大菩薩峠
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著者名:中里介山 

 橋の上の一方に待たして置いた送り狼は、いかにと見上げたものでしょうが、前に言う通り、この男の要求通りに、馬鹿な面(かお)をして、橋の上に待っていなければならない義務も責任もないことは、先方よりこちらがわかっているから、二兎を追うことはできない道理だから、一方は一方で一時は取逃がしても、やむを得ない。比べてみると、こちらの番(つが)いの獲物(えもの)の方が実入(みい)りがありそうだ。あれはあれで、出直して突留める分には、相手が不自由な身だから手間ヒマはいらないはずだが、芹沢鴨を名指したり、伊東や近藤とも相当面馴染(かおなじみ)があるらしいところを以て見ると、ただの鼠ではないが、新撰組や御陵士頭に属するほどの者でないことは、その言語挙動でわかりきっている。当座の口実に、新撰組や御陵士頭の名を仮りてみるだけのもので、最後に突きつめたお宿許の名乗りに、高台寺月心院の名を指したが、それとても、果して月心院で受けつけられるかどうかわかったものではない。とにかく、島原の行動と言い、その後の応対と言い、捉まえどころが有るようで全くない。これまた近ごろの珍しい獲物だと、源松はほほ笑みながら、近いうちに手の内を見せてやると、いささかの得意で橋の上を見上げると、どうでしょう、命じて置いた通りの地点、欄干を背にしたところに、たしかに待っている。よもやと眼を拭って見直したが、間違いがない。
 やあ、やっぱり、世界には馬鹿正直な奴がある。源松を源松とちゃんと心得ているはずなのに、馬鹿な面をして、ああしておれの帰るのを待っている。呆(あき)れたものだと、源松も口をあいてしまいました。
 だが、待てよ、一概に馬鹿正直扱いもできますまい。真実あれは眼が見えないのだから、意地と場合で島原をひとり抜けをして出て来たが、出てみれば、西も東も動きの取れない身なのだ。そこへ、おれがぶっつかったものだから、しらをきって挨拶をしながらも、実はおれを頼りにして、引廻されるふりをして引廻すつもりで来たのかも知れない。送り狼と知りつつ、送らせるところまで駕籠賃(かごちん)なしで送らせて、どろんと消えるつもりか知らん。一枚上を行った図々しさだか、また事実、ひとりでは動きが取れないから、ああしてこの源松の帰りを待っているのか、なんにしても微苦笑ものだと源松は呆れたのだが、こうなってみると、自分もまた、悧口(りこう)なようで、なんだか馬鹿にされている、上手な猟師のつもりで、一方の兎を思いきって、一方だけ確実に手に入れる策戦に出でたことの思いきりを、我ながら腕前と信じていたのが、ここへ来て見ると、獲物はやっぱり二つで、猟師は自分一人だ、獲物をせしめたと思った猟師が、かえって獲物にせしめられているような感じがしないでもない。
 そこで、源松としては、またしても、橋上と橋下と二つの方面に、一つの注意を張らなければならない。ロシヤと手を握って英国に当る策戦の裏をかかれたような気持がしないでもない。
 そこで、張網の地点から、二つの方面に注意を向けていると、またも意外、こちらはいま巣へもぐり込んだばっかりの二人のお菰(こも)が、相変らず剣菱(けんびし)の正装で、のこのこと這(は)い出して来ました。

         三十五

 おやおやと見ているうちに、頭にいただく鍋釜は穴の中に安置して置いたと覚しく、手ぶらで、第一公式のお菰をひらつかせて、のっしのっしと這い出して来たが、ドコへ行くかと見ると、橋杭(はしぐい)の太いのにとっつかまり、それを、なかなかの手練で攀(よ)じ上って、橋の上へ出ようとする。
 逃げ出したのではない、轟(とどろき)の源松これにありと知って、風を喰(くら)って逃出しにかかったのでないことは、その気分ではっきりわかる。つまり、あいつらは、この老練な猟師が網を張っているということを少しも知らない。ちょっと何か用達しに出かけて、やがてまたこの巣へ舞い戻って来るのだという気分は、源松にもはっきりと受取れるが、さりとて、舞い戻るまで、空巣へ網を張って株を守るの愚を為(な)すべきではない。源松も、急に手近な柳の木へ上手に攀じ上って、彼等の行動を注意して見ると、橋杭から橋板の上まで攀じ上った二人のお菰は、橋の東詰の程よいところまで来るとしめし合わせて、一方は橋の南端へ、一方はその北端へ居を占めて、そこの橋の上に横になって、お菰をさし繰り上げて自分の身体(からだ)を覆い、そこに平べったくなって寝込んでしまったのです。
 ははあ、こいつら、穴の中よりも板の上が寝心がいいと見えて、お寝間直しと洒落(しゃれ)こんだな、とにかく安心、橋上と橋下とは彼等にとって本宅と別邸との相違だ、どのみち、自分の縄張りを出ないのだから安心なものだ、どれ、この間に一番、空巣狙いと出かけて、この穴屋敷の中を取調べてくれよう、と源松はそろそろと柳から下りて、彼等がたった今、もぬけの殻とした穴っ子の中へ潜入して見ました。
 この忙しい折柄に、轟の源松は、燧(ひうち)をきってかがやかし、穴っ子の中を一通りのぞいて見たが、穴っ子の空巣である以外に別段に異状はない。天井も相当雨漏りと土落ちに備えてある。中には藁(わら)とむしろとが敷かれてある。その天井の上に仕掛けもありそうなことはなし、むしろの下にも特別に隠された物件はありそうもなし、ただ多少気にかかるのは、その敷物の真中に置き据(す)えられてある鍋釜だけのものです。いと古びた三升焚きの釜と、それに釣合いとしては小さきに過ぐる割れ鍋が安置してあるだけのものでしたが、源松は、まず釜の方の蓋(ふた)を取って見ますと、今時の乞食にしては贅沢千万、外米入らず、手の切れるような未炊の白米が八分目ばかり。手を入れてみたが、ザックという手ざわりのほかには異状がない。連合いの方はと、とじ蓋をとって見ると、割れ鍋の中に竹皮包の生々しい一塊、これも味噌以外のものでありようはない。この忙がしい折柄に一応、穴っ子の中へ眼を通すだけは通しておいて、次の瞬間に、源松は外へ飛び出し、再び橋上の職場へ取って返し、さて、仕事はこれからと、勇み足を踏みしめた途端、橋の上で突然、人をばかにしたような声が起りました、
「おいおい、吉田氏、竜太郎どの、何をそんなところで、うろうろしているのだ、気のきいた幽霊は引込む時分だ」
 その男は、菊桐の御紋章の提灯を提(さ)げていたのが、これも少々酔っていると見えて、声は大きいけれども、うつろです。呼びかけた相手の主は、誰か知らないが、ほかにそれと覚しい人もないから、多分自分が置きっぱなしにして来た送り狼のその当人だろうと思って、踏みとどまってみていると、果して、
「斎藤だよ、斎藤一だよ、一足違いで君に逢えなかった、君を御簾(みす)の間(ま)へ残して置いたのは、こういう時の頼みのためなんだ、君という男も、前には芹沢で立後(たちおく)れ、今は伊東でまた後手に廻る、仕様がないなあ、ともかく、これから月心院へ引上げよう」
 菊桐の紋のついたのがこう言って、忙がわしく橋桁(はしげた)の方へ近寄って、送り狼の身にからみつくようにした時、またもや橋上がにわかに物騒がしくなりました。
 人が来る、しかも、夥(おびただ)しい人数が来る、粛々として殺気を帯びて来る。殺気を帯びた人数の出動することは、このごろの京の天地に於ては物珍しとはしないが、時が時であって、源松の六感を震動させたのは、その一隊が手に手に武器を携えて、一方には夥しい提灯をかざして来る事の体(てい)というものが、普通の巡邏(じゅんら)とは巡邏のおもむきを異にし、いわば、うちいりを済ました後の赤穂浪人――或いはこれから吉良邸を襲いにかかろうとする赤穂の浪人が、まさに両国橋を渡りにかかった事の体なのであります。彼等は抜身の槍の光を月にかがやかしている、鞘走る刀のかがりを指で押えている。その一行が無慮数十人。粛々として橋板を踏み鳴らして来かかったものですから、さすがの源松も、これにはおどろかざるを得ません。しかも、その数十人の手に携えた提灯というものは、前に斎藤一と名乗る男が手にしていた御紋章の提灯とは事変り、「誠」の一字が楷書で、遠く離れていても歴々(ありあり)と読み取り得られるほどに鮮かに記されてあることです。
「誠」の一字の提灯は、新撰組の一手のほかのものでありようはずはない。
 かくて轟の源松が再び橋上に戻った時分には、自分が残して行ったつもりの人影はありません。
 新撰組の一行が粛々として三条大橋を西に向って渡り去った、その後ろ影を、はるかにながめやるばかりでありました。

         三十六

 月心院の一間で、机竜之助が、頭巾も取り、被布も取払って、真白な木綿の着衣一枚になって、大きな獅噛火鉢(しがみひばち)の縁に両肱(りょうひじ)を置いて、岩永左衛門が阿古屋(あこや)の琴を聞くような形をして、黙然としている。
 それと向き合って、火鉢とはかなり離れたところに敷きのべた大蒲団の上へ、これも白衣一枚で寝まき姿で、斎藤一が無雑作に坐り込んで、しきりに竜之助に向って話をしかけている。二人ともに、この寺院の荒涼たる広間で、白衣を着て対坐したところが、行者か亡者かみたようだが、事実は、寺院備えつけの納所(なっしょ)の坊主の着用を一時借用に及んだものらしい。
 今、二人ともに、これから寝に就こうとして、その寝つき端(ばな)をまだ話が持てているらしいのです。会話といううちに、お喋(しゃべ)りの斎藤が一人で持ちきっているようなもので、
「ねえ君、ぜひ一度、近藤に会って見給えよ、君が毛嫌いをするような男ではない、世間が誤解している如く、君もまた誤解している、一度、近藤に会ったものは、必ず認識を改めるのを例としているのだ、彼を以て殺伐一方の、血も涙もない殺人鬼の変形のように見るのは当らない。まあ、この一軸を見給え。見給えと言ったところで、君には馬念に過ぎないが――」
 ここに斎藤が馬念と言ったのは「馬の耳に念仏」という諺(ことわざ)の略語だと思われる。つまり眼の見えない机竜之助に掛物を見ろというのが失当であることを、その瞬間に気がついての駄目なのだが、それでも壁にかけた一軸を指した指は撤回しない。
「これは、近藤に頼んで僕が書いてもらったのだ、彼の詩だよ、七言絶句だよ、いいかい、僕が読み且つ吟ずるから聞いて居給えよ」
と斎藤は婆心を加えた。読めと言うのは無理だが、聞けと言うのに無理はない。そこで斎藤は、壁にかけた唐紙半切(とうしはんせつ)の二行の文字を読みました。
百行所依孝与忠  取之無失果英雄
英雄縦不吾曹事  豈抱赤心願此躬
「百行依ルトコロ孝ト忠、之(これ)ヲ取ツテ失フ無キハ果シテ英雄、英雄ハタトヘ吾曹(わがそう)ノ事ニアラズトスルモ、豈(あに)赤心ヲ抱イテ此ノ躬(み)ヲ願ハンヤ――」
と吟じ了(おわ)って斎藤が、附け加えて言う、
「彼は知っての通り武州多摩郡の土民の出で、天然理心流の近藤家へ養われて、その四代目をついだものだ。天然理心流というのは、彼の先祖が立てた一流だが、新陰や一刀流の如き立派な由緒はない。この詩は彼が先頃、養父近藤周斎の病を聞いて心痛のあまり、幾度か養父の病気を見舞わんがために東(あずま)へ下ることを願ったが聞き入れられない、今のところ、この京都のお膝元から、近藤に離れられたのでは代るものがない、たとえ親の病気といえども、朝幕に於て今の近藤を放せないというのは無理がない、よって近藤が悲しみを抑えて詠んだ詩がこれなんだ。いいか、もう一ぺん読むから、よく聞いて居給えよ」
 斎藤一は感慨に満ちた声で、右の近藤の詩を再吟した上、
「詩だって君、詩人の詩というわけにはいかないが、ちゃあんと一東(いっとう)の韻(いん)を踏んでいるし、行の字を転換すれば、平仄(ひょうそく)もほぼ合っているそうだ、無茶なことはしておらんそうだ。しかし、我々は詩を取るのではない、志を取るのだ、これの解釈をしてみると、人間百行のもとは忠と孝だ、忠と孝を離れて、行もなければ、道もない、真の英雄というものは、この道を取って失わざるものをいうのだ、そこで、転句に至って、わが身を謙遜して言うことには、我々は決して英雄でもなければ、英雄を気取るものでもないが、この赤心を抱いて、この躬(み)を尽そうと思う精神だけは英雄に譲らない、とこう言うのだ。立派な精神ではないか、立派な覚悟ではないか、近藤の鬼手(きしゅ)に泣かないものも、この詩には泣くよ、泣かざるを得ないよ。あの時に、この詩を示された時に、鬼のような隊中の荒武者がみんな泣いたぜ、おれも泣いたよ。彼のは嘘じゃないのだ、言葉を飾って、忠孝を衒(てら)うような男ではないのだ。その彼が、この詩を詠じた心胸には泣かざるを得ん――」
 斎藤一は、感情の高い男と見えて、その当時を回想すると共に、声を放って泣き出してしまいました。

         三十七

「世間は彼を誤解している、彼の如く精神の高爽にして、志気の明快な男を見たことがない、英雄たとえわが事にあらずとも、と言っているが、彼もまた一個の英雄だよ。時勢に逆行する頑冥者、血を見て飽くことを知らざる悪鬼の如く喧伝するやからは別だ、僕の見るところでは、彼ほど大義を知り、彼ほど人情を解し、しかしてまた彼ほど果敢の英雄的気魄を有している男はまず見ない」
 斎藤一は、声涙共に下って、近藤崇拝の讃美をやめることができない。彼は心から近藤を尊敬していると共に、世間の彼に対する誤解を憤り、その誤解を憤るよりは、彼の長所を没却して、それを誤解せしめんとする浮浪のやからを憤っている。そこで、余憤の迸(ほとばし)るところ、前に人を見ないように、意気が揚って来るのみである。
「養父の周斎には僕は会ったことはないが、勇(いさみ)のそれに対する孝心というものは、それは実に他の見る眼もいじらしいくらいで、事あれば必ず江戸に残した父に報ずる、立身したからと言っては父に、功名したからと言っては父に――それから、己(おの)れの仕給せらるる手当は割(さ)いて以て父に奉ずる。周斎老人は江戸に於ても、おれは勇が孝行によって、この通り何千石の旗本も及ばぬ楽隠居の身分に暮している、一にも二にも悴(せがれ)のおかげだと言って喜んでいるのが江戸では評判で、それを見聞きするほどのものが、ゆかしがらぬ者はないという。事実その通りなんだ、彼は親に孝たるべき所以(ゆえん)を知り、且つこれを稀有(けう)なる純情を以て実行している、況(いわ)んや朝廷を尊ぶべき大義を知り、為政者としての幕府を重んずべき所以を知っている、彼の手紙を読んで見給え、ドコを見ても尽忠報国の血に染(にじ)んでいないところはない。しかるに彼を、血も涙もない殺人鬼の如く取沙汰(とりざた)するやからは何者だ、たとえ反対側に立つの浪士共といえども、彼を知っている者である限り、彼の心情を諒とせざるはない、彼の刀剣を怖るることを知って、その心情を解するもののなきこそ、遺憾千万だ。見給え、彼は必ず成功するよ、新撰組の実権が一枚上席であった芹沢に帰せずして、近藤に帰したというのも、策ではない、徳だよ、おのずから人望が帰すべき道理あって帰したのだ、伊東甲子太郎の一派があれほどの後援をもちながら、近藤一派の手に殪(たお)されたのも、暴が正を制したとは言いきれない、近藤のために死ぬものと、伊東のために死ぬものとの、意気と意気との勝敗なのだ、意気と意気との戦いなのだ、意気が意気を圧倒したのだ、『人生意気ニ感ズ』というのが本当だな、人が一命を捧げて悔いない場合はただ意気あるのみだ、近藤勇は意気の男だ、彼は徹骨徹髄、意気を以てうずめている、名利それ何するところぞ!」
 斎藤一は極端なる近藤讃美から、腕を扼(やく)して悲歌慷慨の自家昂奮に堪えやらず、滔々(とうとう)としてまくし立てる。ここに至ると、眼に相手を見ざること対談者と変らない。
「忠と孝とは冷やかな名分だ、ここに意気に殉ずる血脈が加わればこそ、冷やかなる忠と孝との名分が生きて来る、意気のない忠が何だ、意気のない孝が何だ」
 彼は最初に涙を下した忠孝の名分のおごそかなるをも、ここに至って、冷やかなる一片の名分と見なして、意気の讃美論に転換してしまった。
「当代、意気に生きているものは近藤勇だ、彼は鬼ではない、男児の生命たる意気に生きている男だ、彼を鬼と見る奴は眼のない奴だ、天下は盲(めくら)千人の世の中だ、やあ失敬失敬、君に当てつけて言ったわけではないから、悪くとってくれるなよ」
と、ここに斎藤もわずかに余裕を得て、いささか弁解に落つるの変通を示すことができたのは、眼のない奴とか、盲千人とか言ったが、偶然にも、最初から、前にいて神妙な聞き役となって、自分が昂奮しても昂奮せず、悲憤しても悲憤せず、最初の通りに、唐金(からかね)の獅噛火鉢(しがみひばち)の縁に両肱(りょうひじ)を置いて、岩永左衛門が阿古屋の琴を聞いている時と同様の姿勢を崩さない当の談敵(はなしがたき)が、眼前に眼をなくしていることに、ふいと気がついたものだから失笑し、たあいなく釈明に落ちてしまったが、また猛然として気焔が盛り返して来て、
「それはまだいい方なのだ、一層下等な奴になると、彼が金銭のために働いている、利禄に目がくらんで盲動しとる――」
 またしても目前、盲動と言い、差合いが眼前にあることに今度は気がつかず、躍起となって、近藤のために多々益々(たたますます)弁ずるという次第であります。

         三十八

「なるほど、今日の近藤勇と、昨日の近藤勇とを比べて見ることしか知らぬやからは、彼が、さも過分の立身出世でもしたかの如く唇を翻す、将来もまた、彼がこの名聞利得(みょうもんりとく)の野心のために――殺人業を請負っているかの如く曲解したがる奴があるが、なるほど、彼は武州府中在の土民で、主人から禄をもらって養われたさむらいという階級の出身でないことは勿論、その表看板の剣術にしてからが、天然理心流の一派の家元といえば武芸流祖録には出ているが、柳生だの、心陰だの、一刀流だのと比べては比較にならぬ田舎剣術、いわばなんらの氏も素姓もないところから、飛入りで、今は徳川直轄の扱い、旗本のいいところ、今日では若年寄の待遇になって、諸侯と同じ威勢で京の天地に風を切っている。事実、京都に於ての彼の勢力は、かいなでの大名では歯が立たない、大諸侯といえども彼の勢力を憚(はばか)らずしては事がなせない。いずれは関東に於て、甲府百万石を賜わって国主になるなんぞと、もてはやすものもあるが、まんざらの誇張とも思われぬ。事実、彼が戦国時代に生れていたら、当然、一国一城の主になれる身だ、人殺しをするが天職、殺人業の元兇などとホザく奴の口の端(は)を裂いてやりたい、いずれ元亀天正以来の大名小名で、この殺人業をやらなかった奴が幾人ある、槍先の功名というやつが即ちそれなんだ、何をひとり近藤勇のみそれを責める」
 斎藤一の口吻は、近藤勇の崇拝にはじまり、讃美に進み、その弁妄(べんぼう)となり、釈明となり、ついには相手かまわずの八つ当りとなってしまいました。
 こうなって来ると、衾(ふすま)の上に就眠の体勢にこそついたが、眠れなんぞされるわけのものではない。いよいよ昂奮しきってしまって、斎藤は罵(ののし)るべきを罵って快なりとしている。
 だが、程経て、これは、ひとり気焔を揚げているべき場合ではない、話の最初は、自分の相手方になって、自分の昂奮を冷然として倦(う)まず引受けているその相手方に向って、近藤勇に会え、と簡単に勧誘を試みたことから出立しているのだと反省してみると、そこで昂奮がおのずから静まり、
「とにかく、そういうわけだから、君も食わず嫌いを避けて、一度近藤勇に会って見給え。君を近藤に会わせたからとて、一味に懐柔しようということではない、また懐柔されるような相手でもなし、懐柔したところで結局、こっちが厄介者――ただ、世間の奴等の誤解と、誤解を誤解として放任するのみか、その誤解説の伝播宣伝を目的とするやからが横行しているから、それが残念で、誰でもいいから、一人でも認識を新たにする奴が出て来れば、こっちの腹が癒(い)えるというものだ。どうだ、ひとつ会ってみないか」
 ここで、話は緒(いとぐち)に戻ったのである。すべては無頓着に受けていても、こういう単純明白な勧誘には、否とか、応とか、簡単でよろしいから挨拶を与うべき義務がある。ところが、会おうとも、会うまいとも答えないで、
「近藤は何を用いている、刀は何を好んで使っている」
 あらぬ方へ話頭を持ち出したが、それも全然つかぬことではないから、斎藤は不承不承に答えて言った、
「虎徹(こてつ)だよ――刀は虎徹に限ると言っている、近藤は虎徹が好きらしい、虎徹もまた近藤に好かれそうな刀だ」
「近藤の虎徹も古いものだが、あれは偽物(にせもの)だと言うじゃないか」
「偽物説――それも聞いたよ、江戸を立つ時に、ぜひ性のいい虎徹が欲しいと苦心した末に、ようやく手に入れたのだが、あれは偽物、あまり虎徹虎徹とせがまれるので、刀屋が偽銘の虎徹をこしらえて、近藤に売りつけた、それと知らず秘蔵名代の虎徹にしてしまった近藤の甘さ加減を、あとで刀屋が舌を出して笑ったという話は聞いているが、その噂(うわさ)の真偽のほどは知らない、いい刀はいい刀だ、拙者は確実に虎徹と信じている、よし虎徹でないまでも、近藤が虎徹と信じて買入れるほどの刀だ、まして、近藤自身の手にかけて、その切れ味を保証した刀だ、もし虎徹でないとすれば、虎徹以上の刀だと言ってよろしい。実際、虎徹もその人を得ざれば猫徹(ねこてつ)となり、猫徹も近藤に持たせれば虎徹(とらてつ)となる、猫めが――」
 近藤勇と虎猫があやになって、少しこんがらかって来る。ちょうどそこへ、庫裡(くり)の方から猫が一匹出て来たからです。寺院に猫はふさわしいようでふさわしくない、ふさわしからぬようでふさわしい、白猫が一匹出て来て、左見右見(とみこうみ)、天井の方を向いて前足をのしたかと思うと、竜之助の方へ向って、のそのそと歩いて来るのを見たから、それをカセに斎藤が、話の中へ猫を織り交ぜてみたのか、猫を織り交ぜる途端に猫が出現したのか、どちらも偶然にして因縁事がありそうに思われる。今いう通り、寺院に猫――寺院というものは葷肉(くんにく)を断つことを原則としているのだから、寺院の庫裡に養われる猫は営養が不良でなければなるまい。何を食って生きている。斎藤はこの偶然を奇なり奇なりと感じたらしく、
「貴様、猫か、猫ではあるまい、化け物だろう」
と言って、猿臂(えんぴ)をのばしてその猫をかいつかんで、己(おの)れが膝の上に掻(か)きのせたままで、
「近藤に虎徹は、猫に鰹節(かつぶし)のようなものだ」
 あんまり適切でもない苦しい譬喩(ひゆ)を口走っている時に、竜之助が、
「拙者も、刀が欲しい。拙者はあまり作に頓着しない方なんだが、やっぱりいい刀は持ちたいよ。それ以来、旅から旅で、腰のものにさえ定まる縁がないのだ。一本、何か周旋してくれないか、古刀には望みがない、新刀のめざましいところを一本、世話をしてくれないか」
と、人の勧誘はそっちのけにしてしまって、自分勝手の註文を持ち出したが、斎藤も好きな道と見えて、
「よろしい、何か一つ探してみよう。清麿(きよまろ)はどうだな、山浦の清麿――つまり四ツ谷正宗」
と、猫のうしなっこぞを持って宙につるしながら、こう言い出したところへ、遥かに次の間から、猫よりもっと不思議な生物(せいぶつ)が一つ現われました。

         三十九

「モシ、こちらのお座敷へ玉(たま)が参りませんでしたか」
「あ」
と斎藤がふるえ上って、思わず手にした猫を振り放してしまった。
「おお、玉や、玉や、ここにいたかい」
 入って来たものは、何とも言いようのないしなやかな美人でした。それが、寝まき姿のしどけない風(なり)をして、不意にこの場へ現われて呼びかけたのは、人でなくして獣(けもの)でありました。
 獣のうちの最も人に愛せらるる獣にして、且つ最も小なるもの、この獣を玉と言い、この美人の愛猫でありました。
 愛は怖ろしいものです。婦人として、他人には見せてならない寝巻の姿のまんまで、そうして進んではならない他人の室へ、女として無断に入り込んだのも愛すればこそです。人を愛するのではない、猫を愛すればこそでありました。
「あ、ここに来とりました、お持ち帰り下さい」
 血を見ては怖れない新撰組のつわものの一人で、さる者ありと知られたる斎藤一も、この深夜の美人の突然の来襲には、いたく肝を抜かれたと見えまして、さも自分が猫を盗み出してでも連れ来(きた)って、申しわけのないような口吻(くちぶり)であやまるのが笑止千万。
「まあ、何という失礼ななりで、ごめん遊ばしませ、玉や」
 猫におわびをしているのだか、人間におわびをしたのだかわからないほどに挨拶をして、足もとへ寄って来た猫を拾い上げると同時に、頬へ押当てて頬摺(ほおず)りをしながら、逃げるように出て行ってしまいました。それだけです。だが、それだけの出入りが、この部屋の空気を震動させたこと容易なるものではありません。震動ではない、ほとんど一変させてしまいました。
 今は近藤勇も、虎徹も、清麿も、いずれへか影をひそめてしまって、残るものは、今の女性が残して行った雰囲気の動揺だけであります。眼の見えない方は、さのみ動揺はしなかったのかも知れないが、眼の見える斎藤は、美人の夜襲に心身を悩乱せしめられたと見えて、
「あれだよ、君、一件の女は、ああ、見ようとする時には見られずに、意外の時に、正体を、あのしどけない姿は、お釈迦様でも拝めまい、ああ、千載の一遇だ」
と言って、とってもつかぬ長大息をしたので、相手の竜之助が、
「美(い)い女だったな」
と言いました。
「美い女――君にはどうして、いい女か、醜(わる)い女か、それがわかる、まあ、いいや、勘でわかるとして置いて、事実、女もああなると凄(すご)いね」
「まだ若いな」
「若いにも、まだ嫁入り前なんだ、しかも、たまらぬ由緒のある女なんだ、あれを今晩、この座敷で拝もうとは思わなかった――しかも、あのしどけない寝巻姿の艶なるを見給え、迷うよ、仏でも迷うのは無理がないなあ」
 斎藤一が、二たび、三たび浩歎して、続いて物語るよう、
「君、実際あの女は、仏を迷わした女なんだが、いいか、まあ、さしさわりのないその辺の京都名代の大寺の住職に毒水禅師というのがあったと思い給え、これは近代の名宗匠(めいしゅうしょう)で、会下(えげ)に掛錫(かしゃく)する幾万の雲衲(うんのう)を猫の子扱い、機鋒辛辣(しんらつ)にして行持(ぎょうじ)綿密、その門下には天下知名の豪傑が群がって来る、その大和尚がとうとう君、あの女にやられてしまったんだぜ」
「いったい何者なのだ、処女か、玄人(くろうと)か、商売人か――」
「何者でもない、単にその寺の門番の娘に過ぎないのだ。門番といっても、もとはしかるべきさむらいなんだそうだ。ところで、その毒水禅師というのが、修行者の間には悪辣なる大羅漢だが、一般の善男善女の前には生仏(いきぼとけ)と渇仰される生仏だから、仏の一種に相違あるまい、その仏を迷わせて地獄に堕(おと)したのが、今のあの手弱女(たおやめ)だ。と言えば、今の女が相当の妖婦ででもあって、手腕(てくだ)にかけて禅師を迷わしたものでもあるかに受取れるが、事実は、妖婦でも淫婦でもなんでもない、尋常の門番の、尋常の娘で、ただ、世間並みよりは容貌が美しかったというに止まる、それを七十を越した禅師が、ものにしてしまったのだ、どうした間違いか、七十を越した禅師がむりやりにその蕾(つぼみ)の花を落花狼藉とやらかしたんだ。それが問題になって、毒水禅師は、あの大寺から辺隅の寺へ隠居、これが出家でなかったら、また世間普通の生臭御前(なまぐさごぜん)であったなら、なんら問題になりはせんのだが、あの禅師が落ちたということで、修行というものも当てにはならぬものだ、聖道(しょうどう)は畢竟(ひっきょう)魔行に勝てない、あの禅師が、あの歳でさえあれだから、世に清僧というものほど当てにならぬはない――世間の信仰をすっかり落した責めは大きい、人一人に止まらず、僧全体の責任、仏教そのものの信仰にまで動揺を与える、その責めに禅師が自覚して身を引いたのだ。隠居して謹慎謝罪の意を表した、その噂は一時、その方面にパッとひろがって、よけいなお節介は、その娘はどうした、行きどころがなければ、おれがその将来を見てもいいなんぞと、垢(あか)つきの希望者もうようよ出たそうだが、本人杳(よう)として行方知れず、そのうちふと、この院内に、それらしい女の隠れ姿を見たと言い触らした奴があったが、それもなんらつかまえどころのない蔭口――ところが、現在ただいま、この拙者というものが確実にその正体を掴(つか)んでしまった! 嗚呼(ああ)、これぞ由なきものを見てしまったわい! あんなのは見ない方がよかった! 春信(はるのぶ)の浮世絵から抜け出したその姿をよ、まさに時の不祥! 七里(しちり)けっぱい!」
 この男の一面は、意気だの情だのと言っては、溺れ易(やす)い感激性が多分に備えられていると見える。それが今晩、ことさらに昂奮と激情のみ打ちつづく晩だ。
 かくの如く、斎藤一が昂奮につぐに昂奮を以てするにかかわらず、机竜之助は冷洒(れいしゃ)につづく冷洒を以てして、いちいち、その言うところを受けている。
 つい近いところの知恩院の鐘が鳴りました。幾つの時を報じたのか、時の観念を喪失してしまっているこの二人にはわからないが、どのみち、もう夜明けに近かろう。夜が明けてはじめて寝に就くというようなことになりました。
 果してその翌日、机竜之助が目ざめたのは正午に近い時で、気がついて見ると、またしても斎藤一がいない。島原でも出し抜かれ、ここでもまた置去りを食ったことに苦笑いをしながら、竜之助は枕をもたげて、何をか思案しました。

         四十

 斎藤がいないことを知っただけで、竜之助はそのまま起き上ろうともせず、再び寝込んで眠りに取られてしまいました。それからまた眼が覚めた時は、もう暗くなっておりました。つまり、一日を寝通したのです。暗いから寝て、暗いところまで寝通したのですが、さてそれは、他人にとっては昼というものを全く超越してしまったことになるのですが、この人にとっては、人生に昼というものがないのですから、飛躍でも超越でもなんでもありません。
「ああ、また夜が来たな!」
 歎息とも、自覚ともつかない認識は、視覚以外の感覚ですることであって、時間というものを光によって区別せずして、勘によってするまでのことで、おおよそ何が夜の何時(なんどき)であり、昼の何の刻であり、あるいは昼と夜のさかい目、人間に於てたそがれという時、蝙蝠(こうもり)に於ては唯一の跳梁の時間――ということまで、枕を上げた瞬間にちゃあーんとわかる。
朝寝して、昼寝するまで、宵寝して、時々起きて、居睡りをする
という歌を思い出して、彼は苦笑を禁じ得ない。その辺で、はじめて冠を上げて、身を起すことになりました。
 身を起して見ると――見るというのは勿論、その特有の超感覚で見るのです、以前も以下もそれに準じていただきたい――例の唐銅(からかね)の獅噛(しがみ)の大火鉢には相当火が盛られていた。大鉄瓶(おおてつびん)がかかっているし、お茶の用意も一通り出来ている。それに、お弁当がちゃあーんと備えられていることを知りました。だが、誰もほかの人の気配はない。いつもならば、二人、三人、或いはそれ以上雑多な人数がここへ詰めて来て、がやがやとし、食事を取って、談じ込むもあれば、そうそうに出て行くもある。或いは昨夜、斎藤がしたように、人物論から時世論に及んで悲歌慷慨して声涙共に下るものもあるかと思えば、芸術談に花が咲くこともある。芸術談というのは、むろん武芸十八般に関することで、それには思わず竜之助も釣り込まれることもあるが、そうかと思うと、聞くに堪えない猥談(わいだん)に落ちて行くこともある。それは王侯貴人の品行のことだの、市井の三面種に及ぶまで、思いきって内秘を発(あば)き立てて、汚ない哄笑で終ることもある。そういうような空気であったのに、今日は――ではない、もう今宵と言っていい時刻なのに、人っ子ひとり来ない。つまり、出て行った壮士は一人も帰らず、とぶらい来(きた)る風客というものも一人も見えないのだから、空気が手持無沙汰で、人にとっては一種の荒涼な気が襲って来るのです。
 それでも、常の通り、ちゃあんとお茶弁当の接待は整っている。竜之助は部屋の一隅の洗面所へ行って、簡単に洗面を果してから、ひとりその食事にとりかかりました。
 弁当を食べ、お茶を飲み了(おわ)るまでに相当の時間を費したけれども、誰もまだ一人も帰って来ない。
「壮士ひとたび去ってまた帰らず――か」
 竜之助は、思わずこんな独(ひと)り言(ごと)を言うほどに、心に荒涼を感じました。
 実際、ここに出入りしていた者共は、新撰組から分離、或いは脱走して御陵隊へ走った壮士ばかりであった。つまり、ここはそれらの壮士の控所に当てられていたのですから、竜之助が、一人も帰らないその控所に取残されて、「壮士ひとたび去ってまた帰らず」と言う口ずさみの感じも、偶然に聳発(しょうはつ)されて来るので、彼は昂奮を感じ、悲愴に別離されて、そういう気分が口頭に上ったのではないのです。
 食事終って、人を待つでもなく、待たれるでもない気分のうちに、ゆっくり落着いてみたが、もうそれから、三度目の休息に就くという気合ではありません。羽織を取り、頭巾(ずきん)を取り、両刀を引寄せて膝に置いたのは、まさしくこれから出動という気構えでありました。
 なるほど、これからが彼の世界かも知れない。悪魔は夜を世界として、闇を食物とする。明を奪われた人間は、夜は故郷に帰るようなものである。それにしても、この男にまだ出動の世界を与えているということは、いささか時の不祥と言わなければなるまい。江戸の弥勒寺長屋(みろくじながや)にいた時分、江戸の闇を食って歩いた経歴は知る人ぞ知る。甲府の城下へたどりついた時分に、甲府城下の如法闇夜に相当以上に活躍したことも知る人は知っている。それが信濃の山、飛騨(ひだ)の谷を引廻されている間は、市民の里では幾つかの罪のない人の夜歩きが保証されたはずなのに、業という出しゃばり者が、いらぬ糸を繰って、これをまた京洛の天地に釣り戻してしまった。悪魔に地歩を与えたことは、与えられた者も、与えた者も共に不幸です。
 かくて、甲府城下の躑躅(つつじ)ヶ崎(さき)の古屋敷でした時のように、一応刀を抜きはなして、それを頬に押当てて、鬢(びん)の毛を切ってみました。
 ただし、あの時には、自分一個の天地の隠れ家にいて、秋夜、水の如く、鬢の毛の上に流れ、一行の燈の光も微かながら冴(さ)えていたが、今晩は、火鉢の火のほかには光というものと、熱というものが与えられていない。それと、もう一つ、あの時には得物が相当に豊富で、古名刀をはじめ、新作のつわものが鞘(さや)を並べて眼前にあって、そのいずれをも、切取り、切試しに任せてあったが、今日は、数日来、身に帯びていた一腰ばっかり。その一腰とても、昨夜、斎藤に向って歎いて言った通りであるから、意にかなうほどの名刀であるとは思われない。それでも、唯一の打物であるそれを取って、腰にさし下ろして、その座を立ち上りました。
 やおら立ち上って、これからいずれへ向ってか御出動という間際に、よよと泣く声が座敷の一方から起りました。
 よよと泣くのだから、黙泣(もっきゅう)でもなければ慟哭(どうこく)でもない、むしろ忍び音といった低い調子でしたけれども、ソプラノの音で、女の泣く声でした。
 それには思わず立ちすくまざるを得なかったので、みるともなく、見上ぐるともなく、声のした方に面(かお)を向けると、あ、ああ――! というこれも泣く音。前に、よよと泣いたのはソプラノで、次に、あ、あ、あ! と泣いたのはバス。ただ、ソプラノは低くて、バスが高い。
 よ、よ、あ、あ! よ、よ、あ、あ! テノールとなり、アルトとなって、完全な二部合奏がはじまったのは、ついその瞬間で、まさしく男女抱き合って泣いている声です。
 竜之助は、それを忌々(いまいま)しい声だと思いました。人の出際にあたって、笑ってこれを送るというなら話になるが、泣いてこれを送り出すというは忌々しい。
 それを癪(しゃく)にさわって、改めて、その泣く音の方を見廻し――やっぱり、眼は利かないし、光はないのですが、本能的に左様な身ぶりをして、ドコで誰が泣いていやがる――というこなしでありましたが、その男女の悲泣の合奏の、この部屋の一隅でしているのか、柱の中でしているのか、あるいは天井裏でしているのか、トンと見当がつきません。
 それを忌々しがりながら、竜之助は、ついにこの座敷を出てしまいました。外は生粋(きっすい)の夜です。しかも、京都の天地の絹ごしの夜ではあるが、その横も、縦も、一匹の悪魔の跳梁には差しつかえのない闇の空間が与えられている――
 ただし、王城の夜は、甲州一国の城下の夜とは違い、ここには天下選抜きの壮士が、挙(こぞ)って寝刃(ねたば)を合わせているから、この男一人が出動したからとて、城下の人心の警戒と恐慌は、あえて増しもしないし、減じもしない。当時、ここで、三つや四つの人間の首が街頭にころがっていたからとて、それだけで人心を聳動(しょうどう)するには、人心そのものにもはや毛が生えている。人心をおびやかさんがための出動ならよした方がよい。さしせまった血なまぐさい聳動にはたいていの京人はもう食傷している。
 第一、御当人の身が危ない。辻斬というものは、人の気の絶えた辻に行ってこそ多少の凄味もあるというものだが、合戦の場へ辻斬に出たからとて、幕違いの嘲笑を受けて、結局、自分の身を木乃伊(ミイラ)にするが落ちだ。
 さればこそ、この当人は、当座の食物をあさるべく、壬生や、三条、四条方面の本場へ行かないで、むやみに場末に向って、ふらふらと歩いて行くように見える。

         四十一

 ドコをどう経めぐって来たか、やがて五条橋の南の詰をめぐったかと思うと、本覚寺に近いところ、深い竹林の中を彼は歩いているうちに、一つの堂の前に立ち出でると、
「これは、ようお越しやす、近ごろはとんと御参詣の方もございませぬに、これはまあ、珍しうお越しやして」
と、先方から呼びかけるものがありました、これは相当の年配の女の声であります。
 打見るところ――ではない、打聞くところです、その聞くところの音声によって判断、ではない、想像であります、その想像によると、竹林に近く一つの堂があって、その堂守として尼さんがいる、堂のわきには塚があって、石の塔が立っている、その前へ竜之助が近づいたことから、堂守がかく呼びかけたものであります。
「いや、どうも――」
と、出端(でばな)を抑えられたもののように竜之助は立ちどまって、その過(あやま)ち認められたことをかえって仕合せなりとしました。
「近ごろは、あちらこちらの御利益(ごりやく)あらたかな方への御信心は、昔と相変りませねど、この鬼頭天王様(きとうてんのうさま)へは一向、皆様の御信心が向きませぬ、そのところを、あなた様だけが斯様(かよう)に夜参りまであそばします、その御奇特なことに存じやして」
 尼さんは重ねて、かく悦びごとを言いました。その言葉によって察すると、ここに仏神のいずれかの信仰の道場があって、その名を鬼頭なにがしと呼んだかな、その道場の前へ竜之助が到りついたのである。無論、この男がなんらかの信仰心があって到着したわけではない。心はうつろにさまようて、ついここへ来てしまったのだが、先方はそれを、特にここを目ざして参詣に来た御奇特な信心者のように受取ってしまったのであります。しかし、そう受取ったならば、そう受取らせて置いて、あえて苦しいとも思わない。どちらへ受取られてみたといって、身に直接の利害が及ばない範囲に於ては、弁明に及ぶまいが、それに相当する挨拶は返さなければなるまい。
 ところが、それも先方がうまく引取ってくれるのでした。
「さあ、どうぞ、これへお越しやして、朝霧の妄執(もうしゅう)のために一片の御回向(ごえこう)を致し下さいませ、重清がためにもこの上なき供養となりまするのでござります、いやもう御奇特なことで」
 堂守の独(ひと)り合点(がてん)は早口調で、たださえよくわからないが、その早口のうちに聞いていると、朝霧の妄執のために一片の御回向なにがしとやら言ったな、朝霧! というのは、島原で雑魚寝(ざこね)をしたくすぐり合いの雛妓(すうぎ)の一人で、最後まで留り残されたあれだな、いや、最後に拾い物をしたあの子供の名が朝霧といったな、これが、もはや妄執となって、一片の御回向下の人にされているとは、さりとは気が早過ぎる。
 いや、こっちが気が早いのだ、朝霧といったところで、天下に一人や二人ではあるまい。あの時の朝霧は罪のない舞子で、ここで回向をされようというのは罪業深い過去仏のことだろう。
 そんなことを考えて、竜之助は、ともかくも、この声のする方へ近づいて行くと、
「これはこれは、あなた様は、いずれにおすまいでいらせられまするか」
「高台寺の月心院に」
「ええ、何と仰せられました」
 堂守の尼が聞き耳を立てました様子ですから、竜之助は重ねて、
「月心院の庫裡(くり)に、しばらく世を忍んでおりまするが、今晩、月がよろしいようですから、ついうかうかと出て参りました」
「まあ、その月心院の庫裡と申しますのを、あなた様は御承知の上でおすまいでございまするか」
「いや、何も知らない」
「それでは、お話し申し上げますが、その前に、おたずね申し上げて置きたいことは、あの庫裡の中で、夜分になりますると、毎夜、怪しい物をごらんあそばしまするようなことはござりませぬか」
「左様――」
と竜之助は、問われてはじめて思案してみたが、何を言うにも昨今のことで、しかも、同居は血の気の多い幾多の壮士共だから、特に、怪しいとも、怖(こわ)いとも、感じている暇がないのでありました。
「夜分、ある時刻になりますと、あのお台所のあたりで、男女の悲しみ泣く声がすると、世間の噂でござりまする」
「ああ、そのことならば……」
 そこを出る前に、たしかに経験して来たことです。
 男と女のすすり泣きの合唱があった。その合泣が、自分の部屋の一隅で起ったのか、柱の中でしているのか、或いは天井裏でしているのか、見当に苦しんだ覚えが、急によみがえって来ました。尼の問うのは、たしかにそのことに相違ない。
 してみると、あの忙しい男女のすすり泣きは、自分が経験した妄想だけではない、この尼さえも知っている。程遠いところに住む人さえ知っているくらいだから、もはや、一般の常識化して、世間の口(くち)の端(は)に上っているに相違ない。
 竜之助の合点が参った様子を見て取って、尼も安心したらしく、
「夜分、ある時になりますると、必ず、若い男女の悲しみの泣き声が、いずれよりか聞えて参りまして、その泣き声がやみますると、暗い中から白い手が出て参り、柱から壁、長押(なげし)をずっと撫(な)で廻すそうにござりまするが、それは真実でござりまするか」
 待てよ、男女の悲泣する声だけは、たしかに聞いて出て来たが、その白い手は見なかった。闇の中から白い手が出て、柱から壁、壁から長押を撫で廻す、それは見なかったぞ。してみると自分は、前の巻だけを見て、つまり、前奏曲だけを聞いて、仕草のところは見届けなかったというわけかな――
 竜之助は、一旦はうなずいて、こう言って附け足しました、
「いや、その物悲しい男女の泣き声だけは確かに、この耳に留め申したが、その白い手首が出て、柱から壁、壁から長押と撫で廻す、それは見ないで参った」
と繰返し言のように言ってみましたが、はて、見なかったのは、出なかったのではない、自分は物を聞く人であって、見る設備を欠いているから、それでこの耳に聞いただけで、目には見えなかった。
 見えないのが当然であるようで、また見えないはずがないともおもわれる。よし、今晩、立ちかえったら改めて見直してみよう。そういうものが見えるか見えないかは、眼の問題ではないように疑われて来たものですから、竜之助の足はここにありながら、頭は月心院の座敷に戻っておりました。そこで、尼への挨拶には、何ともつかず、
「実は、拙者も、つい昨今あれへ参ったものでござってな、いやもう、殺伐(さつばつ)な壮士共と雑居を致しておりまするから、化け物の方も出る隙(すき)がなかったものでしょう、それが今晩あたりから、急に人が減って静かになったので、常例で出るものならば、改めて出直しの幕があるかも知れない、立戻って篤(とく)と見直しと致しましょう」
 こんなことを返事してみました。

         四十二

「いや、元はと申しますとたあいもないことでござりまするが、起りは斯様(かよう)な訳合(わけあい)でござりましてな……」
 竜之助が現象は見たが、事実は知らない人だということに気がついて、堂守の尼さんが、次のような一条の物語を語って聞かせてくれました――
 天竜寺に、若い一人の美僧があって、それが門番の美しい娘と出来合ってしまった。二人は上りつめて、切羽(せっぱ)つまった末に、とうとう駈落(かけおち)と覚悟をきめて、ある夜、しめし合わせ、手に手をとって駈落を決行したが、その時、若い美僧は、重々悪いこととは知りながら、師の坊の手許(てもと)から若干金を盗み出し、それを後生大事に財布に入れて肌身につけたのは、世間を知らない二人が、われから世間の荒波に乗り出すからは、何を置いても通用金のこと、これさえあれば当座の活路、というだけの分別はあって、何をするにも先立つは金、という観念から、それを恋の次のいのちとして後生大事に持って逃げ出した、額(たか)は、百両とか、二百両とか、相当の大金であったとのこと。
 どういう縁故であるか知らないが、この月心院まで落ちて来て、ここへ一晩かくまわれ、いよいよ明日は奈良へ向けて落ちのびの、その夜のことでありました。美僧美女は、ここの一室に一夜を明かし、その時に僧は、肌身放さぬ大金の財布を柱の上の釘にかけて、そうして一夜を女と明かしたものです。
 さて、その朝まだき、人目を厭(いと)うて、木萱(きかや)に心を置いて、この庫裡を忍んで立ち出でたが、木津の新在家(しんざいけ)へ来て、はじめて気がついたことは、昨晩、月心院の庫裡で、後生大事の財布を柱にかけてかけっぱなし、忘れてはならないはずのものを忘れて出て来た、はっ! と顔の色の変った時はもう遅い、それを取戻すべく立戻れば身が危ない、このまま行けば身が立たない。
 二人は、その運命の怖ろしさと、師にそむき、戒にそむいた現罰が、あまりにも早く身に報い来(きた)ったことに戦(おのの)いて、とうとう、そこで、相抱いて木津の川へ身を投げて死んだ。
 それからというもの、月心院のあの庫裡では、夜な夜な若い男女の、世にも悲しい泣く音が洩(も)れると、白い細い手が柱から壁、壁から長押(なげし)と撫で廻しては、最後にまた絶え入るばかり、よよと泣き沈む……
 そういう伝説が、パッと縁無き世間にまで広まりわたっている。
 右の一条の物語を尼さんから聞かされて、はじめて竜之助も、さる因縁もありつるものかな、と思いました。聞いてみれば、哀れでないという話ではないが、そうした行き方は世間にはザラにあることだと、例によって竜之助の同情がつめたい。つむじが意地を巻いて心頭に上って来たが、やっぱり挨拶の都合上で、
「して、その財布の金はありましたか」
と駄目を押したが、我ながら、これは甚(はなは)だまずい、まずいだけではない、この場合、さもしく響く挨拶だと思いました。
 堂守の尼も、そこを透かさず咎(とが)めたわけでもありますまいが、
「左様に仰せられるものではござりませぬ、お金の有る無しは問題ではござりませぬ、捨てられた二つの生命(いのち)の恨み、よし、その財布のお金が十倍になり、百倍になって戻って参りましたからとて、もはや二人の命は浮べるものではござりませぬ」
「いや、その財布の金を盗んだものに、拙者は心当りがあるので、お聞き申してみたまでだ」
「そのお金を盗りました者が」
「たしかに、心当りがある」
「それはもはや疾(と)うの昔のことでござりますが」
「いや、現在、拙者の頭では――その美僧の金を奪った女がほかにある」
「何と仰せられまする」
 堂守の尼は、竜之助の言うことを解し得ざらんとしていたが、その時、また竜之助の心頭にむらむらと上って来たのは、つい今まで忘れていた、昨晩、斎藤一が口を極めて艶称した、あの愛猫を探すべく不意に二人の座敷へ侵入して来た、しなやかな美人のことでありました。
 今まで、それを思い出さなかったのはどうしたものだ。
 あの女が盗(と)ったのだ、あの女が、泊り合わせた美僧と美女の情合いを嫉(ねた)んで、美僧がかけて置いた釘頭(ていとう)の財(たから)を、そっと奪って隠したればこそ、二人は命を失った、財を奪うは即ち命を奪う所以(ゆえん)であった。
 その金は、天竜寺の和尚とやらの手許の金であったというではないか、生仏を地獄に落したほどの女が、人の恋愛の糧(かて)を盗み得ないと誰が言う。
 憎い女、二人を殺したその財布の行きどころは確実にあれだ。
 竜之助は、むらむらと、その心に駆(か)られてみると、敵を外に求めてさまよい歩き出して来た自分を、少なからずうとましいものに思いました。
 庫裡(くり)へ帰れば女がいる、憎い女がいる。老禅師を失脚させ、その愛弟子(まなでし)の命を奪った女が、猫を抱いて眠っている。それを追究することをしないで、何をこんなところへきてうろうろしていたのだ。
「帰る、月心院の庫裡へ帰る」
 ほどなく、堂前を辞した竜之助の足どりは、宙に浮ぶが如く、月心院をめざして戻って来たが、庫裡へ戻って見ると、獅噛(しがみ)の火鉢に火はカンカンと熾(おこ)っているが、人のいないことは出て行った時と同じで、行燈(あんどん)はあるが、明りのないことも前と同じ。そこへ、さあと坐り込んで、ホッと息をついて、獅噛火鉢へ肱(ひじ)をあてがってみたが、落着いてみると、四方(あたり)の森閑たることが、ひとしお身に染みて、さて、どうして急に自分の心頭がわいて、一気にここへ走(は)せ戻ったかが、気恥かしいくらい。
 火鉢にかかった鉄瓶を取って、湯呑についでグッと一口に飲んでみると、湯と思ったのが酒であった。あ! と思ったが、この場合、悪いものを呑まされたのではない。一杯、二杯、グッ、グッと呷(あお)ってみると、急に自分の心持が賑(にぎ)やかになって、四方がなんだか面白くなってきました。
 面白くなってきてみると、はて、なんで自分が急に思い立って、ここまで走せ戻って来たか、これもおかしい。
 ははあ、斎藤はいいものを置いて行ってくれたわい、この鉄瓶が酒であろうとは思わなかった、燗(かん)が口合いに出来ている。鉄瓶から直接(じか)にうつした燗だから、金気(かなけ)があって飲まれないかと思うと、そうでない――上燗だ。
 竜之助は湯呑で立てつづけに、三杯、四杯と呷ると、その一杯毎に、無性に気分が面白くなる。珍しく浮かれて、立って、踊って、舞おうとの気分にまでなりました。
 その時、よよとして人の泣く音(ね)。

         四十三

 ああ、はじまったな、よよと啜(すす)り泣き、わあ! と咽(むせ)び泣き、ふたり相擁して泣く男女の二部合奏。
 出端(でばな)に聞いた合方(あいかた)がまた聞けるわい。陶然として酔うた竜之助は、それを興あることに聞きなして、その声のする方を注視していると、なるほど、真暗い中から、まぼろしが出て来た。
「出たな!」
 そうして、うっすらと、弘仁ぶりの柱と長押が、十字架のように現われると見ると、ひらひらと蝶の舞うように、細いきゃしゃな手が、宙に浮いて来て、その柱を下の方から撫(な)で上げる、と見る間に、柱は暗に吸いこまれるように消え失せて、白いしなやかな手首だけが、暗の空中に舞っている。それが、ひらひらとある程度まで上へ舞い上っては、また、右左の柱の方を、撫でさぐると、やがてまた、よよと泣く音、わあ! と絶望の泣落し、それが相ついで、何とも言えない悲哀の響きを伝えるが、竜之助は、この声ある毎にカラカラと笑いました。
 途中も走って来た、かけつけ三杯にグッと茶碗酒を呷(あお)ったものですから、酔のまわりも異常に利(き)いたのでしょう。その勢いがあればこそ、泣合せの合奏と、手のひらの芸の影絵を面白いことにながめられる。全く今宵に限って、なんて世界がこんなに面白いだろう。同じ酔ったにしても、昨晩はこんなことはなかった。ゆくりなく島原の角屋(すみや)の御簾の間の昔に返って、あそこへ寝てみたが、べつだん面白い夢は見ないで、悪ふざけの実演を見たのか、見せられたのか、最後にいささか溜飲を下げることではあったが、決して、面白かったとは言えないのだ。
 それが今晩は面白い。出て行くまでは、そんなではなかったのに、帰りに向って宙を飛ぶ時から面白くなった。いや、松原通りでひっかけたおでんかん酒の利き目が、ここまで来て発したところへ茶碗酒の迎えが、めっぽう利いた。こうも面白おかしい気分のところへ、誂(あつら)えもしないのに音楽の合奏と、頼みもせぬに映画の上演とがあって興を添えてくれる。
 なんだか面白くてたまらない竜之助の脳底へ、音楽と、映画とから、いろいろの想像が続々と湧いて来る。いま盛んに実演中の二人の泣き声が、いつしか、近江の、大津の宿のお豊と真三郎の姿を浮き上らせて来る。その真白い手は、僧の形に姿を変えた真三郎が、しきりに焦(あせ)って伸ばす手だ――届かない、お豊が助けて抱き上げて、背たけのつぎ足しをしてみたが、それでも届かない。そこで二人が崩折れて、よよとばかりに泣いている。
「馬鹿な奴、いくら探したって無いものは有るものか、いいかげんにあきらめて往生しろよ、毎晩毎晩そうして合奏をつづけては、下手な左官の壁塗りのような、薄っぺらなうつしえの実演をやりつづけているそうだが、塗直し、焼直しも、そうそう手が重なっては、凄くもなんともないぞ、市中では鬼頭堂の堂守まで鼻についているぞ、いまに犬も食わないことになるぞ、いいかげんに引込め、引込め」
 いや、鬼頭天王の堂守といえば、もういい年だが、あれで若い時は相当に美(よ)かったぜ、今こそ堂守で行い澄ましているが、まだ見られる色香、いや、まだ聞かれる声だった。
 鬼頭天王とは、いったい何だと反問したら、あの堂守の尼が、妙に上ずった肉声をあげて、こんなことを聞かせたぞ――
 昔、北面の武士に兵部重清(ひょうぶしげきよ)というがあって、それが正安二年の春、後伏見院が北山に行幸ありし際、その供奉(ぐぶ)の官女の中に、ええ、何と言ったかな、そうそう、朝霧という美女がいた、それを兵部重清がみそめてしまった、つい、いい首尾があって、連理の交わりとやらを為(な)したそうだ。今晩は頭がいいので、尼の口早に話した人の名も、年号も、ちゃあんと覚えているぞ。その上に、連理の交わりだなんて洒落(しゃれ)た文句も覚えている。あの堂の婆あめ、その艶物語(つやものがたり)を語る口に肉声を帯びていたのは怪しからぬ、恋と無常を語り聞かす枯れきった声ではない、あれではまだ相当の年だ、四十かな、三十代は過ぎてるらしいが、五十の声はかからないぞ。おれが一人、さまよい込んだので、彼女も異様に昂奮したか、頼みもせぬに、その重清と朝霧の恋物語を、からくりの口上もどきで、面白おかしく語り聞かせたが、さあ、それから二人の身の上はどうなったかといえば、左様、二人の仲を、重清の父が見て、これを危ぶんだ――というのは、相手がやんごとなきあたりの官女では、悴(せがれ)の行末が思われたからだろう。そこで、体(てい)よく悴を口説(くど)いて、別に似合わしい縁辺を求めて、八重姫――お八重ちゃんという娘を、これに娶(めあ)わせたのは、親としてしかるべき心づかいだ。且つまた、なさねばならぬ義務を果したのだ。そこで、それがそのまま、市(いち)が栄えれば何のことはないが、恋愛というものは生死(いきしに)なんだ、失うか、得るかよりほかには、妥協というものが利かないんだから、やりきれない。父の定めた伉儷(こうれい)が成立してみれば、自分の作った恋愛はあきらめなければならぬ、それをあきらめると、当然一人の犠牲者を出さなけりゃならぬ、この場合の失恋者が、とりも直さず官女の朝霧なのだ。彼女は深く恨んだ、その結果が、食物を断って死んだ――
 その辺を語る時に尼は、さめざめと涙を落していたようだが、似つかわしい新夫婦のために同情せずして、不義の交りを楽しんでいた官女に同情を持つところが怪しからん。何か身につまされるものが深かったればこそだろう。おれは、そういう事は世間にあることで、また有り得ることだ、世間の神仏にある取りとめもない誇張の縁起物語と違って、失恋の結果、自分の生命を断つということは自然であって、無理でない、恋というやつは、それを失っては生きられないものだ、という理窟をそのまま受取る。そこで、兵部重清も、もともと深く焦(こが)れた仲だから、それが菩提(ぼだい)の種となって出家を遂げた。つまり、新家庭を抛棄して、出家入道の身となったのは、遅蒔(おそま)きながら朝霧の純情に殉じたものだ。死して魂魄(こんぱく)となっても、女はその殉情に満足を感じたに相違ない。つまり、生きて遂げられぬ恋が、死して円満に成就(じょうじゅ)したということになって、その艶話は一応実を結んだが、それ、恋というやつは戦と同じことで、勝敗だけがあって、妥協というものがないのだ。あの世と、この世だが、とにかく二人の恋が再び好転してみると、当然またここに一つの犠牲者が現われてしまった。
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