大菩薩峠
[青空文庫|▼Menu|JUMP]
著者名:中里介山 

 この子供は素姓の優れた家柄に生れた子だ、将来どんなことになるか、現在ではわからないが、将来を思うと、畢竟(ひっきょう)、これを父親に似せてはならない、お祖父(じい)さんに似せなくてはならないということが、与八の頭へ熱鉄の如く打込まれるのであります。
 郁太郎の父は竜之助であって、その祖父は弾正であることを、与八ほどよく知っている者はない。父の竜之助の優れた天分の人であることは、その善悪邪正にかかわらず、与八はよく認めている。それを誤ったものに教育があるということを、大先生(おおせんせい)すなわち弾正の口から、絶えず与八は聞いて知っている。大先生の教育がわるかったのではない、大先生が永らくの御病気で、竜之助様によき教育を施す隙がない間に、竜之助様の悪い方が伸びてしまったということを、与八は昔から観念している。
 そこで彼は、この子を父にしてはならない、祖父にしなくてはならない、と感づくのは当然の認識であるが、与八としては、その父を怖れるよりは、一層、祖父なるものの偉大なるを信じている。そこに、与八の教育の根本方針が成り立っていました。
 事実、与八の眼で見た弾正という人、すなわち郁太郎のためには祖父、竜之助のためには父なる人ほど、この世に於て偉大なりと信じている人は有りません。
 それは、棄児(すてご)であった自分の一身を拾い取って、衣食を与えた生命(いのち)の恩人というだけの観念ではないのです。
 およそ、この世界に於て、いかなる人がエライといって、うちの大先生ほどのエライ人はない。江戸へ出て、エライと言われる人もお見かけ申したことがないではないが、そのエライ人でも、うちの大先生にはかなわない。どこがどうエライかということは与八にはわからないが、どんなエライと言われる人をお見かけ申しても、うちの大先生のことを思い出すと、引け目を感じないことを与八は直覚する。つまり、エライ人にはみんなそれぞれ身に備わる「威」というものがある。うちの大先生の「威」は、どんな人にも遜色がない、ということが、与八の信仰となっているのであります。与八が「威」という観念で解釈しているのは、近づき難い怖れという意味ではない、与八は与八らしく世間の「威」という観念を受入れて、人格の備わった徳の高い人に、おのずから備わる後光のようなものだと信じているのです。ドコへ出て、どういう人を見ても、与八はうちの大先生のことを思うと、ちっとも引け目を感じない。それがつまり、大先生の威というものだと信じているのです。
 そこで当然、その血筋を引いた郁太郎様は、お祖父(じい)さんのような人に仕上げたいものだという希望も、無理ではないのです。お祖父さんの正しい血筋を引いているのだから、お祖父さんのようなエライ人になれるべきはずである、というのがまた与八の信念で、同時にそれを、お祖父様のように仕上げるのが一つ間違って、竜之助様のようにしてしまった日には、その責任がかかって自分にあるということを感得すると、与八が恐懼戦慄(きようくせんりつ)するのもまた無理がありません。
 どうして教育して上げたらいいか、わしぁ学問はなし、金ぁなし、器量はなし、なにもかもないないづくし。これで人一倍の血筋の子供を仕立てようとするのは、てんで話が無理だ、わしにゃ、どう教育して上げていいかわかんねえ、いい先生はないかなあ、いい学校はねえかなあ、恐懼戦慄の後に、与八が観念はこれでありましたが、そういう時に、眼をつぶって、大先生の信仰をはじめると、不思議に、今まで忘れていた昔の面影がありありと、自分の眼の前に現われて、その折々に言われた言葉が耳の底から甦(よみがえ)って、自分の耳もとに、諄々(じゅんじゅん)として説かれる声を聞きました。
「与八、お前は貧乏に生れて、棄児にされたその運命を恨んではいけないぞ、その運命というものが、お前を教育する恩人だということを忘れちゃいけないぞ、わしがこうして長年の病気を、人は不幸だと思うけれども、わしにとってはこの病気によって教育されたことが大きい、それと同じこと、人間がよくなる、悪くなるということは、物があり余って、立派な親、師匠がついているいないということではないぞ、貧乏はこの世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
と言って、慰め励まされたその言葉が、今し耳の底でガンガン鳴り出して来ました。
 その当座は、大先生のおっしゃることは無条件で拝伏して聞いていた。無論、大先生のおっしゃることなどが、自分の頭で理解のつく限りではないから、ただ有難くお聞き申していただけだが、それが今日になって、ありありと出て来て、実際の手引をして下さるとは夢にも思っていなかった。
「貧乏は、この世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
 してみると、自分の貧乏は苦にならない。いや、いっそこの貧乏が郁太郎様にもよい教師――果して、そういうものか知ら――どうもわからないが、大先生のおっしゃるお言葉にムダがあろうとは思われない。してみると、教育のために自分たちは最も恵まれていればとて、不足の身ではない。そういうようなことを、与八は考えて安心しようとしましたが、一面には、自分の頭に余り過ぎて考えられないものですから、その度毎に、痴鈍な自分の頭脳(あたま)を振って、一も二も昔のことを考え出し、大先生のおっしゃったお言葉の節々(ふしぶし)を思い起し、ゆっくり考えて、考え抜いてみようと与八が覚悟をきめました。

         七十七

 さて大菩薩峠「山科の巻」はこれを以て了(おわ)りとします。念のため、本巻に現われた人の名と、その所在の地名とをここに挙げてみます。

        ┌─宇治山田の米友
        ├─不破の関守氏
山科新居────┼─弁信法師
        ├─お銀様
        └─がんりきの百蔵
        ┌─芸妓福松
福井より近江路─┤
        └─宇津木兵馬
        ┌─神尾主膳
根岸侘住居(ねぎしわびずまい)───┼─ビタ助
        └─お絹
        ┌─机竜之助
京洛市中────┼─南条力
        ├─五十嵐甲子雄
        └─轟源松
        ┌─与八
甲州有野村───┤
        └─郁太郎

等でありまして、裏面或いは側面に動く人名、或いは新たに点出された人間としては、月心院内、門番の娘と、怨霊(おんりょう)の美僧美女、目明しの文吉、斎藤一、福井の好学青年、近藤勇、勝海舟の父、藤原の伊太夫、鬼頭天王の尼、村正どん、島原の舞子、重清と朝霧、与八の周囲の民衆と子供、動物としてはグレートデン、庫裡(くり)の猫の登場等々であります。
 さてまた、従来引きつづいての重要な登場をつとめていた人々で、本篇に現わるべくして現われなかったものの所在を考えてみると、
        ┌─駒井甚三郎
        ├─お松
        ├─七兵衛
        ├─お喜代
        ├─田山白雲
海洋の上────┼─柳田平治
        ├─ムク犬
        ├─清澄の茂太郎
        ├─ウスノロ氏
        ├─兵部の娘
        ├─金椎(キンツイ)
        └─無名丸とその乗組員
        ┌─藤原伊太夫
        ├─お角
関西旅中────┼─道庵先生
        ├─お雪ちゃん
        └─加藤伊都丸(かとういつまる)
        ┌─銀杏加藤(ぎんなんかとう)の奥方
清洲城下────┤
        └─宇治山田の米友
        ┌─青嵐居士
胆吹山─────┤
        └─胆吹王国に集まる人々
 右の外、点出せられた人物としては、金茶金十郎、のろま清次、新撰組の人々、よたとん、木口勘兵衛、安直、デモ倉、プロ亀、築地異人館の誰々、仙台の仏兵助、ファッショイ連、女軽業の一座、等々。
 地理の区域は、現在の日本の東海東山の両道から、北陸の一部、北は陸奥に及び、畿内の中心、いわゆる日本アルプスの地帯が活躍の壇場になって来たが、海の方は太平洋の真中にまで及んでいる。
 この「山科の巻」の稿を起すの日時は昭和十五年の九月十日――稿を了るの日は同年十月十六日。これを大菩薩峠全体から見ると、起稿は明治四十五年、著者二十八歳の時、本年即ち昭和十五年より、またまさに二十八年の過去にあり、最初の発表はそれより一年後の大正二年。分量は前巻にも申す通り、開巻「甲源一刀流の巻」よりこの「山科の巻」に至るまで二十六冊として一万頁に上り、文字無慮五百万、世界第一の長篇小説であることは変らない。読者は倦(う)むとも著者は倦まない、精力の自信も変らない。

今や世界全体が空前の戦国状態に落ちている。日本に於ても内政的に新体制のことが考えられている。わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。




ページジャンプ
青空文庫の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
作品情報参照
mixiチェック!
Twitterに投稿
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶし青空文庫

Size:393 KB

担当:undef