大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 竜之助は、思わずこんな独(ひと)り言(ごと)を言うほどに、心に荒涼を感じました。
 実際、ここに出入りしていた者共は、新撰組から分離、或いは脱走して御陵隊へ走った壮士ばかりであった。つまり、ここはそれらの壮士の控所に当てられていたのですから、竜之助が、一人も帰らないその控所に取残されて、「壮士ひとたび去ってまた帰らず」と言う口ずさみの感じも、偶然に聳発(しょうはつ)されて来るので、彼は昂奮を感じ、悲愴に別離されて、そういう気分が口頭に上ったのではないのです。
 食事終って、人を待つでもなく、待たれるでもない気分のうちに、ゆっくり落着いてみたが、もうそれから、三度目の休息に就くという気合ではありません。羽織を取り、頭巾(ずきん)を取り、両刀を引寄せて膝に置いたのは、まさしくこれから出動という気構えでありました。
 なるほど、これからが彼の世界かも知れない。悪魔は夜を世界として、闇を食物とする。明を奪われた人間は、夜は故郷に帰るようなものである。それにしても、この男にまだ出動の世界を与えているということは、いささか時の不祥と言わなければなるまい。江戸の弥勒寺長屋(みろくじながや)にいた時分、江戸の闇を食って歩いた経歴は知る人ぞ知る。甲府の城下へたどりついた時分に、甲府城下の如法闇夜に相当以上に活躍したことも知る人は知っている。それが信濃の山、飛騨(ひだ)の谷を引廻されている間は、市民の里では幾つかの罪のない人の夜歩きが保証されたはずなのに、業という出しゃばり者が、いらぬ糸を繰って、これをまた京洛の天地に釣り戻してしまった。悪魔に地歩を与えたことは、与えられた者も、与えた者も共に不幸です。
 かくて、甲府城下の躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の古屋敷でした時のように、一応刀を抜きはなして、それを頬に押当てて、鬢(びん)の毛を切ってみました。
 ただし、あの時には、自分一個の天地の隠れ家にいて、秋夜、水の如く、鬢の毛の上に流れ、一行の燈の光も微かながら冴(さ)えていたが、今晩は、火鉢の火のほかには光というものと、熱というものが与えられていない。それと、もう一つ、あの時には得物が相当に豊富で、古名刀をはじめ、新作のつわものが鞘(さや)を並べて眼前にあって、そのいずれをも、切取り、切試しに任せてあったが、今日は、数日来、身に帯びていた一腰ばっかり。その一腰とても、昨夜、斎藤に向って歎いて言った通りであるから、意にかなうほどの名刀であるとは思われない。それでも、唯一の打物であるそれを取って、腰にさし下ろして、その座を立ち上りました。
 やおら立ち上って、これからいずれへ向ってか御出動という間際に、よよと泣く声が座敷の一方から起りました。
 よよと泣くのだから、黙泣(もっきゅう)でもなければ慟哭(どうこく)でもない、むしろ忍び音といった低い調子でしたけれども、ソプラノの音で、女の泣く声でした。
 それには思わず立ちすくまざるを得なかったので、みるともなく、見上ぐるともなく、声のした方に面(かお)を向けると、あ、ああ――! というこれも泣く音。前に、よよと泣いたのはソプラノで、次に、あ、あ、あ! と泣いたのはバス。ただ、ソプラノは低くて、バスが高い。
 よ、よ、あ、あ! よ、よ、あ、あ! テノールとなり、アルトとなって、完全な二部合奏がはじまったのは、ついその瞬間で、まさしく男女抱き合って泣いている声です。
 竜之助は、それを忌々(いまいま)しい声だと思いました。人の出際にあたって、笑ってこれを送るというなら話になるが、泣いてこれを送り出すというは忌々しい。
 それを癪(しゃく)にさわって、改めて、その泣く音の方を見廻し――やっぱり、眼は利かないし、光はないのですが、本能的に左様な身ぶりをして、ドコで誰が泣いていやがる――というこなしでありましたが、その男女の悲泣の合奏の、この部屋の一隅でしているのか、柱の中でしているのか、あるいは天井裏でしているのか、トンと見当がつきません。
 それを忌々しがりながら、竜之助は、ついにこの座敷を出てしまいました。外は生粋(きっすい)の夜です。しかも、京都の天地の絹ごしの夜ではあるが、その横も、縦も、一匹の悪魔の跳梁には差しつかえのない闇の空間が与えられている――
 ただし、王城の夜は、甲州一国の城下の夜とは違い、ここには天下選抜きの壮士が、挙(こぞ)って寝刃(ねたば)を合わせているから、この男一人が出動したからとて、城下の人心の警戒と恐慌は、あえて増しもしないし、減じもしない。当時、ここで、三つや四つの人間の首が街頭にころがっていたからとて、それだけで人心を聳動(しょうどう)するには、人心そのものにもはや毛が生えている。人心をおびやかさんがための出動ならよした方がよい。さしせまった血なまぐさい聳動にはたいていの京人はもう食傷している。
 第一、御当人の身が危ない。辻斬というものは、人の気の絶えた辻に行ってこそ多少の凄味もあるというものだが、合戦の場へ辻斬に出たからとて、幕違いの嘲笑を受けて、結局、自分の身を木乃伊(ミイラ)にするが落ちだ。
 さればこそ、この当人は、当座の食物をあさるべく、壬生や、三条、四条方面の本場へ行かないで、むやみに場末に向って、ふらふらと歩いて行くように見える。

         四十一

 ドコをどう経めぐって来たか、やがて五条橋の南の詰をめぐったかと思うと、本覚寺に近いところ、深い竹林の中を彼は歩いているうちに、一つの堂の前に立ち出でると、
「これは、ようお越しやす、近ごろはとんと御参詣の方もございませぬに、これはまあ、珍しうお越しやして」
と、先方から呼びかけるものがありました、これは相当の年配の女の声であります。
 打見るところ――ではない、打聞くところです、その聞くところの音声によって判断、ではない、想像であります、その想像によると、竹林に近く一つの堂があって、その堂守として尼さんがいる、堂のわきには塚があって、石の塔が立っている、その前へ竜之助が近づいたことから、堂守がかく呼びかけたものであります。
「いや、どうも――」
と、出端(でばな)を抑えられたもののように竜之助は立ちどまって、その過(あやま)ち認められたことをかえって仕合せなりとしました。
「近ごろは、あちらこちらの御利益(ごりやく)あらたかな方への御信心は、昔と相変りませねど、この鬼頭天王様(きとうてんのうさま)へは一向、皆様の御信心が向きませぬ、そのところを、あなた様だけが斯様(かよう)に夜参りまであそばします、その御奇特なことに存じやして」
 尼さんは重ねて、かく悦びごとを言いました。その言葉によって察すると、ここに仏神のいずれかの信仰の道場があって、その名を鬼頭なにがしと呼んだかな、その道場の前へ竜之助が到りついたのである。無論、この男がなんらかの信仰心があって到着したわけではない。心はうつろにさまようて、ついここへ来てしまったのだが、先方はそれを、特にここを目ざして参詣に来た御奇特な信心者のように受取ってしまったのであります。しかし、そう受取ったならば、そう受取らせて置いて、あえて苦しいとも思わない。どちらへ受取られてみたといって、身に直接の利害が及ばない範囲に於ては、弁明に及ぶまいが、それに相当する挨拶は返さなければなるまい。
 ところが、それも先方がうまく引取ってくれるのでした。
「さあ、どうぞ、これへお越しやして、朝霧の妄執(もうしゅう)のために一片の御回向(ごえこう)を致し下さいませ、重清がためにもこの上なき供養となりまするのでござります、いやもう御奇特なことで」
 堂守の独(ひと)り合点(がてん)は早口調で、たださえよくわからないが、その早口のうちに聞いていると、朝霧の妄執のために一片の御回向なにがしとやら言ったな、朝霧! というのは、島原で雑魚寝(ざこね)をしたくすぐり合いの雛妓(すうぎ)の一人で、最後まで留り残されたあれだな、いや、最後に拾い物をしたあの子供の名が朝霧といったな、これが、もはや妄執となって、一片の御回向下の人にされているとは、さりとは気が早過ぎる。
 いや、こっちが気が早いのだ、朝霧といったところで、天下に一人や二人ではあるまい。あの時の朝霧は罪のない舞子で、ここで回向をされようというのは罪業深い過去仏のことだろう。
 そんなことを考えて、竜之助は、ともかくも、この声のする方へ近づいて行くと、
「これはこれは、あなた様は、いずれにおすまいでいらせられまするか」
「高台寺の月心院に」
「ええ、何と仰せられました」
 堂守の尼が聞き耳を立てました様子ですから、竜之助は重ねて、
「月心院の庫裡(くり)に、しばらく世を忍んでおりまするが、今晩、月がよろしいようですから、ついうかうかと出て参りました」
「まあ、その月心院の庫裡と申しますのを、あなた様は御承知の上でおすまいでございまするか」
「いや、何も知らない」
「それでは、お話し申し上げますが、その前に、おたずね申し上げて置きたいことは、あの庫裡の中で、夜分になりますると、毎夜、怪しい物をごらんあそばしまするようなことはござりませぬか」
「左様――」
と竜之助は、問われてはじめて思案してみたが、何を言うにも昨今のことで、しかも、同居は血の気の多い幾多の壮士共だから、特に、怪しいとも、怖(こわ)いとも、感じている暇がないのでありました。
「夜分、ある時刻になりますと、あのお台所のあたりで、男女の悲しみ泣く声がすると、世間の噂でござりまする」
「ああ、そのことならば……」
 そこを出る前に、たしかに経験して来たことです。
 男と女のすすり泣きの合唱があった。その合泣が、自分の部屋の一隅で起ったのか、柱の中でしているのか、或いは天井裏でしているのか、見当に苦しんだ覚えが、急によみがえって来ました。尼の問うのは、たしかにそのことに相違ない。
 してみると、あの忙しい男女のすすり泣きは、自分が経験した妄想だけではない、この尼さえも知っている。程遠いところに住む人さえ知っているくらいだから、もはや、一般の常識化して、世間の口(くち)の端(は)に上っているに相違ない。
 竜之助の合点が参った様子を見て取って、尼も安心したらしく、
「夜分、ある時になりますると、必ず、若い男女の悲しみの泣き声が、いずれよりか聞えて参りまして、その泣き声がやみますると、暗い中から白い手が出て参り、柱から壁、長押(なげし)をずっと撫(な)で廻すそうにござりまするが、それは真実でござりまするか」
 待てよ、男女の悲泣する声だけは、たしかに聞いて出て来たが、その白い手は見なかった。闇の中から白い手が出て、柱から壁、壁から長押を撫で廻す、それは見なかったぞ。してみると自分は、前の巻だけを見て、つまり、前奏曲だけを聞いて、仕草のところは見届けなかったというわけかな――
 竜之助は、一旦はうなずいて、こう言って附け足しました、
「いや、その物悲しい男女の泣き声だけは確かに、この耳に留め申したが、その白い手首が出て、柱から壁、壁から長押と撫で廻す、それは見ないで参った」
と繰返し言のように言ってみましたが、はて、見なかったのは、出なかったのではない、自分は物を聞く人であって、見る設備を欠いているから、それでこの耳に聞いただけで、目には見えなかった。
 見えないのが当然であるようで、また見えないはずがないともおもわれる。よし、今晩、立ちかえったら改めて見直してみよう。そういうものが見えるか見えないかは、眼の問題ではないように疑われて来たものですから、竜之助の足はここにありながら、頭は月心院の座敷に戻っておりました。そこで、尼への挨拶には、何ともつかず、
「実は、拙者も、つい昨今あれへ参ったものでござってな、いやもう、殺伐(さつばつ)な壮士共と雑居を致しておりまするから、化け物の方も出る隙(すき)がなかったものでしょう、それが今晩あたりから、急に人が減って静かになったので、常例で出るものならば、改めて出直しの幕があるかも知れない、立戻って篤(とく)と見直しと致しましょう」
 こんなことを返事してみました。

         四十二

「いや、元はと申しますとたあいもないことでござりまするが、起りは斯様(かよう)な訳合(わけあい)でござりましてな……」
 竜之助が現象は見たが、事実は知らない人だということに気がついて、堂守の尼さんが、次のような一条の物語を語って聞かせてくれました――
 天竜寺に、若い一人の美僧があって、それが門番の美しい娘と出来合ってしまった。二人は上りつめて、切羽(せっぱ)つまった末に、とうとう駈落(かけおち)と覚悟をきめて、ある夜、しめし合わせ、手に手をとって駈落を決行したが、その時、若い美僧は、重々悪いこととは知りながら、師の坊の手許(てもと)から若干金を盗み出し、それを後生大事に財布に入れて肌身につけたのは、世間を知らない二人が、われから世間の荒波に乗り出すからは、何を置いても通用金のこと、これさえあれば当座の活路、というだけの分別はあって、何をするにも先立つは金、という観念から、それを恋の次のいのちとして後生大事に持って逃げ出した、額(たか)は、百両とか、二百両とか、相当の大金であったとのこと。
 どういう縁故であるか知らないが、この月心院まで落ちて来て、ここへ一晩かくまわれ、いよいよ明日は奈良へ向けて落ちのびの、その夜のことでありました。美僧美女は、ここの一室に一夜を明かし、その時に僧は、肌身放さぬ大金の財布を柱の上の釘にかけて、そうして一夜を女と明かしたものです。
 さて、その朝まだき、人目を厭(いと)うて、木萱(きかや)に心を置いて、この庫裡を忍んで立ち出でたが、木津の新在家(しんざいけ)へ来て、はじめて気がついたことは、昨晩、月心院の庫裡で、後生大事の財布を柱にかけてかけっぱなし、忘れてはならないはずのものを忘れて出て来た、はっ! と顔の色の変った時はもう遅い、それを取戻すべく立戻れば身が危ない、このまま行けば身が立たない。
 二人は、その運命の怖ろしさと、師にそむき、戒にそむいた現罰が、あまりにも早く身に報い来(きた)ったことに戦(おのの)いて、とうとう、そこで、相抱いて木津の川へ身を投げて死んだ。
 それからというもの、月心院のあの庫裡では、夜な夜な若い男女の、世にも悲しい泣く音が洩(も)れると、白い細い手が柱から壁、壁から長押(なげし)と撫で廻しては、最後にまた絶え入るばかり、よよと泣き沈む……
 そういう伝説が、パッと縁無き世間にまで広まりわたっている。
 右の一条の物語を尼さんから聞かされて、はじめて竜之助も、さる因縁もありつるものかな、と思いました。聞いてみれば、哀れでないという話ではないが、そうした行き方は世間にはザラにあることだと、例によって竜之助の同情がつめたい。つむじが意地を巻いて心頭に上って来たが、やっぱり挨拶の都合上で、
「して、その財布の金はありましたか」
と駄目を押したが、我ながら、これは甚(はなは)だまずい、まずいだけではない、この場合、さもしく響く挨拶だと思いました。
 堂守の尼も、そこを透かさず咎(とが)めたわけでもありますまいが、
「左様に仰せられるものではござりませぬ、お金の有る無しは問題ではござりませぬ、捨てられた二つの生命(いのち)の恨み、よし、その財布のお金が十倍になり、百倍になって戻って参りましたからとて、もはや二人の命は浮べるものではござりませぬ」
「いや、その財布の金を盗んだものに、拙者は心当りがあるので、お聞き申してみたまでだ」
「そのお金を盗りました者が」
「たしかに、心当りがある」
「それはもはや疾(と)うの昔のことでござりますが」
「いや、現在、拙者の頭では――その美僧の金を奪った女がほかにある」
「何と仰せられまする」
 堂守の尼は、竜之助の言うことを解し得ざらんとしていたが、その時、また竜之助の心頭にむらむらと上って来たのは、つい今まで忘れていた、昨晩、斎藤一が口を極めて艶称した、あの愛猫を探すべく不意に二人の座敷へ侵入して来た、しなやかな美人のことでありました。
 今まで、それを思い出さなかったのはどうしたものだ。
 あの女が盗(と)ったのだ、あの女が、泊り合わせた美僧と美女の情合いを嫉(ねた)んで、美僧がかけて置いた釘頭(ていとう)の財(たから)を、そっと奪って隠したればこそ、二人は命を失った、財を奪うは即ち命を奪う所以(ゆえん)であった。
 その金は、天竜寺の和尚とやらの手許の金であったというではないか、生仏を地獄に落したほどの女が、人の恋愛の糧(かて)を盗み得ないと誰が言う。
 憎い女、二人を殺したその財布の行きどころは確実にあれだ。
 竜之助は、むらむらと、その心に駆(か)られてみると、敵を外に求めてさまよい歩き出して来た自分を、少なからずうとましいものに思いました。
 庫裡(くり)へ帰れば女がいる、憎い女がいる。老禅師を失脚させ、その愛弟子(まなでし)の命を奪った女が、猫を抱いて眠っている。それを追究することをしないで、何をこんなところへきてうろうろしていたのだ。
「帰る、月心院の庫裡へ帰る」
 ほどなく、堂前を辞した竜之助の足どりは、宙に浮ぶが如く、月心院をめざして戻って来たが、庫裡へ戻って見ると、獅噛(しがみ)の火鉢に火はカンカンと熾(おこ)っているが、人のいないことは出て行った時と同じで、行燈(あんどん)はあるが、明りのないことも前と同じ。そこへ、さあと坐り込んで、ホッと息をついて、獅噛火鉢へ肱(ひじ)をあてがってみたが、落着いてみると、四方(あたり)の森閑たることが、ひとしお身に染みて、さて、どうして急に自分の心頭がわいて、一気にここへ走(は)せ戻ったかが、気恥かしいくらい。
 火鉢にかかった鉄瓶を取って、湯呑についでグッと一口に飲んでみると、湯と思ったのが酒であった。あ! と思ったが、この場合、悪いものを呑まされたのではない。一杯、二杯、グッ、グッと呷(あお)ってみると、急に自分の心持が賑(にぎ)やかになって、四方がなんだか面白くなってきました。
 面白くなってきてみると、はて、なんで自分が急に思い立って、ここまで走せ戻って来たか、これもおかしい。
 ははあ、斎藤はいいものを置いて行ってくれたわい、この鉄瓶が酒であろうとは思わなかった、燗(かん)が口合いに出来ている。鉄瓶から直接(じか)にうつした燗だから、金気(かなけ)があって飲まれないかと思うと、そうでない――上燗だ。
 竜之助は湯呑で立てつづけに、三杯、四杯と呷ると、その一杯毎に、無性に気分が面白くなる。珍しく浮かれて、立って、踊って、舞おうとの気分にまでなりました。
 その時、よよとして人の泣く音(ね)。

         四十三

 ああ、はじまったな、よよと啜(すす)り泣き、わあ! と咽(むせ)び泣き、ふたり相擁して泣く男女の二部合奏。
 出端(でばな)に聞いた合方(あいかた)がまた聞けるわい。陶然として酔うた竜之助は、それを興あることに聞きなして、その声のする方を注視していると、なるほど、真暗い中から、まぼろしが出て来た。
「出たな!」
 そうして、うっすらと、弘仁ぶりの柱と長押が、十字架のように現われると見ると、ひらひらと蝶の舞うように、細いきゃしゃな手が、宙に浮いて来て、その柱を下の方から撫(な)で上げる、と見る間に、柱は暗に吸いこまれるように消え失せて、白いしなやかな手首だけが、暗の空中に舞っている。それが、ひらひらとある程度まで上へ舞い上っては、また、右左の柱の方を、撫でさぐると、やがてまた、よよと泣く音、わあ! と絶望の泣落し、それが相ついで、何とも言えない悲哀の響きを伝えるが、竜之助は、この声ある毎にカラカラと笑いました。
 途中も走って来た、かけつけ三杯にグッと茶碗酒を呷(あお)ったものですから、酔のまわりも異常に利(き)いたのでしょう。その勢いがあればこそ、泣合せの合奏と、手のひらの芸の影絵を面白いことにながめられる。全く今宵に限って、なんて世界がこんなに面白いだろう。同じ酔ったにしても、昨晩はこんなことはなかった。ゆくりなく島原の角屋(すみや)の御簾の間の昔に返って、あそこへ寝てみたが、べつだん面白い夢は見ないで、悪ふざけの実演を見たのか、見せられたのか、最後にいささか溜飲を下げることではあったが、決して、面白かったとは言えないのだ。
 それが今晩は面白い。出て行くまでは、そんなではなかったのに、帰りに向って宙を飛ぶ時から面白くなった。いや、松原通りでひっかけたおでんかん酒の利き目が、ここまで来て発したところへ茶碗酒の迎えが、めっぽう利いた。こうも面白おかしい気分のところへ、誂(あつら)えもしないのに音楽の合奏と、頼みもせぬに映画の上演とがあって興を添えてくれる。
 なんだか面白くてたまらない竜之助の脳底へ、音楽と、映画とから、いろいろの想像が続々と湧いて来る。いま盛んに実演中の二人の泣き声が、いつしか、近江の、大津の宿のお豊と真三郎の姿を浮き上らせて来る。その真白い手は、僧の形に姿を変えた真三郎が、しきりに焦(あせ)って伸ばす手だ――届かない、お豊が助けて抱き上げて、背たけのつぎ足しをしてみたが、それでも届かない。そこで二人が崩折れて、よよとばかりに泣いている。
「馬鹿な奴、いくら探したって無いものは有るものか、いいかげんにあきらめて往生しろよ、毎晩毎晩そうして合奏をつづけては、下手な左官の壁塗りのような、薄っぺらなうつしえの実演をやりつづけているそうだが、塗直し、焼直しも、そうそう手が重なっては、凄くもなんともないぞ、市中では鬼頭堂の堂守まで鼻についているぞ、いまに犬も食わないことになるぞ、いいかげんに引込め、引込め」
 いや、鬼頭天王の堂守といえば、もういい年だが、あれで若い時は相当に美(よ)かったぜ、今こそ堂守で行い澄ましているが、まだ見られる色香、いや、まだ聞かれる声だった。
 鬼頭天王とは、いったい何だと反問したら、あの堂守の尼が、妙に上ずった肉声をあげて、こんなことを聞かせたぞ――
 昔、北面の武士に兵部重清(ひょうぶしげきよ)というがあって、それが正安二年の春、後伏見院が北山に行幸ありし際、その供奉(ぐぶ)の官女の中に、ええ、何と言ったかな、そうそう、朝霧という美女がいた、それを兵部重清がみそめてしまった、つい、いい首尾があって、連理の交わりとやらを為(な)したそうだ。今晩は頭がいいので、尼の口早に話した人の名も、年号も、ちゃあんと覚えているぞ。その上に、連理の交わりだなんて洒落(しゃれ)た文句も覚えている。あの堂の婆あめ、その艶物語(つやものがたり)を語る口に肉声を帯びていたのは怪しからぬ、恋と無常を語り聞かす枯れきった声ではない、あれではまだ相当の年だ、四十かな、三十代は過ぎてるらしいが、五十の声はかからないぞ。おれが一人、さまよい込んだので、彼女も異様に昂奮したか、頼みもせぬに、その重清と朝霧の恋物語を、からくりの口上もどきで、面白おかしく語り聞かせたが、さあ、それから二人の身の上はどうなったかといえば、左様、二人の仲を、重清の父が見て、これを危ぶんだ――というのは、相手がやんごとなきあたりの官女では、悴(せがれ)の行末が思われたからだろう。そこで、体(てい)よく悴を口説(くど)いて、別に似合わしい縁辺を求めて、八重姫――お八重ちゃんという娘を、これに娶(めあ)わせたのは、親としてしかるべき心づかいだ。且つまた、なさねばならぬ義務を果したのだ。そこで、それがそのまま、市(いち)が栄えれば何のことはないが、恋愛というものは生死(いきしに)なんだ、失うか、得るかよりほかには、妥協というものが利かないんだから、やりきれない。父の定めた伉儷(こうれい)が成立してみれば、自分の作った恋愛はあきらめなければならぬ、それをあきらめると、当然一人の犠牲者を出さなけりゃならぬ、この場合の失恋者が、とりも直さず官女の朝霧なのだ。彼女は深く恨んだ、その結果が、食物を断って死んだ――
 その辺を語る時に尼は、さめざめと涙を落していたようだが、似つかわしい新夫婦のために同情せずして、不義の交りを楽しんでいた官女に同情を持つところが怪しからん。何か身につまされるものが深かったればこそだろう。おれは、そういう事は世間にあることで、また有り得ることだ、世間の神仏にある取りとめもない誇張の縁起物語と違って、失恋の結果、自分の生命を断つということは自然であって、無理でない、恋というやつは、それを失っては生きられないものだ、という理窟をそのまま受取る。そこで、兵部重清も、もともと深く焦(こが)れた仲だから、それが菩提(ぼだい)の種となって出家を遂げた。つまり、新家庭を抛棄して、出家入道の身となったのは、遅蒔(おそま)きながら朝霧の純情に殉じたものだ。死して魂魄(こんぱく)となっても、女はその殉情に満足を感じたに相違ない。つまり、生きて遂げられぬ恋が、死して円満に成就(じょうじゅ)したということになって、その艶話は一応実を結んだが、それ、恋というやつは戦と同じことで、勝敗だけがあって、妥協というものがないのだ。あの世と、この世だが、とにかく二人の恋が再び好転してみると、当然またここに一つの犠牲者が現われてしまった。その後のお八重さんはどうした、父の定めて取ってよこされた八重姫なるものが、それよりはじまる無惨な落伍者の運命を、堂守の婆さんは気の毒とも言わず、哀れとも思わず、それはそれだけで立消えて、そんなことは、眼中にも、脳中にも置かないでいたのはヒドいぞ、片手落ちだぞ。官女と重清の、はかない恋の成就に祝福を送ることだけを夢中に口走って、若干の肉声までも交えながら語り聞かせたくせに、公定の女房のその後の心理と境遇には、なんらの触るるところがない、全く存在を眼中に置いていない話しぶりだったが、やっぱり、かれに同情すべくして、ここに同情なり難きおのれの身の上に引きくらべての利己心から出た恋愛の讃美に過ぎない。
 さて、出家を遂げた重清は、それから紀州のなにがしの島とやらへ庵(いおり)を結んで、行いすましていたが、ある時、劇(はげ)しい疾病に取りつかれ、苦悩顛倒している枕許へ、官女朝霧の亡魂が鬼女となって現われ、重清入道を介抱して、その頭を撫(な)でると、さしもの病苦が忽(たちま)ち平癒した。わざわざ病気見舞に来るまでの親切があったなら、なにも鬼の面などをかぶらずに、素地(きじ)の□(ろう)たけた官女で、十二単(じゅうにひとえ)かなんぞで出たらよかりそうなものを、鬼に撫でられたんでは、入道もあんまりいい心持もしなかったろうけれど、利き目は確実にあったらしい。その功積って、重清入道も、朝霧の魂魄も、共に成仏し、末代その証(あかし)として、重清入道は死ぬ時には己(おの)れの頭を残すように言って置いたが、後世、その頭をここに祭って、あがめて鬼頭天王と申し奉る、これが、すなわち鬼頭様の由来だと、堂守の尼が細かに説明してくれたのを、手にとるように覚えている。
「そこで堂守の婆さん、お前さんに聞いてみたいのは、何のよしみで、お前さんが、その恋塚の堂守をなさるのだね。後伏見院の御代(みよ)だということだから、十年や二十年の昔ではあるまい、まさかお前さんが、重清入道や、朝霧官女の身よりの者という次第でもなかろう、世が世ならば当然、その第二の犠牲たるお八重さんという正式女房のする役まわりが、今のお前さんの役目というところだが、無論、お前さんがそのお八重さんの成れの果てであろうはずはない、もし、そうだとしたら、そういう片手落ちの同情ばっかりはせぬはずだが、お前さんのは、ただの堂守ではなく、全く二人の恋愛の成就に同情しきっている、そこの気持がよくわかるだけに、お前さんの立場がわからない、どうです、婆さん――婆さんと言ったのは、ついした口うらだから勘弁して下さいよ、どうお見かけしても、いや、この暗いとこから、どうお聞き違いしても、お前さんは四十以上の女ではない、四十といえば女が世を捨てるにはまだ早い、それに声もよし、品も相当備わっておいでだし、ことに、いま二人の恋物語を語るにつれて、情がうつって昂奮して来る様子と言い、どうやらお前さんも只者(ただもの)ではないようだ、まだ枯木となって、世の春にそむく年頃でもあるまい」
と言って、近寄って、その手にさわってみると、どうしてどうして、その手がまるく肥えていた。
「あなた様、怪体(けたい)なことをなされますな」
と尼さんは言ったが、驚いて飛び上りもせず、そのさわられた手を引っこめもしなかった。
 果して、相当海千(うみせん)の女であったよ、わしが一人でさまよい込んだのを、いいかげんの相手と、つかまえて放さず、朝霧と重清の恋物語に持込んで、情をうつしたのは、まあ相当の手とり者だった。おかげで、おれも無益の殺生(せっしょう)をしないで済んだというものだが、いったい、京都は女の多いところだと、そもそもこの時から嬉しくなりはじめたのは馬鹿な話さ。

         四十四

 破産者の笑いそのもののうつろな笑いのうちに、机竜之助は、仰向けに横になって気を吐いていたが、もう気の利(き)いた化け物は引込んでしまい、よよと泣く声もなければ、わあわあと合わせるバスもなく、柱も、長押(なげし)も、すっかり闇のうちに没入して、あの真白い、しなやかな手首も、下手な左官屋の真似(まね)をする芸当をやめてしまい、四方(あたり)が森閑とした丑三(うしみつ)の天地にかえりましたものですから、さしもの竜之助も疲れが一時に発したものと見えて、仰向けに寝たままで、すやすやと寝息を立てる頃になりました。
 その時分に、不意に、シューッと音を立てて、仰向けに寝ている竜之助の体の上を、いなずまのように走り去ったものがあるかと思うと、それにつづいて、真白い塊りが一つ、雪団子が落ちて来たように、同じく竜之助の体を踏み越えて行こうとしましたが、寝入りばなの竜之助が許しませんでした。二番目に来た物体を、むずと右の手で押えて動かさないので、そのものがギューッと言いました。
 この物体というのが、他の何物でもない、猫です。前に竜之助を踏み越えたそれより小さい物体も、珍しいものではない、ドコにもいる鼠という悪戯者(いたずらもの)であったのです。猫と鼠とは前世からの敵同士(かたきどうし)で、猫は鼠を捕るように出来ているし、鼠は猫に取られるように出来ている。その造化の造作を造作通りに行ったまでのことで、少しも怪とするにも、異とするにも足りない。
 ただ前の前世の仇は、ともかく首尾よくこの飄客(ひょうかく)の体の上を、無断通過することに成功したけれど、あとからの前世の敵は、それに成功すべくして途中で意外な魔手にさまたげられたというだけのことでありました。
 だが、人間というものは、猫を飼うべく出来ているもので、猫を殺さねばならぬ前世の宿縁というようなもののないはずであるのに、罪のないのに南泉坊に切られたり、こんなところへ出現したり、非業なものに出来ておりました。寝入りばなの竜之助は、つづいて追いかけて無断突破を企てたその猫めを、単に木戸をついて妨げたのみではありません、それを払いのけてかっ飛ばしたというだけのものでもありません、猫めの頭と首のところを持って、無慈悲にそれを掴(つか)んだために、掴みつぶしてしまったのです。それ故に猫が、
「ギャッ」
と言いました。そのギャッはなまなかのギャアではない、断末魔の叫びであったのを、かわいそうとも何とも思わずに、そのまま一方に向って邪慳(じゃけん)に取って投げたものですから、遥(はる)か隔たった一方の壁にしたたかぶっつかって、そこで改めて、
「ギュー」
と言いました。ギャッと言った時が、すでに致命なのですけれども、死後の空気がまだ少し脈管に溜っていた。それが、「ギュー」という声で完全に吐き出されて絶望の境に入りました。もうこれ以上、打っても、叩いても、息もしなければ、音(ね)も揚げません。
 そうして置いて、そのしたことを、無自覚のような昏睡(こんすい)のうちに、竜之助は再び夢路の人となったのですが、その夢路もあんまり長い時間のことでなく、またしても、うつつにその夢をさわがすものがあることを、昏々として眠りながら、うるさいことに苦々しがっている耳もとで、
「モシ、あの、玉が参りませんでしたか。玉や、玉や、またお前、ドコぞへ行きましたか、また人様に失礼なことをしてはなりません、さあ、こちらへおいで、玉や、玉や」
 よくまあ、いろいろのものが出て、自分の安静をさまたげることだ、今の猫でケリがついたかと思うと、そのまた猫を探しに来た人間がある、その人間に挨拶をしていた日には、また続いて何が出て来るかわからない。
「猫はおりませんよ」
 うつつで、竜之助が言うと、
「あ、左様でございますか、それは失礼を致しました」
「もしや、壁の隅の方を見てごらんなさい、あちらの方にいるかも知れません」
「左様でございますか」
 猫をたずぬる主は手燭(てしょく)を点(とも)して来ましたが、それをかざして室内を照らそうとしたが、室内が広きに過ぎて光が隈なく届きません、そこで、おもむろに一足、また一足、いずれにも尋ぬる物の体が一目には見出し難いものですから、ややもすれば消えなんとする手燭を袖屏風(そでびょうぶ)にして、また一足、また一足、怖い人穴の中へ忍び入るような足どりも、愛するもののため故の勇気で、その愛するものというのが、人でなくして猫であるだけの相違でした。でも、かよわい女が、この夜中に、知ってか、知らずにか、こういう物凄い気分のひそむ室内へ、独(ひと)り忍び入るということも、愛すればこそで、その怖る怖るの一足一足が、どうしたものか、竜之助の寝ている方へ近寄って来ました。
 途端に、よろよろして、よろけたものですから、細い腰が一たまりもなく崩折れて、そうして、まともに寝ている竜之助の上へ、身体(からだ)の全部を以て落ち倒れかかったものですから、全く夢を破られぬわけにはゆきません。
 今までは、夢であったり、うつつであったり、特におでん燗酒(かんざけ)のせいであったり、茶碗酒の勢いであったりして、夢中、夢をたどる中に、猫を一匹犠牲に上げてしまったことは、やはり半酔半眠のうちに記憶をとどめているが、人間がまともにぶつかって来た時には、真実の現在にかえらないわけにはゆかない。ガバとして竜之助がハネ起きました。
 倒れた女は当然、竜之助と重なり合った体勢にまで崩れてしまった。
「あれ!」
と言ったきり、恐怖と、失策とにおびえて、しばし口が利(き)けないで動顛しておりましたが、これが竜之助であったから仕合せでした。落ちかかる女の体を、よく支えて、それを横抱きに抱き起したなりで、自分も起き直ったのですから、双方の身体にいささかの被害はありません。
「まあ、何とも申上げようもないそそうを致しました」
「いいえ、なんでもないです」
「玉を探しに参りましたばっかりに」
 それでも、もう一つ異(い)なことは、こんな場合にも手に持っていた手燭の火が消えなかったことで、これは一種の奇蹟でありました。この残照を娘は無意識的に拾い取ると、すぐ眼の前の大きな行燈(あんどん)が眼にうつりますと、その行燈へ、手燭の火をうつしてしまいました。孫火をうつしたような親火が大きくなると、娘は、その光で、自分が失礼をした当の人を見届けようとする先に、またこの人に失礼の重々のお詫(わ)びをしなければならない先に、室の四隅をおろおろとして見やったのは、人よりは猫が可愛かったからです。そうすると早くも認めた丑寅(うしとら)の方一隅に向って、
「あれ、あそこに玉が――」
 かけつけて、手燭をつきつけた、そのホンの瞬間から、娘が声を放って泣きました。
「あれ、玉が殺されている、玉が死んでいる、あれあれ玉が――」
 ここに竜之助なる人間の存在などは、全く眼中にも脳中にも置かず、ひとり舞台の狂乱でした。

         四十五

 娘は、そこで絶え入ってから、三日の間は、猫の死骸を抱いたまま枕が上らなかったそうです。
 竜之助は、その夜の明けないうちに、またここをさまよい出でて行方が知れません。
 その夜が明けても、誰もこの座敷をおとなうものがありませんでした。いつもならば御陵隊士の片われだの、それを訪ねて来る浪客などで甚(はなは)だ賑わうのですが、いつになっても人が来ないだけに、かえってすさまじいものがあるのです。
 しかし、表向き隊の屯所(とんしょ)の方面は、今暁、昨晩からかけてものすごい人の出入りで、ものすごい殺気が溢(あふ)れ返っていると見えたが、それも、やがて、げっそりと落ち込んだように静かになってしまったから、今朝の月心院の庫裡(くり)の光景というものは、冷たいような、寒いような、生ぬるいような、咽(む)せ返るような、名状すべからざる気分に溢れておりました。
 そこへ、饅頭笠(まんじゅうがさ)に赤合羽といういでたちで大小二人の者が、突然にやって来て、溜(たまり)の前で合羽をとると、警板をカチカチと打つ。
「おう!」
と答えて中から出て来たのは、これより先、いつのまにか来着して一隅に寝ていた一人の壮士でありました。
 そこで、右の三人が、例の獅噛火鉢(しがみひばち)の周囲(まわり)に取りつくと、合羽を取った大小二人の者は、南条力と、五十嵐甲子雄でありました。
「いやはや、すさまじいものを見せられた、先般の池田屋斬込みよりも、これはまた一段の修羅場(しゅらば)だ、やりもやったり!」
と三人のうち、誰からとなく、まず斯様(かよう)に口を切って、しばらく沈黙が続いたのは、つまり、三人が、おのおのまずお座つきに発すべき感歎詞が、期せずして胸に一致していたのを、一人が代って口に出したものですから、まず異口同意といったようなものです。
 異口同音に舌を捲いての感歎によってもわかる如く、およそこれらの連中が見て、舌を捲いて、やりもやったなアと沈黙せしめられたるくらいだから、相当なにか外で行われたに相違ない。猫を一匹投げ殺して、娘が三日寝たという程度の仕事では、これらの連中の神経は動かないことになっている、その神経を、かなり最大級に刺戟した事件が外で行われたことの現場を、この連中は現に見届けて来たればこそ、ここへ来て、まず舌を捲いて、あっけに取られているに相違ない。
 しからばこの連中をして、かく舌を捲かして唖然(あぜん)たらしめた外の出来事の性質は何かというに、やはり、今のその感歎詞を分析してみると相当当りのつくことで、先夜の池田屋斬込みよりも、これはまた一段の修羅場だ――という一句によって推察せられる如く、先夜の池田屋斬込みに幾倍する凄惨(せいさん)の場面が、この京洛の一角のいずれかで展開せられたに相違ない。
 その比較に取られた池田屋騒動は、三条小橋の旅宿、池田屋惣兵衛方に集まる長州、肥後、土佐等の、勤王方の浪士の陰謀を探知した新撰組が、隊長近藤をはじめ精鋭すぐって出動し、一網打尽にこれを襲撃して、七人をこの場で斬殺し、四人に負傷せしめ、二十二人を召捕った大捕物、というよりは小戦争に近い乱刃であった。近藤勇の名を成したのはそもそもこの時からはじまったと言ってよい。時は元治元年の六月五日。
 これはいわゆる勤王方に対する、幕府の手先としての新撰組の正面襲撃であったが、後の高台寺鏖殺(おうさつ)は、朝幕浪士の争いとは言えない。そのバックには幾つの影があるにしても、もとはと言えば、みんな同じ釜の飯を食った仲間の同志討ちであった。
 近藤勇方の手によって殺された伊東甲子太郎も、以前は同じ新撰組の飯を食ったもので、それが御陵衛士隊になって分裂し、新撰隊長近藤勇に隠然として対峙(たいじ)する御陵衛士隊長伊東甲子太郎が出来上ったとは前巻に見えたし、伊東が近藤の謀計で誘(おび)き寄せられて、木津屋橋で殺された顛末も前冊にあるはず。伊東を殺したのも、芹沢を殺したのも、近藤の手であることには相違ないが、その殺され方の性質が違っている。芹沢は兇暴にして、隊長の威信を傷つくるが故に殺された。伊東は全然諒解を得て新撰組を離れたのだが、離れたその事の裏にすでに危機が孕(はら)んでいる。両虎相対して無事に済まない種が蒔(ま)かれている。表は立派に名分と理解とによって分れたのだが、内心の決裂は救う由なきことは申すまでもない。近藤の内命を受けて間者の役をつとめたのが斎藤一、御陵衛士隊長の伊東と、薩州の中村半次郎とが気脈を通じて、近藤勇暗殺の計画が熟していることを斎藤一が探知して、これを近藤に報じたから、先手を打って近藤が伊東を誘殺したのであった。単に伊東一人を殺しただけでは納まらない、根を絶ち、葉を枯らさずんば甘んずることをしないのが近藤の性癖である。そこで斬捨てた伊東の屍骸(しがい)を白日の下(もと)に曝(さら)して、残るところの隊士の来(きた)り収むるを待った、来り収むるその機会を待って、その来るところのものを全部、隊長と同様の運命に会わせようとするのもくろみであった。
 果せる哉(かな)、変を聞いた御陵衛士隊勇士の一連は、甘んじてその網にひっかかりに来た。みすみす新撰組のおびきの手と知っても、往きゆいてこれを収めざれば隊士の面目に関する。
 そこで、隊士中の錚々(そうそう)、鈴木樹三郎、服部武雄、加納道之助、毛内有之助、藤堂平助、富山弥兵衛、篠山泰之進の面々が、粛々としてこれに走(は)せ向った。いずれも武装を避けて素肌で赴いたのは不用意ではない、特に覚悟するところが有ったからである。行けば当然、新撰組の伏兵が刃(やいば)を連ねて待っていることはわかりきっている、そうしてどのみち、新撰組を正面の敵に廻した以上は、衆寡敵せざることもわかりきっている、従って行く以上は斬死(きりじに)のほかに手のないこともわかっている、すでにその覚悟で行く以上は、未練がましい武装は後日の笑いを買うのおそれがある、むしろ素肌で一期一代(いちごいちだい)の腕を見せて終るの潔きに越したことはない。そこで、いずれも武装はしなかったが、ひとり服部武雄だけが思うところあって武装した。
 かくて七人の壮士が、粛々として木津屋橋さして練って行くと、果して、皓々(こうこう)たる月明の下に、隊長の惨殺屍骸は、人の来(きた)って一指を触るることを許さず、十字街頭に置き放されたままで、ほしいままに月光の射し照らすに任せてある。
 彼等の悲歎と慨歎は思うべしである。そこで隊長伊東の屍骸を取り上げて、これを釣らせて来た駕籠(かご)の中に取納めんとする刹那(せつな)、物蔭よりむらむらばっと現われ出でた、新撰組の壮士四十余名!
 兼ねて期したることながら、ここで入り交っての乱刃。
 前に言う如く、この夜は、月光燦(さん)として鏡の如き宵であったから、敵も味方も、ありありとたがいの面を見ることができる。
 以前は同じ釜の飯を食った間柄とは言いながら、こうなると、名を惜しみ腕を誇るの気概が、猛然として全身に湧き上って来る。
 四十余人の新撰組はみな鎖をつけていた。七名の御陵衛士は、服部を除く外はみな素肌であったこと前に申す通り。
 鳴りをしずめて待構えていた新撰組に隙間のあろうはずはなかったが、来り戦う七名の壮士も武装こそしないが、いずれも覚悟の上には寸分の隙もない。
 所は京都七条油小路、時は慶応三年十一月十八日の夜――新撰組の方で、角の蕎麦屋(そばや)に見張りの役をつとめていた永倉新八と原田佐之助――これは鉄砲の用意までしていたということである。
 御陵衛士隊の一行がやって来る方向だけの兵を解いて置いて、そのほかは三方ともに固めている。三方を固めたといっても、特に要塞を築いたわけではなし、野戦の利を得た広野へ導いたわけでもない。いずれも連なる京の町家並、商家はすっかり戸を下ろしている。知らずして寝ているのか、知ってそうして戦慄の下に息を殺しているのか、カタリの音もせず。
 その町家の家毎に兵を伏せて置いた新撰組が、ここで一時に現われて四十余人、覚悟をきめた七名の壮士を押取囲(おっとりかこ)んで、何さえぎる物もなく、器量一ぱいに白刃下にて切結ぶのだから、格闘としては古今無類の純粋な格闘に相違ない。
 同じ夜に、南条、五十嵐の二人は、この場へかけつけて、とある商家の軒に隠れて、その白昼を欺く月光の下に、惻々(そくそく)としてこの活劇を手に取る如く逐一見ていたものらしい。
 鴨川の川べりから、三条橋の橋上に姿を消した二人は、あれから直ちにその見物に間に合った。やりもやったりと舌を振(ふる)って物語る実見譚(じっけんたん)。

         四十六

 これらの会話に花が咲いているところに、いつかは知らず、一人加わり、二人加わり、獅噛大火鉢の周囲が五、七人の人で囲まれて、いとど活気が炭火と共に燃え上りました。
 その連中も、いずれ御多分に洩(も)れぬ壮士浪士、ただし新撰組でもなし、御陵隊でもなし、有籍の諸藩士、無籍の修行人でもなし、いずれも、フリーランサーであるに相違ないと思われる。フリーランサーは英語であって、当時日本の流行語で言えば、脱走者とも、脱藩人ともいう。
 つまり、諸藩を脱走して、おのおのその懐抱するイデオロギーによって自由行動をとる、当時の志ある青年武士である。藩籍にあって知行をいただいていては自由の行動が取れない、よし自由の行動が取れるにしても、その行動が藩主の身上に影響を及ぼすところをおそれて、好んで藩を脱して諸国を放浪して、大言壮語することを職としていた筋目の通る溢(あぶ)れ者(もの)が、当時の社会には充ち満ちておりました。
 期せずして、これらのものが会見して、語り出す日になると談論風発です。天下国家のことから、経世済民のことから、人物汝南(じょなん)のことから、尊王討幕のことから、攘夷清掃のことに及んで、いつも火の出るような言論戦が行われることはあたりまえであるが、今日は、話のきっかけが見て来た修羅場のことからはじまり、その内容の叙述について、もはや、かなりの弁論時間を要したものですから、架空の議論には及ぶ余暇がなかったのですが、ここで右の叙景談が一応終りを告げると、次に猛然として湧き起るのは、天下国家の談論風発であることは是非もないことです。
「いったい、天下の形勢はどうなるんだ」
「維新というのはいったい何を意味するんだ」
 このだいたいの問題が、まだ明答を与えられていない。寄るとさわると、天下の形勢は如何(いかん)、維新の意義は如何ということが、口癖になっていることほど、何人も天下の形勢に不安を感じ、維新の必要を信じている。天下の形勢がかく不安なればこそ、維新の必要が当然であって、維新なきに於ては天下の不安が救われないということは、児童走卒までもこれを信じながら、さて、では今の天下の形勢がドコへ落着いて、維新の新体制はどう組織されるのだという具体観になってみると、識者といえどもこれが明断を下し、明答を与えることができない。
 そこで、右等の壮士連も、天下国家の談に及ぼうとする最初の出立は、ここからはじまるのです。古くして新しいのは、新しく解釈せらるべくして、現状維持の底力が動かないからです。
「いや、天下の形勢も古いものだが、落着く筋道はたいていわかっている、ただ、その筋道が一筋でない、幾筋かあるので迷っているだけのものだ、落着くということになれば、ドレかそのうちの一つに落着く」
「は、は、は」
 誰かが高らかに笑いました。
「落着くところに落着くという結論は、成るようにしか成らぬという論理と同じことなんだ、なりゆき任せに手を拱(きょう)していることができない、落着くべきところに事物を落着かせ、成るべきように国家を成らしめんがためにこそ、我々は身命を顧みず東奔西走しているのだ」
「それはまた至極同感である、同感であるというのは、感服という意味ではない、その意見も、要領を得たようで、要領を得ないことは前者と同じである、すなわち、問題は落着くべきところに物を落着かせるという、その落着くべきところはドコなんだ、成るべきように国家を成らしむという、その成らしむる究竟目的というものを、諸君ははっきりと指示ができるのか――」
 肯定と否定とを同時にして究竟問題を提出した一人の壮士、それを判者面の南条力が、
「君たちは定義を先に立てて置いて、弁証を後にするから、それで徒(いたず)らに抽象にはせて、意余りあって情が尽せないことになるのだ、冷静な逐条審議から出直して見給え、当世流行の科学的というやつで……」
「なるほど、細目をあげて、しかして大綱に及ぶという帰納論法をとって見る方が、斯様(かよう)な時にはわかりが早いかも知れぬ」
「では……」
 南条が咳(せき)ばらいをして、
「いいかい、では、その落着くべきところという命題をまず、とっつかまえて俎(まないた)にのぼす――その落着くべき筋道が幾筋もあるということを、さいぜん北山君が言ったが、単に幾筋もあるではいけない、それでは当世流行の科学的ということにならないから、幾筋なんぞとぼかさずに、五筋なら五筋、六筋なら六筋と明確に数を挙げてもらいたい、これも当世流行の数学的というやつで、つまり、昔の塵劫記(じんこうき)で行くのだ」
「そう言われると、そうだなあ、その落着くべき道というのが幾筋あるかなあ」
 正直な北山は、注文をまともに、あれかこれかと胸算用をはじめて、急には埒(らち)が明かないのを南条が突っこんで、
「胸算用はやめて、まず、頭に浮んだ一筋ずつを言って見給え、そうして、一筋ずつ抽(ひ)き出して、抽き尽した後に寄算をしてみれば容易(たやす)くしてくわしい」
「君は算者(さんじゃ)だ」
 北山は、南条の頭のよさに敬服する、南条の頭がいいのではない、自分の頭が鈍に過ぎるのだ、と申しわけたらたらで、勧告された通り、逐条列挙に思考を換え、
「まず、今の天下が落着くべき筋道としては――例を挙げてみるのだよ、そこに落着くのが正しいとか、そこに落着きそうだとかいうの判定ではないよ、例を幾つも挙げてみるんだから、これが拙者の希望であり、意見であるように取られては困るよ」
「そんな申しわけはせんでもいい、早く第一条を言い給え」
「まず、今まで通り徳川の天下に安定するというのが最初の筋道として」
「次は」
「幕府が政権を朝廷に返し奉る、王政復古の筋道」
「次は」
「王政復古が成らずして、畏(かしこ)くも建武の古例を繰返すような事態が到来したとして、いや、そうでなくとも、徳川幕府につづく第二第三の幕府が出来るとして見ると」
「徳川幕府以外の幕府の成立を予想してみる、なるほど」
 更に第四条件にうつろうとする時、横合いから口を出し石井権堂というのが、
「その科学的とやら数学的とやらいうところを、もう一層細かく、単に徳川幕府以外の幕府が、成立とかなんとかの仮定条件では物足りない、徳川幕府に代る幕府が成立するとすれば、誰が代るか、それをひとつ具体的に言ってみてもらいたいな」
「まず、薩摩か」
「まず、長州か」
「毛利だろう」
「島津だろう」
 この二つは動かない、誰も、それを上下したり、左右にしたりして見ることはするが、それ以外のものを加えて見ようとはしない。
 そこで、この席には、薩州論と長州論との談論の枝が出て、その枝がかんじんの話題の幹よりも大きく、広くなりそうで、長と、薩と、徳川家との関係から、関ヶ原以来の歴史にまで遡(さかのぼ)ったり、人物はドチラにいる、いや薩が断然図抜けているという者もあれば、どうして長の方が粒が揃(そろ)っているというものがある、そういうことで談論が鋭化し、感情が昂進して、せっかくの科学的も、数学的もケシ飛んで、鉄拳が飛び兼ねまじき勢いでしたが、座長格の南条がようやく取りしずめて、
「してみると、徳川幕府倒れて、新たに将軍職を襲うものがありとすれば、これは薩州か、長州かのいずれかより起る、その判断には異議はないか」
「異議がないようだ」
「だが、ここになお一つの勢力、お公家(くげ)さんにもエライのがいるぞ、中山卿だの、三条殿、死んだ姉小路――岩倉――大名ばかりを見ていては見る目が偏(かたよ)るぞ」
とさしはさむものがあるかと思うと、一方には、
「いや、まだ大名のうちにも油断のならぬのがいるぞ、土佐、肥前なんぞは、なかなか食えないぞ」
と言う者もありました。

         四十七

「土佐は食えない」
と和するものがあって、薩長論から続いて話壇を占有したものは土佐でありました。
「土佐の国の国論というものは一種不可思議だよ、志は王政の復古にあらず、さりとて幕政の現状維持でもない、どのみち、天下は一大改革をせにゃならんということは心得ているらしいが、その方法として、封建を改めて郡県を立てんとするの意思も相当徹底しているらしいが、それはよろしいが、その手段方策というものが土佐一流で、徳川慶喜(とくがわよしのぶ)をして大政を奉還せしめる、これも異議がない。しかして大政を奉還せしめた後、天下の公卿諸大名から、各藩の英才を徴して新政に参与せしめる、その理想も悪くはないが、さて、その新政体の主脳髄は何という段になると、それが今の慶喜を将軍職を奉還せしめた後、改めて政権の主座に置いて、三百諸侯みな現状維持の下に、つまり藩主を藩知事というものにして、それで、現状維持のままに政(まつりごと)を一新せしめて行こうという案らしい。それが、無用の破綻(はたん)と摩擦を起さずして、しかして体制を一変し、新政の実を挙ぐるに最も妙用であると、土佐ではそう考えているらしい。そういうような意見と運動が、一藩の輿論(よろん)となっているらしい。それだというと、いわゆる公武合体のようなありふれた妥協でもないし、一面は一新の革新意識に触れているし、一面は旧制度の保守にも通じている、ちょっと、まともに反対しようがあるまい。この一藩の輿論の下に、土佐はまず幕府に向って大政奉還運動を働きかけている、徳川氏に向って、早く政権を朝廷に向けて奉還せよ、それが天下の大勢であるし、また徳川氏の社稷(しゃしょく)を保つ最も賢明の方針だ、大政奉還が一刻早ければ早いだけの効能がある、一刻遅ければ遅いだけの損失がある、ということを、あの藩の策士共はしきりに幕府に向って建議勧誘しているそうだ」
「それは利(き)くまい、三百年来の徳川政権を無条件で奉還する、いくら内憂外患頻発(ひんぱつ)の世の中とはいえ、一戦も交えずして政権を奉還する、そんなことは将軍職としてやれまい、将軍職としてはやれても、臣下が肯(がえんず)るということはあるまい、夢だ、空想だ、策士の策倒れだよ」
「ところが、存外、それが手ごたえがありそうだということだ、幕府も大いに意が動いているらしいということだ、なんにしても、もはや徳川幕府ではこの時局担当の任に堪え得られない、よき転換の方法があれば、早く転換するのが賢いという見通しは、こと今日に至っては、いかに鈍感なりといえども、気がついていないはずはあるまい、よって、存外、土佐の建策が成功するかもしれない」
「そんなことは痴人の夢だよ、天下の幕府でなく、一藩の大名にしてからが、藩政が行詰ったから大名をやめます、藩主の地位を奉還しますとは誰にも言えまい、取るに足らぬ一家にしたってそうじゃないか、みすみす家をつぶすということが、一家の主人としても、オイソレとはやれない、幕府の無条件大政奉還などということは、いくら時勢が行詰ったって、これは夢だよ、それこそ書生の空論だよ、今の時勢だから、書生の空論も、一藩の輿論(よろん)を制するということはできない限りもあるまいが、天下の大権を動かそうなどとは、それは痴人の夢だ」
「ところが、存外、痴人の夢でないということを、僕はある方面から確聞した、それに大政奉還は徳川の家をつぶす所以(ゆえん)でなく、これを活かす最も有効の手段だということなんだ、そこに、徳川家と土佐とには、ある黙契が通っているらしい、大政奉還将軍職辞退の名を取って、事実、新政体の主座には、やっぱり慶喜を置く、そうして天下を動揺せしめずして新政体を作る、というのが眼目になっているらしいから、そこで、幕府も相当乗り気になっているらしい、つまり名を捨てて実を取る、名を捨てることによって時代の人心を緩和する、実を取ることによって、やっぱり徳川家が組織の主班である、多少、末梢(まっしょう)のところには動揺転換はあるにしても、根幹は変らないで、しかも、効を奏すれば、時代の陰悪な空気をこれで一掃することができる、至極の妙案だと、乗り気になって動き出したものが幕府側にもあるということだ」
「ふーん、してみると、坂本や後藤一輩の書生空論によって、天下の大勢が急角度の転換をする、万一、それが成功したら、また一つの見物(みもの)には相違ないが、同時に徳川家を擁する土佐の勢力というものが、俄然として頭をもたげて来るということになる、慶喜を総裁として、容堂が副総裁ということにでもなるのか」
「いや、それが成功したからとて、いちずに土佐が時を得るというわけには参るまい」
「失敗しても、土佐は得るところがあって、失うところはないのだ」
「だが、諸君、心配し給うな、そんな改革が、仮りに実行されるとしてみても、成功するはずがないから、心配し給うな」
「どうして」
「たとえばだ、君たち、ここに拙者が坐ったままでいて、そうして、この畳の表替えをしろと言ったところで、それはできまい、畳の表替えをしようというには、そこに坐っている者から座を立たねばならぬ、坐っている奴が、座を立つことをおっくうがって、このまま表替えをしろと言ったってそりゃあ無理だ、家の建替えや根つぎにしてからがそうだろう、天下のことに於てはなおさらだ、攻撃をする、改造をするという時に、中に人間共が旧態依然としてのさばっていて、それで改造や改築ができるか、現状維持をやりながら維新革新をやろうとしたって、そりゃ無理だよ、そんなことができるくらいなら、歴史の上に血は流れないよ、そんなおめでたい時勢というものは、いつの世にもないよ」
 こういった反駁(はんばく)が、有力な確信を以て一方から叫び出されると、さきに土佐論を演述した壮士が躍起となって、

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