大菩薩峠
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著者名:中里介山 

「オレガ山口ニ居タ時分ダガ、或女ニホレテ困ッタコトガアッタガ、ソノ時ニ、オレガ女房ガソノ女ヲ貰ッテヤロウト云イオルカラ、頼ンダラバ、私ヘ暇ヲ呉レトイウカラ、ソレハナゼダト云ッタラ、女ノウチヘ私ガ参ッテ、是非トモ貰イマスカラ、先モ武士ダカラ、挨拶ガ悪イト、私ガ死ンデモライマスカラ、ト云ッタ、ソノ時ニ短刀ヲ女房ヘ渡シタガ、今晩参ッテキット連レテ来ルト云ウカラ、オレハ外ヘ遊ビニ行ッタラバ、南平ニ出先デ出会ッタ故(ゆえ)、何事無シニ咄(はな)シテ居タラバ、南平ガ云ウニハ、勝様ハ女難ノ相ガ厳シイ、心当リハ無イカト尋ネルカラ、右ノ次第ヲ咄シタラバ、ソレハヨクナスッタト云ウカラ、別レテ、又々、関川讃岐トイウ易者ト心易(こころやす)イカラ、通リガカリニ寄ッタラ、アナタハ大変ダ、上レトイウ故、上ヘ通ッタラバ、女難ノコトヲ云イオッテ、今晩ハ剣難ガ有ルガ、人ガ大勢痛ムダロウトテ、心当リハ無イカト尋ネルカラ、初メヨリノコトヲ話シタラバ肝ヲツブシテ、段々深切ニ意見ヲシテクレテ、女房ハ貞実ダト云ッテ、以来ハ情ヲ懸ケテヤレ、トイロイロ云ウカラ、考エテミタラバ、オレガ心得違イダカラ、夕方ウチヘ飛ンデ帰ッタラ、隠居ニ娘ヲ抱カセテ男谷(おたに)ヘヤッテ、女房ハ書置ヲシテウチヲ出ルトコロヘ帰ッテ、ソレカラ漸々(ようよう)止メテ、何事モ無カッタガ、是迄、度々、女房ニモ助ケラレシコトモアッタ、ソレカラハ不便(ふびん)ヲカケテヤッタガ、ソレマデハ一日デモ、オレニ叩カレヌトイウコトハ無カッタ、此ノ四五年、俄(にわ)カニ病身ニナッタモ、ソノセイカモ知レヌト思ウカラ、隠居様ノヨウニシテ置クワ」
 こういうおやじの兄弟も大抵ではないが、細君となるものがことさら思いやられる。亭主の馬鹿に比べてこの女房はエライ、勘弁が届いている――だが、内心ドノくらい、血の涙を呑んだことか。女ではおれもずいぶん馬鹿を尽しただけに、貞婦なる女房というものの有難さがわかって来た。さて、それからは、また頭に入って読みつづくと、
「オレガ隠居スル前年ダカ、吉原ガ焼ケテ、諸方ヘ仮宅ガ出来タ、ソノ時、山ノ宿(しゅく)ノ佐野槌屋ノ二階デ、端場(はしば)ノ息子熊トイウ者ト大喧嘩ヲシタガ、熊ヲ二階カラ下ヘ投ゲ出シテヤッタガ、ソノ時、銭座ノ手代ガ二三人来テ熊ヲ連レテ帰ッタガ、少シ過ギルト三十人バカリ、長鍵デ来テ佐野槌屋ヲ取巻イタカラ、オレガ肌ヲヌイデ、襦袢(じゅばん)一ツデ高モモ立ヲ取ッテ飛ビ出シテ叩キ合ッタガ、三度、二三町追イ返シタソノ時ニ、会所カラ大勢出テ引分ケタガ、ソレカラ山ノ宿デモ、女郎屋一同ニ、客ヲ送ル婆アモ、嬶(かか)アモ、オレガ顔ヲ下カラヨクヨクシオッタ故、何モ間違イガ無カッタ、ソノ時ハ刀ハ二尺五寸ノヲ差シテイタ、山ノ宿中、女郎屋ガ三日戸ヲシメタガ、事無ク済ンダ。
ソノ外、所々ニテノ喧嘩、幾度モアッタガ、タイガイ忘レタ。
浅草市デ、多羅尾七郎三郎ト、男谷忠次郎ト、ソノ外五六人デ行ッタ時ハ、二尺八寸ノ関ノ金光ノ刀ヲサシタガ――ソレニ急ニ七郎三郎ガ誘ッタ故、袴(はかま)ヲハカズニ行ッタカラ、雷門ノ内デ込合ウ故ニ、刀ガ股倉ヘ入ッテ歩カレナカッタガ、押合ッテ行クト、侍ガ多羅尾ノ頭ヲ山椒(さんしょう)ノ摺古木(すりこぎ)デブッタカラ、オレガ押サレナガラ、ソイツノ羽織ヲオサエタラバ、摺古木デマタオレノ肩ヲブチオッタ故、刀ヲ抜コウトシタラ、コジリガツカエタカラ、片ハシカラキリ倒スト大声ヲ上ゲタラバ、通リノ者ガパット散ッタカラ、抜打チニソノ男ノ逃ゲルトコロヲアビセタラバ、間合イガ遠クテ、切先デ背ヲ下マデ切下ゲタカラ、帯ガ切レテ大小懐中物モ残ラズ落シテ逃ゲタガ、ソウスルト伝法院ノ辻番カラ、棒ヲ持ッテ一人出タカラ、二三ベン刀ヲ振リ廻シテヤッタラ、往来ノ者ガ半町バカリ散ッタカラ、大小ト鼻紙入ヲ拾イテ、辻番ノ内ヘ投ゲ込ンダ、ソレカラ直グニ奥山ヘ行ッタ、漸々(ようよう)切先ガ一寸半モカカッタト思ッタ、大勢ノ混ミ合イ場ハ長刀モヨシワルシダト思ッタ、多羅尾ハ禿頭故ニ創(きず)ガツイタ、ソレカラ段々喧嘩ヲシナガラ、両国橋マデ来タガ、ソノ晩ハ何モホカニハ仕事ガナイカラウチヘ帰ッタ。
ソノ外ニモ、イロイロ様々ノコトガ有ッタガ、久シクナルカラ思イ出サレヌ、オレハ一生ノウチニ、無法ノ馬鹿ナコトヲシテ年月ヲ送ッタケレドモ、イマダ天道(てんとう)ノ罰モ当ラヌト見エテ、何事ナク四十二年コウシテイルガ、身内ニ創一ツ受ケタコトガナイ、ソノ外ノ者ハ或ハブチ殺サレ、又ハ行衛ガ知レズ、イロイロノ身ニ成ッタ者ガ数知レヌガ、オレハ好運ダト見エテ、我儘(わがまま)ノシタイ程シテ、小高ノ者ハオレノヨウニ金ヲ遣ッタモノモ無シ、イツモ力(りき)ンデ配下ヲ多クツカッタ、衣類ハタイガイ人ノ着ヌ唐物ソノ外ノ結構ノ物ヲ着テ、甘イモノハ食イ次第ニシテ、一生女郎ハ好キニ買ッテ、十分ノコトヲシテ来タガ、此頃ニナッテ漸々人間ラシク成ッテ、昔ノコトヲ思ウト身ノ毛ガ立ツヨウダ、男タルモノハ決シテオレガ真似(まね)ヲシナイガイイ、孫ヤヒコガ出来タラバ、ヨクヨク此ノ書物ヲ見セテ身ノイマシメニスルガイイ、今ハ書クノモ気恥カシイ、是レトイウモ無学ニシテ、手跡モ漸ク二十余ニナッテ、手前ノ小用ガ出来ルヨウニナッテ、好キ友達モ無ク、悪友バカリト交ッタ故、ヨキコトハ少シモ気ガ附カヌカラ、此様ノ法外ノコトヲ英雄ゴウケツト思ッタ故、皆ナ心得違イシテ、親類父母妻子ニ迄イクラノ苦労ヲ懸ケタカ知レヌ、カンジンノ旦那ヘハ不忠至極ヲシテ、頭取扱モ不断ニ敵対シテ、トウトウ今ノ如クノ身ノ上ニ成ッタ、幸イニ息子ガヨクッテ孝道シテクレ、又娘ガヨクツカエテ、女房ガオレニソムカナイ故ニ、満足デ此年マデ無難ニ通ッタノダ、四十二ニナッテ初メテ人倫ノ道、且ツハ君父ヘ仕エルコト、諸親ヘムツミ、又ハ妻子下人ノ仁愛ノ道ヲ少シ知ッタラ、是迄ノ所行ガオソロシクナッタ、ヨクヨク読ンデ味ウベシ、子ニ、孫ニマデ、アナカシコ。
于時天保十四年寅年初於鶯谷書ス夢酔道人」 これで一巻を読み了(おわ)った時、上野の鐘が、じゃんじゃんと鳴るのを神尾主膳が聞きました。
 上野の鐘がじゃんじゃんと鳴るのは警報ではない、上野のじゃんじゃんは通り物になっているのですが、今日はそのじゃんじゃんが、神尾が耳に事有りげに響いて聞えました。
「覚王院に会おう、そうだ、あの院主を叩いて、ひとつ聞いてみようではないか」
 神尾が突然、巻を叩いて立ち上ったのは、じゃんじゃんの鐘の音につれて、何か急に思い当ったことがあるらしいのです。
 その口の端(は)に現わされたところを聞くと、「覚王院」とある。

         七十五

 その後の与八の生活は、極めて無事でありました。
 無事は安定を意味するので、安定なくして無事があり得ようはずはありません。安定は畢竟(ひっきょう)、土地を基調とするのでありまして、つまり、土地に居ついたということが、人心の安定となるのであります。
 与八は、この土地に居ついた心持になりました。このところ、甲州有野村、富士と白根にかこまれた別天地――ここに於て、わが生涯が居ついたという感じが出ると共に、安定の心が備わりました。そこで、居る時は即ち安心、出づる時は即ち平和であります。そうして土に居ついて働くということが即ち行持(ぎょうじ)で、人に対するということが同時に教育でありました。
 ここに教育というのは、ことさらに定義のある教育ではない。自分に於ては行持、それが他に反映して、教育ともなれば教化ともなるのみで、与八にあっては、教育せんがための教育の何物もないのであります。与八こそは、全く世の謂(い)うところの教育せられない民でありました。彼は棄児(すてご)ですから、家庭の教育というものがありません。机の家へ拾われてから、弾正(だんじょう)の情けで、寺子屋教育のある部分だけを受けさせられたが、その当時の与八は、寺子屋教育の学問をさえ受入れられる素質を欠いておりました。
 ナゼだと言えば、二三、人の子の集まるところへ行くと、拾いっ児だという冷たい指さしが、この男の心を暗くしたのと、天性学問が好きでなかったから、学問の庭へ行くことを怖れ且つ避けました。そこで、主人側でも、むりやりにということをしないで、「なにも、字を知ることが最上の学問ではない、人間、字を知らなくても、字を知る以上の生活ができるものだ」という弾正が、他の人にはわからない警語を添えて、与八を早くから水車番に下ろしたものですから、これを天職として生きて来ただけのものです。その後、字を知らなくてはいけない、字を書かないと恥をかくということを、与八がようやく自覚して来たのは、相当の年になってからですが、その事は自ら言い出せませんから、水車小屋へ入って、囲炉裏(いろり)の灰の上へ、いろは、アイウエオを書いては消し、書いては消しているところを、弾正に認められて、それとなくお手本を与えられたのが、およそ字学というものの最初なのです。そうして、与八が若干の文字、曲りなりに手紙の文書を書いたり、小遣帳(こづかいちょう)をつけられる程度の素養が出来上ったと認められたのですが、これはかつて表面に現わしたことはない。今、こうして、この土地に安定をして、自分の周囲へ子供たちが集まって来るのを見ると、この子供たちを、このままで置けないという気になるのも自然でありました。
 ここに群がる子供たちの多数の親が、教育に無頓着である。そうして、仕事の邪魔になってうるさい場合には、「外へ出て、遊んでこう」と言って子供を追い出す。一時の喧騒から追払いさえすれば、追払われた先では何をしようと、そこまでは考えない、考えていられない。この子供たち――一名餓鬼共の、遊び場を求めて自分のところへ群がって来るを見るにつけて、与八は、この中に善性もあるし、悪性もあるということを、見て取らないわけにはゆきません。
 そこで、これらの餓鬼共の相手になって、これを善導することに、おのずからなる責務を感じ出したのも、与八としては決して無理ではないのです。
 そこで、与八の仕事場が、同時に学校になって行くのも、水いたって渠(みぞ)の成るが如く、極めて自然なものでありました。
 ばくちの真似や、穴一や、わいわい天王や、どうろく神や、わけもわからず色事の身ぶりこわ色などをする少年の多数を教えて、そういうことはさせないようにしたい。それには、別な興味と、教育を与えなければならないということが、指導方針の研究題目となって現われるのも自然の成行きでありました。
 そこで、玩具に代るに手工を以てしました。彼等に材料を与えて、物を構造せしむるの趣味を与えることを以て、邪道淫風から離導しようとする与八の教策は当りました。
 そこで、彼等に、手工を与え、草鞋(わらじ)、草履(ぞうり)の作り方を教えて、手と眼との趣味性を与えると共に、やっぱり文字の教育をも、ゆるがせにしてはならない。
 こんな山村のことですから、よき師匠といわないまでも、村のお寺へ行って和尚さんに教わるものも、そう多くはなし、またお寺まで行く道のり、行きついてみたところで、和尚さんまた必ずしも教育の熱心家とは限らない。碁を打ったり、酒を飲んだり、時としては法事や年会に出かけたりして、子供らの文字のめんどうを見る時間も甚(はなは)だ乏しいと言わなければならない。そして、子供も、寺子屋通いに興味を持つことができない。そこで、文字に遠ざかって、一生を明盲(あきめくら)で暮す運命の子供を多く見るにつけて、たとえ自分の最小の文字の力をでも、この際、彼等に移し植えてやろうという気になったのも、孔子のいわゆる好んで師となるの心ではない。
 そこで、与八は、いろはから、アイウエオ、一二三四の教授方をも兼ねました。
「与八さん、七という字は、ドッチへ曲げるだっけかなア」
 横に一本書いて、縦から書き卸してみたが、途中まで来て、どっちへ曲げていいかわからない、そこで行先をたずねて哀号する子供がある。
「右へ曲げるだよ、右へ」
 ところが、右と左の観念がよくわからない。思いきって左へ曲げてしまって、げんなりした面(かお)でいると、与八が傍へよって来て、手に筆を持添えて、
「そら、右というのは、こっちの方で、左というのは、こっちだよ、おまんまあ食う時、箸(はし)を持つのが右で、茶碗を持つのが左だよ、よく忘れねえで」
「そうかなあ、みんな、いいことう聞いたよ、おまんまあ食う時、箸う持つ方が右で、茶碗を持つ方が左だとよ、いい事う聞いた、みんな忘れんなよ」
 教えられた子供は得意になって、それの新知識を更にまた他に向って移植しようとする。かくして、かりそめにも教育に従事した与八は、他教育と共に、自分を教育せねばならぬ必要を感じました。いわゆる、自ら教育せぬものには、他を教育するの資格がないことを、切実に感得しました。
 そこで与八は、村の有識者――いやしくも自分より以上の智能者であると見ると、機会ある毎(ごと)に就いて学ぶことに、熱心綿密を極めておりました。

         七十六

 与八は、自分の働く周囲が、おのずから学校となることには煩わしさを感じませんでしたが、自分の出て行く先が、偶像となることを深く怖れました。
 与八に対して、一つの信仰が起りかけて来たことは、前に言った通りであります。
 この超経済の奇篤人の行動が、世俗人の目から驚異に見られたあまり、これは木喰上人(もくじきしょうにん)の生れかわりであるの、鳩ヶ谷の三志様であるの、地蔵様の申し子であるの、何神様のお乗りうつりであるのという信仰は、すぐにその隣りへ迷信の祠(ほこら)を築き易(やす)いことになっている。
 与八さんのまわりへ寄れば、気が休まる――なんとなく気分が和(やわ)らぐ――というのはまだいいが、与八さんに頼めば病気がなおる、与八さんの傍へよると難病が落ちる、というようなことになるを、与八は甚しく怖れました。しかし、与八が怖れれば怖れるほど、その信仰なり、迷信なりが、加速度に嵩(こう)じて来る雲行きを、与八は更に怖れました。
 そこで、なるべく出歩かないように、施行(せぎょう)の湯治場へさえも、なるべく遠のくように心がけていると、今度は、先方から押しかけて来る、その人の足が日に増し、これも加速度に殖(ふ)えてくる気配を見て、与八がまた怖れる。
 与八の心配としては、どうも、これを早く消してしまいたい。自分は、人並み足らずの、頭のない人間で、決して神様や仏様の乗りうつりでもなんでもありはしない。自分は馬鹿だから、せめて世間並みのところで心やすく働かせてもらいたいと一生懸命につとめているのを、世間が買いかぶってくれてしまっている。そのことわけを言って、辞退をすればするほど、買い手が殖えて来る――与八は、どうかしてそれを今のうちに予防しなければならない、ということを、心ひそかに恐れ怖れているのです。
 それから、もう一つ――与八が内心の恐れ、というよりは、内心の責務に責められて、これを怠ってはならないと絶えず鞭打たれているような心持の一つに、郁太郎(いくたろう)の教育のことがあります。
 郁太郎も、今年はもう数え歳の五つです。これから人間をこしらえなければならぬ、その父となり、母となり、兄となり、姉となり、師となり、友となる一切の責任が、自分一つの身にかかっているということを、与八は常に、切々(せつせつ)と責められているのですが、今日この頃、この地へ落着いてみると、その責任が全く確実性を帯びて来ました。
 この子を教育しなければならない、他の子供の教育はいわば片手間であるが、この子供は特別に自分の上に課せられた任務であることを感じてみると、漠然とした、その教育方針を考えさせられるのも当然です。
 この子供は素姓の優れた家柄に生れた子だ、将来どんなことになるか、現在ではわからないが、将来を思うと、畢竟(ひっきょう)、これを父親に似せてはならない、お祖父(じい)さんに似せなくてはならないということが、与八の頭へ熱鉄の如く打込まれるのであります。
 郁太郎の父は竜之助であって、その祖父は弾正であることを、与八ほどよく知っている者はない。父の竜之助の優れた天分の人であることは、その善悪邪正にかかわらず、与八はよく認めている。それを誤ったものに教育があるということを、大先生(おおせんせい)すなわち弾正の口から、絶えず与八は聞いて知っている。大先生の教育がわるかったのではない、大先生が永らくの御病気で、竜之助様によき教育を施す隙がない間に、竜之助様の悪い方が伸びてしまったということを、与八は昔から観念している。
 そこで彼は、この子を父にしてはならない、祖父にしなくてはならない、と感づくのは当然の認識であるが、与八としては、その父を怖れるよりは、一層、祖父なるものの偉大なるを信じている。そこに、与八の教育の根本方針が成り立っていました。
 事実、与八の眼で見た弾正という人、すなわち郁太郎のためには祖父、竜之助のためには父なる人ほど、この世に於て偉大なりと信じている人は有りません。
 それは、棄児(すてご)であった自分の一身を拾い取って、衣食を与えた生命(いのち)の恩人というだけの観念ではないのです。
 およそ、この世界に於て、いかなる人がエライといって、うちの大先生ほどのエライ人はない。江戸へ出て、エライと言われる人もお見かけ申したことがないではないが、そのエライ人でも、うちの大先生にはかなわない。どこがどうエライかということは与八にはわからないが、どんなエライと言われる人をお見かけ申しても、うちの大先生のことを思い出すと、引け目を感じないことを与八は直覚する。つまり、エライ人にはみんなそれぞれ身に備わる「威」というものがある。うちの大先生の「威」は、どんな人にも遜色がない、ということが、与八の信仰となっているのであります。与八が「威」という観念で解釈しているのは、近づき難い怖れという意味ではない、与八は与八らしく世間の「威」という観念を受入れて、人格の備わった徳の高い人に、おのずから備わる後光のようなものだと信じているのです。ドコへ出て、どういう人を見ても、与八はうちの大先生のことを思うと、ちっとも引け目を感じない。それがつまり、大先生の威というものだと信じているのです。
 そこで当然、その血筋を引いた郁太郎様は、お祖父(じい)さんのような人に仕上げたいものだという希望も、無理ではないのです。お祖父さんの正しい血筋を引いているのだから、お祖父さんのようなエライ人になれるべきはずである、というのがまた与八の信念で、同時にそれを、お祖父様のように仕上げるのが一つ間違って、竜之助様のようにしてしまった日には、その責任がかかって自分にあるということを感得すると、与八が恐懼戦慄(きようくせんりつ)するのもまた無理がありません。
 どうして教育して上げたらいいか、わしぁ学問はなし、金ぁなし、器量はなし、なにもかもないないづくし。これで人一倍の血筋の子供を仕立てようとするのは、てんで話が無理だ、わしにゃ、どう教育して上げていいかわかんねえ、いい先生はないかなあ、いい学校はねえかなあ、恐懼戦慄の後に、与八が観念はこれでありましたが、そういう時に、眼をつぶって、大先生の信仰をはじめると、不思議に、今まで忘れていた昔の面影がありありと、自分の眼の前に現われて、その折々に言われた言葉が耳の底から甦(よみがえ)って、自分の耳もとに、諄々(じゅんじゅん)として説かれる声を聞きました。
「与八、お前は貧乏に生れて、棄児にされたその運命を恨んではいけないぞ、その運命というものが、お前を教育する恩人だということを忘れちゃいけないぞ、わしがこうして長年の病気を、人は不幸だと思うけれども、わしにとってはこの病気によって教育されたことが大きい、それと同じこと、人間がよくなる、悪くなるということは、物があり余って、立派な親、師匠がついているいないということではないぞ、貧乏はこの世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
と言って、慰め励まされたその言葉が、今し耳の底でガンガン鳴り出して来ました。
 その当座は、大先生のおっしゃることは無条件で拝伏して聞いていた。無論、大先生のおっしゃることなどが、自分の頭で理解のつく限りではないから、ただ有難くお聞き申していただけだが、それが今日になって、ありありと出て来て、実際の手引をして下さるとは夢にも思っていなかった。
「貧乏は、この世界の最もよい教師だということを忘れるなよ」
 してみると、自分の貧乏は苦にならない。いや、いっそこの貧乏が郁太郎様にもよい教師――果して、そういうものか知ら――どうもわからないが、大先生のおっしゃるお言葉にムダがあろうとは思われない。してみると、教育のために自分たちは最も恵まれていればとて、不足の身ではない。そういうようなことを、与八は考えて安心しようとしましたが、一面には、自分の頭に余り過ぎて考えられないものですから、その度毎に、痴鈍な自分の頭脳(あたま)を振って、一も二も昔のことを考え出し、大先生のおっしゃったお言葉の節々(ふしぶし)を思い起し、ゆっくり考えて、考え抜いてみようと与八が覚悟をきめました。

         七十七

 さて大菩薩峠「山科の巻」はこれを以て了(おわ)りとします。念のため、本巻に現われた人の名と、その所在の地名とをここに挙げてみます。

        ┌─宇治山田の米友
        ├─不破の関守氏
山科新居────┼─弁信法師
        ├─お銀様
        └─がんりきの百蔵
        ┌─芸妓福松
福井より近江路─┤
        └─宇津木兵馬
        ┌─神尾主膳
根岸侘住居(ねぎしわびずまい)───┼─ビタ助
        └─お絹
        ┌─机竜之助
京洛市中────┼─南条力
        ├─五十嵐甲子雄
        └─轟源松
        ┌─与八
甲州有野村───┤
        └─郁太郎

等でありまして、裏面或いは側面に動く人名、或いは新たに点出された人間としては、月心院内、門番の娘と、怨霊(おんりょう)の美僧美女、目明しの文吉、斎藤一、福井の好学青年、近藤勇、勝海舟の父、藤原の伊太夫、鬼頭天王の尼、村正どん、島原の舞子、重清と朝霧、与八の周囲の民衆と子供、動物としてはグレートデン、庫裡(くり)の猫の登場等々であります。
 さてまた、従来引きつづいての重要な登場をつとめていた人々で、本篇に現わるべくして現われなかったものの所在を考えてみると、
        ┌─駒井甚三郎
        ├─お松
        ├─七兵衛
        ├─お喜代
        ├─田山白雲
海洋の上────┼─柳田平治
        ├─ムク犬
        ├─清澄の茂太郎
        ├─ウスノロ氏
        ├─兵部の娘
        ├─金椎(キンツイ)
        └─無名丸とその乗組員
        ┌─藤原伊太夫
        ├─お角
関西旅中────┼─道庵先生
        ├─お雪ちゃん
        └─加藤伊都丸(かとういつまる)
        ┌─銀杏加藤(ぎんなんかとう)の奥方
清洲城下────┤
        └─宇治山田の米友
        ┌─青嵐居士
胆吹山─────┤
        └─胆吹王国に集まる人々
 右の外、点出せられた人物としては、金茶金十郎、のろま清次、新撰組の人々、よたとん、木口勘兵衛、安直、デモ倉、プロ亀、築地異人館の誰々、仙台の仏兵助、ファッショイ連、女軽業の一座、等々。
 地理の区域は、現在の日本の東海東山の両道から、北陸の一部、北は陸奥に及び、畿内の中心、いわゆる日本アルプスの地帯が活躍の壇場になって来たが、海の方は太平洋の真中にまで及んでいる。
 この「山科の巻」の稿を起すの日時は昭和十五年の九月十日――稿を了るの日は同年十月十六日。これを大菩薩峠全体から見ると、起稿は明治四十五年、著者二十八歳の時、本年即ち昭和十五年より、またまさに二十八年の過去にあり、最初の発表はそれより一年後の大正二年。分量は前巻にも申す通り、開巻「甲源一刀流の巻」よりこの「山科の巻」に至るまで二十六冊として一万頁に上り、文字無慮五百万、世界第一の長篇小説であることは変らない。読者は倦(う)むとも著者は倦まない、精力の自信も変らない。

今や世界全体が空前の戦国状態に落ちている。日本に於ても内政的に新体制のことが考えられている。わが大菩薩峠も、形式として新しく充実した出直しをしなければなるまい。




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