大菩薩峠
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著者名:中里介山 

         八

 しばらく弁信法師に導かれて来て見ますると、久しく閉された柴の門に、今日この頃ようやく手入れをして、いささか人の住める家としたらしい、その前へ来ました。近よって米友が門の柱を見ると、三寸に四寸ほどの門札のまだ新しいのがかけられたのへ、提灯を振りかざして見ると「光仙林」――それは自分の提灯に記された文字と同じであることを知りました。
 そこで来るべきところへ来たという安心がありました。
 その門をくぐって、屋敷の中へ入って見ると、広いこと、門の外も同じ原っぱならば、門の中もまた同じような原っぱ。
 さすがに門の外は、荒寥(こうりょう)たる自然の山科谷だけれど、門の中には相当に手入れをした形跡はある。自然の林と原野とを利用して、相当人間の技巧を加えたのが、久しく主に置き忘れられて、三逕荒(さんけいこう)に就き、松菊なお存するの姿にはなっていたけれど、これもきのうきょう開きならしたらしい旧径のあとは、人を奥へ導いて、この道必ずしも鳥跡ではないことがわかる。
「ずいぶん広い屋敷だ」
と、歩きながら米友もひそかに舌を捲いたくらいだから、門を入ってさえドコに人家があるのだか容易にわかりません。
「光仙林」ていうから林の名なんだ、だが門があって、表札が打ってあるからには、人の住むべき構えがなければならないということを、強く予想しながら、弁信にまかせて従って行くと、果して、一口の筧(かけひ)を引いた遣水(やりみず)があって、その傍に草にうずもれた低い家があったのです。
 そこへ来て見ると、何よりも人の住んでいることに間違いのないという証拠は、幽(かす)かながら燈火の影がさしていることで、またも米友を安心させると、時を同じうして弁信のおとなう声を聞きました。
「御免下さいませ、関守様はこれにおいででございますか」
と案内を乞(こ)う声によって、中に人あることの見込みも確実ですが、ただちょっと、この際、米友の聞き耳を立たせたのは、弁信のおとなう声の中に、関守様と特に名ざしたことです。
 関守といえば、その人の固有の姓、たとえば関口とか、関根とか、関山というような種類のものでなくて、関を守る人という意味の特別普通名詞であるに相違ない。
 してみると、中なる人を関守氏と呼んだ以上は、ここは関だ、つまりお関所なんだ。お関所は幾つもある、東海道の箱根のお関所をはじめ、米友にはいくらもこれが出入りの体験がある。中仙道に至っては、道庵先生の従者として具(つぶ)さに、その幾つかを経歴して来たのだが、ついいま参詣した蝉丸神社(せみまるじんじゃ)というのも、あの辺がれっきとした古来の関だと聞いて来たが、別段、役人がいて手形を出せとも言わなかった。表向には逢坂の関というのがあって、その裏に小関がある。自分たちは小関越えをして来て、それから少しあと戻りをして、蝉丸神社へ参詣したと覚えているが、ドコをどう廻っても、お関所らしい役所はなし、手形を出せという役人もいなかったが、それではここがお関所なんだな、いわゆる逢坂の関というやつなんだな、それにしても、お関所にしては屋敷は広いが、表がかりが寒頂来(かんちょうらい)だ、お関所も時勢につれて、身代が左前になったから、こっちの方へ引込んで、隠居仕事に関代(せきだい)をかせいでいるのかも知れない――などと、米友が予想しながら、なお暫(しばら)く弁信の為さんように任せて待っていると、やがて、中から戸を押す物音があって、紙燭(しそく)を手にかざして、
「弁信殿か、よく無事で見えられたな」
 障子のかげから、こっちへ姿を現わしたその人は、思いきや、関守には関守だけれども、不破の関守氏でありました。

         九

 不破の関守氏ならば、米友も旧識どころではない、つい近ごろまで、胆吹の山寨(さんさい)で同じ釜の飯を食っていた宰領なのですから、なあんだ、それならそれと言えばいいにと、少し苦い顔をしていました。
 しかし、米友としては、向うでお化けに逢って、それを突き抜けて来たら、またここで同じお化けに出逢ったような気持で、出し抜かれた上に、先廻りをされて、ばあーっと言われたような感じがしないでもありません。
 だが、そういうことは、弁信が先刻心得面であるから、米友はまず提灯をふき消すだけの役目をすると、人をそらさない関守氏は、
「友造君、よく無事で見えられたな」
と、弁信に対すると同一の会釈を賜わりました。ただ一方には弁信殿とかぶせたのに、今度は友造君と前置きをしただけの相違で、あとの会釈は一字一句も違わない音声と語調でありましたから、米友も納得しました。もし、これがいささかでも相違して、弁信に対しては客分、米友に対しては従者あつかいの待遇でもしようものなら、この男として、相当不快な感情を表わしたに相違ないが、その辺の呼吸は心得たもので、関守氏は一視同仁の会釈を賜わったのみならず、弁信を招ずるが如く米友をも招じ、二人ともに無事このところへ安着を賀する心持に優り劣りはなく、果ては二人のために洗足(すすぎ)の水まで取ってそなえてくれるもてなしぶりに、弁信はともかく、米友はいたく満足の意を表しました。
 そもそも、この人と、それから青嵐居士との二人に助けられて、農奴として斬らるべき運命の身を救(たす)けられて、多景島までかくまわれ、ここで弁信に托して一命の安全を期し得たのは、つい先日のこと。
 してみれば、二人をまたあの島から、この谷へ移動させるまでに肝煎(きもいり)をしていてくれたのもまたこの人、親切であって、ちょっとの抜りもない人だが、しかし、その親切ぶりと、抜りなさ加減に多少、気味の悪いところもある。あまりに抜身の手際があざやかなものだから、米友としては、いささか化け物を見るような感がないではない。
 やがて、不破の関守氏は二人を炉辺に招じて、ふつふつと湯気を吐きつつある鍋の前に坐らせました。無論、自分もその一方の、熊の皮か何かを敷いた一席に座を構えているので、あたりを見れば短檠(たんけい)が切ってあって、その傍らに見台(けんだい)がある、見台の上には「孫子(そんし)」がのせてある。
 その見台の上にのせてある書物を「孫子」だなと、米友が睨(にら)んだわけではない。本がのせてあるなということは、たしかに睨んだけれども、一目見て「孫子」だなと睨み取るほどの学者ではなかったのです。
 ここへ来たのはホンの昨今であろうのに、もう十年も住みわびているような気取り方が、米友にはまたいささかへんに思われる。
 加うるに膳椀(ぜんわん)の調度までが、一通り調(ととの)うて、板についているのは、前にいた人のを居抜きで譲り受けたのか、そうでなければ、お勝手道具一式をそのまま、あたり近所から移動して来たとしか思われません。
 かく甲斐甲斐しく炉辺の座に招じて置いてから、不破の関守氏は、
「君たち、まだ夕飯前だろう、何もござらぬが手前料理の有合せを進ぜる」
と言って、膳部を押し出したのを見ると、お椀も、平(ひら)も、小鉢、小皿も相当整って、一台の膳部に二人前がものは並べてある、しかも相当凝っている。
「さあさあ、お給仕だけは御免だよ、君たち手盛りで遠慮なく食い給え、米友君、君ひとつ弁信さんに給仕をして上げてな、食い給え、食い給え」
 鍋の蓋(ふた)を取って、粟(あわ)か、稗(ひえ)か、雑炊か知らないが、いずれ相当のイカモノを食わせるだろうと思ったところが、鍋の方は問題にしないで、黒漆の一升も入りそうなお櫃(ひつ)をついと二人の方へ突き出したものだから、米友が、この時も小首をヒネりました。
 お膳の上を見直すと、小肴(こざかな)もある、焼鳥もある、汁椀も、香の物も、一通り備わっているのだが、はて、早い手廻しだなあと、いよいよ感心しているうちに、
「さて、食事が済んだら、弁信殿は女王様がお待兼ねだから、あちらの母屋(おもや)へ行き給え、米友君はここに留まって、拙者と夜もすがら炉辺の物語り」
 さては女王様、即ちお銀様もここに来ているのか――いずれも熟しきった一味の仲間でありながら、米友はここにも、化け物が先廻りをしている、ドレもこれも化け物だらけという気分で、おのずから舌を捲きました。
 自分がドノくらいの程度の化け物だか、そのことは考えずに……

         十

 やがて弁信法師だけが案内を受けた、この屋敷の母屋というべき構えは、平家建の低い作りではあって、すべて光仙林のうちに没却してはいますけれども、内容の数寄(すき)を凝らしたことは一目見てもそれとわかるのであります。
 光悦筆と落款(らっかん)をした六曲の屏風(びょうぶ)に、すべて秋草を描いてある。弁信には見えないながら、見る人が見ると、すべてが光悦うつしといったように出来上っている。古い構えではあるけれども、相当手入れを怠ってはいなかったらしく、寂(さび)がついて、落着いて、その一室に経机を置いたお銀様の姿を見ると、室の主として、これもしっくり納まっている。
「林主様(りんしゅさま)、弁信法師が参りました」
「あ、そうですか」
とお銀様は、しとやかな言葉で、この法師を待受けました。
「お嬢様、弁信でございますが、はからぬところでお目にかかります」
「友造どんは、どうしました」
 それを不破の関守氏が引きとって、
「あれも一緒に、無事これへ着きましたが、食事を済ませまして、とりあえず弁信殿だけをつれて参りました」
「弁信さん、そこへお坐りなさい、そうして今晩は、ゆっくりあなたと話がしたい」
「いずれ、急がぬ身でございますから」
「では、拙者に於てはこれにて御免――」
 不破の関守氏は弁信を置きっぱなしにして、自身のわび住居(ずまい)へ帰ってしまいました。
 お銀様の経机に向った周囲を見ますと、幾つかの封じ文が、右と左に置かれてある。机の上にも堆(うずたか)いほどの手紙が載せてある。察するところ、この手紙類を右から取っては左へ読みついで、ひたすらそれに読み耽(ふけ)っていたところらしい。弁信が来たものですから、手紙の方はそのままにして置いて、お茶の立前(たてまえ)にかかりました。
 お銀様のお手前は本格であります。珍しくも手ずからお茶を立てて、弁信法師をもてなそうとするのであります。
「一つ、召上れ」
 ふくさに載せて、わざわざ弁信の前に置かれたものですから、この法師もいたく恐縮しました。
 差出された茶碗を見ると、これも光悦うつし、いや、うつしではない、光悦そのものの肉身の手にかけて焼き上げたもの――むやみに、うつしうつしと口癖になってしまってはお里が知れる。
「これはこれは、痛み入った御接待にあずかりまして」
 例によって物堅い弁信法師の辞儀、お手前ともお見事とも言わないで、御接待と言いました。そうしてその言葉にかなう恭(うやうや)しい手つきで、茶碗を取って押戴いて二口飲みました。弁信法師も、お茶の手前の一手や二手は心得ているに相違なく、手振(てぶり)も鮮かに一椀の抹茶(まっちゃ)を押戴いて、口中に呷(あお)りました。
「お願いには、もう一椀を所望いたしとうござります」
 お銀様はそれを喜んで、更に一椀を立てて弁信に振舞いました。
 それを快く喫し終った弁信が、澄ました面(かお)を、いっそう澄ませて、
「たいそう落着いたお住居(すまい)のようでございますが、いつこれへお越しになりましたか、そうして、以前どなた様のお住居でございましたか」
「これが弁信さん、山科の光悦屋敷と申しまして、今度、わたしが引取ることになりました」
「あ、これがお話に承った光悦屋敷でございますか、そうして、居抜きのまま、そっくりあなた様がお引取りになりました、それは結構なことでございます、おめでたいことでござります」
「父が欲しいと申しましたが、わたしが引取ることになりました」
「ああ、そのお父様のことでございます、はるばる甲州路から京大阪の御見物と申すは附けたりで、実はあなた様を見たいばっかりで、おいであそばしたそうでござりまするな、お会いになりましたか」
「会いました」
「それは功徳をなさいました、本来ならば、子が親を見つがなければならないのに、あなた様ばかりは、親御にそむいた罪が重いにかかわらず、それでも、親は子を思いきれないで、わざわざこの上方まで見においでになる、それなのに、会うの会わぬのとおっしゃる、あなた様の御了見が間違っておりましたが、これは今更申し上げたとて甲斐のないことでございます、ともかくも、首尾よく御会見になりましたとやら、それはそれは何よりの悦(よろこ)びでござります」
「いいえ、別に、嬉しくも、おかしくもありませんでした、でも、会って悪いことをしたとは思いませんでした」
「そのはずでございます、子が親に会うのが何で悪いことでしょう、お父上様のおよろこびが察せられます。して、久しぶりで親子御対面のお談話(はなし)の模様はいかがでござりました」
「別に細かい話はありません、引合わせる人たちが立会の上で、大谷風呂の一間で会見を終りました、万事は不破の関守殿や、あのお角さんという仕事師が心得ているはずなのです、わたくしはただ大体だけの受答(うけこたえ)をしましたが、それでも、父は満足して別れました」
「その大体だけの受答というのが承りとうござります」
 弁信法師は小賢(こざか)しく小膝を押進ませました。

         十一

 お銀様は、それを悪く謝絶をしませんでした。かえって、快く、むしろ弁信にも渡りをつけて置いてみたいような気持で、
「父は第一に、有野の藤原の家のあとをどうするかということを、わたしに責めました、あの家の血統といっては現在わたし一人、そのわたしが、こんなような人間ですから、家の存続ということが、父の死後までの関心第一である限り、その相談――ではない、詰責(きっせき)なのです、その唯一の血筋でありながら、家をも親をも顧みない私というものを責めるのは、責めるのが本来で、責めらるるが当然です、けれども、責められたからとて、叱られたからとて、今更どうにもなる私ではないということを、父も知っている、わたしも知っている、そこで第二段の条件になりました」
「と申しますると?」
「つまり、血統唯一の本筋である私というものが、家督の権利を抛棄(ほうき)する以上は、他から養子をしても異存はあるまいな、ということでありました」
「それも道理でございます」
「無論、わたくしに異存のありようはずはございません、宜(よろ)しきようにと、あっさり返事を致しました、そうしますると、では、その養子に就いてお前に何か希望条件があるかと、父がたずねましたから、いいえ、希望などは更にござりませぬ、そんなのがあるくらいなら、疾(と)うに私から推薦を致すなり、私自身が引きついでしまうなり致します、左様なことには一切白紙でございます、と父に向って申しました」
「それは、理非はとにかくに、あなた様らしい御返事でございました」
「しますとね、父が、よろしい、では、こちらのめがねで、しかるべき人を見立て、それに藤原家一切を引渡してしまっても、後日に至ってお前の文句はあるまいなと、駄目を押しますものですから、ええ、文句や未練などがあるべきはずのものではない、お父様のおめがねに叶(かな)った人がありますならば、御存分になさいませ、私はそれを喜んでお祝い申して上げますと申し上げました」
「なるほど、それも、まったくあなた様らしいお気持であり、あなた様らしい御返事でございます」
「その次に、財産の話が出ました、父が、念のために藤原家の現在の財産――土地家屋から、金銀宝物に至るまで、総計これだけあるから、念のために覚えて置くがよろしいと、番頭にその記入帳を取り出ださせ、それを私につきつけて説明をなさろうとしますから、私は、いいえ、すでに家督を抛棄したものに、何の財産の知識が要りましょう、捨てた本家の財(たから)を数えるような未練な心はさらさらない、その計算はお聞き申しますまい、その代り、評議で定まった最初から私のいただくべきものになっていた部分だけを、私にお頒(わか)ち下さればそれで充分です、それだけは私がいただいて、自由に使用させていただきましょう、それにしまして、家督を顧みぬ親不孝者には、それも相渡されぬということならば、一文もいただかなくとも結構です、万事、お父様のお心持次第――とこう申しますと、よし、わかった、と父が申しまして、別に用意を致して参りました一冊を、改めて不破の関守さんと、お角さんの手に渡しました――それで、キレイに万事の解決は済みました」
「それは、あなた様は済んだとお思いでしょうが、お父様は、この解決に、容易ならぬ不本意でございましたでしょう、でも、それよりほかになさりようのないお心持が、わたくしにもよくわかります」
「あなたには、父の心持はよくわかるかも知れませんが、私という女は、わからない女なのです」
「いや、わかり過ぎておいでになる――」
「いいえ、わかりません、わたしという人間は、天地間第一等のわからず屋でございます、それでいいのです」
 お銀様の言葉が少し癇(かん)に立ってきたので、弁信はまた病気が出だしたなと思ったのか、広長舌を食いとめて、深く触れることを避けた心遣(こころづか)いがあります。そこで、なにげなく話頭を一転し、語気を一層和(やわ)らげて、
「それで、なんでございますか、あなた様の代りにお家をおつぎになる相続人、果してお父様のおめがねに叶うお人がありまするやら、その辺に立入っての御相談はございませんでしたか」
「ありました」
 お銀様は、きっぱり答えたので、弁信法師も少しくはずみました。

         十二

「そのお方はどなた様ですか、あなた様の御親戚のうち、或いはお知合いの方で、まずあれならばと思召(おぼしめ)すようなお心当りがございましたか」
「いいえ、ちっとも知らない人です、なんでも連れ子をして、このごろ家に居候(いそうろう)をしていた他国者なんだそうですが、それを見込んで父が親子養子にすると申しますから、御存分に、身分素姓などのことをかれこれ申すくらいなら、最初から私が嗣(つ)ぎますと、私は言いきってしまいますと、この場はそうでも、後日ということもある、他人を相手のことだから、これに判をしなさい、父の認めたこれこれの養子に家督一切を譲っても、後日に至って毛頭異存のないというこの書附に判を押しなさいと、父が申しますものですから、ええ、ようござんすとも、ようござんすとも、判などは幾つでも、どこへでも捺(お)して上げますと、私はその証文へ自筆で名を書いて、女だてらの血判までしてやりました」
「あなた様のお名前を書き、血判までしておやりになりましたならば、その証文面をイヤでも一応はごらんになりましたでしょう、あなた様に成代(なりかわ)って家をおつぎになる、父上のおめがねにかなった新しい御養子というお方は、いったいどのようなお方でございましたか――せめてそのお名前くらいは」
 弁信法師が念を入れて、根深くたしかめようとすると、お銀様が、
「本人の名は、与八とだけ書いてあるのを見ました、その傍に並べて、郁太郎(いくたろう)と書いてあったようです、郎という字かと思いましたが、郎太郎という名前もないでしょうから、あれは郁太郎――つまり親が与八で、子が郁太郎、それが私に代って、父の家を引きついで、寝かし起しをしてくれる親子養子になったことと思います」
「何とおっしゃいます、与八に、郁太郎――」
 そこで、物に動ぜぬ弁信法師の語調が、いたく昂奮したような様子が歴々です、お銀様は言いました、
「わたしは、与八がどういう人で、郁太郎という子が誰の子だか知りません、知ろうとも思いません、ただあの二人が、これから藤原の家を踏まえて、わたしに代ってあの家を立ててくれることを、御苦労だと思っています、いいえ、立ててくれるのか、つぶしてくれるのか、それも知りたいとは思いません」
 そうすると、弁信法師が抜からぬ面(かお)で答えて言うことには、
「その与八さんとやらは、おそらく、お家をつぶしてしまうでございましょう、また、潰(つぶ)されても悔いないと思えばこそ、あなたのお父様も、その二人を御養子になさる御決心がついたのです」
「いったい、家を起すの潰すのということが、私にはよくわかりません」
「左様でございますとも、諺(ことわざ)に女は三界(さんがい)に家なしと申しまして、この世に女の立てた家はございません、本来、女人(にょにん)というものは、物を使いつぶすように出来ている身でございまして、物を守って、これを育てることはできないものなのでございます、家を起すのは男の仕事でございまして、家をつぶすことは女の仕業(しわざ)なのです、もとより、すべての男が家を起すべきもの、すべての女が家をつぶすべきものとは申しませんが、この世に、女の起した家というものはございません、本来、女には家そのものがないのですから。たとえて申しますると……」
「コケコッコー」
 弁信法師の饒舌(じょうぜつ)が、理窟に堕しつつも、これから夜と共に深入りをしようとする矢先に、つい近いところで鶏がけたたましく鳴きました。
 ははあ、話は夜と共に深入りをしようとする時、はや世界は明け方に向ったのか。鶏の声々に引きつづいて、つい近い庭先で、一声のすさまじい犬の吠(ほ)ゆる声を聞きました。鶏の鳴き声は、ちゃぼの鳴き声でありましたが、犬の吠え方は、ついぞ聞いたことのない、鋭くして強い吠え方でありました。鶏犬(けいけん)の声は平和のシムボルでありますけれど、鶏は時を作るものだが、犬は時間を知らせるものではありません。不吉な夜鳴きでない限り、鶏の鳴く音は常態でありますけれども、犬の吠ゆるは非常態でなければならない。
 そこで、この屋敷に相当逞(たくま)しい犬が飼育されていることもわかり、その畜犬が物に触れて、いま声を立てたのだということもわかりました。犬が物に感じたというその物は、人間以外の何物でもありますまい。つまり、不時に、思いがけぬ人の気配(けはい)を感じたればこそ、畜犬が、主家の防備と、自己保存の本能のために叫びを立てたに相違ない。それを勘の強い弁信が聞き洩(も)らすはずはありません。
「犬がおりますな」
「ええ、強い犬がいます」
「誰か参りました」
「不破さんでしょう」
「いいえ、別の人です」
 つついて、犬が立てつづけに吠える、その声は尋常の犬と違って、腹から出る音声を持っていて、この座の人の丹田にこたえるのみならず、おそらく、この静かな時、十町を離れたところでらくに聞き取れるほどの音量が、超感覚の弁信の耳に、いよいよこたえないはずはありません。
「変っておりますな、あの犬は、ただ犬ではありません」
「ただの犬ではありませんよ」
 非凡なる犬といえば誰しも、ムク犬を思い出すが、ムクは今、太平洋の海の中にいるはずですから、まかり間違っても山科谷の間へ来るはずはありません。
 ただ、お銀様だけが、ただの犬でないことを心得ているらしい。
 鶏犬の声によって、この場の会話は甚(はなは)だ白けてしまいました。弁信法師のせっかくの広長舌も、なんとなく出端(でばな)を失い、光芒(こうぼう)を奪われたかのような後退ぶりです。

         十三

 一方、不破の関守氏は、米友を炉辺の対座に引据えて、これもしきりに物語りをしておりました。
 不破の関守氏は座談の妙手である。これはお銀様のように、権威と独断を人に押しつけることをしないし、弁信のように、感傷と理論の饒舌(じょうぜつ)に人を悩ますようなことがありません。平談俗語のうちに、世態人情を噛みしめて話すものですから、米友もたんかを立てる隙(すき)がなく、これをして神妙に聞き惚(ほ)れて、しきりにうなずかせるだけのものはありました。
 そのくらいですから、会話に興が乗っても、これが切上げの潮時をもよく知っている。この小男も相当疲れているであろうことを察して、程よく一室に入れて彼を寝かし、己(おの)れも寝について、そうして無事に暁に至りました。その時、犬の吠える声を聞くと、今まで熟睡していた米友が、ガバと身を起して、
「今、犬が鳴いたなあ」
 犬ならば吠えるというのが正格であろうけれど、鳴いたと口走ったのは、それと前後して鶏の鳴いたその混線のせいかも知れません。次の間に寝ていた不破の関守氏も、もうこの時分、すっかり覚めておりました。
「誰か来たようだよ」
「いま犬が吠えたねえ、おじさん」
 誰か来たか来ないか、そんなことは注意しないで、犬の音声だけが特に気がかりになるらしい。
「吠えたよ、だから、誰か人が訪ねて来たと思っているのだ」
「今の犬は、ただ犬じゃあない」
と米友は、ただこれ、犬にのみ執着している。
「ただ犬じゃねえ」
と不破の関守氏は、隣室から米友の口真似(くちまね)をして、
「すばらしい犬だ、起きたら君に見せてやる、それは二つとない豪犬だ」
「二つとねえ犬……」
「そうだ、朝の眼ざましにはあれを見てみるかい」
「早く見てえな」
 米友は、たまり兼ねて、ハネ起きて、その犬を見たがる気配を関守氏が感じたものですから、
「まあ、待ち給え、逃げろと言ったって逃げる犬じゃない、起きてから、ゆっくり見給え」
「ただ犬じゃねえ、腹で吠えてやがる」
と米友は、半身を蒲団(ふとん)から乗出して、その犬の声にすっかり執着するが、不破の関守氏は犬の吠える声よりも、その吠える声によって暗示される何者かの来訪、それにしきりに注意を傾けているようです。
 だが、暫くして、犬の吠える声は全く止まり、鶏の鳴く声だけが連続して聞えました。犬の吠ゆるは非常をそそるけれども、鶏の鳴く音は、平和と、希望を表わすこと、いずこも変りません。
 非常の示唆(じさ)たる犬の警告が止んだのは、失火の静鎮から警鐘が鳴りをひそめたと同様で、つまり、何物か一応、外をうかがったものがあるにはあるが、この警告に怖れをなしたと見えて、直ちに引取って、危害区域外に立去ったから、この屋敷は安全地帯に置かれた。代って、平和の使徒が光明の先触れをしたまでの段取りで、かくて東天紅(とうてんこう)になり、満地が白々と明るくなりかけました。
 不破の関守氏も朝寝坊の方ではないが、米友ときては、眼がさめたら、じっとしてはおられない。関守氏は、やおら起き出でて、筧(かけひ)の水で含嗽(うがい)を試みようとする時、米友はすり抜けて、早くも庭と森の中へ身を彷徨(ほうこう)させて、ちょっとその行方がわかりません。
 山科の朝はしっとりと重くして、また何となく親しみの持てる秋でありました。

         十四

 かくて、宇治山田の米友は、光仙林の秋にさまよいました。
 深山と幽谷の中にわけ入るような気分があって、心がなんとなく勇みをなすものですから、いい気になって、園林の間を歩み歩んで行くうちにも、我を忘れて深入りをしようとするわけでもない。
 今日は、心置きなく自分の住宅区域の安全地帯に、誰憚(はばか)らず遊弋(ゆうよく)することができる。この幾カ月というもの、米友の天地が急に狭くなって、あわや、この小さな五体の置きどころさえこの大きな地上から消滅しようとした境涯から、急に尾鰭(おひれ)が伸びたように感じました。
 おそらく、自由という気持を、この朝ほどあざやかに体験したことはなかろうと思われる米友が、その自由の尾鰭を伸ばすには、かなり充分な面積を有するこの異様な光仙林の屋敷は、空気に於てあえて不足を与えない。
 そこで米友は、いい心持で朝の散歩を思うままにして、どこにとどまるということを知らないが、さりとて、埒(らち)を越えるというのでもなく、行きては止まり、歩みては戻り、径(みち)の窮まらんとするところでは、杜(もり)を横ぎり、水の沮(はば)むところでは、これをめぐって、行きつ戻りつしていたが、誰あって咎(とが)むる人がない。
「広い屋敷だな」
 その屋敷は何万坪にわたるか、米友には目算が立たないが、向うの丘山を越えても、なお地続きに制限はないと思われる。地所に制限はないと思われるが、米友の心にはおのずから制限があって、あまり遠くへふらついて、関守氏を心配させては済まないという道義感がついて廻るから、暫くして、また取って返して、住居の方へ戻って来ると、ぱったりと物置小屋の隅に異様なものを認めて、
「あっ!」
と舌を捲き、その途端に、例によっての地団駄を踏みました。
 遽然(きょぜん)として彼の平静の心を奪ったところに、物がある、動く物がある。
 いったん舌を捲いて地団駄を踏むと共に、彼は、それに吸いつけられたもののように、一足飛びに飛んで行って見ました。
 物置小屋の傍らに、差しかけがあって、その下に、いる、いる、一頭の犬がいる。
 しかも、その犬が断じてただ犬ではない。
「やあ、いたな!」
 走り寄った弾丸黒子(だんがんこくし)の姿を見ると、そのただ犬でない犬が、唸(うな)るが如く、米友に向って吠えました。
「やあ、いたな!」
 彼が、摺(す)りよるほどに近づくと、犬は続いて尾を振って吠えかける。その吠える声が、さきに米友が評した如く、「腹で吠えてやがる」という底力のある吠え声であることはよく知っているが、それが威嚇(いかく)の音声でないことは、多少とも尾を振っていることを見てもわかる。且つまた、犬を知り、犬を愛し、犬を理解することに於て、宇治山田の米友はまた一つの天才である。
「やあ、いたな!」
 犬の傍へ寄ると、犬がまた米友に飛びついて来ました。飛びついて来たからといって、この異様な珍客に争闘を挑(いど)むのではない、これを懐かしがって心からの抱擁を試みんとするものらしい。
 けれども、この抱擁が生やさしい抱擁でなかったことは、一見すると、米友がこの犬のために抱きすくめられてしまったとしか思われない。尋常ならば悲鳴をあげ助けを呼ぶべきほどの体制に置かれた瞬間、米友は更にひるむということを知らないで、抱きすくめられながら、それを抱きとめてあしらっている。
 一見したばっかりの米友が、かくまで犬を愛するということは、犬にかけての天才であってみると不思議はないようなものだが、相手方の犬が、米友を一見しただけで、こうにも懐かしがるということは解(げ)せない。
 本来、沈毅(ちんき)にして、忠実なる犬であればあるほど、人見知りをすべきはずのものである。真に沈毅にして、勇敢にして、忠実なる犬は、二人の主というものを知らない。主人以外の人の与うる物を食わない。主人以外の人には一指を触るることを許さないはずのものであるべきに、この犬――しかもただ犬でないと、最初から米友が極(きわ)めをつけてかかった非凡な犬が、こうまで一見の人になつき慕うとは、慕われてかえって物足りない。
 人見知りをしない犬、節操を解しない犬、忠義ということを知らぬ犬、勇気なき犬、公娼(こうしょう)の如き犬ならば知らぬこと、米友ほどのものが、あらかじめ極めをつけた犬にしてこのことあるは何が故だ。
 そういうことを考慮に置かず、ただ見ていれば、何のことはない、その非凡犬と、小男とが、必死になって、組んずほぐれつしているとしか見えない。血こそ流さないが、血みどろで格闘しているとしか思われない。
 ことに、この犬がただ犬でない非凡の犬であることの証拠としては、その大きさが、たしかに人間の二倍はあること。米友は人並よりずんと小粒ではあるけれども、それでも成長した人間であって、身長こそ四尺であるが、体重は十貫を下るということはないのに、犬はその面積に於て、米友を抱きすくめて存在を失わせるほどの体格があって、しかも全身が、猛獣のような虎斑(とらぶち)で彩(いろど)られている。体格はどう見倒しても確実に、その男の二倍はあるから、体重としても二十貫を下るということはない。
 ムクも非凡な犬ではあったが、その体格の非凡さに於ては遥かにムクを凌駕(りょうが)する。およそ今日まで、これほどの大きな、非凡犬を見たことはない。犬に熟した米友が見たことがないのみではない、今の日本人である限り、これだけの犬を、ここで見るよりほかに見た人もあるまいし、見られる場所もあるまいに相違ない。
 この無比の豪犬を相手に今、米友は組んずほぐれつしている。気が短くて、喧嘩っ早いにかけては名うてのこの小男は、ここへ来るともうこのザマだ。だが、格闘でも、喧嘩でもない、米友が犬を愛し、犬が米友に懐(なつ)く、一見旧知の如しというのがこれで、人に許さざる犬が、米友には許す、猫がまたたびに身を摺(す)りつけるように、犬の眼から見ると、米友はまたたびのような人種で、慕い寄られる素質を持っている。
 同時にまた、米友の方でも、無意味にこうして愛着の組討ちをしているのではない、実はその愛情を事実に示そうとして、もがいているのです。というのは、この犬は首に鉄の環(かん)をハメられて、首が二重に麻の太縄で結えてある。それを外してやろうとしてもがいているのです。
 犬というものは繋(つな)がれる時に騒がないで、解かれる時に狂うものである。この犬を、その鉄の鎖と荒縄から解放してやりたいために、米友は犬と組討ちをしている。犬もまた、米友を慕うだけではない、この理解者の手によって、暫(しば)しなりとも広漠な野性に返してもらいたいがために焦(あせ)っている。犬も力が非凡だが、米友もまた非凡な力を持っている。非凡同士が組討ちをして容易にほぐれないのは、環にかけた合鍵の調子がよくわからないからである。米友がその勝手に迷っている間に、犬は解放を予期して容赦なく喜び狂うから、それで、外目(よそめ)にはいつまでも大格闘が続くようにしか見られないのです。

         十五

 米友が躍起となって、ねちこちしているところへ、不破の関守氏が現われました。
「友造どん、何をしている」
「犬を放してやりてえんだよ」
「よし、解放してやる」
 不破の関守氏は近寄って、これは手に入ったもので、難なく鍵を外すと、豪犬が尾を振ってつきまとい、或いは人間の上を高く越えたりなどする。
「このお犬係りはおいらが引受けた、犬をならすには上手に放してやらなくちゃならねえ、犬は食い物より運動だ」
と米友が言いました。この男は、お君と共にムク犬を仕立てることに、永らくの経験があって、そうして成功している。犬は訓練をしなければものにならない、これを野方図にしないためには繋縛をして置かなければならないが、これを強健にするためには解放しなければならない。食物はむしろ第二、第三であることを知っていた。犬は食うことよりは、走ることを本能として先に要求していることを知っている。そこで、この繋がれたる豪犬を見ると、いちずに放してやりたくなった。放したところで、放された人を犬は忘れない、放した人もその責任として、放された犬の面倒を見てやらなければならない。犬を走らせるにしても、これを監督するの責任は人にある。そこで米友は、この犬を走らしめつつ、自分も少し走ってみたい気持になったのです。
 不破の関守氏は、そのことを知っている。米友が犬を愛する性癖を、胆吹山時代から知っていて、時あってムク犬の昔語りを聞かされたことを覚えているから、そこで、この犬を解いて、しばらくこの男に無条件で托してみる気になったのです。
「君、珍しい犬だろう」
「全く珍しいよ、犬もこうなると猛獣だね」
「いや、いかに大きくても、やっぱり家畜は家畜だよ、人間に依存して生きるものだ、だが、依存される人間が位負けをすると、ものになるものもものにならない」
「その通り――」
と米友は得意気に叫ぶと共に、
「何て名なんだい」
「電光――デンコウという名だよ」
「デンコウか――デンコウ」
と米友は、その名を呼んで頭を撫(な)でてやりますと、犬が尾を振って躍(おど)り上る。かわいそうに、この犬が躍り上ると、米友を抱きすくめてしまうから、抱きつぶしてしまうおそれがある。
 不破の関守氏はこの体(てい)を見て感心して、
「なるほど、君は愛犬家の資格を備えている、この犬が一見して君になつくんだからな、もっとも純日本産の犬と違って、あっちの犬は開けている」
「こりゃ、ドコの国の犬だい」
「これは、ドイツという国の種で、グレートデーンという舶来犬だそうだ、デーンだから、デンコウとつけたが、電光石火の如く走るという意味も兼ねている」
「あ、力がありやがる」
 改めて米友は、縄をかけ外してみて、この犬の力量を認識する。
「あるとも、この犬が三匹いると、百獣の王なる獅子、あちらではライオンという、その獅子と取組むそうだよ、犬が二匹で大熊を退治るそうだ、まず犬のうちでいちばん強いのはこれだろう」
「どうして、どこから連れて来たんだ」
「これは泉州堺から売りに来たのだ、毛唐が黒船に載せて大切につれて来たのを、今度、国へ帰るので、もてあまし、引取り手を探した揚句が、ここの女王様のお気に入り、早速引取ることになったのだが、この通り可愛ゆい奴だが、いやはや、世話をする段になると並大抵じゃないぞ」
「そうかなあ――一番、責めてみてくれべえ、デン公、こっちへ来い」
 米友が先に立って、走り試みると、豪犬が勇躍してそれに相従う。
 かくて、この大犬と、小男とは、再び光仙林の林の中へ没入してしまいました。
 不破の関守氏は、その後ろ影を見送って、ひとり呟(つぶや)いて言いました、
「物あれば人あり、いい時にいい人を与えられたものだ、デンコウのお相手はあれに限る、おかげで拙者も、お犬係りを免職になった、事実、これから、当分、あの犬の面倒を見なけりゃならんとすると、考えるだけでも大役だった!」

         十六

 走り去る小男と、大犬の姿が、光仙林の中に没入した後ろ影を、不破の関守氏は、ぽつねんとながめて、ひとり言を言っておりますと、後ろから、
「ヘエ、こんにちは、お早うございます」
 いやにしらっぱくれた挨拶(あいさつ)をする者がありましたから、関守氏が振返って見ると、三度笠に糸楯(いとだて)の旅慣れた男が一人、小腰をかがめている。
「やあ、がん君ではないか」
「ええ、そのがんちゃんでげすよ」
「もう帰ったのか、なるほど早いもんだなあ、能書だけのものはあるよ」
「へえ、たしかにお使者のおもむきを果して参りました、青嵐親分(あおあらしおやぶん)にお手紙をお手渡しを致して参りました、同時に、あちらの親分からこちらの親分へ、この通り、お消息(たより)を持参いたして参りました」
「親分親分言うなよ、人聞きが悪い、ああ、これがその青嵐氏からの返事――十四日亥(い)の時、なるほど早いものだなあ、その足は」
「いいえ、もう疾(と)うに、昨夜のうちに、こちらまで参上いたしたんでげすが、つい、御門前がやかましいもんですから、今朝まで遠慮いたしやしてね」
「何も昨晩、この門前が格別やかましいこともなかったはずだ――ははあ、あの犬だな、今日の明け方、犬が吠え出したのが不思議だと思ったら、貴様がやって来たんだな、ああ、それでわかったよ、それそれ、それで犬が吠えたんだな、犬がこわくって、今まで近寄れなかったというわけだな、意気地がねえなあ、口と足は達者だが、肝っ玉ときた日にはみじめなものだな」
 不破の関守氏からこう言ってからかわれたので、がんりきの百は躍起となって、
「いや相性(あいしょう)がいけねえんですよ、とかく、犬てえ奴はがんちゃんの苦手でげしてね」
「そうだろう、犬に吠えられるような人相に出来ている。今のあの小男を見たか、あれは人徳を持っているから、犬もおのずから懐(なつ)いて、一見旧知の如く、彼が走れば犬も走る、貴様は臭いをかいだだけで吠えられる、つまり、人格の問題だよ、人徳の致すところだから是非もない、ちと見習い給え」
「冗談(じょうだん)じゃございませんよ、犬に嫌われたからって、人徳がどうのこうのと言われちゃあ埋(う)まらねえ、がんちゃん儀は犬には嫌われますが、年増(としま)や新造(しんぞ)には、ぜっぴ、がんちゃんでなけりゃならねえてのが、たんとございますのさ」
「馬鹿野郎――それ、涎(よだれ)を拭いて。その手紙を濡(ぬ)らしちゃいかん」
 かくして不破の関守氏は、がんりきの百蔵の手から一通の手紙を受取って封を切り、それを読み読み住居の方へ歩いて参りますと、がんりきの百も、笠を取り、ござを外(はず)して、それについて来る。
「なんにしても、どちらを向いても百姓一揆(ひゃくしょういっき)てんで、たいした騒ぎでござんしたよ、その中をいいかげん胡麻(ごま)をすってトッパヒヤロをきめやして、首尾よく仰せつけ通りの胆吹の山寨(さんさい)へかけつけやして、例の青嵐の親分にお手紙のところをお手渡し申しますてえと、そこへもはや一揆が取詰めて来ようという形勢で、このままに捨てて置けば、この山寨は残らず占領の、家財雑具は挙げてそっくり盗賊のために掠奪てなことになりますから、さすがの胆吹御殿のつわもの共も顔色はございません、ところが、青嵐の親分とくるてえと、さすが親分は違ったもので、ちっとも騒がず、計略を以て一揆の大勢を物の見事に退却させてしまいました、全く軍師の仕事でげす、わが朝では楠木、唐(から)では諸葛孔明(しょかつこうめい)というところでござんしょう」
 手紙をひろげて立読みをしながら、がんりきの言葉を等分に耳に入れている不破の関守氏は、
「御大相なことを言うなよ。だが、百姓一揆の颱風(たいふう)は、胆吹御殿をそれてどっちの方へ行った」
「まあ、お聞きなせえ、一揆の大勢がいよいよ胆吹御殿をめがけて、一揉(ひとも)みと取りつめて参りますその容易ならざる気配を見て取ったものでげすから、このがんりきが、このところに御座あっては危うし危うしとお知らせ致しますと、青嵐の親分は心得たもので、直ちにりゅうとした羽織袴に大小といういでたち、今こそ浪人はしながらも、さすがに二本差した人の人柄は違いますな、そのりゅうとした羽織袴に大小でもって、御殿に有らん限りの金銀米穀を大八車の八台に積ませましてな、エンヤエンヤで景気よく一揆軍へ向けて乗込ませました、つまり、買収、もしくは懐柔というやつなんでげすな、これこの通り金銀米穀をお前たちに取らせるから、胆吹山を攻めるのはやめろ、攻めたところで、新築の建前が少々と、新田が少しあるばっかりだ、行こうなら諸国大名の城下へ行け、三十五万石の彦根へ行け、五十五万五千石の紀州へ行け、大阪へ出たら鴻池(こうのいけ)、住友――その他、この近国には江戸旗本の領地が多い、新米(しんまい)の胆吹出来星王国なんぞは見のがせ見のがせ、とこういう口説(くぜつ)なんでげして、その策略がすっかりこうを奏したと思いなせえ」
「なるほど」
 不破の関守氏は、手紙よりは会話の方に向って少しく等分が崩れる。がんりきは相変らず、自分の功名をでも吹聴(ふいちょう)するような気分で、
「根が百姓一揆でござんすからなあ、金と穀を眼の前に山と積まれた日にぁ、忽(たちま)ちぐんにゃりの、よしよし、そう事がわかりゃはあ何のことはねえ、空家をぶっつぶしたところではじまらねえ、御持参の分捕物でかんべんしてやれ、さあこの金銀米穀を分け取りだと、それから分前という話になるてえと、みっともねえ話さ、青嵐の親分が見ている前で、もう分前の争いがおっぱじまったそうでげすよ、浅ましいもんですなあ、百姓共――慾から出た一揆なんてものは、慾でまた崩れる、そこへ行くと、坊主の一揆は百姓一揆より始末が悪い、一向宗の一揆なんてのは、未来は阿弥陀浄土に生れるのが本望なんだから、銭金や米穀なんぞは眼中に置かねえ、七生までも手向いをしやがる、慾に目のねえのも怖(こわ)いが、慾のねえ奴にも手古摺(てこず)るもんですなあ、親方」
「そんなことは、どうでもいい、青嵐の親方と、百姓一揆の結末を、もう少し話してみろ」
「胆吹御殿へ向っての打ちこわし騒ぎなんてのは、それですっかり解消してしまいまして、それから一揆共が、眼の前へ振り撒(ま)かれた餌(えさ)の分前で同志討ちが始まろうというわけなんだから、全く浅ましいもんでげす。その途端に、御領主お代官の手が入るてえと、さあことだ、一揆の奴等ぁ、慾で気の弛(ゆる)んだところへ、にわかにお手入れ――忽ち蜘蛛(くも)の子を散らすように追払われたのは見られたものじゃねえ、無論、お持たせの金銀米穀は置きっぱなしさ、その上に置きざり分捕りの利息がつこうというものだ。右の次第で、その場の一揆は退散いたしやしたが、さて、そのあと、知恵者はさすがに知恵者で、青嵐の親方が、お手先の役人と対談の、持って行った大八車に八台の金銀米穀は、そのままそっくり御殿へ持って帰りの――なおその上に、一揆共が退散の時に置逃げをした大釜だの、鍋だの、食い雑用の雑品類、みんな胆吹御殿で引取りの上、勝手に使用いたしてよろしい、つまりお下げ渡しという寸法になったんですから、何のことはない、見せ金だけを見せて、それで利息をしこたまかせいで来たようなものでござんす、知恵者は違いますよ、全くあの親分は軍師でげす、元亀天正ならば黒田如水軒、ないしは竹中半兵衛の尉(じょう)といったところでござんしょう」――
 こいつの報告にも、キザと誇張を別にして、筋の通ったところがある。

         十七

 さて、如上の事情によって綜合してみますと、伊太夫とお銀様の会見も、案外無事に済んで、家督の問題も、すんなりと解決したらしい。すんなりとはいえ、世間並みに解決したのではない、伊太夫が全くあきらめて、この我儘娘(わがままむすめ)の我儘を、このまま認めてやっただけのものですが、他で心配したほどの風雲も起らず、正面衝突もなくて無事に解決したのは、まずまずと言わなければならぬ。
 同時に、取巻共がしきりに伊太夫に向って斡旋(あっせん)した山科の光悦屋敷なるものも、こうしてお銀様の有に帰してしまったものらしい。してみると、胆吹王国が一歩京洛へ向って前進し、ここに光仙林王国が新たに出来上ったと見るべきで、今こそ草創の際とはいえ、追って本山は胆吹よりこの地に移るかも知れません。
 不破の関守氏が軍師ぶりは、いよいよこれから冴(さ)え渡らなければならないし、宇治山田の米友は、ここに全く安住の地を得たと謂(い)いつべきです。隣国の近江では死を以て待たれたこの小冠者も、僅かに関一重越えて来ると、全く生命の安全が保証されるというのは、封建ブロックの一つの有難さと言わなければならぬ。
 その日中になると、不破の関守氏が、お銀様の居間をおとずれました。弁信法師は、すでに姿を消していずれにあるやを知らず、米友も、がんりきも、デンコウも、それぞれこの林内のいずれかに、落着くべきところに落着かせて置いて、関守氏が女王様の前へ伺候したのであります。
 関守氏の手には、先刻がんりきの百の手から受取った青嵐居士の手紙の一通が、無雑作(むぞうさ)に握られてある。そうして、例の物慣れた口調で一くさり、がんりき直伝(じきでん)の胆吹留守師団の物語を語って、一揆解消の青嵐居士の手柄話にまで及んだ後に、余談として、実は本談以上の興味ある会話に膝を進ませました。
「そういう次第で、天下の風雲がいよいよ急を告げて参りました、どのみち、この風雲は只では納まりませんな、どこまで惨害を産むか、どの辺で混乱を食いとめるかということが、今、天下一般の関心でしてな、これが観察も区々ではありますが、だいたい、大いに乱れるという者と、存外手際よく時代が打開されるとこう見るものと、二通りございます……左様、我々の見るところでは、一度は大いに乱れるのじゃないかと、ひそかに憂えてみる次第なのですが、どんなものでございますか……」
 これは天下の形勢を見立てるので、閑談としては桁(けた)が大き過ぎるけれども、この時代は、ちょっと心ある人は誰も、天下の風雲を気にしないものは一人もありませんでした。朝廷と幕府との間がどうなるかという心配と、日本と外国との関係がどうなるかという心配と、この二つのものは、日本の国民全体にぴんと迫り来るところの切実な課題として、退引(のっぴき)はできませんから、寄るとさわるとこれが行末と、これからその結着ということに座談が落ちて行かないということはありません。
「一度は大いに乱れて、それからどうなります、乱れっきりで応仁の乱のようになりますか、それとも早く治まって……」
とお銀様は、関守氏の答案に追究を試みてみました。
「左様、いったんは大いに乱れて、それから後がどうなりますか、そこにまた深い観察が必要になって参りますな、仮に王幕相闘うこと、鎌倉以来の朝家と武家との間柄のような状態に立ちいたりましても、それからどうなりますか、容易に予断を許しません、勤王の方は、西南の雄藩が支持しておりまして、これが関ヶ原以来の鬱憤を兼ね、その潜勢力は容易なものではありません、幕府の方は、なにしろ二百数十年の天下でも、人心が萎(な)え、屋台骨が傾いておりますから、気勢に於て、すでに西南に圧倒されて、あとは朽木(くちき)を押すばかりとなっているとは申しますが、関東だからと申しましたとて、なにしろ武力の権を一手に握り、家康が選定した江戸の城に根を構え、譜代(ふだい)外様(とざま)の掩護(えんご)のほかに、八万騎の直参を持っているのですから、そう一朝一夕に倒れるというわけにはいきますまいから、当分は大いに乱れて、両方の勢力互角――つまり、日本が東西にわかれて長期戦になる、昔の南北朝を方角を換えて規模を大きくしたようなことになりはしないか、識者は多くはそう観察して、その成行きを最も怖れているのですが、全国の大小名も、今のうち早く向背をきめて置かぬと後日の難となる、そういうわけで、旗印を塗りかえているのもあれば、ボカしているのもある、そこで旗色の色別けはほぼわかって来ているようですが、どのみち、一度は大いに乱れて日本が二大勢力の争いの巷(ちまた)となる、こう覚悟をしていなければ嘘でしょう」
と関守氏は能弁に語りましたが、これは関守氏を待って、はじめて下さるべき卓抜の見識でもなんでもありません。
 当時のすべての人は、このぐらいの憂慮と見識とを持っているに拘らず、物語の順序として、この常識の前置きから始めたものでしょう。そうするとお銀様が一度はうなずいて、それから一歩を進ませました。
「二大勢力というけれど、今日は鎌倉時代の昔、王家と武家という単純な二つの区別だけでは済みますまいね、大義名分からしますと、その二つしか差別はないようでありますけれども、今はこの二つの大きな勢力のほかに、また一つの見のがしてならない大きな力があります、それは外国の力ではありません、国内だけに限っての見方としても、勤王と佐幕のほかに、見のがしてはならない大きな勢力があることを忘れてはならない、とわたくしは思います」
 お銀様から、改まってこう見識を立てられると、不破の関守氏が、いささか当惑してしまいました。

         十八

 勤王、佐幕の二大勢力のほかに、隠れたる一大勢力とは何ぞ、これを外患とせずして、国内だけに見ると、何と表明してよいか、実質的に言えば、関守氏ほどの聡明人が、感得しないはずはありませんが、それを瞬間に答えることに戸惑いをしたものです。
「その隠れたる一大勢力とは、何を指しておっしゃいますか」
「それは言わずと知れたこと、経済の力なのです、砕けて言えばお金持の勢力なのです、勤王にも、幕府にも、武力はありましょう、人物もありましょう、遺憾(いかん)ながら、ドチラにもお金がありません、武力が整い、人物が有り余っていても、お金がなければ仕事をすることができません、この力を無視しては、天下を取ることはできませんね――それが一つの勢力ではありませんか」
「御尤(ごもっと)も」
 不破の関守氏がお銀様の見識に、即座に膝を打ったことは申すまでもありません。お銀様はちっとも騒がず、おもむろに数字を以て、当時天下の長者といわれる家々の実力を、実際の上から論歩を進めて参りました。江戸で三井、鹿島、尾張屋、白木、大丸といったような、大阪で鴻池(こうのいけ)、炭屋、加島屋、平野屋、住友――京の下村、島田――出羽で本間、薩摩で港屋、周防(すおう)の磯部、伊勢の三井、小津、長谷川、名古屋の伊東、紀州の浜中、筑前の大賀、熊本の吉文字屋――北は津軽の吉尾、松前の安武より、南は平戸の増富らに至るまでの分限(ぶげん)を並べて、その頭のよいことに関守氏を敬服させた後、
「それですから、ここに相当の金力の実力を持っている者がありとしますと、たとえば三井とか、鴻池とかいう財産のある大家の中に、先を見とおす人があって、これは東方が有望だ、いや西方が将来の天下を取るというようなことを、すっかり見とおして置いて、そのどちらかに金方(きんかた)をしますと、その助けを得た方が勝ちます、勝って後は、そのお金持がいよいよ大きくなります――それに反(そむ)かれたものは破れ、それが力を添えたものが勝つ、戦争は人にさせて置いて、実権はこれが握る、実利はこれが占める、政府も、武家も、金持には頭が上らぬという時節が来はしないか、わたしはそれを考えておりました」
「御説の通りでございます――そこで、金持に見透しの利(き)く英雄が現われますと、天下取りの上を行って、この世をわがものにする、という手もありますが、間違った日には武家と共に亡びる、つまり大きなヤマになるから、堅実を旨(むね)とする財閥は、つとめて政権争奪には近寄らない、近寄っても抜き差しのできるようにして置く、さりとて、その機会を外して、みすみす儲(もう)かるべきものを儲けぬのは商人道に外れますから、時代の動きを見て、財力の使用を巧妙にしなければならない、天下の志士共は、今、政権の向背について血眼(ちまなこ)になっておりますが、商人といわず、財力を持つものも懐ろ手をして油断をしている時ではありません、ここで油断をすると落伍する、ここで機を見て最も有効に投資をして置くと、将来は大名公家の咽喉首(のどくび)を押えて置くことになる――ところでお嬢様、三井、鴻池などの身のふりかたはひとごと、これをあなた様御自身に引当ててごらんになると、いかがでございます、このまま財(たから)を抱えて、安閑として成るがままに任せてお置きになりますか、但しは、ここで乾坤一擲(けんこんいってき)――」
 不破の関守氏が、つまり今までの形勢論は、話の筋をここまで持って来る伏線でありました。
 事実上、この怪婦人は、今や相当大なる財力の主人としての実力を持っている。この実力をいかに行使せしむべきかが、関守氏の腕の振いどころでなければならぬ。
 しかし、お銀様としては、極めて虚心平気な答弁を以てこれを受け止めました。
「わたくしは、ドチラにもつかないつもりです、わたしはヤマを張って、目の出る方へ賭(か)けるというような好奇心を持ちません、当りさわりのないところで、自分相当の力を尽す、といっても、安閑として成るがままに任せ、思いつきばったりに濫費をしてそれで足れりとも思いません、もし私に取るに足るだけの財力がありとしましたならば、最もよろしき方法によって、自分も使いたい、人にも使ってもらいたいと思うばっかりです、自分で理想の――好むところの事業をやることには、胆吹の経験で、いま考えさせられていることがあるのです、ここへ来たのを機会として、事業というものに見直しをしなければならないと考えているところで、実はその点に就いて、とりあえず、あなたの意見が聞きたいと思っていたところなのでした」
「拙者の本志もそこにあるのでございました、あなた様が、父上から得られた新たな財力の保管と、その使用方法に於ては、私にも重大な責任もあり、同時に遠慮なく申しますと、相当の興味も持っているのでございまして、財を保護するは当然だが、同時に、これを殺してはいけないということも考えまして、それで、あれよ、これよともくろんだり、計算したりしてみましたが、その計画のうちの一つを、御参考までにここで申し上げてみたい、無論、御採用になるとならぬは、あなた様の御意(ぎょい)のままで、お気に召さなければ、第二、第三と、幾つでも立案してごらんに入れますつもり。その第一案を申し上げてみますると――この第一案と申しますのは、第一等の立案というわけではございません、最初、第一に思いついたという軽い意味のものでございますから、そのおつもりで……」
「遠慮なく申し聞かせていただきます」
「まず、この山科の光悦屋敷、改めて申しますと光仙林をお手に入れましたのを機縁と致して、こういったような計画はいかがでございましょう」
 光仙林をお銀様の手に帰(き)せしめたのも不破の関守氏、これを根拠地として、お銀様をして、何事をか為(な)さしめんとするのも不破の関守氏であります。

         十九

 ここで、不破の関守氏の提案というものは、次のような内容でありました。
 この山科屋敷が手に入ったを機会として、ここで国宝、或いは重要美術に準ずる書画と骨董類(こっとうるい)を大量に蒐集して置きたいという極めて罪のない事業であります。
 それというのも、前提の天下の形勢論が、やはり基礎を致しているのでありまして、どのみち、天下が大いに乱れる時は、京都の地がその颱風の眼になることは、日本の従来の歴史を見ても明らかな事実である。天下が大いに乱るる時は、人民の生命財産が保証されないことも当然明白である。親しく身を兵刃の中に置くことは武士のつとめである。地方の人民は、この武士に兵糧軍費を提供したり、徴発されたりする。工人は、その武士に武器と武装を提供することに忙殺される。そこで商人もまた、その害と益とを受ける方面が出来てくる。兵は戦うことを主とし、人は生きんことを主とする。治まれる御世に於ては、人の生命は衣食住によって保証されるけれども、戦乱の時はまず住を失い、次に衣を失い、最後のものが辛うじて食にありついて生きようとする。

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