだから、全く浅ましいもんでげす。その途端に、御領主お代官の手が入るてえと、さあことだ、一揆の奴等ぁ、慾で気の弛(ゆる)んだところへ、にわかにお手入れ――忽ち蜘蛛(くも)の子を散らすように追払われたのは見られたものじゃねえ、無論、お持たせの金銀米穀は置きっぱなしさ、その上に置きざり分捕りの利息がつこうというものだ。右の次第で、その場の一揆は退散いたしやしたが、さて、そのあと、知恵者はさすがに知恵者で、青嵐の親方が、お手先の役人と対談の、持って行った大八車に八台の金銀米穀は、そのままそっくり御殿へ持って帰りの――なおその上に、一揆共が退散の時に置逃げをした大釜だの、鍋だの、食い雑用の雑品類、みんな胆吹御殿で引取りの上、勝手に使用いたしてよろしい、つまりお下げ渡しという寸法になったんですから、何のことはない、見せ金だけを見せて、それで利息をしこたまかせいで来たようなものでござんす、知恵者は違いますよ、全くあの親分は軍師でげす、元亀天正ならば黒田如水軒、ないしは竹中半兵衛の尉(じょう)といったところでござんしょう」――
 こいつの報告にも、キザと誇張を別にして、筋の通ったところがある。

         十七

 さて、如上の事情によって綜合してみますと、伊太夫とお銀様の会見も、案外無事に済んで、家督の問題も、すんなりと解決したらしい。すんなりとはいえ、世間並みに解決したのではない、伊太夫が全くあきらめて、この我儘娘(わがままむすめ)の我儘を、このまま認めてやっただけのものですが、他で心配したほどの風雲も起らず、正面衝突もなくて無事に解決したのは、まずまずと言わなければならぬ。
 同時に、取巻共がしきりに伊太夫に向って斡旋(あっせん)した山科の光悦屋敷なるものも、こうしてお銀様の有に帰してしまったものらしい。してみると、胆吹王国が一歩京洛へ向って前進し、ここに光仙林王国が新たに出来上ったと見るべきで、今こそ草創の際とはいえ、追って本山は胆吹よりこの地に移るかも知れません。
 不破の関守氏が軍師ぶりは、いよいよこれから冴(さ)え渡らなければならないし、宇治山田の米友は、ここに全く安住の地を得たと謂(い)いつべきです。隣国の近江では死を以て待たれたこの小冠者も、僅かに関一重越えて来ると、全く生命の安全が保証されるというのは、封建ブロックの一つの有難さと言わなければならぬ。
 その日中になると、不破の関守氏が、お銀様の居間をおとずれました。弁信法師は、すでに姿を消していずれにあるやを知らず、米友も、がんりきも、デンコウも、それぞれこの林内のいずれかに、落着くべきところに落着かせて置いて、関守氏が女王様の前へ伺候したのであります。
 関守氏の手には、先刻がんりきの百の手から受取った青嵐居士の手紙の一通が、無雑作(むぞうさ)に握られてある。そうして、例の物慣れた口調で一くさり、がんりき直伝(じきでん)の胆吹留守師団の物語を語って、一揆解消の青嵐居士の手柄話にまで及んだ後に、余談として、実は本談以上の興味ある会話に膝を進ませました。
「そういう次第で、天下の風雲がいよいよ急を告げて参りました、どのみち、この風雲は只では納まりませんな、どこまで惨害を産むか、どの辺で混乱を食いとめるかということが、今、天下一般の関心でしてな、これが観察も区々ではありますが、だいたい、大いに乱れるという者と、存外手際よく時代が打開されるとこう見るものと、二通りございます……左様、我々の見るところでは、一度は大いに乱れるのじゃないかと、ひそかに憂えてみる次第なのですが、どんなものでございますか……」
 これは天下の形勢を見立てるので、閑談としては桁(けた)が大き過ぎるけれども、この時代は、ちょっと心ある人は誰も、天下の風雲を気にしないものは一人もありませんでした。朝廷と幕府との間がどうなるかという心配と、日本と外国との関係がどうなるかという心配と、この二つのものは、日本の国民全体にぴんと迫り来るところの切実な課題として、退引(のっぴき)はできませんから、寄るとさわるとこれが行末と、これからその結着ということに座談が落ちて行かないということはありません。
「一度は大いに乱れて、それからどうなります、乱れっきりで応仁の乱のようになりますか、それとも早く治まって……」
とお銀様は、関守氏の答案に追究を試みてみました。
「左様、いったんは大いに乱れて、それから後がどうなりますか、そこにまた深い観察が必要になって参りますな、仮に王幕相闘うこと、鎌倉以来の朝家と武家との間柄のような状態に立ちいたりましても、それからどうなりますか、容易に予断を許しません、勤王の方は、西南の雄藩が支持しておりまして、これが関ヶ原以来の鬱憤を兼ね、その潜勢力は容易なものではありません、幕府の方は、なにしろ二百数十年の天下でも、人心が萎(な)え、屋台骨が傾いておりますから、気勢に於て、すでに西南に圧倒されて、あとは朽木(くちき)を押すばかりとなっているとは申しますが、関東だからと申しましたとて、なにしろ武力の権を一手に握り、家康が選定した江戸の城に根を構え、譜代(ふだい)外様(とざま)の掩護(えんご)のほかに、八万騎の直参を持っているのですから、そう一朝一夕に倒れるというわけにはいきますまいから、当分は大いに乱れて、両方の勢力互角――つまり、日本が東西にわかれて長期戦になる、昔の南北朝を方角を換えて規模を大きくしたようなことになりはしないか、識者は多くはそう観察して、その成行きを最も怖れているのですが、全国の大小名も、今のうち早く向背をきめて置かぬと後日の難となる、そういうわけで、旗印を塗りかえているのもあれば、ボカしているのもある、そこで旗色の色別けはほぼわかって来ているようですが、どのみち、一度は大いに乱れて日本が二大勢力の争いの巷(ちまた)となる、こう覚悟をしていなければ嘘でしょう」
と関守氏は能弁に語りましたが、これは関守氏を待って、はじめて下さるべき卓抜の見識でもなんでもありません。
 当時のすべての人は、このぐらいの憂慮と見識とを持っているに拘らず、物語の順序として、この常識の前置きから始めたものでしょう。そうするとお銀様が一度はうなずいて、それから一歩を進ませました。
「二大勢力というけれど、今日は鎌倉時代の昔、王家と武家という単純な二つの区別だけでは済みますまいね、大義名分からしますと、その二つしか差別はないようでありますけれども、今はこの二つの大きな勢力のほかに、また一つの見のがしてならない大きな力があります、それは外国の力ではありません、国内だけに限っての見方としても、勤王と佐幕のほかに、見のがしてはならない大きな勢力があることを忘れてはならない、とわたくしは思います」
 お銀様から、改まってこう見識を立てられると、不破の関守氏が、いささか当惑してしまいました。

         十八

 勤王、佐幕の二大勢力のほかに、隠れたる一大勢力とは何ぞ、これを外患とせずして、国内だけに見ると、何と表明してよいか、実質的に言えば、関守氏ほどの聡明人が、感得しないはずはありませんが、それを瞬間に答えることに戸惑いをしたものです。
「その隠れたる一大勢力とは、何を指しておっしゃいますか」
「それは言わずと知れたこと、経済の力なのです、砕けて言えばお金持の勢力なのです、勤王にも、幕府にも、武力はありましょう、人物もありましょう、遺憾(いかん)ながら、ドチラにもお金がありません、武力が整い、人物が有り余っていても、お金がなければ仕事をすることができません、この力を無視しては、天下を取ることはできませんね――それが一つの勢力ではありませんか」
「御尤(ごもっと)も」
 不破の関守氏がお銀様の見識に、即座に膝を打ったことは申すまでもありません。お銀様はちっとも騒がず、おもむろに数字を以て、当時天下の長者といわれる家々の実力を、実際の上から論歩を進めて参りました。江戸で三井、鹿島、尾張屋、白木、大丸といったような、大阪で鴻池(こうのいけ)、炭屋、加島屋、平野屋、住友――京の下村、島田――出羽で本間、薩摩で港屋、周防(すおう)の磯部、伊勢の三井、小津、長谷川、名古屋の伊東、紀州の浜中、筑前の大賀、熊本の吉文字屋――北は津軽の吉尾、松前の安武より、南は平戸の増富らに至るまでの分限(ぶげん)を並べて、その頭のよいことに関守氏を敬服させた後、
「それですから、ここに相当の金力の実力を持っている者がありとしますと、たとえば三井とか、鴻池とかいう財産のある大家の中に、先を見とおす人があって、これは東方が有望だ、いや西方が将来の天下を取るというようなことを、すっかり見とおして置いて、そのどちらかに金方(きんかた)をしますと、その助けを得た方が勝ちます、勝って後は、そのお金持がいよいよ大きくなります――それに反(そむ)かれたものは破れ、それが力を添えたものが勝つ、戦争は人にさせて置いて、実権はこれが握る、実利はこれが占める、政府も、武家も、金持には頭が上らぬという時節が来はしないか、わたしはそれを考えておりました」
「御説の通りでございます――そこで、金持に見透しの利(き)く英雄が現われますと、天下取りの上を行って、この世をわがものにする、という手もありますが、間違った日には武家と共に亡びる、つまり大きなヤマになるから、堅実を旨(むね)とする財閥は、つとめて政権争奪には近寄らない、近寄っても抜き差しのできるようにして置く、さりとて、その機会を外して、みすみす儲(もう)かるべきものを儲けぬのは商人道に外れますから、時代の動きを見て、財力の使用を巧妙にしなければならない、天下の志士共は、今、政権の向背について血眼(ちまなこ)になっておりますが、商人といわず、財力を持つものも懐ろ手をして油断をしている時ではありません、ここで油断をすると落伍する、ここで機を見て最も有効に投資をして置くと、将来は大名公家の咽喉首(のどくび)を押えて置くことになる――ところでお嬢様、三井、鴻池などの身のふりかたはひとごと、これをあなた様御自身に引当ててごらんになると、いかがでございます、このまま財(たから)を抱えて、安閑として成るがままに任せてお置きになりますか、但しは、ここで乾坤一擲(けんこんいってき)――」
 不破の関守氏が、つまり今までの形勢論は、話の筋をここまで持って来る伏線でありました。
 事実上、この怪婦人は、今や相当大なる財力の主人としての実力を持っている。この実力をいかに行使せしむべきかが、関守氏の腕の振いどころでなければならぬ。
 しかし、お銀様としては、極めて虚心平気な答弁を以てこれを受け止めました。
「わたくしは、ドチラにもつかないつもりです、わたしはヤマを張って、目の出る方へ賭(か)けるというような好奇心を持ちません、当りさわりのないところで、自分相当の力を尽す、といっても、安閑として成るがままに任せ、思いつきばったりに濫費をしてそれで足れりとも思いません、もし私に取るに足るだけの財力がありとしましたならば、最もよろしき方法によって、自分も使いたい、人にも使ってもらいたいと思うばっかりです、自分で理想の――好むところの事業をやることには、胆吹の経験で、いま考えさせられていることがあるのです、ここへ来たのを機会として、事業というものに見直しをしなければならないと考えているところで、実はその点に就いて、とりあえず、あなたの意見が聞きたいと思っていたところなのでした」
「拙者の本志もそこにあるのでございました、あなた様が、父上から得られた新たな財力の保管と、その使用方法に於ては、私にも重大な責任もあり、同時に遠慮なく申しますと、相当の興味も持っているのでございまして、財を保護するは当然だが、同時に、これを殺してはいけないということも考えまして、それで、あれよ、これよともくろんだり、計算したりしてみましたが、その計画のうちの一つを、御参考までにここで申し上げてみたい、無論、御採用になるとならぬは、あなた様の御意(ぎょい)のままで、お気に召さなければ、第二、第三と、幾つでも立案してごらんに入れますつもり。その第一案を申し上げてみますると――この第一案と申しますのは、第一等の立案というわけではございません、最初、第一に思いついたという軽い意味のものでございますから、そのおつもりで……」
「遠慮なく申し聞かせていただきます」
「まず、この山科の光悦屋敷、改めて申しますと光仙林をお手に入れましたのを機縁と致して、こういったような計画はいかがでございましょう」
 光仙林をお銀様の手に帰(き)せしめたのも不破の関守氏、これを根拠地として、お銀様をして、何事をか為(な)さしめんとするのも不破の関守氏であります。

         十九

 ここで、不破の関守氏の提案というものは、次のような内容でありました。
 この山科屋敷が手に入ったを機会として、ここで国宝、或いは重要美術に準ずる書画と骨董類(こっとうるい)を大量に蒐集して置きたいという極めて罪のない事業であります。
 それというのも、前提の天下の形勢論が、やはり基礎を致しているのでありまして、どのみち、天下が大いに乱れる時は、京都の地がその颱風の眼になることは、日本の従来の歴史を見ても明らかな事実である。天下が大いに乱るる時は、人民の生命財産が保証されないことも当然明白である。親しく身を兵刃の中に置くことは武士のつとめである。地方の人民は、この武士に兵糧軍費を提供したり、徴発されたりする。工人は、その武士に武器と武装を提供することに忙殺される。そこで商人もまた、その害と益とを受ける方面が出来てくる。兵は戦うことを主とし、人は生きんことを主とする。治まれる御世に於ては、人の生命は衣食住によって保証されるけれども、戦乱の時はまず住を失い、次に衣を失い、最後のものが辛うじて食にありついて生きようとする。
 生活に直接したもののほかは顧みるに遑(いとま)がない。そこで、戦乱の度毎にまず災害を受くるものは文化の花である。文学であり、美術であり、建築であり、工芸である。保元平治以来、戦乱によって失われた日本の文化の最上の産物の残れるものは、失われたものより多いかも知れない。
 来(きた)るべき公武の正面衝突の後に、また世界が応仁の昔になり、都が野原になって揚雲雀(あげひばり)を見て歎く時代が来ないと誰が保証する。更に遡(さかのぼ)って、保元平治の乱となり、両六波羅の滅亡となって、堂塔伽藍(どうとうがらん)も、仏像経巻も挙げて灰燼(かいじん)に帰するの日がなしと誰が断言する――不破の関守氏は仮りにその時を予想しているのである。そうして今のうちにめぼしい美術品を、最も合法的に、集めるだけ集めて置きたいというのである。そうして、この山科の光仙林に倉庫を構えて蓄蔵して置く。あるものは胆吹山まで持越して隠して置く。それをするには、京都に近く、奈良に近く、滋賀と浪速(なにわ)とを控えたこのあたりが、絶好のところであり、今の時が絶好の時である。
 こうして、あらかじめ、国宝と、それに準ずる重要美術品を集めて置くことは、つまり、国家に代ってこれを保護する役目にもなる。関守氏としては、個人の趣味を満足せしめ、その蒐集慾を満喫することになるのだが、その結果は放漫に終るのではない――ということを能弁に任せて、こまごまとお銀様に向って説き立てるのであります。
 それがわからないお銀様ではない。関守氏の提案はことごとく嘉納せられて、女王はその財産の若干をこれに向って支出することを厭(いと)わない允許(いんきょ)を与えました。
 そこで、関守氏も大いに会心の思いをしました。
 今までは自分の小使銭をやり繰って、相当掘出し物をして喜ぶ程度の趣味慾でありましたが、今度のは少なくとも国家的の見地から、潤沢な資本を擁して、大量買収を行うことができるというものである。もとより、斯様(かよう)に時勢を憂えているものは関守氏に止まらないから、来(きた)るべき乱世の世を予想して、自家の財産の処分に取越し苦労をしている大家というものがいくらもある。露骨に言えば、思いの外の名門高家でも、今のうちに内々財産を処分して置きたがっているものも相当あることを、関守氏は疾(と)うに打算しているのみならず、その知識の限りでは、ドコにどういう名宝名品があって、それは買収が可能か不能かということまで、相当、当りをつけているのです。
 ですから、一朝資本が調(ととの)えば、あとは洪水の如く水が向いて来る。そのことを考えて、とりあえず、この広い光仙林のいずれかに、隠し倉庫(ぐら)を建築しなければならぬ。その設計も、早や相当プランが出来ている。蒐集の順序方法に於ては、ここの光悦屋敷の名を因縁として、まずあらゆる光悦物を集めるということから発足したい。さる光悦ファンの金持があって、光悦に関する限り、価を惜しまず名品を集めたいという触込みを先触れとして、それに準じて光悦以上、光悦以下、或いは光悦以前、光悦以後に及ぼそうという段取りまでが、ほぼ科学的に関守氏の胸に疾うから浮んでいる。
 こうして、お銀様に進言をして嘉納された関守氏が、御殿を出て来ると、そこで、接心谷の方へ、とぼとぼと歩んで行く弁信法師を発見しました。

         二十

 山科の里に於てこそ、こういう閑居も有り得るし、閑談も行われるのでありますが、ホンの一歩を京洛の線に入れると、天地は悽愴(せいそう)を極めたものであります。
 悽愴と言ったところで、それは天が悽愴で、地が殺気を含んでいるだけで、人家並みには何の異状もないのです。異状がないのみか、見ようによっては、京洛の天地に人間景気が湧いている。心ある人は世の成行きを憂えもし、怖れてもいるけれども、京都が歴史に現われた時のように、保元平治の恐怖時代でもなければ、木曾乱入の壊滅状態に陥っているわけでもなし、また、応仁の乱の前後のように、都の中が兵火で焼却され、八万二千の餓死者が京都の市中に曝(さら)されたといったような現実の体験は少しもなく、全国の諸侯は競(きそ)ってここへ集まるにつれて、諸般の景気はよくなる。幕末インフレの景気を、京都がひとり占めにしているといったようなもので、時代の中心は、江戸を離れて京都に帰ってしまったようなものですから、未来と将来とに思いを及ぼさない限り、京都の市場はインフレの天地であります。
 そうして景気というものの前兆も、現証も、まず花柳界に現われたものだから、京都の遊廓(ゆうかく)の繁昌というものが、前例を越えているというのもさもあるべき事です。
 そこで当然、日本色里の総本家と称せられた島原の廓(くるわ)はいよいよ明るい。今宵(こよい)も新撰組の一まきらしいのが大陽気に騒いで引揚げたことのあとの角屋(すみや)の新座敷に、通り者の客の一人が舞い込んでいる。この人のあだ名を俗に「村正(むらまさ)」と言っている。士分には相違ないが、宮方か、江戸かよくわからない。江戸風には相違ないが、さりとて、生(は)え抜きの江戸っ児でない証跡は幾つもある。遊び方はあんまりアクが抜けたとはいえないが、「村正どん」で相当以上に持てている。村正といえば、相当の凄味(すごみ)のある名ではあるが、この通客はあんまり凄味のない村正で、諸国浪人や、新撰組あたりへ出入りのとも全く肌合いが違い、まず体(てい)のいいお洒落(しゃらく)に過ぎない。
 しかし剣術の方は知らないが、学問だけはなかなかある。ちょいちょい脱線したところを見ると、洋学がかなり達者なようである。多分その洋学で、多分の実入(みい)りがあると覚しく、金廻りはかなりよろしく、使いぶりも悪くない。それが「村正村正」で持てるのは、人柄そのものが、村正そのものの名からして起る凄味とは縁が遠い男であるにかかわらず、さしている刀だけが自慢の「村正」であるというところから、あたりが「村正村正」ともてはやしたというに過ぎない。事実、村正を差していると自分から花柳界へ触れ込む男なんぞに、そんな凄いのはないはず。
 この男は、勝負事――といっても当事流行の真剣白刃のそれではない、一月から十二月までの花と花とを合わせて遊ぶ優にやさしい勝負事が大好きで、勝った時はいいが、負けてすっからかんになると、ドタン場で自慢の「村正」を投げ出し、さあ、これを抵当(かた)に取って置いてくれ、祖先伝来の由緒ある刀だ、位負けがすると祟(たた)りのある刀だ、承知の上でこれを引取ってもらいたい――と出るので、普通のものがオゾケをふるう。その「村正」の功力(くりき)によって、急場を逃れるに妙を得ている。そこで、人が呼んで村正という、至って罪のない村正であります。血を好まない村正、銭を好む村正ですから、たいしたことはないのです。
 この村正が、角屋の新座敷へ、今日は多くの雛妓(こども)(すなわち舞子)を集めました。
 雛妓に、話したいことを話させて、自分がそれを聞いて興に入(い)るという遊び方で、それだけならば、かなりアクが抜けているが、その次が油断がならない。
「さあ、今晩はみんなして思い入れ怖い話をしてごらん、そうして、一つ怖い話をしたら籤引(くじびき)で一人ずつ、この花籠を持って御簾(みす)の間(ま)まで行って、これを床の間に置いておいで――」
「まあ、怖い」
「いちばん怖い話をした人と、それからいちばん上手に花籠を置いて来た人に、村正のおじさんが、すてきな御褒美(ごほうび)を上げる」
「わたし、怖い話を知らない」
「わたし、怖いところへ行けない」
「怖い話って、お化けのことでしょう」
 彼等は、村正のおじさんの懸賞には相当気乗りがしているけれども、怖い! お化け! となると尻ごみをしないのはありません。
「意気地がないね、そんな意気地のない話で、よく壬生浪人(みぶろうにん)の傍へ寄れたもんだ」
「でもねえ――人間と化け物とは違うわよ」
「そうよ、人間と化け物とは違うわよ」
「でも、化け物に取って食われたという人はあるまいが、壬生の浪人に斬られたという人は山ほどある、その壬生の浪人を相手にして少しもこわがらないお前たちが、ありもしない化け物を怖がるとは理に合わない」
 村正のおじさんからからかわれて、はじめて一人の雛妓が、
「ああ、わたし、怖い話を知ってるわよ」
 眼のすずしい、丸ぼちゃの可愛らしいのが、声をはずませて合掌(がっしょう)の形をして見せました。
 これらの子供は島原の太夫の卵と見るべきものだから、その言葉も優にやさしい京言葉でなければならないが、ここは新座敷のことだから、新しい形式の、ほぼ標準語で、あどけない話しぶり。
 へたに、どす、おす、おした、おへんの語尾を正し、だをやとし、せをへとしたり、京言葉を遣(つか)わせないところが、新座敷の身上かも知れぬ。

         二十一

「九重の太夫さんが、自害をなされたお話、それとあの――芹沢(せりざわ)の隊長さんが殺された、あの前の晩の話――」
 一人の可愛ゆい舞妓(まいこ)が、振袖の脇の下から手を出して合掌しながら語り出したので、一座がしんと引締った時、村正のおじさんが、得たりと、床の間に幾つも置き並べられた手提げの花籠に目をくれながら、
「さあ、怖い話の皮切りが出たな、すると、花籠を持って行くのは誰?」
「いや!」
 子供の残された全部が否認を唱える。
「いやとは言わせぬよ、さあ、この籤をお引きなさい、短いのを引当てた人から順、いちばん長いのを引いた人がいちばん最後、中途で逃げた人はあとでお叱言(こごと)を言う、首尾よくやり遂げた人には御褒美、そうだなあ、まずその御褒美から先にきめて置こう、こうと、一等賞にはこの村正の刀――」
「そんなお腰の物なんていらないわ、女が大小をいただいたってなんにもならないわ」
「では、第一等に懸賞金五両――では安いかな、よし、拾両」
と言って、幾ひらかの黄金のまぶしいのを白い紙にのせて、そこへ置くと、これにはさすがに誘惑の色が動いてくる。まことに綺羅(きら)を飾って栄耀(えいよう)の真似(まね)はしているけれども、これらの子女、いずれも好きこのんでこの里へ来ているものはない。ここに今、村正のおじさんが並べた山吹色のものに欠乏を感じたればこそ、親や兄妹に成り代って、この里に流動して来ている者共である。拾片(とひら)の黄金の貴重なる所以(ゆえん)を知らぬ者とてはない。誘惑の色が動いたのを見て、村正のおじさんは透かさず、
「第二等賞には、金緞子(きんどんす)の帯――第三等には友禅の襦袢(じゅばん)」
 いずれをいずれとしても、彼等の誘惑の好餌ならぬものはない。でも、さすがに、御褒美に目がくらんで、手のうらを返すように主張を翻したとあっては、この里の名折れ、女の意地の恥とでもいったようなみえがあってか、頓(とみ)には言い出でないが、形勢たしかに動いたりと見て、
「さあ、籤(くじ)をお引き、島原の舞子(こども)ともあろうものが、この期(ご)に及んで、お化けにうしろを見せてはどむならん」
「では、あなたお先に」
「いいえ、あなたから」
「あたし、長いのが当りますように」
「あたし、籤のがれの神様がお立ちなさいますように」
「あたし、いちばん長いの、でなければ、その次の長いのを下さいますように、妙見様」
 こんなことを言いながら、一本抜き、二本抜き、とうとう十二本のこよりの籤が残らず、おのおのの舞子の手に渡りました。
「ああ、朝霧さんがいちばん短い」
「夕陽さんがいちばん長い」
 当座の運命の神様の手に捌(さば)かれた十二本の長短の順位は、おのおののがるべくもない。
 すでにのがるべくもないと自覚されてみると、いまさら愚痴と不平とは禁物であって、おのおのその運命に懸命の努力を以て追従せんとはする。
 そこで、最初に皮切りの、眼のすずしい、丸ぼちゃの口から、アラビヤンナイトの第一席がはじまろうとする。
「ずっと昔のことよ、ずっと昔と言っても、桃太郎さんや花咲爺さんの時分ではないこと、それから比べると新しいわね、もう何年ぐらいになるか知ら、五年ぐらいでしょう、その時分にあの御簾(みす)の間(ま)のお部屋で大変があったとさ」
「どんなに大変だったの」
「いいから、話さないで頂戴、それからさき聞くこといらない」
と言って、ついと立ち上ったのは一番籤を引いた、朝ちゃんという子でありました。
 同じコワイ思いをするくらいなら、耳をふさいで、眼をつぶって立った方がいいと思ったのでしょう。これから進行する会話によって、怖い思いの加速をさせられるよりは、聞かないで、無我夢中で、ぶつかってみた方がよい、と朝ちゃんは花籠を宙にさげ、清水(きよみず)の舞台から飛んだつもりで、廊下伝いに飛び立ってしまいました。
 果して、この初一番の花籠を、御簾の間の床に置いて来られるか、あるいは途中で棄権して逃げてかえって来るか――待っている十人の子供は固唾(かたず)をのんで、さて、自分の番に廻って来ることの予感が高まるから、うっかりと評判をすることもできません。

         二十二

 村正のおじさんは、にやにやとして、懸賞金の目録の追加をこしらえようと、紙入を取り出していると、かたことと廊下を歩む朝ちゃんの足音、しばらくは聞えていたのですが、それが聞えなくなって、ほんの少しの間、
「キャッ」
という声が、その方面で起ったものですから、こちらの同勢が聞いて、震え上って、また、
「キャッ」
と叫びました。
 向うは、何かに驚かされたか、そうでなければ、疑心暗鬼にやられたものに相違ないが、こちらは、無事なのに、ただ先方が「キャッ」と言ったから、電流に打たれたように、それに反応して「キャッ」と叫んだまでです。舞子たちは、それと共に重なり合って動顛(どうてん)したけれど、村正のおじさんは結句おもしろがって、
「何か出たか」
「朝ちゃんがキャッと言いました」
「何か出たな」
「怖い……」
 その押問答のうちに、息せき切って、ほとんど命からがらの体(てい)で逃げかえって来たのは、いま出て行った朝ちゃんです。
「どうしたの?」
「何が出たの?」
「出たの?」
 でも、そこへ来ると、気絶して水を吹きかけなければ正気の取戻せないほどではありませんでした。寄ってたかっていたわると、朝ちゃん、
「ああ、しんど」
「どうしたの」
「あの御簾の間のお座敷に幽霊がおりました」
「幽霊が――」
「あい」
「幽霊が何をしていた」
「御酒(ごしゅ)を召上って」
「酒を飲んで?」
「はい、九重太夫様を殺したあのお武家の幽霊が、たしかにいたのよ」
「そんなはずはないよ」
「いたわよ、行ってごらんなさい」
「それは行燈(あんどん)の変形だ、枯薄(かれすすき)を幽霊と見るようなものだ、では、だれか行って見届けておいで」
 村正のおじさんは、改めて一座を見廻したけれども、こうなると誰あって、進み出でようとするものはない。聞いただけで、唇を紫にして、本人の朝ちゃんよりも昂奮した恐怖に襲われている子さえある。
「では、みんなして揃(そろ)って行って、あらためて見て来てごらん、今時、お化けだの、幽霊だのなんていうものがあろうはずはない、提灯(ちょうちん)か、行燈か、襖(ふすま)の絵でも見ちがえたのだろう、そうでなければ、まかり間違って、誰か、あたりまえの人が、あたりまえに酒を飲んでいただけのものだろう、みんな揃って、たしかに見届けておいで」
 それでも、我れ行こうというものがない。
「そんなに言うなら、おじさん、自分で行って見てごらん、もしお化けがいたら、その村正の刀でやっつけておしまいなさい」
「それがいいわ、おじさんをおやりなさい」
「おじさん、ひとりで行って、調べてみてごらんなさい、そうすれば、わたしたち、あとから揃って見分(けんぶん)に行くわ」
「さあ、おいでなさいよ」
「弱虫!」
「村正のおじさん、腰が抜けたわよ」
「お立ち」
 子供たちが寄ってたかって、このおじさんを担(かつ)ぎ上げようとする。こうなると、どうも、どうやら自分が腰を上げて、上□共(じょうろうども)のために迷信退治をしてやらずばなるまい、と観念して、村正のおじさんなるものが不承不承に腰を上げると、子供たちが、やいのやいのと言って、廊下へそれを突き出す。村正のおじさんなるものを廊下へ突き出しておいて、自分たちはあとから、そろそろついて来るかと思うと、ぴったりと障子を締めきって、火鉢の周囲へかたまってしまう。テレきった村正どんは障子の外で、
「よし、じゃあ、おじさんはさきに行って、もし怖い者がいたら、退治るから、おーいと呼んだら、みんなして御簾の間に集まって来るのだぞ、いいか」
 隠れんぼのさがし手に廻されたような気分で、村正どんが廊下をみしりみしりと渡って、暗い中を手さぐりをしながら、やがて御簾の間までやって来ました。

         二十三

 入口で、はっと、軽く物につまずいた、というよりは、軽い物が足にさわったばっかりに、それを蹴飛ばすと、それは、朝霧がたったいま持って来た花籠の一つ。
 だが、なるほど――これは必ずしも疑心暗鬼というやつではないらしい。御簾の間の入口に来て見ると、たしかに人の気配がするようだ。
 はて、当分はここは開(あ)かずの間(ま)だと聞いて、あらかじめ子供遊びの舞台に申し入れて置いたのに、意外に客が引いてある。臨時にそうなったのか、あるいは、酔客の戸惑いか、いずれにしても、部屋も廊下も真暗なのにかかわらず、暗中に人があって、しきりにうごめいていることは確かなのです。
「誰かいるのかい」
と村正のおじさんが駄目を押しつつ、一歩、入口の戸前にたた彳(たたず)んで見ると、
「うーん、酔った、酔った、女が欲しいよ、女を連れて来ないか、女が欲しい」
 こう言って、夢中でうめいている。果して爛酔(らんすい)の客が戸惑いして、のたり込んでいたな、厄介者だが、処分をしてやらずばなるまいと、お節介者の村正どんは、一歩足を踏み入れて、
「戸惑いをなされたな、ここは御簾の間で、開かずになっている、お部屋はどちらで、連衆(つれしゅう)は?」
と、おどすように言いかけると、
「いや、戸惑いはいたさぬ、御簾の間を所望で来た身じゃ、酩酊(めいてい)はしたが待ち人が遅い――ああ酔った、酔った、こんな酔ったことは珍しい、生れて以来だ、まさに前後も知らぬ泥酔状態だわい」
 爛酔の客が、またもかく言って唸(うな)り出した。その気配を見ると、部屋の真中に大の字になって、いい気持に紅霓(こうげい)を吹いているらしい。
 だが、爛酔にしても本性(ほんしょう)は違(たが)わない。その唸るところを聞いていると、この御簾の間を名ざしで遊びに来て、承知の上でここに人を待っている、待っているというよりは、待たせられている。酒はもう充分だが、この上は女が欲しいと、露骨に渇望を訴えているようにも聞きなされる。
 しかし、かりそめにも招かれてここへ通ったお客とあれば、その取扱いが粗略に過ぎる。真暗い中へ抛(ほう)り込んで置いて、相方の女は無論のこと、同行の連れの人も居合わさない。燈火も与えられていない。無論、この爛酔の酒も、この席で飲まされたものではなく、どこかで飲んで、それからここへ登楼したのか、投げ込まれたのか知らないが、いずれにしても遊興の体(てい)ではなくて、監禁の形である。
 村正どんは、これはちょっと厄介な相手にかかり合ったという気持だが、なんにしても、こう暗くてはやむを得ない、明るいものにしてから、一応、説諭納得せしめて、店の者に引渡すが手順だと思いまして、
「おーい」
 そこで、さいぜん雛妓(こども)たちに向って打合わせて置いた通りの合図をしました。しかし、この合図の「おーい」にしてからが、性急な調子で言っては雛妓たちを八重に驚かす憂いがあるから、つとめて間延びのした声で「おーい」と言いましたから、その声に安心して、待ってましたとばかり、雛妓隊が手に手に雪洞(ぼんぼり)の用意をしたのを先頭に立てて、廊下づたいにやって来ました。
「おじさん、怖(こわ)い者いた?」
「お化けいた?」
「村正で退治た?」
「やっつけた?」
 口々に囀(さえず)って来るのを、
「なんでもない、お客様がいらしったのだよ、怖くないから早くおいで、おいで」
 招き寄せて、その先頭の掲げていた雪洞を自分の手に受取って、そうして、御簾の間の部屋の中に差し入れて見ました。

         二十四

 雪洞を入れて見ると、広くもあらぬ御簾の間の隅々までぼうと明るくなる。
 見れば、座敷の真中に一人の男が仰向きに爛酔(らんすい)して寝ていること、音で聞いて想像した通り。ただし、この想像は、一人の酔客があって、爛酔して譫語(うわごと)を発しているという想像だけで、その客の人相骨柄というようなものは、雪洞の光を待って、はじめて明らかなるを得たのです。奔馬の紋(もん)のついた真白い着物を着た、想像よりはずっと痩形(やせがた)だが、長身の方で、そうして髪は月代(さかやき)で蔽(おお)われているが、面(かお)の色は蒼(あお)いほど白い。爛酔という想像から、熟柿(じゅくし)のような息を吹き、同時に面ざしも酒ぶとりのした樽柿(たるがき)のような赤味を想い浮べてみると案外にも、これは蛍を欺かんばかりの蒼白さなのです。それで、月代の乱れ髪の髪の毛も相当に黒いのですから、その蒼白みもよけいに勝(まさ)って見え、それが眼をつぶって、とろんとした酔眼を爛々としてみはっているというものでなく、全く眼をつぶって、両の掌をぼんの凹(くぼ)あたりに当てて組合わせながら、天井を仰いで泡を吹いているのです。
 もとより、杯盤もなければ酒器もない。褥(しとね)も与えられていなければ、煙草盆もあてがわれてはいない。無人の室へひとり転がされてあるだけのものなのです。
 村正どんは案外の気色につまされて、しばらく無言で雪洞を上げたまま見つめていると、その袂(たもと)の下からのぞき込んだ雛妓共が、また黙って、その室内を見つめたままでいる。怖いものの正体が、そこに現存していることで、朝霧は自分が臆病の幻を笑われた不名誉だけは取戻したが、ここにひとり横たわる人の姿を見て、また何となしに、恐怖か凄みかに打たれて、沈黙して、村正どんの袂の下から息をこらして見ているだけです。酔客は、黙っている時は死んでいる人としか見えない、死んでここへ置放しにされた人相としか見えないくらいですから、
「殺されてるの?」
「死んでるの?」
 雛妓(こども)たちが、やっと、相顧みてささやき合うたのも無理のないところでしたが、その死人が、やがてまた口を利(き)き出しました、
「斎藤一はいないか、伊藤甲子太郎はどうした、山崎――君たち、おれを盛りつぶして、ひとり置きっぱなしはヒドいじゃないか、来ないか、早く出て来て介抱しないか、酔った、酔った、こんなに酔ったことは珍しい、生れてはじめての酔い方じゃ」
 仰向けになったまま、紅霓(こうげい)を吹いては囈語(たわごと)を吐いている。その囈語を小耳にとめてよく聞き、それから改めて、この室内を篤(とく)と見定めて、村正どんは相当、思い当るところがありました。
 爛酔して寝ている人は、枕許に大小を置いている。その提(さ)げ緒(お)がかすかに肘(ひじ)の方に脈を引いている。それを見るとこの客は、帯刀のままに登楼した客である。この地の揚屋では帯刀のまま席に通ることは許されない。玄関に関所があって、婢共(おんなども)が控えて心得た受取り方で、いちいちこれを保管してからでないと、各室の席には通されない。それは貴賤上下に通じて、古来今日まで変らぬ、この里のおきてなのであるが――最近、そのおきてを蹂躪(じゅうりん)――でなければ、除外例の特権を作らせた階級がある。それは程近い壬生寺の前に住する東国の浪人、俗に称して壬生浪人、自ら称して新撰隊、その隊士だけは古来の不文律を無視して、帯刀のままでどの席へでも通る。当時、それを差留める力を持ち合わすものがない。そこで、この爛酔の客が、通常の客ではない、新撰組にゆかりのある壮士の一人か、或いは、それらの徒の招きでここへ押上ったものかに相違ない、という想定が、早くも村正どんの頭に来ると共に、その夢中で口走る囈語の中に、呼び立てる人の名もどうやら聞覚えがないではない。
 右の種類に属する程度の者とすると、これはうっかり近よらぬがよろしい、普通の酔客ならば、あやなして持扱う手もあるが、あの連中では、うっかりさわっては祟(たた)りがある、という警戒の心がそこで起ったものですから、
「雛妓たち、ここはこのお客さんのお友達が来るらしいから、われわれは、また別の座敷で別の遊びをしよう、さあ、このままで一同引揚げたり」
 こう言って、村正どんは手勢を引具して退陣を宣告すると、夢うつつで、その声を聞き咎(とが)めたらしい爛酔の客が、
「なに、こども、こどもが来たか、子供が来たら遠慮なくここで遊ばせろ。実は拙者も、こう見えても子供は極めて好きなのじゃ、子供と遊ぶほど愉快なことはない、女は駄目だ、成熟した女というやつにはみんな毒があるが、子供には毒がない、今晩も、わしは招かれるままにここへ遊びに来たが、女、女と呼んではみたものの、もう昔のように女を相手にしてみようという気などは起らぬじゃ、子供がいたら子供と遊びたい。そうだな、せいぜい、あの時のお松といったあのくらいの年ばえの子がいたら出せと頼んだが、今晩は、子供さんを買切りのお客があって、あいにく一人も子供さんがありませぬ――とかなんとか挨拶しおったわい。いかにも残念千万――怪しからん、子供の買占めとは怪しからん、つれて来いと怒鳴ってやったが、子供の方から押しかけて来てくれたとは何より、なんの、座敷を替えて遊ぶ必要は更にない、遠慮なくこの席へ入ってお遊び」
 夢うつつの境で、こう明瞭に言いましたから、村正どんの足が釘附けられました。
 人を人と認めて申し出たわけではない、相変らず天井を仰いで、掌を頭の後ろに組んで、眼はじっくりと塞いだままで、こう言うのですから、正気か囈言(たわごと)かの境がいよいよ怪しいものになってくる。すでに、相手の人見知りをして、かかわり合いを怖れたから、こっそり立退きをしようと期していたところとて、看過されて、ついに先方から注文をつけられてみると、それを振切るのがまた一つの仕事になってくる。
 触(さわ)って祟(たた)るほどのものならば、心あっての申込みを拒んだ日にはまた事だ、酔漢といえども底心(そこしん)のありそうな奴だ、何とか適当の挨拶をしないと引込みが悪かろう、と村正氏は、立去りもし兼ねて悩みました。

         二十五

「いや、どうもたあいのないことで、お騒がせして相済みませぬ」
 村正氏は、それをあっさりと仕切って引上げようとするのを、爛酔の客は放しませんでした。
「そのたあいのないことが至極所望、毒のあることはもう飽きた、子供と遊びたい、遠慮なく子供たちをこれへお通し下さい、どうぞ、お心置きなくこの部屋でお遊び下さい」
「いや、なに、もう埒(らち)もないことで、みんな遊び草臥(くたび)れたげな、この辺で御免を蒙(こうむ)ると致そう」
 村正氏が、なにげないことにして逃げを打とうとすると、爛酔の客が、存外執拗(しつよう)でありまして、
「しからば、貴殿だけはお引取り下さい、子供たちは拙者に貸していただきたい」
「いや、そうは参りませぬ、子供たちだけを手放して、拙者ひとりが引上げるというわけに参らんでな」
「ど、どうしてですか」
「どうしてという理由もないのだが、子供を監督するは大人の役目でな」
「子供を監督――ではあるまい、貴殿は子供をおもちゃにしている」
「何とおっしゃる」
「世間の親は、子供をよい子に仕立てようと苦心している、君はその子供を弄(もてあそ)び物にして、なぶり散らしている」
「何を言われるやら、拙者はただ、子供を相手に無邪気な遊び――」
「なんとそれが無邪気な遊びか、成熟した女という女を弄んで飽き足らず、こんどは何も知らぬ娘どもを買い切って、これを辱(はずか)しめては楽しむ、にくむべき仕業だ」
「いや、長居は怖れ、これで失礼――」
 前後不覚に酔いしれていると思うと、なんでも知っているらしい。知ってそうしてワザとこだわるのか、知らずして無心に発する囈語の連続、とにかく、イヤな相手である、振り切って退散するに如(し)かずと、村正氏は兵をまとめにかかると、爛酔の客は、すさまじい笑いを発しました。
「は、は、は、逃げるな、逃げるとは卑怯だよ、さだめし貴殿は、これがあるから、これが目ざわりで、子供たちを遠のける、こんなものは――」
と言って、今まで押えつけたように仰向けの姿勢を崩さなかったのが、急にその頸にしていた一方の手を引抜いて、枕頭の大小の下げ緒を引いたと見ると、それを無雑作(むぞうさ)に引寄せて、カラリと一方の方に投げ出してしまいました。
「子供と遊ぶに、こんなものは要らぬ、さあ、どちらへでもこれはお片づけ下さい、こうして席を広くして、子供を存分にこれで遊ばせて下さい」
「いや、その儀にも及び申さぬて」
 村正氏は、つかぬ事を言って、とにかく引上げが肝腎だと思うが、無気味なことには、動けないのであります。別段、そくいづけを食っているわけではなし、抱きすくめられているわけでもなし、衣の裾の一方を押えられているわけでもないのに、動こうとして動けない、立直ろうとして、いよいよ足がすくむ思いがする。
 というのは、こう、しゅうねくからんで来られる客の意志を、無下(むげ)に振り切ると必ず反動がある、相手が相手だけにその反動が、またどんな騒動を呼び起すまいものでもない。この手の客はトカクはなれていけず、ついていれば御意の召すまで引きつけられてしまう。簡単な相手のようでかえってうるさい――村正氏は、ようやく何かにからみつかれる思いをしました。
 だが、一方の爛酔の客は、ちっともその座を動くのではない。今の先、両刀を投げ出してみたばっかりで、忽(たちま)ちまた以前のように仰向けの不動の姿勢になり、その両掌をぼんの凹(くぼ)で組合わせていることはかわりません。
 この酔客は前に言う通り、酔って紅くなる酔客ではない、酔ってますます蒼(あお)くなる性質の飲み手であることはわかっているが、すべての応対のうち、一度も眼を開かないということが一つの不愉快だと思いました。いかに爛酔の客といえども、これだけに筋の立った発言ができるのである、いかに酔眼とは言いながら、これだけの物を言う間には、一眼ぐらいは、ちらとでも開いて、そうして、相手の方面を、たとえ上眼づかいになりとも見やって置いて、それから舌なめずりでもして物を言うのが、生態上しかくあるべきはずなのに、この人は、ちっとも眼を開かないで、こっちを見ないで、こっちを相手にしている。いわば眼中に置かぬあしらい方であることが不愉快だと、村正氏もその途端に相応にそれに悪感(おかん)を催したのです。
「では、少々御免を蒙(こうむ)って、お邪魔いたすとしようかな、皆の者も、ここでしばらく遊んで行きな」
 切上げようとして、かえって深間へ入り込んで来たのは通人に似合わぬ不覚でした。
 村正氏を先に立てて、一隊十余人の雛妓(こども)は、有無なくこの一間に進入して、そうして、これから遊ぼうという、全く遊びたくない気分で遊ばなければならない。
 雛妓たちは、舞をする手ぶり足ぶりで、一種無気味な気持と好奇とを持って、早くもこの一間の中に充ち満ちて来て、
「おじさん、これから何をして遊ぶの」

         二十六

 この一間へ招き入れたと見ると、爛酔(らんすい)の客は、急に身を引きずって、自分で自分の頭を持って引摺って行くかとばかり、ずっと壁際の方に身を寄せてしまいました。
 壁際に身を引きずると共に、仕掛物ででもあるように、さきに投げ出した大小も、同じようについて行ったのみならず、その頭の下に敷いていたらしい黒い頭巾(ずきん)と、藍(あい)の合羽様のものをも、共に引きずって、そうして壁際にピタリと身を置いたかと思うと、今度は横向きに頬杖をして、以前の身構えで、長くすんなりと身を横たえたままで、こちらを向いているのです。
 多分、気を利かして、席を広くしてやったつもりでもあり、同時に、席を広くしてやって、充分に相手を遊ばせ、自分は長身(ながみ)の見物と洒落(しゃれ)のめそうとしてみたかも知れないが、やっぱりキザなのは、それらの挙動の間、少しも眼を開かないのです。蒼白(あおじろ)い面(かお)にしてからが、爛酔の気分は充分だから、わざと生酔いの擬勢をして見せるのではなく、当人は昏々(こんこん)として夢かうつつかの境にいるらしいが、それにしても、眼をつぶったきりで、こちらを眼中に置かないのが、やっぱりキザであり、癪(しゃく)であると村正さんも、きわどい間に始終それを気にしておりました。
 さて、こうなってみると、遊ばざるを得ない。こうあしらわれてみると、イヤでもここで遊ばせざるを得ないことに立ちいたりましたが、そこは、村正どんも一種の通客だから、このまま遊ぶのは遊ばれるようなもので、見たところ、喧嘩の相手にはしたくない代物(しろもの)だが、遊びながらからかってやる分には、どうしようもあるまい、また、そうでもして、こいつを少しムセっぽい思いでもさせてやらないことには腹が癒(い)えない。村正どんも、そんなような仕返し気分がやや働いたものですから、舞子たちに集まれの令を下して、
「さあ、これから一遊び、みんな思いきって面白く遊ぶのだよ、それには、こうしていては遊べないから、みんなして寝ながら遊ぶのだ、女中さんに頼んで、ここへお蒲団(ふとん)を敷いておもらい」
「ここへ寝(やす)むの?」
「みんな一緒に?」
「ああ、雑魚寝(ざこね)よ」
「雑魚寝って?」
 このやからも雑魚寝を知らないはずはあるまい。だが、遊ぶことは好きだし、ひどい骨折りをせずに寝て遊ぶように教育される雛妓は、寝ることを怖れずに喜んでいるらしい。
 まもなく、仲居おちょぼ連の活躍がはじまり、幾枚かの夜具がこの座敷へ持込まれると、さきの爛酔の客のまわりだけを少々残して、ほとんどこの座敷いっぱいの面積に夜具が展開されました。
 そうすると村正どんが、仲居のねえはんを呼んで、
「大儀だが、肴(さかな)をこれへひとつ運んでもらいたい。肴といっても、飲み手はいないから、甘いものをおごってくれ、ようかん、餅菓子、今川焼、ぼったら焼、今坂、お薯(いも)、何でもよろしい、山の如く甘いものを買い集めて、これへ持参するように」
と言いつけました。
 この景物は、よほど一座の人気を呼んだらしい。さすがに手を出してガツガツはしないが、みんな面を見合わせて嬉しそうな色を見せる。
 それをみると、村正どんは寝巻に着替えもせずに、ごろりと夜具の真中に横になって、
「おじさんは男だから、身ぐるみこのままで寝るが、お前たちは襦袢(じゅばん)一枚になって、ここへおじさんを真中にして、仲よく枕を並べてお寝み――」
「はい、お寝みなさい」
「お寝みなさい」
 言われた通りに彼等は、きゃっきゃっと言いながら帯をとり、上着をとって、襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている。
 この連中は、ある程度までは客の言うなり次第になるべく仕込まれてもいるし、また、身の防衛本能から言っても、命から二代目の衣装飾りというものを犠牲にして、ゴロ寝をするようなぶしつけはない。
 割信夫(わりしのぶ)、針打(はりうち)、花簪(はなかんざし)の舞子はん十何人、厚板、金入り繻珍(しゅちん)の帯を外(はず)し、大振袖の友禅を脱いで、真赤な襦袢一枚になって、はしゃぎ廻っている光景は、立田の秋の錦と言おうか、吉野の花の筏(いかだ)と言おうか、見た目もあやに、高嶺(たかね)の花とは違ったながめがある。
 さすがに村正(むらまさ)どん、その風情(ふぜい)を興がって、眼を細くして、前の酔客の形を真似(まね)でもしたように仰向けになってながめ廻していたが、さて、どんなものだと、壁際へ避けた件(くだん)の酔客の姿を見ると、相変らず長身を延ばしたっきり、肱杖(ひじづえ)をついて、じっとこっちを見ているにはいるが、眼を開いていないこと前に同じ。
 やっぱり気取っていやがるな、眼をあいて見い、眼をあいて、この未開紅の花を前後左右に置き並べて、色気なしに眠ろうとする、おれの風流をちっと見習え――こうでも言ってやりたいくらいだが、眼のあかない奴には手がつけられない、とテレ加減のところへ、
「お待遠さま」
 そこへ、山の如く甘いもの、フカシたての薩摩芋、京焼、蒸羊羹(むしようかん)、七色菓子、きんつば、今川焼、ぼったら等々の数を尽して持込まれる。
 それから暫く、眼を見合わせて遠慮をしている時間を除いて、やがて、甘いものに蟻がつき出すと、みるみる餅菓子の堤がくずれて、お薩の川が流れ、無性(むしょう)によろこび頬ばる色消しは、色気より食い気ざかりで是非もないことです。

         二十七

 食い気の半ばに村正どんは、次のような話をしました。
「昔々、京の三条の提灯屋(ちょうちんや)へ提灯を買いに行きましたとさ、提灯を一張買って壱両小判を出しましたが、番頭さんがおつりをくれません、もしもし番頭さん、おつりはどうしたと言えば、番頭さんが言うことには、提灯に釣がねえ」
 だが、この落ちは、舞子たちにあんまり受けませんでした。というのは、かんじんの、釣がねえのねえは、江戸方面の訛(なま)りで、関西では同様の格に用いない。
 そこで、まず御座つきは終った、それからあとが大変なのです。
 十余人の舞子部隊に命令一下すると、「くすぐり合い」の乱闘がはじまったのは――
 甲は乙、乙は甲の、丙は丁の、咽喉の下、脇の下、こめかみ、足のひら、全身のドコと嫌わずくすぐって、くすぐって、くすぐり立てる。甲からくすぐられた乙は、甲へやり返すと共に、丙の襲撃に備えなければならぬ。丙は乙に当ると共に、丁戊(ていぼ)の側面攻撃を防禦しなければならぬ。己(き)と戊(ぼ)とが張り合っている横合いから丁が差手をする。そう当ると庚(こう)と辛(しん)とが、間道づたいに奇襲を試みる。甲と丙とは、自分の身をすくめながら両面攻撃をやり出すと、丁と己とは、その後部背面を衝こうとする――いや、十余人が入り乱れて、くすぐり立て、くすぐり立て、その度毎に上げる喊声(かんせい)、叫撃、笑撃、怨撃は容易なものではない。千匹猿を啀(か)み合わせたように、キャッキャッと、目も当てられぬ乱軍であります。
 御大将の村正どん、無論、総勢を引受けて、ひるまず応戦すると共に、折々奇兵を放って、道具外れの意外の進撃をするものですから、そのたびに抗議が出たり、復讐戦が行われたり、その揚句は計らずも聯合軍の結成を誘致してしまいました。唯一の大人、大人のくせに卑怯な振舞をする、乱軍の虚を狙(ねら)っては道具外れ、くすぐるべき急所でないところをくすぐるのは国際法に反している、こんな卑怯な大人からやっつけなければ、正しい戦争はできない、そういう不平が勃発して、そこで、同志討ちの戦闘が一時中止されて、聯合軍の成立を見ました。
「やっつけちゃいなさいよ」
「こんな卑怯な村正て、ありゃしない」
「油断してるところをね」
「ばかにしてるわよ」
「大人から、やっつけちゃいなさいよ」
「村正を切っちゃいなさいよ」
「打っておやりよ、くすぐるだけじゃ仕置にならないわ」
「癖が悪いわ」
「抓(つね)っておやりよ」
「こいつめ、こいつめ」
「村正のなまくらめ」
「のしちゃいなさいよ」
 聯合軍が同盟して、激烈な包囲攻撃やら、爆弾投下まではじめたものですから、たまり兼ねた村正がついに悲鳴を揚げました。
「こいつは堪らぬ、降参降参」
 白旗を掲げたけれども、聯合軍はその誠意を認めないらしく、どうしても息の根を止めなければ兵を納めないらしい。
「拝む、拝む、この通り」
 そこで、聯合軍もいくらか胸が透いたと見えて、
「ごらんなさい、拝んでるわ」
「拝んでるから、許して上げましょうよ」
「その代り、もう、この人は戦争に入れないことにしましょう、決して手出しをさせないことにしましょう」
「それがいいわ」

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